オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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容量は前回と同様、13000字ぐらいです。

モモン、もとい、アインズ様のターン。





/Wyvern Rider …vol.5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狂戦士の実演を終え、ソファに戻る直前。

 

 協議に参加する一等冒険者モモン──アインズ・ウール・ゴウンは、実に新鮮な心持ちで、目の前に存在するプレイヤーと相対しつつ、本当の人の表情がはりついた面が、微笑みに優しく緩んでしまうのをおさえるのに苦労していた。

 人間の表情は変わりやすい。アンデッドのくせに微妙ながらも精神的な昂揚感を覚えるという変わった特性を持つアインズは、受肉中は並の人間よりも冷静に物事を見極める程度の精神性を確保しているだけで、割と普通の人間と同じ感性で表情が変化してしまう。かつてのように兜で顔面を覆えばいいとも思われるが、「当代」におけるモモン・ザ・ダークウォリアーの姿(スタイル)がこの形状であるため、安易に兜で顔を覆うわけにもいかなかった。

 ずっと昔に、ある女性冒険者グループによってナザリックにもたらされた未知の果実“アンデッドを受肉化するアイテム”の研究は存分に進められ、ナザリック内で品種改良を施され、ある程度はアインズにとって利便性に富んだ受肉アイテムに変貌してくれているが、やはり精神は肉体に引っ張られるものなのか、随分と感情が豊かになってしまう傾向にある。品種改良のおかげで、魔法発動不可などの致命的な弱点は改善されるに至っているが、やはりいろいろと面倒が多い感じだ。

 

「──モモンさん」

「心配ない、エル」

 

 密かに心配げな声をかけてくれる童女に、モモンあらためアインズは、小さく頷いて応える。

 両手を握り込んで、動作に異常がないことを確認する。

 狂戦士の単純な力。

 知ってはいたが、やはりすさまじい。

 かつてアインズは、Lv.33程度の腕力を頼みに、アダマンタイト級冒険者──英雄モモンとして数々の戦場を疾駆したものだが、当時はこの地域の存在の強さは、戦士のフリをした魔法詠唱者(マジックキャスター)に最高位の冒険者の証を授けたほどに、脆かった。

 しかし飛竜騎兵は──少なくとも斜め前の席に座す依頼者の族長は──違う。

 あと少しでも抑止が遅れていたら、漆黒の戦士は、単純な力によって押し切られていたかもしれない。アインズはそれなりの価値の装備に身を固めている上、常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)を使っているので無傷に済むのは間違いないが、力比べで負けかけるほどの膂力を、かの狂戦士は発揮してみせた事実は覆らない。

 

「おまえの治癒薬(ポーション)(ウルヴ)の回復に間に合ったおかげで、私は怪我ひとつ負っていない。

 ありがとう」

 

 言って、普段するように、小さな黒髪の童女の頭を、籠手に覆われた掌で優しく撫でまわす。

 母のそれと似た怜悧な眼を閉じて、されるがままになる孫娘は、恐縮したように頷くのみ。

 アインズはとりあえず、自分の計画通りに事が推移していることを確かめる。

 

 昨夜。

 魔導王の権力(コネ)をフル活用して、セークと相対するヘズナの族長に接触。ヘズナ家からの使者として、セーク族長の要請に応じるために今、この協議の場へと至ったわけだ。ごく自然な流れで。

 

 モモン姿のアインズは、カワウソと名乗る黒い男──日に焼かれたような肌と世界を呪うような暗い眼の様子が特徴の異形種・堕天使のユグドラシルプレイヤーを視界に納めつつ、その”装備”に着目していた。

 浅黒い肌色をさらす両手の指先には、アインズと同じ色とりどりの九つの指輪。細く引き締まった両腕は簡素な腕輪しか装備されていない。肩部分を僅かに覆う盾のような防具に、脇などの隙間からは銀一色の鎖帷子(チャインシャツ)の輝き。鮮やかに翻る血色の外衣(マント)。両脚には、鋭利な装飾と造形が施された漆黒の足甲を太腿(ふともも)にまで纏い、腰には鎖や帯が巻かれている。

 

 そして、異彩を放つのは、あの鎧。

 一目見た感じだと、ただの黒い鎧だと思われるが、足甲並みに黒く輝く金属はあまりにも禍々(まがまが)しい印象を覚える作り込みがなされている。肩と背に巻かれる外衣(マント)に隠れた背中部分はよく見えないのだが、まるで悪魔の指先を彷彿(ほうふつ)とさせる歪な五本指にとらえられ、装備者のカワウソの胸や腹を背後から圧搾しているような形状に整えられていたのだ。一体、どのような意図があって作られた防具なのか気にかかる。

 

 さらに、もっとも異質かつ興味を惹かれたのが、堕天使にはありえないはずの──頭上の輪。

 無論、アレは天使の輪ではない。

 あんな(おぞ)ましい色艶を帯びて、回転と明滅をゆっくりと、心臓の鼓動の如く確実に続ける円環が──人の血と臓物より紡がれ生成されし赤黒い糸で編みこまれたような、呪詛の結晶のごとき装備物が──正常かつ清浄な天使種族のエフェクトであるはずがない。魔導国の存在にとって、もはやマジックアイテムはそこまで珍しいものではないので、飛竜騎兵たちや都市の住人などは「変わった装備をしているな」程度の認識しか受けないだろうが、同じプレイヤーのアインズは、まったく異なる印象を覚えてならない。

 

 堕天使は、天使の輪とは無縁の存在。彼の外装は見れば見るほど、かつてユグドラシルで街の道すがら遭遇した堕天使プレイヤーの狂相に酷似しすぎていながら、明らかな差異が顕著に現れている。

 彼もユグドラシルのプレイヤーであるならば、あの装備品の中に神器級(ゴッズ)アイテムが存在していてもおかしくはない。今は装備していない剣などの詳細も知りたいところだ。

 しかし、腕輪や鎖、腰帯(ベルト)などは既製品の、明らかに神器級(ゴッズ)には届かない、ユグドラシルで流通していたよくあるアイテムであるように見えるところから考えるに、彼はそれほど強力なプレイヤーではないのかも…………否。否だ。決めつけはよくない。

 かつてのアインズも、漆黒の英雄に(ふん)していた時代、意図して比較的劣悪な装備である漆黒の全身鎧を着込んでいたことを考えれば、彼の今ある姿が全力装備であると確定するのは、些か早計だろう。彼も外の世界を警戒し、奪われるのを忌避して、わざと装備のランクを落としている可能性もありえるはず。

 何よりも、一番の懸念は、あの中にアインズの保有する最大最上のアイテムと同じもの──世界級(ワールド)アイテムがあるやもという可能性。

 

 そうして、アインズが注視する中で、

 

「ヘズナ家の族長が、ウルヴ・ヘズナが狂戦士(バーサーカー)っていう情報は、どれほどの人が知っているんだ?」

「おそらく、現存する飛竜騎兵の全員が知っておりますね」

 

 カワウソは狂戦士の情報を共有すべく、率先して声を発していた。

 協議に参列するセーク族長の席の背後に、若い部隊長が一人、女騎兵二人、老騎兵が一人並んで、ことの推移を見守っている。カワウソの隣に座すミカは冷淡に、カワウソたちの論議を見守る姿勢に徹していた。逆に、彼らと共に行動していた「“放浪者”役」のマルコは、温和な笑みを浮かべて席に着いたままである。

 アインズは思い出す。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族、その中に生まれる狂戦士というのはそれほど多くはない。魔導王であるアインズが彼等を統治し君臨してきた100年の間に、今代の二人──ヴェル・セークとウルヴ・ヘズナを含めても、五人しか存在しない。他の三人はいずれも三十年に一人のペースでしか現れておらず、いずれの個体もすでに死亡済み。二つの部族で同時代同世代に狂戦士が生じるのは珍しい方だと聞く。

 そのため、アインズ自身も、この世界における狂戦士(バーサーカー)の情報は乏しい。

 

 狂戦士は自らの肉体ステータスを一部爆発的に増強する代わりに、終わりのない「狂気」と共に戦うしかない存在。そんな彼らの個体発生メカニズム、スキル発動条件、ユグドラシル由来のアイテムでの狂戦士創出の可否などは、謎が多いままだ。しかし、魔導国臣民である彼等を、何の罪科もなく実験生物的に研究し解剖するようなことはしなかった。実験しようにも絶対数が少なすぎて、使い潰すような真似をするのは不可能だった以上に、無意味でしかなかったのも影響している。実験というのは、数多存在するサンプルがあって初めて比較検討に値するもの。ならば、この世界の狂戦士は、なるべく丁重に扱い、可能なら徐々に増やしていければ御の字という具合だった。

 それほどに稀少(レア)な存在だからこそ、ヴェルの処遇は一時留保としたアルベドやデミウルゴスたちの采配には、心から同意できた。

 何より、今は“とある事情”で、セークとヘズナの間に()らぬ“わだかまり”が生じるのは避けたい時期でもある。だからこそ、式典にセークの精鋭騎兵らを召喚し、セークの一族が過去に犯した行為に対する「贖罪(しょくざい)」の場を設けさせ、両部族の確執をなくそうと試みたのだ。

 

 にも関わらず、式典の演習で、よりにもよって族長家に連なる狂戦士、ヴェル・セークが暴走。

 待機命令を受諾中の雑魚骸骨(スケルトン)の集団を半壊させてしまったという、この事実。

 当然、疑わしきはセーク家の人間たちだ。

 それを了解している“対”の部族──ヘズナの長が、対面に座る女族長に水を向ける。

 

「セーク族長。率直な話、君らはどう見ている?」

「……どう、とは?」

「君たちの中で、今回の式典に混乱を呼び込もうとする不逞の輩がいる可能性は?」

 

 それは聞き捨てならぬと、ヴォルの護衛として付いてきていた騎兵たちが気を吐くが、族長から諫められ制止されては、いかんともしがたい。

 黙考するように、彼等のやりとりへ耳を傾けるカワウソと共に、門外漢同然の立場であるモモンことアインズも、二人の族長らが中心となる議論を、ただ見守る。

 

「ありえない──とは、言いきれないでしょうね。時期的に(・・・・)

「では、たとえば。ヴェル本人が、意図的に狂戦士化を起こした可能性は?」

「本人は否定しております」

「だが、証拠はない」

 

 長方形の卓上で、族長らの応酬が続く。

 ヴェルは事件当時のことを「覚えていない」という主張を繰り返している。

 だが、実際の記録映像には、彼女の狂乱と暴力が克明に映し出されていたことを考えると、ただの見苦しい言い訳以下の戯言(ざれごと)にしか聞こえない。

 ウルヴが実演したように、狂戦士のスキル発動は狂気の状態異常に苛まれるが、その発動には本人の自由意思、ある程度の操作性が付属している。一度発動すると暴走しっぱなしで、その間の記憶を損なうことはウルヴからの聴取などでアインズは知悉している。とすれば、ヴェルの狂戦士化は彼女個人の意思がトリガーになっているはずなのだが、本人にはその自覚はない。両者の違いとは何なのか。ヘズナとセークという部族の違いがあるのか。カワウソではないが、アインズもまた興味を懐いてならない情報だが、やはり”狂戦士”のサンプリングが少ないため、どうしようもなかったというのは、状況としては痛い。女狂戦士(ヴェル)が罪人に確定しようものなら、思う存分に研究することも出来るかもだが、「ヴェルが罪人ということはない」という見方が、映像を確認したアインズには強かった。

 狂戦士の姉たるヴォル・セークは、挑むような笑みでヘズナの当主に食って掛かる。

 

「では、いっそのこと拷問……尋問でもしてみますか? 我が妹を?」

「ご冗談を。いくら同じ力を持つ自分でも、狂戦士に危害を加えて無事に済むとは考えにくい。狂戦士同士での死闘ともなれば、どちらかの落命は確実だ」

「妹の性格や志向は、姉である私が熟知しております。妹は、本当に覚えていないのでしょう。それよりも私としては──率直に申し上げるならば、ヘズナの間者(かんじゃ)という線もありえると思っております」

「……ほう?」

「今回のセーク家のみ(・・)の参陣出兵を羨望し、忌避したいヘズナの手の者が、我が妹を、何らかの方法で陥れたのでは? そうして、ヘズナ家こそが飛竜騎兵の代表に──ということはありえませんか?」

 

 二人の族長の視線が交錯する。

 それはありえないと、ヘズナの族長は断言できない。ソファに座る巨躯の偉丈夫は皮肉気に、自分よりも頭二つ以上低い身長の……しかし、セークの中では中々ずば抜けた長身を誇る女族長を、見る。

 

「それをいわれると、こっちも疑惑されて当然だ」

 

 互いに笑みを深めつつも、異様な剣幕を帯び始める協議に、カワウソをはじめ列席者たちは口を(つぐ)むのみ。

 セークとヘズナの溝は、かつてほどの深さではない。

 アインズは知っている。100年前の彼らを。

 この中で唯一知るアインズだからこそ、両家の確執というものは、遠くない将来には氷解してもおかしくないほどに薄くなりつつあった。

 だが、だからこそ、そんな状態を最悪の形で崩落させんと欲する愚者(バカ)がいたのかもしれない。

 この族長二人の新たな関係についても(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、歓迎しない者がいる可能性もありえる。

 しかし、

 

「失礼。両族長」モモンは挙手して、二人の議論を整理する。「そもそもにおいて、今回の式典に三等臣民である飛竜騎兵が導入されたきっかけを、ご説明願えますか?」

 

 冒険者“黒白(こくびゃく)”のモモンたちは、急遽依頼を受けて駆け付けたという(てい)で、ここに臨席している身だ。いろいろとモモンの口から核心に迫る必要はない上、逆にカワウソたちに疑念を向けられる危険もある。応答は慎重に行わねば。

 二人の族長は同時に頷く。口火を真っ先に切ったのはセーク族長であった。

 

「それを説明するには、我等飛竜騎兵……というよりもセーク族は、50年前に犯した大罪の清算を続け、ついに10年前、飛竜騎兵の部族は三等臣民としての等級にまで回復するに至りました」

「50年前、大罪?」

 

 カワウソが気になる情報だったらしく、顔をあげて同じ言葉を繰り返した。

 大罪とは……多分、あれだな。

 

「50年前に飛竜騎兵の起こした、小規模な反乱ですね?」

 

 魔導国の歴史の教科書にも載る程度の事実。

 モモンの口から零れた正答によって、飛竜騎兵らの面貌に影が差した。

 

「その通りです」ヘズナの歳若い大将が頷く。「100年前、お優しい当時のセーク族の人々は、魔導王陛下に盾突いた罪によって滅ぼされた連中を、ひそかに、秘密裏に、助命し、庇護していた──それがすべての間違いだった。発覚したのは50年前。三部族の残兵が決起し、あろうことかセークの領地のひとつを占領。馬鹿げた名分を掲げ、我等飛竜騎兵全部族を相手に反乱勢力を築き上げた」

 

 アインズは静かに思い出す。

 100年も昔。

 魔導国への恭順を拒んだ三部族は、決戦の時、魔導王の放った超位魔法一発で、瓦解した。

 三部族は方々(ほうぼう)(てい)で逃げ出し、それをアンデッドの軍団によって、殲滅した。

 しかし、すべての敵を、三部族を滅ぼせたわけではなかったのだ。

 50年前。

 愚かな三部族の生き残りは、それぞれが個人的に親交を持っていたセークをはじめとする他部族や大陸中央に庇護を求め、そのまま散り散りとなった。無論、そのまま事なきを得て人生を謳歌すればよかったものを、愚昧な一部過激派によって、奴らは「飛竜騎兵の誇り」とやらの為に、いらぬ戦乱を巻き起こした。

 

「人道上は、同じ飛竜騎兵同士で情けをかけたい気持ちもわかるが、セークの祖先は、匿った後の彼らを御しきれなかった。彼らはなまじ腕に覚えがある連中だったが故に──敵を殺すことに長けた技術に磨きをかけた一族だったが故に──飛竜騎兵の力を過信していた。傲慢と言ってよかった。……彼らがもう少し利口でいてくれたら、我等飛竜騎兵の扱いも、今よりもだいぶマシな感じになっていたはずだとも言われている」

 

 惜しむ声には、憎悪や悲嘆という色は薄かった。

 むしろウルヴの好青年然とした表情に張り付く笑みは、起こった出来事を振り返ることに対するおかしみが、多分に含まれていると容易に判る。

 

「それは既に過去のこと。セーク家の、今の族長には関係のない話です!」

 

 揶揄(やゆ)するようにも聞こえたヘズナの族長の広言に対し、ヴォルの背後で控えていた少年騎兵から、糾弾する音色が。続いて、彼の部下らしい女騎兵たちも同意するようにヘズナの族長を睨む。静かにたたずむ老兵、ほのかに笑う族長は、そんな彼らを鎮めるための声を漏らした。

 それでも。

 激昂の視線を受け続ける男は、蛙に睨まれた蛇のような面持ちで、冷たい笑みを浮かべるのみ。

 

「これは失礼。だが、我々の間に横たわる確執の根には、セークの犯した過ちがあることは事実」

 

 実に理知的な応答によって、ウルヴはセーク側の言い分を封じ尽くした。

 精悍な族長は、野卑にも見える魁偉(かいい)な見た目とは裏腹に、明晰な洞察力と舌戦を嗜む胆力にも優れていた。少年部隊長とは十年かそこらの違いしかない歳の差ではあるが、ウルヴ・ヘズナは紛れもなく、一部族を束ねるに相応しい長の風格を帯びている。

 余裕な表情のまま、ヘズナの族長は理解の言葉を紡ぎ出す。

 

「……当時の情勢上、セークが汚名を(こうむ)ったことは、致し方ない出来事だ。反抗した三部族の残兵を吸収し、我等ヘズナとは違って、反抗因子たちを王政府にほとんど突き出すことなく匿った結果、生き残った反逆者たちが力を盛り返し、数十年もの潜伏を経て、魔導国に混乱を招いた事実は覆らない。一応は祖先を共有する同胞を国に突きつけたおかげで、『ヘズナは血も涙もない一族』と罵倒する声もあるが……これも致し方ない」

「だからこそ、10年前の戦役で我等の!」

「ハラルド」

 

 はっきりとしたヴォルの諫言する声音に、彼女に従う部隊長は引き下がるしかない。

 白熱する議論であったが、これでは本題に至るのに時間がかかりすぎる。

 焦れたように視線を動かすカワウソと同じく、アインズも少しばかり、協議を加速させたくなったところで、ヴォルが部下の少年を静めると同時に、問題の核たる事実を教えてくれた。

 

「モモン殿……我等セーク家のみが、此度の式典に招集されたのは、対外的に魔導王陛下が、これまでお話しさせていただいた飛竜騎兵の“罪”を御赦しになったことを喧伝する上で、重大な意味を持っておりました。セーク家を赦すための式典において、ヘズナ家の者を参陣させるというのは」

「遠慮されて当然のこと、ですか」

 

 モモンの紡ぐ正答に、女族長は頷きを返した。

 無論、魔導国の一大イベントである祝賀行事に、セーク家が参列するというのを面白く思わない連中もいるだろう。ヘズナ家や二大部族以外の残存部族の者も勿論のことだが、飛竜騎兵そのものに対して遺恨を持つ存在と言うのも、実際ありえる。

 だからこそ(・・・・・)、アインズはセークの部族のみを、式典の航空兵団に加えた。

 

 10年前の戦役にて。

 彼等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は多大な犠牲を払いながら、当時の反抗因子鎮定の役に貢献した。

 

 結果として、この若い族長たちの親世代は、壊滅的な打撃を被りつつも、その当時の反逆者たちを討伐し果せたのだ。

 その功によって、飛竜騎兵の等級は回復されるに至ったが、同時に、彼らを恨みに思う反逆者たちが生き残っている可能性も。

 魔導国は平和を築いたが、その平和に()いたような無法者が国土を僅かに荒らすことも、たびたび発生しているという事実。これはどうしようもない事態だった。それらの再発防止の対策として、アインズは今も国務に励んでおり、100年目の節目ということで、ある程度の問題解決策が打ち立てられ始めているが、取りこぼした臣民の数は紛れもなく存在している。それは技術的な問題というよりも、体制とか宗教とか、主義信条に関わる問題だった。人間に限らず、あらゆる生命はほうっておくと「戦いを望む」かの如く振る舞うものだから。

 

 しかし、そのことを──救えなかった者がいる事実を──アインズは後悔することは、ない。

 精神を鎮静化されるアンデッドだから、ではない。

 生命を作業的に殺すことに長じた“死の支配者(オーバーロード)”だから、でもない。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王として。後悔を(いだ)くことだけは、絶対に、ありえない。

 

『それはそれで酷いですよ? 自分が“救えなかった”人のことばかり考えて、“救ってあげられた”人のことを気にもかけないなんて』

 

 かつて、アインズは自らが救った少女に、そう諭されたことがある。

 

『できなかったことを覚えておくことも結構ですが、自分にできたことも、ちゃんと考えてくれないと、救われた方はたまりませんから』

 

 愛すべき妻──復活した『術師』──妃の一人として共に生きてくれる彼女の言葉に、アインズは今も、支えられ続けている。

 アルベドやシャルティア、アウラ、マーレ、コキュートス、デミウルゴス、セバス──パンドラズ・アクター、戦闘メイド(プレアデス)などをはじめとするナザリックのシモベたちの存在たちに加え、現地で出会った数えきれないほどの人々、復活を果たした少女(ニニャ)の仲間たち──この100年で経験した、多くの「出会い」と「別れ」によって、今のアインズは構築されていると言っても良い。

 

「質問があります」

 

 深いアインズの思考に、冷徹なほど硬い声の女騎士──カワウソという男の従者として、彼の隣に座す天使──ミカの音色が割り込んだ。

 女族長が受け答える。

 

「なんでしょう、ミカ殿?」

「遠慮されて当然の事という話ですが、セークの者のみを(ゆる)すということは、ヘズナの者には罪科はないと?」

「我等セークの犯せし罪は、反抗因子たる三部族を匿い、その逆心の芽を断てなかったことにあります。いかに幼子や女らを憐れんだが故と言っても、彼らの反逆を止め得なかった罪は重い。対してヘズナ家にはまったく咎めるべき余地などありませんでしたが、連帯責任として、ヘズナ家も含む飛竜騎兵の全部族が等級を下げられてしまった。故に、両家の遺恨というのは、今代にまで及ぶことになっているのです」

 

 魔導王に逆らった愚者たちに対し、一方(セーク)は助命を、一方(ヘズナ)は断罪をもたらした。

 まったく異なる道を選んだ両家ではあったが、それ故に、両者の認識や心情には複雑な誤差が生じ、双方共に埋めがたい確執を根付かせた。さらに50年前の小規模な反乱騒ぎによって、彼らはその責を問われる形で、臣民等級を下げられてしまった。巻き込まれた形になったヘズナにとってはたまった話ではなかった為、彼らの長老たちには明らかにセークの部族を恨みに思う者が多い。

 しかし、反乱はすでに過去の出来事。

 

「だからこそ。ウチのじじい共──ヘズナ家の長老衆は、此度の式典に『セークのみが参陣する』という条件について、意見が割れました。……セークこそが飛竜騎兵の代表と認識されはすまいか、セークが何か良からぬ企みを実行しはしないか、セークを監視する要員を派遣できないか、などなど…………だが、王陛下の決定こそが絶対だった」

 

 魔導王の決定は覆らない。

 ヘズナ家は、式典参加の栄誉を、大逆の徒という烙印を押されていたセークに譲り、その結果が……

 

「なので。今回のセークの失態、ヴェルの狂戦士化については、我等ヘズナの者には一切、知らせておりません。知っているのは、族長の自分と優秀な副官。この二人だけです」

「……は? それは、何故?」

 

 聞き逃せない情報だったようで、カワウソがウルヴの方へ顔を向ける。

 

「族長の自分がここへ……ヘズナの存在としては単体で出向いた理由でもありますが、今はこれ以上、両家の間に無用な騒乱の火種を散らせるべきではない。確執は取り除かれ、両家は手を取り合って、協力せねばならない。今回の一件は確実に、飛竜騎兵同士の闘争にまで事が発展しかねない。そしてそれは、偉大なる魔導王陛下の希求するものでは、ない」

 

 故に、彼は一族の誰も連れず知らせず、モモンたち一等冒険者という信頼に値する部外者たちに依頼した──ことになっている。

 

「自分と、ヴォル・セークの、(ちぎ)りのためにも」

「…………(ちぎ)り?」

 

 要領を掴めずに、黒い男が小首を傾げる。

 ウルヴは応じるように笑った。

 

「陛下曰く──『ヘズナとセークは、今こそひとつにならねばならない』──と。

 それが、我等二人の族長に対し、魔導王陛下が下した決定となっております」

 

 今こそ、飛竜騎兵たちがひとつとなるべき最高のタイミングだと、アインズは理解した。

 100年前は、血で血を洗うかのような闘争を続け、飽くなき戦乱と領地奪掠を繰り返していた飛竜騎兵たちは、魔導国の幕下に加えられ、その血脈を統一する事業を推し進められつつも、諸部族の伝統や技術を失わせず、巧みに統合と投合を果たしてきた。残存した六部族は二大部族のもとに統治され、互いに競い合う良き好敵手(ライバル)として向上と発展を遂げさせてきたが、“そろそろ”という時節を迎えたと知れた。

 今までは不可能だった、長い年月をかけて講じられてきた飛竜騎兵部族間の“完全和平”。

 その象徴こそが、この“二人の族長たち”と言えるだろう。

 故に。

 

「ウルヴ・ヘズナとヴォル・セーク……両部族の長は、魔導王陛下の祝福を受けて── 夫婦の契りを ──両部族の新たな関係を確立することが決められているのです」

「夫婦の、契り……」

 

 驚愕する堕天使プレイヤーは、自分が協力する部族の女族長を見やった。

 ヴォルは冷たくも静かな苦笑で、告げられた内容を肯定する。

 カワウソは数秒ほど口を開け、

 

「それは────おめでとう、ございます?」

 

 アインズは、思わず吹き出しかけた。

 受肉化による人間としての体の内から、生じる本物の吐息が心地よく肺をくすぐり、喉を滑る。驚く周囲に「失礼しました」と謝辞を送りつつ、息を整える。目の前の男が見せた純粋な驚愕の表情に、新鮮な共感を覚えてならない。

 (カワウソ)の見せた日本人らしい挨拶が、少しばかり場を和ませたようにさえ錯覚した。

 

「失礼ながら」そこへ、透徹とした女天使の声が。「それはお二人のご意思ですか?」

 

「いえ。陛下の決定です」

「でなければ、相対する部族長同士での婚姻など、ありえませんから」

 

 ウルヴとヴォルの主張に、ミカは些か不満げに肩を落としつつ、「……そうですか」とだけ応える。

 カワウソの従者的な──翼を鎧に纏ったような女天使は、二人の在り方をどう思ったのか、もはや興味なさそうに視線を落とすのみ。

 

「なので。今は部族間での抗争に発展しそうな情報は不要なもの。両家の確執を理由に、国内で争乱を繰り広げてはならない」

「だからこそ、ヴェルのこのタイミングでの暴走は、時期的には“最悪”のものと言っても良かった」

「……ということは、流れとしては、セーク部族とヘズナ部族の関係を壊したい何者かが、ヴェルを暴走させた可能性が?」

 

「高い」と二人の族長は同時に頷いた。

 頷かれたカワウソは唸り声を口内に留めるように、唇の前で指を組んだ。

 

「……本当に、ヴェルが意図的に、自発的に暴走した可能性はないんだな?」

 

 疑念された少女の姉が、少し、僅かだが、表情を険しくする。

 なるほど、やはりカワウソというプレイヤーは、馬鹿ではない。

 彼の疑念は非情な追求に思われるだろうが、容疑者としてはヴェル本人が両家の婚姻に反対する可能性も捨てきれないのだ。何より、彼女はセーク族長の妹。姉がヘズナ家と結ばれることに、何か悪い感情を懐くことも、なくはないだろう。

 だが、疑われたヴェルの姉はその可能性をまっすぐに切り捨てる。

 

「ありえません。何より、私の妹は──その」

 

 珍しく、明朗極まる女族長の言葉尻がしぼんだ。

 その後を継ぐように、彼女の未来の夫たる者が口を開く。

 

「それは、ヘズナの族長としても『ない』と、判断できます」ウルヴが率直な意見を述べる。「ヴェル・セークが暴走することは、必然的に彼女自身を危険の只中にさらすということ。いくら“大好きな姉”の嫁入りが気に喰わないと仮定しましても、それならばもっと別の方法があるはず。ありえそうなのは、ヘズナの者らを誘導して、魔導国で事件を起こすなどでしょうか? 彼女がそんなことをするとは思えませんがね。

 いずれにせよ。自分自身をアンデッドの兵団に突っ込ませ、魔導国を相手に反抗的な行為をなせば、姉や仲間に対し、迷惑以上の危難を呼び込むことぐらい彼女ならば理解するはずかと」

「まぁ、……それもそうか」

 

 ウルヴの正論に、カワウソは納得しつつも、まだ喉元に何かが引っかかっているような調子で首をひねった。

 そんな主の代弁役とでも言うべき調子で、傍らの女天使が疑わしそうな視線を投げて、口を挟む。

 

「失礼ながら。

 ヘズナ族長は、ヴェル・セークの志操を熟知されているのですか?」

「え? ……そう、見えます?」

「仲がよろしいのでしょうか?」

「それは──どうでしょうね?」

 

 あやふやに微笑み黒に近い紫の髪をかくウルヴに対し、ミカは深く追求するでもなく了承の声を短く吐いて、己の主を見やる。

 

「……とりあえず。飛竜騎兵同士の混乱を望む手合いを調査するって方向でよろしい、のかな?」

 

 ミカの視線に応じるべくカワウソがまとめた結論に、全員が納得の吐息を漏らした。

 

「モモンさんたちも、それで構いませんか?」

 

 義理堅く(たず)ねてくれるカワウソに、アインズは隣に座って黙りこくっていた童女を見る。

 そうしてから改めて彼を見ながら、頷いた。

 

「ええ。それで構いませんよ、カワウソさん」

 

 種をまいておいた作物を収穫するような気安さで、アインズは今回の事件の要となる者たちを見やる。

 

 飛竜騎兵の事件に巻き込まれた堕天使プレイヤー、カワウソ。

 そのプレイヤーの従者の如く行動し続ける女天使、ミカ。

 そして、セークとヘズナの族長が、二人。セーク族の護衛たち四人。

 放浪者として臨席した、マルコ。

 全員が承知の意思を示す。

 

 はてさて、どうなることやら。

 ここには──正確には、飛竜騎兵の部族の中には──デミウルゴスあたりが前から何かしら仕込んでいるという話だったが、やっぱり詳細を聞いておくべきだったか。いつものように「アインズ様には説明の要もないでしょう」という感じで微笑まれては、説明してほしいですなんて言えないからな。実際、これまでもそれでどうにかなってきているのだから、デミウルゴスの采配には信頼が置ける。専属の強力な護衛役とか何かがいるのかも。低レベルの隠形モンスターでは、カワウソたちに感知されて役に立たないだろうし。

 

 まぁ……なんとかなるだろう。

 協議の終結を告げるように、アインズは決定された基本方針に則した行動計画を定めたいと声をあげた。

 

「とすると、この後はどうしましょうか?」

「飛竜騎兵の、下の街で聞き込みでもするのか?」

 

 領地内に点在する集落に赴く案をカワウソは具申するが、すぐさま女天使に否決される。

 

「カワウソ様。一連の事件は秘匿されている以上、それは愚策だと思考できますが?」

 

 NPCだろう女天使の冷淡な異議に、アインズは純粋に「へぇ」と呟きかける。

 これは驚きだ。

 自分の主人であるはずのユグドラシルプレイヤーに対し、女天使は厳然とした言葉でもって応じることができるというのは、初期段階のアインズたちナザリックのシモベたちにはあまり見られない傾向だ。無論、アインズの思想と行動に、アルベドたちが唯々諾々と追従しているだけということはない。彼女たちも時には、主人であるアインズの意見に反対し反論し、正当な理をもって応じることは出来る。この100年で、そういった姿勢は顕著な成長として受け入れられるべきものとして認められ、実際アインズ自身も、彼らの判断に救われる場面は多かった。

 

「ああ。そうか。だとすると、街に下りて調査というのは、ナシか?」

「あたりまえであります。まずは現場に、式典演習に赴いた飛竜騎兵らの、セーク族の精鋭という一番騎兵隊の者への聴取が重要かと。次に、両部族内で不穏な行動を取った存在の有無、その確認が急務です」

「だよなぁ──」

 

 しかし、目の前のプレイヤーとNPCは、既にそういう関係を、転移してより僅か三日の間で獲得したかのように、互いの意見を交換できている。

 これはどういうなりゆきで獲得できた関係なのか。

 女天使が遠慮も呵責もなく主人と話している姿は、歴戦の絆を感じさせるほどに頼りがいのあるものがあり、かつてのアインズが経験したようなNPCたちのありえないような高評価っぷりとはまったく異質な、一定以上の距離感さえ感じ取れる。……多少、毒舌すぎるように思えたが。

 創造者(プレイヤー)被造物(NPC)ではなく、対等な仲間じみた、そんな印象さえ彼と彼女のやりとりの中に、感じざるを得ない。ミカの見た目──天使の輪を浮かべる姿の異形種が、美しい人間の乙女の出で立ちでいる以上、ミカは完全にNPCでしかないはずなのに。彼をまがりなりにも「様」と呼んで憚らない姿勢も、その論理を補強していた。ミカという存在は、プレイヤーではありえない。

 やはり、遠くから眺めるだけでは得られない情報は多かったのだなと痛感させられる。ここへ直接赴いたことで、彼らをより理解する機会に恵まれた。

 カワウソとミカ──二人の会話は続く。

 

「第一、我等が自由に行動できるのは、この邸内のみとセーク族長より仰せつかっていることを、お忘れなく」

「せっかくだったら、街に行ってみたかったんだけどな……やっぱ無理か」

「──無理とは、限りませんよ?」

 

 肩を落として落胆の仕草を見せる堕天使に、冒険者モモンは気安く応じる。

 

「私にお任せを。一等冒険者として、そういったことを可能にするアイテムもありますので。ただ……」

 

 全員が一人の女性に視線を注ぐ。

 この領地を治める女族長の許可を仰がねばならないのだ。

 ヴォルは委細承知したように頷き、モモンとカワウソの試みに賛同の意を示した。

 

「では、……モモン殿。私たちが案内を」

「いえ。セーク族長には、出来れば……」

 

 アインズは魔導王としての強権ではなく、冒険者モモンとしての提案を、女族長に対し希求する。

 求められた内容を熟考する族長は、ふと対面に位置する敵部族の長、婚約相手の青年を見やる。彼は反駁(はんばく)するでもなく、頷きを返して応えた。

 

「承知しました。早速、準備を整えておきます。その間だけ、皆様方は里へ」

「ありがとうございます」

 

 モモンの表情を大いに微笑ませながら、アインズは感謝の言葉を紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




独自設定
飛竜騎兵の部族・簡易年表

100年前
 魔導国樹立。バハルス帝国が属国化するなど、諸国は魔導国の勢力圏に呑み込まれる。その途上にあった飛竜騎兵の九部族に、魔導国が接触。降伏勧告を送るも、三部族がこれを拒否。
 九部族中、三部族が壊滅。残った六部族の内、真っ先に臣従の意を示していたセークとヘズナが二大部族として存続を許され、飛竜騎兵の統合統治を連名で任じられる。
50年前
 壊滅した三部族を多数匿っていたセーク部族の領地内にて、三部族の生き残りが反乱。軍により鎮圧。
 その責を負う形で、飛竜騎兵全部族は四等臣民にまで等級を落とす。
10年前
 大陸極東で勃発した反乱因子を鎮定するべく、飛竜騎兵らが戦役に参加。
 当時の族長たち(ヴェルたちの父母)をはじめ、多くの飛竜騎兵が犠牲となることで魔導国への忠誠を示し、臣民等級を三等に回復。
現在
 飛竜騎兵内に蔓延する確執を取り除くべく、セーク族を赦す名目で魔導王主催の祝賀行事の兵団に参加することが(三等臣民でありながらも)決まる。同時に、セーク家とヘズナ家の「婚姻」が結ばれることで、飛竜騎兵部族の”完全和平”が成し遂げられる──はずだった。

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