この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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52話 悪意は頓に臭い立つ

 

 

 正午を回り、朝方に比べれば寒さも幾分和らいだろうか。けれど空模様は薄く張った灰色の雲り。

 陽の光の暖かみは空の彼方に遠く、為す術といえば牛皮のジャケットの襟を立て背を丸め、身震いするような寒気を誤魔化すことが精々。

 早くも冬の厳しさに参っているこの軟弱者に比べ、アクセルの人々はどうだ。

 客引きの威勢は道々に響き、なんとなれば店先に大鍋を出してシチューを振舞う飯屋がある。

 冷たい路上の雪を払い、寒空に露店を開く気合の入った行商もいる。

 以前カズマとツルの字(ミツルギ)らを伴った路地の店は、今時分ならば定食屋を商っているだろう。腹具合も丁度いい。天麩羅でも突きながら。

 

「熱いのを一本きゅぅっと……いきてぇとこなんだがねぇ」

 

 人々の行き交う雑踏の向こう、道の端を人波を嫌うように一人見慣れた背中が歩いている。深緑の外套は若葉の如くに鮮やかで、悪く言えば矢鱈と目につく。

 目につく筈の派手な姿が、不意に消え去る。

 冒険者盗賊御得意のスキルとやらを使ったのだろう。眼球はしっかりとその後姿を捉えていたというのに、瞬き一つする間でそれは陽炎のように滲み、揺らぎ、()()()を失くした。

 だが未だ。まだ観えている。その存在、気配はこの手中にある。

 歩調や進路が一定して変わらぬことから、こちらの追尾が気取られた様子もない。

 先達てクリスに同じ手法で尾行された経験が大いに役立った。少なくとも街中であれを見失う心配はなかろう。

 

「はぁ」

 

 堪え切れず溢れ出た溜息は、白く漂いすぐに消沈する。

 左腰にある差前の柄頭に手を置くと、暇だのつまらぬだの腹が空いたの言葉にも声にもならぬ思念が厭に雄弁で喧しい。しかしそうした声でも、思考を鈍らせる助けとせねば、やっておれんわ。

 我に返るべきではない。ないが、やはり覚えずにおられぬこの、徒労感。

 休日の昼間から、己は一体何をしているのやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遡ること一日半。

 ギルドで受託した雪下ろしの依頼を終え、ついでに子らの顔でも見ようと、新居の屋敷を訪れた朝のことだった。

 

「朝帰りぃ? カズがか?」

「です」

「うむ」

「そぉーなの。あのカズマにありえないでしょ?」

 

 居間のソファに腰を据え、暖炉の火を借りて(かじか)んだ手を揉む。

 気を利かせて淹れてくれたのだろう。めぐみんはコーヒーをこちらに手渡すなり、そのようなことを言い出した。

 そしてめぐみん始め、ダクネス、アクアも口を挿んで密告会が開かれた。この家の家主筆頭、カズマの異変について。

 

「ここのところ外泊することが多いんです」

「せっかくこんな豪勢な屋敷を手に入れておいて寝泊りは他所で済ませるなど妙だと思わないか」

 

 怪訝そうに言うダクネスに、しかし曖昧に首を捻る。

 自腹を切って買い求めた我が家。衣食を差し置いて最も値の張る買い物だ。相応に愛着を持つのが当然であろうが。

 

「しかしまあ、カズにも外に付き合いの一つ二つあろう。酒盛りが過ぎて時を忘れっちまうってんならそれこそ、結構なことじゃねぇか」

「飲んでないんですよ」

「ん?」

「昼間に出て行って、朝に帰って来た時一度鉢合わせましたが、お酒の臭いなんてしてませんでした。なにより……」

 

 記憶を思い返すようにめぐみんは小首を傾げる。同時にひどく、不可解といった顔で。

 

「やたらにスッキリした顔をしてたのです。なにかこう、鬱憤というか毒気というか、そういうものを全部引っこ抜いたみたいな……」

『おはようめぐみん。いやぁ冬の朝の空気って、なんて清々しいんだろうな(キラッ』

「儚げ? いえ、むしろちょっとやつれてるくらいなんですが、元気がない訳ではなく妙に晴れ晴れとしていて、明らかにいつものカズマじゃなかったのです。だからその、理由を尋ねようにもなんだか聞き辛くて」

「…………」

 

 真剣な悩み顔をするめぐみんに、返す言葉を失くす。そうしてむむむと娘が腕組みして考え込んだ隙を突き、ダクネスとアクアの方に向き直る。

 掌に隠し、そっと()()を立てた。

 

「いや、それはないだろう」

「ないないないないあのカズマに限ってそんな色っぽい話あるわけないってば」

「男児一瞬目を離した隙に刮目させられると」

「「言わない言わない」」

 

 迷いも逡巡も無く娘子二人、ぶんぶんと首を左右した。それはきっとかの少年に対する信頼の表れなのだと、思ってやる方がいい気がした。

 一息、ダクネスが苦笑する。

 

「ない、と断言しておいてなんだが、心配しているのはまさにそのことなんだ」

「ヘタレのカズマが女の子を口説いてイイ仲になってる可能性は限りなくゼロだけど、悪い女がカズマを騙して誑かしてる可能性はかなり高いわ。今はまだ手加減されてるみたいだけど、もし今後骨抜きの腑抜けにされたカズマが、そのどこの馬の骨かも分からない女に高価なアクセサリーとか貢ぎ始めてあ・げ・く! 私の貯金に手を出さないとも限らないじゃない!」

 

 蓄財の分配だの使途だのという話は、先の商いの上りを折半した己が口を挿めたことではないが。

 金銭のみを憂慮するのではない。銭で支えられている生活というやつが現に今、ここにあるのだから。なればアクア嬢の言動を守銭奴の一語で笑い飛ばすのは早計か、あるいは浅慮なのやもしれぬ。

 

「当の小僧っ子は足繫く何処に通っておるんだ」

「昨日三人でこっそり後をつけてみたのですが、途中で見失ってしまって……」

「あれは明らかに盗賊スキルを使っていた。見付かったとは考え難いが、ああも全力で逃げに徹されては、騎士や魔法使いのスキルでは文字通り追い掛ける術がない」

「あの念の入れよう。それこそ他人様には言えないようなヤラッシィーお店に出入りしてるに違いないわ!」

 

 それこそ盗人の足取りを追う捕り物めいた言動のダクネス、忌々しげに歯軋りするアクア嬢の威勢に思わず笑声を吹いた。

 しかし片や。

 

「……カズマのことですから、変な女を上手くかわすのはお茶の子さいさいだとは思います。だから、べ、別にそこまで心配してる訳じゃないですよ? あんなのでも私達の中で一番狡賢くて、変態的に目敏くて、器用で……お人好しな、リーダ―なんですから」

 

 紅い瞳が、冬空めいて翳る。不安の色に紅が流れ、揺れる。

 直向きに少年の身を案じるその姿が、どうにも労しい。

 

「……しょうのねぇこった、あの野郎」

「! ジンクロウ」

 

 大きな溜息を吐き下ろし、さも大袈裟に肩を竦めて見せる。

 

「世話の焼ける小僧だ。なぁ? めぐ坊」

 

 娘はぱちくりと瞬きしてから、安堵するように柔く笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 娘子の一人くらい安心させてやるのに、労を惜しむなどさもしい話だ。

 とはいえ、少年とても男児(おのこ)なれば色事に我を忘れるのも無理からぬこと。同じ男児としては、物知りぶって説教を垂れるようなみっともない真似はしたくない。

 なにより、少年の()()()をこうして腐心して調べ回っている己を自覚してしまうと、それはもう阿呆臭いやら情けないやら。

 

「……安請け合いしちまったかねぇ」

 

 踏み均された雪を、自身もまた踏み、均して歩く。

 人混みと呼ぶほどの数もないがそれなりの繁盛を見せる横路の商店通り。

 危なげなく人波を躱す少年の背中を目端に捉え、街とその営みに素朴な風雅など覚えていた頃。

 ふと傍に寄ってくる気配があった。

 

「やっぱり! 掃除屋のおじちゃんだ」

「うん?」

 

 やや低い位置から声が掛かる。小さなお下げ髪の頭がまず目に入った。

 いつかの青果店の看板娘であった。手には一抱えもある編み籠を提げており、上から白い布を被せてある。

 

「よぅ、こんにちは」

「こんにちは!」

「御遣いかぃ? 随分重そうだのう」

「うん! お昼の分と夜の分」

 

 娘は赤い肩掛けを羽織り、首元には特に厳重に襟巻が巻かれている。きっと送り出される時、凍えぬようにと母か父にそうされたのだろう……そんな光景が、ありありと浮かぶ。

 

「最近おじちゃんぜんぜん掃除に来ないね。つまんない」

「おぉ、それがな。近頃は掃除屋より雪掻き屋が繁盛でなぁ」

 

 不満げに唇を尖らせる娘子に向き直り、その真ん前に屈み込む。

 けれどこちらのそんな言い訳を聞くや否や、娘はぱっと表情を明るくしてその大きな目をさらに丸くする。

 

「あっ、じゃあじゃあウチにも雪かきしに来る?」

「ああ行くとも行くとも」

「やった! じゃあねその時ね、雪だるま作って。うーんとおっきいの!」

「ははっ、うんわかった。お前さんの背よりもでっけぇのを(こさ)えてやるぞ」

「やったやった! 約束だよ!」

 

 仕舞いには飛び跳ねそうな勢いで喜び笑うその様が、なんとも微笑ましい。たかが“掃除屋のおいちゃん”に随分と懐いてくれたもんだ。

 その時、不意に。

 

「――」

「? どうしたの」

 

 問いかけに笑みだけ返し、立ち上がる。

 通りの果てへ目を眇める。それは人々のどよめきと共に向かってきた。

 蹄が轍を打ち、金属の車輪が石造りの路面を削る。

 二頭立ての馬車であった。二列の馬体に曳かれた豪奢で巨大な箱は装飾の金細工がその身の置き所に()()()()夥しい。そこから生えた金属の四輪が雪を散水車の如くにそこら中へ蹴散らしていく。

 

「避けろ避けろ!」

「馬車が通るぞー!」

 

 商人が、通行人が口々に叫ぶ。

 目抜き通りならいざ知らず、この商店通りの道幅を走るにはあの馬車は明らかに過大である。

 案の定、露店の軒に吊るされた果物や雑貨の幾つかを、馬車の飾り金具が掻き砕いていた。それら全てを無視して馬車は疾走した。僅かな減速もなく、その意思すら微塵とて無く。

 

「さ、おいで」

「わわ」

 

 娘の背を抱えるようにして近くの路地へと退く。なんとなれば籠ごと持って運ぶかのように。

 そうして、一拍前まで談笑に耽っていた道を馬車は容赦なく踏み荒らし、過ぎ去った。よしんば子供一人が道端に立っていたとして、あの御者、いや客席に座る主が気に留めるかどうか。

 轢殺したとて止まるまい。アレにとって道行く人々と路傍の石塊は等価値だ――そしてそれは偏見や誤解ではない。

 悪意とは実に、臭い立つゆえ。

 

「おぉ怖ぇ怖ぇ。大丈夫だったか?」

「う、うん……あ、おじちゃん、服」

「ん?」

 

 娘は己のズボンやジャケットを指差した。馬車に跳ね飛ばされた雪を幾らか被ったようだ。

 娘子と御遣いの品は無事であることから盾としての役目はきちんと全うできた。ならば良しとしておこう。

 

「ごめんね……」

「ははは、謝ることなんざなーんにもねぇよぅ」

 

 健気に消沈する娘に微笑む。

 視線は今しがた去って行った馬車の後塵を差して。

 冬空の薄曇りの下でさえ目障りなほどの金色が、停まっていた。

 

「?」

 

 除雪はされておろうが、融けかけの残雪に、なによりあれほどの速度で走っていた馬車。おそらくは丁度、己と娘子の立っていた位置で停止を試みたのだろう。制動に要した距離は相応で、商店三軒をやや過ぎるほどに進出していた。

 しかし、なんだ。

 客台から何者かが居りてくる気配も、御者が店に遣わされているといった様子もない。馬車は不動で、ただそこにある。

 何の為に。

 疑問を呈したその時、台車の後方の窓が揺らいだ。正しく言えば、窓に掛けられた日除けの暗幕が退けられ、そこから。

 こちらを窺う両目。姿容は暗幕に隠れ、こちらからでは見えない。

 見えるのは一つ。ただ一つ、その目が物語る――――怨念。

 

「!」

 

 左腰でかたかたと(やつ)が震えた。常と同じ、思念を伝える振動。いやもっと単純な。

 けたけたと刀が笑っていた。その恨みと憎しみを、心鉄(こころ)から愉しげに嗤っていた。

 程なく馬車は、現れた時と同様の無遠慮さで走り去っていく。針の如くだった怨念の視線も既に遠い。

 

「……ありゃあなんだ」

「領主のアルダープだよ」

 

 応えなど期待せず発した己の独白に、しかし近場にいた露店の主人が答える。

 

「普段は自分の屋敷からめったに出てこない癖に、珍しく出てきたかと思えばこれだ……!」

 

 轍の中に薄汚れた麻袋が埋まっていた。おそらくは焼き菓子用の小麦粉だったものが、蹴散らされ踏み荒らされもはや見る影もない。

 商品、材料、看板、調理器具、あるいは店そのものさえ。商売道具を荒らされた嘆きが其処彼処で噴出している。

 

(くに)の治め役と言うには随分と無体だな」

「とんだ悪徳領主さ」

 

 悪態を吐いて店主は顔を顰めた。

 周囲では早速、その悪い噂とやらが囁かれている。

 

「今年の納税額が厳しいのは、あの領主が税金を使い込んだ所為だってよ」

「貢納品の麦を他領に横流ししたらしい。実際に行商の何人かはそれを運び込んでるところを見たって言うんだぜ」

「アクセルじゃ女は買えないだろ? だから他領から女を買い付けて屋敷に幽閉してるとか」

「いやぁ、どうも近頃は街から若い娘を攫って用立ててるんだってよ」

「中には十歳にもならない子供まで……」

 

 ジャケットの懐を開き、そっと娘を引き寄せた。己の襯衣(セーター)の腹に耳を付けさせ、片側の方も掌で覆う。

 少々、聞くに堪えぬ。

 きょとんと不思議そうにこちらを見上げる娘に、ただ笑みだけを返した。

 

「悪事の噂は数え切れないほどあるが、どういう訳か捕まらない」

「捕まらない?」

「ああ、昔から何度も検察官様のお調べはあったのに、証拠だけがどうしても見付からないんだとさ」

「どうせ貴族相手だ。まともな捜査なんてしないんだよ」

「いや、でも俺が前聞いた話じゃ――――」

 

 なおも繰られ広がる噂話を見限り、娘の手を引いて歩き出す。

 

「さて、他に買うものはあんのかい?」

「うーんと、あとはね。あ、バター!」

「おおそうか。なら三丁目のパン屋だな。おいちゃんも一緒に行っていいかい? 小腹が空いちまってよ」

「うん! いこいこ!」

 

 何が嬉しいのか、えらく楽しそうに娘はぐいぐいと腕を引いて、ずんずんと雪道を歩いた。

 幸いに、この娘の両親とは顔見知りだ。冒険者の男が我が子の帰り路を送り届けても許してくれよう。

 勝手知ったるアクセルの街、パン屋にはすぐに到着した。目当てのバターを買い、娘はそれを大事そうに籠に仕舞う。

 

「そら、御遣いをちゃぁんとこなした子にはご褒美だ」

「えっ、いいの!?」

 

 焼き立てのスコーンを差し出すと、娘は瞳を輝かせた。

 包み紙越しに暖かな生地が、冷えた指にひどく心地よい。

 香ばしいバターの風味、嫌味のない甘さと滑らかな舌触り。己はともかく、娘の綻んだ顔を見るに口には合ったようで何よりだ。

 

「おっとそういえば昼飯前だったなぁ。いいかい、おっ母さんには内緒だぜ?」

「あっ」

 

 指を唇の前に立てて片目を瞑る。

 娘もこちらを真似て頻りに頷き返す。

 

「うん! 内緒だよ……んふふふふっ!」

「くくくっ」

 

 

 

 

 

 

 

 そしてどうやら盛大に、カズマを見失ったのだった。

 

 

 

 

 

 


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