オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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魔法都市・カッツェ -2

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.05

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事を終えたカワウソたちであったが、食後のお茶を愉しもうというマルコの案には、乗らなかった。

 

「少し、街の様子を見てきたい」

 

 そう告げると、修道女は強く頷きを返した。

 何の気負ったところがない、純粋な善意しか、その微笑みには感じられない。

 だから、たまらず問い質してしまう。

 

「しかし、本当にいいのか?」

「──何がです?」

「マルコは……その、……四人分の食事代なんて」

「ああ、お気になさらず。貧しき人に施すことも、私の信じる道ですので」

 

 彼女の信仰心には本当に脱帽してしまう。脱ぐべき帽子など、赤黒い輪しかない頭にはのってないし、のせることすら不可能なのだが。

 しかしながら、女性に食事をおごらせるというのは、カワウソの常識に照らすなら、かなり抵抗感があって然るべきこと。何より、マルコはこの日初めて会ったばかりの、赤の他人だ。そんな人にいきなり何もかもおんぶにだっこというのは。

 

「ふふ。……そんなにお気になさるようでしたら、こういうのはどうです? 先ほど、リューさんの店で鑑定していただいた金貨。あの二枚を頂戴(ちょうだい)しても?」

「え……だが、あれは1000、ゴウン? くらいの価値しかないんだろ?」

 

 料理のメニュー表を眺めても、数字の羅列……っぽいのはあるにはあったが、やはり値段は不明だったカワウソだ。それでも、まさかドラゴンステーキ四人分が金貨二枚程度で済む額だとは思えない。ユグドラシル基準だと、少なくとも二桁の金貨が支払えなければ購入は不可能な素材なのだ、ドラゴン肉は。

 しかし、マルコは出会った時と変わらず、柔らかく微笑む。

 

「私は、もっと価値あるものだとお見受けしましたので──(わたくし)たちが出会った記念にもなるでしょうし」

 

 是非にと、そう言い含められては遠慮するのも躊躇(ためら)われる。さらに言うと、マルコにはカワウソたちへ都市の情報を快く供与し、ここまで導いてくれた恩もあったので、拒絶するのは礼を失するだろう。

 カワウソは新旧二枚のユグドラシル金貨を、マルコ・チャンの手に、しっかりと渡す。

 金貨二枚など、はした金もいいところだ。カワウソは何桁にも及ぶ金貨を手元に、拠点に、潤沢な量を残している。ここでたった二枚を失ってでも、マルコ・チャンの善意には報いたかった。

 

「ありがとう。恩に着る」

 

 心から感謝を口にするカワウソに、修道女は愛嬌のある笑みで応じてくれる。

 

「ここで待っておりますから」

 

 そう言って、マルコは気軽に手を振って、カワウソと彼の同行者──ミカを見送った。ヴェルはラベンダの様子を見てくると言い、それぞれが別行動を取るために別れる。大まかな集合時刻は、次の鐘の音が鳴る18時と定めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 堕天使と女天使は、目抜き通りのすみずみまで露店で賑わう市街の中、なるべく人通りがなさそうな方向に足を向けた。

 生命の営みが感じられる都市というのは、少し路地裏に入り込んだ程度で人の流入が皆無になることはない。その上、街をくまなく巡回警邏する死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)などもあって、すれ違うたびに湧き上がる警戒心から精神をすり減らされていく感覚は、本当にまいった。

 そうしていると、どうしてもこの魔法都市が平和で、安寧の時を生きる場である事実を、いやでも痛感させられる。

 すれ違う市民は誰も彼も、凶悪なはずのアンデッドが都市を行き交う光景を何とも思っておらず、子供らの団体が(たわむ)れるように死の騎士の腕や肩に飛びついたり、死者の大魔法使いのあとを行進したり……なんて光景も珍しくなく、それを見守る人々の姿も穏やかに過ぎた。

 集合住宅らしい建物の壁に背を預け、行き交う人波を、ただ、眺める。

 

 人間と亜人と異形。

 

 まさに、“理想郷”ともいうべき平和があった。

 無性に、かつてカワウソが所属していたギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)のことを思い出されてしまう。

 ギルド長の彼女が定めた方針の下、あのギルドには様々なプレイヤーが集っていた。

 人間・亜人・異形の垣根を超えたプレイヤーが十二人……異形種の、当時は純粋な天使種族だったカワウソも含めると、十三人ほどが集っていた、弱小ギルド。

 いやなことを思い出しそうになって、瞼が熱くなる。

 カワウソは眉間をおさえ、頭を大きく振った。

 

 隣に立つミカが心配そうに手を伸ばす気配を感じ、

 ──その手を、即座に掴み、とらえる。

 

「何をしようとした?」

「…………私は」

 

 カワウソは非難がましい声音で指摘する。

 

「おまえ、正の接触(ポジティブ・タッチ)を使っているだろう?」

「……それが、何か?」

 

 悪びれるでもなく、ミカはあっさり肯定した。

 天使種族の特殊技術(スキル)正の接触(ポジティブ・タッチ)”は、任意の対象──手などで接触した存在に対して、ある程度の回復効果をもたらすことができる常時発動(パッシブ)特殊技術(スキル)のひとつだ。接触する時間が長ければ長いほど、回復する体力(HP)量や多数の状態異常(バッドステータス)も治癒可能な「正のエネルギー」を多く与えるものであるが、一部アンデッドモンスターなどが保有する“負の接触(ネガティブ・タッチ)”と相克関係にあるため、そういった負の存在や、属性が悪に傾きすぎたものには、逆にボーナスダメージを与えることになる。天使種族では最上位に位置するミカの扱うこれは、“あるレア種族”の特性やスキルなどと相乗させることで、かなりの性能を発揮するよう、カワウソが徹底的に、自らの手で創り上げた。

 

 カワウソは、思い出さずにはいられない。

 あの、サービス終了の時……この世界に転移した直後。

 恐慌状態に陥ったカワウソの肩に、ミカの手が触れた瞬間に起こった、思考の鎮静化。

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルにおいて堕天使には、大きな「弱点」がいくつか存在する。

 

 異形種である堕天使が種族として保有する特徴などを、以下に列挙する。

 

 種族固有スキル“清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅴ”の恩恵で、純粋な天使種族ではボーナスダメージとなる呪詛・闇・負属性への高い耐性を唯一獲得し、これによって高位階の堕天使は「呪詛、闇、いかなるカルマ値に依拠した攻撃や魔法、エリアなどでのペナルティやダメージをほぼ無効にする」ことを意味する。

 いわば……天使の絶対的弱点を克服した存在となりえるのだ。

 他にも天使種族の保有する特殊能力として、クリティカルヒット耐性、炎・風・電気属性ダメージ完全耐性、(ポジティブ)ダメージでの回復、聖霊魔法に耐性、「支配」「狂気」への完全耐性など。また上位物理無効化Ⅲ、上位魔法無効化Ⅲ、即死攻撃耐性も備わっている。それが堕天使という異形種の特徴である。

 

 反面、

 堕天使は「堕天した肉体」を持つが故の肉体ペナルティとして、

 斬撃武器脆弱Ⅳ、刺突武器脆弱Ⅳ、打撃武器脆弱Ⅲ、魔法攻撃脆弱Ⅳ、特殊攻撃脆弱Ⅲ、冷気ダメージ倍加、酸素必要、飲食必要(大量)などを被る。無論これらは、純粋な天使種族であれば、冷気ダメージ倍加以外は、かなり軽減・無効化できる弱点ばかりである。

 基礎ステータスも、純粋な天使種族からほぼ半減され、さらに強力な天使種族の攻撃能力を一部減退・制限されることにもなるのは、あまりにも有名な話だ。

 

 そうして。

 極め付けとなる、堕天使の最悪の弱点。

 

 それは──「支配」「狂気」系以外の──、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ。

 

 この状態異常脆弱Ⅴは、言うなれば、毒・病気・睡眠・麻痺・空腹・疲労・窒息・暗黒──恐怖や恐慌──興奮や混乱などなどの、ほぼすべての状態異常(バッドステータス)各種に罹患(りかん)、影響を受けやすいことを意味する。

 たとえば、毒の沼地に行けば毒ダメージを負い、僅か数分で「中毒」を発症。さらに「猛毒」「劇毒」と状態異常の症状は悪化し、最悪の場合、体力(HP)が0となり死亡。勿論、状態異常を回復する専用治癒薬(ポーション)や、そもそも毒を無効化する装備を身に帯びていれば、とりあえずの問題は解決できる。だが実のところ、異形種でそんなにも状態異常に罹患し、症状が数分で悪化するなんて言うのは極めて稀だ。たいがいの異形種はそういった状態異常とは無縁であることが普通。人間種でも、職業(クラス)レベルをカンストさせれば、ここまで状態異常に脆いものはいなくなるはず。

 純粋な天使であれば、むしろこういった状態異常とはほぼ無縁でいられるもの。天使種族の中で、唯一的に堕天使だけは、そういう弱点を与えられるのである。この点だけを見ても、下手な人間種のプレイヤーよりも遥かに扱いにくく、取得するプレイヤーがどれだけ奇矯かつ奇異な存在に見られていたかがわかるだろう。

 カワウソが転移直後に「恐怖」し「恐慌」し「混乱」してしまったのも、この弱点が大いに影響を及ぼしていたのかもしれない。

 

 ちなみに。

 一応、天使種族である堕天使は「支配」と「狂気」にだけは完全耐性を有しており、これは即ち『堕天使とは、神の“絶対支配”下にある“狂信”者』であるが故のものにすぎない。堕天使は「支配」と「狂気」の状態が基本であり絶対なのだという考え方であり、堕天使固有の耐性・特殊能力に列挙されるものだ。

 

 無論、これだけ大きな弱点を、そのまま抱えたままにしてはいられないため、カワウソはそれ専用の対策も、装備でどうにか克服──もとい、大いに『利用』している。

 

 しかし、この装備は強力な神器級(ゴッズ)アイテムではあるが、自分の内側から生じる状態異常──特に「恐怖」や「疲労“感”」などについては、この世界では特に効果を発揮していないようなのだ。

 ──冷静に考えてみれば、当然か。

 カワウソの(いだ)く恐怖も疲労感も、すべて彼の内側から生じる“感情”であり、外部からの直接攻撃というわけでは、ない。

 カワウソは自らの置かれた状況に恐怖し、思考の渦に精神を疲弊してきている。

 それが、カワウソが獲得し、異世界転移の経過(これまで)で実感している「堕天使」という種族なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 あの時の、転移直後の接触から始まり、彼女は……ミカは事あるごとに、カワウソの恐怖や混乱などの状態異常(バッドステータス)を掻き消していた。そう気づかされた。

 アインズ・ウール・ゴウン、魔導国の名に取り乱し、剣を振るった時。

 マルコ・チャンがこの大陸における常識を、語って聞かせてくれた時。

 ──そして、今。

 ミカは尊大にも聞こえるほど冷酷な声と瞳で、反論する。

 

「この力は、あなたがお与えになったものですが──どう使おうとも私の自由では?」

 

 確かに、その通りだ。ミカには「勝手な行動はするな」と言ってしまったが、常時発動(パッシブ)特殊技術(スキル)のオンオフまでどうこうしろとは命じていない。無理矢理に人に当てはめるなら「呼吸するな」と言われて実行できないのと同じだろうか。

 カワウソは反論しない。

 反論する意味も、ない。

 代わりに、問いかける。

 

「……それは、使い続けても大丈夫なのか?」

「問題ありません」

「……本当に?」

「はい」

 

 確信をもって頷く女天使の碧眼が、実に頼もしい。

 

「そうか……」

 

 諦めたように、カワウソは彼女の右手を解放する。

 

「なら……いい」

 

 ミカは痛めたはずもないだろうが、主人に掴まれた手をさすりつつ、視線を落とす。

 常時発動(パッシブ)といっても、攻撃の際などにオンオフが選択可能な仕様だったのだから、金輪際(こんりんざい)、カワウソに対して発動するなと命じること自体は出来るだろう。

 だが、それだと緊急時の回復手段が減ってしまうということ。ミカ本人が言うところを信じれば、カワウソはほぼ無限に近い回復手段を持っていると考えても、問題ないことになる。これは、実にすごいことだ。かつてのソロプレイ時代から考えると、ミカというNPCが自立行動し、外の世界で護衛についているというだけでも、戦闘において破格のアドバンテージを保有することを意味する。

 ──もっとも、その回復のためには、ミカの手などがカワウソに“触れて”いなければならず、またミカに設定した『嫌っている。』がある以上、どう転ぶか分かったものではないが。

 ──もしも、カワウソが回復をせがむ余り、ミカの我慢や嫌悪感が限界に達し、暴走することになるとしたら?

 そう考えると、あんまり使わない方がいいのかもしれない。

 だが、使えるのなら使うべきだと、判断していいはずだ。

 

『し、失礼します、カワウソ様』

 

 ふと、頭の中に聞き慣れた観測手(オブザーバー)の、拠点にいる少女の声が、〈伝言(メッセージ)〉の魔法によって届いた。

 

「マアトか。どうした?」

『あの、それが、わ、ちょ、ガブさん待っ……えと、み、皆さんが、その』

「皆? ──皆って」

「カワウソ様、〈全体伝言(マス・メッセージ)〉をマアトに」

 

 ミカの無表情に言われるまま、マアトに魔法を使うことを許可する。

 

主様(あるじさま)! 御無事で!』

 

 途端、マアトとは違う女性の声が、頭の中に大音量で響く。

 拠点を幻術などによって隠蔽防衛する精神系魔法詠唱者にしてパワーファイター──銀髪褐色肌の聖女──智天使(ケルビム)Lv.15である隊長補佐が、声を荒げるままの音量を奏で吠える。

 

「ガブ、か? ……どうした? そんな声を出して?」

『先ほど、御命令に従い、主様の破壊した森の修繕にアプサラスと向かったのですが──おかしいです!』

「ちょ、え、なにが?」

『ガ、ガブさん、あの、落ち着いて』

『ごめんね、マアト。でも落ち着いてなんていられないわ!』

 

 ガブは金切り声じみた高音で先を続ける。

 

主様(あるじさま)。記録映像を拝見しました。マアトに通信と観測を中断させる前、主様が破壊した森なのですが!』

「それがどうし…………あ」

 

 そういえば。

 マアトに監視させていたタイミング的に、カワウソが破壊した森は最初に放った“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”の一撃くらいだと認識されていただろう。しかし、実際に破壊された森の荒れ様……カワウソが混乱と動揺のまま両手の剣で森を蹂躙し尽くした場面は、マアトの知るところではなかった。

 にも、かかわらず。

 実際にはさらに強力かつ暴力的な戦闘痕を残す森があったとなっては、彼女たちが疑念してしまうのも無理はない。

 マアトの見ていない間に「何かがあったのでは?」と惑乱するのは、十分あり得る誤差ではないか。

 

「ああ、えと──すまん。あれは、何というか」

 

 どう弁論しようかと悩むカワウソに“気づかない”まま、ガブはまくしたてる。

 とんでもないことを報告し始める。

 

 

 

『あの森、どこも破壊されておりませんでした!』

 

 

 

 言われたことが、瞬時には理解できない。

 

「────は?」

 

 言われたことがようやっと脳に染み込むのと同時に、堕天使の思考に、さらなる空白が生じる。

 

『マアトも見ていた、御身の特殊技術(スキル)の一撃で消滅した森の一帯は、完全に、元の状態に修復されていたのです!』

 

 こんなことありえませんと、隊長補佐は吠え続ける。

 

『私どもは至急転移で向かいましたところ、森がそのように復元されていることが確認できたのです。主様の使用した、野営アイテムの避難所(シェルター)は健在でございました。で、あるならば、あの森は勝手に再生する魔法や特殊技術か、〈時間遡行〉などの影響を受けている可能性が高いと推察できます!』

 

 普通の森だと思っていた場所が、そうではなかったことが判明した。

 カワウソが恐慌のまま更地にしたはずの森が、マアトが主人らの転移に合わせて監視態勢を移行したことにより、森からは目を離さざるを得なかった結果──いつの間にか元の深緑の大地を構築していたというのだ。

 これは、ありえない。

 あの森に特殊なフィールドエフェクトは存在しなかったはず。

 少なくとも、カワウソやミカが赴いた時点では、これといったマイナスやプラスの効果を受ける感覚はなかったし、最初にあの森に到達したNPC三人が採取し調査できた草木というのも、これといった異常や特徴は見受けられなかった。時間が遡行する──「巻き戻る」なんて大魔法が働いていたら、時間魔法対策を備えるカワウソたちに影響を及ぼさないとしても、それ以外の存在……特にヴェル・セークや追跡部隊などはもろに影響を受け付けていないとおかしすぎる。時間系の干渉や事象があることはないと見て、ほぼ間違いないだろう。

 

 なのに、一日もせず自己再生する森が存在するというのは、……つまり、どういうことだ。

 

 しかも、野営アイテム……地下避難所の周囲一帯を薙ぎ払った規模の破壊を、数時間足らずで。

 この世界独特の植物の成長速度の法則が? あるいは何らかの魔法で──天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属するものとはまったく違う森祭司(ドルイド)が育成した結果、とか? しかし、そんなことが実現可能なのか? この世界独自の魔法や、アイテムの影響が? 考えてみると、あの森には生命らしい生命を確認することができなかったのも奇妙ではないか? あまりにも疑問が多すぎる……

 

「…………沈黙の森…………空白地帯」

 

伝言(メッセージ)〉の魔法越しに、全員が虚を突かれたように押し黙るのに気づかず、カワウソは誰かから聞かされた単語を反芻する。

 それはあの修道女──マルコが語った、森の名称。

 それがカワウソにとって異質な響きを帯び始める。

 彼女が呟いていた言葉を、可能な限り、思い出す。

 

  (いわ)く、スレイン平野は、禁忌の地────

  曰く、守護者様に、大罪を働きし者共の────土地────

 

 ゾッ、とする可能性が、背筋を幾本の刃となって突き刺した。

 心臓が握りしめられてしまったように、苦しみを訴え始める。

 自分たちが、巨大な掌の上で転がる様を幻視せざるを得ない。

 

主様(あるじさま)……一刻も早く、ミカと共に御帰還ください!』

 

 鋼鉄のように硬い声で、意見具申するガブの声に耳を傾ける。

 だが、

 

 

 

「──戻って、どうしろと?」

 

 

 

 カワウソは冷静に、冷徹に、ガブの進言を棄却していく。

 理由は、宿屋に残したヴェルとマルコに心配をかけるだろうから──では、ない。

 

籠城(ろうじょう)でもするのか? この大陸を支配する存在に対して? たったひとつの城しか持たない俺たちが、か?」

 

 暗い声で紡ぐ現実に、ガブはそれ以上、抗弁する意気を見せず押し黙る。

 これは、彼女の理解力が深いことを物語っているとみるべきだろう。

 (くだん)のギルドと、カワウソの創ったギルドの戦力比を(かんが)みれば、持久力を要求される籠城など、無意味である以上に、緩やかな自殺行為にしかならない。

 

「マアトから聞いていないか? ──この大陸は、あのアインズ・ウール・ゴウンの支配下にある、と」

『……はい。聞きました』

 

 どうにも、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちも、ユグドラシルのギルド:アインズ・ウール・ゴウンのことは知悉(ちしつ)しているようだ。ヴェルから最初に聞いたその名前に、拠点NPCの長であるミカが一早く反応できていたのだから、他のNPC──ガブたちも知ってはいるのだろうと予想は出来ていた。

 これは、カワウソが彼らをそれぞれ作った際に定めた設定文の影響か、あるいは円卓の間などで眺めた動画(ムービー)から知識を得ているのか……または両方によるものか、判然としない。

 いずれにせよ、NPCたちも、カワウソの復仇(ふっきゅう)の対象であるものを知覚し、認識し、理解できてはいるらしい。

 隣に立つ黄金の女天使は、カワウソの言に反駁(はんばく)することなく、そこに佇み続ける。

 

「──戻ったところでどうしようもない。であるなら、少なくともこの大陸の、この世界の、実情と現状を把握し、今後の活動方針を確かにする必要が、ある」

 

 そうとも。

 まだ決定的な状況であると確定したわけではない。

 監視の目がどこそこにあるとか、明らかに拠点へ侵攻しようという軍勢が現れたわけでもないのだ。

 

 まだ、まだどうにかできる。

 どうにかする猶予が、ある。

 そう信じるしかないだけと言われれば、そうだとしか言えないだろう。

 それでも、カワウソはその可能性に、賭けるしかないのも事実だった。

 

 戻って対策を協議する暇があるのなら、少しでもこの世界の、この大陸の──この魔導国の情報を集積し、いかなる対抗策があるのか……あるいは、ないのか……調べなくては話にならない。

 籠城など論外だ。

 カワウソの保有する戦力は「ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」拠点レベル1350の地下潜伏型のギルド。Lv.100NPCは十二人。Lv.35が四体。Lv.1が十人のみ。課金アイテムはかなりの量を私蔵しているが、そのすべてを手元のアイテムボックスに入れることは不可能。というか、割と微妙系アイテムが大半な、課金ガチャの外れ景品みたいなもので、使えるかどうかも怪しい。

 カワウソが保有する世界級(ワールド)アイテムは、この身に1つだけ装備されているそれのみ。

 

 ──対して。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウン──および魔導国の戦力は、ひとつの大陸全土に及ぶ臣民。いかなる技術でか不明だが、時間制限なしに保有する大量無比なアンデッドモンスターの数々……概算で数万規模。さらに、少なくともLv.100NPCが五人。他にも高レベルモンスターNPCが多数。「ナザリック地下大墳墓」の、ランキングデータを参照した拠点レベルの情報は2750……最大が3000ともなる拠点レベルに、あとわずかで届くという、十大ギルドの座に君臨するにふさわしかった、強大なダンジョンであったのだ。

 そうして、世界級(ワールド)アイテムの保有数は、桁違いの11個……のはず。

 この世界独自のアイテムや魔法、さらには、カワウソの知り得ない新たな世界級(ワールド)アイテムも有しているとしたら……

 

「……馬鹿馬鹿しいな」

 

 これだけ戦力に違いがある相手に籠城を決め込めば、一方的に蹂躙されるだけだろう。圧倒的な物量戦で押し潰されることは明々白々。

 数万のアンデッドモンスター……それは、下手をするとその存在自体が、専門の超位魔法か、世界級(ワールド)アイテムによる召喚攻撃に匹敵する戦力であり暴力だ。さらに、桁が一つ二つ増えれば途方もない。いかに雑魚とはいえ、100万の軍勢に無双できるほど、Lv.100という存在は万能ではないだろう。体力(HP)魔力(MP)が尽きれば、死あるのみ。蘇生アイテムや蘇生魔法が使えなければ、それまでというわけだ。全方位から拠点に強襲をかけられたら──とてもではないが、想像を絶している。100万の軍勢なんて、ユグドラシルの十二年という長い歴史上でも、果たしてどれだけ実行された規模の攻撃だというのか。

 その矛先に、自分自身が晒されると考えただけで、肺腑が凍る。

 しかも、カワウソのギルド拠点は、現在は吹きっさらしの大地の中心で、鏡一枚だけを出入口にしている状況を思い出すと、嫌な可能性が想起される。

 

 システム・アリアドネ。

 ユグドラシルのゲームシステムにおいて、ギルド拠点への侵入を完全に防ぐような措置――たとえば、絶対に拠点を攻略されないよう出入口を完全封鎖するために、“都市”であればすべての門を閉じ、すべての壁を侵入不能にし、すべての空を〈飛行〉不能にする。“地下城砦”であれば地表との通路や転移装置などを破壊するなど──を拠点製作時に施したギルドに、運営がペナルティを与えるものだ。

 ギルド拠点となるダンジョンは、入口(スタート)から心臓部(ゴール)までを一本の糸で繋がねばならない。どんなに難解複雑な迷路を建造しても、誰も終点にたどり着けないものでは、インチキ過ぎる。システム・アリアドネは他にも内部を歩いた距離に比例して、どれほどの扉を設置せねばならないなどの制約を、事細かくユーザーに定めていた。ちなみに、課金などの方法で、ある程度は魔改造を組み込むことは、一応可能ではある。

 このシステムに著しく違反したダンジョンが創設された場合、そのギルドにペナルティとして、ギルド資産が一挙に目減りする現象が発生。

 拠点を管理維持するために必要不可欠な財貨が尽きてしまえば──あとは、言わなくてもわかるだろう。

 

 ここは、ユグドラシルではない。

 だが、可能性は、なくはないだろう。

 システム・アリアドネが機能しているかは不明だが、他のユグドラシルの法則が適用されている世界で、同じようにアリアドネも機能していたら……あの〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉を破壊されただけで、カワウソたちの拠点はペナルティを被ることになるかもしれない。

 そして、この異世界にはユグドラシル金貨は流通しておらず、モンスターからのドロップも期待できない以上、拠点内にあるアイテム換金のためのエクスチェンジボックス──通称“シュレッダー”を、商人のレベルを持つNPCに使わせて獲得するしか、他に手がない。

 あの初期からある鏡の他にも、転移用の鏡を増設した方がいいかもしれないか。

 思ったカワウソは即決する。

 

「ガブ。早急に第四階層の金庫にある〈転移鏡〉を三つほど用意しろ。予備の出入り口として、起動するように手配を」

『よ、よろしいのですか? 出入口が合計四つとなると、敵に侵入される(おそれ)が増大しますが?』

「……入口が今のままでは、破壊された際の被害がとんでもなくなる。防衛と隠蔽の対象が増えて負担だとしても、最低でもひとつは、予備を設置しておかねばならない。鏡の直衛は、現状の二匹体制を一匹体制に減らして、二つの鏡を六時間交代で護衛させるようにするんだ」

『──かしこまりました。しかし、シシやコマたちは疲労しませんが、一体ずつのみでは、有事の際には不安が残るのでは?』

 

 動像獣(アニマル・ゴーレム)の彼らは、拠点防衛のために有用な守護というよりも、“警報”を期待して作った存在だ。この大陸を(ひし)めく雑魚アンデッドと互角に渡り合うことは出来ても、それ以上の強者に会敵しては無力極まる。彼らの“最終手段”を使えば、格上の存在にもある程度の威力は期待できるが、それでも二桁の敵対者を前にしては、容易に突破されるだろう。

 

「それならば、カワウソ様。我等の拠点防衛隊の内、二人ほどを鏡の護衛につけることを提案いたします」

 

 防衛隊隊長であるミカの提案に、補佐のガブも同調する。

 

「うん……とすると、誰がいいか」

 

 補助役(サポートタイプ)の二人、マアトとアプサラスは除外。防衛と隠蔽の魔法を発揮するガブも、拠点内に籠らせるべきか。カワウソは、他のNPCに設定したレベルや保有スキルを、ひたすら思い出していく。

 

「……鏡の護衛や、急襲時の時間稼ぎに使えそうなNPCは、前衛タンクの防衛隊副長・ウォフと、斥候としての感知能力を持つタイシャが適任……か?」

「ウォフは前衛としての戦力に信頼はおけますが、タイシャは、あまり通常形態でのパワーは期待できません。この二人を別個に護衛に就けるのはお勧めできませんが」

「……誰も別個につけるとは言ってないぞ?」

 

 疑念するミカに、カワウソはとりあえず告げる。

 

「二人一組で、初期設定の転移門周辺を護衛させる。予備の方に、シシやコマたちを配置する。悪いが、さっき言った一匹一匹体制は撤回だ。防衛隊のNPCが使えるとなれば、より防衛はしやすくなるだろうからな」

「それは、どういう……」

 

 カワウソは、疑念し続けるミカに向け、左右両手の人差し指をたてて示した。

 

「ここに二つの進入路がある。一方は屈強な番人が二人いて、もう一方は貧弱な獣が二匹いるだけとしたら、ミカなら、どっちに進む?」

「──そういうことですか」

『どういうこと、ミカ?』

「予備の方を囮にし、そちらから侵入しようとするものを、狩る」

 

 ミカの言は、カワウソの思う策そのものであった。

 シシとコマたち……明らかに弱い小動物然とした方に敵を誘引し、ひっかかった連中を逐一打破していくという、かなり基本的な策略である。動像獣たちには悪いと思うが、もともとの運用方法が似たり寄ったりな感じなので、大丈夫だと思いたい。思うことにするしかない。

 何より、ミカやガブたちも、その案に対して忌避感を抱いている節は見受けられなかったのも助かった。

 同種族でないから無視できるのか、あるいはシシやコマたちの役割や思考体系を熟知しているからなのか……たぶん後者だと思われる。

 交代要員として、瞬間火力と広域殲滅力で最強の魔術師(メイジ)であるウリと、多くの長距離戦用兵装を有する兵士(ソルジャー)のクピドも、予備としてつけておいた方がいいと判断しておく。あいつらであれば、一応は二桁から三桁の雑魚モンスターに攻め込まれても、迎撃し時間を稼ぐくらいのことは可能だろうから。

 ミカは目の前で顎を引き、〈伝言(メッセージ)〉越しにもガブが肯定の意を示す。

 

 

 無論、その程度の対策で万全とは言えない。

 

 

 誰にも知覚できない超長距離から狙撃されるとか、あまりにも大量の軍勢に攻め寄せられたりしたらとか──無数の問題点を抱えている。そこはマアトの監視や、ガブの防衛力に頼むしかないが……あの二人の魔力だって有限である以上、どこかで隙が生じるだろう。いざ戦闘になった際の治癒係(ヒーラー)も残しておく方がベストだと考えると、イスラも拠点に残留させるべきか。

 こちらの交代や休息時……その時をこそ狙いすましてくる連中がいれば、NPCたちの全戦力を傾けて迎撃するほかない。

 そういった迎撃体制を整えるためにも、情報収集と異世界探索は継続し、かつ、早急にやり遂げねばならない。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の情報。魔導国が確実に動かせるだろう全兵力。この世界独自の魔法や特殊技術(スキル)、高レベルモンスターの有無。ユグドラシルと同じ法則と──異なる法則の検証と実験。

 これらすべてを把握するには──

 

「手が足りない……か?」

 

 拠点防衛のために、残しておくべき戦力は六体以上に微調整。

 ガブ、ウリ、イスラ、ウォフ、タイシャ、マアト、アプサラス、クピド……合計八体。

 魔導国の実態と実情を調べるメンバーを選抜する必要性に迫られる。

 残る四体のNPC……ミカ、ラファ、イズラ、ナタ……を使うより他にない。

 幸いというべきか、残っている四体のNPCには、そういった隠密性などに秀でたレベルや装備を保有、所持可能な存在が多数をしめている。だが、それだって絶対安全とは言い切れないだろう。

 

 ないない尽くしで嫌になってくるな。

 だが、弱音や愚痴など無意味なことは、歴然とした事実。

 

 二人の感知をすり抜けようとする敵がいた場合、動像獣部隊(シシやコマたち)を緊急対応的にぶつけて様子を見るか……いや、相手が友好的に事を進めるタイプであれば……って、入口に隠形して近づくというのは、どう考えても敵でしかないはず。

 ……否。

 カワウソたちはまがりなりにも、一国家の土地に転移してしまったのだ。スレイン平野がどうして「禁忌の地」なんて称されているのか知ったことではないが、カワウソのギルドは、魔導王という人物の土地に勝手にお邪魔しているような状況である。警戒して近づいてくる調査隊というのも、十分にありえる話ではないのか。

 

「いずれにしても、一刻も早く、情報を集めるしかない」

 

 己に言い聞かせるような調子で、今後の方針を確固たるものとする。

 ミカやガブたちも首肯の気配でもって応じてくれた。

 拠点の防衛を密にしつつ、いざという時の保険も用意し、なおかつ、自分たちがこの世界で生きていくのに必要な措置を講じねば。

 こそこそ隠れることはソロプレイ時代からの慣習だったので抵抗などないが、果たして一体、どのようにして生きていけばよいのか、まるで想像もつかない。

 

 自分たちから望んで連中に──魔導国に下るか?

 しかし……あのPKやPKKを繰り返していたDQNギルドが、自分たちのような存在を受け入れるものなのか?

 

 たった二つながら、それ故に厳しい“加入条件”を課していたことによって、その内実を知るユーザーはほとんどいない。時折、ギルド長のモモンガがユグドラシル内で取材に応じていたことがあるぐらいで、彼らが何故そこまで「悪」にこだわるロールプレイに傾倒したのかは、長らく謎であった。

 ゲームのサービス終了日にはランキング29位に……最低だと48位まで落ちていたこともあったか……細々と名を残していた程度で、構成メンバー41人中40人、ほぼ全員のINが確認されなくなって久しかった。唯一、定期的にスレなどで「ギルド長(モモンガ)の姿を見た」という情報が時々ある程度。

 

 しかし、だ。

 普通に考えるなら、あのギルドはかなり健闘した方なのである。

 

 ギルド最大構成員数100名であるにも関わらず、その半分にも満たない人数で、十大ギルドに名を連ね、世界級(ワールド)アイテムを桁違いの数保有した、伝説の存在。メンバーのほとんどが辞めた状態だとしたら、終了日で29位というのは、途方もない大健闘だと言っても過言にはなるまい。

 これは彼らアインズ・ウール・ゴウンだけではなく、全盛のころのユグドラシルに存在したギルドのほとんどが同様の末路をたどっている。中にはメンバー全員が引退するのを機に、保有していたレア装備の払い下げが盛んに行われ、カワウソが保有する神器級(ゴッズ)アイテムの大半がその時に購入したものばかり。

 かつては四桁……大小強弱を問わず、1000を超えるギルドが(しのぎ)を削っていたユグドラシルも、末期にはギルド解散や消滅が相次ぎ、その総数は800弱にまで減退していたのだ。

 こういうのを何だったか。

 (つわもの)どもが夢のあと、だったかな。

 

「……マアト」

『は、はい!』

「ヴェルとマルコたちの推定レベルと……街道にあった看板の文字、解読の方は?」

 

 終わっているか(たず)ねると、少女は肯定の声を紡いだ。

 ヴェルはLv.20前後という結果で、やはりユグドラシルの前提条件を満たしておらず、その乗騎となる飛竜にしても、Lv.20相当のモンスターであると試算された。

 だが、

 

『マルコさんは、申し訳ありませんが、その、測定できませんでした』

「……マルコ、だけが?」

『たぶん、何かのアイテムか装備の影響だと思うのですが、これ以上は、その、直接見て確かめる以外の方法がなくて……すいません』

「気にするな、マアト」

 

 マルコについては要注意ということが判明しただけでも、彼女の鑑定結果の功績は大きい。現地人でも、情報系対策は万全に備えているのかもしれないという事実が、カワウソの意識をより引き締めてくれる。

 マアトは続けざまに、街道にあった立て看板の詳細を報告してくれる。

 解読できた文字列は、以下の三つ。

 

 

「第一魔法都市・カッツェ。

 ~絶対防衛城塞都市・エモット、アゼルリシア領域への中継地~」

 

「冒険都市・オーリウクルス。

 ~第二魔法都市・ベイロン、中央都市領域への中継地~」

 

「第一生産都市・アベリオン。

 ~空中都市・エリュエンティウ、南方士族領域への中継地~」

 

 

 実に看板らしい、簡潔な案内文であった。

 そして、そのどれもが、カワウソの知らない単語……都市の名前であった。

 この内の魔法都市・カッツェという土地に、現在カワウソたちはいるわけだ。

 

「……他の都市にも──情報偵察に向かうべき、か」

 

 その必要性は十分あるものと考えられた。

 カッツェという魔法都市は、実に穏健な人々の営みで溢れているが、それ以外だとどうなっているのか、純粋な好奇心が湧き起こる。

 冒険者の都という土地はどのようなものか──第二魔法都市というのは、このカッツェとはどう違うのか──生産都市とやらの役割とは何か──領域と呼ばれる土地とは──他にもあるのだろう、さまざまな都市や土地のありようは、どれほどカワウソの心を捉えてくれるのか……知りたかった。

 何より、ナザリック地下大墳墓を擁するという城塞都市──「絶対防衛」を謳う“エモット”なる都がどんなものかは、非常に興味深い。本当に、この世界にナザリック地下大墳墓があるというのであれば、実際に見て確かめておきたい衝動を抑えきれない。

 わざわざワールドを移動してソロ攻略に長いこと挑んできたカワウソにしてみれば、目と鼻の先といってもよい距離感ではないだろうか。

 何より、この世界にはグレンベラ沼地のような、強力な毒ダメージなどがないだろうというのは、それだけでかなり難易度が下がる。沼地は毒ダメージのみならず、面倒な蛙型モンスター……ツヴェーグ系の群れなども多数出現し、本当に攻略難易度を引き上げてくれたもの。酷い時は一日費やして、大墳墓の表層にすらたどり着けないこともありえたのだ。……カワウソ一人では。『敗者の烙印』を押されたプレイヤー、ただ一人では。

 勿論、この異世界でナザリックを直接防衛する都市というからには、この都市ほど潜入など容易ではないだろうと思われる。侵攻など不可能かつ無理な警備体制である確率は高いだろう。そうでなければおかしい。

 調べてみないことには判然としないが、城塞都市というからには、本当に城塞が聳えるように建立されていても、なんら不思議ではない。下手をすると、上位アンデッド……蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に代表される高レベルモンスターのみで構築された防衛部隊が鎮護していることも、可能性としてはありえると判断しておく。

 カワウソはミカ以外の、調査に適しているだろう三体のNPCの名を呼ぶ。

 

「ラファ、イズラ、ナタ」

『はい、我が主よ』

『どうかしました?』

『何事ですか、師父(スース)!!』

 

全体伝言(マス・メッセージ)〉によって繋がっていた──しかし儀礼的に沈黙していた彼ら三名に、カワウソは命じる。

 

「おまえたちには、各都市とやらに出向いて、魔導国の人たちの暮らしぶりなどを調べてきて欲しい」

 

 隠密裏に行うことを厳命され、一も二もなく、三人はそれぞれが承服の言葉を紡ぐ。

 

「そして、ミカには悪いが……引き続き、調査に赴く俺の護衛を勤めてもらう」

「お待ちを…………拠点に、戻るつもりはない、と?」

 

 堕天使はミカにきっぱりと頷く。調査には自分自身も使わねばならないと、厳かに告げる。

 魔法越しに、NPCたち全員が驚愕の声をあげる様が響くが、構わない。

 

「ミカにも言ったことだが……俺一人がのうのうと、ギルドの奥に留まっていることは出来ないのが現状だ。そのことを、おまえたちにも理解してほしい」

 

 告げる主人の声の硬さに納得してくれたのか、全員からの抗弁が途絶える。

 主人(カワウソ)を嫌悪しているミカであるが、その性能──防御力と治癒力は、必ずカワウソに利するはず。ギルド最高の叡智を備えるという設定も便利に扱うことができれば、尚良しだ。

 ──さらに。それとは別の打算もいくつかあるにはあるが、果たして彼らは、カワウソの異なる企みに気づいているのか、いないのか。

 

『しかし、カワウソ様。せめて、護衛をもう一人くらい付けた方がよろしいのでは?』

 

 そう最後に意見具申するガブの声音は、真摯にカワウソの身を案じていると判るほど柔らかく暖かだ。

 マアトはこの後、ギルド防衛のための監視体制拡充のために働く。

 そのため、これまで通りのリアルタイムな観測手(オブザーバー)は、作業量的に無理があると判断されて当然だった。カワウソは真実、ミカと二人で異世界を闊歩(かっぽ)せねばならなくなる。

 二人一組で調査に赴くよりも、三人一組の方が、主人の護衛は万全に保たれるという意見であって、別にカワウソ本人やミカの能力を疑っているわけでないことは、その声音から窺い知ることができる。

 その優しさが痛いほど胸を苛む。

 だからこそ、カワウソは、言う。

 

「……問題、ない。ミカと俺なら、とりあえず戦闘に不備が生じることはないだろう」

 

 本音を言うと、ギルド最強の攻撃性能を与えた花の動像(フラワー・ゴーレム)・ナタも連れていければ、基本戦闘のパーティーとしては完璧なのだが、調査隊を減らしてまで攻撃力に特化した──ギルドにおいて「最強の矛」たる存在を連れ歩く意味は薄いと判断する。むしろ、彼の能力ならば、「単独」でLv.100の存在と一対一で相対しても、圧倒できるだろう。自分の拠点の第一階層の守護を任せ、最終戦である第四階層にも動員できるよう特別に作った存在の強さは伊達ではない。

 自分の身はかわいい堕天使であるが、だからこそ、調査隊の数と質が、今後の運命をわける状況であると納得もできている。

 調査は合計四つの班。

 ラファ、イズラ、ナタ、さらにカワウソとミカの四チームで挑むことが決定した。

 承知の声を真っ先にあげる隊長補佐、智天使(ケルビム)の聖女に向かって、カワウソはある事実を確かめておく。

 

「ガブ……おまえ確か、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉が使えた、よな?」

 

 無論ですと、ガブは誇るように応じる。

記憶操作(コントロール・アムネジア)〉系統は、精神系魔法に特化したレベルをいくつか保有する彼女であればこその魔法だ。

 それを使って、ヴェル・セークの記憶をいじれば、とりあえず自分たちと初遭遇した際の不審点──魔導国の実情を知らないこと、転移魔法を軽く扱えてしまうこと、など──を帳消しにできるだろう。わざわざ少女の命を摘み取るよりも穏健な解決方法が見いだせて、カワウソは大いに安堵の吐息を漏らしてしまう。

 

「とすると……ガブには一度、こちらに来てもらう必要があるか」

 

 魔法の向こう側で首を傾げているらしいガブに、カワウソは言った。

 

「──ありがとな、ガブ。心配してくれて」

『か、感謝されるなんて! と、とんでもないことです!』

 

 泡を喰ったように応対する声が耳に心地よい。

 ガブの好意と厚意に甘えつつ、そんな自分の軽薄かつ仄暗い(はかりごと)に吐き気を催す。

 他の──ミカ以外のNPCから感じられる敬意や尊重、(あるじ)に対する信頼や親愛を、カワウソは裏切っている。利用している。自分が生き残りたいがためだけに。

 これが、堕天使のあたりまえな思考なのか。

 もしかすると、自分の本性そのものなのか──まるで判然としない。

 あまりにも情けなくて吸い込む空気が重く、不味(まず)い。

 自分の中身がドロドロに濁った汚れに満ちているようで、気分が悪くなる。

 そうして、カワウソは自分以外に調査に赴く三人のNPCに、諸注意としてのルールを定める。ガブたちにも再三にわたり、ギルド拠点の防衛と対策を密にするよう命じると、魔法を断ち切った。

 

「ふぅ……」

「カワウソ様」

 

 限界だった。

 軽く笑ってみせるが、胸の奥が震えて、しようがない。

 

「何、なんだろうな……この世界は」

「──カワウソ、様?」

 

 建物の外壁に身体を預け、ずるずると、鎧越しの背中を引き摺るように、座り込む。

 全身を丸め、足を抱いて、顔を埋めた。

 

「すまん……少し、……少し疲れた」

 

 泣きたくなるほどの不安感を、ミカが背中にかけた掌の温度で和らげてくれる。

 自分を癒すNPCの、その峻厳な表情を横目にする。

 主を案じているとはとても思えない無表情が、カワウソの視線を受け止めて……やはり醜悪な堕天使の面貌に耐えられなくなったのか、あるいはあまりの体たらくぶりに呆れ果てたかのように、視線を落とした。

 

 カワウソは、久しく感じたことのない安堵感に、深く息をする。

 

 そのまま微睡(まどろ)むような時を、ただ過ごす。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 宿の係留所で、ヴェル・セークは相棒である飛竜の鱗を撫でながら、ひとつ相談していた。

 

「うん……そうだね。やっぱり、このままじゃ、ダメ……だよね」

「クゥ……」

 

 魔化された丈夫な樹の柱と柵に囲われた竜。大量のモンスターが畏怖して当然の竜種族のラベンダであるが、ここでは割と低い等級というか、他の騎乗用の魔獣が凄すぎて、借りてきた猫みたく身を縮こませていることしかできない。けれど、彼女はそんなことを苦にはしていない。もっと別のことに……ヴェルのことについて、心を痛めてくれている。

 慈しみを纏う相棒の心配げな声と眼差しに、騎乗者たる少女は頷きを返した。

 ラベンダとヴェルは、互いが生まれた頃からの付き合いだ。

 いつだって共に食事し、共に遊び、共に寝て……今も共に、生きている。……そして、その後(・・・)も。

 

「じゃあ、そうするよ」

 

 一人と一匹は、互いに静かな覚悟を込めて、自分たちの今後を、決定する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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