オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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・瀬戸際
 成功と失敗、安全と危険の境界。
 狭い海峡と外海の境のこと。流れが速く、波も変わりやすい難所で、船の舵取りを誤れば命にかかわる分岐点。そこから、成功するか否かを決める運命の分かれ目のこと。
 瀬戸とは「狭門(せと)=狭い門」という意味も。


 連載一周年


 第五章 死の支配者と堕天使 最終話


瀬戸際

/OVERLORD & Fallen Angel …vol.10

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 いつだったか。

 

『お守りします──あなたの行く先を。あなた、御自身を』

 

 目の前の熾天使が、カワウソが創ったNPCが語っていたことが、ある。

 あの言葉に、カワウソは少なからず救われた心地を覚えた。

 だが、今のこれは、どういうことだ?

 

「もう一度、聞かせてくれ」

 

 カワウソは比較的穏やかな語調で問い質す。

 俺の聞き間違いだろうか。

 

「『止めに来ました』──そう言ったのか?」

「はい」

 

 氷の華のごとく冷然と視線を細める女は、限りなく凪いだ水面のような無表情で、告げる。

 

「そうです。私は……あなたを止めに来ました」

 

 一言一句、聞き間違えようのない平坦な口調で、ミカは反抗の意志を表明する。

 それに対し、カワウソは冷静でいられた。

 

「わからないな、ミカ」堕天使は泰然と……震えないように指を組む。「──何故、止める?」

 

 ミカの行動は、別段驚愕することではない。

 彼女はずっと前に告げていた。あれは、この異世界に渡り来てから、カワウソが森で一人の少女を救ったとき。無様にも恐慌し狂乱したような堕天使が、特殊技術(スキル)で森を吹き飛ばした、直後──

 

『……私は、あなたが嫌いです』

 

 言って、カワウソの身体に触れることで、“正の接触(ポジティブ・タッチ)”で回復させた熾天使。

 動揺し、命令に従えないのかと問い質す創造主に対し、ミカは続きを吐いた。

 

『……従うべきでないと判断すれば』

 

 そう、あの時に言っていたのだ。

 だからこそ、カワウソは臆さない。

 

「おまえが、俺の命令を聞きたくないというのは、まぁ解る。」

 

 カワウソの行動・判断・意志に、何か「従うべきでない」と思われる何かがあったのだろう。

 だが、それが何なのか、堕天使には──馬鹿で愚鈍なカワウソには、本気で分からない。

 

「そうです。今のあなたは、……間違っている」

 

 思わずクスリと唇の端が吊り上がった。

「今の」というより、「最初から全部」間違っていた気さえカワウソは思う。

 よりにもよって、あの“アインズ・ウール・ゴウン”と敵対するなど、誰だって馬鹿げた行状に思えることだろうが……天使の澱は、カワウソのNPCたちは例外かと思っていたのだが。

 

「このままでは、あなた……我々は地獄へ向かって進軍することになります。ナザリック地下大墳墓は、難攻不落。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、カワウソ様と同格の友人諸氏らを含む、1500人を殲滅し撃退した存在。そんなものに向かって、真っ向から挑戦するなど」

「馬鹿げてる、か」

 

 カワウソは肩を竦める。

 言う先を制された女天使は、わかりやすい程の舌打ちをする。

 

「チッ……わかっているのであれば、どうか、考えを改めやがりなさい!」

 

 語気が強く荒くなるミカの表情に、小さな(ひび)が入る。

 ──いい表情だ。

 本気でカワウソは感心を覚える。

 ゲーム時代の、人形めいた、無機質の塊のごとき頃からは想像もできないほど、その表情変化には新鮮な驚きと喜びを感じざるを得ない。

 ただ感心し感服していられたらよかったのだが、あいにくミカの要求は突き返しておかねばならなかった。

 

「……改めたところで、どうなる?」

 

 実際問題として、アインズ・ウール・ゴウンと敵対することは確実な未来だ。

 あの宣戦布告から、まる一日。

 魔導国の軍や兵団が、いつどこから襲撃をかけてくるかもしれない状況下にある。

 何より、NPCたちにそのような設定……『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』という文節を組み込んだのは、カワウソ以外にあり得ない。ミカたち12人のLv.100NPCたちは、あのナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”の攻略に最適な存在として、カワウソがすべて創り上げていったのだ。

 

「降伏でもする気か? この世界に君臨する大国に? あの悪名高いギルドに?」

 

 そんなことをしても、許してもらえるはずがないだろう。

 カワウソのNPCは魔導国の……ナザリック地下大墳墓のNPCと交戦し、彼等の主人たるカワウソに至っては、魔導王に作られたという上位アンデッド部隊を殲滅している。

 選択肢は他にない。

 少なくとも、小卒サラリーマンのユグドラシルプレイヤー……復讐に憑かれた狂信者の異形種には、他の道筋が見えてこない。

 むしろ、それをこそ──アインズ・ウール・ゴウンとの戦いに明け暮れることをこそ思考(しこう)志向(しこう)嗜好(しこう)する欲求しか、カワウソの内には残されていなかった。

 そんな(あるじ)の歪み具合を承知しているのかいないのか、ミカは奇妙なことを宣い始める。

 

「いいえ。降伏はしません」

「……降伏、は、しない?」

 

 ミカは即言する。

 

「アインズ・ウール・ゴウンには、“我々だけ”で対処いたします」

「…………はあ?」

 

 我々だけでという言葉の意味を掴み損ねるカワウソ。

 女天使は流れる水のような清らかな調べで、続ける。

 

「カワウソ様は、どうか我々が連中と一戦交える隙を突いて、お逃げください。どこか遠く……別の大陸へ。それが出来なければ、この拠点、そして、我等全員を置き捨てて──逃げてください」

「…………」

 

 言われたことを呑みこむのに、時間がかかる。

 カワウソは本気で理解しかねた──コイツは、何を言っている?

 

「……どういうことだ?」

「ですから。カワウソ様は、どこか別の土地へとお逃げくだされば」

「待て。少し待て」

 

 重要なことなので徹底的に確認するしかない。

 

「アインズ・ウール・ゴウンには──誰が、対処するって?」

 

 ミカは不機嫌そうに顔を歪めかけながら、己の設定に忠実な説明を始める。

 

「我々の存在に定め刻まれた『アインズ・ウール・ゴウンの敵』──この一節の通りに、我等は最後まで行動いたします。カワウソ様の替え玉は、変身が得意な下級天使を準備して」

「待て。待て待て。待ちやがれ」

 

 カワウソは我慢ならない様子で──堪忍袋の緒が切れかけている語調で、質す。

 

「  ふざけるなよ、ミカ  」

 

 ミカが少なからず竦むように肩と顔を震わせるが、堕天使は構うことなく続ける。

 

「今、なんと言った? 我々だけ──“おまえたちだけ”で、……戦う?」

 

 それは何の冗談だ。

 カワウソは罵倒に近い色で、瞠目する女天使に尋問する。

 ミカは見開いた眼を鋭く細め、言い募る。

 

「──戦端を開きましたのは、私の部下に位置する同胞、イズラとナタの不手際。なのでこれは、我等NPCの負うべき負債に違いありません。されど、それによって生じる不利益に、カワウソ様まで巻き込まれる道理などあってはなりません。我々は、カワウソ様の盾。カワウソ様の剣。──あなたの道具に、過ぎないのですから」

 

 カワウソは本気で怒りを覚えた。

 ミカの発した理屈に……ある種の責任回避方法に、まったく納得がいかなかった。

 

「調子に乗るな。

 おまえたちをそういう風に設定したのは、俺だ。

 俺が(・・)おまえたちを(・・・・・・)そういう風に(・・・・・・)創ったんだ(・・・・・)

 だったら、そのおまえたちが、アインズ・ウール・ゴウンと戦うのであれば、俺もまた戦う義務があるだろう?」

 

 違うのかと詰問する主人に対し、ミカはわかっていない──ことはないのだろうが、その問答を端から拒絶するような語り口を強める。

 

「義務感などで戦う必要など、ありません。

 このような差し出口が、あなたにとり不快に思われることは重々承知してますが、あなた一人が責任を感じ、義務に奔る理由は薄い。我等NPCのことは、使い捨ての道具に考えていただければ、それで良いはずですッ」

「……おまえたちが道具であるならば、それを扱いきれなかった所有者の責任ってものがあるだろう?」

 

 仮に。

 刃物で人を殺傷した馬鹿がいたとして、罪に問われるのは殺傷した奴ではなく、刃物になるのか?

 そんなわけがない。道具ごときに責任をおっかぶせるなど、どうかしている。「刃物がそこにあったせいで人を刺しました」なんて、狂人以下の戯言にしか聞こえない。なのにミカは無理やりに、自分(NPC)たちだけで、アインズ・ウール・ゴウンと戦う論議を確立しようとしている。

 

 ここで、ミカが自分たちに責任を集約させようとするならば、自分たちとカワウソが関わりのない他人──NPCたち全員の人格権などを認めさせる方が適切だったのだろうが、NPCであるが故にそれは不可能であった。

 NPCはどうあっても、創造主や上位者に帰属する意識を有する。

 被造物は、造物主なくしては存在しえないが故の、制約であった。

 

「それに」

 

 カワウソはもっとも我慢ならなかった一節を繰り返す。

 

「──“おまえたちだけ”で、だと?」

 

 馬鹿馬鹿しい。

 呆れるのを通り越して感動すらしてしまえる。

 カワウソはひとまず、戦略上の観点から反論してみる。

 

「俺ひとりが逃げ出せば、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)で唯一世界級(ワールド)アイテムを保有する俺がここで抜ければ、世界級(ワールド)アイテムを一個も保持していないおまえらが、世界級(ワールド)アイテムを桁違いの11個で武装している連中と戦うんだぞ? そんな状態で、どれだけのことができるつもりだ?」

 

 無謀無策を通り越している。

 世界級(ワールド)アイテムどころか超位魔法すら有しないNPC12体だけの戦力で、あのギルドと戦うなどとほざくとは。どうかしているどころの話ではない。

 そんな判断も出来ないほどの無能であるはずがないミカは、抗弁の余地を失ったように押し黙った。

 天使の澱に存在する世界級(ワールド)アイテムは、ギルド長・カワウソが装備する一個きりだ。おまけに、この世界級(ワールド)アイテムは、カワウソの稀少な種族・職業レベル──“『敗者の烙印』を有する者”にしか装備できず、使用して効果を発揮することもできない。半ば“呪い”のようなアイテムなのだ。これを第三者に譲渡することは出来ず、また、いかなる存在にも奪うことは出来ないし、奪う意味すらない。

 さらに言えば、NPCたちの武装やアイテムの類は、あくまで必要最低限な代物ばかり。神器級(ゴッズ)アイテムで武装した敵のNPCと本格的に戦闘が出来そうなのは、せいぜい二、三人……ミカ、ナタ、クピドしかいない。

 たったそれだけの戦力で、アインズ・ウール・ゴウンの敵として戦うなど、度し難い程の暴挙に思えた。

 カワウソとどこか通じた無謀っぷりであるが、これまで遣り取りを重ねているミカからは、『頭脳明晰』という設定を与えたNPCの在り方からは、今の熾天使の様子は程遠い印象さえ受ける。

 

「……確かに。我々NPCは世界級(ワールド)アイテムを所持しておらず、カワウソ様だけを逃がせば、確実に連中の世界級(ワールド)アイテムに蹂躙されることになりましょう。ですが。我々には、もはやこれ以外の道はない。『アインズ・ウール・ゴウンの敵』である我等“天使の澱”は、アインズ・ウール・ゴウンに背を向けて逃げることは、ありえない」

 

 きっぱりと告げる天使の覚悟を認めたうえで、堕天使は渇いた声で笑ってみる。

 

「だからこそ。俺という戦力を率先して使うべきだろう?

 兆にひとつもない可能性を、億か──万にひとつぐらいにはできるはずだ」

 

 世界級(ワールド)アイテムの効果は絶大だ。完全な壊れ性能と言って差し支えない。

 そう告げはするが、カワウソが加わっても、勝率にさほどの変動があるとは思えない。

 これまでに判明している魔導国の現状。文明レベル。彼我の戦力差。どちらが圧倒的に優位な立ち位置にあるのかは明々白々の事実である。

 白金の竜王、ツアインドルクス=ヴァイシオンからの招待を受けるのは、あるいはこのどうしようもないまでの劣勢に、何かしらの光明を見出したいがため。

 籠城など、くだらない。

 逃亡など、ありえない。

 この機会を失えば、カワウソの復讐を──あの第八階層に挑む千載一遇の好機を掴むことは、まず不可能。カワウソは、戦闘への欲動に駆られる堕天使は、どうあってもナザリック地下大墳墓に向かって“ひた走る”他ない。

 そのために、打てるだけの手は打っておかねば。同盟者だという竜王とやらから情報を引き出せるかもしれないし、最善は、何かしらの協力を取り付けること──せめて、城塞都市の内部構造情報や通行・潜入の手段を確保したいところ。

 それに、

 

「“おまえたちだけ”で、やらせるか」

 

 カワウソが頷けない、最大にして絶対の理由が、これだ。

 

「おまえたちだけで、アインズ・ウール・ゴウンと戦わせてたまるものか(・・・・・・)

 

 言外に、「俺の獲物を横取りするな」という調べを含んだ堕天使の狂笑に、ミカは怯んだように息を呑む。まっすぐに見つめてくる女の表情は、失望か憤慨か、あるいは不安か不満の朱色で染まっていく。伏せた瞼の縁に、何か輝くものを浮かべたようにも見えた。

 

 アインズ・ウール・ゴウンとの、戦い。

 それは、カワウソの求めてやまなかったこと。

 それを、彼女(ミカ)たちだけでやらせるなど、そんな“もったいないこと”をしてたまるものかよ。

 

「──どうあっても、考えを改める気はない、と?」

 

 傲岸に不遜に「当然」と微笑む主人の様子に、熾天使は黄金の髪を横に揺らす。

 

「本当に……愚かです」

「だろうな」

 

 自分でも愚昧な判断だと思う。

 そこまで解っていても、カワウソには諦めがつかない。

 諦めるということだけは、死んでも思いつきそうにない。

 あの、アインズ・ウール・ゴウンと、正面きって戦える好機。

 ここで、たったひとりで逃げ出すくらいなら、いっそ死んだ方がマシというもの──そんな破滅願望で頬肉が震え歪んでしまう。

 そう確信しながら笑える自分がたまらなく快い堕天使は、目の前の天使──復讐の女神を彷彿とさせる美貌に問いかける。

 

「それで? どうする?」

 

 ここが瀬戸際という奴だろう。

 脳内に閃く妙案に笑声が震える

 カワウソの問いかけに、ミカは決然とした無表情で立ち上がり、「無論」と言って簡潔に明瞭に応じる。

 

「私の全身全霊を賭して、……お諫めします」

 

 その言葉の意味を理解して、堕天使はほくそ笑む。

 立ち上がるカワウソは、答えるように、黒い魔剣を抜いた。

 

「いいとも。止めたければ、力づくで止めろよ──ミカ!」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 第三階層“城館(パレス)”にある大広間にて。

 

「ええ……ええ……では、数日後にそちらへ」

 

 くれぐれも宜しく──そう〈伝言(メッセージ)〉の相手に送った銀髪の主天使(ドミニオン)・ラファ。

 

「話はついたの?」

「ええ──ひと通りの手続きは終わりましたよ、ガブ」

 

 ラファは、己の腕の中に納まる聖女──主の設定によって『恋人同士』と定められた天使の笑みに頷く。

 二人は“城館”内の大広間、階段状になっている祭壇の中ほどに腰掛け、第四階層へと至る鏡を遠く背後にしつつ、睦言を囁くような距離感で寄り添い合う。ガブとラファは、NPCたちの中で唯一『恋人同士』と互いに定められた天使たちであり、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のギルドサインを戴く幕旗の下……ここで、侵入者たちへの迎撃を完遂する任務に、ウリやクピド、ウォフやタイシャたちと共に就いていた。

 しかし、この異世界に転移し、状況が判明するまで外の調査を敢行せねばならない事態が続いたことで、こうして二人きりの時間を愉しむ余暇は絶えて久しい。

 

「本当にうまくいくと思う?」

「うまくいってほしいとは、思いますがね」

 

 不安がるガブに対して、ラファもいろいろと心配の種は尽きない。

 敵は、大陸国家。

 主人(カワウソ)がずっと攻略を続けていた、十大ギルドのひとつ。

 それほどの強敵に巡り合えた幸運を喜びながらも、ラファとガブは冷静に、カワウソの様子に一抹の不安を覚えてならなかった。

 

「我が主の望みと願いを叶えることは(やぶさ)かではありませんが」

「相手が相手だからね。正直、勝てる見込みなんて、ほぼゼロなんでしょ?」

 

 ガブは難しくものを考えることのないパワーファイター。精神系魔法の妙手であると同時に、それなりの格闘戦・肉弾戦を得意とする前衛職で、ラファと共に後衛のウリやクピドを守る立ち位置にあるNPCだ。

 そんな『物理火力役(アタッカー)』である智天使の恋人である牧人は、仲間たちに的確な指示を送りつつ、信仰系魔法や特殊技術(スキル)でバランスよく戦闘をこなす『回復役(ヒーラー)』の主天使として、ここに配置されて長い時を過ごしていた。

 男は背中を胸の中に預けてくれる女の、自分と同じ銀色の髪を撫で梳きながら、応じる。

 

「まったくのゼロということは、ありえない」

 

 そう。

 万が一、億が一、兆が一の確率というものは、確実に存在するという不変の真理。

 

「だからこそ、()(しゅ)は諦めておられないのではないか」

 

 そうだとも。

 カワウソはそのために、ラファに白金の竜王との連絡を命じたのだ。

 兆が一の可能性を、少しでも桁ひとつ下の次元にまで近づける為に。

 一漠にも満たないだろう勝利の可能性を追求し希望する主人の胆力に、ラファは偽りのない敬服を懐いてやまない。

 諦めることを知らぬ闘争への求道者。

 そんな主人のために、自分たちは創られた。その事実が誇らしい。

 この絶望的な戦況下において、唯一、喜ばしいことを挙げるならば、ツアーが語るところによるとアインズ・ウール・ゴウン──魔導王本人は、未だにカワウソや天使の澱たち“敵対者”たちを『詳しくは知らないでいる』という。おかげで、天使の澱への対応は、『未だ数日の猶予を必要とするだろう』とのこと。

 魔導国といえども、否、100年かけて膨れ上がった“超大国”だからこそ、その内部構造は一枚岩ということではないのかも。

 連絡の不備か、あるいは──

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオン……ツアー殿が言うには、国政における実務のほとんどは、大宰相や大参謀などに一任されており、魔導王は、ただの大陸統一の象徴的なものという話を聞いている」

 

 最上位に位置するものが、下々のものに対してそこまでの興味や関心を懐かないというのは、国家構造の常という法則。政治は他に代行させ、王は悠然と国威発揚を促すという典型的なそれだ。

 魔導国内で臣民と一線を画す「シモベ」──ナザリック地下大墳墓のNPCたちといえど、そこまで懇意の間柄にはないというのも、可能性としては実にあり得るだろう。

 

 何しろ相手の魔導王は、創造主たるプレイヤーではなく、ギルドの名を冠する謎のアンデッド。

 

 これを天使の澱で当てはめると、自分たちの主人カワウソが、「俺の名前は天使の澱(エンジェル・グラウンズ)」だと名乗っているようなもの。しかし、カワウソはそのような挙動を見せたことは一度もない。彼は彼のまま、彼の尊き御名を名乗り続けているのに対し、アインズ・ウール・ゴウン魔導王……“ギルド長・モモンガ”の姿をした最上位アンデッドについては、あまりにも不可解かつ不可思議に過ぎる。

 

 であるならば。

 自分たちのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とは、また別の思考や思想が蔓延している可能性を想起して然るべき状況。他のユグドラシルの存在は確認できず、何故か、プレイヤーの姿をした……だが、その名は「ギルドの名称そのもの」という他ギルドのNPCにとっては理解不能な存在が台頭している異世界なのだ。ありとあらゆる可能性を想起して然るべき戦況に相違ないところである。

 

「そう。たとえば……連中が信奉している魔導王陛下というのは、カワウソ様のようなプレイヤーとは違う者なのやも。よくできた人形(ドール)か、動像(ゴーレム)か、変身能力者。……あるいは」

「まったくの幻影の可能性」

 

 幻術……精神系魔法に特化されたガブの言う通り。

 ナザリック地下大墳墓のNPCたちが信奉する王の正体を、天使の澱は未だに掴み損なっていた。

 そも、アインズ・ウール・ゴウン魔導王とは何か。

 ユグドラシルプレイヤー・モモンガではないのか。

 様々な憶測や推論は立てられても、何一つとして確固たる情報がない。

 そんな状況にあって、アインズ・ウール・ゴウンと盟を結ぶ竜王との邂逅は、より良い情報を掴む最後の機会(チャンス)たりえた。この好機を逃すような愚を、カワウソは犯す気がなかった以上、竜王からの招待は甘んじて受諾しておく必要がある。

 ──だからこそ、警戒をより一層深めざるを得ない。

 

「ツアインドルクスが、欺瞞情報を流している確率は?」

「それは……、十分にありえる」

 

 ガブの指摘する欺瞞の可能性は、ラファにも解っている。

 アインズ・ウール・ゴウン直製(直属ではない)部隊を壊滅させ、あまつさえ、魔導王陛下“親衛隊”所属だという異形の混血種(ハーフ・モンスター)、マルコ・チャンに、ラファたちの主君は確実に意志表明を行っていた。これで魔導王が速断速攻に移れないのは、大国の王であるが故の限界か──あるいは、ラファたちの懸念する通り、ただの幻影じみた存在なのか──もしくは、カワウソたち以外にも懸念すべきユグドラシルの存在がいて、それの対応対処に追われているのか、いずれかだろう。さすがに、この状況でカワウソ達に慈悲をかけているとは考えづらい。

 ツアーが天使の澱に──ギルド長・カワウソに接触を持ち掛けたのは、「詳しい話が聞きたい」ということ。だが、それがまったくの欺瞞や虚飾であるという可能性も、ゼロではない。

 しかし、もはや状況は決した。

 選択の時は過ぎている。

 あとはこれからの道筋に、少しでも創造主(カワウソ)の利となり益となるものを拾い上げることができることを、ラファたちは願うしかないのだ。

 真摯な祈りを捧げるべく、二人が敬愛する主君のことを思った──直後。

 

『み、みみみみ、みなさん!! たた、大変、です!!』

 

 唐突に、脳内に降って湧くような〈全体伝言(マス・メッセージ)〉──マアトの焦声が反響する。

 

「マアト。どうされましたか?」

「ひょっとして、まさか敵襲?」

 

 二人は同時に嫌な予感を覚える。否、二人だけでなく、別の階層や外で防衛任務中の全NPCが、魔導国による侵攻を警戒危惧した。

 しかし、それはありえない。ガブの幻術は完璧であり、外で警戒偵察中のナタたちにしても、敵の軍勢などの姿はとらえていなかった。

 だが、マアトが告げる事実は、それ以上の難事であった。

 ギルド内で唯一の遠視能力者にして監視者としての力を与えられた翼の巫女が、彼女の小さい声量を限界まで超える勢いで、叫ぶ。

 

『カ、カワウソ様と、ミ、ミカさんが!』

 

 状況を知った二人は、すぐさま主人たちの許へ向かった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 城砦(じょうさい)の第一階層“迷宮(メイズ)”。

 岩塊の巨人像……デエダラという名の戦略級攻城ゴーレムに見下ろされる「闘技場」に、カワウソとミカは転移していた。ここの守護管理を任せている少年兵・ナタは、拠点外の巡見警戒任務に駆り出していて不在。

 

「ここでなら、いくらでも暴れられるだろう?」

 

 黒い魔剣……神器級(ゴッズ)アイテムのひとつである“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”の機能を応用して、カワウソはミカを強制的に、城砦内でもっとも維持コストや修繕費用の安い階層の、もっとも広大なフィールドに連れ込んでいた。

 魔獄門の剣の機能──転移魔法を応用することで、カワウソは任意の対象をいずこかへ半ば強制的に“飛ばす”ことも出来るのだ。これと対となる天界門の剣も、まったく同じ効果を発揮可能。

 拠点の設備は、破壊された分だけユグドラシル金貨を消耗消費していく。この拠点において最奥部に位置する第四階層は、破壊されたらかなりの出費を覚悟する必要があるが、ここでならまだそういう心配は無縁に戦闘を行える。

 コストのかからない“外”で、スレイン平野の大地でやることは、カワウソの現状認識だと、ありえない。

 外にいる天使の澱のNPCたちの目を集めるだろうし、何より魔導国の監視の目がすでにそこいらをウヨウヨしているかもしれない以上、自分たちの戦闘を垣間見せる機会は極力減らした方がよいだろうという判断だ。

 

「どういう、おつもりです?」

 

 ミカは問い質した。

 

「わざわざ、私が全力で戦えるだろうフィールドに連れ込むなど──そこまで狂っておられるのか、あなたは?」

 

 拠点防衛の最重要地を守護する隊長としては、屋敷を吹き飛ばすような戦闘を行うことには抵抗があるようだ。

 そんなミカの指摘に対して、堕天使はあっけらかんと、何の気もない調子で教える。

 

「俺を止めたければ、全力で止めろよ」

 

 ミカは呆れかえった。

 

「……もっと早くに、お諫めすべきでありました」

 

 女天使は、かつての自分の不手際──判断のミスを恥じているように頭を振る。

 

「あなたを、拠点の外へ出陣させなかったら──あの森へ救命になど向かわせなければ」

「たらればの話はよせ」

 

 堕天使は微笑みを強くしながら言葉を断ち切る。

 あの時は、何の情報も得ていない状況で、カワウソもミカも、話ができそうな現地の人間を救うことに何の迷いもなかった。わけのわからない異世界で、少しでも情報を集められれば、と。

 ただ、そこで知った事実が、あまりにも常識を超えすぎていた。

 それだけ。ただ、それだけなのだ。

 

「遅かれ早かれ。こうなることは決まりきっていたことだ。

 俺は、あのギルド──アインズ・ウール・ゴウンと戦うこと以外、何も望むことがない」

 

 何もない人生だった。

 家族も友人も恋人もない人生の中で、はじめて得た仲間たち。

 旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)

 その絆を終焉させた──否、どう考えてもカワウソ達の個人的な問題に過ぎないが──きっかけとなった存在。

 カワウソがずっと再攻略を夢見て、研究し、検証し、錬磨の限りを尽くした、復仇の相手。

 そんなバカの極みなゲームプレイ──“復讐”を敢行し断行し続けたからこそ発見した、『敗者の烙印』由来の職業・種族……そして、この頭上にある、赤黒い円環の世界級(ワールド)アイテム。

 

「何もないなどと」

「事実だ」

 

 はっきりと断言する。

 恋物語に焦がれる少女よりも健気な、英雄譚に憧れる少年よりも酷烈な、純粋培養の衝動だけが、堕天使の心に灯る熱であり、鼓動。

 仲間たちとの誓いを果たす。

 誰一人として果たそうとしなかった約束を、冒険の(みち)の先を、目指す。

 裏切られ見捨てられ放置された子供(ガキ)が、(ねた)(そね)()ねてイジけるのにも通じる──あまりにも愚昧かつ愚鈍な、希望。

 水底に積もる汚穢(おえ)塵埃(じんあい)の堆積物──(おり)(すく)うような生き方に囚われた、浅ましくて賤しい一匹の獣。

 自分をこのような境遇に追い落とした全てを恨み怨み(うら)み抜いているような、憎悪の心臓で駆動する醜い堕天使(モンスター)

 それが異形種に成り果てた、今のカワウソの、“すべて”なのだ。

 

「で。俺を止めるのに何を使う?」

 

 さっさと本題に入る。

 ミカは躊躇する姿勢を三秒半だけ維持するが、すぐさま光を放つ長剣を腰の鞘から抜き放つ。

 

「私はあなたを止めます。いま、ここで」

 

 決然と言い放つミカは、本気と言わんばかりに背中から三対六翼の純白を、展開。

 彼女の創造主であるカワウソは、当然ながらその戦術や戦略、戦闘能力などを知り尽くしている。

 

 回復系特殊技術(スキル)

 対象との接触時間分の治癒を与える、正の接触(ポジティブ・タッチ)──

 周囲全体へ回復や蘇生をもたらす、希望のオーラⅤ──

 負の存在には致命の治癒空間生成、コロサイの薬泉(スプリング・オブ・コロサイ)──

 攻撃系特殊技術(スキル)

 魔や竜など異形種への特効を持つ、黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)──

 善属性における最高位天使の召喚(サモン)至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)──

 天上体の戦車(セレスティアル・チャリオット)──

 底なき淵の鍵(アビス・シーリング・キー)──

 真剣(トゥルース)──

 

 他にも様々な信仰系魔法や前衛タンク職の防御系特殊技術(スキル)を有する女騎士風の熾天使は、黄金の髪から光の輝きを零し、空色の瞳を創造主たるカワウソの面貌に照準。

 

「殺す気で来いよ」

 

 遠慮はいらないと言いつつ、カワウソも武装を整える。

 左手首の腕輪を念入りに確認。

 そして、正の存在たる熾天使に特効を持つ神器級(ゴッズ)アイテム“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”を右手に。それよりは二つほどランクの落ちる予備武装──聖遺物級(レリック)アイテム“冥界の野花(アスポデロス)”という闇属性の剣を、左手に握る。

 足甲が黒い輝きを放ち、速度ステータスを上昇させる。

 

「でないと、俺が、お前を殺すぞ」

 

 脅し文句にしても安直すぎて薄っぺらい口上であったが、ミカは大いに機嫌を損ねた。

 

「言われずとも」

 

 半身の姿勢で光剣を構えるミカ。

 カワウソは特に構えというものも見せない棒立ちの姿勢で佇むが、第二天(ラキア)の速度特化性能によって、かなりの素早さを発揮可能。それを知っているミカは警戒を深めこそすれ、怪訝(けげん)に思うことはない。むしろどのような挙動を次の一瞬で行うのか予測がつきにくいはず。

 ……時間はない。

 この戦闘は、拠点内の監視確認を行うNPC・マアトには筒抜けのはず。特に「邪魔するな」という命令の〈伝言(メッセージ)〉を送るわけでもなかった為、彼女がガブやラファ、他の拠点NPC全員に連絡を入れている可能性は高い。連絡を受けた者たちが、この闘技場に踏み込んでくることだろう。

 ……邪魔される前に終わらせる。

 即断した瞬間、カワウソは駆けだした。

 彼我の距離は10メートル前後。足甲の強化された脚力だと一秒以下で走破可能な距離を征す。

 対して、油断なく剣を構え、迎撃の刃を突き出したミカ。

 

 それを認めた瞬間、──カワウソは自分の剣を捨てた。

 

 黒い剣が二本とも地に落ちるより先に、ミカの輝く剣が、堕天使の喉元を貫き抉る……

 

「……」

 

 はずだった。

 

「どういう、おつもりです?」

 

 ミカは恐怖か失望か……はたまた裏切られたような戦慄の震えを声に宿して、疑問する。

 あろうことか。武器を捨てて自殺するように飛び込んできたカワウソの身体を、ミカはギリギリのところで剣先を下げ、すんでの所で籠手に覆われた左手を突き出す形で、堕天使の無謀かつ無茶苦茶な特攻を押し留めた。

 そうしなければ、ミカの剣は間違いなく、数ミリ先にあるカワウソの首根を刺し穿つはずだった。

 それは間違いなく、脆弱な堕天使にとって、致命的な結末をもたらす攻撃となったことだろう。

 しかし、そうはならなかった。

 ミカの光の判断速度が、明晰極まる熾天使(セラフィム)の頭脳が、その結末を回避させた。

 ……それでも、ミカにはわからないことが、ひとつだけあった。

 

「何故、剣をお捨てになった──何故、ご抵抗なさらない?」

 

 薄く笑う堕天使は、自嘲するように言う。

 

「いやなに……『死んだらどうなるのか』の実験ができるかと思って」

「ッ、ふっざけないで!」

 

 吠える女天使が剣を突きつけたまま詰め寄ってくる。

 ちょうどその時。マアトから連絡でも受けたのだろうガブとラファ──思ったよりも早かったな。マアトは連絡を徹底することを覚えたようだ──が、第二階層へと続く転移の鏡から駆けこんできた。既に一触即発な状況にあるカワウソとミカの様子に、二人は何か言いかけて、主人の視線に押し留められる。

 カワウソはミカをまっすぐに見つめた。

 

「心配しなくても、俺は蘇生アイテムを装備している」

「それだって! 確実に機能すると、決まったわけではないでしょう!?」

 

 喚くミカが指摘する通り。

 カワウソの左腕──浅黒い手首に輝く純白と黄金に飾られた簡素な装身具、蘇生の腕輪(ブレスレット・オブ・リザレクション)は、装備者の死亡と同時に〈蘇生(リザレクション)〉の魔法を起動させるアイテムだ。

 この異世界で、現地に住まう人間に蘇生魔法は有効であることは、既に調べがついていた。

 しかしながら……“ユグドラシルプレイヤー”にも、同様に蘇生が適用できるのかは、未だ不明。

 この異世界でゲームの法則が通用し、現地の人間は蘇生復活は可能なようだが、“プレイヤー”という異物が、この異様な世界で蘇生可能かどうかなど、カワウソたちには知りようがない。あるいは、ミカが希望のオーラⅤを展開して、カワウソに対し発動することで堕天使への蘇生を果たせるかもだが、それだって絶対の確証があるわけではない。

 だからこそ。カワウソは実験に使えるかとも思った。

 カワウソの装備する蘇生アイテムの力が意味をなさないのであれば、アインズ・ウール・ゴウン……モモンガとの戦いでは無用の長物になりかねない以上、そこははっきりさせておいた方がいいだろう。

 連中と戦う上で、こういったアイテムがどの程度使えるかの下調べは必要なはず。だから、カワウソは「調べようか」と思った。アインズ・ウール・ゴウンと戦うためだけに、自死することすらも平然と行う狂気に、彼本人は全く頓着(とんちゃく)していない。

 だが、

 

「おまえなら、俺を確実に殺せると思ったんだがな」

 

 ミカは手を止めてしまった。確実に殺してくれるだろう実力者にして、動機の方も完璧な存在となれば、ミカぐらいしかありえなかったところなのだが、そううまくはいかない。

 彼女の挙動は、カワウソの命が大事……という風に、好意的に解釈することも出来ただろう。

 しかしながら、

 

「そのような、そのような馬鹿げた暴挙のために、この私を利用したと!?」

 

 ミカの激昂と興奮は、一片もそのような気配を感じさせない。

 彼女は本気で、カワウソの身勝手な行為行動──自殺まがいの策謀に、胸の内に宿した不満を爆発させた。プライドを大きく傷つけられ、馬鹿な試みに利用されかけたことに対して、失望と諦念に濡れた息を吐き落とす。

 

「もう、いいです」主人の喉元に突き付けた刃の先端を、熾天使は瞬きの内に下ろす。「ここまでやって、止まっていただけない以上、私はもう、何も言えませんし、言いません」

 

 カワウソを生き永らえさせ逃げ延びさせるための諫言(かんげん)も、当の主人が自殺するような事態を誘発するとなれば、まったく何の意味もなさない。

 ミカは突き放すように言い募った。

 

「あなたが、そんなにも連中と戦って死にたいというのであれば、

 戦って……戦って……存分に戦ってから、死んでください」

 

 勝手にしろと、望むがままをなせばいいと、憐れみというよりも諦めに近い音色で宣告する。

 そんなミカに対して、カワウソは肩をわざとらしく竦めてみせた。

 

「そこまで悲観することもないさ」

 

 まったく完全に“手”がないというわけではない。

 カワウソが保有する特殊なレベルと特殊技術(スキル)。ミカたちNPCの存在。そして、

 

「俺には、世界級(ワールド)アイテムの他に、もうひとつ“可能性”がある」

「……可能性?」

 

 言って、ボックスから取り出したものは、この異世界に渡り来て、最初に確認した“あるもの”であった。

 クズ鉄か、ガラクタのようなそれを見て、ミカは目の色を変える。

 

「それは……例の?」

「ああ。ユグドラシルで、おまえにも言ってやったことがあったっけか?」

 

 ゲーム時代。天使の澱のNPCを相手に……ただ動き回るマネキン人形みたいなモノを相手に、仲間たちのいない寂しさを紛らわすためだけに、独り言をくっちゃべっていたことが多かった。流れ星の指輪(シューティングスター)とかのレアアイテム欲しさにボーナス全部課金ガチャにつぎ込んだとか。久々にしつこいPK集団に襲われてすごく危なかったよとか。

 

「この異世界でなら、もしかしたら“これ”が使えるかもしれないからな……」

 

 なんとも馬鹿げた賭けだ。

 うまくいかない可能性の方がずっと高い。

 相手は、あのナザリック地下大墳墓……あまりにも高度な防衛能力を有する、難攻不落の地下ダンジョン。噂でしかないが、世界級(ワールド)アイテムの効果によって、他の拠点よりも数段優る防御を張り巡らせているとか。

 

「駄目でもともと。避けられない戦いだというのであれば。“全力”で、“全員”で、ナザリック地下大墳墓に挑んだ方が、状況はマシになるだろう」

「……わかってます」

「ミカ。連中と戦うには、どうあっても、俺の力やアイテムは必要になる。だから」

「わかっていますが、しかし!」

 

 それでも、ミカは止めたかったようだ。

 カワウソの我儘を。

 浅はかで愚かしい挑戦を。

 ただのくだらない──ガキの仕返しを。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンの、あの第八階層の戦闘を、動画やネットで、俺はずっと研究し続けた」

 

 思い続けた。

 考え続けた。

 熱に浮かされることもあった。

 悪夢にうなされる夜もあった。

 喉を栄養食が通らないほど思いつめた。

 仕事が手につかなくなり、上司に叱責されるほど考え込んだ。

 第八階層“荒野”を、1500人を撃滅した力を、攻略するための手段を、一心に思考し続けた。

 

「そうして。俺は、おまえたちを、創った」

 

 カワウソは、ミカたちLv.100NPCを創り出した。

 拠点防衛というよりも、ただの戦略シミュレーションの一環として。

 第八階層のあれらや、あの紅い少女に対抗するための、最適解となりえるモノたちを。

 

 実に馬鹿げている。

 滑稽を通り越して余りある、無駄な試みと評されて相違ない、愚行。

 ただの拠点NPCに、ユグドラシルのゲームシステム上、けっして外には連れ出せなかった存在たちに、第八階層をいかに攻略すべきかの考察を積み重ねるなど。

 

 だが、今。

 この異世界で。

 外へ連れ出すことができる『アインズ・ウール・ゴウンの敵対者』たちを、カワウソは引き連れることができる。

 この状況を、カワウソは利用する。

 利用しないではいられない。

 だからこそ、命じる。

 

「ミカ」

「……何か?」

 

 眉根を悲嘆にか絶望にか、暗く顰める女天使に、告げる。

 

 

 

「おまえは、俺を嫌え」

「…………?」

 

 

 

 ミカが本気で驚いたように目を(みは)る。

 何を言っているのだと問いたげな、完全に虚を突かれたような女の表情に、カワウソは続け様に言い含める。

 

 

「俺を憎め」

 

 

 言葉は、いっそ軽やかな印象を聞く者の耳に与え、涼やかな意思を感じさせる。

 

 

「おまえだけは、…………俺を、…………許さないでいてくれ」

 

 

 絶対に。

 完全に。

 そう、枯れた声で付け加える堕天使を、心の底から憎み切っている──嫌っている──無謀な戦いに全員を巻き込もうとする愚物を(さげす)む瞳が、まっすぐに射抜いていく。

 

「…………それが…………あなたの…………」

 

 カワウソは唇の端を吊り上げ、(わら)った。

 朗らかに。

 高らかに。

 誇るかの如く、命じる。

 

「ああ。

 俺の、命令。いや──望みだ」

 

 望まれ命じられたミカは、金剛石のように固い無表情を重く、重く、歪める。

 伏せた(かんばせ)から、舌を打つ気配が、奥歯の軋む音色が、唇を嫌悪感で噛み千切らんばかりの吐息が、至近で響く。

 真実、命じる者(カワウソ)を殺したくて殺したくてたまらないような、鈍重な嵐のごとく熾烈極まりない空色の眼差しが、堕天使の濁った瞳の奥に突き刺さる。

 

 

「────────了解であります」

 

 

 黒い声で言って、ミカは命令を受諾する。

 主人の首を断ち切らんばかりだった凶器の剣を、光の速さで鞘の内に納めた。強い憤怒に震える手を女の白い指がより白くなるほどにきつく握り、今までにないほど(ひそ)めた暗い視線を、堕天使の面貌から()らして。

 

「……頼むぞ」

 

 小さくなる声で、カワウソは呟く。

 自分は、絶対に、許されてはいけないのだ。

 NPCたちの忠心や誠意を利用して、無為無意味な戦いに身を投じようとしている。

 誰も彼もが喜んでカワウソの為に死のうとしている中で、ミカだけは、……『カワウソを嫌っている。』と設定した彼女だけは、唯一の例外たりえるのだ。

 ミカにまで許されたら、カワウソの罪悪感は無限に増幅したことだろう。この胸に懐く心の重みが、両の脚で立てなくなるほどに膨れ上がったかもしれない。

 カワウソは堕天使の性質を考える。

 下手をすれば、NPCたちを嬉々として嬲り、利用し、獣欲と暴虐の対象にしたかもしれない。

 まるでブレーキの壊れた暴走機関車のごとく、カワウソの愚劣な行為を加速させ続けるのかも。

 

 それを思えば彼女が、ミカが『カワウソを嫌っている。』事実は、良い歯止めになってくれることだろう。

 

 ミカに嫌われ、憎まれることで、堕天使の暴走を抑止するストッパーになってくれるのなら、彼女の存在意義は非常に重要なものとなる。

 だから、命じた。

 だからこそ、願った。

 今あらためて、ミカに望んだ。

 

「嫌え」と。

「憎め」と。

 

 その言葉の通り、ミカは一応の創造主から受けた命令を──願望を──受け入れてくれた。

 もともとが『嫌っている。』設定のミカだからこそ、その命令内容には不満や抵抗がないのだろう。

 ミカは、さっと踵を返すと、やや早い歩調で、第一から第二階層へ続く転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)に向かっていく。その後を、ラファと共にやってきて、事の成り行きを見守っていた聖女──隊長補佐であるミカの親友──ガブが追った。主人に対して丁寧なお辞儀をする銀髪褐色の修道女に、カワウソは特に用がなかったので引き止めない。

 

「……()(しゅ)よ」

「ラファ。例の連絡の方は?」

 

 用のあった牧人(ハーダー)にして従者(ヴァレット)である忠実なNPC、ラファに向き直る。

 

「……ハッ。今しがた、ツアインドルクス=ヴァイシオンと、連絡を付けました。むこうの要請によって、会談は数日後となりますが」

 

 堕天使は微笑(わら)った。

 

「数日後……ね」

 

 さて、どうなるだろうか。

 地獄へと進軍すべく、天使たちを率いて、白金の竜王とやらの住まう領域へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 今、カワウソの知りようがない事実が、ひとつ。

 

 

 

 

 

「待って!」

 

 第二階層“回廊(クロイスラー)”の無限に続く罠の施された──ギミックを解除せねば、最奥にある“天空”への進行は不可能な回り廊下をトボトボと歩く、乙女の背中。

 普段から垂れ流している希望のオーラだけは健在なのが、どこか痛ましい。

 金髪碧眼の女熾天使を、銀髪褐色の女智天使・ガブは駆け足で追う。

 

「ミカ、待って!」

 

 カワウソ様があのように命じたこと──「嫌え」と、「憎め」と、ミカに対し言ったこと──には、きっと深い理由があるのだろう。そうじゃなければ、あの命令はおかしい。もともと主人を『嫌っている。』と定められたミカでも、あんな命令内容を本気で履行してよい筈がないもの。

 そう慰めるように告げてやっても、ガブの上官にして親友たる女は、その弱々しい歩みを止めない。一瞥(いちべつ)もくれてこない。まるで何も聞こえておらず、何も見えておらず、あるいは何もかも感じていないかのように思われるほど、その様は危うい。

 友は、何ひとつとして語ることはない。

 ガブは知っている。

 この様子は、いつものアレだ。

 

 転移初日に命じられるまま彼を殴り飛ばした、後。

 大浴場にいきなり現れたという主を吹き飛ばした、後。

 

 ──否。アレと似ているが、今回のは、極めつけにヤバい。

 

「待ちなさい! 待ってってば──ミカ!」

 

 背中越しに掴んだ友人の肩。

 思ったよりも抵抗が少ない。

 軽い──軽すぎる──熾天使の(くずお)れそうなほど脱力しきった身体を振り向かせた瞬間、

 

「…………ミ、カ?」

 

 そこにある彼女の表情を認めた時──

 

 

 

 ガブは、もう、何も言えなかった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第六章 白金の竜王 へ続く】

 

 

 

 

 

 




連載開始から一年
去年の今、第一話を投稿してから一年

あと半年以内で完結(させたい)

第六章は書き溜めが終わり次第投稿します。
しばらくの間だけ、お待ちください。

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