オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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第九章 玉座の間にて 最終話


開戦

/The 10th basement “Throne” …vol.03

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 三対三のチーム戦は、双方の準備と作戦時間として三十分の猶予が設けられた。

 アインズ・ウール・ゴウン側は、アインズの護衛役となる二人の選出も行わねばならない上、装備についても色々と見直す必要があったらしい。

 アインズはこの戦闘において、基本ルールを二つ指定してきている。

 

 一つは、双方、世界級(ワールド)アイテムの使用は全面禁止。

 

 カワウソは首をひねった。アインズ・ウール・ゴウンたちの保有する世界級(ワールド)アイテムで蹂躙してしまえばいいはずなのに、アインズはカワウソたちとほぼ対等な条件下での「決戦」を望んだ。カワウソの保有する“亡王の御璽”は、一度の発動につき膨大なリキャストタイム(十日間)によって使用不可な状況にあるのだが、アインズ曰く「そこを考慮して」ということらしい。アインズがカワウソの供述した御璽の発動要綱を疑うことがないのは、万能と思われる世界級(ワールド)アイテムにも、少なからず弱点が存在することを知り尽くしていたからだ。カワウソの語る「240時間のリキャストタイム」の存在というのは、彼らが表層から第八階層で示した「10分間の無敵化」という破格の性能にふさわしいだけのデメリットを示している。疑う余地もなく、カワウソはもう、御璽を使うことは出来ないと確信できるほどの弱点であった。

 それでも解せないのは、何故わざわざアインズは、自分たちの世界級(ワールド)アイテムを封じたのか──アインズ・ウール・ゴウンのみぞ知るところであった。

 

 もう一つは、チーム戦はあくまで、「三対三のみ」で行うこと。

 

 チームには当然、双方のギルド長であるアインズとカワウソが参戦する流れとなったが、これは彼が玉座に招集した各守護者たちをしても瞠目させた。欠員が出ても、あとから補充するようなことはしないと、最初に明示されたチームメンバーでのみ戦闘を継続することが決まって、さらに驚愕の悲鳴があがった。魔法や特殊技術(スキル)での作成召喚モンスターは、攻撃手段として有効。アインズは天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の未知の伏兵を気にしているようだが、カワウソがここまで引き連れることがかなった戦力は「ミカとクピドの二人だけ」で、完全にカワウソ側が有利だと見える。アインズは、主人の言を疑念し制止しようとするデミウルゴスやコキュートスなどを静かに(さと)し、この条件を厳守させた。ナザリック側がこれを破れば、その時点で「“アインズ・ウール・ゴウンの敗北”とする」という誓言までアインズ自身に立てられては、彼らは主人の決定に従うほかない。さらに言えば、アインズはこの玉座前に鎮座しているデストラップ――クリスタルからの精霊召喚やレメゲトンの悪魔など、他の戦力投入も一切ないことを確約してきた。

 これまた、カワウソたちを厚遇しているようにも思えて、そこが奇怪と言えば奇怪だった。

 

 

 

 

「奴らは、どういうつもりなのでしょう?」

「さあなぁ……ただ、これはチャンスだろうよぉ」

 

 あのアインズ・ウール・ゴウンが、正面切っての決戦、チームによる決闘を受け入れてくれたことは、ミカとクピド──カワウソたち天使の澱にとっては、文字通りに「千載一遇の好機」である。

 というより、これを(のが)してしまえば、もう二度と、あの魔導王と、死の支配者と戦うことは不可能だ。

 天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の残存NPCは、ミカとクピドの二人のみ。第八階層に置いてきた……おそらく占拠されただろう拠点に残してきたゴーレムやメイドたちは、もう……

 ならば、この決戦が、最初で最後のチャンスなのは、確実な事実。

 だが、それでも、NPC(ミカとクピド)たちは解せない。

 どうして魔導王(アインズ)は、わざわざ危険を冒してまで、この戦いを承諾したのか?

 自ら大量に所蔵するはずの世界級(ワールド)アイテムの使用を封じ、守護者たちからわずかな護衛二人のみを選抜するという──奴らの狙いは……魔導王の意図は……なんだ?

 

「もしや。この隙に、我々の拠点奥に安置された、アレを狙って?」

「……ギルド武器かぁ?」

 

 隊長がアレといったものを、クピドは即座に理解する。

 拠点奥に蔵されて久しい、“天使の澱”の中枢と言っても差し支えないもの。

 アレを、ギルド武器を破壊されてしまえば、その時点で、NPCであるミカとクピドの命は尽きるだろう。

 かつて、創造主であるカワウソが経験したという、ギルド崩壊と同じ末路だ。ギルドの象徴であるギルド武器を破壊されれば、ギルドは崩壊し、ダンジョンは元の姿に戻り、当然のごとく、ギルド拠点のポイントによって創造された拠点NPCたちの存在は無に帰する。

 彼らアインズ・ウール・ゴウンは戦うまでもなく、ここまで辿り着いた賊を、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を、いとも簡単に破滅させられる。ミカとクピドが消滅すれば、自分たちの至高にして唯一絶対の主人・カワウソは、一人で連中と戦い、そして蹂躙される運命を迎えることになるわけだ。想像するだに恐ろしい、完璧な作戦である。

 

「ふむ、確かに……ありえるかも、な……だがぁ」

 

 クピドは言葉を口内で転がす。

 それならば、どうしてわざわざチーム戦を行う。

 連中は、時間稼ぎをしている──とは、どうにも見えない。

 本気で、アインズ・ウール・ゴウン……死の支配者(オーバーロード)の姿をしたギルド長は、装備の交換やアイテムの確認を急ピッチで行い始めている。六人の武装したメイドたちを急かし、どこからか持って来させた装備を身に纏い、空間から棒状のアイテムを数本取り出して腰のベルト部分に差し込むなど、確実に戦闘準備に勤しんでいた。

 明らかに、連中は堕天使と天使たちへの対策に身を固めつつある。

 あれらが全て演技演出の類だとすれば、連中はとんでもない役者であると喝采してしまっていいだろう。

 

「我々を油断させる意図が?」

「そんなことをしなくても良いと思うがぁ?」

「では、我等のギルドを残しておきたい、理由でも?」

「ふむ……ありえる、かぁ」

 

 連中の話だと、アインズ・ウール・ゴウンがこの異世界で、本格的に他のギルドと事を構えるのは初めてと聞く。他のギルドの拠点を残しておいて、カワウソたちを捕縛あるいは封印でもして、使用権を奪取するなどの企図があっても、何ら不思議ではない。そんなことが可能かどうか、NPCでしかないクピドたちには(あずか)り知らぬことだが。

 とにかく、あれこれ考えても(らち)が明かない。

 クピドはミカほどに頭脳面で優れているわけでもない“兵隊”なので、とりあえず簡潔な事実だけを、告げる。

 

「いずれにせよ、御主人は戦うつもりだぁ。ならばぁ。我々も、またぁ」

「──戦うだけ」

 

 唇の端を吊り上げるクピドは、巨大な愛銃・対物ライフルの絶好調ぶりを確かめるように撫でてやる。

 ミカもまた、主人である堕天使と共に戦う時までを、静かに過ごす。

 そんな二人を一顧(いっこ)だにせず、彼は、主は、カワウソは、開戦の時を待つ。

 この拠点に乗り込んだ時点で、装備もアイテムも、十全な状態で整えられている。魔法などによる強化(バフ)はさすがに尽きているが、それも開戦ギリギリまでかけ直す必要はない。魔力は時間経過によって回復するため、表層での戦い以降、こうしてクールダウンする時間が多いほど、天使の澱の三人が消耗した魔力は回復できていく。なので、カワウソにしてもアインズが提示した猶予時間の存在は、むしろ望むところであったわけだ。

 実に冷徹で、完璧な差配といえる。

 

「ていうか、隊長ぉ。何度も言っているが、俺に対してそんな律儀に敬語を使う必要はねえぞぉ?」

 

 赤子の見た目で『大好きなのは、酒と女と金』という、かなり俗っぽい……下衆(ゲス)な設定をされたクピドは、女性とはもっとフランクに、きどった感じのない関係を求める軟派(ナンパ)男な一面がある。

 さらに。自分たちは唯一にして同一の創造主を戴く、真の同胞。本来は上も下もない──役職上の儀礼に即した言動をするだけで、階梯としては完全に横一線に並ぶ同格者たちだ。これはレベルの強弱も関係ないため、屋敷のメイド隊十人や、門前に控えるように設置されたシシやコマたちも同じである。

 故に、いくら防衛部隊の隊長職を拝命している女熾天使であっても、もっと壁を感じさせない声を聴きたいというのが、クピドの希求する付き合い方であった。

 しかし、ミカは同胞の性癖・設定を毛嫌いしているでもない調子で、ひそめた声を交わすだけ。

 

「──あなたは、カワウソ様の旧ギルドにて、カワウソ様の大恩人という方の造られたNPCと同じ形状、同じ種族(キューピッド)。それ故に『敬意を払われる』という風に設定された傭兵なのですから。多少は」

「ああ、そうかいぃ」

 

 ミカたちと同じ創造主に創られたクピドであるが、彼だけは設定の上で、カワウソの「旧ギルドの拠点NPC」の生まれ変わりのように定められた(無論、クピド本人にはそんな意識などさらさらないが)。かつては愛欲の弓矢──魅了魅惑を司り、人々の融和と信愛を深めた使者として創造された赤子の天使が、旧ギルド崩壊に伴い、今のような、サングラスをかけ銃器と爆薬に身を包む兵隊──グレた赤ん坊のごとくなり果てたとか……そういう感じだ。

 だが、クピドたちにとって、カワウソの大恩人とやらや、旧ギルドの仲間とやらは、そこまで重要な対象とは見なされない。何しろ彼らのほとんどはユグドラシルを去り、カワウソが天使の澱を築いた頃には、ほとんどが永遠に会うことのない他人になりさがった……創造主(カワウソ)を「裏切ったモノたち」に過ぎないのだから。

 だから、本当を言うと、その発端となった、カワウソが「仲間」と呼ぶものらと別れる原因となったギルド:アインズ・ウール・ゴウンに対する敵愾心というのも、そう強く設定されているミカに比べれば、クピドはさほども感じては、いない。外にいる有象無象……ギルドの外で“狩り”を行い、ナザリック地下大墳墓への挑戦へ向かうカワウソを、幾度となく殺し、拠点に死に戻らせるほどに危険な存在だという……そういう認識くらいしか、クピドは懐くことはなかった。

 クピドはLv.100NPCの中で、カワウソの手によって生み出された順序だと、最後に位置する傭兵の兵隊であり、転移などの空間系能力に秀でた存在。

 その能力故に、“格納庫”と呼ばれる大容量のアイテムボックスを多数所持した、赤子の姿をして空を舞う「武器庫」というのが、彼の役割。ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第三階層“城館(パレス)”に侵入したモノ共を、その特殊能力と銃武装の数々で圧倒するように配置された遊撃手が、クピドという傭兵天使の戦闘スタイルであった。

 クピドは自分たちの設定を思い起こすたび、その中でも酷烈といってよい一節を加えられたミカに同情する。

 

「隊長も、難儀なもんだぁ」

「? なにがです?」

「俺への対応も“設定”というのなら、隊長の“あの設定”も……いいや、なんでもねえやぁ」

 

 言うだけ「無粋」というもの。

 我らの女隊長は、実直に誠実に、創造主の設定どおりに行動するのみ。

 その事実を理解しつくす防衛部隊の傭兵天使は、銃火器と格納庫の残数を確かめつつ、開戦の時を待つカワウソの背中を、ただ見守るのみ。

 そんな赤ん坊の横で、祈るように光剣を持つ両手を組み合わせた女天使は、『嫌っている』と設定された、創造主の身を護る戦いに、挑むだけ。

 

 この玉座の間での戦いで、自分たちの終わりを確信しながら、天使の澱のNPCは、開戦の時を、主人と同じように待ち続ける。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「この戦いには、私、アルベド、シャルティアの三人で挑む」

 

 アインズの宣告に、抗弁し意見を具申するものは限られていた。

 戦闘準備のため、戦闘メイド(プレアデス)のナーベラルを経由して、宝物殿のパンドラズ・アクターから十分な量の装備やアイテムを送らせている。もちろん、アインズは天使対策について万全の態勢を整えてこそいるが、さすがに今回のような事態は想定から外れていた。

 

 選抜を受けたのは、アインズの前衛を務める守護者二名。

 ナザリック最硬の盾たる女悪魔、この玉座の間での戦いを想定され配置されていたアルベド。

 ナザリック第一等の力を誇る吸血鬼、アンデッドでありながら信仰の力を司るシャルティア。

 

 この両名であれば、アインズを護り、敵を悉く突き穿つチームとして機能すると、すべての守護者たちが納得を面に浮かべる。ナザリックのLv.100──守護者の力の序列順で言うと低位に位置するアウラやデミウルゴス──「率いる猛獣を駆使した集団戦闘最強」や「変身能力に特化している炎属性の大悪魔」は、今回のような員数制限には不向きな戦闘スタイルや力の持ち主。力の序列第二位であるマーレ──殲滅能力にズバ抜けた森祭司(ドルイド)も、アインズが後衛役を受け持つ今回のチーム構成では、前衛一の後衛二というのは、かなりバランスが悪い。前衛二名がアインズという後衛を守護する形が、望ましい戦力配分といえる。では、他に前衛役をこなせそうな、アルベドと同率第三位のセバスについては、どうだろう。この老執事は肉弾戦において、アルベドやコキュートスをしのぐ。だが、飛竜騎兵の領地で、あの女天使・ミカの攻撃スキルや、アーグランド領域で白金の竜王・ツアーを相手にしていたカワウソの様子から判断するに、彼らはセバスの属する“竜”の種族に対する特効を発揮するはず。さらに、通常形態の今のセバスでは、本気セバスほどの出力は見込めないのが悩ましいところ。

 

「確かに、アルベド様とシャルティア様なら、問題なくチーム戦もできるでしょうが──」

「やはり、ここはコキュートスを、天使に対して特効を示す冷気属性を主体とすべきでは?」

 

 セバスとデミウルゴスの懸念と申告に、アインズは頭を振る。

 

「いいや。天使種族が冷気に対して脆弱性を示すことは、常識の中の常識だ」

 

 神聖属性や炎属性に特化したモンスターである異形種、天使種族。

 だが、“それ故”に、それへの対策構築、耐性付与や無効化は必須要件といえた。

 天使は、彼らの得意とする「炎」とは相性の悪い「冷気」に脆弱……コキュートスの元ネタと近い、ダンテの『神曲』に登場する地獄の最下層──そこに封じられたルシファーという天使もとい堕天使は、氷漬けにされて封じられているという逸話から、この弱点をユグドラシルの天使種族は設けられていた。

 アインズは告げる。

 

「そういったポピュラーかつ最悪の弱点というのは、ユグドラシルでは優先的に対策が施されるもの。だから、今回は悪いが」

「スベテ、完全ニ承知シテオリマス──アインズ様」

 

 主人の言わんとしている内容を、コキュートスは完全に理解しているように頷きを返した。敵が、完全に冷気対策を施している可能性が高いため、もしも冷気属性に最特化した第五階層守護者をぶつけては、これといった有効打を示せずに完封される危険性が大きい。コキュートスの強みは武器攻撃に長じている点もあげられるが、冷気を封じられては彼の本来の持ち味が生かしきれない可能性が強すぎる。なので、誠に遺憾ながら、コキュートスを今回のチーム戦に組み込むという選択肢は消去するしかなかったのだ。セバスと同様に、連中の判明している戦法や戦力・講じられているだろう弱点や対策を考慮するならば、同率第三位の三竦みの中で、『防御力』に完全特化したアルベドを前衛の“盾”に配置した方がマシなはず。

 そういった諸事情を……コキュートスがまるで役立たずに終わるような展開を忌避し、なによりもコキュートス自身の安全のためにも、アインズが凍河の支配者はさがらせるしかない事実を、主人に逆に護られる蟲の王は、嬉しいやら悔しいやら、言い表しようのない感情で、受け入れるほかになかった。彼はせめてもの力添えとして、アルベドに己の最も強力な武装を託しておくことを選んだ。

 

 今回の戦いは、三対三の、人数を完全に限定したチーム戦。

 

 まったく直前に、アインズが自分自身で決めたこととは言え、アインズの本来企図していた戦闘とは、まったく完全にかけ離れた様相を呈していた。

 本来であれば、この玉座の間で、カワウソから搾れるだけの情報を引き出し、良ければ講和や和睦、悪ければ鏖殺(おうさつ)し蹂躙する気満々であったアインズ。天使の澱への対策として、神聖属性などへの対抗手段や装備の充填は済ませていた守護者たち“全員”を率いて、愚かしくも勇ましい第八階層の攻略者たち──その残党である堕天使と護衛二体に対し、一方的な殲滅と全滅戦を展開するだけに終わるはずだった。

 こうして尋常に一戦交えるつもりなど皆無だったし、その必要性も必然性も薄すぎた。。

 だが、アインズはカワウソたちと、正々堂々、対等な条件下での戦いを、今や完全に希望していた。

 

「う~ん。せめて、もう少し人数が増やせればいいのに」

「だ、だめだよ、お姉ちゃん。アインズ様は、“三対三”って、そう決定されたのだから」

 

 この100年の成長で、年頃に成長し、本来の性別通りの装束に身を包んでいる闇妖精(ダークエルフ)の双子が言い合った。

 天使の澱の残存兵力──三名。

 公正かつ対等な勝負を望んだがための、アインズの下した決断が、三対三のチーム戦であった。

 敵の頭数と同じ数の員数で挑むことを、100年後の魔導王は即座に決断し、それを守護者たちも消極的ながら受容し尽した。

 

「しかし何故、対等な勝負を求める必要がありんしょうかえ?」

 

 本来「戦い」というものは、用意スタートの掛け声と共に始めるようなスポーツやタイマンとは違う。

 それこそ、双方の勝利条件や前提条件──戦況や立地、戦いに至るまでのプロセスや準備段階の差なども、すべてが統合・計上された上で、どちらかの状況が勝利か敗北かに傾くもの。実戦において、万全盤石なコンディションを揃えられたとしても、そういった状況に油断し慢心してしまえば足元をすくわれかねないし、圧倒的不利な状況を強いられながらも奇跡的な差配や作戦手腕、綿密な情報管制や兵站準備、あるいは増援や伏兵のタイミング次第によっては、弱者が強者に勝ち得るという例は、軍学史において山のように存在する。そして、逆もまた然り。

 だからこそ、アインズはカワウソが率いる天使の澱にまんまと出し抜かれた形で第八階層に侵入されたわけだし、逆にカワウソ達の方もナザリックの第八階層に閉じ込められてルベドに殺される一歩手前という失態を演じもしたわけだ。

 

 そんな状況の中で、アインズがカワウソと、彼というユグドラシルプレイヤーと、対等な勝負にこだわった、理由。

 

「少し……思い出してしまって、な」

 

 先ほどの、彼の口から迸った慟哭を、一言一句違わずに、想起する。

 

 

 

『──ふざけるな!

 あそこは、皆で創り上げた世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)だったんだぞ!

 なんで! あんな! 簡単に! ……簡単にっ!!

 ……()てることが出来るっ!!!!』

 

 

 

 驚いた。

 驚いてしまった。

 

 彼と似た言葉を──思いを──アインズ・ウール・ゴウンも、モモンガも、鈴木悟も(いだ)いたことが、ある。

 それは、もはや100年も昔の出来事だった。

 しかし、アインズは今もなお、覚えていた。

 正確には、鮮明に思い出すことが、できた。

 

 誰もいなくなった円卓の上に吐露した……あの日の、寂寥(せきりょう)

 

 ユグドラシルのサービス終了のあの夜が、無性に思い出されてしようがない。

 懐かしさすら込み上がってしまう堕天使の声が、言葉が、アインズの胸いっぱいに残響して、痛いくらい身につまされる。

 彼の声を──悲嘆を聞いた時は、本当に驚いた。

 あの時は、口元を抑えないと、自分が言いかけた言葉を、感情を──嗚咽を──飲み込むのが難しかった。

 ひっきりなしに精神が安定化され、その次の瞬間には、凪いだはずの精神がすぐさま嵐の夜波のごとく荒れ狂って、収拾がつかなくなるほどに。

 骨の身にはありえないはずの眼球が、熱く濡れていく感覚さえもあった。

 もしも、受肉した人間の姿でいたならば、間違いなく彼等の前で落涙していただろうと断言できる。

 アインズは、ちらりと視線を横に向け、玉座の間に佇む堕天使を──開戦の時をただ待つ彼を──涙の跡が黒い貌を汚した堕天使を、眺める。

 

「……もう一度……皆で、一緒に、か」

 

 その誓いを果たされなかった時の彼の悲哀が、慟哭が、絶望が、アインズには痛いほど理解できた。理解できてしまった。

 この玉座の間には、かつての仲間たちの旗がはためいている。その数は四十一枚から一枚(モモンガ)をひいて、四十枚。

 あの日、あのサービス終了の日、アインズも……モモンガも……鈴木悟も、願ったのだ。

 

「馬鹿げた思考ではあるが、な」

 

 彼と自分が、あまりにも似ている気がしてならない。

 否。

 

 あれは、俺だ。

 かつての俺だ。

 

 そう、

 もしも、

 もしも仮に、

 アインズが、

 モモンガが、

 ……鈴木悟が、

 仲間たち皆に──“裏切られていたとしたら”?

 

「ありえん」

 

 湧き上がる仮定を、即刻即座に否定するアインズ。

 無論、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーが、アインズを……モモンガを裏切ったことはなかった。皆が皆、モモンガに背を向けたわけではない。彼らは自分自身の生活のために、家族のために、人生のために、このギルドから去らねばならなかった。苦渋の選択の結果として、モモンガを残して引退した者たちだ。そう、モモンガは了解している。

 

 ただ、彼は、目の前の堕天使──カワウソという青年は、明確に、簡潔に、完全に、仲間たちから裏切られ……そうして、絶望した。

 

 真正面からギルメンたちに食い下がって、ギルドの再興を、再集結を唱えたカワウソ。

 

 だが、メンバーが集まることはなく、彼は誓いを反故にされ、裏切られ、…………それでも…………このナザリック地下大墳墓への戦いに焦がれ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの敵として、果敢に挑み続けてきたのだろう。

 

 仲間との約束を、誓いを、ただ守り、ただただ──果たしたいがために。

 

 熾天使から堕天使に身を落とし、自分で考えられる限りのレベル構成にリビルドを試み、装備やアイテムを整え、それでも惨敗と撤退を重ね……なのに、彼は、諦めることだけは、しなかった。

 

 彼の絶望は量り知れない。

 彼の労苦は推して知るべきもの。

 彼の執念は、信念は、余人には決して、推し量れない。

 

 しかし、原因の一端が、自分たちアインズ・ウール・ゴウンにあることは、欠片もアインズの心には影響を及ぼさない。カワウソの唱える論理が、どれほど身勝手で破綻したものであるか判っていて……なのに……彼の存在は、いっそ清々(すがすが)しいほどに、アインズ・ウール・ゴウンの……否、モモンガの……鈴木(すずき)(さとる)琴線(きんせん)に触れていた。

 

 かつて、たった一人で、ナザリックに挑み続けたという堕天使。

 そうして、今、このナザリック最奥の地にて、決然と戦いの時を切望する存在。

 

 応じなくては。

 応じるべきだ。

 そして何より、「応じたい」と、そう思わざるを得なかった。

 

 

 

 あれは、俺だ。

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンになる前の──ユグドラシルを孤独に続けてきた、かつての俺だ。

 何かが違っていたら、何かを間違えていたら、きっとああなっていただろう──自分(モモンガ)だった。

 

 

 

 ふと思う。

 もしも彼が、カワウソが、若山(わかやま)宗嗣(そうし)が、

 このナザリック地下大墳墓の、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーとして在籍していたら?

 もしもモモンガが、カワウソと共に、この場所で、サービス終了の日を、迎えることになっていたら?

 

 ──しかし、それはありえない。

 ありえないことなのだ。

 

 そして……

 

 

 

「だからこそ……彼と俺は、戦わなければならない」

 

 

 カワウソの戦いを、彼の冒険を、ここで終わらせてやる。

 彼の苦難と破滅と悲劇の物語を、すべて終わらせてやる。

 

 

 そうすることだけが、彼の望みを──彼の願いを──彼の誓いと約束を、果たさせてやれる。

 

 

 それ以外に、もはや彼を救うことはできない。

 彼は真実、アインズ・ウール・ゴウンへの“復讐者”──「敵」として、終わらせねばならない。

 彼自身のためにも。

 

 だから──

 

「戦おう」

 

 戦おうとも。

 正々堂々。正真正銘。

 アインズ・ウール・ゴウンが滅ぼすべき、“敵”として。

 100年後に現れたプレイヤー、天使の澱のギルド長、第八階層攻略者、──カワウソ。

 

「おまえのすべてを、終わらせてやる」

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「まもなく刻限です」

 

 ミカの正確な体内時計が告げる声に、カワウソは頷く。

 

「────」

 

 ありがとうな。

 そう告げてやってもよかった。

 ──けれど、カワウソは口を(つぐ)み続けた。

 自分たちは、天使の澱は、ここで終わることになる。

 たとえ奇跡のような確率で善戦できたとしても、カワウソたちは無事にはすまない。

 首尾よくアインズの率いる三人チームを打ち倒し、一時の勝利を収めたとしても、消耗し戦力減耗した天使の澱を、玉座の周辺に控える階層守護者たちが見逃す確率は薄すぎる。むしろ、主人に一敗地をつけた敵の愚挙に烈昂し、事前の約束も何も関係なく蹂躙劇に発展する可能性は十分以上だ。

 自分たちは負ける。

 敗けるために、ここにいる。

 そんな馬鹿に付き合わされ、使い潰されることになるNPCたちに、「ありがとう」だなどと──絶対に言えない。

 罪悪感と死への恐怖で、今すぐ吐き出したいほどに心臓が跳ねて暴れる。

 ふと、ミカの手に背中を撫でられ、耐え難い緊張から解放される。

 

「──、……ッ」

 

 カワウソは、やはり、何も言えない。

 自分のような主人に、どうしてそこまで優しくできるのか──『嫌っている。』はずの者を支えてくれるのか、本気で理解できない。

 

 しかし、ミカたちと最後の問答を交わす暇すら、ない。

 刻限が迫ったのと同時に、アインズ・ウール・ゴウン側も、例の女守護者たち──墳墓の表層や第八階層でも相まみえた女悪魔と吸血鬼……主人たちと共に、天使の澱との戦いにおける綿密な作戦を打ち立て、装備の確認やアイテムの補充を済ませたNPC二人を引き連れて、死の支配者(オーバーロード)が玉座の段上から降りてきていた。

 相対距離は、だいたい20メートル程度。

 モモンガ──魔導王アインズは、告げる。

 

「我等のチームは、この私、アルベド、シャルティア、以上三名が務める」

 

 アインズ・ウール・ゴウン──モモンガが左右に従える圧倒的強者の気配。

 

()守護者統括、『最王妃』アルベド」

「第一・第二・第三階層守護者、『主王妃』シャルティア・ブラッドフォールン」

 

「御身の前に」という唱和と共に、アインズへと(こうべ)を差し出す王妃たち。

 アルベドと呼ばれた純白の女悪魔は、主人の左に立ち、シャルティアという真祖の吸血鬼は主人の右を進む。

 

「防衛部隊“隊長”──名は、ミカ」

「防衛部隊“傭兵”──クピドだぁ」

 

 ナザリックの守護者たちに倣うかのごとき、名乗り。

 相対する天使の澱のNPCは、カワウソの右をミカが歩みだし、クピドが左の空間へと羽ばたいて進む。

 そんな敵の様子を笑うでも蔑むでもなく、アインズは粛然とした頷きで応じる。

 

「後ろにいる他の我が守護者たちは、あの玉座周辺からは動かさない。同時に……デミウルゴス」

 

 呼ばれた第七階層守護者が、委細承知した声で空間に何かしらの防御シールドを、玉座のコンソールを操作して展開。

 

「これで、彼らへの危害行為は控えさせてもらうぞ」

 

 カワウソは頷く。

 敵が、戦闘で相対する人数を減らしてくれた状況で、こちらから無駄に仕掛ける員数を増やす気もなかったので、そんな防御機能を発揮しなくても、狙う理由がなかった。

 

「本当に、この人数で、俺たちが勝ったら……」

「ああ。それで、君たちの“勝ち”だ。私を煮るなり焼くなり、好きにするといい」

 

 骨を煮て焼いても、美味(うま)くもなんともないだろうに──そう思いはするが、噴き出していられるような状況でもなかった。

 

 これで勝てば。

 ここで勝てば。

 

 

  天使の澱は

       カワウソは

            ────どうなるのだろう?

 

 

 

「戦闘開始時間、三分前!! 双方、準備時間です!!」

 

 

 

 腕にはめた時計で時間を知らせる闇妖精(ダークエルフ)の少女。

 両者互いに魔法やスキルでの強化(バフ)を施す準備時間の三分間。

 

 カワウソは、アイテムボックスに忍ばせている強化のポーション数本を取り出し、口内に含む。堕天使の脆弱なステータスを補うための手段その一。

 同時に。

 アインズ・ウール・ゴウンが、モモンガが自己や全体強化の魔法を詠唱していく。

 

「〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)〉〈全体(マス)魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジックキャスター)〉〈全体(マス)無限障壁(インフィニティウォール)〉〈全体(マス)魔法からの守り(マジックウォード)神聖(ホーリー)〉〈全体(マス)上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉〈全体(マス)上位幸運(グレーター・ラック)〉〈全体(マス)上位硬化(グレーター・ハードニング)〉〈全体(マス)上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉〈混沌の外衣(マント・オブ・カオス)〉〈天界の気(ヘヴンリィ・オーラ)〉〈竜の力(ドラゴニック・パワー)〉〈虚偽情報(フォールスデータ)生命(ライフ)〉〈虚偽情報(フォールスデータ)魔力(マナ)〉〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)上位魔法封印(グレーターマジックシール)〉〈魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉……」

 

 湧き出て流れる泉のごとく、魔法の詠唱は続いていく。

 アインズの個人装備──神器級(ゴッズ)アイテムによる装備効果で、〈自由(フリーダム)〉〈看破(シースルー)〉〈不屈(インドミタビリティ)〉〈吸収(アブショーブション)〉〈感知増幅(センサーブースト)〉〈魔法増幅(マジックブースト)〉〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉〈魔力の精髄(マナ・エッセンス)〉〈上位全能力強化(グレーター・フルポテンシャル)〉など、掛ける必要がない魔法は一切省かれていく。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)上位魔法封印(グレーターマジックシール)〉……」

 

 さらに続く魔法詠唱。

 カワウソも、負けじと信仰系の強化魔法を詠い始める。堕天使の強化手段その二。

 慎重に、かつ猶予時間中に吟味され尽くした強化(バフ)魔法を、自分と自分の陣営たる二人の天使に施していく。

 

「〈光の航跡(ウェイク・オブ・ライト)〉〈早足(クィック・マーチ)〉〈駆足(ハリーアップ)〉〈疾走(ランナウェイ)〉〈爆進(バースト・チャージ)〉〈疾風迅雷(スィフトネス)〉〈電光石火(ライトニング・スピード)〉〈全体(マス)聖騎士の祝福(ブレス・オブ・ホーリーナイト)〉〈武器祝福(ブレス・ウェポン)〉〈全体(マス)悪よりの防御(プロテクション・フロム・イビル)〉〈全体(マス)上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉〈全体(マス)祈祷(プレイヤー)〉〈全体(マス)上位瞬間鎧(グレーター・インスタント・アーマー)〉〈全体(マス)正の力の薄衣(ヴェイル・オブ・ポジティブ・エナジー)〉〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)刃の障壁(ブレード・バリアー)〉〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)復讐の風(ウィンズ・オブ・ヴェンジャンス)〉……」

 

 他にも様々な強化がカワウソと天使二人に施されていく。

 紡がれる魔法効果は、プレイヤー二人だけでのものではない。

 

 アインズ・ウール・ゴウン側はアルベドとシャルティアが、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)側はミカとクピドが、それぞれが考えうる限りの強化魔法や強化スキルを発揮し、戦闘の激発を待ち焦がれる。

 闇妖精(ダークエルフ)少女(アウラ)の声が、厳粛な調子で開始十秒前を刻みだした。

 

「10! 9! 8! 7!」

 

 シャルティアは、神器級(ゴッズ)の強力無比な槍刃を、腰だめに構え、

 アルベドは、黒の斧と盾を握り、全身鎧の兜で顔面すら覆う。

 クピドは、ライフル銃とミニガンの砲身を、軽々と持ち上げ、

 ミカは、兜の面覆い(バイザー)を下げた後、輝く剣盾を両手に携えた。

 

「6! 5! 4!」

 

 アインズは、宝玉を(くわ)えた双蛇のごとき黄金の杖を右手に、

 カワウソは、天国の門を鍔に意匠された白い聖剣を右手に、

 

「3! 2!」

 

 各々の敵を、瞳の奥へ刻み込む。

 

「──1──!!」

 

 0(ゼロ)

 

「戦闘開始!!」

 

 

 

 声を響かせたアウラの手が、鋭くも盛大に振り下ろされた。

 

 

 

 しかし、

 

「…………」

「…………」

 

 双方共に動かない。

 相手の出方を(うかが)うかのような視線の交錯。

 主人たちがそのような態勢でいる以上、シモベである者たちは先制攻撃をしていいものかどうか計りかねている。

 

「ふ……では、まずは小手調べだ」

 

 突っ立っているだけの状況に失笑しつつ、アインズは実に気安い、慣れたような調子で、ある魔法を堕天使たちに贈りつける。

 

「──〈時間停止(タイム・ストップ)〉」

 

 アインズが得意とする時間魔法を発動した。

 この異世界では対策を取れる存在は、希少。ユグドラシルだとLv.70以上の戦闘だと対策必須とまで言われる基本事項だが、それでもせいぜい無効化される程度。

 キャンセルされても特にどうということもない。「そうなった時」用の対抗策も準備済み。無装備同然の死の支配者(オーバーロード・)の時間王(クロノスマスター)のような後れを、アインズ・ウール・ゴウンが取るはずがないのだ。

 それに、アインズは時間魔法コンボなどにも長じており、ただ漫然と、天使には効きにくい死霊系魔法を唱えるよりはマシと判断して発動した……

 

 その瞬間、

 

 

 

 

「……?」

 

 停止した世界の中から、彼が、堕天使(カワウソ)が、いなくなった。

 だが、それは錯覚であった。錯誤であった。

 視線を彷徨わせようとする間もない。

 

「……」

 

 黒い堕天使が、

 

「なっ」

 

 白い剣を振り下ろし、

 

「に?」

 

 アインズの身体を──既に──斬り裂いていた。

 

 

 

 

 肩から胸を引き裂かれたダメージに、アインズは苦悶の声を玉座の間に響かせる。

 

「が、あああああっ?!」

 

 カワウソは、この世界で二戦目となる現象――ほぼ全自動で発動した特殊技術(スキル)のもたらした結果を、見た。

 至高の存在であると民から信奉され、このナザリックの全存在の頂点に君臨する存在が、片膝をつき、胸元へ受けたダメージを抱くように、(うずくま)る。神聖属性を保有した武装で攻撃されたことで、偽りの生命力が削ぎ落されたような異臭が、血の代わりとして玉座の間に煙る。

 

「「アインズ様ッ!?」」

 

 御身の時間停止魔法が無効化された──だけでなく、魔法発動の瞬間、誰の視線からも消え失せた堕天使が、いつの間にか主の懐深い位置で、聖剣を振り下ろしていた。それを理解したアルベドとシャルティアは、即座に主人の援護へと()ぶ。

 果断に過ぎる戦士二人の反射速度。

 カワウソはすぐさま足甲を駆って、二人の攻撃から逃れるように床を跳ね、宙を滑る。

 

「眷属よ!!」

 

 攻撃を(かわ)した直後、吼えるシャルティアの解き放った強力な眷属たち――吸血鬼の(ヴァンパイア)蝙蝠(バット)(ラット)(ウルフ)、計六体に追い立てられるが、それらはすべてミカとクピドによって薙ぎ払われ撃ち落とされた。

 床に降り立つ堕天使は、深呼吸と共に、告げる。

 

「まずは、一撃」

 

 カワウソは既に解っていた。

 生産都市地下で、死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)死の支配者の将軍(オーバーロード・ジェネラル)、そして、死の支配者の時間王(オーバーロード・クロノスマスター)と戦闘になった際に、あの時間王(クロノスマスター)を完封した手段として、すでにこのスキルが有効であることは理解していた。

 そして、アインズ・ウール・ゴウンもまた、起こった現象の意味を瞬時に、かつ的確に、(さと)る。

 

「こ、これは──全自動、オートカウンター、スキル。

 だが、これは──“ただのオートカウンター”では……ない。

 ……はっ。そう、か……そういうことだったか、……おまえは!」

 

 早速、ひとつの確信を懐き再認するアインズに、堕天使のプレイヤーは頷いた。

 

「そうだ」

 

 今更に過ぎることを口にしていく。

 

「俺は、おまえ(・・・)を知っている」

 

 知り尽くしている。

 死の支配者(オーバーロード)姿(アバター)をしたプレイヤー。

 アインズ・ウール・ゴウン――――ギルド長・モモンガ。

 その存在は、少しでもユグドラシルというゲームに馴染みのある人間なら、知らぬ者はいない。

 あの「1500人の討伐隊を退けた、伝説のギルドの長」として君臨した彼の情報は、Wiki情報で、スレの書き込みで、様々な形となって、カワウソという一人のプレイヤー……アインズ・ウール・ゴウンに復讐を誓った男に知悉されて当然な知名度を誇っていた。

 

 

 強力無比な死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)。他のプレイヤーには未知のスキルによる、『即死対策や無効化を“完全無効”』とする絶対の力。紅い球体の、未知なる世界級(ワールド)アイテムを保持する存在。

 それらと並び称されて、モモンガというプレイヤーを形容する情報。

 

 

 

 ――時間停止魔法の達人であること。

 

 

 

 ユグドラシルにおいて、時間対策は必須項目と言われるほどポピュラーな情報だ。

 時間停止に代表される魔法は、Lv.70以上の戦闘では必須。レイドボス戦は勿論、このレベル帯に属するプレイヤーは時間魔法取得条件に達する為、PKやPKK――対プレイヤー同士の対戦や、トーナメント大会などのイベントでは非常に重宝される。相手の時間を奪う〈停止〉をはじめ、任意対象を〈加速〉・〈減速〉させる魔法の他、数ターン分のダメージ計算を加算ないし回復する〈跳躍〉、時間を(さかのぼ)ることで一定の戦闘状況の再構築を可とする〈遡行〉など、割と幅広い運用方法が用意されている。

 そんな時間魔法の中で、停止時間中の攻撃というのは、ダメージを与えることはシステム上、不可能。停止時間は陣地移動や逃走手段、罠などの準備時間に使われることが大勢を占めているが、魔法詠唱者の扱う〈遅延魔法(ディレイ・マジック)〉――発動時間を一定時間だけ遅らせて発動する魔法と併用すると、停止状態の解除と共に、対象者は多数の魔法攻撃の餌食になることで有名だ。いくら装備や特性、特殊技術(スキル)で魔法に対策を施していても、属性も威力も種々様々な魔法の多面的な波状攻撃にさらされては、致命的なダメージを被る魔法がひとつでも叩き込まれる危険があるのだ。これは割とよく知られた時間魔法の戦闘コンボで、専用のWikiページまで作られていたほどである。

 故にこそ、高レベルに達したプレイヤーは、時間対策を講じ、時間魔法の発動によって即死瞬殺される事態を回避せねばならない。

 

 だが、基本的なコンボと称される〈時間停止〉と〈遅延魔法〉の組み合わせは、言うほど簡単に習得習熟するには無理がある。

 

 魔法詠唱のタイミング取りは難解極まるし、停止時間の長短についても、複数個の魔法を効果的に遅延させる計算処理能力がなければ無駄打ちに終わる。よほど各種魔法の発動時間や遅延魔法の最大効果を研究し尽くしたとしても、コンマ一秒でもずれたらコンボは成立できないのだ。早すぎては繰り出した魔法は停止時間内の攻撃とされ無力化し、逆に遅すぎても反応のよいプレイヤーは魔法効果範囲外に逃れ、回避されて無駄となる――「ぴったり」と二つ以上の魔法を噛み合わせることができなければ、この時間停止コンボは遂行不能。魔力(MP)を無駄遣いする結果だけを生む。その“失敗できない”という重圧は、並大抵のプレイヤーで克服できるものではなく、そのコンボを完成させるための訓練時間を積むことは、ただの片手間程度の情熱で成し遂げることは不可能とされている。

 一説には全魔法職プレイヤーの、せいぜい5%が使いこなせているというデータがある程度だ。

 

 

 そして、モモンガは、あの有名なギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長たる彼は、

 ──“そんな5%の一人(・・・・・・・・)”として有名だったのだ。

 

 

 だからこそ、カワウソはモモンガの時間停止コンボを打ち破れる対策を――時間停止を即座に無力化する手段を、当然の如く講じている。

 それが彼の取得した最上位信仰系職業“教皇(ポープ)”と“法皇(ハイエロファント)”――双方、Lv.10まで確保した時に取得できる時間対策スキル“予言”と“神託”――双方共に、未来を「予知」し、対策反撃を可とする権能を表す言葉――時間魔法発動への自動反撃(オートカウンター)スキルによる超速攻手段が、〈時間停止〉の魔法発動と共に発動。停止魔法は無効となり、カワウソの聖剣が、アンデッドの王への“反射攻撃”を加えたわけだ。

 無論、アインズはそれ専用の対策を、迎撃用の手段を、己の身に纏う神器級(ゴッズ)アイテムに施している。

 だが、

 さすがに“二つ同時(・・・・)のオートカウンター”を無効化は、できない。

 せいぜい封殺できるのはひとつまで。あるいはこの時、本物のギルド武器の杖(スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)に組み込まれた自動迎撃システムの力も借りれば、この一撃を迎撃することもできただろう。だが、慎重なアインズは当然の如く、本物のギルド武器を装備していなかった。本物は、あの第八階層・桜花聖域に安置されたままであった。

 発動者であるモモンガへの、スキル保有者であるカワウソすら知覚し得ない、有無を言わさぬ超速攻の剣撃は、(あやま)つことなく死の支配者(オーバーロード)の身体に「一撃分」のダメージを与えた。

 カワウソが堕天使の特性も使って取得した教皇と法皇は、一朝一夕に取得できる職業ではない上、オートカウンターを二個も保持するメリットは、通常プレイヤーには存在しない。このスキル二つを両立させるには、最低でも合計Lv.20――プレイヤーレベル最大合計100の五分の一、さらに取得条件の職業も加算するとそれ以上――を費やすのだ。そんな労をかける時間と余裕があれば、もっと強力な職業レベルをカンストさせる方がマシなはず。少なくとも、普通のプレイヤーであれば、どちらかひとつで事は足りると感じるはずなのだ。

 言ってしまえば、このオートカウンターの二重発動は、「時間停止コンボ使い」――時間王(クロノスマスター)などの「時間魔法特化」の中でも「時間停止コンボを使用する」モンスターに対してだけの特効兵器であり、絶対的な封殺手段。それ以外のPKやPKK、レイドボス戦などでは、(ことごと)く無用の長物と化す。

 

 

 カワウソは、今さら言うまでもないが、まともなプレイヤーでは、ない。

 

 

「恥さらし」と揶揄(やゆ)されて当然の『敗者の烙印』を押されたまま、ユグドラシルにINし続け、PK地獄や嘲笑の対象にされても尚、ゲームをやり続けた精神も、そう。

 あれほどの暴圧を、第八階層で起こったLv.100プレイヤー1000人規模の蹂躙劇を知りながらも、それを突破する手段と対策に研鑽と検証を積み上げた“徒労”の量も、そう。

 

 そして、何より。

 

 ユグドラシルにおいて最もアインズ・ウール・ゴウンの研究に情念を注ぎ続けた、アインズ・ウール・ゴウン打倒への執念に衝き動かされ、それを果たすためだけに、数年もの時を費やした、強者(きょうしゃ)ならぬ“狂者(きょうしゃ)”の妄執が、そう。

 

 それが、その意思のみが、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長――カワウソという存在の根底に積もり積もった(おり)の正体。

 

 怨讐と未練に縋りつき、汚泥のごとく(よど)んだ絶望の水底を這いまわり、それを自覚しながら、はるかな高みに位置するアインズ・ウール・ゴウンを打倒するという至上命題を懐き続け、誰からも支持されず、誰の心も動かすことができなかった無用者――──そうして────堕天使として異世界に降り立ち、骨の髄から爪の先まで復讐者(アヴェンジャー)と成り果てた、狂気と狂奔と狂乱と狂態の(かたまり)……天使の(おり)

 比類ない落伍者。

 無類ない破綻物。

 復讐心が産み落とした、一匹の(ケダモノ)

 

 

 宝物の壊し方も、

 友情の捨て方も、

 思い出の葬り方すら知らず──わからず──

 

 

 誰か一人でも、彼という人物を──餓鬼(ガキ)を──理解する家族が、仲間が、プレイヤーが、誰かがいたのなら、彼はここまで狂い捩れ、(ゆが)(ひず)むことはなかったかもしれない。

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンへの、ナザリック地下大墳墓への挑戦など忘れて、ギルドの思い出も、仲間たちとの絆も、何もかも(なげう)って、何もかもを見限って、何もかもを諦めて、何もかもに絶望して、──そうして、他のDMMO-RPGに興じる会社員(サラリーマン)として、平穏で凡庸で機械的で、まったく何者でもない日々を過ごしていたかもわからない。

 

 

 だが、彼はここにいる。

 ここにまで、辿り着いた。

 辿り着いて、しまったのだ。

 

 

 復讐に餓えた鬼が、

 渇くほどに望み、熱にうかされるほど望んだ、ナザリック地下大墳墓の最深部。

 そして、

 アインズ・ウール・ゴウンの象徴にして頂点であるプレイヤー……モモンガとの決戦(PVP)

 

 

 それが、カワウソという堕天使プレイヤーの真実だった。

 

 

 カワウソは――100年後に現れたプレイヤーは、当然知らない。

 彼自身の成し遂げた隠れた偉業――この百年近くもの間、あの「事件」以降、まったくダメージらしいダメージを負うこともなくなった魔導王への“有効な正面攻撃を可能とした”――を自覚することなく、ただ目指した目標の第一歩を踏み締め、油断なく神器級(ゴッズ)武器の聖剣を構える。

 その傍らには、彼の創造した、残り二人のLv.100のNPC。ミカとクピドが、言祝(ことほ)ぐ。

 

「御見事……であります」

「フクク、さすがだぁ!」

 

 素直な感嘆と称賛に、だが、カワウソはまったく反応しない。

 頷くどころか振り返りもしない。

 対して。

 アインズ・ウール・ゴウンの誇るLv.100のNPCたちは、脳髄が、臓腑が、煮え凍える思いで、不遜な侵入者たちを、ユグドラシルプレイヤーの堕天使を睨み据える。

 

「きっ、キ、サマ、らぁ……!」

「よくも、よくもヨクモ……!」

 

 これまで経験したこともないような憎悪と怨嗟に表情を歪める、悪魔と真祖。

 至高の主人の盾として、愛する御方の矛として、御身に危害を加えるすべてを屠殺し拒絶し蹂躙し尽くす意思に駆られる王妃二人は、

 

 

「ふ……ふふ」

 

 

 背後で湧き起こった笑声(しょうせい)の意味を判じかね、振り返った。

 

 

「くっ……ふふ、ふふはははは、はっはっははっははははははハハハハっ!」

 

 

 いっそ快活なほど朗らかな笑みは、敵対する位置の三人にも、わけがわからなかった。疑念に駆られるカワウソは、その微笑みに宿る感情を僅かに読み取ることができたのが、不思議だった。

 その感情は、喜び。

 魔導王は、こみあがる(かす)かな笑いを止められない。精神が安定化した端から、感動にも似た何かが込みあがるのだ。掌を額にあてがい、愉悦そのものという声で笑い吼える。

 

「ああ、そうだ……そうだっ、これが……ははっ……これこそが戦い……これこそが、PVP!」

 

 確かな実感と共に、倒れ跪いたままの魔導王──ギルドの長は、骨の左手を握り込む。

 もはや久しく忘れていた、全力の、本気の、戦いの感覚。

 戦慄。

 震撼。

 脊髄の内を走る確かな昂揚(こうよう)に、アインズの骸骨の表情は破顔しているようだった。

 

「ああ。ありがとう。──感謝する!

 感謝するぞ、若山(わかやま)宗嗣(そうし)……いいや──“カワウソ”!」

 

 身を起こすアインズの所作は緩やかだが、誰もその行動を妨げられない。

 完全に相対する格好を取り戻したアインズは、聖剣のダメージもどこへやらと言わんばかりに、今度こそ、“戦い”の場に身を置いた。

 

 あるいは、ようやく、アインズ・ウール・ゴウンは、目を覚ましたと──いったところか。

 

 

 

「さぁ、始めようか」

 

 

 

 眼窩の奥に灯る輝きは、怒りや侮りなどは一切ない、焔のように透き通った戦意の煌きしか見て取れない。

 息を呑むカワウソは、震えそうになる己を縛り諫めるように、剣を握り構える力を強くして、頷きを返す。

 

 

 

「ああ……始めよう」

 

 

 

 

 

 

 

 戦いを。

 

 

 

 

 

 

 

【第十章 (たたかい) へ続く】

 

 

 

 

 

 




今回、アインズ様が唱えている魔法は、書籍三巻を参考にしております。
一方のカワウソの詠唱している魔法は、一部はD&Dなどを元にしている独自魔法です。

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