世界一初恋パラレル 想いさえも閉じ込めることができるなら 作:bui
律の戻った記憶はまだらのようで、すべてを思い出したというわけでもないらしい。いや・・・、むしろ印象的な一部分だけをやっと取り戻したというレベルのようだ。
そもそも10年も前のことで、俺でさえも本当の記憶と思い込みとの違いもあいまいで、しかもその真偽を判定するものもいない。すべてを思い出すということ自体が無理なのかもしれない。
「年が明けたら鳥を見に行かないか?」
翌朝、食事の片づけをしながらそういうと「丹頂、鶴ですか?」と律が自分の記憶を探るように考え考えそう言った。
月曜には小野寺さんとスイッチで俺は仕事に行く。しばらくはここから離れなければならない。昔にこだわって律をがんじがらめにするつもりはないけど、俺たちの始まりのあそこだけは二人で見に行きたい。
その約束が欲しい。
「そのあたりはおぼえてる?」
「いえ・・・、マサムネに出会ったのがそこだと聞いていただけです。」
鮮やかによみがえるあの時の出来事は、自分にとっては他のすべてを忘れても忘れたくない光景の一つだ。しかし律は覚えていないのか・・・。
そう思うと寂しい。気持ちが少しだけ落ちる。
「小野寺さんの写真を見て、求愛ダンスの鶴がきれいすぎてさ、何にも考えないで見に行ったんだ。」
律は何も言わずに俺の言葉を聞いていた。あの頃、律は小野寺さんとは微妙な距離感だったと聞いている。海外に置きざりにされていると感じていた律の魂も孤独だった。
孤独と孤独が合わさって、俺は孤独ではなくなった。
律は事故に巻き込まれて記憶をなくし、探しに来ない身内に再び置き去りに去られた孤独を味わったのだ。
俺が律を喪失した苦しさに浸っていた時に・・・。
「白い雪原に白い鶴が二人で踊るんだ。羽に落とした墨色、そして命の躍動そのもの頂の朱色・・・。」
そこで一瞬躊躇した。
言ってもいいものだろうか?
丹頂鶴の赤色の説明を?
律の世界から色奪った元と通じるそれを。
俺がそれを受け止められる信頼を得られているとは思えないのに。
それでもあの白と黒と朱をまとう美しい生き物は俺たちの出会いそのものだったんだ・・・。
「丹頂鶴の頭の朱色は血の色なんだ。」
そういうと、案の定律が目を見開いて視線を俺から外し怯えに身体をブルっと震わせた。
「律ごめん。だけど・・・。」
せめて律を安心させるように抱きしめたいと思って手を伸ばし、言い訳の言葉をつづけようと思っていたのに
「ど、どうせ俺には色の判別はできないし!」
と律が俺の手を払い言葉を遮った。
「チ、チャンスがあったら見たい気もします。でもすぐでなくてもいいです。」
想定していたくせに律からの遠回しの拒絶にひどく傷ついている自分がいる。
二人の間には居心地の悪い静寂だけが流れていた。
律が俺を好きだったことを思い出してくれただけでも十分だったのに、律にしてみれば実際にこうやって俺と過ごすのはまだ数日間。
お互いに名残の恋心だけでは続かない。
離れていた時間の分だけ俺たちはまた出会い続けなければならない。
マイナススタートだった頃よりはずいぶん近づいているはずだ。
終わって始まる。
でも、もどかしいな・・・・。
▽
ジルが散歩をねだるので食後に川べりをぐるりと回ることにした。
この川は本流にすぐに合流してしまうのでとても短くて水質が清浄だ。
浅い所にはクレソンの群生が見える。ノスリが木の高い所からこちらをうかがっていて、川の中ほどには鷺がすっと立っている。
「既視感はあるんですけど・・・。あまりしっくりこないです。」
律がこの家に住んだのは本当に数か月。
しかも今更だけど電車での通学が苦痛の律だったので、俺の家に泊まることの方が多かった。
だから思い返してみれば、日数としてはそれほど住んでいなかったのだ。
あの、俺が住んでいた家を見せてあげられればいいんだけどな。
それは今はもうできないことだ、あの家はもう他人のモノになっている。
記憶がよみがえってからも律は今の距離を縮めない。夜ともなればヘッドに滑り込むくせにふいに差し出す手ははじき返す。
押せばいいのか引いたらいいのか分からなくなる。
律が記憶を取り戻してからは少なくとも俺に対する記憶の揺らめきはないようで、昔の律が顔を出してキスをせがむこともなくなった。
昔の律に会いたい・・・。
夢でもいいからもう一度会いたい・・・。
▽
「マサムネ?」
夜半、律の呼び声で目を覚ますと目の前に心配そうな律の顔があった。
「大丈夫ですか?」
頬にヒタリと指が当てられそのひやりとした冷たさにどきりとすると「苦しそうだったけど。」と少しほっとした様子の律が言った。
「日本語でうなされていたので何を言っていたのか分かりませんが律と呼んだので・・・。」
きまり悪そうに視線を逸らす律の顔が少し歪んでいた。そうか、昔の夢を見ていたんだと思い当たる。
律、律、と昔の律を呼んで振り向かせようと必死だったのにどんどん遠くに行ってしまうんだ。
「マサムネが時々いう日本語の意味が解らなくて、ちゃんとお返事もできずすみません。」
戸籍上のことはともかく、ほぼネイティブスピーカーの律や外国で仕事をすることも多い小野寺さんと違って、比較的国内の仕事の多い俺はいくら学んでも思うように英語を使いこなせない。
しかも律の英語はアメリカの英語ともオーストラリアの英語とも違って、元がイギリスで今はカナダ、そしてあの暑い国の言葉が混じっているらしいので、会話も成り立っているような成り立っていないような部分も多い。
行間を読むと言っても限界があるだろう。思わずつぶやく言葉や勢いで吐き出される言葉はどうしても日本語になってしまう。
「でも、俺がきっとあなたを不安にさせているんですよね?」
どんどんうつむいてしまう律にかける言葉がなかった。
律が俺を不安にさせている・・・、それは間違いなくそうなのだ。
よくも悪くも律の存在が今の俺の感情の大部分を占めているのだから。
しかし違うだろ?なんでわかってくれない?
不安以上の喜びを。
律といられる幸せを。
「俺は、戻った方がいいのかもしれませんね。」
律が不意に漏らしたその言葉は耳を疑うものだった。
「え?」
「当初、冬の間は滞在してもいいと思っていました。でも何だかいろいろいっぱいいっぱいでマサムネに嫌な思いをさせてしまうのでしょう。小野寺の父さんにはマサムネがいてくれるから安心です。」
律がフフっと自虐的に笑う顔を見て急に腹が立ってきた。
「なんで!なんでそんなんこと言うんだ!」
お前は何にもわかってない。その言葉が俺をどれほど打ちのめすか!奈落の底に落とすのか・・・。
「マサムネ。怒らないで・・・。お願いだから・・・。日本語ではなく俺にわかるように言ってください。」
ハッとして抑えつけていた律の顔を見ると困惑と怯えで青ざめている。
「マサムネが怒っているのは分かります。でも、何を言っているのか分からない。この間も・・・。」
この間も?
「マサムネが怒鳴ったので俺の勘違いがあったと分かりましたが、でもお願いだから分かるように言ってください。マサムネはどうしたいんですか?お願いですから・・・。」
身体を離そうと胸を押す律の手をつかんで丁度心臓のあたりに手を当てさせると困惑した顔がもっと揺れる。
「何を言いたいのか言葉にしなきゃわからない?こんなにお前にドキドキしているのに?」
「・・・。」
「言葉とは不自由なものだな。律は色が見えないから律にしか見えないものを探せとランディさんが言っていた。それと同じかもしれないな。」
「・・・。」
「言葉にしなくても分かるだろ?」
しばしの沈黙の後、律が静かに「俺はマサムネを信じていればいいんですか?」
と言った。
「律が欲しい・・・。」
唇を寄せると意外にも律からの拒絶は無く律が応じるように軽く唇を開いたのだった。
俺は律の肩をそのまま抱いて、その華奢な身体を腕の中に収めた。
乱暴されかかった過去の痛みからか少し強張った腕をそっとほどき、背をさすり、着ていたシャツをはらりと床に落とすと頬に何度もキスをした。
これからのことに少しだけ戸惑いがちに揺れる瞳に大丈夫だからと告げ、うなじから肩に、腕に、胸にとキスを這わせ、背中から下に、そして深い所にと手に力を籠めると、律が急に首を激しく振ってつぶやくように「嫌だ、助けて、マサムネ、助けて!」と泣いたのだ。
それはあの日のお前の叫びなのか?
記憶がなくてもお前は俺に助けを求めて泣いたのか?
「律!目を開けて!律!」
頬に手を当て顔を固定して揺らし耳元で大きな声で律の名を呼ぶと、恐怖に瞑っていた目が大きく見開かれた。
「お前の目の前にいるのは誰!?」
焦点の定まらなかった涙の流れ落ちる瞳はやがて静かな色に戻り、
「マサムネ・・・。」
と俺を見て俺の名を呼んだ。
「何も怖いことはない。もう何も怖くない。」
律がフアっと息を吐いてボロボロと涙を流し、俺の首に縋りつきながら激しく泣いて・・・。そしてやがて優しくキスを返してくれた。
「I've loved you ever since I met you.」
昔の律も今の律もどちらの律も俺には選べない。
どっちの律も俺の中では大事な律なのだから。
「No matter how separated we are, I will always love you.」
ずっと耳元でささやく
I love you・・・.
と。
▽
明日からはもう仕事に行かなければならない。
今日は最終日だ。
そして今日は俺の誕生日でクリスマスイブ・・・。
律はクリスチャンではないだろうから教会に行ったりしないのだろう。
朝、ベッドで目を覚ますと隣は冷え切っていて愛し合った後の、まどろみの律を期待していたのだけどそれは大きく裏切られた。
ジルがワンワンと何かを告げるように激しく吠えているのが聞こえて、慌てて上着を羽織ってキッチンへ行くとそこには薄く煙が立っていた。
「なにこれ?」
俺がそう言うと目の端で飛び上がって驚いている律が見えた。
まるで漫画の中のワンシーンのように(笑)
窓を開けると外の冷たい風が一気に吹き込んできて、焦げた匂いは徐々に外へと運ばれて行く。
ミトンをはめた律は口がへの字で何も言わないのでもう一度「なに?」と聞くと、ちょっとふてくされたように「見た通りです。焦げました・・・。」と言った。
五徳の上に載っているのは天板で、焦げているのは型にはまったケーキのようだった。
「温度の表記がいまいちピンと来なくて・・・、間違えたのだと思います。」
焦げたであろうものはぷっくりと膨らんで、焦げがなければそれなりだったのかもしれない。
「魔法の粉なら何でもできるって言っていたのに、まさか・・・。」
律が口惜しそうにつぶやく。
魔法の粉?ホットケーキミックスか?
そりゃ悔しかろう。魔法が効かなかったんだからな(笑)
「ケーキ食べたかったの?なら買いに行ってもいいけど。丁度クリスマスイブだしな。」
フォローの意味でそういうと「違いますよ・・・。」と尚も律は不機嫌だ。
「マサムネのバースディですよ。なのにもう・・・。俺は!」
え?不機嫌はそれ?
失敗したことではなくて、失敗してしまう自分に怒ってたのか?
しかも俺の誕生日用に?
うれしすぎる。
「知ってたの?」
そっと近づいて仏頂面の律を後ろから抱きしめると、少し身体を強張らせたものの律は俺を拒絶はしなかった。
鼻孔をくすぐる甘い律の香りに、夕べの記憶がよみがえる。
「思い出したんです・・・。マサムネのお誕生日は結局お祝いできませんでしたけどクリスマスイブだと。」
律がくるりと身体を反転させて俺に対面する形になり、相変わらずはにかんだ顔で「お誕生日おめでとうございます。」と言った。
そう・・・。
生まれてから一番幸な誕生日が今日訪れたのだと俺はその時に知ったのだった。
▽
「マサムネ、あの・・・。あの丹頂鶴のことですけど・・・。」
朝食を食べながら律がおずおずと口を開く。
「いつどのような形で行く予定ですか?」
それはどういう意味だろう?
血の赤と聞いて、昨日は急いでいかなくてもいいと言っていたけど気が変わったのだろうか?
鶴の求愛ダンスは多くは営巣する年明けの寒い時期になるはずだ。
あのペンションに行けばオーナーが連れて行ってくれるに違いない。いつも俺たちはそうしている。
鳥を追うのは体力勝負だ。
そう言えば、昔の律が見たいと言っていたコウノトリの風に乗ってわたる姿。
小野寺さんの撮影に同行した時には、東欧の街で一晩の出来事を撮るために何日も何日も巣を見張りながら息を止めるように過ごしたことを思い出した。
「俺も鶴が見たくなったんです。朱色の頂を持つ鶴はマサムネのようにりりしくて素敵でした。」
律の言葉にドキッとする。
昨日は覚えていないと言っていた。そして今はまるで見てきたような口調だ・・・。
「律?」
「この家はこんなに色があふれていたんですね。俺は何を恐れていたんだろう。」
「律?」
「マサムネがとった蝶の写真は、マサムネが俺に語り掛けてくれているラブレターに感じました。
「・・・。」
「金茶の蝶は本当にきれいですね。あんなにきれいな蝶が近くにいたのに気付かなかったなんて・・・。」
律は俺とは視線を合わせずに遠い川に浮かぶ水鳥を見続けていた。
「オシドリは・・・、オスが派手・・・。本当だ・・・。」
律の言葉がだんだん聞こえなくなる。律の姿が見えなくなる。
テーブルの上にあった律の指をつかんで思わず祈るように口元に運んでしまった。
涙が止まらない。
きっとこれは誕生日の贈り物だ。
律が、昔の律と今の律が今俺の手にある。
この日を思い出せば、俺はこれからどんなに苦しいことがあっても生きていけるだろう。
はにかんだ顔の律がきっと俺を呆れてみているに違いない。
これから二人の時間をやり直そう。
二度と手放さないから・・・。
ヤッパリすごい・・・。」
律は丹頂鶴の求愛ダンスを見つめて泣いていた。
あの日。律の目に色が戻った。
俺はあの後仕事に戻らねばならず、律は小野寺さんと一緒に年末を過ごした。
小野寺さんと律はもともとあまりうまくいっているとは言えない関係だった。
幼年期のすれ違いの時間はその後の関係を大きく左右し、律はどこかいつも小野寺さんによそよそしかった。
しかし一旦別れ別れになって、小野寺さんが律をどれほど大事に思っていたかを奇しくも律が知り、二人の関係はあるべき形に納まったと言えよう。
もう子供ではない。べたべたとした親子関係が必要なわけではないのだ。
律はしばらく日本で生活をしたいと告げ、小野寺さんは律をサポートすると言った。
そんな正月明け、俺たちはまた釧路湿原にやって来たのだ。
あのてっぺんの赤は血の色だ。
血管がまるで瘤のように浮き上がって鶴の頭を赤く見せている。
命の赤。
ダンスを踊る鶴を見ている律は何を思っているのだろうか。
「あの鶴はマサムネのようにすっとしていると思っていましたが、あれは俺ですね・・・。」
「なんで?」
「だって今俺は踊りたいぐらいなんです。」
律は真剣にそう言ったのだろう。でもその状況を思い浮かべるとプっと吹き出してしまった。
「!」
むっとした顔の律が俺にパシンと平手をくれる。
相変わらず手の早い奴だ・・・。
「静かにしないと鶴がダンスを踊らないぞ。」
もう一発という感じで伸びてきた手をつかんで引き寄せ耳元でそう言うと律が息を止めた。
その頬に手を添えて唇を合わせると慌てたようでじたばたと腕の中でもがいている。
「嫌?」
そう言って腕の中の律の髪をサワサワとさすると「い・・・、え。ダイジョウブです。」と律が日本語で言った。
胸の中が熱くなる。
昔、律のすべてが愛おしかった。
そして今。律の過去も未来も全部が、
愛しいんだ・・・。
ヤッパリあの鶴は俺だ。
今ここで律に俺は求愛ダンスを踊るよ。
だから受け止めて、律。