聖痕のクェイサー×真剣で私に恋しなさい! 作:みおん/あるあじふ
クリスとサーシャが決闘をする事になった発端は、二日前に遡る。
この日、放課後を迎えたクリスは教室を飛び出し、ある場所へと足を運んでいた。
それはクリスが毎日のように通っている、いなり寿司で有名なチェーン店である。この日はいなり寿司の新作の発売日だった。クリスはいち早くその新作を食べてみたいと、心を踊らせながら店へと向かう。
「新作のいなり寿司……ああ、楽しみだ♪」
クリスはいつになく上機嫌であった。いなり寿司が好きなクリスにとって、新作は見逃せない。待ち遠しくなり、クリスの足取りが早くなっていく。
そして店についた時、クリスは絶句した。何故なら、
「うっ……」
予想以上に、長蛇の列ができていたからである。確かにこの店は有名だが、この状況は想定していなかった。ざっと20人くらいは並んでいる。待つのは嫌いだが致し方ない。クリスは渋々、列の最後尾へと並ぶ。
すると、クリスの前に見覚えのある後ろ姿があった……サーシャである。
「サーシャ……?お前も来ていたのか」
奇遇だな、とクリス。サーシャも新作が気になったのか、足を運んでみたらしい。
「ああ。新作のいなり寿司とやらを食べてみようと思ってな」
「そうか。サーシャもいなり寿司が好きか!うん、やはりいなり寿司はいいものだ!」
同志だなと満足げに語るクリス。意外な共通点が見つかり、よほど嬉しかったのだろう……目を輝かせながら喜んでいた。
「いや、別にそういうわけじゃないんだが。ただ………」
サーシャは特別、いなり寿司が好きという訳ではない。配られた店のチラシを眺めている。それは、新作のいなり寿司の宣伝広告だった。
『新作!ボルシチ風いなり寿司』
ボルシチと聞いては黙っていられない、とサーシャ。
ああ、なるほどとクリスは納得したと同時に肩を落とした。骨の髄までボルシチが好きなのだろう……むしろ、ボルシチだけで生きているのではないだろうかとさえ思うくらいに。クリス自身も人の事は言えないのだが。
時間が経つにつれ、列が段々と店頭へ流れていく。サーシャとクリスは今か今かと列から遠く離れた店頭を覗き込んでいた。
新作のいなり寿司まで、後数
「いなり寿司は……いなり寿司はまだか!?」
「少し落ち着いたらどうだ」
念願の新作が近づくにつれ、クリスの様子が段々とおかしくなり始める。もはやその目は獣に近い。サーシャも落ち着くよう話しかけるが、聞く耳すらも持たないようである。
そして、さらに列は進む。
サーシャとクリスの列まで後数人。クリスにはいなり寿司しか見えていない。狂信的と言わざるを得なかった。何を言っても効かないのでサーシャは放っておく事にする。
そしてようやく、サーシャの順番がやってきた。
サーシャの会計が終れば、次はクリスの番だ……新作はもう目の前にある。クリスは財布を用意しながら待ち続けた。
サーシャの会計が終わり、クリスの番がやってくる。クリスは早速新作のいなり寿司を注文した。至福の時が訪れる……長く並んだ甲斐があった。これで自分の努力が報われる。
だがしかし、クリスに待っていたのは残酷な結末であった。店員が申し訳なさそうにクリスの表情を伺っている。
「大変申し訳ございません。前のお客様の時点で、全て売り切れてしまいました……」
「なんだとっ!?」
売り切れたという衝撃な展開に思わず絶叫するクリス。新作のいなり寿司は、サーシャが購入したもので最後だったのである。
「い、いなり寿司が…………」
クリスの頭の中が真っ白になる。ここまで並んでおきながら、最後の最後で売り切れるという惨い仕打ち。今までの苦労と期待は何だったのだろう……クリスは絶望し項垂れた。
(俺ので最後だったか……)
運よく購入できたサーシャは項垂れるクリスに、気の毒だと心の中で呟いた。しかもラスト一個が自分だから尚更だ。運が悪いとしか言いようがない。
「…………」
クリスが何かを訴えるようにサーシャに視線を送っている。その視線はサーシャではなく、サーシャが手に持つ新作のいなり寿司である。
分けてくれと言っているようなものだ……分けても良いのだが、クリスはお嬢様。何でも頼めば欲しいものが手に入るというわけではない。このままでは彼女は成長しないだろう。
「クリス」
「分けてくれるんだな!さすがサーシャ―――」
「お前に現実を教えてやる」
サーシャはクリスの目の前で、新作のいなり寿司を食べてみせた。しかも丸々一口で。クリスの期待の表情が、一瞬にして凍り付く。
待ち望んでいたいなり寿司が、サーシャの井の中へと消えていく……まさに弱肉強食という厳しい現実を思い知らされた瞬間であった。
クリス、撃沈。
「ふむ………」
すっかりいなり寿司を完食したサーシャ。しかし、表情はあまり浮かばれなかった。
そして、
「イマイチな味だった。新作が聞いて呆れる。ボルシチ風にしようが何をしようが、所詮いなり寿司はいなり寿司だな」
これでは俺の心は震えない、と新作に対して辛口な評価を下すのだった。
だがそれは、いなり寿司を愛するクリスに取って禁句だったという事を、サーシャは今になって思い知る事になる。
「サーシャ……貴様……!」
いなり寿司を侮辱した事への怒りが、ふつふつとクリスの中で煮え滾る。
目の前でいなり寿司を食べられてしまった事なら、百歩譲ってもまだ許せる。だが、いなり寿司自体を侮辱する事は、断じて許せない。
クリスの怒りが、爆発する。
「今、いなり寿司を愚弄しただろう!?“所詮いなり寿司”とは何だ!?貴様にいなり寿司の何が分かる!?」
感情に任せサーシャを責め立てるクリスだが、内容が内容なだけあって反論する気にもなれない。まるで子供だな、とサーシャはあくまで冷静に対処する。
「いなり寿司如きで感情を乱すとはな……騎士の名が泣くぞ」
サーシャのその鋭い一言は、クリスを一瞬にして黙らせた。正論過ぎて言い返せない。
しかし何か言い換えさないと気が済まない……何でもいい、とにかく適当に思い付いた事をサーシャにぶつけた。
「ふんっ!サーシャこそ、ボルシチのどこがいいんだ!?あんな野菜スープ、ビーフシチューと変わらないではないか!」
だがクリスも知らない。その一言が、サーシャの逆鱗に触れてしまったという事実を。
「……ボルシチとビーフシチューが同類だと?」
冷静でいたサーシャの態度が変わり、ギロリとクリスに視線を向けた。ボルシチを侮辱した罪は何よりも重い。
今度はサーシャの怒りが、爆発した。
「貴様、俺の前でボルシチを侮辱したな!!」
「サーシャこそ、自分の前でいなり寿司を愚弄しただろう!しかも自分の目の前でいなり寿司を頬張りおって……それが男のやる事か!」
互いに怒りの炎を燃やしながら、火花を散らしている。周囲の人間が何事かと見物に集まっていた。だがもうそんな事は気にしない。
しばらく視線だけの会話が続き、そしてサーシャとクリスは同時に口を開く。
「「決闘だ!!」」
こうしてサーシャとクリスは互いの信念を胸に、決闘を行う事になったのである。
「「子供かっ」」
秘密基地で、声を揃えてツッコミを入れたのはまふゆと京だった。
決闘後、サーシャとクリスはまふゆと京に基地まで強制連行。視線を落とし、ソファに座り反省させられている。
決闘後、周囲のギャラリーの熱は一気に冷め、誇りある決闘は一瞬にして台無しになった。良い戦いであったのに、理由があまりにもくだらな過ぎる。
「もうしょーもなさ過ぎて突っ込む気も起きないよ。でも友達としてこれだけは言わせてもらうね……もう少し大人になりなさい、クリス」
「はい………」
京に説法を説かれ、しゅんと縮こまるクリス。もはや返す言葉もない。
「サーシャ、あんた少しは思いやりってものがないの?」
「いや、俺はクリスに現実を……」
「だからって何も一口で食べる事ないじゃない。半分くらい分けてもバチは当たらないでしょ?反省しなさい!」
「む………」
まふゆにそこまで言われると何も反論できない。確かに、本人の前で全部平らげるのも酷な話だ。サーシャも落ち込むというわけではないが、少なからず反省はしているようである。
「よくもまあ、いなり寿司一つでよく決闘まで発展したよね……食べ物の恨みは恐ろしいって言うけど」
理由が小さい、と言いかけて京は言葉を飲み込んだ。火に油を注ぐ結果になる。
「この事さえなければ、すごい決闘だったのに……」
まふゆは肩を落としながら、非情に惜しいと溜め息を漏らした。この理由がなければ、学園の歴史に刻まれていたかもしれない。
「……今回は負けたが次は勝つ。このいなり寿司の恨み、決して忘れはしない!」
「まだ言ってるよこの人……」
再戦を申し込み、打倒サーシャを掲げるのだった。余程いなり寿司の一件を根に持っているようで、京もしょーもないねと小さく息をついていた。それに対しサーシャはいつでも受けて立つと、クリスに返答する。
そしてさらに、
「なら、俺が勝ったその時は……お前の
「なっ!?」
それだけ言い残し、サーシャは部屋を後にした。次の決闘で勝てなければ、クリスは胸を吸われてしまう……考えただけでも恥ずかしい。クリスの顔は真っ赤に染まっていた。
「ふん、次に勝つのは自分だ。聖乳など吸わせるものか!自分が本気を出せば、クェイサーといえども――――」
「ところでクリス、気付いた?」
クリスが意気込みを入れていた所を、京が口を挟む。
「む?……気付いた、とは?」
「さっきの決闘の事だよ。サーシャは一度も、クェイサーの能力を使わなかった」
「あ………」
ふと、言われて気付く。サーシャはクリスとの決闘で、一度もクェイサーの能力を使用していない。決闘が終わるまでずっと、純粋な剣術と体術で戦っていたのである。もちろん京だけでなく、まふゆも気付いていた。
能力に頼らず、クリスと互角に戦いを挑んでいたサーシャ。決して手加減したのではない。あくまま術技との戦いを選んでいたのだろう。
それでもサーシャの力量は、クリスより一枚上手であった。
「つまり……サーシャは本気じゃなかったというのか?」
「ううん、サーシャは本気だったよ。私を助けに来てくれた時と同じ目をしてたから……」
エヴァに襲撃された時の事を京は思い出す。もうダメかと思った時、仲間が―――サーシャが助けに来てくれた。あの時のサーシャの目は、真剣そのものだった。
そして、聖乳を吸われたあの感覚も、脳裏と身体に焼き付いている。
「…………」
聖乳を吸われた時の事が一気に蘇り、頭の中で再生される。今思えば、とても恥ずかしい事だったかもしれない。京は目を泳がせながら、少しだけ頬を赤らめていた。京にしては、稀に見ない珍しい態度である。
すると、外の警備から帰ってきたクッキーが京の様子に気付いた。
『あれ、京顔が赤いよ。熱でもあるの?あ、もしかしてこれはもしや新しい恋の予感!?』
大和以外にもフラグが立ったね、とクッキーは自分の事のように喜んでいた。そして危機感を覚えるまふゆ。
まさか……と真意を確かめる為、まふゆは京の表情を伺う。
「み、京……ちゃん?」
「誤解しないでまふゆ。私は大和一筋………うん、かな?」
「何で最後は疑問詞なのよ!?」
追求するまふゆから、目を逸らす京。サーシャに助けられて以来、京の心境に大きな変化があったようだ。少しずつ、サーシャの事を意識し始めている。
『まふゆももたもたしてたら、京にサーシャ取られちゃうかもしれないよ?』
「もう!クッキーもからかわないで!」
顔を真っ赤にしながら、クッキーを追いかけ回すまふゆ。京もからかわれるまふゆを見て笑っていた。
サーシャ達と出会い、本当に京は変わった。良い傾向だとクリスは微笑ましく見守りたい……所なのだが、今はそれどころではなかった。先程京に言われた事が気にかかっている。
サーシャはクェイサーの能力を使わずに戦っていた。手加減されたわけではない。
それでも、クリスは友人として、戦友として同等に見て欲しいと言う気持ちがあった分、少しだけそれが悲しかった。
(……いなり寿司……くそ……)
そしてやっぱり、いなり寿司の事はどうしても許せなかった。