オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ 作:空想病
/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.07
・
アーグランド領域・天界山セレスティアの宮殿にて。
「……なるほどね」
純白の竜が唸るような声色で感心の吐息を落とす。
アインズの息子たる王太子・ユウゴ──彼を経由して供されるナザリック内部の映像・第八階層“荒野”での戦闘風景は、いかに白金の竜王たるツアーの知覚能力でも、独力で観覧することは不可能。それがナザリック地下大墳墓という拠点ダンジョンの防衛力……
八欲王により庇護され、十三英雄のリーダーたちなどと友誼を結んだツアーが推測するに。
この世界で
では。
もしも仮に。
ナザリック地下大墳墓の「拠点防衛」に特化した
「
実例としては、アインズ・ウール・ゴウン──モモンガが保有する、あの赤い玉がそうか。
そして、第八階層“荒野”を進む異形種プレイヤー・カワウソの発動した、あの赤黒い円環の力は──
「自軍勢力に属する存在を“無敵”とする
堕天使の種族にはありえないはずの、頭上に浮かぶ赤黒い円環。
円環はカワウソの手によって、第八階層の
「自軍勢力を“無敵にする”……か」
ツアーたちが真実、心の底から「欲しい」と願ってやまない力の結晶だ。
もしかしたらば、カワウソのあのアイテムこそが、すべてを解決へと導く手段たりえるやもしれない。そう思うと、ツアーの数少ない欲望の火が、竜の心の臓腑で、豪然と燃え盛る気配を感じてしまう。
だが、
「……発動時間は、せいぜい10分かそこらというのは、短い気もするけど」
表層で発動した際には九つあった円環の内、すでに八個の円環が砕け散っている。
これまでの時間経過から計算して、残るひとつの輪にしても、あと一分も持つとは思えない。
「ふむ。だとすると……発動条件には『自軍勢力が必要』……」
ツアーは思い出す。
竜王の友たる十三英雄の
否。ある意味において、彼のアレも、自軍勢力が必要と言えば必要なのだが。
リーダーがこちらの世界へ転移する際に所有していた
そして、
リーダーが持っていたそのアイテムの効能を最大限に利用し、彼らの尽力によって、200年──否、もう300年前の過去に、世界は一度、消滅と崩壊の危機から、
……………………彼等の犠牲と、引き換えに。
「ツアー様?」
人形や工芸品のように精錬された少女の声。
白金の竜王の娘たるカナリア……当代における竜帝の騎士は、父たる竜王の瞳をのぞき込む。
「なんでもないよ」と返すことが、ツアーにはできなかった。
白金の竜王は、事の成り行きをひたすら待つ。
ツアーはすでに300年を待った。
あと100年、200年、500年の先まで、ツアーは待つことができる。
ツアーたちが犠牲にした、かけがえのない「友」……十三英雄のリーダー……そして、彼の仲間を、
カワウソの
そして、第八階層に、天使の足止めスキルの光が、燦然と輝き出す中で──
一人の赤い少女、ルベドの蹂躙が始まっていた。
〇
頭上の輪が、カワウソの
荒野の中央各地で七つの星を相手取るガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、アプサラス、マアトから離れた場所で、
彼ら三人は戦い続けていた。
「クソ、また消えた!?」
「ナタ! 貴殿の敵感知は?!」
「ダメです、タイシャ!! まったく読めません!!」
だが、その内容はもはや戦いと形容すべきものではない。
たった一人の少女を相手に、三体のNPCが、カワウソに創られた存在たる者たちが、まったく決定的な有効打を示せておらず、どういう理屈でか、気がついたときには少女の輪郭を影ごと見逃し見失うという失態を演じ続けている。
これはありえない。
見えているはずの敵の存在を、気配を、力量を、様々な手段・方法・アイテムや
「いたぞ!」
タイシャが雷精霊化によって空気そのものに己を浸透させ、さらには小型の雷精霊を召喚散布することで、広域にまで感覚知覚の網を張り巡らせることに成功。先ほどよりも、より確実に、少女の移動ポイントなどを捕捉することに成功できており、先制攻撃を仕掛けるだけの余裕もできた。
だが、
「なに?!!」
またしても愕然と目を見張るタイシャ。確かに己の視界にとらえ、雷霆の飛び蹴りをお見舞いしようとしていた対象──少女が、影も形もなく消え果てていた。
どこへ行ったと首を巡らせる、次の刹那。
「タイシャ、後ろです!!」
少年兵の警告と共に、分裂刃がタイシャの背後を何十本も交差し、護る。
少女は無数の刃の威嚇に怯んだというわけでもなさそうな無表情で、またいずこかへと姿を消す。
だが、その姿を消すという現象が、三人にはどうしても理解不能な事象となっていた。転移の魔法・不可視化や不可知化・幻術幻覚に時間停止などの手段によって、身を隠すといった手法は普通にありえる。だが、転移魔法発動の残滓は存在せず、あれだけの攻撃力を備えた存在が隠形の魔法やスキルを使っても、成功率は著しく低い。溢れ出る濃密な攻撃の気配は、どう頑張っても周囲に存在する敵の感知スキルやアイテムの探査能力などで丸裸にできるもの。ちょうど戦士の直感や熟練兵の勘、〈
にもかかわらず、少女の攻撃軌道や出現地点などは、「少女がそこに現れた」瞬間にのみ、ナタたちNPC三人の知覚力がようやく検知可能という、ありえない状況が続いていた。そのせいなのか、相手の情報──体力や魔力を読み取る魔法やアイテムも通じない。
なんとか反撃や攻勢に打って出ようとしても、何故か少女への直撃はできず、どれだけの殲滅魔法も、どれほどの物理火力も、少女のドレスの端すら捕らえ壊すことができていない。
「もー、なんなのよー、アレー?」
「フン。映像情報で見た通りではあるがな」
タイシャの言う通りだった。カワウソが狂ったように収集し続けたムービーデータ……ナザリックの第八階層“荒野”で起こった1500人全滅の動画内に収められた赤い少女の挙動は、まさに今のこの状況そのもの。カワウソという創造主と同格程度の“プレイヤー”を、一方的に殴り壊し蹴り砕いて踏み殺し続けた、異様な少女。
ウォフたち天使の澱のNPCに、カワウソの“無敵化”が働いていなければ、間違いなくあの動画と同じ事象が降り注いでいただろう、暴撃の嵐。流星のごとく飛び、彗星のごとく巡り続ける、少女の形をした、破壊力の権化。
当時、第八階層へ侵入し、動画を撮っていた連中は、撮影班よりも先に荒野を駆け抜けようとしたバカが引き連れてきた少女の烈火のごとき行軍に巻き込まれ、即刻死亡。そうして、さきほどから紡ぎ続けている《
「どちらにせよ!! やることは変わりませぬ!!」
徒手空拳を
が、少女は武闘家や戦士としての名乗りも礼儀も知らぬようにナタを無視し、ひたすら第八階層の侵入者であるところの敵NPCを殲滅する挙に訴えてくるだけ。ナタは「それもまた良し!!」と豪胆に微笑みを深めながら、尋常な勝負にこだわる戦士としてではなく──“ただの敵”として、少女を相手に杖や剣を振るい続ける。
謎は深まるばかり。
しかし、それも終わりが近づいてきた。
「いよいよだよー」
「もうそんな刻限か」
見上げた頭上で、創造主の力の結晶とも見える巨大な円環が、崩壊の音色と明滅を繰り出している。
「結局アレの正体はわからずか……口惜しい」
「ですが!! これは作戦通りでもあります!!」
赤い少女と互角に格闘を演じるナタは、巨大な杖の先端……赤黒い力を宿した武装で、少女を下敷きになるように叩き伏せた。
しかし、ルベドは如意神珍鉄の轟閃を容易に回避するか防御するかしてくれるので、まったく
作戦通りという少年兵の言に、ウォフは静かに頷く。
「じゃあー、あとはお願いねー、二人ともー」
「ここで見届けるぞ相棒」
「自分もです!!」
あの赤い少女を封じるための“足止め”……そのためのスキルを、ウォフは確実に与えられている。タイシャもそれは同じであるが、足止め役は一体につき、ひとりで十分──というか、重複して敵を足止めする意味がない。ウォフの足止めで少女が縛られれば、あとは残ったタイシャとナタがカワウソたちの行軍に、駿足を駆って合流するだけ。予定よりも十分な戦力が、次の第九階層へと侵入を果たせることになるだろう。
「じゃあねー!」
ウォフの笑顔が、機械の翼を
カワウソの展開した最後の円環は、粉微塵に砕け散り、彼の自軍勢力にカウントされるすべてを護り続けていた力が、消滅。
ウォフは、ここまで半壊しながらも生き残った同族の五大天使たちを率い、唯一無傷でいる聖霊神の幼女を左腕に抱きかかえるようにして、ルベドと名乗る少女へと、特攻。
「うぉおオオオオオー!!」
そして、
「 な、ぇ、……あ ? 」
「……う、そ?」
その腕に抱いていたはずの幼女……
吹き飛ばされた本人すら、自分の腕が弾け消えた事実に気がつけなかった、神速。
機械の破片……駆動するモーターやシリンダー、電気回線のケーブルやコードなどから、電気の
「「ウォフ!!?」」
悶絶し墜落する同胞の様に驚愕したタイシャとナタ。
──ウォフの背後で、機械の大翼を握り千切ろうとする少女の影へと、雷撃が迫る。
《
再び、耳を撫でる少女の声音。
「あ?」
目まぐるしく戦場を見渡すまでもない。少女は、ウォフから遠く離れた“タイシャの胸元”にまで、接近。
あまりにも不自然な、その挙動。一方的にウォフの鎧を、堅牢な機械の左腕を引き千切り吹き飛ばした少女は、その手中にあった天使の巨大な左腕──その残骸を興味なさそうに
「ごァあ?!」
「タイシャ!!??」
タイシャは精霊化したことで、物理ダメージへの強いアドバンテージ・ある程度の無効化を有するようになっている。──そんな状態の拠点NPCを、ルベドは“蹴り砕いた”のだ。
「キ……キサマぁ……ぐぅッ!」
呻く僧兵は左手で顔面を覆う。右側頭部が眼球部分まで砕けたタイシャは、吐血する代わりに電流の火花を唇から零し落とし、手中の独鈷を構えながら、問いを投げる。
「貴様は──何者か?!」
少女は答えない。
訊ねた僧兵は答えを期待していたわけでもないが、問わずにはいられなかった。
次いで、轟く豪雷。
だが、少女はすでにタイシャの必殺圏内から脱していた。
「クソォォォッ!」
その攻撃力・移動能力は尋常ではない。
ギルド:
「おのれ!!」
同胞二人を手痛く傷つけた少女へ向け、ナタは分裂刃Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳの群れを幾百も飛ばす。が、遠距離戦は不得意な近接職業完全特化の少年には、少女の影をとらえることすらままならない。
《
その一声と同時に。
「キャアあああああッ!?」
ウォフの残った右腕──
少女の鉄拳、その一発で。
おまけに、ウォフの背中の翼と、彼女の貴重な首飾り……
これを、あの少女の計略と見なすのは微妙であった。
ウォフは右腕を“肩甲骨ごと”持っていかれ、その軌跡に絡めとられる形で、副次的に首のアイテムが砕け壊れたという方が近いだろう。
「この──!!!」
たまらず矢のように走り抜け、片翼となってしまったウォフの援護に飛ぶナタ。
その少年の前で、ナタを護るように旋回していた浮遊分裂刃の外周が、少女の蹴り足で一掃され、半ば消し飛んでいた。
折れ砕けた刃の破片が雪のように舞い散る中で、ルベドは一切の感情も感じさせない無表情のまま、ナタへと急襲。
が、その攻撃の途上で、横っ面を叩くように繰り出されたタイシャの雷霆が走った。
「クソ! また逃がし」
「た」と僧兵が続ける間に、少女はタイシャの妨害をマネするように、華麗な飛び膝蹴りでタイシャの脳天を狙う。空間を圧迫するような音色。吸い込まれるようにタイシャの頭部が少女の攻撃に蹂躙されかける。
「させるか!!」
吼えるナタが伸ばした杖の先端、如意神珍鉄の一撃に打ち払われる──ことはなかった。
「なんで?!!」
ナタの杖は、ルベドの身体を“素通り”し、タイシャが迎え撃つように頭上へ振るった雷の右足を蒸発させた。
「がぁ、オオオオオおおおおッ?!!」
タイシャの脚が溶けて放りだされ、彼の体力が大幅に減少。
彼が叫喚と共に、同族の雷精霊を多数招来するが、それもルベドには無力。
──もはや、わけがわからない。
自分たちはいったい、何を相手に戦っているのかすら、判然としない。
「ナタ……私、もう、ダメ、だ」
その表情には、天使には似合わない死相がはっきりと刻まれている。
タイシャの
「な、何を言いますか、ウォフ!!」
ナタは一瞬ながら、自分たちの作戦を、“足止め”の役儀を忘れて叫んだ。
何を言っていると問うまでもない。
「……私を、……あいつに、……“殺させて”」
それで、自分の“足止め”スキルは発動する。
殺されて死ななければ、カワウソから与えられた使命をまっとうできない。
彼女自身が言った言葉──『この命尽きて、尽きた
「それと、耳、貸して……」
ウォフは、機械の早口で告げる。自分が気づいた──あの少女の法則──攻撃パターン──予測され得る最悪の可能性を、少年兵の小さな耳に落とす。
「あとは、お願い──ね?」
「ウォフ……何を言って?」
ナタは悔し気に呻き、再疑問する暇すらない。
「ぐぉ??!!」
攻撃が当たる寸前、直感で回避したのに、ナタの目の前の空間に爆薬が投じられたような衝撃が奔る。
吹き飛ばされた先で、僚友の名を呼ぶことは、できなかった。
「な……ァ?」
あまりの光景に、天使の澱のNPCは、全員が全員、目を瞠る。
膝をついていたウォフの肉体──全身鎧の中心を、赤い少女の掌が、確実に抉り貫いていた。
巨躯を誇る女の胸を真正面から握り砕く、赤い少女。
破壊されたものは、
機械の身体を誇る天使にとって、否、ほとんどありとあらゆる存在にとって、その場所に蔵されたモノへの攻撃は、あまりにも致命的だ。
ゴシャリという嫌な破壊音が鼓膜を突き刺す。
「「ウォフ!?」」
最後の耳打ちを聞かされたナタ。足を再構築する間も惜しんで駆けてきたタイシャ。
二人ともが、防衛部隊副長たる彼女の、最後の瞬間を、看取る。
「 ──── 」
敵を呪う言葉も、友へ祈る声音も、ない。
壊れた機械が電源を落とすように、ウォフの巨体がガクリと沈む。
ただ、安らかな笑顔と共に、ウォフは最後の瞬間、敵を縛り止める術理を施す。
天使と機械の体より漏れ出すのは、“足止め”スキルの輝き。
そのあまりにも清廉さに満ちた光の束を至近で受けた「敵」は、確実に“足止め”の呪縛を受け入れることに。
タイシャは片足立ちの姿勢で合掌し、ナタも杖を荒野に突き立てながら、同胞の葬送を務める。
これで、ウォフの役目は終わった。
────終わるはずだった。
「……な?」
「そんな!!?」
タイシャは短く声をもらし、ナタは起こる事象を理解できない。
確かに、ウォフの死体は、“足止め”スキルを発動しようとしていた。
機械種族と併存されていようとも、天使の死体は、確実に“足止め”の役目を担うにふさわしい光輝に包まれていた。
なのに。
ウォフの死体から立ち上りかけていた光のエフェクト……“足止め”の縛鎖は伸びることなく、スキルの発動対象を見失ったように、数秒後には掻き消えていた。
足止めスキルは、発動しなかった。
その死体を貫き抉ったはずの下手人を──少女を──目の前に佇むルベドを、完全に無視して。
そうして、天使の澱の防衛隊副長……ウォフという名の女巨兵の死体は、残っていた頭部・腹部・両脚──美しい黒髪の毛先にいたるまで、すべてが光の粒子に変じて、荒野の風に吹かれ消えた。
しかし、それはありえない。
ありえないはず──なのに。
「そんな
「こんなはずは?!」
ナタとタイシャは同時に叫んだ。
しかし、状況はどこまでも事実だけを教える。
ウォフを殺した少女は、敵の死に何かを感じるでもなく、自分の使命を──務めを──やるべきことを果たしていく。
《
再びの宣告。
またも、少女の姿が消える。
「
二人は起こった現象を十全に理解する間もなく、速攻でその場から飛び
そして、繰り返される凶行。
ルベドという少女は、一切の呵責なく、苛烈な徒手空拳の絶技を披露し続ける。
「くぁ!!?」
ナタの指先が、少女の必殺拳から逃げ遅れた。彼の右手を包む“
無敵状態であればなんとか堪えしのげた豪撃も、今のNPCたちでは一撃ですべてが終わってしまいかねない。直撃など喰らえば、ウォフと同じ末路を辿ることは確定的だ。
それでも、わからない。
「どうして!!」ナタは子供の声で吼えまくる。「どうしてです!! どうして、ウォフの“足止め”が通じないのか!!?」
蒼い髪の少年の問いかけに、赤い髪の少女はやはり答えない。
答える口がないのか。あるいは、答えるための「意志そのもの」が、存在しないのか。
そして、タイシャもまた、最悪な可能性に身を震わせるより他にない。
「逃げろナタ!」ほとんど全身が雷に変身しかけている僧兵が告げる。「ここは拙者がなんとかしのぐ!」
同僚が応じるよりも先に、タイシャは最後の抵抗を試みる。
肉体のままの部位……顔面や胴体にまで、雷化の変身を施し、雷精霊の完全変身状態を構築すべく準備を整える。
しかし、
「できませぬ!!」
武僧の実直かつ当然な意見に対し、少年兵は真っ向から反発を懐く。
「できませぬできませぬできませぬ!! ここで、自分一人が逃げ延びても意味がない!! せめて、あの赤い
ナタは感情的になってはいない。
実際問題として、ウォフの“足止め”が効かない(発動しない)敵に対し、タイシャまで失敗を喫することになれば、確実に自分たちの創造主──カワウソたちに被害が及ぶ。そうならないためにも、少女をこの荒野の中央で相手取りつつ、その正体を、弱点を、対抗策や停止手段を、何でもいいから探り当てておくことは、何よりも優先される。
あれの速度や移動能力は、確実にこの階層の侵入者を捕らえる……ならば、今も鏡に向かって進軍しているはずの主人のために、ここにとどまり戦った方が、無策に逃げるよりも数億倍マシである。
ナタの言わんとしていることを、その挙動と意気によって悉く理解したタイシャは、重く頷く。
「では! 同時にやるぞ! しくじってはならぬ!」
少年は僧兵の指示に「応!!」と頷く。
《
宣告と同時に、少女が消える。それはもうわかっている。
そして、少女は確実に、二人の背後から強襲をかけてくる。
速度についてはかなりのステータスを誇るタイシャとナタ──その二人の反応速度で振り返った先に、赤い少女の拳が迫る。
「ここ!」
合図と共に、“ナタだけ”が前方に向き直る。
タイシャと背中合わせに敵の襲来を待つナタの視界に、少女の姿が。
「そちらが“本命”か!」
吼えて独鈷の雷霆を振り回すタイシャは、“背後には目もくれず”に、背後の少女を雷で薙ぎ払う。雷精霊の空間認識力をフルに利用した一撃と共に、ナタの杖が鋭く伸びる。
「当たりのようです、な!!」
大気を
「なぬ?!!」
攻撃は、素通りしていた。
この現象は、先ほどから数多く繰り返されてきた。
ウォフの槌矛が、ナタの剣や杖が、何一つとして有効打にはなりえなかった。
しかし解せない。
今もまるで幻影か霊魂のごとく実体を失う敵──だが、彼女はナタの物理攻撃をはじき、巨大化した杖の先端を抑えこみ、数多の剣閃を吹き飛ばした。その能力は、確実に物理攻撃系統に位置する事象。
つまり、これは────どういうことだ?
単純に「無敵」の存在なのか?
そんな存在をアインズ・ウール・ゴウンは飼っていたのか?
「この!」
タイシャの雷系魔法で、ルベドはまたも消える。
その間ナタはウォフから死に際に耳打ちされていた内容を、脳内で
アレは『回復や強化の気配を読んで攻撃していた』こと。
アレは『魔法の属性──“風”と『善』を読み上げていた』こと。
アレは『こちらの物理攻撃・魔法攻撃を、選択的に無効化していた』こと。
そして……
「まさか──まさか、ウォフが言っていた、アレは!!?」
そういう意味だったのかと理解した瞬間、戦慄が
「どうした!」
「いけませんタイシャ!! ウォフが最後に言っていたこと、それがようやくわかりました!!」
「何? どういう」
「ウォフは言っていたのです!!」
あれは
「ぐぎゃああああああああアアアアアッ!!??」
「ッ、タイシャ?!!」
説明する間もなく──否、説明を聞こうとしたのがマズかった。意識を同胞の声に向けたスキを突かれ──少女の手刀の一撃だけで、タイシャの右の脇腹が“もっていかれる”。
ナタは遮二無二なって分裂刃を飛ばすが、アレに通じるわけもないと、これまでの戦闘経過で思い知っている……それでも、やらねば気が済まなかった。
「が ギ……ナタ はッ 逃げ ろ……あと 拙者がっ!」
体躯をごっそり抉られながらも発話できる天使と精霊の混合存在は、まっすぐに敵の少女の赤い輪郭を瞳に焼き付ける。
黒い僧衣の裾を脱ぎ払い、その引き絞られた上半身の筋肉美を惜しげもなく
「これが最後だぁッ!」
轟雷が降り落ちるかのような閃光。
タイシャのすべての部位……顔面も手足も胴体も何もかもが、“完全雷精霊化”によって紫電の光輝を
しかし、ナタは同胞を止めようと声を荒げた。
「駄目です、タイシャ!!」
アレに“一人で挑んではいけない”!
そう告げる間にも、体力の減耗著しいタイシャの思考能力は、確実にすり減っていく。
彼に与えられた職種の内でも禁忌的なステータス増幅を狙えるモノ──
体力減耗、瀕死の重傷を負った際の常套手段を、武僧は最後の最後で披露する。
背中より迸る雷光が、まるで双翼のように天を焦がした。
「ぎ、ぎ、ガガ、ぎぃぃぃいいいいいアアアアア──────ッ!!」
発動されたものは、狂戦士化したタイシャの固有スキル“
自己の全ステータスを、速度と攻撃のみに変換し尽くす
だが、これほどのステータスがなければ、もはやアレには届かない。届く気配すらない。
神鳥の名のスキルを身に宿したタイシャは迷わなかった。躊躇も逡巡もありえなかった。
自分が倒れ消え果てるとしても、こいつの正体を暴き、この極限状況で何とかナタが勝てる光明を導き出さねばならない。
どの道、タイシャの状態は一撃も持たぬ
すべては、あの少女を──ルベドを食い止めるために必要な手段。
そのために、タイシャは喜んで命を
決意と殺意を込めた声を振り絞った。
「
「ぞ」と宣告することすら、アレは許さなかった。
「…………ご……ぁ?」
最優先殲滅対象に認定されたタイシャの心臓部が──紫電という非物質・自然現象に変じたはずの身体の中心が──何の抵抗も摩擦も感じさせないほどの速度で、“穿たれ”、“貫かれていた”。
ステータス上限の三倍にまで強化された、雷の狂戦士の反応速度を、完全に無視して。
「ぉ──ぁ──あア?」
起こった現象を
心の臓腑を抉る、真紅の腕。戦槍のごとき貫手。捩じ込まれる暴撃。
──死。
「そ──う、か──そう、いうこと、か……キサマぁ!」
あたりまえなことを確認した瞬間、タイシャは少女について確実な結論を悟り、声の限りに、叫ぶ。
「ッ……ナ──タァッ! こ こいつ っ あ アアア …… ── 」
しかし、もはや、言葉を構築することも出来ない。
死体は、
やはり……足止めのスキルは、発動しない。
タイシャの足止めが、発動していないわけではない。
「──わかりました、……わかりましたよ。……ウォフ、……タイシャ……っ!!」
アレの、正体が。
「剣たちよ!!」
叫ぶ少年兵に応え、彼の剣装が解き放たれる。
真円を描く分裂した四層の剣群。ドリルのごとく旋回する斧戟の総軍。
如意神珍鉄と火尖槍を脇で構え、花の動像の全力全開全身全霊を賭して、──突撃。
《 Terminate 》
応じたわけでもなく、ルベドは無手のまま、強烈な武装群に身を包む少年兵と、交錯──する瞬間、彼の誇る
だが、ナタの攻撃は、盛大に空振りに終わる。
「くそッ??!!」
二振りの連撃は、ナタの出せる最高速度……戦士職業でも最上級レベルのものでなければ捕捉不能な神速の打撃斬撃の連続放出。
物理ダメージ特化の“杖”と、炎属性魔法攻撃を加える“槍”──
それらの先端が、ルベドの両手に叩き込まれた後には、真っ黒に変色し、刹那の内に
カワウソが与えたナタの武装の中でも、かなりのレア度を誇る──主人のかつての仲間が使っていたという大切なアイテムが黒焦げに炭化し、もはや何の使い物にもならない。
しかし、ナタは自失する猶予すら与えられない。
少女の紅のガラスで出来た靴──翻るスカートの奥より迫り来る赤い
「チィッ!!」
避けるナタが幾分悪感情に染まった表情で、策を弄する。
半ば壊れ朽ちた杖を「伸びろ!!」と言って長大に伸ばす。
伸びた杖の柄につかまって、ナタは戦場を跳ねるように、飛ぶ。
少年の悪足掻きは、しかし、少女の身体──慎ましい胸元を素通りしていくだけ。
──その瞬間こそが、好機。
もはや、これしかない。
「うあぁ!!」
頭上から魔法攻撃の炎を纏う槍刃を
物理攻撃を無効化している状態であると仮定するならば──その間は、魔法攻撃を無効化していることはできないはず。
ユグドラシルのPCやNPCに、“完全な弱点対策”は、ありえない。
何らかの弱点や対策抜けは「あって当然」の構図に過ぎない。
ナタは、その可能性に賭けた──賭けるしかなかった。
その結果は、
「──ダメ、ですか!!」
手応えが――ない。
それは、まるで影の手を掴むように、空に向かって拳を振るうように、何の感触も伝えてこない。
火尖槍も如意神珍鉄も、いまや完全にボロクズ同然と化して、ナタの掌からバラバラと零れ失せた。
つまり、この現象が意味することは──
ルベドの正体とは──
「こいつは、“
最悪の事実。
それを理解したと同時に、ナタは飛び退く。
真紅の手袋の拳撃を正確に見切り、完全に回避。
射出した剣の群れ“浮遊分裂刃Ⅰ~Ⅳ”、空中に追随し旋回する
しかし、紅蓮のドレスはいかなる痛痒も感じず、損傷も負っていない様子で、ナタに拳を振るってくる。
……否。
アレには、そういうスキルや特性など、ない。
……“NPCではないのだから”。
おまけに、
ナタは咄嗟に、三枚の大きな盾を招来させ重ね合わせるが、それらすらもルベドと名乗る少女は砕き、少年兵へ必殺ともいえる拳撃を叩き込む。
「ぐ…………ぎぃ!!」
回避が間に合わない。
腕がへし折れ、右肩が抉れるように吹き飛ばされる。右腕はかろうじて脇の肉で繋がっているが、これでは部位脱落と変わりない。肩から先の感覚は消え失せ、もはや攻撃には使えない。
ナタは目の前の存在の正体に気づき、無事な左腕を振るって、数多の剣群を三度射出。
それらはやはり、ルベドの身体を捉えることはなかった。
通り過ぎた剣の群れを呼び戻す。ナタはルベドの繰り出す必滅の拳を、感覚のない右腕を半ば鞭のごとくしならせ、突き出される攻撃の盾とする。衝撃で崩れる右腕は、白い花弁と、黒い消し炭に置き換わる。そして、少年は目の前にある戦闘中の少女──その無防備な背中に、自走・飛来する剣を突き入れていこうと図った。
だが、
「ぐぇっ、オァぅ……!!」
剣は、
少女はそんな少年の狂態を笑うでも蔑むでも憐れむでもなく、まるで機械のような……否、まるで暴風雨であるかのような超自然とした無表情で、眺めているだけ。
「が、ぁ……お、ま、え、ッ!!」
ナタはルベドの“手”を
「ぐぅ、ああああ、──ああああああああああああああっ!!!!」
剣は、ナタから引き抜かれることなく、むしろ“より深く”、持ち主である少年を貫き、抉った。
そうして、ナタは剣群に貫かれる勢いのまま、遥か後方へと加速する。
ルベドを荒野の園に、置き去りにして。
「……来い!!」
ナタは、別に逃げているわけではない。
「来い!!」
むしろナタは、自分に与えられた使命を、役割を、その完遂を第一に考え、そのように行動していた。
「来い……来い……来いッ!!!」
ナタの敵意に釣られるように、少女は機械的に行動してくれる。
《
ナタの目的──それは、荒野の赤い少女・ルベドの「足止め」に終始する。
だが、ウォフやタイシャたちの足止めスキルが通用しなかった今、ナタはまったく別の方法で、ルベドの“足止め”をしなくてはならなかった。
ナタの選択した足止め方法とは、実に単純。
『一秒でも長く、あれの相手を“し続ける”こと』
そして、一メートルでも、一センチでも、一ミリでも、いい。
これまでの行動パターンから察するに、ルベドは逃げる敵にも容赦なく、呵責なく、慈悲も理解も、無慈悲も無理解も、何も抱いていない瞳で、敵を
影のように当然に、光のように突然に、
奴は、絶対、必ず、
「ゴッ、バァ、っ!!??」
星が降るような速度の紅い突貫が、ナタの左腹部をもっていく──花の動像の華奢な矮躯を、完全な“消し炭”に変えていた。
「があ、ああああ……アァァ……ッ!!」
いくらLv.100の拠点NPCでも、
──そう。
あれは物理攻撃と魔法攻撃の、ありえないような“融合攻撃”。
だからこそ、これほどの力を、ナタたちLv.100NPCを砕き抉る暴威を発揮できる。
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つまり、
ナタは、まだ、まだ死ぬことは、できない。
それでも、否、だからこそ、ナタは「
薄れ始める意識の中、ナタは自分をそのように造ってくれた創造主に、感謝をささげる。
まだ終わらない。
まだ終われない。
まだ、
まだまだ、
自分は、戦える!!
自分を縫い付け飛翔するための幾百にもなる剣群も、あれの拳の破壊力で、五分の一にまで減じていたが、ルベドへ向けて僅かな悪意と殺意と敵意を込めて、ひとつ刃を刺し向ける。
そうする度に、剣は砕かれ、ナタは抉られ、失われた武装の分だけ、彼の飛ぶ速度と距離は減じられていく。さらなる突貫が四度。衝撃をまともに受けた──迎撃のために蹴り振るった両脚が武装諸共に崩れ去り、もはや得意の格闘戦に持ち込むことすら不能の、左腕だけ残ったダルマと化す。
顔面……頭部だけは無傷で済んでいるのは、そこを完全に破壊されては、さしものナタであっても、ゴーレムの即死条件のひとつを満たし、活動は停止してしまう──奴を、足止めできなくなる──から。そこと心臓のある胸部は、周囲を踊り舞う剣群と防具を巧みに操り、己の手腕と同じ道理で、奴の攻撃を受け流す……には、あまりにも過剰な拳の威力であったため、僅かに軌道を反らすことに成功してこれただけ。それも、あと何分……何秒……何撃後までしのげるか、どうか。
それでも、ナタは自分の戦いを続けていく。
ウォフが死に際に教えた、ルベドの性質。
タイシャが最後に伝えた、ルベドの本質。
……あの“手”。
それらはもはや、ナタたち程度の存在では覆しようのない事実を告げていた。
それでも、ナタは、任務に、使命に、役割に、ただ、ただただ、──生きる。
減り続ける剣群に自分を縫い付け、浮遊し飛空する刃で、無茶苦茶な軌道を描き続ける。
吹き飛んだ右肩と両脚、抉り取られた腹、全身に刻まれる戦傷から、白い花弁を零し散らしながら、ナタは思う。
あれほどの脅威を──ルベドと名乗った少女を「消し去ってみせた」というものを、
荒野の上空に佇み停止する「惑星たち」を、
「第八階層のあれら」を、
マアトが、
アプサラスが、
ウリが、
イズラが、
イスラが、
ラファが、
ガブたち──皆が、
今、死に果てながら、“足止め”してくれて、いる。
ならば、
せめて、
自分も、
自分たちも──
「
あの方の──
「お役に!!!!」
《
平坦な声と共に。
ナタの中心を、
「 う゛ が、 あ …ア… ……ァ ──────Aa 」
砕き折れる花の声。
「 すいませ 師 ……必ず、戻る゛、言っだ、ノ、ニiiii── 」
事切れ壊れる
ナタが、最後の最後に見た、あまりにも、美しい、もの。
桜 、
の 、
木 が ──────────────
*
殲滅対象の完全停止、確認。
重要防衛対象“桜花聖域”、健在。
問題──「神の見えざる手」に
【神人合一】システム、再探査──完了。戦闘行動に支障なし。
至急、警報。さらなる殲滅対象を、検知。急速移動中。優先度、最大。
付着中の
第九階層接続
最優先事項──『侵入者の完全殲滅』──承認。
《
次回、第八章最終回。