オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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※注意※
この物語は、ナザリック敵対ルートです。『敵対』ルートです。
独自設定や独自解釈も多々あります。
ご注意ください。


戦端 -1

/Flower Golem, Angel of Death …vol.11

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 生産都市・アベリオンの地下階層最下層……不法売買の現場は今、修羅の(ちまた)と化している。

 

「……私の正体や所属は教えられませんが、それでは納得いただけそうにないのは理解できます。なので、“名前だけ”は、お教えしましょう」

 

 先の発言──「それを、私が教えるとでも?」──から一転して、男はそのように述べ立てる。

 この現場に侵入を果たしてしまった“敵”は、警戒心をあらわにする魔導国の執行部隊に対し、懇切丁寧な所作でもって応対してみせた。黒い手袋を胸に当て、微笑みを浮かべ腰を折った男の容貌は、焦りや恐れといった全てから無縁に思われてならない。

 暗灰色の髪に戴くピアノ線のような金色の環こそが、男の正体を物語っている。

 天使系統の異形種。

 円環の薄さ細さから判断して、そこまで強力かつ高位な天使ではない、はず。

 

「私の名は、イズラ、と申します。どうぞ、お見知りおきを。魔導国の方々」

 

 とりあえずは自己紹介から。

 そんな思いを(いだ)いて、ソリュシャン・イプシロンたち特務のシモベたちへと名を明かそうという全身黒尽(くろづ)くめの、顔色の白さが浮き彫りになる男に、戦闘メイド(プレアデス)の三女は眉を(ひそ)める。

 見知りおくも何も、今目の前に出て来たこいつの姿は、あの天使ギルド……スレイン平野に現れた謎のユグドラシルの存在、堕天使のプレイヤーが率いる郎党の一人であると、ソリュシャンには既に把握されている。この異世界に転移した直後で、周辺調査に赴いていた彼等の姿を、ナザリックが誇る監視の目がとらえていたのだ。あの時はまだ、連中も油断があったのだろう。その際に連中の外で交わした会話などから、各天使たちの個体名も把握済み。何より、“あれらの目”はスレイン平野の常時監視体制を構築する上で万全以上のものを発揮し続けていたのだ。相手が悪すぎたというより他にあるまい。

 男は続けざまに、とんでもない「交渉」を始める。

 

「こちらの名を明かしたところで……どうでしょう? 先ほど同じことを提案しましたが、再度要求いたします。皆様には申し訳ないのですが。私がここにいたことをお忘れいただき、そして、これから私が、ここを離脱することのお許しいただければと思」

「断る」

 

 見逃してもらいたいという提案……それを言い終えるより前に、断固とした決意を表明してしまうソリュシャン・イプシロン。

 彼女は大いに(あや)しんだし、(いぶか)しんだ

 何故か、己の名だけを顕示し、正体や所属、そのほかの一切を秘匿する、黒い天使。

 名を明かすだけでも、隠密職──暗殺者にあるまじき蛮行に思えたが、ソリュシャンは同業同職の直感として、天使がワケもなくそうしたはずがないと了解する。だが、理由が見えない。偽名などの“欺瞞情報”の可能性も一応ありえるか。

 しかし、いずれにせよ、やるべきことは変わらない。

 

「貴様は、この不法売買の現場に、いた。私は先ほど告げたはず。

『この場にいる“全員”、……逮捕拘束する』──と」

 

 天使(イズラ)は納得の苦笑を浮かべる。

 ソリュシャンは言ったのだ。言ってしまった。

 言った以上は、戦闘メイドとして、ソリュシャンは任務を遂行せねばならない。

 それが、ソリュシャン・イプシロンに与えられた特務であり、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下より賜った神聖な任務(つとめ)

 ならば、それを成し遂げることに全力を傾注することは、ナザリックに仕えるシモベとして、至極当然の絶対選択。

 

「ああ、そう……それは残念です。では──」

 

 薄く微笑む天使が外套の裾を翻し、

 

「私の全力でもって、逃走させていただきます」

 

 そのまま背後の闇に、溶けた。

 

「追え!」

 

 喝破するように命令を下すソリュシャンの声に、影の悪魔たちが実体を影に落とし込む。

 ソリュシャンらの背後にある出入り口だけが、唯一の逃走ルートになりえるはずがない。

 連れ込まれた奴隷の搬入出のための裏口がある。此処までの調査でソリュシャンたちは把握している。そこへ逃げようとした罪人共は、そこに待機していた悪魔によって拘束・連行されていた。故に、罪人の連行役を務めた影の悪魔たちは、ここには残っていない。残っているのはソリュシャンの護衛と残務処理用の員数だけ。

 そうして。イズラという天使が、そのルートを首尾よく発見し、逃走されては面倒の極みだ。メイドは即座に影の悪魔部隊を三班に分割。一班は天使の追撃を。一班が別ルートで天使の先回りを。最後の一班はソリュシャンの護衛を。

 彼等は本来、ここに残された奴隷たちの解放と保護のために動員するはずだったが、ここに至っては他に処方がない。連れてきた僅かな都市警邏隊の死の騎士(デス・ナイト)に此処の始末を任せ、ソリュシャンは闇の奥深くへと進撃する。

 

「絶対に、逃がすものか!」

 

 任務をし損なうなど、御方に忠節を尽くすシモベにあるまじき怠慢だ。

 ソリュシャン・イプシロンは、愚直なまでの忠誠心を胸に灯し、天使の追撃を敢行する。

 あまりの顛末と状況に、ナザリックへの緊急要請を発令することすらも、彼女の思考の端から消え失せていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 しくじったか。

 イズラはそう思いつつ、奴隷売買の部屋の最奥へと潜り、そこに発見された巨体を持つ個体用の搬入出路を無理矢理にこじ開け、エレベーターのごとき昇降空間──岩肌の剥き出しな縦穴を、隠密らしい無音で駆け上る。

 その背後からぴったりと寄り添うように追随してくる敵意が、複数体。二桁は確実にいる。間違いなく、金髪の少女──イプシロンと呼ばれていた娘が引き連れていた、影の悪魔(シャドウデーモン)たちだ。

 彼等はあらゆるものの影に潜むモンスター。その特性上、一度とらえた影を追跡することは造作もなく行える上、その個体とのレベル差や速度ステータス差とは関係なくぴったりと随伴可能。まるで〈影の歩み(シャドウ・ウォーク)〉という魔法に似ており、追跡中はまったく攻撃行動は不可能となるのも一緒である(そのため、ユグドラシルにおいてはプレイヤーが遭遇したら逃げることが出来ないモンスターであるため、殺さなければ戦闘を余儀なくされる面倒な存在であった)。

 そして、影の内の一人がとらえておけば、その制約を他の個体は無視できるため──

 

『逃がさん!』

 

 絡みつくように悪魔の爪が外套(コート)の裾に引っかかりそうになるのを、イズラは軽く回避する。が、あの数でかかられると嫌気がさすというもの。衣服の防御力を考えれば悪魔系統モンスターの単純攻撃程度など、大したダメージにはならないはずだが、このコートは、イズラがカワウソより賜った“至宝”ともいうべき装備のひとつ。階級こそ大した装備ではない遺産級以下の最上級ランクに過ぎないが、だからといって、創造主より与えられたそれをこんなところで傷物にするなど、イズラの誇りが許さない。

 悪魔たちは、一人か二人が常に天使の影をとらえ、残る全員が攻撃に専念。攻撃を避けられた悪魔は仲間とのシンパシー・思念による交信が可能なために、天使が何処へ逃げ込むのか把握できてしまう。その為、どうあってもイズラの逃走は無駄に思われた。

 無論、イズラの隠密能力・職業(クラス)スキルの中には追跡妨害や阻止のためのものもあるが、さすがにあんな大量の影に追跡されては処理が追いつかない。ある程度の数まで減らさなければならないが、果たしてアレを倒して……殺してしまっていいものかどうか。

 

「……チィッ」

 

 思わず舌を打つほどに感情を揺さぶられる。

 何とか上層へと駆けあがり、木製の粗末な昇降機を破壊して落とす──のは、やめておく。

 おそらく違法に集めた奴隷を地下へと降ろすための装置なのだろうが、一応は、魔導国の備品の内のひとつと判断されるべき。それに現時点では、追跡者たちへの攻撃……殺傷行為は禁じられて然るべき段階だ。慎重に対応していかなくては。

 

「まったく、面倒なことになりました、ね!」

 

 昇降機の出入り口を下でやったように両手でこじ開け、すべりこむ。

 天使の腕力ですばやく両スライド式のそれを閉じて悪魔の爪を回避するが、影たちは扉の隙間から二次元の影と化し、次いで三次元の物体となって這い出てくる。おまけに、

 

『捕らえたぞ!』

「ああ、先回りされましたか?」

 

 動力室の空間を青白く輝かせる水晶や、柱の影から這い出てくる別動隊の悪魔の爪を、天使は手袋の手刀のみで追い払う。

 これは悪魔への致命傷にはなりえない。鋼線(ワイヤー)短剣(ダガー)も使わない一撃であったが、彼我のレベル差で特に致命的な一撃になりえないのは、イズラの攻撃ステータスがそこまで強力でない上に、彼自身が承った主命『魔導国臣民の殺傷は原則厳禁』に則しているからだ。

 

「な、なんだぁ!?」

「おい、どうした?!」

 

 振り返ると、都市動力室の作業員・魔法詠唱者ら……魔導国の臣民の姿がちらほら見えた。もう彼等の就業時間を迎えてしまったのか。とすると、もう夜は明けた頃だろうか。

 

『余所見をする暇があるのか!?』

 

 二部隊の悪魔たちが傲然と()えて(はし)る。

 言われるまでもなく、イズラは爪牙を伸ばした影の方を見ることもなく避ける。だが、徐々に影共の攻撃は苛烈さを増した。数十体の仲間と協力し、竜巻のごとく敵対者の周囲を包み込み、天使の方向性を完全に封じ込める。

 影の檻とも称すべき黒い鳥かごに包まれる天使は、〈閃光(フラッシュ)〉の魔法の巻物(スクロール)を外套の袖から取り出し、詠唱。盗賊系スキルによって、イズラには不可能な魔法の行使を、巻物(スクロール)を“騙す”ことで使用可能な仕組みである。

 魔法の閃光が弾ける。

 この光は、抵抗の成否は関係なしに対象となるものすべての視野を奪う。おまけに、影の肉体で構築された悪魔連中を追い払い(ひる)ませるには、絶好の防衛手段たり得た。

 黒い竜巻が晴れた──瞬間、

 

「ッと──!」

 

 イズラは素早く上半身を仰け反らせ、飛来してきた白い凶器を回避し、手袋の指先で器用に挟む。

 影の黒い爪ではなく、暗殺者専用のナイフ。

 それは金髪の少女が握る一刀……この小剣は、地下より追撃してきた少女の掌に握られている。

 少女の身体は、二メートルを優に超えた位置にあるが。

 そう。

 悪魔を従える少女の腕は、まるで細長い繊手のごとく伸びきっている。

 通常、人間にはありえない肉体変化だ。

 

「やはり。不思議な中身だとは思っておりましたが」

 

 必殺の攻撃をまんまと回避された少女は、余裕な表情を崩さない敵に憤懣やるかたない表情で、問う。

 

「──どういう意味だ?」

 

 敵にまんまと防がれ摘まみとられた武器を放棄しないのは、それが彼女の唯一の攻撃手段だからか、あるいは大事な装備品であるが故か。

 

「言葉通りの意味では?」

 

 質問を質問で返されたメイドは、さらに(まなじり)を決した。

 イズラは微笑みを深め、影の悪魔らが殺到しようとする気配すらどこ吹く風という表情で、告げる。

 

貴女(あなた)は人間ではない」告げられた内容は正鵠を得ていた。「人間であれば、その中身はありえないはず。内臓も骨格も筋肉もない。人間という外見を整えられた“異形”の存在──私の見立てが正しければ、貴女は“粘体(スライム)”種で、お間違いないだろうか?」

 

 どうやってそれを見抜いたのか?「やはり」というからには、メイドが腕を伸ばすより以前から、その事実を確信していたことを示すはず。そう、水底のような瞳だけで問い質す少女に、天使は己の力を誇示してみせるように、もう片方の手で目元を叩いた。

 

「私の種族スキルのひとつを使用したまでです。私は私の主人(マスター)より、そのような性能の“眼”を与えられた存在なので」

「種族、スキル──」

 

 金髪のメイドは警戒心を深め、だが、まったく後退する気配を見せない。

 彼女が同じ異形種であるという確信を持つイズラは、どうにか彼女を退()かせられないだろうか──この遭遇(エンカウント)をなかったことにできないものか、考えを巡らせる。

 

 イズラが一番に目をつけたのは、都市管理魔法の動力源たる水晶。

 この動力室には、魔法の動力として機能する巨大水晶が立ち並んでおり、それを破壊するか奪掠することで、“物質(ものじち)”にする。言ってしまえば、この動力室こそが、この生産都市の心臓だ。それを掌握されてしまえば、いかに魔導国の執行部隊たる彼女たちにも、手が出せなくなる、はず。

 だが、そうするとイズラは、完全に犯罪者の罪状を張られるだろう。この状況を切り抜けられたとしても、後々になってイズラの存在を捕らえた連中が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に捜査の指を伸ばすやも知れない。無辜(むこ)の民が住まう都市の心臓を(かす)め取り破壊したことで、いったいどれだけの不利益がこの都市に生じるか。想像するのは容易に過ぎた。

 そうなっては、イズラは不心得者・不忠者として、カワウソに処されることになるやも。

 ──否、それ自体は別に構わない。自分だけが命を落とす程度で済めば、それでよい。だが、問題は、主人であるカワウソが、イズラの不忠不心得の、その「責を負わされる」可能性が出てくるということ。それだけは断固として許し難い。受容できない。自分などどうなっても良いが、カワウソに、創造主に累が及ぶことだけはあってはならない事態だ。

 だとするならば、生産都市への攻撃──魔導国臣民への殺傷や、都市魔法の主動力を破却する行為は、断じて採択不能な作戦となる。

 

 だが、そうすると、どうする?

 

 目の前の少女や悪魔たちは、まったくイズラを逃がす気概を見せない。しかし、だからといって、従容(しょうよう)と連中に拘束されるというのも、カワウソへの影響が懸念される。

 ならば。

 

 殺すべきか。

 殺さないべきか。

 

 殺そうと思えば幾らでも手はある。影も粘体も物理ダメージ系は通しにくいが、方法がないわけでもないし。さらにはイズラには主人より与えられたスキルの中に即死系統のものが存在していた。それを発動させる準備と仕掛けも申し分ない。

 しかし、魔導国臣民であれば殺せないところなのだが──?

 イズラはふと閃くものを得る。

 

「ひとつ、確認いたします」

「──何を?」

 

 イプシロンの短剣を指先で摘まむのを止め、簡単な質疑応答を行う。

 メイドは訝しげに首を傾げ、伸びた腕を元の形状に戻して、それに応じる。

 

「あなたは、貴女(あなた)たちは、魔導国においてはどのような位置づけなのでしょうか?」

 

 金色の巻髪に包まれた表情は、沈黙を守る。

 それがどうしたとでも言いたげに、視線に籠める殺意を強くする。

 

「見たところ。あなたがたは私がこれまで見てきた魔導国臣民達とは一線を画していると愚考できます。臣民の人々とは違う、“ユグドラシル”と共通する隠密系モンスターである影の悪魔(シャドウデーモン)。そして、貴女は唯一、彼等とは完全に違う印象を受ける」

 

 装備された衣服や武器の見事な出来栄えは、都市や市場で流通するそれを上回るものだと見て間違いない。ひょっとしたら、イズラの身に着けるソレと同格か、それ以上。

 だが、それだと疑問が膨れ上がる。

 

「あなたは、魔導国の“臣民”なのでしょうか?」

 

 臣民と呼ぶには、その技能と力量は隔絶的なものが存在する。

 繊手のごとく伸びる腕から繰り出される一刀の殺気は、ただの人間では頸動脈を掻き切られ絶命した事実にすら気づけないだろう、殺傷速度と威力を発揮。

 さらに──イズラが目敏く観察した、彼女の反応。

 種族スキル……ユグドラシル……これらの単語を過たずに理解し、その危険性を承知している感覚のまま、イプシロンという少女は武器を構え直す。

 そして、誇り高き事実を、宣告する。

 

「私は、ナザリック地下大墳墓の最高支配者であられるアインズ・ウール・ゴウン様に仕える戦闘メイド(プレアデス)が一人。そこらの魔導国“臣民”達とは、違う。御方々に創造され、直接の報恩を許されている“シモベ”の一人よ」

 

 己の出自に絶対的な信奉と信念と信義を懐いてならないような、少女の言の葉。

 なるほど。イズラは納得の笑みを唇に刻む。

 粘体というモンスターでありながらも、数多の武装を揃え、人間の姿に整えられた、「イプシロン」という個体名を戴く少女の正体──

 

「ということは、貴女は私と同じ、“拠点NPC”ということでよろしいのですね?」

 

 ソリュシャンは驚愕に目を剥き、粘体の疑似口内で舌を打った。

 敵の計略に乗って情報を与えた己の不出来を諫める故か、あるいは敵が「自分と同じ」と見做(みな)したことに対する反発か──もしくは単純に黒い天使の微笑が怪しすぎたか、わからない。

 

「だったら、どうだと!」

 

 ソリュシャンは体内に秘匿している刃を数本、腕から生やした(・・・・)

 手に握るそれだけではなく、まるで鞭の先に鉤爪の鋭さが付加されたかのごとく殺傷能力を向上。粘体の肉体であるからこそ可能な武器の使用方法であり、ソリュシャンの戦闘能力は確実に敵対者の意表をついていく。

 だが、

 

「素晴らしい暗器の数だ」

 

 イズラはやはり、余裕の表情を崩さない。

 

「やはり私と同じ暗殺者(アサシン)の系統ですね」

 

 (いばら)のごとく刺々しい形状を構築した粘体の鞭撃を、黒い手袋が児戯に付き合う大人のごとき優しさで“すべて”掴み取る。いかにユグドラシル産のアイテムと言えど、あれだけの量の刃に触れて、手袋の繊維質にすら傷ひとつ、ほつれ一片も生じさせないというのは、戦闘メイドにとっては絶望的な光景と見えた。

 

 

 

 

 

 両者のレベル差は、概算で40以上の開きが存在する。

 ユグドラシルにおいては10レベルの差が生じるだけで勝率が激変する事実を思えば、Lv.100の死の天使に対し、溶解の檻たるメイド──Lv.57の粘体(スライム)──ソリュシャン・イプシロンが単独で打てる手立てなど、ない。しかも、相手が自分と同じ職種で高レベル帯に属していることも影響していた。暗殺者のメイドがやれることは、目の前のイズラはさらに高い次元でやりこなせる。

 いかに大量の護衛を、影の悪魔を従えていようとも、その数の差を活かすには、圧倒的に力が不足していると言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

 しかし、だからといって、戦闘メイドに後退するという選択肢は存在しなかった。

 

「なめるな!」

 

 ソリュシャン・イプシロンは、ナザリック第九階層──御方々の居城となる最奥最深部を守護する戦闘メイド。

 そんなものが、敵を前にして、無様に背中を晒して敗走するなど、できるわけもない。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 一方、南方の地でもまた、ひとつの修羅場が構築されていた。

 闇一色に染まる採掘場内にて、赤金髪(ストロベリーブロンド)のメイドが、蒼い髪の謎の少年──種類、形状、大小、様々に存在する数多(あまた)の剣を身に帯び、背中には異様な雰囲気を醸し出す斧鎗と赤杖、両の腕に鋼鉄の円環、二個の車輪が意匠された靴に加え、鎧などの防具には花や葉の造形が見られる重武装者──と対峙している。彼我の相対距離は十メートル以上。遠距離攻撃が主体のガンナーにとっては、好都合な戦況戦局と見える。

 しかし、

 

「…………?」

 

 CZ2128・Δ──シズ・デルタは、ストックを肩に当て、魔銃の照星・照準器にとらえた少年兵──ナザリックの監視網に捕らえられた件のギルド内で、唯一的に天使の特徴を持たぬNPCだと広く認知されていた──本人が名乗るところの「ナタ」とかいう存在から視線を動かすことなく、疑問する。

 ナタは、周囲一メートル範囲に展開した剣群こそ忙しくなく旋回を続けているが、少年本人はまったく微動だにしていない。まるで、シズの行動(アクション)を待ち望んでいるかのように腕を組み、尊大なまでに無邪気な笑みで、そこに佇み続ける。

 奴は言った。

 先ほど、こう言ったのだ。

 完全に、抵抗する──と。

 

「…………攻撃」

「うん!?」

「…………何故、攻撃してこない?」

「ああ、そうですな!! 攻撃はもちろんするべきなのやも知れませぬが!! とりあえず、貴女の力量がどの程度か把握させていただいた後にしたいので!?」

「…………」

 

 なめた真似を。

 シズは能面のごとき自動人形の表情に暗い影を宿しつつ、ナタがそこまで余裕を見せられるほどの強者である可能性を考慮し、魔銃の最大出力へともっていく。

 撃鉄を起こし、二連弾倉から選択した弾種を薬室に込め、翠玉(エメラルド)の瞳に(ナタ)を捕らえ、引鉄(トリガー)を絞る。

 魔銃が鉄の()ぜる音を響かせた。

 

 瞬間、

 飛来する剣が──鋼の長剣の一本が、シズの鼻先数センチで、止まっていた。

 

「!!!」

 

 反射的に身を跳ね、剣の軌道から逃れ転がるシズは、傷ひとつない。

 それもそのはず。

 剣は、シズの鼻先に襲い掛かる数センチの地点で止まったまま(・・・・・・)だ。

 

「…………何の、つもり?」

「ご心配には及びません!! ただ!! これが自分の実力であることの証明になると思いまして!?」

 

 弾丸の発射速度と匹敵──否、それ以上の速度で飛来し、風ひとつたてずに“停止”までされた剣の威力。しかも、ナタは先ほどから一歩もその場から動いていない。つまり、シズの放った魔法弾は、何の威力も発揮せずに無力化されたことを意味する。身体特性の影響か、あるいは飛来した剣によって弾き飛ばされたのか──その判断すら、あまりの状況に理解が追いつかない。

 奴の、少年の性能は間違いなく、シズ程度のレベルでどうこうできる領域の話ではない。

 しかも、少年は“あえて”そのように、己の剣を、技を、力を披露した。

 役目を終えた長剣を、己の意志のみで宙を舞う剣群に呼び戻す。

 ──その気になれば、シズは初手から一秒もしない内にやられていただろう。あの剣を、ほんのもう十センチ前進させただけで、自動人形の頭部に(やいば)の先は沈み込んだはず。

 いかに異形種の自動人形(オートマトン)とはいえ、頭部破壊は致命傷(クリティカルヒット)になり得る。人間のような一撃死こそありえないだろうが、それでも戦闘能力の半減と戦況判断に過大な影響を及ぼすことは確実だ。そうなったらシズは、果たして戦闘の継続は可能だったのだろうか。

 自動人形にはありえない冷や汗を、シズは己の面貌に湧きあがる気を覚える。

 

「デ、デルタ様! いったい、何が……?」

 

 落盤の崩落処理のために本営から弾丸を数発ブチ込み、その事後処理に赴いたはずの上官──シズを追ってやってきた混血種(ハーフ)の女が、そこで行われる一触即発な状況に目を丸くしてしまう。

 

「…………さがって。副官」

 

 それだけを言って、シズはアインズより与えられた部下をさがらせる。

 あれは、現地の存在程度では──いくらナザリックの因子を継ぐ土堀獣人(クアゴア)の混血児とはいえ──どうしようもない難敵に相違ない。彼女の名の由来である「毒」も、果たしてあの少年に通じるものかどうか。

「しかし!」と強く抗弁する女の肩を叩く気配が。

 彼等もまた、シズと同じく、至高の御方に、ナザリック地下大墳墓に忠節の限りを尽くすシモベたち。

 

『ご心配めされるな』

『デルタ様の前衛は、我等が務める』

『あなたは、鉱床内の作業員たちの避難誘導をお願いする』

 

 馳せ参じた護衛部隊に諭された女副官は、承知の声と共に後退。己の任務へと邁進する。

 そうして、不可視化を解いて現れた者たちの姿は、少女の姿を与えられたシズとは比べようもない異形を身に宿すモンスター。

 八本の(あし)に刀のごとく鋭利な刃を生やす、人間大の漆黒の蜘蛛(くも)

 その造形を見知る敵が、轟然と快哉(かいさい)を飛ばした。

 

「おお!! 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)ですな!! それも、なかなかの数です!! 実に壮健な光景だ!!」

 

 心の奥底より昂奮したような蒼髪の少年。

 

「ユグドラシルでは!! 自分は第一階層の“迷宮(メイズ)”で、まったくお役目を果たせなかったもの!! まったく!! この世界は本当に!! 愉快痛快な場所ですな!!」

 

 ユグドラシル。

 その単語を紡ぐ少年を見るシズの瞳が、ある事実を確信させる。

 

「…………おまえ、やっぱりユグドラシルの」

「おおっと!! あまりに嬉しくて、口が滑ってしまったっ!! これはいけない!! だが!! しかしです!!」

 

 ナタは大いに轟笑する。

 

「自分が言った、“ユグドラシル”という単語!! それを理解できるあなたもまた!! 同じユグドラシルの存在と言うことでよろしいのですな!!」

「…………っ!」

 

 シズは驚嘆に目を剥いてしまう。

 ただの現地人で、ユグドラシルという単語を理解できるものは、そう多くない。それこそ、アインズと個人的な盟を結んだ竜王と、彼が管理監督する浮遊都市の連中などか。

 少年から情報を得られはしたが、逆に同時にシズもまた、彼に情報を与えてしまうという愚を犯した。彼がそのように意図して口を滑らせたのか否か、判然としない。そうであるような気もするし、そうでない気も同時にありえる。

 どうにもペースを握られ続けていた。この流れはいけない。

 

「…………おまえ、絶対、逃がさない」

「おお、これはこれは恐ろしい!! ならばこそ!! 戦い甲斐があるというもの!!」

 

 依然として腕を組んだままの少年。

 最初に発動した剣群以外の武装を使うことなく、使う意図も意気も感じられない。

 まるで、それ以外それ以上の武器は“使わない”という意思表明にも見えて、戦闘メイドであるシズには、不快だった。あれだけの武装を身に帯びていて、「本気で相手をする必要がない」と、そう言外に示されていると判断するに足る行為であり、状況だ。

 戦闘メイド──戦いを目的に創られた存在として、そのような手心は不要無用に願いたいもの。

 事実、シズは完全に舐められているようにしか思えない。

 周囲を旋回する剣より射出された剣は、あの一本、だけ。

 

「…………私をバカにしてる?」

「ええっ?! そんな!? 滅相もない!!」

 

 少年兵は心底から「意外心外!!」とでも言いたげに首を振った。そんな天然な仕草すら、強者の余裕に見えてしようがない。

 シズは決意する。

 何が何でも、捕らえる。

 そして、奴の正体を、(あば)き倒す。

 自分がバカにされることは、自分を作ってくれた創造主(アインズ)たちへの侮辱と同義。

 シズ・デルタもまた愚直なまでに、敵対者への追撃と追走を敢行する。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナタは無論、副官に「デルタ」と呼ばれる少女をバカにしたつもりなど、毛頭なかった。

 ありえないと言って良い。

 彼女と自分の力量差は、遺産級(レガシー)アイテム・浮遊分裂刃Ⅰの一振りに反応しきれなかった事実から推して知るべきところ。──ナタが思うに、彼女とのレベル差は実に50を数えるだろうと察することができる。

 にも関わらず、少女は強敵であるところのナタという少年兵──種族は花の動像(フラワー・ゴーレム)──への戦いを己に課した。その敢闘精神は、まったくもって実に素晴らしい。

 

 強敵に()えて挑む。戦う。挑戦する。

 

 それはまさしく、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の創造主と同じ心意気に他ならない。

 誰もが「無理だ」「無駄だ」「諦めろ」と(さと)した“強敵”──伝説とまで謳われた悪を標榜せしギルド:アインズ・ウール・ゴウン──に対し、ナタの創造主・カワウソという堕天使は、戦い続ける意思を持ち続けた。挑戦し続けてきた。その証明こそが、彼が創造せし花の動像(フラワー・ゴーレム)を含む十二体のLv.100NPCであり、彼が獲得した“世界級(ワールド)アイテム”の存在に他ならない。

 ナタが周囲に展開する以外の武装を解放しないのは、魔導国臣民やも知れない銃使いの少女や、この新鉱床の採掘場に存在する全作業員たちの命を(おもんばか)ってのこと。

 少年が背中に担ぐ秘密兵器たる“斧鎗”と“赤杖”の機能を解放し、近接戦闘職の技を完全に振るえば、今彼等のいるこの程度の閉鎖空間は完全に破壊されることになる。だろうではなく、確定事項と言って良い。六本の増設武装もまだ展開しない。堕天使であるカワウソが、現地の森を基礎的な攻撃スキルで更地に変えた以上の攻撃が、ナタにとっては朝の水分補給前に行える程度の通常戦闘。花の動像の全力出力でやれば、大地は焼け砕け、天雲を潰し割ることも、実際ありえる。この異世界におけるLv.100とは、そういう次元の存在らしい。

 だが、それでは、ここにいる魔導国臣民を殺戮することになりかねない。

 下手をすれば、センツウザンの市街にいるゴウやスサたち“八雲”の人々にまで累が及ぶかも。

 そんなことになっては、ナタは師父(カワウソ)から叱られてしまう。創造主を喜ばせることこそがNPCの最大の幸福であり、彼を悲嘆させ憤慨させ失望させることはNPCにとって最悪の禁忌。

 故に、ナタはここでの戦闘で、本気を出すわけにはいかなかったのだ。

 それを懇切丁寧に教えてやっても良かったのだろうが、それもまた、デルタという少女の気分を大いに害するものと推測される。

 どうにも相性が悪いようだ。

 属性的な相性ではなく、性格や精神的な相性の悪さ。こればかりは、ナタにもどうしようもない。

 寡黙な少女に、雄弁な少年は言葉を振るう。

 

「では!! ここから少しの間、本気で抵抗するとしましょう!!」

 

 勿論、本気というのは方便だ。

 本気を出せば落盤事故どころの騒ぎではない。下手をすれば、この採掘場全体が崩落し、中にいる人々を圧死させるやも。頭のよくないナタでも、そんな危険を犯すほどバカではなかった。

 

「いきますぞ!!」

 

 腕を組んだまま身構えるナタ。

 デルタが銃口を差し向け、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)複数体が刃を閃かせる──

 それと同時に、激震が少年の足元から(こだま)した。

 

「うぬ!?」

 

 ナタは〈敵知覚(センス・エネミー)〉を発動できる装備の効果を発揮し、己の足元に広がる鉱床の大地を見つめる。何かが、いる。近づいている。

 次の瞬間、大地がばっくりと裂けた。

 

「これは!!」

 

 口だ。

 幾本もの長い牙が円周状に広がり、口腔内にもびっしりと鉄色の鋭さと輝きをともす、巨大なモンスターの捕食風景。

 それに、ナタは足元の地面ごと呑み込まれかける。

 

「なんの!!」

 

 ナタは大地の破片を素早く蹴り跳ねる。彼が一瞬前まで存在した空間ごと、その細長い体躯の異形が食い千切ってしまった。

 

「おお!! ワームですな!?」

 

 この鉱床周辺を警護していたアンデッドや不可視化可能な隠密モンスターの他に存在した、地中に潜伏するタイプの、魔導国の尖兵。

 さすがに、この見た目で魔導国の“臣民”と見做すことは難しい。

 カワウソが森で斬潰した死の騎士(デス・ナイト)地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)と同様の、POPモンスターの類……臣民ではない存在と認めてよい。

 ナタは落下しつつ冷厳に判断を下し、浮遊分裂刃Ⅰの一本を手に握り、構える。

 

「ハァっ!!」

 

 気合の乗った一撃で、鉱山地帯に住まう──というよりも、ナザリックより新鉱床の周辺監視目的で連れてこられた蟲モンスター・鉄喰いの蠕虫(アイアンバイトワーム)を両断。ナタの圧倒的な腕力・物理攻撃力を乗せられた一撃は、鉄を()み噛み千切る牙と体表の硬さ強靭さを誇るミミズ状の蟲モンスターすら、まるでバターのごとく頭から尻尾まで“縦”に断割できてしまう。おまけに、周囲に展開され旋回を続ける数十本の長剣が、保有者を護る傘のごとく集中し、ワームの残骸をミキサーのごとく破砕。周囲に蟲の体液が降り注ぐ異様な臭気が立ち込める中、彼の矮躯には、周囲を舞い回る剣群が巻き起こす風圧の壁によって、一片の飛沫すら付着しない。

 これこそが、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)において“最強の矛”の力の片鱗であった。

 

「これ以上やるというのであれば!! 皆さま、相応の覚悟を!!」

 

 快活に宣告し、また腕を組み直す少年の微笑み。

 だが、その圧倒的な力の行使を前にしても、ナザリックのシモベ達は一向に、退くという選択肢だけは、採択しない。

 できるわけがない。

 

「…………バカにするな」

 

 威伏させる気で垣間見せた少年の本気だろう一撃を、冷徹に、冷静に、理解し分析したシズは、護衛部隊の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちと共に、戦端を開く。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 こうして、ギルド:天使の澱と、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、開戦の狼煙を上げた。

 

 飛竜騎兵の領地で、カワウソとアインズが死した老兵の葬儀に赴く日。

 

 互いが互いに信奉する者のための戦いが、幕を開けてしまった。

 

 戦端は、此処に開かれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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