世界一初恋パラレル 想いさえも閉じ込めることができるなら 作:bui
「蝶は以前のような大群になって飛来はしないけどかなりの数渡ってくる。あなたは蝶を見たいか?」
律が俺の顔を横目でちらりと見て少しだけ居心地悪そうな顔で聞いてきた。蝶と聞いて胸が締め付けられるようにギュつと痛む。
あの蝶のいる景色は俺にとっては律そのものだ。
律が昔丹頂鶴が俺のようだと言ってくれたように、俺の記憶の中の律はあの蝶とともにある。
「見たい。」
俺は律の顔を見ずにそう答えた。俺も妙に意識してしまって律の顔をなかなか直視できないのだ。
ずっと忘れようと努力してきたけど苦しみは止むことはなかった。蝶の丘がなくなったと聞いて、あの景色は律と一緒に行ってしまったのだと思うようにしていた。
でもなくなってはいなかったのか・・・。
俺と律の会話を聞いていたジョシュア氏が
「ミスターオノデラとミスタータカノはいつまでこちらに滞在されるのでしようか?」と予定を聞いてきた。
今回の俺たちは慰霊祭以外に予定は入れていない。ただ区切りを付ける意味で数日は滞在をしようと日程を組んではいた。
その時、リビングに来ていた小野寺さんが「どうぞ私のことはマサユキと呼んでください。」と言ったので、あわてて俺も「自分はマサムネで。」と付け加えた。
「おお、それはうれしいことです。では私のこともランディで。」とジョシュアさんが爽やかに笑い、どう言っていいのかわからないらしい律が少し目を泳がせて皆の注目を浴びる中で「お、俺のことは好きに・・・。」とぼそりと言った。
それは律と呼んでもいいということなのだろうか?
律はそう呼んだら応えてくれるのだろうか?
迷いの中で俺は律ともローラとも呼べずに言葉を飲み込んだのだが、小野寺さんは「失礼でなければ律と呼びたい。」と言う。
律はやはり少しだけ決まりが悪そうにしたが「それで構わない。」とそっけなく答えた。
「大した観光地でもないので見どころはほとんどありません。なのでせっかくですからローラとその蝶を見に行ったらいかがですか?私もローラもしばらくはオフなのでご案内できます。」
ランディさんの言葉に蝶と対面する覚悟を決めた俺たちは無言でこくりとうなづいて答えた。
律が使い込まれた色のカッティングボードと長く太いやや固そうに見えるパン、細いナイフをテーブルに置いたので俺はそれを切る手伝いをすることにした。
パンにナイフを入れると、日本の角切りパンとは異なりみっちりとした手ごたえで、あまり厚いと齧るのが大変そうだと感じて削るように薄く切る。
外側の色とあまり変わらない中身には胡挑がたっぷり入っていて見るからに香ばしそうたった。
うまそうな香りが鼻をくすぐりそろそろ腹時計がタイムオーバーを告げる。
「何枚ぐらい切る?」
そう聞くと
「全部切っていいよ。4人ならそれぐらい食べちやうだろ?」
と律は当たり前のように言った。
食べちやう?これ全部を4人で?
先ほどのスキレットの中のベーコンもそうだけどその細い身体で朝から肉も野菜もパンまでもバクバク食うのか?
信じられないような呆れたような気持で、切ったパンをカッティングボードに綺麗に並べなおしてテーブルの中央に置くと、律がドンとガラスビンに入った薄茶の液体とたっぶりのミルクを置いた。
薄茶の液体はメープルシロップとビンに貼ってあるラベルのロゴから読める。日本ではメープルシロップやはちみつはそれほど大きくないビンに入って売っているけど、これはまるで花瓶のように大きい。
ザブザブかけて食べるってことだな?
そう思うと食べる前から口の中が甘さでいっぱいになりそうだった。
大きなガラス瓶に入った牛乳もビン自体のサイズは日本の物より何倍も大きいように感じる。
そういえば昔の律は紙パックの牛乳の紙の臭いが好きになれないと言ってあまり飲まなかった。
今の律は飲むのだな・・・。
そんなことを思いながら皿やフォークを並べていると小野寺さんもランディさんに勧められるままにダイニングの椅子に座って、銘々の腹時計が命じたのだろう、食事を始めることになったのだった。
▽
律は薄切りのパンの上に玉焼きをのせて、サラダの野菜も器用に挟みこんで噛みつくように勢いよく食べていた。
そしてステーキのような厚切のベーコンにもワイルドに噛り付くけど、そのうちにべーコンの脂身をフォークでつらつらと剥がしはじめ、下で待機している犬にポンとやったのだ。
「ローラ!」
ランディさんが叱るように名を呼ぶと「脂身嫌いだ。」と律は顔を顰めた。
そういえば昔の律も肉の脂身は嫌いだと言ってとんかつなどは端っこはいつも残していた。
それは変わらないんだなと少しうれしくなる。
そう、ついつい昔の律と今の律を比べる自分がいて変な感じだ。
俺だってあの頃の俺と今の俺は違っているはずだ。
10年も経っているのだから。変わっていて当たり前だ。
たいした味付けもしていないのにその朝食は美味しくて最後に今までずっと仏頂面だった律がいそいそとした顔つきで出出してきた極甘のケーキまで俺たちはあっという間に各々の腹に納めててしまった。
食べ切れないと思っていたのに驚きだ。
ランディさんと小野寺さんはジャンルは違えどもさすがにカメラマン同士とても話が合うらしく朝なのにワインを出してきて歓談している。
「マサムネはどうする?」
名前を呼ばれてどきりとした。
その『サ』が舌っ足らずに少しだけ『シャ』になってしまうところ、
それは思い出の律だった・・・。
どうするとはどういうことか?と目で問うと
「あれさ、今日は出かける気はないぞ。アンタも酒盛りに加わるのか?」
と律がすっかりご機嫌に出来上がりつつある二人を指差した。
昼酒はさすがに趣味じやないな・・・。
ムーンと思案をしていると
「あんたが行くならダムに行くけど?」と律が言う。
他にしたいこともないしそれいいかと同意して二人でダム湖まで出かけることにした。
「酔っ払いめ。」
律は少しだけ笑いながら父親二人にそんな言葉を残していった。
昨日も一度乗せてもらったタイヤの大きな4輪駆動車はでこぼこの山道に良く合っていた。品のいいセダンあたりでは舗装もろくにされていないこのどろどろの道は無理だろう。
「昔はカヤックで渡ったのだけど?」というと「今は直接車でかなり近くまでいけるから。」と律が答えた。
水の上を通っていなければあの日の俺たちの悲劇はなかっただろう。
そう思うとまた気持ちが沈み『タラ』『レバ』ばかりが浮かぶ。
俺はこんなに女々しいやつだったのか?とここに来てからずっと残念に思っているが過去を引きずっているのだから今は仕方がないのだろう・・・。
律の運転は決して丁寧とも言えず、料理の時のことといい、そんなに細かいことを気にするタイプではないことがわかった。
昔の律は日本に不慣れで少しおどおどするところがあったけど、そう言えば時々驚くほど男らしく行動することもあった。本来はこういうタイプだったのかもしれない。
そう、今の律は簡単に言えば図太い?ように感じる。
それにしてもこの運転は日本ではだめだな。
もし日本に帰っても運転だけはしない方がいいように感じて可笑しかった。
▽
ダムの奥の方にある駐車場から少し歩くと以前より丈の小さい木立の丘がそこにあった。
「以前は木も規模も大きかったんだろ?半分以上は水に落ちて流れたらしい。」
律はヒトゴトのようにそう言った。
その日おまえもここに立っていたんだ。
まるで光に包まれるみたいにその金色の蝶に包まれていた。
記憶はまるで昨日のように鮮明なのに、ここに律の笑顔だけがない。
せっかくだからとカメラでパシャパシャとその景色を撮るとダム湖の湖面に反射した光が律を包んだ。
もはや名所と呼ばれるほどには蝶は集まっていなかったけど、ひらひらと木の葉を散らすように蝶が舞い、そこに向けて昔より背が高くなった律が細く長い指をすっと上げた。
するとばらばらとその指先に蝶が集まり、すべる落ちるように蝶は律の身体を擦めて飛んでいった。
あの日の律がそこにいた。
やはり律なんだ・・・。
俺はカメラを放り出してその身体を背から思い切り抱き締めてしまった。
律は身体を強張らせ、身をよじって逃れようとしてもがくが、俺は更に強く腕の中に律を収めて、律、律、と泣きながら名を呼び続けた。
俺の涙が肩口をぬらしていくのに気づいたのか、それからの律は暴れることなくじつと俺にされるがままになってくれていたのだった。
▽
俺があまり長い時間律を抱き込んでいたためか気が付くと律は真っ青な顔になっていた。
訳ない気持ちで手を離すと律は大きく息を吐いて「俺のこの接触恐怖症は好き嫌いという感情以外の所で身体が拒否するので自分ではうまくコントロールできないことがある。できれば言葉にしてから行動してほしい。」とポツリと言った。
言葉に?例えば今から抱きつくぞとか言うのか?
これはなんとも難しいオーダーだ。 「でないとまたきっと殴ったりしてしまう。」
律がまじめな顔でそんな事を言うので、本当は笑いそうになったけどきっと本人は本当に真剣で、それゆえの恐怖症ということなのだろう。
ここで笑った今度は別の意味で殴られそうだと思って「分かった。」と簡単な返事をした。
この律は俺の知っている律ではない。
昔の律の香りを漂わせ、惑わすようにちらちらをそれを見せながらもやはり律ではないと思い知らせるように新しい姿も見せる。
俺の律はやはりあの日に湖底に沈んだのだ。
俺は触れたくて動きそうな手を理性で止めて、「そろそろ帰ろう。」と律に告げたのだった。
▽
それから3日ほど滞在させてもらって俺たちは日本に帰ることになった。
もともと一週間の予定で出かけてきたのだ、次の仕事もある。できれば律にも日本に来てもらいたいと伝えると1カ月ほど雑誌の取材の仕が詰まっているのでその後は
また調整がつけば連絡をさせてくれと言った。
律はいくつかの雑誌でコラムを書きながら写真を撮る仕事をしているそうだ。
スポンサーもあるもののフリーで仕事をすることが多いそうで、時間的にはそれほど縛りはないようだった。
入稿もデータ化が進み、本人がわざわざ出向かなくても納品は出来るようになって、仕事ができればどこにいるかは問題がないと言っていた。
一方ランディさんは、このあと中東の町へしばらく行くと言っていた。
基本決まったスポンサーを持っていて、国からの依頼を受けることも多いため、あまり自由に自分でスケジュールを組めないらしい。
二人が本当にきちんと調整するのは毎年この時期だけで、連絡がつかなくなり生死さえもわからない期間が何週間も続くこともあるのだそうだ。
俺は、もし気持ちの整理がついたら律のあの日の写真をダム湖から流そうと思って持ってきていた。
「これを君に。」
少し大きめの封筒を差し出すと律が不思議そうに受け取った。
「あとで見て。」
そう付け加えて・・・。
俺たちはランディさんと律に手を振りながらも見送りはお断りをし再開を約束した。
俺に喜びをくれてありがとう律。そしてさようなら。
大好きだった。
そんな気持ちを込めて、俺はあの日の思い出の律に別れを告げたのだった。
▽
俺たちは、日本に帰ってきてから休みの間の仕事を埋めるために忙しい毎日を送っていた。
その日は同じスタジオに所属しているカメラマンの桐嶋さんの手伝いのためにダブルオー写真スタジオに詰めていた。
人物はあまり撮らない俺だけどアシスタント的な仕事は案外多い。
基本この会社はやれることをやる人がやるというスタンスだ。
好みはあるけどあまり文句も言えない。
モデルは運悪く大学時代の悪友で、大学時代に同じ映像の科にいた横澤だった。
横澤は俺と一緒にくっついてきて、そのルックスからスカウトされ、今はモデルの仕事をしている。
そして桐島さんは横澤を気に入っていてモデルとして使うことが多いのだ。
今日はファッション誌の広告のようなものの撮影だ。
背が高く丹精な顔つきの桐嶋さんは、自信がモデル言われても何の不思議のないルックスをしている。
しかし桐嶋さんは俺同様自分が被写体になることを嫌う一人だ。
俺は桐嶋さんに言われるがまま、レフバンを操作しつつあまりチャチャは入れずに二人を見ているのだけど、この二人はいつも夫婦漫才のようで笑える。
冗談や洒落の苦手な横澤が飄々とした桐嶋さんにいじられているだけなのだが、
それをほほえましく思えるのは横澤がそれを心底嫌がっているように見えないからに他ならない。
結局二人はお似合いだということらしい。
▽
いくら親友とはいえ、横澤には俺たちが慰霊祭に行くという話はしていない。
しかし何か思うところがあるようで、今日は俺に対して少し物を言いたげにしていた。
俺は今回の律の話を誰かにする気持ちはない。
とは言っても小野寺さんが皆にするのはかまわない。
ただ・・・、俺は律がもう小野寺律に戻るつもりがないのを知っている。
そう、律はローランド・ジョシュアとして生きるつもりなのだ。
だから律が見つかったと喜べない。
あの律はもはや俺の探していた律ではないのだから・・・。
「すげーおざなりな土産だよな。」
撮影が一段落ついて一旦事務所に横澤も一緒に戻ったところで、事務机の上に放り出して置いた空港で買った、どこの名産かもよく分からないパイナップルの絵のついた菓子を一つつまみあげ口に含んで横澤が言った。
「売り子の姉ちやんがこれがうまいって言うからそれにしたんだ。一番人気だっつつ てたぞ。」
俺がそう言うと、別の箱の菓子をつまんでまた口にする。
おいおいモデルのくせにそんなに菓子食ってていいのか?
言わないけど心ではそう突っ込みを入れた。
「こっちの繭みたいなヤツ、うまいな。中にピーナツの砕いたのみたいのが入ってる」
「みんな売り子の姉ちやんのお勧めだ。」
「どこの空港で買ったんだ?」
「成田」
「ばかやろうだな、おまえ。」
横澤が呆れたという風に肩を大げさに上げた。
向こうの空港では、俺達の気持ちが土産を買うような状態ではなかったのだ。
短いフライトだったけど日本に戻ってきたという安堵感からか、到着が俺たちを現実に引きもどした。
小野寺さんが「まずい!お土産なんにも買わなかった。」と焦り始めて、そういえば自分も何も買ってないと小野寺さん同様に慌てて買い込んだ菓子なのだ。
それはとても便利な、買い忘れても大丈夫的な意味を持つインターナショナルでグローバルな店だそうだ。
多くの人は数が足りなかったとかで買うんだろうけどな。
▽
「どうだったんだ?あっちは。」
横澤には当然慰霊祭に行くことも言ったわけでもないのに、行き場所で察していたようで先ほどのふざけた態度とは異なる探るような口調でそう言った。
「ランバート・ジョシュアという人に会った。」
そう言うと横澤が目を丸くした。
そう、家に戻ってから俺はランディさんの経歴を調べて、そのすばらしさに驚いたのだった。
基本、取り立てて命の危険のない場所でひたすらチャンスを待ちながら動物や植物の撮影をしている俺には、命を失う可能性のある戦場での撮影というのは想像だに出来ない。
そんな中で、ランバートさんは大きな賞を何度も取っている歴戦の勇者だった。
横澤はモデルをしているものの、もともとジャーナリスト志望で、報道にはシンパシーを持っている。
知っているだろうか?と思っていたがやはりそうだったようだ。
「どんな人だった?」
強い興味があるらしい横澤が続きを催促するように言うので
「とても穏やかな人だった。」
と、日に焼けた肌に銀に近い金髪の笑顔を思い出して言った。
日に焼けた肌に銀に近い金髪のあの顔を思い出して言った。
「でも、本当はとても強い人なんだろうなとも思った。」
俺の感想そのままに言うと、横澤は続けて
「じやあブラッディーローラちやんも会ったのか?」
と言った。
「え?なにそれ。」
「会わなかったのか?」
横澤が言っているのは律のことだろう。
どう答えようかと思う前に横澤の発した言葉に少し引っかかりを持った。
「ブラッディってなんだ?」
「何年か前だけどさ、父親のランディ氏と仕事で戦地に行って、美人のローラちやんがレイプされそうになって、相手の野良兵士を撃ち殺したつて有名な話だ。」
「撃ち殺した?」
ぞわりと背筋に鳥肌が立つ。
それはあの律なのだろうか?
「まあ裏の話だけどな。いいとおもわね?美人と銃。」
横澤が悪いわけではない。あくまでもこれは噂だ。
でもそれは俺にとって、神経を逆なでされるような話だった。
「なんか勘違いしてるみたいだけどさ、ローラって男だったけど。」
「はあ!?」
「噂話を鵜呑みにしてんじやねーよ。」
俺は横澤が言ったことにイラついて、飲んでいた茶をダンとテーブルに置いて立ち上がった。
律が人を撃ち殺すわけない!
心の中でそう叫んでいる自分をいさめるのに精いっぱいで、その上また思考をぐるぐると巡らせるのだった。