オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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〈前回までのあらすじ〉
 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、平原の戦いを凌ぎはしたが、絶体絶命のピンチに陥る。
 その時、カワウソが起動した世界級(ワールド)アイテム、超位魔法、そして──“壊れた剣”。
 堕天使はついに、自らの復讐を遂げるための、本当の戦いに身を投じていく。

 第八階層“荒野”を突破するための戦い──

※注意※
 今話にて、1500人討伐前の『ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの回想・過去』が入ります。
 ですが、これは【二次創作】です。


第八章 第八階層攻略戦
“荒野” -1


/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.01

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を少しだけ遡る。

 

 

 

「うーん」

 

 簡単な任務だと聞かされていたスティーヴ・テスタニア……魔導国・第五方面軍・第二連隊・第七大隊所属の特一級哨戒(しょうかい)兵長は、遠眼鏡のマジックアイテムや〈遠隔視〉の魔法などに頼ることない方法で、魔導国首都圏で“禁断の地”と称される大地・スレイン平野を眺める。

 生き物が全く存在していそうにない──現実的に考えれば、砂漠などの土地にもそこを棲み処とする生き物がいて当然なのだが、その平野はまったく生物が寄り付かない・時が止まっているかの如く封じられたようなありさまで、とても現実的な光景ではない──土地に、不可思議な魔法の鏡が(ちゅう)に浮かんでいた。

 男の疑問符まじりの声に、女の明朗な声が重なる。

 

「なに、どうかしたの?」

「いや……最初からの疑問なんだが」

「うん」

「……何なんだろうな。アレ」

「さぁ? 私には何も見えてないし」

 

 曖昧に相槌を打つのは、艶やかな黒の体毛に覆われた全身を誇る獣身四足獣(ゾーオスティア)の女。名は、ルヤ。

 スティーヴと共に……というか、数多く存在する特殊警戒任務部隊の一員として派遣された亜人の乙女は、他のものたち同様に、この任務の基幹を担う人間の同僚を護衛する任を帯びた一兵卒だ。ふかふかの毛ざわりを同僚の男に対して供与できる定位置につく女性兵士は、もはや慣れた調子で明るい髪色の人間──異種族の雄との共同作業に勤しむ。

 スティーヴは彼女の四足獣の部位に背中を預けている。全身肉食獣な見た目に反して、ルヤは割とおとなしく、スティーヴの能力を発揮するのにそこまでうるさくない性格であり、いろいろと相性がいい。苦節10年も経ったことで(つちか)った信頼関係のおかげである。

 人間の脆弱な見た目では戦闘にも役に立たないような、異能の力だけで軍籍に身を置かせてもらっているだけの男に対し、女は生粋の戦闘巧者な亜人の系譜。獰猛な四足獣からなる下半身に、上半身もまた獣じみた体格と毛皮に覆われ、黒い艶を帯びた長髪をふわふわとたなびかせている、屈強な女戦士。護衛役の用心棒にはもってこいでありつつ、スティーヴの限定的な異能の力には欠かせない存在であるため、入隊時からずっとペアを組んでいる間柄なのだ。

 

 ここは〈上位認識阻害〉という魔法で覆われた大天幕。

 スレイン平野を囲む沈黙の森から数キロ離れた土地、位置的に言えば冒険都市の南部、三日月状の湖を挟んだ対岸の草原丘陵地に、彼等魔導国の軍属は居留して久しい。

 天幕の中には、他にも様々な軍人が野営しており、それら全員が今回の特殊任務に合わせた制服……〈認識阻害〉の効能を発揮するものを帯びているが、その形態や体形は様々。

 スティーヴのような人間の他に、多腕多脚が特徴的な蟻人や蠍人、人蜘蛛(スパイダン)の他に、虎や猿や豚や山羊や鉄鼠のような見た目、下半身が馬や獅子のそれになっている者、あるいは手足のない異形の姿などもある上、精霊や森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)なども勢揃いしている。

 

 スティーヴたちは、大陸の第五方面……俗にいう大陸中央の北西地域を管轄としている軍団に属しており、その地で魔導王陛下やナザリックの方々に仕えることを生業(なりわい)としつつ、地方都市で軍務に明け暮れていた。明け暮れるという言葉の通り、軍は日常的に戦闘訓練に勤しみはするが、本格的な武力衝突・実際の戦闘戦争などに駆り出されることは滅多にない。なにしろ、ここはアインズ・ウール・ゴウン魔導国。敵対する組織も国家も、100年も昔に絶えて久しい統一国家の軍組織なのだ。軍らしい働きと言われると、ごく最近、10年前の反乱鎮定に駆り出されたのが、最も大きな務めとなっている。

 それ以降は、平和なものだ。

 十代での初陣が、件の反乱鎮定作戦──大規模な動員令だったが故に、当時のスティーヴは「転職しちまおうか」と従軍中は何度も考えた(異能のおかげで適した職業を差配されていたが、スティーヴの臣民等級だと自由に職業を選択可能である)。しかし、運よく彼は生き延び、この10年は穏やかな軍隊生活を満喫させてもらっている。災害派遣や要人警護、諸々の儀礼や式典行事なども重要極まる任務に相違ないが。

 そして、今回。

 四個軍──第五方面の他に、第六・第九・第十方面軍を結集し、首都圏での大規模攻囲戦を想定しての訓練(と、下士官たちは通達されている)にて、スティーヴのいる特務部隊は、奇妙な任務内容を受領していた。

 

「スレイン平野に“魔法の鏡”があるなんて噂、ルヤは聞いたことあるか?」

「そんなの、あるわけないでしょ、スティーヴ?」

 

 ルヤは巨大な鉄槍を肩にかけたまま、静かに語る。

 

「そもそもスレイン平野自体、いったい何であるのかも不明ときているからね」

 

 牙列を剥きだして笑う漆黒獣の乙女が語る通り。

 魔導国臣民でスレイン平野の情報を詳しく知るものは、ほとんどいない。場合によっては、ほとんどの臣民が存在を認知しておらず、通りがかっても森や湖の向こうにある土地へと興味を示すような観光客など少ない。スティーヴたちのような軍属であればある程度の認知を得ることは得られるが、場合によってはスレイン平野近郊の都市民ですら、軍に入隊してはじめて存在を知った……なんて話もあるほどだという。一説によると、よほど偶発的なことでもなければ、臣民にはスレイン平野のことを気にかけるようなことはできない特殊な魔法が施されているのでは──なんてことがスティーヴたちの属する軍団内にて囁かれ始めている。

 そんな謎の土地に、ポツンと浮かぶ、一枚の鏡。

 スティーヴが、彼の能力……幼少期に義務として受けた適正鑑定によって知った生まれながらの異能(タレント)「遠くのものを見ることができる(ただし、“ふわふわ”の感触に身体を預けていないと発動しない)」によって見定めている限り、現在、その鏡の周辺には何もない。ここ数日とはかなり状況が変異しているが、その詳細などただの兵隊に理解が及ぶものではなかった。

 スティーヴたちも、何とはなしに察しはついている。だが、それを口にするのは憚りがあった。

 これは訓練という名目で、あの奇妙な鏡を隠密裏に調査しているのだろう。と。

 

「調子はどうです?」

 

 呼びかけられた瞬間、スティーヴは視界を天幕の中に戻す。

 ふわふわの感触から身を起こすだけで、異能は解除された。

 獣顔銀瞳のルヤと共に立ち上がり、天幕の中の全員が敬礼でもって迎え入れたのは、この大天幕の中では一番の上位者──大隊長である。

 森妖精(エルフ)の耳に悪魔のごとき角を生やし、ルヤのそれよりもデカい胸元が妖艶な香りを漂わせる女性……ではなく、その胸に大事そうに抱かれて姿を現した藍蛆(ゼルン)──水晶じみた光沢のある、でかい“蛆虫”が、それだ。

 

「ハッ。大隊長殿──観察対象に動きはありません」

 

 遺漏なく応える哨戒兵長に対し、大隊長──蛆虫は驚くほど柔らかく甘い蕩けた女の声で頷く。

 

「よろしい。くれぐれも警戒監視を怠らぬように」

 

「五行」などの特殊な魔法の使い手でもある藍蛆(ゼルン)の女隊長は、急いで動くには不向きな形ゆえに、副官に抱かれて動くことが常態となっている。スティーヴたち監視要員たち──“遠見”系統に準じる異能(タレント)持ちたちを、女隊長は労うように巡っていく。異形の姿をした一等臣民の蛆虫を、下士官たちは本気で敬意を払って見送っていった。

 

 魔導国で義務化されている「異能鑑定」によって、臣民の中に潜在している異能持ちは(ことごと)くデータベース……戸籍上に登録されており、そういった者たちはそれぞれの異能を駆使できるような職業──軍などに職を得ることが多い。何しろどのような等級──第一等~第五等であろうとも、等しく国家公務員なみの生活と給金が保証されるとあっては、無碍(むげ)にする方がおかしいというもの。勿論、これは強制ではなく、あくまで臣民の自由意志と自己決定権が尊重されているため、転職は容易ときている(それだけ“人員の補充”がきくという事実があるのだ)。

 

「にしても不思議」

「なにが?」

「スティーヴの異能(タレント)──なんで私みたいなフワフワがないと発動しないの?」

「さぁ──なんでなのかなんて、こっちが聞きたいくらいだよ」

 

 真実、訊かれた方も首を傾げるしかない。

 生まれながらの異能(タレント)にはこれといった規則性があるとは臣民には見なされておらず、その発動原因や構成因子についても、一般常識として語られるものではない。魔法都市などの研究機関であれば、あるいは説明のしようもあるのだろうが、専門家でも知識人でもないスティーヴにしてみれば、「ただ使えるから使っている」程度のものでしかないのだ。これは。

 

異能(タレント)持ちって言えば、噂の信仰系魔法軍の」

「全盲のスゥ卿だろ? 昨日、ビョルケンヘイム卿と一緒にいた」

 

 (きょう)という呼ばれ方は、魔導国内でも有名な実力者に対し、一般臣民たちが使う敬称の一種だ。魔導国に旧態依然な貴族階級などは存在しないが、ナザリック地下大墳墓と、その運営に深く関わる“傘下”や、第一級都市長などの特一等臣民などは、他の臣民よりも重い責務を与えられている上、王陛下や守護者各位からの覚えも良いという境遇にある。これで他の臣民と同義に思う者は多くないがために、半ば自然と浸透していった敬称呼びが、これなのだ。

 

「噂だと、スゥ卿は“人狼(ワーウルフ)”っていう珍しい異形種って話なのに、見た目は完全に人間なのな?」

 

 後詰部隊として派兵されている信仰系魔法軍──なんでも、その総司令殿は、ナザリック地下大墳墓の、とある女性配下と婚姻関係にあるのだとか。定期的に〈認識阻害〉の魔法が機能不全に陥っていないかどうかを点検するかのように姿を現す人狼部隊の筆頭は、黒い短髪に黒い聖衣姿の、ただの人間とさして何も変わらない姿をスティーヴなど下士官や兵員たちの前にさらしている。彼は『信仰最適性』という異能によって、ほかの臣民よりもはるかに強力な信仰系魔法詠唱者の力量を獲得しているらしい。

 国内で有名な“異能持ち”は他にもいる。その筆頭と言えば、魔導王陛下と魔王妃殿下が御息女の『魔法増幅』や冒険都市長(旧竜王国の女王)の『竜王しか扱えないはずの始原の魔法(ワイルド・マジック)を扱える(ただし、大量の魂が必要)』という希少な異能。さらに、あのバレアレ商会の創始者と言われるンフィーレアなる歴史上の人物は、『ありとあらゆるマジックアイテムを使用可能』という破格の異能持ちだったと、その界隈(かいわい)では知らぬ者はいない。

 

「にしても。何だってまた異能(タレント)以外での遠見や監視が禁止されているんだ? 監視や遠見だったら魔力系魔法軍の方が適任だろうに」

「私は、魔法には詳しくないけど、遠見の魔法って相手に気づかれたら反撃される危険があるとかって、魔現人(マーギロス)の友達が言ってたから、それが関係してるんじゃない?」

 

 黒い獣身の乙女が紡ぐ言及に、スティーヴは顔を(しか)める。

 

「じゃあ、何で異能(タレント)だといいことになるんだ? 遠見していることには変わらないと思うんだがな?」

「んー……魔力の節約とか?」

 

 無論それもあるが、実際には、生まれながらの異能(タレント)などのこの世界固有の力というものは、ユグドラシルの存在には知覚しえない代物であることが大いに関係している。が、そういった裏事情を知る現地の人間は絶無と言ってよい。

 

「何だかなー。俺があれを見ていて、反撃の魔法とか飛んで来たら、すごくヤバい気しかしないんだが?」

「監視してから何日も経ってるし、大丈夫だよ。スティーヴは私が護るし──それに」

 

 ルヤは言葉を途切れさせる。

 

「それに、いざとなったら、ナザリックの誇る四大将様たち、『大将軍』コキュートス様の御子息様たちもいるもん。軍務中の殉職は、ちゃんと蘇生保険が適用されるし」

「──自慢じゃないが。俺は生き返るのに必要なだけの強さはないと思うけどな?」

 

 ルヤなどは蘇生に耐えるだけの力を持っているだろうが、スティーヴなどは一般人程度の身体能力しかないと自負している。腕相撲でも部隊のビリ争いをしているような有り様な上、魔法などの理解力でも劣っていた。

 しかし──哨戒兵長たる役職を賜る彼は、サポート系職業においては大隊内でも一、二を争うほどの存在であり、10年前の戦争でその才覚を無自覚に機能させていた。彼本人はまるで自覚していないが。

 

「あと。噂だと、ナザリックの“最大戦力”? っていう秘密兵器が“ふたつ”も、私たちと一緒に、スレイン平野を見ているとかなんとか?」

「最大戦力ねぇ──噂に尾ひれがついているんじゃないよな?」

 

 あの超常的な強さを誇る方々──アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下や、階層守護者様たちよりもずっと強い存在がいるとかいないとか、そんな風聞が軍内部でまことしやかに囁かれ続けている。反逆やクーデターなど(くわだ)てようものなら、聯隊(れんたい)ごと蒸発・殲滅されるだけの戦力があると。

 だが、その程度のことは魔導王陛下や守護者の方々でもやり(おお)せそうなもの。

 ──実際、魔導国の歴史上、彼等に反抗的だった中央六大国と呼ばれるものらの半分は徹底抗戦を試み、わずかな日数で陥落……恭順を余儀なくされたとかなんとか。100年も昔の話ではあるが、実際に10年前、スティーヴが見届けた戦いは、それが真実だったのだろうと確信させるほどの威を発揮していたと、今もなお強く認識できる。

 あの方々はまさに、この国の王者たるにふさわしい存在であられるのだ。

 

「──さて、と。休憩もそこそこに、また監視を続けますか」

「うん。がんばって、スティーヴ」

 

 おしゃべりに興じつつ、毎日毎夜よく手入れしてやっている毛並みを撫で梳きながら、快く応じてくれる相棒(ルヤ)の背中にねそべり、異能を発動したスティーヴは、その異様を目の当たりにする。

 

「────え?」

 

 遠く見透かした先の景色は、茫漠とした大地に、浮遊する一枚の鏡。

 その鏡が……これまで、魔導国四個軍の監視下に置かれ続けていた鏡が、眩いばかりの蒼白い閃光に包まれる。

 何だ、なんの光だと疑念するスティーヴ。同じ光景を眺めている同輩・同系統の能力者の声が天幕中で響き始め、これが夢や幻覚とは違う──そういった攻撃や反撃への防御対策も万全な装備を与えられていた──事実を呑みこんだ。まさか、先ほど話していた、反撃の魔法かと一瞬ながら思い出した──瞬間だった。

 

「は……はぁ?」

 

 蒼白い閃光は一瞬で収束し──同時に、その蒼色に包まれていた鏡が、消失。

 突如として、スレイン平野の監視対象を失った部隊──のみならず、四個軍すべてが、惑乱の極みに達する。

 

 

 

 

 

 ありとあらゆる想定外のなかでも想定外の事象。

 

 念入りに、魔導国軍内でも長期監視任務に扱える生まれながらの異能(タレント)が多い軍を派遣してまで、ユグドラシルの存在=拠点の出入口を見張っていたはずの四個軍は、下から上まで混乱し、起こった事態の正誤を判断すべくどのように行動すべきか迷う内に、彼等の派遣主たる大将軍から、この監視任務を与えられていた四人の息子たち──四大将のもとへ、極秘裏に通達が届く。

 

 

 

 

 

『敵拠点ガ、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”へ転移──侵入ヲ果タス』

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の表層──荘厳な霊廟と墓碑などに飾られた表層部で、二人の王妃は共に、天使共の歓迎(・・)任務に励んでいた。

 最後の降伏勧告を行う直前──連中の首魁たる醜悪な面貌極まれり堕天使プレイヤーの未知のスキル、その情報を持ち帰った影の悪魔(シャドウデーモン)たちを(ねぎら)言祝(ことほ)ぎ、ナザリック最高の智者たる純白の女悪魔は、主人たる夫へと情報を共有──カワウソの必殺スキルを「阻害」「停止」するための手段を十分に十全に考察し終えて、ナザリックの階層守護者内で最強と謳われる同胞・シャルティアと共に、その時に備えていた。

 あとは、連中が所持している世界級(ワールド)アイテム──ツアーが見定めた世界一個に匹敵する装備物の真価を見定めることができれば、御の字であった。

 アインズより貸し与えられている世界級(ワールド)アイテムで武装したアルベドとシャルティアには無用の長物となるだろうモノの効能を、その肌身で理解し感得することができれば、アインズ・ウール・ゴウンの勝利は揺るがないものになると結論できていた。

 

 だが、事態は思わぬ展開を見せた。

 

「クッソ!! 失態でありんす!!」

「落ち着いて、シャルティア」

 

 槍の穂先で霊廟の床面を抉りそうなほどの激昂を顕す同胞を、同じ感情の釜で煮られたアルベドが厳しくも優しく諭す。

 

「私たちの任を忘れては駄目よ。あるいは連中、まだこの近辺に潜んでいる可能性も」

「わかっている! わかっていんすが、しかし!」

 

 シャルティアは、うそを言っていない。

 事実、彼女は驚くほど冷静でいる。冷静でいてもコレなのだ。彼女が冷静さを失えば、血眼になって連中を探して駆けずり回り、制止するアルベドを押しのけて、無駄に戦場を飛び回るような愚挙に及んでいたやも。だが、シャルティアは憤怒に彩られた鬼相を浮かべながら、ナザリックへと侵入するための中央の霊廟──入口を鎮護する位置に固く居座り続ける。

 それに。ナザリックの表層は、深層に比べれば安い修理費用で修繕可能な上、一日のうち少額で済めばほとんど無料で自動修復可能ではあるが、ここを築き上げた御方々──栄光あるナザリックの墳墓を、その墳墓を住居とする階層守護者が破砕するような愚を犯すような真似は、絶対にありえない。

 苛立たしげに振るわれる神器級(ゴッズ)の槍は、職業(クラス)レベル・戦乙女(ワルキューレ)(ランス)Lv.5を与えられし真祖の手元で、ただ空を掻き切るだけにとどまっているのが、その証拠だ。

 

 王妃たちの下知を受けた上位アンデッド軍……なかでも、集眼の屍(アイボール・コープス)──第六階層守護者・アウラの探知能力を上回る性能を保持するもの十数体を筆頭に、徹底的に連中の行方(と同時並行で、カワウソたち以外の他のユグドラシルの存在がいないかどうか)を探り、完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)などの看破を試みる。敵が起動した世界級(ワールド)アイテムの具体的な性能は、未だに不明。……まさか本当に、超位魔法一発の効果で(厳密には、堕天使が握りしめていた“剣”の能力で)、ナザリックの高度極まる転移阻害を突破し、天使の澱の“すべて”が、第八階層“荒野”の地に転移した可能性を、信じることができなかったのだ。

 それほどの防御力を誇る世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”──その性能を主人から教えられ知っているからこそ、彼女たちは周辺警戒を厳にし、敵の急襲強襲を警戒し続ける必要がある。

 取り急ぎ、集眼の屍たちによって、表層に不可知・完全不可知の影響を受けた存在がいないこと……アルベドやシャルティアたちを襲い掛かる脅威がどこにもないこと……加えて、第一・第二・第三階層のシャルティアの配下たちからも、それらしい不審な影・天使の澱が潜入浸透していないという確認をとっていく。さらに追加で、拠点周囲の平原にいる隠形中の撮影班たちシモベらにも、逃散する天使の姿を確認できたものは皆無ときている。

 確定として、このナザリックの表層と墳墓、アンデッドの跋扈(ばっこ)する平原に、ナザリックの敵は、いない。

 では、天使の澱は、ドコへ消えて失せたというのか。

 

「クソが! 連中、どこへ消えやがったァア!?」

「まさか、本当に……第八階層へ?」

「そんな──バカな!」

 

 それはありえない。

 シャルティアも、そして口走ったアルベド本人も、その可能性を否定しておく。

 そんなことが可能というのであれば、どうして今まで誰もナザリック地下大墳墓の転移を突破して、攻略に踏み込んでこなかったのか。

 そんなことが可能な世界級(ワールド)アイテムを、例の堕天使が……カワウソが装備しているというのなら、何故、わざわざツアーに協力を仰ぎ、通行証を手にして城塞都市を素通りして、面倒かつ危険極まる平原の戦いを敢行し、ナザリックの表層から順当に攻略しようという姿勢でいたのか。これは大いに疑問だ。

 

「──奴の世界級(ワールド)アイテムの効能」

 

 困惑と焦燥と憤懣に駆られながらも、ナザリック最高の智者として、アルベドは透徹とした思考力で、目の前で生じた出来事への見解を深めていく。

 

「今の現象……おこった諸々を考えるに、──おそらく」

 

 堕天使が、はじめて掴み使用した、円環。

 鍵盤を叩く音楽家や御朱印を施す法僧……御璽を捺す王君のごとき、指先の自然さ。

 手慣れたかのように起動し、世界全体へと強権を発揮せんと輝き、血のごときモノをこぼして(まわ)った世界級(ワールド)アイテム。

 まるでスイッチが入ったかのように、全世界に轟いた改変力……ツアーが見定め警告していた通り……アレこそが、世界ひとつに匹敵する脅威の源泉と化していた。

 

 その影響力は、アルベドらへの直接的な危害という形ではなく。

 連中の──堕天使の配下たち全員へと注がれた“強化(もの)”──故に。

 

「あの堕天使──未知のスキルにて、上位アンデッドなどの即死無効化を突破する“必殺”の力。

 おそらく、それに準じる何かしらを、自軍勢力──己の麾下将兵たちへと波及・伝播・行使可能な権能を与えるもの──?」

「それが、あの赤黒い障壁……天空に生じていた、あの九つの円環だった、と?」

 

 確信はないが、アルベドの理解力だとそう判断する以外の処方がなかった。

 熾天使(ミカ)花の動像(ナタ)に一掃され、死骸をさらした具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)

 非実体でいたはずのそれらが、至高の御身が生産した上位アンデッドが、神器級(ゴッズ)にも届かぬ剣の一振りで薙ぎ倒され、死に果てるなど……ありえない。

 

「……それを可能にし得るアイテムだったとしたら」

 

 アルベドたちへ攻撃を──絨毯爆撃や精神支配などの圧倒的な攻勢がなかったのは解せないが、あるいはそれこそが、あの円環の弱点なのだろうか。もしくは単純に、動きたくない理由があったのかも。

 いずれにせよ今回、敵の仕掛けてきたアイテムの効能を推し量る意味でも、アインズが生み出した上位アンデッドの軍勢は有用な働きを見せてくれた。討滅されたのは口惜しい限りだが、彼等のような強力無比なシモベでなければ、先の異常事態が世界級(ワールド)アイテムによるものだと確信することは難しかったはず。

 

「こちらの攻撃は一切、連中の防御陣……いいえ、あの赤黒い障壁(チカラ)を超えることは出来なかった」

 

 アルベドは事実だけを口にしていく。

 遠距離からの魔法や特殊技術(スキル)(ことごとく)く弾かれ、衛兵(ガーダー)や近接職のアンデッドたちの特攻劇も、何ひとつ有効打にはなり得ず、連中からのカウンター……反撃に(たお)れた。

 しかも、ほんの一撃で。

 

「まるで──第八階層の──」

「ヴィクティムの揺り籠……生命樹(セフィロト)のような?」

 

 100年後のアルベドとシャルティアは、知っている。

 第八階層にて防衛任務の最大障壁として機能し続ける、宇宙の星々(ほしぼし)(かたど)ったモノたち。

 

 このナザリック地下大墳墓、第八階層のあれら……世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の統制下におかれた、「地下墳墓」時代のボスモンスターたちの成れの果て(・・・・・)たる暴力装置類──

 ──その名は、生命樹(セフィロト)

 

 あれらが、かつてこの地を侵犯し略奪と蹂躙を繰り広げた1500人を──第八階層にまで侵入し(おお)せたプレイヤー1000人規模へと一方的な攻勢を断行できたのは、生命樹(セフィロト)たるあれらこそが、世界級(ワールド)アイテムによって生み出された絶対防衛の要・世界規模の力の顕現であるからこそ。何しろ“世界そのもの”から攻撃され撃退され蹂躙され殲滅されるという事態など、ただのプレイヤー共に抗する手段などありえなかった。

 世界級(ワールド)アイテムの効果は、同ランク……つまり世界級(ワールド)アイテムによって、ある程度の防御・中和は可能。

 だが、「ギルドの防衛」という用途において、ナザリック地下大墳墓を守護する任を与えられているあれらは、確実に強大かつ絶大かつ超大な殲滅能力を発揮。いかに同等のアイテムで武装していようとも、複数形として存在する生命樹(セフィロト)と、あれらの本拠(ホーム)たる第八階層“荒野”で相対することになれば、どちらが有利な戦況で、事をやり遂げることができるのかは歴然としている。

 くわえて。生命樹(セフィロト)はアインズ・ウール・ゴウン……モモンガの保有する世界級(ワールド)アイテムとの相乗作用(シナジー)によって、さらなる暴虐を達成できるように、御方々の手によって改造の限りを尽くされた殲滅兵器群である。

 あれらの変貌は、まさに“死”そのもの──生命樹(セフィロト)がモモンガの“死”によって転換された姿は、吸血鬼(シャルティア)女悪魔(アルベド)をしても、筆舌に尽くし難い。

 まさに、“無敵”。

 だからこそ、あれらは、ナザリック地下大墳墓の最大戦力たりえるのだ。

 

 ……しかし。

 もし、仮に。

 

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”と同等・同格・同規模・同系統の能力を発動できる代物が、他にも存在していたら?

 そして、それこそが──あの赤黒い円環──カワウソの世界級(ワールド)アイテムだったとしたら?

 

「ありえない」

 

 仮にそんなものが存在していたとしても、それを何故、あの堕天使が……100年後に現れたプレイヤーが……よりにもよって、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”を標榜し、“第八階層への復讐”などという愚行を犯すクズが……所持しているという確率は、いったいどれほどのものだと言える。そんな可能性など億にひとつ、兆にひとつ、(けい)にひとつも存在していないはず。

 それこそ、奇跡でも起こらない限り。

 

「……いいえ」

 

 奇跡などありえない。

 この世界に、魔法や特殊技術(スキル)以外での奇跡など、生じるはずがない。

 だが、現実として、アルベドは目の前で起こった現実を分析し尽くす。

 血の気の失せた顔に、悲憤と屈辱の色を浮かべながら、冷徹に考える。

 ──自分たちの主君を──愛する者を守護するために。

 ちょうど、その時だ。

 

『アルベド、シャルティア、速やかに玉座の間へ戻れ』

 

 王妃たちの失態を寛容にも許し、悠然と語りかける愛しき君の言葉が届く。

 御方の愛をたっぷり受け取った王妃たちは、急ぎ玉座の間を目指す。

 天使の澱が壊滅する瞬間を、その目に焼き付けるために。

 だが、そのまえに──やらねばならないことが。

 

「ただいま、戻りました……アインズ様」

「申し訳ございんせん、とんだ失態を!」

 

 シャルティアが開いた〈転移門(ゲート)〉から飛び出し、開口一番に謝辞を述べ立てる最王妃と主王妃。その指には、ナザリックの転移阻害を正常に乗り越えるための指輪をはめなおしている(無論、表層へ上がる際、万が一に備えて外していたものだ)。玉座の間の床に額をこすりつけんばかりの姿勢で、二人は主人の叱責を受け入れる姿勢を構築しつくす。

 玉座に座す魔導王。その周囲に(はべ)るもの達も、起こった事態への驚愕と懐疑に(さいな)まれた表情を浮かべている中で、アインズの顔だけは、いつものごとく超越者の微笑みが浮かぶ。

 勇壮にして慈愛に満ちた火の瞳と共に、彼女たちの夫は、「よい」と一言だけ添えて、優しく手を差し伸べた。

 ひれ伏す王妃二人は、主人のその(たなごころ)に、垂れた(こうべ)を撫でられる。

 

「さっきも〈伝言(メッセージ)〉で言ったが、本当に気にするな。これほどの事態──このような展開を予想できなかった“俺”の方こそが、失態を演じたまで」

 

「「そのようなことは!」」と同じ言葉を共鳴させるアルベドとシャルティア。そんな二人の優しさに応えるように、誰よりも優しい主君は水晶の画面を仰ぐ。

 

「いいから、二人とも。──見てみろ」

 

 促されるまま、二人はそこに映し出される驚異と脅威に声を失う。

 

「ば、ばかな……ッ!」

「あ、ありえなんし!」

 

 アルベドは本気で起こった現象が理解できない様子でぼやき、シャルティアもあまりの衝撃で首を力なく横に振ってしまう。アウラやマーレ、コキュートスやデミウルゴス、セバスや戦闘メイド(プレアデス)たちもまた、未だにその光景が信じられない面持ちで、重い沈黙を保った。

 だが、これは現実……これが現実なのだ。

 映し出された“荒野”の真ん中で、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)すべて(・・・)、そこに転移し果せていた。

 そこになぜか存在する砦の造りに、二人は見覚えがある。

 デミウルゴスの奏上した、予想され得る敵拠点の映像データで。

 

「あ──あれは、世界蛇の、脱殻」

「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)?」

 

 堕天使プレイヤー・カワウソ率いるLv.100NPCは12体。

 今も赤黒く輝き染まる者らの背後に聳える城砦は、無論、第八階層には存在しえない物体。

 というか、予想されていた通りの、敵ギルドの拠点に他ならなかった。

 図書館にある図鑑で確認されたとおりの外観──ユグドラシル世界全域に存在した“世界蛇”ヨルムンガンドが成長した過程で残した、巨大に過ぎる蛇の脱殻(ぬけがら)──今も鱗の紋様ひとつひとつが見透かせるほどの強度と美彩を宿す天然の構造物──その内部にできた空洞空間に、何者かの手によって建立(こんりゅう)された(というゲーム設定の)岩の砦が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の本拠地であった。拠点ポイントはわずか1350──典型的な中級ダンジョンのひとつだ。

 デミウルゴスなどが推定し報告してくれていた通りの拠点であったことは、驚愕には値しない。問題は、その拠点がある“場所”である。

 敵のギルド拠点が、あろうことか、広大なナザリック地下大墳墓の第八階層内に──“転移”。

 これは“ギルド拠点の内に、他のギルド拠点が出現した”ような案配(あんばい)である。

 誰も予想も考慮もできるはずのない、それは、まぎれもない異常事態であった。

 ……なのに。

 

「彼の拠点の外観には、さしたる変更点はなさそうだな。さすがに内部構造くらいは手を加えているだろうが」

「あ……アインズさま?」

 

 深い音色は、骸骨の口腔から紡がれる美声。

 アルベドは、こんな異様を前に冷静沈着でいられる主人の胆力に惚れ惚れしてしまいそうになるが、何しろ状況が状況……自分の欲求欲情を優先してよい戦況であるわけがない。

 アインズはアルベドの困惑を見下ろし、頷く。

 

「ん……ああ。さすがに超位魔法を使っただけのことはある。なるほど、そうか。土地固定タイプのギルド拠点は、〈星に願いを〉で移動もできるということなのだろう。これはいい勉強になる」

 

 そういうことではないのだが──アルベドは肩にかかっていた重圧が抜け落ちるのを感じた。

 うんうんと感心の頷きを打つアインズに、守護者たち全員が安堵の心地を得て、一様に脱力。

 

 ギルド拠点の転移・移動で(こうむ)るやも知れないナザリックそのものへの実害──転移失敗時などに生じるかもしれぬ弊害の可能性を思うと、怖ろしすぎて却下され続けた実験が、ひとつの成果として目の前に現出した。

 そんなただの現実に、アインズは骨の相好を崩していた。

 自分たちの至高なる御方は、まったくもって揺るぎはしない。この程度のことも計算の内……たとえ計算外であったとしても、そういった不測の事態すらをも、己にとって有益な情報へと置換していく思考速度は、ナザリック最高の智者たちですらも舌を巻くもの。

 やはり彼こそがアインズ・ウール・ゴウン──いと尊き四十一人のまとめ役として、この拠点を掌握せしめた絶対者なのだ。

 

「ですが……カワウソは事前に、これほど破格の大転移が、超位魔法で行えるものと気づいていたのでしょうか?」

「それはさすがにありえないでしょう、アルベド。連中はこの世界に流れ着いて、まだひと月も経っておりません」

 

 アルベドが推察を述べ、デミウルゴスが論理立てて疑義を唱える。

 

「だとすると、ただの偶然、行き当たりばったりでありんしょうかえ? だとしても、何ゆえ超位魔法程度で、第八階層への転移が?」

「フム。アノ赤黒イ世界級(ワールド)アイテムノ効果カ……モシクハ奴ガ、カワウソトヤラガ握ッテイタ武装……今、腰帯(ベルト)部分ニ差シ込ンダ、アノ“剣”ガ、関係シテイルノデハ?」

「でもさ、コキュートス。だとしたら、あんなブチ壊れた剣に込められた魔法って何なの? そんな大したアイテムには見えないけど?」

「え、でで、でも、お姉ちゃん。ひゃ、100年前、あ、あの「事件」の時に協力することになった、え、ええと──」

「……漆黒聖典の第一席次殿、でしたか。彼が持っていた槍は、見た目は実にみすぼらしいものでしたが、────」

 

 シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、セバスなどもそれに加わる。

 主人と同じモノを見聞きし、同じように問題に処することを是とする者たちは、アインズと同じく冷厳に、冷徹に、冷静に、この超級の異常事態に対処していく。

 彼ら彼女らは一様に、アインズに倣うがごとく、ナザリックの敵に──100年ぶりとなる“侵入者”たちの手練手管を、食い入るように眺める。

 

 堕天使がNPCたちに何事かの作戦を命じ、天使の澱は戦場を駆けている。

 第八階層に浮かぶナザリックの最大戦力たち──(そら)()生命樹(セフィロト)が、荒野を馳せる天使共へ、攻勢を一瞬で仕掛けた。

 赤黒い障壁──世界級(ワールド)アイテムの影響を引き続き発現している天使共が、あれらの殲滅攻撃や絨毯爆撃じみた能力を()ねのける。

 そうして。

 堕天使は……カワウソは、己の周囲にわずかな手勢を連れ、鏡に向かって──前進。

 侵入者が荒野の大地を走り続けた──その先で。

 

「お? ──きたか」

「はい、アインズ様」

 

 純白の女悪魔が、福音(ふくいん)をもたらす女神のような笑みで、彼女の参戦を見つめる。

 

 

 

 

 

「あの()が──私どもの妹──ルベドが、到着したようです」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 アインズは思い出す。

 それはもはや──100年以上も前の出来事。

 赤錆びたような、100年という年月の中で朽ちて削れはじめようとしている、過去の栄光。

 

 

 ・

 

 

「八ギルド連合による討伐隊」

 

 円卓(ラウンドテーブル)に集いし、41人の異形種プレイヤーたち。

 重い口調で語られるのは、ナザリック地下大墳墓──ギルド:アインズ・ウール・ゴウンはじまって以来の大きな、あまりにも巨大な危機であった。

 

「その総数は──向こうの発表を信じるなら、……1500人」

 

 円卓の間に集ったアインズ・ウール・ゴウンの仲間たちが、一様にザワついた。

 アインズ……モモンガも例外ではない。

 

「──(かた)りや誇張の可能性はないんですか?」

「いいえ。モモンガさん……どうやら本当に、本気で、1000人規模の討伐隊が組織されたそうです」

 

 そう分析を述べるアインズ・ウール・ゴウンの軍師──ぷにっと萌えは、仕事の空き時間で作成してくれたレジュメを、コンソールを通じて全員に配給。記録され要約された情報は、八つのギルドをそれぞれ治めるギルド長が、アインズ・ウール・ゴウン討伐の演説を打つ集会映像の動画や、討伐のための人員を募る勧誘広告……それらによって徐々に膨らみ始めた討伐隊は、ユグドラシル史上において空前絶後の規模へと拡大していく様が、グラフやカレンダーで、簡潔に明快に記載されていた。

 

 無論、この程度の情報など、アインズ・ウール・ゴウンの全構成員が風聞で知っていた。

 しかし、それでもこのような明確極まる集積情報として眼前に揃えられると──もう、何も言えない。

 最初はいつものことだと思われた。

 ひとつふたつのギルドがゲームの広場で、声高にアインズ・ウール・ゴウンの討伐の必要を説いた。

 ユグドラシルにて「悪のギルド」と自ら標榜するアインズ・ウール・ゴウン──その悪行を殊更(ことさら)にあげつらい、悪しざまに(ののし)るギルドの長たちの謳い文句は、ただの怨恨だけではなく、一種の興行じみた装いを孕みながら、餌を過剰に摂取して肥え太った豚のごとき醜態を演じながらも、一定の層からの支持を得ていた。

 最初は“二つ”だった連合が、気がつけばアインズ・ウール・ゴウンへの怨みを吐き散らす“八つ”の団体からなる大連合にまで、肥大化。

 

 (いわ)く、「アインズ・ウール・ゴウンの存在を許すな!」「連中の専横を食い止める必要があるのです!」「ユグドラシルから悪のギルドを駆逐せよ!」「悪のwwギルドww何それwwテラワロスwww」「こっちは必要があって異形種狩ってんだ! ソレの何が悪いんだよ!」「あの蟲地獄だけはゼッタイに許さないからね!」「ウチの世界級(ワールド)アイテム返せ!」などなど。

 

 アインズ・ウール・ゴウン側からしてみれば失笑を禁じ得ない宣伝広告であったが、膨れ上がる員数は八ギルドに従属隷属する小ギルドを巻き込み、まるで世紀の大イベントじみた調子でゲーム内に広く拡散──騒ぎに乗じてうまい汁を吸おうという腰巾着や、単純にお祭りを愉しみたいという愉快犯──まったく事情を知らない善意の第三者プレイヤーなども参画するようになり、気がつけば1500人という大所帯を構築して、いよいよ本格的な、ユグドラシル史上類を見ない、大規模極まるギルド攻略戦が始まろうとしていた。

 

「ぷにっと萌えさんの情報リークのおかげで、とりあえずセラフィムなどのランカーギルドは攻略に参加しないよう工作できて助かりました」

 

 そう結論する純白の聖騎士──たっち・みーの称賛に、ギルメンたちは蔦の死神(ヴァイン・デス)森祭司(ドルイド)に拍手を送る。

 いかにアインズ・ウール・ゴウンといえども、上位ギルド複数……それも、世界級(ワールド)アイテムを持っていることが確定の相手を“すべて”相手取ることは不可能なこと。

 

「しかし──本当に良かったんですか? あれだけの情報を流して?」

「大丈夫ですよ、ウルベルトさん。第八階層の生命樹(セフィロト)……世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”によって機能する『あれら(・・・)』については、彼等もそうそう他の連中にバラすようなことは避けたいでしょうからね」

 

 それに、それだけの情報を掴んだとしても、それを有用に──有効に扱えるかどうかは、プレイヤーの実力次第。未確定な情報をそれっぽく垂れ流したところで、その情報に確信が持てる連中でなければ、情報をうまく利用することは不可能な図式だ。ユグドラシルにおける確定情報は、それほど多くはない。いかにアインズ・ウール・ゴウンが他のギルドとは違い、数多くの世界級(ワールド)アイテムを保有しているからとて、たかだかひとつのアイテムで戦局と勝敗を覆し得るなどとは、夢にも思わないだろう。だからこそ、リーク元になった軍師をはじめ、全員が情報のリークに納得し、結果は「上々」ときている。

 

「やっぱり、他にも持ってた団体がいたわけだ」

「のようですね」

 

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”。

 その入手条件は、高難易度(レベル)のダンジョン拠点を初見クリア──おまけに、攻略に乗り出したメンバー数は27人+傭兵NPC3体を加えた30人の六人チーム五組──その程度の少人数で、ダンジョンの「諸王(ボスキャラ)」に“完全勝利”したもの達への敬意として贈呈される、水晶の「玉座」──

 故に、“諸王の玉座”──

 つまり、ナザリック地下大墳墓と同等──あるいはそれ以上の拠点を攻略する際に、完全勝利を遂げた団体であれば、同じように世界級(ワールド)アイテムを贈呈されている可能性は十分にあるわけだ。

 そして畢竟(ひっきょう)、“諸王の玉座”は高レベルダンジョンに挑むこともできない、中規模どまりのギルドやプレイヤーには、存在を確認することすら難しいアイテムであることは、明白の事実。

 そのギルド防衛に特化した能力は世界級(ワールド)を冠するだけのことはある、超強力な一品だ。それだけ強力な切り札を、ホイホイと他の連中に──ランキング上位にも食い込めない層へと供与し、広く伝達するような愚を犯す上位ギルド団体など、皆無。

 そもそもにおいて、“諸王の玉座”は獲得条件を満たすことそれ自体が難しいがために、検証や確認などの作業はほぼ不可能……あのランキング第二位、ユグドラシルの未知を探求し尽くすことに情念を燃やす冒険者ギルド「ワールド・サーチャーズ」ですら、保有する世界級(ワールド)アイテムは“グライアイ”というものが一点だけ。他に“諸王の玉座”を獲得することができた団体など、ユグドラシル史上において数えるほどしか存在しないだろう。他プレイヤーに検証ができない情報は、どうあがいても確定情報にはなりえない。ユグドラシル運営が推し進める「未知を探求してほしい」というゲーム理念から、運営側から確定的な情報を流すことはほぼなかったがために。

 そういったわけで、拠点防衛戦において最強の切り札を有するギルド:アインズ・ウール・ゴウンに、実際ナザリック地下大墳墓に突入していったところで「勝率は著しく薄い」と、格上の上位ギルドは参戦を断固辞退していったのだ。八ギルド連合からのラブコールにも、一切まったく応じなかった。

 無論、今回のこの情報リークは、ぷにっと萌えがある程度の交流を持ち──情報統制や構成員の管理などにおいて信頼のおける団体の長などに留め、他の上位陣が参戦を芋づる式に渋るよう働きかけた結果である。特に、同一のアイテム──同じ“諸王の玉座”を有する団体にしてみれば、世界級の防衛力の働く拠点へ討伐に攻め込むなど、ありえない。それが、“拠点防衛”において世界最高の威を発揮するアイテムの「力」だったのだ。

 

 ……戦いとは、始まる前からの準備の積み重ねで成り立っている。

 

 情報戦を早期に展開し、上位ギルド陣の参画を押し留めたことで、ナザリックの勝利が堅実なものへと推移していくのは、当然の帰結に過ぎない。

 

「でも、さすがに1500っていう数は、多すぎじゃないですか?」

「タブラさん」

 

 黒と銀装飾が眩しいボンテージ衣装で身を包む、歪んだ蛸型の異形種が、不安要素を指摘する。

 確かに、最も危惧されていた敗北要素……“諸王の玉座”──その「弱点」と「攻略法」を知るギルドやプレイヤーの参戦は、水際で食い止めることができた。

 だが、今回の討伐イベントにお祭り感覚で便乗するプレイヤーが、予想に反して多かった。

 複数のギルド同士が同盟を結ぶなどしてひとつの陣営に固まることはよくあることだが、それでも「八つ」のギルドが連合を組むというのは、なかなかにない出来事だ。ギルドの最大員数は100人……もちろん、100人のプレイヤーが一堂に会する団体規模を維持展開可能なギルドはそれほど多くはない。方針転換や人間関係の軋轢などによって、内部分裂やメンバーの大量脱退、ギルド長を含む全構成員がゲームを引退したことで自然消滅していくなどという事例も頻発する以上、上限ギリギリを停滞している団体は多いし、アインズ・ウール・ゴウンのように少数規模で募集を打ち切る例も存在する。

 そんなゲームのなかで、本来は思想も方針も構成員たちの趣味もバラバラな「八つのギルド」が、まったく同じ目標=敵に向かって討伐隊を組むなど、まずありえない。

 当時、国内においてDMMO-RPG(イコール)ユグドラシルというほどに人気を博したゲームではあったが、連合を組んだ八ギルドで600人──そこへ下位の従属ギルドなどが複数あわさって200人超──ナザリック討伐に追随しようという傭兵プレイヤーが200人近く……もはやこの時点で、前代未聞の1000人単位、四ケタのプレイヤーで構築された討伐隊が組織され、その討伐隊の規模は、ただの単一ギルドを落とすにはあまりにも過剰かつ過密な総量と化していた。

 

「──確かに。いくら傭兵NPCなんかも勘定に入れていると言っても、少なくとも1500人が一勢力を築くとなると、ナザリックのほとんどの階層・第一から第七の階層は蹂躙されかねません」

 

 酷薄に分析するぷにっと萌えに、全員が黒い溜息を吐くような感情(エモーション)アイコンを浮かべる。

 

「1000人規模は、さすがにな」

「500とか600だったら、なんとか」

「ていうか、よく集めたよな、こんな数」

「どんだけウチ嫌われてるんだよっていうな」

「2ch連合が最盛期(3000人)の頃の半分──アホみたいな数字だな」

「やばいなぁ。俺らが対象でなかったら、正直参加してみたい感ある」

「1000人規模でダンジョン攻略……うん。夢があるな」

「ナザリック討伐ツアーへご案内~ってか?」

「ああ、楽しかったな。ここでの生活」

「世界を一個ぐらい征服してみたかったなぁ」

「ブループラネットさんの造り込み最高だったのに」

「第六階層とか本当すごいですもんね」

「いやいやいやいや! ……ちょっと、皆さん。まだ諦めるのは早すぎますよ?」

「ウルベルトさんの言う通りです! 始まる前から諦める必要はないでしょう?」

「──珍しく近接職最強と魔法職最強の意見が合うとは」

「でも、俺のシャルティアが大勢によってたかってイジメられるのは、ちょっと」

「おい、黙れ弟」

「大勢によってたかって……」

「るし★ふぁーさん、ちょっと自重して」

「…………」

「────」

 

 モモンガは押し黙った。

 皆の議論をギルド長の席に座って聞いていた。

 皆、浮足立った感のある会議は白熱していく。

 そんな遣り取りを、どこか遠くで聞いているような感覚を覚えた。

 

 実のところ──モモンガは、正直──不安だった。

 

 みんなと創り上げたモノを壊されることが。

 みんなと共にいられる居場所がなくなるような事態が。

 みんなとこんな形で別れたくない・終わりたくないという想いが──胸を、塞ぐ。

 

「で、どうします、ギルド長?」

「……あ、……え?」

「最後はモモンガさんに、ビシっと決めてもらいましょう」

 

 恒例行事として、全員の視線がギルマスの死の支配者(オーバーロード)へ集中している。

 道は二つ。

 徹底的に拠点に引き籠って“抗戦”するか、戦いを放棄して──攻め込まれる前にギルドを解散して“逃げる”か。

 今回の話は、多数決では決められそうにない(実際、行った多数決の結果は20:20の“半々”であり、最終的にはギルド長たるモモンガの、最後の41人目の意志意見を残すのみという)議題であり、ギルドの今後に関わる重要案件であった。

 ただの狩りの行き先ではなく、ギルドの存在が危ぶまれる緊急事態に他ならない。

 ネット上での下馬評は、確実に1500人側に傾いている。何しろ、いくらアインズ・ウール・ゴウンとはいえ、その規模はたったの41人──プレイヤーの数で言えば、討伐隊が圧倒している。まともに考えるならば、これだけの数的不利を覆せる道理はない。いかに世界級(ワールド)アイテムを複数所持し、それらの情報を隠匿できていると言っても、「もしかしたら」ということも、ありえる。

 逃げる方法は、あるには、ある。

 このナザリック地下大墳墓を捨て、持っていけるだけのアイテムや資金をもって、ギルドを自主的に解散。そして、新たな拠点を皆でみつけ攻略し、いちからすべてをやり直すということも、一応は可能だった。

 けれど、

 

「──戦いましょう」

 

 モモンガは意を決した。

 

「自分たち、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、別に間違ったことをしたわけではない。運営の規約に抵触したわけでも、ユグドラシルのルールに反したことも、ない──皆さんと築き上げてきた“悪”のギルドとして、このゲーム世界に君臨してきたまで」

 

 ウルベルトをはじめ、頷くメンバーたち。悪辣なデストラップや地獄のモンスターたちを作成・配置した。運営の規約にはギリギリ触れはしない程度で、恐怖と絶望のダンジョンアトラクションを構築してみた。各階層の守護者だけでなく、各地の領域守護者──五大最悪──他にもさまざまなギミックやらグラフィックやらを作り込んだ。ときにはふつうに攻略へきたプレイヤーから「下手なお化け屋敷よりも楽しめる」「その筋のプレイヤーにはたまらないダンジョン」「第六階層の空はマジで綺麗。一見の価値あり」と、意外と高評価を受けることもしばしば。

 

 そして、いま。皆が築き上げた拠点の力・機能・役割を信じて、ギルド長の決定が下される。

 

「これが最後の戦いになるというのなら、“悪”は“悪”らしく、ゲームの魔王の如く、侵入者たちを迎え撃ちましょう」

 

 快哉をあげる声が重なった。

 モモンガの決意表明は、正義を目指すたっち・みーですらも異論抗弁のようがない──まっすぐな主張。

 無駄な戦いを繰り広げるよりもずっと安易な戦法──逃亡を選択していたメンバーたちも、このギルドの絶対方針に逆らう理由は薄い。

 

「でも」

 

 立ち上がったモモンガが、席の背後を振り返った先にあるギルドの象徴──スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 

「やるからには、勝ちに行きます」

 

 これをはじめ、このナザリック地下大墳墓を築き上げるべくして積み上げてきた労苦を、卑しく怯えて捨て去るようなことは、できない。各階層に散るNPCたちのプログラミングや外装データも、そのひとつひとつが、メンバーたちの一個の芸術作品──そういった外には出せないモノたちを、この場で見捨てて放棄するような真似は、モモンガには不可能だった。

 

(これを作るのにだって、皆で苦労してきたんだ)

 

 それら思い出を水泡に帰し、自分たちの手で放り捨ててたまるものか(・・・・・・)

 不退転の決意と共に、円卓の間で回り続けるギルドの杖に手を伸ばしかけて、とめる。これを手にするときは、ギルドの皆の承認を得るものと決めていたのを思い出して。

 しかし、

 

「杖を取ってください、モモンガさん」

 

 ふと、振り返る。

 

「自分たちの、我等アインズ・ウール・ゴウンのギルド武器を」

「──たっちさん」

 

 このギルドの発起人たる聖騎士と共に、羊頭の大悪魔が笑顔のアイコンを浮かべる。

 

「こんな時くらい、ギルド武器を手にとってくれてもいいんですよ。それが(リーダー)の特権ですし、何より──格好(カッコ)いい」

 

 見渡せば、メンバー全員が首肯してくれる。

 みんなの公認と共に、モモンガはケリュケイオンにも似た黄金の杖を手にとる。

 悪のギルドを統べるにふさわしい黒々としたオーラを纏いながら、モモンガは朗々と宣言した。

 

「では。これより、我等アインズ・ウール・ゴウンは、敵ギルド連合の宣戦布告を受諾──

 各員、来たる攻略戦に備えてください!」

 

 轟然と床を衝く杖の音と共に、モモンガの宣告が威風堂々と議場を満たす。

 

「その意気です。モモンガさん!」

「連中に、目にも見せてやりましょう!」

 

 たっち・みーとウルベルトが並んでモモンガの両肩を叩いて、彼の決意を賞賛すべく握手を交わす。

 

「──最悪の場合。ウチのギルドには“諸王の玉座”以外にも、多くの世界級(ワールド)アイテムもありますしね。特に、モモンガさんの持っている“それ”と、第八のあれら(・・・)相乗作用(シナジー)を使えば、たいていの敵は防ぎきれるはず。──タブラさんが創ったあのシステムも合わせれば、侵入者は確実に惑乱するでしょう。そこをヴィクティムの足止めで封じてしまえば……」

 

 どこまでも策士に徹する蔦の死神(ヴァイン・デス)も賛同。

 

世界級(ワールド)アイテムの“大盤振る舞い”とくれば、ほかのギルド攻略戦とは別の結果もありえるでしょう。それに、第八階層に置いている“ルベド”は、自分の「最高傑作」ですし。アルベドやニグレドとは、根本的に違う存在として、“荒野”で存分に暴れまわってくれますから。期待しててくださいよ~、モモンガさん?」

 

 大錬金術師が細長い指先を(たお)やかにくねらせながら、小気味よく首を(かし)がせる。

 モモンガはうれしくなって、子どものように大きく頷いてみせた。

 全員の意思統一が成し遂げられ、各々が決意を新たに立ち上がる。

 

「よぉし!」

「そうこうなくちゃっ!」

「そうと決まれば、しっかり準備しないと、だ」

「ギルド資金──金貨も今以上に確保しておきましょうか」

「いま一番近い金貨ドロップがうまいのって、どの辺?」

「時期的に遠出は無理か。八ギルド連合の偵察(スパイ)がうろついているかもだし」

「トラップの配置をもう一回見直しておきますか?」

「NPCのAI、プログラミングに穴がないか、チェックしときますよ」

「ほんと忙しいのにありがとうございます、ヘロヘロさん、プログラマーの皆さま」

「となると。NPCの装備やアイテムも、なるべく増強しておきたいですね」

「あまのさんの仕事が増えるな」

「ああ。火蜥蜴(サラマンダー)の鍛冶長もな。あと、ついでに料理長も」

「だとすると、ガルガンチュアの定期整備は後回しでいいよな?」

「ええ、ぬーぼーさん。攻城用ゴーレムは、今回の防衛戦には使えませんし」

「自分のNPC──ナーベラルとか、出番あるかな?」

戦闘メイド(プレアデス)の護る第九にまで攻め込まれたら、確実にヤバいけどな」

建御雷(たてみかずち)さんの第五階層守護者(コキュートス)とかは割と出番多いのに比べて、下の層は全然ですからね」

「今のところ、私のアウラとマーレが護る第六より下は、未踏破だよね?」

「そのはずだよ、かぜっち」

「姉ちゃんみたいなピンクの肉棒から、あんな強烈に可愛い双子が生まれるとか、何の冗談だよっていう」

「こらこら二人とも。武器はしまいなさい?」

「まーたモモンガさんに怒られるぞー?」

「…………」

「────」

「   ?」

「   !」

「    」

 

 

 ・

 

 

 赤錆びた記憶を眺めるのに必要な数秒から、目を醒ます。

 100年も昔のことを思い出すのは、人間の残滓でしかないモノには、ひどく難しい。

 それはまるで、虫食いの生じた日記を見るような、ところどころが劣化した映画フィルムのような、そんな感じ。

 

 それでも……

 あれは、栄光の時。輝かしい過去。仲間たちとの絆を護るために奔走した──素晴らしい記憶。

 

 だが悲しむべきことに、それは100年も昔の出来事である。アンデッドとして睡眠などが不要なアインズは、ただの人間よりも長い時を活動してきている。──通常人類の精神であれば、間違いなく発狂モノな、長い、あまりにも長い年月を。

 そんな中で、確実にすり減っている人間性をなんとか保てているのは、アインズには護るべきものが今も眼前に、「ナザリック地下大墳墓」という確固とした形で、存在してくれているから。

 だからこそ、アインズは変わらず、この拠点を──皆と共に守り通したナザリック地下大墳墓を、護り続ける。護り続ける必要が、ある。

 

「あの、アインズ様」

 

 玉座に悠然と座る主人へと、ひとりのメイドが申し訳なさそうな瞳を向けていた。

 

「うん。どうした、マルコ?」

 

 セバスの娘──ナザリックに新たに誕生した“新星”戦闘メイドを率いる重職を担いし白金の乙女は、母親(ツアレ)叔母(ニニャ)によく似た顔立ちを堅くしつつ、メイドらしい動作の中で、かすかな疑義を呈してみる。

 

「あの、寡聞にして、勉強不足と咎められることを承知で……アルベド様の“妹”という、ルベド様の御力というのは?」

 

 ああと言ってアインズは骨の首を柔らかく動かす。

 

「そういえば、マルコはルベドを見るのは?」

「はじめて……でございます」

 

 これは無理もない。

 第八階層は現在、ナザリックの者でも侵入・通行を制限した階層だ。

 そこに存在する最大戦力──生命樹(あれら)と肩を並べて戦う赤い少女のことを見る機会など、いかにマルコと言えども絶無。

 というか、実際に会うことになれば、高確率で「殺される」可能性がある以上、誰も立ち入れるわけにもいかなかったのだ。

 

「うん、いい機会だ。おまえもよく見ておくといい。……あれの“力”を」

 

 アインズの、モモンガの友──大錬金術師──タブラ・スマラグディナの最高傑作を。

 ナザリックの寵児に授業を行うがごとき軽妙さで、アインズは悠々と水晶の画面を手元で操作し、荒野を徘徊する少女を観測。

 赤いドレスを翻す少女の顔立ちは、アルベドの美貌とあまりにも似通っているのは、アルベドと少女の創造主がそのように創った結果に過ぎない。

 

 

 

 

 

 真紅の少女・ルベドは、天使の澱の前に立ちはだかるべく、荒野を進む。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 第八階層“荒野”の(そら)に浮かぶ、七つの星。

 

 生命樹(セフィロト)──

 

 あれら、ナザリック最大戦力たちと比肩する、もうひとつの(・・・・・・)脅威(・・)

 

 荒野の大地を流離(さすら)う、ひとりの、少女。

 姉たちよりも幼い女体に纏うのは、血に濡れたような真紅のドレス。

 荒れ野をいくには不似合いといえる典雅な身なりで、塵埃(じんあい)の舞う風など知らぬ様子で、光の柱の如く背筋をまっすぐにした姿勢で、大地の上を徘徊。

 ふと。

 少女は赤いピンヒールを止め、紅の長髪を振りまき、白い(かんばせ)を無表情に巡らせた。

 暁色の瞳が、この地に到来せし者たち・侵入者の存在を、──戦いの気配を、感知。

 

 

《 ──Terminal mode(ターミナル モード) , start(スタート) 》 

 

 

 少女は向き直り、進む。

 やがて少女は、生命樹(あれら)たちの大攻勢が叩き込まれる戦場へと、至る。

 

 

 

 

 

《 ──戦闘状況を把握。Rubedo(ルベド)は、“殲滅”を開始します 》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・今回登場した、今後登場しないオリキャラ設定・

〇スティーヴ・テスタニア Age27
 種族:人間
 魔導国一等臣民。バハルス領域出身。遠視系統の異能を有する。
 ご先祖に「幻を看破する魔眼」を持った方がいる模様──
 
〇ルヤ・??       Age25
 種族:獣身四足獣(ゾーオスティア)
 魔導国二等臣民。生産都市アベリオン出身。鉄槍を扱う女戦士。
 入隊当時はスティーヴとのペアに不満を懐いていたが──

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