オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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天使の澱の“死” -2

/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.05

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは今さらになって、かつての記憶が鮮明に輝きだすのを実感する。

 赤錆びていた記憶のフィルムが綺麗に修復され、(こころよ)い速度で回り始める。

 

 

 

「これはシステム上の問題を、手っ取り早く解消するのに一番都合がいいですからね」

 

 ユグドラシルでは、すべての属性や攻撃手段への耐性や完全対策は“不可能”というシステムがある。

 どんなに無敵に見える存在でも、何かしらの“弱点”となる攻撃や特効手段などが存在するようになっており、それはいかに世界級(ワールド)クラスと謳われる存在でも、例外にはなり得ない。

 

「なので、生命樹(セフィロト)を止める手段として、“足止め”スキルは有効になっているんです」

 

 そう説明したのは、生命樹(セフィロト)の元ネタになる知識を提供した“大錬金術師”──カバラなどの情報に精通していた、蛸の水死体のごとき異形種プレイヤー、タブラ・スマラグディナ。

 殲滅兵器たる生命樹(セフィロト)も、突き詰めて言ってしまえば、ただの傭兵NPCの亜種に過ぎない。

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の支配下に組み込まれた、かつてナザリックのボスとして君臨していたモンスターを、敵を狩り尽くす暴力装置として改造し尽し、合計“11個”の星の姿に分けたモノ。

 彼等にも、当然ながら“弱点”となる能力が存在したのは、至極当然の道理でしかない。

 

「だから、ナザリックは徹底的に、天使のプレイヤーなんかは第八階層にまで到達しないよう、マイナスエフェクトの罠や第五階層のコキュートス戦──冷気属性の能力で脱落しちゃうようにしてもらったんです」

 

 ただ単純にギルド拠点の階層を野放図にこしらえるのではなく、自分たちの「最強戦力」たる者たちを安全にかつ確実に運用できるように、タブラは拠点建造の初期段階から、ダンジョン時代のナザリックの階層構造を踏襲しつつ、自分たちの最大戦力の殲滅兵器を存分に活動できるように、入念な準備をこしらえていた。

 

 第八階層の生命樹(セフィロト)を強制的に止めるには、天使種族のプレイヤー……より具体的には、“足止め”スキル保有者が、必須。

 だが、その天使種族は、ナザリックの上層階で脱落を余儀なくされるシステムを構築していた。

 これは、ユグドラシルの運営規約に抵触することではない。場合によっては、天使種族のプレイヤーでも、運が良ければ下の階層に至る可能性があるため、システム・アリアドネ的にも、何も問題はないと見られた。

 

「こういう堂々巡りの仕かけって、ユグドラシルの元ネタの北欧神話にもあるんですよ?

 エッダ詩の『フョルスヴィーズルの言葉』の話なんですけどね。

『スヴィプダクルという男が、とある砦に囚われた女性を助けようと、その砦に入るのに必要な北欧神話の雄鶏・ヴィゾフニルを必要とした。けれど、その雄鶏を狩るには、炎の巨人スルトの武器・レーヴァテインを必要としました。しかし、レーヴァテインを手に入れるには、スルトの妻・シンモラという女巨人にヴィゾフニルの尾羽を与えないといけない』……気づきました?」

「えと、ヴィゾフニルを手に入れるにはレーヴァテインが。でも、レーヴァテインを手に入れるにはヴィゾフニルが──ん、あれ、一周してますよ? どうやって手に入れるんです、これ?」

 

 首を傾ぐ骸骨のプレイヤーに、タブラは愉快そうに肩を揺らした。明るい笑顔のアイコンが蛸の頭に浮かぶ。

 

「言ったでしょ? 堂々巡りなんですよ──」

 

 第八階層の生命樹(あれら)。その“裏”攻略法も、それと同じ。

 

生命樹(セフィロト)を無理やりに止めようと思えば、天使(足止めスキルを持った)が必要。けれど、天使が第八階層に至ることは、ナザリックの上層階の仕様上不可能。こっちも堂々巡りな仕組みなんです」

「ああ、そういう」

 

 もちろん。この“裏”攻略法のヒントは、第八階層を守護する天使──ヴィクティムの存在で、それとなく暗示されている。

 

 何故、第八階層“荒野”の「階層守護者(・・・・・)」が、脆く弱い──ヴィクティムなのか。

 何故、NPCの役職上、最上位に位置する地位を、脆弱に過ぎる天使に与えたのか。

 

 それは、彼こそが、荒野の園に降り立つ最後の障害であり、“同時に”彼の持つスキルこそが、理論上“あれら”を──ナザリック地下大墳墓の最大戦力たち・生命樹(セフィロト)を封じ、縛りたて、抑止することが可能な能力の持ち主であるから。

 ただの拘束や封印ではなく、天使種族固有の“足止め”スキルが、第八階層の(そら)を行く最強の群……“生命樹(セフィロト)”への特効手段・最大にして絶対の弱点であるから。

 故にこそ、ナザリック地下大墳墓の表層~前半部は、天使種族を悉く殺戮できる仕様で固められているという鬼仕様。

 

 誰もがチートだインチキだと評した第八階層“荒野”──

 だが、攻略の(ヒント)は、最初から示されていたのだ。

 ヴィクティムの“足止め”スキルは、あの第八階層で問題なく起動する特殊技術(スキル)のひとつであることは、あの戦いを視聴していれば誰しもが気づけるはず。

 だが、このヒントに気づけたユグドラシルプレイヤーなど、まるで皆無であった。

 誰もが“あれら”や“ルベド”、そしてモモンガが起動した“世界級(ワールド)アイテムの効能”に目を奪われ、その可能性を考察し吟味するまでに至れなかった。「あんな場所に近づくだけ無駄だ」と。「再攻略など不可能である」と。誰もがそう諦め、結論づけていった。それこそが、ユグドラシルにおける正しいプレイヤーの姿であったのだ。

 

 

 だが、カワウソは違った。

 

 

 仲間たちを倒した“あれら”への対抗策をひとり考え続け、第八階層“荒野”の研究を狂ったように行い続け、あの討伐隊が惨敗を喫した──仲間たちが一人残らず死んでいく動画を確認し続けた、孤独な男……その妄念と執念と怨念がたどり着いた解答こそが、彼が自作した拠点NPC・ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の防衛部隊である天使たち……彼等のほとんどすべてに施された“足止め”スキルであったのだ。

 

 

 たったLv.35の「生贄の赤子」──第八階層守護者・ヴィクティム。

 

 

 足止めスキルは、ヴィクティムがそうであったように、大半のプレイヤーの身動きを封じることができる強力な力だ。単純な“封印”や“拘束”への耐性や無効化などの対策を講じているはずのLv.100プレイヤーを100人単位で“足止め”できたのは、「足止め」という状態異常は、単純な封印・拘束とは見なされない──まったく別系統の状態異常にカウントされるもの──故に。

 当然、“足止め”というスキルに耐性を持つことは、プレイヤーたちには難しい。

 通常ドロップで落ちる防具やアイテムで手に入る防御能力・耐性データではない上、足止めを使ってくる野良の天使モンスターの類も少なかったし、そもそもヴィクティムという存在自体が、“足止め”スキルを発動するのに「最適化」と「最特化」された存在であるのが大いに影響している。

 たった一体の天使の無残な「死」によって、第八階層の“荒野”を進んだ討伐隊の残存を、一人残らず捕捉し、強固な足止めの呪縛にとらえたのは、彼の天使種族レベル・合計29と、天使の“足止め”を発動する職業(クラス)レベル・合計6──愛国者(パトリオット)殉教者(マーター)聖者(セイント)のバランス配分が成し遂げた、ひとつの奇跡であった。彼はそのためだけの存在であった。ヴィクティムが天使や大天使など、かなりの雑魚天使レベルを積み上げているのも、有する天使種族のレベル数値によって、『“足止め”の捕捉可能重量』を増減できるからに他ならない。熾天使や智天使などの高位に位置する天使レベルよりも容易く手に入る下位の天使レベルが優先的に投入された最大の理由……「“足止め”を発動する為だけの存在」は、いたずらに強力すぎては意味がないから。Lv.100プレイヤーにすぐさま殺される程度の雑魚である方が、強力無比な“足止め”の効果を、より効率よく発揮できるというカラクリである。

 

 そして、タブラは生命樹(セフィロト)を改造する際、その弱点を“足止め”スキルに指定した。

 ヴィクティムの創造者や、生命樹(セフィロト)の外装担当になったギルメンも、彼の意見を大いに受け入れた。

 

「ゲームをプレイする中で、ヒントはそこら中にバラまかれているのが、TRPGの鉄則ですから」

 

 その地を護る守護者(ボス)に、攻略の糸口はあるもの。

 公正かつ平等なゲームプレイを挑戦する者に用意する、ゲーマーの(かがみ)

 アインズは──モモンガは、タブラの知識量とゲームへの情熱に圧倒された。

 いったいどこからそんな濃い魔術知識や神話関連の情報を仕入れているのか、軽く聞いてみたことがあるが、いつもはぐらかされて終わった。あまり現実世界(リアル)に干渉するのも(はばか)られるので、本当に軽く聞き込むこと、十数度目。

 

『それは企業秘密ということで』

 

 こうした、生命樹(セフィロト)第八階層守護者(ヴィクティム)の力関係に限ったことではない。

 ルベドという“最強”のシステムを生むことを思いつき、それを現実に達成してしまった功績は計り知れない。

 他にも様々なことで世話になった。

 ユグドラシルの攻略法指南やダンジョンでの留意点など。

 モモンガは真実、タブラ・スマラグディナという仲間を尊敬した。魔法火力においてモモンガを超越するステータスを誇りながら、モモンガの死霊術師(ネクロマンサー)特化のロマンビルドを本気で称賛してくれた──大親友。

 

「で。さっきのヴィゾフニルとレーヴァテインの話の続きなんですけどね」

 

 水を得た魚のごとく……見た目はタコだが……彼が水かきの両手を広げながら嬉々として語る趣味の話を、モモンガはいつも楽しく聴いていた。

 タブラはこうも言っていた。

 

『至極真っ当な方法があるからには、その『裏をつく方法』もある』

 

 あまりにも巧妙かつ狡猾な、悪魔のゲームメイクを嗜む“大錬金術師”は、多くのものを残してくれた──ナザリック最高の智謀を誇る、最王妃・アルベド──ナザリック最高の情報系魔法の妙手たるニグレド──ナザリック最大戦力と比肩して戦う“最高傑作”たるルベド──彼女たち全員の創造主として──ホラー映画に通じ、TRPGを趣味とし、神話関係の無駄な雑学をモモンガに垂れ流したギルドメンバー…………タブラ・スマラグディナ。

 

 

 

 友との思い出が、100年前のことだとは思えないほど、モモンガの脳裏に、色鮮やかに蘇る。

 

「…………ふ、ふふふ」

 

 カワウソのおかげで、アインズは──モモンガは、かつての記憶のひとつを、鮮明に思い出すことができた。

 それが、たまらなく嬉しい。

 

「ふ、ははははは、あははははははははっ!」

 

 アルベドたちの目も気にせず、存分に、盛大に、まるで狂ったように大笑いしてしまう。

 おろおろと止めるべきか問い質すべきか迷う王妃や守護者やメイドたちに構うことなく、骨の掌で骨の(かんばせ)を叩き、感心しきったように頸骨を、首の骨を上下する。

 

「はははは……ああはは……ふははは! ──ああ──うん。完全に抑制されたな」

 

 それでも、こんなに笑ったのは、久しぶりだ。

 強い感情の“揺れ”は、アンデッド化の影響で、どうしても抑制されることが多い。

 抑制されても、次々と湧きおこる喜びと歓びが、アインズの空っぽの胸と脳を満たして、暖かい心地でいっぱいにしてくれる。

 

「ふふ──ああああ……そうか……」

 

 アインズは心の底から、嬉しさに溢れていた。

 

 ──過去の遺物だと思っていた。

 仲間たち皆で創り上げたこの場所──ナザリック地下大墳墓は、忘れ去られた存在なのだと……かつてはそう思い知らされていた。アインズにとっては100年も昔になり果せた……あのサービス終了の日に、そう痛感させられていた。

 

 しかし、

 そうではなかった。

 

 少なくとも彼は…………カワウソという堕天使は、本気でナザリック地下大墳墓に、挑み続けていたのだ。あるいは彼ならば、あのサービス終了の日にナザリックへと攻め込んできてくれたのかもしれないと思うと、言いようのない満足感を覚えてならない。

 彼は真実、ナザリックへの挑戦者であった。

 その証明にして証拠が、あの天使の澱のNPCたち。

 彼等の“死”によって足止めを受ける、ナザリックの最大戦力たち──天使たちによって行動を封じられた生命樹(セフィロト)たちの現状が、すべてを物語っている。

 

「まったく──拠点のLv.100NPCに──しかも、あれだけの数の足止めスキル保有者を創るとは……」

 

 馬鹿げている。

 絶対にありえない。

 痛快なほどに常軌を逸している。

 Lv.100NPCに──拠点防衛用の──ユグドラシルでは拠点の“外”に出せなかった存在達に──よもや“足止め”スキルを、などと──

 

「……ああ。──なるほどな」

 

 アインズは思い出す。

 飛竜騎兵の領地を去る、あの時。マルコとの交渉を棄却した直後のカワウソを、彼を護るように立ちふさがった天使(NPC)たち──三人の言葉を、思い出す。

 アインズの敵として、処され誅され殺されると、暗に示されたNPCたちが、明快に告げた。

 

 

だったら(・・・・)どうだというのです(・・・・・・・・・)?』

『ミカの言う通りね。私たちの(いのち)は、ここにいるカワウソ様だけのもの』

『カワウソ様に創られた我等ー。この(いのち)尽きてー、尽きた(のち)に至るまでー、創造主(あるじ)(めい)に準じるのみー』

 

 

 命を捧げる覚悟程度は、創られた拠点NPCにとって当然の感情。

 だが。

 事ここに至っては別の意味を含んでいたと、遅まきながら気づく。

 

(彼女たちは、最初から──“死ぬつもりだった”……)

 

 そう。

 ただ『負けて』『死ぬ』ことが、『第八階層“荒野”で、あれらにつたなく殺されること』こそが、天使の澱のNPCの存在理由にして、創造主たるカワウソから与えられた絶対の使命であったのだ。

 命尽きて、尽きた後に至るまで、創造主の命に準じる…………それは、与えられた“足止め”スキルによって、命尽きた“後”に至るまで、彼の命令に──与えられた使命に役割に──足止めの役儀に準じ、そして殉じる。

 まさに殉教者だ。

 NPC故に──死など恐れることがないという次元ではなく、“死ぬことによってのみ、彼女たち天使の澱のNPCは、本来の用途を発揮可能な存在だった”のだ。

 

 愚かにも、ナザリック地下大墳墓・第八階層への復讐を標榜した堕天使。

 そんな彼が奇跡的に至った、第八階層の“裏”攻略法。

 

 彼は己のギルド拠点を護るためのNPCに、第八階層を攻略するための役割を与えて──あのゲームを、ユグドラシルの最終日を、迎えた。でなければ、彼があれだけの足止めスキル保有者を揃えられた理由の説明がつかない。この異世界へ転移した時点で、拠点NPCのレベル数値をイジることは、まず不可能になっているのだから。

 これは、正気の沙汰どころの話ではない。

 拠点NPCに、特に、Lv.100のNPCに、足止めスキル獲得のための職業レベルを付随させることは──ありえなくはない。

 だが、強力なレベル帯である最高位Lv.100という数値を与える以上、“足止め”の使いやすさからは程遠い。腐ってもLv.100というレベル数値は、強力な力を必然的に備えることを意味する。拠点を防衛するのに“足止め”を使うのであれば、攻撃力や防御力を削ぎ落とし、他のあらゆる魔法やスキルを発動しない、殺しやすい、ただの「的」の方が都合がいい……ちょうどヴィクティムのような雑魚を量産する方が、効率は断然よくなるはず。

 だが。

 カワウソは違う。

 彼が用意した拠点NPCは、まさに一個のチームとして機能するように整えられたと、素人目にも判断できる。物理火力役(アタッカー)魔法火力役(アタッカー)防御役(タンク)回復役(ヒーラー)探索役(シーカー)その他役(ワイルド)──それが各々二名ずつの12人。基本的な2パーティ分の構成が成り立つ員数。ナザリックという強固な要害を共に走破するのに、Lv.50以下の雑魚など、第八階層まで連れこめるわけがないが故の、Lv.100。そして、そんなLv.100を簡単に殺してくれる戦力が、あの第八階層の生命樹(あれら)たち。

 12人の天使をまとめるギルド長・カワウソ。彼はそのためだけに、あのチームを“第八階層攻略のため”だけに創り上げた──それ以外の答えはない。

 

(彼のNPCは……おそらく、ナザリック第八階層“荒野”を攻略するための、最適なチーム編成をシミュレートしたもの、か)

 

 拠点内部の情報を知らぬアインズではこれ以上の詮索も検証も不能だが、カワウソは彼等12人を、完全に一個のチームとして機能させていた。

 墳墓の表層へと至る平原の戦いにおいて、12人のLv.100NPCたちは、完全にそういった運用方法を発揮し、カワウソと共にアンデッドの軍団を蹴散らし続けてきたのだ。

 

(彼は、本当に……本気で、第八階層を目指していたのか)

 

 本当を言うと、アインズは疑い続けていた。

 これまでの彼の抗戦と勇戦は、まぎれもない事実として、アインズの眼には価値あるものに映っていたが、まさか「本気」で、あのゲームで第八階層にいる最大戦力やルベド達に“復讐”を誓う姿が、解せなかった。

 余人では馬鹿げていると、呆れるのを通り越して怖気(おぞけ)(おぞ)ましさすら感じるほどの戦いの理由……ゲームごときで“復讐”に憑かれた堕天使の戦意を、復讐の対象に見られる側に位置するアインズは、だが、彼の有り様を、今では大いに歓迎すらできた。

 自分が仲間たちと築き上げたギルド──アインズ・ウール・ゴウン──ナザリック地下大墳墓へと本気で挑戦すべく、入念に準備を重ねてきたという事実。また、あるいはかつて、ナザリック地下大墳墓を攻略すべく、ギルメンやモモンガと戦ったことがあるかもしれないユグドラシルプレイヤーが、この今、この現在に現れてくれた事実に、いまはアンデッドの身ながら、感動を禁じ得なかった。

 

 加えて、彼のおかげで、仲間達とのかけがえのない──この100年の活動で、ところどころ劣化の見られる過去の一部を、鮮明に修復・復元できた事実も大きい。

 

 優に100年の時を超えて、あの第八階層のあれらを攻略されるとは、思いもよらない事件である。

 だが、不思議とアインズは清々(すがすが)しい気分で、カワウソの生み出した拠点NPCを喝采し、あれらの弱点に気づいた堕天使プレイヤーの理解力と想像力を称賛し、讃美した。

 ──せねばならない。

 彼の成し遂げたことを、矮小かつ劣等、愚鈍にして惰弱な、狂ったプレイヤーの悪足掻き……などと一笑に付すことはできない。

 彼は……彼こそが、誰もが「チートだ」「無理だ」「諦めるしかない」と背を向けていった難問に、見事ひとつの最適解を見出(みいだ)してくれた、ただ一人の解答者だったのだ。

 少なくともアインズは──このナザリック地下大墳墓の最高支配者は、そう評せざるを得ない。

 

「見事だ」

 

 大錬金術師が、もしもここにいたら、きっと大いに喜びに湧いたことだろう。

 ゲームを愛したタブラ・スマラグディナが用意した第八階層攻略の糸口……“弱点”を見抜いたのか──あるいは偶然かは知らぬが、事実として、生命樹(セフィロト)たちの戦闘能力を奪い、あれらの膨大な攻撃力を一切合切封じ込めることができた敵の手腕を、アインズは素直に実直に、感謝と感激を懐かずにはいられなかった。

 

「アインズ、様?」

 

 アルベドたちが困惑に顔を歪め近寄るのを、アインズは笑みを浮かべて「心配ない」と手を撫でる。

 守護者らや戦闘メイドらにも、まったく同じ顔色で……骸骨だから変化していないのだが、応じる。

 

 

「カワウソは確かに、まんまと生命樹(セフィロト)たちを“足止め”してくれたな。

 ……だが」

 

 

 大いなる時間稼ぎに成功したつもりでいる“(カワウソ)”を、アインズは憐れに思う。

 知らないはずがないだろうに──

 第八階層の脅威は、生命樹(あれら)だけでは──ない。

 

 

「あの“足止め”……

 果たして、あの()に──あのルベドに通じるかな?」

 

 

 守護者らの不安を一掃するように、モニター映像のひとつを、アインズは拡大する。

 真っ赤に染まるドレス姿の少女──ルベドの貫手によって、機械の天使の(コア)が──ウォフと呼ばれていた全身鎧を着込んだ巨大な女(……“女”だったのだ)の中枢部が、抉り砕かれている。

 

 アインズは、アルベドとシャルティアに声をかけながら、諸王の玉座から立ち上がった。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

「ふ……ふふ」

 

 堕天使は、振り返り見届けた光景の(はげ)しさに、目を奪われた。

 涙があふれ出そうなほどの熱を視界に感じながら、七本の光のエフェクト……宙を行く星と繋がる天使の死体という景観を、感動の鼓動と共に見据え続けた。

 

「くは……くははは!」

 

 カワウソは、“賭け”に半ば勝った。

 ずっと疑問だった……不安だったのだ。

 

 これは机上の空論かもしれない。

 想像通りにはいかないかもしれない。

 こんな試みは妄想に終わるかもしれない。

 あれらには通じるはずがないのかもしれない。

 絶対の確信や確証があったわけではなく、確定情報だなどと誰かから聞いたこともない。

 それでも、カワウソは可能性に“賭けた”。

 

「そうだ。そうだよ。そうだとも!」

 

 RPG……ゲームを攻略するにあたり。同じエリア・フィールド・ダンジョン、そして階層内に、その場所を攻略するヒントというのは、隠されていて当然の理論。

 あの第八階層で起きた出来事……あるいは隠された真実……そういったものがあるとするならば、それはチートでもなくインチキでもなく、正当なゲーム攻略の鉄則として、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが、第八階層に侵入にした挑戦者たちへと出題する難問として、あらかじめ第八階層“荒野”に仕込んでいるはず。

 

 だが。カワウソはさんざん迷った。

 

 かつての討伐隊は完全に瓦解・離散し、カワウソの旧ギルドメンバーにしても、半数が速攻でやめていった。あれだけ「アインズ・ウール・ゴウンの専横を許すな」と声高に叫んでいた雇い主たちにしても、ユグドラシルに残った者は皆無という醜態を露呈していた。

 故に。カワウソは延々と、第八階層の動画映像を繰り返し視聴し、自分たちの敗北が確定した瞬間まで含めた最悪の光景に至るまで、すべてを脳の記憶領域に、血文字をナイフで抉り残すかのごとく刻み込んだ。黒い星々の失墜に怯え震えるリーダーを護ろうと、立ちふさがった副長(ふらん)が身を盾にして防ごうとするが、足止め状態で身動きが取りづらく、……そうして、ギルド武器は黒い破壊の濁流に飲まれ、砕けた。

 

 轟く声と声と声と声と声と声と声と声と声と声と声の暴力。

 世界の終わりがあるとすれば、まさにあのような光景を体験するだろう、暴虐の連鎖。

 

 それら劇的な映像の中で、カワウソが最後に注目したのが──あの弱い、胚子じみたモンスター。

 ほんの一発の攻撃で殺され、そうして発動した、強力無比な“足止め”スキルを持った……“天使”。

 

 

 カワウソが何故、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCの大半を、天使のNPCとして創り上げたのか。

 

 

 別にカワウソは、自分が天使種族だから、天使種族のNPCを創ったつもりはない。

 あれが、あの胚子じみた天使が、ナザリックにおいてどれほどの存在なのか何なのかはわからない……わからないが、ナザリック地下大墳墓ではじめて存在を認知された“天使”モンスター……第一から第七階層まで、不死者(アンデッド)、吸血鬼、悪魔、蟲、魔獣、竜、粘体などの多種多様なモンスターが跋扈(ばっこ)していた中で、唐突に現れた“天使”のスキルが、大量のLv.100プレイヤーを“足止め”したという事実。

 

 おそらく、天使種族のレベル数値を獲得できるだけ獲得しつつ、侵入者のプレイヤーに一発で殺される程度のレベル帯になるように調整され、そうすることで強力な“足止め”を発動できるように創られた拠点NPCだと、カワウソは理解した。

 あの蹂躙劇を見た誰しもが、“あれら”や“赤い少女”の殲滅攻撃に目を奪われ、あげく“あれら”の変貌によって、討伐隊が完全に全滅した事実に着目したのは無理もない。その発動原理やステータスの分析などは、一時期盛んに行われはしたが──結局すべて「ありえない」というひとつの結論に達していた。

 

 そして、──あの天使に関しては、特に注目されることはなかった。

 足止め用に創られたNPCということだけは理解されたが、ただ“それだけ”に終わった。

 何故、天使に“足止め”をさせたのか……そのあたりの疑義を呈する者は、ついぞ現われはしなかった。

 ただの戦略的な配置……第八階層に侵入し、星々と赤い少女の蹂躙劇から逃げ果せた残存部隊を、悉く行動不能に陥らせるための、巧妙な“罠”……その認識だけでネット上の見解は一致し、そしてそれ以上の議論には発展しえなかった。ナザリック討伐を断固辞退していた上位ギルド陣は、ナザリックの逆転勝利を「やっぱな」という感じで受け流した。おかげで、再攻略に本気の本気で乗り出そうという勢力も機運も、完全に消滅するしかなかった。

 

 だから。

 カワウソは、自分のギルド:天使の澱の中で、“あの天使と同じモノ”を作ってみようと思った。

 人間種のNPCとは違い、異形種の天使であれば飲食費用などの維持費がかからない──以上に、カワウソは自分のNPCたちを“足止め”スキル保有者になりえるように、自分と同種族の「天使」を大量に創った。それこそが、天使の澱のLv.100NPC──ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の防衛部隊たるモノたちの、防衛任務とは別個の役割となった。

 同じ“足止め”スキルを保有できる天使種族NPCを、徹底的に調べ、研究する意味も含めて。

 

 だが、カワウソが新たに築いたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を防衛するために割りふられた拠点ポイントは1350のみ。足止め用として弱い天使ばかりを創っていては、いざ侵入者がいた場合に、何の抵抗も出来ずに終わる……ギルド拠点が陥落する事態に陥りかねない。

 そこで、カワウソが創り上げたのは、Lv.100の天使たち。

 彼女たちの何人かを、“足止め”スキル保有者に選定し、NPCスキルの研究と検証を続けつつ、拠点防衛の戦力になるよう、徹底的に調整と計算をやり尽くした。

 しかし、ここでも問題が浮上した。拠点防衛用として生み出したLv.100NPCたちに、あれほど強力な……Lv.100のプレイヤー100人単位を足止めし尽す規模のそれを創ろうと思えば、Lv.20~30程度の弱体化を免れないことに気づいた。そこでカワウソは、足止めスキルで縛る対象を、“大量複数”ではなく“単一”に絞って発動できるように調整することで、本来の用途であるところの拠点防衛任務に影響がない範囲で、天使たちの戦闘力減衰を留めることにこぎつけた。

 

 天使種族が扱う“足止め”という強力な状態異常──受けたプレイヤーの“戦闘行動停止状態”は、ポピュラーな「封印」や「拘束」、「部位脱落」や「感覚喪失」などとは別の異常(システム)と扱われるもの。おまけに、この“足止め”スキルを発動可能な者が天使種族に限られているせいか、ドロップアイテムなどの安価な装備類で防御できる状態異常ではなく、耐性や無効化などを施されていない場合が大勢を占めていた。それを自分の武器防具に組み込もうと思えば、「封印」耐性や「拘束」無効化と同じように、“足止め”耐性・“足止め”無効化の専用データクリスタルの入手と使用が必須──だが、そもそも“足止め”状態を発症させるモンスターとの会敵があまりないことから、大半のプレイヤーはもっと他に有用な状態異常防御などのデータを優先して(メイル)なり(ヘルム)なり鎖帷子(チェインシャツ)なりに付与するもの────だから、あの第八階層で、侵入したプレイヤーは一人残らず、“足止め”スキルの餌食になったわけで。

 

 カワウソは赤い繊月のような笑みを口許に刻む。

 自分が脳内で描いた、この地獄の荒野を攻略する図式が見事にはまり、実に痛快な形で、かつての仲間たちを殺した“あれら”への復讐を成し遂げたのだ。

 これで、カワウソを阻むものはなくなった。

 この地を守護する存在として、“あれら”はカワウソたちには手が出せなくなった。

 つまりそれは──カワウソは第九階層に至ることが、ほぼ確実となった事実を物語っている。

 あれらは、もはや役目と使命を果たせず、カワウソたち侵入者を、ただただ見送ることになる。

 それが、それこそが、カワウソの選んだ“あれらへの復讐”……その方法であったのだ。

 

「くはは、そうだろうさ──“あれら”も同じ、ただのユグドラシルの、モンスターやNPCの類だとするならば──こっちが“足止め”スキルを使えば、それで止められる道理だよな!」

 

 無論、“足止め”スキルは、ヴィクティムがそうであるように、そこまで取得するのは難しい代物ではない。天使の種族と、殉教者(マーター)などの職業を積み重ねることで、より高性能な、より広範囲かつ大出力の“足止め”を可能にする。Lv.100のプレイヤーが三桁単位で“足止め”を完全に喰らったのは、彼がそのためだけに創造された……それ以外の機能を与えられず、また、強力すぎては敵の攻撃であっさり負けて死ぬことも出来ないために、Lv.30程度という数値の、“殺しやすい弱さ”であることを求められたから。

 

 そして、ユグドラシルの『プレイヤー』で、あのような“足止め”スキルを、「プレイヤー自らに課すような真似をするもの」は、あまりにも稀少だ。

 というか、完全にいないといってもいいレベルで存在しなかった。

 それもそのはず。

 誰が好き好んで取得するのが面倒な“異形種の天使”になった挙句、“殉教者”などの足止めの為だけのレベルを取るような愚を犯すというのか。

 信頼できる仲間などの支援者……自分がゲームで死んだ「後」を引き継いでくれる存在がいるならば別だが、自分が死ぬことを大前提にキャラビルドを行うプレイヤーなど、普通はいない。ソロのプレイヤーでは絶対にありえない構成(ビルド)だった。

 そうして、“足止め”スキル獲得のために消耗したレベル分、得られるはずだった他の強力なスキルやステータスを「捨てる」ことになる以上、Lv.100同士の対決だとどうしても分が悪くなる傾向がある。何が嬉しくて、「自分がゲームで死ぬことを前提」として、「弱いキャラ構成を取得」しなければならないというのか。それだったら、強くて派手な魔法やスキルを覚えて、自分やチーム全体の生存率を底上げした方がいいはず。そう判断されることの方が自然であった。

 

 故に、“足止め”スキルというのは、超稀少な野良の天使や殉教者のレベルを与えられた拠点NPCの天使が使うものか──あるいは、余程仲の良いギルド内で活動する純粋な天使プレイヤーが取得し、自分の死後、仲間の戦闘を有利にすべく発動するものでしかなかった。

 

 カワウソは半ば諦めた。

 諦めるしか他になかった。

 第八階層の“あれら”を封じる手段たりえるかどうか不明瞭なスキル取得者を募ったところで、そもそも論として「天使の“足止め”スキル保有者」の稀少性……“以上”に、カワウソ以外にナザリックを真剣に攻略しようという意気を持つプレイヤーが、いなかったのだ。

 

 というか、ゲームで『敗者の烙印』を押されたプレイヤーの姿をからかい、嘲弄の的にするものがほとんどであったがために、カワウソは表立って行動することも許されなくなった。

 表に出て、街頭で有志を募れば、『敗者の烙印』を頭上に浮かべたプレイヤー=ギルド崩壊経験者であることをバカにするPK集団に囲まれ、PKの後、金貨とアイテムをドロップ……喪失することが十数度も続けば、さすがに効率が悪いことに気づいた──気づくしかなかったのだ。自分の拠点より遠いPK禁止エリアで活動しても、色よい返事はひとつもなく、無理に話を聞いて貰おうとしたら、迷惑行為と認定され、街の治安維持NPCに退去命令が出されることも何度かあった。

 

 仲間をうしなった熾天使(セラフィム)のプレイヤーは、金貨で雇う傭兵NPCなどを連れ、ソロで第八階層を目指したこともあるが、彼ひとりきりではナザリックどころか、表層にあった沼地を突破するのも難儀した(ゲーム時代のNPCの仕様や性能を考えれば、ただの壁役程度にしかならなかったのだからしようがない)。“足止め”スキルは、最強の天使・熾天使(セラフィム)でも発動可能であるが、単純に天使のレベル数が多い方が強い能力を発揮できる。かつての攻略時に、カワウソが第三階層のシャルティア戦で早々に退場した時も、発動した“足止め”のおかげで、シャルティアを行動不能にした実績もあったが……単独(ソロ)の熾天使のままでナザリック地下大墳墓を攻略することは不可能でしかない。様々な試行錯誤の末、カワウソは堕天使に降格したことで“足止め”スキル保有者であることをやめた。堕天使は“足止め”スキルを獲得不可能なのだ。

 

 理由は、自分が仲間たちから……餞別(せんべつ)として残されたギルド拠点と“天使の澱”を維持するために。

 

 ギルド拠点はタダではない。収入と支出の帳尻を合わせなければ資産運用が破綻し、最悪の場合、そのギルドは閉鎖・消滅を余儀なくされる。自分が生み出したものを、そして、かつての仲間たちが残した遺産の一部を、手放すのはいかにも勿体なかった。

 カワウソはナザリックの攻略頻度を著しく減らし、ひたすら狩りに没頭することが多くなった。

 ナザリック地下大墳墓の攻略ばかりをして、無駄に金貨と道具を消耗できるほど、カワウソの資産は潤沢ではない。課金するにしても限度額はある。リアルで生活するために必要な分は確保しておくことが、正しい社会人の在り方だとカワウソは認識していた。──それでも、ボーナスのほとんどをガチャにブチ込んだこともあるのは、けっして褒められる行為ではないが。

 

 こうして、カワウソは自分の拠点NPCで、ナザリック地下大墳墓・第八階層の猛威たちを“足止め”できる存在を、シミュレーション感覚で組み上げ、自分の拠点の防衛任務に就かせた。

 

 そうして、アインズ・ウール・ゴウンがこの世界に転移してより100年後の現在。

 

 カワウソ達、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、この第八階層“荒野”を攻略することを、本気で目指し続けたのだ。

 

 カワウソが予想し、想像し、計算した通り。

 第八階層でありえないほどの蹂躙劇と逆転劇を演出した宙の星々は、かつて、この階層で“足止め”を喰らったプレイヤーたちと同様に、滑稽にも棒立ち同然な状態を強制され、荒野の宙に浮かんでいた。

 

「くは……ざまあみやがれ、だ」

 

 ガブたちを惨殺し轢殺し焼殺した星は、荒野からたちのぼる光の柱に繋がれ、そこから一センチたりとも動けなくなっている。

 カワウソが創った通り、ガブたちNPCは、あれら一体一体を、確実に“足止め”してくれた。

 彼女たちの、……その命を──懸けて。

 

「ああ────────クソったれ、ッ」

 

 カワウソの胸に渦巻く恍惚と勝利の酩酊は、瞬時に、敗北感と罪悪感に置き換わる。

 泣き喚きたいほどの自己嫌悪に襲われ、俯くほどに、吐気が喉をせり上がりかける。

 

 なんて酷い。なんて醜い。なんて浅ましい!

 

 彼女たちを死なせることで──殺すことで──カワウソは、自分の望みを達成しようとしている。

 自分という創造主に、あんなにも尽くして労わって忠誠を捧げてくれた者を、カワウソは殺した。

 カワウソが、“殺した”のだ。

 こうなると……わかっていた。

 こうするしかないとわかっていた。

 こういう結末になると分かっていて、カワウソはNPCを犠牲にした。

 天使の“足止め”は、「負けて」「死ぬ」ことによってのみ、発動する術理。

 そうして、自分の周囲にある敵性対象を、光のエフェクトが問答無用で固縛していく。

 七つの星々(あれら)を止めるべく、七人の天使(NPC)が──その命を捧げた。

 ガブが、ラファが、ウリが、イズラが、イスラが、アプサラスが、マアトが、唯一の主であるカワウソのために命を捧げることに、まったく抵抗も後悔も懐いてないことは、熟知している。連日続けた作戦会議で。今朝の最後の会合で。……NPC全員の意志は、確認できている。

 この第八階層を攻略する上で、置き去りにしたNPCたちは、全員こうなるとわかっていた。

 ガブやラファたち──全員が、そうなることを望み、そのように使い潰されることを願った。

 使われることが喜び。使い果たしてもらえることこそ幸せ。

 天使たちは、NPCたちは、そうあるべきモノ──だから。

 

「────ちくしょお」

 

 そうわかっていても。

 血が滲みそうになるほどの力で、両の拳を握り込む。

 カワウソは臓物が捩じ切れそうなほどの憎悪を、悪劣な己に対し懐く。

 何故──どうして、かつての自分は、こんな方法しか思いつけなかった。

 ガブたちNPCを生き残らせながら、この荒野を、あれらや少女の蹂躙を、くいとめる方法が他にもあったのではないか。それを知ってさえいれば、わかりさえすれば、考慮さえしていれば……

 

「畜ッ生!」

 

 どうして自分は……こんなにも、ダメなんだ!

 

 否。

 違う──違う違う──違う違う違う!

 

 ダメじゃない。

 ダメじゃない。ダメじゃない。

 ダメなんかじゃない。駄目であるはずがない。

 今さら、後悔も謝罪も卑屈も否定もあってはならない。

 そんな独り善がりな自己満足のために、喜び望んで死んでいった天使たちを、いま以上に『裏切るようなこと』をしてはいけない。

 

 これ以外の攻略方法など“無い”。

 自分が思いつける攻略法は、これ以外に“ありえない”。

 もしもそんな奇跡のようなモノがあったとしても、今の自分には“関係ない”。

 

 十体の天使を“足止め”の犠牲に支払い、「九つの星」と「赤い少女」を停止させ、荒野の丘の上に開いている転移鏡(ゲート)を、僅かの護衛と共に目指す。

 それこそが、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)がたどり着いた、唯一の第八階層攻略の筋書きであった。

 喜ばしいことに、九つあったはずの星は七つしか姿を見せず、七つの星が“足止め”された今も、カワウソ達を追撃するがごとく、残る二つの星が現れることは、ない。

 

「俺たちはやった……やったんだぞ、みんな……」

 

 荒野に散るガブたちの死に、丘の麓に佇むカワウソは、真実、感謝を胸に抱いた。

 これで、カワウソの望みは叶う。

 かつての約束と誓いを果たす。

 カワウソは冒険の先へと進む。

 ……カワウソの『すべて』を、何もかもを終わらせられる。

 

「おめでとうございます。カワウソ様」

 

 峻烈なほどに何の感情も感じさせない、女熾天使からの──祝福。

 振り返り見たミカの横顔は、兜を外し、死んでいった同胞たちへの哀悼を捧げ告げるかのように、重い黙祷の姿を保っていた。

 その美しさに……かすかに震える睫毛の輝きに、堕天使は目を奪われる。

 

「──行こう、ミカ」

 

 促せば、ミカは即座に瞼を開く。空色の瞳が、冷水のごとく澄んだ光を放つ。

 

「まずは、ナタと合流すべきかと」

「……ああ」

 

 兜を装着し直しながら明快に訂正を求める護衛を連れて、カワウソは頷き、もう一人の護衛の天使を呼ぶ。

 

「行くぞ、クピド…………?」

 

 だが、赤子の天使は──荒野の一角を眺める重武装の兵士(ソルジャー)は、主人の呼びかけに応じない。

 

「まずいぃ……」赤子の天使の唇が紡ぐ、重低音の警告。「これは、まずいぞぉ……」

 

 その一言の意味を判じかねて、カワウソは「どうした」と問いかける。

 クピドは表情を蒼褪めることはなく、だが、危惧と不理解を一杯に宿した声音で、創造主に双眼鏡を掲げ渡す。「見てみなぁ」と言われるまま、彼が見つめていた先──赤子の指が示した荒野のはるか彼方を、魔法アイテムのレンズ越しに、見る。

 吹き飛ぶ巨大な岩塊。舞い上がる戦塵。疾駆する複数の影。

 煌きを放ち奔るは、無数無尽に分裂した刃と、雷神の独鈷。

 砂塵が“轟”とうねり、その中を舞う天使(タイシャ)の身体が──抉り千切れる。

 

 あまりにも赤く紅く濡れた、少女の手刀によって。

 

「────は  あ?」

 

 座天使(スローン)雷精霊(サンダー・エレメンタル)を掛け持つ武僧……短い黒髪を雷霆の紫電の光輝に染め上げたタイシャが、体の脇腹部分を吹き飛ばされ、体力(HP)を著しく減衰されていた。

 

「な……ば、ばかな!!??」

 

 カワウソがそう口走るのは当然。

 雷精霊として霊体に“変身”した状態のタイシャは、精霊の特性によって、通常物理攻撃を無効化可能。おまけに、雷精霊……雷の速度を得た彼の速度は、神器級(ゴッズ)アイテム起動時のカワウソや、ナタという最強の矛の速度に追随できる──つまり、彼を物理的に抉る「手」など、存在しない、はず。

 

「どういうことです、クピド!」

 

 彼に赤い少女との戦いを監視・観測させていたミカは、慄然(りつぜん)とした声で叫ぶ。

 

「ウォフは──ウォフは、いったいどうなりました?!」

 

 防衛部隊“副長”の任を与えられた、巨大な女天使の姿を、隊長たるミカは探す。

 あの少女と戦い、“足止め”スキルを起動する予定だった天使二人。その片割れの姿が、どこにもない。

 ウォフにも当然“足止め”の役儀は与えられていた。

 だからこそ、彼女(ウォフ)が死んで、“天使の祝福”の感知にかからないのは当然と、そうミカは判断していた。

 

 なのに、ウォフの死体は……ない。

 スキルの光を放つものは……どこにも。

 

「──殺されたよぉ。胸の起動核を抉り壊されてなぁ」クピドは事実を口にする。「……だがぁ」

 

 赤子の口が重々しく告げる内容に、カワウソは首を横に振ってしまう。

 殺されたのは、当然。ウォフたちも、ガブたち同様に、足止めの役目を与えた天使の一人であり、その役目に準じるべく、あの真っ赤な少女との戦いに身を投じたのだ。カワウソの世界級(ワールド)アイテムによる“無敵化”が解除されれば、簡単に死ぬということも、すべて織り込み済み。

 であるならば……

 

「足止めは──“足止め”スキルは、どうした? どう、なった?」

 

 ウォフの創造主として、カワウソはありないと断言できる。事実、ガブたちの死体は荒野に残り、その大小や破壊具合……ズタズタのボロボロのバラバラ死体になっていても、天使の死は間違いなく、一個の対象を捕縛する光を放っているのだ。

 なのに、ウォフだけは、そうなっていないというのは、()せない。

 クピドは克明に告げる。

 

「あの娘……あの赤い奴には、“足止め”スキルが、発動しなかったぁ」

「そんな!?」

 

 ミカが珍しく大声をあげている事実が、遠くに感じる。

 

「発動、しない? スキルが効かなかったんじゃない、のか……いや、どういう、ことだ──それは?」

 

 カワウソは息が詰まるかのように、呻く。

 ウォフの“足止め”が「効かない」のであれば、まだ納得がいく。

 あの赤い少女に、珍しくも“足止め”無効化などの耐性が付与されていたと結論できる。

 だが、──『発動しない』とは、どういうことだ?

 カワウソの理解力でも、瞬時に答えは得られない。

 

「どうするよ、御主人ッ?」

 

 足止め役のウォフが機能を発揮せず、タイシャとナタが必死に抗戦を繰り広げている、この現状。

 すべての判断を下すのは、堕天使のプレイヤー、ただ一人。

 

「──鏡を、目指す」

 

 目的は変わらない。変えるべきでもない。

 第九階層へ。次の階層へ一刻も早く……逃げ込む。

 もはやカワウソたちは、予定通りに行動するしかない。

 未だ敢闘しているタイシャとナタ……あの二人はLv.100NPCだが、“足止め”が通じない未知の存在を……赤い少女を相手に、ミカとクピドを引き連れて、堕天使のカワウソが助けに行っても、どうにもならない可能性が高い。かつて、この荒野で散っていった討伐隊と、まったく同じ末路を辿るだけになるだろうと、容易に想像できる。

 そんなことはごめんだ。

 そして、何より──

 

「これまでのすべてを、ガブたちの“死”を、無駄にしてたまるかよッ!」

 

 頷くミカとクピド。

 ここでカワウソがしくじれば、ガブやウォフたちに、こんな地獄までついてきて、そうして死んでいったあいつらに、何と弁明すればいい。

 すでに世界級(ワールド)アイテムの効能は尽きた。リキャストタイムの都合上、カワウソの“無敵化”は、もう絶対に使えない。ウダウダ考えあぐねている内に、彼等タイシャとナタの戦闘状況が悪化したら、確実にマズい。

 

「走るぞ!!」

 

 言うが早いか、カワウソは神器級(ゴッズ)アイテムの足甲“第二天(ラキア)”を起動。もはや敵に感知される可能性など心配する状況にあらず。

 鏡までの距離は1キロを切っている。

 あとは、他の伏兵が現れないことを祈るしかない。

 

 タイシャが『完全雷精霊化』を発動して、赤い少女への“特攻”に訴えかける。

 鳴り轟く雷霆の衝撃音が、荒野を駆け巡った。

 

 

 

 カワウソたちは、隕石落下……彗星衝突もかくやという戦闘風景に背を向けて、一路、第九階層を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、ルベド戦

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