オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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〈前回までのあらすじ〉
 ついに第八階層を突破したかに思えたカワウソであったが、封鎖された転移鏡に行く手を阻まれ、襲来したルベドによって蹂躙されかける。
 そこへ救いの手を差し伸べたのは、なんとアインズ・ウール・ゴウン本人、モモンガ。
 第八階層を突破しかけた100年後の侵入者に対し、アインズは“褒美”を授けることに……


第九章 玉座の間にて
絶対者(オーバーロード)復讐者(アベンジャー) -1


/The 10th basement “Throne” …vol.01

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 つい先刻。

 玉座の間には、アルベドやデミウルゴスたちの悲鳴じみた声音が満ちた。

 

 

「アインズ様、お待ちください!」

 

 

 第八階層のあれら……生命樹(セフィロト)が、敵の首魁が生み出した天使共の足止めスキルに封じられた瞬間、このナザリック地下大墳墓を統べ治める最高支配者は、驚愕し、感嘆し、そうして、守護者たち全員が畏怖するほどの哄笑を、その骸骨の口腔から吐き洩らしていた。カタカタとなる頸骨の音色すらもが、愚劣な侵入者たちの搦手を賞賛するような喝采ぶりであった。

 それだけではない。

 アインズは、「ルベドに足止めスキルが通用するかな?」と囁くのと同時に……

 骨の玉体を、ナザリックの防衛を担う世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”から、離していた。

 そして、この場で立ち上がる主人の挙を不審に思い、疑問するアルベドたちに対し、悠々と頷いてみせた。

 

 

「アルベド──すまんが。私はこれから、第八階層に行く(・・・・・・・)

 

 

 ありえないと誰もが思った。

 守護者が、戦闘メイドが、マルコも含む玉座の間に詰めていた全シモベたちが、完全に声を失うほどの、宣言だった。

 即座に転移門を開こうとする魔導王を──主人を──愛する殿方の手を、アルベドは一切の迷いなく握り、制した。

 

「おやめください! 何故! 何故、そのようなことを!?」

「そうでありんす! どうか、どうかそのようなことは!!」

「ダメです! 絶対に、絶対絶対、ゼッタイにダメですってば!!」

「そそそ、そんな! えと、ど、どうして、なんです……アインズ様?」

「執事たる身で愚見を申し上げることは差しさわりもありましょうが──それだけは」

「……ナニカ、御身ニハ、深イ考エガ、アッテノコトナノデゴザイマショウカ?」

「いいや! だとしても! あまりにも危険でございます! 何故(なにゆえ)、御身自ら?!」

 

 守護者たちは首を横に振り続ける。

 我儘な子どもが、大好きな父と離れたくないとダダをこねるように。

 無論ながら、()は守護者たちの方にこそ、あった。

 敵が、仮にもナザリック最強に位置する生命樹(あれら)を封じた事実。天使の能力・神聖属性に特化したモンスターと、アンデッドであるアインズとの相性の悪さ。そして何よりも、未知の世界級(ワールド)アイテムの効果が完全に切れたとはいえ、仮にもアインズの“敵”として、いと尊き至高の四十一人が築き上げた聖域・ナザリック地下大墳墓内に土足で踏み込んだ“外の存在”……プレイヤーの前に、アインズ・ウール・ゴウンその人が、ナザリックに唯一残られた慈悲深き(きみ)が、その身をさらす危険性(リスク)

 いかに優しいアインズであろうとも、敵にまで情けをかける姿勢が、NPCたちには(はなは)だ理解不能であった。

 

「私は、いかねばならない」

 

 すでに、ルベドの手によって全身鎧の女・ウォフは光の粒子に還った。

 ついで、驚異的なステータス増幅を果たした僧兵・タイシャの身体が抉り飛んだ。

 

「このままいけば、間違いなく、カワウソたちは第九階層へ至る鏡に到達する」

 

 だが。

 

「──100年前から第八階層は封鎖済みだ。このままでは、カワウソたちは憐れな袋の鼠で終わるだろう」

 

 それがどうしたのだろうと全員が首を傾げた。そのまま、あの愚かしい侵犯者共を、ルベドという最強の個に討滅させてしまえばよいはず。自分たちは、その光景を主人と共に目の中へ焼き付けるべく、この玉座の間にとどまっていたはず。なのに、何故。

 

「それではダメだ」

 

 ダメなんだ、とアインズは固い声で続ける。

 

「カワウソは、彼は生命樹(セフィロト)を封じ、ルベドという戦力を他の仲間に引きつけさせることで、確実に、第八階層を攻略する手を尽くし、そして、それはもはや成就する寸前だ」

 

 ルベドの挙動や戦闘パターンを読んだかのように、近接職に特化した少年兵が、その身をボロボロに融け朽ちさせながら、あろうことか桜花聖域の真上(・・・・・・・)にまで、ルベドを「足止め」し続けた。

 おかげで、カワウソたちは完全に、フリー。

 彼らの騎行を──進撃の速度を阻むものは、ない。

 あとは、次の階層に続く鏡に触れさえすれば、第八階層の攻略はなされるだろう。

 だが、あの鏡は現在──使えない。

 触れてもどこにも転移できず、カワウソたちの進軍を阻む最大にして最悪の罠として、大いに立ちはだかることになる。

 天使の澱は、ゴールには辿り着けない。

 しかし、それは今のアインズの……より正確には、アインズの仲間たちが、かつて望んだことでは、ない。

 NPCたちでは理解が及ばないことだが、アインズの仲間たち──ギルドの皆で決めていたことのひとつが、アインズをどうしても、カワウソたちの助命のために行動させた。

 アインズは重く告げる。

 

 

「彼を、第八階層の正当な攻略者と認める」

 

 

 守護者たちシモベの絶句に、アインズはすべてを理解しているという首肯で見渡す。

 

「どうして、そのようなことをする必要が?」

 

 アルベドだけは。

 何かを察してしまったように、毅然とした表情で、愛する男の双眸を受け入れる。

 

 

「この私が、いいや、──俺が──“アインズ・ウール・ゴウンだから”だ」

 

 

 アインズは言って聞かせた。

 これこそが、アインズ・ウール・ゴウン“四十一人”の決定なのだと。

 そして、これはアインズの我儘なのだと。

 守護者たちの異論抗論は、引く波のごとく穏やかになる。

 アルベドは観念したかのように、あるいは祝福するかのように、夫の骨の手首から手を放した。

 

「すべて、御身の望むままに」

 

 アインズは頷く。

 同時に、空中の映像を振り仰ぐ。

 

 転移の鏡に至った堕天使は、転移不可能という事実を理解し、絶望のまま鏡に縋りつく。

 そんな彼と護衛たちの許に、花の動像を貫き殺したルベドが、落ちる彗星のごとく迫る。

 

 もう時間はない。

 迷う暇などない。

 

 至高の主人は、アルベドとシャルティア──二人の王妃を護衛役に選抜し、残されたアウラたち守護者らに後事を託し、転移門を開いた。

 

 そして──

 

「『アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ』」

 

 ギルド内で有効なパスワードによって、ルベドは止まった。

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、ついに、カワウソと本当の対面を、果たした。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓・第八階層の荒野を後にしたカワウソとミカ、クピドの三人は、この拠点のギルド長、モモンガ――大陸の覇者、至高帝、神王長、絶対者(オーバーロード)であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王の案内により、続く第九階層を訪れることが叶った。

 カワウソは戦々恐々、転移門の闇を、二人の護衛に守られながらくぐった。

 

「おお……」

 

 思わず感嘆が漏れる。

 荘厳という言葉が似合う白亜の宮殿。高い天井に長い廊下。吊り下げられたシャンデリアや壁面を飾る調度品の美麗さと数量には、心の底から圧倒されてしまう。無論、自分が造ったヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城塞(じょうさい)──第三階層の“城館(パレス)”や、第四階層にある屋敷などとは、比較するのも馬鹿馬鹿しい規模に相違なかった。

 

「 おかえりなさいませ、アインズ様 」

 

 立ち並ぶ華々。

 侵入者であるカワウソたちを堂々迎え入れたメイドたちの数は、四十人前後。誰の瞳も恐怖とも怯懦とも言えぬ敵意が込められていたが、主人の迎え入れた“客”への礼節として、深く腰を折っていた。

 

「 いらっしゃいませ――侵入者さま(・・) 」

 

 暗く凍えるような声。

 ツギハギ傷を負った犬頭や、人間然としたメイドらからの眼光が突き刺さる。

 カワウソは、応じない。

 応じることが、できない。

 そんな彼と、彼の従者二人を引き連れて、メイドたちの主人──アインズは鷹揚に頷く。

 

「ご苦労だった、ペストーニャ、おまえたち。下がれ」

 

 犬頭のメイドが、少女たちの(おさ)らしいきびきびとした答礼を行い、主人の命令通り、メイド隊を引き下げていく。

 そんな中で──唯一の例外がいた。

 そのメイドの姿……初老の執事(バトラー)と肩を並べた少女は、飛竜騎兵の領地で別れた時のものと、まったく同じ。

 白金の髪を、竜の翼のごとく背中に広げた女性を、カワウソたちは見る。

 

「お久しぶりでございます、カワウソ様、ミカ様」

 

 ロングスカートの裾を持ち上げた、一部の狂いもないカーテシーの姿勢。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王親衛隊所属、“新星戦闘メイド(プレイアデス)”の統括(リーダー)

 異形の混血種(ハーフ・モンスター)──マルコ・チャン。

 

「あと……そちらの(かた)は」

「ああぁ。俺の名はクピドだぁ」

 

 銃器をかつぐカワウソの護衛──赤子の天使(キューピッド)が、主人たるカワウソへ挨拶を交わす女中に対し、傲岸不遜な顔色で、小さな鼻を鳴らす。

 

「アンタには、ウチの御主人が世話になったらしいなぁ。要らんだろうが、礼を言わせてくれやぁ」

 

 こぼれた言葉は、実に礼節に即したものであったが。

 

「私の方こそ──その節は」

 

 マルコは言葉を選ぶような、どこか怖じるような気配を見せかけて、だが、キッパリとした所作で腰を折る。

 

「マルコ。おまえも下がるといい。彼らは、“私の客人”だ」

 

 まるで『おまえが関知する必要はない』とでも言いたげな、主人の鉄の声。

 メイドは、反駁も逡巡も見せず、短いお辞儀と共に場を離れる。

 カワウソが見送る後ろ姿は、まったく完璧な使用人──忠節の限りを尽くすシモベでしかなかった。

 そうして、唯一アインズたちとカワウソたちの先導役として場に残った老執事が、峻厳な声色で名乗りを上げる。

 

「お初にお目にかかります、皆様。私は、()えあるナザリック地下大墳墓の家令(ハウススチュワード)を務めております、セバス・チャンと申します」

「────セバス……チャン? って、おい、まさか?」

「はい。今のメイド──マルコ・チャンは、不肖私めの“娘”にございます」

 

 カワウソは納得の首肯を落とす。だが、まさか目の前の老人が、あの可憐な少女の父親とは。言っては何だが、どちらかというとセバスという老人は、マルコの祖父という方がまだ馴染むような外見である。ユグドラシルの法則だと、拠点NPCであれば、異形種でも人の形をしていられるが、果たして老執事の正体は何か。

 

「今回は私が、第九階層および第十階層への案内を務めさせていただきますので、どうぞよしなに」

 

 カワウソは、ミカをチラリと振り返り見る。

 堕天使の作った女天使は、油断してはならないと言わんばかりの目つきで、首を横に振って見せた。ということは、この道先案内人も、かなりの手練れ……Lv.100相当のNPCと見做すのが的確な判断だろう。遅れて振り返ったクピドもまた、手信号(ジェスチャー)とグラサンの表情で、『油断するな』と告げてくれる。

 アインズ・ウール・ゴウンの“客”として招かれた敵対者を相手に、『老執事だけが案内人として残った』、その理由。

 それは、彼以外のシモベでは、いざLv.100同士の戦闘になった際、確実に邪魔にしかなりそうにないという判断があってのことか。

 

「さぁ、こちらへ」

 

 セバス・チャンに促され、カワウソはミカとクピドと共に、神の住まうがごとき宮殿を、アインズたちの背後を行く。

 いかにも危険かつ余裕な素振りで、敵である堕天使に背後をとらせているが、それも当然。

 宮殿には数えきれぬほどの扉、装飾、調度品、隠されたトラップのほかに、蟲のような姿をしたモンスター……ロイヤルガードという名の二足歩行する甲虫のほかに、アインズ・ウール・ゴウンが生み出したらしい中位アンデッドの死の騎士(デス・ナイト)なども、等間隔に配置されていた。

 もしも、カワウソたちが妙な動きを働き、アインズ達に害悪を成そうと動き出せば、確実に包囲殲滅できるだろう過剰な兵力。なので、ミカもクピドも、沈黙を保ったまま、それらモンスターやトラップの襲撃がないように、警戒を深めるしかない。

 

「そう固くならなくていい」

 

 しばらく進んだところで、アインズが余裕綽々という語気で振り返ってくる。

 

「今のところ、君たちはこの私──アインズ・ウール・ゴウンの“客人”だ。気を楽にするといい」

「…………」

 

 カワウソは応えない。答えようがない。

 いかにナザリックの支配者たるアインズ──モモンガがそのように勧めようとも、ここは完全に敵地にして戦域。しかも、ユグドラシルにおいて、誰一人として到達しえなかった領域とくれば、いやでも警戒と畏怖を懐かざるを得ない。おまけに、アインズの護衛役として傍に侍る女守護者二名の敵意と蔑意の眼光──案内役を務める老人からも、ごく薄い闘気がみなぎっており、それらは目に見えないのが不思議なほどの威圧感(プレッシャー)を醸成し続けていた。こんな状況で安心できるほど、堕天使の精神というのは緩慢ではない。むしろ恐怖などの状態異常に罹患しやすいのが、堕天使の弱点である

 それを、連中の戦気をカワウソが指摘しないのは、カワウソのNPCたち……護衛二人もまた、敵の首領に対する言語化不能の感情を懐いているのが、左右両側からひしひしと伝わってくるからだ。

 つまりは「お互いさま」というところである。

 

 それに、アインズは『今のところ』と言ったのだ。

 その意味は推して知るべきだろう。

 

 

 

 

 

 やがて一行は巨大な階段──これまた数多くの死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が階段脇を埋め尽くしている──を、粛々と降りていく。

 

「ここから先が、ナザリック地下大墳墓の真の最奥“第十階層”になります」

 

 降りるセバスの説明に、カワウソは軽く感動したように瞳を輝かせつつ、ふと疑問を浮かべる。

 

「この第九階層の、その、階層守護者は?」

「ああ。そういうものは、特にはいないな──あえて言えば、このセバスが守護者といえるだろう」

 

 アインズは嬉々として語る。第九階層の、今アインズとカワウソ達が進んだ廊下──そこで戦闘メイド(プレアデス)の六人を率い、第八階層を攻略した猛者(プレイヤー)たちを少しでも削ぎ落とし食い止める──「時間稼ぎ」のための要員として、今一行の先導を務めるセバス・チャンというNPCたちが配置されていた。

 

 だが、あの第八階層を攻略するほどの手練れ──プレイヤーが現れるということは、ほとんどアインズ・ウール・ゴウン側の敗北は確定していると言えた。

 

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”に繋がった暴力装置……11個の星たる“生命樹(セフィロト)”。あれらと共に戦い、侵入者の中でもとりわけ厄介な存在を優先的に殲滅するようプログラムされたギミックシステム……“ルベド”。

 

 さらには、アインズの──モモンガの使用する世界級(ワールド)アイテムとのシナジー作用……“諸王の玉座”との相乗効果によって、絶対の“死”へと転換された生命樹──“死の樹(クリフォト)”。

 

 これらすべての猛威をかいくぐり、適正な攻略プロセスを踏んだゲーマー……異形種プレイヤー41人の(きょ)たる大墳墓の防衛機構を突破し尽した「勇者たち」を、悪のギルドたるアインズ・ウール・ゴウン……「魔王たち」は、悪の親玉よろしく、最奥の地にて泰然と待ち構えるべきというウルベルト発案のロールプレイが、このナザリック地下大墳墓の第九階層と第十階層の構造を生み出していた。本当は、あの廊下にはコキュートス配下の蟲モンスターや、アインズ謹製の中位アンデッドなども存在しえない──ゲーム時代にはありえなかった配置である。

 だが、この異世界に転移してより100年が過ぎた。

 

 そうして、このナザリック地下大墳墓で、紆余曲折・異論反論はあるものの、確実に第八階層を「攻略した」──生命樹(セフィロト)の弱点たる“足止め”スキルを使い、おまけにルベドという絶対脅威を、三人のNPCが敢闘し、最後の少年兵・花の動像(ナタ)が、おそらく偶然ながら、桜花聖域に逃げ込むまで引きつけ続けたからこそ、カワウソたちが次の階層への転移の鏡に到達するための貴重な時間を稼ぐことに成功した。

 ……さらには。

 封印閉鎖されていたとはいえ、あの荒野に設置された転移の鏡=第九階層への扉を叩いた……封鎖処理さえされていなければ、カワウソたち一行は確実に、次の階層へ到達していたという事実。ユグドラシルでは誰も成し遂げられなかった偉業をやり果せた堕天使と彼のギルドを、アインズは第十階層にまで案内することに決めた。

 

 かつて、アインズの仲間たちが決めた通りに、カワウソというプレイヤーを、魔王の待つ玉座の間へと導くことを、彼は大いに望んだのだ。

 

 無論、守護者たちは大いに反対反論し、転移でカワウソたちのいる第八階層に行こうとする主人(アインズ)を頑強に引き止めたが、カワウソという第八階層攻略者を招くことは『至高の四十一人の総意』であり、『何よりも尊いアインズ個人の願い』とあっては、抵抗し続けることは不可能であった。最低限の護衛として、アルベドとシャルティアを選抜しなければ、アインズは単独単身で敵であるカワウソたちの救命に──ルベドの停止命令を履行すべく転移しかねないほどの押し問答が繰り広げられた。アインズが敵の前に“単独”で姿をさらす危険を思えば、アルベドやデミウルゴス──弁舌に長ける者達であっても、反論は諦め、カワウソたちがヤケを侵さない程度の護衛・連中と同数の二人ほどを選んでもらったほうが無難であるという認識しか生まれなかった。

 

 そうして、アインズ・ウール・ゴウンは、第八階層を半ば攻略したも同然の(カワウソ)と、その護衛二名を随行して、第十階層に降り立った。

 

「さぁ、着いたぞ」

 

 執事に先導されたナザリックの最高支配者は、悠然と振り返り、骨の顔で微笑む。

 アインズとカワウソ達たちは進み続ける。

 壁に穿たれた七十二の穴には、六十七体の悪魔像。四つの輝きを満たしたクリスタルの部屋。

 第十階層・最終防衛の間──ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)

 半球状の巨大ドーム内に鎮座する罠。悪魔を(かたど)った超稀少鉱石の動像(ゴーレム)が侵入者を襲い、地水火風の上位精霊(エレメンタル)を召喚するクリスタルの広範囲爆撃を放つことで、Lv.100プレイヤーの2パーティー、12人程度は確実に掃討できる──たった三人の敵など、ひとひねりである。だが、今回その役目は必要なかった。

 これだけでも十分すぎるほどに、魔王の城の最奥じみた荘厳さと重厚さを感じさせるが、広間の奥には、さらに奥へと続く巨大な扉が、女神と悪魔のレリーフに守られるようにして、そこに佇んでいる。

 

「この奥こそが、我等アインズ・ウール・ゴウンの誇る、ナザリック地下大墳墓の最奥」

 

 アインズは音吐(おんと)朗々(ろうろう)に宣した。

 

「玉座の間だ」

 

 

 

 

 

 上機嫌に語るアインズに促され、カワウソは優に5メートルはある門扉を仰ぐ。

 右扉は女神が、左扉は悪魔が微細に彫り込まれた様は、今にもそれらが侵入者であるカワウソ達めがけて襲い掛かりそうなほどのリアルさを、ただの扉に刻み込まれていた。

 アインズは言った。

 この奥が、ナザリック地下大墳墓の最奥──玉座の間だ、と。

 主人の代わりにセバスが扉に触れた途端、両開きの黒扉は自動ドアのごとく施錠を外し、ゆっくりとした動作で開かれていく。

 空気が変わったように思った。

 静謐と荘厳で磨かれた空気が、その扉の奥に封じられていた。

 

「さぁ、入りたまえ──侵入者諸君」

 

 雄弁に促すアインズは、執事と守護者二人を連れて、広く高い室内へと歩を進める。

 

「さぁ」

 

 振り返ったアインズに導かれ、カワウソは深く呼吸する。

 もはや、言葉すら要らない。

 

 

 やっと──ここまで、来た。

 

 

 ひときわ大きな沈黙の中で、自分の鼓動と思考だけが、耳に痛い。

 天上から吊り下げられた複数のシャンデリアの豪華な宝石。

 巨大な円柱を幾本も連ねた壁に掲げられる、計四十枚の旗。

 何処までも高く、何処までも広い空間──金銀財宝を埋め込まれたがごとき部屋の奥には十数段の低い階段があり、段上には巨大な水晶を背負うがごとき巨大な玉座が鎮座している。あれこそが、“玉座の間”の主体であることは容易に察しがつく。その高く大きな玉座の背後には、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインが刺繍された真紅の布幕。

 そして、そこに居並ぶ各階層守護者……第五階層守護者、コキュートス……第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ(背格好が成長しているのは、100年後(ゆえ)の姿だからか)、第七階層守護者、デミウルゴスが、アインズ達の帰還を歓迎する。──主人が引き連れた侵入者(モノ)には、まったくそんな感情も感傷も懐いていないようだが。

 そして。

 それらすべてを、威風堂々と背負う絶対者(オーバーロード)が、王者の貫禄たっぷりに、水晶の玉座に腰を落とす。

 

「さぁ、来たまえ……侵入者諸君」

 

 座った彼に再び促されて、ようやくカワウソは、ナザリック最終地点と目される空間へ、足を踏み入れる。

 罠も攻撃もない。守護者らの敵愾心と好奇心──主人たるアインズが認めた“プレイヤー”への眼光だけは、過剰なほどカワウソたちを射抜いていたが。

 

「────」

 

 カワウソは無言で、自分の護衛たちへの言葉すら発すること無く、この地この場所へ初めて到達した“敵”として、前へ。

 一歩。

 また一歩。

 足甲(ラキア)の踵が、カシャリ、カシャリと音を刻み、広大な玉座の間を進み続ける。

 畏れで痛いほどに弾み続ける心臓──魂が喉からこぼれそうなほどの怖気──それにも優る光景の壮麗さ──そして、この未踏の地を、はじめて踏むことになった“敵”として、カワウソは栄光の(きざはし)をのぼるかのような幸福感に満たされる。──実際には、その階段が断頭台の処刑場に至る道筋であろうとも。

 と、その時、

 

「『そこで止まりたまえ』」

 

 中ほどを過ぎたところで、第七階層守護者・デミウルゴスの呪言が威圧的に響く。

 だが、天使の澱に属するカワウソたちのレベルには、何の拘束力も示さない。

 

「よせ、デミウルゴス」

「アインズ様、しかしッ!」

 

 魔導国の大参謀は抗弁の声をあげる。

 まったくカワウソたちを歓迎する気のない悪魔に対し、アインズは鷹揚に頷くのみ。

 デミウルゴスは主人の手前、勝手なことをした自分の非礼を“アインズのみ”に捧げる。カワウソたちへは儀礼的かつ形式的な姿勢しか見せないことに、堕天使は別に何も言うことはない。

 

「すまない。失礼なことをしたかな?」

「いいや」

「本当にすまなかった。我々も実のところ、この世界で、こうして君たちのような他のギルドと戦い、この第十階層で、本格的に相対するのは初めてのことでね」

 

 アインズは言い募った。

 悪魔のスキルが効いたわけでもなく立ち尽くすカワウソは、理解していた。

 ナザリックのNPCに歓迎されないのは、アタリマエ。

 拠点NPCの言動や理念は、どうやら、どこのギルドでも同じらしい。自分たちの属するギルドこそを最頂点とする信奉心。創造主に対する忠義や信義。それらに即してNPCたちの行動規範は確定されていると、これまでに判明し尽している。

 天使の澱のNPCたちにしても、カワウソ以外のプレイヤーや、よそのギルドに対する感情は劣悪に過ぎた(別に相手が「ギルド:アインズ・ウール・ゴウンだから」というわけではなく、本当に“外の存在”全般が嫌いなようなのだ)。なればこそ、玉座を護るがごとく居並ぶ階層守護者たちの鋭い視線──本気で身体が切断されそうな怒気と殺気に満ち溢れている光景は、当然のものであると了解できる。

 そして、それはカワウソの背後左右に並ぶ天使──ミカとクピドも、同様。

 

「──チッッ」

手前(テメェ)の配下すら(ぎょ)せないのかぁ? アインズ・ウール・ゴウンさんよぉぉ?」

 

 瞬間、守護者たちの怒りが沸点を超える。全員が眼と牙を剥き、陽炎のごときオーラがたちのぼったかのように見え、手には武装を──斧や槍、鞭や杖、刀や拳、悪魔の諸相が一瞬で整えられていた。

 ほとんど同様に、光剣と光盾、ライフルとミニガンを構える天使たちが応じる。

 

 

「騒々しい、静かにせよ」

 

 

 その一挙手のみで、ナザリックの守護者たちは己を律する。

 アインズ・ウール・ゴウンの──カワウソと同じ存在(プレイヤー)であるはずの、魔導王の堂々とした振る舞いに、カワウソは「へぇ」と頷きながら、ミカとクピドを手で制す。ただの威嚇・示威行為でしかなかったかのように、互いのNPCは視線の圧力と悪気だけはそのままに、冷静な姿勢を構築し直すように武装を収めた。

 ──いつでも敵の喉元に迫ることができるぞと、互いが互いの実力を推し量るかのごとき、虚無のうちでの、交錯。

 

「さて。では──改めて、ようこそ。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)、ギルド長・カワウソ」

 

 朗々と紡がれる王の声。

 空虚な眼窩の奥に灯る、血のような熾火。

 すべてがRPGの魔王然とした、悪のギルドの首領としてふさわしい、闇の一極点。

 

 

「アインズ・ウール・ゴウン、ギルド長・モモンガ……

 ……まず、確認のために、改めて、名乗らせてもらう」

 

 

 カワウソは、この異世界に転移してより、ずっと問いたかったことを問い質す前に──

 自分の“本当の名”を、教えてみる。

 

 

「自分は、若山(わかやま)宗嗣(そうし)です」

 

 

 カワウソは己の本名を口にしていた。

 若い山に、宗を嗣ぐ。若山宗嗣。

 背後でミカとクピドが、疑問に首を傾げる気配がする。

 

「わかや、ま……そう、し?」

「んんん?」

 

 あたりまえと言えば、あたりまえ。カワウソは、カワウソというユーザー名でしか、ユグドラシルで遊んでいなかった。……NPCである彼女と彼は、その名前以外の主人など、知る由もなかったのだから。

 そんなカワウソの挨拶をどう思ったのか。

 アインズは静かに頷く。

 

 

「自分は、鈴木(すずき)(さとる)です」

 

 

 鈴なりの木に、ものごとを悟る。鈴木悟。

 まるで営業のサラリーマンが、名刺交換をするような事務的な口調だ。

 まかり間違っても、異世界の一国の君主がするような挨拶などではないだろう。

 

 さらに、彼の傍近くに控えるNPCたち何人かも、ミカやクピド同様に疑問の視線を主人に捧げていた。彼らもまた、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCと同じく、ただのNPCでしかなかった証明だと、カワウソには感じられた(実際は、主人が自らの本当の名を、下劣な侵入者に明かしたことに対する驚愕に過ぎないが)。

 そうして。

 告げられた日本人然とした名前は、彼が、死の支配者(オーバーロード)の姿をした存在が、間違いなく、あのゲームのプレイヤーであるということを確信させる。

 ただのゲームデータの再現(ロールプレイ)では、さすがに個人情報とも言える本名を喋らせるはずがない。そんな必要性がどこにあるというのか。ただの魔王であるならば「──なんだ、その名前は?」くらいの反応で返しても、おかしくも何ともないはず。

 プレイヤー二人は同時に息をつき、そして頷いた。

 

「やっぱり……か」

「ああ。そのようだな」

 

 カワウソは、長らく疑問を懐いていた。

 

 本当に、この世界に存在するアインズ・ウール・ゴウンというのは、ユグドラシル時代のアインズ・ウール・ゴウン……モモンガというプレイヤーと、完全同一な存在なのか?

 

 ひょっとすると、この世界のアインズ・ウール・ゴウンというのは、ただのゲームデータを移植しただけの、ユグドラシルの時のそれとは別個な存在であるのではという、そんな疑念がいつもあったのだ。

 それこそ、この世界はカワウソの悪辣かつ馬鹿げた夢みたいなもので、カワウソの復讐心が望み欲した仇敵を再現しているだけの存在として、アインズ・ウール・ゴウンの名を冠するものがいるのではないのか──そう、懸念していた(無論、その疑念の矛先はカワウソ本人、本名でいうところの若山宗嗣であろうとも、同じく向けられてしかるべきだろう)。

 

 だが、アインズ・ウール・ゴウンは、己の本名を、日本人としての名を、口にした。

 

 カワウソもまた、己の本名を、過去を、記憶を、鮮明に告げることが可能という、事実。

 

 そして、これまでの行動経過を(かんが)みれば、彼がただの移植データや、ネットのWiki情報を(もと)にした存在……カワウソの空想が生み出した仇討ちの標的として夢想する“幻”という可能性は、綺麗さっぱり潰えたわけだ。

 彼は──アインズは──カワウソ同様に、ユグドラシルから転移してきたプレイヤー……ただの日本人ということが確定した瞬間だった。――勿論、彼が口から出まかせに日本人っぽい名を告げている可能性もなくはないが、そんなことをする理由の薄弱さを考えると、ありえないという思いが強かった。

 

「本当に、ユグドラシルのプレイヤーだったわけだ」

「ああ。こちらもそれを懸念していた」

 

 軽妙ともいえる調子でカワウソの言に同調する、魔導王アインズ。

 泰然と玉座に座すアンデッドの様子は、支配者の相がありありと浮かんでいた。

 リアルだと企業の社長だったりしたのかなというくらい、その様は堂に入った振る舞いである。

 そもそもが、ユグドラシルで四桁も存在したギルドの頂点と言っていい「十大ギルド」に数えられたこともある組織の長だ。カワウソのような、なんちゃってギルド長と比較することすら烏滸(おこ)がましい。

 

「でも、そうじゃなかった」

「ああ。そうじゃなかったようだな」

 

 まるで互いに健闘を讃えあうかのごとく、この状況に笑いが込み上がる感じで肩をすくめあう。

 ユグドラシルのプレイヤー同士──ただそれだけの理由で打ち解けられるほど、二人の事情や関係性は単純ではなかった。

 片や、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンへの復讐に焦がれる堕天使。

 片や、国に擾乱(じょうらん)をもたらされた統治者にして、この大陸の至高なる王。

 二人はサラリーマン同士が握手を交わすかわりに、ただ互いの疑問を解消するための質疑応答を求めた。

 

「他にも確認していいか?」

「どうぞ、なんなりと」

 

 両腕を軽く広げ、胸襟を大きく開いた王の姿に、堕天使は問いを並べる。

 

「──質問。この世界は、いったいなんだ?」

「それは、我々も未だ調査中だ」

「──質問。どうして、この異世界に、俺たちユグドラシルの存在が転移している?」

「それも、我々の方で調査中だ」

「………………えええ?」

 

 不満そうな息が漏れるのを隠し切れない。

 もしや、本当は答える気などないのかと疑い掛けるが、そんなことを言っていられる状況でもない。

 

「────質問を変える。どうして、おれを、俺たちをこのナザリック地下大墳墓の、第十階層に招いた?」

 

 こればかりは答えざるを得ないだろう。

 アインズは重く頷き、その問いを待っていたと言わんばかりに、心地よさそうな音色で話し出す。

 

 

「君が、あの第八階層を攻略したからさ」

 

 

 カワウソは首を斜めにするしかない。

 あれは、第八階層の攻略は、カワウソにとっては失敗に終わったものだと思っていた。

 しかし、アインズにとっては、何かが違うかのように、何か嬉しいことを思い出したように、言葉を連ねる。

 

「私の、かつての仲間たち皆と決めたことなのだが──あの第八階層を、ナザリックにおいて最強の存在である生命樹(セフィロト)やルベドを、突破されるような事態に陥れば、あとは悪のギルドらしく、ナザリックの最奥で、攻略者たちを待ち構えようと──そう決めていたのだ」

 

 アインズは、どこか遠くを見るような、遠い場所に置き去りにした何かを見つめるような不思議な表情で、述懐していた。

 

「仲間、たち──」

 

 その言葉が意味することを、カワウソは推し量る。

『まさか』とは思った。

 幾度となく推考していた。

 彼がプレイヤーのモモンガであれば、『あるいは』と──

 そして、彼の語る口調や、気取らない自然な音律は、魔王然とした言葉よりも、真実彼という男の本質──本心を言い表していると、理解できた。

 

「ああ……やっぱり」

 

 そういうことか。

 カワウソは納得してしまう。

 

 

 

「あんたがギルドの名前を、──“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗っているのは──

『仲間たちのため』……なんだな?」

 

 

 

 カワウソの指摘した言葉に、ミカとクピドは疑念するように声を吐き掛ける。

 逆に、アインズ・ウール・ゴウンたち──特に、玉座に座るものを護る階層守護者たちは、目の前の外の存在……浅はかで卑しい“敵”が、その真実に、わずかな問答で至った事実に、沈黙の瞠目で応えるしかないようだ。

 

「…………ああ、そうだ」

 

 指摘を受けたアインズ本人──モモンガは照れたように、あるいは寂しそうに、もしくは誇りに満ちたように、まっすぐな声色で、頷きを返すのみ。

 

 モモンガが、アインズ・ウール・ゴウン……ギルドの名を名乗る理由。

 

 それを理解できるユグドラシルプレイヤーなど、いったいどれほどの数になるというのか。

 あの「悪名」によってネット上を賑わし、非難賞賛、あらゆる罵詈雑言と、ごく少数の美辞麗句を捧げられた伝説のギルド。「悪のギルド」としてランキング最高九位の座に就き、前代未聞の1500人からなる討伐隊を全滅させた存在。彼らの成した功績を疎み、妬み、憎み、罵る連中は数知れず。あるいは彼らの遂げた偉業を、讃え、賞し、憧れ、羨んだプレイヤーは、それなりにいた。

 

 

 

 そんなギルドの名を戴くプレイヤー……ギルド長の、モモンガ……

 

 

 

 もしも、100年後の異世界に現れたのが、カワウソ以外のプレイヤーであったなら、大多数のプレイヤーは、モモンガの、アインズの成そうとしたことを推察することすら不可能であっただろう。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの栄光の歴史。その存在を不動のものとして、この異世界に刻み込み、不朽の大国として、大陸全土に覇を唱える統一国家を樹立するなど……それは、ほとんど狂気の沙汰だ。

 ユグドラシルのギルド……アインズ・ウール・ゴウンの栄光は、のぼる日がやがて西の果てに沈むがごとき、過去のもの。

 当然の結末(おわり)のひとつ……過日の思い出にすぎない。

 あのサービス終了の時、ユグドラシル内で確実に活動していたログインメンバーは、せいぜいギルド長の(モモンガ)ただ一人であり、ランキングも最盛期の頃・最上位である十大ギルド時代からは確実にダウンしつつ、そのギルド拠点ポイントと、世界級(ワールド)アイテムの桁違いな所持数によって、どうにかギリギリ上位に食い込んでいた“だけ”。他のプレイヤーたちは、ナザリック地下大墳墓を本格的に再攻略しようという意気は完全に潰え去り、ナザリックへの物見遊山を試みるご新規さんすら絶えきった過疎化の時代……ユグドラシルの“終焉期”において、このギルドは「過去の遺物」になりさがっていた。誰も何も、ナザリックの存在を、そこにある悪のギルドの名を思い出すことすら不可能であった。……当のギルドメンバーたちですらもが、「まだここが残っていたなんて思ってもみなかった」ような代物にすぎなかったのだ。

 

 最盛期から終焉期への移行を知る者が、この100年後の異世界に転移したら、確実にアインズ・ウール・ゴウンの世界征服を「笑った」だろう。

 過去の栄光にしがみつき、転移した先の異世界で、惨めにも王様ごっこを繰り広げるプレイヤーの憐れな狂態を、完全に理解不能な蛮行と判じ、アインズや守護者たちNPCの逆鱗に触れたはず。たとえ、その本心を巧みに隠せたところで、真に心で思うことを隠し通せる人間(プレイヤー)は、いない。

 

 あるいは、異世界で暴力と混沌を撒き散らし、強者の倫理というものを笠に着て、平和な国家を築く中で行われた、アインズ・ウール・ゴウンの虐殺と悪逆と非人道の歴史に憤り、異世界の自然の在り方やあるべき歴史を「壊して」「歪めて」「改変した」という事実を悪しざまに罵り、憤ってみせる“主義者”が現れたかもしれない。

 

 たとえ、そういったアインズ・ウール・ゴウンに対する偏見や知識を持たないプレイヤーが現れたとしても、アンデッド故に同族意識を向けられない人間……臣民を、時にはモノのように消費し、国家体制を構築する上で必要な犠牲を強いなければならない「王」の姿を、一般的な感性しか持ち得ないプレイヤー……人間が、彼のやることすべてを、受け入れることが出来るものだろうか。

 

「王」にとって必要な治世において、犠牲をまったくなくすことは不可能。内乱の鎮定。武力の衝突。殺人や事故。犯罪者の処刑。病気や寿命問題。魔導王アインズは、その犠牲にした“すべて”を、アンデッドの脳髄に記憶し記録し続け、今や名実ともに至高の王帝として君臨しているが、しかしそれ故に、犠牲にしたものは、戻らない。

 アインズが、100年前のことを、何よりも大切な仲間たちとのかけがえのない思い出を赤錆びさせていたのも、そういった膨大に過ぎる記憶容量に、人間の残滓(スズキサトル)は確実に疲弊を余儀なくされていたから。さりとて、そういった犠牲をまったく省みず、心に留めない「モノ」になり果てたならば、鈴木悟は、身も心もアンデッドの死の支配者(オーバーロード)になりはてる……あの邪神……かつて法国で信仰された死の神……「神に成り下がってしまった」プレイヤー……“スルシャーナ”のように。

 

 

 だからこそ、アインズは忘れない。

 自分が犠牲にしたものを。

 自分が救済したすべてを。

 アインズは、けっして、忘れない。

 

 

 だが、今回。

 100年後の異世界に現れた異形種プレイヤー・堕天使のカワウソは、完全に理解していた。

 魔導国の「王」としての責務ではなく、アインズ「個人」としての絶対基準を。

 彼が、モモンガが、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗った……その理由を。

 

 それは、

 仲間たちと築いたギルドの(そんざい)を残すため。

 仲間たちと創り上げたものを異世界中に喧伝するため。

 仲間たちに……「アインズ・ウール・ゴウンは、“ここにいる”」と……そう告げるため。

 

 だからモモンガは、アインズ・ウール・ゴウンという名を、不朽不滅の国家の名前にした。自らをアインズ・ウール・ゴウンという名に変えることで、仲間たちとの思い出を、自分(モモンガ)は忘れていないと──そう教えるためだけに。

 

 カワウソは感服していた。

 ただただ「仲間たちのため」に……ただそれだけのために、これだけのことをやり遂げ、100年もの長きに渡ってやり果せてみせた男の姿に、堕天使は憧憬ともいってよい眼差しを向けそうになる。カワウソもまた、「仲間」というモノを絶対としている点では、完全に一致していた。

 しかし、決定的に違うものが、両者の間には横たわっていた。

 堕天使は思い知る。

 

 自分ではこうはいかない。

 自分にはこれだけのことはできない。

 自分では、これほどのことをする意味が、ない────

 

 ふと思う。

 

 ──もしも。

 もしも、彼が自分の仲間だったなら……

 もしも自分が、彼の仲間だったなら……

 

 そんな馬鹿げた、意味のない空想に耽溺しかける自分を笑うように、カワウソは首をかすかに横へ振る。

 

 

「……うらやましいな」

 

 

 たまらなくなって、言葉がこぼれるのを抑えきれない。

 

「俺には、そこまでしてやれる仲間は、そこまでしてやろうと思える仲間なんて……いなかった」

 

 ギルドの名を残すという一大事業……その果てに築き上げた、平和な統一国家。

 それに比べてカワウソは、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)という名のギルドを築いた。かつて築き上げたものとは違うものを創り上げ、己の目的のみを追求し検証し研究するための道具として、ミカたちのようなNPCを生み出した。

 今のカワウソにあるものは、仲間たちとの「かつての誓い」を、「約束」を果たしたいという、切実な思いだけ。アインズ・ウール・ゴウンとは似て非なる思想──両者は、大切な仲間がいることは共通していたものの、カワウソの自己認識だと、堕天使が目標としてきたものは、ただの馬鹿な男の“我儘”でしかない。

 堕天使は訥々と語る。

 

「誰も、俺の言うことを理解してくれなかった。誰も、俺たちのギルドを、世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)を再興しようと──賛同してくれるメンバーは、……いなかった」

 

 一人も。

 一人たりとも。

 だから、カワウソは、世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)を再建することはしなかった。

 同名のギルドを創り上げ、仲間たちが戻ってくる時を待つようなことは、しなかった。できなかった。

 

「ナイツ・オブ……ラタトスク?」

 

 はじめて聞く情報に、アインズは小首をかしげる。

 堕天使の渇ききった声をどう思ったのか、アインズ・ウール・ゴウンはそれ以上多くを聞くこと無く、もっと違うことを、優先的に知らねばならないことを、率直に(たず)ねる。

 

「……では。今度は、こちらの質問に答えてくれ」

 

 カワウソは声の主を、この国の王を、その火の瞳を睨み据えた。

 

「君について、君の世界級(ワールド)アイテムについて、私から質問だ」

 

 堕天使は静かに頷いてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




To be continued…

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