オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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戦端 -2

/Flower Golem, Angel of Death …vol.12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カワウソは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の主人は、調査隊の彼等に告げた。

 

「魔導国臣民への殺傷は原則厳禁」と。

 

 だが、魔導国には“臣民階級”とは隔絶した存在として、さらに「上」の次元の存在たちが鎮座し、至高の御身たるアインズ・ウール・ゴウン魔導王への忠義を尽くしている者たちが、別に、いる。

 

 

 ──ナザリック地下大墳墓の拠点NPC。

 ──拠点内で生み出される各種POPモンスター。

 ──アインズ・ウール・ゴウン魔導王が日々、御手によって生み出すアンデッド。

 

 

 彼等は、ナザリック地下大墳墓の最高支配者として君臨する御方の忠実な従僕。ユグドラシル時代より忠勤を尽くし続けてきた至高の四十一人・そのまとめ役であられるアインズ・ウール・ゴウンという超越者(オーバーロード)への絶対的尊崇と信仰を捧ぐ“ナザリックのシモベたち”だ。

 

 彼等の特徴は、異形種が多い構成であるが故に、不老長命の強力な個体に恵まれ、しかも、NPCの特徴として自分たちの支配者に対する忠誠心は絶対的。各種国家政策や特別任務の指揮統率役として抜擢されることが多く、その成果率は信頼が置ける。

 

 それが臣民よりも上位存在として君臨する、ナザリック地下大墳墓の存在たち。

 

 そして、この異世界において。

 現地の異形種モンスター……(ドラゴン)巨人(ジャイアント)人狼(ワーウルフ)なども、“特別な盟”や“友誼”によって、ナザリックの存在に近い扱いを受ける者たちも、一部例外的に存在している。

 つまり、彼等は厳密に言えば「魔導国の臣民」とは定められていない。

 この異世界、現地における異形種は──自然発生したアンデッドでいえば、旧沈黙都市のアンデッド軍は、ナザリックの新たな尖兵として麾下に加えられ、旧カッツェ平野の幽霊船の船長などは、貴重な現地協力者として組み込まれることがほとんどである(「ナザリックを侮辱しない」「アインズ個人の琴線に触れる」などの条件・場合によりけりだが)。

 現地の存在に対して、あまりにも厚遇に過ぎると思われたこともある、この特別待遇は、しかし、無理からぬ措置でもあったのだ。

 彼等異形の存在は実に貴重であり、人間や亜人よりも圧倒的に稀少性が高い。また、アインズ自身がアンデッドである関係上、現地産のアンデッドと、ユグドラシル産のアンデッド──さらには、“プレイヤーキャラクター”であるアインズとの差異や相違を検証するためにも、彼等を「臣民」程度の地位に落とすのは、ありえなかった。他のモンスター……異形種にしても、ナザリックとの、ユグドラシルとの落差などを検証する上では、実に有意義な存在たり得た(無論、アインズを侮辱したり、彼の不興を買ったり、ナザリックに対して不遜なふるまいを見せた奴儕(やつばら)は、ほとんどその場で処刑されるか実験台として”保管”されている)。

 

 

 魔導国においては、明確な身分──“差”というものが、ただひとつだけ存在している。

 

 それは、『ナザリックの存在』と『それ以外のもの』だけ。

 

 

 それが、アインズ・ウール・ゴウンの絶対原則。

 仲間たちが築きあげたものだけが、アインズにとっての優先事項。

 仲間たちとの思い出──記憶──絆──それらすべての象徴たる、ナザリック地下大墳墓。

 

 言ってしまえば、「臣民」という存在は、国家に隷属する者の集団でしかなく、臣民内によって等級分けがなされてこそいるが、いずれもナザリックよりはるかに“下”の存在であるという認識が、実際におけるアインズ・ウール・ゴウンその人の思考であったし、そもそもにおいて、外の存在はナザリックに属する多くのシモベ達・異形種NPCたちにとって「格下」という共通の理念を、転移当初から保持されていた。「人間はゴミ」「下賤な存在」「下等生物風情が」など。

 勿論、主人であるアインズが認めた人間や亜人は、また別の扱いになる。

 なので。

 彼等のような“現地の異形種”は、「アインズ・ウール・ゴウン魔導王が認めた者たち」は、臣民とは“別格”の存在として規定されており、その重要度や戦闘能力の高さを買われ、臣民よりも遥かに高次元の──ナザリックと同等規模の扱いを受けることが認められているわけだ。彼等を「臣民」と同一視することは、むしろ彼等の価値を低く見る行為に繋がりかねない。故に“別格”の、シモベたちと同等程度の扱いがほとんどとなっている。

 

 その中でも『例外中の例外』となるのは、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”……ユグドラシルと現地の異世界、その「両方の知識」をある程度ながら保持し、その叡智を分け与えることで100年前の“事件”を期に、アインズ・ウール・ゴウンへと協力してくれた彼は、国内では魔導王の「次席」……魔導王御一家……王太子殿下や姫君……“六大君主”などと同等にまで認定されているのだ。

 ツアインドルクス=ヴァイシオンのように半ば独立した統治領を信託されたアーグランドの竜王。戦闘メイドの一人(ルプスレギナ)と懇意の間柄を築いた信仰系魔法軍・幕僚総長などの任に就く盲目の人狼(ワーウルフ)。かつて旧カッツェ平野の霧の内に噂されていた幽霊船の船長(キャプテン)など、他にも様々な大陸各地に点在し遍歴していた異形の傑物たちが、外地領域守護者──ナザリック地下大墳墓の“外”の現地を守護する新たなシモベなどと同格か、それ以上の扱いを受けることを許された存在として、すでに100年近い時の中で、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の大陸統治に貢献し続けている。

 

 彼、魔導王陛下が推し進めた大陸統一事業による、恒久和平。

 

 彼が目的とする“アインズ・ウール・ゴウンの名を、不変の伝説にする”ための世界征服は、その伝説を永遠不変に残すための活動────世界を平和的に統治し安定させ、(きた)る「100年ごとの揺り戻し」……ユグドラシルからの来訪者に対する策謀と準備を整え、必要があれば保護を──あるいは排除を──速やかに、そして確実に行使できるように、営々と“世界の平和”を実現し実行し続けねばならなかった。

 

 さらに、アインズ・ウール・ゴウンの最大の懸念のひとつ。

 ──廃墟で出来上がった国を造っては、アインズ・ウール・ゴウンの名が泣くというもの。

 そして、いずれ現れるかも知れない仲間(とも)たちの前に、すべての種族が平和に暮らせる場所を提供したいという、切実な願い。

 かつてアインズ……モモンガがたっち・みーに救われた時のように、異形種である仲間たちが渡り来ても、安全に平穏に、日々を過ごせる場所を。世界を。

 

 それら仲間たちへの想いこそが、アインズ・ウール・ゴウンの大陸国家運営の方針を確定させた。

 

 人間も、亜人も、そして、異形種も。

 すべての種族が平和を甘受し、アインズ・ウール・ゴウンの名のもとで、幸福を謳歌する世界を。

 

 それをこの100年で実現せしめたのが、アインズ・ウール・ゴウン魔導国だったのである。

 

 

 

 

 

 そして、ユグドラシルからこの世界に転移して、100年後の現在。

 

 大陸全土に賢政を布くアインズ・ウール・ゴウンのもとに、彼等が、姿を現した。

 

 自らが定め称するところの、『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』──

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──

 

 かつての仲間たちとの約束に(とりつ)かれた、堕天使の復讐者に率いられる彼らは今、魔導国の特務部隊と邂逅、戦端を開いてしまっていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ソリュシャン・イプシロン率いる特務部隊。

 影の悪魔(シャドウデーモン)たち40体──奴隷不法売買の郎党を捕縛し連行した者10体を除いて30体が、ソリュシャンの護衛として残されている。魔導国が建国されてより100年。蓄財に蓄財を重ねたアインズの親心によって、影の悪魔などの重要度の薄いPOPモンスターを大量に配備されて久しい。

 

「なめるな!」

 

 轟然と響く少女の咆哮。

 そして、それを目の前の黒い天使──イズラは、そよ風ほどの痛打も感じずに、黒い男の微笑みを深める。

 彼我の戦力比は31対1という状況であるのだが、あの余裕の表情は、戦闘メイドの矜持を大いに刺激されてならない。

 しかし、焦りは禁物。

 油断も驕慢も、すべてが命とりな状況と言えた。

 

『イプシロン様』

 

閃光(フラッシュ)〉の魔法で影の肉体を吹き飛ばされた……しかし、もともと物理ダメージを与える魔法ではない為に、まったく無傷で済んでいた影の悪魔たちが、天使の周囲空間を包囲し直す。

 その途上で、悪魔たちは警報装置に干渉し、とりあえず、この都市動力室の臣民たちを避難させる。けたたましく響くサイレン。異様な事態に怒号と指示が飛び交う。それらすべてが収まるまでの十数秒を、彼女たちは敵対者の天使共々、待ち続ける。

 主動力が機能を停滞しても、ほかに存在する動力──(メイン)に対する補助(サブ)は十分な数が揃っている。最低でも、この一室が一週間以上閉鎖されても、都市機能には問題など生じないだけの備えが。

 警報が止む。

 動力水晶の格納と停止。

 動力室の閉鎖処置も滞りなく完了──それすらも、この黒い男は突破しそうではあるが。

 悪魔の一体に差配を促された戦闘メイドは、冷徹に、己の配下を務める悪魔たちへ下知を飛ばす。

 

「……奴を決して逃がすな。ここで捕らえるか、それが無理であれば殺してでも、確保する」

 

『御意』と答えて影が離れる。

 短剣を構えるソリュシャンの行動方針は、依然として確固たるもの。

 自分に与えられた使命を、任務を、完璧に(まっと)うするという意思でもって、粘体の柔肌の内に硬い決心を構築していく。

 微笑みっぱなしの天使の実力を、漠然とながら思い測る。

 影の悪魔の追尾追撃を回避し、尚且つ、ソリュシャンの暗殺技術に対応可能なレベル。

 自分と同等以上であることは、確定情報と見て間違いない。では、その上限はどれほどになるだろう?

 Lv.70──Lv.80──まさかとは思うが、至高の御方や階層守護者各位と同じ……Lv.100ということも、ありえるか。

 相手の情報を正確に看破する魔法や特殊技術(スキル)の持ち合わせが、ソリュシャンには存在しない。いかに巻物を騙して使用できるソリュシャンでも、自分のレベル以上のそれを扱うことは不可能。光の輪を浮かべる見た目や醸し出されるオーラから判断して、アレが“天使”であることは相違ない。しかし、何しろ同じ「拠点NPC」であるが故に、その外見は完全に痩身痩躯の人間の姿でしかなかった。これが“ユグドラシルの一般的なモンスター”……熾天使(セラフィム)とか智天使(ケルヴィム)などであれば、大体のレベル帯は知識として存在していたのだが。

 実際に手合わせを重ね、繰り出される魔法やスキル、身体能力(ステータス)の高さなどから計測する他ない。

 

「く、ふふふ……」

「──なにが、おかしい?」

 

 戦闘メイドの言った覚悟が、「確実に捕らえる」という主張が、そんなにもおかしかったかと疑念を向ける。

 イズラが、手袋に包まれた拳で口元を抑えていた。

 天使が浮かべる微笑に、鳥がさえずるような息が混じったことが、ソリュシャンには(はなは)だ疑問だった。

 

「くふふ、いやいや。申し訳ない。何しろ、この状況──本格的な“戦闘”というのが、私には初めてなもので」

 

 しかも、相手が“あのギルド”“アインズ・ウール・ゴウンの配下(シモベ)”“ナザリック地下大墳墓に仕えるもの”というのが素晴らしい……などとほざき、つい笑いをこらえきれなかったのだと、続ける。

 そう苦笑をこぼし続ける男の様子に、ソリュシャンは一瞬だけ懐いた既視感のようなもの──自分もかつて、御方に直接指示を下され、任務に励んだ時と同じ感覚を覚える。そんな自分の感傷に眉を顰めつつ、油断なく天使の挙動を見張る。

 

「ああ……なので」

 

 黒い天使は、漆黒の翼を背中より伸ばし、両の手を広げ、一歩、前に。

 

「なので少しだけ、…………楽しませていただきたい」

影の悪魔(シャドウデーモン)!」

 

 ソリュシャンは咄嗟に後退した。2メートルの距離から5メートルにまで(ひら)く。

 天使が何か“しでかす”──その前に()るつもりで、命じられた悪魔たちが影を伸ばした。

 しかし、

 

『な』『に』『ッ!』

 

 影たちの爪は天使に突き刺さることなく、空中で“切断”される。

 30体がほぼ同時に。

 悪魔たちは咄嗟に身を引いた。本性が「影」である彼等にとって、物理ダメージはそこまで危険な攻撃とはなり得ない。上位者より罰として折檻を受ける際には甘んじてそれを受け入れるべくオンオフができる能力だが、それを強制的に解除された気配はない。では、一部天使の保有する加護や浄化……神聖属性の作用が?

 否。

 だとするならば、彼等は浄化の光などに触れた瞬間に、全身に毒や呪詛が這い巡らされたように、その存在を保てない。人間が強酸を浴びたような火傷を負って、その状態異常ダメージに苦しみ続けるのと同じ。

 しかし、影たちは健常であった。

 

『貴様!』『今、何をした!』

 

 天使の攻撃モーションは確認できなかった。少なくとも影たちは、何が起こっているのか見当もつかない。

 だが、攻撃動作は、すでに終わっていたのだ。

 天使が両手を広げた時に。

 

我が主人(マスター)より賜った“暗器”のひとつを使用したまでですよ」

 

 歩き続ける天使が告げた事実に、ソリュシャンは隠密の眼を凝らし視た。

 メイドの鋭い短剣を受けても(ほつ)れ一つ生じなかった、奴の手袋に注目する。

 その指先から伸びる、10本の鋼線(ワイヤー)

 鋼の線は、まるで己の意志を得たかのごとく、海月(クラゲ)の触手のようにのたうち、次いで金属質な音色を奏でる弦のように、──ピン──と、その極細の線を張り詰めさせる暗器。

 古今東西、多くの物語で登場する“糸”の暗殺道具。

 それが、イズラに与えられた基本武装のひとつであったのだ。

 鋼線は、敵対者たちの爪撃のはるか前方で待ち構え、まるで仕掛けられた罠に獲物がかかったかのような絶妙のタイミングで、影の三次元化した手指を緊縛、一瞬にして巻きつき、悪魔の腕を斬り落としていたことがわかった。

 理屈は簡単だが、全周囲を包囲された状況で、適確に、迅速に、悪魔たち全員に反撃を行える力量はとんでもない。ソリュシャンでも難しい次元の処理能力だが──アインズや階層守護者であれば、この程度は容易に行えるだろうという事実。

 

「……ひとつ、()かせてもらうわ」

 

 天使は「はい、どうぞ」とでも言いたげに、清らかな微笑みで首をかしげる。

 

「貴様のレベルは……まさか……?」

「ふふ。さぁ、どうでしょうねぇ?」

 

 自分の名前以外のすべての情報を秘匿するように、天使は微笑の色を鮮やかに彩る。

 黒尽の衣服からはかけ離れた純白の清顔。それが眩しいほどに輝かんばかりの表情で、十本の鋼線(ワイヤー)手繰(たぐ)る。

 

『ぐぉ!?』『くそ?!』

 

 包囲していた悪魔数体の胴が、見えない万力でねじられたように千切れた。通常生物であれば即死は免れない攻撃であったが、影たちに対しては、魔法などの物理手段以外の攻撃でなければ効果が薄い。攻撃を受けた瞬間に身体を二次元化……いわゆる「影」の形に変換してしまう仕様なのだ。

 悪魔たちは影から復活し、天使の愚鈍さを(わら)った。

 

『馬鹿め!』『我等に物理攻撃は通じぬ!』

「ええ。わかっておりますよ?」

 

 そんなあたりまえなことは言わなくても心得ていると、イズラは悠然と、ゆっくりとした調子で、歩み続ける。

 部隊の指揮官──影の悪魔とは一線を画す存在たる戦闘メイド──ソリュシャン・イプシロンの方に。

 目的がはっきりした歩調で、彼我の相対距離を詰めていく。

 

『貴様!』『止まれ!』

「私を止めたければ、頑張ってください?」

 

 悪魔たちは爪牙を伸ばす。手足や胴、翼が千切れようとも自らの特性に任せた特攻を仕掛け続けるが、天使には一指も届かない。

 影を切断するほどの超高速で周囲を巡る鋼線の軌跡が、悪魔たちの攻撃・実体化した手足をもぎ取る方が早い。

 彼等には、イズラを止める手段がなかった。

 

『壁を!』『イプシロン様を守る壁を!』

 

 30体の影たちはスクラムを組むように折り重なり、巨大な黒い隔壁を築き上げる。

 その形状のまま、ブーツの靴底を前に進め続ける男へ猛進──影で構築された津波を作り上げたのだ。

 しかし、それもイズラには届かない。

 

「数で押してこようと駄目です。あなた方は物理攻撃には無敵の“影”でありますが、同時に、物理攻撃を加えるには、自己を実体化させる必然を有する。──ですから」

 

 指揮者(コンダクタ)のごとく下から上へと手首を振り回すイズラ。

 瞬間、鋼線が津波を上から下に引き裂いた。まるで海が割れるかのごとく、黒い壁が天使の脇を素通りしてしまう。

 

「あなた方で、この私を止めることはできないと、ご理解していただけるでしょうか?」

 

 壁を解いた影の悪魔たちが遮二無二になって襲撃を重ね続けるが、いずれも天使の表情に、一滴ほどの影を落とすことはない。天使はすでに、目標との差を1メートル以内に詰めようとしていた。

 

「チッ!」

 

 目標であるところのソリュシャンは背中を見せることなく、さらに後退の跳躍を試みる。

 天使は聞き分けの無い児童を優しく見守るような表情で、ソリュシャンとの距離を詰め直す。

 

 戦闘メイドの粘体の瞳は、その光景を凝視し続けた。

 イズラの能力──彼のレベルを推し量るために。

 

 力の差は歴然。

 魔導国臣民では抵抗することも難しい影の悪魔に対し、イズラは優勢に事を運び続けている。

 ありえない力量の落差。両者の間には、測り知れないほどの高低が存在すると、認めざるを得ない。

 故に。

 ソリュシャンは短剣を体内にしまうのと同時に、緊急要請(エマージェンシー)を──〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を手から突き出すように取り出し、発動させるべく封を切り広げ

 

「何をされるおつもりで?」

「!?!」

 

 ──ようとして、巻物を握るメイドの手に、天使の手袋が添えられていた。

 影の悪魔たちどころか、ソリュシャンの鋭敏な感知をもすり抜けて、イズラはまったく気配を殺した暗殺者の歩行で、戦闘メイドの近くまで、一瞬にして歩み寄ってしまっていたのだ。

 

「これは? ああ、〈伝言(メッセージ)〉の? ドチラに繋ぐのでしょう? やはり、ナザリック地下大墳墓に?」

「貴様ッ!?」

 

 ソリュシャンは悲鳴のような絶叫とともに、湧き上がる激憤のまま徒手攻撃を敢行。武器を突き出す一行程(ワンアクション)すら惜しい。

 粘体の酸性を表出できる左手は、しかし、天使の外套の端すら捕らえられない。

 

「何っ?!」

 

 そしておまけに、ソリュシャンのもう片方の右手で堅く保持していたアイテムの巻物が、いつの間にか、消え失せている。

 

「この異世界にも巻物(スクロール)があることは、商店街などを拝見して確認しておりましたが──なるほど。やはりナザリックの方々も、巻物を使うようですね。よい勉強になります」

 

 メイドの攻撃から遠く離れたイズラは言いつつ、〈伝言(メッセージ)〉の巻物を閉じる。ソリュシャンは恥辱にも近い粘体からは程遠い炎のごとき憤りに、表情を震わせた。

 あろうことか、ソリュシャン・イプシロンが、敵にアイテムを奪い取られていた。

 特務を受諾した際、万が一の緊急連絡用手段として賜っていたアイテムを──戦闘メイドの、……自分が!

 

 無論、イズラの能力が、ソリュシャンのそれを遥かに上回っていることの実証である。

 彼が習得している“盗賊の達人(マスターローグ)”は、ある程度の盗賊対策を突破することは容易い。いかに同じ盗賊系のレベルを修めるソリュシャンであろうと、彼とのレベル差がありすぎた。上級職の高レベルの存在に圧倒され、手玉に取られてしまうのは無理からぬ事象に過ぎなかったのである。

 

 しかし、そんなことはソリュシャンの(あずか)り知るべきところではない。

 

「こちらの巻物(スクロール)は、しばらく預からせていただきます。この戦闘が終わるころには、ご返却して差し上げ」

「ふざけるな!」

 

 いますぐに奪還しなくては!

 あれがなければ、ソリュシャンは〈伝言(メッセージ)〉が使えない。

 否。それどころか、敵にみすみすと……ナザリックにて生産されたアイテムを奪われたままでいるなど、ソリュシャンの矜持(きょうじ)が許さない。

 考えられるだけの最悪の事態……この目の前の天使を取り逃がし、アイテムを奪われたまま終わるという事態に陥るというのは、ソリュシャンというNPCにとっては、シモベにあるまじき怠慢にしか思えない。

 あれ以外の、奪取されたもの以外に複数用意された〈伝言(メッセージ)〉の巻物を使うということは、ありえない。すぐ取り出し、使用しようとしても、また先ほどの窃取行為を再現するだけになることは確実な未来。低位の巻物であろうとも、あれはナザリックの財物であり、広く見れば、アインズ・ウール・ゴウンその人から支給された宝重の一種とも言える。少なくとも、シモベたちの思考から言えば、むやみやたらに消耗すべきものではない上、再び奪われでもしたらソリュシャンは自害程度では済まない失態を演じることになる。

 あまつさえ、それだけの品を、あの天使に……不遜な態度の侵入者に奪われたままでいるなどというのは、あっていい論理では、ない。

 だが、

 

『イプシロン様』

 

 影の悪魔(シャドウデーモン)に耳打ちされた内容に、激高に沸騰していた意識が冷却される。

 

「──わかりました。では、次は時間を稼ぐ」

『御意』

 

 限りなく潜めた小声の遣り取りを終え、影はソリュシャンの耳から遠ざかる。

 天使がかすかに眉を沈めた。奴の微笑に僅かばかりの(かげ)を落としてやった。

 今、影の悪魔より伝達された事実。

 ナザリックへの緊急要請(エマージェンシー)は、彼等悪魔の同族間における思念伝達能力によって、不法売買の郎党を捕らえた際に別れた10体へと通達。彼等は王城へと駆けて、ナザリックへの緊急要請を、ソリュシャンたちの代わりに通達することができたという報せを、今まさに、同族との思念伝達による返信を受けたものから連絡された。

 戦闘メイドは胸を撫で下ろす。

 とりあえず、これでソリュシャンの戦況は、守護者各位の知るところとなる。ナザリックからソリュシャンへ〈伝言(メッセージ)〉が届かないのは当たり前な措置だ。眼前に敵がいる状況で、“声を発しなければ、こちらの意思を伝達できない”魔法を飛ばしても、脳に響く相手の声に意識を持っていかれ、敵に大きな隙を与えかねず、さらには貴重な情報まで自分の口から漏洩しかねない。気の聡い個体だと、発生した魔法の気配を感知することで、〈盗聴〉や〈追跡〉を行えるものまである。あの天使がそれほどの性能を持っていたならば、(いたずら)に魔法の連絡を取るのは、けっしてよろしくない措置である。

 となれば、ソリュシャンの次の行動は決まっていく。

 目の前の黒天使を、戦闘メイドはなんとかこの場に引き留め続けなければ。

 ナザリックより増援が送られる、その時まで。

 

「駄目ですよ? 隠密が、そのように声を荒げては」

「──声を?」

「『次は時間を稼ぐ』ですか」

「ッ!!」

「どうやら増援を呼ばれたようですね? まぁ、それは致し方ない──」

 

 まるで教師のごとく優し気な声が、ソリュシャンには耳障りだった。

 そうして、目の前にいたはずの天使が、霧か霞のごとく、存在を薄くしてしまう。

 高位階の〈不可知化〉に似た潜伏能力。一切の気配が、ソリュシャンや影の悪魔たちの認識を超えた領域に隔離されようとする。

 

「逃げるつもりか、キサマ!?」

 

 ソリュシャンの激発のごとき声音に、意外にも返答があった。

 

「逃げる? ふむ……そうしたいのはやまやまですが。せっかくなので、あなた方にいろいろと訊きたいこともありますし」

 

 影たちに襲撃され続けるのに飽いたがために、天使は捕捉不能な隠形によって、純粋な質疑応答を求めたようだ。そのままここから逃げ出さないのも、せっかく有用な情報源たちを目の前にして、この機会にそれを利用しないでいるのもどうかと思われたが故。

 

「──訊きたい、だと?」

 

 戦闘メイドは応じてみる。

 いったい何を?

 

「アインズ・ウール・ゴウンについて」

 

 天使の明朗な疑問に、メイドは二の句が継げない。

 ソリュシャンの事情や心象はどうあれ、自分の主君の名を──至高の四十一人のまとめ役であられる御方を呼び捨てにする不遜はもちろん、──次に天使が求めた“情報”もまた、悪辣な取引に思えてならなかった。

 彼女の、天使に対する脅威認知度が格段に上昇したことに気付いているのかいないのか──イズラは長いこと謎のままであり続ける疑問への解答を求めた。

 

「私は、我がマスターから与えられた知識……うぃき(Wiki)情報? とやらで、あなた方のギルドのことは、ある程度の知識を得ております」

 

 ソリュシャンは戦慄した。

 

 

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルにおいては“伝説”とも称された、あの「1500人全滅」によって名を轟かせた、最高時にはギルドランキング第九位に位置していた、十大ギルドの一角。

 彼等の情報は、ユグドラシル最盛期頃において、かなりの重要度を占める価値があり、その主要メンバー構成やチーム戦術、ギルド拠点を守護する拠点NPCの種類やレベル分布、悪辣なトラップの位置や罠の先に控える阿鼻叫喚のR-15規制必至やもしれぬホラーアトラクションの数々は、あまりにも有名であったのだ。部屋全体を黒い甲虫が埋め尽くすとか、腐肉赤子(キャリオン・ベイビー)に囲まれた黒髪の狂女とか、子供が見たら号泣レベルの作りこみであった。

 ユグドラシルが低迷と衰退を遂げた時期を迎えても、最盛期当時はスレを大いに賑やかしたギルド:アインズ・ウール・ゴウンの情報は、ネット上で……他のプレイヤーが取得できる限りのものが、そのまま残されたままになっていたのだ。

 

 もちろん、その中には当然のごとく、ギルドの長を務める最高位アンデッドの外装を持つプレイヤー、“モモンガ”に関する記述もあった。

 

 カワウソは、これらの情報を可能な範囲で収集し、ナザリックの再攻略に挑み続けたわけだが、その結果は──

 

 

 

 ともあれ、イズラは自分たちの正直な疑念の「第一」を、ぶつけるしかない。

 

「何故、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗る、つまり“ギルドの名”を(おのれ)に冠する魔導王が、この異世界に君臨しているのです? 魔導王の種族は、最高位アンデッドである死の支配者(オーバーロード)であると聞き及んでおりますが──かの王が、あなた方のギルドの「(プレイヤー)」と同一人物だとするならば、その名称はアインズ・ウール・ゴウンでは“ない”はずでは?」

 

 戦闘メイドは瞳の色だけを危惧の色で歪めざるを得ない。

 奴は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の、“それ以前”の御名を……知っている。()っている。

 その事実が、あまりにも怖ろしく、(おぞ)ましい。

 

「それを──!」

 

 ソリュシャン・イプシロンは、意趣返しも込みで叫び吼えた。

 振り返り仰ぎ見た地下空間の天井に佇む黒翼を、暗殺者の鋭敏な知覚能力が、ついに捕捉。

 

「それを、私が、教えるとでもッ!?」

 

 見る間に、少女の白雪のごとき指先が、黒く、ゴプリと、濁る。

 手指に現れたこれは、「毒」だ。

 ソリュシャンは、猛毒、劇毒、睡眠毒、神経毒、出血毒、幻覚毒、誘惑毒、致死毒など、多種多様な毒物を“ポイズンメイカー”Lv.4の特殊技術(スキル)で自由自在に生み出すことができる。そのための各種アイテム──薬草・溶液・粉末・毒性物質を、スライムの体内にある空間に隔離・備蓄している。

 己の体内で毒の濃度や配合を調整し、各種状態異常(バッドステータス)を誘発する毒物アイテムを生成。

 それを、細く、細く、限りなく細い糸状に伸ばした十本の指先に込めて、極小の注射器のごとく天使の肉体へと注入すべく、解放。ちょうど、イズラが見せた鋼線のそれと似た様になる。

 振りぬいた指の先端部を鋭利に硬質化させ、さらに武器などの物品(アイテム)をある程度まで溶かす酸を塗布・分泌している。

 隠密職は仕様上、攻撃や防御をする際、隠形したままでいることは、出来ない。正確にはできなくもないが、その状態での攻撃力や防御力は激減するので、直接戦闘を行うのには適さない。イズラは迎撃のために隠密スキルを解除し、鋼線を伸ばすが、それも戦闘メイドは対策案を実行済。

 天使の武器である鋼線を逆に焼き融かし、武装を破壊して突き進む粘体の注射針は──

 

「いいえ。ただ、純粋な興味で訊いただけです」

 

 微笑む天使の外套を、防御態勢に使われた両腕や太腿部分に命中・貫通し、その下にある肉体に注入されたはずの毒は、ひとつも、効力を発揮しない。

 天使の種族特性には、毒に対する抵抗ボーナスは存在するが、完全に無力化するには無理がある。今回ソリュシャンが生成した十種類という数は、確実に何かしらの異常異変を天使の身体状態に付与させて然るべき暴威のはずだった。

 しかし、イズラだけは例外であった。

 

「そんな……なぜ?」

「おや、お忘れですか? 私は暗殺者(アサシン)。毒に対する耐性は、通常天使のそれよりも頑健なものになる。それくらい、同じ暗殺者であるあなた自身も、知っているべきでは?」

 

 知ってはいた。ソリュシャンとて暗殺者のレベルの保有者。

 だが、それでも、イズラの保有するレベルは別格に過ぎた。

 

 ユグドラシルの、ゲームの仕様上、毒物を生成・使用する存在にも、毒物に対する耐性が原則必須となる。酸素が必要な人間などの種族であれば、自分が錬成した毒の霧を吸い込んだり、毒液が皮膚に付着したりするなどして、毒物を摂取しやすい環境下に置かれる以上、毒対策は欠かすことができない。防毒マスクや防護スーツなしで、現実の研究者が毒物の調査や製造をする危険を冒すことがないように、ユグドラシルにおいても、種族特性や職業スキル、あるいは魔法や装備類の耐性付与によって、毒を吸入・罹患しない対策を講じねばならないというリアルさが追求されていたのだ(もっとも、たいていの職業レベルにはそういった属性への耐性が付加されているものなので、よほど強力かつ大量の毒でもなければ、レベルが100になる頃には、通常の毒は人間種でも効きにくくなる)。

 その点、現実世界においても「毒殺」による暗殺術を駆使するアサシンという職業は、毒への強い耐性を獲得するのは当然の仕様とも言える。

 この時、もしくは「毒」以外の状態異常──冷気属性などの天使に対する特効手段を行使できればよかったのだが、ソリュシャンの種族と職業に、そんな芸当はできない。

 

 そうして、ソリュシャンは気づいていなかった(あいにく気づく手段もなかった)が、イズラの正確なレベル数値──暗殺者(アサシン)のレベルは最大上限の15。暗殺者の達人(マスターアサシン)に至ってはLv.10にもなる。対するソリュシャンは、Lv.2とLv.1。その性能比は、大人と赤子ほどと言っても、過言とは言えない。それだけの暗殺者のレベルが積み重ねられたイズラの毒に対する耐性は、ほとんど完全完璧と言える。

 これだけの差を埋めてくれる装備品を、それほどの至宝を下賜してくれた創造主やアインズのおかげで、ソリュシャン・イプシロンは上位互換とも言うべき天使(イズラ)との暗闘をやり遂げられていた。

 何しろ、イズラの中で最も価値のある装備品は、遺産級(レガシー)アイテムの“本”がひとつだけ。それ以外のアイテムのランクはたかが知れていた。

 

 この100年の間、ソリュシャンは自分以上の強者──Lv.100という圧倒的な力を保持するものと、正真正銘“敵対”するという機会には恵まれていなかった。彼女だけではない。ナザリックに住まうほとんどの者は、この異世界で圧倒的強者と対峙し退治すべく邂逅する、などという事態はほとんどありえなかった。それ故に、彼女の無意識下での慢心は必定ともいえた。しかし、冷静に戦局を読みつつ、自分に出来る最大努力を成し遂げる意志力にあふれてはいたが。

 ──故に、と言うべきか。

 戦闘メイド(ソリュシャン)は認められない。

 認めたくない。認めていいはずがない。

 

 自分よりも高位階の暗殺者が──自分よりも高次元の敵が、己の眼前に立ちはだかっているという、事実。あるいは、ソリュシャンがマスターアサシンLv.1を修めていなければ、イズラの影に気づくことはなく、このような戦闘状況に陥ることはなかったのやもしれないが、それを言っても詮無きこと。

 無論、ソリュシャン自身も、自分がLv.100などの守護者各位よりも劣悪なレベルであることは心得ている。それは歴然とした事実として認識できている。だが、それとこれとは話が違う。

 自分は至高の御方々の一人──古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)たる創造主・ヘロヘロによって創られた戦闘メイド。

 そんな自分が、栄えあるナザリック地下大墳墓を守護するという栄誉を賜った自分が、あの堕天使の、天使ギルドと思しき“外”の存在に「劣る」という事実を、受け入れるなど、ありえない。

 認めてしまえば、それはソリュシャン・イプシロンを生み出してくれた創造主(ヘロヘロ)の力が及ばなかった──劣っていたのだと、彼女自身が見做すことになりかねない。

 それだけは、ソリュシャンの誇りが、信義が、忠誠と愛敬が、許さない。

 謎の天使に──アインズ・ウール・ゴウンより派遣されし特務部隊への抵抗を続ける存在に、ソリュシャンは問いかける。

 問いかけずにはいられない。

 

「おまえは何だ? おまえたちの目的は?」

「……“おまえたち”?」

 

 しまった。

 ソリュシャンは己の焦燥が招いた不手際を即座に自覚する。

 天使は自分が“複数人”で行動しているようには振る舞っていない。にもかかわらず。ソリュシャンは“おまえたち”と言ってしまった。連中を監視していることがバレる可能性が増大しかねない。奴らのギルドの情報を欠片でもいいから入手したい一心で、気がはやってしまった。これが元で、アインズに失望されないだろうかと、半ば恐慌じみた感情に支配されかける。

 吐いた言葉は戻らない。

 涙の雫すら己の体内に戻せるスライムでも、それだけは、覆しようのない事実であった。

 

「──“私たち”の目的が知りたければ、どうぞ力づくで、聞き出していただきたい」

 

 イズラは悠然と微笑んだまま、ソリュシャンの言に乗っかってくる。

 不審に思われはしたが、彼自身も思うところがあるのか……それこそ、この都市に入ったときは、蒼髪の少年と行動を共にしていたのだから、その線で納得を得たのかも。

 いずれにしろ、状況は変わらない。

「力づくで」と言われはしたが、それができれば苦労はない。

 ソリュシャンは無表情を面に構築しつつ、額ににじみ出る汗(これも涙同様に粘体の内部に戻っていく)を煩わし気に掌で拭い吸収する。

 次の手をこまねいている間、影の悪魔たちが天使の包囲網を構築しつつ、憤懣やるかたない調子で口々にしわがれた声で囁き始める。

 

『不遜な天使め』

『ナザリックに楯突くつもりか』

『御方に弓引くことがどういうことか、わからせてやる』

 

 中でも、最前列の数体が、特に強硬な姿勢を見せた。

 

『我々を未だ一人も殺せぬ、下級天使風情が』

『まったくもって片腹痛い。貴様らの兵力は、随分とお粗末なようだ』

『これでは、貴様の“主人(マスター)”とやらの程度も知れるというも』

 

 の、と続ける間もなく、言っていた悪魔の肉体が、影が、まるで重力にでも引き寄せられるように、前進。

 そして、

 

 

「── イ マ 、 ナ ン ト イ ッ タ ?」

 

 

 天使が問い質した。

 が、(ただ)された悪魔は困惑と激痛に支配され、意味のない言葉を吐くしかない。

 肉の引き裂ける、音と、影の黒い血と、共に。

 

『な……、……に?』

 

 ソリュシャンたちは正視した。静止してしまった。

 

「今──我がマスターを、侮辱したな? 貴様が? キ サ マ ラ ゴ ト キ ガ?」

 

 薄く微笑みっぱなしの男の口調が、壊れた電子音声のごとくひび割れてしまう。

 物理攻撃から身を守るのに最適な二次元上の平面の影に自動で変えられる能力を無視して、黒い天使が、悪魔の中心へと、黒い聖釘のごとき右腕を突き上げている。影に転化する間もない、致命的な攻撃(クリティカルヒット)。天使の手中で、黒い悪魔の心臓が、かすかに鼓動を奏でる様子が見える。

 胸から背中へと突き出された臓物の意味。

 悪魔は、天使の一撃によって、完膚なき“死”を与えられた。

 

 おかしな光景だ。

 あまりにも奇妙な現象だ。

 

 天使はその場から一歩も動いていない(・・・・・・・・・)。なのに、まるで影の悪魔が、自らが望んでその傍に近づいたような、そんな形で凶行は成し遂げられた。無論、悪魔が自殺のために飛翔したわけがない。貫かれた悪魔本人が、起こった出来事に理解不能な表情を浮かべ、ガクガクと痙攣し始めている。その周りにいるソリュシャンたちも、目の前の現象に瞳を丸くするばかり。

 奴が、イズラが何かを仕掛けたのだ。

 だが、その全貌がつかめない──わからない。

 一体、何の魔法や特殊技術(スキル)やアイテムの効果か、本気で判別不能だった。

 

『げ、アアア、あ……』

 

 黒い血のような液体を吐き零す影の悪魔が、しわがれた断末魔を最後に、黄色く輝く瞳から光を失う。

 (イズラ)主人(マスター)の侮蔑を連ねてしまった憐れな一体が、黒い手袋に胸の中心を貫かれ、その心臓を、悪魔の翼をはやす背中から露出され、果てた。

 物理的な心臓掌握と強制摘出。

 悪魔の黒い臓物──存在の核を、イズラが易々と握り砕く。水袋を掴み破られたように、黒液が溢れる。

 瞬間、雑魚モンスターらしいあっけなさで、影の悪魔の残骸は粉々に砕けて、(ほど)けた。

 血振りするように、何も付着残留していない腕を払うイズラ。

 死体蹴りを行うかのごとき冷酷さを伴って、黒い天使は一歩を──前に。

 

「我がマスターからの絶対命令は、『魔導国“臣民”への殺傷は原則厳禁』というもの。

 ──ですが、ここにいるあなた方は、“臣民”とは一線を画す者…………ただの、“ナザリック地下大墳墓の存在”。で、あれば」

 

 ただの“怨敵”に向かって前進し続ける声。

 死を与える天使は眼を見開き、傲然と、そこにいるすべてを嘲笑するかの如く、宣告する。

 

 

 

 

 

「殺しても別に問題ないよな?」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 影の悪魔(シャドウデーモン)より、ナザリック地下大墳墓へ──緊急要請(エマージェンシー)

 

 本日。

 第一生産都市・アベリオン、地下第五階層よりさらに下層地にて、正体不明の敵と、邂逅。

 戦闘メイド(プレアデス)、ソリュシャン・イプシロン率いる特務部隊が、交戦。

 姿を現した敵の形状から、下級天使種族と断定。

 件の天使ギルド……スレイン平野に出現せし、ユグドラシルの郎党の一人と推測される。

 

 ──応援を、求む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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