「あの有馬さん、什造くんから聞いたんですけど⎯⎯」
「…いや、無理だろう。お前の経緯は秘匿事項とされている。他の局員に露見する危険性があるのに、それが通るとは思えない」
「…僕もそう思います。でも例えば⎯⎯」
「……それ、誰が言うんだ」
「すみません、お願いします…僕は、どうしても…」
「……」
「……」
「……伝えるだけだ。それ以上のことはしないから」
□
「ぁ…ぅぅん、…失礼しました。本日より短期配属になります佐々木琲世三等捜査官です。よろしくお願いします。」
「同じく本日より……伊丙入二等捜査官です。よろしくお願いしますー」
亜門はここ数日、CCGの元解剖医嘉納についての情報を整理していた。
先日、篠原が自身の担当するグール“大食い”の調査にあたって見つけた、昨年十月の鉄骨落下事件。事件により死亡した少女の臓器を、同じく事件で重症を負った青年に独断で移植手術を施したことがニュースになっていたものだ。
この死亡した少女。これが“大食い”の可能性があるというのが篠原の見解だ。更には、移植された青年は現在行方不明。執刀した医師も同じく行方知れずと、明らかに“匂う”ものだった。
調査を進めて出てきたのは嘉納の所持する、用途の知れない大量の不動産だ。そして今回亜門が見つけたのは、それらとは別の、他人の名義で購入された一つの別荘だった。
この情報を班員に伝えようと出勤したこの日。梅雨時期特有のじめじめした空気を払うかのように、二人の少女⎯⎯いや女性局員が現れた。
亜門は、その場の全員は⎯⎯一人を除いて⎯⎯気づけなかった。違和感さえ感じなかった。
「あれ、ハイセなんで女の子です?でも似合ってますね」
「あはは…ありがとう。潜入捜査というか、その一貫ということでね…」
亜門、篠原の頭上に“?”が浮かぶ。二人の会話の意味が分からなかったのだ。
「…察するに、佐々木三等は女装をしているので?」
「ええ、そうです」
「…ん"!?」
「…何?」
違和感に気づいたのは、女性である暁だった。亜門と篠原は、隙を突かれたように反応する。
そして亜門はそこでやっと、自己紹介時の名前から、目の前の見た目女性にしか見えない人物が、昇任式で会った青年だと思い至る。しかし、この化粧で様変わりした姿は言われなければ気づけない⎯⎯いや、言われても疑うレベルのものだと、亜門は感心した。
「しかし…見た目もそうだが、声まで女性のものに変えられるとは驚きだ。それと…一点気になっているのだが、いいか?」
「?ええ」
かつかつとヒールで床を打ちながら、暁は佐々木の目の前まで接近した。そして、その勢いのまま胸を鷲掴みする。
「ぅぇっ」
「パッドか。しかしなぜこのような大きさにしたのかお聞かせ願いたいな佐々木三等?おや、女性用下着も着用しているようだ」
暁は真冬の、肌を突き刺すような冷えきった目で、しかし口調は柔らかく淡々とハイセに問いかける。
まさに、変質者を相手にするような態度の暁。鈴屋はきょとんと目を丸くし、亜門と篠原はごくりと息をのむ。
「それ、着けてるの私のなんです。だからその大きさになってー…」
ゆっくりとした口調で答えたのは、どこかぼんやりした印象を与えていたハイルだった。
暁は、目を見開いてハイルと佐々木を見比べる。そして少し眉を寄せて、次に納得顔になりながら、サッと元の位置に戻った。
「そうか、失礼した。女性として気になったものでな。気にしないでくれ」
「はい…」
「?」
佐々木は暁が勘違いしていることに気づいていたが、それを指摘すれば厄介なことになるのは目に見えていたので、何も言わなかった。ハイルは首を傾げるばかりだ。
「えーと、挨拶も済んだようだし?そろそろいいかな。今後の予定についてだが⎯⎯」
□
コトコトと鍋を揺らす音が鳴る。換気扇へ昇る空気に混ざった香りが、食欲を刺激し、口内を湿らせる。身体の動きに沿って、小気味よく花柄のエプロンが揺れた。
小皿にひと掬いし、味見をする。
「…よし」
悪くない出来だった。今日の夕食は、豚肩ロースの大根おろしソースに、手羽元を入れた夏野菜のスープ、湯気が立ち昇る炊きたての白ご飯といったメニューだ。もちろん、デザートも忘れない。冷蔵庫には、朝入れておいた桃のゼリーがある。
「お姉ちゃん、耳かいてー」
「……」
「ママがいいん?」
「どっちも嫌だよ。ご飯できたから耳掻きはその後にね。つぐから食器並べて」
「…はーい」
ハイルはのっそりと立ち上がりながら、食卓に配膳する。そして、未だ化粧を残したままの佐々木をぼんやりと見つめながら思う。やっぱりそうだよね、と。
「有馬さんに会いたいなー…はぁ」
ゼリーを口に運びながら、ハイルは物憂げに呟いた。今回二十区支部に派遣されたことによって、有馬と過ごす時間が減った。というか、無くなった。
こうなったのも、全ては今食器を洗っている女装男のせいなのだと思い至る。よって、その後ろ姿に、全力の怨みつらみの視線を送る。
「ごめん…でもそれ何回言うんだよ。お詫びもしたし、許してくれたんじゃ⎯⎯」
「うるせぇ…」
「……」
「ハイセ、ゼリーおかわりちょうだい…」
「冷蔵庫に入ってるよ。でも一つだけだよ」
「…耳かきは?」
「これが終わってからね」
「膝かたい…シャオの枕が恋しい」
「どこうか」
「我慢する……」
サラサラの髪をかき分け、露出した小さな耳に綿棒を差し入れる。一センチほどで止め、撫でるように綿棒を回す。
「ぁー…ハイセ、もっと奥のほう…」
「いや、耳掃除って本当は奥までやったらいけないんだよ。奥の垢は自然に落ちてくるから、この辺までがいいよ。出てきたらまたすればいいから」
「えー…全然気持ちよくない…」
「あ、じゃあさ雑誌に乗ってた耳マッサージ試していい?自分じゃ出来なかったんだよね」
「おまかせ…」
「よし、じゃあ反対が終わってからね」
「ぁ~…気持ちぃー…」
「そう?じゃあこれは?」
「……」
「…ハイル?って、ここで寝ないで」
「いや、無理…これは無理しょ…」
ハイルはベッドに身体を委ね、全身をとろけさせていた。まさに、至福といった表情を晒している。
「ねぇ、ハイセ。この捜査で嘉納に会ったとして、どうするん…」
ハイルの問いかけに、佐々木の手がピタリと止まる。
横向きに頭を預けているハイルには、佐々木がどんな顔をしているか気になったが、確かめることはできない。
「ハイセ、手が止まってるよ」
「あ…うん。……どうしようか」
「いや、知らんし」
返した言葉が予想外だったのか、佐々木が小さな笑い声を漏らす。そのクスクス笑いがハイルの耳を小気味良くくすぐる。
一呼吸置いて、佐々木が口を開く。
「元の身体に戻して、とか?」
「なんで疑問系?…戻りたいん…?」
ハイルは自分の声に、寂しさが込められていたことに驚く。無意識のものだった。
「どうだろう。少し…いや、かなり怖いけど今の身体にそれほど不自由はないしなあ」
運動能力桁違いだしね、と苦笑する様子の佐々木。その様子に、ハイルの表情が、憐れみと苦渋が複雑に混ざり合ったものになる。
「今だけかもしれんよ…」
「ん、なんて?聞こえなかった」
「……汝に、寿命の半分と引き換えに力を与えよう」
「は?」
「そうだったら、ハイセはどうする…?」
ハイルはぎゅっと目を固く瞑る。そして、すぐに自分で言ったことを後悔する。佐々木の顔を見たくなかったし、見られたくなかった。
「それ、もう引き返せない前提だよな…。ハイルだったらどうする?」
「……私?」
「そう。今すぐには考えつかなくて…だからハイルならどうなのかな、と」
「……」
ハイルは考える。そして⎯⎯考えるまでもなかったことに気づく。そんなのはずっと前から決まっていたのだから。
「関係ない。寿命が半分だからって関係ない。⎯⎯ただ、有馬さんのために…有馬さんと沢山一緒にいて、いっぱい誉めてもらうために私はこれからも生きるんよ」
「……おおー言い切った。かっこいいね」
「うん……だからハイセも…」
眠気と闘いながら、答えようとして⎯⎯何だか言ってはいけないことを言った気がしながら⎯⎯そこで、ハイルは気づいた。ハイセも…?そこからの言葉が見つからなかった。
いったい、自分は何を言えばいいのだろう。自分達以上に不確定な存在である佐々木に、何を言えばいいのか。
そんな葛藤の中、口から意思とは関係なしに、自然と言葉が流れる。
「…ハイセもそうだったら、死んじゃうその時まで私と一緒にいよう…?」
「…え?」
「有馬さんと私とハイセと…もう少ししたらシャオも他の皆も来るかも…ついでに郡先輩とかも皆一緒に……いいしょ?」
「…うん、そうだね」
「決まり…」
ハイルは重たいまぶたを落としながら、やんわりと微笑む。そして胸の奥がすぅーと軽くなっていくのを感じた。今夜は何だかよく眠れそうだなと霞がかった頭に浮かぶ。
「ハイセ、明日から頑張ろうね。それでいっぱい有馬さんに褒めてもらぉ…」
「ハイルは寝ないようにね。今日もうつらうつらとしてるの見たよ。ただでさえ普段から眠そうにしているんだから…」
ぱしん、と軽めの張り手が飛んだ。
甘いものの後はしょっぱいものが欲しい