オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.05
食事を終えたカワウソたちであったが、食後のお茶を愉しもうというマルコの案には、乗らなかった。
「少し、街の様子を見てきたい」
そう告げると、修道女は強く頷きを返した。
何の気負ったところがない、純粋な善意しか、その微笑みには感じられない。
だから、たまらず問い質してしまう。
「しかし、本当にいいのか?」
「──何がです?」
「マルコは……その、……四人分の食事代なんて」
「ああ、お気になさらず。貧しき人に施すことも、私の信じる道ですので」
彼女の信仰心には本当に脱帽してしまう。脱ぐべき帽子など、赤黒い輪しかない頭にはのってないし、のせることすら不可能なのだが。
しかしながら、女性に食事をおごらせるというのは、カワウソの常識に照らすなら、かなり抵抗感があって然るべきこと。何より、マルコはこの日初めて会ったばかりの、赤の他人だ。そんな人にいきなり何もかもおんぶにだっこというのは。
「ふふ。……そんなにお気になさるようでしたら、こういうのはどうです? 先ほど、リューさんの店で鑑定していただいた金貨。あの二枚を
「え……だが、あれは1000、ゴウン? くらいの価値しかないんだろ?」
料理のメニュー表を眺めても、数字の羅列……っぽいのはあるにはあったが、やはり値段は不明だったカワウソだ。それでも、まさかドラゴンステーキ四人分が金貨二枚程度で済む額だとは思えない。ユグドラシル基準だと、少なくとも二桁の金貨が支払えなければ購入は不可能な素材なのだ、ドラゴン肉は。
しかし、マルコは出会った時と変わらず、柔らかく微笑む。
「私は、もっと価値あるものだとお見受けしましたので──
是非にと、そう言い含められては遠慮するのも
カワウソは新旧二枚のユグドラシル金貨を、マルコ・チャンの手に、しっかりと渡す。
金貨二枚など、はした金もいいところだ。カワウソは何桁にも及ぶ金貨を手元に、拠点に、潤沢な量を残している。ここでたった二枚を失ってでも、マルコ・チャンの善意には報いたかった。
「ありがとう。恩に着る」
心から感謝を口にするカワウソに、修道女は愛嬌のある笑みで応じてくれる。
「ここで待っておりますから」
そう言って、マルコは気軽に手を振って、カワウソと彼の同行者──ミカを見送った。ヴェルはラベンダの様子を見てくると言い、それぞれが別行動を取るために別れる。大まかな集合時刻は、次の鐘の音が鳴る18時と定めて。
堕天使と女天使は、目抜き通りのすみずみまで露店で賑わう市街の中、なるべく人通りがなさそうな方向に足を向けた。
生命の営みが感じられる都市というのは、少し路地裏に入り込んだ程度で人の流入が皆無になることはない。その上、街をくまなく巡回警邏する
そうしていると、どうしてもこの魔法都市が平和で、安寧の時を生きる場である事実を、いやでも痛感させられる。
すれ違う市民は誰も彼も、凶悪なはずのアンデッドが都市を行き交う光景を何とも思っておらず、子供らの団体が
集合住宅らしい建物の壁に背を預け、行き交う人波を、ただ、眺める。
人間と亜人と異形。
まさに、“理想郷”ともいうべき平和があった。
無性に、かつてカワウソが所属していたギルド:
ギルド長の彼女が定めた方針の下、あのギルドには様々なプレイヤーが集っていた。
人間・亜人・異形の垣根を超えたプレイヤーが十二人……異形種の、当時は純粋な天使種族だったカワウソも含めると、十三人ほどが集っていた、弱小ギルド。
いやなことを思い出しそうになって、瞼が熱くなる。
カワウソは眉間をおさえ、頭を大きく振った。
隣に立つミカが心配そうに手を伸ばす気配を感じ、
──その手を、即座に掴み、とらえる。
「何をしようとした?」
「…………私は」
カワウソは非難がましい声音で指摘する。
「おまえ、
「……それが、何か?」
悪びれるでもなく、ミカはあっさり肯定した。
天使種族の
カワウソは、思い出さずにはいられない。
あの、サービス終了の時……この世界に転移した直後。
恐慌状態に陥ったカワウソの肩に、ミカの手が触れた瞬間に起こった、思考の鎮静化。
ユグドラシルにおいて堕天使には、大きな「弱点」がいくつか存在する。
異形種である堕天使が種族として保有する特徴などを、以下に列挙する。
種族固有スキル“
いわば……天使の絶対的弱点を克服した存在となりえるのだ。
他にも天使種族の保有する特殊能力として、クリティカルヒット耐性、炎・風・電気属性ダメージ完全耐性、
反面、
堕天使は「堕天した肉体」を持つが故の肉体ペナルティとして、
斬撃武器脆弱Ⅳ、刺突武器脆弱Ⅳ、打撃武器脆弱Ⅲ、魔法攻撃脆弱Ⅳ、特殊攻撃脆弱Ⅲ、冷気ダメージ倍加、酸素必要、飲食必要(大量)などを被る。無論これらは、純粋な天使種族であれば、冷気ダメージ倍加以外は、かなり軽減・無効化できる弱点ばかりである。
基礎ステータスも、純粋な天使種族からほぼ半減され、さらに強力な天使種族の攻撃能力を一部減退・制限されることにもなるのは、あまりにも有名な話だ。
そうして。
極め付けとなる、堕天使の最悪の弱点。
それは──「支配」「狂気」系以外の──、
この状態異常脆弱Ⅴは、言うなれば、毒・病気・睡眠・麻痺・空腹・疲労・窒息・暗黒──恐怖や恐慌──興奮や混乱などなどの、ほぼすべての
たとえば、毒の沼地に行けば毒ダメージを負い、僅か数分で「中毒」を発症。さらに「猛毒」「劇毒」と状態異常の症状は悪化し、最悪の場合、
純粋な天使であれば、むしろこういった状態異常とはほぼ無縁でいられるもの。天使種族の中で、唯一的に堕天使だけは、そういう弱点を与えられるのである。この点だけを見ても、下手な人間種のプレイヤーよりも遥かに扱いにくく、取得するプレイヤーがどれだけ奇矯かつ奇異な存在に見られていたかがわかるだろう。
カワウソが転移直後に「恐怖」し「恐慌」し「混乱」してしまったのも、この弱点が大いに影響を及ぼしていたのかもしれない。
ちなみに。
一応、天使種族である堕天使は「支配」と「狂気」にだけは完全耐性を有しており、これは即ち『堕天使とは、神の“絶対支配”下にある“狂信”者』であるが故のものにすぎない。堕天使は「支配」と「狂気」の状態が基本であり絶対なのだという考え方であり、堕天使固有の耐性・特殊能力に列挙されるものだ。
無論、これだけ大きな弱点を、そのまま抱えたままにしてはいられないため、カワウソはそれ専用の対策も、装備でどうにか克服──もとい、大いに『利用』している。
しかし、この装備は強力な
──冷静に考えてみれば、当然か。
カワウソの
カワウソは自らの置かれた状況に恐怖し、思考の渦に精神を疲弊してきている。
それが、カワウソが獲得し、異世界転移の
あの時の、転移直後の接触から始まり、彼女は……ミカは事あるごとに、カワウソの恐怖や混乱などの
アインズ・ウール・ゴウン、魔導国の名に取り乱し、剣を振るった時。
マルコ・チャンがこの大陸における常識を、語って聞かせてくれた時。
──そして、今。
ミカは尊大にも聞こえるほど冷酷な声と瞳で、反論する。
「この力は、あなたがお与えになったものですが──どう使おうとも私の自由では?」
確かに、その通りだ。ミカには「勝手な行動はするな」と言ってしまったが、
カワウソは反論しない。
反論する意味も、ない。
代わりに、問いかける。
「……それは、使い続けても大丈夫なのか?」
「問題ありません」
「……本当に?」
「はい」
確信をもって頷く女天使の碧眼が、実に頼もしい。
「そうか……」
諦めたように、カワウソは彼女の右手を解放する。
「なら……いい」
ミカは痛めたはずもないだろうが、主人に掴まれた手をさすりつつ、視線を落とす。
だが、それだと緊急時の回復手段が減ってしまうということ。ミカ本人が言うところを信じれば、カワウソはほぼ無限に近い回復手段を持っていると考えても、問題ないことになる。これは、実にすごいことだ。かつてのソロプレイ時代から考えると、ミカというNPCが自立行動し、外の世界で護衛についているというだけでも、戦闘において破格のアドバンテージを保有することを意味する。
──もっとも、その回復のためには、ミカの手などがカワウソに“触れて”いなければならず、またミカに設定した『嫌っている。』がある以上、どう転ぶか分かったものではないが。
──もしも、カワウソが回復をせがむ余り、ミカの我慢や嫌悪感が限界に達し、暴走することになるとしたら?
そう考えると、あんまり使わない方がいいのかもしれない。
だが、使えるのなら使うべきだと、判断していいはずだ。
『し、失礼します、カワウソ様』
ふと、頭の中に聞き慣れた
「マアトか。どうした?」
『あの、それが、わ、ちょ、ガブさん待っ……えと、み、皆さんが、その』
「皆? ──皆って」
「カワウソ様、〈
ミカの無表情に言われるまま、マアトに魔法を使うことを許可する。
『
途端、マアトとは違う女性の声が、頭の中に大音量で響く。
拠点を幻術などによって隠蔽防衛する精神系魔法詠唱者にしてパワーファイター──銀髪褐色肌の聖女──
「ガブ、か? ……どうした? そんな声を出して?」
『先ほど、御命令に従い、主様の破壊した森の修繕にアプサラスと向かったのですが──おかしいです!』
「ちょ、え、なにが?」
『ガ、ガブさん、あの、落ち着いて』
『ごめんね、マアト。でも落ち着いてなんていられないわ!』
ガブは金切り声じみた高音で先を続ける。
『
「それがどうし…………あ」
そういえば。
マアトに監視させていたタイミング的に、カワウソが破壊した森は最初に放った“
にも、かかわらず。
実際にはさらに強力かつ暴力的な戦闘痕を残す森があったとなっては、彼女たちが疑念してしまうのも無理はない。
マアトの見ていない間に「何かがあったのでは?」と惑乱するのは、十分あり得る誤差ではないか。
「ああ、えと──すまん。あれは、何というか」
どう弁論しようかと悩むカワウソに“気づかない”まま、ガブはまくしたてる。
とんでもないことを報告し始める。
『あの森、どこも破壊されておりませんでした!』
言われたことが、瞬時には理解できない。
「────は?」
言われたことがようやっと脳に染み込むのと同時に、堕天使の思考に、さらなる空白が生じる。
『マアトも見ていた、御身の
こんなことありえませんと、隊長補佐は吠え続ける。
『私どもは至急転移で向かいましたところ、森がそのように復元されていることが確認できたのです。主様の使用した、野営アイテムの
普通の森だと思っていた場所が、そうではなかったことが判明した。
カワウソが恐慌のまま更地にしたはずの森が、マアトが主人らの転移に合わせて監視態勢を移行したことにより、森からは目を離さざるを得なかった結果──いつの間にか元の深緑の大地を構築していたというのだ。
これは、ありえない。
あの森に特殊なフィールドエフェクトは存在しなかったはず。
少なくとも、カワウソやミカが赴いた時点では、これといったマイナスやプラスの効果を受ける感覚はなかったし、最初にあの森に到達したNPC三人が採取し調査できた草木というのも、これといった異常や特徴は見受けられなかった。時間が遡行する──「巻き戻る」なんて大魔法が働いていたら、時間魔法対策を備えるカワウソたちに影響を及ぼさないとしても、それ以外の存在……特にヴェル・セークや追跡部隊などはもろに影響を受け付けていないとおかしすぎる。時間系の干渉や事象があることはないと見て、ほぼ間違いないだろう。
なのに、一日もせず自己再生する森が存在するというのは、……つまり、どういうことだ。
しかも、野営アイテム……地下避難所の周囲一帯を薙ぎ払った規模の破壊を、数時間足らずで。
この世界独特の植物の成長速度の法則が? あるいは何らかの魔法で──
「…………沈黙の森…………空白地帯」
〈
それはあの修道女──マルコが語った、森の名称。
それがカワウソにとって異質な響きを帯び始める。
彼女が呟いていた言葉を、可能な限り、思い出す。
曰く、守護者様に、大罪を働きし者共の────土地────
ゾッ、とする可能性が、背筋を幾本の刃となって突き刺した。
心臓が握りしめられてしまったように、苦しみを訴え始める。
自分たちが、巨大な掌の上で転がる様を幻視せざるを得ない。
『
鋼鉄のように硬い声で、意見具申するガブの声に耳を傾ける。
だが、
「──戻って、どうしろと?」
カワウソは冷静に、冷徹に、ガブの進言を棄却していく。
理由は、宿屋に残したヴェルとマルコに心配をかけるだろうから──では、ない。
「
暗い声で紡ぐ現実に、ガブはそれ以上、抗弁する意気を見せず押し黙る。
これは、彼女の理解力が深いことを物語っているとみるべきだろう。
「マアトから聞いていないか? ──この大陸は、あのアインズ・ウール・ゴウンの支配下にある、と」
『……はい。聞きました』
どうにも、ギルド:
これは、カワウソが彼らをそれぞれ作った際に定めた設定文の影響か、あるいは円卓の間などで眺めた
いずれにせよ、NPCたちも、カワウソの
隣に立つ黄金の女天使は、カワウソの言に
「──戻ったところでどうしようもない。であるなら、少なくともこの大陸の、この世界の、実情と現状を把握し、今後の活動方針を確かにする必要が、ある」
そうとも。
まだ決定的な状況であると確定したわけではない。
監視の目がどこそこにあるとか、明らかに拠点へ侵攻しようという軍勢が現れたわけでもないのだ。
まだ、まだどうにかできる。
どうにかする猶予が、ある。
そう信じるしかないだけと言われれば、そうだとしか言えないだろう。
それでも、カワウソはその可能性に、賭けるしかないのも事実だった。
戻って対策を協議する暇があるのなら、少しでもこの世界の、この大陸の──この魔導国の情報を集積し、いかなる対抗策があるのか……あるいは、ないのか……調べなくては話にならない。
籠城など論外だ。
カワウソの保有する戦力は「ヨルムンガルド
カワウソが保有する
──対して。
ギルド:アインズ・ウール・ゴウン──および魔導国の戦力は、ひとつの大陸全土に及ぶ臣民。いかなる技術でか不明だが、時間制限なしに保有する大量無比なアンデッドモンスターの数々……概算で数万規模。さらに、少なくともLv.100NPCが五人。他にも高レベルモンスターNPCが多数。「ナザリック地下大墳墓」の、ランキングデータを参照した拠点レベルの情報は2750……最大が3000ともなる拠点レベルに、あとわずかで届くという、十大ギルドの座に君臨するにふさわしかった、強大なダンジョンであったのだ。
そうして、
この世界独自のアイテムや魔法、さらには、カワウソの知り得ない新たな
「……馬鹿馬鹿しいな」
これだけ戦力に違いがある相手に籠城を決め込めば、一方的に蹂躙されるだけだろう。圧倒的な物量戦で押し潰されることは明々白々。
数万のアンデッドモンスター……それは、下手をするとその存在自体が、専門の超位魔法か、
その矛先に、自分自身が晒されると考えただけで、肺腑が凍る。
しかも、カワウソのギルド拠点は、現在は吹きっさらしの大地の中心で、鏡一枚だけを出入口にしている状況を思い出すと、嫌な可能性が想起される。
システム・アリアドネ。
ユグドラシルのゲームシステムにおいて、ギルド拠点への侵入を完全に防ぐような措置――たとえば、絶対に拠点を攻略されないよう出入口を完全封鎖するために、“都市”であればすべての門を閉じ、すべての壁を侵入不能にし、すべての空を〈飛行〉不能にする。“地下城砦”であれば地表との通路や転移装置などを破壊するなど──を拠点製作時に施したギルドに、運営がペナルティを与えるものだ。
ギルド拠点となるダンジョンは、
このシステムに著しく違反したダンジョンが創設された場合、そのギルドにペナルティとして、ギルド資産が一挙に目減りする現象が発生。
拠点を管理維持するために必要不可欠な財貨が尽きてしまえば──あとは、言わなくてもわかるだろう。
ここは、ユグドラシルではない。
だが、可能性は、なくはないだろう。
システム・アリアドネが機能しているかは不明だが、他のユグドラシルの法則が適用されている世界で、同じようにアリアドネも機能していたら……あの〈
そして、この異世界にはユグドラシル金貨は流通しておらず、モンスターからのドロップも期待できない以上、拠点内にあるアイテム換金のためのエクスチェンジボックス──通称“シュレッダー”を、商人のレベルを持つNPCに使わせて獲得するしか、他に手がない。
あの初期からある鏡の他にも、転移用の鏡を増設した方がいいかもしれないか。
思ったカワウソは即決する。
「ガブ。早急に第四階層の金庫にある〈転移鏡〉を三つほど用意しろ。予備の出入り口として、起動するように手配を」
『よ、よろしいのですか? 出入口が合計四つとなると、敵に侵入される
「……入口が今のままでは、破壊された際の被害がとんでもなくなる。防衛と隠蔽の対象が増えて負担だとしても、最低でもひとつは、予備を設置しておかねばならない。鏡の直衛は、現状の二匹体制を一匹体制に減らして、二つの鏡を六時間交代で護衛させるようにするんだ」
『──かしこまりました。しかし、シシやコマたちは疲労しませんが、一体ずつのみでは、有事の際には不安が残るのでは?』
「それならば、カワウソ様。我等の拠点防衛隊の内、二人ほどを鏡の護衛につけることを提案いたします」
防衛隊隊長であるミカの提案に、補佐のガブも同調する。
「うん……とすると、誰がいいか」
「……鏡の護衛や、急襲時の時間稼ぎに使えそうなNPCは、前衛タンクの防衛隊副長・ウォフと、斥候としての感知能力を持つタイシャが適任……か?」
「ウォフは前衛としての戦力に信頼はおけますが、タイシャは、あまり通常形態でのパワーは期待できません。この二人を別個に護衛に就けるのはお勧めできませんが」
「……誰も別個につけるとは言ってないぞ?」
疑念するミカに、カワウソはとりあえず告げる。
「二人一組で、初期設定の転移門周辺を護衛させる。予備の方に、シシやコマたちを配置する。悪いが、さっき言った一匹一匹体制は撤回だ。防衛隊のNPCが使えるとなれば、より防衛はしやすくなるだろうからな」
「それは、どういう……」
カワウソは、疑念し続けるミカに向け、左右両手の人差し指をたてて示した。
「ここに二つの進入路がある。一方は屈強な番人が二人いて、もう一方は貧弱な獣が二匹いるだけとしたら、ミカなら、どっちに進む?」
「──そういうことですか」
『どういうこと、ミカ?』
「予備の方を囮にし、そちらから侵入しようとするものを、狩る」
ミカの言は、カワウソの思う策そのものであった。
シシとコマたち……明らかに弱い小動物然とした方に敵を誘引し、ひっかかった連中を逐一打破していくという、かなり基本的な策略である。動像獣たちには悪いと思うが、もともとの運用方法が似たり寄ったりな感じなので、大丈夫だと思いたい。思うことにするしかない。
何より、ミカやガブたちも、その案に対して忌避感を抱いている節は見受けられなかったのも助かった。
同種族でないから無視できるのか、あるいはシシやコマたちの役割や思考体系を熟知しているからなのか……たぶん後者だと思われる。
交代要員として、瞬間火力と広域殲滅力で最強の
ミカは目の前で顎を引き、〈
無論、その程度の対策で万全とは言えない。
誰にも知覚できない超長距離から狙撃されるとか、あまりにも大量の軍勢に攻め寄せられたりしたらとか──無数の問題点を抱えている。そこはマアトの監視や、ガブの防衛力に頼むしかないが……あの二人の魔力だって有限である以上、どこかで隙が生じるだろう。いざ戦闘になった際の
こちらの交代や休息時……その時をこそ狙いすましてくる連中がいれば、NPCたちの全戦力を傾けて迎撃するほかない。
そういった迎撃体制を整えるためにも、情報収集と異世界探索は継続し、かつ、早急にやり遂げねばならない。
アインズ・ウール・ゴウン魔導国の情報。魔導国が確実に動かせるだろう全兵力。この世界独自の魔法や
これらすべてを把握するには──
「手が足りない……か?」
拠点防衛のために、残しておくべき戦力は六体以上に微調整。
ガブ、ウリ、イスラ、ウォフ、タイシャ、マアト、アプサラス、クピド……合計八体。
魔導国の実態と実情を調べるメンバーを選抜する必要性に迫られる。
残る四体のNPC……ミカ、ラファ、イズラ、ナタ……を使うより他にない。
幸いというべきか、残っている四体のNPCには、そういった隠密性などに秀でたレベルや装備を保有、所持可能な存在が多数をしめている。だが、それだって絶対安全とは言い切れないだろう。
ないない尽くしで嫌になってくるな。
だが、弱音や愚痴など無意味なことは、歴然とした事実。
二人の感知をすり抜けようとする敵がいた場合、
……否。
カワウソたちはまがりなりにも、一国家の土地に転移してしまったのだ。スレイン平野がどうして「禁忌の地」なんて称されているのか知ったことではないが、カワウソのギルドは、魔導王という人物の土地に勝手にお邪魔しているような状況である。警戒して近づいてくる調査隊というのも、十分にありえる話ではないのか。
「いずれにしても、一刻も早く、情報を集めるしかない」
己に言い聞かせるような調子で、今後の方針を確固たるものとする。
ミカやガブたちも首肯の気配でもって応じてくれた。
拠点の防衛を密にしつつ、いざという時の保険も用意し、なおかつ、自分たちがこの世界で生きていくのに必要な措置を講じねば。
こそこそ隠れることはソロプレイ時代からの慣習だったので抵抗などないが、果たして一体、どのようにして生きていけばよいのか、まるで想像もつかない。
自分たちから望んで連中に──魔導国に下るか?
しかし……あのPKやPKKを繰り返していたDQNギルドが、自分たちのような存在を受け入れるものなのか?
たった二つながら、それ故に厳しい“加入条件”を課していたことによって、その内実を知るユーザーはほとんどいない。時折、ギルド長のモモンガがユグドラシル内で取材に応じていたことがあるぐらいで、彼らが何故そこまで「悪」にこだわるロールプレイに傾倒したのかは、長らく謎であった。
ゲームのサービス終了日にはランキング29位に……最低だと48位まで落ちていたこともあったか……細々と名を残していた程度で、構成メンバー41人中40人、ほぼ全員のINが確認されなくなって久しかった。唯一、定期的にスレなどで「
しかし、だ。
普通に考えるなら、あのギルドはかなり健闘した方なのである。
ギルド最大構成員数100名であるにも関わらず、その半分にも満たない人数で、十大ギルドに名を連ね、
これは彼らアインズ・ウール・ゴウンだけではなく、全盛のころのユグドラシルに存在したギルドのほとんどが同様の末路をたどっている。中にはメンバー全員が引退するのを機に、保有していたレア装備の払い下げが盛んに行われ、カワウソが保有する
かつては四桁……大小強弱を問わず、1000を超えるギルドが
こういうのを何だったか。
「……マアト」
『は、はい!』
「ヴェルとマルコたちの推定レベルと……街道にあった看板の文字、解読の方は?」
終わっているか
ヴェルはLv.20前後という結果で、やはりユグドラシルの前提条件を満たしておらず、その乗騎となる飛竜にしても、Lv.20相当のモンスターであると試算された。
だが、
『マルコさんは、申し訳ありませんが、その、測定できませんでした』
「……マルコ、だけが?」
『たぶん、何かのアイテムか装備の影響だと思うのですが、これ以上は、その、直接見て確かめる以外の方法がなくて……すいません』
「気にするな、マアト」
マルコについては要注意ということが判明しただけでも、彼女の鑑定結果の功績は大きい。現地人でも、情報系対策は万全に備えているのかもしれないという事実が、カワウソの意識をより引き締めてくれる。
マアトは続けざまに、街道にあった立て看板の詳細を報告してくれる。
解読できた文字列は、以下の三つ。
「第一魔法都市・カッツェ。
~絶対防衛城塞都市・エモット、アゼルリシア領域への中継地~」
「冒険都市・オーリウクルス。
~第二魔法都市・ベイロン、中央都市領域への中継地~」
「第一生産都市・アベリオン。
~空中都市・エリュエンティウ、南方士族領域への中継地~」
実に看板らしい、簡潔な案内文であった。
そして、そのどれもが、カワウソの知らない単語……都市の名前であった。
この内の魔法都市・カッツェという土地に、現在カワウソたちはいるわけだ。
「……他の都市にも──情報偵察に向かうべき、か」
その必要性は十分あるものと考えられた。
カッツェという魔法都市は、実に穏健な人々の営みで溢れているが、それ以外だとどうなっているのか、純粋な好奇心が湧き起こる。
冒険者の都という土地はどのようなものか──第二魔法都市というのは、このカッツェとはどう違うのか──生産都市とやらの役割とは何か──領域と呼ばれる土地とは──他にもあるのだろう、さまざまな都市や土地のありようは、どれほどカワウソの心を捉えてくれるのか……知りたかった。
何より、ナザリック地下大墳墓を擁するという城塞都市──「絶対防衛」を謳う“エモット”なる都がどんなものかは、非常に興味深い。本当に、この世界にナザリック地下大墳墓があるというのであれば、実際に見て確かめておきたい衝動を抑えきれない。
わざわざワールドを移動してソロ攻略に長いこと挑んできたカワウソにしてみれば、目と鼻の先といってもよい距離感ではないだろうか。
何より、この世界にはグレンベラ沼地のような、強力な毒ダメージなどがないだろうというのは、それだけでかなり難易度が下がる。沼地は毒ダメージのみならず、面倒な蛙型モンスター……ツヴェーグ系の群れなども多数出現し、本当に攻略難易度を引き上げてくれたもの。酷い時は一日費やして、大墳墓の表層にすらたどり着けないこともありえたのだ。……カワウソ一人では。『敗者の烙印』を押されたプレイヤー、ただ一人では。
勿論、この異世界でナザリックを直接防衛する都市というからには、この都市ほど潜入など容易ではないだろうと思われる。侵攻など不可能かつ無理な警備体制である確率は高いだろう。そうでなければおかしい。
調べてみないことには判然としないが、城塞都市というからには、本当に城塞が聳えるように建立されていても、なんら不思議ではない。下手をすると、上位アンデッド……
カワウソはミカ以外の、調査に適しているだろう三体のNPCの名を呼ぶ。
「ラファ、イズラ、ナタ」
『はい、我が主よ』
『どうかしました?』
『何事ですか、
〈
「おまえたちには、各都市とやらに出向いて、魔導国の人たちの暮らしぶりなどを調べてきて欲しい」
隠密裏に行うことを厳命され、一も二もなく、三人はそれぞれが承服の言葉を紡ぐ。
「そして、ミカには悪いが……引き続き、調査に赴く俺の護衛を勤めてもらう」
「お待ちを…………拠点に、戻るつもりはない、と?」
堕天使はミカにきっぱりと頷く。調査には自分自身も使わねばならないと、厳かに告げる。
魔法越しに、NPCたち全員が驚愕の声をあげる様が響くが、構わない。
「ミカにも言ったことだが……俺一人がのうのうと、ギルドの奥に留まっていることは出来ないのが現状だ。そのことを、おまえたちにも理解してほしい」
告げる主人の声の硬さに納得してくれたのか、全員からの抗弁が途絶える。
──さらに。それとは別の打算もいくつかあるにはあるが、果たして彼らは、カワウソの異なる企みに気づいているのか、いないのか。
『しかし、カワウソ様。せめて、護衛をもう一人くらい付けた方がよろしいのでは?』
そう最後に意見具申するガブの声音は、真摯にカワウソの身を案じていると判るほど柔らかく暖かだ。
マアトはこの後、ギルド防衛のための監視体制拡充のために働く。
そのため、これまで通りのリアルタイムな
二人一組で調査に赴くよりも、三人一組の方が、主人の護衛は万全に保たれるという意見であって、別にカワウソ本人やミカの能力を疑っているわけでないことは、その声音から窺い知ることができる。
その優しさが痛いほど胸を苛む。
だからこそ、カワウソは、言う。
「……問題、ない。ミカと俺なら、とりあえず戦闘に不備が生じることはないだろう」
本音を言うと、ギルド最強の攻撃性能を与えた
自分の身はかわいい堕天使であるが、だからこそ、調査隊の数と質が、今後の運命をわける状況であると納得もできている。
調査は合計四つの班。
ラファ、イズラ、ナタ、さらにカワウソとミカの四チームで挑むことが決定した。
承知の声を真っ先にあげる隊長補佐、
「ガブ……おまえ確か、〈
無論ですと、ガブは誇るように応じる。
〈
それを使って、ヴェル・セークの記憶をいじれば、とりあえず自分たちと初遭遇した際の不審点──魔導国の実情を知らないこと、転移魔法を軽く扱えてしまうこと、など──を帳消しにできるだろう。わざわざ少女の命を摘み取るよりも穏健な解決方法が見いだせて、カワウソは大いに安堵の吐息を漏らしてしまう。
「とすると……ガブには一度、こちらに来てもらう必要があるか」
魔法の向こう側で首を傾げているらしいガブに、カワウソは言った。
「──ありがとな、ガブ。心配してくれて」
『か、感謝されるなんて! と、とんでもないことです!』
泡を喰ったように応対する声が耳に心地よい。
ガブの好意と厚意に甘えつつ、そんな自分の軽薄かつ仄暗い
他の──ミカ以外のNPCから感じられる敬意や尊重、
これが、堕天使のあたりまえな思考なのか。
もしかすると、自分の本性そのものなのか──まるで判然としない。
あまりにも情けなくて吸い込む空気が重く、
自分の中身がドロドロに濁った汚れに満ちているようで、気分が悪くなる。
そうして、カワウソは自分以外に調査に赴く三人のNPCに、諸注意としてのルールを定める。ガブたちにも再三にわたり、ギルド拠点の防衛と対策を密にするよう命じると、魔法を断ち切った。
「ふぅ……」
「カワウソ様」
限界だった。
軽く笑ってみせるが、胸の奥が震えて、しようがない。
「何、なんだろうな……この世界は」
「──カワウソ、様?」
建物の外壁に身体を預け、ずるずると、鎧越しの背中を引き摺るように、座り込む。
全身を丸め、足を抱いて、顔を埋めた。
「すまん……少し、……少し疲れた」
泣きたくなるほどの不安感を、ミカが背中にかけた掌の温度で和らげてくれる。
自分を癒すNPCの、その峻厳な表情を横目にする。
主を案じているとはとても思えない無表情が、カワウソの視線を受け止めて……やはり醜悪な堕天使の面貌に耐えられなくなったのか、あるいはあまりの体たらくぶりに呆れ果てたかのように、視線を落とした。
カワウソは、久しく感じたことのない安堵感に、深く息をする。
そのまま
×
宿の係留所で、ヴェル・セークは相棒である飛竜の鱗を撫でながら、ひとつ相談していた。
「うん……そうだね。やっぱり、このままじゃ、ダメ……だよね」
「クゥ……」
魔化された丈夫な樹の柱と柵に囲われた竜。大量のモンスターが畏怖して当然の竜種族のラベンダであるが、ここでは割と低い等級というか、他の騎乗用の魔獣が凄すぎて、借りてきた猫みたく身を縮こませていることしかできない。けれど、彼女はそんなことを苦にはしていない。もっと別のことに……ヴェルのことについて、心を痛めてくれている。
慈しみを纏う相棒の心配げな声と眼差しに、騎乗者たる少女は頷きを返した。
ラベンダとヴェルは、互いが生まれた頃からの付き合いだ。
いつだって共に食事し、共に遊び、共に寝て……今も共に、生きている。……そして、
「じゃあ、そうするよ」
一人と一匹は、互いに静かな覚悟を込めて、自分たちの今後を、決定する。