オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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シズとガルガンチュア、ソリュシャンと“彼”の関係は、
二人に該当する逢瀬シリーズと、前作の12話をご参照ください。


戦端 -4

/Flower Golem, Angel of Death …vol.14

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)拠点内。

 

「ど、どど、どうしよ……」

 

 褐色の肌に浮かぶのは、焦燥の雫。

 両腕の白翼を忙しなく動かし、慌てふためいている少女が見つめるのは、水晶の画面。

 

「ど、──どうし、たら……」

 

 ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)、第三階層“城館(パレス)”の大広間内、隠し監視部屋に詰めている天使(エンジェル)翼人(バードマン)の少女──エジプトの巫女のごとき外見と装備を与えられた拠点NPC──マアトは、その状況を、彼等の様子を静観していた。──せねばならなかった。

 生産都市の地下に潜伏したイズラを。

 南方士族領域の鉱床に赴いたナタを。

 彼等の、戦闘を。

 

「ふ、二人とも、すごく、大変、そう、なのに……」

 

 マアトは、飛竜騎兵の領地に赴いている創造主(カワウソ)と、彼の護衛役として傍に侍るミカ、そして、冒険都市でとある人物との交流を深めているラファたちの観察──“監視”を主任務として言いつかっている観測手(オブザーバー)

 創造主であるカワウソの安全と無事を期するならば、外で活動する(カワウソ)のことを絶対第一に気に掛けるのは必然。護衛役の防衛部隊隊長、マアトたちNPC全員の上官である(が、彼女たちは等しくカワウソ個人によって創造された同胞であるため、その地位は同等同質。上下関係というのはただの“設定”にすぎない)熾天使(セラフィム)のミカにすらどうにもできないほどの脅威を発見・会敵した瞬間に、拠点から増援部隊を送り出す手筈が整っている。場合によっては、現地人の記憶操作などの精神干渉も必要と考えられ、その両方をこなすためのウォフとガブ──副長と隊長補佐が待機していた。そして実際、二人に対して葬儀を終えたカワウソから〈伝言(メッセージ)〉が。

 加えて、ほとんど潜入工作系の技術も装備もなしに、冒険都市とやらの調査へと向かうことが決定したラファの後方支援役は必須と、カワウソから命じられていた。

 何しろ彼は、魔導国の警備状況がどれほどのものか──普通に都市を出入りするための実験や、あるいは潜入調査班であるイズラとナタとの相違や差異を探るための指標として、最初から単身で、祭りが催されていると聞く冒険都市への入都を試み、それ自体にはすでに成功を収めている。ラファは現在、冒険都市のメインイベントなる「冒険大会」に飛び込みも同然な形で参加し、そこで優秀な成績を修め、魔導国内唯一の一等冒険者(ナナイロコウ)チームである“黒白”の一人、漆黒の戦士たるモモンと双璧を為すと言われる“謎に満ちた純白の騎士”と、邂逅──彼等の下位組織である“漆黒の剣”なる四本の魔剣を携えるチームとの対戦でも、会場を沸かせることに成功している。

 

 マアトは、その二つの観測点を、常時監視し続けており、おまけに自分たちがいるスレイン平野なる土地の観察も並行せねばならなかった。

 それがマアトにしかできない役目であり、同時に限界でもあった。

 

 マアトに与えられた能力で常時観測が行えるのは、三つ……カワウソ+ミカ、ラファ、そして拠点……が限界。つまり、それ以外の、潜入調査任務中のイズラとナタには、本格的な監視の目は行き届いていなかった。マアトには潤沢な魔力が備わっているが、無尽蔵ではない。

 二人には要望があった時に──魔導国で興味深い調査対象を発見した際に、その情報を記録するための“(カメラ)”を貸し与える程度。目はあくまでマアトの創り上げた装置(アイテム)にしか分類されないため、マアトの魔力を常時消耗するような探査魔法とは、違う。大量に生産維持することは不可能なそれのおかげで、二人から生産都市や南方士族領域の状況や大陸内における臣民たちの立ち位置、様々な魔法的発展や装置類、魔導国内におけるアンデッドモンスターの運用方法などを、静画なり動画なりで記録することが最低限の魔力消費で可能になっている。

 しかし、今回のこれは、どうしたものか──マアトは判断しかねていた。

 

「こ、これっ、て、どう、見て、も……戦、闘、だよ……ね?」

 

 サポート要員のマアトは、戦闘が苦手だ。

 拠点防衛時には第一階層の逃げ部屋──隠し通路を通らないと侵入者にはたどり着けないボーナスステージでの完全待機するほどに。与えられた設定上の性格にしても、『戦闘が嫌い』という文言があるのも影響している。

 彼女に与えられたレベル数値の中で、直接戦闘に使えるものは、与えられた魔法職のそれが幾つかある程度。マアトの役目はあくまでサポート。他の同胞を強化したり、あるいは敵情を詳細に調べ解析したりするための、『探索役(シーカー)』でしかない。拠点NPCとしては、かなり異色な部類に位置するが、侵入者(プレイヤー)をNPCに探査させ、その対抗策を思案するきっかけにするというのは一応、理に適っている。

 もっとも、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)に侵入してきたプレイヤーは、絶無。

 マアトはその光景を──イズラが赴いた生産都市の地下第五階層で、ナタが赴いた南方の新鉱床掘削場内で、それぞれが会敵の果てに「交戦」してしまった事実を認知した。

 彼等に貸し与えた“目”を自動回収──マアトの手元に届いた時点で。ようやく。

 

「これ、ど、どうしたら…………いいの?」

 

 カワウソは言っていた。

 魔法都市の集合住宅、その屋上に集った調査隊に、語り聞かせた。

 

『戦闘になりそうな際には撤退せよ』

『場合によっては、戦闘も止む無し』

『そのような事態にはならないよう、努力してほしい』

 

 だが、撤退は難しく、イズラとナタは戦闘も止む無しという状況で、ナザリック地下大墳墓の存在……NPC……“魔導国臣民ではない者”との戦闘を、敢行せざるを得なかった。

 ナザリックの存在に見つかり、逃走を許す気概を持たない戦闘メイド──追撃者たち。

 彼女等の意志を捻じ曲げることで、比較的穏便に対応しようとしていた二人だったが、どうにも火に油を注ぐような結果にしかなっておらず、その結果がこれ。

 二人からの支援要請……拠点からの応援を求める声はあがってはいない。

 となれば、あの程度の戦力に負けることはありえない。

 では、放っておいてもよいはず。

 むしろ(いたずら)に、無策に、彼等と連絡を取り合い、転移の魔法を使用して、それによって彼等と自分たちのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とのかかわりを探査されでもしたら、『いざという時は切り捨てる』──「イズラとナタは自分たちとは無関係だから、知ったことじゃないですよ」と、知らんぷりすることが難しくなる。だから、マアトは彼等に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばせない。飛ばすべきではない。

 

「これ、や、やっぱり、報告、した、方が?」

 

 彼等はカワウソの命令に準じている。準じ続けている。

 カワウソからの命令に従ったまま、二人は行動しているのだ。問題は何処にもない。

 戦闘になりそうだったので撤退行動をとっていたが、それは叶わなかった。なので戦闘に陥り──こうなった。

 

 気弱なマアトにしても、イズラとナタの行動にこそ“問題がある”と指摘できるほど、ナザリックの存在に同調することは、ありえない。

 

 二人は「見逃してほしい」と何度か請願したのに、それを反故(ほご)にされた。ならば、戦うことは不可避な事態であると容易に思考される。ここで二人を見逃してくれれば、連中は痛い目を見ずに済んだだろうと思考する彼女の思考は、どこまでもギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)同胞(NPC)を思ってのこと。

 自分たちという存在こそが、創造主に『かくあれ』と定められ創り上げられた事実だけが、彼等NPCにとっての絶対であり、根源と言えた。

 NPCたちにとって、自分たちの属するギルドや拠点、そして創造主への尊崇と信奉が優先される。

 互いにNPC同士であるが故に、両陣営ともに“戴く主人への敬愛”という絶対指針に逆行することは出来ない。

 それは自分たちの存在理由の否定につながってしまう。

 いずれの個体もNPCだからこそ、この衝突と戦闘は、必定の現象に過ぎなかった。

 あまつさえ、二人は自分たちの創造主の意志と命令に従事した結果、こんな事態に陥っている。

 静かな憤懣(ふんまん)を、イズラとナタの二人を逃がしてくれなかった敵の戦闘メイドたちに懐きつつ、マアトは考える。

 

「報告、しても、その、後、……どう、なるん、だろ?」

 

 これでよいはずという思想と、これでよいのかという思考が、少女の脳内で(せめ)ぎ合い絡み合う。

 カワウソに報告するにしても、二人が勝利して戦況を脱することは容易と見えた。だが、一度戦闘になった以上、二人はもう、ここには戻ってこれないのだろうか? ナザリックの監視能力がどれほどのものか不明な現段階……否、一応は街中や施設内に防犯監視目的の動像(ゴーレム)などがいるのはわかっているが、二人のいる動力室や地下採掘場内に、そういった代物はマアトの見立てだと発見できない。三地点を常時観測せねばならないマアトにとって、他二人の戦場の様子を事細かく分析できるほどの監視状態を敷くのは難しく、それを断行しようとすれば拠点とラファの監視は諦めるしかない(カワウソたちの現況観測をやめるはずがない)。

 そうして、そんな“勝手”を働いて、もしもその隙に拠点へ襲撃者が殺到したら? 冒険都市を調査中のラファに何かがあれば? カワウソの命令に反して、自分は何か取り返しのつかない事態を誘発するだけになるのではあるまいか?

 命令に忠実に動いてるはずの彼等を心配するあまり、自分自身の勝手な判断と行動が、不測の状況を構築することになったらと思うと、何も、できない。

 それがあまりに情けない。悔しくて悔しくてたまらない。

 

「ど、どうしよう……」

 

 何かの歯車が狂っているのでは。

 そう思考の渦にマアトは巻き込まれつつある。

 せめて、副長(ウォフ)隊長補佐(ガブ)に報告すべき?

 でも、二人は二人でやることがあって忙しくなっているし、拠点にいる他のNPCも同様。それに報告しても状況は変わらないし、だったら、……けれど、……だから……

 

 

 

 泣きたくなるほどに──というか、もう泣くことをこらえられないくらいに悔しく情けない気持ちで、マアトは悩み、考える。

 

 

 

 結局。

 この後、強化作用のある朝食を届けに来てくれたアプサラスに泣きべそを見られ、彼女に相談し、マアトは創造主であるカワウソへの奏上を決意することになる。

 

 

 

 

 

 だが、すべては遅きに失していた。

 

 

 

 

 

 ナタが敵の戦略級ゴーレムと自動人形との戦いにヒートアップしている。

 そして、イズラは──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 六度目の詰問……あるいは拷問が、生産都市・アベリオン地下にて、行われている。

 

「あなたにも、お()きします。我が主が、 ナ ン ダ ト ?」

『が、ゲ、ああア?』

 

 いつまでも自分たちを殺さないでいるから、「殺せない」ものと増長したのだろう。

 イズラが、死の天使が、まったく本気を出さないでいること。

 それは、主命に忠実であらんが故の行為に過ぎない。

 それを勘違いされては、困る。

 

我が主(マスター)を侮辱できるものは、彼が『かくあれ』と定めた、我等が隊長以外に、許されはしない」

 

 手袋から伸ばした鋼線のごとく鋭い声で、影の悪魔の中心で脈打つ臓物を引きずり出す。

 六体目の悪魔が、死ぬ。

 文字通り物理的に“掌握”された影色の心臓は、嫌な水音を奏でた瞬間、悪魔の存在を影へと還してしまった。いかに“影”とはいえ、その存在の核たる部位を破壊されれば、実存を保てる道理がない。手袋にこびりつく影の残滓を、血振りするかのごとく振り下ろした。

 影は欠片も残さずに、この世界から剥がれ落ちる。

 そんな光景が、すでに六度。

 悪魔の指揮官たる粘体の乙女は、まんじりともせず──その拷問劇を眺め続けている。

 

「おまえは……なんだ?」

 

 絞り出された声は、震えてはいない。

 少女の外見だが、その胆力と意志力──敵の戦力分析を綿密に詳細に行おうという策謀の視力は、まさしく異形のそれと言えるだろう。

 しかし、それらすべてを意に介すことなく、天使は布告する。

 

「ここで(つい)えるあなた方に、そんな情報が必要なのでしょうか?」

 

 ああ、それとも。

 

「この戦闘は、すでにナザリックの方々の、監視下に?」

「──貴様」

 

 気づいていたのかと問われるまでもない。

 というよりも、そうなっていない可能性の方が薄いだろう。いや、さすがにイズラが都市内を徘徊していた時は気づかれていなかったはずだが、あのアインズ・ウール・ゴウン、ナザリック地下大墳墓であれば、あるいはとも思われて当然。

 イズラにしても、拠点にいるマアトに頼み、監視の“目”をひとつここに飛ばしてもらっていた以上、ナザリックの存在もまたそうしていないと認識する理由がない。……そういえば。監視者が複数勢力にわかれて存在する時の状態はどうなるのだったか。マアトに与えられたレベルと装備でならば、とりあえず他の存在に気づかれるなどのことはないはずだが。

 

「まぁ、いいです」

 

 マアトの方は大丈夫だと確信しているが、それよりも問題は、こいつら影の悪魔たちの処置だ。

 彼等は、イズラの主人……創造主(マスター)であるカワウソを、軽侮した。

 先ほどの言葉が、一言一句、天使の脳内に乱響している。

 

 ──『まったくもって片腹痛い。貴様らの兵力は、随分とお粗末なようだ』

 ──『これでは、貴様の“主人(マスター)”とやらの程度も知れるというも』

 

 許さない。

 許さない。許さない。

 許していいはずがない。許されていい道理などない。

 

 イズラ自身をどうこう言われようとも気にはしない。イズラはそういう性格の持ち主であり、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)内に存在する防衛部隊……Lv.100NPCの中では、比較的劣悪な存在だ。さすがに格下には負けるはずのないステータスと装備を与えられているが、Lv.80や90の集団相手だと勝率は悪いはず。それは事実だ。

 しかし、奴らはイズラにとって、絶対に犯してはならない聖域を、目の前で(けが)した。

 

 ……貴様の“主人”とやらの程度も知れる……

 

 NPC(イズラ)たちにとって、創造主(カワウソ)の存在は、すべてだ。

 何においても優先され、何者よりも親愛と尊重の念を懐いてならない、すべて。

 それほどの存在を、自分(NPC)たちの絶対を、こいつらは侮辱した。侮蔑した。侮弄(ぶろう)した侮翫(ぶがん)した!

 

 それを許されるのは、彼が『かくあれ』と定め、『嫌っている。』と認められし隊長・ミカ以外、ありえない。

 故あってそのように定めを設けられているミカのことを、天使の澱の全員が理解し尽している。

 何故なら、彼等は等しく同じ創造主より造られ、同じ時に生まれた、真の同胞なのだから。

 

 底知れず湧き上がる激情に蓋をするわけでもなく、イズラは微笑みの層をより深くする。

 許されざる大罪を働いた無礼者共。その命のすべてでもって(あがな)い、(つぐな)わせてやらねば。

 自分の全身全霊を賭して、創造主への不遜を改めさせる。

 魔導国の執行部隊だろうが、そんなことは関係ない。

 ナザリック地下大墳墓の存在……NPCである以上……“臣民”という(くく)りからは外れる。

 創造主(カワウソ)の君命からは、致命的に外れる。

 

 殺せる。

 だから、殺す。

 

 創造主(マスター)を軽んじ、侮る言葉を吐いた悪魔どもの息の根を止める。

 身の内に滾る戦鬼のごとき憤怒に比して、天使の表情は穏やかなものだ。

 

『死は、誰に対しても微笑(ほほえ)みかける』という。

 

 だから、死の天使(イズラ)は微笑むことしか、しない。

 そう『かくあれ』と望まれた存在、ゆえに。

 

「戦闘を愉しむほど、私は正々堂々と戦うものでもないので、ここからは手っ取り早く済ませましょうか?」

「させるか!」

 

 イプシロンという名の部隊長が、勇猛果敢に攻め込んでくる。

 影たちの心臓を抉り出す天使の手並みは見ていたはずだが、それでも敢闘しようという精神は、誠に天晴(あっぱれ)

 イズラは鋼線を少女へと伸ばし、イプシロンが伸ばした粘体の毒指、十本を断ち切るが──

 

「ああ。やはり、粘体(スライム)には鋼線(ワイヤー)による斬撃は効きにくい」

 

 ユグドラシルにおける粘体種は、物理攻撃に強く、刺突・斬撃に対する耐性については有名だ。せめて殴打系であればダメージも通るところだが、イズラの戦闘手段に該当するものはない。素手で殴りに行くにしても距離があるし、そもそもイズラの物理攻撃力自体が微妙。粘体の肉体は断ち切られても、瞬間、断面と断面が互いに繋がり合おうと触手を伸ばして、元の形状に戻ってしまえるが故の特性であった。

 鋼線を伸ばして大質量などを動かして敵を潰す手法は、あのイプシロンの素早さや護衛の数だと無理がある。では他者を鋼線で絡めとり傀儡(かいらい)のごとく扱って──という芸当は、イズラには不可能だ。そういった特殊な糸の使い方は、別の職業“人形師(ドールマスター)”にしか不可能なスキル。

 影の悪魔たちをイズラはその場で動かずに仕留め、心臓を握り砕く作業は、連中をこれまでさんざん切り刻んだ鋼線……その残存物質が、奴らの体内に極小の状態で残留・堆積していた──つまり、マーキングされていたからだ。それを使って、イズラは己の鋼線を仕込んだ連中の心臓に武器の残滓を流動させ、存在の核たる臓器に“罠”を仕掛けている。仕掛けられた罠によって、悪魔たちは鋼線と鋼線の残滓が元に戻ろうと、互いに結びつこうとする「磁石」のごとく反応。任意に選ばれた影の悪魔が、磁力に吸い寄せられるかのごとく天使のもとへと殺到した。

 かくして、質量をまったく持たない影たちは、死を与える天使の掌……手袋に心臓を掴み潰される現象に陥った、という寸法である。

 この鋼線の名は“罠の磁力鋼線(マグネティックワイヤー・オブ・トラップ)”。遺産級(レガシー)アイテムにも届かない微妙なランクだが、イズラの暗殺職や死刑執行者(エクスキューショナー)などの職業レベルを併用することで、かなりの致死率を誇る代物として死の天使たる彼に与えられて久しい(ただし、これはあくまで斬撃系武器に属するため、粘体(スライム)を致死させる威力はない)。

 イプシロンの肉体にダメージはない。

 イズラは直接的な戦闘力では、彼女は殺せそうにない。

 ならば、イズラの最も得意とする戦法を披露するよりほかにないだろう。

 

「致し方ない」

 

 速攻で片をつける。

 天使は黒い翼を広げ、外套のフードで頭部を覆う。金色の輪が、黒いフードの上に輝いた。

 イズラの本性は“死の天使”。

 有象無象・有形無形に関わらず、存在の“死”を司ることに関しては、天使種族の中では抜きん出た性能を保持している。

 

「そんなにも私の性能が知りたいというのであれば……教えてあげましょう」

 

 ただし。

 

「その対価は、おまえたち全員(・・・・・・・)の“死”でもって、(あがな)っていただく」

 

 天使が告げた一瞬で、影の悪魔が五体──まったく何の前触れもなしに、心臓が、爆ぜた。

 数体の同胞、シモベたちが、僅か一呼吸の間に、死んでいた。

 

「な、にっ!?」

 

 ソリュシャンが気づく余地もない早業だった。

 イズラの鋼線を思わせる弦が引き絞られ、ひとつの弓の形状から、彼が適当に選んだ影の悪魔たちの肉体を光の矢が貫き、その奥に蔵された臓物を破壊していたのだ。

 死んだ影の胸にはあまりにも清白な矢が突き立っていたが、それは死体が崩れ消えた後、床の上に転がって残されている。

 少女の口から、喚声が(ほとばし)った。

 

「これが、真の能力か!?」

 

 確信を込めて問い質すメイド。

 だが、イズラはきっぱりと否定してしまう。

 

「いいえ。

 弓兵(アーチャー)Lv.4の基本スキル“速射連射(クイックショット)Ⅱ”を使っただけですが?」

 

 基本職種に数えられる弓兵は、NPCガチャで豊富に落ちるデータであるため、そこまでレアな代物ではない。そのスキルについても同様であるが、まがりなりにもLv.100NPCのステータスが繰り出す以上、その威力は雑魚POPモンスターに分類される影の悪魔(シャドウデーモン)程度で、耐えきれる攻撃ではなかったようだ。殺傷数が数体でおさまっているのは“Ⅱ”であるが故の制約だろう。弓兵(アーチャー)上級弓兵(ハイ・アーチャー)の最大レベルで繰り出される射撃は、ユグドラシルにおいては空から幾百にもなる矢の光雨を降らせることもありえる。

 先ほどの罠の鋼線による蹂躙をやめたのは、実のところ、あの現象は一度に大量に引き寄せることは出来ない……一瞬で大量に抹殺するという効能は期待できず、戦闘を長引かせるデメリットがあったからだ。それに対して、弓兵(アーチャー)として放つ弓矢であれば、一度に複数の対象を補足・殺傷が可能。

 手袋……腕の装備品扱いとなるそれに改めて握られた得物は、黒い天使には不釣り合いなほど純白で、神聖なオーラすら感じられる清らかな長弓。矢もすべて神聖な輝きをこぼす代物で、影の悪魔にとっては致命的な相性の悪さを感じさせてならない。これをイズラがメイン武装にしていないのは、単純に、彼に与えられた弓兵(アーチャー)のレベルが暗殺者系統に比べて比較的低い……Lv.5しか与えられていないことが原因だった。また、彼はカワウソから弓矢を与えられていたが、悪魔に効果のある神聖属性の矢は貴重。あまり乱用してよい代物でなかった。

「これは本気ではない」と、そう平然と言いのけられ、ソリュシャンは疑問を深める。

 今の(わざ)が、天使の言う性能では“ない”という。

 だとするならば。

 

「私が、最も得意とし、かつ最も強力な力を使うのは、これから(・・・・)です」

 

 宣告を終えたイズラは弓を瞬時にしまい、主人から拝領した武器──腰に革帯で固定・封印されていた“書物”を解放し、その重い装丁を開いた。

 

「私に与えられた職業(クラス)レベルの中には、この書物を扱うのに最適なもの──“書記官(シークレッタリー)”というものが存在します」

 

 彼の説明を聞きつつ、イプシロンや影の悪魔たちは疑問符を頭上に浮かべ続ける。

 何故、弓で数を減らすという作業を? 何故、弓による連続攻撃をやめたのか?

 弓による刺突攻撃も粘体(スライム)のソリュシャンには効き目が薄い。

 では、あの書物は……?

 ナザリックのシモベ達は、天使の腰にぶら下がっていた漆黒の装丁が不気味な、極厚の紙束を見据える。

 

「この書物の名は“死の筆記帳”」

 

 英訳すると危険な雰囲気が漂う筆記帳(ノート)こそが、“死の天使”であるイズラの主武装(メインウェポン)

 鋼線による暗器や罠も、弓矢による連続射撃も、ただの補助武装。拠点NPCである彼が、第二階層“回廊(クロイスラー)”を共に防衛する任に就く妹・イスラと共に、侵入者たちを迎撃し撃退するためのもの。

 これを使用する時こそが、イズラの本来の能力を発揮する瞬間たり得る。

 天使は宣告した通り、教鞭を振るう講師のごとく冷厳とした口調で説明し続ける。

 

「今しがた、あなた方の総数は、20人にまで減りました」

 

 30体いたメイドの護衛は、六体が心臓を砕かれ、五人が神聖属性の矢尻で果てた。

 減った数は11人。影の悪魔の残存兵数は、19人。

 それにプラスして、彼らの指揮官たる少女が1人。

 合計で20人。

 

「私の種族である“死の天使”には、“真名看破”の特殊技術(スキル)があります」

 

 死の天使Lv.10で獲得可能なこの特殊技術(スキル)は、一日に二十回──二十体分の敵の名称データを、一定の制限付きで読み取るという探査系スキル。

 つまり、ここにいるソリュシャンを含む影の悪魔(シャドウデーモン)たち……死の天使との戦闘で減耗したその数……合計二十体の名を読み取ることが可能なのだ。

 ただし、イズラはそのために、もう一つの厄介な発動条件をクリアしておかねばならなかった。

 だが、それも既に“戦闘前に達成されている”。

 

「この20回しか発動できないスキルを使用する上で、『敵の名を読み上げる』ための条件として、『敵が、私の名を知る必要がある』もので」

「名を、知る? ……っ! では、先ほど貴様が、名を名乗ったのは!」

「ええ──

 ですので、私はあなたがた全員に、私の名を教えて差し上げたのです」

 

 わざわざ自己紹介などした理由はそれか。

 粘体のメイドは理解を得る。

 ユグドラシルにおいては、敵の名称などの情報を読み取るのにも魔法やスキルは、必須。そのための看破魔法や、逆にそれを感知した際の逆襲手段(カウンター)も充実している。野生下(フィールド)遭遇(エンカウント)する高レベルの死の天使(エンジェル・オブ・デス)は、自分の名を読み取った相手=敵を、集中的に殺すという仕様が存在していた。ユグドラシルでは敵の情報を探る魔法も充実していたが故に、そういう存在に敵意(ヘイト)が向けられるのは当然の仕組み。

 ソリュシャンは表情を大いに歪める。

 自分たちがまんまと、天使の(はかりごと)に嵌り込んだ屈辱に言葉も出ない。

 

「私の、“死の天使”の本質は、『命の名を読み取り、その“寿命を決める”』というもの」

 

 そういう設定を与えられた死の天使は、まるで審問者や審判官のような超然とした声色で、己の真の力を発揮する造形を発露する。

 フードを被った男の顔面に、もはや表情というものは、ない。

 ──正常な顔面とすら、言い難い。

 黒い男の容貌は、フードの影に溶けたような暗黒に染まり果てている。

 その代わりに、異様な形……“異形”が、その姿を現し始めた。

 

「生きとし生けるもの、そのすべての『天命を司る』天の使い──それが私──死の天使(エンジェル・オブ・デス)

 

 一説によれば。

 彼の種族である死の天使は、死者の魂を天国あるいは地獄へと導く役割を担うとされている。

 死の天使は、その手に巨大な書物を携え、そこに人の名を書き込むことで生誕を記録し、その人が死亡すると共に名を消すことで、天から与えられた生命の運用を担うとされている存在。『死神』のごとき責務を負う死の天使は、天命の忠実な執行人であり、死すべき命を処断して、かくあるべき場所──神の御許(みもと)へと導く崇高な存在とも解釈されている。

 

 すべての生命を“見る”異形種。

 

 それ故に、その天使は自己が観測し視認した、ありとあらゆる“すべて”に死を与えるモンスターとして、このような(・・・・・)異形の姿を与えられた謂れがある。

 ソリュシャンは疑念の瞳で、誰にでもなく問い質した。

 

「あれ、は────何?」

 

 元あった両眼の他に、無数に輝くそれ。

 

 ──黒く輝く瞳を戴く、……白い眼球。

 

 額に。鼻に。口に。頬に。顎に。耳に。首に。

 頭部全体にかけて、数えきれないほどの眼球が生じる。

 否、頭だけではない。

 黒い外套に包まれた身体全体──腕、手、指、爪、肘、肩、胸、腹、脇、腰、尻、腿、膝、脛、脚、そして背中や、背中から生える黒い翼の“羽毛”ひとつひとつ……果ては天使の(エンジェル)光背(ハイロウ)のごとく“空間”にまで、数えきれないほどの“眼”が宿り、大小さまざまに(ひし)めいていた。

 それらひとつひとつが、世界に生きるすべての存在の名を読み取り、筆記し、生と死の期限を定め決める「命の監視者」……「死の天使」の保有する、すべての、眼。

 高位アンデッドの集眼の屍(アイボール・コープス)とはまた違った、幾千の眼球で覆い尽くされた天使の“異形”──この姿こそが、ユグドラシルにおける“死の天使”、その本来の造形に近い。

 死の天使は、全身に存在するすべての瞳だけで、薄く微笑む表情を形作った。

 

「では、死んでください」

 

 開かれた漆黒の魔書が輝きを増し、死の天使の特殊技術(スキル)効果を遺憾なく発揮していく。

 ──死の天使が、その全身に宿す瞳で見た者、すべてを殺す。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)BY」

 

 召喚されたモンスター故の番号(アルファベット)──ゲームシステムとして、POPモンスターに割り振られて当然のもの──は、悪魔自身すら知らぬ、真の名前。

 それを告げた途端、ノートに光の筋が刻み込まれ、まるで焼き印のごとくしっかりとした筆記で、悪魔の一体の命を、記録。

 

 

「死亡」

 

 

 続けざまに告げられた二文字が、筆記帳に刻まれた名前を掻き消した。

 世界から、その名が消失する。

 それこそが、影の悪魔の運命と化した。

 

『ガっ! ああッ!?』

 

 悪魔は影の肉体を維持できず、まるで飴細工が焔火に炙られ溶けるように、姿を沈めた。

 苦悶の仕草で胸を押さえて間もなく、黒い影が大地に倒れ、染み込む。

 数秒後には、悪魔の命は欠片も残らず完全に、消えてなくなっていた。

 

「こ……これは!」

 

 眼前で起こった現象は(あやま)つことなく、この場にいる全員の共通認識へと昇華される。

 

「即死、能力ッ?!」

 

 

 

 

 

 イズラが(たずさ)える黒い極厚のノート。

 この“死の筆記帳”は、ユグドラシルにおいてはプレイヤーがコンソールを繋いで使用し、文字を打ち込むことで、その名を筆記・記帳された存在……敵プレイヤーや遭遇したモンスターを抹殺するという死霊系“即死”攻撃アイテムに分類される(NPCの場合は、コンソールの存在は省略される)。その仕様上、攻撃対象は目の前にいる者に限定され、文字の誤字脱字が一ヵ所でもあると、効果は期待できないという難点がある。また、「即死耐性」の装備やアイテム、種族特性や能力を突破できるものでもない。

 だが、この異世界に転移し、NPCであるイズラが使用するこれは、コンソールを介してではなく、使用者が筆記帳に即死させたい対象の“名”を書き込むことで機能するアイテムに成り果てている。

 そして、イズラの保有する職業レベル“書記官(シークレッタリー)”は、発動者が「文字を声にして読み上げること」で、本などの文書や書籍などのアイテムに「読み上げられた内容を記帳していく」という“自動書記”の特殊技術(スキル)が存在していた。これは、コンソールを使用しての文書作成に面倒を感じるプレイヤー、タイピングが致命的に遅いユーザーなどへの救済措置として導入された過去があり、ユグドラシルのゲーム内で小説や長文データなどを作成するユーザーに重宝されたこともあるという。

 その職業レベルを、イズラを製作したカワウソは死の天使に取り入れ、“真名看破”の種族スキルと、名称を書き込むことで対象を即死させるアイテムと、上手く組み合わせて運用してみせたのだ。

 

 イズラが真名を看破し、書記官(シークレッタリー)のスキルで自動的に、“死の筆記帳”に悪魔の名が迅速に確実に書き込まれていく。

 

 己の名を書き込まれた悪魔が、一人、また一人と、その命を終わらせていくことに。

 

 

 

 

 

 まずい。

 ソリュシャンは身に宿る戦慄のまま、死の天使への投剣を試みるが、攻撃の刃は天使の影にすらかすりもしない。

 死の天使は空を舞い、黒い翼の眼球で、次なる悪魔の名を──命の末を記録していく。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)BX、影の悪魔(シャドウデーモン)CA──死亡」

『ぐゥッ!』『げ、アア!』

 

 己の番号(アルファベット)を呼ばれたモンスター、二つ分の苦鳴が空間を満たした。

 見る間に影の悪魔が二体、無に帰した。

 しかし、悪魔たちは冷静だった。

 

『イプシロン様!』『お退きください!』『どうか、お退きを!』

「おまえたち、何を!?」

 

 ソリュシャンの詰問じみた疑念の声に、悪魔たちは振り返らない。

 

『栄えあるナザリック地下大墳墓にて、新たに召喚され創り出されし、我等の存在理由!』

『それは、アインズ様の御期待に応えるべく、貴女たちナザリック直製の存在を護る事!』

『貴女様を護衛する任を果たせぬ無能など、この世に存在する価値はない──ですから!』

 

 彼等ナザリックにて召喚されたモンスターの覚悟は天晴(あっぱれ)だ。

 だが、ソリュシャンは断じて、首を縦に振れない。振れるわけがない。

 

「おまえたちは──この私に『退け』と言うの!? 戦闘メイド(プレアデス)の一人である私に?!」

 

 ソリュシャンは、彼等の命を惜しむというよりも、御方々に直接創られた自分が、敵に「背を向ける行為」を──敗走せねばならないという事実を突きつけられたことに対してのみ、マグマのごとき憤怒を、粘体の乙女の体内に覚えた。それはあってはいけない背信行為──御方のために命を(なげう)つ拠点NPCには、絶対に承服できない蛮行であった。そんな愚行を働くくらいならば、いっそ自害した方が百倍マシというもの。

 しかし、部下たちに対する憤りの溶熱を発散し、開放する暇すらない。

 死の天使の発揮する“死に至る眼光”──真名を看破する視線が、まるで吹き抜ける風のごとく、護衛部隊の命を摘まみとっていく。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)CE、影の悪魔(シャドウデーモン)CJ、影の悪魔(シャドウデーモン)CK──死亡」

 

 名を読み上げられたと同時に、天使の手元で広げられた黒い極厚のノートへ名を筆記された影の悪魔たちが、絶命の叫喚と共に、影へと還る。せめて一矢報いようと、残存兵力が背後や真下の空間より黒い爪牙を伸ばすが、もはやあの天使に死角はない。全身のいたるところから生じた眼球のすべてが、己に殺到する敵対モンスターすべてを視野に収め、それを“自動書記”の特殊技術(スキル)によってノートへと記帳──悪魔たちはなす術もなく、命を絶たれるのみだ。

 むしろ挑みかかり天使に近づく方が、奴の即死射程範囲に突っ込んで早死(はやじ)にしてしまうと理解された。

 しかし、影の悪魔たちは壁役と盾役をやめないし、諦めることもない。

 ソリュシャンを少しでも死から遠ざけようと、天使の能力に対する防波堤を築きあげる。

 ──そうして、天使より“死”を与えられた彼等は二度と、影から悪魔の肉体を構築できない。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)DA」

『アインズ・ウール・ゴウン様っ!』

「死亡」

『ッ! 万……歳、ッ!』

 

 最後の影が尽きた。

 伸ばした黒い爪は、溶ける氷や砂の楼閣よりもあっけなく、大地に崩れ落ちる。

 彼等はソリュシャン・イプシロンを護る壁として、盾として、その役目と本懐を遂げてしまった。

 

「クソッ!!」

 

 思わず毒づくメイドは、しかし、退くということだけはできなかった。

 壁として、盾として、散っていく護衛部隊──戦略的撤退が必要──己よりもはるかに格上の強者が相手──そういった諸々は、一切合切が、関係ない。

 

「私は! ナザリック地下大墳墓、そして、かの地を支配する至高の御方々に、忠誠忠節を尽くすシモベ!」

 

 戦闘メイド(プレアデス)として。

 未知の敵であろうと、御方の障害になり得るものを捨て置くなど、不可能な判断だ。

 自分が退けば、一体だれがアレを止めるというのか。

 すでに緊急要請(エマージェンシー)は発せられたのだ。

 ならば、援軍が来るまで、ここで奴を食い止める役目は続けねば。

 ソリュシャンは物理的に震える胸の奥に残していた最後の暗器──投擲用の小剣(ナイフ)八本セットを引きずり出して、構える。

 彼女は、ナザリックの最奥たる第九階層・ロイヤルスイートを守護し、不遜なる侵入者共の行く手を阻むための、六人一組の「戦闘」メイド(プレアデス)

 

 戦い闘う。

 

 ただそのために創られたソリュシャン・イプシロンが、目の前の“敵”に背を向けて逃げ出すなど──あってはならない──それだけは、許されるべきことでは、ない!

 そんな不忠を自分が働くことは──

 

「許さない!」

 

 正確に(なげう)たれた小剣の八撃が、それぞれ別々の軌道を描いて、最後の影の悪魔に死を与えた天使の急所を狙う。頭と首と心臓と背骨に、二本ずつ──身体の中心へと殺到する静かな暗殺剣は、…………だが、死の天使には、届かない。

 黒い羽根で六本が薙ぎ払われ、残り二本は天使の眼球だらけの片手──人差し指と中指と薬指の三指で、摘まみとられて、終わる。

 死を司る眼球が、微笑(わら)う。

 それらすべての光景が、戦闘メイドの瞳の奥に吸い込まれていく。

 

「──ッ!!」

 

 粘体の顔が崩れんばかりに切歯し、表情を歪めるソリュシャン。

 与えられた隠密部隊の内、この戦闘に動員した影の悪魔、三十体──全員を失うという惨状。

 彼等を新たにソリュシャンの配下へと組み込んだアインズへの弁明を考える間もなく、死の天使が、最後に記すべき名前を、“見る”。

 (イズラ)創造主(マスター)を、期せずして侮辱した悪魔たち──彼等の筆頭である護衛対象、拠点NPCの名を、正確に看破する。

 だが、彼女は、逃げない。

 絶対に、背中を見せはしない。

 恐慌に駆られ、御方への忠義を忘れ、無様に敗走することだけは、ありえない。

 勇敢を極める敵の名を、イズラは一切の躊躇なく、その継戦意欲と敢闘精神を讃えるがごとく、読み上げる。

 

「……ソリュシャン・イプシロン……」

 

 死の天使の眼が、その能力を発揮。

 死へ至る儀式は、確実に履行された。

 筆記帳のページに、その名は刻まれる。

 

 

「 死亡 」──すべてが、決したかに思えた、その瞬間。

 

 

「──ん、おや?」

「こ……れ、は?」

 

 眼球だらけの天使と、粘体の戦闘メイド、双方が目を剥いた。

 天使は首をひねった。

 

「水色の、──障壁?」

 

 かなり透明に近い水色、否、これはむしろ蒼いガラス細工のようにも、イズラの全眼球にはとらえられた。

 それが、少女の背後に広がった闇色の“門”から、まるで燃え上がる焔のごとく、彼女の全身を護る球体と化して展開されたところも、すべて。

 それが、イズラの即死の瞳から、ソリュシャンを完全に防護したのだ。

 新たな増援か。

 それにしても、あの蒼色の水膜は、一体?

 戦闘メイドの防衛魔法や装備機能ということでないことは、守られる少女自身の、その反応ぶりで確実に明らか。単純な壁というわけでもない。それならば、死の天使の即死能力は問題なく突破できたはず。防具や障害物ではない──なにか。

 一方、

 疑念と疑問に首を傾ぐ死の天使に対し、ソリュシャンはすべてを承知して──だが、“彼”がここに来ることをまるで予想していなかった調子で、“彼の全身”に手を這わせる。

 

「──どう、して?」

 

 絞り出されるメイドの声。

 しかし“彼”は応じない。

 その代わり。

 色素を増した蒼い壁が、敵である漆黒の天使めがけて、無数の触腕を伸ばした。

 粘体の酸性を帯びた蒼く丸い突起は、空気すらも焼き融かすような風音を奏でて殺到。

 天使は黒い羽毛と眼球だらけの翼を巧みに操り、その追随し追尾し追撃する触腕のリーチから逃れていく。今の攻撃の射程距離は、50メートル程度。触腕は遠距離へと逃れた敵への追撃を止め、自分が庇護した少女の被膜を厚くするように戻っていた。

 天使の全身の瞳が、正確に、迅速に、その異形種の正体を看破。

 それらの光景を、彼の身に抱かれ、彼という庇護者によって全身を覆い尽くされた──あるいは、彼の内部に“収納”されたことで、武器や魔法・スキル効果の「射程圏外」扱いを受けた粘体のメイドは、感謝と感激のあまり声を震わせる。

 

「さ、三──ッ」

 

 しかし、声は形を保てない。

 死の天使・イズラに情報を与える──それも、奴の即死能力において重要視される「名」を知らせる危険性を考慮して、慌てて唇を右手で塞いで、零しかけた玉名を封じ込める。

 しかし、あまりの展開に膝をつくソリュシャンは、叫びたくてたまらない。

 彼の名を想うまま呼んで、彼の内側に守られる事実に耽溺したい。

 感動と失意と懺悔と愛情と、これまでのいろいろな感情が鬩ぎ合うソリュシャンの眼から、粘体(スライム)質の涙が零れ落ちて、彼女の頬の内側に溶け込んでいく。

 

「──どうして、あなた、が?」

 

 ソリュシャンの懐く当然の疑問に、だが、やはり彼は応えることはない。

 答えを返せる余裕など、あの天使──戦闘メイドらを超越する力の持ち主の前では、ありえない。

 ただ、プルプルと粘体の液状を波打たせ『──だいじょうぶだよ』と言うように、ソリュシャンの頭髪部と頬と、全身を撫で労わってくれる。優しい彼の粘体特有の愛情表現に、ソリュシャンは耳まで紅潮させながら俯く他ない。

 一方の死の天使(イズラ)はというと。

 全身の眼球を引っ込め、相も変らぬ余裕綽々の薄い微笑を浮かべたまま、とりあえず、現れた異形の正体を、ユグドラシルの常識に照らし合わせて確認する。

 

蒼玉の粘体(サファイア・スライム)ですか。これは……なかなかに強そうだ」

 

 それはそうだ。ソリュシャンは黙したまま同意する。

 彼は、偉大なる御方──アインズ・ウール・ゴウンその人の“三助(さんすけ)”として、御身の玉体を磨き上げる名誉職を賜りしシモベの一人。当然、Lv.100の最高位アンデッドの身に付着する汚穢(おえ)をこそぎ落とすのに、低いレベルの存在では力が不足してしまうというもの。

 

 

 彼の名は“三吉(さんきち)”。

 

 

 第九階層が誇る大浴場施設「スパリゾート・ナザリック」にて、日々任務に励む蒼玉の粘体(サファイア・スライム)が、ソリュシャン・イプシロンの援護に馳せ参じたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日更新

シズとガルガンチュア、ソリュシャンと三吉の関係は、
二人に該当する逢瀬シリーズと、前作の12話をご参照ください。

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