オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
/OVERLORD & Fallen Angel …vol.07
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「お待ちしておりました、アインズ様」
主人の到来を待ちわびていた忠実なるシモベ達──その代表として、漆黒の女悪魔が臣下の礼をもって迎え入れる。
ここはナザリックの最奥。第九階層の一角に存在する会議室内に、魔導国の中枢に携わるシモベたちが集っていた。
第一・第二・第三階層守護者、「大元帥」“主王妃”シャルティア・ブラッドフォールン。
第六階層守護者、「大総監」“陽王妃”アウラ・ベラ・フィオーラ。
第六階層守護者、「大導師」“月王妃”マーレ・ベロ・フィオーレ。
他にも、第五階層守護者、「大将軍」コキュートス。第七階層守護者、「大参謀」デミウルゴス。第九階層防衛要員たる
他にも第九階層の一般メイド部隊の長たるペストーニャ・S・ワンコや、アインズ・ウール・ゴウンその人の“三助”である三吉。デミウルゴスの配下たる魔将たちに、コキュートスの麾下にある蟲の近衛兵団など。
さらに、ここにいる者たちの家族──ナザリック地下大墳墓の新しいシモベとして生み育んできた混血種たちが、ほぼ一同に会していた。
セバスとツアレの娘、白金の髪のメイド──マルコ・チャン。コキュートスと雪女郎たちの子供たち、蟲と人の形が見事に融合したアイスブルーの男女──カイナ、アンテノラ、トロメア、ジュデッカ、ルチ、フェル。デミウルゴスと紅蓮の娘、溶岩流のごとき髪を絶えず流出する炎獄の乙女──火蓮。そして、
他にも種々様々……魔将たちの子供らや、アインズの生み出した
そして、魔導王の──アインズ・ウール・ゴウンの子供三人の内の一人。
言わずと知れた魔導国第一王太子──骸骨と女淫魔の混血種──ユウゴ。
彼等“ナザリックの子供たち”も後学のために、そして、有事の際には連中との戦闘もありえるとして、その対抗策を協議する場に招かれたのだ。テーブルから離れた壁際に設けられた椅子に座して、父母たちの会議の様子を見学する形である。
「うむ」
室内の光景に頷いたアインズは、会議室内に設けられた上座──企業の上役が鎮座して当然の位置にある席に歩み寄り、どの席よりも重厚感のある黒革のそれに骨の全身を預ける。
会議の準備を万端整えたアルベド。女悪魔の玲瓏な声音が、場の空気に冷水が打たれたかのごとく、一同の意識を引き締めてみせる。
「では、これより──昨日20時に一時中断しておりました──この異世界に転移してきたユグドラシルの存在、100年後の我らが魔導国内に迷い込んだ不穏分子たち……自称“アインズ・ウール・ゴウンの敵”と名乗る連中……ギルド:
特に、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”という部分が、まるで極寒の息吹のごとく聴く者の耳を凍てつかせ、獄炎のごとき憤怒の思考を滾らせた。
昨日も夜まで(アインズが設けた就労可能時間いっぱいまで)さんざん議論された会合内容であるが、そうするだけの問題であることは、異論を差し挟む余地のない事実である。
「ここで、少しばかりおさらいを。
──ほぼ24時間前。昨日未明の早朝に、ソリュシャン率いる特務部隊とシズ率いる新鉱床掘削
水晶の大画面に映りこむは、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”の姿。
デミウルゴスの簡潔明快な情報総覧によって、連中のNPCのうち、五体までがLv.100と思しき証拠が顕示される。ソリュシャンを同職の
さらに、カワウソの副官のごとく常に傍近くに
「以上のように、推定されているだけでもLv.100という最高位クラスの能力を備えたNPCが複数体、存在を確認されております。……あまり考えにくいことではありますが、これは連中の他のNPCについても、同様な数値が割り振られている可能性を想起せずにはいられません」
ただの
そして、現在までの監視で、天使ギルド……
とするならば、
「連中の保有する12体のNPCは、そのすべてが、Lv.100という線が濃厚でしょうね」
デミウルゴスの意見に、アルベドは肯定の首肯をおとす。
カワウソというユグドラシルプレイヤーを守護するように寄り添う姿。スレイン平野を数十メートルほど掘り返したり、重装備で疾駆する姿などから、かなりの高レベル帯と予測されていた敵NPCたちのなかで、すでに5~7体ほどがLv.100であることが確定・推測されている。
カワウソの副官のごとき金色の女熾天使・ミカ。
銀髪褐色の聖女にして精神系魔法の妙手・ガブ。
樹木製
そして、戦闘メイドたちが率いる特務部隊と交戦した、
「さらに、魔法都市に召集され、死の天使や花の動像と共に、別の都市調査に赴いていた天使」
冒険都市へ釣り餌のごとく来訪した銀髪の牧人・ラファ。
奴があまりにも正々堂々と冒険都市へと向かったが故に、イズラとナタは彼の
「そしてさらに、スレイン平野監視任務を並行していたニグレドの気配に気づきかけた、天使」
敵拠点の出入り口に交代で駐屯する際に、ナザリック最高の監視者に気づきかけた赤子の天使・クピド。ニグレドたちが驚愕する挙動を見せたことで、ナザリックの最高の監視者に過大な危惧を負わせた赤ん坊姿の天使は、最高位の転移魔法の使い手でもあるらしい挙動から、やはりLv.100であると推測される。
実際に対峙した者たちの感得や、それなりに疑わしい例を含めると、どれも最高レベルである100あたりが妥当なはず。中途半端なレベル数値では不可能なはずの芸当や能力を発揮できている以上、天使の澱の中で精力的に活動しているNPCたちの力量は極めて高いと予想して然るべき。
水晶の画面に掲示添付される写真の下に書き込まれる、Lv.100という数値。
それが十二体──概算して、合計1200レベル。
そうして推定された拠点レベルや、転移の鏡を通じて出入りするタイプの拠点に該当するだろう候補を、ナザリックの図書館……
「拠点名は、おそらく、ヨルムンガンド
拠点レベルは通常1350。
最大3000レベルが存在するユグドラシルのギルドダンジョン内では中級程度の拠点とされ、外観は地下空間の大空洞……大蛇の脱殻の中に建造された城砦という、地下潜伏型のダンジョンとなります」
出入りするには、転移の鏡を通らなければならないという特徴と合致しつつ、現在までに確認されている天使の数──Lv.100NPCの総量が12体──合計レベル数値を考えれば、このあたりが妥当なはず。
「情報を見る限り、ナザリックと比べるのも
シャルティアの嘲弄に、ほぼすべての守護者とシモベが頷きを示した。
ゲームでの、拠点レベル最大上限は3000。
ナザリック地下大墳墓は、アインズたち至高の御方々の巧みな攻略によってボーナス数値が加算されたレベルは2750という、上限近くにまで数値を上昇された拠点だ。栄えあるナザリックの表層を飾る墳墓は、見る者によっては芸術の域にあるのに対し、あの天使連中は表層に粗末な鏡を置くのがせいぜいというありさま。これではナザリックのNPCたちに見下すなという方が無理な話である。
「1350が最低ラインなら、あの十二体の他にも100レベルがいるのかな?」
「その可能性はあり得ますね、アウラ。我等がナザリックの例ですと、宝物殿の領域守護者たるパンドラズ・アクターの他に、
「ダガ、ソウスルト残リ50レベルハ──アノ四足獣ノ四体カ?」
アウラの疑問に答えるデミウルゴスへ、コキュートスがさらに疑問をぶつける。
「いえ、どうでしょう。ニグレドの監視網は優秀ですが、レベル数値を精密に探査する魔法は完全な攻撃と分類されるやもしれぬ状況。これでは、迂闊に計測することも出来ませんので」
「えと、あ、あの、デミウルゴスさん」
「どうしました、マーレ?」
「あの、どうして、あの人たちは、すぐに動かないのでしょう? 敵になるって、宣戦、布告? したなら、すぐに攻めてきても、いいんじゃ?」
「おそらくですが、向こうも機をはかっているのではないでしょうかね? 我等ナザリック地下大墳墓は難攻不落。あの1500人──外の存在すべてを完全に跳ね除けた偉大なる御方々の居城を攻めるための努力を続けているのでしょう」
「無駄な抵抗を」と小さな侮蔑を吐いて、憐れみと共に天使ギルドを嘲弄する参謀の悪魔に対し、女悪魔たる宰相が注意喚起する。
「油断してはいけないわ。デミウルゴス。アインズ様が警戒するユグドラシルプレイヤー……そして、アインズ様の同盟者となった“
「それはそうですが。あの程度の連中──脆弱な堕天使ごときが、我等誇り高きナザリックと伍するというのは、どうにも──」
彼が肩を竦め、抗弁するのも無理はない。
デミウルゴスは、かつての戦いにおいて、彼の守護階層たる第七階層に大挙して現れたプレイヤーに敗北した過去がある。その事実を考えれば、「第八階層への復讐」などと
見渡せば、シャルティア、コキュートス、アウラやマーレも、言及こそしないが、カワウソというプレイヤーへの印象は最悪なほどに落ち込んでいた。誰もがデミウルゴスと同じく、あの討伐隊との戦闘で一度は苦い敗北を経験している以上、冷静になれという方が難しい。
しかし、アインズからの命令であれば、話は別だ。
「アルベドの意見はもっともだ。カワウソという堕天使は、警戒すべき相手。この100年後の魔導国に渡り来た、初のユグドラシルプレイヤーとして、我等ナザリックの、最大限の注意を払うべき存在だろう」
「ハッ! その通りでございます、アインズ様! 浅はかな思考に囚われてしまった事を、このデミウルゴス、深くお詫び申し上げます!」
「よい、デミウルゴス。おまえたち守護者の思い──私には、よく理解できている。だからこそ、冷静にな」
炎獄の造物主たる悪魔は、熱狂的なアインズの支持者として、感涙の雫をこぼしかける。
「では。カワウソの情報について、おさらいしようではないか」
アインズが促すまま、アルベドが新たな情報を画面に投影させていく。
「そして、これが
プレイヤーネームは、カワウソ。
純白の聖剣を握り、漆黒の鎧を身に纏う、醜悪な堕天使。
あの飛竜騎兵の聖地たる地底湖にて、黒竜の群れを消し飛ばした
さらに、アインズからの温情──魔導国“傘下入り”を
そして、ナザリックの最高支配者が創造した、現地の稀少な触媒を用いて永続性を備えさせた上位アンデッド……
「──以上です。何か質問は?」
アルベドの怒気を孕む氷の冷笑に、シャルティアも同じ面持ちで問いを投げた。
「カワウソなる堕天使以外の、ユグドラシルプレイヤーは確認できないでありんしょうかえ?」
「奴の言動を信じるならば、あの天使ギルドの主人は、カワウソただ一人だけ。そして、各都市の監視網やアンデッド警邏部隊からは、他のプレイヤーなどの気配や痕跡など、それらしい報告はあがっていないわ」
それこそ。
街角で強力な力を振るう未知の存在がいたとか、あるいは何らかの異変異常と出くわした臣民の噂とか、そういった情報を収集するためにも、この魔導国──大陸全土はナザリックの完全管理下に置かれて久しい。ツアーが統治する信託統治領にしても、彼の協力によってアンデッドの監視要員はそれなりの数が送られている。他の都市に潜伏しているような隠密モンスター、影の悪魔などの存在は駐屯できていないが、竜王であるツアーの知覚力であれば、大抵の現象と事象は把握できるという。彼との信頼関係を早期に構築したアインズの手腕によって、この異世界でも有数の強力な力を誇る竜王らを味方につけられた事実が、確実に100年周期で訪れるユグドラシルからの来訪者を追い込むことができるだろう。
「また、あの拠点から外に出る個体の中に、カワウソ以外のプレイヤーは確認できていない──確定とまではいかないにしても、この近辺、ナザリック地下大墳墓を中心とする首都圏内には、奴以外のユグドラシルプレイヤーはいないものと思われるわ」
「んじゃあ、さっさとアイツらをブチ殺しに行く?」
「お、お姉ちゃん。アインズ様は油断しちゃダメって」
「ソウダゾ、アウラ。連中ガ何カシラノ
「叶うことならば、連中を我々に都合の良い戦場へ駆り立てたいところですね。天使共であれば、我等ナザリックの上層階──シャルティアやコキュートスの守護階層で、確実に殲滅できるものですから」
「それはありえんことでありんしょう、デミウルゴス?」
最上位悪魔は頷いた。
栄光あるナザリック地下大墳墓に外の存在が土足で入り込み踏み荒らすような事態を、ナザリックに属するシモベたちの筆頭・階層守護者が許可するはずがない。
「奴等は、あの禁断の領域──スレイン平野で蹂躙するのが一番でありんすえ?」
「そうそう! アインズ様がずっとあれに監視させていた封印領域を、あいつらが好き勝手にのさばるなんてさ! いくら転移場所を選べないにしても、不遜すぎるでしょ!」
「確かに。アウラ様のおっしゃる通り、あの領域は魔導国臣民にしても絶対不可侵が言い渡されております。執事の身で、このようなことを言うのもアレですが……アインズ様の御慈悲を無碍にする輩を放置しておくことは──」
「フム。トスルト、奴等トノ戦イハ、ヤハリ予定通リニ、スレイン平野ニ全軍ヲ送リ込ム必要ガアルカ?」
「えと、ぼ、僕の魔法も、ひ、必要、でしょうか?」
「無論だとも、マーレ。奴ら天使共を陸と空から蹂躙し、逃げ出そうと出てきたところを殲滅するのは、君の広域魔法ならば容易だろうからね?」
期待を込めて連中の殲滅作戦計画を練り出す守護者たちに対し、
「皆、冷静に──アインズ様の決定が、まだなされていないわ」
畏れ多いことだと理解し、
「よい。おまえたちの行動と思考は、すべて我が身の安全とナザリックの守護を期してのこと──優しいおまえたちを叱るような愚を、どうか私にさせてくれるなよ?」
すっかり板についた上位者の忠告に、忠勤の徒たるシモベたちが一様に感動の熱を覚えた。
アインズは、すべての情報を総合して、自分自身の意思を表明する。
「──彼等の、というより、カワウソの最終意思確認を、行いたい」
誰もが顔を
敵となる以上は仕方がない。
だとしても、今一度だけ確認する機会をもうけたい。
奴が……彼が……堕天使のプレイヤー・カワウソが、真実、戦いを求めるのか、否かを。
「それは、何故でありんしょう?」
他のシモベや混血種の子供らの疑問を総括するように、シャルティアは当然のごとく問い質す。
愛する妃の一人となった吸血鬼の戦乙女に、アインズはまっすぐ告げる。
「彼は確かに、我等ナザリックの、自称“アインズ・ウール・ゴウンの敵”……だが、彼のおかげで、我が魔導国の
彼がいなければ、おそらく確実に、アインズが直接あの領地を訪れることもなく、またマルコがヴェルたちを救命することもありえなかった。
彼が、カワウソが転移してくれたからこそ、あの領地で
さらに言えば。
彼が、カワウソが、アインズがはじめて、この異世界で交流し、会話すらした──初めてのユグドラシルプレイヤーであることも、多大な影響を及ぼしている。そう自覚できるほどに、アインズは彼の救命手段を模索してしまう。アインズもまたユグドラシルプレイヤーだった──人間だった時の“思考”が、そのような配慮を魔導王たる己に強要する。
敵となる以上は、油断も躊躇もしない。
だが、彼が本当に、心からアインズ・ウール・ゴウンの敵となるのか──その確認を、ひとまず行いたい。
彼は、自分のNPC──イズラとナタの不始末の責任を取るために、そのような強硬策に及んだ可能性も、なくはないだろう。
本当は、彼に敵対する意思などまったくなく、ただ、悪化する状況に対するケジメとして、あのような蛮言に至った可能性も捨てきれない。
そうであってほしい。
そうでなくては、おかしい。
あのユグドラシルで、カワウソが本当に、アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を──真実、第八階層への復讐に焦がれていたのか──その確証を、アインズはどうしても取りたかった。ユグドラシルの黎明と共に、ナザリック地下大墳墓へと挑戦する郎党はほぼ0となり、過疎が進んでいたあのゲームで、彼が本当に“復讐”を続けていたという確信が、欲しかった。
だが、状況は最悪。
もはやナザリック側から使者を送り出しても、彼のギルドには届かない可能性もありえる。
送り出した先で、アインズのシモベが惨殺されることも視野に入れておくべき。
彼の意志とは別に、彼の率いるNPCに暴走されてはたまらない。
だからこそ、アインズはカワウソから“モモン”への連絡を待ったが──結果は、なしのつぶて。
「アインズ様の御決定であれば、異論反論はございませんが」
そう告げるアルベドですら、あの堕天使プレイヤーに対する心象は壊滅的な状態。それでも、アインズが求め欲することこそが第一に優先される。
そんな中で、彼等の功績を認めるのも
「まぁ。連中のおかげで、あの飛竜騎兵の領地で撒いていた種も、より良い実りを結んでいたことが判明し、さらには私が隠密裏に、貴重な“若返り”の
デミウルゴスが、カワウソの最大にして唯一的な功績を、その恩恵を述べ立てる。
彼が入手したサンプルの罪人は、時間魔法や
愚かにも、「アインズ・ウール・ゴウンの上」に立てると乱心した馬鹿の末路に相応しい検体と関連して、アインズはひとつ確かめておきたいことがあった。
「デミウルゴス。“寿命問題”の、解決の
「……誠に申し訳ございません。我らの総力を結集し、今現在も奮励努力の限りを尽くして事にあたっている状況でございますが、今は、乏しい成果ばかりを奏上するほかなく……平に、御容赦を」
「何を言う。おまえたちはすでに十分以上に、よく働いてくれている。──今後とも、励めよ?」
涙に潤む宝石の眼を、デミウルゴスは指の先で押さえずにはいられない。
──本当なら、「そんなに気をはるな」とか「たまにはゆっくり休め」とか、なるべくホワイトな感じのことを言いたいところなのだが、彼等NPCには、もっと働いていたいという欲求が根深く存在している。逆に、はっきり「休め」なんて言ったら、『まさか、自分は不要なのだろうか?』と心配するありさまなので、「励め」くらいの言葉をかけた方がよいと、この100年の間でいい加減に学んでいた。
そんなアインズの僅かな挙措から何かを感じたのか、アルベドが男の瞳をのぞき込む。
「アインズ様、ニニャの方は?」
この異世界で勝ち得た、無二の同胞ともなりえし魔王妃の容体を、最王妃は心配してくれているのだ。
「うん。──オーレオールが
努めて明るい声で告げるアインズの様子に、守護者たちは一様に頷きを返した。
「ニニャのためにも、そして、人間種の我がシモベや貴重な臣民の寿命問題のためにも、“若返り”という事象は非常に有用なものだ」
当然、ここにいる
「そのために、新たに発見された“若返り”の実証個体──その発見の
アインズは唸る。
カワウソが、あの地で大逆を働かんとしていた
無論、ナザリックでも同様に黒い暴走竜の調査研究は進められていたが、何しろ調査員が多くなり、煩雑な手続きを介することも増えた組織としての鈍さが、一歩の遅れを生みだした──以上に、彼のギルドには優秀な鑑定と調査を行えるNPCが蔵されているものと、冷静に推測して然るべきところだろう。いかにナザリックのNPCといえども、万能とは言い切れない。
それこそ、Lv.100の純粋なサポート特化……鑑定系職業に全フリしたLv.100NPCでもいれば、いかに数で勝るナザリックでも油断はならないという実証例となりえた。
アインズは、そんな天使ギルドの一員と、会敵し会戦したシモベの一人を呼ぶ。
「ソリュシャン」
謹直そうな答礼と共に、金髪ロールヘアのメイドが直立する。
「申し訳ありません、アインズ様」言うが早いか、ソリュシャンは膝を屈し、自分が率いた部隊が巻き起こした係争の件を、心の底から謝罪する。隣に座る妹、シズもならうように席を立って跪いた。「この度は、
アインズは静かに手を振るだけで、ソリュシャンの怒濤のごとき後悔をせきとめてしまう。
「よい。昨日も言ったことだが、今回の件は、私にも落ち度がある」
連中の調査員の行動範囲を読み違えた。カワウソが魔法都市に呼び寄せた三名のNPCは、全員が冒険都市に派遣されたものと誤認してしまった。冒険都市に派遣されたラファを隠密裏に護衛・調査協力員として
アインズの落ち度は他にもある。
それこそ。極論してしまえば、ナザリックの全てのシモベ……仲間たちが残してくれたNPCに与えた外での全業務を停止させ、自室待機の主命を送りさえすれば、連中と交戦するような危難を被ることはなかったのだ。それをしなかったのは、ひとえに主人であるアインズの判断の甘さ。大事な社員に嵐の中を出勤させて、むざむざと事故らせる経営者のダメさに他ならないはず。
アインズに如何なる落ち度があるものかと抗弁する妃や守護者たちを、ナザリックの最高支配者は慣れた調子で
「無論。連中が勝手に魔導国の都市深部に侵入していた事実は、断じて許し難い。だが、彼等の行いは、我々もかつて人間の国に行ったのと、それほど遜色のないレベルの調査だ。彼等を断罪しようものなら、我々もまた、甘んじて断罪を受け入れるほかあるまい」
断罪すべき国も人物もほぼ死に絶えている状況ではあるが、アインズの意見は公平そのものに聴こえる。
自らの敵に対しても、ここまで寛容になれる主の懐の深さに、シモベたち全てが心服したような息を吐く。
「それに、彼等は私の大事なおまえたちを、ナザリック地下大墳墓のシモベたち……仲間たちの子であるソリュシャンやシズを害することなく撤収してくれている」
結果的に、ではあるが。
いずれにせよアインズにとって、彼等は未だ交渉の余地のある領域を徘徊してくれている。ソリュシャンもシズも、重篤なダメージを負うどころか、傷ひとつ付いていない。相手の推定レベルが100であることを考えれば、それはもはや奇跡の戦果と言っても差し支えないだろう。
彼女たちの盾となって散ったPOPモンスターの類は、金貨の消費で替えが利く程度の存在だ。100年の蓄財を終えているアインズにとっては、まるで痛くない出費である。もちろん、死の天使や花の動像が本気で殺そうと手をかけた事実は拭い難い蛮行であるが、それでも、敵が異世界に転移して数日ばかりの状況を思えば、少しくらい慈悲をかけてもいいはず。
──もしも、二人が少しでも手傷を負い、まかり間違って死滅する運命をたどっていれば、話はまったく完全に違っただろうが。
「二人とも、我が傍へ」
主人に命じられるまま、二人は会議室の議長席に座す
「おまえたちが無事に帰還を果たしたこと──敵のLv.100NPCに勇戦したこと──私は、心から誇りに思うぞ。ソリュシャン・イプシロン、シズ・デルタ──」
抱き寄せるように肩を触れる骨の掌は、いかなる熱も持たない。だが、戦闘メイドの二人は、そこにまぎれもない親愛の熱気を感じざるを得なかった。
「私の為に、よく戦い、生き残ってくれた──ありがとう」
触れてくれる掌に“触れ返す”という不遜を、彼女たちは行わない。
主人の命に従い、戦い、護る──そのための
「我等の方こそ感謝いたします、アインズ様!」
「…………ありがとう、ございます」
ただ、全身を、心を、魂を震わせるほどの歓喜に浴する、
そんな主人とシモベのあり様に感動を禁じ得ない者たち──守護者たちや混血種のシモベ、戦闘メイドの姉妹たちが、主君への尊崇をより一層深めていく。
(そんなにかしこまらなくてもいいと思うけどな)
恥ずかし気に頬骨を掻くアインズは、会議の主幹となる情報を、生き残ったメイドの一人に求めた。
「では、ソリュシャン。おまえと三吉くんが自主的に行ってくれた、堕天使の戦闘監視。その映像を、ここへ」
無論、アインズは昨日、ナザリックに戻った時点で、ソリュシャンからの
ソリュシャンは、アインズの求めに心から応じる。
「は、はい──で、ですが」
「どうした?」
「申し訳ありません、アインズ様。言い訳になることは重々承知しておりますが、あの時、あの天使共の戦闘を観察する上で、私共は“眼”をひとつしか向けられず、
「よいのだ」
昨日、ソリュシャンたちが救援されナザリックに戻った直後と同じ遣り取り──多大な迷惑と心痛を与えてしまったことへの謝辞に対して、アインズは真の父のような
「大丈夫だとも、ソリュシャン。むしろ、あの状況でおまえたちが残ってくれた──戦闘者としての職務を全うすべく働いてくれただけでも、私は誇らしい。さすがは、ヘロヘロさんが生み出したNPCだ。おまえのおかげで、我々は未知の敵の情報を、断片的にとはいえ手中に出来る機会を得られたのだぞ? これを褒めないでどうしろという?」
それこそ。
何の情報もなしにカワウソとの戦闘に臨んで、彼の隠し玉たる能力やアイテムを知らず交戦するよりも、ずっとマシな戦術や戦略を練ることができるというもの。
「昨日、帰還直後にも言ったことだが。三吉くん共々、よくやってくれた。やはり、おまえに特務部隊を率いさせて良かったと、心の底から思っているのだぞ。私は」
「ああ……ああ、アインズ様っ!」
「そして、シズも。鉱床内の臣民に対する迅速な避難誘導指示と、確保した新鉱石の緊急搬出。そして、
「…………、アインズ、さま」
至高の御身に頭を撫でられ、微笑みと共に賞賛される栄誉に、二人のメイドは至福の海に溺れるがごとく、更なる歓喜の悲鳴をあげかける。見渡せば、戦闘メイドの姉妹たちも感動の熱い息を口々に零し、守護者やシモベ達までもが感激の極みにのぼっていた。
「では、見せてくれ、ソリュシャン。
おまえを愚かにも害そうとした、死の天使の無様を。
そして、その“ただ一人の主人”という、堕天使の戦いぶりを」
「はい! アインズ様!」
とめようのない感涙を何とか押しとどめて、ソリュシャンは凛とした微笑みと共に、迷うことなく己の涙に濡れる左目を水音と共に摘出する。
勿論、
ソリュシャンは、その眼球から伸びる粘体の糸を、会議室に備え付けの
誰もが食い入るように、映写される影を見つめる。
強力な女熾天使を引き連れ、イズラを救命した黒い男の口上。宣戦布告も同然な愚言を弄する、ユグドラシルプレイヤーの姿。
映像の中の堕天使──カワウソが、傲然と述べた。
《まったく。
よくも、やってくれたな?》
彼は、彼のNPCである
酷く醜い黒々とした相貌が、笑みの形でさらに歪む。
ローアングル……床面を這うスライムの眼球からの映像が、転移魔法によって渡り来た堕天使を、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”と自称したプレイヤーを、遠い視野の中に収めていた。
直後、命じられた
これは連中の致命的なミスであるが、さすがに
そうして、はじまった戦闘は、圧倒的に天使共の独壇場と化した。
信仰系魔法や神聖属性を有する
だが、ソリュシャンの言う通り、この戦闘はなかなか見ごたえがあるとは言い難い。何しろ、ソリュシャンの監視の目は、自走能力こそあるが、これほどの戦闘状況下で高速移動することは
おまけに、被写体となるカワウソの速度は、室内を縦横無尽に跳ねて飛び回る速度。
しかし、音声だけは確実に拾えているだけでもよしとすべきだろう。
聞こえるカワウソの声が、冷徹に響く。
《時間対策は必須──そんなことも、おまえたちの主人は教えていないのか?
昨日と同じタイミングで、アルベドとシャルティアが、ギチリと、音がするほどに顔色を変える。わかりやすい挑発だが、シモベたちにとってはたまらなく不愉快極まるのだろう。だからこそ時間王は拙速かつ短慮な攻撃を犯した。
他の守護者たちにしても、あまりにも不遜極まる堕天使の言い分に言いようのない感情を覚えて気を吐くのを、アインズが一声「静まれ」と告げただけで、場の空気は冷却される。
彼は、純粋な疑問を口にしただけ。
そこに、侮辱の気配がないことは明白。
だが、映像の中で彼と直接相対していた時間王は、我慢ならない様子で反撃の時間魔法を唱え──そして、討たれた。
「時間対策の様子から見ても、彼の強さはLv.100で間違いないな──だが、三重の強化にも対応可能か」
時間対策はユグドラシルにおいて、Lv.70以上の戦闘で必須とされる。彼は間違いなく、それ以上のレベルを保有するプレイヤー……上位アンデッド・
瞬きの内に、
どちらも強力な上位アンデッド──アインズと同一の種族であり、そのモンスターレベルは80以上。賢者については90以上にもなる。そんな不死者の生み出した強力な軍団を前に
「どうやら、この二人……アンデッド対策は万全なようだな」
カワウソの見えない剣尖によって、
堕天使の首飾りと足甲が異様なほど黒い輝きに染まる様は、ただのエフェクト演出というよりも、アンデッドへの対抗能力の発現を意味すると思考できる。でなければ、堕天使という脆弱なステータスのプレイヤーが、強力な戦士の力を有する──ある程度の剣の腕を誇る
速度に超特化した性能のアイテムと、さらには負の属性に対する特効。
堕天使の基本的な
カワウソの能力は、そこに比重が置かれているものと判断して、よい。
アインズが真正面から戦うのは危険か。──だが、
《さぁ。最後の“実験”と行こうか?》
《許し?》
許しなど不要と
首を直角に傾ぎ、壊れた人形か機械のごとく、“許し”という一言を紡ぎ続ける。
数瞬の後、アンデッドの
映像の死角──室内の一角で、何かが発光したようにも見えるが、詳細は不明。
堕天使はテキストデータだと『狂信者』というレッテルを張られた
それ故に、あるいはアインズがアンデッドの“精神安定化”を有するように、
(だとしても、飛竜騎兵の領地で話した彼は、そこまで
マルコとの遣り取りにしても、彼がここまで
これと似たような状態を挙げるとすれば、アインズの知る限りひとつしかない。
(あの大逆人……元長老をやった時)
あの時もそうだった。あの領地で、彼は言っていた。
アインズは、そんな彼を、モモンの姿で、見届けた。
『……許し?
──許して、だと?』
アア、そんなことを心配する必要はない、と。
堕天使は、許しを請う元長老……その両膝を一撃で破砕し、無様にも地を這わせた後とは思えぬ澄んだ音色で、克明に、鮮明に、告げた。
『俺は、とっくに許している。
とっっっくの昔に、……許しているとも──裏切り者のことなんて』
ケタケタと黒く
彼の部下たるミカと、彼が救った乙女が止めに入らなければ、間違いなくその場で元長老を断罪し惨殺していただろう、狂乱。
壊すのが、潰すのが、
(やはり、カワウソも異形種であるが故に、精神の変容が──)
そう思わなければ説明がつかないほどの狂いっぷりである。
アインズが、この異世界でアンデッドと化し、人間を殺すことに対する忌避感や罪悪感を懐かなくなったのと同じように、彼もまた人間でなくなった肉体に、心が多大な影響を被っている可能性を想起される。
だからこそ、彼が堕天使の狂気のあまり、望まぬ戦いに身を投じている可能性は、十分にあり得るはず。
「……許し、か」
それが、彼にとってどれほどの意味を持つ言葉なのか、アインズにはまだわからない。わからないが、警戒はしておくべきだと納得して、映像の続きに専念する。
そして、最後に。
昨日も見た動画内のカワウソは、最大最上級の情報をもらしてくれた。
《頭の“×印”──『烙印』が消えていても、“
「……×印」
堕天使の呟いた言葉が、アインズには引っかかった。映像を止めさせて、一旦記憶の整理に努める。
カワウソの外見をあらためて眺めるが、その頭上には赤黒い円環が浮かんでいるだけで、やはりアインズが知る『烙印』は存在しない。
異世界に転移したことで×印はなくなった──そんなところだと推測できる。
「アインズ様、
NPCには理解不能な単語だったために、シャルティアがおずおずと疑問する。
アインズは、昨日の時点では確信がなかったが、一日を情報の再確認──ユグドラシル時代の資料を総ざらいして、ひとつの結論に至っている。
「×印の……烙印とは、──おそらく『敗者の烙印』のこと、だな」
「敗者の、烙印?」
「アインズ様、それは一体?」
アルベドやデミウルゴスを含むすべてのシモベ達が怪訝そうに訊ねた。
「おまえたちが知らないのも無理はない」
自分たちの無知を失態と認識するシモベたちが不安を覚える前に、その芽を摘み取っておく。
敗者の烙印とは。
ギルドで製造されるギルドの象徴たりえる強力なデータを込められる武器・ギルド武器を破壊され、ギルド崩壊を経験したプレイヤーの頭上に現れるエフェクトの一種だ。これはゲームシステムの、
敗者の烙印を戴いたプレイヤーには、ゲームをプレイする上で、システム的にこれといった不利を被ることはない。
だが、問題はこれが、“これ以上ないほどの屈辱”をもたらすという点に尽きる。
烙印とは、自分たちのギルドを護り切れなかった落伍者の証明──文字通りの『敗者』であることを周囲の全プレイヤーに顕示する「屈辱の証」であるため、そんなものを頭上に戴くプレイヤーは、たいていは笑い者にされるのが普通だ。
そのため、敗者の烙印を掲げたプレイヤーというのは、あまり表立って行動することはない──というか、たいがいは烙印を除去するために、ギルドメンバー全員でギルドを再結成するか、それが無理そうならキャラクターアカウントを一度削除して、新しいアカウントを登録するのが主流を占める。
そうしなければならない理由がある。
敗者の烙印を浮かべたまま、大量のユーザーが行き交う街や都市などを闊歩するなど、嘲弄の的になりにいくようなもの。通りがかりのプレイヤーに後ろ指をさされ、嫌な顔をされることもしばしば。酷い時は、からかい目的のPK集団が標的として追うなんて自体も頻発したと聞く。
「自分たちのギルドを護れなかった存在」
「ギルドの再建・再結成を果たせなかった軟弱」
「強力無比なはずのギルド武器を、あえなく破壊されるという無様を晒した敗北者」
──それが、『敗者の烙印』を戴くプレイヤーへの総合評価として認知されたのだ。
この烙印を完全除去するための手段が、「崩壊したギルドのメンバー全員でのギルド再結成」か、あるいは「キャラアカウントの完全削除」以外にありえない以上、烙印を押されたままゲームを続けるのは苦行でしかない。
ゲームシステムとしては何の不利益もない──ステータスやレアドロップ率が下がるとか、エンカウントやヘイト率が上がるとか、そういったものはまったく存在しないのだが、ゲームをプレイするプレイヤー同士の間では、烙印を抱えたままゲームをプレイするのは困難な傾向にあった。
「いいや、まさか、な」
それら事実を思い起こすアインズは、しかし、「そういうプレイヤーだったのだろう」という可能性を捨てきれない。ギルドの再結成が不可能だとしても、キャラアカウントを削除するという手法に頼りさえすれば──アイテムや金貨などの、それまで入手したゲームデータの類は悉く破棄する流れになるが──『烙印』を消すことは容易。わざわざ不名誉な証をデカデカと掲げ続ける必要は何処にもない筈。
はずだが、カワウソがこの状況下で、
「……『敗者の烙印』は、確か、『それを保持している状態でないと取得できないクラスがある』という噂があったはずだが……」
烙印については、アインズは噂の端にしか聞いたことのない未確定情報だ。
昨日、確認したユグドラシルの資料にも、それらしい記述はない。何しろ、烙印を押されたままゲームを続ける変わり者など、そう多くはない──というか、ほとんどいなかったといえる。だからこそ、街行く敗北者の姿は悪目立ちするというもの。いったい、どんな思いでそんな
ユグドラシルにおいて確定された情報というのは、ユグドラシルを愛好するゲーマー、運営の推奨する「冒険」を成し遂げるプレイヤー、未知を探求するプレイスタイルを至上目的とした探索ギルドの最筆頭“ワールド・サーチャーズ”などが調査検証を重ねて判明した内容が多い。
九つある広大なワールド。千単位の多種多様な魔法や
(あるいは、彼が、カワウソが『敗者の烙印』の情報を流した?)
彼個人で流したものでないとしても、彼と交流を持った他のプレイヤーが、という可能性もありえる。いかにソロプレイヤーでも、獲得した獲物や素材、装備やアイテムの鑑定や換金を行うのに、専門業者となる商業ギルドのプレイヤーなどの援助は不可欠だ。
ユグドラシルにおいて情報は非常に重要な代物。かつて壊滅した“燃え上がる三眼”などのスパイギルドが創立された背景には、そういう情報を少しでも多く早く獲得し、自分たちの利益に繋げようという時勢が存在したがためだ。
「彼もまた、ユグドラシルの未知を解明するためにゲームを──というわけでは、なかったな」
彼の目的は、彼が語るものを信じれば、たったひとつ。
「馬鹿なプレイヤーがいたものだ」
だが、不思議と、悪い気はしない。
アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシルにおいて、“悪”のギルドを標榜し自認していた。当時、アインズたちには、敵の数など正確に数えるのが不可能なほどに存在しており、数々のギルドやプレイヤーが敵対していた。その最たる実例こそが、あの伝説の『1500人全滅』という破格の大侵攻。「ナザリック地下大墳墓を失陥させ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの討伐を」──その謳い文句に踊らされた連中──サーバー始まって以来の大軍、八つのギルドの連合と、その関係ギルドや傭兵プレイヤー・傭兵NPCからなる討伐隊が、ナザリックの第一階層~第七階層を蹂躙し、勢いに乗って第八階層へと乗り込んだ輩が、そこに待ち構えていた“あれら”と“
カワウソも、おそらく、その時の関係者だったのだろう。
でなければ、「第八階層のあれらへの復讐」などという言葉を吐くはずがない。
(そうすると、必然的にカワウソは、あれらやルベドの蹂躙を知っていながら、ナザリックに挑戦を──)
思わず喝采してやりたいほどに、アインズの自尊心がくすぐられる。素晴らしくも馬鹿げた敢闘精神だ。あの討伐部隊全滅以降、ナザリック地下大墳墓を攻略しようという気運は、減退の一途をたどった。「あの第八階層を突破することは不可能」「あれらの蹂躙に抗する手段はない」「あれがチートや違法改造じゃないというなら、どうしようもない」という認識が流布され、そんな場所へ戦いを挑むことは、ゲームのプレイ時間と貴重なアイテムを浪費するだけだと周知されていったのだ。ナザリックに挑むのは、
カワウソは、そんな時代の潮流の中で、曰く『ナザリック地下大墳墓に、ずっと挑戦し続けた』プレイヤーだという。
これは、アインズが嫌う「ナザリック地下大墳墓を侮辱する愚か者」というのとは、違う。
「もしかしたら……」
そう。
もしかしたら。
彼と自分は、あの1500人の討伐隊による大侵攻で、あるいはその後に頻発した小規模な再挑戦組で、会ったことがあるのかも。
「いかがなさいましたか?」
ひとり黙考に耽る主人の様子を、アルベドが心配そうに見つめていた。
「なんでもないさ」と気軽に手を振るアインズは、停止させていた動画を再生させる。
そうして始まったのは、ナザリックへの復讐の
血の赤色に濡れる、ローマ数字の
そうして堕天使は、唯一生き残った
「この
おまけに、不死者たるアンデッドの中でも、吸血鬼系統にしか存在しないはずの“鮮血”──赤い血しぶきというものを、“
血だまりの中に倒れ込む
シャルティアが優雅に磨き上げた己の爪の先を噛み、コキュートスが起こった現象の不可解さに無い眉を
そして、アルベドも──
「落ち着きなさい、皆」
暗く陰っていく表情と声音とは裏腹に、守護者たちへの自制を強く促す。
黒い前髪の奥に輝く金色の瞳を見開き、アインズの御前を汚す無礼を侵しかねない自分を抑え込むように両腕をきつく掴みながら、主人からの言葉を、アルベドは待つ。
「アルベドの言うとおりだ。ひとまず落ち着け、おまえたち」
アインズはどこまでも冷静に、なんでもないことのように言ってのける。
Lv.100NPCの圧倒的な悪感情の微放散が、この場に集う戦闘メイドや子供たちを一様に委縮させていた。
これほどの暴威の顕現を前にしては、Lv.100に満たない
「ですが、アインズ様!」
「よいのだ、シャルティア」
言い募る主王妃の真っ赤な瞳を、アインズはまっすぐに見つめ返す。
「確かに。彼に──カワウソという堕天使に上位アンデッドを討たれ、貴重な触媒を四つも無駄にしてしまったことは、痛手かもしれない──だが」
それにも勝る戦果を、アインズはその掌中に握っている。
「ソリュシャンたちの戦闘記録のおかげで、連中がアンデッドへの対策を万全整えていること、敵の能力や装備……戦力の詳細について、我々は貴重過ぎる情報を手に入れることができた」
無論、彼との協調関係を構築できなかった点は痛切の極みだが、次善策であるユグドラシルプレイヤーの情報収集には、大成功をおさめている。今はこれ以上の成果など望みようがない。
「もしも、我々が事前情報なく、カワウソ達から奇襲攻撃を受けていた場合、この地下動力室の惨劇が、ここにいる誰かの頭上に降り注いでいたかもしれないのだ。それに比べれば、たかだか上位アンデッド四体を失う程度、……何の
どこまでも威厳に溢れ、いつまでも真摯に響く、支配者の声。
アインズの示した通り、もしもナザリックの存在……守護者たちの誰かが、……あるいはアインズ本人が、いたずらに連中へとちょっかいをかけて、カワウソのあの“鮮血”を伴う
彼は、上位アンデッド……
強力な即死耐性を有する
それこそ、奴とアインズがいきなり邂逅・開戦でもしていれば、あの血だまりに浮かんでいたのは、もしくはアインズ自身になっていたかもしれない。
その可能性を思えば、
「けっして油断はするな。そして、ナザリックのシモベ達には申し訳ないことだが、今後は外での公務や政務は、極力おさえさせてもらう」
彼等はアインズへの忠勤の為に、今は広くナザリックの外へ──つまり、魔導国内の治安維持や情報収集、さらなる戦力増強のための国事業務の監視管轄を拝命しているものが多い。
そういった任務を拝命していたが故に、未知の存在との遭遇を果たした戦闘メイド──ソリュシャンとシズが生き残ることができたのは、まさに僥倖の中の僥倖と言える。
そして、彼女たちが生き残ったのは、事前に知らされていた脅威──100年後のユグドラシルの存在が顕現したという情報を共有し把握できていたからこそ。
もしも。
カワウソ達があの完全監視下においた封印領域──スレイン平野に現れていなければ、アインズ・ウール・ゴウンがこれほど早期にユグドラシルの脅威を警戒することは不可能だったはず。ナザリックを第一と信奉し崇拝するシモベたちは、外の存在を忌み嫌い、格下と位置付けて増長する傾向は強く残されている以上、他のユグドラシルの存在に強硬な姿勢と戦闘状況に陥る危険があったはず。
異世界に転移してくるものは、何も100年ごとに、きっちり一人ひとつきりとは、限らない。
ツアーが語る十三英雄──その旗印となった“リーダーたち”や、ミノタウロスの英傑として迎え入れられた“口だけの賢者”などが、その実証例である。
100年の揺り戻し……異世界であるユグドラシルからの
そう。
警戒すべきは、カワウソたち“だけ”とは、限らない。
ほかにも未知の強敵が、カワウソとは関係のない場所でユグドラシルの最終日を終えて、この異世界に来訪していたとしたら?
「
その場にいる全員が、快哉にも近い調子で、それぞれの姿かたちに相応しい答礼を主へと示した。
──その時だった。
「アインズ様!」
会議室の扉番として控えさせていた一般メイドが、緊張に強張った表情で議場に駆けこんできた。
「何事だ?」
彼女は議場に詰めるシモベらへの会釈を忘れずに行いながらも、メイドらしからぬ慌ただしさで、ひとつの端末を握り、主人の膝元にまで。
「“
「何? ツアーから?」
ツアーには、“黒白”のモモンが出席する予定だった「冒険者祭」への参加を願っていた。
結果は何事もなく“黒白”の優勝ということで落着したと、アルベドたちから既に聞いた。アインズとニニャの娘も参加する冒険者チームで、一位と二位とを争ったとも。他に、何の連絡が──
(いや、待てよ)
確か、冒険都市には、敵である彼のNPCの一人が向かっていたはず。
「まさか」という思いに掻き立てられる。アインズは
「ありがとう、リュミエール」
至高の御身からの感謝を受け止めきれなかったメイドが、泡を食ったようにしどろもどろになる。
そんな彼女がさがっていくのを見送りつつ、アインズは
「ツアー、どうした?」
端末から轟くのは、竜王の息吹。
100年前の共闘より、ずっと盟友関係を構築してきた友人の声が、頭蓋の内で心地よく響く。
『やぁ、アインズ。実は先ほど、ユグドラシルプレイヤーを主人に持つNPC──ラファ、と名乗る天使から、連絡を受けてね』
ラファとツアーたちが邂逅した冒険都市編は、
完結後に“外伝”でお送りできればと思います!
「……いつ完結するんだよ?」
次回もお楽しみに!