オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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/Flower Golem, Angel of Death …vol.08

 

 

 

 

 

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 南方士族領域・センツウザンの街。

 

「奴隷でありますか!? ここにいる人の、半分が?!」

 

 意外なことを聞いたような気がして、花の動像・ナタは声を大きく問いただした。

 

「あア。山小人(ドワーフ)のバヨネットも、ソノ一人だぞ?」

 

 自分の相方・相槌役が“奴隷である”事実を、戦妖巨人(ウォー・トロール)の若輩であるゴウが、あっけらかんと明かしてしまう。

 少し離れた卓で、同僚と鉄鋼の比率や含有成分について喧々囂々と論議を深める山小人(ドワーフ)の彼が身に着けている──装備している左手の小指の指輪。それが、魔導国での奴隷の証だというが、いわれなければ判らぬほど、その指輪は精緻な造形を、金色の円環の上に刻み込まれている。その意匠は、輪になった鎖をどことなく想起させるが、やはりただのアクセサリーの一種にしか見えない。

 しかしながら、彼が法にもとった略歴の持ち主だとか、あるいは一族が何らかの制裁を加えられて当然の過去を持つなどの事実は一切ない。彼は、元の等級で言えば二等臣民──アゼルリシア出身の者たちとは違う、大陸中央で亜人たちにこき使われていた系譜なのだと、明かされる。

 ナタは大きな疑問を吐き出した。

 

「奴隷と言うと!! 首輪や足枷をつけ、何やら小汚く不衛生な恰好で、主人に鞭でも食らって、いたぶられるような?!」

「いやイヤ。何年前の話ダヨ、そレ?」

 

 ゴウは呆れ笑う調子で頬杖をつく。

 ここは、朝のひかりを燦々と窓から取り込む大食堂。

 青い瓦葺きの日本家屋──昨晩、ナタやゴウたちが寝泊まりした従業員用の建物“寮”の離れに位置する。

 朝食の魚の煮込み定食三人前を平らげた巨人は、ジョッキサイズの渋い色合いの陶器に熱い緑茶を注ぐ雇用主──鍛冶従業者用の寝食を提供する建物の“寮母”まで勤める少女から、食後のお茶を受け取って、一息に飲み干す。同じく彼女が持ってきてくれた今日の朝刊を、ゴウは慣れた表情で読み耽っていく。

 

「ナタくんは、見た感じ子どもだもの。そういう物語の“奴隷”と勘違いするのも、しようがないかもしれないわね? ……でも、普通に生活していれば、奴隷くらい見たことはある、わよね?」

「自分は!! 長いこと自分の拠点から出たことがありませぬので!!」

「拠点って──自分の家のこと? お屋敷とか?」

「その通りであります!!」

「ハハっ。ドンな箱入り息子のオ坊ちャんだよ、おまエ?」

 

 思わず笑う巨人を、黒髪の少女が窘めるように「こ~ら」と言って指で突く。

 麗雅と言える漢字の紋様を鋭い表情に戴く少女は、まるで良妻賢母のごとくゴウの隣に座り、彼の世話を甲斐甲斐しく焼く。黒髪赤瞳の少女──スサは、急須に残っていた緑茶を自分の湯呑に最後の一滴まで注ぎ尽くす。ちなみに、ナタは熱いお湯が──花の動像(フラワー・ゴーレム)の特性上──苦手だ。ダメージを受けるということはないが、触ったりするのは遠慮したい部類に入る。彼の核となっている花は水棲植物であるため、熱い湯とは相性が悪いし、そうでなくても花の動像(フラワー・ゴーレム)は炎属性への脆弱性を有する為、ひとりだけ果実水で喉を潤している。二人には「子どもには緑茶の風味は苦手なんだろう」と思われているらしいが、別に修正すべきとも思えない勘違いであるため、ナタはそう思わせたままにしている。

 スサは訳知り顔で、自分が知る魔導国の歴史を総括する。

 

「現在の魔導国には、まだ奴隷制度が現役であるけれど……それは、もう大昔……それこそ魔導国が建国される以前の歴史上の物語においては、ナタくんがいうような奴隷が、かつては大半だったと聞くわ」

 

 野蛮な連中がいたものだと、スサは微苦笑をこぼしてしまう。

 

「魔導国においての“奴隷”は、制度上、臣民よりも優遇され得ない存在になるわ。臣民への治癒保険制度は受けられず、蘇生保険も適用外。おまけに義務教育や居住登録地域外への移動、参政権などについても、主人となる一等臣民の許可が原則必須になる。個人用端末やアンデッドの下賜も原則禁じられてる。けれど、その分、彼等は魔導国臣民が負うべき“義務”をほとんど免除されることになるって、そこは理解してる?」

 

 ナタは「知らなかったであります!!」と言って、正直を貫いた。

 

「うーん。意外と残念な子よね、ナタ君って。でも、頭が悪いというのとは違うし、……まぁいいわ」

 

 珍妙な知識の偏りを疑問しつつ、少年の純粋さ純朴さに何やら好意的なものを懐いている少女は、自分の湯呑の中身を干して、湯で薄桃色に潤んだ唇を輝かせながら、続きを話す。

 

「魔導国臣民には、一等から五等の臣民階級が存在し、その階級によって臣民が負う『納税』などの義務(つとめ)を受諾・受容しなければならない。『死亡者の提供』や『定期健康診断』、『義務教育』、子どもの『適性診断』や『異能診断』、各領域や都市などでの『文化継承』『生産活動』、三等以下だと『労役』と『採血』、必要最低限の『戦闘訓練』『職業訓練』『魔法訓練』『冒険者訓練』『芸能者訓練』──あとは『社会福祉活動』や『生存維持の努力義務』──他にもさまざまな務めをはたさなければならないとされているわ。

 臣民階級は、魔導国王政府によって“貢献度”や“個体値”などの判定基準を満たすことで階級を上昇させることも可能。重犯罪を犯したり、魔導王陛下やナザリックへの不敬行為が認められたりした場合、等級の下降を余儀なくされるのは、必然よね?」

 

 頷くナタは、まるでわかっていないわけでは、ない。

 イズラと生産都市で別れる際に、二人で必要そうな魔導国の常識を、入手した情報媒体──書籍や新聞などから、おおむね把握してはいた。さらに、カワウソと共に飛竜騎兵の領地に留まる隊長・ミカからの情報もあった。魔導国臣民は、国の保護下に安寧の暮らしを約束されるが、その代価として、国に対し様々な義務行為を供することを己に課す存在であること。

 しかし、奴隷の存在については見落としていた。

 

「奴隷というのは、そういう権利を国に対し行使できない代わりに、魔導国の義務からほとんど放免された存在と言えるわ。ただし、奴隷は国にではなく、臣民個人への臣従関係を結ぶ契約を交わした人々──奴隷は自分が主人と定めた臣民に対し、国に対するような義務契約を、代わりに負うことになる」

「──つまり、個人間で、国家と国民の関係が働くと!?」

「そういう見方もあるわね。ただし、その個人・一等臣民は勿論、奴隷法などに代表される国法や憲法で、魔導国に対し『奴隷使役』を認められた特別な個人でなくてはならないの」

 

 ある種の連合国家のような思想だろうか。

 自分の自治(取得)する土地に、“奴隷”という名の個人(住人)を住まわせ、労役と給金を与え、衣食住や健康保険を施す。地域社会や州レベルであればそういうこともありえそうだが、個人単位でそういうことを可能にする仕組みが魔導国内で広く普及されている。

 それが、一等臣民に与えられる最上級者の義務でもあると、スサは語る。

 

「一等臣民が特に優遇される理由──それは、“一等臣民は他の臣民の規範として、あまねく他種族の模範として、立たねばならない”という『統率力の行使』が義務化されているから。“奴隷”を使役し、彼等を扶養し、健康な生活を送らせるのは、その義務の履行に欠かせないからなのよ」

 

 一等臣民は、魔導国建国初期にアインズ・ウール・ゴウン魔導王の威光に触れ、その庇護の下で生きることを甘んじて受け入れた賢明ぶりを評されて、アインズに特別に取り立てられた者たちの子孫──あるいは生き証人として、存命中(・・・)の臣民たちで構成されている。

 魔導国の中において、彼等より尊重されるべき存在は、いと尊き御身たる魔導王と、その血統。加えて、彼に古くから忠誠を誓うナザリック地下大墳墓のシモベと、彼等と特別な盟──代表的なものだと「主従」や「婚姻」など──を結び、ナザリック直属の忠実な下僕と認められた者。……さらに、魔導国“傘下”に加わることで、外地領域を守護する任を賜った者や、統治能力を信じ託されし規格外の存在──外地領域守護者たちや、信託統治者の他にありえない。

 そして、彼等一等臣民は、自分達の下に位置する万単位から億単位に及ぶ等級臣民らを監督・統治することで、魔導王陛下への忠義を示すことを任された存在だ。

 無論、そのために必要な教育や環境整備などの支援は充実。さらに、他の臣民にはありえないほどの厚遇によって、彼等はうまくいけば、その一生を安泰に過ごすことも可能だ。

 

「たとえば。ウチの“八雲一派”は、クシナ様という一等臣民のもとで、日々労務に勤しむ同胞として過ごす。クシナ様は(スサ)という一等臣民と協力・和合し、二等や三等からなる従属作業者たち、ウチの一派の連中をまとめあげる。一派はクシナ様からの給金や処遇に見合った働きを日々供出──良質な武器を鍛造し、大量の鉱石を掘り出すことで、一派の事業成績に貢献する。その貢献によってもたらされた利益が、ひいては士族領域や王政府の利益と化し、魔導王陛下たちへの忠節を果たす、というわけ」

 

 ナタはひとしきり頷いてしまう。

 この方式を無理矢理当てはめるなら、会社と似ている部分が多くある。奴隷という響きよりも、会社が雇う従業員というニュアンスが多分に含まれていそうだが、残念ながら、この場でその現代的な思考に至れるものはいない。

 奴隷の主人は、隷属する己の奴隷の心身や自由を侵害する行為を犯してはならない。

 奴隷法は、奴隷の行為や義務を明文化するものであると同時に、主人が奴隷に対して不当な扱いをしないことを明記したものであることは、魔導国内では──特に一等臣民社会においては、常識ですらあった。

 下の者を縛るのではなく、上にある者をこそ戒め導く法治国家。

 それを大いに表しているのが、(くだん)の奴隷法でもある。

 

「実に合理的ですな!! 素晴らしいシステムです!!」

 

 ──果たして、どれだけの存在が気づいているのだろうか。

 これは、見方を変えれば、「国民が国民を監視する仕組み」が巧みに含まれていることに。

 無論、そうでなければ国は立ち行かない。人目も憚らず誰もが野放図に暮らし、罪過を好きに犯し、労働も勤勉も何もない「自由」こそが、真に健全な世界だ──などと信じる者は、いない。

 生きるということは、そういうこと。

 人道を説いたところで人の道を外れた者には、罰が下る。むやみに重い罰を与えることは人道に反するだろうが、だからといってあまりに軽い罰では国民が、人々が納得するわけもない。許されるわけがない。正義と倫理にもとろうとも、国家の運営においてはそういう「無慈悲な慈悲」は必要不可欠なのだ。

 

 一等臣民は大量の人間や亜人を使役・統率する権能を与えられるが、実際には“奴隷法”によってそこまでの無茶を強要することは出来ない。奴隷には奴隷の権利が認められ、主人に対し、自分たちの処遇を改善することを団結して請願したり、それが受け入れられるように上の──王政府監査機関に執行処置を乞い願ったりなどの行動が、ある程度まで、認められている。あるいは、奴隷からただの臣民に戻ることも、監査機関を通せば容易く認められもする。彼等は好きで奴隷をしているものが多いのだ。

 奴隷を使い、奴隷を治める臣民は、さらなる功績・業績を求めようとすれば、さらに大量の雇用を捻出し、大量の人員を円滑に回す効率性が肝要になる。だが、それをたった個人で──数人単位の奴隷ならいざ知らず、これが二桁三桁に膨れ上がれば、もはや個人の処理能力ではどうにもできない。どうあっても、他の協力者や補佐が必要となり、さらなる雇用と“相互監視態勢”が構築される流れが生まれるのだ。

「一強による独裁」を顕示できる“個人”というのは、ごくわずかしかありえない。

 それほどの功を成し遂げられる優秀な存在には、魔導国は優遇措置という名の監視が、携帯端末や住居防衛装置などに仕込まれ尽くすか、あるいは領域守護者などの地位を与えることで、ナザリックの忠実なシモベと化す。──ナザリックを統べる至高の御方の力を間近にした者は、その強烈無比な威光にひれ伏す以外の在り方を見出せないものだから。

 

 ちなみに。

 奴隷を“奴隷”という名称のままにしているのは、「奴隷という存在の権利と生命を守る国家体制を内外に知らしめる」効果と、非常に珍妙なことに──この異世界には奴隷(スレイブ)のレベルが存在し、ある程度は奴隷的な労働性を示すことで「現地人の簡易なレベルアップ実験」に貢献する事実、さらには「ごく単純な“奴隷解放”や“全廃”を唱えることで、それを快く思わない、あるいは奴隷によって利益を生み出してきた存在の反感を買うのではなく、そういった手合いを丸め込むために、制度上は奴隷の存在を認めつつも“奴隷「法」の布達”によって、実質、人道上に背く旧態依然とした(死亡リスクが高く、労働生産性の著しく低い=効率の悪い存在である)奴隷を廃絶する流れに持っていく方が楽だから」という狙いが、今日まで魔導国内に奴隷を存続させ続けた由縁であった。

 

 国民の意識も、奴隷に対する偏見や侮辱的な気勢は潰えつつあり、スレイブの職業レベルの取得方法や解析──実用方式の確立もある程度終わっている為、近い内に何らかの転換措置があるやもしれない。

 

「デも、まァ。どんなニ素晴らしイ仕組みも、それをすり抜けル方法はあルもんらしいが」

 

 ゴウは不穏なことをのたまった。

 方法とやらが気にかかったナタであるが、それよりも先んじてスサが「子どもに教えることじゃないでしょ」と文字通り掣肘(せいちゅう)してしまう。

 ナタは追求を控えることを決める。

 魔導国の法に触れることはカワウソの利となることは間違いなさそうだが、あまり深く首を突っ込んでも余計な藪蛇を突きかねない。

 とりあえず引き続き、ゴウの手にある新聞から探れそうなワードを使い、様子を見るしかない。

 

「この、奴隷の不法売買というのが、少し気になるのですが!?」

 

 見た目の年齢の割に、随分と変なことを気にする少年だと、ゴウとスサは了解していた。二人共に特段の躊躇なく、事実を教えてしまう。

 

「書いテある通りだヨ。奴隷を金銭で売り払ッたり買い取ったリハできナい。それはあってはナラない不当な取引ダ。奴隷は、俺ラの食料デモなんでモないわけダシ」

 

 俺らの食料という単語をサラっと何気なくこぼすゴウだが、異形種に分類される花の動像は気に留めない。

 

「不法売買に手を染めるクソな一等もいるみたいなのは、本当、魔導国臣民の恥ったらないわね……」

 

 スサは腰元に差している刀の柄をいじり、自分と同じ等級の者が恥知らずな行いに奔る事実に憤懣を覚えてならない様子だ。彼女の義侠心──カラっとした晴天のごとき心根からすると、自分に従属してくれる者たちを金に換えるという行いが、あまりにも気に入らない調子なのだとよく解る。

 

「ゴウほどに強い奴を手元に置いておきたいというならまだしも、そういうのは奴隷を、自分より弱い奴を囲って、オヤツかオモチャのように扱うって話よ? まるで理解できないわ」

 

 言って。戦妖巨人(ウォー・トロール)の膨れた筋肉質の集合物である二の腕を、蕩けそうな笑みで舐めすくうように、白魚の人差し指で撫でる黒髪の少女。

 

「……俺は、奴隷にナッたつもりハねぇからナ?」

「わかってるわよ、それくらい。ウチの労働者(バイト)さん?」

 

 珍妙なスキンシップに慣れた様子で返すゴウと、決まりきった遣り取りにどこか面白みを感じているスサは、微笑みを交わす。

 本当に奇妙な二人だと思う。

 ナタは、あまり頭の良い方ではない。

 難しい思考や推測などを構築するよりも、ただ『命じられた任務を遂行する愚直さ』こそが、彼の設定であったのだ。

 だとしても、この遣り取りはあれだ。天使の澱で唯一『恋人同士』と定められた者たちを想起させる。あの二人も、他のNPCの前ではつんけんした遣り取りしか見せないが、その実、二人きりになると熱烈な睦み合いに発展するらしいことは、天使の澱の中で知らぬものはいない。

 ナタは、ゴウとスサの関係を改めて問い質したい気がしなくもなかった──その時。

 

「クシナ様!」

「クシナ様だぞ、皆!」

 

 食堂の出入り口付近が、唐突に騒がしくなった。

 小人や大鬼が食事の手を止めて湧きあがるように席を立ち、様々な亜人や人間の奴隷と労働者仲間と共に、現れた人物の姿を見定めようと駆け出していく。

 ゴウとスサも例外ではない。

 

「行きましょう、ナタ君! 私たちのクシナ様を紹介するわ!」

 

 手を引かれ連れられたナタは、人垣をゴウの巨腕で優しくかき分け、名を呼ばれ囲まれたその人──眼鏡をかけた女性を見た。

 特徴的なのは、長く白い髪の持ち主であるということ。磨かれた鋼のように光を照り返して、それ自体が輝きを放つようにも錯覚する。背はスサの長身と同じくらいのモデル体型。まるで野に咲く花のように軽やかな微笑みが(みやび)だ。長く伸びた純白の髪に色鮮やかな鳥の翼が冠のように存在するが、ポニーテールに櫛のような宝飾が差し込まれているのと同じ装備品だろうか。薄く開いた眼の、宝石のごとき青が印象深い。キッチリとしたタイトスカートのスーツ姿は、背筋に鋼を通したような綺麗な歩き方で、見る者に感心の吐息をつかせてならない才媛そのもの。

 ──その女性を、現代人のカワウソが見たならば、間違いなく「出来る女社長」と評したことだろう。

 

「クシナ様! どうされたんです、こんな時間に戻られるなんて?」

 

 スサが事前に聞いていた予定だと、新鉱床の掘削に昨日と今日はかかりきりだったはず。

 

「陛下の派遣された嚮導(きょうどう)部隊の方々のおかげで、予定より早く戻れたの──スサ、その子は?」

「私とゴウの愛の結晶です!」

「ちョっ!? 阿呆ぬかすナ!」

 

 いの一番にツッコミをいれる妖巨人(トロール)の指が、軽く黒髪を小突いた。人垣がどっと笑いに弾ける。亜人の指に突かれたスサには大したダメージにもなっていない様子から見ると、彼女のレベルはそれ相応なのだろう。腰の刀は飾りではないわけだ。

 ナタはとりあえず、事の成り行きを見守ることに終始しつつ、二人の主である女性を黙って見上げ続ける。

 

「ゴウさん。お久しぶりです」

「オ、──お久しぶりです、頭領」

 

 頭領代行のスサとは、えらい態度の違いだった。巨体を丸めていた背筋も、心なしかシャキンとしており、分厚い胸板がさらに大きく張り出されて、かなり雄々しい感じを受ける。

 

「申し訳ありません。修行でお忙しかったでしょう時に、鍛冶の依頼など差し上げて」

「イ──いえいえ。滅相もない」

 

 なにやら声の調子をなるべく抑えて、聞きとりやすいトーンであるように努力していることを聴き取ったナタ。

 だが、理由は分からない。

 単純に雇い主に対して礼を欠かないように努めているのか、あるいは自分の言動が気に障って相手を怒らせたくないからとか、無数に考えられはするが、とりあえず仲が悪いという感じには見えなかったので、よしとしよう。

 

「スサ。昨日の調子は?」

「はい。完全に上がっているのは、五十。今日の予定は、とりあえずゴウが来てくれて九十はいくかと──」

 

 先ほどまでゴウのことをからかい半分に肘で戯れ突いていた少女は、謹直に自分たちの成果を報告。その様は、聞いた年齢よりもかなり大人びており、ある種の妖艶さすら感じさせるほどの変わり身ぶりであった。

 

「わかりました──それで、改めて聞きますけど、この水色の髪の子は?」

「ナタ君と言います。えと、ゴウが連れてきた子で──」

「はじめまして!!」

 

 ナタは沈黙を破る前が嘘だったように、誰よりも轟く澄明で元気百倍な声音を連ねていく。

 

「あなたのお話は、ゴウ殿とスサ殿より、かねがね!! クシナ殿と、お呼びしても構いませぬか!?」

 

 あまりの音量にクシナは眼鏡の位置がずれてしまう。

 数瞬ほど呆けた後で、納得したようにブリッジを指先で押し上げ微笑みを送る。

 

「ええ、構いませんよ。でも、どうして私たちの工房に……?」

 

 こんな(いとけな)い子供が──そう問いたげにスサとゴウを眺める女主に、二人は肩を竦めて「成り行きで」と答える。

 実際、ナタも彼等の世話になりっぱなしになるのは抵抗があった。昨夜、労務終了時刻まで工房の見学をさせてもらい、適当に街を回って、泊まれる場所──ホテルや野宿先を探そうと思ったが、ゴウとスサたちの好意で、臨時労働者用の施設・寮に泊まればいいと提案されたのだ。お代はいかほどかと気にする少年に、この寮の責任者でもあったスサが「気にしなくていい」と受け入れてくれたから、ナタはこうして食堂の風景に溶け込んでしまっていたのだ。「あのゴウを打ち負かす子だなんて、とてもオモシロいに決まってるから!」ということらしい。

 

 日の昇り始める早朝。朝食よりだいぶ前。

 ゴウに頼まれ、再び決闘(というか、模擬戦)を行った際に、実力の差をさらに見せつけてやった場面にスサも参加しており、そのおかげか、ナタはゴウだけでなく、たまたまその場に立ち寄った(実際はゴウに貸し与えている“道場”での鍛錬に差し入れを持ってきていた)少女にまで、一目置かれるようになったのだった。あのアベリオン生産都市で、ゴウという戦妖巨人(ウォー・トロール)を打ち負かした実力は、本物の中の本物。戦いに特化した一族として、武者修行中の若い亜人は、その事実を冷静に受け止める胆力と、さらにナタの力の一端を欠片(かけら)でもいいから理解し追求していく向上心の持ち主。ゴウは、まるで出来のいい弟を自慢する兄貴のような快活な態度で、ナタを相手に戦闘訓練を積むことを己に課していった。

 それを、ナタという少年兵が──近接戦闘の申し子として創造された花の動像(フラワー・ゴーレム)が、不快に思う要素など皆無である。

 ナタもまた、向学と研鑽を良しとする嗜好の持ち主。

 彼の創造主が、少年兵に与えた設定どおり、彼は拠点の第一階層で日々を鍛錬に費やしながら、来る侵入者から第二階層への門を守護する役目を仰せつかった闘技場の番人だ。……ユグドラシル時代。その実力が発揮されることは、ついぞ訪れることはなかったが。

 いかに実力差があり過ぎるとはいえ、自分と同じ近接戦闘職の修行者が教えを乞うて来るのを、無下に扱うことなどありえなかった。

 

 とりあえず、そういった事情を事後報告で知らされたクシナは、別段気に留めるでもなく、むしろ少女の善意に満ちた行為を褒め称えた。

 撫でられくすぐられる子猫のような声と共に微笑むスサは、心底幸せそう。

 ナタも、こんな風にあの方に──創造主(カワウソ)から褒められたら──この任務を無事にやり遂げた後、頭を撫でていただけたら──と考えるだけで、胸が熱くなって頬が緩んでしまう。

 とても心地よい想像だ。

 そんなこと、いままで一度も経験したことはないが。

 

「ここの食事はどうでしたか、ナタ君?」

 

 食堂にいるのだから、とっくに食事を済ませているのだろうと思い訊ねたクシナ。

 だが、ナタは真っ正直に応答してしまう。

 

「申し訳ありませぬが!! 自分は食事が不要な身故、食事はいただいておりませぬ!!」

「──はい?」

「代わりに、おいしい果実水を御馳走になりました!! 非常に美味でございます!!」

 

 奇妙なことを聞いた気がしないでもない女主人は、とりあえずナタ少年が厚遇に感謝しているらしいことを確かめて「それは何より」と頷いた後、ここへ赴いた理由に向き直る。

 

「スサ。少し相談があるのですが?」

 

 黒髪の少女は怪訝そうに首を傾げた。

 ナタは黙って二人の遣り取りを聴く。

 

「今日は皆さんに──鍛冶部門の何人かにも、新鉱床に来てほしいのです」

 

 

 

 

 

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 センツウザンの街が誇る“八雲一派”は、とても古くからこの地を治め、君主に対し良質な鉄鋼と、鍛造した刀剣を奉納する一族として栄えてきた。

 それは、君主が魔導国に降った後も変わりない。

 魔導国の庇護下・管理下に置かれることになった南方の人々は、それなりの混乱や衝突こそあったが、やがて魔導国の支配の素晴らしさによって、より一層の繁栄と技術革命を遂げるに至っている。

 特に、センツウザンのような鉱床地帯においては、それが顕著となる傾向にあった。

 

 

 

「…………第二班、休憩に入る」

「第二班、一時間の休憩! 第五班は、ただちに交代準備!」

 

 アンデッドの骸骨(スケルトン)と地中での活動に順応した土掘獣人(クアゴア)の班構成からなる掘削隊は、予定よりもかなり早いペースで、鉱床の掘削と採掘を進められた。骸骨たちはクアゴアたちの掘り起こした岩塊をトロッコ型ゴーレムに積載し、規定量で動作する運搬車(トロッコ)が坑道内に敷かれたレールを駆け上る。

 シズ・デルタは、その様子を部隊本部として定めた大天幕──魔導国の国璽(ギルドサイン)を意匠することを許された、一際(ひときわ)巨大な防音防塵テントの中で眺めることができた。監視用機能に特化した監視用ゴーレム(小型カメラ)を、小隊長などの指揮官クラス──この作業の間だけ役職を賜ることになったアインズやユウゴ殿下たち謹製の下位アンデッドらに持たせている。そうすることで、シズは魔法の光源で明るく照らされたテント内に用意した〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を大量発生させるマジックアイテム越しに、彼等の謹直な労働作業を監視することが可能。

 

「…………進捗は?」

「現在。新鉱石を含有していると思しき鉱石だまりを60%は回収できております。その内、23%から白銀の原石の抽出に成功しております」

 

 彼女が捧げ示した板状の端末の画面を、自動人形は覗き込むように腰を折った。

 シズは、副官役を務める悪魔と亜人の混血種(ハーフ)──土掘獣人(クアゴア)の皮を纏うような女に、かすかに頷く。

 彼女らは職務上、シズの部下たちであり、アインズより貸与されたともいえる現地人たち。

 軽々に扱うわけにもいかず、さりとてナザリックの者と同等というほどの扱いもありえない。

 とりあえずシズは、時計の針が示す通りに部隊を運用しつつ、新鉱石の採掘作業や行程内容に問題がないかを確認するだけに努める。

 

「…………鍛冶師たちは?」

「“八雲一派”のクシナ頭領に派遣準備をさせておりますが、あそこはすでに冒険都市の方へ緊急動員令がかけられておりますので、生産ラインの維持に必要な人員しかいないという報告を受けております」

「…………うん。アインズ様には、もう、私が許可を取った。今月の“刀”は、少なくてもいいって」

 

 実際には。

 シズの相談を受けたのはナザリック地下大墳墓で堕天使たちを監視する任についているアルベドであり、彼女には“大宰相”並びに“最王妃”として、それなりの裁量・采配の権が、主人にして夫であるアインズから大いに許されていた。武器の生産ラインのひとつが滞ったところで、大勢に影響などありえない。

 アインズは今、飛竜騎兵の領地に留まり、100年後に現れたプレイヤーと共に、そこに出没した不穏分子の捜索と滅却を行っている。

 かの地で黒い飛竜(ワイバーン)を錬成し、反旗を翻そうとしていた愚物(バカ)は、デミウルゴスによって回収・検体保存処置済みだが、領地の奇岩内に何かしらの悪影響が残っていないか調べる(さらなる検体が残っていれば再回収してしまう)のは、当然の事後処理・つとめであった。

 三等臣民ばかりの領地であろうとも、彼等もまた、尊きアインズ・ウール・ゴウンのシモベの末席に加わる存在──そんな存在にまで心を砕き、慈悲をもたらす主人の優しさを、シズは100年前より以前から知っている。

 

「…………採掘できた新鉱石の加工実験。うまくいくと、いい」

「うまくいくはずです。あの一派の鍛冶師たちは、この地域では指折りとの情報があります。偉大なるナザリックの方々にはまるで及びはしないでしょうが」

 

 ナザリックから火蜥蜴(サラマンダー)の鍛冶師や鑑定士などを急派させる方が確実ではあろうが、それではせっかくの現地人たちの有用性を殺してしまう。彼等はアインズの役に立つべく、研鑽と改良を加え続けられた存在たち。それを有効的に使わないことは、アインズの意図や意思を無視することにも繋がりかねない。

 そのためにも、同じ“八雲”の鍛冶師たちを、ここへ──新鉱床へ派遣させる方が、よい。

 シズがひとり納得の首肯を数ミリだけ顎を動かして示したのと同時に、副官が腰で震えるミニ・ゴーレムの端末を取り出した。

 

「はい、こちら本部──はい。──はい、解りました。協力に感謝いたします。それでは」

「…………なに?」

「クシナ頭領より〈伝言(メッセージ)〉が。鍛冶師の派遣は、ご要望通り行えると」

 

 すべては順調。

 いかなる問題もない。

 シズは、そう、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「衝突」

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