世界一初恋パラレル 想いさえも閉じ込めることができるなら 作:bui
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あの事故から十年が過ぎた。
あのあと俺は、小野寺さんの助けを借りながら映像系の大学を卒業してそのまま助手として小野寺さんの事務所、スタジオ・ダブルオーで働いている。
最近はささやかだけど仕事も来るようになり、たまに雑誌で取り上げられたりもする。
「イケメンカメラマンは撮るよりモデルになれとさ。」
そんな俺に小野寺さんが苦笑しながら最新のオファーを告げたが、それはおそらく既に断り済みだろう。
メディアに顔まで露出させたくはないが、小野寺さんが、注目してもらえなければ伝えたいことも伝えられない。過度でなければ多少ルックスを武器としてもいいんじやないのか?写真を見てもらえればお前が浮っついたヤツじやないって事も分かつてもらえると言う。
ルックスね・・・。自分の容姿が人に何を与えるのかを考えることはある。
両親のどちらにも似ていない顔、男子の平均より高い背丈、うっとうしくなければいいと思っている髪型に不潔でなければなんでもいいと思っている洋服。
この何に人はシンパシーを持つ(持ってくれる)というのだろう。
ほんの少しだけ自分を好きだと思えるようになったのは、律が愛することを教えてくれたからだ。生まれて来てよかったと思ったのも、そして死にたいと思ったのも・・・。
俺はまだかけだしのペーペーで、主義に反するとか偉そうに言ってせっかくの依頼を足蹴にできるほど力はない。
でも小野寺さんがみえみえの依頼は先に断ってくれているので、適度な距離感でそういう依頼も受けることができる。
少し前に、丸川書店のフォト雑誌では、新進気鋭の10名としてカメラマンを揃えて俺をトップに据えて雑誌を作ってくれたのだ。
社長の井坂さんが「みんな腕はまだまだドングリの背比べだから見てくれのいいヤツがトップにいたほうが雑誌が売れる。」と言った。
それはすがすがしいほどストレートなひどい言い草で、だからこそ逆に嫌味に感じなかった。
まだ俺は自分の写真だけで本を買ってもらえるには至っていないことを承知している。だからこれも一つの試練だ。
しかし、雑誌の内容は作品メインで、シリアスな顔のアップと涼しく笑って (少し引きつったけど) 足を軽く組んでと言われた全身写真を撮られたのみ。
「7番目のヤツもイケメンなんだけどさ、自分が写真に撮られるのはイヤだと断られたんだ。」とあまり悔しそうでもない顔で言っていた。
実際に容姿を前に出して作品を掲載しているやつらはそれなりに個性的で、トイカメラの木佐などは自分がトイではないかと思うぐらいかわいらしい。
気のいいヤツで、仕事が一緒になるとたまに雑談もするけどあれこそは自分の売り方を分かっているヤツだ。素でも小動物(主にげっ歯類)のようなしぐさをする。
どら焼きが好きだとかで、そんなに甘いものが好きではない俺にも勧めてくるのでどら焼きだけは少しだけ詳しくなった。
最近はイケメンモデルの彼氏がいるらしくうきうきしていて仕事にもさらにハリがでているようだ。
井坂さんは雑誌の出版でお世話になってからのお付き合いだ。
当時は専務で今は社長となったのに、恐れ多くも社長自ら俺にあれこれ言ってくれるので少しぐらいの顔出しは諦めている。
どちらかと言えばメディアにバンバン売り込みたいと思っているわけではないけど多くの人に俺と律の愛した世界を見てもらいたい。
だから自分を信じてもう少し走ってみようかと今は思っている。
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「今年もあそこで慰霊祭が行われるそうだ。今年は行こうかと思う。」
小野寺さんが機材を片付けている俺の後ろでぽつりとそう言った。
『慰霊祭』という言葉に大人げなくピクリと反応してしまう。
あのダム湖は発展途上国のアジアの辺境に位置していて、国境が入り乱れているために事故後の国レベルでの対応もあいまいだった。
道路も分断されそこにあった村々は委棄され、復旧の遅れから一般の人はしばらくは現地に足を踏み入れることができなかったそうだ。
その後、被災した先進国チームのボランティアが尽力をして、やっと慰霊祭が出来るような状態になるのに3年、ダムがきちんと整備されるのに5年がかかった。
アメリカチームに誘ってくれた小野寺さんの師匠という方から逐一報告は来ていたようだけど俺から小野寺さんに詳しいことは一度も聞いたことはない。
ただ噂のように漏れ聞こえてくる情報はそういう内容だった。
小野寺さんもあの地に足を踏み入れるにはまだ気持ちの整理がつかなかったようで、俺たちは慰霊祭どころか一度も現地に行っていない。
そう、慰霊祭に行くことは律の死を認めてしまうことなのだから・・・。
なのに、ずっと触れずにいたそのことを小野寺さんが俺に告げた。時間とは残酷で優しい。
それを聞いて俺自身もそれをそろそろ認めるべきかもしれないと感じてしまったのだから。
以前、俺が近くにいることで律を思い出して辛いのではないかと小野寺さんに聞いたことがある。
すると小野寺さんは「政宗は俺にとってはもう一人の息子だ。兄弟の一人がいなくなったからってもう一人を疎んじたりするかい?律は律、政宗は政宗だ。二人とも失わなくて良かった。」と言ってくれた。
10年目の慰霊祭・・・。律が亡くなっているなら俺たちが弔ってやらなければいけないんだろう。俺たちの小さい律を・・・。
俺たちは節目としてその慰霊祭に出席することを決めたのだった。
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蝶の群れる対岸の丘はあの日崩れてしまったと聞く。
俺が撮った律の写真は小野寺さんを経由してコンテスト形式の雑誌に投稿された。そして思いがけず新人として大きな賞をもらってしまった。
律がいたことを皆に知ってもらいたくて雑誌の端にでも載ればと思っただけだったのだけど喜びよりも困惑が勝ったような気持だった。
それから俺は、あの蝶のカメラマンと言われる。
評価が大きすぎて自分の実力がまだそれに伴わないことも少しだけ気になっているが、最近ではそれも当然と思えている。
おそらく俺の人生においてあれ以上の写真は撮れないだろう。それは謙遜でも僻みでも諦めでもない。
律がいないのだから・・・。
それでも俺は律との約束のために日本中、世界中の写真を撮る。
律が生きていてもいなくても必ずいつかみんなが等しく行くしかるべき場所で再開した時に、約束の沢山の美しい映像を律に見せるのだ。
現地に近づくと暗かった気持ちが更に重苦しくなる。あの頃の薄汚れて見えた三段のダムの壁は見違えるように美しい白いアーチを描く一つの大きなダムとなっていた。
まるでビーバーが作ったのではないかとさえ思えた華著なあのダムの面影は微塵もない。
律が亡くなっていたとしても下流にながされている。だからここにはいない。
でも律がこの湖の底で泣いているような気がして息が詰まりそうになって湖面から目をそらすと目の端に茶色い髪の毛ふわりと横切った。
追いかけるようについて行く懐かしい香り。ちらりとこちらを見たその瞳・・・。もはや何も考えられなかった。
俺の手は主の指示を待たず勝手に動いてその腕を掴んだのだった。
しかし次の瞬間顔に衝撃が走った。
え!?頬を叩かれた?
腕は激しく振り払われてそのみどりの目が俺を激しく脱んでいる。
そこには想像していた通りの容姿を持つ人物が立っていた。
すれ違いざまでも絶対に見まちがえないそのみどりの瞳!
「律!」
ひるまずに再度腕を掴もうと手を伸ばすと、睨んでいた瞳が今度は怯えたように揺れて逃げようとする。
「まって律!」
かろうじて掴んだ上着のすそを引き寄せると、その人物がバランスを崩して腕の中に倒れ込んできて、その顔がみるみるうちに真っ青になる。
腕の中から激しい悲鳴が上がり、同時に前と後ろからあわてたような声が飛んできた。
それの声の主は小野寺さんと見知らぬ外国の人だった。
「私の息子が何かしましたか?」
前からその人が英語で俺にそう言う。
「息子!?」
「ランディ!」
腕の中の律があわてて俺から離れ、ランディと呼ぶ人の所に飛びつくようにして逃げこむ。
俺と小野寺さんはその姿を見て声も出せないほどに呆然としていた。
「息子は接触恐怖症なのですみません。」
その人が赤くなった俺の類を見て軽く頭を下げた。
「接触恐怖症?」
「ええ、人に触れられるのが苦手で。何かご迷惑をおかけしたんでしよう?」
ランディと呼ばれた人物が説明をしているさなかに
「そいつがいきなり俺の腕を掴んだんだ!」と息も荒くそう言った。
その顔は嫌悪感に満ちていて、優しく消えそうにさえ思えたはかない律ではない。
「あまりにも知り合いに似ていたものですから・・・。」
この場所が俺に幻を見せたのだろうか。確かに顔は似ているけどこれは律ではない・・・。律が声を荒げたり俺を睨みつけたりするはずがない。
これが律であるはずがない・・・。
「お知りあいにですか?失礼ですが慰霊祭にお見えと言うことは・・・。」
ランディという人が語尾を濁してそう言う。
もちろんこの場にいるのは慰霊祭に来た人ばかりではないはずだ。しかし今日のこの日、観光というにはこの場所は曰くがありすぎる。
「お察しの通り、10年前に息子をここでなくしております。」
小野寺さんが丁寧に答えるとランディと呼ばれる人は更に「お子さんは・・・。」と聞いてきた。
小野寺さんは少し迷ったようだったが「結局見つからずにいますが、そちらの息子さんにそっくりだったものですから、失礼を・・・。」と答えた。
小野寺さんの言葉にその人達が息を飲むのがわかった。
「私はあの時『Ginkgo biloba butterfly』のカナディアンチームの第二隊として加わる予定でしたが、滞在していた村であの事故に遭遇したのです。そして川に流れ着いたこの子を保護しました。
この子はなにも覚えていなくて、着ていたライフジャケットがアメリカチームのものでしたので問い合わせをしたのですが結局身元が分からずそのまま・・・。」
ランディと呼ばれる人はちらちらと律に似た青年を見て、しかしはっきりとした口調でそういった。
「慰霊祭でこの子の身元がわかるかもしれないと毎年参加していましたが、もう今年で最後にしようと言っていたところです。まさかここで・・・。」
息子の顔を見るその人の目は優しく悲しそうだった。身元が分かればと言っていたがそれは便宜上のことで、彼もまたこの息子の本当の身元が分からなければいいと思っていたに違いない。
しかし律に似た青年はその腕にしがみついたままきつい目をして「10年も探しにも来なかったくせになにを今更!」と俺たちに言い放った。
「俺はランディがそうしろって言うから嫌だけど来ていただけだ。今更身内とか言われても迷惑だ。」
きっぱりと言ったその目は嫌悪と憎悪に満ちていた。
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「日本の方でしたか・・・。それは考えもしませんでした。」
その人、ランバート・ジョシュア氏は下流の村にある自分のコテージに俺たちを招いてくれた。
彼は自然ではなく、災害や戦地の現状を世に伝えるカメラマンだそうだ。
たまたま友人に誘われてバカンスのような軽い気持で第二隊に参加することにしたそうで、実際の日程よりかなり早くこの地に入りのんびりとした時間を過ごしていたと言っていた。
「私の拠点はカナダですが、この子をここで見つけてからひょっとして何かの情報が得られるかもしれないと思いここに家を持ったのです。あばら家ですけどね。」とジョシュア氏は言った。
あばら家なんてとんでもない。確かに新しくはないが、丸太を組み合わせたロッジのような建物の広さは日本だったら豪邸だ。部屋のいたるところに律に似た彼の生活の痕跡が見て取れる。
それほど金銭的にも困窮はしていなさそうな暮らしぶりに、少なくとも律似の彼が幸せそうでほっとした。
広いリビングでソファーを勧められ俺たちはボツりボツリと話をつなげた。
小野寺さんに外国へ行けばまず言葉が壁になる。現地の人と接するためにも語学を頑張って勉強しなさいと言われていたことが功を奏している。
今ならあの頃の律とだって日常会話に困ることはない。
似ている容姿と状況だけで身内だと言われても勘違いかもしれない。ジョシュア氏が少し話をしましょうと言ったことには同感だ。しかし当の本人(現在はローランドと呼ばれているらしい) は部屋にこもったまま顔を見せなかった。
本人不在で確認と言ってもたかが知れているとも思ったが、何も覚えていない上に混乱でややパニック気味なので俺たちとジョシュア氏でまずは話をすることになった。
「しばらくは意識が戻りませんでしたが、目を覚ましてからのローラは英語しか話しませんでしたから英語圏の子だとばかり思っていました。」
確かに律は日本語は一度脳内で英語に変換してからもう一度日本語に置き換えて話すと言っていた。
それぐらい日本語には慣れていなかったのだ。
「名前も年齢も分からなかったので、英語圏と現地の大使館には連絡を入れてあったのですけど・・・。」
ジョシュア氏は当時のことを思い出しながら話をしてくれた。
「ただ、足にイニシャルの入ったアンクレットを付けていたのでRのついた名だろうとは思っていました。だからローランと・・・、私の亡くした息子の名前なんです。まるでローランがまた私のもとに来てくれたような気がしてしまっていて・・・、本当に申し訳ない。」
ジョシュア氏は顔の前で手を振り大きくため息を一つついた。
しかし俺はその中の一つの言葉に反応してしまった。
「アンクレット!?」
それはまさかこの・・・、俺が左腕を凝視すると二人もそれを見つめたのが分かった。
あれから俺はアンクレットのチェーンを付け替え腕用に直した。
はめ込んである緑の石が律につながっているように思えて律から力をもらうようにそれにキスをしたくて・・・。
「同じ・・・、ですね・・・。」
ジョシュア氏が小さくつぶやいた。律のアンクレットの石は黒色だ・・・。
「ウッ」と喩って小野寺さんが顔を手で覆った。指の隙間から涙がポロポロと零れ落ちた。
やはり律だったんだ・・・。
「ひどい事故でした。ローラは瓦磯の混じった泥水に身体が半分浸かるように他のお子さんの遺体に埋もれていたのです。子どもばかりでした。生きている人の顔色ではない子、手足が不自然に折れ曲がっている子、川底で引きずられて身の半分を失っている子・・・。みんな水で膨れてしまって絶望的でした・・・。」
ジョシア氏は自分を抱きしめるように腕を身体に回してブルリと震えた。
「でもこの子のもう亡くなった母犬のアンリが・・・、」と、足元に置き物のように静かに寝そべっていた大型の毛足の長い犬の頭をさすりながら「遺体の中からローラを見つけたんです。」と言った。
「アメリカチームのライフジャケットがこの子の命を守ってくれたようですね。あまり水は飲んでいませんでした。」
あの時は膨らまなかったライフジャケットが途中で膨らんだんだ・・・。
「それでも大怪我をしててしばらく意識も戻りませんでしたがこうやって助かりました。あなたたちはなぜすぐに探しに来なかったんですか?」
今まで柔らかかった口調が少しだけきつくなったように感じた。
なぜ・・・。なぜなんだろう・・・。
「必死で律を探しました。」
小野寺さんがポツリと俺の知らないあの日の話をした。
あの日、多くの大人達はキャンプで翌日のアタックの打ち合わせをしていた。
その時にあの事故が起った。
現地に近い場所にいたチームの仲間に政宗が助けられていて、同じルートで律も無事だと聞いていたのです。
でも実は生存や発見の情報は錯綜していて、子どもたちを流されてしまった大人はパニック状態でした。
そんな中で瀕死の政宗を受け入れてくれる病院を私は必死で探していました。
同じ所から流された律が助けられているという情報が誤報だったと知ったのは丸1日以上経って、一度現地に戻った時でした。それから政宗が見つかった付近を必死で捜索しましたがまさかこんな支流にいたなんて・・・。私の認識の誤りでした。
律が日本語を話せなかったのも、あの子を何年もイギリスに放ってっておいたからです。
急な追加参加だったとはいえ、アメリカチームのメンバーとしてきちんと登録が完了していなかったのも情報が錯綜した中で誤報となった原因でした。
何もかもすべて私の罪です。
小野寺さんはうなだれていた。
そうだったのか。小野寺さんはいつだってにこやかに余裕だ。苦しいことも辛いことも表に出さずに必死て耐えている・・・。律と似て・・・。
「ローラはいい子です。今は少し混乱していますが何度でも人はやりなおせます。」 ジョシュア氏はそう言って顎をさすって小野寺さんの背中をバンと大きく叩いた。小野寺さんは顔を上げて涙がまだ頬を濡らしていたけど少しだけ笑ったのだった。
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色々あった一日だった。
小野寺さんはさすがにもう寝てしまったようだったが俺はどうにも寝付けなかった。
10年も探しに来ない。
律が言った言葉が胸に刺さった。
本当に生きていると思っていたなら、やはり探しに来るべきだったのだ。
死んでなどいないと言っていたくせに、やっばり俺は律が死んでしまったと思っていたのだ・・・。
だからそれを認めたくなくてここに来なかった。
夢でもいいから会いたいと願ったのに、過去の記憶の中の律は夢に見ても今の律は一度も夢に出てはこなかった。
『出てこないわけだよな。生きてたんだから・・・。』
わざと笑ってみるけど自虐にもならない。
夜風に当たろうと木製のテラスに出てみると風に乗って人の声が聞こえてきた。
「ランディは俺を返すの?」
それは思い出の律の声より少し低いあのローラと呼ばれている律の声だ。
「返す?」
「俺はランディの息子のままでいたい。」
「当たり前だろ?ローラは私の愛する息子だ。」
「でも・・・。」
「取材で一年の半分も一緒にいない放湯息子のくせにそんな顔しないで。家族が増えるだけだ。そうだろ?」
その言葉に少し胸が痛んだ。
そう、俺たちはもうとっくに親離れしているいい大人なのだ。今更本当の親子とかどうでもいいことなのかもしれない。
別離から俺たちの中の律の時は止まったままだった。
突然現れた25才の律に戸惑いがあって当然だ。
ジョシュア氏の言うように俺たちは新しくやり直さなければいけないのだろう。
過ぎた時間はもとには戻せない・・・。
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翌日、律は朝からダイニングにいた。
目を合わせるなり、「名前?」とぶっきらぼうに聞かれて、そう言えばこの律にはきちんと名を名乗っていなかったことを思い出した。
「高野、高野政宗。」と、今更な気持ちで俺は名を告げた。
そう、俺は両親の離婚によって名字が変わっている。昔の嵯峨政宗は律同様もうどこにもいない。
今の俺は高野政宗なのだ。
「朝メシ作るから玉子何個?苦手なもんは?アレルギーは?」
矢継ぎ早に聞かれて言葉に詰まっていると
「昨日は感情的になって悪かった。でも俺にあんまり近づかないで。」
とぶいっと顔を背けて言った。
昔の律も見知らぬ人との接触を極度に嫌っていた。不調になって立っていられない状況が何度もあった。
あの頃俺だけが特別であることを喜んでいたのに今は俺はその特別から外れてしまったということだな・・・。
その時、
『もし逆の立場だったら?』
昔ばあちやんに言われた言葉が脳内に湧いた。
律は記憶をなくして何も分からないままたった一人で不安な10年を過ごしたのだろう。
ジョシュアさんがいい人だったからこうやっていられるけど、そうでなければ年齢的にも発展途上のこの国でどうやって生きていったのだろうか・・・。
そう思った瞬間沈んでいた気持ちにさらに罪悪感が混じり居たたまれない気持になった。
律、ゴメン。本当にゴメン・・・。
小野寺さんの自分の罪ですと言った気持ちがよく分かった。
何度も何度もどうにもならないことが頭の中をぐるぐるとめぐる。
なぜ俺たちは・・・。
「状況から自分がそのリツであるらしいことは理解した。しかし自分にも今の生活があるからあなたの家族には戻れるとは思えない。」
律が少しだけ視線を揺らして申し訳なさそうにそう言う。
そんな顔しなくてもいいんだ。律が悪いわけじゃない。みんなみんなどうにもならないものに巻き込まれてこうなってしまっただけなんだ。
「そもそも自分はもう保護の必要な子どもではないので今の自分を気遣っていただくなら不要だ。これからのことはあなたたちが何か提案があれば善処しようとは思つている。」
その間も律は忙しく手を動かし、大きなスキレットに日本ではなかなかお目にかかれそうにない肉に近いような大きくて厚切りのベーコンをボンボンと放り込む。
人をも一刺しにできそうな鋭い二つに分かれたホークのようなもので、にじみ出る脂をグリグリと回しながらひっくり返し、香ばしくカリカリに焼けたその上に玉子を人数分かける2個、合計8こ割り入れた。
高い所から塩と胡椒を削り入れる合間に玉子はヘリを反らせ、胡椒の粒をまとった透明の白身が白色に変色する。
黄身はまだうっすらと膜を張る程度の色合いだったが律はガスの火を止めてそれに蓋をしたまま放置した。
顔より大きいガラスのボールにざぶざぶと洗ったレタスをちぎり入れて、トマトときゆうりを器用に手の上でツイツイと切り、それもガラスのボールに放り入れていく。
少しは手伝うべきかと思って「お皿を・・・。」と俺が言うと「え?このまま出すからいらない。」と律から答が返ってきた。
スキレットとボールのまま?
以前の律からは想像もできないワイルドさにびっくりしていると、
「ローラ。お客さまだから取り皿ぐらいはあった方がいいだろう?」と庭から犬のジルと入ってきたジョシュアさんが笑って言う。
律はそっけなく「ああ・・・。」と背を向けて奥の棚から今度はずいぶん可愛らしい平皿を何枚か出していた。
「男所帯なモノですから至らずすみません。」
冷蔵庫からペリエを出してグラスを並べながらそういうジョシュアさんの横顔はすまないと言っていながらとても嬉しそうに見えた。
俺たちの存在はこの人から息子を奪うことになるのだろうか?
そう思うと胸が軋むように少し傷んだ・・・。