オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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/Wyvern Rider …vol.12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急峻な傾斜、小高い丘のようになっている岩盤の上に君臨する暴君の様に、カワウソは偽りのない戦慄を覚えた。

 これがユグドラシルのゲームであれば「ああ、中々秀逸なデザインだな、作り込みもしっかりしている」くらいの評価と感想を懐くだろう化け物の姿だが、──これは現実だ。

 これまで、この異世界で出会った中で最も凶悪かつ巨大に見えるモンスターの異形ぶりに、カワウソの心胆は凍えきっていく。魔法都市で見かけた霜竜(フロスト・ドラゴン)並みに膨れつつ、引き絞られた肉体を覆い尽くす黒い斑紋。肉腫はコールタールのような粘稠性を帯びており、それが汗のように鱗の隙間から漏出しているのか、ボトリと大地に落ちて、嫌な臭気と白煙をこぼしあげる。

 無論、カワウソはゲームで竜を狩ったことは幾度かあったが、堕天使のステータスだと勝率はそこまで良くはない。

 他の竜に敗けたか、他のプレイヤーパーティが打ち漏らしたのだろう“手負い”の竜に単独(ソロ)で挑み、可能なら捕縛・殺害できたくらい。竜と戦う際には、ある程度こちらの被るダメージも勘定したし、ヘマやらかして殺されかける(または殺される)ことも、ゲームでは経験済み。素材収集のためどうしても狩りたい竜が大量にいた時は、与えられ装備している──装備せざるをえない世界級(ワールド)アイテムを使った“裏技”を使用したものだが、それだってうまくやらないと時間切れになって、結果はお察し……という奴である。

 

 だが、今のこれは──現実、なのだ。

 

 逃げたい。

 今すぐに。

 

「ウァアアアァァァッ!!」

 

 人間らしい恐怖心で一歩も前後に動けなくなった堕天使の近くで、女の狂吼と音圧が背を叩く。

 まさかと振り返る間もなく、ヴェルとラベンダの騎影が、地下空間の中で両翼を広げた。

 狂戦士と化した乙女が、漆黒の巨竜に向かい、相棒の背に跨り、武器もないのに、突撃。

 

「よせ、ヴェル!」

 

 引き留めようとする同輩(ハラルド)には目もくれず、狂った戦士は空を馳せた。

 理性を完全に失った瞳で、この場で最も恐ろしいと感じる対象に向かって、暴走の限りを尽くしてしまう。

 見る間に、狂戦士とカワウソたちとの距離が広がる。

 

「くそっ! 何だってんだ、この状況!」

 

 カワウソは矢も楯もたまらずに跳んだ。谷底の岩壁を跳ね、馬鹿な特攻に咆え奔る女と飛竜を押し止めるために。暴れる騎兵と飛竜に突っ込むと、ヴェルの小さく細い肩を掴み、ラベンダの翼に足をかけて、谷底の壁面、巨大な岩塊に押し倒すように封じ込める。

 

「ッ、暴れるな、この!」

 

 狂化もとい強化された一人と一匹の身体能力は、カワウソの制止に一定の反撃を試みる余裕があった(というか、本気の力で組み敷いて頸骨や内臓などを破壊するのを怖れたカワウソが、絶妙な塩梅で手加減を加えるしかなかったのだ)。

 邪魔者に爪で斬りかかる少女──噛み砕こうと顎を広げる飛竜に構うことなく、堕天使は頭上の脅威を振り仰ぐ。

 あんなものに単騎で挑むなど、自滅行為以外の何でもない。狂戦士らしいといえばらしい戦闘行動だが、目の前で自殺を遂げようという輩を止めに入るのは、ひどく常識的な判断に過ぎない。

 だが、

 

  ゴォアアアァァァアアアアアッッッ!!!

 

 振り返るカワウソ。

 谷底の幅の半分にはなるだろう巨大な皮膜を広げた黒竜が、黒鉄の暴風と化して突っ込んでくる。

 

「チィッ!」

 

 大きく舌打ちをしながらも、カワウソは腰の鎖(レーディング)に手を伸ばす。急いでヴェルとラベンダを拘束し、この場を離れなければ。

 しかし、

 

「クソ、邪魔するなって!」

 

 暴れるラベンダが堕天使の剥き出しの二の腕に食らいつく。

 上位物理無効化Ⅲの特殊技術(スキル)でダメージは皆無だが、食らいつく顎に阻まれてアイテムを振るえない。素手で殴り、爪で肌を抉ろうとするだけだったヴェルまでもが、カワウソの首筋に獣然と前歯と犬歯を突き立ててくるので、本当に邪魔だった。

 そうこうしている内に、黒竜は接近。

 岩壁を破砕する翼の一撃が、カワウソたちに殺到する。

 もはやなりふり構っていられない。ラベンダの顎が砕けるかもしれないと思いつつも、強引に腕を引いて鎖を掴み、振り回した。魔法の鎖はあっという間に飛竜と狂戦士に巻きつき、両者を谷底へと滑落させる。それに追随する形でカワウソも下に降りることで暴竜の翼から逃れた。

 吹き飛ぶ岩塊。

 数瞬前までカワウソらがいた場所が砕け、地下の谷底に小規模な崩落の音色が轟く。

 暴れ狂うヴェルたちを両手で掴み引っ張るようにして、カワウソはひと際大きな岩の雪崩から逃げ果せる。

 だが、無事に崩落を避けるルートは、後方のハラルドたちから遠ざかる結果を生んだ。

 

「カ、カワウソ殿!」

「来るな!」

 

 助太刀に参じようとした少年の義侠心を、大声をあげて制した。

 壁を這う巨竜が、さらにカワウソたちの方へ爪牙を差し向けてくる。

 

「助太刀します」

 

 だが、モモンは果敢にもカワウソらの窮状を救いに飛び込んできた。

飛行(フライ)〉のアイテムの効果で空を突っ切るモモンの姿は勇ましい限り。だが、

 

「なにっ?」

 

 モモンが驚愕し、呻く。

 飛竜の長大な尾の先に備わる針状の突起物が、冒険者の振るう双つの両手剣と交差していた。

 その硬度は、里の上空で見た幼竜の十数倍──おまけに、アレは信じられない速度で、反撃の一撃をモモンの胸部に叩き込んでいた。冒険者の身体が数十メートル先の岩壁に押し返される。叩きつけられた衝撃で、岩壁が石の花を開くようにめくれていた。

 

「モモン殿!?」

 

 あまりの事態に、誰もが色を失った。

 苦し気というよりも、悔し気に舌打ちをつくモモン。彼は無事だ。なるほど伊達に最上位の冒険者に列せられているわけではないらしい。

 

「モモンさんは、ハラルドとマルコを!」

 

 言わんとした内容を了解した漆黒の戦士が、竜への反撃にこだわるでもなくすばやく同意する。

 この状況では何とも頼もしい反応速度だ。抗弁されて時間を浪費しても、双方のリスクにしかならない。モモンは五体満足であることを主張するように、ハラルドとマルコの傍へ後退していく。

 あれの狙いは、現在のところカワウソとヴェルたちに集中しているが、ただの現地人(特にハラルド)程度の実力で、あんな巨大な竜に抗しきれるのかという懸念が湧きたってならない。モモンでも「果たして」と思わざるを得ず、実際、彼はいきなり後退を余儀なくされていた。怪我らしい怪我はなさそうだが、ただの剣撃で、あの巨体と重量の竜を屠るというのは、並大抵の業では不可能である。

 カワウソは拘束したヴェルとラベンダを連れて、奥の空間へ。

 すると、やはりあの黒竜は、堕天使あるいは狂戦士を目標に定めるように、身を跳ねた。

 彼我の距離がさらに詰まる。試しにヴェルたちを餌に置いていこうかとも悪だくみをする堕天使の思考を理性で押さえつつ、カワウソはボックスから聖剣を抜き払う。

 両者の交叉は一瞬。

 黒い竜の右顔面を聖剣──神器級(ゴッズ)アイテム“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”が横薙ぎに引き裂いた、が。

 

「クソ! やっぱり再生しやがる!」

 

 確実な生命活動の停止には持ち込めない。

 そうして、悲鳴を上げるあれは、里の上空に現れたものと同じく、即時性のある再生能力を発揮する。

 砕けた顔の肉腫がボコリと泡立つと同時に、黒腫の零れた右顔面を再構築し、元の悪魔的な面覆い(フェイスガード)に戻ってしまう。

 再度、攻撃を試みたが、首にも胸にも背中にも、有効打は決まらないまま。

 カワウソは考える。

 何か、即効的な弱点攻撃……頭や首を落とすか、心臓を抉り斬るなどを試みるより他にない。

 だが、アレの身に纏う装甲のような肉腫が限りなく障害となりうる。肉腫は神器級アイテムの剣で斬撃は可能だが、ヒットした瞬間にあらぬ方向に弾き返されるようになって、奥の生身へと到達させてくれなかった。これでは、何か強力な一発……信仰系魔法や攻撃系特殊技術(スキル)を使うしか、打開策がない。

 しかし、モモンたち──現地人の手前、あまり派手な攻撃は(はばか)られた。

 カワウソは聖騎士(ホーリーナイト)聖上騎士(パラディン)の職業スキルに代表される強力な攻撃能力を保持しているが、この異世界で行使するには不向きなものが多い。森を断裁した光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴは、聖騎士の基礎攻撃スキル。そんなものが木々を薙ぎ払い、大地を抉り飛ばしたことを考えると、それ以上の攻撃能力を発揮することは、後方に控える三名の現地人を巻き込む可能性が大となる。最悪、この地下空間をカワウソが崩落させ、全員仲良く生き埋めに──なんて状況に陥った暁には、どう詫びればよいというのか。ミカの魔法や特殊技術(スキル)を使って蘇生させればとも思うが、蘇生可能かどうかの疑問が残る。

 いっそ今から、彼等だけでも脱出させるべきか。

 

「──ッ!」

 

 モモンたちに振り返りかけて、背筋が粟立つ感触に首が固定される。

 やばい。

 そう直感する。

 見上げれば、天井付近の岩壁を這いつつ、重く喉奥を轟かせる黒い巨竜が、ほとんど180度に開いた口腔の奥深くの闇から、やはり闇色の何かをゴボリと零し出す光景を確認。

 

「まさか、ブレスっ!?」

 

 ユグドラシルの飛竜(ワイバーン)に、そんな攻撃はできなかった。

 似たようなものだと〈火球(ファイアーボール)〉や〈雷撃(ライトニング)〉を吐き出す個体がいるくらいだが、ブレス攻撃は、飛竜よりも上級の竜にしか扱えない攻撃手段、固有スキルだったはず。

 なのに、あの巨大な黒飛竜は、闇色に染まった黒い息吹(ブレス)を溜め込み、そして、解放。

 轟音と共に直下に向けて吐き出された竜の息吹(ドラゴンブレス)が、地下空間を真っ黒に染め上げる。

 ……否、息ではない。

 ブレスというよりも、あれは黒い肉腫の放射だ。

 雪崩を打ったように黒く滴る肉の激流が、頭上から降り注ぐ。胃の腑から吐き出されたようなそれには消化液の強酸も塗布されているのか、周囲の岩壁に触れた瞬間に焼けるような音を奏でながら巻き込んだすべてを溶解させる。逃げ場はない。カワウソよりも後方にいるモモンたちが水晶を砕いて防御魔法を張り巡らせたようだが、果たしてどこまで通用するか疑問だ。

 カワウソも〈力の聖域(フォース・サンクチュアリ)〉という信仰系防御魔法を唱えるが、この世界で、あの黒竜を相手に、どれだけ有効に働くか知れたものではない。周囲を包む白光が、純粋な魔力の障壁を築き上げ、発動者の攻撃を一切不可にする代わりに、敵対象からの攻撃の一切を遮断する。だが、あの黒竜の攻撃がすり抜けてくる可能性を想像せずにはいられない。

 あれが攻撃でないと判断されれば?

 あるいはあれのレベルがカワウソと同格か、それ以上としたなら?

 尚も暴れる少女らを鎖で封じつつ、聖域がうまく機能してくれることを願うしかない。

 雪崩(なだ)れる闇が押し寄せる。

 刹那。

 

「何をもたついてやがるんです?」

「ミ──ミカッ?」

 

 カワウソの目の前──盾となるかのような瞬速で姿を現した女天使が、腰の光剣を抜き払い、迫り来る肉の濁流に向かって、刃を顔の正面に構える。

 

「御下命して戴けないのであれば、私の判断で戦わせてもらいます」

 

 まるでカワウソに置いていかれたことをすねたような口調で、女天使は堕天使を振り返る。

 

「冒険者モモンが言っておりました。『場合によっては、殺傷は可』──であれば」

 

 容赦など不要。

 光の剣が閃いた。

 

特殊技術(スキル)黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)”」

 

 天に掲げた片手剣の、光輝く刀身が、消える。

 途端、濁流と化していた黒い肉の暴流が、カワウソらに至る直前、まるで蒸発・浄化したかのように消え果てた。

 いや、違う。

 肉の濁流を吐き出していた巨大な竜までもが、何処からか飛来した極大な光刃──多方向から無数に現れた輝く剣に、360度の全周から断切され、一拍の間もなく滅ぼされていた。肉腫の濁流は、そのうちの一刀を真正面から受けて吹き飛んでいただけに過ぎない。黒く狂う飛竜は、頭も首も胴体も判別できないほどの小間切れと化す。

 

 ミカに与えた特殊技術(スキル)黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)”は、ミカの元ネタに因んだ天使(ミカエル)に由来した名称で、その効果は『悪属性対象、魔、獣、竜などのモンスター種族への特効攻撃』という、防御重視の女天使の中ではかなりの威力を誇る攻撃手段だ。これよりも強い攻撃は、ミカは四つしか保有していない。無数の防御手段や防御魔法に長けている反面、攻撃方面に製作者のカワウソが重きを置かなかったのは、彼女には天使の澱(エンジェル・グラウンズ)拠点内の防衛戦時でのタンク役、つまり“盾”の役割を期待しての事。彼女の役割と対になるのは、花の動像(フラワー・ゴーレム)である“剣”のナタとなる。

 

「おお!」

 

 モモンたちの方から歓声に近いどよめきが起こる。

 確かに。黒い肉腫の脅威、黒竜の暴虐劇は潰え去ったかに見えた──だが。

 

「ああ、まずい……」

 

 切り分かれ解体された飛竜の死骸が、裂け目の中を転がり落ちる。黒い肉塊が別の雪崩となり、衝撃で岩壁が砕け、無数の落石を伴う崩壊が谷底にむかって殺到。

 その直下には当然、カワウソとミカ、そしてヴェルたちが、いる。

 

「逃げろ!」

 

 叫んだが、すでに遅い。暴れ狂う少女と飛竜を抱えて安全地と見えるモモンらの所まで跳ぼうとしたが、土砂崩れもかくやという黒い崩落に巻き込まれ、カワウソと、その手に繋がる鎖に囚われた飛竜騎兵、そしてそれらを包むように純白の翼を展開したミカは、黒い竜の骸と共に、裂け目の底に落ちていく。

 

「ッ!」

 

 谷底の空間は、さらに地下へ崩れ、落ちる。

 カワウソたちの名を呼び叫ぶモモンとマルコ、ハラルドの声も掻き消えるほどの轟音と共に、彼らは谷底のさらに下──奈落の底へと落ちていく。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「そんな……」

 

 黒い崩落は、谷底の大地を肉腫の強酸で焼き融かし、さらに下へと落ちる連鎖崩壊を生んだ。

 裂け目のさらに奥深い谷底へ落ちた者たちを、ハラルドは絶望的な表情で見送るしかなかった。

 一等冒険者の身に守られ、さらなる深淵に陥った幼馴染とカワウソたちの安否を確かめられないか、奈落の淵に手をつき、深淵の闇を凝視する。

 そんな彼を、やや遠くから眺めつつ、

 

「さらに、地下が?」

汚穢喰い(アティアグ)のいる、この層よりも下があるとは、な」

 

 マルコとモモン──アインズは疑問を懐く。

 黒竜の尾による攻撃は、まったくダメージになっていない調子で、今の状況をマルコと共に分析。ここが奇岩内部の最下層だと思っていたが、意外なことに、さらに下へと続く空間が出現したのだ。

 

「ですが。汚物や下水がこの層に溜まっている以上、下へと続くなんてことが?」

「ふむ。この下にあるものは、魔法的な防衛機能が生きているのかもしれない」

 

 それこそ。上の族長邸に存在する魔法の秘密部屋のように、飛竜騎兵──セーク部族固有の遺産が存在している可能性は大いにある。アレと同じか、もしくはそれ以上の空間を構築されたものが、この地下に眠っているとしたら。

 

「ですが。アイ……魔導国にも認知されていない空間なんて、ありえるのですか?」

「飛竜騎兵のほとんどは秘密主義的だからな」

 

 無論、秘密を持つことは悪いことではない。

 世の存在は、秘密のひとつやふたつ抱え込んでいるのが常。

 それをもって個人を殺傷するとか、国家を転覆しようという者がいれば罰せられて当然だが、個人が秘密を持つことを罪に問うというのは、いくらなんでも悪法に過ぎる。アインズですら、秘密があるのだ。セークの族長が「秘密でやっていること」が、叛逆や反乱、経済的混乱でない以上、大した問題にはならない。

 むしろ、彼女らのやっていることは、あるいはアインズらの望む事業に発展するかもしれないのだ。

 一応、放置しておいても問題ない部類だったはず。

 

「ヘズナのように、比較的明け透けな連中というのは、むしろ稀だからな」

「それで。──行きますか? あの崩れた地下に?」

「うむ。落ちた彼等の安否も気になるが」

 

 アインズは、あの黒竜が這い出てきた上の裂け目……崩落によって塞がってしまったそこに目を凝らす。

 あれが這い出てきた先も気にかかった。

 

「マルコ。ハラルドを連れて、上の里に戻れ」

「よろしいのですか? ナザリックから援軍を求めては?」

「うむ。さすがにこの状況では、使えるコマが少なすぎるか……〈伝言(メッセージ)〉」

『はい。おじい……モモンさん』

「エル。いや、エルピス(・・・・)。“緊急極秘指令”を」

 

 緊急極秘指令とは、「ナザリックに存在する後詰・援軍を“極秘に”派遣せよ」という符丁だ。

 アインズは、カワウソたちの感知能力を警戒して、影の悪魔(シャドウ・デーモン)八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)などの隠密部隊を率いてはこなかった。もしも、彼と彼女(カワウソたち)が高度な感知能力──看破に特化した魔法やアイテムを保有・起動させていた場合、Lv.100の存在にとって隠密モンスターの群れを発見することは実に容易い。ただの一等冒険者・モモンの護衛にモンスターが数十体も追随していたら、間違いなく彼等に怪しまれ疑念が生まれただろう。

 あるいは、遠い過去、沈黙都市に派遣した人狼のメイドが、その地に住まう管理者であり封印者だった人狼にバレたのとは比べようもない失態を、アインズ達自身が演じる状況に陥るなんてことも、十分ありえる(実際、カワウソの指輪のひとつには看破に特化したものがあった為、ナザリックの隠密性に特化したPOPモンスターを見つける性能を保持していた。今回のアインズの采配に、間違いはなかったのである)。

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉を続ける。

 

「状況は、推定だが(レッド)に近い(イエロー)

『第二種災害ですね』

「ああ。私は引き続き、状況の対処に当たる」

 

 しかし、状況はもはや、一等冒険者の裁量を超える域に達していた。

 黒い飛竜の成体を確認。

 幼竜とは比較にならない巨体。

 酸や毒性を擁する、悪辣な身体機能。

 あれが、もしも野生の飛竜並みの数……(ぐん)で存在しているとしたら。

 その黒竜の群れが、一様に魔竜や邪竜じみた再生能力と、黒い肉腫と強酸の放射を行えると仮定したら。

 

(この一帯全域の危機に直結しかねんからな)

 

 飛竜騎兵の部族、その領地に置いたアンデッド部隊は、一般的な三等臣民領地の基準を僅かに上回る程度の量。

 黒竜と、その群れと対峙し戦うとなれば、間違いなく手が足りなくなる。

 空中戦闘を可能にする空軍、および奇岩地帯に住まう臣民の避難と防衛のための陸軍、それぞれを正式な手順で派遣するには、どうしても時間がかかりすぎる。

 だが、アインズの──魔導王の指令を受ければ。

 

一等冒険者(モモン)の裁量権に従い、魔導王陛下に災害救助を要請……といったところか」

 

 モモンの武功のひとつが、これでまたひとつ追加されることになるかもしれない。

 だが、あるいは、

 

「この状況……彼は、どう切り抜けるのかな?」

 

 ──あるいは。

 地下へと落ちた堕天使の彼が、その武功を戴く名誉を。

 そうすれば、彼等を魔導国に迎え入れることも──なんて皮算用に至る自分を、アインズはひとまず棚上げしておく。

 

『モモンさん。ちょうど“こちら”にも動きが』

「……動き?」

『ヴォル・セーク族長らが──』

 

 魔法越しに伝達された情報、族長らの動向に、アインズはひとつ頷く。

 

「わかった。引き続き何か動きがあれば、連絡を頼む」

 

 孫娘との〈伝言(メッセージ)〉を断ち切り、いつまでも幼馴染らの行方を大地の淵から探し続けそうだった少年騎兵に呼びかける。

 

「ハラルド隊長」

「モモン、殿?」

「この地にこれ以上留まるのは、危険だと判断できます。マルコさんと共に、一刻も早く、上の里に避難を」

「……申し訳ございません。モモン殿」

 

 ハラルドは立ち上がりつつ、きっぱりとした口調で、憧れの冒険者に相対する。

 

「自分は、避難しません。たとえ止められても、ヴェルを、あいつを探しに行きます」

「いや、だが」

 

 モモンが懸念を懐くより先に、ハラルドは胸の苦しみをこらえるように、表情を沈めた。

 

「あいつ、自分へ言ったわけではありませんが──『たすけて』って──言っていました。そんなあいつを残して、カワウソ殿らの危機に背を向けて、自分だけ避難するなんてことは、出来ない」

 

 勝算がある、ということはなさそうだった。

 今の彼は、武装こそ整えられていたが、飛竜の相棒という絶対的な力の象徴を欠いている状況だ。

 さらに、彼は真実、あの黒い飛竜の暴君ぶりに恐慌していたのは事実。モモンの後ろで、安全地で眺めることしかできなかった自分を、彼は心の一番大切なところで、悔やみきっているようだ。

 常識的に言えば、彼は断固として、避難しておくべき立場だ。

 いくら自分たちの土地の地下で起こった出来事とは言え、ただの素人が竜に挑むというのは、絶対に推奨されない愚考であり愚行であった。

 だが、

 

「了解しました」

 

 ハラルドの意志の硬さを、アインズは少年の瞳から感じ取る。

 強い目だ。アインズが一種の憧れすら懐くほど真摯な眼差しは、人間の持つ心の豪胆さを表しているのでは、ない。

 弱る心を自覚し、臆病に逃げる己を知って、それでも尚、前を向く。

 死に臨む道をひた走ってでも、誇りを奮い起こそうと懸命に足掻く、物語に謳われてもよい──尊敬に値する、心の在り方が、そこにはあった。

 

「よ、よろしいのですか?」

 

 自分でも止められるだろうと思っていた少年が、思わず疑問で返した。

 

「『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』

 ……君が、君自身が、誰かを助けたいと思った事実を、私は尊重します」

 

 100年前からそうだ。

 アインズは、こういう人間のことは、嫌いではない。

 こういう人材と巡り合えることが、モモンという偽装の最大の利点(メリット)だとも言えた。

 

「ですが、これより先は調査ではなく、死地に赴く覚悟を。私も、出来る限りの手を尽くしますが」

「承知の上です。いざとなれば、弱き自分など置き捨ててください」

 

 念書を残しても良いとすら、ハラルドは宣告してくる。

 覚悟のほどは十分以上。

 それを認めた英雄モモンは、すぐに下へ降りる準備を整える。ナザリックからの隠密派遣部隊の到達は、日の出前。それまでに、カワウソたちと合流できるかどうか。

 アインズは先ほどの黒竜を撃滅し、主らを守護する翼を広げた女天使を思い出して、かすかに懸念する。

 

 ミカの放った、あの光の奔流。

 たった一撃で再生の追い付かない致死ダメージを与えた、圧倒的な力。

 

 あの女熾天使。

 敵となったらひょっとすると、なかなかに厄介そうだな。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 準備を整えた族長たちは、秘密のルートを使って、直立奇岩の真下(古くは飛竜騎兵の太祖、大地を使役する力を誇った女狂戦士によって築かれたとされるが、真偽は不明)、大地の内のより深い場所に降り立つ。

 ルートというのは、転移魔法陣を使用しての〈転移〉に他ならない。

 淡い魔法の光に浮き上がる女族長の鎧姿。

 急なことで自前の武装を持って来られなかったヘズナの族長が、その背後に続く。

 

「まさか俺が、セークの“聖域”に招かれることになろうとはな」

「どうせ部族統合が進めば、ここもウルヴの管轄になる。遅かれ早かれって奴よ」

 

 二人の他にも、長年ここの管理を務めている数少ない二人の長老、ヴェストとホーコンが二人。さらに一番騎兵隊の半数になる四人が、族長らの警護のために追随してきた。

 モモンやカワウソたちが調査しているだろう飛竜の巣よりも……というか、奇岩の麓に広がる森よりさらに“下”に位置しており、この一帯で最も深い位置に赴いたことになる。

 一行の中で、唯一この場に至るのは初めてという男が、その広い倉庫のような部屋を見る。

 

「ここが、セーク部族の」

「ええ。私たちの聖域──飛竜洞(ひりゅうどう)──その空間に作られた緊急避難所にして、研究施設」

「研究施設……なるほど、これが」

 

 ウルヴが見つめる先を認め、ヴォルは頷く。

 永続光の灯る空間に、うずたかく積み上げられ並べられた資料の山。

 様々な薬品や原料……草花の乾燥したもの、粉末状にした鉱石や水晶、モンスターの身体の一部、国内で流通する治癒薬や魔法溶液。それらを適切に取り扱うための機具や装置の数々。

 

「よくもここまで集めたものだな。ウチの研究部より、量も質も良さそうだ」

 

 他にも──

 飛竜の血、

 飛竜の鱗、

 飛竜の骨、

 皮、肉、臓物、脳髄、死んだ卵、一部の飛竜が分泌できる毒……それらを適正に分類し、立ち並ぶ棚の迷路に陳列されている。

 

「ええ。先代以前から、先祖代々、脈々と受け継がれてきた私たちの研究の成果」

 

 最近の資料のひとつを、ヴォルは無造作に手にとり、そこに記載された自分の妹……ヴェル・セークに関する文言を、見るでもなく眺める。

 

「狂戦士を、『狂戦士の狂乱の血』から解放するための……研究」

 

 ホーコンという医師・研究者の手によって調合配合された薬物。妹に投与された様々な薬と、その反応行程。それらの効能の可否と深度。狂戦士化を抑止することだけに特化した、粉薬の開発について。

 ヴォルは薄く笑った。

 これこそが、ヴォルの抱える二つの秘密のうちの、ひとつ。

 

「こんなことがバレれば、私は、おしまいでしょうね」

 

 

 

 言うまでもないが。

 狂戦士という稀少な力は、魔導国においては重要な研究対象になりえる。

 実際、ウルヴ・ヘズナ──当代において完成された狂戦士と謳われる青年族長は、魔導国の研究に協力する形で、今現在の力を、狂戦士としての能力を獲得するに至った。

 ウルヴの狂戦士としての才能は、歴代においては特筆すべきものではない(それ以外の、魔法戦士としての技量は最高なのだが)。有体に言えば凡庸。悪く言えば比較的劣っていたとも言える。彼の狂戦士のレベルは、実はそこまで高い部類ではないのだ。

 そもそもにおいて、彼は適性者ですらなかったというのが実際である。

 

 

 

 ヴェルは狂戦士の適性者であるが、適性者であることが完全に幸福なことであるとは、限らない。

 部族において狂戦士が“災厄”や“死神”と畏れられ怖れられる以上の苦難が、狂戦士となった者たちには待ち受けている。

 

 特に、小さな身体のセークにおいては。

 

 ヴェル・セークは、確かに狂戦士の力を備える資質があると認められた。星読みの竜巫女──部族の未来を占う力を備えた者たちは、部族で産まれた子らに宿る力を測ること──鑑定魔法──を生業(なりわい)としてきた。

 先代巫女によって族長家の次女として生まれた娘、ヴェルの運命を見た時、巫女は断言した。

 

「この娘は、狂戦士になる」と。

 

 しかし、それは族長家と一部関係者にしか情報を共有されることはなかった。

 あの魔導国にすら、彼女(ヴェル)の力を正確に、正直に伝えることはなかった。ありえなかった。

 その理由は単純。

 巫女はさらに予言した。

 

「狂戦士となったこの娘は、長くは生きられない」と。

 

 長く生きられないのは当然だった。

 狂戦士は戦いに狂う戦士。自ら狂気を纏い、狂喜するように戦いを巻き起こし、幾多の死線を跋扈(ばっこ)し、戦場を走破し、暴れ突っ走ることを己に課した“狂える戦士”は、戦いの中で死ぬことが多い。

 その爆発的なステータス増強能力によって、文字通りの一騎当千の働きを示すことを可能にした存在……ゆえに、彼ら彼女らの人生は、苛烈かつ過酷を極める。

 文字を覚える前に剣の扱いを覚え、適性が強すぎるものになると、片手の指で足りる年齢で狂戦士の特殊技術(スキル)を発動可能。そこまで成長してしまえば、その狂戦士の一生は決するとされる。──「戦いの中で死ぬ」という宿命。それが、狂戦士が勇武の一族で尊重され信仰を集める理由にもなりえた。齢幾許(よわいいくばく)の少年少女が戦乱で疾風怒濤(しっぷうどとう)の如く暴れ狂い、己の乗騎となる相棒の飛竜と共に戦場を馳せる姿は、かつて信仰を集めていた飛竜騎兵の遥かなる太祖を思わせたという。

 無論、狂戦士であるからと言って、すべての戦いを無傷に終えられるという保証にはなりえない。

 むしろ狂戦士であるが故に、若い少年少女が狂乱と暴走の果てに、無茶な特攻をしかけることで、相手の陣中で孤立し、そのまま圧倒的な数と智略と魔法を頼みに蹂躙され、屠殺されるのがたいていの末路であった。晴れの初陣で狂乱の余り敵味方の区別がつかなくなり、やむなく両陣営が“共闘”して、狂戦士の子を殺戮するなどという事態まであった。

 

 故に、狂戦士になった飛竜騎兵の平均寿命は、20年にも満たない。

 

 さらに言えば、狂戦士の適性を持つことと、狂戦士の肉体を持つことは、必ずしも合致しないことが厄介の極みであった。

 その代表例こそ、ヴェル・セーク。

 今代において生まれながら、その力を隠された狂戦士の乙女。 

 彼女はセークの部族の特徴である小身矮躯の肉体の持ち主で、女としての特徴は確かに豊かである(つまり、彼女の肉体はすでに成熟・完成形だと言って良い)が、それ以外は狂戦士の暴走に耐えられるほどの頑健さからは程遠かった。

 

 ありていに言えば、ヴェルは小さすぎるのだ。狂戦士でありながら。

 

 狂戦士は確かにステータスを爆発的に飛躍させるが、それによる“副作用”とも言うべき肉体への反動が膨大になる。この異世界における人間種は、確かにすさまじい身体能力を獲得し得るポテンシャルを秘めているが、それでも狂戦士の能力を発揮することは、様々なリスクを伴う。

 狂乱中の記憶混濁をはじめ、無茶な肉体使用による戦闘で、骨が折れ、筋肉や腱が断裂し、それでも尚暴れ狂い戦う性質を発露する狂戦士は、慣れていない段階=幼少期で狂戦士化すると、とても酷いことになる。

 実際、狂戦士の適性が強かったヴェルは、幼すぎる時分で初めて狂乱した時……ただの子どもの癇癪が引鉄(ひきがね)となった時には、意識障害や全身骨折、各種神経系統への過負荷(オーバーロード)によって、一年もの間、ベッドで寝たきりに陥ったこともあった。そこから回復できたのは、両親や姉、“相棒(ラベンダ)”の介助の成果であり、邸の世話人としてセーク家に随従する当時の一番騎兵隊の協力があったればこそ。

 

 ある意味、狂戦士は己の身体に爆弾を抱え込んでいるようなものとも言える。

 爆弾を起爆させた衝撃で敵を蹂躙する力を発揮するが、当然、その爆発の衝撃で自分自身も傷つきかねない。故に、その瞬間に起こるステータスの爆発的増幅に耐えられるだけの体格・骨肉・神経、さらには脳髄の耐性──精神力も必須となるのだ。これらの条件をすべてクリアすることで、狂戦士は真の強者として君臨するに値する。その数少ない実現例であり、当代において“公式”な狂戦士と認められているのが、セークと対をなす部族の長──筋骨隆々、魁偉なる見た目で理知に富んだ族長たる若人(わこうど)──あのウルヴ・ヘズナであった。

 ウルヴ・ヘズナが狂戦士としての力を十全以上に発揮し、驚くべきことに壮健な長として生き続けているのは、彼の天賦というよりも、彼自身の持つ生来の体格と骨格が十分適格であったことと、それとは全く反対に、彼の狂戦士としての適性・才覚はそこまで卓抜した──あまりにも突出し過ぎた──領域で“なかった”ことで一定の均衡が保たれていることが影響していた。

 

 狂戦士の力は、多くの飛竜の死を吸った者……飛竜の血肉を摂取した者に、時折だが顕現することが確認されている。

 族長家は長という立場から、飛竜の血肉をより多く下々の騎兵たちから供出される伝統があり、それが転じて、飛竜の力が集束・集積が限界まで積もり積もった時に、狂戦士は誕生するとされる。

 しかし、狂戦士の力は諸刃の剣以上に、危難を呼び込む“災厄”の象徴ともなりえた。

 故に、狂戦士の存在を“忌み子”“呪われた騎兵”“飛竜の怨念を宿せし者”と呼ぶ風習が、ヴェルの生まれたセーク部族に存在したのは、仕方のない因果ですらあった。

 

 狂戦士のレベルを獲得できることが、それが即ち狂戦士の肉体を得られるということと一致しないのは、ひとえにユグドラシルの法則からは外れたシステムであることが原因だろうと、魔導国──アインズ・ウール・ゴウンその人は、様々な調査や実験を重ねることで判断している。

 

 これと似たような事例だと、本来のシステムだと高レベルプレイヤーのみが取得可能なはずの一部職業(クラス)”忍者”や”呪われた騎士(カースド・ナイト)”の職業レベルを、現地の低レベルな人間が獲得できることが挙げられる。

 

 飛竜は本来、狂戦士の職業レベル獲得にはまったく関係のない存在。

 でありながらも狂戦士が発生するメカニズムを補完する上で、そういった制約ないしは不具合が生じた可能性は否定できない。ゲームでバグを利用してチートプレイを敢行したら、正常なプログラムが働かなくなったようなものとも解釈されているが、真相は未だに闇の中。飛竜騎兵の部族が信じているように、単純に戦いで死した先祖や飛竜たちの怨念が……と判断するのは、かなり微妙なところだと思われる。

 

 

 

 ユグドラシルにおいて狂戦士(バーサーカ―)という職業(クラス)は、そこまで人気のあるものではなかった。

 転職に必要な各種高位ドラゴンの遺物(ドロップ)……血肉などのレア度もそうだが、狂戦士(バーサーカー)の最大レベルで習得できる特殊技術(スキル)についても、割と微妙な部分が多い。

 取得してすぐのLv.1だと、せいぜいが「狂気」発動罹患中……アバターの暴走中は、攻撃ステータス値1.1倍、防御ステータス値0.9倍という、なんだか微妙なもの。

 最大のLv.15で発動できるスキルを使用すれば、確かに全ステータス合計値を、物理攻撃や速度に“全投入”という破格の強化が期待できる(そのため、防御や総合耐性のステータスは当然0となる)が、その代償として、自己アバターの操作性は「狂気」によってオート化され、発動効果中は敵に当たって砕けることができればよい方。……最悪、狂乱したアバターは明後日の方向に向かって暴走するだけで、無敵に近い攻撃力も、当てられなければ意味がない。よほどの至近距離かつ相手と暴走する自分を結びつける“細工”をしていなければ、悉く無用の長物と化す特殊技術(スキル)なのである。おまけに、これの発動条件のひとつは、「自己残余体力(HP)を一定時間で消費し尽くす」=「発動中に相手を倒せなければ死ぬ」という過酷な状況に陥ることを強制されるため、よほど狂戦士(バーサーカー)という職業を使いこなせる自信があり、攻撃に特化した戦士になることを望まない限り、大抵のプレイヤーにとっては取得しようと思わない部類の職業(クラス)であったのだ。

 

 

 

 そんなことは露ほども知らず、当時のセークの一番騎兵隊や長老会は、族長たっての希求により、長らく続けていた『狂戦士の封印』……つまり、「ヴェルを狂戦士という存在にならないようにするため」……の研究を秘密裏に継続・加速させ、その甲斐もあってか、ヴェルは狂戦士の平均寿命に差し掛かった今でも、正常な肉体をもって、部族随一の騎乗手としての名を轟かせた。

 これは、ある種の奇跡とも言えた。

 たいていの狂戦士は、五体満足で生きることは難しい。

 戦乱に身を投じて四肢や肉体を一部欠損するのは勿論、強引なステータス増幅の反動で神経に永続的な麻痺が残ったり、重要な五感能力に不具合が生じたり、……もっとも悲惨なのは、精神が崩壊して短い寿命が尽きるまでをベッドの上で過ごすしかなくなるというのが、大人にまで成長した狂戦士の常であった。

 これらは魔導国への臣従に伴い、医療機関の治癒や薬の投与を受けて、ある程度の回復が見込める。

 だが、そもそもにおいて、魔導国治世下での狂戦士の完全研究例が少なすぎる(たいていの狂戦士は、研究途中で死亡する)こと、強力な狂戦士の暴走を押し止めるのはかなり難しいこと、あまりにもひどい副作用の症状に対し適正な治癒や蘇生を行える神官や魔術師の手が部族の領地には足りないこと、……寿命問題のように──たとえ魔導国であろうとも──実際として解決不可能な問題が存在していることなどの諸事情から、セークの先代族長……ヴェルたちの父は、娘を狂戦士にしない・させないための研究──狂戦士の能力を封印する事業に邁進することになった。

 

 これは、魔導国の臣民としてはあり得ない、立派な背信行為である。

 少なくとも、先代族長……ヴェルの父たちは、そう認めるしかなかった。

 

 ウルヴ・ヘズナのように、狂戦士は狂戦士としての力を発揮する──遅咲きだろうと才能を開花させることが、魔導国の基本方針であった。魔法の適性有無に関する鑑定や、生まれもっての異能(タレント)を持つ臣民を探査する事業が、それを証明している。

 

 狂戦士になりえるのなら、狂戦士にさせるべき。

 セークの先代族長は、そういった国の方針から“逸脱”し“反転”する事業を目指したのだ。

 

 ──才能を目覚めさせるのではなく、才能を消し去ってしまうための事業を。

 

 当然、『狂戦士の力の封印』という研究は、魔導国に一切秘匿された。秘匿性を上げるために、ヴェルは出生時から長い間、族長邸にある件の秘密部屋……内部で起こったことを外に漏らしにくい特殊な魔法の部屋での養育が始まり、彼女が狂乱した時にも、秘密部屋の機密性と頑丈度によって、里への被害は皆無となった。ヴェル本人の才能によって、ヴェルの狂戦士化は彼女の弱く幼い肉体を容易く蹂躙し、それを封じ込めるたびに、両親はベッドの上で動けなくなった娘に謝罪し続けた。「何もしてあげられなくて、ごめん」と。

 両親の愛は、速やかにヴェル本人の理解するところとなり、彼女もまた両親や姉を愛し、家族同然の一番騎兵隊の皆や長老を敬い、相棒となってくれたラベンダを、里を、部族を、心から愛した。

 

 

 

「本当に──ヴェルは、あの子は、いい子よ」

 

 セークの族長にして彼女の姉である竜巫女、ヴォル・セークは知っている。

 最初の狂乱の原因を作った姉のことを、妹は心の奥底から慕ってくれていることを。

 くだらない独占欲と反抗心で、妹に両親をとられたと勘違いした当時10歳の自分(ヴォル)のせいで、3歳だったあの子は最初の狂乱を経験してしまい、それがきっかけとなったかのように、妹は事あるごとに狂戦士の呪縛……能力に苛まれ続けた。

 そんな出来損ないの姉を、妹はいつだって、頼ってくれた。愛してくれた。

 だから、父母や巫女が戦死し、三等臣民へ階級を回復させた後も、ヴォルは研究内容を引き継ぎ、妹が完全に狂乱しないように、普通の飛竜騎兵として生きる道を歩ませるべく、あらゆる手を尽くしてきたつもりだ。

 その甲斐あってか、ヴェルは父母の死後に少し狂乱した後は、実に10年近く、狂戦士化の暴走とは無縁の生活を送れてきた(カワウソたちに「ヴェルの暴走が初めて」などと語ったのは、当然の如く、嘘。”ここ10年ではじめて”という意味では真実となる)。

 

 なのに、ヴェルは国の式典への招集を受けた後、その演習中という最悪に近いタイミングで暴走──本当に最悪なのは、多くの報道や衆人環視の目があっただろう式典当日だったのだから、それを思えばまだマシだったのだと納得するしかない──し、おまけに奇妙な連中、カワウソという謎の男に保護されるという、厄介極まる状況に陥ってしまい、そうして、今現在に至っている。

 

「あの子は、狂戦士になんてならなければ……狂戦士の力なんて」

「狂戦士の俺を前にして、それを言うか?」

 

 部族違いの──それ故に、長く秘密の関係が続いていた──恋人の軽口に、ヴォルは軽く返しておく。

 

「あんたはヴェルとは違って、才能がないから助かってるんでしょ?」

「ハハ。まぁな」

 

 ウルヴは確かに当代で唯一の狂戦士と認知されるようになっているが、実のところ、狂戦士に関する才能は極めて低いレベルに位置しており、幼少期に受けた占い(鑑定)では、才能をもっているとは見做されなかったほどだ。

 彼が狂戦士としての能力を現したのは、数年前。

 彼が20の頃に行った魔導王陛下の観覧する御前試合の“後”に、急遽ナザリックから招集を受けたことで、彼は新たな“狂戦士”としての才能を唐突に開花させたのである。

 

「ここはまるでナザリックの研究所……それに近い感じだな」

「噂だと、ナザリックの地下には、”空”があるらしいわね?」

「ああ。アレはすごかった……地下大墳墓というのが本当かどうか、本気で怪しんだものだが、青空に壁や天井があるのを見たらなぁ」

 

 彼はそこで、狂戦士育成のための措置──狂戦士転職用のレアなアイテムをあたえてみた結果として、今のレベルを獲得したのだが、それは彼自身の自覚するところではない。ただの実験として、ヘズナの部族長にそういった措置が講じられたのだとは、本人の与り知るところではない。

 

「ヴォルにも見せてやりたかったくらいだ。巨大樹や湖を望む街に、周りの熱帯雨林(ジャングル)

「本当、一度は行ってみたいわ。一等臣民の中でも、限られた人しか歓迎されない不可侵領域というナザリック。……いくらウルヴがヘズナの族長で、あの御前試合で優勝したとしてもねぇ?」

「おかげで、俺の隠された狂戦士の才能も──いや、今これは、言うべきじゃないか?」

「気を使ってくれて、どうも」

「ああ、うん──そこで数値化された強さで言えば、“狂戦士レベル3”らしいからな。俺は」

「3って、また微妙な数字…………れべる?」

 

 ヴォルは、彼が何の気もなく呟いた単語の中に、最近聞いた気がする何かが含まれていることに気づいた。

 思わず、その単語を反芻する。

 

「れべる──? れべる……って」

 

 それは、確か。

 時刻としては、昨日。

 朝餉の後、はじめてカワウソとミカ、マルコと卓を囲み話し合った、あの時に──

 

「……ヴォル? どうした?」

 

 訊ねてくる男に応える間も惜しんで、ヴォルは情報をあらためる。

 ヴォルは聞いたことがある。

 今、ウルヴから聞く前に……“れべる”という言葉を。

 脳内で、その時の会話を、ありありと、思い起こせた。

 

 

 

 ──「その秘術、鑑定というのは“数字”を見るのか?」

 ──「数字?」

 ──「たとえば、こう──狂戦士Lv.(レベル)1とか、Lv.(レベル)2とか」

 

 

 

 そうだ。

 あの時に。

 あの黒い男(カワウソ)から、聞いたのだ。

 

「え、そんな……じゃあ……」

 

 彼の正体、は。

 

「まさか、──カワウソ殿、あの方々は、ナザリック、魔導国首脳部、上の、方々……いえ、それ以上……?」

 

 冷汗が全身から吹き上がる。

 それならば、色々なことに説明がつくのだ。

 黒い男(カワウソ)のデタラメな強さ、装備されたアイテムの質、罪人たる(ヴェル・セーク)を保護した理由、ミカという見目麗しい従者、一等冒険者が実力を買って協力を取り付けた事実……すべてにおいて納得がいく解を得られる。

 間違いなく、彼と彼の従者は、国の枢要に近い。

 ある意味、一等冒険者をも超えた位階にいるだろう人物に違いない。

 ハラルドが言っていた『噂に聞く魔導王陛下の親衛隊』という仮説──それに限りなく近い、否、それ以上の位置にいてもおかしくはない。

 ありえないと思った。

 だから、その可能性を頭から切り捨てていた。

 そんな存在が、まさか市井(しせい)を……飛竜騎兵の領地という片田舎も同然な土地を訪れるなど。

 

「なら、彼の、彼等の目的は──」

 

 言うまでもなく、飛竜騎兵の、セーク部族の、ヴェルという秘匿された実力者……“狂戦士”に対する、内偵?

 それ以外の何があると?

 他にありえるのは、ヴォルが、現族長が秘密裏に行ってきた、妹の才能を封じるための研究を知って?

 旅の者というのは方便か。しかし、そんなことなど、もはやどうでもよい。

 急いで事実確認をすべきか。

 ……。

 いや。

 いやいや。

 そんなに慌てるな。

 まだヴォルの勘違いや聞き間違いという線も、少なからずある、はず。

 ただ彼は“れべる”という単語を知っているだけ。ウルヴと同じように、ナザリックで特別な強化を施されただけの臣民という可能性も。

 だが、でも……

 そうやって湧きあがった懸念と懸案に意識がグルグル渦を巻いていった、その時。

 

 大地が激震する、そんな音が上の方から聞こえた。

 

「なに?」

 

 その場にいるほぼ全員が頭上を見上げる。

 

「今の音は?」

「……戦闘の音、か?」

 

 だとしても、一体だれが、何が……と思った矢先で、モモンやカワウソらが行っている飛竜の巣への調査──黒く病的に染まった飛竜の有無を確かめるべく派遣された事実を思い起こす。

 

「まさか、巣にいる彼らが?」

「にしても、この音は近いぞ? 巣はずっと上の方、奇岩の中腹にひとつだったよな?」

 

 ウルヴの主張は確かだった。

 が、ヴォルは最早それどころではない。

 何にしても、一刻も早く、彼等と合流しなければ。

 ここに向かったやも知れない、ヴェルのことも探さねばならない。

 

「これから、上の確認に行く。皆はヴェルの行方を」

 

 探すように部下たちに命じようとした時、

 

 

 

「それは困る、族長」

 

 

 

 異を唱えられた。

 ヴォルは疑念しつつ、その声の主を見やった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 堕天使は微睡(まどろみ)の内に、夢を見ている。

 

 

 

 

 

 それは過去。ユグドラシルをはじめたての頃。

 

 

 

 

 

 天使という異形種を選択した、ゲーム初心者だったカワウソは、当時流行していた異形種狩り(モンスター・ハント)と称されるPK(プレイヤーキラー)に遭い続けた。

 異形種PKによってのみ得られるポイントを獲得することで、レアな転職(クラスチェンジ)がユグドラシルに実装されたがために、人間種のプレイヤーは徒党を組んで、ソロで活動する異形種プレイヤーを巧妙に“狩って”いた。

 特に友人も知り合いもない……当時、破格の自由度で好評を博していたゲームに乗っかった程度の浅知恵で始めたカワウソは、何となく強そうな天使種族をスタートと同時に取得した結果、ユグドラシルのゲーム世界の探検に赴き、

 結果、酷い目に遭った。

 

「異形種が」

「キモいんだよ」

「マジこんな、人間の形じゃないアバターの何がいいんだ?」

「天使なんて選ぶとか、どんだけ自意識高いんだよって話~?」

 

 嘲弄のアイコン──嘆息を吐く表情や舌を出した表情が、PK連中の頭上に浮かぶ。

 光の輪と玉に羽が生えた程度の外装だったカワウソを、同じゲームのプレイヤーが数人で取り囲んでいる。

 

「…………」

 

 やめようと思った。

 

 確かにゲーム内の世界は、環境破壊が進みまくった現実世界にはない大自然が生き、城や都市、ダンジョン、徘徊するモンスター、美麗かつ派手な魔法やスキル、そして、自分のアバターなどをはじめ、様々な作り込みを自分でイジり倒せるというのは、グラフィック……デジタル絵を描くことが幼い頃からの趣味らしい趣味だったカワウソには、かなり魅力的なゲームに思えた。

 だが、そういった作り込みをするには、馬鹿みたいな課金額を月額無量ゲームにつぎ込むか、あるいはレアなフィールドに赴き、そこにいるモンスターを狩ったり、ダンジョンボスを攻略したりするなどして得たデータクリスタルを使う……つまり、運営の言う“冒険”の先にしか、ありえなかった。カワウソは当時、無課金だった。

 カワウソは、最初の街──善良な天使種族のホーム地点である光の都から飛び出し、レベルを適正なところまで上げ、装備やアイテムを整え、金貨も充分に蓄えて、意気揚々と冒険の旅に出かけて…………そうして、PKに遭いまくった。

 せっかく積み上げた天使種族と職業レベルが、死亡処理(デスペナ)で激減し、せっかく揃えた装備やアイテム、金貨もすべてPK連中へのドロップとして失い、やがて最初の街に戻ることすら危険な状況に追い込まれた。もはや、まともにフィールドのモンスターを狩ることすら不可能なレベル(5レベルダウンあと二回でプレイヤー消滅という領域)となり、完全に身動きが取れなくなった。近場のPK禁止エリアの街に向かおうにも、その直前で“網”を張った連中に追い回されるのがオチだと、これまでさんざん経験している。

 カワウソは胸の奥で溜息を吐く。

 現実に戻ったら、アカウントを削除して……いいや、ユグドラシルのゲームアプリをアンインストールしてしまえば、それで済む話か。

 それで、このゲームとはおさらばだ。

 そう思った直後。

 

「…………?」

 

 天使を囲い嬲り殺しにしてきた連中が、いつまでもトドメを刺してこないことに気づいた。振り返る。

 斧を振りかぶった重厚な全身鎧──そのアバターに、光り輝く刃の軌跡が。

 驚き慄くカワウソと、PKプレイヤー。

 連中は突如として現れたPKK(プレイヤーキラーキラー)の集団12人に狩られ、死亡した。

 

「えと、大丈夫ですか?」

 

 地に這いつくばる最弱の天使に、幼げで可憐な少女──両手剣を持つ、騎士の声が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──それが、カワウソのかつての仲間たち、旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)のリーダーや(メンバー)との、出逢いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ黒な崩落。

 ミカの白い翼に包まれた、その後。

 

「う…………うん?」

 

 カワウソは目を覚ました。瞼が熱い。

 視野はとても暗いが、堕天使の眼には真の闇ではなかった。

 大きな水面に、一滴の雫が跳ねる音まで聞こえるような、無音の中。

 硬い岩肌の感触とは程遠い……羽毛のようにふわふわとした、感覚。

 

「お目覚めですか?」

 

 聞き慣れた女の、固い声。

 見上げたそこには、女天使の(しか)めっ面。

 

「……おはよ?」

「おはようではございません」

 

 何でこんな至近距離で睨まれて、と考える内に、カワウソは気づいた。

 

「……って、ああ、すまん。痛かったか?」

 

 カワウソは、自分が枕に──というかベッド代わりにしていたものを察して跳ね起きた。

 暗い地下空洞の岩床の冷たい感触からは程遠い、高級な羽毛布団の感触は、ミカが広げた翼──その片方がカワウソの身体をベッドのごとく包み込んでいたのだ。まるで膝枕で太腿が痺れたような仏頂面を浮かべる女天使に、堕天使は心から謝罪しておく。

 

「本当に、すまん。俺、気を失って?」

「その通りであります」

「……何があった……ああ、思い出した」

 

 あの黒い飛竜。

 いや、あれは俺のせいじゃない気が──と言おうとして止めた。

 そんなことを考えて言い繕っている場合でもない。

 

「ここは、何処だ?」

 

 カワウソはぼうっとする視界をこすって、眼を見開く。

 眠っていたおかげか、心持ち精神にゆとりができたような気がする。

 暗い空間の中、ミカという天使の輪郭が鮮やかに写っているのは〈闇視〉のおかげだ。闇を見透かした先は、天井までの高さがとてつもない、巨大な洞窟。

 カワウソたちは、洞窟の中の巨大な水たまり……地底湖の湖畔の一角に、腰を下ろしていた。

 ミカはカワウソの寝転がっていた片方の翼を撫で梳きつつ、粛然と答える。

 

「先ほど〈伝言(メッセージ)〉でマアトに確認した限り、ここは直立奇岩のさらに下層に位置するとのこと」

「さらに、下層?」

「麓に広がる森よりも、下の位置だと」

「直立奇岩の根っこの部分か? モモンやマルコたちとは?」

「だいぶ深く下に落ちた上、あの黒い肉腫が上を塞いでいるようなありさまなので、ここには。ですが、彼等は三人とも無事です。マアトの監視で確認できました」

「そうか。それなら……時間は、わかるか?」

「おそらく、三時間ほどが経過したものと」

「三時間か」

 

 とすると、夜明けはまだのはず。

 

「……ヴェルとラベンダは?」

 

 ともに崩落に巻き込まれたはずの狂戦士たちを気に掛ける。

 ミカは、カワウソが寝転がっていたのとは逆の……左側の翼に、視線を移す。

 カワウソが目で追った先に、確かに少女らは、いた。

 そして、堕天使は思わず吹き出しかける。

 堕天使がしていたように、ヴェルもラベンダも、白い羽毛が心地よい天使の翼を揺り籠として、子どものような安らかな吐息をたてて、深い眠りの世界を漂っていた。ミカの熾天使(セラフィム)の翼は、ある程度まで伸縮拡大を容易に行える上、それ自体が一種の防御手段足りえる“盾”となるほど頑強だ。見た目は巨大で、実際に人の数十倍の重さを持つ飛竜の全身を包み込んで地面から浮かせることも、ミカの力量ならば容易なようだ。

 

「……何か?」

「いや、別に」

 

 案外、優しいところもあるようだ。

 ミカは毒舌だが、カルマ値で言えば極善属性……ギルドNPC第一位の500になるのが影響しているのかも。

 彼女らに巻きついていたカワウソの鎖が解かれているのは、発動者であるカワウソが気を失ってしまったが故に、発動がキャンセルされたようだ。これは、ゲームと同じシステムだと言える。そうすると、厄介なことになる。

 この狩人用の鎖(レーディング)は、仕様上、一度「拘束」から抜け出した対象を捕らえ直すことができない(少なくとも丸一日は同対象への再使用不可)というデメリットが存在した。ハラルドたちとの初戦闘で、彼等が拘束を抜けた直後、カワウソが騎兵隊連中を拘束し直さなかった最大の理由が、そこにあった。

 

「一応、あの黒い飛竜の崩壊は、私の方で防御しましたが、あの残骸に身を浸し続けるのも嫌でしたので、ここまで強引に脱出を。あの時──命令があるまで待機しておく方が正しかったやもしれませんが、あの場では命令をいただけそうになかったので、自己の判断で動きました。平に、御容赦を」

 

 熾天使の女は慇懃無礼な口調で、主人の及ばなかった部分をあげつらうでもなく首を垂れる。

 その面差しは、反省とは無縁そうな印象が根強かったが、言葉にこめられた真摯さは、ミカが勝手な行動をした自覚を懐いていることの証左となる。

 

「いや。正直、たすかった」

 

 ありがとうと、素直な感謝をカワウソは紡いでおく。

 確かに、あの場でカワウソがミカに何の指示も命令も与えられなかったのは事実。

 それがミカの行動を縛り、即座の戦闘行為に及ぶべきか否かを迷わせた不徳は、カワウソの失態だった。もっと的確な指示を出し、カワウソの護衛に努めさせれば、あんな無茶をすることはなかったかもしれない。

 女天使は瞼を伏せ、僅かに首肯するのみで、それ以上の主張を表すことはない。

 

「それで。二人──ヴェルとラベンダの容体は?」

「現在、彼女らは「昏睡」の状態異常のおかげで、「狂気」は外れている様子。ですが、回復し覚醒したらどうなるのかは」

「わからない──か」

 

 それを警戒して、ミカは彼女らを即座に翼で押し包める位置に置いているのか。ミカには相手を一瞬ながら拘束させるアイテムがあるが、カワウソの狩人(ハンター)のように、長時間の「拘束」「緊縛」を保つための職業(クラス)レベルは与えられていない。天使の後光(エンジェル・ハイロウ)の畏怖効果を使っても「狂気」状態の相手では万全に機能し得ないだろうから、いざその時になれば、己の得意とする翼を使って封じ込めるというのは、理に適っている。

 

「ミカ。おまえの“正の接触(ポジティブ・タッチ)”で」

「上位の状態異常を治す場合、かなりの秒数を必要としますが?」

 

 それこそ、初期の基礎的な状態異常「毒」や「麻痺」であれば、数秒の接触で快癒可能。

 だが、「狂気」や「昏睡」はさらなる接触時間が必須。

 つまり、天使の手に触れられることによって発動する“正の接触”、その状態異常治癒効果は、単純な体力(HP)回復とは違い、あくまで接触状態を維持できた時間に限られるため、途中で接触から離れる行為……回復対象が移動したり戦闘したりすれば、それまでの状態異常治癒はすべてキャンセル扱いとなる。

 

「う……」

 

 カワウソは身構えた。

 反射的に手元に転がっていた聖剣を構えるが、ヴェルは身動(みじろ)ぎをしただけ。

 

「──ここで悩んでいても意味ないか」

 

 カワウソはアイテムボックスを開き、回復や蘇生アイテムの保管場所を念入りに探る。

 取り出したのは、全状態異常(オール・バッドステータス)治癒効果の治癒薬(ポーション)。ただの下位治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)よりも価値がある程度のものに過ぎない。

 

「俺の持ち物(アイテム)が、現地人に使えるかどうかの実験にもなる、よな?」

 

 そう自分に言い聞かせることで、とりあえずの大義名分を得ておく。

 治癒薬の蓋を開け、眠り姫のごとく横たわる少女並みの体躯しかない成人女性の身体を支え、ビンの中の真っ赤な溶液を口内に流し込む。

 薬の効果は覿面(てきめん)だった。

 ヴェルの苦悶は消え去り、清々しい表情を浮かべ、かすかに開いた眼でカワウソたちの瞳を見つめ返す。「昏睡」から完全に回復、覚醒した。

 

「狂戦士化はおさまっているな。ユグドラシルの治癒薬も、現地の人間には有効なわけだ」

「カワウソ……さん?」

 

 何だか久方ぶりに見る気がする、ヴェルの理性的な瞳。

 

「気分は、どうだ?」

「……よくない、です」

「どう、よくない?」

「……すごく、怖いです」

「何が怖い?」

「……わかりません、ただ……あの」

 

 状態異常とは違う症状か。

 なるほど、状態異常治癒の治癒薬だけを摂取することで、何の恐怖も不安もない……麻薬中毒者みたいな生き方はできないようだな。実に健全な異世界である。

 だとするならば、カワウソの恐怖心や不安感も、一応は、正常な精神活動なのだと心得ておくしかない。

 ヴェルは、ミカの翼の上で上半身を起こす。

 キョロキョロと辺りを見渡すが、カワウソやミカと視線が合わない。

 

「えと、ここ、は? その、暗くて、何も」

「ああ、そうか」

 

 いまさらなように思い出す。カワウソは闇視(ダーク・ヴィジョン)によって視野を確保しているが、この地底湖には光源などない。ボックスを探り、手頃な大きさの永続光のランプを取り出し、明かりを灯す。

 ヴェルが明るくなった視界に驚愕を露にする。

 

「嘘……ここって、飛竜洞(ひりゅうどう)?」

「飛竜洞?」

「セーク部族の、聖域です。大きな地底湖だって話を……あと、族長の「鍵」による転移魔法がないと、侵入はできないとか……亡くなった巫女の叔母様が」

 

 地底湖という特徴を、ヴェルは聞いて知っていたらしい。

 聖域とやらについては何も知らないカワウソは、とりあえず確認を行う。

 

「奇岩の一番下あたりなのは間違いないが……というか、おまえ自分たちが上から降りてきたの、覚えているか?」

「……なんとなく、覚えてます」

 

 スキル発動中のデメリットのせいで、記憶に整合性を見いだせないのだろうか。

 

「ヴェル、おまえがはじめて狂戦士化したのは、いつだ?」

「えと……あの、お話できません」

 

 妹に何も言うなとでも口止めしたか?

 彼女の姉が語っていた「暴走は演習の時にはじめて」という話は、嘘か。

 これは、女族長らをどこまで信じられるか、怪しくなってきた気がする。

 カワウソは「そうか」と言って納得しておく。

 

「おまえの部族……家族や仲間は、ずっとおまえを、おまえの力を隠してきたのか?」

 

 状況的に、それ以外ありえない。

 カワウソの指摘を、ヴェルは鉛球を飲むように肯定する。

 

「……はい。狂戦士は、災厄の凶兆……それ以上に、私たちの部族だと、一度暴走し始めると、止めるのがすごく大変ですから」

 

 もっと早く、ヴェルに直接聞いておくべきだったな。そう反省するが、だとするとどうして女族長は嘘をついたのかが気にかかる。何か理由があっての事。だとすると、やはりカワウソたちを信頼できないからか、──あるいは。

 

「まさか魔導国にも、隠されていたんじゃないだろうな?」

 

 ヴェルは曖昧に視線をそらした。その態度がすべてを物語っている。

 

「アインズ・ウール・ゴウンにまで秘密にしなければならない情報だっていうのか、おまえが?」

 

 狂戦士は応じない。

 カワウソは呆れてしまう。

 

「──随分と御立派な仲間たちだな。おまえの力を、しっかりと管理できない──いや、管理する気がないのか?」

「それは違います!」

 

 一拍も置かず、ヴェルは噛みつかんばかりに怒鳴った。

 

「お姉ちゃん──族長やヴェスト、ハラルドや一番隊の皆、長老たち……皆が、私の力を封じるために頑張ってくれているんです! だから、私はこうして、今も生きていられるんです! 馬鹿にしないでください!!」

「──どういうことだ?」

 

 力を封じる。

 その一言が引っかかった。

 カワウソは、隠しきれなくなったヴェルの口から、彼女の姉たちが成そうとしている事業──『狂戦士の力の封印』の研究のことを暴露され、愕然となる。

 

「それは、狂戦士の封印……というよりも、『死亡以外でのレベルダウン手段』その模索というのが近い、のか?」

 

 顎に手を添えて色々と思案にふけるが、明快な解答はない。

 こればっかりは、現地人のヴェルの知識では答えようがない(彼女本人もそこまで頭がいいわけではないらしい)。カワウソにしても、本当にそんなことが可能なのか疑問が尽きない。

 この世界でもユグドラシルのアイテム──治癒薬(ポーション)は機能する。ならば、復活手段や蘇生魔法も十分に機能できるはず。勿論、狂戦士の力量(レベル)を落としたい──ただそれだけで、家族や仲間を“現実に殺す”なんて手段をとるのはありえないだろう。ゲームじゃあるまいし。

 

「ああ、すまん。俺が悪かったな。

 家族を──仲間を馬鹿にされたら、黙っていられないよな?」

「……いえ。こちらこそ、つい熱くなって」

 

 情愛の深い乙女は、カワウソの浮かべた微笑に俯いてしまう。そんなに酷い笑顔だったか。

 何にせよ、『仲間を大事にしたい』という思いは、カワウソにとっては重要だった。

 

「まぁ。……俺に仲間なんて、もういないけどな」

 

 脳裏に思い描くのは、あのナザリック攻略に失敗し、散り散りとなった旧ギルドの皆。

 PK地獄に遭ったカワウソを救い、ギルドの一員に迎え入れてくれた、はじめての仲間たち。

 ヴェルは明らかに困惑した。自分を魔法のような翼で包み込む女騎士を、彼女は見つめずにはいられない。

 

「え、でも……ミカさんは? カワウソさんの仲間じゃ?」

 

 堕天使は、素でNPCを仲間扱いしていなかった自分に気づいた。

 

「えと、ミカは仲間というよりも」

「私は、カワウソ様のシモベです」

 

 ミカは自ら発する冷淡な声で、主人と自己との関係性──シモベの立場を明確にする。

 カワウソはとりあえず「そういうことだ」と言って、場をとりなした。

 

「家族や仲間は、大切にした方がいい……いや、してくれると俺は嬉しい」

 

 それを聞いたヴェルは、何故だろうか表情を沈め、口元を押さえてしまう。

 この時、カワウソは一体、どんな表情をしていたのだろう。

 地底の湖に、落滴の音が反響している。

 

「ヴェル──?」

 

 乙女の涙をいっぱいに湛えた瞳。

 それが瞬きの内に、燃えあがる。

 

「どうした?」

 

 まさかと思った瞬間、ヴェルとラベンダが悲痛な声を喉からこぼし始める。

 

「ク、ぁ……!」

 

 また狂戦士化か。

 相棒(ヴェル)に触発された飛竜(ラベンダ)が、天使の翼の拘束から逃れようと起き上がろうとする。バタバタと翼を動かすが、熾天使の翼の力の前には、完全に無力であった。

 

「ああ、くそ。落ち着け、ヴェル、ラベンダ」

 

 たまらず、カワウソはミカに命じる。

 承知した女天使の両手を、ヴェルとラベンダの頭部にあてさせ、その癒しの手の恩恵を余すことなく発揮させる。

 

「く、はぁ、はぁ……はっ──」

「落ち着いたか?」

「……はい。でも、──こえ、声が」

「声? 声って、なんのことだ?」

 

 ヴェルは語った。彼女にしか聞こえない悲鳴を……自滅を望む絶叫を。

 

「昼前、その、声が聞こえてから、ひっきりなしに、頭が痛くなって、狂戦士の……目が、鏡に」

 

 なるほど。そう頷きはするが、カワウソは狂戦士になったこともないのでわかるわけもない。

 拠点NPCの一人……タイシャに狂戦士のレベルをそれなりに与えてはいるが、果たして彼に訊いてわかるものなのかどうか。

 多分、そんなことはユグドラシルの狂戦士にはありえないはず。

 

「……その声。昼前と言うと、確か、黒い飛竜が現れた時から、聞こえるんだよな?」

 

 ヴェルはわからないという風に首を振る。

 

「まさか、あの黒い飛竜に、意志が? だが、知性があるなら、どうして翻訳が機能していない?」

 

 カワウソはブツブツ考え込む。

 この異世界の謎のひとつ──世界がホンヤクコンニャクを食べているのならば、ある程度の知性を持つモンスターとの意思疎通は容易なはず。実際、魔法都市ですれ違った霜竜(フロスト・ドラゴン)の喋った言語を、カワウソは日本語として認識し、理解できていた。彼が竜語を話していたのではなく人間語を話していたと仮定しても、この異世界の人間語が日本語と同じはずがない(街道の看板はまったく日本語ではない未知の言語だったのだ)。話される現地語が理解可能になるよう翻訳されている以上、やはりモンスターにも翻訳機能は働いているはず。

 

「モンスターじゃないのか──元々が下等の飛竜だから……いや、確かアプサラスが言っていた、アレの件だと」

「カワウソ様」

 

 ミカに呼ばれ、彼女の治癒の影響を受けている対象を見る。

 

「うう……ぐぅ、ウァッ!」

 

 病に咽ぶ少女──というよりも手負いの獣か竜じみた唸り声が、小さな身体の奥底から響きだす。

 また聞こえると滂沱の涙を溢れさせる狂戦士。

 異常現象に混沌化する乙女の意識が、徐々に狂気の侵略を受け入れつつある。

 

「……ミカ、特殊技術(スキル)の回復は?」

「機能しています。機能していますが、……これは?」

 

 わずかながら戸惑うミカ。

 癒しているはずの対象の内側から、新たな状態異常が泉の如く湧き出ているかのように、回復させるそばからヴェルの精神が軋みをあげる。

 否、心だけではない。

 

「そんな、……馬鹿な」

 

 堕天使は眼を見開く。

 少女の肉体が、手指の先がゴボゴボという音を奏で、黒く泡立ち始めた。

 小さな掌が黒い斑色に汚染され、漆黒の肉塊に変じようとしていくのだ。

 当然ながら、こんな肉体の変化は、ユグドラシルの飛竜騎兵や狂戦士には存在しない。

 熾天使の正常なエネルギーを送り出す掌を押しのけんばかりに、ヴェルは叫び、狂う。

 

「きこえる。キこえる。聞こえるんです、また。たくさん、皆が!」

 

 カワウソには、何も聞こえない。ミカもそれは同様。

 だとしたら、ヴェルという飛竜騎兵が……否、違う。

 

「狂戦士だけが、聞こえる?」

 

 そうとしか考えられない。飛竜騎兵の精鋭であるハラルドなどに同じ症状は現れていなかったのだ。

 狂戦士だけと仮定すると、ウルヴ・ヘズナ族長も同じ病態に陥ってもおかしくはないか? 獲得レベルの違いか、あるいは他の因果関係でもあるのか?

 

「──ああ、そうか」

 

 カワウソは、ひとつの結論に至る。

 ミカの“正の接触”は、体力減耗と状態異常を癒す。

 だが、ヴェルの症状──これがもしも、状態異常でないとしたなら?

 

「そうか。つまり、ヴェルは……あの黒い飛竜は……」

 

 ようやく解答にたどり着くカワウソの耳に、こことは別の遠くから戦闘の音──ヴェルやラベンダのあげる者とは別の叫喚を、聞くでもなく聞く。

 別の場所でも、何かが起こっているらしい。

 そんな呑気に状況を整理していく主人に、従者たる女天使が注意喚起を試みる。

 

「カワウソ様、御下がりを。こいつは危険です」

 

 ミカの表情が険しくなるのが、まるで手にとるようにわかる。

 

「よせ、ミカ」

 

 だが、腰に帯びた剣の柄に手を這わせるのを、カワウソは押し止めた。

 抗弁し、堕天使を睨む眼の鋭さを増す女天使は、主人の意を正確に問い質す。

 

「どういうおつもりです? 彼女が魔導国の臣民であることを(かんが)みる必要が? もはや彼女らは、ただ暴れ狂うだけの──」

 

 ミカは黙って首を振るカワウソの穏やかな様子が、まったく理解できていない。

 

「いいから。これから起こることに、おまえは手を出すな」

 

 そう言って、カワウソはミカの肩を叩いて、ラベンダも放すよう指示する。

 ミカは、主人の得体の知れない自信に溢れたような命令に、数瞬も悩み、従った。

 相棒(ヴェル)の狂気に汚染されたように、翠色の飛竜も狂乱に陥っている。そんなモンスターを解き放つよう指示された天使は、飛竜騎兵を自由にする。ひっきりなしに飛竜の言語を口腔から迸らせる飛竜(ラベンダ)は、相棒の身を案じるように寄り添った。

 呻き震える一人と一匹の眼前で、カワウソは聖剣を右手に、左手でボックス内からひとつのアイテムを取り出し準備した。

 うまくいくとは思うが、確信はない。

 ユグドラシルの治癒薬が効いた以上、これ(・・)も使えて当然のはず。

 

「ワタシ、私を、呼んで、る。私、なんで、どうして!」

 

 荒療治になるが、致し方ない。

 もはや、彼女らを拘束しておいても、根本的な解決や治療は見込めない。

 ならば、こうする以外の絶対的な解決策が見いだせないのだ。もし失敗したらと思うと、心臓が痛いほど脈を打った。

 懸命にこらえるヴェルの黒々と染まった掌が、目の前の男を追い求めるように伸ばされ──

 

「いや、イヤぁ……たすけ……カっ、ワッ!」

 

 絶叫が弾けた。

 たまらずカワウソが身を退いた空間を、跳躍して間を詰めた狂戦士の黒い五指が引き裂いた。

 真下の岩塊を真っ二つにした威力は、その余波だけで地底湖の水面に盛大な水柱を直立させる。

 それまでの鬱憤を晴らすかの如く、恐怖の根源を叩き潰さんばかりに、思う様暴れる女狂戦士。

 そんな相棒と共に、飛竜もまた叫喚の暴力を尽くし、地底湖の黒い岩肌をビリビリ震撼させた。

 今まで見た中で、もっとも悪辣に狂った飛竜騎兵らが、カワウソたちに向かって、突撃。

 カワウソは、ヴェルたちの突進攻撃に、まっすぐ、向かい合う。

 

「……第二天(ラキア)

 

 堕天使は神器級(ゴッズ)アイテム……速度向上能力を解放。

 

 足甲の表面が黒く輝く、

 瞬間、

 華奢(きゃしゃ)に過ぎる矮躯の中央──救いを願った乙女の胸元に、カワウソは白い剣を突き立て、赤い華を咲かせた。

 

 あまりの超速に、狂戦士も、その影響を受けていた飛竜も、まったく感知不可能な速度で、ヴェル・セークの狂い暴れる血潮──心の臓腑が、その勢いのすべてと共に、断たれる。

 

「……あ、……あ?」

 

 乙女の吐息が(こぼ)れる。

 刹那、狂気が潰え、生気までも失せた瞳が、自分の胸元を抉る凶器を、次いで、カワウソの表情をまっすぐに見つめ返し、まるで恋に落ちたかのような笑みを浮かべ、あらゆる生命の糸が(ほど)けたかの如く……事切れる。

 抜き放った白い剣が、鮮血の尾を引く。

 

 

 

 ヴェル・セークは、カワウソの胸の中で──微笑んだまま──絶命した。

 

 

 

 少女としか見えない女狂戦士の骸を、カワウソは右腕の力だけで支え抱く。

 眼を半開きにして死んだ彼女の、噴き出る血で赤く濡れていく普段着の胸元に、カワウソは左手に握っていたアイテムを──神聖な光を零す短杖(ワンド)を突きつけ、起動させる。

 周囲に溢れる、生命力の輝き。

 

 そのアイテムは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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