オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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 総集編映画の後編が公開されましたので、第二章を投稿。
 ツアーの鎧、はじめて見たけど予想以上にかっこよかったなぁ。数秒だったけど。
 そして……


第二章 至高なるアインズ・ウール・ゴウン魔導国
混乱


/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 聞かされた単語の意味するところを、カワウソは理解できずにいた。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 それはまさに、カワウソが攻略に挑み続けた、ギルドの名前。

 

 いきなり茫然自失(ぼうぜんじしつ)(てい)に陥るカワウソの様子を奇怪気に眺める少女の呼びかけにも、堕天使の男は反応を返さない。

 返せない。

 返せるはずがない。

 

「今、何て言った?」

 

 だから。

 問い質したその声は、カワウソのものではなかった。

 男の隣にいた黄金の女天使、ミカは、兜の面覆い(バイザー)を押し上げ、名状しがたい感情に(いろど)られた表情を(あらわ)にする。

 少女はミカの碧眼に射竦められ、瞬時に凍り付く。

 ミカがはじめて少女に対して、声を浴びせていた。

 その普段よりも冷徹に研ぎ澄まされた声音は氷のように肌を滑り、少女の耳を貫き、そのまま脳髄に突き刺さる針のよう。

 

「答えなさい──あなたは、今、何て言った?」

 

 声に宿る温度とは対照的に、女天使の内には、余人には推し量ることなど不可能な劫熱(ごうねつ)を潜在させ、()(たぎ)っていた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン? それは一体、何の冗談なのでありやがりますか?」

「ひぇ…………あ、あの」

「さっさと答え」

「よせ。ミカ」

 

 明らかに怯える少女に詰め寄ろうとした天使を、カワウソは引き剥がすように命じる。

 ミカは何かを言おうとして、そこに佇む主の表情を見つめ、あっさりと引き下がった。

 そんな天使の様子を横目にしつつ、堕天使の青年は膝をついて、少女の瞳を見つめる。

 

「その、アインズ・ウール・ゴウン、魔導、国? ……から、おまえは追われているんだ、な?」

「は、はい……? え、あ、あの」

 

 カワウソは視線を大地に落とす。

 

「そうか……いや、気にするな。こっちの──そう、こっち、の、事情、だ……」

 

 意識が若干──ほんの少しだけ、ふらついた。

 

「少し、休憩しよう。ミカ、ヴェル(こいつ)を、あー、そう……」

 

 彼が空間から取り出したのは粗末な鋼の板、スチール製の扉を思わせるミニチュアである。これは“地下避難所(アンダーグラウンド・シェルター)”という簡易野営拠点を作成するアイテムだ。同じ用途のもので、規模が小さめのものだと天幕(テント)、大きなものだと隠れ家(シークレットハウス)、巨大なものだと要塞(フォートレス)(タワー)などが存在する。魔法詠唱者が常時魔力を消費して創造作成することもできる簡易拠点だが、カワウソも、そしてミカもそういう魔法は修得していない。このアイテムはそういう魔法を使えないプレイヤーが野営を行う際に、アイテムを消費することで野営拠点を創り出すことを可能にするアイテムなのだ。

 放り投げた一枚の板切れが地面に触れた途端、大地に設けられた大きな長方形の鉄製シャッターに早変わりして、来客を招くようにガシャガシャと口を開けた。その奥は、地下へと続く階段が伸びており、下り階段には等間隔で〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉が灯っている。

 

「この中で、一緒に待機しておいてくれ」

「……カワウソ様」

 

 ミカは何か言いたげな瞳で主を見やった。

 

「待って、ろ」

 

 カワウソはミカに立たされ歩く少女を見ることができない。扉の奥へ降りていく二人。感じられる周囲に人の気配がないことを確認すると、監視を続けるマアトに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。自分を監視対象から外すよう厳命するために。

 抗弁しようとするマアトを、語気を強めて屈服させた。

 渋々という感じで承知の声を奏でた少女との繋がりが、断たれる。

 これで、カワウソは誰の目も気にすることは、ない。

 

「……ッ!」

 

 奥歯が砕け散りそうになるほど、空気を噛んだ。

 

「――ッ!!」

 

 剣を振り下ろす。

 転がる死の騎士(デス・ナイト)の骸に向かって、カワウソはさらに攻撃を加える。光の斬撃が、モンスターの骸を縦に両断してみせた。

 

「ッッ!!!!」

 

 死体蹴りならぬ死体斬りの二撃目により、骸は粉々に断裁される。

 カワウソはもう一本、聖剣とは対となる魔剣を左手に抜き払い、横薙ぎに森を吹き飛ばした。

 光輝く刃が、さらに森へと破壊を加えていき、さきほど切り開かれた場所以上の暴力を幾度も振るっていく。少女が落下しかけた崖にまで破壊は及び、まるでひとつの荒れ地が現れたかのように、岩塊や森の残骸が生成されていく。

 

「――、――、――、ッッッ!!!!」

 

 ひとしきり剣を振り終えると、カワウソは両手の剣をさらに振り下ろす。

 

「ぁあぁああぁぁあああぁああああああああぁぁぁああああっ!!!!」

 

 大音声(だいおんじょう)が喉の奥よりも深い(からだ)の底から吐き出された。

 地を貫いた二本の刃が、一帯を閃光で染め上げる。

 光。爆音。

 一瞬の後に、目の前から何もかもが消え去った。

 樹々も大地も、光の刃の内にとらえられ、世界から存在という存在を消失していた。地響きがそこかしこでうなりを上げ、宙に放り上げられた岩盤などが、森に大地に降り注ぎ、また轟音を奏でる。

 さらに大きく気を吐いた。肩の線が激しく上下する。

 胸の内にわだかまるマグマのような熱が喉を焼くかのように思えた。実に狂気的な暴力と惑乱の様であるが、カワウソはそんな自分をどこか遠くに感じることしかできない。

 

 これは、いったい、何だ?

 何なのだ、これは?

 何かの冗談か?

 それとも自分の脳が描いた、悪辣(あくらつ)な夢?

 

 内側より生じる興奮と混乱によってふらつく堕天使の背に────人の手の感触が。

 

「ッッ!!」

 

 反射的に振り返ると、ほとんど自動的に背後の気配を、剣を左手に持ったまま掴み上げ、喉元に右の剣先を当てる。

 だが、

 

「……………………」

「…………ミ、カ?」

 

 カワウソは、兜を脱いだ女天使を、その冷徹な無表情を、これまでにない至近距離で、眺める。

 冷たい聖剣の刃を首筋に当てられながら、女天使は厳然とした態度で、カワウソの暴力に自らをさらしていた。

 しかし、()せない。

 

「──シェルターに、入っていろと、命じた、はずだが?」

「申し訳ありません」

「──命令に、背いたのか?」

「申し訳ありません」

 

 女は悪びれる様子も見せず、主人の暴力が込められた剣持つ右手を”握って”いる。

 そうしていなければ、カワウソは勢い余って彼女の首を()ねる──ことは不可能だろうが、それなりのダメージを負わせていたかもしれない。いくらギルド最強の防御性能を誇るミカであっても、喉や首への攻撃は致命傷(クリティカルヒット)になる。そんな傷を被れば、それなりのダメージ計算になるのだ。ユグドラシルでは。

 

「……あの()は? どうした?」

「私の作成召喚した天使の監視下にあります」

「ッ……天使作成は。俺が行うと……そう決めていたよな?」

「申し訳ありません」

 

 平坦な声が続いた。

 苛立ちのあまり、それ以上彼女を掴みあげることすら嫌になった。

 というよりも、恐ろしかった。

 NPC(ミカ)は、カワウソの命令を反故(ほご)に出来る……それはつまり、カワウソがずっと不安視してきた懸念を……彼女たちの反乱の可能性を補強する、厳然とした実証であった。

 何かを間違えれば、彼女(ミカ)たちはカワウソの意を離れ、暴走し……挙句の果てには主である自分(カワウソ)を追い殺すモノに変異するやも。

 その懸念を払拭することは出来そうにない。

 すべては、カワウソの設定した通りのこと、故に。

 だとしても、あえて(たず)ねずには、いられなかった。

 

「どういうつもりだ?」

「……私は、あなたが嫌いです」

「俺の命令には、従えない……と?」

「……従うべきでないと判断すれば」

 

 怜悧な眼光は臆することなく言いのける。

 不安と恐怖が楔のように胸の中枢を貫き、カワウソの臓腑の底を火で炙るように凍てつかせる。おかげで、まったく冷静になれない。冷静に考えれば、少しは女天使の扱いを、マシな感じに取り繕うべきだったと判る。しかし、カワウソは出来なかった。ミカという存在が、あまりに危険なものに思えてしようがない。いっそのこと、この場で……とも思考するが、それは無理だ。ミカのレベル構成は、悪属性や負の存在、異形種(モンスター)への特効に秀でており、属性が「中立」で一応は「天使種族」のカワウソには特別な効果をもたらさないが、本気モードになった際の熾天使(セラフィム)は、どうあがいても堕天使では(かな)わない。おまけに、ミカは“熾天使以上”のレア種族の力も宿している。装備類についてもカワウソと同程度のものがいくつか存在し、さらにおまけにカワウソの戦闘スタイルとは絶望的に相性の悪い、防御力重視の前衛タンク……本格的な実戦仕様(ガチビルド)だ。

 

 結論として。カワウソは、ミカを殺せないだろう。

 その逆であれば、簡単に成し遂げられるだろうが。

 

 主の震える手から解放された天使は、ずれた鎧甲の位置を直しつつ、軽蔑するような視線を、怒りにか紅潮する頬を、すべてカワウソに寄越す。

 耐えられず、カワウソは命じることで彼女の視線から逃れた。

 

「……勝手な行動は、するな。次はないと思え」

 

 二つの剣を空間にしまいつつ、吐き捨てるように告げる。

 

「……了解」

「今、おまえが見たことは忘れろ。いいな?」

「…………」

「返事は!」

 

 押し黙るミカは、主人に強く返事を促されてから、ようやく頷いてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下に続くシェルターにミカを連れて降りたカワウソは、金庫のように重厚な造りの扉を開いた。いくつもの留め金が外れる音が連鎖し、外部からの干渉や攻撃に万全の備えを誇る避難所の中へ。

 そこで、火の粉舞う二体の最下級天使に守られ……監視されていた軽装剣士の少女と再会する。

 

「待たせて、すまなかった、な」

「いえ、あの、大丈夫です」

 

 この簡易拠点はシェルターというだけあって、防音性や衝撃緩和に優れている。外でカワウソが行っていた凶荒の気配は一切、ヴェル・セークという少女の知覚できるものではなくなっていた。

 カワウソはとりあえず、立ちぼうけをくらっていた少女をカウチの一つに導いた。ミカに客対応を任せるのは無理だなと納得する。

 シェルターの中は地下というロケーションから外の光は入ってこないが、〈永続光〉の放つ真昼のような輝きで満たされており、外の鬱蒼(うっそう)と生い茂っていた森の中よりも明るいくらいだ。他にも種々様々な調度品や内装で飾られており、カワウソたちのギルド拠点にある一室を思わせる。

 

「あの……お二人は、外で、一体、何を?」

 

 四角く座る少女の疑問に、カワウソは「敵の伏兵を片づけていた」と説明する。

 勿論、これは嘘だが、少女には真偽を量る手段など、ない。

 

「質問を繰り返すが、おまえは、アインズ・ウール・ゴウン……ああ」

「魔導国」

 

 聡明なミカの声が、カワウソの問いを補助してみせる。

 チラリと女天使を睨みつけそうになるが、ミカは冷厳としたすまし顔で佇んでいるだけ。

 

「……その、ギルドの一員……いや、じゃなくて魔導国の、国民ってこと、だな?」

「ええ、まぁ……そういうことに、なります?」

「魔導国で、おまえは不敬罪を働き、追われている、と」

「あの……あなたたち、一体」

 

 何を聞かれているのか判然としない少女は、たまりかねて質問し返していた。

 これは止む無きことだとカワウソは考える。

 一国により支配されている土地の中にあって、その国の事情などを知らない存在がいるだけで怪奇的だ。日本という島国にいながら「私が今いるこの国の名前は何ですか?」なんて質問されたら、カワウソだって同じ反応を返すだろう。

 だが、それをカワウソの副官のごとき女天使は許そうとしない。

 

「質問はこちらが先です――答えなさい」

「ミカ」

 

 名を呼んで軽く叱りつける声をあげる。

 ミカは憮然と主人の視線を見つめ返すが、すぐに瞼を伏せて抗弁を控えた。

 

「すまん。こいつはこの通り……短気でな」

 

 短気という性格は、ミカには組み込んでいない。

 ミカはどちらかというと『深謀遠慮、冷静沈着、頭脳明晰、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)最高の叡智を誇る隊長』という設定文を与えた存在。むしろ短気というのなら、外の森を荒れ地に変えたカワウソこそが短絡的だろう。

 この時のカワウソは、ミカの存在を煩わしく思うことはない。

 むしろ、この場においてはうまい具合に利用できると考えた。

 ヴェル・セークという少女は、あからさまにカワウソとミカを不審に思っている。二人の頭上に浮かぶ赤と光の輪も珍奇に映るだろう。だが、この二人はまがりなりにも命の恩人であり、追跡者たちから少女を救い出した庇護者の立場だ。目の前の少女が本当に罪を犯し逃走中となれば尚の事、カワウソたちの力を借りることで己の利に変えようとするは必定。だが、ミカはヴェルに対してまったく好意的な態度を見せない。友好関係を構築しようとしても、失敗に終わるだろうことは明らか。

 であるならば、まだ理知的かつ友好的に接することが可能そうなカワウソと、親交を保つことを考えるだろう。

 ――ひどいマッチポンプだ。警察の取り調べでもあるまいに。

 

「とりあえず確認の意味も込めて、答えてくれ。おまえは魔導国の一員、アインズ・ウール・ゴウンの配下、そういうことだな?」

 

 こくりと、少女は声も出さず――出せず――首を縦に振る。

 

「……そうか。うん」

 

 ミカを伺うように見ると、女天使は首を静かに横に振るのみ。

 少女が嘘をつく理由がない。少女の挙動についても、不審な点は見受けられない。

 ヴェル・セークという少女は、確実に嘘をついていないと見て、間違いないだろう。

 カワウソは考える。

 考えて、考えて、考えて――ひとつの事実を確かめる。

 

 

「その、アインズ・ウール・ゴウン……魔導国の話を、詳しく聞かせてもらえるか?」

 

 

 とにかく、状況を確認しなければならない。

 そのためには、まずヴェルという少女から、聞き出せるだけの情報を取得せねば話にならない。

 この世界に、アインズ・ウール・ゴウンなる国があるとして、それが本当に、カワウソの知るギルドと同一であると考えるのは、(いささ)か早計だろう。──奇跡のような確率で、同一の名称を掲げた“だけ”の国という線も、なくはないのだ。

 ――たとえ、聞けば聞くほど、その国がユグドラシルのギルド:アインズ・ウール・ゴウンと符合し酷似した部分を大量に備えた存在だとしても、カワウソは冷静に、少女からの説明を、脳内のメモ帳にくまなく筆記していく。

 

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンとの符合点。

 

 

 まず、守護者と呼ばれる存在……拠点NPCの名称と合致する事実。

 各都市の統治などの国家の中枢を担う務めを果たすのみならず、新造都市の建造や学園機構での講義授業なども行っているという、魔導国内でも最上位階級に位置するシモベたち。

 

 ──シャルティア・ブラッドフォールン。

 ──コキュートス。

 ──アウラ・ベラ・フィオーラ。

 ──マーレ・ベロ・フィオーレ。

 ──デミウルゴス。

 

 この五人の名は、当然の如くカワウソは知っている。

 というか、シャルティア・ブラッドフォールンに至っては、かつての攻略時に、実際に戦ったこともある存在だ。

 かつて、ナザリック地下大墳墓を攻略するべく編成された討伐隊は、第七階層までを順当に攻略し、その階層を守護する「階層守護者」なるLv.100NPCと交戦し、その際に知り得た戦闘能力などはWikiにも記載されることになった。唯一、未確認情報とされているのが、それ以下の階層――あの第八階層にいた少女と、あれら(・・・)など――の情報くらいなもの。

 他にも、魔導国宰相にして最王妃のアルベドや、魔王妃などの名が語られるが、それらの名称について、カワウソは聞いた覚えがない。ナザリック第八階層以下……第九階層にいる存在? あるいは攻略部隊の到達していない領域の守護者か? ひょっとすると、現地人という可能性もなくはないだろうか?

 

 次に、魔導国の首都……ギルド拠点、ナザリック地下大墳墓の存在。

 城塞都市エモットと呼ばれる超常的な規模と魔法に守られた要害の中心……不可侵地帯にあるらしく、そこを訪れることが許されることは、魔導国の民にとっては至高の栄誉とされる聖域なのだと、ヴェルは簡潔に口にしていく。

 ちなみに、ヴェルはナザリックどころか、その城塞都市にさえ立ち入ったことはないという。

 

 そして最後に、魔導国の国主は、最上級アンデッドの“死の支配者(オーバーロード)”であるという事実。

 

「…………」

 

 カワウソは口元に手を添えて黙考する。

 ここまで見事に名称と内実が一致しておいて、まったく無関係な存在ですなんて理屈は通りそうにない。

 少なくとも、カワウソはアインズ・ウール・ゴウンという名を(いただ)く魔導国が、自分の知るユグドラシルのギルドそのものであるという確信を抱きつつあるくらいだ。

 それでも、さまざまな謎は残る。

 

 建国から100年近いという歴史を誇るという魔導国。大量に使役されているらしいアンデッドの軍団。ユグドラシルと同じ存在がいて、なのにユグドラシルとはまったく違う異世界。

 

 何より、国主である魔導王の名前が、そのまま国の名前として用いられているのも、奇妙と言えば奇妙に思えた。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに存在する死の支配者(オーバーロード)の名は、ギルド長である“モモンガ”だけのはず。その最上位アンデッド――魔導王が、ギルド長であった彼だとするなら、“モモンガ”ではなく、“アインズ・ウール・ゴウン”と名乗っている理由が、カワウソには理解が及ばない。

 

 ……まさかとは思うが……

 

 いずれにしても、カワウソの常識を遥かに凌駕する事態であることに変わりなし。

 それらを一旦保留して、カワウソはヴェルの事情に首を突っ込んでいく。

 

「おまえは、これからどうする?」

 

 追われているという彼女の状況を考えれば、ヴェルが猟犬や騎士の群れに襲われかけていたのも理解は容易となる。

 間違いなく、あのモンスターたちは、魔導国の(つか)わした追跡者にして捕縛部隊ということ。

 カワウソたちは――知らないことだったとはいえ――大陸を支配する国家機関に属する存在を壊滅せしめたわけだ。

 しかし、それを今更悔やんだところでどうしようもない。第一、あれらは年端もいかぬ少女を集団で追い立て、崖から滑落せしめたモンスターだ。これがもっと理知的かつ人間然とした追跡――警察官などであったなら、カワウソも違う対応をとっていたことだろう。少なくとも、輝く剣で問答無用に斬殺することはなかったと思う。

 無論、「そんなこと知ったことじゃない。ウチの警邏(けいら)を斬り殺した責任をとれ」と言われもするだろう。

 その時は──覚悟するしかない……だろうな。

 カワウソが静かな決意と戦意を(たぎ)らせているのを知ってか知らずか、少女は大いに困惑しつつ、己の望みを口にする。

 

「私は、とりあえずラベンダと合流したい……です」

「ラベンダ?」

「あ、私の相棒の飛竜(ワイバーン)です。この森近くに姿を隠している……はずです」

 

 聞けば、その飛竜は追跡を逃れる途中で深手の傷を負ってしまい、飛行することが困難になったので、アイテムで身を隠し潜伏させたのだと。

 ヴェルは何とか追跡者たちを自分に誘引しつつ、何とか逃げ切った後に相棒と合流しようとしていたらしい。実に涙ぐましい努力であったが、カワウソが助けに入らなければ、確実に、双方とも死んでいただろう。それだけ状況は差し迫っていた。

 だから、少女は申し訳なさそうな表情で、男に頭を下げる。

 

「あの、私を助けていただいて、本当に、ありがとうございます、えと……カワウソ、さま?」

 

 まっすぐな感謝を受け止めた瞬間、堕天使の胸を痛みが襲う。

 自分がそんな感謝とは程遠い企図があったことを、少女は知るはずもなかった。

 だからこそ、眩しい。直視することができない。

 むしろ蔑まれて当然な思考しかしていないのに。

 

「感謝されることじゃない」

 

 というか、感謝されては、困る。

 冷静に考えれば、カワウソは犯罪者の逃亡を幇助(ほうじょ)――手助けしている立場にある。

 手放しに喜びを分かち合えるはずもないのだから。

 

「……ん、待て」

 

 咄嗟に、カワウソは少女が告げたことを脳内で反芻(はんすう)する。

 この森近くに、姿を、隠して…………って。

 

「どうかしましたか?」

「あ、いや。何、でも、ない」

 

 震えそうな声を、口を手で覆うことで塞いだ。

 カワウソは少女が告げた言葉に、新たな懸念事項が追加されてしまった。

 シェルターの上の森は、カワウソの暴力で更地同然の荒れ具合に変貌を遂げている。

 

 ……俺、吹き飛ばしたりしてないよな?

 

 呟きかけた言葉を喉奥に何とか留める。吹き飛ばされた森というのは、ほんの一部だけだったのだから、心配ないと思うが。

 懊悩と不安に思考を回転させるカワウソは、〈伝言(メッセージ)〉の魔法で一人の少女を呼び出した。

 

「マアト」

『あ、は、はい! カワウソ様!』

 

 主人の命令通りに待機していた少女は、いきなり復旧した通信魔法に泡を喰ったように応対する。

 

「ああ、すまん。もう監視を復活させていい」

 

 カワウソはヴェルの事情を簡単に話すと、少女の懸念する相棒の存在を探査可能か聞いてみた。

 

「この()の言う、飛竜の位置は、分かるか?」

『え……あの、しょ、少々お待ちください…………』

 

 マアトはカワウソ越しにヴェルが告げる領域を見ようとするが、

 

『す、すいません、ダメです。指定ポイントが、その、あやふやで』

 

 まぁ、そうだろうな。

 ヴェル・セークという少女は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の仲間というわけではない。マアトが魔法で安全に覗き見をしようと思えば、斥候偵察役が必須となる。今ここで出会っただけの少女の見た光景なんてものをマアトが読み取ろうと思えば、今すぐここへ転移させる必要がある。が、そこまでしてマアトを外に出す理由がない。基本的に戦闘が苦手なマアトは、安全な拠点で観測手をさせる方がマシなはず。その逆――ヴェルをマアトのいる城塞に招く必然性も、ない。

 

「……こうなったら仕方ない。外に出て、直接探すか」

 

 カワウソは精神的に重い腰をあげて、剣を抜く。

 剣尖を振り〈転移門(ゲート)〉を開いた。驚愕と疑問を抱く少女を手招き、その手を掴むように握って、門をくぐる。

 一挙にシェルターから外の森に移動すると、手を放されたヴェルは愕然とした表情でカワウソを見上げていた。

〈転移門〉は後続のミカを転移させると、瞬く間に消え失せる。

 

「さて。何か目印とかあるのか?」

「…………え…………あ、あの、はい」

 

 少女は奇妙な硬直を解いて、あたりを見渡すと、偶然にも少女が逃走した道だとわかった。

 それは当然でもある。

 ここは、カワウソが拠点内で、マアトの魔法越しに見たヴェルが逃げていた場面に映っていたそこなのだ。カワウソたちはここからヴェルの救出に向かったわけで、カワウソの剣撃の嵐も、ここにまでは影響を(偶然だったが)及ぼしていない。

 

「こっちです」

 

 (あやま)つことなく、ヴェルは逃走した時とは逆の道を突き進む。

 その道は、カワウソたちに救出された現場に背を向ける道程(みちのり)でもある。

 最初はヴェルの誘導のまま歩いていたカワウソたちだが、追跡から逃げ続けて疲労困憊(ひろうこんぱい)というヴェルの歩みは遅々として進まず、()れたカワウソは仕様がなしに少女をまたも抱き上げる姿勢で森を走破することにした。

 このままのペースでは日が暮れてしまいそうだったし、何より、飛竜の相棒とやらが負傷しているとなれば、一刻を争うかもしれない。

 カワウソは難所を走破する指輪を装備している上、いくら堕天使とはいえ異形種の基礎能力値――Lv.100の筋力があれば、この少女程度の重量はなんてことはない。

 それでも気になることがひとつ。

 

「おまえ、体重いくつだ? 何だか、軽い気がするんだが?」

「え? えと、多分44キロだったはずです」

 

 少女に聞くと、そのように返ってきた。鎧の重量を加味すれば、少なくとも50キロ以上は確実だろう。異世界で“キロ”単位というのは違和感があるが、ヴェルの言説を信じれば、Lv.100の堕天使の筋力でもすさまじい結果を生むということ。これが純粋な戦士職や、他の異形種だったらどうなっているのだろうか気にかかる。

 そして、

 

「…………」

 

 ミカが何か言いたそうな、鋭い視線を向けてきているのは何故なのだろう。

 自分が何かしらまずいことをしたのかと(かえり)みたカワウソは、自分の常識に照らしてみて、ひとつの解答を得る。

 

「ああ、すまない。女性に体重を聞くのは失礼だったか」

「い、いえ。別に気にしてませんから」

 

 腕の中に納まる少女は、だいぶはっきりと受け答えることができるくらいになった。アンデッドやモンスターに追われる心配がなくなった上、乗騎のもとまで楽な姿勢でいられるのだから、少しは心に余裕ができているのかもしれない。

 ……もっとも、だからこそ懸念すべきことがある。

 少女とのおしゃべりを間近で行う内に、カワウソは奇妙な違和感を覚え始めた。

 彼女の唇の動きと、出てくる言葉が噛みあっていないことに、ようやく気付いたのである。

 

「ヴェルは、翻訳魔法を使っているのか?」

 

 翻訳魔法は、ユグドラシルでは割とポピュラーな魔法だ。

 人間種や亜人種、そして異形種などの多種多様な存在が生存するゲーム世界において、未知のフィールドには謎が(ひし)めいていたもの。北欧神話に基づき、主要なワールドだけでも九つに区分され、そのワールド内だけでも異様な数の言語が存在していた。

 初心者の赴く「はじまりの地」でこそ各種種族の共通言語(まぁ日本語だ)で遣り取りされ、そこから未開の地やワールドの奥に至るほど、種族別の文明や法則が根差していた。人間語にエルフ語、ドワーフ語にオーク語、ゴブリン語にトロール語、巨人語、ドラゴン語、精霊言語や機械言語などが存在していた。加えて、種族別だけでなく、天界言語や暗黒言語などという宗教的文化的特性を帯びた設定の魔法関連言語まで存在していたほどだ。プレイヤーたちは種族の特性やアイテム、あるいは各種スキルや魔法の力で、そういう各種言語の違いを解消することは必須知識であった。でなければ、翻訳魔法なんてものが存在するはずもないし、翻訳専用に特化した眼鏡なども流通するわけがない。

 ここが異世界であるとするならば、カワウソがヴェル・セークという現地人の少女と問題なく意思疎通が可能な理由は、翻訳魔法の恩恵以外に考えられない。

 だが、少女は首を横に振るのみ。

 

「いいえ。私は姉さんと違って、そういう魔法の才能はまったく」

「……そうか」

 

 であるならば、カワウソが言語を翻訳しているのかというと、これはない。

 天使が習熟できる言語は、共通語(日本語)を含め、人間語と天界言語の四つのみ。堕天使であれば、これらに加えて暗黒言語にも通じるはずだが、カワウソは信仰系上位職業ばかり取得している関係上、習熟度はさほどでもない程度。いわば、日本人が英語の気軽な挨拶が解せるレベル。

 いずれにせよ、本当の――ゲームなどではない――異世界の言語など、熟達しているはずもない。それ専用の、翻訳魔法の効果を発揮するアイテムというのも未使用かつ未装備な状態である。翻訳魔法が効果を発揮するのも、そもそも怪しい状況ではあるが。

 

「あの、翻訳魔法が、どうしました?」

「……おまえは、俺の言葉が解るんだよな?」

 

 何故、今更そんなことを?

 そう言いたげに首を傾ける少女に、カワウソは自分の唇を見つめさせ、言葉を繰り返すよう頼む。

 

「こんにちは」

「こんにちは?」

「ハロー」

「ハロオ?」

「グーテンターク」

「グーテンタアク?」

「……ふむ」

 

 どうにも、ヴェルはカワウソが(いだ)いているような違和感とは無縁なようだ。

 単純に少女の理解力が(つたな)いのか、あるいはそういう法則や何かが働いているのか。多分だが後者だろう。簡単な挨拶ではあるが、日本語以外の「こんにちは(ハロー)」を「こんにちは」と訳さずに返せるということは、そういうことなのだろうと思われる。

 いずれにせよ、この世界は翻訳コンニャクを食べている(・・・・・・・・・・・・・)――そう確信するしかない。一体、誰が食べさせた? まさか、アインズ・ウール・ゴウン……魔導王という存在が、だろうか?

 魔法が使えて、特殊技術(スキル)も使えて、アイテムも使える上、モンスターが跋扈(ばっこ)する世界であれば、なるほどこれくらいのことができても不思議ではない。

 何しろ、この世界を治めるのは、あのアインズ・ウール・ゴウン。世界級(ワールド)アイテム保有数だけに着目しても、文字通り桁違いの存在であったのだ。これくらいの超常現象を引き起こしても、不思議ではないのではあるまいか。

 

「あ、止まって」

 

 駆け続けるカワウソをヴェルが声を引き留めた場所は、大きな岩陰だ。ここで一旦小休止をしたという。

 

「えと、次はあっちです」

 

 追跡をまこうと必死だったのだろう、ヴェルは小休止ごとにジグザグな軌道を描くように森を駆けまわっていたようだ。森というフィールドを考えれば、一直線に逃げ果せることは不可能な立地であり、自称飛竜騎兵という少女のレベル構成が、こういった森を走破することを想定した職種でないことは、容易に想像がつく。身に着けた鎧や武装なども、カワウソの基準に照らせば高い価値を持っていないことは明白であった。

 

「あ、あの岩山」

 

 しばらく走ると、少女がまた指を差す。

 ヴェルの告げる目印……大地から生えた牙のごとき岩塊めがけ、カワウソは跳んだ。

 そうして、カワウソたちは森を北上し続けた結果、湖を見張らせる岩山に到達する。

 

「お……おお」

 

 眼下の光景は、まるで一幅(いっぷく)絵画(かいが)だ。

 風の手に撫でられる深緑の絨毯が太陽の光に燦然と輝き、翡翠色の波濤を無数に描く。三日月状のように湾曲する湖にも、風の踊り子が無数に舞い降りて水面を煌かせている。草原を這う黒い線のように見えるものは、街道だろうか。地平線の先にまで幾つも丘陵や草原が見渡せ、稜線を描く山々が実に雄大である。

 動く風景画という方がしっくりくるような美しさだ。

 現実のものとは思えないくらい、カワウソはその自然の姿に圧倒される。

 

「――――――さん」

「え?」

「ああ、何でもない。……それより、ヴェルの飛竜は?」

「えと……このあたりです。この岩山近くの森に……」

「カワウソ様、あそこを」

 

 二人の背後に追随していたミカの指摘に、カワウソとヴェルは森の一角、ちょうど岩山の(ふもと)に近いあたりを望んだ。そこだけ微妙に森が開けているような空白がある。不自然に折れ曲がった樹々の姿は、大質量が空から降ってきたことの証左だろう。

 

「あそこです!」

 

 ヴェルが快哉に近い声を吐いた。

 カワウソはすぐさま森の空白めがけ跳躍する。

 空白地点に降り立つや否や、ヴェルは相棒の名を叫び、カワウソの腕から飛び降りる。

 

「ラベンダ!」

 

 名を告げて……そして、固まる。

 カワウソも、次の行動に移せない。

 ヴェルの相棒は、隠蔽の魔法――不可視化するマントによって隠れていると聞いた。傷から漂う血の臭いなども、アイテムで周到に封じているので心配はいらないとも。

 なのに、その飛竜(ワイバーン)をカワウソたちは、完全に視界の中に納めていた。これはおかしい。カワウソは看破系の魔法を発動していなかった。隠伏に失敗した可能性を誰もが想起する。

 森の木々に同化する(みどり)色の竜鱗。数多く存在する竜の中では小柄な飛竜は、その体躯はレーシングカーを思わせるほどシャープであると印象付けられるが、実にがっしりとしている。翼と前肢が結合しており、しかし、鋭利に閃く爪とともに広げた翼の長さは、六メートル以上にもなる巨大さだ。飛行中の姿勢制御に使われる尾は長く鋭い。その一振りだけで岩を砕くことも容易だろう。それなりに長い鎌首に支えられた頭部には、爬虫類然とした造形の中に、角のようにも思える骨格の隆起が見て取れて精悍(せいかん)である。鰐のように鋭い牙列(がれつ)と、虎のように強力な顎力で、獲物を噛み千切る様子が目に浮かぶかのようだ。

 そんな強力なモンスターが、傷を負い、大地に突っ伏していると聞かされた。

 

「……クァ?」

 

 だが、その飛竜は、まったくもって健在である。

 腹と翼に負った傷というのも……見当たらない。

 

「ラベンダ!」

 

 ヴェルは喜びとは全く違う――むしろ悲嘆にも似た驚愕の声で、相棒を呼ぶ。

 カワウソも、そしてミカも、警戒から剣を抜いていた。

 少女の乗騎――飛竜の傍に、何者かが、いる。

 

「あんた、……何者だ?」

 

 カワウソの静かな問いかけに、その人は飛竜の伸ばした翼に手を当てる作業を中断する。

 

「あ、すいません」

 

 答えた声は(すず)()を思わせるほど心地よい。

 白金に輝く長髪を肩の辺りで簡単にひとつに結った人物は、男物と思しき漆黒の修道服を着込みつつ、しかし、豊かな女性の特徴を胸に秘めていると容易に知れた。女として完成された男装の麗人が、猛禽(もうきん)のように鋭い視線を優しく(ほころ)ばせ、あっという間に愛嬌を満載した笑みを差し向けてくるのは、怖いほどに美しかった。

 

(わたくし)の名は、マルコ」

 

 己の名を誇らしげに告げる女は、威風堂々、カワウソたちに向き直る。

 

 

 

「マルコ・チャンといいます。以後、よしなに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 よっしゃああああああああああああ!!
 二期製作決定おめでとうございます!!

 やったあああああああああああああ!!

 ザリュースが見れるぞおおおおおお!!
 蒼の薔薇も動いて喋るんだああああ!!

 ……早く見たいです

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