オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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100年後のアインズ様たちの出番です。


監視者

/keep watch

 

・幕間1・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を二日前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 彼らは待っていた。

 至高の四十一人が住まうに相応しき居城・ナザリック地下大墳墓の正当な主人が、彼の住まうにもっとも相応(ふさわ)しき空間である聖域──第九階層に、新たに設営された転移の間に、帰還する時を。

 100年後の魔導国──ナザリック地下大墳墓への非常招集をかけられた守護者たちは、その全員が、現在ナザリックに常駐しているわけではない。

 セバス、コキュートス、デミウルゴスは、自分に与えられた各都市での使命や政務を十全に果たしての参上。そして、ナザリックの今月の防衛を担う真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)、魔導王の主王妃に選定された銀髪の少女、シャルティア・ブラッドフォールン、以上の四名と、四人に付き従う側近や配下たちだけが、その場に満たされていた。

 

 やがて。

 ひとつの鏡の奥から、この大陸の頂点に君臨する王が姿を現して、すでに(ひざまず)いていたシモベ全員が尚一層、頭を地に近づけてみせる。

 

「お待ちしておりんした、アインズ様」

 

 死の支配者(オーバーロード)

 この大陸全土を完全掌握し、すべての国民に安寧と繁栄を約束した不滅の王。そして、御身から宰相に任じられ、やがて最王妃として正妃に選定された純白の悪魔、()守護者統括、アルベドと、一般メイド・フォアイルを背後に従えた至高の四十一人のまとめ役。あらゆる魔を導く王者──魔導王至高帝陛下──アインズ・ウール・ゴウンに相対し、漆黒のボールガウン纏う真祖が、執事服に身を包む老紳士が、歪められた蟲の姿から冷気を振り撒く蟲の王が、オールバックの黒髪に眼鏡をかけたスーツ姿の悪魔が、またそれらの配下たるシモベたち全てが、己の主人に拝謁できる栄誉に(こうべ)を垂れていた。

 

「出迎えに感謝する、シャルティア。そして、おまえたち」

 

 主人より深く感謝されてしまったシモベたちは、溢れかえるほどの喜悦に浴しつつも、まったく緩んだ表情を見せることはない。彼らを代表して、王妃が陶然となりながらも、冷厳に応じる。

 

「とんでもございんせん」

 

 アインズは起立するシャルティアの肩を一度抱き、即座に他のシモベたちも立ち上がらせた。

 

「うむ。(かしこ)まった挨拶は、なしだ──それで? 先の報せは本当か、デミウルゴス」

 

 訊かれた守護者の一人、デミウルゴスは頷くしかなかった。

 

「シャルティアより急を(しら)され、至急、数時間を費やし私どもの方で調査吟味(ぎんみ)しましたところ……確実かと」

 

 アインズは「ついに来たか」という言葉を、己の空っぽな胸骨の底に沈め隠す。

 

「ご苦労だった、デミウルゴス。そして、ありがとう、シャルティア」

 

 紅く濡れそぼる主王妃の瞳に感謝を紡ぎ、アインズはシャルティアを腕の中から解放する。

 

「……では、さっそく見せてもらおうか?」

 

 委細承知したシモベたちを引き連れ、アインズは自分の私室に向かう。

 そうして悠然と歩を進める(内心ではすごい動揺している)骸骨の背後で、シモベたちが言葉を交わす。

 

「それにしても、シャルティア、デミウルゴス……スレイン平野というのは、いくら何でも出来すぎじゃないのかしら?」

 

 アルベドが険の深い視線を込めて、同じ王妃と同胞の悪魔に疑念する。

 まず、シャルティアが淡く微笑む。

 

「信じられんでありんしょうが、ね」

「私も、最初に報告を受けた時は耳を疑いましたよ──まさか、よりにもよって、“あの地”に転移するものが現れるとは」

 

 続くデミウルゴスは(かぶり)を振って大いに慨嘆する。言葉には冷たい刃のような酷薄さが滲みつつも、起こったことをむしろ歓迎するような微笑──嘲笑(ちょうしょう)の気配が僅かに含まれている。セバスとコキュートスは、沈黙でもって彼の意見に同意しているようだ。

 アインズは苦渋に満ちた表情を骨の顔に浮かべそうになり、誰も見ていないだろうが、ぐっとこらえる。

 

 よりにもよって……あの場所に、か。

 

 暗い過去の記憶を目の前に見据えるように、アインズは無言を貫いた。

 もはや100年近い昔の、歴史に語られることもなくなった程度の事件に成り果てていたが、アインズの朽ちることのない不死者の精神は紛れもなく、あの時のことを克明に思い出すことが可能だ。

 ちょうど、その時。

 背後から快活な足音が、駆け寄るように近づき響き始める。

 アインズが足を止めて振り返ると、それで二人は一行に追いつくことが叶った。

 

「アインズ様、遅れて申し訳ありません!」

「も、ももも、……申し訳、ありません!」

 

 アインズたちに遅れての参上となった、闇妖精(ダークエルフ)の双子が列に加わった。

 

「二人とも。場を(わきま)えなさい。ここはナザリック第九階層の廊下なのよ?」

 

 神をも超越した存在がおわします宮殿、聖域への礼儀を考えるのであれば、乱暴にも足音を響かせ走ることは、決して許される行為ではない。一歩一歩を、感謝と尊崇の念の湧くままに感じ取りつつ、決して早すぎず遅すぎずという速度を維持しなくては。

 同じ王妃であるアルベドの軽い微笑を含めた叱声に、王妃二人は少なからず悄然とした面持ちで謝罪を述べる。

 無論、この地下大墳墓の主人であるアインズに対して。

 

「本当に、申し訳ございません。アインズ様!」

「あの、も、申し訳ございません!」

 

 急報の内容が内容だけに、今回の招集にはナザリックの全存在が知悉すべきもの。わけても、Lv100の階層守護者たちは絶対に、欠席することなど許されはしないだろう。それを理解しているからこそ、二人は慌てて、与えられた仕事を切り上げるべく奔走し、今回の非常招集に応じてくれたのだ。感謝こそすれ、遅刻くらいで目くじらを立てることはあり得ない。

 

 アインズは二人を見つめる。

 この百年という時の流れによって、健やかに成長を遂げた闇妖精の双子は、かつての小動物然とした愛らしさを面影に残しつつも、以前よりも落ち着いた、非常に大人びた雰囲気を醸し出していて、そしてその面貌には、より確かな、より洗練された美の結晶を、両者共に宿らせるようになっていた。

 

 長く尖った耳。薄黒い肌。左右の色が違う瞳(オッドアイ)は森と海の輝きを満たしているが、姉弟で色の位置は真逆になっている。これらは変わることのない双子の魅力であるが、二人とも人間種として健全な成長を遂げてみせてくれているのも、忘れてはならない。

 

 陽王妃、アウラ・ベラ・フィオーラ。

 170歳代の闇妖精は、以前までの幼い少女の姿からは卒業し、人間であれば十代後半程度と思われる乙女の体躯を獲得していた。ピンと伸びた背筋は高く、以前までは少年然としていた軽装鎧の前面が、大きな膨らみを豊かに二つ実らせ、白い女悪魔にも匹敵するほどの“女”の魅惑を、発露するまでになっていた。以前は短かった髪もだいぶ伸ばされ、肩と背中に黄金の滝を降り注がせて、風になびくままにしている。己の創造主に与えられた以前までの格好を止めるのは抵抗があった……が、さすがに女性として創造された身の上、ミニスカートなどの姿にモデルチェンジした白と赤の軽装鎧へ、無事に衣替えを果たしつつある。

 月王妃、マーレ・ベロ・フィオーレ。

 姉と同じく170歳代にまで成長した少年──否、もはや青年と言うべきだろう。長身を我が物とした姉よりも明らかに伸びた頭身は、もはやアインズの視線の高さとほぼ同じ。姉同様に伸ばされた黄金の髪は、一反の絹の布地ともいうべき艶と手触りに満ちて、髪自体が光を放ち輝いているようだ。姉が豊満な女体美を宿す森の女王とするなら、彼は精悍な、それでいて妖精(エルフ)然としてしなやかな体躯を誇る森の化身か。姉と同様、以前とは違って少女のようなスカートは身に着けておらず、普通に男性的な白を基調とする青い軽装鎧の姿をしているが、その言動や性格は今も姉の陰に隠れそうな、か弱い少女のようですらある。

 両者ともに、これでまだ成長途上というのだから、驚きだ。現地の妖精(エルフ)基準で言うと、あと3、40年で完全な成長を遂げるという。

 

 ──シャルティアが、陽王妃(アウラ)の身体のある部分をじっと見つめ、自分の胸の詰め物(パッド)に視線を落とすところは、……とりあえず、何も言わないでおこう。

 

「気にするな、アウラ、マーレ」

 

 二人には中央にて新造させている新たな魔法都市の工事に(たずさ)わってもらっている。アウラは城塞建造のノウハウを生かしてもらっての現場指揮、マーレは魔法を使っての土地に対する基礎工事や地下空間の設営に、それぞれが尽力しているのだ。100年の時をかけ熟達した二人の仕事量。これは他の者に任せようとすると、数十倍~百倍規模の人員が必要不可欠な大事業だ。おいそれと他の者に任せて抜け出せるはずもない。

 これで、魔王妃を除く王妃たちと守護者たち、ほぼ全員が一堂に会した。

 久方ぶりに対面を果たした王妃二人と軽く抱擁を交わし、二人も背後に加え、アインズは無事に自室にまで辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――スレイン平野にて、変あり。

 

 その一報を受けたアインズは、すぐさまナザリック地下大墳墓への帰還を果たした。

 報告されてきた内容が内容だけに、予定されていた都市での一日……政務と公務という名の、とある冒険者たちとの交流の場をキャンセルせざるを得なかったのは、本当にしようがない。あまりにも無念でならないが、それだけの変事であることは疑いようのない事実なのだ。パンドラズ・アクターに代役を頼むのは避けたいところだったが、さすがに公的な祭りなどにおいて、主催者の一言もなしでは締りが悪いというもの。

 あいつも一応は、アインズの「子」の一人に列せられる存在であり、ナザリック最高位の智者の一人。少し注意してやれば要領よくアインズの代替……影武者役をこなすことも容易な存在である以上、活用しないでいるわけにはいかない。こういうことにばかり動員して申し訳ない気もするが、あいつも、そしてその嫁や子供──アインズの孫娘にしても、そのことに対して完全に理解を示してくれているのは、少なからず救いだった。

 

 それに、報告された内容を考えれば、アインズがナザリックに戻るのも止むなしと、言わざるを得まい。

 

 此度のスレイン平野における変事……『ユグドラシルプレイヤー出現の可能性』が事実であるならば、まかり間違ってもアインズの耳──骸骨だから耳なんてないが──に入れて然るべき事態に相違ない。さらに言えば、未知の敵が現れたのに、至高の御身をナザリックの外に赴いたままにしておくことも論外だ。外の世界には様々な恩恵や魔法を施し、発展を遂げさせ、億単位の国民に対し、幸福を供与してきたアインズ・ウール・ゴウン魔導国であるが、ナザリック全周を取り囲む”絶対防衛”城塞都市・エモットと、至高の四十一人によって創造された拠点『ナザリック地下大墳墓』の誇る防衛能力に比べれば、他の都市では天と地の差が歴然と存在する

 

 魔導国は建国より100年近くの時を、着実に歩んできた。

 

 それはつまり、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアインドルクス・ヴァイシオン……ツアーの語る、100年周期の揺り戻し――異世界からの客人(まろうど)――ユグドラシルプレイヤーの出現の時が迫ったということ。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、魔導国は、この日のために準備してきた。

 やがて現れるであろう、ユグドラシルのプレイヤーに備えて。営々と。

 そう自覚し、自負し、自任しているアインズ。

 それでも、いざ実際に自分と同じプレイヤーが現れたと聞いては、心穏やかでいることは難しい。

 いざプレイヤーが転移してきても、転移直後の時期は気づくはずがないと、何となく思っていた。

 にも関わらず、思わぬ形でプレイヤーの転移をいち早く把握することができてしまったのは、思わぬ誤算でしかない。

 

「こちらが、六時間前……時刻としては、昨日の映像です」

 

 アインズの自室に集った守護者たちを代表し、魔導国の誇る参謀・デミウルゴスが、巨大な水晶の大画面(スクリーン)を空間に投影させている。

 まるで衛星映像のような鳥瞰図(ちょうかんず)が、水晶の画面に映し出された。

 何もない平野は、アインズと守護者たち──さらに「ある者」によって破壊された後、厳重に封印されてから以降、いかなる生命や存在も受け入れることはなかった。かの地には命が留まることなく、また、アインズ自身も、魔導国の民には誰一人として立ち入ることを許可していない。

 そして、100年もの歳月をかけて、あの土地は魔導国の民から忘失された遺物にまで成り果てていた。

 だが、

 

「そして、こちらが本日の、日付が変わった直後の映像になります」

「ふむ…………これは」

 

 茫漠(ぼうばく)とした大地に、一点。

 何もない土地のほぼ中心地に現れたものは、間違いなく、そこに存在するはずのないアイテム。画面に映し出されたものは、日付変更の前までは絶対に存在していなかったはずの物体だった。

 高さ三メートル、幅一メートルほどの、大きな鏡。

 しかも、普通の鏡ではなく、まるで〈浮遊〉の魔法でもかけられたかのように、平野の大地から浮き上がって、月明かりの下に影を作っていることが窺い知れる。

 

「──まさか、〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉か?」

 

 アインズは正解を口にしていた。

 転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)は、ギルド内の階層間移動や、隔絶空間への転移に使われることで有名な、ユグドラシルのアイテムだ。大小や形状は様々にあるが、あのアイテムは二点間を永続的に繋ぐ転移機能を発揮するもの。実際、アインズ・ウール・ゴウンの本拠地であるナザリック地下大墳墓をはじめ、ほとんどのユグドラシルプレイヤーが世話になって然るべき転移アイテムの一種である。

 ちなみに、現在のアインズ・ウール・ゴウン魔導国では、魔導国王室御用達の魔法アイテム作成機関にしか、製造免状(ライセンス)を与えていないアイテムであるため、国民の誰かが勝手に製造し保有し設置することは、無理がある。そもそもにおいて永続的な転移魔法を発動するという機能を鏡に定着させる技術からして、並みの魔法詠唱者(マジックキャスター)程度では絶対的に不可能なのだ。

 様々な角度――ほぼ360度に渡って監視点を変更可能という映像は、望遠鏡のごとく遠くからその物体の詳細な情報を観測することが可能であった。

 そうして、アインズはあたりまえに過ぎる懸念を口にする。

 

「……この鏡から、出てきたものは……いるのか?」

「動画がこちらに」

 

 そう主から告げられることをあたりまえに予期していたデミウルゴスが宣すると、彼は手元にある端末に視線を落とし、何かを操作する。数度ほど指で軽くクリック操作すると、スクリーンにあった光景が記録映像──動画画面に切り替わった。中にある光景が動き始めたことを示すシアターバーが左から右に動き、再生時間を示す左下端のカウントが、00:01、00:02、00:03と加算されていく。

 アインズを含む全員が、拡大された映像を注視する。

 

 ほどなくして、鏡から二人の人物が姿を現す。

 白い翼を背中から生やした女騎士風の金髪碧眼と、数えきれない剣を全身に纏った翼のない蒼髪の少年が、ほぼ同時に飛び出してきた。

 

 二人はまるで、初めて見る光景に圧倒されるように視線を右往左往させるが、女は頭上に輝く月を眺め続け、逆に少年は好奇心のままに鏡の周囲を疾走し始める。その速度は、あれだけの重武装状態では通常不可能なレベルだ。ざっと数えただけでも30以上の剣や装具が確認できる。おまけに、そんな重武装にも関わらず、少年の敏捷性──足の速さはアインズをしても目を(みは)るものがあった。人間の幼い少年の体躯とは思えない速度で、あの敏捷性能は魔導国の誇る二等位の冒険者のそれに比肩する。おまけに、少年の満面に浮かぶ快活な笑みと、踊り舞うようなステップを見ると、まだまだ十分以上に余力を残していると感じられてならない。

 

 この二人は……先遣隊か。

 アインズはそう直感する。

 

 かつてアインズも、この場にいるNPCの一人……セバスに命じ、安全や確実性に配慮して二人一組(ツーマンセル)を組ませ、ナザリックの周辺地理を早急に確認させた。あの女と少年の二人は、その(たぐい)ではないかと思われてならない。

 立ちすくんでいたように見えた女は、少年が走るのを咎めるでもなく、足元の大地を指ですくったり握ったり、小石をつまんで目を(すが)めたりなどを二分ほど繰り返していたが、いきなり姿勢を正して数秒以上も側頭部に指をあてていた。

 さらに、数十秒後。

 

 女の背後……転移の鏡から、さらに人影が出現する。

 

 新たに鏡から現れた者の見た目は、人間の男にしか見えない。

 黒髪に、よく日に焼けた肌。漆黒の鎧と足甲。対照的に純白に輝く剣からは、神聖な力がこぼれていると容易に判断できる。頭上には天使の輪にしては禍々しい、赤黒い円環を(いただ)いていた。

 さらに、その男に追随して、様々な翼を生やした男女が出現してきた。

 

「これは……天使たち、か?」

 

 思わず(うめ)くような声を、アインズはもらしてしまう。

 土地柄を考えるに、法国の残敵とも思われそうになるが、奴らは明確に違うと判る。

 その天使たちは、ユグドラシルに標準実装された異形種モンスター──炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)などとは、全く違った。違いすぎていた。

 まるで人間のような顔に体。翼の付き方だけに注目しても、背中・脚・腰・腕などと、あまりにバラつきがある。一体として、同じ形状の存在は見受けられず、また、全員が見渡せる世界の光景に瞠目(どうもく)したり慨嘆(がいたん)したりする光景は、ただのモンスターとは程遠い、はっきりとした意志と知性とを宿している証明だった。視線を右に左に、上下前後に差し向けている様も、傍目(はため)には人間然とし過ぎている。

 

「ハッ……よりにもよって、あの場所に、天使たちのギルドが現れるとは……どんな皮肉だ?」

 

 そう(うそぶ)くアインズであったが、内実はやかましく打ち鳴らされる警鐘の音圧に辟易(へきえき)してしまう。

 天使は、最上位のものとなれば、非常に厄介な相手だ。

 アインズをはじめとした、負や悪属性に傾倒したプレイヤーやモンスターと対を成す善属性に(ひい)で、尚且(なおか)つ神聖属性による攻撃や防御、天使種族の特性を保有した存在は、言うなれば「悪のロールプレイ」に興じていたアインズ・ウール・ゴウンの天敵とも言うべきだろう。

 実際、アインズは転移して幾日もない自分が邂逅した陽光聖典との戦いに際し、もっとも警戒したのが熾天使(セラフ)(クラス)の召喚だった。実際に召喚されたのは、あまりにも脆弱な雑魚天使で失望感すら抱いたのも懐かしい。

 

 あれから100年。

 

 スレイン平野に出現したユグドラシルの存在が、プレイヤーと思しき者が現れるのに、十分な時間が経過している。それ自体は半ば予期していた事柄であったので驚愕には値しないが、いざ現実に他の人が──プレイヤーが自分と同じように転移してきた事実を前にすると、精神が微妙に揺り動かされてしようがなくなるのだ。

 努めて冷静に、アインズは映像を検分する。

 問題は、あいつらの(なか)にプレイヤーはいるのか、……と思案にふけそうになるアインズは、彼らの取った次の行動に言葉を失う。

 

「……何をしているんだ、あれは?」

 

 頭上に光の輪を戴く女騎士が、黒髪の男を殴りつけたのだ。

 同士討ちによって、その場に(うずくま)る男の姿を見ると、ギルドの中枢に位置する立場にあるとは考えにくい。

 仲間割れか? 下っ端の構成員か、あるいは女騎士が創ったNPC?

 ――(いや)。違う。

 違うぞ、これは。

 

「まさか……今、殴られた、あの黒い男……プレイヤー、か?」

 

 直感で呟いたアインズの言葉を、疑念する守護者たちを代表したシャルティアが、不思議そうに聞き返す。

 

「そ、そうでありんすか? 私には、むしろ女の方こそがプレイヤーだと判断しんすが?」

「いいや、それはない」

 

 アインズはきっぱりと否定する。

 シャルティアはプレイヤーであるアインズをはじめ、至高の四十一人に絶対的忠誠と忠義を誓う存在(NPC)。故に、アインズが語るように、殴られた男というのがプレイヤーで、殴った女がNPCだとするならば、そのNPCは自決自害して当然なほどの大罪を行ったことに他ならない。

 少なくともシャルティアは、かつて洗脳された際にとはいえ、アインズに刃を向け、敵対的行動をとった事実を知らされた際には、あまりの罪深さに荒れに荒れた。しかし、アインズ本人から頑強(がんきょう)なまでに許され、己を自傷自壊させる行いに(はし)ることすら許されなかった経歴を持つ。そんなシャルティアだからこそ、涼しい顔でプレイヤーを……ギルドの創造者にして、最上位者に位置するはずの男を殴り飛ばした女天使が、自分と同じ存在──NPCだとは認識しにくいのである。他の天使たちが沈黙しているのも、その判断を加速させてならないほどだ。

 しかし、アインズは彼女らの外装などから、黒い男以外の連中がプレイヤーである可能性がありえないと判断できる。

 

 その理由は簡単だ。

 天使種族の異形種プレイヤーは、一部の例外を除き、人間らしい形状の外装(アバター)でいる者は絶無と言ってよい。

 

 熾天使の(クラス)であっても……否、上級の天使であればあるほど、プレイヤーたちは各天使にちなんだ容姿──熾天使(セラフィム)であれば、三対六枚の翼で姿を覆い隠していたという説から、「六枚の巨大な翼と光の輪、輝く後光で構築された存在」が基本的な造形として与えられる。この姿に人間の容姿を付け加えることはほぼ不可能で、武器などを振るう際も、その武装がほとんど宙に浮かんで自立攻撃してくるようにしか見えないのだ。他にも、智天使(ケルビム)は「獅子や牛、それに鷲の頭をもった存在」とされ、座天使(スローン)に至っては「火の車輪」という非生物的な形状で固定されることになる。最初期の天使にしても、ただの小さな光の輪と玉というのが普通(デフォ)であり原則なのだ。

 天使種族モンスターで完全上位に位置するモンスター──“原動天”や“至高天”だと考えても、アインズが知る最強最上に近い天使の姿ではないことは明白だ。図書館に残されたユグドラシルの資料や百科事典(エンサイクロペディア)でも紐解けば、あんな人間然とした異形種は存在しないことは、容易に把握できる。……むしろ、彼らは人間種の姿に、課金の改造で飾りの翼を増設したという方が、まだありそうな話だった。が、しかし、さすがに頭上に戴く金色や純白の輪を見れば、明らかに天使でしかない。さすがに、ああいう「天使の輪」というのは、天使種族の異形種のみに許された象徴であり記号なのだ。

 天使の光輪を持つものは、人間の造形は得られない。

 そして、そのような制約から除外されるキャラクターというのは、作成された拠点NPCだけ。

 無論、アインズはすべてのプレイヤーキャラメイキングに通じていたわけではない。ひょっとするとだが、何かしらの裏技や課金アイテムなどによって、人間らしい容姿を持った天使種族の可能性も、ありえなくは、ない。

 しかし、そういったものよりも、まずありえそうな可能性──例外が、ひとつだけ、ある。

 

「あの黒い男の見た目……堕天使、だな」

 

 天使種族の中で、一部例外的に、人間の容姿に極めて近い異形種が、確実に、ひとつだけ存在していた。

 それが、堕天使。

 堕天使は、神に仕える内に、堕落した人間の世界に降臨した結果、人間たちと同じように堕落し“堕天”した忌むべき存在……という感じの種族設定だったか。人間の営みに順応し、欲得に塗れた結果として、あのような人間らしい形状を、唯一的に取得可能なのだとか。

 他の天使種族レベルを犠牲(コスト)にすることによってのみ、基礎ステータスを増強させることを可能にする、ユグドラシル内でも屈指の面倒くささを誇っていた──天使というよりも悪魔という方が近い──異形種、それが「堕天使」だ。

 その劣悪なステータスや保有する種族スキルの微妙さ、純粋な天使の力を大幅に減じられるペナルティ、堕天使固有の特性が扱いにくいがために、あまり取得するプレイヤーはいなかったはず。

 おまけに堕天使の見た目というのは人間らしい造形であるが、一応は異形種=モンスター探査の魔法に引っかかるため、異形種PKを生業(なりわい)とする連中にとっては「クソ弱っちい異形種」として認知され、絶好のカモと言ってよい存在ですらあったのだ。

 ぱっと見た男の外見は、完全に日に焼けた肌色の人間種のそれではあるが、髑髏(どくろ)の眼窩を思わせる大きな(くま)や、欲得に濁った瞳の色で飾られた狂気的な面貌は、人間の基礎的な美性からは程遠すぎる。彼の周囲にいる他の天使たちに比べれば、かなり醜いといってもいいくらいだ。まさに異形種然とした面構えでしかない。人間種の外装で、あんなにも不気味な顔面を構築するなど、どんな変わり者だというのか。

 結論。

 あの男はユグドラシルのプレイヤーであり、種族は推定する限り、「堕天使」だと思われる。

 

「──天使を従える、堕天使か」

 

 何が彼を堕天使プレイに駆り立てたのか、アインズは純粋な好奇心に駆られてしまう。

 そして、あの男……堕天使は、自分を殴らせることによって、この世界において同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が可能な、ユグドラシルのゲームとは異なる世界であるという事実を確認したのだ。これが一番、彼があの中で唯一のプレイヤーであると確信できる理由でもある。

 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)の確認ということなら、それができる存在はプレイヤーだけだ。アインズは100年前の転移初日、アウラとマーレの二人と闘技場で対面した時に確認していた。だが、アウラはユグドラシルで同士討ち不可だったことを知らずにいた。少なくとも、特殊技術(スキル)の効果範囲内にいたアインズは、アウラの特殊技術(スキル)の影響を些少ながら受けた。このことから、アインズは同士討ちが解禁されている事実を認識することがかなったのだ。

 逆に言うと、アウラたちNPCは、ユグドラシル時代にゲームシステムとしての同士討ち不可だった事実を知らなかったということ。

 同士討ちの可否を判断・査定できるのは、プレイヤーのみ。

 そして、あの男は真っ先に、明らかにNPCでしかない天使からの、仲間の攻撃を、受けた。そうするように命じたのだ。

 

「しかし、思い切ったことをする。この世界で回復が可能かどうかも判らぬうちに、自分の体力(HP)を削り取る判断を下すなど」

 

 否。回復可能かの確認も含めての同士討ちだったのかもしれない。

 その証拠に、男はすぐさま何か──治癒薬(ポーション)を取り出し飲み干すと、すくりと体を起こす。そのまま、彼は鏡を通って現れた天使たちを伴って、一度頭上の夜空の月を……こちらを見上げるようにして、鏡の中に姿を消していった。

 それから鏡は、早送りされ、小さな動物が鏡を護るように前後に置かれ、先ほど出てきた天使たちと、それ以外の新たな天使が三人一組を組んで、東西南北をローラーのごとき牛歩の歩みで進み、平野の中心で何かをし始めた。見れば、砂や土、石ころを採取し、それを持って帰っているらしい。小休止を挟んで、次に鏡から現れた四人ほどが、何を思ったのか延々と鏡の周囲を適当に掘り進め、そして埋め立てるなどを繰り返している。これもまた、土地の鑑定作業や異世界の調査と思えば納得がいった。さらに時間が経過すると、黒い肌に銀髪を流す天使が、鏡の上空を幻術魔法で覆い、ようやく簡単な隠蔽措置を完了させる。が、完全に隠蔽できているわけではないため、監視は継続可能であった。

 

 

 

 そして、それらの作業には、あの黒い堕天使の男は、加わることはなかった。

 

 

 

 アインズは認めるしかない。

 彼らは、この世界にはじめて触れる存在。

 紛れもなく、ユグドラシルから転移してきた存在だと、確信できた。

 ほくそ笑む気配すら見せるアインズに対し、魔導国宰相・アルベドは即座にひとつの案を具申してくる。

 

「強行偵察――いえ、先制攻撃をしかけますか?」

 

 普段とは打って変わった仄暗(ほのぐら)い声色で、提案される。

 新たに転移してきたユグドラシルの存在に対し、主導権を握り、有利に事を進めるための一手を、宰相は提言したのだ。

 彼らの拠点の出入口である鏡を制圧、または破壊してしまえば、容易に連中を無力化できるだろう。この世界で、システム・アリアドネ──ゲームにおいて、ギルド拠点の入り口を完全に封じるという違反行為を行ったギルドが(こうむ)るペナルティ──が機能しているかの実験にもなり得るし、あるいはうまくいけば、プレイヤーの蘇生実験なども行えるかも。

 だが、アインズは軽率な宰相の言葉を、軽く微笑みつつも、否定する。

 

「フッ、馬鹿を言うな。彼らが友好的に事をすませようとする存在である場合、いきなり攻撃を加えるなど、あってはならない暴挙だ」

 

 それこそ、この世界に転移した直後、アインズはこの世界にいるかもしれないプレイヤーと敵対姿勢を取りたくはなかった。それと同じように、なるべく穏便に事を進めることを優先しようと、まったく同じことを思考してくれているかもしれない。

 

 ……勿論、その真逆の可能性も十分ありえることを、忘れてはならない。

 

 さらに最悪なのは、連中が何かしらの脅威──主に、アインズの知らないような世界級(ワールド)アイテムを保有していた場合、とんでもないしっぺ返しを食らうやも知れない。わざわざ藪をつついて蛇を出したり、虎の尾を踏んで噛まれたりする必要は何処にもない。

 警戒を厳にしておく必要があるのは、変わらないだろうが。

 

「確かに、連中がどのような力を持ち、どのような思想行動に(はし)るか判らない現状では、連中の頭を押さえ屈服させてしまう方が、効率はよいだろう。さすがにこのナザリックの掌握する戦力に伍するとは考えにくいが、そのような短絡的に行動するのは、原則慎むべきだ。何より、そのような振る舞いをしていては、アインズ・ウール・ゴウンの名が(すた)るというもの」

 

 彼らもまた、自分と同じように、ユグドラシルのプレイヤーと協力したいと考えてくれるのなら、アインズは協力を惜しまないつもりでいる。

 無論、協力に対する見返りは、相応に要求するつもりだ。

 まずは、彼らがこの世界で、この大陸で……魔導国で、どのような行動方針のもとに活動してみせるのか、知らなくては。

 

「かしこまりました。アインズ様の御心のままに」

 

 アルベドたちは委細承知したように微笑みを浮かべ腰を折る。

 そんなアルベドに呼応するように、守護者たちも礼拝するように主の意向に従う姿勢を見せる。

 

「ところで、アインズ様。此度の一件──殿下や姫様方、それにニニャ様には」

「無論、話す。……だが、今はな」

 

 承知の声を奏でるデミウルゴスに、アインズは鷹揚に頷きを返す。

 相手の戦力によっては、ナザリックの総力を結集させても勝てない可能性を考慮する必要がある。無論、そうならないための軍拡や技術開発、魔法体系の確立にも邁進し、この世界に存在する希少なアイテムも、ほぼすべて手中に収めているといってよい。シャルティアを洗脳した忌まわしい世界級(ワールド)アイテムも宝物殿に蔵されて久しかった。

 しかし、油断は禁物だ。たとえば連中が、世界を天使の軍勢で覆い尽くすアイテムや、世界中に災厄の炎を降り注ぐ超級の破壊魔法を保有していた場合、こちらがとんでもないダメージを被るやも知れない。

 王太子と姫たち──息子や娘たちと情報を共有するのは(やぶさ)かではないが、それよりも重要な役目を果たしてもらおうと、アインズは思考している。

 そのためにも、とにかく相手の情報を入手することが先決だ。

 しかし、監視状態のままで、これ以上有益な情報が入る可能性は僅かだろう。連中と接触を図るにしても、ナザリックの既存NPCだと、ユグドラシルプレイヤーには即刻看破される可能性があるため、ネットで広く知られている守護者たちを動員することは、完全に不可能。こちらから攻撃を仕掛け、大義名分を与える理由も意味もない。ならば攻略されていない第九階層以下の存在であれば安全かというと、微妙なところだ。彼らはナザリックに、そしてアインズ・ウール・ゴウンへの忠烈に燃える同胞であるが故に、それ以外に対しての悪感情を隠すことは難しい存在が多すぎる。あのユリやセバスですら、ナザリックに少しでも不遜な態度をとる輩が現れれば、不快感を表明して(はばか)ることはないのだから、当然だ。万が一にも、連中を「下等生物」「ゴミ」「蛆虫(うじむし)」なんて呼称し、戦端を開かれでもしたら、取り返しがつかなくなる。

 と、なると。

 ユグドラシルプレイヤーが知りようのない存在で、かつ中立的に事を進められそうでもあり、何より奴らと事を構えるしかなくなった場合に自衛手段に長けた──現地の有象無象とは完全に一線を画す人物を選定する必要が、ある。

 

「とりあえず、そうだな──セバス」

 

 主に名を呼ばれた老執事が、鋭い視線を閃かせた。

 アインズは短く命じる。

 

 

 

「あの()に連絡を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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