オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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※このお話に登場する飛竜騎兵たちは、二次創作です。
※書籍の記述を可能な限り参考にして考察しておりますが、オリジナル要素が過多です。ご注意ください。

最初は天使の澱のNPCパートです。アインズ様は最後に登場します。
あと今回の話、すごく長くなってる気が……




/Wyvern Rider …vol.3

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「はい──はい……わかりました。他の調査隊は、そのように監視を。はい……あの、くれぐれも、お気をつけて」

 

 褐色肌に黒髪の上に天使の輪を浮かべる少女は、〈伝言(メッセージ)〉の魔法を名残惜しくも断ち切った。

 ふぅと息を漏らす。

 マアトは疲れとは無縁の眼に、緊張から生じる麻痺にも似た感覚を覚えた。眼鏡をあげてゴシゴシこすりたくなるが、両腕が翼人(バードマン)の羽根だとフワフワとした感触で撫でてしまって効果的ではないので、かたい肘の裏あたりに顔を押し付けるようにするしかない。自分が起動し続けている〈水晶の画面〉は、すでに十基を超えていた。蒼い光に照らされる室内は依然として薄暗い。

 その時。軽快なノックの音が。

 少しどもりながら「ど、どうぞ」と告げる。

 

「ご苦労さま♪」

 

 隠し扉の向こうから現れた同胞の姿は、煽情的に過ぎる薄褐色の肌の肉体を艶めかしいアジア系の踊り子の装束で包み込み、半透明かつ自由に宙を漂い流れる羽衣で口元や体躯を覆いつつ、その両腕は鍛冶錬鉄や各種作業に使える武骨な鉄鋼の巨大籠手で武装した、マアトと同じ補助役(サポートタイプ)のNPC。

 裸足のくるぶしに身に着けた足輪をシャランと響かせた、天使と精霊の両種族保有者を、マアトは名を呼んで迎え入れる。

 

「あ、アプサラスさん」

「調子は、どう?」

魔力(MP)は、えと、あと五、六時間はいけると思います」

 

 マアトは率直に、自分の活動限界時間までの刻限を算出する。

 カワウソとミカが拠点(ここ)を発ってから、すでに半日以上が経過しているが、彼女に割り振られた魔力量は未だに底へたどり着いていなかった。

 しかし、

 

「無理はしないことね♪ あなたが倒れでもしたら、周辺警戒は全員で、あるいはガブやウォフの力で召喚した上級天使か、私のかわいい精霊たちを大量に派遣しないといけなくなるから♪」

 

 一応、拠点内の雑魚モンスターも、外で活動できることは確認済みだが、大量に外へ解き放つことは出来ない。

 外の存在に、せっかく隠蔽した自分たちの拠点を喧伝し、あまつさえ雑魚ばかりでは、魔導国のアンデッドなど対抗する手段には向いていない。かと言って、上級の天使を大量にPOPさせては、ギルドの資産を大量消費する。ユグドラシル金貨が存在しない異世界で、主の許可もなく資産を蕩尽(とうじん)するわけにもいかないのだ。よほどの危機的状況でない限り、POPモンスターを外へ放つことは出来ない。

 かと言って、拠点NPCであるガブやアプサラスの保有する召喚魔法や作成特殊技術(スキル)で作ったモンスターには時間制限がある上、一日の上限数まで存在した。正直、緊急時以外に使うべきではないだろう。

 

「は、はい。それはそうなのですが……あの」

 

 マアトは俯きがちに視線を上げる。

 アプサラスが片手の銀盆に軽く乗せたものを注視した。

 

「えと、その、食事は?」

「イスラからあなたへの差し入れ♪ 各種ステータス向上効果付き、フレスヴェルク(世界樹の大鷲)の卵を使用したオムライス♪ 中は当然、アルフヘイム産最高級トマト製ケチャップをふんだんに使ったチキンライスよ♪」

 

 黄金のごとき卵黄の生地に包まれ、真っ赤なトマトケチャップの香りを放つ料理を前に、マアトは翼人(バードマン)の食欲をそそられる。磨かれた銀食器のスプーンがナプキンにくるまれ、コップの中の“ミーミル泉の湧水(わきみず)”が添えられている。

 

「あ、ありがとうございます。えと、いただきますね」

 

 フワフワの羽の先を巧みに操り、マアトは盆を受け取って椅子に座った。モニターを視界に納める位置の机に盆を置き、スプーンを羽根に包んで器用に料理を味わう。

 

 天使は元来、飲食不要なモンスターだ。

 しかし、それは飲食によってエネルギーを補給する必要がなく、また「飢え」「渇き」といった状態異常から無縁であるが故に、料理を摂取する必要性がないだけ。

 ユグドラシルでは料理人(コック)のレベルを一定以上獲得した存在が作れる料理には、「飢え」「渇き」といった基本的な状態異常回復効果の他に、ある程度特別な料理を調理し作成することが可能で、その料理は摂取して一定時間、プレイヤーの各種ステータスを向上させたり、「飢え」「渇き」以外の状態異常を解消あるいは予防出来たり、レアモンスターを誘き寄せたり、ドロップ率が上昇したりなどの便利なアイテムとして利用可能なものになりえた。

 調理特殊技術(スキル)を行使するのに最低限必要な設備や、食材の入手は面倒ではあるが、ゲーム内でのプレイを円滑に進めようと思えば、そういった料理によるバフ効果というのは馬鹿にできるものではなくなる。

 外で活動するミカがまったく飲食をしないのは、外の料理には彼女に利する効果がなく、また「飢え」や「渇き」と無縁の熾天使(セラフィム)であるがために、摂取する必要をまったく感じていないからだった。

 つまり、今マアトに提供されたようなステータス向上などのバフがかかった料理でさえあれば、ミカも外で食事を嗜む姿勢を取っていたかもしれないのである。

 

 受け取った料理を食す間、マアトは同輩であり、同じ補助役(サポートタイプ)として創造され任務に励む翠髪の踊り子を対面に座らせ、じっと眺められ続ける。

 

「えと、アプサラスさん」

「なあに?」

「あ、あの、良ければ、一口、いただきます?」

「気にしないで良いわ♪ 今からいただいても、私にはバフがかからないし♪」

 

 料理は専用の食材──巨大(ジャイアント)──でも用いない限り、原則一人一食分の効果しか得られない。仲間全体で一皿の料理を囲んでも、その恩恵は一人にしか供与されないシステムなのだ。

 そして、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCの中で唯一料理人(コック)としてのレベルを与えられていた純白の治療師──イスラがマアトの差し入れに調理したオムライスは、普通の食材を用いた一人用のもの。あとで他のNPCが口につけても、料理に施されたバフ効果は期待できない。

 それを二人は承知している。

 

「そう、ですよね」

「気にしないでいいから♪」

 

 にこやかに頬杖をついたままの美女に眺められつつ、マアトは食事を堪能し、最後に飲み干した清らかな湧水の効果で、僅かにだが回避ポイントがアップした。料理のバフ効果は一定時間で尽きるが、ないよりはマシだと思うことにする。

 

「あの、アプサラスさん」

「どうしたの? いつも通り、深刻そうな顔して♪」

 

 少女を陽気にからかう踊り子に、マアトは気を悪くしたわけでもないのに、表情を暗くしてしまう。

 

「その……カワウソ様や、外の皆は、本当に、大丈夫、なんでしょうか?」

 

 アプサラスは微笑んだままの表情で姿勢を正す。

 マアトは現在、この拠点ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の警備主任かつ地上警戒任務の傍ら、方々(ほうぼう)に散った調査部隊の定期的な観測監視と地図化(マッピング)を任されている。

 城砦内部の警備は、POPする中級天使や精霊などのモンスターを巡回させつつ、この拠点に残留した防衛隊副長ウォフや、隊長補佐であるガブなどの指揮統率によって警護網を厚くしている。一応、マアトの感知できる限り、この拠点に近づく敵影や存在は未だに零だが、この土地周辺に存在する沈黙の森の異常現象を知ってからは、まったく油断できない状況が続いていた。

 

「な……何なのでしょうか、この世界は。あの森にしても、おかしすぎますし……」

 

 マアトが呟いた懸念材料。

 ガブやアプサラスたちが修復のために赴いた先で、見たもの。──“すでに修復されていた森”の存在が、NPCたち全員を驚愕させたのは、記憶に新しい。

 マアトの知覚する限り、あの破壊された森に近づく存在と言うのはいなかったはず。少なくとも、ユグドラシルの魔法や特殊技術(スキル)の発動は確認できなかったのだ。マアトの実力では。

 だとすれば、森が修復された可能性としては、おそらく二つ。

 あの森には、マアトたちNPCのようなユグドラシルの存在には知覚不能な何らかの法則が働いている可能性。

 もうひとつは、あの森そのものが、森という存在そのものに偽装・擬態した、未知のモンスターである可能性。

 ありえそうなのは、圧倒的に前者だ。

 この世界には、マアトたちNPCには理解の及ばない現象や法則が働いており、それらが何らかの作用を「沈黙の森」に与えているのかも知れない。反面、後者の可能性は微妙なところだ。“森”に擬態するモンスターというのは、ほんの二日前まで、この天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点があったニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯だけでも数多く存在していた。不気味な黒森にうまく溶け込んだ植物系モンスター、夜の捩れ樹(ナイト・ツイスト)。木々から垂れ下がる黒い(つた)に化けて通行者に音もなく襲い掛かる、凶手の黒蔦(アサシン・ブラックヴァイン)古竜(エンシャント・ドラゴン)ほどの巨躯に島をひとつ乗せて泳ぐ腐食姫の黒城周囲を覆った大叫喚泉(フヴェルゲルミル)の最大モンスター、黒鉄殻の亀竜(ブラックシールド・タートルドラゴン)など。モンスターの一部が森のような体表だったとすれば、自己を高速治癒したことで、森が修復されたような光景が出来上がるという寸法だ。

 しかし、それは──巨大モンスターの類である可能性は、極めて低いと判断されている。

 マアトが取り急ぎ鑑定したところ、「沈黙の森」は「沈黙の森」であることを鑑定でき(フィールドエフェクトは不明あるいは無いという結果を得た)、尚且つマアトはモンスターの存在をレベルと共に鑑定する魔法も備えていた。それを使っても、上空から見渡せた森が、何らかのモンスターそのものであるという結論には至れなかったことから、確定的と言ってよい。

 それでも疑問は残る。

 

「となると誰が、というか“何”が、カワウソ様の破壊した森をなおしたのか、よね?」

「──はい」

 

 フィールドに、土地そのものに、これといった効果は確認できていない。

 この世界独自の法則によるものである可能性は十分高いが、だとすると自分たちは、とんでもない脅威に囲われていることを想起されてならない。

 自分たちの認識外から飛び込んでくる敵がいたとしたら?

 この世界独自の法則によって成り立つ攻撃手段に、自分たちの力が通用しなかったら?

 先ほど、カワウソが戦った飛竜騎兵の部隊、その中の一人が発動した「不落要塞」などの武技(ぶぎ)なる存在は、その仮説を補強する根拠となりえた。

 この土地、この大陸のすべては、あの伝説のギルドの名を(いただく)く存在……アインズ・ウール・ゴウンという名の魔導王によって統治されたものであるという事実が、マアトたちにはとても信じられない。

 しかし、実際に出逢った魔導国の国民・都市・組織などが、すべてが現実であることを主張している。

 だとしたら。

 

「だ、大丈夫、なのでしょうか。カワウソ様や、み、皆は?」

「──それは、私にもわからないわね♪」

 

 彼女は誠実に、事実だけを告げてくれる。

 陽気に弾む声の裏で、アプサラスは不安の表情を隠していると判る。彼女は常に微笑み、その舞踏によって見るものを圧巻させる魅力を発露すると、そう設定されているから。アプサラスは対面の少女に比べ、ある程度の攻撃性能を与えられていた。天使のレベルなどよりも “精霊”種族のレベルに重きを置いて構成されたアプサラスには、精霊の女王(エレメンタル・クイーン)の誇る精霊召喚の特殊技術(スキル)がある上、職業(クラス)レベルにも戦闘用のものが少しばかり備わっている。

 対するマアトは、サポート職に秀でる反面、あまり戦闘では役に立たない。ギルド防衛戦にはほとんど参加しないよう、第一階層の隠れ部屋(ボーナスステージ)に避難・待機するように設定されているほどだ。通常物理攻撃は貧弱すぎるため、攻撃はもっぱら魔法攻撃を使用=MP消費が大前提となるほどに劣悪にすぎる。おまけに、単独での移動速度も比較的かなり遅いため、この異世界にて、外で彼女が活動するためには、マアトの身辺を護衛する「盾」と、彼女を移送する「足」の二つの役割を備えた者たちが同行するしかなくなっていた。ガブなどの上級天使召喚の手段を持ったものを中心とした護衛チームが組まれることは必然となり、離脱時には転移魔法関係に長じるクピドの力も借りることで盤石の態勢を整える必要があったが、それ故に、ギルド防衛を優先すべき現在においては、彼女を長く外で活動させることは大いに忌避される運びとなったのは致し方ない。活動中に急劇な状況変化──魔導国による強襲を受けるなどすれば、彼女は完全にお荷物と化す。

 現在の状況から言って、彼女を外へ連れ出し続けることは、得策ではなかった。

 マアト本人はそのことを恥と思っている節があるが、これはしようがない。

 彼女はそのような性格と人格を持つよう、創造者(カワウソ)に「かくあれ」と創られた存在なのだから。

 彼女は貧弱なステータスであるが、カワウソに与えられたサポート職を駆使すれば、広範囲・長時間を監視観測することが可能な唯一の存在たりえた。それは、防衛隊のLv.100NPCの中で唯一の“力”であり、他の仲間たちにはできない索敵と広域警戒、分散した外の仲間の監視と把握、周囲の地図化(マッピング)作業は、今後の活動にはなくてはならない重要な役割であり、マアトはそれだけの任務を唯一完遂することができる存在であるわけだ。

 故に、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCは誰一人として、引っ込み思案で挙動不審かつ、自信とは無縁そうな少女を軽んじることはなく、尊敬に値する同胞として接し、その存在を庇護することに、ある種の誇らしさすら感じるのだ。

 現在において、最もギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に──つまるところ、その創始者にしてNPCたち全員の創造主であるギルド長……堕天使のカワウソに対し、二番目くらいに貢献することができていると言っても、過言にはなるまい。一番目は、何といっても彼を直接護衛するミカになるだろうか。

 ともすれば、羨望と憧れの的ですらあったのだ。

 このか弱い、天使(エンジェル)翼人(バードマン)の力を与えられた少女が。

 

 NPCたちにとって、創造主の存在は絶対だ。

 創造主(カワウソ)が「死ね」と命じれば、迷うことなく死ぬ。

 それが、創造されたモノ(NPC)たちにとっての必然であり、義務なのだから。

 

「心配いらないわ♪ カワウソ様の御傍には、私たちの隊長が付いている──彼女(ミカ)以上の護衛など存在しないわ♪」

「それは、そうですが……カワウソ様は、ミカさんに『嫌っている。』と命じられているのですよ? お二人の間に、いらぬ争乱でも起きはしないでしょうか?」

「すべてカワウソ様の御意思によるもの──私たち如きでは考えもつかない、深い御考えがあるのでしょうね♪ それに、ミカ隊長がカワウソ様を殴ったりした後どうなるか、知らないわけではないでしょう?」

「た、確かにそうですが」

 

 最初、異世界に転移したと判明した直後。

 カワウソはあろうことか、NPCのミカに、自分を殴れなどと命令してきた。

 マアトたちでは絶対に実行できない命令内容であったが、ミカだけは例外であった。

 他の者では実行した途端、自決したくなるほどの凶行に及んで、ミカがあの程度の狼狽で済んだのは、彼女の設定が利いていた証だと言える。

 正直に言って、あれはすごく可愛かった。

 

「……私の魔力も、あと数時間で切れます。それから数時間は、お二人の様子を見ることは」

「気・に・し・す・ぎ♪ ねぇ、マアト──それ以上は、カワウソ様の決定を軽んじることになる……それくらいにしておく方が賢明よ?」

 

 晴れ渡る空の陽光のごとき調子が、曇天の鈍色に閉ざされたように重く凍える。

 瞳には月光のように狂おしいほど鋭い輝きが。

 マアトは、アプサラスの変貌に臆したわけでもなく、ただ、自分のあるがまま……設定されたとおりの自分に忠実であるべく、肩を落とした。

 

「ですよ、ね」

 

 臆病と言われるだろうか。

 しかし、マアトを『臆病な性格』に創った主のことを思えば、この思考も悪いことばかりではないはず。慎重にことをなす上で、マアトの臆病は覿面(てきめん)な効能を発揮するだろう。

 これから先、マアトの魔力をもってしても、彼等全員を、調査部隊四つ分の監視を、24時間体制で続けることは不可能。とりあえずあと三時間ほどは監視を続けるが、そこからは休息に専念するように、カワウソの指示を仰いでいたミカに厳命されていた。以降は二日の内、一定の時間帯は魔力回復に専念すべく、監視の目は閉ざすことになる。それが、とても恐ろしい。その間に、何か致命的な問題が生じはしないだろうか。

 そんなことを生真面目に思考し、主と仲間たちの無事を祈るマアトは、臆する心を振るい落とすように、(かぶり)を振った。切り揃えられた黒髪がさらさらと流れる。

 その様子に、アプサラスは笑みを取り戻して言葉を紡いだ。

 

「大丈夫♪

 あなたが見ていてくれれば、外の皆は安心して活動できる♪ あなたにならできる♪」

 

 あなたにしかできないのだと、アプサラスは少女を激励した。

 言葉に力を込めて届ける同輩に、マアトは意を決したように、頷く。

 

「アプサラスさんも、その、がんばって」

「任せて♪」

 

 マアトが食べ終えた皿を下げるために残っていた踊り子は、盆を手に持ち立ち上がる。

 アプサラスにも、主から与えられた任務が待っているのだ。採取したこの異世界の土石や樹木の鑑定は終わり、次は拠点内で行えるアイテム生産体制を急ピッチで整えている。鑑定では素材になりえない土石や樹木を使って、治癒薬(ポーション)などのアイテムが生産できるかを実験するために。異世界の法則が働いているのなら、異世界の材料を使いこなせはしないだろうか、という試みである。成功する率は限りなく低いが、やれるだけのことはやっておくべきだ。

 二人の補助役(サポートタイプ)NPCは、お互いに主への献身を続けるべく、名残惜しくも別れる。

 マアトは、各地に散った調査部隊三名の他に、飛竜騎兵の領地──族長の邸宅の一室で休み寝入る主と、その護衛である女騎士を見つめる。

 

「……カワウソ様」

 

 ベッドで丸まり、(うな)されているらしい主の様子に、マアトは胸の奥が塞がりそう。

 不敬だと重々承知しているが。

 主の手に触れ、悪夢の苦しみを緩和できる隊長(ミカ)の立場と能力が、少しだけ、ほんのちょっとだけ、羨ましかった。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 優しい掌を、感じていた気がした。

 柔らかで暖かな、誰かのぬくもり。

 それが、何処かへ遠ざかる。

 瞬間、意識が整合性を失う。

 光と影が寄り添うように、一切の出来事に、何らかの輪郭が浮かび上がる。

 自分の奥に、何かを、感じた。

 おかしなものが、目の前にいる。

 浅黒い肌。漆黒に濡れる髪。

 赤黒い環を頭上に戴き、醜い双眸(そうぼう)相貌(そうぼう)が怨霊じみた、奇怪な存在。

 まるで鏡のごとくそこに(たたず)む存在に対して、圧倒的な違和感を覚える。

 自分は、いま、笑っていない。

 なのに、鏡の自分は、

 笑っている。

 

 目の前にいる自分から、クツクツと含み笑う吐息が漏れている。

 堕天使は、自分(カワウソ)に向かって歩を進めてきた。

 

「これは、夢だ」

 

 いや、現実だ。

 

「こんな現実が、あるもんか」

 

 いやいや、現実でしかないだろう?

 

「現実であって、たまるもんか」

 

 ──自由意思を得たNPC、ゲームにはない現象事象、自分自身の呼吸・鼓動・生体反応・新陳代謝、痛み、恐怖……これらすべてが“現実”でなくて、何だと?

 

「……現実、なのか?」

 

 現実だよ。

 

「こんな、現実」

 

 よかったじゃあないか。

 

「…………何が?」

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 

「アインズ・ウール・ゴウン?」

 

 おかげで、おまえの“望み”が果たせるぞ。

 

「……のぞみ?」

 

 今までずっと望んできたこと。

 おまえ自身が求めてやまなかった希望(のぞみ)

 かつての仲間たちを、かつてのおまえから奪ったものに──これで、復讐できる。

 

「……やめろ」

 

 おまえのたったひとつの絆を。

 

「やめろッ」

 

 仲間と呼んで憚ることのない思い出の住人を。

 

「やめろ!」

 

 おまえから遠ざけ、追い立て、あまつさえ“あんな別離”を迎えさせたものを、ここで討ち果たせるんだ。

 

「そんなことに何の意味がある!」

 

 意味?

 ──意味だと?

 

「だって、そうだろう!」

 

 なら、何故、おまえは挑み続けた?

 あのナザリックを攻略すべく、あのゲームを続け、あんなギルドを作って──

 

「ちがう! あれ、は……あれは!」

 

 あれは?

 あれとは、何だ?

 

「あれは……皆とのことは、おれの、──俺たちの責任でしか」

 

 ああ、そうだとも。

 あんな結末を迎えたのは、おまえたちの責任。それは確かだな。

 じゃあ、ならどうしてオマエは、あのナザリックに、挑み続けたのさ?

 

「……それは」

 

 あのゲームで。

 あのYGGDRASIL(ユグドラシル)で。

 あの“ナザリック地下大墳墓”の攻略を、何故たった一人で続けてきた?

 

「それ……は」

 

 仲間に捨てられ、ナカマに(あざけ)られて、なのに未練がましくアンナNPCたちを作っておいて、他のプレイヤーに笑われて当然の「敗者の烙印」を押された存在のまま──ソレナノニ?

 

「違う……違う、違う!」

 

 なにが違う?

 

「だって俺は!」

 

 

 

 叫ぶ意識が指向性を失い、太陽のような温かさに振り返る。

 再び、差し出された掌の温度を感じた気がした。

 けれど、優しい時はいつか終わる。

 次の夢は、

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

「あ────?」

 

 瞼を押し開いていた。

 枕がやけに濡れている。

 意識が混濁したように、ひどい眩暈を、横になった姿勢のまま覚える。

 

「……ゆめ?」

 

 喉を毒物のような唾と息がひっかいた。

 ひどく、悪い夢を、見ていた気がする。

 とびきりに(むご)い、狂ったような、紛れもない悪夢を。

 ここ最近で、一番最悪な目覚めだった。

 

「──はぁ」

 

 見たことのない部屋の内装。

 こうなる以前の、現実にあった自分の部屋よりも閉塞感のない空気。

 悪夢の中で溺れるようだった意識が、朝の光の中にとけていくよう。

 悪夢……夢の中で夢を見るなんて器用な真似が、果たして、自分に出来るものだろうか。

 そんな浮ついた疑問が定着するよりも先に、カワウソは枕元に、目の前に、自分の掌を持ってくる。

 そこにある“現実”を、事実として認識する。

 浅黒い肌。堕天使の掌。手相や指紋までくっきりと見て取れる。現実(リアル)の、こうなる前の、枯れたような自分のそれとは比べようもなく筋骨のある──腕。両目をグイとこする。

 仰向けになる。

 頭上に、黒い前髪越しに見える、天に浮いた赤い装備物。

 指を伸ばすと、輪っかはキィンとした感触と共に横に滑って、そして戻る。

 現実(リアル)とは違う。だが、今はこれこそが、カワウソとしての現実(げんじつ)

 堕天使の、カワウソ。

 深く、息をする。

 

「お目覚めですか」

 

 天使の輪を頭上に固定した女騎士の冷たく響く声音が、覚醒を促す。

 堕天使は応じるように、ベッドから半身を引き起こした。

 半分眠ったままでいるような口調で、ミカのいる方向に顔を向ける。

 

「……おはよ?」

「おはようございます、カワウソ様」

「……今、俺……なにか言ってた?」

「何か、とは?」

 

 厳しい視線を浴びせて、主人の起床に返答するミカ。

 

「いや、いい」

 

 夢を見ていたのだろう。寝言を言っていたかも。そんな気がしたにはしたが、確認しても特に意味はなかった。話していると、内容も微妙に思い出せなくなっている。

 カワウソは呆然と頭を掻きつつも、部屋を見渡す。

 

「結局、寝なかったのか?」

 

 カワウソは彼女に、寝る直前に問いかけたのと同じ疑問を投げる。

 堕天使が寝起きしたベッドの脇に、もうひとつの寝台があるのだが、そこは誰の手も触れていないと判るほど真っ白なシーツが張られたままだ。枕すら使用された痕跡がない。

 ミカは、やはり憮然としつつ、寝食が不要な事実をカワウソに告げる。

 

「私は“一応”、カワウソ様の護衛です。いつ何時、敵が攻めて来るやも知れない状況で、寝食に(ふけ)るなど、ありえません」

 

 あくまで、自分の役割を心得ているのだとミカは宣言した。一応、この部屋はカワウソの周囲警戒用のアイテムで防御されているが、万が一に備えて、女天使は一睡もしていなかったという。

 彼女の言は、ひどくカワウソを責めている──わけではないだろう。

 そもそもにおいて、肉体を有するが故のペナルティなどとはほぼ無縁の純粋な天使は、寝食の必要な体ではないのだから。

 だが、カワウソは、堕天使は、違う。

 カワウソは自分の耳に維持する耳飾り(イヤリング・オブ・サステナンス)を装備している。これによって、飲食睡眠を何とか抑えることができた。だが、このアイテムを装備しているにもかかわらず、この世界でカワウソは睡眠飲食を可能にしていた。

 というよりも、定期的に睡眠や飲食が欲しくなってしようがなくなるのだ。

 

 

 ユグドラシルにおいて人間種や亜人種などのプレイヤーが被った「眠り」「飢え」「渇き」というのは、放置しても短時間で“死”に直結するようなことはほとんどない(異形種プレイヤーの場合は、よほどの種族でもないと発症しない)。だが、ゲーム内で24時間睡眠をとらず飲食をしないでいると、肉体を持つ彼等は上記のような状態異常(バッドステータス)にさらされ、その行動を大いに制限される。

 

 睡眠をとらなかった者は睡魔に襲われるように「昏睡」し、飲食を過度に怠った者は「飢餓」に罹患して、最悪の場合、死亡。また、重度の飢餓状態で“回復の為”と称していきなり食事を摂ると、逆に症状が悪化して死亡するなんて仕様だったので、プレイヤーたちはゲームをプレイする上で、そういう睡眠や飲食の必要性を抑える道具を装備するか、あるいは定期的にゲーム内の宿屋(ホテル)や野営拠点、ギルド拠点内の回復地などを使用して、そういった状態を全快させる必要があったのだ。

 また、この状態異常はフィールドに散るモンスターも同様で、彼らを生け捕りにした狩人(ハンター)や、大量に使役する調教師(テイマー)、あるいはそういったモンスターを飼って繁殖し、買い取りたい人たち(プレイヤー)(おろ)したりする業者・育種家(ブリーダー)なども、大量の飲食アイテムや寝床の確保は必須となっていたので、割と面倒が多い。カワウソもモンスターを生け捕りにして街に売り払いに行くまでに、ちゃんと世話をしていないと生け捕りにしたモンスターが死亡=素材化してしまって、売値が大幅に減少するのを防ぐのに苦労したものだ。

 

 

 そして、おそらく、だが。

 カワウソの「人」としての記憶──脳内(あるいは魂か)に刻み込まれた習慣や感覚が、睡眠や飲食という名の休息を求めていた。体力(HP)的には一目盛も減じていないカワウソが、睡眠や飲食を欲する理由など、それぐらいしかないだろう。

 あるいは、堕天使という異形種の特性として、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ……状態異常に罹患しやすい体質が故に、そういった寝食を必要とするのだろうと、そう結論できる。装備している耳飾り(イヤリング)にしても、そこまでレアな(クラス)でもなかったのも原因か。

 女天使は、窓の外を見やりながら言い募る。

 

「それに、私は睡眠など不要に働けますので。それぐらいご理解しておりますよね?」

 

 ぶっきらぼうに事実だけを告げてくれるミカ。

 そんな横柄にも聞こえる女の口調にも、カワウソはだいぶ慣れてきた。

 いまだにボウっとする熱い眠気眼をこすって、ギルドの私室で味わったものよりだいぶ硬い寝台から立ち上がるべく、カーペット敷きの床に足を伸ばした。客室備え付けのスリッパ──ではなく、脱いでいた足甲に足を突っ込む。

 今のカワウソは、神器級(ゴッズ)アイテムの鎧などは脱いでいた。当たり前と言えば当たり前だが、あんな造形の鎧を身に着けたまま、現実のベッドに寝転がるわけにはいかない。堅い金属の感触は、快眠には向きそうにない上、下手をすると、この異世界の脆弱な品物を寝返りひとつだけで破壊する可能性もあり得た。

 故に、カワウソは今、鎧の下に着込んでいた鎖帷子(くさりかたびら)……聖遺物級アイテム、光の鎖帷子(チェインシャツ・オブ・イルミネイト)とズボン姿という出で立ちでいる。この鎖帷子は金属製の防具だが、輝くような白銀色の肌触りは羽毛のように滑らかで、むしろ装備したままの方が心地よいほど。尚且つ、防御力もそれなりに期待できるため、夜襲にも即座に対応可能だ。今のカワウソが、つけっぱなしで眠っても問題ない装備のひとつである。脱いだ漆黒の鎧についてはベッド脇に鎮座されて、赤い外衣(マント)腰帯(ベルト)狩猟用の鎖(レーディング)も懇切丁寧に折り畳んで置いてあった。

 それらを一旦意識の端に放置して、立ち上がってひとつ伸びをしたカワウソは、ベッドから離れる。

 ふと、ミカの手元にあるものが気にかかった。

 

「何だ、その本?」

「室内にありました。『漆黒の英雄譚』という伝記物語のようです」

 

 魔法都市(カッツェ)で聞いた御伽噺だ。

 ミカが開いていたページには『ギガントバシリスクに一人で雄々しく立ち向かう』といった場面が記述されていたのだが、あいにく二人には解読の方法がなかった。ミカは何か情報を得られないかとパラパラめくって中身を(あらた)めていただけのようだ。結果は思わしくなかろうと、やらないよりはマシという程度の行為に過ぎない。

 カワウソは大いに頷いた。

 本による情報は非常に重要である。マアトに送って内容を精査したいところだが、

 

「マアトは現在休息中であります」

「だったな」

「ガブらによって、出入り口の鏡は既に増設済み。予定だと昼までには、クピドを通して、言語解読用の眼鏡などの通常アイテムが輸送される手筈です」

「うん。了解」

 

 昨夜、寝る直前にした命令通りに行動してくれたようだ。

 ミカが椅子に腰かけ眺めるものを共有すべく、窓の外を見る。

 目に飛び込んでくるのは、セーク族族長家の住まう邸宅、その中庭。

 

「……へぇ」

 

 カワウソは目を瞠る。

 夜明けの薄明りに照らされて、朝露に濡れた草木から香る穏やかな空気が、肺を優しく満たす。小鳥が遊び戯れる声が、耳に心地よい。

 朝。

 それは、この異世界に転移して三日目──初めて見ることになった、本物の朝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨夜。

 カワウソたちは草原の空き地から、この飛竜騎兵部族がひとつ“セーク族”の領地を訪れた。

 そこまでの道のりは、無論、飛竜(ワイバーン)の翼による空路であったが、セーク族の飛竜たちは自分の“相棒”に選んだもの以外は滅多に乗せることがなく、乗せられる量というのも相棒の体重と同量ぐらいのものがせいぜいという話だ。これはヴェルとラベンダで考えると、ヴェルの体重44キロ+鎧で50キロ程度から、ラベンダは100キロの質量を運び飛行することができるということ。とすると、ヴェルと共に騎乗することができたマルコの体重は50キロ前後という感じなのだろうが、あくまで目安だ。さらにいうと、飛竜は自分の最大積載量に近い質量を持った状態だと、機動力や航続距離、空中戦闘能力に著しく不安を覚えるものだという。故に、人二人が乗った状態で、都市上空であれだけの空戦を繰り広げ持ちこたえたヴェルとラベンダの能力は「破格」と言ってよいらしい。並の飛竜騎兵ではまず行えないという話を、ここまでの移動中に、ヴェルの幼馴染(おさななじみ)であるハラルドから聞いて知らされていた。

 その移動の際。カワウソは自分で空中を足で翔ける魔法を発動してとか、一対の翼を広げるミカに抱えられながらではなく、族長が用意した割と巨大な折り畳み式の板──聞くところによると、第一位階の〈浮遊板(フローティング・ボート)〉の魔法がかけられているらしいが、ユグドラシルにはない魔法なはず──に乗せられ、それを四匹の飛竜らに牽引される形(残る四騎の内三騎が族長とヴェルの周囲を囲み、ハラルドが監視……護衛役として、カワウソたちの付近を飛行していた)で、カワウソたちはこの地を訪れることがかなった。

 八匹の飛竜たちは騎乗者の相棒同様に、カワウソとミカを“敵”と認識しているようで、近づこうとしても盛大に威嚇される始末だったのだから、しようがない。唯一、ラベンダだけはカワウソたちを受け入れてくれていたが、それでも背中を預けることは出来ないのは相変わらずであった。ひょっとすると、カワウソやミカの装備するものが重すぎるからかも。

 夜陰に乗じて、さらには、表から堂々帰還を果たした族長のおかげで、カワウソたちは誰の目にも触れることなく、セーク族長の邸宅に迎え入れられた。一番騎兵隊──ハラルドの部下たちは邸宅の事情に明るいらしく(というか、ほとんど全員がこの屋敷の使用人同然に生活しているようだ)、彼ら数人によって客室のひとつに通されたのだ。

 客室の広さは、カワウソにとっては不自由のない1R(ワンルーム)で、風呂トイレも完備されている。正直にいうと、現実世界にいた自分の住まいよりも広く感じられるのは、ベッドが二つ用意されているからだ。人ひとりが寝転がるのに不自由ない寝台が“二つ”もあって、小さな丸卓や椅子の他にも〈永続光〉を放つランプスタンドがあるなど、家具を置くスペースも十分だった。白い内装の色調が目に心地よい。

 ただ。

 問題は、──ベッドが“ふたつ”ということ。

 

「……結局、こうなるか」

 

 部屋に通された時。諦めたように項垂れて言ったカワウソの隣で、不服そうな女天使が、何か言いたげに腕を組んでいたが、結局は何も言ってこなかった。

 冷静に考えるなら。嫌っている(カワウソ)と同室という状況は、女性にはストレス以外の何物でもないのだろう。だが、今は耐えてもらうしかない。何とか別室にしてもらえないかと交渉してみたが、申し訳なさそうに却下されたのだから。

 カワウソたちはヴェル・セークの救出者として、彼女の姉にして族長のヴォル・セークに歓迎されはしたが、それだっていつまで続くか知れたものではない。後々やはり「ヴェルを処断する」という展開になれば、それを擁護したカワウソたちも処される可能性は十分にありえる。はっきり言えば、カワウソたちを監視下に置き「いざとなれば諸共に拘束できるように」という意味で、同室に詰め込んでいるのだろうという企図があるように思われてならない。実際そうなっても、逃げ果せることは簡単だろうが油断は禁物である。

 さらに。邸宅と言っても、カワウソのギルド拠点にある屋敷の半分程度の広さもない建坪だ。そんな場所で客人を別個に納めるスペースが余っているわけもないというところか。客室は一応、二部屋はあったが、それだけだ。もう一方はマルコに与えられていて、三人は邸宅の一区画に押し込められている状況にある見方もできる。

 

 しかし。

 それよりも。

 誰が“二人部屋を使うのか”というのが、その時における一番の問題点であった。

 

 カワウソの一般常識としては、いくらギルド長とNPCとはいえ、“男女が同室”になるのは遠慮すべき事態に思われて当然のこと。それよりも、女性同士が同室になる方がいいのではと提言したのだが、誰あろう“ミカ”が、それを承服しなかったのだ。カワウソを守護する位置を確保するために、自分が主の傍を離れるなどありえない、と。

 本心からの言葉……なのだろうか。

 あんなにも剣呑な表情で、「護る」と言われても、正直ピンとこないのだ。

 これがもう少し好意的であったらと何度も思ったが、彼女に与えた設定の通りなので何も言えない。

 もはやここまでくると、どうして昔の自分は、ミカに『カワウソを嫌っている。』と設定したのか、軽い憤懣(ふんまん)を懐くようにもなっていた。

 

 あるいは。

 この設定が『カワウソを“愛して”いる。』だったらと思うと────それはそれで「何やってるんだ恥ずかしすぎる!」と思ったわけで。実際に、彼女を創った当初にそうしかけて、急遽変更した過去があったのだ。ならば、今の方がまだマシだろうと思うことにする。するしかないのだ。

 

 ちなみに、この邸宅の住人──セーク家の一員であるはずの少女、カワウソたちが保護したと見做されている狂戦士──ヴェルは、自分の私室ではなく、別の場所に幽閉される運びとなっているのは、本気でどうしようもない。彼女は、今は非公開だが、魔導国に大罪を働いた叛逆者──その可能性を持つもの──として刑されるやも知れないのだ。そんな存在を、いくら郷里とはいえ、彼女自身の私室に返すわけにはいかないというのが主な理由だ。それは納得している。カワウソも、幽閉されているヴェル自身も。

 

 そんなこんなで、カワウソは昨日一日の疲労感が限界を迎え、鎧などの装備を脱いで身軽になった途端、ベッドに沈むように倒れ込んでしまった。一応、気休めとして〈聖域〉系の課金アイテムを発動して防御を張ったのを思い出す。ついでとばかり、マアトなどにも休息を適時とっておくようにミカに伝えたのだったか。

 ミカにも「しようがないからゆっくり休め」と言ったのだが、天使は首を縦に振ることなく、窓辺の椅子に腰かけるのを見届けて、カワウソは寝落ちするに至ったわけだ。

 そうして、今。

 

「さて、これからどうするか」

 

 部屋にある時計──十二の数字らしきものを長針短針が指し示しているそれを見ると、長身と短針が天と地を刺すようにまっすぐな形を保っている。朝の六時というところだろうか。とりあえず、時間表記は60進法が採用されているらしい。

 気分を改めようと室内の手洗い場で顔を洗おうとして、備え付けの鏡に向かい合った。途端、無性に、あの悪夢で笑っていた堕天使(じぶん)を想起されるが、今のカワウソはまったく笑えない。気持ちを切り替えるべく、蛇口をひねって透明で新鮮な冷水を両手ですくった。水の感触が、頭にわだかまる熱を冷やしてくれるように思える。

 手を伸ばすと、真っ白なタオルを掴んだ。布地は洗濯したてのような香りをほかほかさせていて、水で濡らすのがもったいないほどに思える。顔の水分を丁寧に拭った。

 タオルを差し出してきた同室の女性が、何も言わないで手を突き出してくる。

 数秒して、カワウソは濡れたタオルを彼女に返却した。ミカのアイテムボックスにしまわれていく。

 

「──おまえの、だったの?」

「あなたが私に与えた物でありますが?」

 

 呆れたように肩を竦めるミカ。

 タオル掛けに目を向ければ、客室備え付けのタオルはそこにあるままだった。

 そういえば、彼女に与えた装備やアイテムというのは、一年以上前から手を加えていない。というかアイテムボックス内の物は、ほとんど彼女を創った時、適当に放り込んだ時の物で溢れていたはず。治癒薬(ポーション)などの回復アイテムや、彼女の扱える魔法の巻物(スクロール)の他に、いろいろと雑多に詰め込んでしまったことを今はっきりと思い出した。それがこんな形で利用されるとは。

 

「ああ……悪いな」

「べつに」

 

 短い遣り取り。

 ミカは小さく咳払いをしつつ、今後の動向を伺う。

 

「それで、いかがなさいますか? 邸宅内であれば、自由に使用・徘徊しても良いという話でしたが?」

「うん……どちらにせよ、装備をつけてから考えるか」

 

 現在、カワウソの護衛はミカ、ただ一人。

 観測手(オブザーバー)としてカワウソたちを魔法で監視していたマアトは、他の都市調査に向かった三人を定期的に見張る(さらに広域の地図化(マッピング)をする)必要があるため、今は頼ることができない。魔力回復のための休息中でもあるのだ。

 つまり、カワウソたちはカワウソたちで、問題や状況に対応するしかない。いざ敵に襲撃され、この邸宅内を脱出するのに最適なルート選択・防御に使えそうな道具の有無・罠などの確認を怠っていては、十分な安全を確保できないというもの。一応、昨夜訪れた時に、簡単な脱出路は頭の中に叩き込んでいるが、それがしっかりと使い物になるかどうかはわからない。いざとなれば邸の壁を蹴破ることも考慮しているが、他人様(ひとさま)の家を壊すというのは、常識的に考えて控えるべきことだろう。

 

「了解しました。では」

 

 ミカが当然のごとく頷くと、カワウソは脱いだ鎧の装着を始める。

 それを、女天使は手伝ってくれた。

 

「え、ミカ?」

「何か問題が?」

「ああ……いや」

「早く済ませましょう。今、敵に入られでもしたら面倒ですので」

 

 硬い声は、警戒心が強くて頼もしい限りだ。カワウソのアイテムでも、この異世界だと何処まで有用かわからないから、警戒することは大事だ。カワウソも慌てない程度の速度で装備に手を伸ばす。

 装備の装着中、カワウソは思い知った。

 一人では少々面倒だが、手伝いの手があるだけでこうも楽になるとは。

 しかし、こんなことになるのなら、早着替えのローブでも持ってくるべきだったか。

 拠点を出た時は、用心のためにとにかく戦闘用のものばかりを持ち出して来ていた。あまり装備を丸ごと取り替えたりする習慣のなかったカワウソは、早着替えのローブを常備していなかったのだ。

 手伝ってくれるのはありがたいが、他人に自分の衣服を世話させるというのは、こう、面映ゆいものがある。小さい子供でもあるまいに。

 氷のごとく冷たい無表情なまま、目が合うたびに何か言いたげな表情で睨みつけられるものの、ミカの手際は完璧と言ってよかった。肩や腰の留め具をガチリと噛ませ、身動きに支障がないことを確認。他の装備品も、ミカがまるで慣れた手つきで装備させていくのに任せるが、「どうしてこんなに慣れたように装着できるのか」という疑問が湧き起こる。

 それは、勿論ミカが知っているからだろう。

 だとしたら、どうやって知ったというのか?

 ユグドラシルの仕様上、こんな複雑かつ煩雑な手順で装備の脱着など、カワウソはしたことがない。装備の扱いはコンソールの操作で一発だったのだ。ミカが自分で自分の籠手を外せたように、装備類の扱いというものを、NPCがある程度は熟知しているという仮説が立つ。

 そういえば、ミカは聖騎士の装いで身を覆っているが、他の装備などは身につけられるのだろうか?

 カワウソのように、ある程度の制約や限界がある可能性はあるが、どうだろう?

 

「なぁ、ミカ」

「何か?」

「ユグドラシルの……この世界に転移する前のこと、覚えているか?」

「無論。覚えております」

「……それは、どの程度の記憶なんだ?」

「は? ──あなたに創られた時から。ここに至るまで、すべて」

「じゃあ、俺の鎧の装着方法とかは、どうやって覚えた?」

「それは──質問の意味は理解しかねますが、私はあなたが装備を変更する方法を知っている。あなたに仕える防衛隊隊長として、当然の知識です。おそらく、メイド隊の皆も心得ているはずですが?」

 

 簡潔に断言され返答に困る。

 カワウソはゲーム時代、ミカがいる第四階層で、装備の変更を行ったことは確かだ。ホームポイント……ゲームにINした際に登場するよう設定された自分のギルドなのだから、その回数は数えきれない。ただ、ミカの目には、カワウソが自分で装備を脱着した場面が見えていた……というところなのだろうか。あるいは、事前にそういうことを知っているという風に設定された? いや、そんなピンポイントな設定、カワウソは書いた記憶がない。設定した以外の部分が、何らかの方法で補填されている感じなのか?

 また疑問点が増えただけのような気がするが、これも重要な情報である。

 忘れないよう、頭のメモ帳にしっかりと書き加えておく。

 腕輪に肩当、腰には鎖やベルトを装着し終える。

 すでに履き終えていた足甲(ブーツ)の感触を、踵を鳴らして確かめた。

 

「うん。これでよし、っと」

 

 最後に呟いて、ミカの手から渡された血色の外衣“タルンカッペ”を肩に羽織る。

 深く一呼吸を置く。

 ちょうど、その時。

 

 コンコンコン

 

 ノック音にミカが軽く身構えるのを、カワウソが手を振って普段通りのまっすぐな姿勢に戻す。

 

「おはようございます。カワウソ殿、ミカ殿」

 

 扉の奥から聞こえる声は、すでに聞き慣れた部隊長のそれ。

 どうぞと入室を促すと、青紫の髪に赤いメッシュが特徴的な偉丈夫の少年、ハラルド・ホールが、家人(かじん)の代わりに客人らを案内すべく現れたようだ。

 

「おはよう、ハラルド」

「おはようございます」

「……ヴェルの方は、どうだ?」

「ご心配には及びませんので、あしからず」

 

 実直かつ馬鹿真面目な少年は、彼らしい誠実な声音と姿勢で応対してくれる。

 

「お二方の支度(したく)が整い次第、朝食へご案内させていただきますが」

「ああ。それなら大丈夫だ。……大丈夫、なんだ、が?」

 

 普段着──騎兵の正装を脱いだ状態──の少年のすぐ背後に、かなり信じられないものがいて、カワウソは少々、言葉に詰まる。

 とりあえず、挨拶を試みる。

 

「ええと──おはよう、マルコ?」

「…………あ、…………おはようございます」

 

 反応は、亀のように遅くやってきた。

 あんなにも利発で、あんなにも明朗闊達(めいろうかったつ)としていた男装の修道女、マルコ・チャンが、ものすごく疲れ切ったような、今にも倒れ込みそうなほどドンヨリとした口調と姿勢で、かろうじて挨拶を返す姿に、カワウソは大いに違和感を覚える。

 

「ど、どうした。その、ええと」

「…………何でもないです。…………気にしないでください」

 

 昨日までの、優しくも厳しい、聡明さに満ち溢れ、カワウソたちを導き続けていた人物と同じだとは信じられないぐらい、その乙女には覇気がなかった。何というか、すごい投げやりな応答が続く。

 

「もしかして、寝てない、とか?」

「……ええ、まぁ……そんな、ところです」

 

 何があったか聞いてもいいか。そう(たず)ねることすら憚られるほどに、女性の異常っぷりは際立っていた。

 昨夜、部屋別に別れた時はきびきびしていた背筋も、(しお)れた花のように薄弱としている。生気すら失われたのかというぐらいに、黒く重い暗雲を頭上に醸し出しているかのよう。彼女の周囲だけ重力が数倍になっているような気さえ覚えた。振り返ると、あのミカですら大きく顔を傾げていた。

 

「あの、マルコ殿……やはり、部屋で休まれておいた方が?」

 

 朝食なら部屋へ運びますと進言するハラルドの親切に、マルコが断固として頭を振った。

 飛竜の威嚇声にも似た唸り声をあげて「気にしないで結構です」と告げるが、どう考えても気にせざるを得ない異変である。

 

「急ぎましょう……お話を、伺いに」

「ちょ! マルコ殿!」

 

 言ったマルコは、ハラルドよりも先に廊下を進もうとするが、少年にあっさり引き留められる。勝手に邸内をうろつくことを拒否するニュアンスではない。

 マルコは、廊下の突き当たりの壁に向かって、頭をぶつけそうになったからだ。

 

「どうしたんだ?」

「さぁ?」

 

 夢見でも、悪かったのだろうか。

 カワウソたちの心配を一身に受けつつ、修道女は階段を滑り落ちそうになって、少年に引き留められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年に案内され、結局あっちこっちにぶつかりそうになるマルコをカワウソとミカで押さえつつ向かった先は、邸宅一階の、大きな食堂だった。長い卓上は白いクロスで覆われ、部屋の隅には大きな花瓶に飾られた大量の花の香りが。

 

「ようこそ、皆さま。よくお休みになられましたか?」

 

 飛竜騎兵のセーク族を率いる女族長ヴォル・セークが、鎧を脱いだ非武装の格好……白紫の、足元まで隠す丈長のワンピースっぽい肩を露出する衣服(オフショルダー)で、それが鎧姿とはまた違った艶を感じさせる。朝日に燦々と照らされる窓を背後にした卓の上座から立ち上がった女族長──その周囲には一番隊の、昨夜カワウソと交戦した騎兵の女衆が二人、完全武装で警護についている。

 カワウソたちの戦闘能力を知っていれば、明らかに力不足な警備兵だが、儀礼として必須なだけという可能性もあるし、何よりカワウソ本人に戦闘をする意気も企図も、もはや存在しない。

 家の主によって歓待されるカワウソ、ミカ、マルコの三人は、すでに用意されていた朝食の席に着く。湯気の立つスープの匂いに胃袋が踊りそうなほど食欲が湧いた。毒や睡眠薬が入れられている可能性をほんの一瞬だけ考慮するが、この鎧を身に着けている限りは大丈夫だろう。ここまで歓待しておいて、今さらカワウソたちに毒を盛る必要性もない、はず。

 しかし、それよりも気にかかることが、カワウソの対面の席に座した、修道女の容態である。

 それは彼女も、ヴォルも同様であったようで、しきりにマルコの様子を気にかけていて、たまりかねたように声を発した。

 

「あの……マルコ殿?」

「…………あ、はい?」

「大丈夫、なんでしょうか?」

 

 よく眠れていないような暗い表情の修道女に、ヴォルもまた部屋で休むことを提案する。家主にまで体調を気遣われるマルコは、一瞬だけシャンと背筋を伸ばしたが、「大丈夫……です」と言っている内に、背を小猫のように丸めてしまう。ほとんど卓上に突っ伏すような感じになる。声をかけるたび、バネ仕掛けのように身を起こして、またも背筋が丸くなる。この繰り返しだった。

 カワウソたちと少なからぬ交流を深めた女性の変容が気にかかって、食事を愉しむどころの話ではない。

 本当に、何かあったのだろうか?

 

「ええ……と、とりあえず。朝餉(あさげ)にしましょう」

 

 気分を変えようと、セーク族の祖先と飛竜に祈りの言葉を捧げるヴォルの声が響き、カワウソはそれを数秒ながめた。

「いただきます」の唱和に合わせて、カワウソも礼儀として手を合わせる。

 マルコの調子は食事中も変わることなく、食事はなるべく静かに、粛々と行われた。

 行わざるを得なかった、というべきか。マルコは食事が手につかない調子で、カワウソに自分に出された朝餉を差し出してきた。飲食不要なミカも、その行為に追随する。家主を前にして無礼に値しないか不安に駆られるカワウソは、一応、ヴォルの了承を仰いだ。女族長はにこやかに許してくれる。助かった。

 スープの他に、パンやサラダも堪能した。中でも極め付けだったのは、ふわとろ食感なスクランブルエッグ。あの味は、もうなんとも言えない。焼き加減や塩加減も絶妙で、レシピを教えてもらえないか真剣に考えた。二人分を平らげてもまだ味わいたくなり、「おかわり」を言おうとするのを自制するのに苦労した。おかげで、少しばかり挙動がおかしくなっていたかもしれない。

 

「では、デザートもいただいたことですし」

 

 切り分けられた果物(くだもの)──レインフルーツというらしい、瑞々(みずみず)しい食後の甘味(これもミカとマルコは口にしなかったので、貰った)に舌鼓を打っていたカワウソは、その姿勢を正す。

 

「改めて、皆様には我が妹、ヴェル・セークを救出していただき、誠にありがとうございます」

 

 朗々と紡がれる声音は、虚飾を一切感じさせない家族の思いが込められている。

 実の妹には冷たい対応──今も、特別な幽閉所に監禁──をしていても、ヴェルの状況を考えれば仕方がないと思われた。

 

「感謝されることじゃない」

 

 カワウソは率直に、状況を歓迎できなかった。

 ともすれば。ヴェルは確実に処断されるべき罪人。

 魔導国──大陸を統治する一国に対して、とんでもない造反行動を──アンデッド兵団を半壊という、信じられない冒涜行為を働いたのだ。これを刑さずにいるというのは、上にいる者たちの温情に他あるまい。

 兵団を、半壊。

 本当にあんな少女が──いや、実年齢から言えば女性というべきだな──とも思うが、いずれにせよ、追跡部隊として派遣した中位アンデッドの死の騎士(デス・ナイト)部隊まで退けたと見做されている(・・・・・・・)ヴェル・セークが、本当に「兵団を半壊」という性能を行使出来たのかどうか、大いに疑問だった。

 たとえ彼女が、“狂戦士(バーサーカー)”の適性者だとしても。

 そして、そんな彼女を助けたカワウソたちも、諸共に処罰や調査の対象に見据えられたら──なんて、とても想像したくない。

 

「今は一刻も早く、ヴェルの暴走原因を突き止め、彼女に本当に咎があったのかどうかを知ることが先決……だったよな」

「その通りです」

 

 打てば鳴るように、女族長は応えた。

 濃い紫の前髪の奥にある視線に込められた圧力は、思わず腰が引けそうなほどの活力が乗っていて、まるで獰猛な竜のようにさえ錯覚する。

 小動物的な妹のヴェルとはだいぶ違う印象だ。むしろヴォルの方こそが、純粋な戦士然とした強さを秘めている印象が強まるが、聞くところによると彼女はどちらかと言えば“魔法”の造詣(ぞうけい)が深い部類に入るという。魔法詠唱者(マジックキャスター)で、あの鎧姿だったということは、彼女はウォー・ウィザードか何かなのだろうか。

 

「よろしいでしょうか?」

 

 これまで興味なさそうにしていた黄金の女騎士が、手を挙げた。

 ヴォルが手を挙げた方に鋭い視線を投げる。

 

「なんでしょう、ミカ殿?」

「ヴェル・セークが暴走した現場に皆様はいらっしゃったという話でありやがりましたが。であれば、皆さまは何らかの記録映像などを保有・撮影してはいないのでしょうか?」

 

 彼女が発した質問を、その内容の的確さを、カワウソは心の底で褒めた。

 なるほど。映像記録があれば、何かしらの手掛かりが映し出されているかも知れない。

 と思ったところで、ヴォルは残念そうに頭を振った。

 

「式典演習の記録は、その一切が魔導国の軍上層部が掌握しております。私たち程度の臣民等級では、個人で演習風景を撮影し、持ち出すなどの行為は原則禁じられております」

 

 カワウソは唸った。

 考えてみれば、職場の光景を個人で勝手に映像記録にすること自体が不謹慎に値するだろう。

 

「……となると」

 

 手詰まりじゃないか?

 壊滅した現場検証なんて、国側がすでに済ませているはずだし。

 早くも行く手を阻まれたと感じたカワウソに、ヴォルは心配ないと告げてくる。

 

「なので、今回特別に、軍部から映像をお借りしてまいりました」

 

 言った女族長は指を鳴らして、隣に控えていた騎兵たちを呼び、「例のものを」と命じる。

 彼女らがカートに乗せて持ってきたものは、現実で見たことのある映写装置とは似て非なる、一個の球体──ボールだった。ユグドラシルプレイヤーが愛用する〈記録(レコード)〉用のアイテムでもない。ボールは金属質な光沢を放っており、スイッチらしきものが幾つかある。球体上部の中心には黒い穴が穿たれており、全体の大きさとしてはバレーボールぐらいになるだろうか。

 アイテムは長方形の卓の上、カワウソたち全員が囲む位置に安置される。

 カワウソは我を忘れて、未知のアイテムをしげしげと眺めてしまう。

 

「式典の演習風景を記録していた、軍の情報部から提供された証拠品です」

 

 言うが早いか、ヴォルはアイテムを起動させた。彼女の手中にあるリモコンで操作されているらしい。

 食堂内の窓のカーテンが仕切られ、〈永続光〉のランプが光を落とす。

 唯一の光源となったボールは、中心の穴から青緑色に輝く魔法の光を灯し、数秒後には巨大な立体映像──四方一メートル程度の光の箱を、何もない空間に投影していた。〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の魔法に近いものと思われる。

 ヴォルが再生ボタンを押すと同時に、中の光景が鮮明な色を持って現れた。

 

 空中を舞う蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)数体や骨の竜(スケリトル・ドラゴン)数十体の後に、生きた魔獣の騎乗兵──人間・森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)小鬼(ゴブリン)・ビーストマンなど──が姿を見せる。どの航空編隊も一個の生命のごとく整然とした統制がなされていた。

 それらに続いて現れたのが、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)十騎による航空編隊。

 典型的な(やじり)形態で、女族長のヴォルを先頭中心にいただき、一番騎兵隊の八騎がそれに追随。そのさらに前方の位置に、(くだん)の“狂戦士(バーサーカー)”ヴェル・セークが飛行していた。優美な空飛ぶ竜たちの姿は、そのまま写真にして保存したいくらいに堂に入ったものがありありと窺える。

 

 異変は途中からだった。

 

 ヴェルの相棒のラベンダが、数度ほど乱暴に翼をはためかせる。他の飛竜騎兵とは違うパフォーマンス、ではない。

 何事かと思考していると、ラベンダの背に乗っていたヴェルが、首をガクガクさせて身体を前後に揺らし始めた。手足も力なく、人形のようにブラブラしている。儀礼として持参されていた鎗も、あろうことか宙に放り出された。気を失っていると直感するしかない。手綱を放して鞍に跨っていられるのは、騎乗兵の特性故か。数秒もせずに、ヴェルたちは予定の航路を外れ、重力の指にひっかけられたように墜落の軌跡を描く。飛竜が不調をきたしたという可能性はない。ヴェルの身体が、ついにラベンダの鞍から剥がれるように落ちかけたからだ。ラベンダはたまらず相棒を追う。何とか少女の身体を背に運んで上昇を試みている内に大地が迫り、そして──

 

 カワウソはヴォルに短く言って確かめた。

 

「墜ちた」

「ええ」

 

 この時に、彼女が墜落した地点もまた悪かった。

 カメラアングルが空中から地上の撮影班のそれに切り替わる。

 そこで整然と方陣──真四角の陣形に並んで待機していた骸骨の戦士団の中心に、ヴェルとラベンダは落ちていたのだ。いきなりの変事に、カメラマンの手元が二秒ほど揺れて、その現場を見やる。

 飛竜(ワイバーン)墜落の衝撃で密集していた骸骨の兵隊が宙を舞い、彼女らの下敷きになった者らが、無残に圧し潰されて地面にめり込み、バラバラに砕けていた。

 それで終わっていたら、ただの事故だったのだろうと、誰もが思う。

 

「……あれは?」

 

 カワウソが指摘した先には、もうもうと立ち上る土煙の奥に、うずくまっていた飛竜の巨体。

 その背に騎乗する者、その容貌の変化に息を呑む。

 爛々と、燃えるように輝く、両眼。

 正気を失い、自ら「狂気(バーサク)」の状態異常を発現させたことを意味する、狂戦士固有の特殊技術(スキル)エフェクトだ。

 確かに、そこに墜落した少女は、紛うことなき狂戦士(バーサーカー)と化していた。

 そして、騎乗兵の特性として、彼女を背に乗せた飛竜(ラベンダ)も、同様のエフェクトが浮かび上がる。騎乗兵は騎乗物を、己の影響支配下におくことで“強化”が可能な反面、乗り手である騎乗兵の状態異常を騎乗物にもフィードバックしてしまう。

 

「なんと、まぁ──」

 

 名状しがたい咆哮と共に、狂戦士(バーサーカー)による蹂躙が始まった。

 その場で待機状態だった骸骨たちを、同じく狂化してしまった騎乗物・ラベンダと共に、アンデッドの尖兵を飛竜の脚で踏み砕き、長い尾で弾き飛ばし、ヴェルの拳で殴り潰して……そうして瞬く内に骸骨(スケルトン)の戦士団は半壊の憂き目にさらされた。竜に乗った狂戦士の力は、ろくな装備も与えられていない下級兵の骸骨たちを、蹂躙するのに十分なレベルを保持していた。骸骨たちは、スイッチを切った機械のように、為すがままにされていたのも影響を及ぼしたようだ。

 空から実の姉をはじめ、同族の飛竜騎兵たちが降下してくるが、時すでに遅し。どころか、暴虐の渦に引き込まれれば、自分たちまで壊滅させられる──そう直感できるほどの暴力を、彼女らは共に振るい続けた。

 だが、その暴走は思わぬ形で終息に向かう。

 飛竜が鎌首を乱雑に左右へと振った。何らかの攻撃を被ったわけではない。ヴェルの「狂気」に呑まれていたラベンダの片目が、自力で正気を取り戻し、苦し気な呻き声をあげながら翼を広げた。未だに暴走中の相棒を背に乗せたまま、ラベンダの巨体は空へと舞い上がる。

 ラベンダは、狂気の暴力をさらに辺り一面に撒き散らそうと欲する相棒(バーサーカー)をその場から遠ざけ、それ以上の暴走で二次被害が生じるのを防ぐかのように、逃げ去ってくれたのだった。

 あとに残されたのは、広い演習会場に轟くどよめきと、土煙の晴れた向こうで、砕けた骨の様を累々とさらすアンデッドの戦士団だけだった。

 

「映像は、以上となります」

「……なるほど」

 

 カワウソは指を組んで頷いた。

 演習場から逃げ延びた二人はその後、魔導国による追跡を受ける中で完全に正気を取り戻し、わけもわからぬまま逃走を続け、そして、あの森で、カワウソたちと出会ったと、そういうところか。

 

「この映像、ヴェルには見せたのか?」

「昨夜の内に」

「……ヴェルの反応は?」

「最初は戸惑っていましたが、次第に腑に落ちてくれたようです」

 

 カワウソは納得する。

 確かに、これでは事情が分からない人の目には、ヴェルがいきなりアンデッドたちに強襲をかけたようにも映るだろう。上空と地上で見える光景は違ってくる必然だ。空の映像では明らかにヴェルの状態に異常がみられるが、地上で見ていた限りにおいては、突然飛竜騎兵が降下してきて戦士団を攻撃したとも判断できる。というか、そういう風にしか見られないというべきか。

 

「よろしいでしょうか?」

 

 カワウソの隣に座しているミカが、冷酷な声色で挙手していた。ヴォルはどうぞと言って促す。

 

「ヴェル・セークが狂戦士として暴走した理由について、心当たりは?」

「わかりかねます」

「これまでに、彼女が暴走したことはなかったのですよね?」

「ええ──我が妹の暴走は、実のところ、今回が初めてで」

「……そのことなんだが」

 

 カワウソは昨夜聞きそびれた疑問を口にしていた。

 

「狂戦士化したのが、今回が初なら……じゃあ、どうやってヴェルが狂戦士って、判ったんだ?」

「我が一族に伝わる秘術──魔法の鑑定に近いもので、彼女が生まれた頃に把握されていたのです」

「鑑定……ああ、そうか」

 

 ユグドラシルにも、相手の強さを「精密に」あるいは「大雑把に」識別するための魔法や特殊技術(スキル)、アイテムなどが揃っていたものだ。実際、カワウソのNPCの一人であるマアトが扱ってくれた。それによって、『ヴェルのレベルはLv.20程度』などの鑑定が可能だったわけで。

 しかし、疑問がひとつ。

 女族長の言を信じるならば、ヴェルは狂戦士のレベルを生まれた頃に取得していたと、そういうことになるのだろうか?

 この異世界で、どのようなレベル獲得ができるのか定かではないので推測の域を出ないが、生まれた頃にある程度の狂戦士のレベルを確保していたのか。あるいは未来予知じみた感じで、ヴェルが将来的に狂戦士になれることを知覚できたとか。そんなところなのか。

 

「その秘術、鑑定というのは“数字”を見るのか?」

「数字?」

「たとえば、こう──狂戦士Lv1とか、Lv.2とか」

「れべる? いえ……多分そういうものでは、ないと思われます。あの()を占った先代の竜巫女──私の先達(せんだつ)が、『この娘は狂戦士だ』と、適性者であるという事実を宣告しただけで。……数字のようなものは、たぶん言及していなかった、はずです」

「──そうか」

 

 カワウソは納得しつつも首を傾げた。

 ユグドラシルでは、相手の獲得するレベル──強さを数値で表す仕様だった。

 しかし、ヴォルの説明だとレベル数値というものを彼女らはしっかり認識できていない。異世界であるが故の仕様変更か、あるいは彼女らの“等級”では知りようがない情報なのか──多分後者なのではと思う。

 この異世界でレベル数値が「消失した」とするならば、どうして拠点NPC(マアト)が、現地人のヴェルやラベンダの推定レベルを鑑定できた? 彼女らには確かに数字としてのレベルが割り振られているからだろう。でなければ、マアトの鑑定が出鱈目だと判断するべきだろうが、あの引っ込み思案なマアトが嘘をついているとは、どうしても考えにくい。それならばまだ、ヴォル・セークたちの理解力が薄いだけという方がありそうな気がする。

 曰く、“三等臣民”の飛竜騎兵部族。

 三等というからには、一等や二等、四等や五等という臣民階級が存在していそうな感じがする。

 もしかしたら、魔導国内には与えられる知識量的な等級分けが一般化しているのかも知れない。

 三等はここまで。

 二等は三等よりも上のここまで。

 一等は二等よりも上のこのぐらいまで──という感じに。

 カワウソは確かめてみる。

 

「飛竜騎兵の部族は、確か三等臣民──だよな?」

「ええ、そうです」

「なんで、その、三等臣民なんだ? 俺は飛竜騎兵の部族について、あまり詳しくないから」

 

 瞬間、その場にいる飛竜騎兵たちが、微妙に表情を険しくする。

 カワウソは一瞬だけ身構える。聞いてはまずい情報だっただろうか。

 懸念が的中したと判断し、質問を撤回しようとするよりも早く、族長が微笑みを強くした。

 

「無理もありません。これは長老たちに聞くのが早いでしょうが、我等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は、100年前の過去、魔導国創立期に、暴慢にも魔導王陛下らに弓を引き、従属を要求された際には一度拒否し、愚かにも戦いを選んだ者らを同胞に持った者たちの末裔です。今でこそ三等臣民にまで地位向上を果たしましたが、国内での認知度は、未だに低い部類に入るでしょう」

「えと、確か……昨日の夜に聞いた内容だと、九つの部族の内、三つが従属を拒否した──だったか?」

「ええ、まさに。その三つの部族は、飛竜騎兵の力を過信しすぎた。当時の情勢ですと、『空を飛ぶのがやっとの魔法詠唱者(マジックキャスター)程度に、同じく空を飛びながら、様々な戦術と魔法、単純な力でもってあたれる我等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)が負ける道理などない』と。

 実際、当時の世界情勢ですと、第三位階の〈飛行(フライ)〉を扱えればかなりの才能が認められていた時代だと聞いております。魔導国の誇る学園機構より輩出される魔法詠唱者の“最低水準”が、当時における一般的な魔法詠唱者の最大戦闘能力に見做(みな)されていたので」

「……第三位階で」

 

 カワウソは僅かに呟く。

 ユグドラシルでは最高で第十位階までの魔法が存在しており、その上に超位魔法が存在していた。だというのに、この異世界の人々にとって第三位階程度で最も強大な力と思われていたらしい。

 単純に当時の人々のレベルが低すぎたか、レベルアップできる環境が整っていなかったのか、いずれにしても、ユグドラシル基準で考えると薄弱として脆すぎる印象しかない。

 ヴォルの説明が続く。

 

「どんな魔法使いだろうと、空を飛んで〈火球(ファイヤーボール)〉の遠距離攻撃をするのが限界──そのようにたかを(くく)ったことが、間違っていた。いくら周辺諸国と国交が薄く、また飛竜騎兵らの航空戦力と、この天然要塞である奇岩の存在から、当時のビーストマンなどの亜人たちの国家すらも侵攻するに値しない“陸の孤島”のごとき土地に見做され無視されていたがために、──だから、当時の彼らは選択を誤った」

「……その、三つの部族ってのは、確か領地ごと」

 

 ヴォルは苦笑しつつ頷いた。

 

「徹底抗戦を掲げた彼らは、一日もせずに滅亡しました。彼らの領地であった(そび)える奇岩諸共に、魔導王陛下の魔法攻撃で蹂躙され、アンデッドの軍勢に敗北したと聞いております」

「従属を拒否した、だったか」

 

 一度は勧告なり要請などを表明していたのだろう。選択権を与えられた九つの部族の内、三つの部族が戦いを選んだ。故に、負けて、滅んだ。

 その事実を、堕天使の脳髄は驚くほど無感動に受け入れてしまう。

 ヴォルは続けた。

 

「残った六部族の内、セーク族とヘズナ族──この二家が魔導国との交渉を進め、何とか魔導国の支配に組み込まれることが許されました。ですが、三部族が勝手に反抗したことで、当時の中で最低位の扱いを受けた飛竜騎兵たちは」

「不満を爆発させた、とか?」

 

 ありそうな話だ。物語とかだと、こういう場合は奴隷みたいな扱いに耐え切れず、反乱や一揆を起こすフラグでしかない。

 だが、違った。

 

「? ──いいえ。むしろ新たにもたらされた魔法の恩恵に与ることができたのです」

 

 魔導国は、まるで我が子を慈しむ父のような寛大さで、飛竜騎兵の六部族を受け入れた。

 食料を与え、教育を施し、それまで同族同士で領地や財物を巡る殺し合いに明け暮れ続けた飛竜騎兵たちに、新たな道を指し示した。

 冒険者として世界に羽ばたく者。

 研究者として世界を探求する者。

 芸能者として世界を巡り歩む者。

 それまで考えもつかなかった生き方を提示され、その引き換えとして当時は「四等臣民」としての責務を負わされたが、誰もがそんな生き方を当然だと受け入れるようにすらなっていった。それはまるで“人心掌握”という名の魔法にでもかけられたかのように、飛竜騎兵だけでなく、その他の地において一度は魔導国の存在を軽んじ反抗した者らも、やがて恭順の意を示すことにさほどの時間を必要としなかった。次第に各種族や都市国家で、ひとつの共通認識すら蔓延するまでに至った。

 曰く、魔導国による支配こそが、平和を実現できるのだと。

 

「お待ちを」

 

 ミカが身を乗り出すように疑問を投げる。

 

「寡聞にして聞き及んだことがないのでありますが、四等臣民の責務というのは、一体どのようなことを?」

「ん? 簡単です。現在の我等三等臣民と共通する『義務教育』『適性診断』『異能診断』『食糧などの生産活動』『独自文化の継承と発展』あと『死亡者の提供』など、これに『労役』と『採血』が加わったものになります」

 

 意外と普通のことばかりで──というか義務教育とか、現実の世界では廃れすらした社会制度が組み込まれていることに驚いた。『生産活動』や『労役』も、共同体の社会維持にとってはあたりまえなこと。『文化の継承と発展』も、一応は理解できる。『診断』というのも、まぁ、なんとか想像はつく。

 ──だが、──『死亡者の提供』とは?

 聞いている限り、死体の最終処理を、国が一手に引き受けていると見るべきなのか。

 しかし、死体など各地個別に火葬して灰にしたり、あるいは土葬して埋めたりした方が、効率が良い気もする。実際、カワウソの両親は一応、民間の葬儀屋で火葬され処理された。民間ではなく、国ぐるみで死体を処分するというのは、あるいは衛生観念的な事情があるのかも。

 

「……労役などは解りますが、採血というと、血をとると?」

「ええ。健康把握の一環として。一定の周期サイクルで成人から血を採取しているそうです。三等臣民だと、これが医療従事者による『定期健康診断』に代わり、血をとられることはほぼなくなりますね」

 

 二人の遣り取りを聞いて、カワウソは疑問を覚える。

 魔法の生きる世界で、血を採取する必要があるのだろうか?

 魔法の鑑定による生体精査にはリスクでもあるのか? あるいは魔法だけでなく、医術や医療方面にも発展を遂げているのかも? 治癒薬(ポーション)や回復魔法で癒せない病態があるのか? だとしたら、手術輸血用の採血なのかもしれないが……だったら等級に関わらず採血しても良くはないか?

 答えは出そうにない。

 そして、やはり、カワウソが気になったのはひとつだ。

『死亡者の提供』──これは本当に、どういう意味なのか?

 直接聞くのは憚られる。語順としては三等臣民──現在の飛竜騎兵たちも行っていることらしいが、それ以上の“二等”や“一等”だとどうなっているかによっては、聞いてはならない情報だろう。カワウソたちは、何食わぬ顔でこの場に臨席しているが、実際は魔導国の臣民でも何でもない、ただのユグドラシルプレイヤーとNPCなのだ。知らないことは多くある。だが、それを知らないと言っては、魔導国に住まう者らに不審がられるのは明白だ。今は、深く聞かない方がいいはず。

 

「族長」

 

 食堂の隅にある扉から、やはり見慣れた一番隊の女騎兵が飛び込んできた。

 慌てた様子で、しかし客人らの手前ということで抑えた早歩きで、家主のヴォルに小さく巻かれた羊皮紙のようなものを手渡し献上する。

 彼女は結ばれた紐を解き、内容を凝視する。

 理解を得た族長は、書状を届けた騎兵に感謝を告げて、さがらせた。

 

「申し訳ありませんが。今すぐ皆様に会わせたい方がおりますので、少しばかり御足労を願います」

「会わせたい?」

 

 書状を大事そうに懐へしまう女族長は、少しだけ明るみを帯びた声で告げる。

 

「我がセーク家と対を成す飛竜騎兵の(うから)……ヘズナ家の使者が参りました」

 

 状況は、カワウソたちが思っていたよりも遥かに、深刻であった。

 ヴェルの暴走は、事によれば飛竜騎兵たち全部族の処分もあり得るほどの罪。

 彼らが団結して、事態解決に臨み挑むというのは、まったく自然な流れとも言えたようだ。

 しかし、カワウソは思い出す。

 

「“ヘズナ家”って、セーク家と仲が悪い感じの?」

 

 ハラルドが言っていた「ヘズナ家との確執」とやら。

 ヴォルは少し苦笑する。カワウソの問いに対し、「道中でお答えします」とだけ告げて、立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛竜騎兵の部族らが存在している領地というのは、少しばかり変わったところにある。

 

 カワウソたちは屋敷の一階から、地下へと続く階段に案内された。昨夜、カワウソたちは夜陰に乗じて二階建ての邸宅の中庭に降り立ったが、それは普段であれば絶対に使用しない帰宅手段であるらしいことは、すでに昨夜の内に聞かされて知っていた。本当は、この地下階段を使って下から入るか、正規の客人──重要人物などの賓客を迎えるための正門に飛竜を横付けするように入る以外の方法は許されていない、という話だ。カワウソたちは秘密裏に、セークの族長家に迎える運びとなっている以上、大ぴらなことは出来なかった。

 地下は〈永続光〉のランプで明るく、内装も整っていることがよくわかる。明かり取りの小窓から外を望むと、どこまでも青い空色がよく()えた。

 

「セーク家とヘズナ家は、大昔から互いに鎬を削り合う仇敵とも言うべき存在でしたが、魔導国編入と共に、残された部族らをまとめ上げることを王陛下によって命じられ、今では飛竜騎兵の二大派閥として名を残すことが許された者たちです」

 

 カワウソたちはヴォルの説明を受けつつ、さらに階下へ続く階段を下る。

 カワウソのすぐ隣をミカが歩き、その後ろに肩を落とし続ける修道女マルコが、かろうじて続く。

 

「セーク家は軽い体躯で“速度”に重きを置いた飛竜と騎兵らの一族。対して、ヘズナ家は重い巨躯による“防御”に重きを置いた飛竜騎兵の一族で、その戦力は常に一進一退を繰り返しておりました。互いを水と油のごとく思いつつ、切磋琢磨の時を重ね──簡潔に言えば、おっしゃる通り「仲の悪い」部類に入りますね」

 

 その道のりは迷路のように入り組んでおり、まるで敵の侵入を阻害するために複雑な構造をした「城」を思わされた。邸宅はさらに階下に進むと、ほとんど洞窟のような有様になっていくが、これは無理もない。

 三階分ほど降りた先で、巨大な翼がはためく音と共に、飛竜の豪快な寝息や、戯れじゃれ合う大声が耳につく。そこはまるで格納庫のように広く高い空間に、十数匹の飛竜と、その世話に明け暮れる女性たちがいた。やはりカワウソの見覚えのある女性たち──昨夜の女騎兵たちは礼儀正しく膝をつき、一行を見送ると、飛竜の鱗や翼を磨く作業や大量の藁を敷き詰めるなどの作業に没頭していった。岩肌が剥き出しの格納庫──その壁面の一部は完全に消失しており、横に広がる空色のパノラマを映し出している。吹きすさぶ空気は冷たかったが、不快ということはなく、むしろ心地よい。そこから飛竜たちが自由に飛び出し、離着陸を自在に行えるための用途があると確信できる。ここで住人は飛竜の乗り降りを行い、階上にある邸宅や、この下の土地に赴くことができるという造りだった。

 

「しかし、魔導王陛下の力を過たず理解した当時の族長らは、同族の飛竜騎兵らに“従属”を求めたのですが、これを聞き入れられなかった三つの部族が、亡くなった」

 

「飛竜の巣窟」とも言うべきそこを、ヴォルたちは迷うことなく通り過ぎようとする。

 カワウソだけは、巣の断崖から望む眺望──大パノラマに圧倒されかけて、足を止める。目が眩むほどの高さというのもそうだが、遠く眼下に生きる者たちの姿が、鮮烈に堕天使の網膜に焼き付けられたからだ。

 セーク家の邸宅──ヴォルたちが住まうこの家は、セーク族領地である奇岩地帯で最も高い峰の、さらに先端部に位置する。屋敷は奇岩の最頂点に構えられた代物で、この奇岩の所有者たるセークの家の者と、限られた者たちの出入りしか許されていない。これより高い位置を飛ぶことは、族長家への逆心ありと見做され処断される掟が生きているとのことだが、これほどの高度になると、並みの飛竜では長時間飛行できないため危険という認識こそが実際なようだ。

 

 飛竜騎兵たちは、(そび)える柱のように佇立する珪岩の岩山──現実世界でいうところの“武陵源(ぶりょうげん)”のような奇岩の地を、そこに無数に穿たれる洞窟などを()()とし、先祖代々に渡って暮らし続けた歴史を持つ人間たち。

 

 いわば此処は、カワウソたちのいる邸宅というのは、雲海を眼下に望むほどの高さに建立(こんりゅう)された、天然の要害なのだ。

 飛竜の発着場たる此処から下を望めば、岩壁の下の部分に“街”が見渡せる。あそこが、セーク家が治める飛竜騎兵らの住まう土地のひとつであり、直轄地。岩肌をくりぬいたような家屋が所狭しと並び、そこでは人々が商いを行い、鍛冶や工芸に勤しみ、教師が子どもたちに授業を行って、そんな光景の中にモンスターの飛竜(ワイバーン)が、共存共生を果たしていた。まるで猫みたいな小動物のような感覚で、幻想の生き物であるはずの竜が、人々の営みの中に生きている。真新しい木造の家々の軒先には、セーク家の紋章らしい木工細工(レリーフ)があしらわれていた。

 寝転がる竜の背で洗濯物を干す主婦がいれば、竜の翼を滑り台にして戯れる児童らもいる。老人が飛竜の鎌首に背を預けて茶を嗜みつつ共に読書に耽る姿もあれば、飛竜の口内に並ぶ牙を巨大ブラシで丹念に磨き上げる男まで、ありとあらゆる老若男女の人間たちが、自分たちの生を、相棒である飛竜たちと共に謳歌している。

 そこここに、魔導国の国旗がはためき、その真下の広場には、駐在の警官のごとく立ち尽くすアンデッド──死の騎士(デス・ナイト)も確認できるが、それを含めて考えても、至って平和で、朴訥とした幻想の街が、カワウソの眼下に窺えたのだ。

 率直に言って、感動を禁じ得ない。

 

「こちらです。カワウソ殿、ミカ殿」

 

 立ち尽くしてしまったカワウソと、その背後に続くミカを、女族長が呼ばう。二人は急ぐでもなく列に戻った。

 飛竜たちの巣のさらに奥にある通路へ。

 

「ここは、我が祖先が使っていた秘密部屋です」

 

 この場所で、かつては飛竜騎兵部族同士による様々な権謀術数が渦巻き、時に侵略を、時に防衛を、時に同盟を、時に裏切りを企て実行されてきたのだが、そんなことは今のカワウソたちにとっては、知ったことではない。

 秘密部屋は、先ほど通り過ぎた巣と同じぐらいの空間があり、そこに見慣れない飛竜が、一匹。

 

「なっ」

 

 思わず声を漏らして仰ぎ見た巨躯は、これまで見慣れた飛竜とは違っていた。

 体格は見慣れていた飛竜の二倍以上に膨れて重みを増し、顔面の造形はずんぐりしていて重厚な兜を思わせる。鎧にも似た首覆い(ネックガード)のごとき筋肉の層も厚かった。折り畳まれた両翼に顎を乗せ、まどろむように呼吸しているが、見開かれた眼は大きく、かなりの威圧感があった。かの飛竜が指先の爪にひっかけている布は、ヴェルが所有していた不可視化のマントにも似ている。近くに転がっている香炉の用途は、さすがに判断がつかなかった。

 しかし。秘密部屋というそこは、これだけの巨躯が侵入可能な部屋ではなさそうだった。室内は〈永続光〉の明かりで煌々と照らされていたが、見て取れる内部構造は閉鎖的で、岩塊を削り掘って作られただけの巨大洞窟にも見える。どこにもこの飛竜が通れそうな通路は存在しない。魔法か何か──「開けゴマ」などのパスワードで作動する搬入路でもあるのだろうか。天井が空いたりする可能性は、上の邸宅が邪魔で無理そうではあるが。

 見上げっぱなしになるカワウソに、ヴォルが簡単な説明を添えてくれる。

 

「ヘズナ家が誇る「重量種」の飛竜です。我等セーク家の飛竜は、おおむね「軽量種」に該当しますね」

 

 防御のヘズナに、速度のセーク。

 防御に優れた鎧皮を獲得した分、重くなった飛竜があれば、逆に速度を上げるべく軽い体躯を獲得した飛竜という系統樹などがあるのだろう。なるほど。飛竜とひとくくりに言っても、その中には様々な個体別の能力や差異があるようだ。九つの部族の中で統廃合が進められた可能性もなくはない。

 カワウソは納得と共に周囲を見やる。

 

「それで、ヘズナ家の使者っていうのは──」

 

 いた。

 広い空間の中に、一組だけ置かれた応接セットのようなソファーテーブル。

 真四角の卓上には三人分の茶が置かれ、ずっとここで待たされていたらしい。

 椅子に腰掛けくつろぐ人影は、三人。背格好から判断して、大人二人に子供一人。

 族長を除く飛竜騎兵の乙女らの誰もが緊張と不安に視線を細めるのに混じって、あのマルコが、とんでもなく険しい表情を向けているのが気にかかる。修道女には似合わない唸るような雰囲気で、カワウソは大いに疑問を深めるが、ヴォルの発した声に意識を引っ張られる。

 

「こちらが、ヘズナ家の使者の方々です」

 

 使者の一人が、上座のソファからすくりと立ち上がる。

 身に纏っていたローブ──フードに隠していた相貌を脱いで露にした男の顔と頑健な肉体をみとめて……、女騎兵たちが驚愕に眼を剥いた。

 

「はっ?」

「な、何で!」

 

 口々に吠え身構える、警護役の女騎兵ら。

 カワウソは思わず呟いた。

 

「有名人か?」

「いや、有名、というか──ええと」

 

 呆れたような困ったような、そんな調子で応じるハラルドたちの戸惑いに構わず、黒に近い紫の髪を短く刈り揃えた男から、声が。

 

「はじめまして」

 

 低い声だ。誠実そうな口調の奥には、深い遺恨や悪意という気配は感じられず、穏やか。

 精悍な男。右瞼を頬にまで貫く傷跡に笑みがはりついて、男の豪胆の度合を深めていた。

 力強い眼。金属の如く冷たく凍えた青い瞳は、まるで静かに燃え焦がれているかのよう。

 

「彼は、ヘズナ家の現当主、ウルヴ・ヘズナです」

 

 ヴォルの紹介する声に、カワウソは痺れたように立ち尽くした。

 現──当主?

 ヘズナ家の?

 当主が使者?

 

「は? どういう……本当に使者、なのか?」

「ええ。こちらの方が、話も早いでしょう?」

 

 応える男は、実に率直な意見の持ち主なようだ。

 確かに、ヴェルの一件を早急に、可及的速やかに解決するために、ヴォルは昨夜の内にヘズナ家へと協力を仰いだという話。かつては戦いに明け暮れたという両家の歴史を思えば、何かしら思うところはあるはずだろうに、二人の族長の間には全くそれを感じられない。共に共通の君主──魔導王を戴くが故の協調だろうか。

 精悍に思えたハラルドよりも雄々しく、洗練された美丈夫は、ほとんど野獣のように膨れた筋肉の鎧に負けぬ重厚な鎧を身に纏い、二メートル超過の巨体で歩み寄ってくる。

 

「あなたが、カワウソ殿ですね?」

「あ……ああ。カワウソです」

 

 50cmほど上から見下ろされ、差し出された手の意味を反射的に理解して握手する。

 握る力は手のサイズに相応しく強大であったが、異形種の堕天使には大したダメージにはならない。

 

「セークの族長から、話は伺っております。ヴェルを、セークの狂戦士(バーサーカー)を発見保護されたとか」

 

 カワウソは曖昧に頷くしかない。

 

「それほどの力を持つあなた方が協力してくれるというのは、実に心強い」

「いや。協力って言っても、とくに何かできるわけでもないと思うから、そんな期待されても」

「御謙遜を。セークが誇る一番騎兵隊を完封したあなた方であればこそ、出来ることもあるでしょう」

 

 子供のように純粋な善意で笑顔を向けられる。

 族長といっても、そこまで堅苦しい感じがしないのは好印象だった。そういう意味では、セークの女族長のまっすぐさも好ましい部類に入る。

 

「そして、こちらは──我が家の用意した、秘密裏に、此度の事件に協力してくれる方々です」

 

 彼らと共にことを成せば、解決も早まるだろうとヘズナの族長が宣する。

 ヘズナ家当主の紹介に合わせて、じっと座りっぱなしでカワウソたちの遣り取りを眺めていた二人が立ち上がる。ヘズナと同じく、目深にかぶっていたフードの下が露になった。

 途端。

 

「ちょ、マジ!」

「うそでしょ!」

 

 先ほどの驚嘆とは打って変わって、黄色い声援にも似た歓声が、広い空間に響いた。

 女騎兵たちが手を叩いて喜びを表現している。自分たちの族長に短く窘められても、驚愕は収まり切らぬという興奮ぶりだった。

 微苦笑を浮かべるヘズナ家当主──ウルヴが、誇り高そうな語調を紡いでみせる。

 

ナナイロコウ(セレスティアル・ウラニウム)級のプレートを預かる、魔導国内“唯一”の一等冒険者チーム。

 私の方で依頼した、四人のうちの御二人です」

 

 まず、男の面貌をカワウソは眺める。

 漆黒の髪に、深淵のような色合いの瞳。兜などを被っていない顔立ちは、ヴォルやウルヴたちの西洋的なそれとは違う東洋系で、ただの日本人と言われたら信じられるほど見慣れた顔つき。年齢は、軽めに見積もっても三十代。口さがなく言えば壮年と言っても差し支えない凡庸な感じで、はっきり言えば、とても女を魅了するものとは言い難い。だが、カワウソの堕天使の造形よりは遥かに人間的で、見るに耐えないというほどではない。二枚目俳優が加齢に伴い、三枚目になった印象を受ける感じか。ウルヴの二メートルを超す肉体とは比べようもなく細いものの、黒水晶のように鮮やかな全身鎧が纏われており、巨大な両手剣(グレートソード)を”双振り”背中に担ぐ様から、その下にある身体の強靭さを雄弁に物語ってくれる。何ひとつ無駄のない、スマートな重装戦士という印象が強かった。

 ここからは、カワウソの(あずか)り知らぬことだったが。

 国内で“唯一”の一等冒険者(ナナイロコウ)として、その男を知らぬ者はおらず、その「勇名」は先代、先々代、そして『初代』から受け継がれてきた“力の象徴”──故に現地人の、特に女性陣には非常に有名な存在であり、まったくもって類稀な大人気を博していた。その誠実な人柄と人徳の篤さによって、人種や等級などを超えて広く尊敬の念を集めている。

 それほどの超常者にふさわしい、歴戦の勇士めいた声色が洞内に轟く。

 

「はじめまして。皆さん」

 

 カワウソは、この世界の冒険者と、はじめて言葉を交わした。

 

「ご紹介に(あずか)りました“黒白(こくびゃく)”の、モモン・ザ・ダークウォリアーです」

 

 

 

 モモン。

 その名は、『漆黒の英雄譚』に登場する、魔神王ヤルダバオトの討伐の為に立ち上がった、当時最高峰の武勇と力量を持って諸国に知れ渡った、古い古い冒険者の名だった。

 彼の逸話や物語を書き綴った書物は、魔導国内で必ず寝物語として読み聞かされ、学習教科書にも登場し、数多く存在する冒険者たちのバイブルとして読み込まれ、毎年の如く増刷され続けている『大陸内で最も多く発行販売され読書されている物語』として人気を集めている。

 国内では毎日のように『漆黒の英雄譚』に関する演劇や興行、映画や派生小説が催されているとも言われ、実際、魔法都市などでは彼の物語を模した魔法の人形劇が盛んに行われ、芸能都市においてはモモン役を務める男優は常に一番人気を獲得しているものにのみ、その大役を任されていた。カワウソたちが夜を明かした客室にも、その原本とも言うべきものの新装版が本棚にあったほどに、彼と彼の名を記した物語は、大陸全土に普及し尽くしているのだ。

 そんな魔導国内で、モモンの名は当然の如く広く知れ渡り、毎年のように「生まれてくる男の子につけたい名前ランキング」首位の座におさまっている。モモンの名を少しばかり拝借して『モモ』とか『モン』とか、あるい『モー』などの変形命名も人気なほどだ。

 ちなみに、アインズ・ウール・ゴウンの名前は、魔導王陛下への不敬にならぬよう、ごく限られたものにしか与えられない名という認識が強く、それ故に一般に普及することは一切ない。

 

 そんな中。

 

 唯一、一等冒険者として“ナナイロコウ”を預かるチームは、少々変わった冒険者たちだ。

 

 白金の全身鎧を着込み、あまり表には出て来ない純白の騎士。

 常に仮面をして、素顔を見せることのない謎多き魔法詠唱者。

 

 魔導国創立から今日に至るまで、100年もの時を生きる彼等二人の他に、魔導王によって任命される最高位の冒険者として、“モモン・ザ・ダークウォリアー”の名を継ぐ戦士が、ほとんど常に存在するのだ。

 これは、かつて(くつわ)を並べ戦い、魔神王との壮絶な戦いにて、“蘇生不能”な状態に至るまで人々のために力を尽くした英雄モモンをアインズ・ウール・ゴウン魔導王が偲び、「彼の魂と生きざまが永遠不朽のものになるように」と祈願し、魔導王が特に認めた冒険者に、新たな“モモン・ザ・ダークウォリアー”の名を授ける……他の有象無象には一切名乗ることが許されない──いわば個人任命制の冒険者を、ナナイロコウ級冒険者に加えるのだ。そして、任命された“モモン”の推薦を受けて認められたものが一人だけ、国内で唯一の一等冒険者の地位に参加する。これは、モモンと共に散った“美姫”の存在をも、魔導王が認めていることの証である。

 純白の騎士と、漆黒の英雄。

 故にチームの名は“黒白(こくびゃく)”という。

 

 

 

 そういった事情には明るくなかったカワウソは、続けざまに「こちらは、私の仲間のエルです」と隣に立つ子供──日本人形めいた童女の紹介を果たす男を、御伽噺(おとぎばなし)の英雄の名を戴く存在の姿を見つめ、確かめるように名を呟く。

 

「モモン・ザ・ダークウォリアー……」

 

 カワウソは思い返す。

 モモンという名は、あれだ。

 都市で人気だった『漆黒の英雄譚』にあやかった名前という奴か。

 故の、漆黒の英雄(ダークウォリアー)なのだろう。

 いい名前だな。

 カワウソは真剣に思った。

 ただ、何故か。

 それまで黙りこくっていたマルコが、思い切り咳き込んで、カワウソたちの前に歩み出る。

 

「オホン。ええと、ダークウォリアーさん? ちょっっっと、よろしいですか?」

 

 珍しく、というか初めて険しそうな微苦笑を面に表し、マルコが漆黒の英雄の胸倉をつかみそうな勢いで、間に割って入る。朝食中の元気のなさが信じられないような迫力が込められており、得体の知れない凄みを感じざるを得ない。

 

「う、うむ……あ、いや、いいですよ。何でしょうか?」

「こ ち ら へ お ね が い し ま す」

 

 微笑みを増す修道女の眉間に、何故か青筋すら浮かび上がるように幻視した。その剣幕に気圧(けお)されるように、漆黒の戦士はマルコに手首をつかまれる形で連行された。

 彼の従者的な黒髪の童女も、その様をさも当然のごとく受け入れ、二人に付いていく。置いてきぼりになるカワウソらに対し、ちょこんとお辞儀して。

 

「ひょっとすると、……知り合いだったりするのか?」

「さぁ?」

 

 どうでもよさそうに肩を竦めるミカ。

 この世界で、初めて間近に見ることになった“冒険者”という存在。

 その中でも、最高位に位置するという、ナナイロコウの一等冒険者。

 

「何か、不思議なことがいっぱい起こるな」

 

 呑気に事の成り行きを見守るカワウソ。

 滅多にない出会いにはしゃぐ飛竜騎兵の乙女ら。

 何やら神妙な顔で内緒話に興じているセークとヘズナの両当主。

 

 ……それらをすべて眺めつつ、ミカは昨日の、あることを思い出していた。

 

 魔法都市カッツェの食堂で、雰囲気のよく似た感じの二人連れを見かけていた事を。

 食堂奥のカウンターテーブルから、カワウソたちの様子を眺めていたような、黒髪の男女。

 だが、両方ともに同年代の青年と女性に見えた。間違っても、今目の前にいる壮年の男と幼い童女という組み合わせではない。

 それでも、何かが、引っかかるような。

 

「どうした?」

 

 ふと、主に声をかけられ、彼女は言うべきか言わざるべきか一瞬だけ迷い、

 

「なんでもありません」

 

 些末な情報にかかずらうのをやめた。己が神経質になっているだけという可能性の方が高い上、今は、すでに過ぎ去った事象に思いを巡らせる時ではない。

 ミカは別のことに神経を研ぎ澄ませる。カワウソと視線の向きを同じくして、何やらにこやかに談笑するマルコと英雄たちを眺めつつ、今、主の脅威になりそうなものが現れないか、ただそれだけを危惧し、警戒を強めた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「どういう、おつもりですか?」

「マルコ。頼むから、そんなに怒るな」

「怒ります! 怒らないで、どーしろと!」

 

 カワウソたちから離れ、密談の場を設けて対峙するマルコは、本気で怒っていた。

 どうして自分から、危険やもしれない場所に飛び込んでくるのか、本当に理解できない。

 笑顔をはりつけなければならない状況だと判断出来ていても、眉根にこもる力を霧消させるのは難しすぎた。この方はどうして昔から、自分の身を軽んじられるのか。長々と説教でもしてやりたい衝動に駆られるが、そんなことをしても暖簾(のれん)に腕押しだと心得ている。強者であるが故の傲慢ではなく、賢知に富むが故の卑屈さが、マルコには(はなは)だ度し難かった。こちらが明け透けに喋れば喋るほど、親しみやすそうな笑みを浮かべてくれるのは嬉しい限りだが、事この場においては、あまりにも軽薄なものに見えてしようがない。

 

 マルコが我知らず砕けた口調で喋るのも無理はなかった。

 もはや言うまでもないだろうが、ここにいる“モモン・ザ・ダークウォリアー”という人物の正体は、魔導国王陛下──統一大陸唯一の至高帝──ナザリック地下大墳墓最高支配者にして、至高の四十一人のまとめ役であられる死の支配者(オーバーロード)──“アインズ・ウール・ゴウン”その人に他ならない。

 かつて、マルコが生まれる遥か昔、モモンという名の人間として人間の国で過ごし、当時最高峰とされたアダマンタイト級冒険者として活躍したのと“ほぼ同じ”感じで、魔導王アインズは、今は時に冒険者として市井(しせい)に降り、そこで暮らす人々の暮らしぶりに馴染みつつ、臣民の生活向上に必要な“目線”に立つことを己に課していた。彼のモモンとして築き上げた偽装身分(アンダーカバー)を、今や国ぐるみで完全に擁立している、といったところだろうか。

 

 この身分を再び作った大元の原因──きっかけとなったのは90年前、復活を遂げた「とある冒険者チーム」との話は、それはまた別の物語である。

 

 そのこと自体は、マルコも当然熟知している。

 無論、御身が軽薄であるなど、まったく完全にあり得ない。

 そう見えるのは、マルコの心眼が胡乱(うろん)なせいだ。

 一等冒険者として、時に市井で活躍する御身の智謀は何よりも重く、醸し出される威厳だけで誰もが膝を屈するだろう。

 しかし、だとしても、すでに90年も共に生活する御方に対し、今は“さすがに一言(ひとこと)くらい言っておかないと気が済まない”のだ。

 ちなみに、この会話は盗聴防止用のアイテムで外部には適当に談笑している風な内容にすり替えられており、互いがにこやかにしている限り、そこまで違和感を覚えられることはなくなっている。

 ただ、普段は温厚かつ寛大で知られた修道女でも、ナザリック内でそれなりの地位と役職を賜る混血児(ハーフ)の一人であろうと、怒る時は怒るのであり、そして、今は怒るべき時に違いない。

 

「昨夜、〈伝言(メッセージ)〉を受け取った時は、もう驚きましたよッ。……わざわざエルピスまで連れだしてきて!」

「申し訳ありません、マルコ姉様。おじ──モモンさんの計画は極秘に遂行されるべきことで、その」

貴女(あなた)が謝る必要はないわ、エルピス。謝るべきは、我等が陛下の方なのだから!」

 

 マルコは少しばかり頬を膨らませてしまう。自分の“妹分”についても、失態などあり得ない。おまけに、この黒髪を足元にまで垂らす童女は、眼前に存在する御方の“初孫”であり、単純なレベル数値で言うと、マルコよりも強靭なくらいだ。二重の影(ドッペルガンガー)の変身した姿の中でも幼い容貌を今は露にしているが、彼女の変身能力を駆使すれば、マルコと同年齢程度の姿になることも容易(たやす)い(というか、そちらが普段の彼女の好む姿であり、母親とほとんど瓜二つになるのだ。今の童女姿は、“冒険者エル”としての姿に過ぎない)。

 困ったように照れ笑いを浮かべる壮年の戦士に、マルコはこれ見よがしに肩を落とした。

 どうにも、この御方は、自分(マルコ)たちのことを生まれたての赤ん坊のように()い者として扱うことが多く(無論、そのこと自体は不満ではない。むしろ至福であり、幼少期から続く習慣ですらあるのだが)、総じて甘い。正直に言うと、最近生まれた赤ん坊をあやすように見ることが大半なのだ。

 

「もう。大宰相閣下(アルベドさま)たちから『こちらに向かった』と連絡を受けた時から、肝が冷えっぱなしです。魔導国の公務政務は変身されたパンドラズ・アクター様が代行しているとしても、ナザリックの運用については?」

「勿論、一任してきた」

「……閣下たちに?」

「その通り」

「……“若君(わかぎみ)”は、このことを?」

 

 モモンは鷹揚に頷いて、自分の息子が共犯であることを暴露していた。

 マルコは眉間を抑えてしまう。

 あの方もあの方で、実の父親に甘い。

 否。これは本人たち曰く、信頼しきっているということらしいのだが。

 

「ああ、もう、何やってるのよ、ユーちゃ……殿下の馬鹿莫迦バカばか」

 

 人の目も気にせず頭を抱えたい。

 しかし、それは大いに憚られるので、額を軽く指で突く程度に抑える。

 大陸唯一の王太子殿下──若君──マルコと幼馴染の、アンデッドと悪魔の混血児に対する恨み節が喉から零れ続けるのを、どうにかこうにか封じ込めた。

 息子を馬鹿呼ばわりするマルコを、父たるものは軽く微笑んで許してしまう。

 

「はは、そういうな。あれもマルコの身を大いに案じて、魔法都市(カッツェ)でこっそり観察していたという話だし」

「……初耳なんですけど、それ」

 

 だが無理もない。

 マルコは、魔導王の嫡子ほどの強さには至れていない。

 彼や、彼の妹君──姫殿下たちに本気の本気で隠れられたりしたら、マルコ程度の力で発見することは難しい。

 

「……プレイヤーなる存在の調査に、私のみ(・・・)では不安というのは重々承知しておりますが、それもひとえに、御身の安全と魔導国の安寧に必要な措置だと」

「それは違うぞ、マルコ」

 

 御方の口調の変化に、時が止まるような錯覚を覚えた。

 

「私は、おまえの能力、才覚、頭脳、戦術、そして強さであれば、たった一人で、大抵のプレイヤーに対抗し得るものと評価している。身内贔屓というわけではない。おまえにはそれだけの(ちから)がある。これは事実だ」

 

 竜人の父と、人間の母。

 その血を受け継ぐ混血児(ハーフ)たるマルコの“特殊技術(スキル)”と“異能(タレント)”をあわせれば、一応相性にもよるだろうが、単純なLv.100の存在とも互角に渡り合える。ユグドラシルの法則と、異世界の法則が混在する修道女(マルコ)の戦闘能力は、ユグドラシルのシステムに通じている者であればあるほど、初見で打ち倒すことはほぼ不可能に近い。彼女の混血児(ハーフ)としての特殊技術(スキル)異能(タレント)というのは、ユグドラシルの存在にとっては完全に初見でしかなく、その発動原理を分析することは困難を極めるだろう。 “短時間”の“一戦だけ”という条件付きなら、竜人の力を「半分ほど」行使できるマルコの勝率は驚くほど高い試算になるのだ。一応、彼女の装備や持ち物には有事の際の逃走用アイテムを多数供与されており、それでも駄目な時のバックアップとして、常に彼女をモニターし、彼女を救命する戦力──守護者たちを待機させている。

 さらに、

 

「おまえは程なくして、名実ともに私の“娘”となる。

 そんな()を、おまえにしかできないとはいえ、単独で危険な任務に従事させ続ける私を、許せ」

 

 マルコは望外の幸せに口を引き結んだ。

 この御方の“娘”に、迎え入れられるという未来。

 近頃になって練習中の呼び方が、つい、唇の端から零れそうになる。

 

「──御義(おと)……」

 

 瞬間、マルコの頬が炎のように熱せられた。たまらなくなって俯いてしまう。

 そんな娘に対し、アインズが悪戯っぽい微笑と共に、指を立てる。

 

「ここでは、モモンだ。頭を上げよ」

「はい。申し訳ありません、モモンさん」

「もっと砕けた口調で構わん。ここでの我等は、対等な友人同士ということにしておこう」

 

 つまり、“普段”のような感じで。

 

「それに、おまえの見立てだと──カワウソという名の彼は、話が通じるタイプの存在なのだろう? 魔法都市(カッツェ)で襲撃された時には、率先して助けになってくれたというではないか?」

「まぁ。確かに、そう御報告しましたけど……」

 

 それでも、まさか、いきなり対面したいなどと考えるものだろうか。

 あんなにも危惧していたプレイヤーと。

 否……あるいは、御方の深淵のごとき智謀には、別の意図や大略があるのかもしれない。マルコ程度の頭脳では、ナザリックの最高位の方々ほどの次元に至ることはできていない。実の父同様に、性格的には甘いところが多々ある(御方は「良い」と言ってくれるが、その言葉に甘えてばかりはいられない)のだ。まだまだ研鑽が足りないと、常に思い知らされている。

 

「この“変装中”の私は、アンデッドだと見破られることはありえないだろうし、天使や神聖属性対策も準備済みだ」

 

 100年の研鑽と準備によって、今のアインズは完全に“モモン”という人間そのものに化けている。顔面の皮膚も肉も、すべて本物。これは、カワウソは勿論、女天使のNPCの力をもってしても、看破することは不可能なものだった。おまけに、イビルアイが使っているのと同じ原理の、アンデッドの気配を遮断する指輪まである。

 問題ないと、ここまで強く主張されては、マルコには抗弁する余地がない。

 

「もう、わかりました。ですが、万が一の時は」

「ああ、わかっている。おまえたちと共に、すぐに避難するさ」

 

 マルコは渋く笑いつつ頭を振った。

 そういうことじゃ、ないんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「あ、戻ってきた」

 

 漆黒の英雄と楽し気に話し込んでいたマルコが、黙って見つめるままだったカワウソたちに笑みを振り撒く。

 

「申し訳ありません、皆さま。モモンさんとは、少しばかり前にお世話になったことがあったので」

「そうでしたか」

 

 ヴォルやウルヴたちが「なるほど」と頷く。カワウソもまた、なんとはなしに理解を示した。

 モモンは実に爽やかな好青年じみた笑みを浮かべて、改まって挨拶をやり直す。

 

「ええ、では。改めまして、カワウソさん。私の名はモモン、連れの名はエルと言います。どうか(・・・)よろしく(・・・・)

 

 二人は先ほどの続きをやり遂げるように、気軽な雰囲気で握手を交わした。

 ヘズナ家の族長よりもだいぶ力を抑えられた、少し気を使われている印象すら覚える程度の握力に、気安く応じる。

 

「あ、ああ……はい。カワウソと言います」

 

 どうぞ、よろしく。

 

 

 

 

 

 ──二人は、こうして対面を果たした。

 堕天使にはまったく“それ”と気づかれはしなかった初邂逅は、何の変哲もない、まるでサラリーマンの初めての営業じみた簡素な調子で、平穏無事に行われたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうしよう。
今話の分量が三万字を超え、四万ぐらいに。
長いのは読むの疲れるから、分割して一話一万字程度で投降した方が読みやすいのではと思われるが、果たしてどうすべきか。絶対分割した方がいい気がするけど。うーん。

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