オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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白金の竜王と堕天使 -1

/Platinum Dragonlord …vol.05

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ふーん。割とやるじゃんアイツら」

「……そうでありんすか、アウラ?」

 

 連中の動向を監視していたニグレドや混血種たち、さらには彼女らの補助要員として派遣されたナザリックのシモベたちもまた、とある連中の監視任務に動員されて久しい時が流れている。

 そんな同胞たちの仕事を邪魔しない位置取りで、──もっと言えば、彼女たちに何らかの反撃措置が降り注いだ際の迎撃要因として、共に連中の動向を把握するという大命に就くべく、この監視部屋の中に持ち込んだ休憩用の丸卓を囲んでいた階層守護者が、二名。

 魔導国“大総監”“陽王妃”たる闇妖精(ダークエルフ)、アウラ・ベラ・フィオーラ。

 魔導国“大元帥”“主王妃”たる吸血鬼(ヴァンパイア)、シャルティア・ブラッドフォールン。

 二人は最高級の紅茶をたしなみ、送り届けられる映像から観察できた戦闘内容について、Lv.100の存在としての議論──意見交換を交わす。

 

「私からしんしたら、あの程度の戦闘が本気だとすると、あまりにも底が浅すぎるとしか思えなんしが?」

「まぁ。それはそうだけどね」

 

 でも、とアウラは親友にして同じ王妃の位を頂く少女の軽率な思索を修正してみる。

 

「ツアーが今回“本気でなかった”ように、向こうも一緒で本気でなかった可能性もあるよね?」

「え……どういうことでありんす?」

「まったく──しっかりしてよ、シャルティア」

 

 闇妖精の乙女は、お茶菓子のケーキを優雅にフォークの先でサクサク切り分け、音もたてずに口へと運ぶ。子ども時代……100年前の元気いっぱいで、だが、乱雑かつお子様だった挙措が嘘のような淑女然とした様子で、アウラは王妃に相応しいものとしての振る舞いを見せる。

 そのまま、頭の弱い──だが、ナザリックで第一位の戦闘力を誇示する親友を、静かに諭す。

 

「覚えてないの? この間、アインズ様が派遣した上位アンデッド四体──死の支配者(オーバーロード)部隊を殺した時のスキルを、あの堕天使は使ってないんだよ?」

「……まぁ、確かに」

 

 無論、あの堕天使のスキル……死の支配者(オーバーロード)たちを“流血させ”“惨殺した”能力は、今の戦闘では「使用条件を満たしていなかったから発動できなかった可能性」も、大いにありうるところ。しかし、あえて堕天使が使わなかった──本気を出さずに、手加減した状態のツアーたちを打ち負かした可能性も捨てきれない。

 金色の麦穂を思わせる豊かな髪を肩まで流す闇妖精の少女は、他の可能性にも言及しておく。

 

「それに。あの堕天使は、ツアーが展開した転移系の“始原の魔法(ワイルド・マジック)”──その発動を警戒するだけの脳みそはある……つまり、考えなしに突進してくるタイプの戦闘狂ってことじゃないんだから、ただ単純に、ブン殴りにいけばそれで済むような“敵”じゃあないってこと」

「う、で、でも!」

「おまけに。ツアーの扱う武装──四本の業物はどれもが始原の魔法(ワイルド・マジック)製の稀少な遺物。ツアーが語るところの、『八欲王との戦い』以降は、指輪サイズの小物程度を創り出すのがせいぜい限界っていうくらいに力を失った魔法の、最後の財宝──そんなアイテムと正面切って戦って善戦できるとなれば、少なくとも私ら並みの能力は必須じゃん?」

 

 ツアーの用意した自動攻撃性能を有する武装に対し、あの天使たちNPCはそこまで後れを取ったという印象はない。純粋なユグドラシル産の武器やアイテムとは発生原因が違うツアーの武装は、ナザリックにとってもかなりの脅威として力を振るう宝重(ほうちょう)なのだ。

 それこそ、シャルティアが洗脳された折に──ツアーが鎧姿で接触を果たしたという、あの時に──ツアーはシャルティアとの不幸な遭遇戦で、鎧の一部を損失。始原の魔法(ワイルド・マジック)製アイテムの補修作業は、ほんの少しの規模でもかなりの力と時を費やすことになるという話。ユグドラシルの法則であれば、素材と金貨と魔法と特殊技術(スキル)などですぐさま創れるのだが、彼の武装はそのような物品とは訳が違う。──だからこそ、始原の魔法(ワイルド・マジック)製アイテムというのは、ユグドラシルの法則で生きるものにとっての脅威にもなりうる。

 故にかつて、ツアーは自分の鎧を傷付けた圧倒的強者(シャルティア)が、ユグドラシルからの来訪者であるという確信を懐き、それ以上の過度な接触と戦闘は避けざるを得なくなったことは、後に彼と盟を結んだアインズから伝え聞いて久しい。

 シャルティアは、アウラの言った内容に対し、ぐうの音も出ない調子で頷くしかなかった。

 それでも、親友はぽつりと反論する。

 

「チ、チビすけだって、この前はすぐにブッ殺しに行くとか言ってたくせに」

 

 慣習として“チビ”と言うが、100年後のアウラは、すでにシャルティアを色々な意味で凌駕している。身長とか──スタイルとか──。

 アウラは、それなりの実りを揺らすようになった胸元を、ほぼ無意識のうちに反らしつつ、数日前のことを思い起こす。

 

「ん。ああ……あの時は、ちょっと冷静になれなかったからね」

 

 愛すべき主人、そして、アウラが愛してやまない男──アインズ・ウール・ゴウンの厚情を無碍(むげ)にした、外の存在。

 あまつさえ、堕天使の口から漏れた目的──“第八階層への復讐”などというカワウソの発言は、アウラにとって、……否、あのかつての1500人の大侵攻で殺された「アウラたち」全員にとって、まったく看過しようのない事実を突きつけていた。

 

 

 

 

 

 100年後のアウラは思い出す。

 ──思い出さずにはいられない。

 あの第八階層に踏み込んだ、最初で最後の連中について。

 

 まだ、アインズ・ウール・ゴウン……モモンガのかつての仲間たる41人が健在で、お隠れになる前に起きた……あの、忌まわしい出来事。

 

 自分たちをナザリック地下大墳墓の守護者としての生を与え、『かくあれ』と創り上げてくれた創造主たち。

 

 それほどの存在を妬み、疎み、暴虐と奪略のために侵攻してきた大軍勢……あの“1500人”との死闘で、アウラたちは一度、ほとんど全員が命を落とした。

 

 第一から第三階層の“墳墓”を任されていたシャルティアを三度も打ち負かし、第五階層の“氷河”で数多の宝剣や神槍を振るったコキュートスを打ち倒し、アウラたちの第六階層へと侵攻した──プレイヤーたち。

 土足で神聖なナザリックの庭を踏み荒らしていく愚物ども。

 そんな連中を排除すべく生み出され、階層守護者としての力を授けられた、闇妖精(ダークエルフ)の双子。

 しかし、敵の規模と質量は、これまでの脆弱な小勢の比ではなかった。

 無残にも敗れ去りゆく、闇妖精(ダークエルフ)が率いた魔獣の軍団。

 アウラを庇って散った、フェンとクアドラシルの末期。

 姉を守ろうと防御と回復を与え続けた森祭司(ドルイド)を優先的に排除しようと姦計を凝らした侵入者の猛攻によって──アウラの弟、──マーレが。

 

『──お姉ちゃん!!』

 

 そう泣いて、叫んで、砕けた、マーレの姿。

 

『──、マーレッ!!?』

 

 アウラが指を伸ばした先で尽きていく、これまで共に在り続けてきた、双子の片割れ。

 これ以上などないほどの絶望と憤怒と悲嘆に、アウラの精神が蹂躙の坩堝に(おちい)った。

 たった一人となって、それでも、鞭を振るい、弓矢をつがえ、慟哭と咆哮をあげた最後の抗戦の果てに──双子たちが守護する第六階層“ジャングル”は、落とされた。

 

 アウラもまた、あの時に敗れ、死んだのだ。

 

 

 

 結局。

 あの時の大侵攻は、第八階層のあれら(・・・)とルベド、そしてヴィクティムの布陣によって、御方々の居住地たる第九階層へと至らずに済んだ。

 すべてが終わった後、死んだアウラたちは、慈悲深き御方々によって、復活を遂げた。

『よくやった』と労ってくれた。

『さすがはナザリックのNPC』と誉めそやしてくれた。

 そして、あろうことか、自分たちのような無能を──侵入者たちの攻勢に抗しきれなかったシモベたちを許し、アインズをはじめ御方々全員が、アウラたちを元の守護者としての役割を与えてくれたのだ。

 そうして、復活した皆が、誓った。

 

 今度こそ護り抜く、と。

 二度と失態は犯さない、と。

 

 その後、アインズ・ウール・ゴウンの強大さをようやく覚ったのか、侵入者たちの数と勢いは激減した。

 アウラとマーレがいる第六階層どころか、コキュートスの第五階層にすら、侵入し果せる敵は現れなくなってより、長い時が流れた。

 ……その間に、アインズを除くほぼすべての御方々が御隠れとなり、その果てに、この異世界へと転移を果たしたのが、100年前。

 この魔導国に、世界を征服したアインズが君臨してより、100年の後に現れた……あの大侵攻の関係者。

 1500人の討伐部隊のうちの一人であろうプレイヤー。

 名は、カワウソ。

 

 

 

 

 

 アウラは左右で違う瞳の色に、殺意と憎悪の(かげ)を差し入れる。

 

「──あの堕天使が、私たちを、……マーレを殺した奴の仲間だったのなら」

 

 まるで闇妖精の怒気が、殺気が、濃密な瘴気のごとく辺りに立ち込める。陽王妃たるアウラを知るものには馴染みにくい、度外れた敵意と戦意と悪意によって、この場にいるシャルティア以外の存在を、一様に委縮させてしまう。彼女が無自覚に放った、甘い香りのスキル──絡みつくような“恐怖”の効果だ。

 

 絶対に、許さない。

 許していい筈が、ない。

 

 けれど、アインズは今も尚、カワウソたちを救命し、協力する手段を模索している。

 それは“彼等の為”というよりも、自分達ナザリック地下大墳墓と、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の、“アインズたちの今後の為”に、必要な措置であった。

 それは解っている。

 それくらい、王妃の一人として当然知ってはいるし、理解もしている。

 解っているからこそ、アウラたちは強硬な反対姿勢を取ることはない。

 判っていても、カワウソとやらへの疑念と懸念は、まったく拭いきれない。

 シャルティアの記憶している限り、見た覚えがない堕天使プレイヤーの姿は、おそらくあの討伐行に失敗した後に獲得したもの。

 アウラにしても、あんな醜悪で怪異な、浅黒い人間の顔に、漆黒の虚のごとき隈を刻み込んだ男の相貌は、とてもではないが忘れられそうにない類に位置する。デミウルゴスなどが記憶している侵入者の顔……討伐隊とやらの連中が撮影し残していた動画(もの)を、ナザリックの図書館で保管されていた記録(それ)を、アインズの許可のもとで拝見して再精査までして、同じ顔が存在しなかったことは確認済みの事実。

 

「これ、アウラ」

 

 パチン、と少女の額を中指で軽く浅く弾く音が。

 

「イタッ!」

「少しは冷静に、ものを考えなんし」

 

 言い含めるシャルティアの表情は、信頼に満ち満ちた、同胞の不注意を窘める色合いに溢れていた。アウラからこぼれていた甘い恐怖の香りがパタリと途絶える。

 別に痛めたわけでもない額を押さえつつ、アウラは抗弁を吐き出した。

 

「ちょ。あんたが、それを言うわけ?」

「わた……わらわだからこそ、目先の事柄に囚われ過ぎるなと、そう忠告しているでありんすが?」

 

 その言葉に込められた重みに、アウラは憮然となるばかり。

 

「……まぁ。確かにね。あいつらが、あの堕天使が、私たちを殺した連中の一党だったとしても、それよりもまず、優先しておかないといけないことがあるわけだし」

 

 アウラたち自身の悲憤や怨恨などよりも、もっと肝心で、もっとも重要なこと。

 

「至高なる御身を御守りしんすこと」

「うん。そして、アインズ様の望むことを成し遂げること」

 

 王妃たる二人、微笑みあう乙女ら、Lv.100NPC両名の想いは、確実に合致していた。

 この100年。創造主たちに『かくあれ』と定められた関係も、それなりの進展ぶりを遂げて久しい。

 同じ“男”を愛し、愛される者としての関係。

 そんな同志にして同士の意見は、ある方向に終着を見る。

 

「いずれにせよ」

「あの堕天使たちは、油断ならない“敵”ということでありんすね」

 

 今回の戦闘でのツアーは、まったく本気で相手を潰す気がなかった。

 そんな気があれば、白金の竜王が有する最大火力の始原の魔法(ワイルド・マジック)──周辺地域への被害をものともしないで放出した場合に生じる、大爆発の閃光は、アウラやシャルティアたちLv.100NPCでも命の危険に陥るだろう規模の破壊と暴性を可能にする。

 幸い、アインズとツアーが共闘関係を結び、両者が同盟を交わしたことで、彼の竜王の繰り出す焦熱が、ナザリックの存在に対して害をもたらしたことはなかった。

 それでも、その威力を、その大破壊の実現を、一度だけ直接目にする機会はあった。

 あの“スレイン平野”での「事件」で。

 

 そして、竜王たるツアーの性能は、本気は、あの程度の戦闘では済まない領域に位置する。

 堕天使が握り砕いた得物が……魔導国より支給された、最高位の冒険者に下賜される大剣が、もしもユグドラシルの存在では抗するのに不安がある“始原の魔法(ワイルド・マジック)”製の武器であったら、カワウソは白刃取りに成功することなく、確実に片腕を失っていたはず。

 一応、始原の魔法(ワイルド・マジック)の力を、ユグドラシル産の最高位の装備類──神器級(ゴッズ)アイテムなどは完全に防御してくれるが、あの堕天使たちの貧弱な備え……素手などでは、かなり危うい状況だったと言わざるを得ない。

 本当に運がいい。

 

「ツアーの鎧の中身──竜騎士の異能の力まで発揮されていんすのに、なかなか一筋縄でいかなそうでありんす」

「確か今の竜騎士は、“相手を拘束することに特化した”この世界の異能力使いだよね?」

「竜王の鎧に適合できる存在は、稀少。それ故に、竜の鎧の中身を加えることで、単純な戦力強化にも使える仕組みでありんすからね」

「うん……それに、あの堕天使。堕天使のくせに、やたら強い感じだよね。特に、あのすばやさ。天使のNPC(シモベ)から強化を受けていると仮定しても……信仰系魔法かなんかで、何かの加護でもくっついてるのかな?」

「ふむ。同じ信仰系魔法を嗜む身としては、神とやらの力など、至高の御方々の足元にも及ばぬと思いんすが──、それよりも気になるのは、あの女熾天使……」

 

 シャルティアの信仰対象は、始まりの血統・神祖カインアベルだが、アインズ達41人が赴いた“ざこいべんと”の“ぼす”に過ぎない。それと同じように、カワウソが信じ重んじる神とやらの程度もそこまで重要とは思われない。少なくとも、シャルティアたちの認識の上では。

 そんな目に見えない脅威よりも気がかりなのが、兜と鎧で全身を守る、六翼を広げた女天使の、あの輝きの力。

 ミカとかいう熾天使の垂れ流す、希望のオーラのスキルが、シュルティアには甚だ脅威的に思える。

 自分たちの主人が誇る絶望のオーラと同格(認めたくはないが、それと同程度)の力を行使する女の存在が、完全に目障りでならなかった。

 

「飛竜騎兵の領地でも見たけど──本当に、大丈夫かな?」

「ふむ。今のアインズ様であれば、心配無用でありんしょう」

 

 現在、ナザリックに籠っているべき御身──愛する殿方の我儘を聞いていた二人は、主人にして夫の采配に、不安など無い。

 この100年の歴史が、ナザリック地下大墳墓の栄光の歩みが、彼女たちが信じるに値する結果であり、すべての結論たりうる。

 

 アウラとシャルティアは、カワウソが竜騎士の鎧を砕いてみせた(というか、あれはツアーが自分で分割して、内部に到達するダメージを発散して逃がしたのだ。でないと、あそこまで派手に分解されるはずがない)間も、監視任務の合間に設けたティータイムを、共に(たの)しみ続けた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ツアーからの“試し”とやらで、カワウソたちは完勝を収めていると言ってよい。

 ミカやラファを襲う四本の武器は床の石畳に落ちて突き立ち、ガブを拘束していた巨大な籠手は、もとの白金の板金に戻って散乱している。三人はようやくカワウソの前後を守るように布陣し直し、カワウソと共に、竜王の鎧の中にいたある者を見つめて、素直な驚嘆を露にする。

 カワウソは事実を確かめるように、鎧の中から現れたものを、呼ぶ。

 

「アンタ……いや、君は、……女の、子?」

 

 年のころは、高く見積もっても、二十代そこそこ。

 竜騎士の鎧の内にいたのは、見目麗しい純白の髪の乙女だった。

 まるで人形のように可憐かつ細美な姿で、自分が一糸纏わぬ白い女の裸体を晒していることにも頓着していない。

 羞恥に頬を染めるでもなく、激昂に瞳を潤ませるでもなく、ただ、自分がこの場にいる者たちに『敗北』した事実に、自分を守ってバラバラになった鎧の部品を抱いて、竜騎士は一言だけ呻く。

 

「申し訳ありません。ツアー様(・・・・)

 

 その声は清廉潔白。湧き上がる泉の水のように、どこまでも透き通って聴こえる。

 どう考えても、カワウソ達と先ほどまで言葉を交わしていたそれとは似ても似つかぬ、硝子のように無機的で、造り物のごとく美しい声域であった。

 

「私の力が及ばず。──敗けてしまいました」

『謝る必要はないよ』

 

 聞き覚えのある、カワウソと会話していたはずの竜王の声。

 その男の声は、白い少女の唇や喉を通っていないと、判る。

 

『いやいや。意外とやるようだね、“君も”』

 

 なかなか見所があって安心したと言祝(ことほ)ぐ声の主を、その発生源を探るようにカワウソは周囲を見渡して、ある方向を振り返る。

 

「……な……に……?」

 

 完全に不意をうたれたカワウソたち。堕天使は目を(みは)った。

 振り返った先で浮かび上がっているのは、鎧の頭部を構築していた、兜。

 

 ──それだけだ。

 

 その下の全身は、ない。

 あるべき身体の部分は、どこにもない。

 

 つまり、兜だけが、空中で浮遊し静止しているようなありさまである。

 

 全身部分のパーツは今も石畳の上に散乱しており、兜の中に人が入り込んでいるはずが無い。小人でもいれば別だろうが、重い造りをしていると判る──人間の頭ほどもある金属の塊を持ち上げ、浮遊できる小人がいるものだろうか?

 そうして、堕天使はまたも驚かされる。

 カワウソの一撃……ガブの特殊技術(スキル)を借りた必壊の拳によって、少女から脱落し分解されつくしたはずの鎧、その部品たちが、ひとりでにカタカタと震え動き、見えない糸で釣り上げられ操られるかのように宙を舞い始める。

 細かく分割されていたそれらは、四方に弾けていた鋼板や装飾を集合させ、手甲や足甲が徐々に形を取り戻し、胸や背の装甲版が胴体の部分を構築して、まったく全自動で元の形状に整いながら、中におさまっていたものを守るかの如き位置取り──ひれ伏す少女の前方の空間に佇んだのだ。

 

 最後に、少女がかき抱いていた部品、竜の(たてがみ)か尾のようだった腰布が、名残惜し気に細い指先から離れる。

 首のない竜騎士の鎧……空っぽの(うろ)を首のあたりから覗かせる全身鎧が、自分の中身になっていた少女に対し、命じる。

 

カナリア(・・・・)。あとは僕が応対するよ。君は部屋に戻りなさい』

「かしこまりました」

 

 カナリアと呼ばれた白い髪の乙女は悄然としつつも、主人然とした鎧の紡ぐ命令に従って、自分が裸身であることにも構わない堂々とした足取りで、そのまま玄関ホールを後にした。

 

『いや、すまないね。こんな歓迎の仕方をしてしまって』

「あ──アンタ、いったい?」

 

 竜王の正体は、異形種の動き回る鎧(リビングアーマー)

 ……否。だとしたら、中に人間の少女を詰める必要などないはず。

 そもそも竜王──“ドラゴンロード”という触れ込みを考えるならば──

 

「その鎧は、ドラゴンの仮の姿……って、ことなのか?」

『まぁ。分類としては、そういうところだね』

 

 自分の頭……宙に浮かぶ兜を最後に持ち上げ、クルクル手の中で回してもてあそぶ様子は、アンデッドの首無し騎士(デュラハン)を彷彿とさせる軽快な動きだ。鎧の首と接合を果たした兜の眼部分(スリット)に、白金の瞳を思わせる輝きが灯る。

 

 ユグドラシルにおける(ドラゴン)というのは、非常に強力かつ特殊な存在として人気を集めていた。

 だが、プレイヤーが異形の種族として、大人気かつ超強力な“竜”を選択することはできず、同系統の“竜人”などは「NPCに限定された種族」とされる。同じようにNPC限定の種族はそれなりの数にのぼり、それらは例外なく、かなり強力かつ有能な存在となりえるが、その分だけ稀少価値も高いため、ガチャで落ちるのも珍しい傾向にあるのは当然の仕様。強力な“竜”を仲間にするには、超強力なテイムを使うか、課金などで傭兵として使役する程度の方法しかない。飛竜騎兵が扱うような小物の竜程度であれば、召喚して騎乗することは比較的容易だが、“狩り”で人気を集めるタイプの「本物の竜」は、それほどまでに稀少な種族だった。ユグドラシルでは。

 

 そして、

 竜というのは、時に人間を導き、時に人間を堕落させる存在。

 竜は、人と交流し友好関係を構築する者もいれば、

 また、人を支配し隷属契約を強制する者もいる──少なくとも、ユグドラシルの設定においては。

 そんな竜たちが人々と交わる際には、その強大な竜の姿のままでいるよりも、人と同じ目線に立ち、人の姿形をとることで、人との友情や信頼を育み、人の悪意や劣情を喚起しやすい形態として、人型の生物に身をやつす個体も存在したという。

 

 この異世界に住まう竜王……アーグランドの領地を治める彼等は、“竜の王”……ならば、ゲームでおなじみの、あの巨大な爬虫類然とした威容をしている方が自然とすら言える。

 にも関わらず、カワウソは今の今まで一度も、竜王の竜らしい姿を間近にしたことはない。

 ツアーが“鎧の姿”──人でも竜でもない形状で応対している現在の状況を、カワウソなりに推察してみる。

 

「変身の魔法とかじゃあ、ない、よな?」

『ああ。僕は変身系統の始原の魔法(ワイルド・マジック)は不得手でね。父や兄姉、親族の皆が扱えたような、純粋な人間形態は保てないんだ』

 

 その代わりとして。

 彼は親族の竜王が残した魔法の鎧……この、白金の竜鱗鎧(スケイルメイル)を、己の手足のごとく動かすことで、人の世界に紛れ込む手段を確立したのだと。

 

「あの──いや、その“始原の魔法(ワイルド・マジック)”というのは?」

『うん。とりあえず、玄関で立ち話もなんだから。よければ案内させてほしい』

「……案内?」

 

 思い返してみれば、ここは宮殿の出入り口付近。ツアーの家の玄関先に他ならなかった。

 中身が空っぽの鎧は、優雅とも言える挙措で、今度こそ招待客たるカワウソ達を(ぐう)してくれる。

 

『改めて、ようこそ。

 ユグドラシルプレイヤー・カワウソ君。

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)()()──“アーグランドの宮殿”──天界山・セレスティアへ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ツアーたち竜王の情報は、本編ではまだ謎が多いため、D&Dの情報を参考にしております。

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