オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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 いったいn番煎じの設定かはわかりません。
 が、前作の後日談で予告した通り、投稿いたします。

※諸注意※
 基本設定は書籍やWebを参考にしております。
 オリジナル主人公・オリキャラ・独自設定が出てきます。
 舞台については、原作から100年ほど未来を想定しています。
 アインズ・ウール・ゴウン魔導国に大陸が支配されております。
 原作キャラとの「敵対」関係。
 これらを苦手と感じられる方は、くれぐれも、ご注意ください。



序章 Prologue
復讐の終わりと始まり


/End and beginning of the Revenge

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 DMMO-RPG〈Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game〉

 

 

 YGGDRASIL(ユグドラシル)

 

 

 西暦2126年──今から十二年前──に発売された、仮想世界体験型ゲームタイトルの一つ。

 当時としては破格とも呼べる「プレイヤーの自由度」で人気を博し、国内においてはDMMO-RPG=YGGDRASILと評されるほどの知名度を誇っていた。

 しかし、今は2138年。サービス開始から十二年も経てば人気は下火となり、数多(あまた)のDMMO-RPGと同様の運命を辿ることに、相成った。

 

 

 

 

 

 サービス終了の時を迎えたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 そのギルドマスターにして、事実上唯一のギルド構成員である堕天使という異形種――良く日に焼けた普通の人間のような外装の種族、黒い鎧や足甲などを装備したユグドラシルのプレイヤー・カワウソは、ギルド長専用の重厚な椅子に深く体を預け、一つのムービーを見つめながら、その時を待っていた。

 視聴しているのは、ナザリック地下大墳墓攻略時に撮られた動画(ムービー)データ。

 その中で戦う、旧ギルドメンバー……“世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)”……カワウソのかつての仲間たちの姿。ナザリック攻略に参加した、弱小ギルドのプレイヤーたちだ。

 とある事情により、自分(カワウソ)は第三階層で脱落せざるを得なかった為、この動画の中には映っていない。

 しかし、もはやその映像は、自分自身の記憶や経験といっても差し支えないほど彼の脳裏に、深く刻み込まれている。呟く声には、怨念じみた暗さは薄く、むしろ手慣れたような馴染み深い雰囲気、軽妙と言ってよい明るさが(うかが)い知れた。

 

「何度見ても、チート……反則だろう、これ」

 

 映し出された場面は、ナザリック地下大墳墓・第八階層。

 第一から第七階層まで多様かつ多彩な装いをして、見る者を驚愕させ詠嘆させていたことが信じられないくらいに何もない「荒野」のフィールドが、プレイヤーたちの目の前に広がっていた。

 

 だが、ここは悪名高き当時の十大ギルドの一角──アインズ・ウール・ゴウンの拠点の最奥。

 何もないはずのない、広大なフィールドに、当然のごとく現れた、少女とあれら(・・・)

 そして、程なくして、あの惨劇が、幕を開けたのだ。

 

 動画に映っているのは、1000人近いプレイヤーたちが、ダンプカーに吹き飛ばされる蟻のごとく脱落していく瞬間。

 あそこに映る一人一人のレベルが最大Lv.100であることが信じられないほど、その様は異端的に思える。

 挑んでは潰され、逃げようとすれば砕かれ、防ごうとしたら流され燃やされ、諦めたら諦めたで死の鉄槌が容赦なく呵責なく降り注ぎ降り注ぎ降り注ぐ。

 まるで、路上で踏まれ死にいく虫のようではないか。

 この蹂躙劇によって、ナザリック地下大墳墓の攻略は完全な失敗を遂げ、動画を視聴した多くのプレイヤーから、抗議メールがパンクするほどに運営へ送り付けられたという。

 しかし、運営はプレイヤーたちの抗議を徹底的に退けた。

 声明文はこうだ。

 

 

 

《ギルド:アインズ・ウール・ゴウン(以下、当ギルド)に違法処理を働いた形跡は見られず、そのギルド拠点の運用においても、特に問題視すべき点は見受けられない。当ギルドの行ったと言われるチート行為と評される事象は、すべてギルド運営要件の範疇に収まるものであり、運営がこの案件について、当ギルドへと直接介入すべき点は、一切確認できない……》

 

 

 

 端的に言えば「あいつら、チート使ってないから文句言うな」である。

 しかしながら、ほとんどのプレイヤーには納得がいくはずがなかった。

 再三にわたる調査要求やギルド凍結の嘆願が届けられるようになりはしたが、やはり運営は、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに裁きを下すようなことはなかったのだ。あれは、チートではなかったのだ、と。

 そんな情報を鵜呑みにするほど、プレイヤーたちは従容とした存在ではない。

 いくら相手がそれなりの世界級(ワールド)アイテムを保持している、当時のギルドランキング第九位を誇る最高峰のギルドであろうとも、あんな暴力と破壊の顕現を、たった四十一人程度のギルドで実現できるはずがない。侵攻した討伐隊にも、世界級アイテム保持者がいた(そう、過去形である)のだ。その程度のアドバンテージで、あんな反則じみたことが可能になるはずがない。

 それでも、アインズ・ウール・ゴウンは潔白であるという見解を、運営はついに覆すことはなかった。

 

「まったく。本当にチートじゃないのかよ、これ?」

 

 第八階層のあれら(名称不明なため、ネット上では便宜的にこのような呼ばれ方をしている)と、あれらと共に共闘する一人の紅い髪の少女。

 それらの防衛網をかいくぐり、どうにか次の階層へと逃げ延びようとした集団を待ち構えるかのように現れたのは、枯れた樹のような翼を生やした、胚子じみた奇怪な天使。

 それを殺して──殺せて──しまったことで発動した、強力無比な足止めスキル。

 完全に身動きが取れなくなったプレイヤーたちの前に現れたのは、多くの異形種プレイヤーを従えた、強大な力を持つ骸骨の魔法使いの姿。

 死の支配者(オーバーロード)────ギルド長・モモンガ。

 彼が発動させたと思われる世界級(ワールド)アイテムの輝きが荒野を覆った瞬間に見せた、あれらの変貌。

 変貌したあれらが繰り広げた暴虐の果てに、1000人規模のプレイヤーたちは、一人残らず討ち果たされていく。

 その中には当然、自分の仲間たちも。

 

「……はぁ」

 

 画面をクリックし、動画を一時停止させる。

 すべては過去の泡沫(うたかた)。ほんの一夜の悪夢。

 過ぎ去ってしまえば、何もかもが懐かしく、輝いて見えるようだ。

 

「今日で、終わり、か……」

 

 結局、あのギルドを再攻略しようというものは現れなかった。否、自分と同じように、少数精鋭で果敢に挑みかかる手勢もなくはなかったのだろうが、ついぞ噂の端にも聞くことはなかった。

 当然と言えば当然か。1500人に及ぶ討伐隊が全滅した事実を思えば、あんなギルドに戦いを挑むなど、自殺志願者のそれである。

 そして自分は、そんな自殺志願者の一人だった。

 

「楽しかったなぁ……本当に」

 

 悪夢の光景を脳内から払拭したカワウソの胸に去来するのは、かつての仲間たちとの思い出。

 誰もいない大理石の(テーブル)。空いている席の数は、十二。

 座するプレイヤーは、自分ひとり。

 かつての仲間たちとの思い出の再現。いたたまれないほど空虚で広大な空間の中に、自分が創り上げたNPCが二十二体と四匹が並んでいる。これが、ギルド“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”が保有する全戦力、拠点合計レベルは1350となる「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」の中に配置された従僕たちだ。

 そのほとんどは天使種族で構築されていたが、とある目的というか理由のため、他にも多種多様な種族と職業で編成されており、一個のチームと考えると、穴という穴、欠点と呼べる欠点の見つからない、身内贔屓を考慮したとしても他のありようが想像できないほど、最高な構成で成り立っていた。

 我知らず笑ってしまった。

 何とも実に馬鹿げている。

 拠点NPCは、外で活動する機能など与えられていない。彼女たちはあくまで、ナザリックに挑むにはどうしたらよいか、あの第八階層を突破するにはどのような編成チームで挑むのが最適解なのかをシミュレーションするための実験にすぎない。

 

 

 そうして気づかされたのだ。

 あの第八階層は、通常のプレイヤーたちでは、事実上攻略不能なのだという、事実を。

 

 

 そして、カワウソもまた、あのナザリック地下大墳墓に、あのアインズ・ウール・ゴウンに戦いを挑み打倒すべく、純粋な天使種族から「堕天使」へと転生・降格を果たし、それまでの職業編成も出来る限り実戦仕様(ガチビルド)に組み直したのだ。

 ……そうまでして、ナザリックに再挑戦しようとした自分の気持ちを思うと、笑うに笑えないわけで。

 

「うん。そうだな」

 

 ふと、カワウソはサービス終了までの退屈しのぎ──ムービー視聴の休憩時間に、彼らをより相応(ふさわ)しい姿勢にすることを思いついた。せっかく此処に全員を集めたのだ。最後くらい、NPC全員の名を呼ぶのも悪くない。

 命令コマンドを「平伏する」ように設定して、先頭から、創造した順番に、その名を呼ぶ。

 

「ミカ」

 

 黄金の鎧に身を包み、剣の柄を握った光の騎士とも呼ぶべき容姿端麗な女天使が、名を呼ばれたことで命令を受諾し、平伏(ひれふ)すように膝を折った。

 身に着ける鎧よりも輝いて見える金糸の髪を腰まで流し、空色に輝く瞳を伏せた瞼はきめ細かい肌艶を(まと)って煌いている。慎ましく膨れた胸に、僅かばかりの女の隆起を施した姿であるが、その怜悧な面差しは天使というよりも復讐の女神を思わせる。冷酷な感情と厳正な人格とを秘しているようで、製作したカワウソも凄まじい出来栄えだと自負せざるを得ない。

 最初に創った、カワウソ製作の第一のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)は、自分と同じ聖騎士の職業を中心としたレベル構成をしており、ギルド長の“右腕”として機能するだけの実力を備えている。普段は他のNPCがこの階層よりも下層階で巡回警護を行っているのに対し、彼女だけは、常にこのギルドの中枢部に待機させているのは、何とも勿体ない使い方だろう。と言っても、こんな城砦とは名ばかりの穴倉(あなぐら)の中に侵攻してくるプレイヤーなんて皆無だったわけだし、最終日の今となってはどうでもいい反省であった。

 思い、彼女の設定をコンソールで確かめる。

 種族や属性、職業や保有スキルなどを読み飛ばし、彼女の根幹をなす文書データを閲覧する。

 

 

 

『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。』

 

 

 

 ……うん。一文目から酷いな、これは。

 思わず吹き出してしまいそうになる。我がことながら、昔の自分は随分とひねたことをやったものだ。

 だが、それすらも今は懐かしい。

 設定データの閲覧画面を排除(シャットアウト)し、カワウソは続けざまに、従僕(しもべ)たちの名を呼びつけていく。

 

「ガブ」

 

 黒褐色の肌に微笑の浮かぶ聖女が、

 

「ラファ」

 

 厳格ながらも優しい表情の牧人が、

 

「ウリ」

 

 炎纏う杖を握る片眼鏡(モノクル)の魔術師が、

 

「イズラ」

 

 漆黒の外套に総身を包んだ暗殺者が、

 

「イスラ」

 

 純白の衣で全身を覆い尽くす治療師が、

 

「ウォフ」

 

 六つの宝玉を首に下げ槌矛(メイス)持つ巨兵が、

 

「タイシャ」

 

 雷霆を表す独鈷(どっこ)を手に握った偉丈夫が、

 

「ナタ」

 

 数多の剣装を与えられた幼い少年兵が、

 

「マアト」

 

 腕と翼が同化している褐色黒髪の娘が、

 

「アプサラス」

 

 妖艶な衣装に身を包む翠髪の踊り子が、

 

「クピド」

 

 銃火器(マシンガン)を肩に担ぐグラサンと翼の赤子が、

 

 それぞれの体格や装備、設定を反映するような仕草で、十二人のNPC全員が、ギルドの主である堕天使の前に頭を差し出す。

 

「それから──シシに、コマに、イナリに、シーサー」

 

 名を呼ばれた四匹の獣──現実世界でいうところのフェレットのように、細く小さい体躯をしている──が、光を反射させて輝く床面に身体を伏せる。

 そして、Lv.1の堕天使と精霊が各五体ずつの計十体。彼女たちも名を呼べば淀みなく、無言で敬服の姿勢をとっていく。

 この程度の数ならば、コンソールを開いて確かめるまでもなく名は把握している。

 自分が一人で創り上げたものなのだから、当然と言えば当然か。

 それに、彼らの一部にはそれぞれ、かつてのギルメンたちの遺品──武器や防具を装備させ、当時の思い出を風化させないように気を配ってきた。忘れることなどできるはずもない。

 

「はぁ……」

 

 時間を確認する。

 再び、動画を再生する。

 あの場面が映るのを、見る。

 かつてのギルド長、“聖騎士の王”(ギルド内での通称であり、厳密にはそのような職業にはついていなかった)として君臨していた彼女が、あれらに蹂躙され、呆気なく脱落する場面を。

 

 その瞬間、無残にも砕け破壊された、ギルド武器──ギルドの証を。

 

 この場面だけは、何度見ても目頭が熱くなってしまう。

 カワウソはその光景をまっすぐに見つめ、吐き捨てた。

 

「……バカが」

 

 思えば、ここからカワウソの受難は始まったようなものだ。

 

 自分の頭上に輝く『敗者の烙印』を眺める。

 

 そこにはまるで赤黒い、天使の輪のように見える──天使の輪は、「堕天使」の種族を取得している自分には本来発生しない。この輪は装備品でしかない──ものがあり、それに被さるように、赤く明滅する“×印”が施されている。この“×印”こそが『敗者の烙印』と呼ばれるキャラクターエフェクトであり、傍目(はため)に見るとこの状態は、×部分の異様に大きな警察署の地図記号が頭の上に浮かんでいるように見えるかもしれない。

 

 そう。

『烙印』とはその名の通り、これ以上ないほど不名誉な証明に他ならない。

 

 ギルド武器を破壊されたことでギルド崩壊を経験したものに与えられる『敗者の烙印』は、崩壊したギルドメンバー全員でギルドを再結成するか、キャラクターアカウントを完全削除しない限り、永遠にプレイヤーの頭上に輝き続ける仕様になっている。

 ──そうだ。

 カワウソのかつての仲間たちは、カワウソを一人置いて、このゲームから引退した。

 いや、実際には、逃げ出したのだ。

 いくらギルドの再結成を唱えても、アインズ・ウール・ゴウンに再攻略を挑もうと叫んでも、誰一人として賛同などしてくれなかった……否、それ以前の問題だった。ギルドマスターである彼女を含め、半数以上のギルメンたちは、カワウソに何も告げることなくユグドラシルからアカウントを削除して辞めていった。メールにもまったく反応してくれなかったのだ。

 残されたカワウソ以外のメンバーは、予備のギルド拠点として攻略を保留していた城砦拠点(ギルドはシステム上、複数個の拠点を保有できない。攻略を保留していたのには理由がある)を共に攻略し、カワウソにその使用権を与え、自分の装備やアイテム、金貨を譲り渡し、このユグドラシルというゲームから立ち去って行った。

 彼らへの感情は、今もなお、カワウソの精神を嬲り者にするほど複雑なものであった。

 

 

 

 ゲームにマジになってどうする?

 

 

 

 そう言い残して辞めていったメンバーの一人を、カワウソは否定しない。彼らの言い分は至極当然なものだし、現実的に考えていけば、ただの遊びに本気を出しても見返りとなるものなど、ないに等しい。

 見返りなんて期待していない。

 楽しめさえすればそれでいい。

 そんな気持ちを誰もが抱いて、このゲームを遊んできたのだろう。

 少なくとも自分は、そう思って続けてきた。たとえ、仲間を失い、一人で孤独に戦い続けることになろうとも。

 たった一人で、あのアインズ・ウール・ゴウンに挑んできた。

 だが、そんな日々も終わる。

 あと、十分もしないうちに。

 

「……過去の遺物ですらない」

 

 苦笑と共に、頭上を眺める。

 アインズ・ウール・ゴウンに挑戦しようとゲームを続けたカワウソは、とある一つの世界級(ワールド)アイテムを確保することができた。

 しかしながら、その情報をネットに拡散するような愚は(おか)さなかった。(おか)せなかった。

「情報は力」という以前に、こんな世界級(ワールド)アイテムがあることなど、予想すらしていなかった。

 その発見者になったところで、恥の上塗りになるしかないと目に見えている。

 第一、こんなものを確保したところで、あのアインズ・ウール・ゴウンの本拠地、ナザリック地下大墳墓の攻略にはまったく通用しない。いっそのこと、超位魔法〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉並みの火力があれば、あの墳墓の一階層くらい吹き飛ばすことも出来るのだろうが、このアイテムにはそんな効力は秘されていない。

 故に、誰もカワウソのことなど知らない。

 かつてのギルメンたちも、自分がこんな穴倉のような拠点で、こんなNPCに囲まれながらゲームを続けているなどとは、夢にも思っていないだろう。

 いいや。

 すでに記憶の端にすら残っていないのかもしれない。

 最終日ということで、かつての仲間たちに送ったメールは、ただの一つも返信されなかった。というか、まともにメールを送れたのは、一人しかいなかったのだが。

 

「あぁあー……」

 

 最後くらい、本当に最後の最後くらい、もう一度あのギルドに、アインズ・ウール・ゴウンに挑戦してみてもよかったかもしれないと、今になって考える。さすがにこの時間から赴いた所で意味はない。攻略どころか表層の墳墓、というか、ヘルヘイムのグレンベラ沼地にすら到達できまい。

 カワウソは未練を断ち切るように、真っ黒な動画画面を追い払うようにシャットアウトする。

 インターフェイスの一つである時刻を確かめる。

 

 23:57:28

 

 0時まで、もう残り時間は三分を切った。

 きっと今頃ひっきりなしにゲームマスターの呼びかけが行われ、終了を記念する花火大会などが行われたりしているのだろう。そういったすべてを遮断してしまっているカワウソには、関係ないことであるが。

 この×印──『敗者の烙印』がある以上、自分は他のプレイヤーの輪の中には溶け込めない。恥さらしと後ろ指を差され、嘲笑されるのは目に見えているし、実際そういった目には何度も遭っている。

 カワウソは改めて、自分が一人で作ったギルドを、かつてギルメンたちと共に創り上げたものに似せた、「かつての栄光の再現」でしかないモノを、眺めた。円卓の間の外を映し出す窓は、薄いレースカーテンの向こうに夜の(とばり)を映し出し、その向こうからは(かす)かな波の音が。

 いよいよ、お別れだ。

 

「楽しかったなぁ……本当に」

 

 こんな末期状態のゲームではあったが、ギルメンたちとの思い出は、鮮烈に、鮮明に、この脳裏に思い出すことが出来る。ギルド武器の製造について話し合った。素材集めの予定合わせや狩場の選択でもめにもめた。武器に込める魔法では、とんでもないアイデアをギルマスの彼女から出された時は、満場一致で可決された。

 現実世界に家族も友達も恋人もいないカワウソにとっては、彼らとの時間は、宝物のように感じられた。

 ギルド離散後は、自分やこのギルドを強化するのに、月額利用料金無料にもかかわらず、給料の三分の一を毎月のように課金していた。ボーナスをすべてレアガチャにつぎ込むこともあった。それくらいにのめり込んだ。はまり込んだ。

 こんなにも楽しいことは、二十年以上の人生の中ではじめてのことだ。

 それも、もう終わる。

 再び時刻を確認する。

 

 23:59:03

 

 サーバー停止は0:00。残り一分もなくなった。

 幻想の時は終わりを告げ、現実の日々に戻される。

 当たり前と言えば当たり前だ。人は幻想の世界では生きられないのだから。

 カワウソは、最後の瞬間を噛み締めるように顎を引く。

 明日は四時起きだ。サーバーが落ちたらすぐに寝ないと、仕事に差し支えてしまう。

 見渡せるギルド内の光景に、誰もいない孤独な空間に、彼は胸の中で別れを告げた。

 そうして、時刻を数える。

 

 23:59:55 ── 56 ── 57 ── 58 ── 59 ──

 

 瞼を下した、瞬間……幻想が終わりを迎える、刹那……何もかもがブラックアウトし……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 0:00:00

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んん?」

 

 瞼を開けてみて、その意外な光景に目を(みは)る。

 どうしたことかと、カワウソは視界を見渡す。

 ここはユグドラシルだ。自分の部屋ではない。

 一部を除いて、視界に映るのはゲームの中の光景のままであった。

 カワウソは視線を彷徨(さまよ)わせる。

 マップやタイムログ、他の様々なインターフェイスが視界から消失していた。

 あの忌まわしい『敗者の烙印』までも消え失せている。装備品であるアイテムの赤黒い輪っかだけが、頭上で重く輝き回っているのは変わらない。

 ここはどうみても仮想現実空間のままだ。煌びやかな拠点の最奥。平伏しているNPCたち。

 サーバーダウンで強制排除されるはずが、自分はどうしてゲーム空間の中に残っているのか。

 拠点内装の、古い美術品のような仕掛時計、その時を刻む秒針を確認する。

 少なくとも0時を過ぎていることは確実。

 サーバーダウンが、延期になった? それとも、ロスタイムでも発生したか?

 そう思い、指先で宙を幾度となく叩いてもコンソール──プレイヤーがゲームシステムにアクセスするためのキーボード──が出ない。コンソールを用いない強制アクセスやチャット機能、GMコールも通じない。これでは何もできはしない。

 

「なんだ? なにが起きている?」

 

 困惑が声となってこぼれた。

 カワウソは首をひねる。最終手段の強制退去(ログアウト)も試してみたが、世界は依然としてゲームのままだ。

 堕天使は皮肉をたっぷり込めながら頬を緩める。思わず首を横に振っていた。

 サービス終了という最後の最後で……このような失態をやらかすとは。

 いくら末期状態の運営だからといっても、せめて、こんな時ぐらいはしっかりしてもらいたい。

 だが、これも悪くないか。

 誰にだって失敗はある。あの糞運営に対し、今更期待することなどありはしない。

 いや、それとも、まさか──YGGDRASILver.2ということも、ありえるだろうか?

 であるなら、何かしらの通知なり情報なりが入ってきてもよさそうなものだが……

 

「──どうかなさいやがりましたか、カワウソ様?」

 

 首を傾げ黙考していたカワウソの意識に、ありえざる声がかかってくる。

 誰だ? 何だ? ここには、自分以外のプレイヤーなどいないはずだが?

 

「返事をしたらどうですか──カワウソ様」

 

 様付けの割に、辛辣(しんらつ)な毒舌口調。初対面にしては無礼極まる行為だが、何故かしら耳に心地良いのは、その声は玲瓏(れいろう)な女性の調べを宿していたからだ。

 しかし。

 ますます分からない。

 この声は何処から、誰から発せられているのだ?

 カワウソは周囲を見渡した。そして、視線が合った。合ってしまった。

 

「な……に……?」

「カワウソ様?」

 

 呆気に取られ、その女を──NPCたちの長である彼女を見つめる。

 黄金の鎧を纏った女天使──ミカの瞳が、カワウソを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平伏し続けていたはずのNPCの一人が──否、ほとんどすべてのNPCが、その顔をカワウソが見えるように上げている。視線が合ったのはそのせいだ。

 いいや待て。

 おかしいぞ。

 何故、こいつらは顔を上げている?

 俺はそんな命令、出していないぞ?

 混乱の極みにあるカワウソを、さらに困惑させる動作をNPCが取り始める。

 

「な……に……とは、随分な言いザマですね。人がせっかく心配してやっているというのに」

 

 輝く金色の輪を頭上に戴く女天使の毒舌が鋭さを増した。

 怜悧な眼光はまるで射抜くようにカワウソの双眸(そうぼう)を見つめ返していて、カワウソの知っているNPCのありさまからはかけ離れているようだった。

 そんなNPCの(おさ)の言動に釣られるように、他の者たちも口を開き(・・・・)、声をあげ始める。

 

「ちょっと、ミカ。その毒舌は止めなさいな。主様(あるじさま)に失礼でしょう?」

「ガブ、言葉を慎むべきは君の方だよ。我らが隊長の口調は、我が(しゅ)より決められた定めなのだから」

「まぁまぁ、二人とも。君らが争うなんて、無意味なことこの上ないですよ?」

「ウリ殿。そうは言っても、彼らの仲が悪いのも、定めと言えば定めであれば」

「────イズラの言う通り」

「おーい、皆ー。今は平伏中だぞー?」

「貴殿ら。少しは私語を慎むべきだ」

「だがウォフ!! それにタイシャ!! 師父(スース)の様子は明らかにおかしいと思われますが!!」

「そ……それでも、勝手に喋るのは、その、まずいと思う……よ? ナタ君?」

「マアトの言うことも一理あるわね♪」

「フクク、少し黙ってろ、貴様らぁ。御主人(ごしゅじん)が何か言いたそうにしているぞぅ?」

 

 Lv.100のNPCたちが声を発し、互いが互いに言葉を掛け合って会話している。

 待てよ、おい……会話だと?

 ユグドラシルのギルド作成NPCに、そんな芸当は出来ない。否、その真似事をプログラムすることは出来るが、少なくともこんな流暢に話し合えるようなマクロは存在しない。第一、製作者本人であるカワウソに、そこまでの技能は存在しないのだ。カワウソの技術は、せいぜいキャラクターなどのグラフィックをいじり倒すのが上手い程度。彼らに組み込んだプログラムは、ユグドラシルで流通していた必要最低限な代物。であるなら、彼らの行動は明らかに異常でしかない。

 

「どう、いう、ことだ……これは」

 

 彼らだけではない。他に控えているLv.35の動像獣(アニマル・ゴーレム)四体と、メイド姿の堕天使や精霊たちも困惑したようにギルド長へ、カワウソの方へ、視線を投げていた。

 何が起きているのか理解できない。理解なんてできるはずがない。

 

「本当に、どうかしやがったんですか?」

「だからミカ。こんな時ぐらい、少しは口を汚くするのをやめ」

「っ、ちょっと、黙ってろ!」

 

 あまりにも混乱し過ぎてしまい、カワウソは大声で怒鳴り散らしていた。

 

「申し訳ありません」

 

 二人の女天使は顔を伏せて謝罪の言葉を連ねていく。周りのNPCたちもそれに(なら)うかのように視線を床に落とした。その綺麗に整えられた反応も、カワウソには恐ろしかった。

 彼女たちと、会話している。

 会話が、成立してしまった。

 カワウソは「ちょっと、黙ってろ」というコマンドは組んでいない。

 だが、彼女たちは一様に、その意味するところを理解し、その命令を遵守する。

 ありえない。

 こんなこと、ありえない。

 ありえていいことでは…………ない。

 恐ろしくなって、カワウソは部屋の外へ通じる転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)に視線を走らせた。

 鏡に映っているのは、人間種の外装と酷似した異形種──「堕天使」の青年だ。

 ユグドラシルで遊んでいた自分の姿は、表情を蒼白なものに変えて、鏡の中に映る己を一心に見つめている。

 

 ……表情?

 

 目を見開いたカワウソは、更なる異常事態に気付いて椅子を蹴り立ち上がる。鏡に向かって突き進む主の姿に、NPCの視線がまた集中するが、今は知ったことではない。

 ユグドラシル内で活動していく上でPC(プレイヤーキャラクター)というのは、ある程度まで外装をいじることができる。しかしながら、異形種であるプレイヤーに関しては例外が発生する。醜い容姿をしている種族設定のキャラになることを選んだプレイヤーは、人間の価値判断に照らして美しいといえる容姿に改造することはできないのだ(NPCに関しては、このルールからはほぼ除外される)。カワウソが転生・降格を経て獲得した「堕天使」という種族は設定として、異形種の中ではそれなりに人間らしい平均的な造形を備えていたが、その狂相じみた面貌──三白眼の気がある濁った瞳に、髑髏(どくろ)の眼窩を思わせるほど醜悪で不健康な“(くま)”──や、何より異形種の中では最弱的なまでの能力値(ステータス)の低さ……種族的な特性の不利が多すぎる点から、あまり人気なキャラクターではなかった。そんな不利を被るぐらいなら、いっそのこと人間種になって職業レベルをカンストさせたり、悪魔などの他の種族を取得して外装をいじり倒したりした方が、効率が良かったくらいと言えばわかるだろうか。

 

「なんだ、これは……!」

 

 そして、

 ここからが重要なのだが、

 ユグドラシルにおいてプレイヤーの表情は絶対に変わらない。

 人間種や亜人種の外装であろうとも、これはほぼ同じだ。表情を各プレイヤーのアバターごとに標準実装することは技術的に無理があり、各プレイヤーがそこまで改造する(やりこむ)意味は薄い上、ゲームをプレイする上での利点が皆無なのだ。

 プレイヤーの心情を表すための感情(エモーション)アイコン──キャラの頭上に浮かぶもの──は実装されていたが、今カワウソが鏡の中で見定めている自分のような顔面の変化は起こらなかったはず。アイコンだと喜怒哀楽とその他程度しかなかった。だが、鏡に映る自分のキャラクターとしての顔面は、本当の自分の顔のようにしか思えないほどに、恐怖と混乱と焦燥などの感情に震え、引き()っている。その変化ぶりは、千差万別と言ってもよい。掌で覆った頬の動く感触までも精巧の一言に尽きる。その触覚にしても、ユグドラシルではここまで現実的ではなかったはず。

 

「どう、して……こんな……」

 

 無論、この堕天使の顔というのは、カワウソの本当の顔ではない。現実の自分は二十代後半ながら、白髪ばかりの、悪く言えば老人めいた男だった。この目の前にある、浅黒い肌の青年では──黒髪一色の男では──なかった。この顔は、ユグドラシルに存在する画一された堕天使の表装を流用したもの。課金などによって改造され、完全に他の堕天使と同一ではなくなっているが、現実の自分に似せて楽しめるほど、カワウソというプレイヤーは自己愛(ナルシズム)の強い人間ではない。

 

「何か、問題でもあったんですか?」

 

 心配して駆け寄ってきたのだろう鎧の女天使を振り返る。

 彼女の行動と言葉は、心からギルド長であり製作者であるカワウソを案じてのものだと理解する。

 だからこそ、理解できない。

 何故、NPCに──ノンプレイヤーキャラクターに──ただのゲームデータの集合体に──こんなことができるのだ。

 

「おまえたち……何が、どう、なっている?」

 

 ()いても、ミカは何のことかわからずに仲間のNPCたちを振り返った。

 彼女らもまた、カワウソの問いかけに疑問符を浮かべている。

 

「何があったんです? はっきり言ってもらわないと、こっちは迷惑なんですけど?」

「わからない、のか?」

 

 (いな)。わからない方が自然なのかもしれない。

 彼女たちはゲームの外の世界など知らない存在。プレイヤーであるカワウソのように、ゲームと現実(リアル)の違いなんてものを検分検証するようなことなど不可能なことだろう。

 ここが、此処(ここ)こそが、彼女たちにとっての現実であり、彼女たちだけの世界なのだとすれば、わからないという方がむしろ現実じみた気がする。

 とにかく、もっと確認しておく必要がある。

 確認せねばならないことが、ある。

 

「ミカ。俺の、(そば)へ」

「……了解」

 

 かすれた声に応じた天使は、一歩前に踏み出し、カワウソに触れられる位置につく。

 彼女は毒舌家ではあるようだが、製造者の命令には従ってくれるらしい。

「俺の傍へ」とはカワウソが設定したコマンドだ。返事をするようなことはゲームではあり得なかったはずなのだが、次で確定的になる。

 

「手を出してくれ。右手の装備、籠手(こて)は、外してだ」

 

 (いぶか)しむミカは面倒くさげに装備されている籠手を外して、右手を差し出してくる。

「手を出してくれ」というのはコマンドにはない命令だった。あまりにも細分化され過ぎている命令を組めるほど、カワウソはマクロに通じてはいないし、そういうツテもコネも金もなかった。さらに言うと、NPCの装備というものは、プレイヤーの手によって脱着されるものであり、彼女(NPC)個人で取り外せる仕様ではなかったはず。だが、ミカは自分で装備を外せた。これらが意味することとは。

 ……とにかく、確認することが第一だ。

 何はともあれ、女の手に触れる。

 より正確には、その細い手首に。

 人間と同じ健康的な肌の色の下で、生物の鼓動がトクントクンと脈を打っていた。体温もしっかり感じ取れる。無論、こんな現象はユグドラシルには存在しない。存在する意味がない。

 この脈動と温度が意味すること──彼女は、生きている。

 他のNPCもそうだとしたら、これは一体どういうことなのか。

 カワウソはミカの手を解放し、咄嗟に自分の首筋へ震えっぱなしの手を伸ばす。

 そこに脈と熱があるのは勿論、掌にべったりと張り付いていたのは、汗の雫だ。

 ユグドラシルには疲労という状態異常は存在したが、こんな風にプレイヤーが発汗するような仕様ではなかった。せいぜい汗を流す感情アイコンが出てくる程度。喉を生唾が嚥下していく。これもまた、ユグドラシルではありえない生体反応。

 

「ひぅ……う、あっ!」

 

 あまりのショックに口を手で覆った。短く小さい嗚咽が、ひっきりなしに喉を滑る。

 荒い呼吸と嘔吐感に襲われ、立っていられなくなる。こんな感覚もユグドラシルなら存在しない。存在しなかったはずだ。膝を床に強く打ちつける。そのまま倒れ伏してしまいたくなるほどの寒気が、背中を突き刺し、腹から飛び出し、口腔の奥底から何かをブチ撒けてしまいそうになる。全身が痙攣にも似た震えに支配された。

 

「……おい、どうかしやがりましたか?」

 

 女天使の声を無視して、熱くなる瞼を閉ざす。

 祈るような気持ちで早鐘を打つ胸に片手を伸ばした。

 その鼓動の早さと呼吸の苦しさまでもが、気色悪いほどに現実的で、

 

「お、う、あ……あ………………、あ、あれ?」

 

 瞬間、

 何故だか急に、心が安らぐ。ミカの手が触れた肩先から、何か暖かなものが心臓に流れ込んでくるような気がする。

 

「カワウソ、様?」

 

 いきなり思考が冷却されて若干以上に戸惑いつつも、カワウソは姿勢を正した。

 

「……おまえたちに、聞きたい……ここは、……何だ?」

 

 主人の言葉にミカは手を添えたまま首を傾げ、事もなげに言い放つ。

 

「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)、でありますが?」

「いや。ギルドの拠点名じゃなくてな……」

 

 何と言えばいいのだろう。

 ギルドの外の地名か?

 それとも九つある世界の内のひとつの名か?

 どれも違う気がする。

 というか、このギルドの外というのは、本当に自分の知っているゲーム(せかい)なのか?

 考えただけでおぞましい仮説に身を震わせながら、カワウソは疑問をNPCたちにぶつける。

 

「誰も、気づいていないんだな?」

 

 疑問にはやはり、誰一人として答えられなかった。ミカも困惑を深めた、険のある眼差しで見据えてくるだけに終わる。

 意を決し、カワウソは立ち上がる。鏡の前に向き直った。

 

「外に、出る」

「狩りですか?」

 

 装備を右手に着け直した天使が問いかけた。

 カワウソは簡潔に応じる。

 

「確かめたいことが、ある。とりあえず全員、転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)の前に」

 

 打てば鳴るかのように、すべてのNPCが、カワウソの命令を順守した。

 この最上階層には、下の階層へ続く鏡――転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)が存在する。

 鏡は高さ三メートル、幅一メートルもある大きさだ。

 ホームポイント……ユグドラシルにIN(イン)した際に、プレイヤーが必然的に出現する仕様になる登録地点のギルド拠点内部に(しつら)えたそれは、下の階層へ至る唯一の手段であると同時に、ここから外へ──厳密には地表へ出ていくのに便利なギミックを施されている。

 鏡を支える左右二体の天使像がそれぞれ掲げ持っている鞘込めの剣を、二本とも前に傾ける。

 これで、この鏡は下の階層にではなく、外に通じる鏡と繋がるようになった……はず。

 もしかすると、転移機能は失われており、自分はこの階層に閉じ込められている可能性がチラッと頭を()ぎる。

 カワウソは熟考に熟考を重ねて、ひとまず二人のNPCに命令を出した。

 

「ミカとナタ、二人で外に出ろ。地表の様子を確認してこい。戦闘は極力避けるんだ。誰か、話の出来るものがいたら友好的にふるまえ。出来れば、ここへ連れてき……いいや、それはいい。とにかく、出来る限り、情報を集めてくれ」

「……了解」

「承知!! お任せを、師父(スース)!!」

 

 やる気なさげな返答と、元気一杯な笑みが、鏡の向こう側へ消える。命令を断られたらどうしようと身構えていたが、無駄になってくれて助かった。

 そしてどうやら、転移機能に問題はないようだ。

 しかも、NPCたちは外に出られるらしい。

 ギルド拠点のNPCは基本的に外の世界へ出ることは不可能なはずだったが、とりあえず問題はないように見受けられる。彼らが出られなければ、自分ひとりで外に向かわねばならないと思っていたから大いに安堵する。しかし、だとするとこれは、ゲームの出来事ではない、のか?

 偵察や囮役としてなら、門番の動像獣(アニマル・ゴーレム)たちや堕天使と精霊のメイドを使うのもよかったが、この外がどうなっていて、どんな存在がいるかわからない以上、こちらの最高戦力二人を出すのが適切だと判断した。(いたずら)に強力な手札を失う可能性もなくはないが、中途半端なレベルの動像獣(アニマル・ゴーレム)たちや、ギルドにおいて最弱のメイドたちでは即座の戦闘やデストラップなどに対処することは不可能なことを考えれば、他に処置がない。

 無論、カワウソがいきなり外に飛び出すのは論外だ。こんな異常事態に、外の様子も解らないまま外に飛び出たりして、何かあってはたまったもんじゃない。今の自分の感覚は、まさしく生きた感覚のそれだ。もし仮に……仮にだが、この世界が現実のもので、この体に、心臓に、何かしらのダメージを与えられたりしたらと思うと、根源的な死の恐怖を想起される。絶対に、自分がいきなり外に出ることなど出来はしなかった。

 時間にして二分ほどが経過したのを()れる思いで見計らない、カワウソは次の指示をNPCの一人に命じる。

 

「マアト、ミカに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばしてくれ。二人の状況を確認したい……出来るか?」

「か、かしこまりました」

 

 翼が腕と同化した褐色肌に黒髪の乙女に魔法を使わせる。

 自分が魔法を使う実験をするのも(やぶさ)かではないが、NPCにプレイヤーの〈伝言(メッセージ)〉が通じるとは思えなかったので、ここではあえてマアトに魔法が使えるかどうかを確かめるために使わせた。本来〈伝言(メッセージ)〉の魔法というのはプレイヤー同士が互いに連絡を取りあうための手段であり、NPCそのものに〈伝言(メッセージ)〉が使える意味などない。だが、この状況下ではNPC同士であれば〈伝言(メッセージ)〉も十全に使える公算が高いし、その後で自分も彼らと交信が可能なのか実験すればいい。カワウソは聖騎士や信仰系の職業しか修めていないため、それほど多彩かつ大量の魔法は修得していないし、さらに言うと、カワウソは〈伝言(メッセージ)〉を飛ばせるだけの親交のあるプレイヤーが、最終日の段階で存在しなかったことも理由のひとつに含まれる。

 何はともあれ、NPCはあっさりと魔法を使い、程なくして外へ出た仲間との意思疎通が可能な事実をカワウソに教えてくれた。

 

「あ、繋がりました。〈伝言(メッセージ)〉を中継しますか?」

「あ……ああ……頼む」

 

伝言(メッセージ)〉の会話は、マアトを通じて女天使の意思とカワウソたちの意識とを直結させた。

 これは、彼女が保有し発動した魔法〈全体伝言(マス・メッセージ)〉の効果によるもので、誰でも使えるものではない。ここにいる全員の耳に、外に出た彼女の声が届く。

 

『何の御用で?』

「ミカ。外の様子は?」

『これくらい、自分で確かめたらどうです?』

 

 彼女の毒舌ぶりには何故か安心してしまうが、今は他に重要なことがある。

 

「外の様子を教えろ、今すぐに」

『チッ……何もありませんね』

「何?」

『だから、何もないんですよ。ただの平野。吹きっさらしの大地。輝く月と夜空だけ』

 

 はぁ?

 何だ、それは。

 

「ちょっと待て……森は? 腐蝕姫(ふしょくひめ)黒城(くろじろ)は?

 何か、空を飛んでたり、文字が浮かんでたりとかは?」

『そんなもの、影も形もありやがりませんね。ついでにいうと、モンスターどころか小動物すら見当たらない。ひょっとすると虫一匹いないんじゃないかという感じですね、これは』

「そう、か……そうか……」

 

 頷きはしたが、まったく理解が及ばない。

 この拠点の外の世界は、ユグドラシルとは違う……のか?

 無数の可能性や疑問点が頭の中を駆け巡るが、どれもこれも情報が足りていない現状下では意味をなさないものばかりだ。

 カワウソは、決めなければならない。

 自分が一体、どうするべきなのかを。

 

「……外へ出た二人に合流する。ガブ、ラファ、ウリ──マアトの四人は俺に続け。四人とも、戦闘になった際には俺を護れ。残る全員は……この場で待機。こちらで何か緊急事態にあったら〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。わかったな?」

 

 居残り組を代表するように、巨体を屈めたウォフが、兜の奥で服従の声と笑みの気配をこぼす。

 カワウソはいつものように鏡をくぐろうとして、そこに映る自分の表情に数秒をたじろぐ。

 鏡の中にある自分の表情は、明らかな怯え。

 あの固定された、堕天使の顔など何処にもない。

 しかし、ここで躊躇しているわけにはいかないのだ。

 思い出したように、カワウソはあることを確かめておく。ゲームの時にやっていた感じを思い出しつつ、彼が手を中空に伸ばした瞬間、掌は水面に沈むように何かの中へ入り込んだ。傍で見ていると、彼の腕が中途から虚空に消えたような光景である。アイテムボックスも健在なようだ。

 アイテムボックスの中に「あるもの」があることを真っ先に確かめて、とりあえずカワウソは一本の剣を選び、それを取り出す。右手に握ったそれは、カワウソが装備する神器級(ゴッズ)アイテム、六つの内のひとつ“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”という名の聖剣だ。上位プレイヤーであれば、全身くまなく、数十単位でこれと同じ価値のアイテムを装備することも出来ると聞くが、カワウソはそこまで優秀なプレイヤーではない。自己評価としては中の中、装備と課金アイテムを充実させて尚且つ相性と運が良ければ、上の下と伍するかもぐらいか。

 アイテムボックスの存在を確認し終え、武装を整えてから、とりあえず深呼吸してみる。

 この呼吸までも、現実に行うそれと遜色がない。

 室内の静謐に磨かれた空気は、現実世界では嗅いだことのないような清らかな香りをしていた。

 二度目の深呼吸。

 目を閉じていたい衝動を何とか抑え込んで、カワウソは鏡の中心に、空いている左手を差し入れた。

 瞬間、転移の光に包まれる。

 そして気づいた時には、荒れた平野の中心、無味乾燥とした大地の上を歩いていた。

 

「お……おお……」

 

 仰ぐ中天に座す朧な月の眩しさが鮮やかだ。

 こんな光景、ゲームの中でしか見たことがない。

 

「結局、来やがったんですか?」

 

 呆れたように声をかけて来たミカ。

 月明かりに照らされたその横顔と共に、遥か彼方の遠方まで走っていくナタの姿が、かろうじて視界にとらえられた。夜の中を元気に走り回る少年兵は不用心なことこの上ないように見えるが、彼は花の動像(フラワー・ゴーレム)でありながらも卓越した戦士の技量を備えている。むしろ、いい感じに囮役をこなしていると見てもいいのかもしれない。無邪気に「誰かー!! いーまーせーんーかー!!」と声を張り上げているのも、この際かまわないだろう。

 カワウソに遅れて、四人のNPCが鏡を通ってやってくる。

 

「……何なんだ、ここは?」

 

 カワウソの口が、無意識にそう呟いていた。

 夜空と聞いて、拠点最上階層――円卓の間のある、屋敷の外の光景を思い浮かべていたのだが、やはりここはギルド拠点の外だ。

 自分が拠点としていたヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)があったフィールドは、ニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯だったはず。鬱蒼と茂った樹木が黒々と生え、数多くのモンスターが跋扈(ばっこ)していた不吉な森の様子が思い出せなくなるほど、その平野は何もなかった。あの群れ集う恐狼(ダイア・ウルフ)待ち伏せ竜(アンブッシュ・ドレイク)凶手の黒蔦(アサシン・ブラックヴァイン)夜の捩れ樹(ナイト・ツイスト)の存在は何処にもない。

 双樹に挟まれるように隠匿されていた外へ通じる転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)は、今は吹きっさらしの平野の真ん中で、ひとりぽつんと浮かび佇んでいる。

 痛いくらいの静寂が、その大地を満たしていた。

 それくらいに、何もない場所だったのだ。

 

「……マアト、この土地の名は?」

 

 分かるかどうか(たず)ねると、褐色に黒髪の娘は即座に翼の腕を大地へ伸ばす。

 翼人(バードマン)であり天使(エンジェル)でもある少女は、職業(クラス)による特殊技術(スキル)を発動させ、フィールドの名称や特性を読み取ることができた。サポート職に秀でた、この巫女にしかできない芸当である。

 NPCが特殊技術(スキル)を簡単に使えることに軽く衝撃を受けながら、カワウソは彼女の反応を待つ。

 

「あ、わかりました。この土地の名は、スレイン平野、という土地です」

 

 特別なフィールドエフェクトは存在しないと報告されたカワウソであったが、新たな疑念が沸き起こる。

 

「スレイン平野? そんな名前の土地、ユグドラシルに存在したか?」

「き、記録上には存在しません。未発見未探索のフィールドという可能性もありえますが、な、何のエフェクトもないというのは、奇妙と言えば、奇妙です」

 

 思わず呟いた主の声に、少女は答えることができた。

 ユグドラシルのゲーム上において、フィールドエフェクトは割と数多く存在するやりこみ要素の一つである。火山地帯であれば熱のダメージ、氷河地帯であれば冷気ダメージ、毒の沼地であれば毒のダメージなどのわかりやすい効果が発生する。自分がいたガルスカプ森林地帯も、「狂気(バーサク)」や「暗黒(ダークネス)」などの状態異常や、魔力消費量倍化などのマイナスエフェクトがそこいらで働いていた。ユグドラシルでそういった効果と無縁な土地は、ユグドラシル初心者が最初に必ず訪問滞在する“最初の街(ホームタウン)”や“深淵原野(アビスランド)”などだろう。プレイヤーは「はじまりの地」で、種族を選び、道具を揃え、装備を整え、レベルを上げていき、そこから広がる多くの世界に冒険の旅に出かける。訪れたフィールドの特性や効果を見極め、それに見合った道具や装備、特殊技術(スキル)や種族特性で身を守る──あるいは守らない選択をする──のは、ユグドラシル攻略においては必須事項の一つに挙げられるわけだ。

 しかし、カワウソは勿論、NPCのマアト(彼女は設定として、ユグドラシルで知悉されているフィールドはすべて記憶している。ゲーム末期に掲載されたWiki情報などをカワウソが参照した)ですら、このフィールドの存在に心当たりはない。

 ユグドラシルの仕様上、未発見のフィールドにプラスやマイナスの効果が付与されていないというのは奇怪に過ぎるし、ここが仮に「はじまりの地」にしては殺風景に過ぎる。何より低位モンスターの存在がまったくないというのは、プレイヤーがレベルを上げることに難儀してしまうではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 スレイン法国。

 かつて人間種の団結を謳い文句に、周辺諸国に覇を唱えていた宗教国家。六大神という、この地域に限定した信仰を生活基盤とし、信仰系中心ではあるが魔法詠唱者の教育や管理、戸籍謄本、古くは冒険者制度などの画期的なシステムを最初に生み出したとも言われていたらしいが、今となっては見る影もない。

 

 とある理由から、ここにあった国──神の都は、一夜にして滅んだ。

 あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王と、その守護者たちによって。

 

 それは、今となっては知る者も少ない、あのカッツェ平野の大虐殺の再現と呼ぶのも生易しい、蹂躙に次ぐ蹂躙劇であった。

 激流に飲み込まれる蟻の巣。

 獅子の親子に喰われ玩ばれる鼠。

 竜の逆鱗に触れた物語の中の愚か者。

 そんな形容の仕方ですら表現に値しないほどの惨劇──あるいは神話の進軍──によって、その国に住まう数十万の民草は、その悉くが死者の仲間入りを果たした。生き残れたものは実験材料として連行され、その行方は(よう)として知れないという噂だ。知らない方が幸福なのかも分からない。

 空が落ち、地が裂け、生きとし生ける全ての者を押し潰し踏み砕き切り刻み焼き融かし喰い殺されて……その果てに残ったのは、この荒涼とした、生命の息吹がまったく感じられない平野だけ。

 湖沼(こしょう)は干上がり、山岳(さんがく)(たいら)となり、人の跡など欠片も残らず、かつて神殿などの聖域がそこここに建立(こんりゅう)されていたとは思えない茫漠(ぼうばく)とした地平線の様が、かつての栄光を偲ぶだけである。

 この惨劇は勿論、中央諸国に見聞され、魔導国の暗部を示す風説の一環として吹聴されてきたのだが、大陸がかの王に統一統治されると共に口に出すのも(はばか)られ、今となっては人々の記憶からも消え去って久しい。

 ここは訪れる者はおろか、生命が生存するのも躊躇(ためら)われるかのように、一切の命が芽吹くことも居着くこともなく、すべての存在が亡憶の底に置き去りにした死の魔境。

 一国はおろか、世界さえも容易く破滅させ崩壊させ改変させる、魔導王の偉業の一つ。

 それが、このスレイン平野の由来である。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。

 そんなことなど知りようがないカワウソは、ここがかつて自分の体験したゲームと、ユグドラシルとは違う世界であるという事実だけを、飲み込むしかなかった。

 それでも、飲み込んだ事実は、彼に罵倒の呟きを漏らさせるのに十分なものであった。

 

「馬鹿げてる」

 

 ログアウト不可。

 意思を持ったNPC。

 鏡の中に映る堕天使の自分。

 ギルド拠点ごと転移した先の異世界。

 何もかもが小説や漫画やアニメ、ゲームなどでしかありえない超常現象。

 夢だとしても破格の馬鹿さ加減ではないか。だというのに、まったく夢のような気がしない自分の思考が、酷薄なほど現実そのもの。これまでの自分に存在した常識というものが、音を立てて崩壊していくようにさえ感じられる。

 これまでのことから、カワウソは結論する。

 ここは、ユグドラシルとは違う異世界であるという、厳然たる事実を。

 それでも──

 

「いかがいたしましょう、主様(あるじさま)?」

 

 銀髪に黒褐色の聖女──ガブの呼びかけに我に返った。

 振り返れば、五人のNPCたちが困惑を表情に浮かべて、ギルドマスターを見つめていた。

 

「ミカ。俺を殴れ」

「…………はぁ?」

「さぁ、早く。顔でも腹でもどこでもいい!」

「……了解」

 

 言い終えてから、女天使が拳を振るうまでは早かった。

 長く伸びた金糸が、殴打の軌跡を残光のように流れる。

 

「ぐ! ……ぅう」

 

 みぞおちを抉るような一撃に、カワウソは体をくの字に折り曲げながら吹き飛ばされる──ことはなかった。

 Lv.100の、種族が異形種で、職業が聖騎士主体で、装備もある程度充実しているとなれば、それなりの物理ダメージは低減できる。上位物理無効化Ⅲという常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)はミカの攻撃を防ぐのに役には立たないものだが、NPCが弱体化したのではない限り、彼らの物理攻撃はあまり意味をなさないわけだ。

 だが、やはり、完全に無効化できたわけではない。

 

「──痛い、かっ」

 

 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)は有効。

 おまけに、夢から覚めることも、なかった。

 ダメージを受ける胸の痛みは、まさに現実世界で感じるものとまったく遜色のない、痛覚そのもの。

 もはや完全に、この世界がゲームではなく、現実であることを確信するしかなくなった。

 しかし、現実と呼ぶには意見が分かれるところだろう。

 魔法が使え、特殊技術(スキル)が使え、他にも様々な異常事態に見舞われている現状が、果たして現実と呼んでいいものなのかどうか。

 虚空へと手を伸ばすと、アイテムボックスを開く。

 無数に保存されていた上位治癒薬(メジャー・ヒーリングポーション)を飲み干し、ダメージを回復した。アイテムの機能にも問題はないらしいことにひとまず安堵する。

 

「……カワウソ様」

「ありがとう、ミカ。悪かったな、変なこと頼んで」

 

 カワウソは起き上がり、ひとまず皆を引き連れ城内へ戻ろうとして──

 

「ん?」

 

 奇妙な感覚を味わった。

 何というべきか。誰かの視線を味わった時に感じるものに似ているのだが、それとは少し違うような。

 振り返り、仰ぎ見た空には、相変わらず見事な──汚染された地球では絶対に見ることができなかった──(おぼろ)(まばゆ)い月が輝いているだけ。

 

「どうかしやがったんですか?」

「いや……全員、城内へ戻るぞ」

 

 カワウソは遠くで走り続けていた少年を呼び戻しつつ、思案を巡らせる。

 

 とにかく、今後の方針を決めなければならない。

 

 まず。自分はどう行動すべきか?

 ユグドラシルの魔法や特殊技術(スキル)などが通用することは分かった。だが、情報を集めなければならない。何にしても情報が不足している現状下では、迂闊に身動きが取れない。周囲には強力なモンスターや敵はいないようだが、それ以外の地域には強敵がうじゃうじゃいる可能性は十二分にある。こんなわけのわからない状況で死んだりするのはごめんだ。情報収集は慎重に、かつ厳重に行わねば。

 

 次に。NPCたちをどうすべきか?

 彼女たちはとりあえず、自分の指示や命令に忠実でいてくれている。どうにも個々に与えた設定のとおりに動いているらしいが、こんなにも感情豊かに会話し、行動し、まるで人間のように振る舞うことができる存在が、プログラムなどによるものだなどとは到底思えない。仮定としては、人間と同じ扱いで構わないだろう。

 

 さらに。情報をどう集めるべきか?

 自分のギルドが作成したNPCは二十二体と四匹。その内、Lv.100構成のものが十二体で、それ以外はすべて、ギルド維持の名目で造り上げたものばかり。はっきり言えば雑魚モンスターの類でしかないので、必然的に、調査に使えるのは十二体が限界──否、ギルドの防衛を考えると、半分は残しておく必要があるので六体を上限にしておこう。

 

 そして。この世界は一体、何だ?

 ユグドラシルの法則が通じることに違和感を覚えなくもないが、完全な異世界だと認識しておく。自分が知っているユグドラシルとは違い過ぎるし、さらにいうと現実の世界とも違い過ぎた。環境汚染の進んだ地球で太陽と青空の下で呼吸できるはずもないし、より未来、または過去の地球だと仮定するのも微妙な判断だと思う。

 

 最後に。元の世界には戻れるのか?

 仮に戻れる方法や手段があったとしても、あんな世界に戻る価値があるのか? ノルマに追われ、サビ残に苦しみ、ストレス過多と生活リズムの乱れから生じる体調不良の毎日。薬や栄養剤に頼り、まともな食事も口を通らない。どうしようもなく閉塞した、娯楽以外に逃げ場のない、環境汚染よりも社会汚染が深刻なレベルの現実世界に。

 そんな奴隷じみた生活で、友達も家族もなく、ましてや恋人だって……。

 その時、かつてのギルメンたち──“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”以前に所属していたギルドのメンバーたちの存在が、頭を()ぎる。

 もしも。

 もしも仮に、彼らがユグドラシルに復帰していて、カワウソと同じ事態に巻き込まれていたなら。

 

「──ないな」

 

 ないない。

 絶対に、ない。

 カワウソのかつての仲間たちがユグドラシルに復帰することは、九割九分九厘──99.9%、ありえない。

 あのナザリック攻略戦において味わった敗北の記憶。その時に体験した凄絶なまでの反則技によって、彼らは完全に心を折られてしまった。自分は実際には体験していないが、あの動画(ムービー)データを見れば、彼らの判断も止む無しと言わざるを得ない。それほどのチートぶりだったのだ。

 カワウソに装備や道具を託して別れを告げたものもいたが、ギルマスをはじめ、ほとんどの人はそういった遣り取りすら忌避するように、ユグドラシルからアカウントを削除していった。そんな連中が、末期状態で過疎(かそ)っていたゲームに舞い戻るイメージがどうしても湧かない。他の新興DMMO-RPGを満喫しておく方が、はるかに有意義だと感じるだろう。

 無駄なことを考えたと自嘲しつつ、カワウソは拠点最上層に戻るべく、転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)をくぐり抜けていく。

 その足取りは重く、これから訪れるだろう不安と艱難を予期しているかのようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は──気づいていない。

 否、言い訳を述べるのであれば、この時の彼や、彼が選んだ護衛たちは、そういう特性や技術を備えていないため、それに気づく道理などあるはずがなかった。

 彼らはすでに、ある者の監視下に置かれているという、その事実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第一章 異世界探索 へ続く】

 

 

 

 

 

 




第八階層の戦闘描写、『敗者の烙印』などについては、作者の想像が含まれてます。
ご覧のように、オリジナル要素の強い物語ですので、くれぐれもご注意ください。

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