聖痕のクェイサー×真剣で私に恋しなさい! 作:みおん/あるあじふ
空が闇色に染まったその日の深夜。クリスは病室を抜け出し、ただひたすらに街道を走り続けていた。
目的などない。理由もない。こうしていれば何もかも忘れられ、全てから逃げられるような気がした。
走って、走って、走り続ける。できるだけ遠くへ。自分の体力が底を尽きるまで。限界が訪れるその時まで、彼女の奔走に終わりは訪れない。
(なんで……どうして、父様は……!)
フランクとの一件を思い出す。突然の帰国命令。それもクリスの意思を無視した強制送還。いくら反旗を翻しても覆らない残酷な現実。もうこの現実は変えられない。クリスには……どうする事もできない。
現実から逃げるように。出口のない迷路へと迷いこむように。息を切らし、クリスは逃避行を続けた。
一体どれだけ走ったのだろう。無我夢中で走り続けたのだ、覚えていない。心臓の鼓動が激しく脈打ちながら大量の酸素を欲していた。クリスは立ち止まると、近くにあった資材置き場へと足を運ぶ。
建物は長年使われていないのか、中へ入った途端、酸化した鉄の臭いが鼻につく。ともかく、ここで休もう……クリスは壁に寄りかかりゆっくりと腰を下ろした。
疲れ果てた身体を休め、身体を蹲るように縮めながら、地面に視線を落とす。
(……何をしているんだ、自分は)
何も考えずに病院を抜け出した自分に問いかける。全てから目を背け、逃げ出した自分に堪らなく嫌気が差す。
全てが信じられない。信じていた父親には裏切られ、誇りを失い、今は剣さえも、握れなくなった。剣を握れば、またあの幻覚が蘇る……そんな気がして。
(…………)
自分の手の平を、じっと見つめる。この手……この身体には、フランクと同じ血が流れている。軍人としての血が。"人殺し"と呼ばれた血が。違うと何度も心の中で否定し続けていたが、今はもうそれすらもしなくなった。受け入れたという言い方はおかしいが、フランクが真実を語らない以上、否定のしようがない。
正義……義を重んじる心。クリスの掲げていたものは、いつしか消え去っていた。何が正義で、何が悪なのか。今の自分にあるものは虚無。何もかもが色褪せていく。
こんな時、大和やサーシャ達に助けを求める事ができたら……と思う。しかし、これは家族の問題。自分の問題は自分で解決しなければならない。そう決めた以上、その意思を曲げる事はできない。
何より、これ以上迷惑をかけられないのだ……自分が原因で京や華、そして由香里。仲間が傷付いた。誰も巻き込みたくはない。自分の所為で仲間が傷付くのは、耐え難い事だった。
一体どれくらいの時間が経っただろうか。腕時計を見ると、まだ10分程度しか経過していない。ここへ辿り着き、随分時間が経過したように思えたのだが……クリスは再び立ち上がると、資材置き場の入り口へ向かって歩き出す。
病院を脱走した事が知られるのも、時間の問題である。もうすぐ大和達やサーシャ達が探しにやってくる筈だ。それに何より、フランクが黙ってはいない。明日にはドイツに連れ戻されてしまう……こうしていられるのも、今の内だけだ。
なら見つからないよう、もっと遠くへ逃げよう。どこまで行けるは分からないが、逃げられるのなら、どこへでも行こう。この身体が朽ち果てるまで。クリスが入り口へ向かって歩き出したその時、
「―――――どこへ行く?」
建物内からクリスを呼び止める声が聞こえた。驚いたクリスは周囲を見回す。おかしい、人の気配は全く感じなかった筈なのに。
すると、暗闇で支配されていた建物の内部に、ライトの光が照らし出された。その光は今にも消えてしまいそうで、点滅を繰り返すもまだ生きていた。どうやら辛うじて電源は通っているらしい。
そして光に照らされたこの場所で、クリスの前に一人の人間がその姿を現す……現れたのは、サーシャだった。サーシャは腕を組みながら壁に寄りかかり、ただ静かにクリスに視線を注いでいる。後をつけられていたか……どちらにせよ、今のクリスにとって仲間と遭遇するのは都合が悪い。
「……た、ただの散歩だ。それにどこへ行こうが、サーシャには関係ないだろう?」
見え透いた嘘。本当は宛てもなく逃げていたというのに。苦し紛れの言い訳は、当然サーシャには通用しなかった。
「随分と遠出だな……次は海でも渡るつもりか?」
遠回しに、どこまで逃げるとサーシャの目がそう訴えている。直視できない……クリスは視線を逸らし、黙秘を続けた。サーシャは返答を待ち続けていたが、一向に答えようとしないクリスに、強情な奴だと小さく溜息をつく。
「確かに、どこへ行こうがお前の自由だ……俺には関係ない。だが」
そう言って、クリスに向かって何かを放り投げた。それは、クリスの目の前に地面に突き刺さる。サーシャが投げたものは、鉄で錬成されたレイピアであった。
「先へ進みたければ、俺を倒してから行け」
サーシャからの突然の戦線布告。サーシャに勝たなければ、クリスの逃避行はここで終わりを迎える事になる。クリスの前に突き刺さったレイピアは、まるで抜けと訴えているかのように、その刀身を佇ませていた。
戦わなければ、進めない。勝たなければ、進めない。いつもならば受けて立つと意気込むのだが、今のクリスには戦うどころか、剣を持つことさえも躊躇いが生じている。同時にあの幻覚がフラッシュバックし、クリスの身体に悪寒が走った。
クリスは何かに怯えている。剣を取らない理由――――きっと何かある。だが、かといって情けをかける程サーシャは生易しくはない。
「……どうした、次こそは俺に勝つんじゃなかったのか?」
「…………」
サーシャとの決闘後に、次は勝つと言ったクリス。その目標さえも遠い過去の記憶となり、忘れ去られていた。あの頃のクリスはどこにもいない。誇りを胸に、騎士として剣を振るうクリスはもう消えた。
「……頼む。お願いだから……自分を行かせてくれ」
戦えない。剣を見る度に、手が恐怖で震え出してしまう。弱々しく懇願するクリスだが、それも虚しく、サーシャはなおも彼女の前に立ち塞がり続ける。
戦え、と。その瞳は決闘を望んでいた。
「なら剣を握れ。どの道、お前に選択肢はない」
戦う意思を今一度問いかけるサーシャに、クリスは戸惑いを隠せなかった。もう一度剣を握れというのか。動揺し呼吸が荒くなっていく。
戦いたくないのなら、その剣を取らなければいい。決めるのは簡単だ。しかしここで申し出を放棄すれば、病院へと連れ戻されるだろう。明日になればもう二度と、大和達やサーシャ達と会うことはない。そしてこの恐怖を一生背負いながら生きていくのだ。
この血塗られた手は、消える事はない。まさに生き地獄。これでは自分が本当に生きているのかさえも、実感できない。
「…………っ!」
逃げられないくらいならと、クリスは震えながらも手を伸ばし、レイピアの柄を握りしめた。戦えないと分かっていても、本当はどこかで救いを求めているのかもしれない。突き刺さったレイピアを抜き取り、サーシャを見据える。
サーシャも戦意はあると判断したのか、近くにあった鉄屑を拾い上げると、その鉄屑を剣へと再錬成した。その切っ先を向け、行くぞと静かに答えると、地面を蹴り上げクリスに向かって走り出した。
「――――はあああああっ!!」
サーシャの剣がクリスを捉えた。クリスはレイピアで応戦し、その剣戟を受け止める。早い……一瞬にして距離を詰められ、防戦を強いられてしまう。
(………っ!!)
心臓が跳ね上がり、恐怖で足が竦みそうになる。戦いへの恐怖がクリスの枷となり、サーシャから逃げるように後退りした。
しかし、サーシャはなおも容赦なく何度も剣戟を叩き込んでいく。その度にクリスは視線を逸らし、レイピアを盾代わりに身を守る事だけを繰り返す。
一方的な攻撃と、一方的な防御。これでは戦いとは言えない。それはクリス自身が一番よく分かっている筈なのに……クリスは体勢を立て直そうと視線を戻した。
だが、
(………ひっ)
レイピアの柄を持つ自分の手が視界に入った瞬間、心臓が止まったかのような感覚に陥り、激しい動揺が始まった。手の震えが強さを増し、呼吸が酷く荒くなる。
あの時見た幻覚はない。だが、また見てしまうのではないかという錯覚が恐怖を生み、戦う意思を蝕んでいた。
サーシャはその動揺を見逃さなかった。最後の一撃を繰り出し、クリスのレイピアを力任せに叩き割ると、蹴りを腹部に命中させ突き飛ばした。クリスは勢いよく吹き飛び、地面を転がっていく。
「う……がは、ごほっ……!」
咽込みながら腹部を抑え込むクリス。衝撃が重い……だが、戦えない程のダメージではない。しかし、今のクリスには十分過ぎる程に大きな一撃であった。クリスは立ち上がろうとはせず、地面に蹲ったままだ。
「………はは、やっぱり……サーシャには敵わないな」
渇いた笑いで、クリスは静かに語り出す。まるで戦いを投げ出したかのように、その瞳には闘志は宿っていなかった。サーシャは何も言わず、ただ黙ってクリスを待ち続けている。
「……もう、十分だろう?自分の負けだ……これ以上戦っても、結果は変わらない。だから――――」
だから、終わりにしようと。サーシャにそう言った。負けを認め戦う意思がない事を伝えるも、サーシャは首を横に振った。
「立て、クリス。まだ戦いは終わっていない」
認めない。立ち上がり、限界まで戦い続けろとクリスに告げた。戦い足りないのか、それとも……どちらにせよ、戦意がないのに戦えと言うのが無理な話である。
「サーシャも趣味が悪いな。自分は負けたと言った筈だ……それに武器だって――――」
サーシャが錬成したレイピアは、既に壊れ鉄屑と化している。武器がない以上、戦う事はできない。するとサーシャは鉄屑を拾い上げて再錬成した。鉄屑はレイピアへと姿を変え、錬成したレイピアをクリスの元へと投げ渡す。
「武器ならいくらでも作ってやる……何度壊れてもな」
クリスの前には。壊れた筈のレイピアが転がっている。何度壊れても錬成し、再び戦いを繰り返す――――これに何の意味があるのだろうか。
戦いたくない。怖い思いはしたくない。けれども逃げられない。再戦を余儀無くされたクリスはレイピアを握り、もう一度立ち上がる。身体は戦う事を覚えているのか、自然と身構えていた。
先の見えない二人の戦いの行方。それは終わる事なく続いた。
何度、繰り返しただろう。サーシャは幾度となくレイピアを破壊し、再練成。クリスに戦いを強要し、再び戦いを繰り返した。
一方的な剣戟。まるで負の連鎖。永遠に終わらない無限回廊。クリスは身も心もボロボロになり、動きも機械的になっていた。
「………うっ!?」
レイピアを破壊され、地面に投げ出されるクリス。何度目かはもう分からない。これで今度こそ終わる……だが、サーシャがそれを許さない。錬成されたレイピアがクリスの元へと渡される。レイピアを手に立ち上がり、また繰り返す。この意味のない戦いを。
しかし、クリスは身構えようとはしなかった。しばらく立ち尽くしていたが、突然力なく膝をつき、持っていたレイピアが手から零れ落ちた。金属音が虚しく鳴り響く。
そしてクリスの膝下に落ちる、小さな雫……クリスの目から滴り落ちる、数滴の涙であった。
「………戦えない」
声を震わせ、サーシャに訴えかける。俯いていて表情は伺えない。
「もう……戦えない。怖いんだ……戦う事が!怖くて、今は剣も握れない……!」
今まで心に秘めていた感情が、クリスの涙と共に溢れ出ていく。それはクリスが抱えていた、確かな恐怖への感情。
「剣を握ると、手が震える……動かないんだ。今の自分には何もない。信じるものも、誇りも全部失った!これから、自分は何を信じて戦えばいいか、分からない……!」
信じていたフランクの正義。騎士の誇り。それを胸に剣を握っていた自分。今は全てを失った。あるのは戦う事への恐怖のみ。彼女は、それほどまでに心を追い詰められていた。
信じていたものに裏切られた痛み。それは、クリス自身にしか分からない。故に、彼女は苦しんでいた。行き場のない思いが、彼女の感情を爆発させる。
「助けて……お願い……助けて、助けてくれサーシャ……!」
助けを請いながら、クリスはその場に泣き崩れてしまった。泣いている彼女は、凛々しく振舞っていたクリスとは思えない程に、弱々しく見える。
だが、これが彼女の本当の思いであり、心の震えなのだとすれば――――サーシャは何を思ったのか剣を投げ捨てるとクリスへと歩み寄り、その場にしゃがみ込んだ。
クリスの両肩を掴み、真っ直ぐにクリスの目を捉える。クリスの視線とサーシャの視線が重なる。涙で滲んでよく見えないが、サーシャの瞳は宝石のようで、何よりも真剣であった。
そして、
「あ………え?」
クリスの制服のボタンと下着を引き剥がした。露わになった白く透き通った素肌。程よく大きな胸。クリスの思考が停止する。するとサーシャは唇を胸に近づけ、
「
「なっ……!?」
貪るように、彼女の胸を―――聖乳の吸引を始めるのだった。力強く吸われていくそれは、彼女の身体を敏感にさせていく。
「あっ!?う……うわあああああああああぁぁああああ!?」
今まで味わった事のない感覚。暴れて抵抗しようとするも、まるで力ごと吸い取られているようで、身体に力が入らない。ただ身を任せ、声を荒げ叫び続ける事しかできない。
(な……何だ、これ……変な……変な気分になる……!)
なおも吸われ続けるクリスの聖乳。しかし、不思議と嫌らしさは感じない。経験はないが、強姦をされているわけでもない。汚れなき神聖なる行為だと認識できる。彼女の表情はやがて恍惚になり、サーシャの授乳行為に身を委ねていた。
しばらくして聖乳の補給を終えたサーシャはふうと息をつくと、力が抜けたクリスの身体を抱きかかえ、ゆっくりと壁際に腰掛けさせた。サーシャも隣に座り込む。
クリスはしばらく放心していたが、聖乳を吸われていた事を思い出し、胸を両手で覆い隠すと、頬を赤く染めながらじろりとサーシャを睨みつけた。まだ余韻が残っているのか、身体は小刻みに震えている。
「………変態」
「聖乳を吸われたくらいでいちいち騒ぐな」
「うるさい!この痴漢!人でなし!変態!変態!お前は変態だ!」
「お前はそれしか言えないのか」
まるでバカのひとつ覚えだな、溜息をつくサーシャ。バカにされ頭に血が上ったのか、クリスは顔を真っ赤にしながら反抗を続けた。
「黙れこのへん…………あああああ、もう!バーカ!サーシャバーカ!バーカ、バーカ!!バーーーーーーーーーーカ!!!」
「…………」
子供のように何度も連呼するクリスを見て、やはりバカだと呆れるサーシャなのだった。クリスも気が済んだのか、ようやく落ち着きを取り戻す。
「………」
「………」
しばらく沈黙が続く。すると、その沈黙を先に破ったのはサーシャだった。
「信じてきたものに裏切られ、何もかも見失った……どうやら父親に対する疑念が、そうさせているようだな」
「………!!」
何故分かったのだろう。クリスは目を見開いた。
聖乳は人の感情そのもの。それによって味も質も変わる。そして、その人間の心さえも読み取る事ができるとサーシャは付け足す。
つまり、今のクリスの心境を悟られてしまったのだ。悔しい話だが、無抵抗になってしまった自分の責任である。しかしおかげで、心の荷が少し降りた気がした。
後は、自分の抱えている全てを打ち明けるのみ。
「もうお前はお前自身の心を曝け出した。一体何があった?全て話せ」
何も隠す必要はない。苦しいなら、助けを求めているなら、意地を張らず何もかも話してしまえばいい。もしかしたら、サーシャがどうにかして解決してくれるかもしれない……クリスの中で、僅かな希望が芽生えていく。
サーシャなら、きっと――――そう思った時、彼女の口は自然と開いていた。
「じ、実は――――」
「――――ようやく見つけたぞ、クリス」
サーシャでもなければクリスでもない、第三者の声がクリスの言葉を遮った。二人が立ち上がり確認しようと前へ進んだ瞬間、周囲から複数の気配を感じ取る。
周囲から現れたのは、軍服を身に纏い、銃を構えた軍人が複数人。胸のマークにはドイツのシンボル。間違いなく、フランク率いるドイツ軍であろう。
そして、サーシャとクリスの目の前に現れた一人の影―――――その正体は、クリスの父親こと、フランク・フリードリヒであった。