オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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各陣営の主人公、彼等の動き──


対応 -1

/OVERLORD & Fallen Angel …vol.05

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

《皆様、おはようございます。朝6時を回りました。

 魔導国国営放送・カッツェ支部から、お伝えしております。

 第一魔法都市・カッツェ、本日の天気予報は、晴れ。ところにより曇りとなるでしょう……》

 

 

《ニュースをお伝えいたします。

 昨日、第一生産都市・アベリオンにて、大規模な地下階層避難訓練が実施されました。これは、動力炉区画の暴走暴発時などの緊急の際に、都市機能の安定および職員らの安全確保をより円滑にするためのもので、アンデッドの警備装置などの点検も兼ねて行われました。アベリオン都市長は「都市運営において万が一に備えておくことは重要」と発言。訓練は滞りなく遂行され、昼頃には通常運用体制に…………》

 

 

《昨日、南方士族領域の鉱床地で、大規模な落盤事故が発生しましたが、作業員に怪我はありませんでした。現場はセンツウザンの新鉱床地帯で、アンデッド警邏隊の調べによりますと、『強化魔法を均一にすべきポイントが、適正な強化を受けていなかったことが要因と思われる。魔導王陛下より下賜されたアンデッドの警備兵らの働きもあって、死傷者が出なかったことは不幸中の幸い。関係各所に再発防止のための再教練を上奏する』とのことで…………》

 

 

《昨日まで冒険都市で行われておりました『冒険者祭』で、珍事が。

 トーナメント大会、準決勝で“漆黒の剣”との対戦が組まれていた期待の新人・ファラが、突如棄権。行方をくらませた彼は大会運営の呼びかけにも応じず、彼とチームを組んでいたチーム“アザリア”は「ここまでこれただけでも彼には感謝している」とコメント。そのまま決勝へと進んだ“漆黒の剣”は、本大会「永久」チャンピオン・一等冒険者(ナナイロコウ)“黒白”の白き竜騎士との対決を披露し、観客を熱狂の渦に巻き込みましたが…………》

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 真っ黒い、水の中。

 積み重なった澱の底にいるイメージ。

 

 過去の光景。

 過去の栄光。

 過去の思い出。

 

 カワウソはそれにしがみついている。

 ……(すが)りついているのかもしれない。

 

 それは、もう何年前だっただろう。

 カワウソは旧ギルド崩壊の後、ゲームに残っていたギルメンたちと新拠点の攻略に臨んだが、一パーティとしては微妙なバランスだったが故に、攻略は予定よりも難航した。攻略に乗り出して五回は全滅。やっとこさ攻略に成功できた時点で、皆がもう飽き飽きしていたのが場の空気で完全に分かった。カワウソは努めてその事実から目をそらした。そうした後、彼等残存メンバーとも辛辣な別れを終え、たった一人で、『敗者の烙印』を頭上に戴いたまま、天使種族のプレイヤー・カワウソはユグドラシルのゲームに残留した。

 そして、カワウソはギルド拠点の建造とギルド武器の設定、拠点レベル1350分の拠点NPCたちの製作と配置に取り掛かった。

 たった三階層しかない地下ダンジョン型のヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の強化と改良のために、それまで無課金だったカワウソは、(たが)が外れたように散財し始めた。最初は、ただ仲間たちの種族や職業(クラス)を模倣・再現するために行われたNPCの課金ガチャ程度だったのが、いつの間にやら拠点最上層にまるまる一個の階層を──第四階層を増設するほどの大工事に発展していった。

 

 カワウソには目的があった。

 仲間たちが諦めた、あのナザリック地下大墳墓……ギルド:アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を続けるために。

 

 それまでは、「たかだかゲーム」と考えてそこまで真剣にビルドしていなかった自分のレベルを徹底的に調整し、計算し、再設計を繰り返した。やがて純粋な天使でいることでナザリックの第一・第二・第三階層の罠や、正の属性を悉く弱体化させる仕様を突破することは不可能と判断し、強力な熾天使から、惰弱な堕天使への降格を決めた。本末転倒とも言える采配ではあったが、実際に熾天使の時とは比べようもないほど、ナザリック内での戦闘──というよりも、潜伏と侵入は比較的容易にはなった。

 だが、そうすることはナザリック周辺のヘルヘイム・グレンデラ沼地地帯のフィールドエフェクトやモンスターの群れに抗するのも難しくなる道でもあった。徹底的に沼地の弱体化エフェクトの出現ポイントや、ツヴェーク系……毒々しい、強力かつ大量に湧く蛙モンスターとの遭遇(エンカウント)を回避しまくるルーティンを築くのにも、難儀した。

 下手すれば、休日一日を費やして、ナザリックの表層にたどり着くことも出来ないなんて場合もあり得たのだ。

 

 天使の強力な天使召喚能力でNPCを引き連れて強行突破する……というのは、堕天使には不可能。そもそもにおいて、ゲームでのNPCはそこまで有用な存在ともいえなかったのが大きい。当時の彼等(NPC)は、あくまでプログラムの通りに動く存在でしかなく、プレイヤーの難しい命令や戦況判断を忠実に再現できるほどのものはありえなかった。NPCなどただの盾役や時間稼ぎの用途でしか使えないものだったのだ。それは強力な熾天使にしても同様だった。

 ユグドラシルのゲームで死ぬのは、タダではない。たとえ野生モンスターとの会敵・戦闘でも、死ねば装備や金貨を落っことす仕様があった以上、カワウソに無理は出来なかった。

 

 そんなある日、懐かしい人物からのメールが、久方ぶりに届いた。

 

 かつてのカワウソの仲間……旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の副長にして、ギルド長の姉……異形種プレイヤーの人の造りし哀れな怪物(フランケンシュタイン)……プレイヤーネームも、そのまま“ふらんけんしゅたいん”と名乗っていた大恩人から。

 カワウソは喜んで連絡を取った……わけではない。

 すでに、ギルド崩壊から一ヶ月以上。

 こちらの呼びかけに応答のなかった副長から、彼女たち……姉妹二人の身に起こった出来事を聴かされ、とりあえず彼女たちがユグドラシルにINできなかった事実と事情は理解できた。「大変だったですね」と(ねぎら)うカワウソは、確実に納得も同情もしていた。

 

(けれど、どうして今になって?)

 

 そういう思いが、針の(むしろ)のごとく、カワウソの全身を突き刺した。

 ──あの時。

 残存メンバーをまとめてくれる立場の人が……ギルド長の彼女や、副長のふらんさんたちが残ってくれていたら……そう思い煩う自分の浅はかさが、味覚の存在しないゲーム内で苦いものを感じさせてならなかった。彼等を引き留める適正な立場にある副長(ふらん)さんたちがいてくれたら、と。

 もちろん、そんな“たられば”の話など無意味だ。

 きっと彼女たちが残留してくれていても、メンバーの離散は避けられなかったことだろう。そう結論できるほど、仲間たちのユグドラシルに対する熱は、冷え切っていた。()め切っていた。もはや、どうのしようもなかった。

 

 副長は、カワウソに対し、誠心誠意の謝罪をしてくれた。

 皆で創った大事なギルド武器を壊されたこと。

 すぐ再集結するという約束を反故にしたこと。

 やむにやまれぬ事情があったとはいえ、何もかも、丸投げにしてしまったこと。

 

「本当に、ごめんなさい」

 

 そして、心からの優しさが、カワウソの絶望を深めた。

 彼女は言った。

 言い募った。

 言い続けた。

 

「こんなゲームはもうやめて、新しいゲームにいきませんか?」と。

「今は、とてもいい条件で始められるDMMOが揃っていますから」と。

 彼女(ふらん)の現実の職業・社会的立場なら、特別にそういうことも可能だ、と。

 

 吐き気がした。

 

 表情の動かないゲームで、本当に良かった。

 しかし、声にこもる感情は隠しようがない──だから、押し黙った。

 カワウソが口を開いて、怒りのあまり、弾劾と非難と、激昂と悲嘆を喚き散らさなかったのは、ほとんど奇跡だった。

 あの時、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)攻略直後、残存メンバーたちをドン引きさせた前科がなければ、あるいは目の前の友人……副長(ふらん)に、たまらない思いをすべてブチ撒けていたかもしれない。

 副長の誠実な声が、刃となって心臓を抉るように響いた。でも、彼女(ふらん)友人(カワウソ)に新作ゲームをオススメした程度の気概だったはず。なのに、カワウソが一方的に罵倒するというのは、あっていい応対方法ではないだろう。

 

 でも、カワウソが求めていた──「いつかまた、みんなで一緒に」──からは、余りにも程遠い。

 もう二度と、あの時間が……仲間たち皆との時間が……戻ることはないのだと、知らしめられた。

 

 楽しかったのに。

 本当に、楽しかったのに。

 

 別のゲームになど興味はない。

 仲間たち皆のいない世界なんて……そんなの────

 

 表情変化のないゲーム内でも、さすがにキャラクターアバターの挙動に不審さを感じたのか、旧ギルドの副長は、悪夢の元凶と化した彼女は、(たず)ねた。

 

「カワウソさん……あなたはリーダーを、あの子を、許してくれますか?」

 

 許してくれますか。

 許してくれますか。

 許してくれますか。

 

 言葉が肉体に、臓腑に、脳髄に突き刺さるものだと、この時ほど実感したことはない。

 

 カワウソは当然、許した。

 心からすべてを、許した。

 

「私を恨んでくれて構いません」と告げる、ふらんも。

 

 許すしかなかった。

 許さざるを得なかった。

 

 誓いを反故(ほご)にした彼女等を。

 約束を守らなかった、皆を。

 ──裏切った仲間たちを。

 リーダーを。

 副長(ふらん)を。

 

 だが、あるいは、

 

 許すべきでなかったのかもしれない。

 許してはならなかったのかもしれない。

 許しさえしなければ、カワウソは、俺は…………

 

 

「こんなことにならずに済んだのかもな」

 

 

 真っ黒な(おり)の底。

 狂乱したように泣き喚く自分を見下ろす、夢。

 膝を抱いてうずくまり、忸怩(じくじ)たる思いに耽溺する、一人の男。

 暴力的なほどの悪夢に縛られ囚われ──目の前の人間は、子供のように嗚咽(おえつ)している。

 そんな様を見下ろさねばならない、目をそらすことができない堕天使は、狂死しかねないほど泣き濡れる自分を、見下ろし続ける。

 ふと、疑問が浮かぶ。

 自分は自分を見下ろしている。

 自分が自分を見下ろしている。

 自分で自分を見下ろしている……?

 自分を見下ろす、この堕天使(カワウソ)は、いったい誰なのだ。

 かわいそうな馬鹿を、愚物を、復讐者を、カワウソは見つめ続けた、その時──

 闇一色の、濃厚な悪夢の底でわだかまる意識に、朝の光のような輝きが一条──

 

 光の先から、差し伸べられる、手が──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ドロドロに煮崩れた悪夢から、目を覚ます。

 堕天使である自分を再認識しつつ、最悪に近い夢見にため息をひとつ。カワウソの目には、いっぱいの涙が。

 どうしようもないほどの虚無感からか、脳髄がゾッとするほど重い。

 そんな最悪の気分でも、カワウソは目元を拭い、自分が今いる場所を克明に認知していく。

 ここは、自分の拠点。

 現実だが“現実(リアル)”ではない。

 ゲームのようだが、“ゲーム”ではない。

 異世界転移という破格の変事がもたらした、異様な光景。

 

「……ああ」

 

 夢ではない。

 だが、どこまでも夢のような気がしてならない室内の景色を、濁った瞳の奥に吸い込んでいく。

 しわくちゃのシーツの眩しい純白。ふわふわとしたベッドマットの弾み具合。ガラス窓からは一点の曇りもない朝日が。

 現実には、ありえない光景。少なくとも、環境破壊の只中にある世界では、ない。

 ここは、ギルド拠点、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点最奥に位置する、第四階層の屋敷。

 ギルド長の部屋……カワウソの私室。

 現実で営業サラリーマンをしていた自分では一生かかっても購入できなそうな、高級タワーマンションのごとき広大な一室。白珊瑚のような純白の壁紙。柱や天井には慎ましくも煌びやかなシャンデリア。家具や調度品は、ユグドラシルの買い物で適当に揃えたものばかりだが、どれも部屋の内装として違和感なく溶け込んでいる。……カワウソの現実だと、八畳一間ほどの空間に、ほぼ使わない簡易台所(ミニキッチン)風呂(スチームバス)にトイレ、あとは娯楽(ゲーム)に繋がるためのイスがある程度。汚染された空気を入れないための、小窓すらない部屋暮らしだったのとは、あまりにも違いすぎる。

 カワウソがいる寝室は、天蓋付きキングサイズベッドがどんと鎮座し、屋敷外からの朝の光を一枚ガラスの窓から室内に呼び込んでいた。……拠点内部なのに“朝・昼・夕・夜”が再現されているギミックは、商業ギルドの長が建造に協力してくれたおかげ。こんなもの、カワウソ一人では無理な造り込みである。だが、

 

「変な、におい」

 

 澄み切った潮の良い香りは、ゲーム内ではありえなかった事象──この状況が現実のものであることの物証のひとつともなっていた。いかにユグドラシルといえど、嗅覚の再現は不可能だった。

 鎧姿──完全武装ではない堕天使は、バスローブの寝間着姿。ベッドから降りるなり、それをすべて脱ぎ払う。寝室からダイニングを挟んで少し離れた衣装室(ウォークインクローゼット)に。その奥に置かれたスタンドラックに安置した武装類に手を伸ばした。下着を着込み、鎖帷子(チェインシャツ)神器級(ゴッズ)の鎧、足甲(ラキア)等を身に着けるのも手慣れてきた。外すことができない赤黒い円環──堕天使には存在しない天使の輪のごとき装備物は、相変わらずカワウソの頭上で廻り続けている。

 姿見をのぞき込む。

 そこには最早、疑いようもなく自分自身と認識できる堕天使モンスターの面貌が、すべてを呪詛するがごとき醜悪な異形の表情が、カワウソの全てを睨み据えている。

 

 ……そういえば、聞いたことが、ある。

「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と。

 

 だとすると、今のカワウソの状態はどうなのだろう。

 堕天使はいろいろと健全とは言えない存在。欲得に溺れ、あらゆる道義を無視し、放埓(ほうらつ)気儘(きまま)に神への反抗を続ける不信仰者。今のカワウソは人間ではなく、堕天使という名のモンスター。その堕天使の肉体が、カワウソの精神に何らかの影響を及ぼしている可能性は? あるいは、堕天使の──異形種(モンスター)の肉体に変貌したが故に、精神(こころ)までも人間をやめてしまったのではあるまいか?

 その証拠に、この世界の人間たちに対する同族意識は欠如しており、危害を加えることに何の抵抗もなくなっている。まるで路上の蟻を踏むかのような感覚しか存在しない。

 元々がユグドラシルの(いち)プレイヤーだったにも関わらず、あの飛竜騎兵の領地で犯罪行為に奔った元長老を追い詰めた件については、悉くカワウソの神経を逆撫でされたから──我慢ならなかっただけだ。アインズ・ウール・ゴウンを超えると豪語した姿は滑稽に過ぎたし、何よりも“仲間を裏切った”存在というのが、カワウソの心を一瞬で真っ黒に染め上げて、一秒でも早く挽き潰してやりたくてたまらなくなった(・・・・・・・・)

 まるで自分の血を吸って飛び立つ羽虫を、苛立ちから執拗に追い回すように、堕天使は一人の人間を嘲虐し、そして、あの滑落死に追いやったのだ。

 少なからず後味の悪さを覚えているのは、人間としての感性や記憶がそうさせているのか……あるいは直接ブチ殺すことができなかったことが、異形の精神にとって心残りだったのかは……判然としない。

 

 実際の所、魔導国臣民への無差別攻撃……アインズ・ウール・ゴウンの国民である彼等への殺傷を控えているのは、単純な話──自己保身というのが大きな理由だ。

 復讐の対象にするのはお門違いというのも無論本音ではあるが、それよりも何よりも、『無関係な国民を巻き込んで、魔導国から激しい攻勢と追撃をかけられてはたまらない』という自己防衛意識の方が根強い。火に油を注いで、火傷などしたくなかっただけ。

 なんとも情けない話ではないか。聖人君子などとは程遠い、ただ自分自身の為に──己の目的を果たすために、カワウソは冷静に、復讐の対象を正確に規定しているだけに過ぎない。

 カワウソは心底、震えそうになる。

 自分は間違いなく、“壊れている”と自覚して。

 

「──だとしても、やることは変わらない」

 

 一呼吸で瞼を下す。

 壊れているのは元からだ。

 ゲームで、ユグドラシルで、ナザリック地下大墳墓に挑み続けた時から。

 あの第八階層に、“あれら”や“あの少女”への復仇のために、「復讐」すべくゲームを続けていたプレイヤーが、まともであるはずがない。それは、カワウソのかつての仲間たちからも、そう評されて憚りない事実だった。ゲームで「復讐」など、子供の悪い冗談以下の戯言(ざれごと)ではないか。

 何もかもわかっていて、カワウソはその道を、選んだ。

 選ばざるを得なかった……というのが、正確だろうか。

 衣装室からダイニングに戻った堕天使は、拠点内のNPCに向けて、ひとつの魔法を発動。

 

「〈伝言(メッセージ)〉──マアト」

『は、はい! お、おはようございます、カワウソ様!』

「おはよう。現在の、外の監視状況は?」

 

 マアトはおなじみの口調で、特にスレイン平野に異常はないことを知らせてくれる。巡回検査中の仲間たち──タイシャやクピドも、何の影も感じられていないという。

 

「わかった。ああ、あと魔導国の情報、新聞やニュース映像の様子は?」

『はい……えと、それも、と、特には』

 

 唯一、外を自在に遠見できるLv.100NPCの天使(マアト)には、一定時間おきに魔法都市の映像を見させていた。あそこをはじめ、魔導国の主要都市には、街頭や空中に置いた水晶の画面から、広告や天気予報の他に、直近のニュースなどを大量に、かつ恒常的に流しているようなので、カワウソが命じてマアトに観測させていたのだ。

 自分たち……カワウソが率いるギルドが、敵対者として不逞を為した事実が、国民に周知徹底されることになるのか、否かを。

 だが、

 

『わた、私たちのことを、その、とやかく言うようなものは、何も。一応、録画もして、おりますけど?』

 

 マアトの監視に問題はない。彼女の情報系魔法や特殊技術(スキル)は信頼がおける。彼女に何かしらの干渉がなされれば、反撃手段が飛ぶように装備を充溢させている……それも、世界級(ワールド)アイテムを11個も有する敵が相手だと微妙な気もするが。

 

「わかった──とりあえず、拠点内とスレイン平野巡検中の防衛隊に、ただちに円卓の間へ集合するよう連絡を。マアトたちも、例の死の支配者(オーバーロード)の死骸の報告をしてくれ。時間は……そうだな……30分後にしよう」

 

 例のごとく、鏡の防衛にはガブの魔法と召喚した天使に代行させて。

 

「あと、イスラに食事の用意を」

 

 命じられたマアトは、しきりに頷くような声音で承諾。魔法のつながりを断ち切ったカワウソは、こんな状況でも冷静でいられる──希望をもって行動できる自分の状況が、なんとなく奇妙に感じられる。

 状況は控えめに言って絶望的だ。

 それでも希望を持てるのは、外の状況を、アインズ・ウール・ゴウン魔導国という存在を、ある程度まで調査できたからこそか、あるいは──

 

「アインズ・ウール・ゴウン、魔導国……」

 

 ダイニングチェアに腰掛け、震えかける拳を祈るような形で握りこむ。

 

「アインズ・ウール・ゴウン……」

 

 幾度も呟くその名前は、カワウソの、紛うこと無き、──敵。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の仇敵たる名を戴く、大陸全土を統べ治める超大国。

 その中に、カワウソは突き落とされたような状況にある。

 異世界転移という、こんなバカげた現象のおかげで。

 その事実を承知し、承服し、承諾できる環境が、すでに整えられつつある。

 だが、

 

「アインズ・ウール・ゴウン、……魔導王……」

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長と同じ異形種の姿をした、王。

 カワウソが堕天使の姿で転移した状況を(かんが)みるに、魔導王とやらもユグドラシルプレイヤーと認めたいところ、なのだが──

 

「モモンガでは、ない、のか?」

 

 足甲の底を忙しなく打ち鳴らしつつ、思考に耽る。

 死の支配者(オーバーロード)の姿をした、魔導王。だが、その名前はプレイヤーネーム(モモンガ)ではなく、あろうことかギルドの名前(アインズ・ウール・ゴウン)

 これは、どういうことなのだ。

 ……(いや)

 何とはなしに察しはつくが、確証はない。

 魔導王が、アインズ・ウール・ゴウンと名乗る、その理由。

 だが、他にも様々な憶測や予想が立てられる状況では、どれもしっくりこない。

 カワウソは真摯(しんし)に思う。

 

 会ってみたい。

 会って確認したい。

 会って話をしてみたい。

 

 この異常現象は何なのか。

 どうして、こんな世界が存在するのか。

 ユグドラシルから転移した存在は他にいるのか。

 どうして、彼は……アインズ・ウール・ゴウンと名乗るのか。

 

 だが、それは最早無理な話だろう。

 カワウソは、昨日、すでに布告したのだ。

 カワウソと行動を共にしていたメイド──マルコ・チャンに。

 カワウソのNPCを蹂躙し陵虐していた死の支配者(オーバーロード)部隊に。

 堂々と。

 朗々と。

 言い放ったのだ。

 

 自分は、『アインズ・ウール・ゴウンの敵だ』と。

 

 後悔はない。

 むしろ心地よさで頬が緩む。

 痛いくらいの恐怖で、脳が麻痺したような笑いが込みあがる。

 

「あの死の支配者(オーバーロード)の部隊も、徹底的にブチ殺してやったしな」

 

 マルコに告げて、そして、魔導国の部隊と交戦し、あろうことか上位アンデッド──死の支配者(オーバーロード)四体を掃討。

 内三体の死骸をカワウソ自らが調査研究のために拠点へと持ち帰り、アプサラスやマアトたちに検分調査させた。

 この事実は、間違いなく、連中の逆鱗に触れるはず。

 

「……もう戻れない……いいや、戻らないぞ、俺は」

 

 己に言い聞かせるような鉄の声で、笑う堕天使は決意を新たにする。

 あのギルドに挑み続けた。

 ナザリック地下大墳墓に戦いを求めた。

 カワウソが何よりも大切で大事だと思えた仲間たち……彼等との、最後のつながり──かつての“約束”を、果たすために。

 そのために必要な宣戦布告だった。

 必要なすべては、ほとんどカワウソの掌中に存在しているはず。

 このギルド……装備……NPCたち。

 だが、まだ──まだ足りない。

 そんな気がしてならない。

 昨日は拠点に戻ってすぐ考えをまとめ、ギルドの防衛能力を厚くし、そうして酷使し続けた堕天使の脳髄が休息を求めて、泥のように眠った。

 眠れば必ずと言っていいほど悪夢に苛まれるが、堕天使の肉体は休息を要する。悪夢の後に現れる光というのが、少なからず救いとなってもいたから、問題は少ないはず。己の内側から溢れる恐怖や疲労は、“欲望(ディザイア)”の鎧ではどうしようもない。ゲームとは何もかも違う──だが、何故かゲームの法則がある程度まで適用される異世界の中で、カワウソは堕天使になった自分を、かつてその選択に至った過去を呪いかける。

 いっそ疲労しない種族──機械とか、アンデッドとか──あるいは純粋な天使・熾天使(セラフィム)のままでいれば、こんな苦労もなかったのかも。

 

 しかし、

 それでは今のカワウソが形成されることはなかっただろう。

 

 復讐のために自ら望んで“降格”し、ナザリックへの挑戦を、『敗者の烙印』という不名誉の証を戴いたまま、繰り返し繰り返し──繰り返し続けたからこそ、カワウソは「復讐者(アベンジャー)」などの特殊なレベルを獲得するに至ったのだ。

 

 この頭上の円環……天使の輪のようにも見える、禍々しい王冠のごとき世界級(ワールド)アイテムも、その一環として手に入れたもの。

 これも×印の『烙印』と似たようなもの……不名誉なアイテムに過ぎない。

 実に忌々しい。

 

「ユグドラシルじゃ、大して使えやしなかったが」

 

 この異世界では、さて、どうだろう。

 ユグドラシルでナザリックを攻略する際に使っても、大して使いようがなかった世界級(ワールド)アイテムであるが、条件さえ整えば、あるいは。

 

「……飯にするか」

 

 腹がへっては何とやら。

 堕天使の空腹を解消すべく、カワウソは両開きの純白の扉を開けて、何十畳もある部屋の外へ。

 

「おはようございます、カワウソ様」

 

 扉を開けた瞬間、いきなり予想外の人物と顔を合わせて、半歩ほど仰け反る。

 

「本日は、ガブとラファの方で留保されていた報告がございます」

「──ミカ?」

 

 (つや)やかに輝く黄金の長髪を背に流し、黄昏(たそがれ)の暁光に染まる鎧を着込む女騎士風の熾天使(セラフィム)──この第四階層でギルド防衛戦の最後の(かなめ)として働く防衛部隊隊長──『最高の盾』たる戦乙女は、青空のように澄んだ(いろどり)の冷徹な瞳で、軽く挨拶の会釈を交わす。

 どうして、ここに──そう聞くや否や、ミカは不機嫌そうに首を傾げた。

 

「──何か、問題でも?」

「いや、問題、というか」

 

 いつからいたのだろう。

 彼女とは昨日、拠点に戻って簡単な指示を出した後に別れたきりだ。

 一応、ミカはこの屋敷に常駐する最後の『盾』であり、同じ屋敷内に私室を与えてもいるが。

 同族の天使を感知する“天使の祝福”は、堕天使には扱えない。なので、まったく気配に気づかなかったのは当然でしかない。

 ──というかギルド長(カワウソ)の私室には、交代で屋敷のメイドNPC十人が一人ずつ控えるシフトをゲームの時から組んでいたはず。疑問し、視線を巡らせる間もなく、現時刻においての扉番たる精霊メイドのリーダー・5時から7時担当のアディヒラスが、訳知り顔でミカの影に隠れるように控えている。燃えるような赤い髪が眩しく輝いている。

 すべてのNPCを束ねる役職を与えた熾天使(ミカ)が、不満げに肩を竦めてみせた。

 

「マアトから召集令を受けとって、お迎えに参上しただけですが?」

 

 ああ。

 さすがに隊長なのだから、そういう情報伝達はすぐに行き渡るようだ。

 先日、イズラたちの戦闘を早急に伝えられなかった不手際を挽回する意思があるのかもしれない。

 

「そうか……ご苦労様」

 

 堕天使はぎこちなく笑って、部下の忠勤を褒める。

 ……何だかご機嫌取りをしているようで、卑近な印象を与えることになっていないか不安になるな。

 

「──別に。これが私の務めですから」

 

 堕天使の表情変化に対し、ミカはおもむろに顔をそらし、踵を返して「早く行きましょう」と大股歩きで先導。アディヒラスが小さく微笑むのが気にはなったが、自分が召集した天使たちが集まるまでの時間を、彼女たちと共に同階の大食堂で過ごす。

 

「おはようございます、カワウソ様」

 

 拠点の料理人(コック)NPCたる白衣のイスラが調理し、堕天使のメイド長・サムが配膳を行う。

 

「本日の朝食、前菜はガーネットサーモンとヨトゥンヘイム春野菜のカルパッチョになります」

 

 半刻ほど朝食のコースメニューを堪能するカワウソだったが、やはり一人でとる食事というのは、寂しい。現実だと栄養食を一分で平らげてもなんとも思わなかったものだが、絢爛豪華で巨大な食堂の、純白のテーブルクロスで飾られる卓上の上座で頂く食事というのは、慣れる気がしない。ナイフとフォークの扱いについても、かつてリーダーやふらんさんに教えられたやり方を思い出して、何とかものに出来ている程度。何か無作法なことをしていないかと、戦々恐々に口の中へ放り込むメインディッシュ──白き豊穣の仔羊肉ステーキの素晴らしい味わいは、舌の上にちっとも残ってくれない。焼き立ての黄金麦のクロワッサンや、甘く温かいクリームスープも同様。傍に控え突っ立っている人物・NPCがいるというのも、その傾向を加速させているような気がする。

 

「……サム」

「はい。カワウソ様?」

 

 主人たる創造主(カワウソ)と同じ種族の女──日に焼かれすぎたような肌色に、(つや)のある容貌を美しく微笑ませるメイド長は、黒鉄(くろがね)色の短い髪(ショートヘア)を揺らした。

 

「おまえたちメイド隊十人の中で、堕天使のおまえたち五人は、その、食事は?」

「御心配には及びません、カワウソ様」

 

 にこやかに応対し、「すでに頂戴させていただきました」と報告するメイド長は、しかし、カワウソの意図を理解することはない。

 これはサムの──NPCほぼ全員に共通して特異なところなのだが、彼女たちNPCはカワウソというプレイヤーを雲上人(うんじょうびと)……いっそおそろしいほどに“格上の存在”であるものと信仰している。

 ただの小卒サラリーマン、ただのゲームのプレイヤーを、だ。

 もちろん、彼女たちという存在を創造した・ゲームのNPCとして作り上げたのは、ギルド創設者の位置にあるカワウソに他ならないが、この異世界に転移して、自立意識や自我行動を獲得するという異常事態を、彼女たちの立ち居振る舞いを目の当たりにすることによって、より混沌としたものに変容している。

 

(なんで、こんなに、尽くしたがるんだろう?)

 

 密かな疑問だが、ミカ以外のNPCたち──二十一体と四匹は、やりとりから確認しているだけでも、ギルド長であるカワウソへの絶対的な忠誠を示してくれている。転移して短い日数の中にあっても、彼女たちの献身と謹直は目を(みは)るものがあった。こうしてただ食事をしている間も片時も離れずに寄り添い、質問に対して快く応答を返してくれる。呼べば「カワウソ様」という呼び方で接し、懇切丁寧に言葉を返し、誰一人として嫌な顔をすることはない──『嫌っている。』設定のミカは例外であるが。

 NPCたちにとって、まるでカワウソと言葉を交わすだけで、その傍に控え仕えることができるだけで、至上の喜びを胸に懐くかのような態度が如実に面に現れるのだ。サムも、アディヒラスも、他のメイドたちや、Lv.100NPCにしても、一様にそうなのだ。

 

 ……それが逆に恐ろしい。

 

 もしも、カワウソが仕えるに値しない存在だと見限られる時が来たら……

 

 そう思うだけで、背筋に蟲が這いまわるような冷たい怖気(おぞけ)を感じずにはいられない。

 どうしても、あの悪夢の光景──仲間たちとの別離が想起されてしまう。

 仲間(ギルメン)に見捨てられ、(あざけ)られ罵られた時と同じような末路を、この異世界でも辿ることになるとしたら?

 ──だが、そうなっても仕方がないと思う。

 カワウソは、そんな価値のある存在じゃない。

 カワウソは誰よりも何よりも、それを自覚できている。

 

「サム。おまえも聞いてはいるだろうが、俺は、外の世界の──アインズ・ウール・ゴウンに」

 

『敵だ』と表明した。

 表明してしまった。

 その事実を明確に告げるカワウソは、鮮やかな微笑を少しも(かげ)らせないLv.1のメイドに、問う。

 

「おまえたちに、不安はないか? おまえたちメイド隊十人は、俺が、外の大国……アインズ・ウール・ゴウン魔導国とやらに、戦いを挑むことに──」

 

 戦力差は圧倒的。

 勝敗は明瞭に過ぎる。

 カワウソのギルド:天使の澱が勝つ可能性は、それこそ万に一つ、億が一も存在しないだろう。

 だが、問われたメイドは穏やかだった。

 

「恐れはしません。私たちメイド隊は、ひとえにあなた様の御命令のままに」

「だが、相手はあのアインズ・ウール・ゴウンだぞ?」

 

 主人の再疑問に、メイドは謹直な姿勢を崩さない。

 

「カワウソ様に創られし我等……貴方様にいただいた命に誓って、御身に尽くし続けさせていただければ、それで十分です。どうか、存分に、私たちを使い潰してください。私たちが貴方様に忠節を尽くすことを、そのお許しをいただければ、これに勝る喜びはございません」

 

 そう、サムは結んだ。

 隣に立つ同僚・炎の精霊メイドのアディヒラスも、同意するように微笑むだけ。

 カワウソは、もう何も言えない。

 どうして二人とも、そんなにも心穏やかでいられるのか、晴れやかな表情でカワウソの思想と思惑に追従できるのか、疑問だ。巻き込まれるだけのNPCたちにとって、カワウソの決断……我儘は、あまりにも非情なものであるはず。

 そんな主人の馬鹿な企みに巻き込まれるNPCたちにとっては運がない──不運と呼ぶ以外にないだろう。

 

「そう、か……」

 

 カワウソは憂鬱気に頷くしか、ない。

 彼女たちの創造主・製作者はカワウソただ一人。

 彼女たちにとっては、まさに“神”に匹敵するのだろう。

 でも、だとしても……巻き込んでしまって、本当に、申し訳ない。

 

「なんなんだろうな、この世界は?」

 

 魔法都市(カッツェ)でミカに漏らしたことのある言葉が、口をついて零れる。

 だが、あの時ほどの恐怖や不安はない。

 大食堂の絢爛な天井を見上げ、その先にあるはずの地表を思い起こす。

 ゲームのキャラが動き回り、ゲームに存在したギルドやプレイヤーが転移する先の、ゲームの法則が生きる異常な世界。

 そんな世界を征服した、建国から100年の超大国──アインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 カワウソの敵。

 

(チームとして明確な目標を持つことは、それだけで違うんだよな)

 

 こんな時にも、かつて旧ギルドで教わった訓戒が胸を満たした。

 自分たちは、戦う。挑む。抗う。敵対する。

 茫漠とした霧の中をアテもなくさまようのではなく、明快にして明瞭な目的に向かって突っ走る──どちらがマシな道行(みちゆき)かと問われれば、カワウソは迷わずに後者を選択する。

 それが確認できて、カワウソは(かす)かに笑う。

 

「ごちそうさま、イスラ」

 

 デザートとコーヒーもうまかった。

 堕天使の空いた腹を存分に満たして、カワウソは席を立つ。

 後片付けは、サムとアディヒラスの妹──インデクスとディクティスが行う。

 コック帽を外したイスラと堕天使と精霊のメイド長、そして、仏頂面のままのミカを引き連れ、カワウソは目的地を目指す。

 時刻は良い頃合いだろう。

 Lv.100NPCを招集した屋敷の一階。

 屋敷中央の螺旋階段を降り、円卓の間へ。

 

「お待ちいたしておりました、カワウソ様」

 

 隊長補佐である聖女・ガブの声が粛々と出迎える。

 あの日と同じ──ユグドラシルサービス終了の夜と同じように跪いた──だが、自らの意志で、カワウソというプレイヤーに忠誠を示す姿勢を堅持する天使たちや動像(ゴーレム)の姿が。

 

 カワウソは気を引き締める。

 彼等NPCの……主人として、忠誠を誓ってくれる者たちに対して、ふさわしい姿であるよう努めながら。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ほぼ同時刻。

 朝方。

 ナザリック地下大墳墓・第九階層“ロイヤルスイート”にて。

 

「ふむ……」

 

 アインズは眠る必要などないが自分の寝室に籠り、巨大なキングサイズのベッドでくつろぎながら、ひとつの動画(ムービー)の確認作業に没頭していた。これで昨日から数えると10回目の確認だが、意外とおもしろくて飽きることがない。

 飽きるはずもない。

 これは、ナザリックの、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの、栄光の記録。

 手元の画面で確認しているそれは、もはや懐かしさすら込みあがるデータ……いろいろと複雑な思いを懐きながらも、アインズはひとつの確たる結論に至る。

 

「──やはり、堕天使は確認できない、な」

 

 カワウソというプレイヤー……堕天使の姿は、この動画データの中には影も形もない。

 やはりと結果を受け入れつつ、アインズは折角なので、懐かしい動画を最後まで視聴し続ける。彼に関りのあるアイテムを有しているプレイヤーの姿が見つかれば御の字というところか。

 

 かつて、アインズ・ウール・ゴウンの名を伝説の領域に押し上げた偉業……

「プレイヤー1500人の討伐隊」、その「全滅」の光景。

 これは、侵攻してきた1500人側の映像では、ない。ネット上に拡散されたものではなく、アインズ・ウール・ゴウン側が、つまりかつてのアインズ達が、記念目的に記録しておいた秘蔵の品だ。たっちさんやタブラさん、ペロロンチーノやぶくぶく茶釜、ヘロヘロや武人建御雷、弐式炎雷やブループラネットなどなど、全盛期のメンバーが動画内ではしゃぎまくっているのが微笑ましい。あのウルベルトさんが、デミウルゴスが敗れた姿に無念そうに肩を落とす──本人は強がっていたが、それでもデミウルゴスは彼のNPCなのだ。それが最終形態まで披露してやられてしまうのは、切ないものがある──のを、皆で励ましてやったのも、アインズは100年たった今でも、よく覚えている。

 

 そして、第七階層を攻略したアインズ・ウール・ゴウン討伐部隊の残存は、意気揚々と、あの第八階層──“荒野”へ。

 

 そうして始まったのは、一方的な蹂躙であった。

 

 第八階層に突入したプレイヤーたちは、一面の荒野に現れたあれら(・・・)とルベドに蹂躙され、「(かな)わぬ」と賢明さを発揮した手勢が、突破できそうな抜け道を突き進んだ。──その先に待つ罠の存在、第八階層守護者たる胚子の天使を殺した連中は、そこで全員、まんまと足止めスキルの餌食と化した。

 

(いやぁ、この時は本当、気持ちよく引っかかってくれたよな)

 

 何もかもが計算通りだった。

 仲間たちの用意した作戦が、見事に嵌まり込んだ結果だった。

 あれらとルベドの正体を看破できるほどの魔法や特殊技術(スキル)を発動しようにも、第一(シャルティア)から第七(デミウルゴス)までの階層で繰り広げられた戦闘は、連中にほとんど余力を残すことはなかった。魔力(MP)は軒並み枯渇し、一日の特殊技術(スキル)発動上限が定められた強力なものなどを使い切ったプレイヤーたちが、大挙して何もない“荒野”のフィールドを我先にと駆けていく。

 

 そこに現れたのが、ナザリック地下大墳墓において“最強最大の戦力”とされる存在たち。

 

 アルベドやニグレドの妹として、タブラさんが用意した深紅のドレスを纏う赤髪の少女──最強たるワールドチャンピオンをも超えた性能を示す、ルベド。

 そして、そのルベドを唯一打ち滅ぼせるのが、アインズ・ウール・ゴウンが所有する世界級(ワールド)アイテムの影響におかれる“あれら”の能力(チカラ)

 

 その二つの強大な戦力を叩き込まれた侵入者たちは、なす術もなく蹂躙を受け入れる他ない。

 そうして、一部の手勢が“少女(ルベド)”と“あれら”の力に対し「対処不可能」と判断を下し、やられる仲間たちを盾代わりに逃走──もとい、次の階層へと至ることで戦略的勝利を掴むべく、何もない荒野の先に見えている次階層への転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)を目指すことは、まったく当然の選択肢だ。──だからこそ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが誇る軍師、ぷにっと萌えの術中に陥り、第八階層の守護者として待ち構えていたヴィクティムに抵抗を試みて、────結果は、“藪蛇”というやつだ。

 

(まぁ、気持ちは、わからないでもないがな)

 

 アインズにしても、あれだけの暴威暴力が間断なく降り注ぐ戦場(フィールド)で、いきなり奇怪なNPCが目の前に立ちはだかったら、何かされる前に打ち倒して前に進もうと、迷うことなく魔法を飛ばすだろう。気の聡い一部のプレイヤーが「罠かもしれない」と警告するほどの猶予はない。彼等の背後では、あれらとルベドが後方に残ったプレイヤーの集団を蹂躙しまくっているのだ。一刻も早く次の階層を目指しているところに、邪魔するように現れたモンスターが飛び出してくれば、わずらわしさから攻撃に出るのもやむを得ない判断というもの。

 しかし、その判断が、彼等最後の侵入者たちの命運を分けた。

 ほんの小手調べ程度の一撃で、あまりにも呆気なく倒された第八階層守護者──そのレベルはわずかに30しかない。ナザリックへと侵入し、この第八階層まで生き延びてきたプレイヤーにとっては、何の障壁にも妨害にもなりえない戦力でしかない……はずだった。

 

 ヴィクティムが討たれた直後、

 発動したのは強力無比な足止めスキル。

 

 ただ足止め(それだけ)のために存在する彼の能力は、過つことなく侵入者たちを行動不能の罠にかけ、事態を直接見に来たアインズたちが、最後のダメ押しに『あれら』とモモンガの世界級(ワールド)アイテム──その相乗(シナジー)効果による“変貌”を披露してやった。

 

 アインズの──モモンガの保有する世界級(ワールド)アイテムが、所有者の意志によって発動した瞬間、第八階層のあれらすべてが、────変貌。

 

 そうして、身動き一つ取れなくなったプレイヤーたちを、あれらは完膚なきまでに、蹂躙し尽した。

 

 第八階層 “荒野”には、あれらによる《 死 》が蔓延した。

 

 こうして、アインズ・ウール・ゴウンは難攻不落の伝説を築き上げ、当時、運営に対して『チートじゃないのか?』『違法改造だろ!』などの問い合わせや抗議メールが殺到。

 だが勿論ながら、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、清廉潔白。

 チート処理も違法改造も一切ない。

 アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルの規則に反することなく、たった四十一人の総力を結集し、ナザリック地下大墳墓の力で、あれだけの大逆転劇を可能にしてみせたのだ。

 

「全部、みんながいてくれたからだよな……」

 

 思いのほか、懐かしさに骸骨の空っぽの胸がいっぱいになるアインズ。

 自分一人ではけっして成し得なかった……仲間たちの協力と作戦があったからこそ、アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシルで不動の伝説を成し遂げられた。

 

 ── 討伐隊1500人全滅 ──

 

 仲間たちが築き上げたナザリック地下大墳墓は、堅牢堅固にして難攻不落。それほどの場所に集った四十一人の絆もまた、堅く結び合わされて離れることはないと、当時のアインズ──モモンガは信じてならなかった。

 そして、その栄光は、この異世界でも存続し続けている。

 

「しかし……」

 

 思わず笑ってしまう。

 仲間たちとの貴重で大切な思い出の中に、あろうことか100年後の異世界に現れたユグドラシルプレイヤーが混在しているかもしれないとは。

 何かしら、彼に関わる情報があるかもしれないと思い、試みた過去映像の確認作業であったが、結局、アインズの手持ちの情報でカワウソらしき堕天使プレイヤーは確認できなかった。

 

「やはり、この全滅後にキャラを転生・転職(リビルド)したと考えるべきかな?」

 

 彼が、カワウソが(かた)っているわけでないとすれば。

 カワウソもまた、この1500人の討伐隊に参加した──あるいは、参加したプレイヤーを仲間としていたはず。

 第八階層のあれらに、ルベドに、ナザリック地下大墳墓へ挑戦を続けたというプレイヤー、カワウソ。

 

「さすがに、人間種から天使種族に転生して、それで堕天使に降格するのは考えにくいが……」

 

 プレイヤーが、天使の中でも熾天使(セラフィム)などの高位種族になりあがるのは、なかなか根気のいる作業だ。

 しかも、それだけの苦労をして“堕天”……今までのレベル数値を放棄するような行為というのは、ユグドラシルの中でもかなりの変わり者と見做されるだろう。それだけ、堕天使の異形種ステータスは微妙な上、扱える特殊技術(スキル)などもそこまで強力とは言い難い。堕天使など、せいぜいが「そういうロールプレイ」に傾注する人しか取得しなかったものだ。

 当時、彼が堕天使でなかったとすれば、熾天使や智天使などの強力な天使であった可能性が高い。この討伐行で、該当するプレイヤーの数はそれなりの数にはなる。適当に洗い出しすることも、ナザリックのシモベに任せれば確実にこなすだろう。

 だが、

 

「これ以上は(らち)が明かないか」

 

 たとえ、彼と思しきプレイヤーを動画内に発見できたとしても、結局は過去の記録。

 今現在の彼の戦力・戦術・装備・アイテムなどは当然違ってくるはず。

 

(とりあえず、これ以上の動画確認はアルベドとデミウルゴス、ユウゴに相談してみるか)

 

 この秘蔵のムービーはいろいろと身内の恥というか、守護者たちに見せるのは抵抗が大きい。他の映像──ネット上に拡散されまくった、侵入者側の方の編集済み映像の確認も行いたいところだが、さすがにアインズ一人では限度がある。

 方針を固めた時、室内の時計が起床の時刻を知らせた。

 アインズはいつも通りに体を起こす。

 

「シクスス、私は起きるぞ」

「はい。それでは、私はこれで御前を失礼いたします」

 

 100年続くアインズ当番──昨日の当番が、部屋の隅の椅子から立ち上がる。

 申し送りの後に今日の担当メイドと交代に入るというホムンクルスの少女に対し、支配者らしい威厳に溢れる態度で頷きつつ、この100年ですっかり慣れた調子でアインズは一般メイドたちの存在を受け入れていた。人間慣れればなんとでもなる……今はアンデッドだが。

 

「さて」

 

 対応を協議すべく、すでに準備は万端整えている。守護者たちNPCの召集は予定通り。とりあえず現段階で情報を共有すべき人員……ナザリックのシモベや子供らの他に、ツアーや、一部信頼が置ける領域守護者などにも、新たなユグドラシルの存在の発見情報については共有できている。

 

「……」

 

 ふと、アインズはメイドが入れ替わるタイミングで、ひとつのアイテムを取り出す。

 それは、一等冒険者“黒白”のモモンが、常に携帯する連絡用の端末であった。

 水晶の板状の画面──魔導国内で試験流通中の、ゴーレム端末を操作する。

 彼に、100年後に現れたプレイヤーたる堕天使に、このゴーレム端末の番号を教えていた。彼と個人的な交流を結び、飛竜騎兵の里を救った際に交わした、あの時に。魔導国において一等と位置付けられる冒険者と、簡単に連絡がつくように。「何かあれば、気軽に連絡を」と言って。

 だが、

 

「連絡は、……なし」

 

 ついでに、モモン・ザ・ダークウォリヤー個人への、アインズへの〈伝言(メッセージ)〉も、ない。

 当然と言えば、当然。

 カワウソは、自らが称するところの『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』だ。

 である以上、魔導国に属する一等冒険者に、助力や援護を求めるはずがない。冒険者は国家の枠組みを超えた存在ではなく、100年前の建国期に、完全にアインズ・ウール・ゴウン魔導国の庇護環境へと帰属した公共機構に与する存在。国内唯一の一等冒険者とはいえ、国家の敵を名乗る(カワウソ)が助勢を頼むようなことは、ありえない。

 

(もしくは、モモンの正体に感づいて……)

 

 彼ならば、あるいは解答に至るかも知れない。アインズが何かのはずみでやらかしている可能性もなくはないのだ。

 しかし、もし──もしもカワウソが、モモンという現地で知り合った男を頼ってきてくれれば──そう思ってしまいながら、連絡履歴を眺めたのだが。

 

「彼と話すことは、もう、できないかもな」

 

 その時が、来ることは、もうないのかもしれない。

 アインズは、100年後に現れたユグドラシルの存在を警戒するために、必要な措置として、自分の正体を隠し通した。

 それが間違いだったとは思えない。

 あの時点では、カワウソ個人の人格や性質は不透明で、何より、アインズ・ウール・ゴウンという存在は、ユグドラシルで“悪名”を轟かせた存在だ。そんな存在が、率先して現れたプレイヤーに近づけば、相手は当然のごとく危険を感じるだろう。場合によっては、即時戦闘なんて事態に発展したやも知れない。

 

 厳密な加入条件を守ることで有名な、異形種プレイヤーの社会人ギルド。

 最高ランキング第9位。世界級(ワールド)アイテム保有数は、桁違いの11個。

 あの1500人を撃退し全滅させた、伝説の存在。PKやPKKなど、数々の“悪”をなした団体。

 

 それが、アインズたちのユグドラシルにおける情報の、ほとんどすべてだった。

 そんな存在が大手を振って「仲良くしましょー」なんて近寄っていけば、確実に怪しまれる。警戒されるどころの話ではなく、場合によってはいらぬ騒乱をアインズ達が自ら発生させる危険性すら存在した。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに対して遺恨を持つプレイヤーは数知れず(実際、カワウソはその一人であったのだと、遅まきながらに判明)。だからこそ、アインズは事の成り行きを待ちながら、100年後のプレイヤーたる彼が、この異世界に転移した事実を受けいれ、この異世界におけるアインズ・ウール・ゴウンへの警戒を解く猶予が必要だと考えた。

 アインズ・ウール・ゴウンの素晴らしさを伝える優秀なメイド──マルコ・チャンに監視と魔導国の説明を自然と行わせ、彼等の身の安全と、接触する魔導国の臣民を守らせながら、彼等の人物像を詳細に分析する役割を果たせるだろう唯一の存在として、あの娘を遣わしたのだ。そうして、彼の人柄に触れたマルコの報告と監視映像から、アインズはカワウソという名のプレイヤーと、直接言葉を交わしてみたい衝動に駆られた。

 100年という月日を待ったアインズにとって、あのゲーム(ユグドラシル)を共にプレイした存在と、懐かしい話でもしてみたかった。

 そして、できれば、アインズ達の計画に協力してくれればと……

 

 だが、カワウソは、アインズ・ウール・ゴウンとの協調・合流──魔導国傘下入りの栄誉を、反故(ほご)にした。

 

 理由は簡潔にして明瞭。

 カワウソは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とやらは、『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』……あろうことか、あの第八階層の“あれら(・・・)”と“少女(ルベド)”に挑む者……だから。

 

「──敵となる以上は、致し方ない」

 

 自らに湧く未練を断ち切るように、モモンの端末をローブの内に仕舞う。

 ちょうど良いタイミングで、交代のメイドが扉を叩いた。

 アインズは、仲間たちと築き上げたナザリック地下大墳墓を護るべく、行動を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




仲間との思い出に いつまでも攻め苛まれ続けているカワウソ
仲間との思い出に どこまでも満たされ続けているアインズ


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