この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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37話 冬の夜長

 柱を磨き、廊下を雑巾で()()、畳を入れ替え、障子紙を貼り換え、雨戸の立て付けを直し、竃の灰を掻き出し、雑草を刈り、家の周りから裏庭にある馬小屋まで。隅から隅まで掃除し終える頃には、日はとっぷりと暮れていた。

 ぶつぶつ文句を垂れながらも、子供らはよく働いてくれた。特にアクア嬢の、平素の振る舞いに似合わぬ職人気質な働きぶりには驚くやら可笑しいやら。

 その業前を以て、外壁の漆喰は当初より遥かに見違えたと言っていい。

 冬の昼日中は足早で忙しない。墨を垂らしたかのような夜空からは、快晴だった青空の名残も窺えぬ。

 街(あか)りから遠いこの庵では、世闇の濃さもまた一入だ。

 しかし、であればこそ。

 

「冬景の闇深き故に月の妙、ってか」

「そりゃ綺麗だけどさ」

 

 縁側から望む十六夜を肴に、猪口を一呑みで乾す。

 澄んだ酒精の味わいが僅かな香気を残して胃の腑へと落ちる。

 

「……ふ、堪えられんな」

「何もこんな寒空に縁側で飲むことないだろ」

「冷えるほど(こいつ)が沁みるのさ。そら、一献」

「あ、うん。さんきゅ」

 

 右隣に茣蓙を敷いて座るカズマへ徳利を向け、少年の差し出した猪口に注ぐ。透明な液体からほろ甘い湯気が立ち上った。

 

『ぶっはぁああああ! うんまぁ! 今日も元気だお酒が美味い!! さああんた達もじゃんっじゃん飲みなさい! これは女神アクア様の命令よ!』

『い、いいんですか!? 私なんかがいただいて本当にいいんですか!? ゆ、夢みたい……お呼ばれさてその上飲み会にまで参加できるなんて……ゆ、夢なんですか!? どうせ夢なんでしょう!? それとも早く帰れのサインを見落としましたか私!?』

『アクア様? その、御酌してくださるのはすごくすごく光栄で有り難いんですけど、さっきからアクア様の指が浸いてしまってお酒がお水に。しかもこのお水なんだか物凄く神々しい光を放ってるように見えて目が痛くて匂いを嗅ぐと鼻と喉もぴりぴりと。多分私、これを飲むと戻って来られない場所に逝ってしまう気が…………』

『そぉれ一気! 一気! 一気!! 一気!!』

『アクア様? 聞いてますかアクア様!?』

 

 背後の障子戸の向こうからくぐもった騒ぎ声が絶えず響いている。

 灯に映された娘らの影絵が、大きくなり小さくなり其処彼処へ行ったり来たりと忙しない。主にはアクア嬢であるが。

 賑やかな暖気。これでは寒さも忘れようて。

 

「ふぃー……ダクネスも呼べばよかったな」

「ダー公か。今はちと難しいかもしれねぇな」

「え? なんで」

「や、実はな。先達って彼方(あちら)には一つ頼み事を申し入れたのだ」

 

 手酌でもう一噛み(あお)る。酒精では口も濡れまいが。

 

「ところでカズよ。お前さん、ダー公が貴種の出なのぁ知ってるか」

「きしゅ? ああ、貴族かどうかって? まあなんとなくは」

「ははっ、やはり承知か」

冒険者歴(キャリア)は俺らと大差ない癖に身形は良いし、武器とか防具の類いに結構出費するわりに金に困ってる素振りもない。じゃあただの金持ちの道楽かっていうと、立ち振る舞いがなーんか仰々しいし、嫌味なくナチュラルに偉そうなところとか……確信も確証もないよ。ただの勘」

 

 誇るでもなく少年はそう締め括った。

 その、曰く“ただの勘”とやらを働かせられる人間がこの世にどれほど居るだろうか。

 

「くふふっ」

「なんだよ」

「いんや」

 

 忍び笑いをするこちらを見て、またぞろ揶揄われでもしたのかと少年が訝しむ。

 愉快だった。なにやらひどく。

 

「その貴顕なる姫御前にこの下賤な素浪人風情がいじましくも御願いの儀を上申奉ったのよ」

「またダクネスが嫌がりそうな謙り方を」

「カズも試しにやってみな。珍しい表情(かお)が拝めるぜ」

「やらいでか(義務感)」

 

 悪趣味な笑みを小僧っ子と二人突き合わせる。

 酒の味が一段と増したような心持ちがした。かえすがえす、意地の悪いこと悪いこと。

 

「んで、頼み事って?」

「あぁ……これがな、いじましいってなぁ何も謙遜じゃあねぇ。卑しい金勘定の御相談よ」

「金?」

 

 火鉢に掛けた鉄瓶がふつふつと煮えた吐息を零している。気が付いたカズマが火箸で炭の位置を変え、火の当たりを弱めた。

 空の徳利に酒を注ぎ、沸騰からやや落ち着いた鉄瓶の湯へと浸ける。

 

「お酒は(ぬる)めの燗がいい~っと……なんだよジンクロウ、借金でもあるのかよ」

「いやいや金の無心ではない。宵越しの銭は惜しむ性質でな。はっ、アクア嬢ほど豪放な真似はそうそう出来やしねぇよ」

「まったくあの駄女神……お気軽に放蕩される身にもなれっての」

「かかかっ!」

「はぁぁあ……」

 

 少年の、その歳に相応しからぬ重く根深い溜息が世闇に溶ける。

 

「そもそも金って、何の金だよ?」

「懸賞金だ。そこの馬っころの」

「え?」

『ん? 俺?』

 

 庭先で呑気に干し草を食んでいた馬が首を傾げた。

 

『……ああ、そういえば、挑んでくる冒険者共の大半はどうもその賞金が目当てだったらしいな』

「魔王軍の幹部って設定だったっけ。そりゃ国から懸賞金ぐらい掛けられるよなー」

『設定ちゃうわ! ふんっ、まったく……それで? 人間共は俺の首に一体幾らの値を付けたのだ?』

「三億だとよ」

「へぇー…………へ? え?」

『ふむ? 冒険者だけを狙い討っていた所為か? あまり奮わない額だ』

「さてな。所詮は御上の決め事。戦場(いくさば)から物言いを仰いだところで埒も無い」

『道理だな。王宮の政治屋共が市井の現実など知るものか。知ろうなどと考えもすまい』

 

 鼻息も荒く、まるで積年の恨み辛みを唾と吐き捨てて、今一度黒馬が嘶いた。

 魔王軍のベルディアなる者に対して抱かれる脅威性の多寡が、机上に着く執政者と矢面に立つ戦闘者とで乖離するのは致し方もない。その言葉を信ずるならば、犠牲になっているのは主に冒険者達。国に税を、年貢を献ずる義務を負った民草ではなく。

 国の営みそのものに害は及ばぬ。ならば必然、人々の肌身で感じた印象よりもその扱いは軽んじられるだろう。

 三億エリスは、()()()額となる訳だ。

 

「さ、さ、さっ、ささ三億ぅ!!?」

「しっ、喧しい。めぐ坊が起きちまう」

「あ、すんません……」

 

 胡坐に畳んだ左腿に、小さな頭が乗っかっている。微かに朱みを帯びた黒髪、額から目元に落ちた細い束をそっと横にわける。

 

「ん、ぅ……」

 

 一度だけむずがるような声を出すと、再び娘子は穏やかな寝息を立て始めた。

 上下する華奢な肩に毛布を掛け直す。

 

「いや、いやいやいやでも三億だぞ? ジンクロウ解ってるか? 三億だぞ? 一十百千万十万百万千万三億だぞ?」

「わかったわかった。少しゃ落ち着け」

 

 今度はカズマが鼻息荒く嘶いた。

 かと思えば一転、弛んだニヤケ面で徳利を押し戴く。

 

「へ、へへ、まあまあジンクロウさんどうぞお一つ」

「おう、苦しゅうない」

「本日はお日柄もよく晩酌には打ってつけのボクお家が欲しいです!!」

「胡麻擦るんならせめても少し粘りやがれ。ええい、きったねぇ。涎を拭かぬか戯け」

「じゅるるっ、とすんません」

 

 意地汚いやらノリが良いやら、興奮の熱冷ましにと少年は涎共々ぬる燗を啜る。

 

「いいなぁいいなぁ! 慎ましく暮らせば一生働かなくていいじゃんかー! クソぉ! 俺だって悠々自適異世界ライフ送りてぇよぉー!」

「カァッ、若僧が枯れたこと抜かすんじゃねぇや」

「普通ですぅー。最近の若者のトレンドは安定! 平穏! 日常!」

「ぁんだそりゃ。世も末かぃ」

「俺んとこはわりと新世紀序盤だけどこの有り様よ?」

「はっ、そらまた救い様のねぇこって……しかしまあ、幸いにしてその夢は叶いそうにねぇぜ」

「?」

 

 若人への苦言という老い耄れた楽しみは一先ず脇に退け、景気の好い話に食い付く少年へ世知辛い事実を贈る。

 

「その懸賞金三億だがな。つい先日、一銭残らず綺麗さっぱり消えて無くなったのよ」

「はあ!? なんで!?」

「ん~?」

 

 仰天瞠目して叫ぶ……ような真似はせず、器用に潜めながら声を上げるカズマ。

 そんな少年を薄笑い混じりに見返す。

 

「心当たりはねぇかい?」

「は? 何のことだよ」

「近頃は()()()()ちゃいねぇかぃ。例えばそう、何ぞ粉々に吹っ飛ばすような」

「吹っ飛ばすってそんな……あっ」

「かっかっ」

 

 流石の察しの良さに今度こそ笑声を零す。

 そうして己の柔らかくもない武骨な(あし)で、それでも安らかに眠りこける娘の頭を撫でた。

 

「街の正門は流通の要所だ。いつまでも吹きっ曝しってぇ訳にもいかんわな。金子で償えと御沙汰が下ったなら是も非も有るめぇ」

「…………」

「ん?」

 

 ふと、打てば響くようだった軽妙な声が途絶える。見れば少年は、手にした空の猪口をじっと見下ろしていた。

 表情には(おくび)にも出すまいが、その眼にはありありと。

 ありありと、面白くもねぇ彩が。

 

「馬ぁ鹿」

「うわっ」

 

 右手でその小利口な頭を掴み、捏ね繰る。髪を掻き混ぜ、右へ左へ前へ後ろへゆらゆら。

 

「らしくもねぇ。おぉ? なんだなんだ。何ぞ気負うたか? えぇおい?」

「ちょっ、やめ、この……!」

「くふ、かっははははは。気にするこたぁねぇよ」

 

 嫌がる少年を無視して、もう一度ぐいと頭を押さえ付けた。

 

「泡銭が順当に弾けて消えた。そんだけの話だ。いや? むしろ大儲けじゃねぇか? あの正門、行商連中に言わせると、荷馬車の往来にはちょいと狭苦しいそうでな。さりとて何度上申書を送ろうが領主からは梨の礫ときた。そんな折、体良く建て替えの名目が立ったとくらぁ……大きな声じゃ言えねぇが喜ぶ者が大半よ」

「……」

「それにな。ここいらの相場に照らしても、公事に纏わる普請をたかが三億で賄えるなんてなぁおめぇ、僥倖を通り越してこいつぁ珍事だぜ? はははははっ」

 

 爆裂魔法が破壊したのは正門と隣接した番兵の詰め所、外壁を正面向かって左右十間(約20メートル)分ほど。門外の商店や民家は無傷な上、無論のこと怪我人の類もまた皆無だった。

 

「上出来よ。お前さん達ゃ」

 

 誰一人として傷付けず、この街を守り通した。

 それ以上の偉業があろうか。

 故に、己は不遜にも喜悦する――――この誇らしい子供らを。

 

「……ダクネスの家に相談に行ったっていうのは」

「ああ、流石に公共土建の相場なんてなぁ門外漢だったんでな。過か不足か含めて諸々の勘定を詰める為に一席設けてくれぬかとダ―公……おっとと、()()()(なし)をつけて頂いた次第だ。おうそうそう、その時に知れたことだが、俺ぁてっきりダー公を領主の娘御と決め付けていたのだがこいつがとんだ見当違いでな。実際はもっと」

「呼べよ」

 

 こちらを見ずに、少年はひどくぶっきら棒な声でそう呟いた。

 

「ふっ、すまんな」

「…………」

 

 最後にもう一度くしゃりとその頭を撫で付ける。

 

「ごめん」

「あぁ? 聞こえねぇな」

「…………ありがとう」

「おう」

 

 すっかり冷めてしまった徳利を刹那迷い、結局は少年に勧める。

 

「ん……ぐっ、やっぱ冷た!?」

「冬空の(ひや)もなかなか乙であろう」

「知るか! 冬はぬくい方がいいし、夏はひやっこい方がいいの! 俺は!」

「はははっ、そうかぃ」

 

 ぶつくさ文句を垂れながら、それでも徳利一本分を飲み干して、少年は荒く息を吐く。

 

「はぁぁ、あぁー! ったく、ホントにジンクロウはジンクロウだよ!」

「なんだそりゃ」

 

 意味の分らぬ呻きを上げて、突如カズマはすっくと立ち上がる。

 回れ右して障子戸に取り付き、そのまま室内に滑り込むや後ろ手で戸を閉めた。

 

『おらぁ! カズマさんのお出ましじゃあ! 飲んでるか野郎共!?』

『男なんてカズマとジンクロウしかいないんですけどぉ。まあいいわ! さあカズマにも私のお酒を飲む権利を上げるわ! 有り難さにむせび泣きながら味わって飲みなさい!』

『ってこれ水じゃねぇか駄女神ぃ!!』

『痛ったぁぁあああい!? カズマが私のことぶったぁ!?』

 

 騒がしい。

 いつものように。

 

「……」

 

 酒瓶から直接手酌で、と思ったが。猪口に注ぐではちと心許ない。

 さりとて、己は今満足に動いてはならぬ身。足の上の仔猫はそっとしておきたい。

 

「はい、どうぞ」

「うん?」

 

 左背から伸びてきた手には器が載せられていた。掌大のぐい呑を一つ、差し出していたのはウィズであった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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