色彩の花嫁   作:スカイリィ

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第一話 お嫁さん

 金曜日の夕方。西の空が赤みを帯び、東の空が青を深める頃、私は玄関先に佇んでいた。

 

 息子と同伴している少女の到着予定時刻は連絡を受けていたが、私はそれの三十分も前から玄関先で二人が来るのを待っていた。どうしても気になってしまって家事も手につかない。歓迎の料理はできているが。

 

 夫はというと、二階のベランダで煙草を吸っていた。落ち着いている風を装っているが、どうあがいてもソワソワしていることが隠せていない。時折遠くを見渡しては二人の姿を探している。煙草もすでに一箱分は吸っているんじゃないだろうか。

 

 わざわざ会社を早退してきたあたり夫も気になってしかたがないのだ、と実感する。なにせ息子が何の前触れもなく外国人の女の子を連れてくるのだから。

 

 息子とて何の意味もなく年頃の女性を紹介しに来たりはすまい。それはつまり、お嫁さん候補というわけだ。

 

 息子が選んだ女の子だ。外国人だろうが日本人だろうが、きっと良い娘なのだろう。あの写真からでもそれは読み取れた。とても可愛いし、真面目で優しそうな娘だ。

 

 それでも気になって浮き足立ってしまうのが親心というものだ。どんな娘か、何が好きか、何が嫌いか、息子のどこを好きになったのか、気になるところを挙げればキリがない。

 

 そもそも、まだ二人が出会って間もないだろうに、なぜこんなにも早く連れて来たのだ。

 

 まさか若さに任せて「できちゃった」のか、という疑念が頭をよぎるが、あの息子に限ってそれは無かろう。あの子も相手を思いやる優しい男の子なのだ。奥手なくらいに。

 

 

「立香が見えたぞ」

 

 夫の言葉に身を固くする。ベランダを見上げると、なんと双眼鏡を持ち出しているではないか。

 

「隣のあの娘だな。優しそうな娘だ。二人で手を繋いで歩いてる」

 

 そう言って夫はのそのそと灰皿と双眼鏡を持って部屋の中に戻っていった。私と同じように玄関先で出迎えるつもりだ。煙草臭いからせめて歯を磨いてくれると助かるのだが。

 

 夫が玄関から出て来て、私と並んだ。煙草の匂いはまだしたが、そこまでひどくはなかった。

 

 キャリーケースを引くゴロゴロとした音が近づいてきて、やがて、二人分の影が家の前で足を止めた。

 

「立香、お帰り」

 

 夫が声をかけると「ただいま。父さん、母さん」という元気な返事が帰って来た。

 

 息子の背丈は変わっていなかったが、顔立ちは海外へ送り出した時よりもずっと大人びていた。少年の幼さは薄れ、大人としての責任感とたくましさが現れている。

 いつの間にやら私の息子は、程よい自信と謙虚さを併せ持った理想的な大人へと変貌を遂げていたのだ。筋肉もかなりついているのか以前より胸板が厚くなっている。

 

 男子三日会わざれば刮目して見よ、とは言うが、本当に、目の覚めるような成長ぶりだった。愛する人ができたからこその成長か、それともまた別の何かだろうか。

 

 しかしながら夫は、そんなことどうでもいいと言わんばかりに息子の傍らへと目を向けていた。私としてもそっちの方が気になるのは理解できたが、いきなり訊くのはためらわれた。

 

「その娘さんかい?」

 

 品定めするかのような視線を受けても少女は嫌な顔ひとつせず「は、はい!」と少し緊張した様子で一歩前に出て、お辞儀をした。

 

「マシュ・キリエライトと申します。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

 

 

 挨拶の後、互いの自己紹介と軽い雑談をしていく。京都ではどこに行ったとか、そんな他愛のない話だ。そんな会話の中で私には彼女の輪郭が見えてきた。

 

 結論から言うと、息子が連れてきたマシュ・キリエライト嬢はとんでもなく良い娘であった。

 

 顔は可愛いし、優しくて、気立てがよくて、礼儀正しい。日本語はネイティブとしか思えないほど上手いし、お辞儀などの仕草も日本人と変わらない。

 おまけにほっそりしているようで胸はかなり大きくスタイル抜群ときたものだ。足首もキュッと引き締まっていて可愛い。よくまあこんな絵に描いたような美少女のハートを射止められたものだと自分の息子に感心した。

 

 歳は十七。国籍はイギリス。今は息子と同じ職場で働いているという。

 その年齢で学校はどうした、と訊きそうになるがその問いは寸前で口外に出るのを抑えた。

 

 学歴まで根掘り葉掘り訊くのは値踏みしているようでよろしくない。少なくとも頭の悪い娘ではなさそうだったので気にしないことにした。

 

 それよりも気になったのは──いや気に入ったのは、彼女が息子を見つめる時の顔つきだった。

 

 人というのはこんなにも誰かを愛おしく想えるのか。割と長いこと生きてきて、世の中の酸いも甘いも知っていると思っていた私は自分の無知を恥じた。ここまで純粋で美しい人の情動は見たことがない。

 

 立香の姿を己が目に焼き付けようとするその視線。彼といる一瞬一秒が私の宝だと言わんばかりのその表情。高鳴る鼓動が聞こえてきそうな桜色の頬。

 何をどうすれば我が息子にここまで惚れ込むのか。というか息子よ、何をした。

 

「この娘と結婚するのか、立香」

 

 夫の不躾な質問に、ほんの一瞬だけその場が静止する。会ってすぐにしていい質問ではないが、夫は気にしてないのか無表情だった。

 

 しかし何を訊くにしてもその一点は最重要事項であるため、ある意味ではその場の本質を突いていると言えた。

 

「それは、その」意外なことに、マシュ嬢はしどろもどろになってしまった。「今は、まだ」

「今はまだ、結婚とかは決めていないんだ」立香は彼女をかばうようにして、まっすぐな目で告げた。「俺たちはまだ子供だしね。でも、マシュは俺にとって大切な人であることは本当だから」

 

 息子は大人びた笑みを向け、静かに彼女の手を握った。少し間をおいてマシュ嬢もその手を握り返した。

 

「俺はマシュと、ずっと一緒にいるって決めてるんだ」

「はい。私は先輩にずっとついていきます」

 

 こんなことを言われて否定できる人間がどこに居ようか。夫もそれは例外でなくて「そうか」という一言だけを返して家の中に入ってしまった。それは二人にとって不機嫌な仕草に見えたようで、少しどぎまぎしていた。

 

「ほら、入って。夕飯はハンバーグよ。キャリーケースは玄関に置いときなさい」私は手招きして息子と少女を歓迎した。「藤丸家へようこそ、マシュさん」

「はい!」

 

 元気良く返事をしたマシュ嬢は立香にエスコートされる形で家の中に入った。

 

 私は扉を開けた状態で、通り過ぎる二人を観察した。

 

 マシュ嬢は黒地のワンピースの上に白のカーディガンを羽織っていて、彼氏の両親への挨拶には理想的な服装だった。黒タイツと低めのヒールも可愛い。フォーマルとプライベートの中間という絶妙なバランスだ。

 

 ワイシャツの上に紺のジャケットを羽織った立香は、もう大人だと思わせる雰囲気を漂わせている。それでもマシュ嬢に向ける笑顔は子供っぽい。このギャップにときめく女性は多いだろう。

 

 右手には小さいがエキゾチックなブレスレットがはめられている。服装にはそぐわないが、もしかしたら彼女から贈られたものかもしれない。

 

 青とピンクのキャリーケースは、色が違うだけで型は同じだった。

 

 

 

「改めましてマシュ・キリエライトです。今日からよろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いしますね」

 

 頭を下げるマシュにつられて私も夫も頭を下げた。テーブルを囲んで座る四人。テーブルの上には料理の数々。メインはハンバーグだった。立香の好物だ。

 

「それと、これお土産です」

「お、京都土産か」

 

 わざわざ席を立って夫の前に来たマシュ嬢から渡された箱は、京都名物の生八ツ橋だった。「ありがとう」と夫が礼を言うと、彼女は花のような笑顔を浮かべた。ご丁寧に二箱用意してあった。

 

「私も食べましたが、とても美味しかったです。ぜひご両親にと思って」

「マシュは食べ過ぎだよ、あれは。京都で俺の分まで食べちゃって」

「た、大変美味しかったもので、つい……。いえ、確か『食べていい』と言ったのは先輩ですよ」

「えー、ほんとにござるかぁー?」

「本当です!」

 

 むう、と口をへの字に曲げてむくれるマシュ嬢がいじらしくて面白かったのか、立香と夫はクスクスと笑った。笑い方が本当にそっくりで、親子であることを感じさせた。

 

 マシュ嬢は「次に小次郎さんのマネしたら怒りますよ」と言って席に戻った。小次郎って誰だ。さぞ煽り上手な輩なのか。私もあの煽りにはイラッときた。

 

「マシュさんは『先輩』って呼んでるの?」私も笑顔を浮かべつつ別の疑問を口にした。「立香のこと」

「はい。私の、大事な先輩です」

「名前では呼ばないんだ」

「その、名前で呼ぶのはその、嫌ではないのですが」むくれた表情はそのままに、彼女はもじもじと身をよじった。「畏れ多いと言いますか、何と言いますか」

「二人きりの時じゃないと、呼んでくれないんだ。恥ずかしいんだって」からかうように立香が言った。

「ち、違います。先輩の名前を恥ずかしいだなんて」

「じゃあ、呼べるよね、恥ずかしくないなら。先輩を付けずに」

「ううううう」

「聞こえないよ?」

「……りつか、しゃん」

 

 耳まで真っ赤にした彼女は「ううううう」と顔を手で覆って俯いてしまった。立香はそんな彼女をニヤニヤした表情で見つめていた。夫もそんな二人を同じ表情で観察していた。カップルのイチャイチャを眺めてニヤつくのは正直趣味が良いとは言えない。

 

 ああ、いけない。間違いなく今、女の顔してるよこの娘。というか私の料理を前にして女の子をいじって遊ぶんじゃない、この男ども。特に立香は実家というホームグラウンドで強気になっているのだ。

 

「それはいいから、早くご飯食べなさい。ほら、いただきます」

「はーい、いただきます」

「いただきます」

「はい……いただきましゅ……」

 

 なんてことだ。私が助け舟を出したというのに、よりにもよって嚙んじゃったよこの娘。

 

 

 夕食は和やかに進んだ。テレビをつけなかったせいか、人数が増えたせいか、いつもより時間が長く感じられた。あと美味しかった。

 

 実を言うと、八ツ橋食べ過ぎのくだりで私はヒヤリとしていた。マシュ嬢が妊娠しているのではないかと疑ったのだ。

 

 妊娠すると胎児に栄養を供給する関係で食欲が増大する。私も立香を妊娠した時はそうだった。なにかにつけて「お腹すいた」と言ってはムシャムシャしていたものだ。

 

 ひとまずマシュ嬢の食事姿を見る限り、食欲が強いとか吐き気があるとかそういうところは見られなかった。そこは一安心である。本当に八ツ橋が美味しかったのだろう。こう見えて意外と食いしん坊なのかもしれない。

 

 ただし変わったところがない、というわけではない。マシュ嬢は口に運んだ料理の一つ一つにとても感激していたのだ。日本の料理に感動しているというわけでもないだろう。京都で色々と食べてきたはずなのに。

 

「そんなに美味しい?」同じ事を思っていたのか立香が訊いた。

「はい。とても美味しいです」と目を輝かせながらマシュ嬢。「これが、先輩の食べてきた家庭の味なんですね」

「そうよ、立香は十八年間これで育ってきた」と私。

 

 特に料理が上手いというわけではないけれど、立香はこれをずっと『おいしい』と言って食べていてくれた。それだけは私の誇りだった。

 

「もしよろしければ、明日レシピを教えていただけないでしょうか」

「そんなに?」

「いつでも先輩に『おふくろの味』というものを食べていただけるようにと」

「……レパートリーは少ないけれど、それでも良い?」

「はい!」

 

 立香、この娘、あなたの胃袋を掴んで離さないつもりだぞ。

 

「このハンバーグと、あと何がいい?」

「オムライスとカレー」と即座に立香。「マシュが作ってくれるなら何でも美味しいけど、その二つは外せない」

「ハンバーグとオムライスとカレー、ですね。再現できるように努力します」

「良かったな、立香」夫が息子に笑いかける。「嫁さんは料理上手が一番だぞ。会社の同僚なんか、嫁の飯がマズイマズイと不満たらたらだからな」

 

 そりゃあ、帰るべき場所の飯が不味ければ不満だって漏らすだろう。その同僚とやらはご愁傷様である。しかし料理の腕で嫁を良いか悪いか判断するのもどうかとは思った。

 

 マシュの料理が好き、と息子が言ったことで彼女の料理の腕前がそこそこ良いと分かった。これなら任せられるかもしれない、と私は彼女に笑顔を向けた。

 

「立香の栄養管理、頼むからね」

「はい、お任せください」

 

 口元にハンバーグソースをつけたまま微笑む彼女は、まだほんの少し頼りなかったけれど、きっと立香のために一生懸命ご飯を作ってくれるのだろう。好きな人に美味しいご飯を食べてもらいたい一心で。

 

 それを思うと、なんだか嬉しくて泣きそうだった。

 

 

 

 食後、片づけを手伝おうとしたマシュ嬢の申し入れをやんわりと断り、先に部屋へ案内してやることにした。夫は居間のソファーでテレビを見る体勢に入っている。客が来ていようと自分のスタイルを変えないのがこの夫の在り方だった。

 

 玄関から重そうなキャリーケースを二人とも片手で持ち上げて運んでいくのを見て、意外と体力があることに驚く。息子に訊くと、三十キロのモノを抱えて走ったり、百キロ超えの荷物を運んだことがあると言って笑っていた。なんなんだカルデアって。軍隊か。

 

 マシュ嬢に割り当てたのは居間の隣にあるお客様用の和室だった。立香のベッドで寝るか、と冗談交じりに訊くと真っ赤になってうつむいてしまったのでそれ以上はいじらないことにした。おいそこ息子、本気で受け取るな。目を見開くな。煩悩丸出しだぞ。

 

「先輩の部屋で寝る……先輩と一緒の、お布団で……」

 

 ああ、この娘も同類だった。

 

「まあ、うん。好きになさい。とりあえず荷物とかはここ置いておいてね。着替えとかも」

「はい。ありがとうございます」

「立香の部屋は二階よ」

「先輩のお部屋、見てみたいです」

「あんまりめぼしいものはないけどね」エスコートするように立香がマシュ嬢の手を取る。「それでよければ」

「はい!」

 

 そうして可愛らしい雌羊はオオカミの巣へと連れ込まれていった。お盛んなことで。

 

 ため息を一度ついてから居間に戻ると、夫がこちらへ視線を向けてきた。

 

「仲いいな」

「うん」

「風呂は一緒に放り込んじまえ」

「体液まみれの湯船につかりたければどうぞ」

「……やめておこう」

「今は立香の部屋でいちゃついてる」

「孫かな」

「十七歳じゃあまだ早すぎる」

「せめて二十歳になってからだなぁ。あと三年か」

「おじいちゃん、て呼ばれるのはどんな気分?」

「そっちこそどうなんだ、おばあちゃん」

「……どうしたの、急におしゃべりになって」

 

 夫は酒が入ってもここまで饒舌にはならない。こんなにも矢継ぎ早に会話をするのは久々だった。

 

「だってなぁ」夫はソファーにごろりと横になって、天井を見つめながら言った。「小学校入ったのがついこの前のようでさ。そこから中学・高校とあっという間で、今は嫁さん連れてきただなんて」

「うれしい?」

「たぶん、うれしい。でも、わからん」

「自分が追い付いてない?」

「そうなんだろうな」

 

 その気持ちはわからなくはなかった。子供の成長はあっという間だ。こちらが歳をとって体感時間が早く過ぎるというのもあるだろうけれど、本当に瞬きの間で成長していく。立香もそうだ。少し海外に送り出しただけであんなにも大人になって、今やお嫁さんを連れてきた。

 

「親父たちも、こんな気持ちだったのかな」

「さあ」

 

 それだけ言葉を交わして、夫はまたテレビを見始めた。私もキッチンの片づけをするべく腕まくりをした。

 少なくとも良いことではあるのだが、どこか現実感がないのは私も同じだった。

 

 あの立香に、お嫁さんか。

 

 

 


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