オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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◆日産 中位&下位アンデッド、100年の歩み

          1     2     3     4
日産 年      アインズ パンドラ 御嫡子   姫    ?
12体×365日   =4380
  ×100years =438000  876000  1314000 1752000 ?
20体×365日   =7300
  ×100years =730000  1460000 2190000 2920000 ?

単純計算。
実際はいろいろとあって少ないはずだけど、それでもやべぇ数だこれ。



衝突 -1

/Flower Golem, Angel of Death …vol.09

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 翌日。調査開始から、二日目。

 生産都市・アベリオン。暁を望む、集合住宅屋上にて。

 

『えと、イズラさん、ナタくん……お、お時間は大丈夫、でしょうか?』

「問題ありませんよ、マアト」

『こちらもです、マアト!! どうぞ気を楽に!!』

 

 気弱な天使(マアト)の〈全体伝言(マス・メッセージ)〉で繋がりを得た三者は、現地の人物──冒険者らしい──と何やら重要な話をしているという冒険都市に派遣されたラファを除く調査隊同士で、相互に話をすることを可能にしていた。

 

「そちらはどうですか、ナタ? 南方の調査、順調でしょうか?」

『問題ありませぬ、イズラ!! 現地の人たちの協力もあって、良い情報が収集できております!!』

「それは素晴らしい。ですが……あまり、深く関わってはなりませんよ? 言っては何ですが、彼等は──」

『場合によっては!! 我々、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の“敵”となるやもしれぬ存在!! よく心得ておりますよ、イズラ!!』

 

 主人からの命によって、彼等魔導国の存在に対する殺傷や攻撃は、今は禁じられている──今は。

 イズラはナタの調査を滞らせるかもしれない事象……現地人に対しての過度な介入や干渉……深入りしてしまう可能性を警告するが、花の動像の明朗な声音を聞けば、さすがに杞憂だと解る。

 ナタは「とある妖巨人(トロール)と人間の少女がおもしろ不可思議な関係にある」とか、「クシナという一等臣民の女主人が、魔導国の精鋭部隊に協力している」などの他にも、様々なことを調べ尽くしてくれている。何より、イズラは暗殺者としての警戒や心得から、現地人の内実や心情……交流を深めることでのみ得られる『臣民個人の魔導国に対する印象』『魔導国の政治体制や法制度の履行具合』などを、彼等に直接聞き出し質問する機会には恵まれていない。明るく快活な少年兵・ナタであるからこそ、イズラのような潜入に特化した能力の持ち主よりも、場合によっては有用極まる情報を獲得する術を構築できているわけだ。

 やはり、自分たちの主人の、カワウソの采配は見事だと評するしかない。

 イズラだけでは数日どころか数週間は必要になるだろう魔導国臣民の情報構築に、ナタはほんの二日足らずの日数でやり遂げてくれている。暗殺者(アサシン)盗賊(ローグ)ではない“純粋な戦士”だからこそ至れた成果だ。

 その事実を、悔しく思う部分がないと言えばウソになるが、それでも、同胞同輩のNPCが任務に成功すること……手柄をあげることを、死の天使はカワウソへの忠節と信義によって大いに歓迎することができた。嫉妬という感情に身を焦がすほど、イズラは情熱的とは言い難い性格でもある。どんなに羨ましいと思ったところで、自分の能力を超えられるわけもなし。ナタはナタであり、自分は自分だ。彼に出来ないところで、イズラはカワウソへの忠勤に励むのみである。

 これらの情報は、必ずや、カワウソの利に繋がるもの。

 ただそれだけが真実であり、何よりも代えがたい、我々全員の存在理由となる。

 そう思えば、自分自身の功名や、結果を求め焦慮(しょうりょ)する必要など何処にもないではないか。

 

「それでは、長らく謎であった、都市や街道など大陸内に存在するアンデッドのことについてですが」

 

 定期連絡によって、ナタとイズラは各々の調査状況を把握し、それぞれの情報確度を向上させていくことは重要だ。わけても、魔導国において難解極まる疑問のひとつを、二人はこの数日で入手することがかなっていたのも大きい。

 

「街などに駐屯・常在しているアンデッドたちは、すべてアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下や、その子息である王太子殿下などによって作成(つく)られているとか」

『アンデッドを作成する特殊技術(スキル)でしょうか?! それとも、そういう異世界独自の魔法という線が!?』

 

 最上位アンデッド・死の支配者(オーバーロード)の種族スキルに、上位アンデッド創造/1日4体や中位アンデッド創造/1日12体などがある。上級の天使──天使の澱で言えば、熾天使であるミカや、智天使のガブ──が、同族を作成召喚するのと同じ特殊技術(スキル)なのだが、どういう原理でなのか、この異世界のアンデッドモンスター……アインズ・ウール・ゴウン魔導王と、その継嗣である“王子”や“姫”などが創り上げるそれは、通常のユグドラシルの召喚時間を超えて、存在し続けている。

 街を行き交う死の騎士は半日以上も広場の監視を行い、農業用スケルトンは作業休憩の時間中、小鳥や子供に乗られ戯れられても微動だにしない。いずれも、イズラなどが実際に観察確認した限り、通常の作成スキルや召喚魔法の効果発動時間を大幅に超えて、世界に存在し続けていた。いかに相手があのアインズ・ウール・ゴウンを代表する死の支配者(オーバーロード)の姿をした存在であろうとも、彼が死霊系魔法に特化したユグドラシルプレイヤーと似た……または完全同一の存在であるプレイヤー・モモンガ……なのだとしても、ユグドラシルの法則からは完全に外れた事象だと、言わざるを得ない。

 

 これは、「異世界ならではの特別な手順や手法を踏むことで、召喚モンスターの存在を世界へと固着させている可能性」を、彼等の隊長である女熾天使・ミカが仮定してはいたが、ナタやイズラたちには見当もつかない。少なくとも拠点NPCが行える程度の作成召喚で生み出された天使たちは、時間通りに消滅することは実証済み。──異世界の土地が影響しているのかと思って、大地に降り立たせて置いてもダメ。異世界のアイテムや装備品が定着の原因かと思って、武具店で売られている短剣や指輪・ポーションをイズラたちが買って拠点へと送り持たせてみてもダメ。現状で試せるだけの手は打ったはずだが、結果はまったく芳しくないものであった。

 

 ……まさか、この異世界に発生する“死体”が、『異世界の住人が死ぬ』ことによって“アンデッド化”した結果が、アインズ・ウール・ゴウンらの生み出すモンスターに永続性を保有させているなど、彼等天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は知りようがなかったのだ。

 

 イズラはとりあえず、ナタの声に頭を振った。

 

「さぁ。判りかねます。ナザリック地下大墳墓内で無限に湧き出るという話も伺っておりますが、我々の拠点と同一の術理(POP)だとすれば、あの拠点でもユグドラシル金貨の消耗は必至のはず。ユグドラシル金貨が存在しない世界では、そのように湯水のごとく消費するのはありえないはずですが……いずれにせよ。総数にして数十万から百万単位のアンデッドが、軍勢規模の常備軍が、この国には存在していることは確実ですね」

 

 百万の軍勢(アンデッド)

 1000の1000倍という暴力的な数。

 

 それを雑兵の集合と見做すのは、あまりにも危険すぎる規模に相違ない。

 自分たちの知り得ぬ力によって生み出され、地上を闊歩(かっぽ)するアンデッドたち──あるいは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王という存在の強化を加えられた“死の軍団”は、自分たちの拠点にはありえない軍団の規模だ。

 確かに、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点であるヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)には天使モンスターを召喚(POP)するギミックがそこここに設営されており、侵入者たちの行く先を(ことごと)く塞ぐ役目を果たす──が、これの使用にはユグドラシル金貨=ギルドの運用財源を消費することになるため、無闇にPOPさせ続けたら財政が破綻してしまう。無い袖は誰も振れるはずがない。天使の澱では百万体どころか、一度に千体を召喚しただけでかなり危うくなるやも。

 

 にも関わらず、敵はその千倍の軍を派兵可能やも知れないという、事実。

 

 仮に──

 もし仮にだが、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)籠城(ろうじょう)戦を展開し、その百万の軍勢に挑みかかられた時点で、天使の澱は確実に蹂躙されるだろう。属性の相性やモンスターの能力差や性能比ではなく、圧倒的な“数の暴力”に、彼等はなす(すべ)が、ない。

 どうにかして1000体の天使を揃えても、単純な戦力差は1対1000とあっては、子どもでも無理があると理解できる──理解しなければならない。

 

 いかにナタやイズラたちLv.100のNPC──防衛隊の核たる十二体を投入しても、(だい)なる消費と摩耗に抗しきれるとは思えない。アンデッドにも様々な種類がある上、天使の澱のLv.100NPC全員が純粋な戦闘巧者とは言い難い。与えられている装備も、最上のものではミカのみが保有することを許された“神器級(ゴッズ)”アイテム(純粋な熾天使専用の装備で、カワウソが上位ギルド解散時に払い下げられた物の余り)もあるが、他の者たちは伝説級(レジェンド)以下の装備がほとんどを占める。濁流のごとく攻めたて、大海のごとく押し寄せる軍勢に、体力と魔力、スキルの使用回数を削ぎ落されることは確定的だ。そうやって疲弊し尽くしたところで、魔導国の精鋭──高レベルに位置する上位アンデッドの集団や、現地勢力の精鋭部隊、そして各階層守護者などとの戦闘に入れば、結果は火を見るよりも明らかとなる。

 ──天使の澱は、負ける。

 そこまでを確信し認識しながらも、彼等NPCは、自分たちの務めを悲観することは、ない。

 

「カワウソ様の御役に立てさえすれば、それだけで良い我等“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”」

『死を恐れる必要などない!! 我等の敵は死の支配者を首魁とするギルド!! そして!!』

『ナ……ナザリック地下大墳墓、だ、第八階層の、えと、あれら(・・・)さん? あと』

「あの謎の少女」

 

 第八階層攻略のためだけに作り上げ『かくあれ』と定められた尖兵たる彼等にとって、それは己の設定──存在理由を完遂できる可能性があることを意味する。

 これを喜ばないものはいない。

 彼等は、拠点の中に籠ることが宿命とされた拠点防衛用NPC──カワウソに外へ連れ出されることはあり得なかったが、その身に刻まれ設けられた“定め”に従う機会を、ずっと待ち侘びていた存在。

 己が本懐を遂げるその時を夢見ながら、彼等は調査行程の確認を終える。

 

「では、皆さん。今日もつつがなく」

『ええ!! どうか!! 全員の武運長久を!!』

『ふ、二人共、が、がんばって……ください。お、応援して、ます!』

 

 そして、三者の声を結ぶ魔法の繋がりが断たれた。

 ナタは南方の領域で鍛冶師一派の世話になりつつ、魔導国の武器生産ラインや鉱床地帯の解析を。

 マアトは飛竜騎兵の領地で厄介になり続けるカワウソや、冒険都市のラファの援護を。

 最後に、

 イズラは生産都市の地下にある巨大農場──今日からはさらに深層部への、潜入を。

 

「第三階層(エリア)・畜産加工地帯。第四階層(エリア)・魚介類養殖地帯……」

 

 観光案内の断面図の中心を指で撫でた。

 狙うは、この、二階層分の魔導国が誇る地下生産機関。

 第二階層の農作農耕地帯のような、魔法による気候管理と牧畜らの放牧場や加工場が立ち並ぶ畜産業に特化された第三。さらに、それらとはまた毛色の違った──地下世界に海や川を再現する巨大水槽や人工河川が造営され張り巡らされ、そこに様々な魚介類が徹底的な管理体制の下で養殖されているという第四。

 

「この第五……都市管理魔法発生地帯については……明日になるでしょうか?」

 

 昨日の調査で第一と第二が精一杯だったのだ。今日も同じペースになると考慮すれば、自然とそういう流れになるか。

 この生産都市に生きる人々に、等しく魔法の恩恵を宿すための最深部。

 魔導国における“都市管理魔法”というものを検分することは、必ず、自分の主人にとって望ましい結果へと繋がるはず。

 そう、死の天使は確信していた。

 

 

 

 

 

 飛竜騎兵の領地にて、死した長老の葬儀が行われる、一日前のこと。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 同じく生産都市・アベリオン。

 アインズが居住するに値する王城の館。そこでの滞在を任務期間中に許されている戦闘メイド(プレアデス)の一人が、与えられた使用人室──といっても、内装は現地基準だと破格の贅を凝らされており、ほとんど主賓室のような佇まいだ。森妖精(エルフ)の木工職人が彫刻せし女神像や、山小人(ドワーフ)の魔法技師がくみ上げたカラクリ時計などは、それ一つだけで都市集合住宅の家賃相場三、四ヶ月分の値はするという。いずれも、ナザリックのそれに比べればそこまでの出来ではなかったが、アインズ・ウール・ゴウンを信奉する臣民の手による芸術を(いたずら)に破壊するほど、その部屋を与えられたメイドは愚かではない──にて、とある作業に没頭していた。

 仄暗い水底にも似た、光を一切逃すことなく吸い込む瞳を不機嫌に歪め、鉄色のピンポン玉に込められた機能を停止する。

 

「これもダメね……」

 

 ソリュシャン・イプシロンは、創造主より与えられた白黒の衣服に豊満な女体を秘めたまま、与えられた休息時間の間に、とある映像記録の精査を続けていた。

 何個目かの記録魔法発生装置を精査済みの箱に収めつつ、未精査分の装置を〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉発生用アイテムに接続。記録された内容を、大画面高画質高音質で再生させる作業を繰り返した。

 

「F地区は、すべて、異常なし、と」

 

 テーブルに置かれた紙──この都市の詳細な区画表記を施された地図にチェックを入れる。

 次は、隣のG区画。都市映像記録用の監視ゴーレムの数は、14である。

 生産都市は、アインズの英語表記……Ainz……即ちA地区が都市中心に位置しており、そこから順番に政府公舎や官公総舎のあるB地区やC地区という具合に、街をグルグルと回るような形で区画区分が施行されている。

 

 ソリュシャンは、まずありえないことだとわかってはいるが「用心に越したことはない」と、自分たちの主人が住まう王城の建立された絶対中心区であるA地区……王城内だけでも三桁もある監視装置類の類をすべてチェックするべく、王城内に詰める上位アンデッドが一体、集眼の屍(アイボール・コープス)の助力を得て、その複数の濁った眼による強力な探知看破能力を駆使してもらった。彼の能力は驚くことに、ナザリックでも最上級に位置づけられる第六階層守護者──そして、現在は魔導国・六大君主が一柱“大総監”という役職を拝領し、“陽王妃”の位をもって、アインズの妃の座を射止めた闇妖精の少女──アウラ・ベラ・フィオーラの能力を上回る「探知」と「看破」に特化した存在で、ソリュシャンの駆使するそれよりも数段上の階梯に位置する御方(アインズ)直製のシモベである。

 彼であればきっと、あの“謎の影”の正体を掴むことも容易(たやす)いはずと思考されて当然であった。

 また、最悪の想定ではあるが、この王城内に潜入する不遜な輩……あの“影”がいたとするならば、彼の複数個の眼球が、すべてを見透かし、すべてを看破してくれると、大いに期待してよかった。

 

 ちなみに。

 彼、集眼の屍(アイボール・コープス)のような上位アンデッドは、現地のとある稀少貴重な“触媒”によって、アインズ・ウール・ゴウン御方の手から創られた、他の中位や下位と同じ“永続性”を保持している。彼の他にも、蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)永遠の死(エターナル・デス)具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)や、アインズと同系統のアンデッド──図書館のそれとは別個に作られた死の支配者(オーバーロード)四種類が、それなりの数だけ、生産されるようになった。

 だが、彼等の触媒となる異世界の、つまり現地の因子というのは真に貴重であり稀少で、量産というほどの数は揃っておらず、せいぜい大陸に散る各都市(領地や地方は含まない)に一体~三体程度が駐屯している程度。勿論、ナザリックを擁する栄誉を賜った絶対防衛城塞都市・エモットには、唯一“二桁”単位の上位アンデッドが部隊を組んで存在し、ナザリック地下大墳墓への侵入潜入の手管を封じる任務に就いており、場合によっては他の都市などへの派遣任務にも従事している。

 

 ──だが、王城内に残された映像記録を精査した上位アンデッド・集眼の屍(アイボール・コープス)は、ソリュシャンが掴み取った「通りを行き交う“影”」の姿を城内の映像から発見することは叶わず、他にもいかなる異常現象を確認することはなかった。

「王城内は、至って平穏無事」という結論をいただいたソリュシャンは、疑念が尽きなかった。

 あの“謎の影”は、何なのか。

 自分よりも弱い……だが、現地の臣民レベルで言えば圧倒的に強者と言える影の悪魔(シャドウデーモン)たちが、誰一人として認知し得なかった“影”の存在。まるで粘体(スライム)の喉に、溶かそうにも溶けてくれない豪金の如き小骨が引っかかるような、大いなる猜疑と不審を覚えてならなかった。

 あれは、気のせいや勘違いの類では、絶対にない。

 そう確信しているソリュシャンは、例の映像を──あの“謎の影”と、談笑する少年の映像を供与し、その看破能力で見透かしてもらおうと協力を仰いだ。

 

 だが、集眼の屍(アイボール・コープス)は影を、その正体を見透かすことは、できなかった。

 

 正確には、ソリュシャンと同じように、「存在は認知できるのだが、詳しい形状が見て取れない」という状態だった。そこに何かの影があることは理解できる──だが、その影の正体は掴みようがなかった。ソリュシャンに比べれば幾らかは鮮明になってはいたが、それでも「外套(コート)の裾の端っこ」ぐらいの範囲しか確認できず。影と共にいく少年の姿も、ソリュシャンと同様にかなり朧げな蜃気楼じみたものとしか識別できなかった。

 無論これは、あまりにも異様な事態と言えた。

 上位アンデッドでも見透かせない“影”となれば、それはもはや、ナザリックが誇る各階層守護者──Lv.100NPCと同格……または“それ以上”……と見做すより他にない。二日前から続く懸念が、どうしてもソリュシャンの意識を、まるで粘体の中身を攪拌されていくような……イヤな予感や疑念で覆い尽くしてしまうのに十分な脅威と感じられてならなかった。

 

 100年の“揺り戻し”とやらによって出現したのは、あの天使ギルドだけではないのか?

 他にも、ナザリックが認知していないユグドラシルの存在(プレイヤー)が?

 あのギルドの未知なる伏兵という可能性は?

 あるいは、また別の──?

 

 ことここに至って、謎の影の正体を掴むことは、ソリュシャンの任務の合間の休憩時間に行う規模のそれではなくなっていた。

 魔導国“大参謀”──デミウルゴスが特別に掌握を許されている現地の血統を含む“私設部隊”の手まで借りて、十分な捜査と探査が開始されてこそいるが、やはりこの案件は未だ、アインズの耳には届けられていない。これは、ナザリックの忠実なシモベ、デミウルゴスの暴走ということでは決してない。

 何しろ、アインズは現在、100年後の魔導国に出現した天使ギルドの首魁──カワウソという名の堕天使プレイヤーと協力して、かの地にて造反劇の事後処理に終始しておられる真っ最中。処理はつつがなく進行し、明日には犠牲となった老兵の葬儀に、共に参列するとのこと。つまり、御方は飛竜騎兵の領地に居留したまま──あの堕天使の傍に留まっていることになっている。

 件の堕天使を、魔導国やナザリックの支配下に組み込むという計略のためにも、アインズは全身全霊をもって、事に集中されている状態だ。そんな状況で、さらに未知なる強者が出現した「かもしれない」という『あまりに程度の低い可能性』まで上位者たるアインズに、──“重大な作戦に身を投じている現状”で奏上してしまうのは、御方のためになるはずがない。もっと、確たる情報を掴まねば。確実な状況や証拠をもって、アインズへと供する判断材料を収集せねば。然る後に、対処方法を整えるべきだと思考されるのは、当然の帰結とすら言える。せめて、あと一日~二日は、可能な限り調査を続行し、そうして確定した情報だけを報告することが肝要だと思考された。

 あるいは、あの影はもはやすでに、この生産都市を離れており、ソリュシャンたちの懸念と探査作業は、ただの無駄骨になるかもしれない。

 この映像確認作業は、ソリュシャンの業務ということではない。アインズより賜った恩賜“休憩時間”をいただかないというわけにもいかないため、ほんのついでの片手間程度で、市街の記録映像に目を通している「だけ」という体裁を保っている。彼女に与えられた任務は別にあり、その解決に尽力することこそが、ソリュシャン・イプシロンの今現在における最優先事項なのだから、これは必然と言える措置ですらある。

 先日、飛竜騎兵の領地にて、実に興味深い“検体”を得て、その実験と検証──『若返り』の研究という、今後のナザリックにおいて絶対必須の案件に忙しいデミウルゴスは、自分の私設部隊とソリュシャンへの追加護衛モンスターを生産都市に向かわせ、ソリュシャンが見かけた“影”とやらの存在を探り、彼の実験に利用できそうであれば極秘裏に確保し、己の計画──アインズの計画とは別口のもの──に利用しようとしている。

 ……が、結果はまったくもって芳しくはない。

 そうでなければ、別の特務を受領しているソリュシャンが、こうして休憩がてらに映像の確認を──あるいは何か、新たな情報をどこかに感知できないかどうか確認する作業に没入してしまうはずもない。デミウルゴスの私設部隊は、現地の血統を有しながらも、優秀だ。何しろ“親が親”なのだから当然ともいえるが。

 

 

 

 無論、ここまでソリュシャンたちが気を揉んでたまらない“影”というのが、暗殺者(アサシン)Lv.15や暗殺者の達人(マスターアサシン)Lv.10などの隠密職に長けたNPC──アインズ・ウール・ゴウンの“敵”として存在するギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の防衛部隊所属──イズラという名の死の天使であることは、もはや言うまでもない。

 都市調査一日目にして、都市全域の監視装置の類の位置や性質を理解し尽くした隠密職の彼は、もはや完全にそれらの監視の目の影響下から脱していた。どこに監視ゴーレムが設置されているのか、それらの死角の有無なども、完全に把握済み。隠密スキルと魔法を併用することで、隠密能力に特化したLv.100NPCの天使は、初日の段階ではナタの存在を朧にぼかす“集団潜伏”に力を傾注させていたが、彼と別れ、本気で自分一人を隠すべく力を集中できる今、彼を捕らえることができる存在はごくわずかしかありえない状態になり果てている。

 

 

 ……それこそ、魔法の監視越しではなく、然るべき存在が、(イズラ)という天使と、“直接”接触する機会でもない限りは。

 

 

 

 ソリュシャンは眼球に似せられた粘体の顔パーツを、黄金の前髪に飾られた少女の瞼を押さえる。

 泣いているわけではない。疲労を覚えたというわけでもない。が、自分の能力が及ばぬ力をひしひしと感じさせられる事態というのが、たまらなく「応えて」しまうのだ。上位アンデッドにすら看破不能な存在が近くにいるやもしれないという状況で、戦闘メイドの自分が、何の力も及ばぬというのは理解できても、「役立たず」という不名誉に耽溺することは、ナザリックに仕えるシモベとして、アインズを護る戦闘メイドとして、彼女の矜持や信義が、許せない。

 ……あの不吉な“影”が都市に姿を現してから、この都ではそこまで大きな混乱や事件など起こっていない。

 せいぜい、101都市タクシーの──101匹ハムスケの子孫が、その当日に「混乱」の状態異常薬を嗅がされ暴走したことくらいだが、すでに下手人は逮捕拘束されている。

 都市交通タクシーの騎乗獣を暴走させた連中は、近くで辻決闘の興行をしていた戦妖巨人(ウォートロール)の修行者に敗れた都市内の亜人共数名。少しは腕に自信のある彼等の言い分としては「自分たちがあっさりと負けた妖巨人との決闘に、あんな人間の子どもが簡単に勝てたのが納得いかなかった」「きっと何か反則を働いたに違いないと思って、むしゃくしゃしてやった」「あの子供に、寝こけていたタクシーをけしかけてやろうとしたら、思いのほか大事になっちまった」「あの蒼い髪の奴が勝ち得た賞金を、混乱に乗じてブン盗っちまうとか考えてません」などと供述しているらしい。

 幸い、被害の方は露店が数個ほど損傷し、台無しになった商品の額と合わせても、被害額は数万ゴウンに収められる勘定だった為、『半年の社会福祉労働』および『被害店舗への弁償』で事は済むことになった。寛恕が過ぎる気がしなくもないソリュシャンだが、それが魔導国の法であり、アインズ・ウール・ゴウンその人の定めた罰の執行である以上、否とは言えなかった。何とも慈悲深い御方。

 メイドはソファに深く身を預け、大きく弾む胸を突き出し、手足を伸ばして背筋を反らす。

 室内の時計を横目に確認。そろそろ休息時間も終わりの頃だ。

 

 ソリュシャンは休憩の最後──あの影法師と少年が映り込む都市の件の映像を画面に投影させる。

 疑問は尽きることはない。

 こいつらは、──何者だ?

 

『イプシロン様』

 

 扉をノックする護衛を務める影の悪魔の声だ。「どうぞ」と促せば、扉は開くことなく、その隙間から影が音もなく室内へと滑り込む。ソリュシャンは映像を投影するアイテムを停止させて、地図と共に片づける。

 

『不法奴隷売買の元締……主犯格が、本日より“地下”に潜る準備に入ったとの報告が』

「ええ。わかりました」

 

 ソリュシャンは立ち上がり、机の上にあった記録装置の類を詰め込んだ箱を、従者のごとき影の悪魔に預ける。

 扉の方へ向かう悪魔の背中を見送りつつ、粘体(スライム)種である不定形の粘液(ショゴス)始まりの混沌(ウボ・サスラ)であるメイドは、冷たく潤む表情を柔らかく歪め、ほくそ笑んでしまう。

 昨日捕らえた罪深き共犯者共を泳がし、悪魔の監視の下で協力させ、此度の一件に関わる郎党を一網打尽にする目途(めど)は付いた。

 これで、ソリュシャンの特務は、明日(あす)明後日(あさって)には達成されるはず。

 

「待っていてくださいね……三吉様」

 

 思わず小声を紡ぎ、表情を物理的に(とろ)けさせ、ほのかに上気した顔色で、彼を想う。

 特務の後は、当然のごとくナザリックへと戻り、スパリゾートで三助として日々の務めを果たす同族の彼──愛する(パートナー)と共に休日を愉しみ、そこへ新たに加わった娘と共に、一家そろって湯浴みに興じる約束を結んでいる。

 この異世界に転移してより100年。

 ソリュシャンは新たな家族を賜っていた。

 新たに設営された御方の“親衛隊”の一員、セバスとツアレの一人娘を隊長と仰ぐ“新星・戦闘メイド(プレイアデス)”の一人として抜擢された、翠玉(エメラルドグリーン)粘体(スライム)(ソリュシャン)と彼の色が溶けあい混ざり合う、小さくてかわいい、自慢の愛娘(まなむすめ)の“中身”をくすぐり戯れてやった時の笑顔と笑声を心地よく脳裏に思い描きつつ、ソリュシャンは冷厳に表情を整え、己の任務に従事する。

 (シズ)も、与えられた南方での特務に専念している。

 姉である自分が、だらしないところを見せるわけにはいかない。

 振り返り、扉をドアマンのごとく開放して待機する影の悪魔へ──命じる。

 

「決行は明日です。それまでに、あなたたちは後詰の準備を」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 その日。

 イズラは、地下農場施設に初潜入を果たした時と同じ手法を使って、続く第三と第四のエリア──畜産加工地帯と魚介類養殖地帯──の調査を終えた。

 どちらも興味深い生産機構が生きており、そこで働く人々の姿も穏やかであった。

 農耕地の下の階層には、地下なのに陽の光に照らされ風が吹き抜ける牧草地がなだらかな平原や丘陵が先の見通せないほど広く造営されており、そこで牛や馬、豚に鶏、羊や山羊など(に似ている)複数種の家畜が、自由奔放に草を()み、畜舎の中で人や亜人の手によって世話を焼かれていた。

 さらにその下の階層には、あまりにも巨大で重厚な水槽が建物のごとく区画整理された街並みのごとく整然と佇立、摩天楼(まてんろう)のごとく(そび)え、その青い世界(アクアリウム)の中を、種々様々、数え切れぬほど大量の小魚や大魚がそれぞれ群れを成しながら共存……一個の弱肉強食の法に基づく自然の摂理を作り上げて生きている。

 ここまでの調査で、地下空間にもアンデッドたちによる労働力が、影に日向に活躍していることが確認されている。

 

 倉庫整理に従事するアンデッド。

 耕作機械のごとく働くアンデッド。

 飼料や堆肥を積み上げるアンデッド。

 水槽内を酸素ボンベなしで清掃していくアンデッド。

 

「すさまじい……ものですね」

 

 イズラは感嘆を禁じ得ない。

 敵ながら天晴(あっぱれ)としか言いようがないというべきだ。

 疲労せず、呼吸せず、飲食などの維持費用も無用なモンスターを、最大限有効活用できるように仕事が割り振られている。彼等に出来ない分野を補佐・監督するような形で、魔導国の臣民達が労働に励み、そんな彼等には難しい作業──長時間作業・重量物積載・不衛生環境・酸素不要による水中活動──を、アンデッドの骸骨(スケルトン)などが代行してしまうという、この調和(バランス)

 自分の妹・イスラが生命創造者(ライフメイカー)という職業(クラス)を与えられている関係上、兄たるイズラも生命を生み育む環境の整備がどれだけ複雑かつ難しい事業であるのかは心得ている。ギルド:天使の澱の、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)内の食料自給の要を担う“食材”を生み出す料理人(コック)でもあるイスラの役割に似た生産活動──それを、この魔導国は、100年前より構築し、大陸全土に住まう臣民の食卓を彩ってきたことが、この光景から、圧倒的に理解できた。

 さらに。

 この生産都市・アベリオンは、“第一”と号されている……。

 つまり、……“第二”“第三”“第四”といった、別の生産都市が存在していて当然の名称であることを考えれば。

 

「他の生産都市も。これと同じ規模か、あるいはそれ以上の?」

 

 だとすれば、それはまさしく大陸という地を治める、覇者の所業。

 いかにイズラたち天使の澱のNPCが、『ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの敵』と定められた存在であろうとも…………否、“敵”だからこそ、アインズ・ウール・ゴウンの成し遂げた事業の精巧と成功を、(あやま)つことなく評価し、賞賛することを(いと)わない。厭う理由がない。

 

「それでこそ」だ。

「それでこそ」なのだ。

 

 彼等天使の澱のNPCは、素晴らしい敵と()(まみ)えることができた事実を、──戦う相手が“敵”として素晴らしければ素晴らしいほどに、彼等へと戦いを挑める自分たちという「在り方」を、──そのように創り上げ生み出してくれた、唯一の創造主・カワウソへの恩義を新たにする。ひっきりなしに続く感動の鼓動が、胸に心地よい。敬虔な信徒のごとき微笑でひとり頷くイズラは、本気で自分たちの創造主への信仰と感謝に打ち震えてしまう。

 

 戦いこそが喜び。

 戦いの中で散ることが誉れ。

 

 それが、彼等──堕天使(カワウソ)(よど)みより生まれ落ちたギルド──天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 

「これだけ素晴らしい生産機関──施設であれば、見学ツアーが組まれるのも納得ですね」

 

 地下空間に構築された農場・牧野・水族館が如く青色に輝く世界の様は、魔法の昇降装置(エレベーター)……全天ガラス張りの箱で眺め見れば、どれだけの感動の声が紡がれ、感激に震える瞳が生まれるか、想像するに難くない。イズラはその箱の中に潜り込んでしまうのも容易であるが、彼の任務内容は、この都市の調査……遊興に耽溺する暇など、これっぽっちも存在していない。

 

 

 

 そして、翌日。

 

「ついに来ましたね」

 

 逸る気持ちを押さえ、日付が変わったのと同時に、地下への入り口に踏み込んだ。

 些か性急な気もするが、都市管理魔法という未知なるモノを調査する時間は多い方が良いはず。もともと、イズラは死の天使として「疲労」や「睡眠」とは無縁な存在であるため、無茶をしているつもりは一切ない。むしろ今までの進捗の方こそが遅すぎた気がするくらいだ。

 調査開始から、四日目になる今日──ナタと訪れたばかりの一日目は都市表層を、二日目は地下第一と第二を、三日目の昨日は第三と第四の調査を終え──生産都市地下の、最後の階層に、イズラは暗殺者の技法を駆使して潜入を果たす。非常階段の柱を取り巻くが如き螺旋構造、その終着地点に降り立つ。

 死の天使は〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。

 

「マアト。これから地下最深部に侵入します──ええ。カメラをひとつだけ。それで構いません」

 

 これで準備万端。

 イズラは非常口の施錠を開け放つべく盗賊(ローグ)職系統の工具を取り出す

 

 生産都市アベリオン・地下第五階層。

 ──都市管理魔法発生地帯。

 

 書籍などで説明されている限りは、都市内の街灯や水晶の画面を起動し、上下水道などを安定稼働させる、いわば都市機能の中枢だ。

 さすがに、都市機能全体を管理管轄する地帯であるためか、中々に頑強な鍵で施錠されていたが、イズラの技量と特殊技術(スキル)で問題なく侵入を果たせる。

 

「ふむ……見た感じは、第一の倉庫と同じ、ですか?」

 

 最後の階層にしては、少々狭い感じだ。

 天井は高くもなければ低くもない。普通の通用路として機能する程度のそこに足を踏み入れようとして、

 

「ん……ああ、よくある仕掛けですね」

 

 イズラは通路内に張り巡らされたセキュリティ──侵入者が踏み込むはずの床が、スイッチのごとく駆動する(床全体に触れた途端、警報やトラップが作動する)ことを鋭敏な感知能力で事前に察知し、迷うことなく翼を広げる。宙を滑るように〈飛行〉しつつ、音もなく通路を奥へと進む。空中にも不可視のセンサーライトが縦横無尽に張り巡らされていたが、それも器用にすり抜けて。

 普通の従業員通用路に到達すると、黒い翼をしまう。翼があっても特に問題なく潜入は出来るが、天使の翼は装備などとは違って肉体の一部と認識される……つまり、攻撃を加えられた際に体力が削がれるパーツとなるため、出来ることなら身体の表面積を小さくしておく方が望ましい。

 最深部は、それまでの階層とは違い、巨大な空間という印象は受けない。ただ、入り組んだ迷路のように広い十字路を通過しつつ、その長さには呆れてしまう。数百メートルは無機質な通路が続いた。やっと突き当りに到達し、顔にかけた翻訳眼鏡で金属の壁の案内板を解読。

 

「これですかね?」

 

 綺麗に印字された現地語で“←主動力室・予備連絡室→”を確認。

 矢印の示す通り、T字路の左へと突き進む。

 さすがにこの未明の時間でも、従業員の姿は──というか、巡回警備らしいアンデッドの姿は、それなりに多い。都市の地下第五階層の最深部に位置するだけはある。このエリアの重要度がよく解る警備レベルだ。

 死の天使は通路を突き進む。影のごとく無音に。一切の気配を遮断して。

 

「ここですね」

 

 鍵はかかっていた。

 何らかの魔法の解除コードが必要そうな扉だが、盗賊の達人(マスターローグ)をも取得するイズラには何の障壁にもなりえない。30秒もしないで無事に開錠してしまう。

 するりと扉の内側に滑り込み、なかなか大きい工場のような空間の広がりを見下ろす。

 

「これが、動力室──なるほど、これが」

 

 感心の吐息と共に、そこにあるものを正確に見て取っていく。

 神秘的とすら感じられる青白い輝きを放つ……極大のクリスタル。魔封じの水晶にも通じる規格であったが、イズラの知るクリスタルなどと比べると、あまりにも巨大だ。人の身の丈の二倍から三倍はある。しかも、それが量産製品のごとく列をなし、ざっと数えてみただけで二十数基が稼働していると判る。水晶の近くには、誰もいない。時折、魔法詠唱者らしい管理人が動作確認するかのごとく、手元の端末にチェックを入れて、あくび混じりに休憩室へと戻っていくだけ。その後は、室内は監視用ゴーレム以外、誰の目もなくなる。そして、ゴーレムでは隠形中の死の天使は観測し得ない。

 隠形中のイズラは、外套(コート)の懐から虫眼鏡を、調査を命じてくれた主人・カワウソから新たに配給されていた道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)のルーペを取り出し、巨大クリスタルの詳細を見てみる。

 この魔法はユグドラシルであれば製作者や保有する魔法の効果を判別することができるようになるもので、発動は一回のみではあるが、重要な情報をイズラに教えてくれた。

 

「製作者は、魔法都市カッツェ、魔導学園水晶学科・第一特級工房。効果は、……ふぅん?」

 

 ユグドラシルだと、魔封じの水晶などには既存の魔法──第十位階などの各種魔法をプレイヤーが込めることで、その水晶を使用……破壊した際に、事前に込めておいた魔法を発動するという仕様であった。言うなれば、戦闘前にあらかじめ魔法の発動準備を整えることで、魔法をショートカットで発動できるようにするというアイテムと言える。発動者本人の魔力が底を尽きていても、このアイテムに事前に込めた魔力によって、問題なく発動できる為、非常時の切り札として準備するプレイヤーは多かった。

 輝きの強度・光量によって、大体その水晶の容量限界──第一から第十位階のどの位階までを込められるかを知ることができる。容量が大きい水晶ほどレアな部類に位置する為、入手は困難な部類に入る魔封じの水晶にも似た、この地下動力室のクリスタルは、それとは似て非なる効能を保有していた。

 

「魔力の自動生成供給装置ではなく、魔力を貯蔵蓄蔵するための器ですか……なるほど」

 

 魔封じの水晶だと、あらかじめ決められた魔法──召喚だとか攻撃だとかの、使用意図がはっきりとした魔法を発動魔力ごと組み込むという仕様であったのに対し、この巨大クリスタルは、そういった方向性を一切与えることなく、無為無色なままの魔力を蓄え貯め込み、任意に取り出して他の魔法へと使用するためのアイテムであった。

 これは、ユグドラシルにはないアイテム、この異世界独自のアイテムであった。

 

「信仰系魔法詠唱者の扱う魔力譲渡にも似ていますが、それを行えるアイテムということ? ──否」

 

 それだけではない。

 このクリスタルは、今の時間帯こそ周囲に人影は皆無だが、就業時間内は都市の魔法詠唱者などが数十人単位で魔力を供給するべく、この広大な動力室内に集合。自分たちの役目である魔力の供給仕事に従事していく。

 ようするに、これは魔法・魔力の「充電池」のようなものだ。

 魔法詠唱者の“魔力”という電気を蔵し、都市管理魔法発生地帯というこの動力室に埋め込まれることで、都市機能を発揮する動力と化すのだ。

 

 これは、100年後の魔導国を訪れたイズラには与り知らぬことであったが、かつてスレイン法国の神殿などで、叡者の額冠を装備する“巫女姫”に対し、数十人の神官が一斉に魔力を供出することで行う“大儀式”にも似ている。

 ただし、この地下のクリスタルに対し、魔力を供出するのは神官に限られた話ではなく、普通の魔力系魔法詠唱者が、普通に魔法を発動しようと魔力を錬成したところで、その魔力を取り込み吸収していく仕様だ。無論、信仰系でも対応可能。

 大儀式だと、魔法発動の核となる巫女姫の心身共に多大な負荷がかけられてしまい、その命を削り取られる。過剰に蓄積された大量の魔力に精神と身体が悲鳴を上げるものなのだが、この都市動力用のクリスタルだと、それはない。「人的資源は有効的に活用する」というアインズの方針が、こんなところでも活きていた。

 アインズがかの国を滅ぼした後に、残された叡者の額冠および巫女姫の存在などの「ユグドラシルでは再現不可能なアイテム」を秘密裏に回収・保護・研究し、魔法都市などでそれに代わる有用な装置として、現在は安定的な創出と配給がなされるまでに至っている。

 

「これを持って帰る…………わけにはいかないですよね?」

 

 彼に似合わぬ冗談を呟くほど、このアイテム──ユグドラシルのそれとはまったく違う仕様のアイテムが存在しているというのは、かなり稀少に思われた。

 あるいは、これを我々天使の澱が利用することは出来ないだろうか。

 利用できればきっと、今後、アインズ・ウール・ゴウン魔導国との“有事”の際に、なかなか良い道具として利用できそうな気がする。

 だが、

 

「まぁ、この都市の人々の暮らしを支える装置。何か悪影響があっては、マスターに叱られてしまいそうですしね」

 

 カワウソの目指す事柄に、魔導国臣民は巻き込むべきではないという意識は、イズラたち全員が納得していること。

 無論、向こうから率先して邪魔してきたりされては、その限りではなくなるかもだが。

 

「──おや?」

 

 イズラは、奇妙な人影を視界の端に捕らえる。

 動力室を眺める、天井付近の壁伝いに存在する通用路にイズラは身を潜めているわけだが、この位置から見て取れる室内の一角に、やけに気になる箇所があった。

 より正確には、気になる集団が現れた。

 全員が、魔法詠唱者じみたローブで全身を覆い、その風貌を隠している。

 だが、イズラはこの生産都市地下で従事する魔法詠唱者はかなりの数を見てきた。確かに、彼等は魔法のローブを着込むことが多かったが、あんな目深にフードを被って……おまけに変身変装の魔法の仮面まで身に着ける者はいなかったはず。死の天使であるイズラの「目の良さ」だと、そういう偽装情報のアイテムは容易に看破できてしまうのだ。

 

「何者でしょうか? この施設の職員……にしては怪しすぎる気がしますし?」

 

 興味がないと言えば確実に嘘になる。

 少し後をつけてみよう。単純な興味本位であると同時に、この都市管理魔法発生地帯とやらの詳細な情報を握る特別な職員という可能性もなくはないはず。彼等の向かう先……動力室の一角にあるところから下へと続く階段の先に何があるのかも、調べておいて損はないだろう。

 イズラは謎の集団を追い、階段を無音のまま降りていく。

 この地下空間の広さと大きさ……そして深さは何度も体感してきていたが、まだ下があったとは驚きだ。

 降りていく内に、イズラは奇妙な齟齬(そご)を感じる。

 

「何か……雰囲気が?」

 

 変わった。

 眼に見えて変わってしまった。

 動力室をはじめ、管理地帯とやらは通用路などが金属の壁と床と天井に覆われて頑強だったのに、連中が降りていく先は、随分と粗末な岩壁にとってかわってしまっている。今現在、掘削工事中ということなのか? それにしては、随分と深く掘り進み続けている気がしなくもないが? 工事中の看板や注意書きなどはどこにも見当たらないのは何故だ?

 これまでの地下空間とは──国によって整備され建造された施設にしては、かなり雑な造りを見せつけてくる。

 イズラは奇妙な連中の背後に追随しつつ、彼等の息を潜めた声のやりとりを傾聴していく。

「連中、今回は上玉を連れてきましたよ」とか、「エルフが買えるといいんだがな」とか、「ウチの闘技場がもりあがりますね」とか、「人魚は入荷しておらんのか?」などと意味不明な文言が多い。ただ、理解できたのは、こいつらは何か秘密の──それこそ“法にもとる”ような──何かをやっている香りが立ち込めていたことだ。とりあえず、ここの職員とかではなさそうな気がしてきた。だが、とりあえず、ついていってみるしかない。

 やがて、暗い地下道を進み続けたローブの集団は、怪しいランプに照らされる血のように赤い、両開きの扉を潜り抜けていく。

 イズラもその扉の閉まる後に続いて、

 

「……なんだ、これ?」

 

 疑問符が頭上に浮かび上がった。

 そこに居並ぶのは、檻に入れられたモンスター、亜人、そして、人間の姿だ。

 モンスターが檻に入れられるのは判る。下手に解き放てば、ここにいる者の何人かは殺傷できそうな(ベア)(タイガー)剣牙狼(サーベルウルフ)やウィルオーウィスプなどは。他にも、獣顔の筋骨隆々な亜人や、薬でもキマっているように喚き吠えるゴブリンやオーガが、鎖に繋がれているのも。だが、見るからに無気力で無関心で──まるで幻術で意識を朦朧とされているような人間種の男や女や子供までいるのは何なのか──彼等が帯びる手枷足枷の意味が──理解できない。

 まさか、とは思うが。

 イズラの視線の先で、フードと仮面の男たちが、何やら交渉を始めてしまう。

「この森妖精(エルフ)は魔法の素質が」うんたら。

「このビーストマンは武技〈剛撃〉の使い手で」なんたら。

 ぶくぶくに弛んだ腹の男が同様に膨れた宝飾まみれの指先で人間の女の自失中な顔を持ちあげ、舐めるかのように“品定め”している。他の連中も、「これは闘技場で使えそうね」とか、角を生やした亜人が「この母子(おやこ)はいくらだ」とか、あれこれとこの空間の代表者らしい仮面の男に言っていた。

 ……。

 ひょっとして、これは。

 イズラが確たる解答を得た──瞬間、

 

「全員、動くな!」

 

 背後で扉が勢いよく開かれた。

 仮面たちが一斉に、そこに現れた金髪ロールヘアの少女とその背後に控えた黒い存在を傾注していく。

 少女は儀仗兵役の死の騎士(デス・ナイト)が魔導国国璽を掲げた旗の下、逮捕令状を全員に見せつけて通告する。

 

「この場にいる“全員”、奴隷法第一条「奴隷権の項」および第十二条「奴隷の不法売買禁止の項」に抵触違反した容疑で、逮捕拘束する」

 

 異論抗弁は受け付けないと、高らかに宣言した。

 瞬間、悲鳴と怒号が室内に満ちた。全員が我先にと逃げ出そうと、蜘蛛の子を散らしたように散開したが、すぐさま影の悪魔らによって、一人残らず羽交い絞めにされ床に打ち伏せられる。絶妙な力加減で拘束された人間と亜人の連中はすすり泣き、喚き散らし、こんな事態を引き起こしたすべてを呪うような怒気を吐き連ねたが、拘束者たち──影の悪魔(シャドウデーモン)たちは涼しい顔でそれらを受け流していく。

 そうして、拘束された内の一人──代表者として、ここへ顧客共を連れ込んだ男の仮面を、金髪の少女が目にも止まらぬ速さで割り落とした。

 仮面の内側にあった表情は、壮齢に差し掛かった、凡百と言って良い男の蒼褪(あおざ)めた様。

 少女はその男の正体を、正確に告げてみせる。

 

「アベリオン地下管理官長。貴様の罪は甚大。臣民等級の“永久剥奪”は免れないものと知りなさい」

「そんな! ち、違う! わ、私じゃあない! 私は、私は、な、何も知らない!」

 

 何の釈明にもなっていない馬鹿な戯言(ざれごと)を垂れ流す都市の管理官。

 あろうことか自分の上司たる人馬(セントール)の都市長に罪をなすりつけようと抗弁を続けるが、少女の無表情に「連れて行きなさい」と命じられた影の悪魔が『御意』と頷き、奴隷の不法売買者共を死の騎士と協力しつつ連行していく。あまりにも五月蠅い連中は、随伴していた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の魔法〈睡眠(スリープ)〉によって眠らされてしまう。

 迅速すぎる逮捕劇に、イズラはきょとんとするばかりだ。

 なるほど。魔導国の法の執行部隊が、彼女たち。

 それにしては、あの少女は”随分と奇妙でおかしな中身”をしているな──などと眺めていた死の天使は、少女の行動を(いぶか)しむ。

 影の悪魔たちも、今回の特務の責任者が微動だにしない事実に首を傾げていた。

 

『……イプシロン様?』

 

 しわがれた声に、応答はなかった。

 白黒の衣服に映える黄金の髪の少女は、部下である影の悪魔らとは逆方向へ振り返り、そして、

 

 

 

 

「そこにいるおまえは、誰だ?」

 

 

 

 

 

 死の天使と、完全に、視線を合わせていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 この室内に──奴隷を不法に売り買いする現場だと、先日捕らえた共犯者共を司法取引で取り込み情報を得ていたソリュシャンは、まさに売買が成立しようとしていた現場に踏み込み、現行犯逮捕も同然な完璧な形で、己に与えられた特務を──生産都市の官僚クラスが関与していると思しき奴隷の不法売買ルートの解明と掃滅を、成し遂げた。

 

 だが、その現場において、ありえないものが混入していた。

 

 あの影が──

 ソリュシャンが発見し、長らく不穏分子として探査を続けていた“謎の影”が、

 そこに、いた。

 

 

 ソリュシャンが、暗殺者の達人(マスターアサシン)たる死の天使を知覚できた、最大の理由。

 暗殺者の達人(マスターアサシン)は、同じ暗殺者の達人(マスターアサシン)(あざむ)けない。

 

 

 ナザリックが誇る戦闘メイド(プレアデス)が三女──溶解の檻──ソリュシャン・イプシロンは、創造主であるヘロヘロから、職業(クラス)レベルとして暗殺者(アサシン)Lv.2と暗殺者の達人(マスターアサシン)Lv.1を与えられていた。おまけに、ナザリックの第九階層を護る戦闘メイド(プレアデス)として、また、アインズ・ウール・ゴウンその人から信の厚い……仲間たちの残したNPC(こども)という関係上、彼女には有事の際に有用となるであろう、高位高性能なアイテムが様々に与えられてもいた。それらの中には、探知や看破に特化したアイテムもあったのだ。

 いかに彼我のレベル差に隔絶的な開きがあろうとも、同系統・同職の者だと、発揮される能力や技法、特殊技術(スキル)が似通う関係から、その存在が能力を行使すればするほど、逆にその存在に対する知覚力は増大する。戦士が同じ戦士のワザを学び適応するように。魔法詠唱者が発動された魔法への理解と対応に順応できるように。

 都市監視用のゴーレムに映り込んだ映像ではなく、直接対峙し“生の目で見た感覚”として、ソリュシャンは遂に、あの影の正体を正確に感知し、看破し、認識することが敵った。

 だが、それは同時に、ソリュシャン・イプシロンに残酷な現実を突きつけた。

 

「ああ、いや……まいりましたね?」

 

 影が、声を発した。

 正確に言えば、影は隠密職の力を(ほつ)れさせ、完全にその風貌を(あらわ)にする。メイドの護衛である影の悪魔たちが、現れた存在にどよめき立つが、無理もない。

 それは、ソリュシャンらが記憶していた限り、あの天使ギルドの一員、──転移初日の段階で、周辺地理の確認に赴いていた折に、存在そのものはスレイン平野を監視していたあれらのおかげで知悉されていた──拠点製作NPC、天使の一体に相違なかった。

 暗灰色の髪に、漆黒に染まる瞳。手袋やブーツ、外套(コート)の色まで暗黒の色に染まり果てているが、その頭上には金色に輝く、ピアノ線のごとく細く軽やかな“天使の輪”が浮かんでいる。

 ソリュシャンは、直感的に判断できた。

 これは、自分の手には余る強者である、と。

 

「申し訳ありませんが。私のことは見逃していただけると、助かるのですが?」

 

 それほどの存在が、嘘くさいほど優し気な提案を零してきた。

 

 シラを切り通せる状態ではなかったというのもそうだが、彼本人としては、何とか交渉にもっていくためにも、彼なりの誠意を見せつけることでこの場をとりなそうという意図があった。

 彼の任務内容は、極秘に行われるべきものであったが、ここで存在を隠匿しようと無理をすれば……たとえば、ソリュシャンの忠告を無視し、自分を知覚した存在をどうするわけもなく撤退を敢行するにしても、情報が少なすぎたし、何より彼本人の沽券(こけん)……プライドに関わる問題となっていた“以上”に、何よりも重要なことは──創造主に創られた自分の能力に伍するやも知れない存在をこのまま放置しても、今後の活動に支障が生じると思われてならなかったからだ。

 何だったら、ここにいる全員を“暗殺”してでも、自分との会敵をなかったことにする必要があるかもしれない。主人の命令内容「臣民への殺傷は厳禁」に背きそうなので、採択はしそうにないが。

 だが、それを実現させるには、やはり判断材料が恐ろしく足りていなかった。

 その材料を収集するためにも、イズラは苦手な「交渉事」に打って出ていた。

 あるいは、少女がすんなりとイズラのことを忘れて、帰りの道を供与してくれる可能性に賭けてみた。

 

 ただ、

 両者ともに交渉の余地など、どこにもなかったというのが、残酷なまでに現実であった。

 

「もう一度だけ聞く……おまえは、何者だ?」

 

 いつの間にか、どこからか取り出した暗殺者の短剣を油断なく構え、ソリュシャンは詰問の色を強める。

 この不法売買の巣窟にいることもそうだったが、輪をかけて面倒なのは、相手があの天使ギルドの一員らしいということ。

 さらに。ここ数日。ずっと、ずっとソリュシャンが気にかけ続けていた、謎の影。

 それが(くだん)の天使ギルドの一員だったと判断できても、疑問は残る。

 こいつらは何者か?

 こいつらの目的は?

 こいつは一体、ここで、この国で、この場所で、この犯罪の現場で、何を見て、何を聞いて、何をどう理解したのか?

 聞くべきことは山ほどある。

 確かめねばならないことは星の数を超える。

 ソリュシャンは、もう一度だけ、誤りなく(たず)ねてみる。

 

「おまえは──何者だ?」

 

 黒い天使は、薄く微笑み、黒い瞳を見開き、手袋の手を振って──拒絶する。

 

 

 

「それを、私が教えるとでも?」

 

 交渉は、決裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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