オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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解決編
ですが……一話で40000字超えるほど長くなってしまったので、やむなく分割
解決編1




/Wyvern Rider …vol.13

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 あの黒い飛竜が現れた裂け目は、カワウソらを飲み込んだ崩落によって、完全に塞がってしまっていた。

 アインズたちが取るべき進路は、ただひとつ。

 溶け崩れた大地の底……だったのだが、

 

「これは、面倒だな」

 

 黒い飛竜の崩落地は、竜が体中から吐き零した酸性の分泌物で焼け溶け、冷え切った今は黒い尖岩の群れに変じている。ハラルドが抜き放った剣で衝いても、刃先は少しもめり込むことがない。モモンの剣で削り取るぐらいのことはできる(サンプルとして、削った破片をボックスに忍ばせる)が、いくらなんでも時間がかかりすぎる。もし、彼等がこの酸に溶けていたとしたら間違いなく致命的な惨状であるが、アインズは確実に、あの女騎士──熾天使がカワウソたちを護りきっていると信じていた。しかし、これでは時間の浪費にしかならない。

 別ルートを探すか。

 だが、落ちた彼等の安否が気がかりな状況で、あるかどうかも判らないルートを策定する暇はない。

 

「申し訳ない、モモン殿。その、視界が──」

 

 ハラルドは疲労もあっただろうが、それまで真昼のように明るかった視界に影が差し込み始め、満足な掘削作業を遂行できなくなる。

 

「ああ、〈闇視(ダークヴィジョン)〉の効果が切れたのですね」

 

 すぐに次の魔法を発動しますと宣しつつ、アインズは小声でマルコを呼ぶ。

 

「マルコ──いや、マルコ・チャン」

 

 本気の声色で紡がれた彼女の本名によって、その命令内容の重要性を顕示する。

 

「“使うことを許す”」

「──かしこまりました」

 

 マルコはアインズ同様、暗闇の中を平然と歩き、固まった肉腫と岩塊の混合物の上を跳躍。

 アインズとハラルドたちから距離を取り、ここぞという場所を見定める。

 大きく息を吸い、豊満な胸を膨らませ、流麗な背筋を思い切り仰け反る。

 一拍の溜め。

 あらん限りの力を込めて、呼吸を解放。

 発動するのは、混血種であるマルコの固有スキル“竜の絶叫(ドラゴニック・シャウト)

 

 ガアッ!

 

 威力は「中ぐらい」に調整。

絶叫(シャウト)〉系魔法に通じる音波攻撃は、特定対象物の破壊に特化した、彼女の誇る特殊技術(スキル)のひとつだ。

 

「な、なに!? 敵襲っ?!」

 

 ハラルドが暗黒の帳の中で低く身構える。

上位絶叫(グレーター・シャウト)〉並みの破壊の音波は、威力を調整された上、破壊対象は一種に──下にあるものへと向け限定開放されたものであるため、彼には「聴覚喪失」などの重篤な影響を及ぼさない。

 まるで暴竜の一声のごとく響くマルコの声は、破壊の音量のあまり彼女の喉から吐き出されたそれとは思えないほど変質しつくしてもいた。かつて、これと似た特殊技術(スキル)を乳幼児期に放射して、図書館の司書を昏倒させかけた過去もあるが、成長した彼女の能力はここまで洗練され、一個の固有スキルに昇華されるまでに至っている。

 音を立てて罅割れる黒腫の岩盤。

 さらに、マルコの手袋に包まれた拳が、一挙に下へと突き抜ける一撃をお見舞いした。

 父であるセバスほどではないが、彼女の格闘能力はそこらの冒険者や格闘家とは比べようもない威力を持つ。さらに、トドメの踵落としが黒い岩盤の亀裂中央にめり込み、下へと続く縦穴を穿つことになった。

 アインズはそれらマルコの作業行程が収まるのと同時に、〈全体闇視〉の魔法を込めた水晶を破壊。

 

「モモンさん。こちらに通れそうな穴が開いています!」

 

 何食わぬ顔でモモンの横にトンボ帰りしていたマルコが、自分で開けた大穴に誘導する。

「どこかにいる竜が暴れて崩れたのでしょう」と言って、唯一事態を飲み込めない少年を納得させる。

 一応、注意深く敵の有無やカワウソらの気配を探りつつ、アインズたちはさらに下へ降りていく。

 

 

 

 そうやって開けた縦穴から下に降り切ったアインズたちは、蟻の巣のように複雑な構造に入り組んでいる地下空間を進んでいく。黒い飛竜の酸で溶けて凝ったものが溢れる空間に、カワウソとミカ、ヴェルとラベンダ……その骸すら発見できず、探索は難航する。

 理由は簡単だ。

 

「これで、九体目!」

 

 モモンの剣が、黒い飛竜……逆鱗の大きさから幼竜……の首を落とす。

 下に向かって探索を続けるモモンたちのまえに、まるで城の守備兵のごとく現れた黒竜たちが、行く手を阻んだのだ。

 さすがに、こんな狭い空間内で、カワウソらを飲み込んだようなデカブツと対峙しなくて済んだのは幸いだったが、その分、幼くも凶暴な力を振るう黒竜らと、ところどころで会敵してしまい、一行の進撃は大いに阻害されることになった。

 

「これは、ここが連中の巣だからと考えていいのでしょうか?」

 

 疑問するマルコの“気”を応用した掌底によって、分厚い肉腫の装甲……その旨の内側に蔵する臓物を、的確に破壊。これで十体目の幼竜を屠ったことになる。

 現在の戦果は、アインズが六体、マルコが三体、ハラルドが一体の黒い飛竜を討滅している。

 

「だろうとは思うが。疑問がある──」

 

 ここが黒い飛竜の巣であるとするなら、不可解な点が様々思い浮かぶ。

 アンデッドではない純粋なモンスターであるならば、食料は必須……だが、こんな地下深くに飛竜の食料となるものがあるのか? 奴らは飲食が不要なのか? あるいは、誰かが運び込んでいるのか?

 

「そうすると、ここは巣ではなく、飼育場なのかもしれない」

「飼育場、ですか?」

「餌を運びこむ者、黒い飛竜らを生産する者──そういった者がいるとすれば、これらは自然発生の異常個体ではなく、人工的に生み出されたモンスターとなり得る」

 

 剣の先で落ちた飛竜の首を撫でつつ、そのような憶測を低く呟く。

 アインズの静かな推論に、マルコは愛嬌のある笑顔を沈め、鋭い視線をさらに細めた。

 

「──まさか。セークの部族長らの“秘密”というのは」

「いいや。報告を受けていた彼女らの秘匿事業、秘密というのは『狂戦士(バーサーカー)のレベル』に関することのはず」

 

 アインズはマルコの指摘した可能性を否定できた。

 彼女──というか、セークの族長家が長らく魔導国に秘していた実験……狂戦士の根源的封印処理……狂戦士を狂戦士でないものに変質させる……要するに、狂戦士の職業(クラス)レベルのみを抹消(ダウン)しようという試みは、ただの理論追求の範疇には収まらない、れっきとした成果実績を結んでいたはず。

 はっきりいえば、前族長時代から、セークの族長らがやってきたヴェル・セークへの封印のことは、アインズには筒抜けだったわけだ。

 しかし、魔導王はそれを知りつつ、彼等の思うままにさせた。

 理由は単純。

 アンデッドのアインズとしては、ただの飛竜騎兵一人に対して慈悲をかけたのでは、ない。

 実際に、特定のレベルを抑制・減衰させる手段が確立可能なのか。可能だとすれば、それはどのようなシステムで実行しうるのか。ナザリック“外”で行える規模の技術開発なのか。場合によっては、その技術を流用・加工してナザリックの軍拡に利用できれば……という具合に、彼等の創意工夫による技術進歩を促進させるために、あえて、アインズたちは彼女たちの秘密を暴くことなく、放置も同然な状況で実験と研究に邁進させただけなのだ。

 

 無論、彼等に公的な援助どころか、正式な認知を送ることすらしなかったのには理由がある。

 彼等の目指す事業が「発展と進歩」「力と才ある存在としての責務」という魔導国の国是(こくぜ)から逸脱し反転する事業内容だったからでは、ない。

 民間で行われる技術開発に対し、政府が率先して資金援助や協力体制を施すには、セーク族長家の秘匿事業はそこまで実現可能な領域に達しておらず、事実、ヴェル・セークはこの20年の歳月で、既に狂戦士としてのレベルを十分獲得し尽くしている。──つまり、研究は半ば失敗同然と言って良い状況と言えた。

 狂戦士の狂乱を押さえる手法=薬の開発と調合、さらに、狂戦士の寿命や健康問題などにおいては、確かにヴェルは狂戦士らしからぬ壮健さを発揮していることについて限定して言えば、評価に値する。

 しかし。

 彼等セーク部族にとり、ヴェルが狂戦士としては異例の長寿命と耐久性──五体満足かつ図抜けた騎乗兵の能力を発揮する麒麟児になってくれた事実を加味しても、肝心の事業目的であるところの「死亡に拠らぬレベルダウン」には至れておらず、ナザリックの評価基準を満たすことはなかった。それでも、実際にヴェルが狂戦士の暴走を抑制できている以上、レベルダウンにこそ失敗はしているが、狂戦士の封印処理と考えるなら、確かに彼等は成功を収めていると言える。では、国の総力を挙げて後援補助(バックアップ)を受ければ“あるいは”とも思われるのだが、結論として、国の優先研究対象には該当しえないのが実際であり、そして、それがすべてだった。

 軍拡を続ける魔導国では、今でも様々な研究と開発が公的と民間の隔たりなく続いており、それらへの助成と教出こそが最優先される。

 明確かつ簡潔な成果を期待できない事業に、物資と資金と人材を落として無駄にする余地などない。

 社会経済の根本的な損益勘定の切り落としが、飛竜騎兵のセーク部族たちに働いていたのだ。

 

「狂戦士研究の副産物……だと考えても、ヴォル族長らの反応は普通に思えた。彼女は本当に、これら黒い飛竜を知らない様子……だとすると、部族内の、他の人間?」

 

 しかし、民間で危険な実験と研究を行っていると判断されると、魔導国の介入要件を満たす。

「一個人のレベルダウン」を研究していたら、どういうわけだか「黒い飛竜が暴れ出して手に負えない」なんて事態に陥ったなら、国家としてさすがに知らぬ存ぜぬというわけにもいかなくなる。

 だがセーク族長の反応は、アインズの見定める限り、本気で黒い飛竜の存在を認知していなかった。

 もしもあれが演技の類だとしたら、ヴォル・セークは女優(アクトレス)にでも転向した方が良さそうなものだ。しかし、彼女は己に課した族長としての責務で己の外側を覆うことには長けているが、それ以上の演技力は望むべくもない。素の彼女がどんな人物で、どれだけ妹に対する情愛と、飛竜騎兵としての誇りに篤い人柄なのか、アインズは知っている。彼女の婚約者にして、部族を超えた愛を(はぐく)んだウルヴからも聴取は得ていたし、そのウルヴの人格者ぶりも、彼が数年前の御前試合「騎乗兵部門」で優勝し、ナザリックに招致させた際に個人的な交流を持って確認済み(“黒白”のモモンとして、ヘズナ家に雇われた一等冒険者という体裁を整えるために、魔導王の権力(コネ)をフル活用できた最大の理由がそれであった)。

 

「ハラルド隊長」

 

〈斬撃〉や〈不落要塞〉など武技の連発で疲弊した少年の体調を気遣うアインズ。

 

「……大丈夫です、モモン、殿」

 

 言って、ハラルドはアインズから託された治癒薬(ポーション)の瓶を呷り、中身を飲み干す。

 無理をしているとは解っていたが、ハラルドを押し止めることは難しかった。彼は非常に優秀な戦士であることは連発した武技の種類や数から疑う余地はない。が、あの黒竜の幼体を相手にしては、さすがに消耗は激しくなる一方。しかし、それも覚悟の上で彼はアインズ──モモンたちの行程の道連れを熱望した以上、立ち止まることは許されない。

 そうして、たっぷり三時間ほどをカワウソたちの捜索に費やした時。

 

「これは?」

 

 アインズたちは奇妙な空間を見つけた。

 黒く冷えた堆積物をマルコが拳で砕く先に、すごく大きな円形──飛竜一匹が収まっても余りある体積の水晶玉が、黒い凝固物と化していた黒竜の遺物の迷路の中にあったような──ツルツルとした曲面の円状空間が現れたのだ。自然物と呼ぶにはあまりにも見事な真円の様子は、何らかの意思を感じさせる。その円は自走でもしたのか、黒い迷路の中でまっすぐな坑道を横に穿つような軌跡を描いていた。

 ボーリング工事じみた円形トンネルは、半円ではなく真円であるため、下の歩く部分まですべすべしており、ただの岩道よりも歩きにくいが、アインズ達は一列に並んで、その自然にできたものとは言い難い道のりを検分する。

 

「彼等でしょうか?」

 

 マルコの問いに、アインズはだろうなと頷く。

 おそらく、女天使の張った防御魔法か、特殊技術(スキル)の業だろう。

 

「これを辿ります。一応、警戒は怠らないように」

 

 天使の穿ったのだろう道は、まっすぐ横に延びていた。

 目指すべき場所を心得ているかのような、ただひたすらにまっすぐな道のりは、女天使の活動方針そのものなほどに迷いがない。

 やがて、アインズ達はトンネルの終点にたどり着く。

 

「ここは? 一体?」

「地底湖……まさか、飛竜洞(ひりゅうどう)か!」

 

 一番騎兵隊隊長という、セーク部族の精鋭中の精鋭たるハラルドは知っていた。

 

「飛竜洞とは?」

 

 アインズは、あくまで一等冒険者の知識として何も知らぬ風に、この壮麗な地下空間の説明を求める。

 

「自分は、セークとは違う血も流れている為、詳細は知らないのですが……ここは、セーク部族の信仰の大元……この領地内で最も神聖な領域とされる“聖域”だと、ヴェルから伝え聞いたことがあります。ですが、ここは部族内でも限られた人間──長老や族長、そして巫女だけが入ることを許された場所であるため、詳しい位置や、どのくらいの深さにある場所なのかまでは、誰も知り得ません。ヴェルですら、知らなかったはず。一説によると、族長邸のすぐ下にあるなんて説も信じられていたのに……」

 

 だが、彼が言う通り、ここは聖域と呼ぶにふさわしい清澄な空気が満たされていた。

 広大な地底湖を舐めるように見渡す一行の内、白金の女が一角に灯る魔法の明かりを認める。

 

「モモンさん、あそこを」

 

 マルコが指差した先。

 湖畔の淵に佇む黒い鎧と足甲の男と、白い翼の女騎士の姿が。ラベンダも近くにいる。

 

「カワウソ殿! ミカ殿!」

 

 無事でしたかと快活な笑みを浮かべかけたハラルドが、振り返った男の様子を見つめ、

 ──凍り付く。

 遠目からでもわかる。

 永続光のランタンを囲む、彼等。

 顔中、鮮やかな血の色にまみれた、剣と短杖(ワンド)を握る、黒い男。

 彼を染めるのと同じ色の雫を滴らせる純白の剣が、赤く穢れて、鮮やかに光る。

 

 彼の抱きかかえるハラルドの幼馴染……件の女狂戦士……ヴェル・セークもまた、(おびただ)しい鮮血に彩られ──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ぅ……がぁ?」

 

 とんでもない吐き気と倦怠感で、ヴォル・セークは目覚めた。

 高地に住むことに慣れた彼女は滅多に感じない寒気によるものに近い震え。

 だが、これは気温気圧の変化ではない。

 空間に満たされたものが、女の総身を包み込んで握り潰そうとしているような──

 

「起きた、か」

 

 ヴォルは声を振り仰いだ。

 土の味がこびりつく唇を拭いたい衝動に駆られるが、両腕に力が入らない。

 

「……ウルヴ?」

 

 振り仰いだ先にある彼の背中。

 かつて見た光景……自分たちが初めて出逢った時を想起されるが、それも束の間。

 

「ウルヴ!?」

 

 魁偉な男の健常な肉体が、糸の切れた人形のように倒れ伏した。

 厳密には、何とか膝立ちの姿勢を保っていたものが、前のめりに崩れたのだ。

 

「狂戦士は誠に頑丈だな。三時間も睨めっこをして、毒の汚染に耐え切るとは」

 

 誰の声か、瞬間把握しきれない。

 しわがれた声。知性を感じさせる音韻。自分が、部族が、敬愛してやまない長老の──

 

「っ、ぐぅ?」

「族長も起きられたか」

 

 ちょうど良いと宣する声の主を、倒れた格好のまま見上げる。

 そうして、思い出す。

 自分の身に起こった出来事。

「それは困る」という声の後に訪れた、鋭い痛み……そこから、記憶がない。

 

「さすがに、竜巫女の薫陶を受けた信仰系魔法詠唱者。毒からの回復力も、他の雑魚とは比べるべくもない。一応、我が相棒の針という強硬手段を使ったが、それすらも時間経過でどうとでもできるとは」

「な、…………なに?」

 

 愕然と目を瞠った。

 ウルヴを見て、奴を見て、周囲に転がる自分の部下たち──転がる剣を見て、状況を察することができた。

 できてしまった。

 

「くっ! 何故だ! 何故、おまえがこんなことを!」

 

 研究材料や薬品を納めていた棚の迷路が倒れ落ち、嫌な臭気が空間を満たしていた。

 否、それだけではない。

 女族長をはじめ、ウルヴ・ヘズナ、ヴェスト・ファルなど、ヴォル・セークに導かれるようにして所内を訪れた一番騎兵隊の数名も、その場に発生した〈麻痺〉や〈混乱〉の”毒”によって、なす術もなく倒れ伏している。

 その場で健康的な笑みを浮かべていられるのは、ただ一人。

 

 

 

「──ホーコン!」

 

 

 

 車椅子に座っていた禿頭の老学者、族長家に何十年と主治医として頼られてきた名医が、ヴォルの喚き声に首を(かし)げる。

 

「何故も何も……これが、私の計画だったからだよ」

 

 己の両脚で“立ち上がった”老人は、いつも大事に腰から下げる魔法の荷袋をベルトに結び、車椅子に仕込んでおいた装置──魔法によらない“毒”を大気に充満させる薬品を調合し、それを適正な範囲に散布させる仕掛けを起動させていた。ホーコンだけが毒の影響を受けていないのは、彼が事前に摂取しておいた“毒消しの薬”による効果に過ぎない。

 

「倒れた奴等にも言ったが。おまえらを、調査の一等冒険者、モモンたちには合流させない。彼等には悪いことだが、すべて終わるまで、私の可愛い邪竜共と、心ゆくまでじゃれ合ってもらうとしよう」

「じゃ……邪竜? ホーコン、おまえ……まさか!」

 

 邪竜──邪悪な竜というニュアンスで、うつぶせたままのヴォルは奴を凝視する。

 族長だけが発声を可能にしているのは、彼女が信仰系魔法詠唱者独自の神聖なる抵抗力と回復力を保持していたが故。それ以外の部下は、等しく毒の空気に悶絶し、中には胃の中のものまで吐き戻しているものも。ヘズナ族長ウルヴが、三時間ほど意識を保てていたのは、彼本人の装備と力量によるところが大きかったが、さすがにもはや毒に汚染された空気への抵抗は続けられなかった。

 セークの彼等は一様に、自分たちの最大の支援者……医学者として傷の治癒や薬の処方で助けになってくれた同胞の背信に驚愕の色を隠せない。

 何故。

 どうして。

 その答えを語るでもなく、ホーコンは思いもよらないことを言ってのける。

 

「いやはや。昨日の朝の騒動は心が躍った。試験運用とはいえ、邪竜の子ただ一匹程度で里が惑乱に陥るとなれば、これはおもしろいことになるだろうて……のう? ハイドランジア?」

 

 ホーコンが語る先には、この研究所で長らく“毒”の分泌でたびたび世話になっている飛竜……いまや希少な部類に入る「毒針」を尾に宿した飛竜の覚醒古種、ホーコンの相棒を六十年は続ける老竜・ハイドランジアが、姿を現す。

 寡黙な毒竜は、語る口もないように押し黙る。

 ほんの一呼吸だけ大地に突っ伏す族長らを眺め、何の興味もなさそうに大地に茶褐色の身を伏せた。

 

「ハイドランジア! あなたは、知っていたの? 知っていて、黙っていたのか!?」

 

 族長の疑問に、彼は応じるでもなく目線だけを女族長に動かす。

 

「奴に訊いても無駄だろう。もはやアレの言葉は、相棒の私にすら聞こえんからな」

 

 何を馬鹿なと抗弁する族長。だが、それよりもまず聞かねばならないことがある。

 

「ホーコン! 昨日、あの黒い飛竜……あれを放ったのは!」

「無論、私だ」

「では、あれは何だ! 一体、あの幼い飛竜に何をしたぁ!」

 

 喉が引き裂けんほどの大声で、毒が這いまわる倦怠感と脱力感に抗しながら、ヴォルは叫ぶ。

 叫ばずには、いられない。

 

「無論、あれは私が創ったのだよ」

「つ、つくった、だと? ふざけるな! 飛竜の肉体を変質させる毒薬や魔法など、聞いたことがない! 我が一族の寝物語にすら登場しないぞ!」

「そうかな? そう思い込んでいるだけで、貴様は何も知らないだけではないのか?」

 

 ホーコンは嘲弄の笑みを浮かべる。

 そうして、研究所の壁を──聖域の地底湖と隔てる壁を、ハイドランジアは毒針の尾で打ち壊させる。

 割れ砕けた、狂戦士封印のための研究所の壁。

 そこから外へ漏れ出す麻痺毒の空気。新鮮な地底の空気が流入し、幾分呼吸は楽になったが、割れ砕けた壁の向こうにホーコンと彼の相棒によって蹴られ払われ転がされる間も、誰も何もできない。それほどに、奴と相棒の毒は強力なものであった。

 そうして、研究所から外に這い出され、地底湖を擁する巨大洞窟の淵を舐めるような谷底を一望できる闇の内に、ありえない巨大な影が蠢く。

 

「あれは、まさか──」

 

 ヴォルが族長として、当代の竜巫女として、略式の葬送を手向けた幼くも黒く成長を遂げた飛竜。

 あれを彷彿とさせる大小様々な黒い飛竜が、聖域であるはずの地底湖の沿岸に犇めき、溢れかえっていた。

 概算した限り二、三十匹からなる黒い竜の群れ。

 視線を覆い隠す肉腫の黒い面覆いの奥底で、殺戮と狂乱に塗れた瞳を隠す暴竜たちが、一個の意志のもとに統率されたような軍列を整えていた。猛り狂う意思に蓋されたような吐息をひっきりなしに漏らし、隣で逆鱗にふれかけてちょっかいをかける同輩を威嚇するものばかりだが──黒い竜は、整然として動かない。

 

「どうかな? 私の創り上げた邪竜共は?」

 

 ホーコンが創ったという、邪竜の軍団。

 それを眼前にし、ヴォルは認めないわけにはいかない。

 あの黒い飛竜──邪竜は、こいつが創り上げたものに相違ない事実を。

 

「ヴォルよ。ひとつ確認しておく」

 

 まるで出来の悪い生徒を窘めるように、老爺は族長に質問する。

 

「飛竜の肉体は、確かに他の種族に比べ頑強だ。鱗はミスリルのごとく硬く、魔法武器か、同族の爪牙、それ以上の存在によってのみ鱗を貫き抉ることができる。そうだな?」

 

 わかりきったことを聞くなとヴォルは叫ぶ。

 そんな彼女の反応、恨み節すら愉しむように、ホーコンは問い続ける。

 

「では、な。飛竜には、その強靭な肉体には、毒や金属に対する耐性と、魔法への抵抗力を僅かに備える──これは知っているか?」

 

 何を言いたいのか本気で疑問する。

 

「本物の、アーグランド領域などに住まう完全な竜や、竜王には数段劣るとはいえ、飛竜の性能もそれだけのものがある。飛竜は並のモンスターには及ぶべくもないほど頑健な魔獣。それほどの力があるが故に、その背に騎乗できるものは、飛竜が真に心を許した“相棒”だけ。そうだな?」

「それが、どうした?」

「その内部から影響を与えられた場合は、どうなる?」

「どう……って?」

 

 ヴォルは、ホーコンの得意分野を思い起こす。

 奴の得意とするのは、医学薬学……相棒の“毒”に関すること。

 

「まさか、中から、臓物や血管──内部から干渉、を?」

 

 ホーコンは授業で満点を取った生徒を褒める笑みで、ヴォルの頬を蹴り飛ばす。

 

「正解だが、それでは不十分だ」

 

 その程度の干渉は、すでに多くの研究者によって試みられている。ホーコンたち以前の時代から、飛竜騎兵らは戦いに生きてきた武門の一族。飛竜そのものを強化する薬というものは、当然開発と研究は進められていた──特に、ホーコンの一族では。

 

「内部から干渉する。では、その内部にあるものとは? 喉? 胃? 腸? 心臓? 肉や骨? ……それらよりもさらに小さい、だが厳密にそれらを構成する“因子”に、干渉できたとしたら?」

「な……に、を?」

 

 言っていることが理解できない。

 三等臣民の族長程度では、そんなことまで理解できない。

 

「やはり。おまえらは使えん」

 

 同族の知能が低水準でうろついている様を確認し、ホーコンは大きく嘆息を吐く。

 

「ッ、ひとつ訊かせろ……何故、このタイミングで?」

 

 ヴォルは不可解な事実をひとつでも解消しておきたかった。この状況から逃げ延びた後で、奴の企図のすべてを挫くべく行動するために、奴の計画の細部まで理解しておかねば。

 

「一等冒険者モモンや、あのカワウソという旅人に、恐れをなしたか?」

 

 そんなヴォルの意図など承知の上で、ホーコンはすべてを明かしていく。

 

「いやぁ? むしろ、奴らのおかげで、私の計画は早く実現できたと言える」

 

 あえてそうするのは勿論、彼女たちを逃がす気が、まったくないからだ。

 

「転移魔法陣の調整を行うには、族長がここに赴く必要があったのでな。いつものように、「鍵」だけ開けて上に留まられては、こちらの計画通りにはいかないと判断したまで。「鍵」の情報書き換えに三時間ほど手間は取ったが、不可視の毒霧に侵された貴様らには、もはや何もできはすまいて」

「……なに?」

 

 転移魔法陣。魔導国編入後は珍しくも何でもない魔法アイテムのひとつだが、この転移魔法陣に関しては、セーク部族が始まってから数百年の歴史を誇る、“有翼の英雄”と謳われし祖先からの遺物だ。

 その転移を起動させる「鍵」は、族長の管理権限によってのみ起動、転移可能な要領などの調整が施される仕様だった。

 

「──アレを上に、里へ大量に転移させるための、書き換えか?」

 

 アレと呼ばれる邪竜たちは、血肉に飢えたように涎を垂らし、その涎までもが黒く大地を染める。汚れた地面が異様な臭気を放ち白煙を上げるのは、あれらの分泌物が酸であるが故の現象だろうか。

 そんな邪竜共の主人として君臨し、奴らを座視させる禿頭の男が、隠すでもなく計画の本質を明らかにする。

 奴が取り出して見せたのは、硝子瓶に満たされた、黒い溶液。

 

「この薬液を、ここから族長邸や浄水魔法設備──あらゆる水源にばらまく為に」

「な……はぁ?」

「馬鹿な、何を考え……ゲホッ!」

 

 倒れ伏しながら必死に息を殺して耐え忍んでいたウルヴまでもが、驚嘆の声をあげた拍子で残っていた毒を吸い込み、大いに咳き込んでしまった。

 

「そんなことで、一体、何が?」

 

 冷静に訊ねるヴォルに、ホーコンは傲岸不遜な声音で、朗々宣言する。

 

「我が一族の悲願──”戦”だよ」

 

 彼の目的は明瞭に過ぎた。

 それ故に、痛々しい。あまりにも荒唐無稽に思えたが、奴の揃えた戦力と計画は、本物だった。

 

「さぁ、準備は万端整ったぞ! これで、この領域に住まう飛竜、そして部族の人間は、すべて私の薬を摂取することになる! 我が謹製の、狂戦士化の薬液をな!」

 

 ヴォルは侮蔑するように笑い飛ばす。

 

「ハッ、不可能だ! 狂戦士化の薬液? 寝言は寝て言え! 薬物程度をただの人間や飛竜が摂取したところで、狂戦士になどなれるものか!」

 

 常識的に考えて、ヴォルは狂戦士が狂戦士を生み出す因子にはなりえないと知っている。

 狂戦士は確かに族長家などで稀に生まれるぐらいで、狂戦士が大人となり、産んだ子供が狂戦士になるとは限らない。

 さらに言えば、狂戦士への信仰に篤かった数百年前の古い部族だと、狂戦士の血を飲むことを戦いの儀式にしていたという話もあるが、それによってその部族全員が狂戦士化したという事実はない。その部族は魔導国が現れる前に絶えて久しい。

 

「その通り。だからこそ、それでよい」

 

 いいものを見せようとホーコンは、暗い聖域の一角に歩み出す。

 そこに用意された、白い幕布で覆い隠された箱状のもの。布を取ると、それが鉄格子の檻だということがわかった。

 中に囚われ大人しくしているのは、大小二頭の飛竜。

 

「私と相棒が巣より盗っておいた、飛竜の親子。我が相棒の毒と、飛竜用の催眠魔法によって、この二匹は『自分たちは巣にいる』と完全に錯覚している」

 

 ホーコンは注射器を取り出し、硝子瓶の内の液体を、飛竜の子へと投与する。

 鱗を貫通する特注の注射針から、謎の薬物を摂取させられた幼竜は、一変。

 針で投与された部位から先が黒く染まり出し、あの不吉な肉腫が盛り上がってくる。

 同時に、身体の各部位が急速な成長を遂げ始め、腕、足、翼、尾、顔や首に至るまで全身が、まるで横に並ぶ母親……成体と同じか、それ以上にまで肥大し、

 

「っ、よせ!」

 

 ヴォルは叫んだが、最悪な光景は、止められなかった。

 膨れ狂った子竜だったものが、隣で静かにしている母竜に食らいついていた。瞬く内に母の臓物と血肉を喰い尽くす邪竜。同族の血の臭いにつられ、周囲の黒い竜たちが喉を鳴らす──あれらの食料となるのは、まさか、共喰いだとでもいうのか?

 女は戦慄のまま叫んだ。

 

「まさか本当に──里に現れた、アレは!」

「いやはや。アレは実に残念な結果であった」老人は無邪気な笑みを浮かべ、宣った。「あの調子なら、冒険者共の邪魔さえなければ、里の騎兵隊を半壊ぐらいはできたやもしれない。本当に残念だった」

 

 さらなる憎悪が女族長の身を焦がす。

 

「これが、私の真の研究成果! 我が薬液の力によって、現生飛竜は黒く化身し、従来の数倍以上の力と暴性を獲得するのだ!」

「ふっざけるなぁ!」

 

 生物の、モンスターの兵器化。

 そんなとんでもない事業を、自分が信頼を寄せていた長老が秘密裏に遂行し、族長である自分が気づけなかった事実が、悔しくて悔しくてたまらない。

 

(はか)ったな──謀ったのだな! ホーコンッ!!」ヴォルは身動きが効かぬ体で、なんとか事件の首謀者を睨み据える。「我等セークの聖域で、よくもそんな真似を! 恥を知れ!!」

 

 そう。

 この場所は数百年も前から続く、ヴォル達の先祖が鎮護してきた神聖不可侵の領域。

 研究所として機能させたここは、先祖代々の研鑽の砦にして、叡智の集積場──不幸な我が子を、“狂戦士”という運命の枷から解放せんと望んでやまなかった父祖らが遺した、祈りの殿堂……そんな場所で、よもや……よもや!

 狂戦士の力を使い、狂乱する飛竜を乱造する場に変えるなど!

 

「ホーコン……シグルツ!」

 

 叫んだ声は、しかし、ヴォルのうら若い乙女のそれではない。

 ウルヴたち同様に、息を殺して耐え抜いていた一番騎兵隊の副長──先代族長以前から、セークの家に仕える老騎兵、ヴェスト・ファルが、毒に染まった空気を大いに吸入しつつ、決死の覚悟で剣を抜いていた。

 意識が朦朧とする中で、掴み、引き抜かれた先鋒(きっさき)で、同じ長老会に属する医学者の友人を貫かんと馳せた。

 だが、常の状態ならまだしも、ここは奴の独壇場ともいえる、毒の空間。

 

「〈催眠(ヒュプノス)〉──『おまえは、死ね』」

「ぐ、ぁ?」

 

 催眠状態に陥った老兵が、あろうことか抜き払った己の長剣を、両手で心臓に突き立てていた。

 単純な命令であるほど、催眠効果はより強く発揮される。

 止めようはなかった。

 

「ヴェスト?! ヴェスト・ファル!?」

 

 自分が生まれた時から世話になった長老が、同じように倒れ伏す主人と視線を交わす。

 

「お許しを──おじょう、さ……ま」

 

 自らに突き立てた剣を抱いたまま、“老騎”ヴェスト・ファルは死の床に就いた。

 そんな“元”同輩の徒を、ホーコンは丁寧な口調で送り葬る。

 

「さらば、友よ。おまえのことは“大嫌い”だったよ」

 

 かつての友人の骸を、白髪の頭を、ホーコンは嘲虐するように踏み躙った。

 ヴォルの怒りは頂点に達してしまう。

 

「貴様ぁ、殺してやるぅッ!」

 

 そんな族長の絶叫を、出来るはずもないと嘲笑(あざわら)うホーコン。

 

「出来るはずがないといえば……妹君の封印」つい思い出されたことが失笑ネタだったのか、老学者は愉快気に族長へ語り出す。「先代も先代巫女も、馬鹿ばかりだ。──狂戦士の、力の、封印? 自ら戦いを、騒乱を引き起こすものが、力を増強させないで済む方法など、ひとつしかあるまいに」

 

 狂戦士は、本人の気質や性向に関わらず、戦闘に及ぶことが多い。

 それ故に、敵味方問わず戦闘経験を積みやすい狂戦士は、一度でも力を発動してしまえば、あとは雪崩を起こす雪山のように、止めようもないほどの戦乱を経験していく。

 その経験量は──狂っているとはいえ、あるいは狂っているからこそ──並みの量にはならない。

 だからこそ、狂戦士の運命は、ひとつに集約されやすい。“戦いの中で死ぬ”と。

 だが、ヴォルは、そして父や母──叔母たちは、そんな結末は、ごめんだった。

 

「私は、私たちは、あの子を、妹を……ヴェルを──狂戦士(バーサーカー)の宿業から──救う、ために!」

 

 ウルヴほどに強靭な肉体を持たないヴェルにとって、狂戦士の強大な力など無用の長物。将来的に狂戦士の力を暴走させ続けることになれば、いずれ決定的な破綻と不幸を招く。実際、そうなってしまった──故に、彼女の力を投薬によって、長らく封じてきたのに!

 すべては、この目の前の男一人の手で狂わされた。

 父母が信じ、叔母が頼りにし、世話役(ヴェスト)が友と呼んでいた主治医が、自分たち全員を裏切っていたなんて──

 

「先代や先々代をはじめ、貴女方姉妹には世話になった。それだけは感謝しよう、本当に。里の重要機密に触れさせてくれたことも。さらには、天然物の狂戦士の血を存分に採血させていただいたこと…………だが、もはやアレは、用済みよ」

 

 ホーコンは、いっそ穏やかで優しい表情を浮かべながら言葉を弄する。

 

「もう昨日か。あなた方があの黒い男と妹君を連れて帰還した翌日の朝に、与えた薬。ハラルドに頼んで飲ませておいた、あれ。実はな、まったく別の効果のものを用意してやったのだ」

「──別の?」

 

 食事当番のハラルドに持たせた、いつもの粉薬。

 それとはまったく違う丸薬──処方者の言うところの「状態異常抑止薬」の存在は、当然ヴォルも報告を受けていた──だが。

 

「アレはな。体組織の強制加速分裂治癒効果と、狂戦士の性能を最大限“以上”にまで増幅暴走させるトッテオキなのだよ。効力は遅効性──本格的に効き目が働くのは、ああ、もうとっくに発動しているか?」

 

 丸薬を投与されたことによる、狂戦士化の促進。

 その負荷は、か弱いヴェル・セークの肉体にとっては、紛れもなく致命的。

 

「用済みって──どういう、……何のことだ!」

 

 ヴォルは薄ら寒いほどの予感を覚えつつ、明確な回答を要求せずにはいられない。

 ホーコンはしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、告げる。

 

「ああ。つまり、最後には膨張する狂戦士の力に耐えられず、内部から自壊自爆するか──仮に耐えられても、理論上はあの邪竜共と同じ症状に陥り、ヴェル(あれ)は黒い肉腫と、化すだろう」

 

 それはそれでよい研究材料になりそうだから、あとで探しておくと言いのけるホーコン。

 狂戦士の副作用を最大限引き出させることによる、ヴェル・セークの抹殺。

 これで、証拠は闇に葬られる──と。

 

「ッ、キッサマァァァアアアアア────ッッッ!」

 

 ヴォルは悲号と憎念に、鞭打たれたように身を跳ねる。

 

「アアア、アアアアア、アアアアアアアあああああああ──ッ!!」

 

 だが、動けない。動けない。動けない。

 毒で萎えた手足は、少しも動いてくれはしない。

 

「おお、憐れな狂戦士(ヴェル・セーク)よ。だが、悲しむ必要はない。すぐに、お優しい姉上たちと会えるとも」

 

 芝居がかった挙動がまるで合ってない。

 声には潤沢な嘲笑が塗りたくられ、その笑みは毒液のように見る者の視界を穢す。

 込み上がる憎しみと哀しみに意識が混濁しかけるヴォル。

 そんな彼女の傍で、魁偉な男が、我慢の限界に、達した。

 

「──起動!」

 

 ウルヴ・ヘズナが叫んだ瞬間、何らかの魔法のアイテムが効果を発揮する。

 麻痺に倒れ、毒に突っ伏していたヴォルたちの異常を癒し、体力を少なからず回復させる。

 

「ウチの秘宝、ホール部族秘蔵のアイテム──“治癒の指輪(リング・オブ・ヒーリング)”だ!」

 

 癒しの力に長じた部族の秘宝。件の部族がセークとヘズナの二家へと散る際に散逸した回復アイテムの効力で、味方のすべての状態異常から癒す回復魔法〈治癒〉が発動。

 それによって、ウルヴは自身に掛けられた麻痺毒を癒し、突撃。

 刹那、最も強力な威力と速度を獲得できる狂戦士化を発揮して、老人の細い首根を掴み折らんと腕を伸ばした──が、

 

「残念」

 

 彼の手指は、届かなかった。

 

「な──がっ?」

「ウルヴ!!?」

 

 呻く狂戦士に、共に回復効果を受けたヴォルは愕然と叫んだ。

 ウルヴ・ヘズナの肉体に、黒い小さな飛竜の幼体が二匹、三匹と、牙を突き立て爪の先に捕らえてしまった。彼の頑強な肉体の防御力で、とりあえず致命傷は免れているが、並みの人間では臓物が抉られていたかもしれない。

 事情を唯一知悉する老体が、嘲りを含めて唱える。

 

「馬鹿め。こやつらの特性とも言うべきものでな。邪竜は己の大元になった狂戦士(もの)に対し、一定以上の敵意だか興味だかを懐いて、暴走する傾向がある。力を奴らの前で発動すれば、結果は解るだろう?」

 

 里に現れた黒い飛竜も、邸に幽閉されていた狂戦士(ヴェル)を狙ったのかも。

 超常的な敏捷性と反射性を獲得すべく発動した、ウルヴの誇る狂戦士化。

 それに惹きつけられた黒竜の幼体共が、ほとんど反射的に彼の五体に食らいついてしまっていた。

 

「ぎ、ぃ……く、そ!」

 

 悪態をつくだけの余力はあったが、狂った竜たちの顎力は、狂化もとい強化された彼の血肉を離さない。攻撃と共に向上した防御をものともせずに、黒竜は狂戦士の生き血を啜り、肉を引き千切らんとするのを、彼は必死に耐える。そうしなければ、彼の臓物は食い破られ、右腕と左脚が千切れ飛びかねなかった。

 

「やめて! 殺さないで!」

 

 彼は飛竜騎兵の全部族の上に君臨するように、王陛下によって直々に強化される栄誉を賜りし魔法戦士。

 そんな彼を喪うことで被る部族間の軋轢や不和……単純に国家への面目を通り越した段階で、ヴォルは自分の愛すべき男の喪失に、耐えられない。彼の“死”を想像した瞬間、一歩どころか、一指すら伸ばす力が湧かなかった。

 

 

 

「喰い散らせ」

 

 

 

 主人の下知を受けた騎士のごとき即応でもって、黒い竜たちはウルヴを宙に放擲し、その肉体を食い千切ろうと殺到。指の数を容易く超える竜の顎と狂喚。ヴォルの悲嘆の声が地底湖を震わせるが、なす術もなし。

 

 そして、響き渡った金属の音。

 

 しかし、ホーコンは疑問を覚える。

 ……金属の?

 ──悲鳴は? 絶叫は? 断末魔は?

 そんなものは、ひとつも上がらない。

 老学はたまらず振り返り、そうして、見た。

 

「な……あ?」

 

 黄金に輝く髪を広げた碧眼の女騎士、彼女の掲げる盾のごとき純白の翼によって、黒竜たちの暴虐は阻まれていた。

 あまりにもおかしな光景だ。

 翼という柔軟性に富んでいるはずの物体に阻まれ停止する黒竜もそうだが、

 

「なんだと?」

 

 ホーコンは目を疑う。

 ウルヴ・ヘズナは、何処へいった?

 というか、この女騎士はどうして、先ほどまでウルヴがいた場所にいるのか、まるで判然としない。

〈転移〉魔法とは違う。〈転移〉で逃げたなら、あの女騎士があそこにとどまるメリットがない。〈転移〉でやってきたならば、ウルヴが傍にいなければ説明がつかないはず。

 アイテムか何か? いや、そんなものをこのタイミングで?

 一体、何が起こっているのか、理解の端すら得られなかった。

 

 彼程度の臣民では、たとえ魔法の技量に通じていようと、ユグドラシルの特殊技術(スキル)について理解できるはずもない。

 

 ヴォルたちを見渡せば、彼女らも起こった現象を測りかねている。ウルヴの指輪で回復した彼女らもまた、ウルヴの行方を捜すように視線を彷徨わせてしまうが、結局、黒竜の暴虐に身をさらしながら、傷一つ負っていない女騎士しか見つけられない。

 起こった出来事は、至極単純。

 ウルヴに喰いつき噛み千切らんとしていた黒竜は、“位置交換(トランス・ポジション)”という特殊技術(スキル)によって、女騎士の翼に牙を突き立てる……ことは不可能なようで、羽毛の僅か上に黒い牙をこすりつけるような形に変わっていた。

 任意対象への攻撃を自己へ向けるべく発動させるタンク職の防御スキルの一種によって、ミカはウルヴを安全圏へと脱出させた。

 それだけである。

 

「そういうことだったのか」

 

 混乱する一同を、さらに混沌とさせる者が現れる。

 透徹とした音色。

 聖域の地底湖に、突如として現れた──実際は、彼等の方が一番早く此処に赴いていたことになる──黒い男。

 漆黒に濡れた髪色と装備。陽に焼かれ尽くしたような肌。あらゆる苦悶に苛まれた、醜悪極まる毒貌。

 

「すべて、聞かせてもらったよ」

 

 ヴェル・セークを救い、この領地へと(おとず)れていた旅の者。

 里を襲った黒い飛竜を、一等冒険者と共に迎撃した強者。

 

「ホーコン・シグルツ、長老」

 

 カワウソの、怨嗟や怒気とは無縁そうな無機質極まる声色が、洞窟の空間を満たしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、解決編2
『堕』
明日更新

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