オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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衝突 -2

/Flower Golem, Angel of Death …vol.10

 

 

 

 

 

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 南方士族領域。

 調査三日目、イズラやマアトとの朝方の定時連絡を終えたナタは、自分自身に設定されている通り、朝の鍛錬に励む──ことは少しばかり目立つことになると理解できるため、普段の内容よりもずっと抑えたメニューをこなす。

 日本家屋っぽい「道場」と称される鍛錬場は、よく磨かれ拭きあげられた板張りの床が眩しい。八雲一派の従業員や奴隷衆に解放されている施設のひとつで、睡眠が不要なナタは朝一番に雑魚寝広間からここへ赴き、誰もいない時間帯から、異様に長く重厚な、赤い金属に先端が黄金で縁どられた直径二十センチと全長二メートルにはなるだろう巨大な棒──杖を振り回している。しかも、ただの素振りではなく、見る者が見れば拳法の演舞のごとく整えられた動作ばかり。

 ひとつひとつの動きを確認するように緩急がつけられ、その都度ごとに激しく振り抜かれる鉄棒の重みは、巨体の亜人が持つのがやっとであること……振り回すなど到底不可能な代物であることが信じられないほど、少年の幼い掌に軽く使いこなされ、馴染んでいた。ゴオっと駆け抜ける鋼の重みが、鳥の歌のような澄んだ音色を響かせている。

 ふと、ナタは演武を切り上げてしまう。巨大杖を手早く元の大きさに直して、懐の内に仕舞う。そして何の変哲もない、道場備え付けの木刀にすり替えて、鍛錬を再開。

 そうした理由は、至極単純。

 道場の出入り口に、もはや慣れ親しんですらいた、現地の人々の気配を感じたのだ。

 

「相変わズ早ぇヨ、ナタ坊」

「おはよう、ナタ君」

「おはようございます!! ゴウ殿!! スサ殿!!」

 

 ナタは、道場での鍛錬に赴いた戦妖巨人(ウォートロール)と、黒髪赤瞳の少女に、快活な笑みを送った。

 二人は軽いウォーミングアップで市街一周を走り込んできた割には、まったく息があがっておらず、汗の量も涼やかなものだ。

 

「じゃあ、今日も」

「よロシく頼むワ、ナタ坊」

 

 巨大な拳を包み込めるほどのサイズを誇る真紅のパンチンググローブを嵌めるゴウ。

 さらに、腰の刀……ではなく、道場備え付けの彼女専用にチューンされた木刀の重みを、スサが素振り数回で確認する。

 

 この僅かな日数で二人から鍛錬という名の模擬戦を申し込まれることが多くなった──早朝に一回、昼休憩時に一回、夕飯と風呂前に一回程度のペースでこなしている──ナタは、その申し出を不快に思うことなく、同じ「力への探求に心血を注ぐ同志」と認め、大いに少年の……厳密には花の動像の胸を貸していた。

 ゴウは拳での格闘を、スサは木刀による剣闘を、それぞれが望んだ。

 無論、Lv.100という破格の力を創造主より与えられている少年兵は、彼等との手合わせには全力など出すことはなかった。ありえなかった。それ自体に苦痛を感じることもなければ、二人の挑戦──試みを鼻で笑うこともしない。強者の力の一端を理解しようとする亜人と少女の探求心を、大いに歓迎すらした。そして、手加減されている方も、気づいているのかいないのかは不明だが、少年との力量差を肌で、実戦形式に近い鍛錬で感じ取りながらも、その事実に絶望するようなことはなかった。むしろ、その力の一端でもいいから理解し、自分自身の(かて)にしようと食らいつく様はとても……とてもとても素晴らしい。ナタはそう感じる以外なかった。

 花の動像(フラワー・ゴーレム)・ナタは、『近接戦闘の申し子』──。

 二人が示す“武”への探求という心意気は、動像でしかない少年兵の懐く渇望に似ていた。

 いずれ()(まみ)える強者との戦闘──ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第一階層“迷宮(メイズ)”を守護する際に、そして何より、あのナザリック地下大墳墓・第八階層を守護するあれら(・・・)や真紅の少女と戦う時に、少しでも主人であるカワウソのお役に立ちたいという思いを、欲求を、衝動を、その細く小さな身体の内に秘め続けて久しい。

 そういう性格や人格・コンセプトデザインを、カワウソの手によって設定されたのだ。

 

「アア~、今日も負ケだ負けダ!」

「ハァ……二人がかりでも……駄目とか……どんな、修練……積んだの……ナタ君……ハァ」

 

 数刻後。

 少年との模擬戦で完全に敗れ去った……手傷どころか、一撃をかすらせることすら出来なかった紺袴の道着姿の二人は、息も絶え絶えに道場の床に寝転がり、だが、まったく敗北を感じさせない心地良さそうな面持ちで、自分たちを打ち負かした強者たる少年の健闘を讃える。

 ナタは実直な答礼を合掌の姿勢と共に受け取ってみせた。

 

「お二人共、(すじ)は大変よろしい!! このまま健やかに、鍛錬を続ければ、きっと、もっともっと、今よりも確実に強くなれるはずです!!」

 

 そう確信してみせるナタであるが、では実際に「どうやったら強くなれるのか」と質問されても、彼には答えようがない。ナタは生まれた瞬間から“花の動像(フラワー・ゴーレム)”という種族であり、“重装戦士(アーマードウォリヤー)”・“武器の達人(ウェポンマスター)”などの近接職業を与えられたNPC。それ故に、彼には鍛錬というものは不要なものである。──にも関わらず、少年が日頃から鍛錬を重ねるという作業を毎日のように繰り返す志向と嗜好は、創造主より与えられた設定……そう『かくあれ』と生み出されたからに他ならない。

 ただ鍛錬あるのみ。

 そう一辺倒に語るしかない。

 ナタはすっかり日も昇った空を見上げ、道場脇の給水場で顔を洗い水分を補給する。

 ゴウとスサも各々のサイズに合った洗面台に並んだ。汗を簡単に洗いぬぐい、朝の運動後の水分補給につとめる。

 ふと、隣にいた黒髪の少女が、ナタの艶めく髪色を手にとってしまう。

 

「ナタ君の髪の色って、不思議よね? 水の色の中に、何だか海のように深みがあるというか」

「海!! 海ですか?! スサ殿は海に行ったことが!?」

「ええ、あるわよ? 夏の慰安旅行で──ナタくんも一緒に行ってみる?」

 

 小さい頭を純白のフェイスタオルで拭ってくれる世話焼きのスサに対し、動像(ゴーレム)の少年は実直な疑問を投げる。

 

「単純な疑問なのですが!! その海はしょっぱいのでしょうか!?」

 

 塩分過多の水は、ナタの核となる植物・花に与えるには適さないことがほとんど。故の確認であった。

 

「しョっパい? 塩が入っテルってコトか?」

「いいえ? そんな海、私は聞いたことがないけど?」

 

 ナタは二人の応答を聞くと、満足げに笑みを咲かせた。

 

「ならば、大丈夫ですな!!」

 

 海なのにしょっぱくないというのは、ナタの保有する常識──ユグドラシル基準だとかなり珍妙な気がするが、異世界ならではの海だと思えば、いくらでも得心がいく。

 

「しかし!!」

 

 非常に残念なことに、二人と共に海とやらへ旅行に行くことは、ありえない。

 何故なら。

 

「実は今日!! 自分はお(いとま)を申し上げようと思いまして!!」

「エ?」

「え?」

 

 長らく世話になって申し訳ないと、心の底から感謝を紡ぐ。

 ゴウとスサは勿論のごとく怪訝し慰留(いりゅう)すらしてくれたが、ナタの決意は固かった。

 その理由は単純明快。

 

 彼等に迷惑をかけるわけにはいかないから。

 

 それに、あまりに長く関わり過ぎては、別れる際にいろいろと不便になる。

 彼等はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の臣民達。自分たちのギルドにとっては、敵の構成因子の一部と言っても過言にはならない存在でしかないのだ。実際、すでにゴウとスサの二人をはじめ、八雲一派の何名かとはそれなりに懇意の間柄として扱っていただいている花の動像だ。今まさに、二人からそれとなく「もう少しくらい滞在していけばいい」と諭されはしたが、それではナタの納得がいかない。

 今朝、マアトの〈全体伝言(マス・メッセージ)〉を介して、イズラから受け取った指摘と懸念は、ナタにもよく理解できている。

 あまり深く関わってしまい、いざ彼等と別れを惜しまれてしまうことは、けっして彼等現地の人々のためになるとは思えない。

 無論、ナタ自身はまったく惜しむところはない。

 ナタたちは、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”でしかない。

 それだけがナタにとっての重大事項。

 それのみがナタたちにとっての優先項目。

 かのギルドの名を戴く謎の存在を信奉し崇敬する臣民──彼等にとって、ギルド:天使の澱は友誼を結ぶには危険な存在としか言えないはず。

 もしかすると、今後カワウソが、アインズ・ウール・ゴウンに対して従属の意志を示すことになれば──あるいは?

 しかし、ナタは自分で自分の思考した可能性に笑みを深め、首を横に振る。

 あのユグドラシルで。あれだけの苦労を重ね、あれだけの悲嘆に喘ぎ、あれだけの兵力を──自分たちという存在(NPC)を創造してまで、あの最強のナザリックに挑み続けた堕天使(カワウソ)が、そんな決定を下すものだろうか?

 せめて一度くらい……そう、件のギルドと“手合わせ”でもできれば、踏ん切りがつくのかもしれない。

 しかし、だ。

 ナタたちNPCとしては、自分たちの存在理由・創造された第一動因を果たされることよりも(・・・)、今のカワウソの意志と決定に従うことこそが、絶対だ。彼の今の状況──異世界へと転移し、よりにもよって復仇の相手と目指し挑み続けてきた相手“かもしれない”存在……「国」が築かれているという異常事態──において、カワウソが、彼自身の意志によって決定したすべてが、完全に最優先される。

 彼は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の、たった一人の創造主。

 彼の生存を願い、彼の決定に従う。

 ナタはそれさえ出来れば、それだけが叶えば、他に何もいらないのだから。

 

「ゴウ殿!! この土地で親切にしていただき、まことにありがとうございました!!」

「い、イヤ……おれァ、別に?」

「スサ殿!! おいしいお水とあたたかい寝床、まことにありがとうございました!!」

「いいえ。こちらこそ、良い鍛錬をありがとう」

 

 ぶっきらぼうに頷く亜人と、華やかに微笑む少女。

 

「では!! お二人共、“新鉱床”とやらでのお仕事、がんばってください!!」

 

 どうか皆様にもよろしくと言って、快活に頷き返すナタは、彼と彼女の今後を──平穏無事に過ごせる未来を祈念しながら、朝日よりも眩しい笑みで、別れを告げた。

 

 彼等に迷惑をかけるわけにはいかない。

 

 だから、ナタは別れた。

 

 ナタの行く先は、すでに“そこ”と決まっていたから。

 

 

 

 

 

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「良かっタノか?」

「あら? 何が?」

 

 別れの儀としてはあまりにも唐突な、だが、少年の到来そのものもまた同じように何の前触れもなかったことを思えば、むしろあの少年らしい出立(しゅったつ)とも思える。

 

「スサは、強ェ男が好キなんだろガ?」

 

 ゴウは少女の横顔を──南方に伝わる“カンジ”という独特の紋様──文字が列を生した美貌を覗き込む。

 八雲一派の起源とも言うべき“遺物”らしく「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 ……」などという三十一文字が刻まれているが、ゴウには詳細のほどはわからない。そもそもにおいて、カンジという言語の存在すらあやふやだ。現代の魔導国でこれを解読できるのは、翻訳に長じた魔法使いか、純粋な南方の血を継ぐ者の中で特定の人物、あとは国の中枢であるナザリック地下大墳墓の存在と──紋様を刻む施術者だけだという。

 そんな特別な言語を女の頬に刻むスサは、赤い瞳をまっすぐに、少年が去っていた通りの方へ向けたまま答える。

 

「確かに。ナタ君は超絶的に凄い力の持ち主だわ。どうやってあれだけの力を得られたのか、ガチで興味が尽きない」

 

 辻決闘で負けなしだった戦妖巨人(ウォートロール)と、八雲一派の中で最強最悪を誇る“用心棒”の少女。そんな二人を相手に、模擬戦とはいえ──否、模擬戦だからこそ、ありえないほどの力量差によって完封してみせた、どうみても少年としか見えない人間。

 ──あるいは、人間ではなかったのかも。

 ナザリックが誇る竜か、悪魔か、アンデッドか……あるいは、それらの血統か?

 いずれにせよ。

 

「アンな逸材を、オまえガあっさリ放流スルとはな?」

 

 どうして追いかけない。

 ゴウは問い質さずにはいられなかった。

 スサの思考というか趣向というか……そういう好みというのは、ゴウも理解している。

 かくいうゴウ自身が、彼女の“そういう対象”に見られているのだから。

 

「私はもう、あなた以外眼中にないのだけれど?」

 

 これだよ。

 妖巨人の爪で頬を掻く。

 まっすぐ見上げてくる女の瞳に灯る情愛。

 ゴウは特に気分を害したわけでもないし、彼女のことをそういう風に認め受け入れている自分がいるのも、わかっている。

 偉大なる魔導王陛下の威光の下、亜人と人間が“そういう”ことになる許しは降りているし、一等臣民同士である二人には、種族の壁もなく結ばれることは容易い。むしろ、魔導国ではそういった者たちの間には、ナザリックから直々に祝福が授けられ、二種間の間ではなしえないという“子”までも儲けることもできると聞く。

 だが、

 

「俺はマだ、そうイウ甲斐性はナいんだガ?」

「甲斐性なんていらないわ」スサは淫魔のように頬を染め、聖女のごとく淑やかに笑う。「私が“好き”だから、あなたと結ばれたいだけ……言ってるでしょう?」

 

 怖い女だ。

 自分の欲に忠実というか、何というか。

 

「モウ何度聞き返したか知らンガ……どうシテ俺みたいナ、人間基準ダと不細工な奴ト?」

「綺麗な男は嫌いだから。女の人は別だけど。これも一年前に教えたでしょう?」

 

 要するに、そういう人種──あからさまに言ってしまえば──変態なのだ。

 スサという少女は。

 

 はじめて会った時──ほぼ一年前。この南方で、辻決闘の修行中に挑んできた高慢ちきな長髪の美少女剣士(当時15歳)を、12歳だったゴウは拳と脚……素手で戦い、ブッ倒した。優に十時間を超える決闘(ほとんど“死合い”の様相を呈していた)のおかげで、ゴウも満身創痍のありさまになったのも懐かしい、あの時──から、スサはゴウ・スイという亜人種の戦妖巨人(ウォートロール)に惚れ込み、事あるごとに“愛の告白”を送りつけるようになった。「あなたが刀を持てば、もっと強くなれる」と豪語されはしたが、ゴウの基本は武器を使わない形だし、100年前の武王の扱ったという得物も刀剣ではなく棍棒だと聞いている為、あまり乗り気にはなれなかった。

 挙句の果てには、ゴウの武者修行に“同行”するとまで申し込んできた時は、本当に焦った。それでは武者修行にならない。武王への信仰をやりとげたい戦妖巨人(ウォートロール)の若者は、定期的に南方に立ち寄るという約定を交わし、スサをどうにかここに押し止めた。なので、ここを訪れる時は大抵、スサから奇襲攻撃の挨拶を受けるのが日常になりつつある。

 別に、ゴウはスサのことが嫌いということはない。むしろ好ましく思ってすらいる。

 人間の雌にしては卓抜した戦闘力の持ち主であり、ここで生活する上ではこの上なく世話になっている上、彼女と共に修行の旅に出るのも悪くはない気がしないでもなかったが、しかし、ゴウはスサをこの土地から動かすことはしなかったし、させなかった。──そうでもしなければ、彼女の保護者役であり義姉のごとき雇用主・クシナの怒りを買いかねなかった。過保護なクシナは、眼鏡の笑顔の下に“鬼”を飼っている。彼女そのものが、この地域にのみ住まう“白鬼”に近い血統というのもあるが。

 おかげで、今でもクシナの前に立つと緊張し、言葉を整える奇癖がついてしまっているのは、なんとも情けない話。

 

 そういうわけで。

 スサの、黒髪赤瞳の少女の有する趣味趣向は、至ってシンプル。

 自分よりも“たくましく強い”、そして“醜い化外の容貌”が、スサの心を満たす性向であり、ゴウはそのド真ん中に位置するはじめての「男」であり──「雄」なのだ。

 そんな彼女の美的感覚からすると、ナタという少年は非常に整えられすぎていて苦手な部類に入るというから、驚きである。

 要するにガチで変態なのだ、この南方の少女は。

 それも「やむをえない」とゴウは了解している。

 

「あと……あの子は、ナタ君は……なんというか、私の理解を超え過ぎている気がする」

 

 神妙な顔で、スサはそう表現した。

 種族の壁や階級の壁という次元では、ない。

 ナタが発揮する“力”は──ただの素振りひとつで空気を引き裂き、空間をも抉り削ぐような階梯に位置している。あれは「本気ではない」と、ゴウたちは考えている。確信している。あの少年の武力は、ただの人や亜人の至れる領域ではない“異形”の領域。

 少年の実力を、この目でしっかりと見て取ったことはないが、そうでなければ勘定が合わない。ゴウとスサは、魔導国内でもそれなりの実力を保持している。冒険者であれば四等の……中間層には負けないものと自負しているし、周囲の評価もそれに準じていた。

 だが、あの少年は異様だ。

 異常とすら言えるだろう。

 先ほどの道場での鍛錬でもそうだった。

 あんな齢十にいくかいかないかという幼く(いとけな)い顔立ちと四肢で、怒濤のごとき剛拳を、迅雷のごとき木刀を、まるで舞い落ちる花びらのように回避し尽くすとは。

 そう、まさに植物のような存在と言えた。

 一種の自然現象“そのもの”とも錯覚できた。

 空へと散った花びらの行方を追い続けることができないように、ナタの先行きを、その道程を追うことは、今の自分たちには不可能な事。

 そう思えてならなかった。

 

「どうせだったら。一回でもいいから、私のごはん、食べていって貰いたかったわ」

「キっとアレだろ? 長旅ができルヨうに、飲食不要のアイテムがあッたんだロ?」

 

 そうとでも思わなければ説明がつかないほど、ナタはゴウたちの前で食事をとることはありえなかった。

 水は飲めるらしい上、あんなにも元気な──鍛冶師連中よりも馬鹿みたいに元気なありさまを見せつけられては、心配する方が失礼な気すら覚えたくらいだ。

 

「あらあら。行ってしまったの? あの少年」

「クシナ様!」

 

 ゴウは緊張に身を強張らせる。

 それとは逆に、肩で切り揃えた黒髪を優雅に振って、スサが声の主を、純白の髪色に映える藍色の着物──寝間着姿に上着を引っかけた眼鏡の美貌に、軽やかに微笑んだ。

 

「ええ、今しがた。『旅の目的を果たせねば!!』とかなんとか? 行先(いきさき)は言ってくれなかったですけど」

「あら……あの子には、いろいろと御礼が言いたかったのだけれど。工房での雑務手伝いや、二人の修練の相手とか」

 

 言って、クシナは札束の入った財布を懐から取り出そうとしていた。

 今からでも追いかけましょうかと意見するスサに、ゴウは「必要ねぇダロ」と教える。

 

「“ナタ”は、あれだケ強ぇンだ。アイツなら、大抵の問題や困難クラい、自力で乗り越えルだろうヨ」

 

 ナタ“坊”と呼ぶのは憚りがあるほどの実力者だった。ゴウはそう確信し、彼の道のりが健やかなものであることを、武王とアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に対し、祈る。

 スサは微笑みながら頷き、クシナもそんな二人に同意するように、朝の空の下を翔ける少年の無事を祈った。

 

「さぁ。今日から新鉱床の方での作業もありますからね? ゴウもスサも、がんばってください」

「はい!」

「わかってルよ、頭領」

 

 

 

 彼等は誰も、ナタの目指す先を──ゴウたち鍛冶職人たちを急派させることになった“新鉱床”であることを、知らない。

 

 

 

 

 

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 新鉱床内。

 嚮導部隊の本営テント内にて。

 シズは運び込まれた家具一式──重厚な机と椅子で業務を行い、ここ数日での成果報告を製作し上納してきた配下たち・嚮導部隊内の各代表たちより挙げられた作業内容を見つめながら、思案にふける。

 

「当初予定されていた作業工程の八割を遂行完了。原石とクズ石の選定作業も、つつがなく進行中です」

 

 副官がまとめあげてくれた各種書類内容のまとめを聞いた自動人形は、優先的に確認することを口頭で訊ねておく。

 

「…………負傷者は?」

「補助スケルトンのおかげで、掘削実行主力・クアゴアたちへの防御は完璧です」

 

 今日。作業員のミスで、ちょっとした落石などが起こった。

 さすがに掘削範囲が広がったことで、細かい部分に手が届かなくなるのはよくある話。些細なミスが起こること自体は人間であれ亜人であれ避けようがないが、それで負傷者や死亡者が出てはたまらない。そのための補助が徹底されているわけだが、十分に留意を徹底させないと。

 

「…………脱落者は?」

「十分な休息を各班、各部隊に徹底されておりますので、一人の脱落も確認されておりません」

 

 シズは理解している。

 いかに土堀獣人(クアゴア)と言えども、無限に作業し疲労なく思考を続けることは出来ない。ナザリック直属のシズが率いる嚮導部隊構成員ではあるが、高価な魔法のアイテム──疲労避けの装備を与え作業させても、それで作業能率が上がるということには繋がらない。疲労をしたら休息に入るのが常識であり、その疲労を解消するための食事や睡眠、遊戯や娯楽というものを与え“消耗”ではなく“消費”させることも、魔導国の「経済」を潤し、あらゆる物事を回転させる潤滑油と化すのだ。何より、ブラックな社会体制を嫌うアインズが、臣民である彼等の楽しみを削ぐようなアイテムを配給する理由がない。メリットが薄すぎる。

 仕事の後の一杯は格別な味となるという。何の作業も疲労も対価もなく頂戴する飲食は、堕落と怠惰しか産み落とさない。幸福というのは天から降り注がれるべきものではなく、そこに生きる人々が己の意志と行動で勝ち取ってこそ、意味があるというもの。そうアインズ・ウール・ゴウンは信じている。

 シズは頷く。

 自動人形故に、また、創造主の博士より与えられた装備によって「疲労」の状態異常とは無縁に働けるが、それでも自分がナザリックやアインズ・ウール・ゴウンその人のために何かができたと感じることこそが、何よりも素晴らしい褒美となる。優しい主人はそれだけに飽き足らず、目に見える財産などにして、ナザリックのシモベ達の忠勤に応えることを己のなすべきことだと規定している。慈悲深いにもほどがあるというもの。そんなにも優しい御方に、より一層の忠心を尽くしたい報いたいと思うようになってしまうのは、必然とすら言える。

 

「…………休息は大事。作業が順調なら、それでいい」

 

 短く言葉を伝えたシズの意図を、副官たる混血種(ハーフ)は過つことなく読み取ってしまう。

 

「では、本日予定されている“八雲一派”の鍛冶製鉄作業員の導入についてですが」

 

 昨日の今日ではあったが、シズはぬかりなく準備を万端整えている。

 

「…………うん。彼等の分の補助スケルトンは、ナザリックに申請済み」

 

 補助スケルトンは、掘削作業における重労働関係──破砕した岩盤の搬出や丁重に扱うべき原石の運搬に使われるのが主だが、実際には、トンネル内での落盤や落石事故の際に、随伴している部隊員の身の安全を確保する役目を担うことが宿命づけられている。

 魔導国において、人的資源はひとかけらも無駄にはしない。

 いかに蘇生させれば問題なく日々を再び過ごせる魔法の異世界と言えども、人の死にはお金がかかる。第五位階信仰系魔法詠唱者の派遣や教育のための資金から、蘇生アイテムの製作費用まで。

 重犯罪者以外のまっとうな臣民には生存し続ける権利と義務が存在する。彼等を、命の危険から救い出す役目を担うのが、補助スケルトンたちになるわけだ。

 ただし、人の身を守るのに好適な補助スケルトンは数に限りがあるため、通常都市や地域で住まう臣民には付属しない。今回のような危険地帯で、命が危ぶまれる現場での仕事に従事する者に対してのみ、スケルトンの防護が添えられるのみ。

 

「…………周辺監視は?」

『滞りなく』

 

 答えたのは副官ではない。

 シズが声をかけたのは、テント内の影に潜み、嚮導部隊の──シズや副官の護衛兵力として連れてこられた隠密能力に長けた影の悪魔(シャドウデーモン)の一体であった。

 

『鉱床に配備された死の騎士(デス・ナイト)の警邏アンデッド部隊と協力しつつ、警戒を強めておりますが。それらしい不穏な気配は』

「…………うん。関係者以外、誰も入れないで」

 

 委細承知した悪魔が影に還る。

 ここは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が特に目をかける新鉱床。

 採掘される新しい鉱石の価値次第によっては、このセンツウザンの土地の価値は高騰してしまうか。

 場合によっては、まったく新しい製鉄鋼事業が、ここで花開くことになるのやも。

 その価値は、シズ程度のシモベでは正確には推し量れない。

 故にこそ、信頼のおける部隊と、街で最も著名で市街の長ともつながりのある“一派”以外に、誰もここへの立ち入りは不可能な状況と化している。

 

 

 

 部外秘の中の部外秘となった新鉱床に、一人のNPC──装備で不可視化した花の動像(フラワー・ゴーレム)が侵入しつつあることを、この時はまだ、誰も気づいていない。

 

 

 

 

 

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「ここが新鉱床ですな!!」

 

 センツウザンの街をさらに南下した鉱床地帯──その中で、新たに発見されたという鉱石の採掘現場がどこであるのかを調べることは、常人には困難を極めたことだろう。

 鉱床地帯は、無数に剥かれ抉られ穿たれた大地が暗い深淵の口をポッカリと開けており、どこも大差ないような外観でしかない。辺り一面アリジゴクの巣もかくやというすり鉢状の採掘跡が残され、今も魔導国臣民とアンデッドや動像(ゴーレム)たちによる掘削と探索は継続中。

 だが、ナタはこの市街にゴウと共に馬車で来訪し、スサという少女と初体面を果たした日に、新鉱床に携わる部隊とやらが闊歩(かっぽ)している様を目に焼き付けていた。

 

 ナタがパレードとも誤解した、魔導国王政府直轄の“嚮導(きょうどう)部隊”。

 

 それらが掲げていた特徴的な「旗」を探すのに、ほぼ丸一日を費やすことになってしまったが、その間にも、南方の土地の採掘現場を、その実体を探求する有意義な時間を得られた。

 土堀獣人(クアゴア)という地中での活動に最適化した現地の亜人をはじめ、下位アンデッドや量産されたゴーレムなどを効果的に運用する魔導国の労働環境は、イズラなどが調べ報せてくれた内容とほぼ共通するもの。

 安全第一の人命優先。

 そのために、補助要員としてのスケルトンが配置されているらしく、有事の際──つまり事故の時などは守護対象である臣民を護るように駆動する仕様らしい。

 それだけ見ると実に素晴らしいシステムではあるのだが、最高位アンデッドである死の支配者(オーバーロード)というモンスターが“王”として君臨する国にしては、なにやら違和感が拭いきれない。

 人的資源を有効活用するのは、国家としては重要な体制であり大勢なのだろうが、“アンデッド”というのはどちらかというと人間などの生命を(もてあそ)び、あまねく生者を死者へと堕とすことを喜びとする存在のはず。

 だが、魔導王アインズ・ウール・ゴウンは、そういう影を微塵も見せない。

 あるいは周到に隠されているのかと思いはしたが、そんなことをする……苦労を選ぶ計略とは何か?

 自分たちだけが絶対者だと──大陸をすべて支配する超越者として君臨しているのなら、誰に遠慮することなく生命を(むさぼり)玩弄(がんろう)することも可能なはず。

 

 それをしないのは、

 自分たち以外の──自分たち以上の──強者があることを警戒しているのでは?

 

 ……いずれにせよ、憶測の域は出ない。

 ナタは今、目の前の調査に集中する必要がある。

 カワウソから申し渡されている休憩時間を設けた後、日付が変わって数時間後に、行動を開始する。

 ナタたちの魔導国各地の調査開始より四日目。

 この異世界に転移して、一週間になった。

 

「さぁ!! 行きましょうか!!」

 

 空は未だ暗い未明の時間だが、声量を抑え「えい、えい、おー!!」と拳を突き上げるナタの表情は、いつにも増して明るく笑顔が輝いていた。

 ついに、この南方の地に蔵されているという鉱床に、しかも、魔導国の王が特に目をかけているという新たな鉱石の採掘が進んでいるという地に、足を踏み入れる。

 ゴウたちと別れてからというもの、ナタはずっと、己の身を隠すための魔法の装備で〈不可視化〉の恩恵を受けている。魔法関連において大きな制約を設けられている花の動像(フラワー・ゴーレム)ではあるが、翻訳メガネを使えたり、自分の身を隠す程度の装備を発動することは可能。普段の明るく闊達(かったつ)な声色を封じ、足音もなく跳躍し続ければ、それなりの潜伏作業はこなせる。生産都市アベリオンで別れる直前、イズラから〈不可視化〉の装備について簡単な講義を受けてはいた。この装備の弱点を(くつがえ)せるほどの強者が現れない限りは、まずナタの存在を知覚することは、この世界の住人には不可能な筈。

 

 新鉱床は、この一帯でもかなり奥まった所に位置し、どこまでも深く地の底へと続く真円を穿っていた。

 嚮導部隊の存在を示す幕旗数枚が夜風にはためき、その旗は儀仗兵役を……ただ旗をもって立たせる役を務める死の騎士(デス・ナイト)が不動の仁王像のごとく掲げ示している。穴の周囲を囲むアンデッドの量はそこまで多くはなかったが、それなりの数の隠密に長けたモンスターが複数体、周囲を警戒している。戦士職の気配察知能力にもずば抜けたLv.100NPCは、周辺に佇む影の悪魔(シャドウ・デーモン)八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)、さらには地中に潜むモンスターの気配まで読み取ることが可能だった。モンスターの数は多いが、どの種族もユグドラシル基準だと雑魚に分類される程度のレベルで、到底Lv.100の戦士の能力を超えることはあり得ない。

 おまけに、ナタには創造主(カワウソ)から調査に赴く要員に選ばれた際に、不可視化の指輪をはじめとする潜入捜査に最適な装備を幾つか下賜されている。警戒網を突破するのは、あまりにも容易に過ぎた。

 アンデッドや隠密モンスターの警戒を抜け、ナタは自分が可能な限りの潜伏を敢行する。

 ここの調査を終えれば、とりあえずこの地域の調査は終えたと判断していい筈。魔導国の政府庁舎や、王の住まうための城館など、警戒されて当然の建造物や区画への侵入と干渉は厳禁とされていた。下手に入り込んで、不法侵入の罪に問われるのを避けるために。ナタは本音を言えば、ここへ赴いた初日辺りに、そういった場所の詳細を調べたくてうずうずしてはいたのだが、命令である以上いたしかたない。せめて、調べられるだけの公共施設や住居などを探るより他になく、魔導国の鉱床地帯というものを調べておくのは、敵の生産性と武器防具類の性能把握には欠かせない因子たりえた。

 実際にナタが感じた所感としては、政府施設や王城などよりもこの鉱床地帯への潜入は容易に思われたし、感じられる敵の気配というのも、城に駐屯しているらしい高レベルアンデッドが放つそれとは比べようもないほど薄弱としていたから、問題などない大丈夫なはずと思われて当然だった。

 

 問題は──

 

 その新鉱床の奥底には、アインズ・ウール・ゴウンが何よりも大切に想うナザリックのシモベ……比較的低レベルとはいえ、かつての仲間たちの一人が創造した戦闘メイド(プレアデス)の一人がいるということを、ナタは知る(よし)がなかった点だ。

 

 

 

 

 

 新鉱床とやらの縦穴と、無数に横へと貫かれた坑道を、ナタは戦士の脚力によって、まるで階段を二段三段飛ばしで駆け下りるかのような気楽さで(くだ)り降りる。螺旋階段状に壁面を覆う足場を跳躍し、着地点に使った落下防止用の鉄柵などを歪ませることなく、地下へと落ちていく。

 縦穴の最下層ではまだ煌々と照り輝く照明が灯っているということはなく、完全な暗黒に染まっている。しかし、響く音や亜人の声から察するに、どうやら24時間のフル操業で鉱石の採掘を行っているようだ。アンデッドやゴーレムであればそれでいいのだろうが、掘削の主力となる亜人は疲労しないのだろうか。地中に適応した彼等の目には明かりは必要ないと聞く。ガリガリと大地を削り切る音色が、筒状の空間に乱響していてかなりの音量となっている。外からやってきたナタが軽く驚愕してしまうほど静かだったはずの鉱石床だが……どうやら防音の魔法が働いていたらしい。

 ふと、ナタは坑道の一角に設けられたテントを発見し、中を覗き見る。なるほどと理解した。

 所々でモグラに似た外見の亜人──土堀獣人(クアゴア)用の食堂や寝床が設けられており、そこで彼等は食料をかっ食らい、仲間と共に休眠している姿が確認できる。それらの周囲にも防音の魔法が働いているらしく、外の騒音からは隔絶されていた。食堂内に設けられた〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で、冒険都市の祭りの生中継映像──“突如現れた期待の新人”“「漆黒の剣」の対抗馬”とやらに喝采を送る者も少なくない。従業員の心身のケアも万全という感じか。

 あらためて魔導国の力を見せつけられたような気がするが、深く考えても(らち)が明かない。

 ナタは最下層に降りる間にも、どこかに何かないだろうか、何か零れ落ちていないだろうか……それこそ、この世界の希少な鉱石とやらが拾えればいいと考えつつ、未明の時間で暗い新鉱床の検分を続けていく。

 ……否。ここがアインズ・ウール・ゴウンの所有地だとすれば、ここで砂粒一粒でも持ち帰るのはいろいろと面倒になるか。

 坑道内はよく整理整備が行き届いており、それらしいクズ鉱石すら見当たらない。

 すでに選定と鑑定は終わって、大概のものは然るべき保管所にでも送付されたか。

 やはり、下へ行くしかない。そう確信して、ナタはついに明かりひとつない掘削場の最深部へと到達する。闇を見透かす下位アンデッドなどもいたが、姿を消している少年に気づくものはいない。

 ちょうど、休息の時間を貰った作業員が地下から列をなして上層へと昇り、交代のために待機していた同僚にバトンを渡す光景が見れる。「次は十時間後か」とか、「早く飯にしよう。腹ペコだ」とか、各々仕事をやりとげたような声色が印象的。

 十分な休息を貰っておいた早朝作業班が、班長の号令に従い、補助防御用に貸し与えられるスケルトンらと共に地下へと潜る。「予定の深さまであとどれくらいでしたっけ?」とか、「皆、気を付けろよ? 落石落盤には十分気を付けるように!」とか、皆がやる気まんまんであった。

 ナタはその列についていくように、地下へ。

 

「お……おおーっ!!」

 

 思わず口をついて感嘆の声がこぼれてしまった。何とか口を掌で覆い、発声を抑える。列最後尾にいた土堀獣人(クアゴア)の一人が振り返る程度で済んだ。振り返った彼もそれ以上は興味を失って、前へと向き直る。危ない危ない。ナタは自分自身に喝を入れつつ、静かに地下の様子を観測し記憶する。

 縦穴の最下層と見て取れた地点は、実はただの入り口。

 あそこまではこの鉱床、この街の掘削者たちによって掘り進められた深さであり、魔導国の誇る嚮導部隊の本領は、そこからさらに地下へと延びていた。

 そこは巨大な球形の地下洞窟のようなものと言って良かった。

 直径数キロほどのボールの中のような空間は、元からこのような広さ大きさだったわけではない。数多くの亜人とアンデッドとゴーレムによって、このように掘削され尽くした結果だ。そして今も、彼等が地下の壁に張り付いて、そこから採取される目的の鉱石を削り出し、補助のアンデッドやゴーレムに託す。

 階段を降りて、確認を続ける。球体空間の真ん中には巨大なテント──嚮導部隊の本営らしい──が張られ、その周囲に、採掘された鉱石を運び込んでいる様子が見て取れた。

 見ていると、それは転移の魔法陣で何処かへと送られているというのが理解できた、ナザリックへと直送……するわけもない。だが、あるいはそれに準じる公的機関に転送していると見て間違いないだろう。

 転移魔法陣の周辺には、長身の亜人の女と、赤金色(ストロベリーブロンド)の髪の少女の姿が。

 あそこへ行けば、何か有用な情報が入手できるだろう。

 そう確信した瞬間。

 

「落石注意!」

 

 怒鳴り散らす亜人の声が空洞内に響いた。

 見上げた先には、バラバラと崩れる断崖の様子が。

 暗闇でも機能する花の動像(フラワー・ゴーレム)の瞳が、その崩落を察知する。

 落石どころではない。ほとんど岩盤ほどの大きさの質量が、壁面から剥がれ落ちそうになっていた。

「危ない!!」と口にしそうな自分の唇を掌で覆う。岩盤の崩落が、直下で作業をしていた鑑定師や鍛冶師たち……魔導国臣民達へと殺到してしまう。下位アンデッドの骸骨たちではどうしようもなさそうな印象を覚えるが、ナタはその骸骨たちが、防御装置として改良されたそれだという認識を欠いていた。

 ナタは迷うことなく大地を跳ねる。

 

「────ッ!!」

 

 無音の吼声と共に、巨岩に根を下ろす大樹のごとき頑健さで、少年兵の拳を突き出した。

 花の動像の少年戦士が繰り出すアッパースローは、あまりの速度と衝撃で岩盤が粉々に割れ砕けてしまう威力を発揮していた。そのためナタは、その散り散りになった破片をさらに破砕し飛散させる回転蹴り四連を周辺空間へとお見舞い。空中で挽肉のごとく粉砕圧壊した巨岩。かくして、直撃を受けようとしていた下の作業場の人々は、小石程度の残骸で身体を汚す程度で済む。

 不可視化中の少年を感知し得ない人々が、起こった出来事を把握し損ねたように天を仰ぎながら首を傾げる。粒子状にまで岩盤を破壊し尽くしたナタの所業でも、細かい破片が残骸となって降り注ぐのは食い止めようがなかったが、そこは魔導国の誇るアンデッド兵力によって編まれた防御陣形によって、臣民に降りかかる脅威のすべては排除され尽くした。

 ナタは満足を噛み締めるように頷きつつ、先ほど自分が割り砕いた岩盤を──その時に得た奇妙な手応えを思い起こす。

 

 

 少年が拳を突き上げた刹那、ほぼ同時に、岩盤を“撃ち抜く”気配が、他に存在していた。

 

 

 まるで、岩盤の弱い箇所を貫くかのごとく放たれた弾丸の気配……僅か一発の発砲音で、三連撃の弾道が……岩盤の比較的脆く崩れさせるのに好適なポイントをクリティカルヒットしていたことを、ナタは戦士の卓抜した五感で感知し尽くしていた。

 

 自分以外にも、彼等の救命に尽力した誰かがいた。

 その誰かを探すべきか否か逡巡する間もなく──

 

「ッ!!」

 

 ナタはその場から飛び退いた。

 獣の如き跳躍というよりも、木の葉が風に吹かれ飛び去ったような(からだ)の流動。

 極限まで音を殺した爆薬の炸裂と共に、己の背後より飛来する小物体……“弾丸の発射”を知覚したのだ。

 花の動像が直前までいた空間を、無数の攻撃弾が抉り貫く。

 次いで、無機的な声がナタの耳を撫でた。

 

 

 

「…………そこにいるオマエ、誰?」

 

 

 

 一人の少女が、赤金色(ストロベリーブロンド)の髪を翼のごとく広げ、舞い降りた。

 迷彩柄を取り入れたメイドが、不可視化中の花の動像(フラワー・ゴーレム)と、目を合わせている。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 外したか。

 攻撃を避けられたシズは冷徹に、そこに佇む異分子──侵入者の類を知覚している。

 

 シズの種族は自動人形(オートマトン)。なみの人間や亜人に比べ、鋭敏な感知能力を与えられている。さらに、姉のソリュシャンほどではないが、シズもアサシンなどの隠密職業のレベルを与えられていた為に、ただ装備で不可視化した程度のものを看破することは容易すぎたし、与えられた装備の中にはそういった看破の力を宿す代物もある。戦闘メイドの姉妹たちの中では最弱のLv.46しかない彼女でも、違和感を覚えてならないほどに、その少年の姿をした侵入者の存在感は──過剰だった。不可視化の装備と言えど、完全に気配を断つことは難しい。呼吸する息の香り。身動(みじろ)ぎの際の筋肉の声。脈打つ心拍の音。さらには触れることによる触覚なども誤魔化すことはできず、感度が良いものだと大気の微妙な流れ具合だけで、見えない敵を察知することも不可能では、ない。

 不可視化は、文字通り“見えなくするだけ”の魔法。

 それ以外の感知を完全に遮断するには、より上位の〈不可知化(アンノウアブル)〉や〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉などが求められるが、あいにく侵入者たる少年は、そこまで優秀な隠密用装備を揃えられたわけではなかったようだ。

 

 

 

「…………何者?」

 

 

 

 再三の質疑応答を求めるシズ。

 これ以上だんまりを決め込むというのであれば、もはや問答の余地なしとして“処する”他ない。

 

「バレてしまっては致し方ない!!」

 

 不穏な空気を帯び始めるシズの意図を察したのか。

 不可視化を解除し、雄弁なほど己の存在を誇示する少年の声が洞内を満たす。

 

「自分の名は!! ナタと申します!!」

 

 現れたのは、蒼色の髪の、少年。

 

「我が師父(スーフ)より頂戴した密命に従い!! 自分はこの市街この土地を検分していたところ!! 非礼については、平にお詫びいたします!!」

 

 実直に謝罪を申し出る少年は、身長の低いシズよりもさらに小さく、そして幼い。

 だが、シズはその異様な力を感じ取り、自動人形の表情を数ミリだけ歪める。

 

「…………詫びて済む問題じゃ、ない」

 

 シズの冷たい声が、余人には推し量ることのできない熱を帯びていく。

 

「…………ここは、アインズ様──魔導王陛下が特に目をかけている新鉱床。それを、勝手に調べる権限は、あなたにはない」

「確かに!! グウの音も出ない正論!! なれば、どうでしょう!? 自分は、ここの情報を一切忘却し、貴女(あなた)もまた自分のことを忘れていただく──というのは!?」

 

 快活な笑みで交渉を図る少年に対し、シズは厳正な判断を下す。

 

「…………拒絶」

 

 当然のごとく。

 少年の放言は、随分と手前勝手な交換条件としか、シズは認識できない。

 

「…………怪しい存在。看過不能。ナザリック地下大墳墓に仕える戦闘メイド(プレアデス)の一人として、そんなモノを見過ごすことは、絶対に、出来ない」

 

 任意同行ではなく、強制連行を申し渡すメイド。

 それに対し、少年は明るく笑い、言葉を発した。

 

「なるほど!! では!!」

 

 ナタは早着替えのローブを脱ぎ捨てるように起動した。

 少年は、本来の自分の武装を露にする。

 肉体の至るところ──手足にすら幾つもの刀剣や防具が括りつけられ、背中には秘密兵器たる“斧槍”と“赤杖”まで(かつ)ぎ、花の動像(フラワー・ゴーレム)は凄然と腕を組む。

 

「完・全・に!! “抵抗”をさせていただきます!!」

 

 言った瞬間、彼は左肩に装備された小剣(ナイフ)を引っ掴み、鞘から抜くように前方へ投擲。

 半瞬の後、何処からともなく現れたのは、空中を浮遊する同一規格の長剣の群れ。

 それが無数に、数えきれないほど大量に、少年の周囲を高速旋回して空気を引き裂く。

 まるで穿孔機(ドリル)のごとく刃を外側に向けて、少年の盾となるかのごとく(きっさき)を大地に向け廻る剣群の囲いは、剣の花という表現が符合する。この一見派手で凶悪そうな剣は、ナタがカワウソより与えられた武装の一種──名は“浮遊分裂刃Ⅰ”である。普段は、ナタの肩に装備される小剣が、武装者の意志で鞘から抜き放たれた瞬間に、装備者を護るかのごとく数十本の剣となって顕現する遺産級(レガシー)アイテムだ。一本一本は何の変哲もない空中を自動旋回する剣であるが、それが二桁単位で存在している様は実に見栄えがよい。ユグドラシルでも人気だった周囲展開系の武装である。

 

 戦闘メイド──シズは、自動人形(オートマトン)の無機質な表情に、かすかな驚きを宿しそうになって、一瞬で真顔に戻る。

 

「…………シズ・デルタ、敵対者と戦闘する」

 

 完全に“敵”と化した不穏分子の確保、あるいは排除のために、シズは装備を構え、魔銃の照星を睨み据える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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