オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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※注意
 今回のお話に登場する魔法〈闘争の中継〉は、オリジナル魔法です。


絶対者(オーバーロード)復讐者(アベンジャー) -2

/The 10th basement “Throne” …vol.02

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは重い声音で告げてきた。

 答えてもらうという強要に近かったが、カワウソは無言で顎をしゃくり、魔導王に先を促した。

 守護者たちの青筋がピクリと動いた。しかし、自分たちの主は別に気を悪くした風も見せないので身動きが取れない。

 アインズは穏やかともいえる口調で問いを投げる。

 

「君の目的は確か、我がナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”にいる“あれら”への復讐、だったな?」

「マルコから聞いていたか……それとも……いいや。それがどうした?」

「君の復讐は、あれらを、我が生命樹(セフィロト)たちを封じ、ルベドの蹂躙を他のNPCにひきつけさせたことで、第九階層への転移の鏡に到達したことで果たされた」

「…………それで?」

「この状況で、復讐を終えた君は、いったい何を望む?

 まだ我々と、この私アインズ・ウール・ゴウンとの無為な戦いを望むか?」

「……そうだな」

 

 復讐は果たされたはず。

 カワウソの目的は、これですべてが遂げられた、はず。

 なのに、何故──

 

 

「戦う」

 

 

 堕天使の戦意は──カワウソの見開いた眼は、モモンガを、アインズたちを殺したくてたまらないという風に、黒く暗く、水底の澱のごとく、鈍く輝いてみえるのか。

 アインズは疑念する。

 彼は、カワウソは気がついていないはずがない。

 居並ぶ守護者たち七人の猛烈に過ぎる虐意。ギルド拠点の最奥の地に潜在するデストラップ。──さらに、世界級(ワールド)アイテムという至宝が、この異世界で新たに手中にした物も合わせて11個以上。アインズ・ウール・ゴウン、モモンガの従える全戦力を考えるなら、たった三人の敵──堕天使プレイヤーとNPC二体の1チームなど、掃滅し殲滅し全滅することは、あまりにも容易。

 彼ら天使の澱の運命は、確実に破滅の門を通り抜けようとしている──なのに。

 

「俺はまだ、戦う。

 戦わないといけない……戦わなくちゃ、ここまで来た意味がない(・・・・・)

「──何故だ」

 

 アインズは困惑を声に零すことなく、冷徹な王の口ぶりで、泰然と手指を組んだ姿勢で、告げる。

 

「こちらとしては、君たちに降伏を勧告し、然る後に和睦を申し出る用意もあるのだが?」

 

 ただ力を漫然と振るうことだけが、真の強者の戦いではない。無用不毛な争いを避け、それですべての目的を達成することができれば、それで十分。今回は結果的にこのような事態に陥りこそしたが、カワウソたちとの戦いで、ナザリックや魔導国が被った被害など、アインズにしてみればどうということもない程度……というか、被害らしい被害など「ない」と言ってもよい。第八階層のあれらは足止めスキルで封じられこそしたが、健在。ルベドのシステムにも問題はなく、せいぜいギルドの運営資金を消耗しただけ。ナザリックの拠点NPCや魔導国の臣民は、天使の澱から直接的に害された者は皆無という状況であるのだ。彼との和睦条件にしても、それなりの地位を彼と彼のギルドに与えてもいいと、アインズは考慮している。だが──

 

「……それは、慈悲深いことだ。さすがは、至高の魔導王陛下ってヤツか」

 

 薄ら笑いを浮かべる敵の言葉。守護者(シモベ)らにはあまりにも軽率で高慢な物言いで、脳髄を直に爪で引っ掻くかのごとく不愉快な音色だったようだが、同じプレイヤーであるアインズにとっては、特に気にする口調ではない。

 ただ……「不可解」ではあった。

 

「それでも、俺は──アンタと……“アインズ・ウール・ゴウン”と、戦わなくちゃ、いけない」

 

 いけないんだ。

 

「……いけない、だと?」

「ああ。だって、俺の戦いは……俺たちの冒険(・・)は……まだ、終わっていない」

 

 そう言い募る堕天使の声を、アインズは重く受け止める。

 

「何故だね? 君の復讐は果たされたのではないのか? それとも、我々が何か、君たちの不興を買うようなことでも?」

 

 ありえるのは、マルコによる監視要員を秘密裏に派遣していた案件か? だが、あれはカワウソ自身が、彼自身の口から理解を示していた。理解を示しながら、カワウソはアインズたちとの敵対関係を、頑迷なまでに望み欲した。

 

「そういうんじゃあない、……かな?」

 

 堕天使は飄々と、自嘲するように黒く微笑んだ。

 アインズ・ウール・ゴウン側の失態や不手際はないと、彼は頷く。

 要領を得ない堕天使との問答に疲れを覚える。アインズは別に訊くべきことを最優先とする。

 

「──では、質問を変えようか」

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンは問い質す。

 

「どうやって。我がナザリック地下大墳墓の防御機構・完全無欠の転移阻害を打ち破り、あの第八階層に転移した? いくら“流れ星の指輪(シューティング・スター)”を、超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使用したとは言え、こちらは世界級(ワールド)アイテムで防御を張っているのだぞ?」

 

 彼が骨の指で示した先にあるもの。

 カワウソが知らぬ玉座の名は、世界級アイテム“諸王の玉座”。

 

 アインズが座する玉座そのものが行使する防衛能力によって、ナザリックはそこいらのギルド拠点よりも数段優る防衛能力とデータ量──NPC作成レベル上限の高さを発揮していた。わけても、拠点内に侵攻する敵に対する転移阻害能力に関しては、最高峰とも言える防衛機能を発揮し続けたのだ。

 それを、目の前に存在する堕天使プレイヤーと、天使ギルドのNPCたちは見事に打ち破り、あの誰も踏破不能であった第八階層を無事に(くぐ)り抜け、そして今、こうして、このナザリック地下大墳墓の最奥──前人未到である第九階層……そして第十階層“玉座の間”への入場を成し遂げた根本的な理由が、アインズはどうしても知りたかったのだ。

 というよりも、知らねばならない。

 今後、このナザリックを、完全かつ完璧に防衛するために、何が必要なのかを認識するために。

 

 ……カワウソは、その余裕ぶりに笑いが込み上がる。

 すべてはナザリック地下大墳墓の防備を、盤石以上のものに昇華するために。

 そのためだけに、アインズ・ウール・ゴウンはカワウソをここまで招き入れたのだ。

 もう既に、侵入者(カワウソ)たちを倒した後の算段をつけている魔導王が、あまりにも超然としすぎていて、文句を言ってやろうという気概さえ湧かない。

 苦笑するだけしかない堕天使に、アインズはひとつの仮説を打ち立ててみせた。

 

「君も、世界級(ワールド)アイテムの所持者なのだろうと我々は見ているが、どうかな?」

「……確かに、俺は世界級(ワールド)アイテムを持っている」

 

 カワウソはアインズに倣い、指を頭上に突きつけ、そこに浮遊する“御璽”──赤黒い輪っか状の装備を示した。

 

「これは世界級(ワールド)アイテム……名前は、“亡王の御璽”という」

「……亡王の、御璽……」

 

 墳墓の表層で、カワウソが掴み発動した、生物の臓腑のごとく妖しく明滅する、赤黒い円環。

 もはや力を失った無用の長物でありはしたが、アインズにとってはかなり興味深い情報だったらしく、事細かく質問が重なる。

 

「なるほど。やはり、それか。具体的な効力や、使用条件などを聞いても構わないだろうか?」

「……多分、戦闘を見てわかってはいるだろうが、これは『自軍勢力を“無敵化”する』世界級(ワールド)アイテムだ。使用条件は、とくに決められていない。俺が使いたいと思った時に、自分の軍勢を、任意の時に強化できる」

「ふむ。それは、『一定時間の制限付き』だな?」

「……ああ、そうだ」

 

 カワウソは嘘をつかなかった。

 嘘をついたところで、もはや円環を……この“御璽”を発動させることは不可能な状況だ。いつでも使える万能アイテムなんだぞと、警戒させるメリットがない。そんな嘘はすぐに見破られる。おまけに、アインズはこのアイテムの正確な弱点までをも看破していた。

 

「その、無敵化の対象というのは、『発動者本人である君は、“含まれない”』……違うか?」

「…………正解」

 

 さすがは、ランカーギルドの(おさ)だった男。

 無敵化された天使の澱のNPCに護られ続けていた堕天使プレイヤーの挙動を、あの戦闘光景を観察しただけで、そこまでの解答に至れるとは。

 

 カワウソの発動した世界級(ワールド)アイテムが、自分(カワウソ)自身を含む無敵化であったなら、NPCたちに壁役を任せる理由はないはず。墳墓の表層でも。第八階層での戦闘でも。カワウソは常に、傍にいるミカたちNPCに護られ続けていた。まるで、カワウソを護らなければ、自分たちの無敵化が終わるかのごとく。

 

 そうして、たった一度の発動を目にして、カワウソたちの僅かな挙動や戦闘風景を観察し続け、その発動法則や致命的な弱点を看破するアインズの目利き……守護者たちですら最高位智者だけが勘づいていた程度の情報を読み解く慧眼(けいがん)は、見事と評するよりほかにない。

 

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテム──“亡王の御璽”──

 

 

「無敵化」の状態……敵からのあらゆる攻撃を防御し、敵のあらゆる防御を突破しうる、ゲームでの“無敵”状態を、発動時間10分の制限時間……「九つ」の世界を囲む円環がすべて砕けるまでの間、自分の率いる自軍勢力全体に波及・伝播させる世界級(ワールド)アイテム。

 そのため、このアイテムは強化すべき自軍……自分以外のPCやNPCが、発動者の近くに存在しなければ、発動することは出来ないという、とても面倒な発動条件を有する。

 そして、この世界級(ワールド)アイテムの発動者は、無敵化の対象にはなりえない。

 さらに、無敵ではない発動者(カワウソ)さえ死んでしまえば、世界級(ワールド)アイテムの効力は失われるという、致命的過ぎる弱点が存在していた。

 だからこそ、カワウソの拠点NPCたちは、カワウソの盾として、彼を傷つけ殺そうとするすべてから、身を挺して主人を守り抜いていたわけだ。

 

 

 アインズはこともなげに言い放つ。

 

「実に興味深い。君がそれを差し出してくれるのならば、今回の大罪……ナザリック地下大墳墓への侵入は、不問にしても良いが?」

「……悪いが、このアイテムは“呪い”みたいなものでな。『敗者の烙印』を押された、ギルド武器破壊に伴うギルド崩壊経験者『のみ』が扱うもので……俺の取得した烙印保有者専用の職業(クラス)復讐者(アベンジャー)のレベルとかを持った奴にしか装備できず、使用することも出来ないらしい」

「──ほう? 『敗者の烙印』…………復讐者」

 

 嘘ではない。

 この世界級(ワールド)アイテムを取得できたのは、カワウソが獲得した“復讐者(アベンジャー)”や“復讐の女神の徒(ネメシス・アドラステイア)”などの特殊なレベルがあってこそ。というか、そういった特殊な職業をはじめて獲得し、最大レベルまで獲得した第一人者へ贈呈された代物であり、同時に、復讐者の頭上に問答無用で浮かび続ける……装備を解除できない……“呪い”じみたアイテムだったのだ。

 言い方を変えれば、これはカワウソの存在自体が世界級(ワールド)アイテムそのものというべきかもしれない。

 これを差し出そうと思えば、堕天使の「首から上」を持っていくしかないだろう。

 なので、カワウソは彼の申し出に対し、首を縦に振れるわけがない。

 ──それはつまり、自分の「死」に他ならないのだから。

 

「そうか。それは残念だ」

 

 アインズは心底残念そうに、玉座の背もたれに体を預けた。

 

「我がナザリックの転移阻害を、防衛能力を一時的か限定的か、どちらかは不明だが『突破』したアイテムともなれば、なかなかに強力な戦力になると思ったのだがな」

 

 そう告げる彼の言った内容に、カワウソは少しばかり訂正してやりたい気持ちが芽生える。

 違う。

 自分が、あそこへ、第八階層へ転移できたのは──

 

「──第八階層に、あの“荒野”の真ん中に転移出来たのは、単純に世界級(ワールド)アイテムの力を使ったからじゃない。

 ……はずだと思う。たぶん」

「ん──なんだと?」

 

 正直に言うと、カワウソも確信があって言えることではなかった。

 この異世界に渡り来たことで、アイテムや装備品の効果効能に疑問を覚えることはままあったし、ユグドラシルの法則が通じる世界でありながらも、ユグドラシルとは決定的に違う異世界でもある事実が、カワウソの認識を著しく困惑させてきた。

 さらに言うと、この御璽には、カワウソも知らない秘められた性能があって、この異常事態に際して、真の効力を発揮した可能性も、一応だが0(ゼロ)ではない。

 

 

 

 

 /

 

 

 

 

 カワウソは知りようがなかった。

 

 この“亡王の御璽”の効果は、「いかなる攻撃や反撃、迎撃や魔法効果、特殊技術などから対象となる軍勢を守護する状態ステータス=“無敵化”を与える」こと。

 

 だが、その無敵化に、発動者・装備者・カワウソ自身は、“一切”含まれない。

 この御璽の無敵化は、装備発動者であるカワウソは、完全に適用されえない。

 

 それ故に、御璽の発動には「カワウソ以外の自軍勢力」が必要不可欠──ゲーム時代、彼個人がソロで活動せざるを得なかった時は、ほとんど発動させることは不可能な仕様が存在していたのだ。この自軍勢力というのは複数人──少なくとも1チーム──発動者を含めて2名程度の員数が必要不可欠。

 これは「強化すべき対象が傍にいない状態では、強化が発動するわけもない」が故の、ただの仕様に過ぎない。

 単純な召喚魔法や作成系スキルで作った存在=「攻撃や防御手段」として発生した存在は、「自軍勢力」とはみなされず、あくまでキャラクターとして独立した存在──わかりやすく言えば、自分以外のPC(プレイヤー)・傭兵NPC・拠点NPCなどのことを指す。そのため、カワウソがユグドラシル時代、ナザリック攻略時には単独で乗り込むしかなかった状況では、まったく完全に発動することができない・使えない世界級(ワールド)アイテムであったのだ。

 

 しかし……ある一点において。

 この御璽は発動した時、カワウソ自身にも“無敵”と言える性能を供与してくれる“隠し機能”が備わっていた。

 

 それは、「無敵化の効果発動中、敵対象の世界級アイテムの効果を、局所的・限定的ながら、完全に無力化する」という能力。

 とくに、“亡王”……「王を亡き者とする」というネーミングから、“王”の名を戴く「とあるアイテム」には、覿面(てきめん)な効力を発揮しえる。

 

 そう。

 カワウソ=「ギルド崩壊経験者の“復讐者”」に与えられる“「亡王」の御璽”は、「ギルドの拠点防衛」に特化した世界級(ワールド)アイテム──“「諸王」の玉座”に対抗し、その絶対的なギルド防衛力と拮抗・一時無力化することが可能という、絶対的な権能を与えられていたのだ。

 ……本人はまったく、その事実に気づいていなかったが。

 この機能をカワウソが知らなかったことは、無理からぬ事態であった。

世界級(ワールド)アイテムの効果を無効化する能力』――言い換えればその機能は、世界級(ワールド)アイテムと対決する状態を構築……具体的には、拠点防衛力が働いているダンジョン内……今回でいえば「墳墓の表層」で使用されなければ、当然発揮されるはずのない機能であること。

 カワウソが、あのゲーム(ユグドラシル)で直接確認できた“亡王の御璽”の効果は、『自軍勢力の無敵化』のみ。

 そうして、発動する際にはどうあっても、無敵化を施す“自軍”が存在していなければならないこと。

 それが、堕天使のソロプレイヤー・カワウソの知りえる、ただひとつの真実であった。

 

 なんという皮肉だろう。

『敗者の烙印』保持者・ギルド崩壊経験者の中でも特異な“復讐者”へと贈呈される世界級(ワールド)アイテム。だが、その効力を発揮するには、自軍勢力──「自分の仲間」がいることが、絶対の発動条件と定められていた。

 仲間たちと別れざるを得なかったプレイヤー……仲間たちと別れたことで、保持し続けることがはじめて可能である『敗者の烙印』を押された存在に対し、あろうことか「仲間」を求めるアイテムを授与するというのは。

 だからカワウソは、この世界級(ワールド)アイテムが嫌いだった。

 運営にも何か別の意図や思惑があって、こんな悪辣な世界級(ワールド)アイテムを創ったのだろうと思われるが、ユグドラシルで仲間たちを(ことごと)く失ったカワウソにとっては、ただの皮肉────意地の悪い“呪い”にしか思えなかった。

 

 だが、そんなアイテムに隠された機能――「対」世界級(ワールド)アイテムに限定特化した“無力化”能力によって、カワウソの“亡王の御璽”は、彼の認知する以上の効果を発揮。

 

 ──ギルド防衛用アイテムを、ギルド崩壊経験者が戴くアイテムが、完全突破。

 

 100年後の今現在も、ナザリックを防衛する絶対権能として起動していた“諸王の玉座”の効能「転移阻害」に、一点の穴を穿つことに成功。その小さな穴から、カワウソたち──“ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のすべて”──は、ナザリックの最奥に近い第八階層への転移侵入を果たすことが相成ったわけだ。流れ星の指輪(シューティング・スター)に“すべて”と願ったことで、彼のギルド拠点までもが、第八階層への転移対象に追加されたのであった。

 

 そして、彼が墳墓の表層で起動した、あの『壊れた剣』の効果が、彼ら天使の澱を、“荒野”の“真ん中”へ──かつて、カワウソの仲間たちが死んだ場所へ、送り届けてくれたのだ。

 

 

 

 

 /

 

 

 

 

 しかしながら、アインズは仮定として、“諸王の玉座”を無効あるいは無力化する能力を備えているものと、完全に見做(みな)していた。看破していた。

 ユグドラシルの仕様上、自分の保有するアイテムですら未知が多数織り込まれていることもある(その最たる例は、100年前、かつてアインズが一人の村娘(エンリ・エモット)に与えた“小鬼(ゴブリン)将軍の角笛”である)。その事実がある以上、カワウソが知りえない“以上”の性能というのも、実際としてありうることだと思われたから。

 ……だとしても。

 解せないことが、ひとつ。

 

「では、どのようにして君は、あの第八階層にまで転移することができたと?」

 

 しかも、自らのギルド拠点「丸ごと」という、前代未聞の現象を、大転移を引き起こしたというのか。

 ただの転移魔法である可能性は、完全にゼロ。単純な転移魔法は仕様上、使用者が認知したフィールドへの転移しか行えない。遠方の地へ転移する場合は、事前に「その場所へ行っている」か、魔法やアイテムなどで「そこを覗き見ている」「情報を得ている」場合でしか転移できない。動画映像によって見た場所程度は完全に適応範囲外だ。そもそもにおいて、ギルド拠点内にギルド拠点が転移するなんて、いくら異世界に転移した事実を加味しても、そんな超常の転移現象はありえない。そこは超位魔法〈星に願いを〉の汎用性が高まったことが要因だろうか。

 だとするならば、彼がナザリックの表層で取り出し、手中に握り続ける(・・・・・・・・)アイテム──腰のベルトに携行している壊れた剣(・・・・)は、いったい何なのだろう。

 アインズは興味が尽きなかった。

 そうして、それくらいのことなら、カワウソも解っている。

 

「君は、かつてあの第八階層に踏み入ったことが?」

「──いいや。“()”じゃあない」

 

 堕天使は首を振った。アインズはかすかに当惑する。

 

「ぇ……君では……ない?」

「──ああ、──そうだ」

 

 だから、カワウソは頷き、もうひとつ……ナザリックへの侵入に貢献したアイテムを、腰帯から抜き払い、まるで祭具を扱うかのように両の手で、掲げ見せる。

 

「──かつて、俺の仲間たちが、あの第八階層にまで辿り着いていたおかげ」

 

 だと思う。

 

「……どういうことだ?」

 

 疑問するアインズに、カワウソはナザリックの表層にある墳墓で取り出し、腰部に携行したまま、ともに第八階層を突破したものを、眺め見る。

 

 

 その剣は、

 この異世界に転移して、

 アイテムボックスのなかを探った時、

 最初に確認していた──「あるもの」であった。

 

 

 クズ鉄かガラクタにしか見えない刀身は、朽ち果て砕け折れ、完全に壊れている。とても戦いで使えるものではないはず。なのに、カワウソは決して、この武器(アイテム)を放棄することはなかった。ユグドラシルでも。この異世界でも。常にボックスのトップ画面……“お気に入り”の定位置に据えていた。

 まるでそれだけが、かつての仲間たちとの(よすが)であるかのようにさえ思っていたのかもしれない。

 馬鹿げた未練を懐く自分を密かに(あざけ)りつつ、カワウソは言う。

 

「──これは、俺がかつて所属していた、今は亡きギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)が製作したギルド武器。名前は、ナイツ・オブ・ラタトスク・ソード」

 

 その、試作品外装データを流用して加工しただけ(・・)の“模造品(レプリカ)”。

 それを、あのギルド崩壊後、カワウソが半ば自棄(やけ)で改装し、この朽ちたデザインを施したもの。

 

「あの討伐隊に参加した俺の仲間が携え、そして、あれらによって砕かれたギルド武器の、──なれの果てだ」

「……なに?」

 

 これは、ギルドのグラフィッカーとして……NPCやオリジナル武装のデザインを製作する際に、カワウソが外装(グラフィック)の作成をほぼすべて請け負っていた役割の関係から、かつての仲間たちより預けられ譲り受けていた複製物。

 それほどのアイテムを、このようなクズ鉄のような外装に整えて、おまけにアイテムボックスの最前列──トップ画面にいつまでも据えて残しておいた理由は、「絶対に忘れないため」に他ならない。

 この「崩壊したギルドの剣」こそ、自分たちがこの場所にまで辿りつけた、最たる要素にして因果だと、カワウソは結論している。

 

「どういうことだ?」

「かつて、これと同じものに、ギルド武器に組み込まれていた魔法の中で、アンタが知りたいのは、ひとつだろうな」

 

 自軍勢の大鼓舞、所有者のステータス三重化、大鷲フレスヴェルクと魔竜ニーズヘグの召喚。

 それらを遥かに凌ぐ大魔法。

 

 

「──第十位階魔法〈闘争の中継(セーブ・ザ・ウォー)〉」

「…………な、何?」

 

 

 驚愕に彩られたアインズの様も意に介さず、カワウソは説明を続ける。

 

「アンタも知っているだろう? 御大層なネーミングの魔法だが、その効果はずばりそのまま。そこで行われていた「闘争(たたかい)」を中継(なかつぎ)し、次の闘争に備えるための準備点を……言わば、『セーブポイントの創設を可能にする』魔法。

 創られたセーブポイント・転移可能情報データ(・・・・・・・・・)は、魔法を発揮した対象軍勢──つまり──この魔法で供給される“繋がり”のアイテム所有者──『セーブデータ』を与えられた自軍・味方にしか知覚されえない。……たとえ、それが……」

「敵拠点の……このナザリック地下大墳墓の住人であろうとも、か」

 

 頷くカワウソ。

 アインズは驚愕の声色と動揺の雰囲気を、すぐさま別のものに変える。

 

世界級(ワールド)アイテムと、超位魔法(ウィッシュ・アポン・ア・スター)と、大魔法(セーブ・ザ・ウォー)の相乗効果……だから、到達不可能なはずの第八階層に…………ふむ、なるほど、納得がいった」

 

 それは、説法や嘲笑の気配ではない。

 むしろ、まったく正反対の感動――詠嘆にも似た感心であった。

 

「だが、その魔法を、〈闘争の中継(セーブ・ザ・ウォー)〉を、よりにもよってギルド武器に組み込む(・・・・・・・・・・)など、──正気の沙汰か?」

 

 不愉快げに呻くプレイヤーに、カワウソはまったく同意できた。

 

「ああ…………俺も最初、まったく同じことを思った」

 

 そして、カワウソのかつての仲間たちすらも。

 

「でも、だからこそ、俺は、今こうして、ここにたどり着けた(・・・・・・・・・)

 

 笑い誇るように、堕天使は表情を(やわ)らげる。

 この剣のおかげで。

 この剣のもとになった魔法のおかげで。

 カワウソは、この終焉の地にまで、足を運ぶことができたのだから。

 

「えと──どういうことでありんすか、アルベド?」

 

 まるで理解が追いついていない者たちを代表するように、銀髪の真祖が、傍らに立つ友に問う。

 

「──〈闘争の中継(セーブ・ザ・ウォー)〉は、その特性上、様々な制約をクリアしなければ発動しない魔法なのよ、シャルティア」

 

 アルベドの強張った声が紡がれる。

 

 セーブポイントを発動・設置させるために、その魔法を組み込んだ武装やクリスタルをあらかじめ用意・携行・所持していなければならない(この場合は、ギルド武器=ナイツ・オブ・ラタトスク・ソードがそれに該当する)ことが、第一。

 その魔法の発動によって、特定対象=装備者本人や事前に登録しておいた味方たち(今回の場合は、カワウソの旧ギルドのみ)に、セーブポイントへの帰還──DMMO-RPG──ユグドラシルというゲームにおいては不要なシステム──を可能にするアイテムクリスタルが“ひとつ”授与され、それを単体で使用、あるいは「装備品の一部」として武器に付与・携行することで、セーブポイントに戻ることができる(ただし、終了したイベントのボス部屋や、世界級(ワールド)アイテムの防衛機能が働いているなどの特殊なフィールドでは使用不可になる)ことが、第二。

 さらに、第三として。

 

「この魔法の初動……セーブポイントの設置には、データ量・魔力量を消耗することで有名なの。一般的な武器や防具に込められる容量を大幅に超過しているから、必然的に、この魔法を込められる器は極めて限定される。その制限を打ち破れる武器と言ったら……分かるでしょう?」

「そ──それが、ギルド武器、と、いわすこと?」

 

 無論、ギルド武器に限った話ではない。

 広大なユグドラシルの世界において、大魔法を込めるのに最適化した・大容量データを詰め込める武装──神器級(ゴッズ)アイテムや第十位階まで封じ込める魔封じの水晶などがあり、たいていの場合はそちらに込めることが大前提となる。

 しかし、そういった大容量アイテムというのは課金ガチャか、最上級ランカー報酬、そして、ある程度のクリスタル生産能力を保有できるような大規模ギルドでしか手に入らない、ウルトラレアな代物。

 ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)に属していた当時のカワウソのプレイスタイル――無課金主義の低級プレイヤーたちでは、まったく手が出ない代物であった。そもそも、それほどウルトラレアなアイテムを、たかだか『セーブポイントを創るだけの魔法』で消耗するなど、馬鹿げている。ありえないと言っていい。それこそ他の魔法を、第十位階の中に様々ある、ド派手で美麗な広範囲殲滅魔法を組み込んだ方が、万倍もマシなはず。アインズたちが正気を疑うのも無理からぬ暴挙だ。

 アルベドの説明に、アインズが補足を行う。

 

「無論……無論、魔法詠唱者や魔法戦士などが習得し発動することも可能ではあるが、はっきり言って、その魔法を取得し使うメリットが、プレイヤーには少ない。自分が死亡しても、復活魔法や蘇生アイテムを使えば、事なきを得られるはずだからな。それはあくまで、復活魔法を使えない職業のソロプレイヤーが、難解なダンジョンやフィールドで蘇生アイテムを失った時……残った余剰魔力を無駄にしたくない時にのみ発動させる、ただの保険的なものに過ぎない。この魔法のメリットは、せいぜいが「冒険の利便性」や「再攻略の簡易化」を期してのもの。

 だが、そのあまりの使い勝手の悪さで、枠を潰してまで習得するプレイヤーは多くなかったし、かくいう私も、取得しようとさえ思わなかったほどだ。おまけに、武器やアイテムに込められた状態の、というか、この魔法の絶対発動条件を考えると……とてもギルド武器には……」

 

 アインズは重く、深い思考に意識を沈ませるようにして黙りこくる。

 ユグドラシルにおいて、取得できる魔法には限りがある。イベントをこなしたりすることで上限を解放することもできるが、それにも限界がある以上、魔法を取得する際には絶対的に取捨選択を迫られることが多い。

 そんな中で、『セーブポイントの創設』という魔法に魅力を感じられなければ、それを無暗(むやみ)に取得する必要性など絶無だ。貴重な取得枠を一つ潰すほどのメリットなど、この魔法にはまったく存在しない。使い勝手の劣悪さが顕著に過ぎる上、より位階の低い復活魔法などを修得した方がDMMO-RPGにおいて有用であるという事実が、その認識を加速させる。

 しかも、この魔法の使い勝手の劣悪ぶりは、天井知らずなことこの上ない。

 カワウソは、〈闘争の中継〉の最後の発動条件を、気安い感じで呟く。

 

 

 

「知らない奴もいるようだから教えようか?」

 

 堕天使は微笑んだ。

 

「この魔法は、闘争を中継(セーブ)するその特性上、クリスタルや武器が破壊された時──

 ああ、つまり……『敗北』した時に“のみ”──発動する仕掛けなのさ」

 

 

 

 知っていたアインズ、アルベド、デミウルゴスは深い沈黙を保った。

 代わりに、

 

「……はぁ!?」

「え、えええ?」

「何を──馬鹿な」

「アリエンダロウ!」

「そのようなものを……本当に、ギルド武器に?」

 

 知らなかったアウラが、マーレが、セバスが、コキュートスが、シャルティアが、愕然と目を見開く。

 

 ギルド武器の破壊……『敗北』は、即ち──ギルドの崩壊を意味する。

 にも関わらず、ギルド武器破壊を、「敗北を前提とする」魔法を込めるなど、ありえない。

 カワウソは彼らの驚く顔を当然の反応と受け止め、手中にある壊れた剣に、視線を落とす。

 これと同じ剣を創っていた時の、かつての思い出が、瞼の裏に浮かびかけてしようがない。

 

 楽しい笑い声が、

 カワウソを呼ぶ音色が、

 記憶の水底から響き聞こえる。

 

 少しずつ、ほんのちょっぴり、両の目の視界が潤み、ぼやけ始めた。

 カワウソは、この朽ちた剣に(あわ)せて組み込んでいた大切な映像データ……みんなと過ごした時の記録情報を、再生。

 空間に浮かび上がる映像には、世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の、メンバーの姿が。

 黄金の髪を伸ばした、聖騎士の王たる少女──ギルド長のリーダー。

 カワウソの……かけがえのない……12人の仲間たち。

 

「かつて、俺たちは、……いいや、……俺は、俺だけ(・・・)は…………“誓った”」

 

 誓ったんだ。

 

 あの日に。

 

 あの時に。

 

 

 

 

 

 … 

 

 

 

 

 

「なぁ、やっぱり他の攻撃魔法とかを込めた方がよくないか?」

「あら、そう?」

「一応──全体会議で決めましたよね?」

「でもさぁ、カワウソさん。やっぱり、ない方がよくないかな? ……『ギルド武器が破壊されなきゃ発動しない魔法』なんてさ」

「言いたいことは判るけど、リーダーが提案して、多数決で決めたことじゃん」

「しかも全会一致でww」

「まぁ……でも、いざやってみると、データを圧迫している感が半端ないんだが?」

「それは言わない約束だろう?」

「自軍鼓舞、数秒間能力三倍、魔獣召喚に大魔法――現状のデータ量だけで見ると、ほんと神器級(ゴッズ)超えだよね」

「ランカーギルドだと、ギルド武器は全部世界級(ワールド)じみた性能だって話」

「まったく手が出ないよな。一体どんな裏技が使われているのか」

「課金じゃない?」

「課金でしょ♪」

「課†金†一†択」

「課金だよね、やっぱ」

「チートでも使ってないのかしら?」

「運営にBANされるのが関の山だろ?」

「そうなったらなったで、ランキングの席が一つ空きますなwwwドゥフフフwww」

「空いたところで何になるのよ?」

「ウチらみたいな万年ランキング圏外、1000位以下の弱小ギルドじゃ……ねぇ?」

「デスヨネー」

 

 爆笑。

 

「みんな、ごめんね。ボクのわがままに付き合わせて」

「……なにを謝ってんのかねぇ、この子は」

「皆、リーダーの、ギルド長の考えには納得していますから。……ですよね?」

「そうそう♪」

「カワウソさんの言う通り!」

「アンタの気持ち、ちゃんとわかってるから」

「うん。ありがとう……みんな! カワウソさん!」

「いえ、こちらこそ!」

「――あれれ? 何だかいい雰囲気?」

「確かに♪」

「リア充は永遠に爆ぜていればいいのDEATH」

「嫉妬すんなって、ネカマ」

「ネカマの人権を侵害しないで下すお!」

「いや、どうでもいい。あと語尾おかしい」

「も、もう! 何言ってるんですか! ……すいません、カワウソさん」

「い、いえいえ」

「よっ! 御両人!」

「青春……羨ましいわぁ……妬ましいわぁ」

「こらこら。嫉妬すんなって自分で言ったんでしょが」

「おーい。買い出し終わったよー?」

「ただいまです」

「あ、おかえり」

「おかえりなさい」

「おかえりん♪」

「二人とも、必要なモノは揃った?」

「買いだせる素材については、これで全部ですかね」

「おかげでウチの金庫はすっからかんだー! 狩りが(はかど)るねー?」

「あと必要なのは、ミストルティンの木の葉が三つ、世界樹の黒金(くろがね)の果実が四つだな……青生生魂(アポイタカラ)十、緋緋色金(ヒヒイロカネ)十、原初の炎と氷、白金と黄金と赤金と青金の果実、召喚の巻物(スクロール)と極大クリスタルは、もう必要数あるから──」

「次と次の狩りで最後ってところか?」

「どっちも一日で全部ドロップしたら、な」

「道のりは長いねー」

「苦難の先にこそ、信じる未来が待ち受けるものです」

「それ†宗教?」

「いや、学校の校訓」

「ええええ?」

「まぁ、それにしても、ウチのリーダー、ギルド長は大胆なことを思いつく」

「〈闘争の中継(セーブ・ザ・ウォー)〉。武器や器物破壊が前提条件の、『敗北すること』ではじめて発動する魔法を、よもや、『敗北したら破壊される』ギルド武器に組み込もうとは──普通、思いつくはずないですよ」

「レアな課金アイテムでやることだろうに。ねぇ?」

「あんな人気のない魔法を修得するプレイヤーなんて、普通いないからなぁ」

「取得枠の限られるウチらみたいな無課金の低級じゃ、とてもねぇ。もっと他の強力な魔法を覚えた方が、生存率あがるはずだし」

「いや、まったく。いくらユグドラシル広しと言えども、こんなギルド武器を持っているのは、我々だけでしょう」

「え、えへへへ」

「でも」

「うん」

「あんなこと言われたら納得するしかないっての」

「あれね」

「同感♪」

「カワウソくんー、覚えてるー?」

「えと確か……

『たとえギルドがなくなっても、もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したいから』……ですよね!」

「うんうん」

「いやぁ、あれにはビビった」

「私、女だけどリーダーには抱かれてもいいわ♪」

「私も」

「アタシも」

「俺も」

「おまえは黙ってろ」

 

 大爆笑。

 

「それじゃー。いつものあれ、やろうかー?」

「うん! お姉ちゃん! みんな!」

 

 槌矛(メイス)を担ぐ人の造りし哀れな怪物(フランケンシュタイン)の修道士の提案に、“聖騎士の王”たる少女は頷き喜んで、背負った両手持ちの聖剣を鞘走らせる。

 天へと差し向けられた聖剣から順に……副長の槌矛(メイス)。補佐のグローブ。樹杖。鋼鉄杖。弓矢。指揮棒。大太刀。戟。水晶玉。番傘。狙撃銃……最後に、天使の握る片手剣が、高々と掲げられた。

 ギルド長から順に、お決まりの文句を紡ぎ、繋いでいく。

 

「ボクたち!」

「私たちはー!」

「たとえ!」

「世界が!」

「滅び!」

「この!」

「ギルドを!」

「失おうと!」

「心は!」

「いつも!」

「ひとつ!」

「DA†ZE!」

 

「皆――誓いますか!?」

 

「「「「「「「「「「「「「 誓おうっ!!! 」」」」」」」」」」」」」

 

 

 

 交わる十三の武器を──意志を──宣誓を──天へと捧げた。

 人と亜人と異形……全員で、皆で、肩を組み合い、手を叩いて、笑い合った。

 

 

 

 あの時の真摯な誓いを、皆の想いを、朗らかな笑い声を、

 

 少なくともカワウソは……疑ったことなど……なかった。

 

 

 

 

 

 … 

 

 

 

 

 映像は終わった。

 終わったのに、笑い響く声が、続いて聞こえる。

 

「──は、ハハハ」

 

 わらう声は、

 泣いているような笑い声は、

 

「アは、はは……くはハハハハ、ハハ、ああはははは……」

 

 堕天使の口元を、グシャグシャに罅割れさせる。

 パラパラとこぼれる硝子(ガラス)片のような水滴が、玉座の間に落ちる

 

「は、はは、ハッ、ハハっ、はッ────まぁ。結果として、その誓いは果たされなかったわけだが」

 

 潤み続ける視界とは対照的に、渇ききった笑い声が零れ続ける。

 うすら寒いほどの虚無感で、自分の中心がごっそりと抉られる。

 

『たとえギルドがなくなっても、もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したいから』

 

 その約束は、反故(ほご)にされた。

 ナザリック攻略失敗に伴う仲間たちの離散。メンバーのユグドラシル引退。

 残されたのは予備として――ギルド武器が壊された後、即座に再集結できるよう、攻略を保留しておいた新拠点「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」と、残ったメンバーがカワウソに遺品として残した金貨や装備、アイテムの数々。

 それらをやりくりすることで、カワウソはほぼたった一人で新ギルドを創設し、Lv.100のNPCを十二体も創造することが出来た。

 

 だが、

 それからの日々は、

 ひたすらに──――空虚だった。

 

 仲間を模して創り上げたNPCたちを、かつてのギルメンたちと同等に扱って過ごしたのは、一週間で頓挫した。それ以降はことさらに無視しようとしたが、気がつけば独り言を聞かせることが多くなった。頭がどうにかなりそうだった。外でPK集団に囲まれて、狩りの成果を奪い尽くされた日とか。リアルで仕事のストレスが溜まりすぎた時は、特に。あまりにもつらすぎて、当時……同士討ちなど不可能だったNPC(ミカ)を、サンドバック代わりに殴ったりしたことまである。

 

 はっきり言って、クズみたいな所業だ。

 女々しいを通り越して、人格異常者の域に達していると言われても、まったくもって否定できない。

 

「……でも」

 

 熱く滲む眼で、カワウソは己の思うことを、ただ言い募る。

 

「でも」

 

 仲間たちが自分に背を向けたとしても。

 

「それでも」

 

 あの日の誓いを踏み(にじ)られたとしても。

 

「だとしても……」

 

 あの時に(いだ)いた、

 自分の想いは――

 誓った言葉は──

 

 

 

「本物、だったんだ……」

 

 

 

 どこまでも優しく響く音色が、硝子(ガラス)のごとく明るい笑みと共に、こぼれる。

 

 それこそが、カワウソにとっての根源だった。

 すべて(・・・)──“だった(・・・)”。

 

 家族も友人もなく、恋なんて甘酸っぱい思い出も何ひとつない孤独な人生の中で、人間らしさなど望みようがなかった生を茫漠と過ごしてきたカワウソ──若山(わかやま)宗嗣(そうし)にとって、仲間たち皆との出会いは、対話は、思い出たちは、確かに、この胸の内から熱い思いを(たぎ)らせ、瞼の淵から暖かなものを頬に伝わせる。

 

 今も。

 今でも。

 

 

 

「ああ、楽しかったぁ……ああ、本当に……たのしかったんだ」

 

 

 

 ギルドの運営について揉めに揉めた。

 素材集めの為に休日を一日費やした。

 全員で雑魚イベントのボスを倒した。

 報酬の金貨で皆とたのしく豪遊した。

 オフ会でリーダーの実年齢に驚いた。

 けれどメンバーの絆は一層深まった。

 ギルドの防衛戦を全員で考え抜いた。

 拠点NPCの画や設定を試行錯誤した。

 

 ……………………そんなある日。

 

 1500人の討伐部隊の末席に加わった。

 上位ギルドの脅迫じみた要請に屈した。

 ナザリックの攻略について話し合った。

 不安になる自分を皆が勇気づけてくれた。

 負けるはずがないと──皆が言ってくれた。

 

 ……その結果は、ご覧のとおり。

 

 だが──

 

「たとえ、あんなことになったとしても……俺は、……俺は……ッ!」

 

 滲む視野をいっぱいに見開き、かつての記憶を、仲間たちとの思い出を幻視してしまう。

 

 ──ひとりぼっちだった自分を、

 ──仲間たちが救ってくれた。

 

「あ……………………あ、あ?」

 

 ──カワウソさん。

 

 手を差し伸べてくれる女騎士の声が、耳に心地よい。

 修道士の副長が頷き、女英雄と賢者と魔術師、忍者と音楽家、武士と剣士と巫女と芸者と銃使い……かつての仲間たち……全員の、姿が、見える。

 そんな暖かな幻影に向かって、思わず手を伸ばす自分が、おぞましい。

 

 ここは、ナザリック地下大墳墓、その第十階層……玉座の間。

 目の前の現実は、まったく容赦なく、カワウソを叩きのめして地に墜とす。

 

 ── 仲間は、彼らは、もう、どこにも、いない ──

 

 彼らを模して造ったLv.100のNPCたちも、そのほとんどは……

 その事実を痛いほど理解して、堕天使の伸ばしかけた右手が、ダラリと落ちる。

 

「皆と出会えて、……ほんとに、本当に……幸せだったんだ」

 

 いつの間にか。

 止めどなく溢れる熱が、黒く醜悪な眼から零れ落ち、頬を幾筋も濡らし堕ちていく。

 自嘲の表情は消え去り、まるで幼児特有の、くだらない宝物(たからもの)を自慢する子どものような──無邪気すぎる微笑が、堕天使の(かんばせ)を覆い尽くしていた。

 

「なのに…………ナノニッ!」

 

 数瞬の後、その至福の(かんばせ)に、憎悪にも似た怒りの炎が燃え上がり、すべてを灰と化す。

 カワウソは思い出す。

 思い出されてならない。

 連絡が取れなくなったリーダーや仲間たち。

 惰性的に新拠点獲得に付き合ってくれた、残存メンバー。

 そして、あの別れの日に浴びせられた、──あの、……最後、の──

 

 

 

 

「ふざけるな!」

 

 込み上がる怒気に蓋できず、涙がこぼれる感情のまま、吠えて叫ぶ。

 

「あそこは! 皆で創り上げた世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)だったんだぞ!

 なんで! あんな! 簡単に! ……簡単、にっ!!

 ──()てることが出来るっ!!!!」

 

 

 

 

 アインズは──笑っているのだろうか。

 あるいは何かを思い出したかのように、彼はいきなり口元を震える掌でおさえ──何も言わない。

 笑われて当然。

 こんな馬鹿げた思いを懐いて、ほとんど関係のない(アインズ)に、やつあたり同然で復讐を挑むなど、どう贔屓目に見ても失笑ものだろう。

 カワウソは静かに、言葉を詰まらせそうになりながら、彼に構わず、語り続ける。

 泣き濡れっぱなしの声で、瞼の淵から零れるものと共に、はっきりと、言い募る。

 

「ッ、おまえに、アインズ・ウール・ゴウン、にぃ……復讐したところでぇ……なんの意味もないって、わかってるぅッ」

 

 それどころか。

 復讐の対象にすることすら、お門違い。

 あれは、あのギルドの崩壊は、完全にカワウソたちの問題……失態だった。

 いくら上のギルド連中の──雇い主からの要請を受けて、弱小ギルドの最大最高の装備を持ち出して、攻略に挑むことが厳命されていた(暗に……受けなければ「どうなっても知らないぞ」と脅されていた)としても。何よりも強力無比だが、「破壊」は即ち「ギルド崩壊」という武器を持ち出し、そして破壊された責任は、すべて、カワウソたちだけのもの。

 ──破壊されたとしても、カワウソ達はきっと、また同じ冒険に繰り出す仲間として再集結を果たすと、そう誓っていたからこそ、あんな暴挙を敢行できた。

 その結果は、ご覧の通り、惨憺(さんたん)たるもの。

 滑稽の極みだ。

 そもそもにおいて。攻略失敗後にメンバーが離散したことからしても、完全にこちらの身勝手……仲間たちの裏切りでしかない。それはわかっている。

 カワウソが懐くほどの情熱を、ただのゲームに注ぐことを期待するなど、間違いだ。皆にも生活があるし、ゲームに飽きもする。それもわかっている。

 

 それでも、どうして、──どうしてあんなことになってしまったのか。

 

 いくら第八階層のあれら……「死」そのものに変貌したような星々に恐慌したとしても、ナザリック地下大墳墓の防衛能力がチートじみていて再攻略しようと思うことさえ馬鹿らしいと……そう思えたとしても。

 もっと当たり障りのない、よくある別れになっていたら──誰も彼もが裏切るように、ユグドラシルから去っていくことがなかったら…………

 だから、これは、カワウソの我儘(わがまま)でしかない。

 

「でも」

 

 我儘だと知っていて、我儘だと(わか)っていて、堕天使は壊れた剣を握る両手に力を込める。

 掌が痛むほどの力で、そこにある“壊れたモノ”に、ガラクタに、残り滓に、──(すが)りつく。

 わかっていても、心が、精神(こころ)が、思い出(ココロ)が、カワウソの五体を衝き動かしてしようがない。

 

「それ、でも――俺は、――俺はッ!」

 

 カワウソは己の復讐の対象を、“その名を冠したプレイヤー(アインズ・ウール・ゴウン)”を、濡れ潤む瞳の奥に灼き付ける。

 瀕死の獣が噛みつくかのように、狂える堕天使は胸をかきむしりながら吼えたてる。

 

 

「おまえに挑まなくちゃ! もう、一歩も前に進めない!

 おまえと戦わなくちゃ……皆との誓いを、果たせない!」

 

 

 たとえ、誓いを果たそうとするのが、自分(カワウソ)一人だけだったとしても。

 たとえ、相手がたった一人きりの、アインズ・ウール・ゴウンなのだとしても。

 

 

「ッ、俺だけは!!

 あの日の誓いを嘘にはしない!!

 ……嘘にして、たまるものかッ……!!!」

 

 

 ──もう一度、皆と一緒に、そこ(・・)へ戻って冒険したい──

 ……きっとまた、そこ(・・)へ戻って、冒険を、続けるって……

 

 

   ボクたち

   私たちは

   たとえ

   世界が

   滅び

   この

   ギルドを

   失おうと

   心は

   …………こころは…………いつも…………いつも……………………

 

 

「誓った。

 ────誓ったんだ。

 オレは…………オレだけは(・・・・・)ッ!!」

 

 

 両手に掴む剣を硬く握りながら、朽ちた刀身に涙を零す。

 やりきれない思いが、心臓を幾万の剣となって穿ち抉る。

 

 カワウソまでもが誓いから背けば、彼らとの絆は、思い出は、何もかも崩れ去ってしまう。

 これまでの月日が、準備が、苦悩や葛藤のすべてが奪われ、虚無の彼方に、堕ちてしまう。

 

 嗚咽を吼声に、悲嘆を戦意に、弱気を勇気に、誓いを誓いのままに、

 堕天使は思い、──想う。

 

 絆は断ち切られ、約束は裏切られ、それでも、カワウソにとって仲間たちとの思い出を──誓いを──残された「すべて」を──カワウソ自身が断ち切り、裏切るなど、けっして認められない。受け入れることは出来ない。

 

 裏切られたから、(なかま)を裏切っていいという選択肢は、カワウソには、ありえない。

 カワウソは、仲間を裏切ることだけは、できない。

 

 誰も彼もが、カワウソを笑った。

 誰も彼もが、カワウソの挑戦を嘲った。

 誰も彼もが、カワウソの生き方と在り様を馬鹿にした。

 誰も彼もが、カワウソの誠意を──あまりにも下らない執着を、狂気を、理解できなかった。

 

 裏切ればよかった。

 見捨てればよかった。

 何もかもを諦めて、忘れて。

 カワウソは──また、ひとり──

 

 ──いやだ。

 …………いやだ!

 それだけは、いやだ!

 絶対に、絶対に絶対に、いやだ!

 

 切なさが臓腑を芯まで凍えさせた。

 誠実さとは似て非なる、ただ“我儘”に過ぎるガキの主張が、玉座の間に響く。

 何もできなかった、何も捨てられなかった、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。

 

 それでも。

 だとしても。

 心が張り裂けそうなほどに、堕天使はかすれそうな声で、きっぱりと、布告する。

 

「──だから、……ああ、だから!」

 

 たった一秒で。鋭く抜剣する右手。

 振るえばシャンと澄んだ音色を響かせる聖剣の先に、彼の者の姿をとらえ睨み据える。

 玉座に座す「死」の支配者に、復讐を誓う堕天使は、ただひたすらな眼を差し向ける。

 

 

 

 

「俺と戦え!! ──“アインズ・ウール・ゴウン”!!!!」

 

 

 

 

 どこまでも憐れで、どこまでも切実で、どこまでも孤独な響きが、広大な空間を満たした。

 

 彼が――アインズ・ウール・ゴウンが、カワウソの宣戦布告に応じる必要性など、皆無。

 居並ぶ守護者たちNPC、控えているであろう伏兵、拠点にあって当然のデストラップを使った飽和攻撃で蹂躙されてしまえば、カワウソたちはつたなく死に果てる。

 ――“だろう”では、ない。

 それは、もはや絶対の結果。

 予感や予期ではない、確実な未来の事象として、カワウソは己の命の最後を実感している。

 

 ここで死ぬ。

 確実に死ぬ。

 死を、当然のものと受け止める。

 

 だから堕天使は、文字通りに死の支配権を握る超越者(オーバーロード)の言葉を待つ。

 

 涙を流し、鼻水をすすって、奥歯を噛み締めたまま、待ち続ける。

 

 

 

 

 

「――いいだろう」

 

 

 

 

 

 震える声が聞こえた……気がする。

 何を言われたのか、すぐに飲み込むことができなかった。

 カワウソの背後に控えるNPC二人は勿論、玉座の間に居並ぶ守護者たちも、疑念と不安を覚えたような顔色を浮かべ、声の主を見やる。

 

「いいだろう。──相手をしようとも」

 

 いっそ静穏なほど、耳朶に快い音色が響き渡る。

 吐き出された言葉は、宣戦布告の受諾に他ならない。

 アインズは骨の掌を差し出し、手招くように握りしめた。

 

「旧世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)メンバー……

 そして、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)ギルド長……カワウソ……」

 

 アインズは深く──深く、宣する。

 ――君の宣戦布告に応じよう、と。

 玉座から立ち上がった死の支配者は、轟然と拳を振るい、黄金の杖を突いて、決定を下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これより、アインズ・ウール・ゴウンと君たち、三対三の、チーム戦を執り行う!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




カワウソの旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の「誓い」は、
 第三章・最終話「過」
 第六章・第八話「欲望と希望 -1」
このあたりで説明されていたものになります。

次回、第九章最終話

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