オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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 総集編映画の公開を祝して、予定より早めに投稿。

※注意※
 この物語には、
 オリジナルとしてのスキル、種族、職業、アイテムなどの独自設定が多数登場します。



第一章 異世界探索
実験


/Different world searching …vol.1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルのサービス終了の日……この世界に来てから、二日が経過した。

 

 異世界へ転移したと思われるカワウソは、己のギルド拠点、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の最下層、迷宮(メイズ)に赴いていた。

 この砦はもともと全三階層で構成されたダンジョンであったが、カワウソのバカみたいな課金によって最上層にさらにひとつ階層を増設され、全四階層で構築されている。最上層は円卓の間などが置かれている屋敷があるが、それ以下の階層は“城館(パレス)”の第三階層、“回廊(クロイスター)”の第二階層、そして今カワウソがいる“迷宮(メイズ)”の第一階層という具合である。

 その第一階層の奥深く、永続炎(コンティニュアル・フレイム)の照明で照らされた岩塊の巨人像に見下ろされる闘技場にて、カワウソは一人(たたず)む。

 

「ふぅ……」

 

 思わず呼吸を整える。

 この迷宮には、とある実験のために赴いたのだが、どんな結果になるのか予測がつかない。

 うまくいけばいいと祈ってはいるが、同時にそんなうまくいくのかという不安が頭をもたげる。だが、悩んでいても事態は解決しない。昨日一日、最上層にある私室に籠って思い悩んだ末に取った実験行動であるが、それでも決意は常に安定してくれない。

 カワウソは両手に握る剣――神器級(ゴッズ)アイテム“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”という聖剣と、対を成す神器級(ゴッズ)アイテム、“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”という銘の魔剣――を構える。

 純粋な天使種族や聖騎士という職業は、原則としてカルマ値が負に傾きすぎた呪詛属性の武器・魔剣を装備することはできない――できてもペナルティとして常時継続ダメージや行動制限が追加される――が、堕天使という種族固有の特殊技術(スキル)清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅴによって、カワウソは問題なく魔剣を装備することができる。

 神聖武器一辺倒な装備編成だと、それ専用に対策を講じているモンスターを狩る時、圧倒的に不利になるため、カワウソは神聖属性の武装と呪詛属性の武装などをバランスよく装備するのが日常的になっていた。かつて、仲間たちがユグドラシルをやめていき、ソロプレイを強行するしかなかったカワウソにとって、装備のバランス調整は必要不可欠なものであった為だ。

 聖剣と魔剣を構えた先には、迷宮(メイズ)の階層奥に位置する巨大空間――個人的に“闘技場”と命名しているここに備蓄している人間大の案山子(かかし)が数体。

 これらは魔法や特殊技術(スキル)の試し撃ち用に支給・ユグドラシル金貨で売買されていたアイテムで、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)不可だったゲームで、プレイヤーが練習用の的にすることができる簡易な敵として流通していたものだ。他には藁人形とか、ガンシューティングの的などもある。値の張る奴だと、ある程度の自律運動までこなすこともあるが、この案山子たちはかなり安い部類に入る。

 カワウソが動かぬ案山子を次々に斬り飛ばし、あっという間にバラバラにすると、それを片付けるように命じられているモンスターが待機状態から移行して宙を滑った。

 これらはギルドの拠点内で自然発生するPOPモンスターの雑魚天使、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)。光り輝く胸当てを備えているが、主武装である紅蓮の炎を灯すロングソードは握られておらず、一対の煌く翼からは、羽の代わりに焔の残光が舞い落ちている。

 ユグドラシルにおいては雑魚中の雑魚というべき最底辺の天使モンスターであるが、カワウソは実験の為、それら数体ほどを雑用に集め、動かない案山子を相手に、一人孤独に剣を向け、使い物にならなくなった残骸を、順次モンスターたちに片づけさせているところだ。

 何故、カワウソはこのような戦闘行為の“真似”をしているのか。

 無論、遊びや暇つぶしの類でないことは、彼の表情を、その汗の滴を見ればわかるだろう。

 ゲームでやっていた時は、魔法は浮かび上がるアイコンをクリックすることで発動し、攻撃系の特殊技術(スキル)についても、それは同様であった。しかし、この異世界に来たことでゲーム画面というものは存在しなくなり、インターフェイスやアイコンなどは消え去ってしまっている状況にある。

 そんな状況の中、カワウソは自分の奥へ意識を集中する。

 天使たちによって新たに準備された案山子五体を、同時に見据える。

 何となく、呼吸するように、思考するように、極めて当然な感覚として、自分が取得するひとつの攻撃(アタック)特殊技術(スキル)を発動した。

 

 光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ。

 

 聖騎士の基本的な攻撃手段。

 剣から放たれた割と派手な範囲攻撃エフェクト――天から降り注ぐような光の束――が、目標に見定めた案山子の五体を(あやま)つことなく断裁・粉砕していく。聖騎士(ホーリーナイト)Lv.10の放ったスキル攻撃は、ゲーム時代に体験した戦闘そのままに、目標五体を同時に破壊し尽くしてくれた。

 

「……なるほど」

 

 自分も戦闘行動が可能という事実に、半ば安堵、半ば戦慄しつつ、天使たちに指示を飛ばす。

 命じられるまま新たに案山子を用意する天使たちは、ギルド長の意向に従容としており、自分たちに与えられた命令に忠実でいてくれている。これは、ゲーム時代とは違う。拠点のPOPモンスターとは、ギルドの運営資金――ユグドラシル金貨によって召喚されるものでしかなく、ギルド構成員の指示やコマンドを理解することは不可能な存在だ。せいぜい、敵か味方かの認識は可能になる程度の判断能力しかなかったはず。しかし、この未知の異世界に転移し、ギルド作成のNPCが自発的に思考と行動を可能にしているように、この雑魚天使たちも、カワウソの複雑な命令内容を詳細に理解し、かつきちんと順守できている。

 カワウソは、ふと思う。

 ここにいる天使たち数体を、シューティングゲームの的よろしく攻撃対象に見据えて、自分の戦闘能力を実験したら。

 

「……やめておくか」

 

 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が解禁されていることを確認していたからこその思考であるが、この戦闘実験のことは、拠点防衛用のNPC――ミカやガブたちには内密に行っていた。

 カワウソはとりあえず、彼らを普通の知的存在――人間と同等に扱っていいものと決定したが、だからこそ、不安を覚える事柄がある。

 

 それは彼ら(NPC)の裏切りだ。

 

 彼らはとりあえず、ギルマスの地位にある自分を上位者と見据えて命令に準じてくれているが、それが絶対不変のものであるという保証はどこにもない。特に、ミカの反抗的な態度と口調――ゲーム時代に設定した『カワウソを嫌っている。』という一文――が、どのような影響をもたらすのか未知数だった。

 最悪の想定だが、NPCの長である彼女を旗頭として、彼ら全員に反乱でも起こされたら、自分は孤立無援な状況に立たされる可能性もあるわけだ。幸いなことに、アイテムや装備品はゲーム時代とほとんどまったく同じ効力を発揮することは確認され、ボックスの中のアイテムもすべて記憶にある通りの潤沢な量が手中にある。最悪、彼ら全員と戦うことになっても、自分の安全くらいは確保できる、はずだ。

 が、油断は禁物だろう。

 この雑魚天使たちも、いわばギルドの一員。

 そういう意味では、カワウソが転移後のこの世界で、ギルドのNPCたちを順当に相手取ることが可能なのか否かという実験には、――天使たちを相手に、堕天使のカワウソがどれだけ戦えるのか確認するのには、都合がいい存在とも言える。

 だが、それはしない方がいいと、同時に思う。

 ミカたちがPOPする同族たちをどう思っているのか知らないが、もし仮に、ここにいる雑魚天使に強い同族意識を持ち合わせていたらと思うと、簡単に切り飛ばすことは出来ない。下手をすると、自分から彼らを激発する材料を供することになるやも。故に、自分(カワウソ)の戦闘実験には、自分の財物といえる案山子を相手にするしかないわけだ。

 

 反乱という最悪の事態――そうならないためには何をすべきか。

 

 まず。

 自分の戦闘能力がゲーム時代と同様なのか確認する作業が第一だった。

 これは、自分が彼らの上位者として君臨するのにふさわしい力量があるかないかを、自分自身が知っておく必要があるからだ。彼らの前で大々的にデモンストレーションを行って、それが空振りに終わってしまっては目も当てられない。カワウソの危惧する事態を招く要因にもなりかねないだろう。現実世界で営業職を十年以上やっていた時分から、徹底的な根回しと下調べは身に染みて覚え込まされていた為、この思考に至るのは割と難しくはなかった。そうして、カワウソの戦闘能力は、ゲームの時とほぼ変わってないことは、今回の実験で判明したわけだ。

 次に。

 NPCたちの意識調査が必要になるだろう。

 カワウソは聖騎士系統の他に上位の信仰系職業なども取得しているが、扱える魔法や特殊技術(スキル)に、相手の思考を読み取るなどと言った便利なものは取得していない。そういったアイテムや装備も所持していなかった。だが、彼らに対して「自分(カワウソ)のことをどう思っている?」なんて聞くのは、あまりにも(はばか)られる。面と向かって「嫌い」と表明しそうな女天使がいる以上、そういうことをするのは躊躇(ためら)われるのだ。真正面から嫌悪感を示されるなど、空中釣銭落としの何十倍もつらい。カワウソはそこまでメンタルの強い人間ではなかった……今は堕天使のようだが。

 最後に。

 この拠点の指揮権や運営権を、彼らにすべて(ゆだ)ねてしまうことも考慮すべきだ。

 反乱を起こされる前に、自分から率先して上位者としての地位から降りてしまえば、反乱など起こる道理がなくなる。本末が転倒している気もするだろうが、カワウソの目的はあくまで自分の安全の確保であり、別にギルドの運用について自分が上位者であることにはそこまでこだわる理由がないのだ。かつての仲間たちとの思い出の再現を失うことにつながるかもしれないが、そこは命あっての物種である。その時はこの拠点を放置して外の世界を冒険することも視野に入れていいが、この世界の実情――敵やモンスターの存在や強さ、蘇生アイテムの使用が可能か否か――が不明な段階では、迂闊に単独行動をとるのは危険だと言わざるを得ない。当面はこのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を使って、この世界の調査と状況の把握に努めることが、自分に今必要な最優先事項なのである。

 

「何とも……情けない話だな」

 

 思わず呟いていた。

 カワウソは、最強の存在ではない。

 ユグドラシルにはワールド・チャンピオンやワールド・ディザスター、ワールド・ガーディアンといった珍しい職業に就く者や、最上位ランカーと呼ばれる廃課金プレイヤーなどが存在した。彼らと比べれば、自分は圧倒的に弱すぎる。カワウソ自身、それなりのボーナスを課金にぶち込んで手に入れたアイテムや、二日前まで存在した『敗者の烙印』に因んだレアな種族や職業(クラス)を取得してはいるが、自己評価からしても最大で上の下(相性がいい場合)程度なのだから当然である。堕天使の貧弱っぷりはダテではない。

 それこそカワウソというプレイヤーは、ユグドラシルで遊んでいた時はPK(プレイヤーキル)の良い的であった。

 PKペナルティの存在しない異形種の中でも最弱ステータスの「堕天使」な上、『敗者の烙印』を頭上にデカデカと掲げていた落伍者の姿は、そういうことを生業(なりわい)にしているプレイヤーたちからは格好の獲物。雑魚モンスターを狩るよりも膨大な経験値を獲得できる上、運が良ければプレイヤーの抱えた希少なアイテムドロップも狙える。おまけに特定の種族や職業(クラス)の取得においてはPK経験が必須にもなるので、標的にしないでいる方が難しい。それが彼らの論理だ。これはカワウソも同意見である。自分も似たような立場になればそうしていただろう。異形種の自分は、異形種PKの恩恵などないから活用することができなかっただけだ。

 ユグドラシル――ゲームでは自分より強い敵やモンスターは無数に存在していた。

 そして、この未知の世界にも、そういった強者がいる可能性は十分高いとカワウソは見ている。というより、そう思っていないと危険だと言わざるを得ない。

 そんなものたちと事を構えるにしろ面従するにしろ、自分の強さがどの程度のものか把握できていなければ話にならない。この拠点に潜伏しているだけでは、いざそういった強者に攻め込まれでもしたら、あっという間にやられてしまう。蘇生アイテムや専用の装備も充実しているが、果たしてこの世界で通用するかどうかは不明な以上、死んで確かめるなんてことはできない。専守防衛を唱えるとしても、肝心の力がなければ犬死(いぬじに)である。

 だからこそ、カワウソは拠点内でほぼ自動でPOPする雑魚天使を従え、自分の強さが、自分が知っている通りの、ユグドラシルにいた時と同質なものなのか、調べ尽くす必要があるのだ。

 

「ふぅ……」

 

 それからしばらくの間、戦闘実験は続けられた。他の特殊技術(スキル)や攻撃魔法の発動、装備の効果についても及第点な成果を獲得できた。とりあえず、堕天使である自分の得意とした攻撃手段や戦闘方法は、ゲーム時代とほぼ遜色なく発揮できると見ていいだろう。用済みとなった雑魚天使たちを「ご苦労」と(ねぎら)い、闘技場から迷宮(メイズ)に送り返した。理解してくれるかどうかはわからないが、今回の実験……戦闘訓練のことは誰にも口外しないように命じて。

 しかし、

 

「……やっぱり、戦うのは疲れるな」

 

 完全に一人になったことで、ぽつりと感想をこぼしてしまう。

 ゲームで遊んでいた時は、呼吸や鼓動などを殊更(ことさら)意識したことはなかったが、やはり五感を始め、各身体機能は現実に味わうものと遜色(そんしょく)ないものに変貌し尽くしている。現実の自分の筋力では、こんな長い剣を片手で握って駆けまわるのにも苦労するはずだが、とりあえず戦闘訓練の間は、汗が一滴流れる程度の疲労度しか感じられない。疲労というバッドステータスを無効にするアイテム――維持の耳飾り(イヤリング・オブ・サステナンス)を装備しているため、これは体力的な疲労ではないと分かる。言うなれば、精神(こころ)の疲労だ。これを外して過ごした昨日、わずか数分足らずでとんでもない疲労感を覚えていたので確実だろう。現実のユグドラシルプレイヤーである自分は、言うまでもないが戦いや武道とは無縁な人生を送っていた。スポーツなどの身体を使った勝負事というものも経験したことがない、社会底辺所属者だったのだ。

 だから、なのだろう。

 Lv.100の異形種の膂力(りょりょく)からすれば大したことない行為なのだろうが、どうにも現実的な感覚との齟齬(そご)と合わさると、この実験はちぐはぐな印象が拭えない。自分は紛れもなく自分なのに、自分の知らない自分が唐突に降りてきたみたいな――とても奇妙な感覚。焦燥、混乱、後ろ暗い昂揚、ほんの僅かの罪障感。

 実験と言えば、武器庫で試した限り、魔法使い専用の杖やローブ、暗殺者専用の暗器や忍者道具などを扱えなかったのも奇妙だった。金属でできた剣よりも軽いトネリコ製の杖を、振るおうとした瞬間に取り落とすなど、まるで理解不能な現象だ。まるでゲームのような縛りがあるのだが、自分が感じている感覚は現実そのもの。だが、現実に考えればただの棒を振り回すこともできないなんてことが起こり得るか?

 わからないことが多すぎる。

 とにかく、情報を集めないことには話にならない。

 このギルドを管理維持していく上で、外の世界の存在との交渉を持つべきか。

 はたまた外の存在など排除し尽くして、鎖国のように引き籠る……のは、ないよな。

 自分の転移してきた場所は何もない平野であったが、周囲すべてを探査し尽くせたわけではない。探せば集落や、それなりの都市もあるかも知れない。街道でも発見できれば確実だろう。現在、NPC六人を、三人構成の二チームで周辺の調査に行かせているが、それらしい報告などは――〈伝言(メッセージ)〉は受け取っていない。

 

「……〈伝言(メッセージ)〉」

 

 カワウソは誰もいない迷宮の奥で、ひとつの魔法を発動する。

 遠方にいる相手に声を届ける魔法は、ユグドラシルプレイヤーにとっては基礎的な魔法の一つだ。

 送る相手に選んだ名前は、とりあえずGM――Game Managerという名の運営。コール音は誰とも繋がることなく、魔法の効果は失われる。まぁ、〈伝言(メッセージ)〉の魔法はプレイヤー間の意思伝達手段なのだから、GMに届かない方が普通である。そうしてから、かつての仲間たち十二人分、順番に〈伝言(メッセージ)〉を発動させていく。しかし、昨日から試していたが、誰とも連絡はとれない。とれるとも思っていなかったが。

 

「…………〈伝言(メッセージ)〉」

 

 最後、カワウソは確実に繋がると、これまでの経過で判っているNPCの一人に、外の調査状況を教えてもらおうと魔法を飛ばした。コール音は僅か一度で相手と意思を繋いでくれる。この魔法は、カワウソも問題なく発動することができるという証明である。

 

『はい。我が(しゅ)よ』

「……ラファ。外の調査は、どれほど進んだ?」

『ガブ、ウリ、不肖私のチームが東へ、イズラ、イスラ、ナタのチームが西へ調査を行っておりますが、双方ともにようやく平野地帯を抜け、湖と森にまで到達いたしました。全体の進捗状況の確認は、第三階層・城館(パレス)に詰めているマアトが把握しておりますので、詳細は彼女に』

「わかった……あと五分で、双方ともに〈転移〉を使って一旦撤収しろ。戻り次第、城館(パレス)で休息に入れ」

 

 主の下知に対して、ラファは承知の声をあげる。カワウソは魔法を解除した。

 

「はぁぁぁ……」

 

 マヌケにも大きく息を吐いてしまう。

 彼らLv.100NPCは主に戦闘用に特化したレベル構成のNPCたちだ。サポートタイプも無論いなくはないが、そのサポートタイプの二人は昨日から第三階層の城館に詰めて、周囲から採取したものから地質調査や土地鉱石の鑑定、そして最も重要な「周囲の地図化(マッピング)」を行ってくれている。NPCにも疲労などのバッドステータスを無効化するアイテムを装備させているが、さすがに24時間フル稼働させるというのは気まずいものを感じざるを得ない。というか、ひょっとするとカワウソと同じように、内面から溢れる疲労というものを感じているかもしれないのだ。彼らに反感を抱かれるような命令や指揮は、控えるに越したことはないだろう。

 カワウソが住んでいた現実の世界は、企業が絶対者として君臨する社会構造が築かれており、個人が雇い主に意見を物申すことを是としない、いわゆるブラックな就労規則が蔓延(まんえん)していた。サービス残業は日常的に行われ、ノルマを達成するまで帰宅どころか休憩すら満足に許されない。半ば奴隷生活のような環境にあった身の上としては、たとえNPC――かつてはゲームデータの集合体に過ぎなかった存在――であろうとも、ブラックな体制下で無理に働かせるのは、あまりにも非情に思われた。

 何らかの探査能力に特化したモンスターを召喚して使役することも考えているが、それらが現地住人と戦闘に陥るなどの不幸な事故に見舞われたらと思うと、踏ん切りがつかない。せめて、この世界の存在がどんな「姿かたち」で、どのような「文明」を持っていて、どれほどの「強さ」なのか判明すれば、こちらの最大戦力たちを連続投入する必要性は薄れるのだが。

 

「いっそ、天使作成の特殊技術(スキル)が使えたら……」

 

 思わず呟いてしまうが、それはほぼ不可能な話だ。

 天使種族の上位種──カワウソやミカが取得している熾天使(セラフィム)やその他など──は、同じ天使種族の下位種を作成・創造し、自分の忠実な配下……という名の壁役や斥候として、戦闘や偵察に使うことができる。実際、ミカやガブら、他のものなどの作成系スキル保有者から上申されては、いた。カワウソは「堕天使」へと降格しているため、一部能力に欠落があるものの、中位の天使(エンジェル)作成などはソロプレイでは大変重宝した能力である。

 だが、天使種族モンスターは異形種の例に漏れず、人間の形状からはかけ離れた形状をしているものが大勢を占めている。火の粉をまき散らす炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)や、獅子の頭を持つ門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)などがそれだ。もしも現地の住人と邂逅を果たした際に、火の翼を持つモンスターや猛獣の頭を備えた存在と友好的に接してくれる可能性を考えると、どう考えても頭をひねらざるを得ない。逆に、天使や獣人が世界を席巻していたら、使うのもありだろうか。

 どちらにせよ、今は天使の群れをミカたちに作成召喚させるのは、当分なしだろう。

 ミカたちなどの“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”に所属する人間然とした天使たちは、拠点製作NPCであるが故の例外だ。さらなる例外が、カワウソの他に五人のメイドらの取得している堕天使であるが、堕天使の強さは下手な構成にすると人間種にも見劣りすることもあり得るため、この探索では使い物にならない。

 

 

 ちなみだが。

 堕天使は、それまで積み上げてきた天使レベル──最低位の天使(エンジェル)から始まり、天使Lv.15で大天使(アークエンジェル)、大天使Lv.15で権天使(プリンシパリティー)、権天使Lv.15で能天使(パワー)、能天使Lv.15で力天使(ヴァーチュ)、力天使Lv.15で主天使(ドミニオン)、主天使Lv.10で座天使(スローン)、座天使Lv.10で智天使(ケルビム)、智天使Lv.5に至って、最終的には熾天使(セラフィム)の最高位天使に、「昇天の羽」に類する転生アイテムを大量に消費して、ようやく昇格することが可能(これは、NPCのレベル取得方法とは根本的に異なる)──を基準点として“堕天”……それまでの天使の座から降格することで取得するのが普通である。

 最高位の熾天使(セラフィム)から堕天すれば、一応は異形種らしいステータスの高さを最終的に取得出来る(それでも他の異形種に比べれば微妙である)が、最初のキャラ作成から「天使」ではなく「堕天使」になることを選択すると、全ステータス──体力(HP)魔力(MP)・物理攻撃・物理防御・素早さ・魔法攻撃・魔法防御・総合耐性・特殊──の総計値が、Lv.100になっても三桁にいかないかもという劣悪っぷりである。そんなステータスでは初心者の街から抜け出るのも一苦労……というか、不可能なほどだ。そんなことをする物好きは、戦闘や補助、冒険を重視するのではなく、商売や鑑定、さらには作成系などの職人(クラフトマン)として、異形種の有名な「はじまりの街」“深淵原野(アビスランド)”などに常駐していたのを見かける程度である。当然、プレイヤーが「熾天使」に至るまでに犠牲(コスト)となるレベル合計を考えると、わざわざ強力かつレアな熾天使(セラフィム)にまで昇格しておいて、劣悪な種族に“堕天”する存在は珍奇ですらあった。何しろ熾天使になるまでに(数値上の合計ではあるが)Lv.100分の経験値を獲得し、さらにはそれを“捨てる”ことが必須なのだから。

 いくらユグドラシルの仕様上、レベル上げそのものは早くこなせると加味しても、堕天使になるのは面倒なこと極まりないと、ご理解いただけることだろう。さらに言うと、堕天使の特性も輪をかけて面倒が多いのだから、本当にどうしようもない。

 

 

 話を戻す。

 NPCたちに天使作成スキルは使わせたくない、最大の理由。

 それは、やはり最悪な想定のひとつである、NPCたちの反乱の可能性だ。

 彼らが「一時的に」とはいえ、召喚モンスターの大群を使役し、ギルマスのカワウソに反旗を(ひるがえ)されては目も当てられない。

 いかにも慎重すぎる気がするかもしれないが、とにかくカワウソは疑心暗鬼に囚われ、今でも混乱が続いているのが、少なからず悪影響を及ぼしていた。

 NPCたちは実に従容(しょうよう)と主人の命令に準じてくれているが、もともとカワウソはただのサラリーマンだ。平社員がいきなり上位者として、あろうことか天使たちに下知を飛ばすなど、まったく予想だにしていなかった状況である。

 無論、彼ら拠点NPCを作成するうえで、あのナザリック攻略の他に、そういうロールプレイを楽しもうという意気込みは多少あったし(ミカたちに与えた設定文は、その名残だ)、彼らの設定を作る際にもそういった趣味嗜好に走ったこともあったが、それが四六時中、24時間に及ぶなんて、想像の埒外(らちがい)だ。

 しかし、泣言や弱音など無意味。

 昨日、拠点内に戻ってから装備を脱ぎ捨て、一日の間は私室に籠り、混乱と恐怖でベッドの中で震えていたが、いくら寝ても覚めても、この世界から現実の自分の家に戻ることはなかった。そうしてまた一日かけて、この世界の調査と実験を繰り返している。こうして二日が経過する頃には、それなりの覚悟を固めるくらいの気概が湧いてくれた。吹けば飛びそうな、脆く儚い覚悟ではあったが。

 

「……風呂にでも入るか」

 

 意識に(かすみ)がかかるかのように、思考に余計な汚濁(おだく)()()むのを感じる。精神が疲弊し、休息を求めているのだ。

 こういう時は冷水でも温水でもいいから、身体を水で洗い落とすに限る。実際、一日目が経過し、ベッドで震えることにも意味が見出せなくなったカワウソが最初に赴き、気分を転換するのに使った場所だ。現実のあちらの世界ではスチームバスぐらいしか経験していないが、滝行というのか、ゲームでそれと似たような行水を行える場所が、このギルド拠点の最上層にはある。円卓の間のある屋敷の中庭に造った(もとい商業ギルドに頼んで造ってもらった)ものだ。ゲーム時代はちょっとした治癒(ヒーリング)強化(バフ)を施すための施設でしかないものだったが、少なからず精神的なリフレッシュ効果も味わえてお得なのである。

 ギルド拠点というのは、たいていの場合は侵入者迎撃の観点から階層間の転移を阻害する仕様になっており、この城もその例には漏れないのだが、カワウソはギルドメンバー(ほぼ一人だったが)の証である指輪を身に着けているため心配いらない。ちなみに、この指輪を持つ者しか赴けない場所も存在しているので、ギルド内に限ればこれは必需品ですらあるのだ。左右の手でひとつずつしか装備できない指輪を、課金で十本の指すべてにはめることを可能としており、左手薬指以外の合計九つの指輪のうち一つに、この拠点用の指輪をはめているわけである。

 左手に掲げた魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)をほんの一振り、切っ先で円を描くようにすると、転移の闇がカワウソを包み込んだ。これが対となる天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)であれば神聖な光に包まれる仕様である。

 この二本の剣は、ユグドラシル末期、解散を宣告した上位ランカーギルドが売りに出していたものを買い取った、カワウソが保有する数少ない神器級(ゴッズ)アイテム。その効果の最たる特徴は、“門”という名前だけあって、正当な所有者に無限ともいえる〈転移門(ゲート)〉……転移の魔法を供与するものだ。

 途中の階層をすっ飛ばして転移した先は、ギルド拠点の最上階層。自分の私室やキッチン、客室や金庫、武器庫まである屋敷の、その中庭──露天風呂のスペースに転移した。礼儀や常識を考えれば、まず脱衣場で衣服や装備を脱いで入るのがマナーであろうが、精神的に疲弊しているカワウソは、そこまで頭は回っていない。風呂場で直接脱ぎ捨てるか、あるいは着たまま入ってもいいだろう(というか、ゲーム時代は着たまま入るのが普通だった)。頭上の赤い輪については、外すこともできないし。

 今は一刻も早く、滝の温かいシャワーを浴びて頭の熱を取り除きたかった。

 

 ──故に、その失態は必然とも言えた。

 

「……な」

「……あ」

 

 堕天使と天使が声を漏らす。

 転移した先は紛れもなく、最上層にある、朝焼けに照らされた屋敷の中庭。

 そこに佇む、金髪を大量の湯で濡らした少女の肌色が、堕天使の()を焼いた。

 カワウソが浴びようとしていた滝を浴びていたのだろう、珠のような無色透明の雫が一点の曇りもない肢体と一対の白翼を艶やかに染めている。慎ましい胸の膨らみも素晴らしいが、鼠径部から太腿へと至るラインも見事に過ぎる。その立ち姿は、女の魅力を結集させても到達できない、無垢なる輝きを放って煌いているようだった。

 

 双方ともに目をぱちくりさせる。

 

 思わず見入ってしまった堕天使は、裸身の女天使が繰り出す刹那の拳に対応できない。

 肺の中の空気をすべて吐き出されるほどの衝撃に吹き飛ばされ、広大な岩風呂の水面を二回跳ねて、水没する。泡を喰ってもがきながら水上の空気を吸おうと半身を起こす。激痛よりも呼吸困難、溺死寸前に陥った事実に慄然(りつぜん)としながら、いつの間にやらタオルを身体に巻いた女天使が立ち去る翼と背中を見た。

 

(きら)いです」

 

 そのたった一言が、カワウソの胸の奥を血が滴らんほどに抉る。

 何とか謝ろうと声をかけるよりも早く、NPCの長たる天使──ミカは、脱衣場へ去ってしまった。

 追いかけるのも(はばか)られたカワウソは、そのどうのしようもない事態を忘れようと、清浄な回復効果を持つ温水に、体を沈めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっとしたハプニングがあったが、とりあえずひとっ風呂浴びて気持ちの切り替えに成功──いや、失敗か?──したカワウソは、濡れそぼった装備品類を全自動洗濯乾燥機に突っ込んで(どう考えても容量過多なはずだが、入れられた。剣や鎧なども投入可能なのだ)、タオルで体を丁寧にふき取り、備え付けのバスローブに身を包んだ。ゲーム時代は脱着する必要のない装備や衣服の類であったが、この世界では現実世界同様、濡れていると水滴をあたりにまき散らす上、水を大量に吸って少々重くなる。さすがに濡れ鼠な状態で屋敷を歩くわけにもいかないだろう。

 冷蔵庫内のフルーツ牛乳を開けて、一気にあおる。素晴らしい喉越しと舌を包み込む甘い味覚は、やはりユグドラシル時代にはなかった(なま)の感触である。体力(HP)満タンの状態で飲んでも回復効果はない──つまり使用は不可のはずだ──が、それでもこういった飲食まで可能となると、仮想現実の可能性はごくわずかしかないと思っていい。カワウソの知る限り、そこまでの電脳技術は存在しないはずだ。

 ふと、カワウソは視線を走らせる。

 壁一面を覆うような鏡台に映る堕天使、赤い輪を頭上に戴く存在の濁った瞳と視線が交わる。カワウソはそこに佇む引き絞られた肉体、バスローブの裾からチラ見する胸筋と腹筋、(たくま)しく男らしい両腕の造形に、何も言えなくなる。こんな健康的な肉体を持つ浅黒い肌の青年が、違和感なく今の自分だと思える半面、現実に存在していた自分の、肋骨がほとんどすべて浮き上がるほどに痩せぎすだった様が、余りに憐れに思えてならなかった。

 こういった感覚も、何気にカワウソの精神的疲労に繋がっていく。

 あまり深く考えるのは止めておこう。

 

「……はぁ」

 

 思わず嫌な息を吐いてしまう。

 喉奥にぶつかる呼気すらも、事態が現実であることを主張してくる。

 かつての時代、「風呂は命の洗濯」といったらしいが、今回に限ってはその格言からは程遠い印象を抱いてしまう。いや、今回のこれ──女性の入浴を目撃──は、完全に自分の失態だと判ってはいるのだが。

 その時、出入り口付近で、バケツやモップやらがガシャンと散乱する音が響く。

 

「しし、失礼しました、カワウソ様!」

 

 風呂の清掃に来たらしい、十人いるメイドの一人である堕天使──天使の輪も翼も持たない、ただの人間の美少女然とした異形種──のインデクスが慌てたように退出しようとするのを、バスローブ一枚きりというあられもない姿の主は引き留める。

 

「ああ、いや、すまない。ここへは転移してきたから、使用中の札を付けるのを忘れていた」

「そ……………………そう、でしたか。本当に、失礼いたしました」

 

 恐縮する可愛いらしいメイドは、カワウソへの畏敬の視線を隠そうともしない。

 それが酷く恐ろしい。

 現実の自分は、こんな視線を他人から浴びた経験はない。

 だが、今の自分は、このギルドを支配する最上位者・堕天使のカワウソなのである。

 カワウソは退出する彼女に、ついでとばかりにミカへの言伝(ことづて)──〈伝言(メッセージ)〉を使って直接連絡する勇気がなかった──が可能であれば、自分の私室に待機させるように頼むと、主人と同じ浅黒い肌に、主人とは違う銀色(シルバー)の髪のメイドは、腰を折って清掃用具を片手に脱衣場を後にする。

 残されたカワウソは、とりあえず直近の懸案事項に頭を悩ませる。

 

「……ミカには、なんて謝ればいいんだ?」

 

 これは完全にカワウソの失態(ミス)だ。ミカはほぼ常に、この最上層の屋敷に常駐させている。設定文だと、ギルドの拠点NPCの長として、この屋敷のほぼすべての部屋への出入りを許されているという感じだったか。

 だから、なのだろう。ミカは自発的に、屋敷のこの風呂場を利用していたわけである。彼女に休息をとらせていたのは、カワウソ本人。休憩時間に風呂を堪能するというのは、考えてみるとひどく現実的な思考であり行動ではないか。

 女性と風呂場で対面するなんてゲームでしかありえないような珍事件など、もちろん、カワウソは現実で経験したことはなかった。というか、まともに女性と交際したこともない自分には、こんなハプニングイベントは想定外過ぎる。誰か代わってくれないだろうかと本気で思ってしまうほどに思い詰められる。

 いろいろと考えを巡らせるが、これといった妙案などない。

 素直に謝る。

 これぐらいしかないと決意しつつ、乾燥機が稼働を終える時を椅子に座って待つ。

 

「……それにしても」

 

 カワウソは冷静に、先ほどのミカとの不幸な──幸福なんて断じて思ってはならない──遭遇を思い返す。

 けっして(よこしま)な思いから、股座(またぐら)に微熱を感じながら、女天使の裸身を思い出しているのでは、ない。

 ユグドラシルは、非常にエロに……18禁行為に厳しいゲームだ。下手すると15禁もあり得る。違反者は名前を公開される上にアカウント停止処分という罰が下されるのは、この界隈(かいわい)ではあまりにも有名な話だ。

 だが、カワウソは自分が創ったNPCの裸を見た。

 しかし、18禁で有名なゲームのキャラクターメイキングで、あれほどに精巧な裸体を再現することは事実上不可能(限りなく肌色部分を多くし、秘所部分にシールや光処理、モザイクなどを施すのも無理。少なくとも衣服などの“装備”がなければ規制対象)だし、第一、製作者本人であるカワウソが、彼女の外装を、肌着や下着の「下の部分」まで作り込んだ記憶などなかった。

 これがもしも、ゲームのユグドラシルの中で起こった出来事だと仮定するならば、カワウソは完全にアウト判定をもらうだろう。即BANされてもおかしくはない。

 さらに、このログアウト不可な現状が、GMや運営会社、企業ぐるみに行われている新たな電脳ゲームの先行テスト──YGGDRASILver.2や、追加パッチを当てているだけだと仮定するのは無理がある。これらは風営法や電脳法に著しく抵触するうえ、こんな危険な状況実験を組織だって行うメリットが運営側には存在しない。こんなことがバレるのは時間の問題だ。プレイヤーをゲームの中に閉じ込めるということは、即ち“監禁”に他ならない。いくら末期状態の運営でも、一企業である以上、法に触れるなんてことをするはずがなかった。

 ならば、やはり……この世界は、現実のもの、なのだろう。

 今回の出来事は、ある意味でそういう事実確認をカワウソに示してくれたと言ってもいい。

 しかし、

 

「……ミカ、怒ってるだろうなぁ」

 

 そう思うだけで吐く息が重く沈んだ。

 あれだけ本気の拳撃をおみまいしてきたのだから、それは確実なことだと思われる。何の装備も付けていないのにあれほどの攻撃ができるとは。二日前の、転移したばかりのあの時に殴らせた際は、完全に手心を加えられていたのだなと納得する。

 そして、何より、あの去り際の一言。

 

 

 

(きら)いです』

 

 

 

 あれは、本当に、きつい。

 思い出しただけで、体が震え心臓が凍りそうなほどの恐怖を抱く。

 絶対、他のNPCたちの自分に対する好感度や評価なんて、直接確かめられないな。

 数分間思い悩むうちに、乾燥機が終了の電子音を奏でると、ゲームの時と同様に蓋を開けた。全自動で折り畳まれた(どういう仕組みなのか不明だが)衣服に身を包み、磨かれたように輝きを放つ強化(バフ)がかかった装備を身に着けて、カワウソは悄然と肩を落としつつ、自分の私室に向かうべく風呂場を後にし、屋敷中央の円形広間(エントランス)にある螺旋階段を上った。

 このギルド最上層の屋敷は二階建てで構築されており、ギルマスであるカワウソの私室は、一階の「円卓の間」や「祭壇の間」に匹敵するほど広く大きな造りとなっている。部屋の内装はスイートルームのように整えられているが、ほとんどは課金ガチャなどによって入手したはずれアイテム……おまけ程度の価値しかない。

 自分の私室なのに、誰かを待たせていると思うと妙な気分になる。

 いっそいなければいいなと思いつつ廊下の角を曲がると、私室前に待機している水色の髪に人間の少女然とした精霊メイドのディクティスが、主の帰還を待ちわびていたように腰を折る。

 

「カワウソ様、ミカ様が室内でお待ちです」

 

 まぁ……いるよな。

 自分で呼び出したんだから、当然だよな。

 

「わかった。これから、ええと……重要な話があるから、俺が入ったらおまえは下がっていろ」

 

 ぶっきらぼうに聞こえたかなぁと若干不安を覚えるカワウソの内実に気づく様子もなく、水精霊(ウォーター・エレメンタル)のメイドは承服し、両開きの扉をノックすると、室内にいる者に主人が帰ってきた(むね)を伝え、静かに純白の扉を押し開けた。訳知り顔で微笑むメイドの様子が気にかかる。

 カワウソが室内に入ると、扉は再び閉ざされる。ディクティスが部屋の前から立ち去る足音が聞こえるのを扉に耳を当てて確認してしまう自分が情けない。

 溜息をひとつ漏らす。

 あらためて室内を眺めると、応接用のテーブルセットやソファには誰も座っておらず、カワウソは困惑を覚える。上位の天使種族は、同族である天使を発見認識する特殊技術(スキル)〈天使の祝福〉が存在するが、無論、これは堕天使には使えない。怪訝(けげん)に思いつつも、書斎スペースやカウンターバーを巡り、最後に天蓋付きのキングサイズベッドのある寝室スペースに向かうと、

 そこに、やっと彼女の姿をみとめた。

 

「お……待ちしておりました、カワウソ様」

「ミ、ミカ?」

 

 一瞬、その光景がカワウソには理解できなかった。

 純白のバスローブ姿で、金髪美女がベッドにちょこんと腰掛けている。

 その表情は硬く、だが風呂上がり故か上気しっぱなしの身体は、実に柔らかな光を宿して輝いているようだった。

 しかし、カワウソは疑問する。

 

「な、なんで、そんな恰好?」

「え、と……(とぎ)、に」

「は? 研ぎ?」

 

 小卒社会人には意味不明な言葉に、カワウソは首を(かし)げるしかない。

 

「な、何でもないです気にしないでくださいやがりませですバカ」

 

 震える声で早口に告げると、ミカはそっぽをむいてしまう。

 そんな彼女の様子に、カワウソは思わず脱力してしまった。

 

「……装備を整えて出直してこい」

 

 何だか、思い(わずら)っていた自分がおかしくなって、額を押さえつつも頬が緩んでしまう。

 カワウソは気づいていなかった。

 それは、この世界で彼が初めてこぼした、心の底からの笑みに、他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 数少ない癒し回(?)終了。
 次回から、いよいよ不穏な感じになります。

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