この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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57話 間の悪い娘よな

 

 

 星が綺麗な夜だった。

 冬の澄んだ空気のお蔭で、満天にきらきらと散らばる宝石のような光。

 こういう夜は……実はあまり上手くない。仕事をする日は、空が翳り、月もないのが一番だ。

 たとえば新月の曇天。人間の家に忍び込むなら、そんな暗い暗い夜の方が都合がいい。

 サキュバスの仕事は秘密厳守。人目に触れるのはご法度だ。隠れて潜んで常にコソコソしていないといけない。それが掟だし、それが低級悪魔の生き方。

 ――――でも、今夜は違った。

 煌々と半月に照らされながら冬空を翔ぶ。

 寒いけど、悪くない。白銀に染まった街並は砂糖をまぶした焼き菓子みたいだ。

 実際、手に提げた紙袋の中には、この景色みたいに粉砂糖をふんだんに使ったブラウンシフォンケーキが入ってる。

 

「……すげぇ辺鄙なとこに住んでんな、あいつ」

 

 外壁を越えて街の外へ。

 その家は、雑木林に隠れるようにして建っていた。

 遠目にも変わった造りをしてる。木造なのはいいとして、やたら窓が、いや引き戸が多い。風通しは良さそうだけどこんなんで寒くないのだろうか。馴染みがあるのは瓦屋根くらい。

 異国風、ってやつかな。

 でも、郊外どころか街から出てしまっているこの立地は悪くない。むしろいい。

 

「声出し放題じゃん」

 

 奔放なセックスは得てして近隣に煙たがられるもの。隣近所の住民に気を遣わずに済むならそれに越したことはない。

 

「うんうん、てか女連れ込み放題だし。うおぉよく考えたらここヤリ部屋に最高じゃん!」

 

 聞く者もいない、人によっては聞くに堪えないことを口にして。

 

「…………はあ」

 

 それでも溜め息は零れ出ていた。

 

「糞っ……なんで緊張してんだよアタシはっ!」

 

 こんなに堂々と、誰かの家を訪ねるなんて初めてだった。

 お客と淫魔の仮初の逢瀬は客にとってはただの性欲の捌け口で、淫魔にとっては食事である。それに肌を合わせるのだって夢の中だ。交わす言葉さえ全て幻。残るのは精気を射た倦怠感と食後の満腹感だけ。

 

「……げ、現実の逢引ってこんな感じなのかな……?」

 

 口にしてから頭を抱えた。

 

「だぁああああなに言ってんだアタシはよぉおおお! 生娘でもあるまいにぃ!」(←※処女)

 

 叫んでから、はっと口を覆う。いくら街の外とはいえ、誰かに出くわしてしまわぬとも限らない。壁外を巡回する番兵だっているだろう。なによりあいつの家がもう目と鼻の先だ。

 

「……ふぅ」

 

 周囲に気配は感じない。

 安堵の息を吐いてから、ふと自分の身なりを見下ろしてみる。

 黒いタートルネックのセーターにダークブラウンのショートパンツ、黒ストッキングとムートンブーツ、そして一撃ウサギの毛皮のコート。

 

「地味だよなー……」

 

 あんまりな気がする。そりゃあ普段の仕事着のドレスは派手派手の派手だし、それと比べてしまえば普段着が地味なのは当然だ。

 でもやっぱり、あんまりな気がしてならない。

 

『素面のお前さんの方が――――』

「ッッ!? 関っ係ねぇし! 仕事じゃないからラフに決めてるだけだっつの!」

 

 余計なことまで思い出しかけた頭を振り回し、両頬を叩く。

 

「はんっ、そうだよなに馬鹿正直に玄関からお宅訪問しようなんて考えてんだ。こちとらエロエロサキュバス様だっての。若い野郎が寝こけてんのに襲わないなんて手があるかよ」

 

 現在深夜、もとい早朝三時。人の眠りが最も深い時間だろう。

 叢をそそくさと進む。抜き足差し足の必要だってない。

 布団に潜り込んでまず咥え込んでやろうか。いやそれとも全裸で顔にでも跨ってやろうか。もういっそ挿して上下運動で叩き起こすというのも面白いかも。

 

「いひひひ……おっと涎が」

 

 口の端から漏れた唾液を啜り、手の甲で拭う。

 ぐしぐしと、リップが落ちないように、なんて注意深くやってたもんだから――――

 

「ク、ク、ク」

「へ」

 

 すぐ傍、真隣から、そんな声がするまで気付かなかった。

 首を巡らせた時にはもう遅い。

 暗闇の中で広がる巨大な翼、月光に輝く鉤爪、なによりもその猛禽の眼。

 

「クカァァアアアアアアアア!!」

「ひゃぁあああああああああ!?!?!?」

 

 グリフォンだった。劈くような咆哮を上げた。なんでこんなところに。でかい。やばいこわいやばいいやいややばいやばいやばい。

 

「ひぃぃい!」

 

 咄嗟に飛ぶのも忘れて走り出す。とにかく逃げる。叢の中へ。

 ぬ、と。

 その巨体は、草木を押し退けながら現れた。

 

『なんだなんだ突然大声を上げて。どうしたのだグリちゃん』

「――――」

『うん? 誰だお前は』

「ギィイイヤァアアアアアアア馬が喋ったぁぁあああああああ!?!?!?」

 

 不気味な兜を被った黒い馬が、なんか流暢に人語を話しながら現れた。

 

「キモイキモイキモイキモイキモイキモイぃぃいいいいい!!!」

『(´・ω・`)』

 

 とにかく逃げた。必死に逃げた。

 そうして偶然にも、逃げた先には家の扉があった。

 

「ひぃい!」

 

 引き戸を開け、中に飛び込む。当然戸を閉め、鍵を。

 

「カギ、カギカギカギ、鍵は!? 鍵がねぇ!? 不用心過ぎんだろ!? 防犯意識どうなってんだ!?」

 

 仕方ないのでその辺にあった棒切れをつっかえ棒にして用立てる。

 

「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ……!」

 

 息も絶え絶えにその場にしゃがみ込む。

 なんなんだよあれ。なんでこんな街の近くにグリフォンが。あとなんだあのキモイ馬。

 

「……で、でも一応、お宅訪問は出来たな……」

 

 あれだけ騒いだにもかかわらず、家人が起き出して来る様子はない。よほど眠りが深いのか、それとも鈍感なのか。

 

「ま、まあいいや……とりあえず寝床に」

 

 もうエロいこととか置いといて、怖いから朝まで一緒に寝かせてもらおう。

 

「靴脱ぐんだ……」

 

 揃えて置いてある靴を見て取って、土足で上げかけた足を寸でで下ろす。

 エントランスとキッチンを兼ねているらしい玄関を上がり、引き戸を開いた。

 リビングスペースには誰も居ない。寝所はもう一つ向こうの部屋らしい。

 今度こそ抜き足差し足、板張りとは違う編み草のような床の新鮮な感触に驚きつつ、それでも静かに、歩を進めて。

 リビングの中央に差し掛かった時。

 

『――!』

「ひゃいっ……!?」

 

 耳元で声が響いた。いや、声のような念波が、鼓膜ではなく魂を直接揺らしたんだ。

 

「なんッ……!?」

 

 上げかけた絶叫を力一杯なんとか飲み下して、周囲を見回す。何も見えない。何もいない……いや。

 

「……いるな」

 

 視覚の“領域(チャンネル)”を変える。現世と幽世、アタシ達悪魔にとってはむしろ故郷に近い感覚。

 やっぱり、そこに居た。

 すぐ傍に立っている。自分より頭一つ分小さい影。影のように朧な存在感。

 

「んだよ、ただの浮遊霊かよ。びっくりさせやがって」

 

 子供の霊。女の子だ。別段幽霊がその辺をうろついてたところで何の不思議もないけど。

 普通は存在も自意識も薄れて、空気みたいに漂うだけなのが浮遊霊だ。しかしこいつは違った。意識ははっきりしてるし、自己主張もやけに激しい。

 

『――! ――!』

「あーもーうっせぇな! アタシはあいつの……あいつのぉ、そう! いい人ってやつ。色だよ、イ・ロ! あぁ~、お子ちゃまにはわかんないか? 今から向こうの褥でアタシとあいつが()()込むんだよ。子供には関係ねぇの。わかったらほらあっちいけ、シッシッ」

『……………………』

「な、なんだよ。や、やろうってのかよ」

 

 子供幽霊が無言でこちらを見詰めてくる。大した力を持ってる訳でもない筈なのに威圧感だけが妙に強い。

 

「ふ、ふんっ、たかが人間霊が低級とはいえ悪魔に敵う訳ねぇだろ! いいぜ? 小生意気なガキには“わからせ”が必要なんだよな!?」

『――――』

「あぁ? 後ろ見ろ? そんな子供騙しに引っ掛かる訳ねぇだろ――――」

 

 ぐ、と。

 肩を掴まれた。毛皮のコートを羽織った肩を。

 だのに、その手は、冷たかった。衣が消えてなくなってしまったみたいに、素肌に氷を当てられてるみたいに。

 いや、いや、そんな生易しいものじゃない。骨の髄まで凍て付いてくる。氷柱が骨に代わったみたいだ。

 常軌を逸した冷気。

 それを発するこの手の主は。

 背筋も凍るような美貌をしていた。蒼い髪が滝のように垂れ下がり、その下から赤い瞳がこちらを覗く。

 

「アイエエエ!? 精霊!? 精霊ナンデ!?」

「ふぅ……」

「ひ――――」

 

 そっと吐息を吹き掛けられた。

 アタシの意識はそこで落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いくらなんでも騒がし過ぎる。寝巻の帯を結び直し、寝間の引き戸を開く。

 

「ふぁあ…………あぁあぁ、こんな夜中になにをしてんだい」

「ジンクロウ、曲者捕まえた。褒めて」

 

 フユノはそう言って、居間の真っただ中に屹立する氷像を指差した。

 近く、見覚えのある姿容をした像である。

 というかメイアであるが。

 へにゃりと泣きじゃくる寸前のような顔で娘は見事なまでに、かっちかちに、固められていた。

 

「……こいつぁ生きとるのか」

「悪魔は死ににくい。これじゃあ死なない。殺した方がよかったか?」

「いやぁよせよせ。この娘は曲者だが、まあ悪いもんじゃあねぇ」

「アンナに酷いことしようとしたのに?」

「いや根は悪かねぇんだが、間の悪い娘でなぁ……」

 

 フユノを撫でつ労りつ、なんと言えばよいかと思案して。

 ふと、娘の足元に紙袋を見付けた。

 印字には見覚えがある。

 

「ほれ見ろ。三丁目の菓子屋の、あぁ前に食いに行ったろう。そこの手土産だぞ」

「こいつはいいヤツだ」

 

 ひし、と紙袋を抱いてフユノは頷いた。

 己は苦笑を堪えられなかった。

 

「……菓子折り持参の夜這いってなぁ、なかなか新しいな」

「よば?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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