オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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【交手】
①手をこまねくこと。敬意を示す礼。拱手。
②別れを惜しんで手を取りあう。
③争う。技を競う。


交手

/War …vol.02

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 なんという敵だろう。

 アインズは畏怖とも緊張ともつかぬ、骨の内に走る電流じみた感情に、精神を強く揺さぶられる。そんな自分を理解し、安定化の波に揺られ、また戦意と戦気に満ち満ちた戦場で……この玉座の間で、かつて仲間たちみんなで待ち望んだ戦闘に、100年後の今……興じている。

 

 敵の熾天使が召喚作成した至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)に、完全に完璧に対応して見せた。アインズは天使の澱たちが転移してより、彼らのギルドが熾天使モンスターを召喚することを予期して、十分に対策と予習復習を重ねてきた。その成果を示せた。100年前は不安でしかなかった熾天使掃討の魔法攻撃は、敵モンスターが攻撃態勢を構築するよりも先んじての超速攻が必要不可欠。さすがに、あの陽光聖典共に見せたような余裕を披露する自信はなかった。それほどの能力が、至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)には確実に備わっている。本当ならば、最初に発動した黒球でケリがつくはずだったが、予想以上にミカの能力で強化された至高天の熾天使に、トドメの一発をおみまいしないとならなかったことだけは、単純に驚いた。やはり、あの女天使のNPCは油断ならない。

 

 いや本当に、おもしろい。

 これほど楽しい戦いは、この100年の間では数えるほどもないだろう。

 

 この世界における現地人の敵が弱すぎるということもそうだが、場合によっては、アインズにとって笑える状況でなかったこともある。戦闘を楽しむなど、それはどんな戦闘狂(ウォーモンガー)だというのか。

 

 しかし、おもしろい。

 

第二天(ラキア)!」

 

 さらに速度をあげた堕天使が迫りくる。

 

「ハっ!」

 

 アインズは無い鼻を鳴らして、敵との近接戦闘に、真っ向から、挑む。

 ギルド武器に似せた試作品の黄金杖で、純白の聖剣を受け止め、即、はじく。間髪入れずに繰り出される黒い星球。鎖につながれ遠心力の加わった一撃。アインズの苦手な殴打武器を、死の支配者(オーバーロード)の体はひらりと身を翻すようにして回避。むしろカワウソの武装や防具こそが魔王然としている事実に苦笑しつつ、超至近距離で片手の指を突き出す。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 堕天使は身をそらした。この魔法は堕天使に通用しやすい無属性。カワウソはそれを難なく避けたが、追尾してくる光弾の数は魔法最強化(マキシマイズマジック)の作用によって合計10発。驚異的な速度で背走しつつ、聖剣と星球で光の弾丸を払いのけるカワウソ。なるほど、肉体速度のみならず、神経や感覚……反射速度に関してもかなりの位階に位置するわけだ。アインズが同じことを杖でやろうとしても絶対に無理がある。

 やはり、とアインズは思う。

 敵の武器や防具に当たった瞬間、完全なヒット扱いにはならない。あくまでその下の生身……プレイヤーの肉体そのものへの攻撃こそが、敵の体力を削減する有効手段たりえる。攻撃をはじいた方の武器の耐久力が、プレイヤーの体力を温存する仕組み、というべきだろうか。

 故に、カワウソはアインズの魔法を切り伏せ叩き落すと言った芸当を可能にしていた──DMMO-RPG──あのユグドラシルでは、そんな芸当は一部の最上位プレイヤー、実際の肉体能力に恵まれたワールドチャンピオン(クラス)の回避手段が、この現実化した世界において、異形種化した(カワウソ)の速度では十分に可能。これがワールドチャンピオンなどの最上位者たちだと、どれほどの技巧が生まれたのだろう。

 

 転移からたった一か月も経過していないのに、それだけこちらの世界での戦闘になじんでいる彼の労苦を、思う。

 

 アインズは100年前、他のユグドラシルプレイヤーの痕跡や、判明した世界級(ワールド)アイテムの存在に、無い肝を冷やしつつ、自分たちナザリックの強化計画を打ち立て、その途上で、自分自身の“成長”の可否についても、様々な実験を経たのちに、ひとつの可能性を導き出した。

 ナザリックに侵入した害虫共との、闘技場で行った戦闘実験。バハルス帝国にて武王ゴ・ギン相手に、魔法やスキルを封じての実戦練習。そういったものはゲームの経験値としての数値ではなく、様々なことをアインズに供与していた。魔法やスキル、種族能力だけではなく、たとえば、技術──技巧──情報──戦略──戦術──戦史……それら知識や記憶の集積は「可能」であるという事実。

 

 逆説的に言ってみれば、「経験は積み上げることが出来る」ということ。

 

 そう。100年後のアインズは、魔法詠唱者であれば容易に振るえる魔法の杖を、最適・最善・最高の状態で振るえるように、アルベドやコキュートスたち近接戦闘に長じた守護者の監修のもとで、ずっと鍛錬を積み続けた。これはレベル数値などの上昇を期してのことではなく、ただ単純に、ずぶの素人のアインズが、自己を構築するレベルによる補助や補正以外の……つまり“経験”“知識”として、「どう動いたら杖をうまく振るえるか」「杖をどう使ったら敵の攻撃を防ぐのに最適か」「どのように手や腕、肩や腰、全身を動かすことが、望ましい攻撃動作をもたらすのか」を研鑽し続けた結果である。料理人(コック)などの特定の職種がなければ料理を作れない・行使不可能な事象はそのままだが、自分が扱える武装武具を、どれだけ自分の肉体感覚になじませるかという点では、経験値にはなりえない──“生きた経験”というものは、アインズの成長計画においては有用に働いた。今やアインズ・ウール・ゴウンは100年の研鑽によって、生粋のLv.100戦闘職ほどとはいかないまでも、並みの人間・魔導国の一般臣民レベル相手であれば、魔法もスキルもなしの杖一本で戦い抜ける程度の武力を構築していたのだ。

 それと同時に、来るユグドラシルプレイヤーと戦わねばならない状況を想定して、アインズの護衛として常に侍る守護者たちとの連携……チーム戦の練習も欠かさなかった。

 

 だが、対するカワウソは、本当に圧倒的不利な戦況でしかない。

 アインズ達は100年という準備期間を得ているのに対し、天使の澱はこちらの世界の情報状況になじむ間もなく、アインズ・ウール・ゴウンの監視下に置かれ、そして、あえなく敵対する道を突き進んだ。

 

 確かに。当初アインズは困惑を覚えた。

 敵となったカワウソの言動が、あまりにも愚かしい選択だと思われた。

 少なくとも彼を本気で救い、協力体制を構築する気だった(守護者らが巧みに隠した企図には気がついていなかった)アインズにとっては、彼の行動と発言は、理解不能すぎる領域の、はるか彼方にあったのだ──以前までは。

 しかし、このナザリック地下大墳墓へ──第八階層“荒野”攻略戦を経て、この第十階層“玉座の間”へと至るほどの働きをみせた彼のすべてを、アインズは心の底から理解し尽した。

 

 だからこそ、彼の冒険を、戦いを、約束を、誓いを、この場所で終わらせてやらねばならない。

 でなければ、あまりにも……つらすぎる。

 故に、アインズは一切の加減や手心を加えはしない。

 

「フッ──〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 天使には効きにくい特異な死霊系魔法の使用は控えつつ、カワウソを効果的に追い込める魔法のみを詠唱。

 またもアインズの手指より放たれる十の光輝。猟犬のごとく追尾する魔法を打ち払うカワウソは、〈光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ〉で空間を薙ぎ払い掃除するが、それは失策である。

 自身の特殊技術(スキル)の閃光と技後硬直によって次の行動への移行に後れを取ることに。

 

「〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーヴ)〉」

 

 アインズの発動した第三位階の空間魔法。

 それによってアインズは、魔法詠唱者でありながら、自らカワウソの懐に飛び込んでいた。

 

「なに?!」

 

 驚愕する(クマ)まみれの相貌。彼の周囲を覆う〈刃の障壁〉や〈復讐の風〉を完全に無視した接近。無論、アインズの保有する装備の効果によって、死の支配者(オーバーロード)の身体は傷一つ負うことはない。

 アインズは黄金の杖で、堕天使の肉体を強か殴りつける。無制限に放てる攻撃スキル後の技後硬直中の奇襲は、覿面(てきめん)な効果を発揮。おまけに、堕天使の「攻撃に対する脆弱性」は顕著に過ぎた。

 

「ぐがッ!」

 

 これで、第十位階の魔法を叩きこむことも容易。アインズは確実にカワウソの首根を断つべく、彼の意表を突く行為に訴え続けた。そして、それだけのことが可能なのは、ひとえにアインズ達が研鑽を、練磨を、鍛錬を怠らなかったが故のもの。これに抗しうる100年後の存在(プレイヤー)など、ほとんどいないと言ってよい。それこそ、上の上クラスの力量でもなければ。

 倒れ伏しかける堕天使がふんばりを見せる首元に、アンデッドの骨の手を、添える。

 あたたかな肌の上、魔力が掌の内で集束する気配。

 完全ゼロ距離で放たれる魔法。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)・──!」

 

現断(リアリティスラッシュ)〉の刃が、堕天使の身を──首を──頸動脈を引き裂き断絶する、はずだった。

 

「ちッ!」

 

 しかし、アインズはとっさにカワウソから手を放した。

 完全に直感から来る回避行動。

 驚異的な速度で迫りきたのは、烈光と弾丸。転移魔法で後退を即時選択。

 後退した先で、見据えた堕天使の至近に、彼を護った熾天使と赤子の天使が舞い降りた。

 

「そう簡単に勝たせてはくれんか」

 

 否、それでこそという意気込みで、アインズは黄金の杖を握り直す。

 

「申し訳ございんせん、アインズ様!」

「御身の戦いに、余計な邪魔立てを許した私達の失態! 平にご容赦を!」

 

 再びアインズの傍近くに傷ひとつなく帰還した王妃二人──双角獣(バイコーン)を乗りこなす女騎士(アルベド)と、吸血鬼の翼を広げた戦乙女(シャルティア)に、アインズは骨の顔で微笑む。

 

「いいや。十分だ」

 

 アインズの魔力残量はまだまだ十分。

 おまけに、今の“一撃”で、カワウソは確かなダメージを得た。

 

「げ、アッ!」

 

 膝を屈し、吐血する口を片手で押さえる堕天使。彼を護る護衛二人は、それぞれ女の右腕と赤ん坊の額に傷を負っていた。アルベドとシャルティアという守護者を前にして、主人を十全に護る余裕を持てるほどの状況ではない。

 

「戦いは始まったばかりだ。気を引き締めてかかれ」

 

 即座に頷き、承知の声を重ねた最王妃と主王妃。

 アインズはミカの手によって回復されるカワウソとクピドを静かに見やりながら、ふと、思い出す。

 

 この玉座の間で──

 仲間たち皆と、最後の戦いに挑む勇者たちを相手に、“悪”のギルドとして、どうやって戦ってやろうかと考え抜いた。その当時を知る者など、アインズ以外では、この玉座の間に置かれ、最終防衛戦で共に戦うようにされていた、アルベドだけだろう。

 

 そう。

 

 ──もしも。

 もしも皆が、ギルドの皆が、今、この戦いを見たら……

 

 楽しんでくれるだろうか。

 喜んでくれるだろうか。

 笑ってくれるだろうか。

 許してくれるだろうか。

 褒めてくれるだろうか。

 認めてくれるだろうか。

 

 それとも(・・・・)──

 

 眉を(ひそ)めるだろうか。

 失望されるだろうか。

 嘲笑されるだろうか。

 呆れられるだろうか。

 (けな)されるだろうか。

 蔑まれるだろうか。

 

 

 ……カワウソを。

 

 ……アインズを──モモンガを……鈴木悟の、未練を。。

 

 

 あの日の声が、

 かつて、このナザリックを共に創り上げた皆の声が──

 存在しない耳に、どこにもない脳内に、アインズの、モモンガの、鈴木悟の奥底に──

 まだ──

 マダ、コダマ、スル

 

 

 

『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前!』

『勇者さまたちを歓迎しようぜ』

『ギャップ萌え』

『エロゲーイズマイライフ』

『弟、黙れ』

『取り敢えず殴ってみよう』

『誰でも楽々PK術』

『糞運営』

『糞制作!』

『馬鹿やろうぜ』

『最強ゴーレムを作りましょうよ』

『メイド服は俺の全て(ジャスティス)!』

『ナザリック学園を作ろう』

『ユグドラシルの世界の一つぐらい征服しようぜ』

 

 

 記憶の彼方で、彼らとの対話が──友情が──その終焉が、いつまでも残響している。

 

 

『ここがまだ残っているなんて思ってもいませんでしたよ』

『モモンガさんがギルド長として────』

 

 

「ああ。そうだよ」

 

 その通りだとも。

 

「俺は…………アインズ・ウール・ゴウン」

 

 そのギルドを統べる者としての義務(つとめ)を果たす。

 100年前の記憶の果てから、アインズは目を覚ました。

 腰のベルトに差し込んでおいたアイテムの棒っきれを、骨の指で撫でる。

 

 ──皆さんの力、また、お借りします。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは戦う。

 アインズ・ウール・ゴウンの“敵”たる堕天使(プレイヤー)と──戦い続ける。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 口内に溢れる血を、噛み砕く。

 カワウソはさきほど首元を触られた影響をもろに被った。

 モモンガの、死の支配者(オーバーロード)の種族スキル“負の接触(ネガティブ・タッチ)”。熾天使であるミカとは相克関係に位置する最上位アンデッドの攻撃スキルは、堕天使の常時発動(パッシブ)スキル“清濁併吞Ⅴ”──正も負もすべて呑み込むスキルで中和されるはず。

 なのに、──“これ”。

 まるで、体の……具体的には首の内側から血肉がごっそり抉られたような。

 なんだ、これは。

 

「ゲホ……ケホ……」

「大事ありませんか?」

 

 大丈夫だと言って頷くことができないカワウソ。

 喉奥からひっきりなしに訴えかけてくる鋭い痛みと血の臭気が、思考の妨げになる。

 ミカが“正の接触(ポジティブ・タッチ)”で癒してくれるのに任せつつ、どうにか考えを巡らせた。

 モモンガとの「初の実戦」ではあったが、ネットで拾い集めたような情報は、あまり役に立っている感じがしない。確かに、最大級の脅威にして懸念事項たる即死技は防いだ。が、アインズ・ウール・ゴウンを名乗るモモンガは、ミカの作った至高天の熾天使を見事に狩り取り、あまつさえ、脆弱な堕天使とはいえ、魔法詠唱者の分際で、聖騎士の武器格闘戦に完全適応して見せた事実。彼がこの世界で鍛錬を積んだ成果か、あるいはネット上で流布されているような魔法詠唱者としての戦闘力と同時に、とんでもない身体能力を隠し持っていた……スーパーマンか何かだったのではないかと勘繰りたくなる。

 何より今、(アインズ)がカワウソの身体に何をしたのか、まったく計りかねている状況。

 

「見た感じ、おそらく〈吸収(アブショーブション)〉の魔法か、アイテムの効果だろうなぁ」

 

 ミカの手により、血の滲む額の傷を癒されたクピドが唱えた通りであった。

 彼のグラサン越しの瞳は、先ほどカワウソから受けたダメージ量をわずかに回復させたアインズの情報を読み取っていた。〈虚偽情報(フォールスデータ)生命(ライフ)〉を、クピドの眼──グラサンは完全に見透かしてしまう。

 

「アインズ・ウール・ゴウンからの接触で、無属性の“吸収”攻撃が発動する、と?」

 

 なるほど。異世界で現実化した〈吸収〉が、コレ。

 おそらくは、装備に仕込まれているのだろう〈吸収〉の魔法。これは任意の対象への「手」を介しての接触時間分、その対象から体力(HP)を文字通りに吸収してしまう(ただし、与ダメージの5%ほどだが)。これは、一般的な武器防具に込められるものではない。間違いなく神器級(ゴッズ)アイテムのみに許される能力データだ。なるほど。負の接触(ネガティブ・タッチ)による接触攻撃は通じない堕天使に対して、アインズは別の手段……主に「無属性」の魔法や攻撃手段で対応するという作戦か。おまけにアンデッドにも有効な回復手段を持ってこられると、いろいろと厄介極まる。

 

「ケホ──まぁ、〈生気吸収(エナジードレイン)〉のレベル下げ弱体化(デバフ)はこっちに通用しないだけ、マシと思うか」

 

 死霊系の第八位階魔法は、死霊系魔法への高い耐性や無効化を誇る天使種族にとっては、発動しても魔力(MP)の無駄に終わる可能性が高い。それを見越して、純粋な〈吸収〉だけを扱っていると。

 油断できないな、これは。

 首の痛みから完全に解放されながら、考える。

 いかにアインズの……モモンガの長所をつぶせる堕天使とは言え、その基礎能力値は異形種の中では最弱。熾天使Lv.5をコストに支払っている関係上、今のカワウソの状態が、堕天使の中では比較的マシな戦闘力を保持している計算となる──にも関わらず、聖騎士が魔法詠唱者に体術で後れを取るとすれば、アインズの装備品類の秀逸さ……神器級(ゴッズ)アイテムの厄介さも、当然考慮しておかねばならない。

 さらに、モモンガの習得している膨大な量の魔法の中には、死霊系魔法や時間系魔法以外も多く存在していることだろう。

 となると、

 

「どうする、御主人よぉ?」

「どうするも何も──戦うだけだろうが」

 

 口内の血の残りを吐き捨て、復調したカワウソは立ち上がる。ミカの手が名残惜しげに離れた。

 堕天使の視線の先には、余裕の表情と立ち姿でこちらの回復と準備が整うのを待つように見つめてくるだけのアインズ・ウール・ゴウンたち。

 カワウソは、腰のベルトにある壊れた剣を、皆との絆の残骸を、撫でる。

 まだ、戦いは始まったばかり。

 まだまだ、戦い足りない。

 戦わねば意味がない。

 戦い続けねば。

 戦うしか。

 戦オウ

 戦エ──

 

「連中に、俺たちのちからを、存分に見せつけてやれ」

 

 そう(うそぶ)くかのように命じる堕天使に、二人の天使は首肯でもって応える。

 

「──ふむ。もういいのか?」

 

 実力の違いをまざまざと見せつけたかのごとく、余裕たっぷりに微笑む絶対者(オーバーロード)

 まさに『魔王の笑み』である。

 そんな敵の姿を天晴(あっぱれ)と評するかのように、カワウソは両手の武装を手の中で回し、掴み直す。

 

「……絶対に勝つぞ」

「──言われずとも」

「ハッ、応ともぉ!」

 

 天使の澱は戦い続ける。

 命尽き果てる、その時まで。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 城塞都市──エモット城にて。

 

「控えめに言って、父上たちの有利は覆らない」

 

 王城内の執務室にいる魔導国王太子・ユウゴは、そう結論できている。

 長い濡れ羽色の髪を一房にまとめ、装着した眼鏡の奥で、いくつもの作業を同時並列で行う瞳が(せわ)しなく動く。映像に映し出されるナザリック内部──玉座の間での戦況を把握しつつ、現地語で記された書類とナザリック内部の意見書(日本語)を同時に理解する言語力を翻訳魔法ナシで駆使し、おまけに「魔導国冒険者組合からもたらされる外洋探査船から新たに発見の報が届いた薬草や鉱石、モンスターの情報」「アゼルリシア領域にて新しいルーン文字の刻印と実用に成功」「魔法都市の研究機関で開発が進む、魔法義肢や義眼などの新マジックアイテムの試験運用」などの内容の吟味と精査を、まったく容易(たやす)く執り行っていた。それを補佐するウィルディア……シャルティアの娘の助けもあるので、まず問題は一切見逃されることはない。

 居並ぶ親衛隊の乙女らへ、自分が目を通し終えた書類に王太子印を押して手渡し、魔導国内の情勢に何らかの兆候や変化などがないか徹底的に検証見聞させつつ、アインズの嫡子たる息子は一切の遺漏なく、魔導国という巨大な船を、安全に堅実に運用して見せながら、父が決定した玉座の間での戦いにも、忌憚のない意見を奏でることができていた。

 家族としての身内贔屓ではなく、純粋な一人の戦闘者として──Lv.90程度の魔法騎士長としての判断が、アインズ・ウール・ゴウンの勝利を、天使の澱……カワウソの敗北を予見させる。

 

 アインズの身に帯びたローブや指輪などの装身具は、最高級品である神器級(ゴッズ)装備。ナザリックの鍛冶師によって、精巧に似せられたギルドの杖。おまけに、前衛にはユウゴ達の母たるアルベドとシャルティアが、完全武装状態で身を固めている。

 それに対して、カワウソたちの装備は比較的劣悪。堕天使の身を飾る神器級(ゴッズ)装備は、二桁には届かず。その護衛たる二体の天使の装備やアイテムも、際立ったものは確認できない。せいぜい、ミカという名の熾天使が着用する鎧が神器級(ゴッズ)アイテムであったが、それ以外はお粗末なもの。

 身に着ける装備の優劣だけでも、ナザリックの、アインズ・ウール・ゴウンその人の勝利は確定的だ。

 

「あの堕天使の未知のスキルというのも──影の悪魔(シャドウデーモン)より報告を受けた最王妃殿下、我が母上による考察も、十分」

 

 連中に対応する作戦概要についても、これといった穴はない。

 天使は冷気属性に脆弱──なれど、自らの弱点をそのままにしておくのは、少しでも戦いを知る者であれば忌避して当然。すべての弱点に対策対応は不可能だとしても、天使にとって致命な冷気への対策をおろそかにする理由など、ありえない。

 そして、あの平原での戦いにおいて。

 カワウソが立て続けに発動した一撃必殺スキル……その存在を確認し、理解し、発動原理を推測することは、あまりにも容易。

 母アルベドが至った結論を、ユウゴもまた支持していた。

 父や兄たち謹製の中位アンデッド軍を掃滅し続けた広範囲スキル。

 ──これには、発動するコストとして敵を“十体”殺す必要がある。

 そして、あの上位アンデッド・具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を一撃死させた際の、単発スキル。

 ──これの発動コストは、単発故なのか、発動コストは僅か“二体”で済むらしい。

 

「あの堕天使のスキルは厄介だが、まぁ『発動さえさせなければ』……どうということもない」

 

 堕天使が狩り殺せる雑魚を複数体召喚さえしなければ、今回のチーム戦では、カワウソが例のスキルを使える機会は確実に失われるはず。シャルティアが召喚した六体の眷属は、いかにカワウソでも、秒殺することは不可能なモンスターであったので、問題ない。

 まだ、他に未知の能力を持っている可能性もなくはないが、いずれにせよ、あの第八階層を乗り越えた時点で、カワウソの手立てはすべて出し尽くした感が強い。でなければ、生命樹(セフィロト)やルベドの猛攻から逃げるだけの戦闘行動をとれなかった理由が見えなかった。

 第八から第九への転移鏡を通れずに絶望した姿──直後、目の前に転がるNPC(ナタ)の骸に恐懼(きょうく)し、それを運んできた赤い少女(ルベド)を前にしながら、カワウソは完全に怖気(おじけ)づいていた。奴には、もう、これといった策は、ない。そう判断したから、父上はカワウソとの戦いを決意なされた────

 

「それだけでは、なさそう……かな?」

 

 父が、完全に殺し尽くせると確信したから、カワウソに手心を加えたと思うのは、違うと思う。

 

「まったく。また『我儘』を起こされて」

 

 言いながら、ユウゴはそんな父のありさまを尊んだ。喜びすらした。

 時折、共にナザリック地下大墳墓を築き上げた──“悪”のギルド:アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの思い出を語って聞かせてくれた父の表情を、口調を、朗らかさを、子供のような微笑みを、息子であるユウゴは好ましく思う。

 父自身はそれを「短慮」と言って自戒しようと努めているようだが、彼が王としてではなく、家族としてナザリックの皆と、自分たち混血種の子どもらを大事に思い、信頼してくれる事実が、ただ嬉しい。

 アインズが我儘を言ってくれる限り、アインズの心は、(プレイヤー)としての何かを、確実に保持していることを意味するのだ。

 

「──父上の語る“ユグドラシル”、その同じ世界にいた者たちと、共に平和に暮らせれば……」

 

 もっと。

 もっと、父上の人間性……プレイヤー・鈴木悟としての“心”は、より良い環境の中で守られることが可能となる、はずだった。

 異形種のプレイヤーに必ず訪れるという、“本当の(・・・)異形化”。

 異形(モンスター)の肉体に宿る人間(プレイヤー)の心が汚染され浸食を受けた“なれの果て”。

 ツアーが、ユグドラシルの事情を僅かに知る竜帝の語ることを信じれば、それは間違いなく、今後アインズ・ウール・ゴウンにとっての試練となりうる。

 

 

 

 

 六大神の最後の一人・スルシャーナは、愛する仲間五人と、現地で出会った恋人の死に耐え切れず、……後の世に言い伝えられる“邪神”──殺戮と戦乱を求め、命を殺し合わせる「死の神」となった。

 

 

 八欲王の中の三人……異形種になった己を受け入れられなかったプレイヤーたちは、“世界の敵”と化して、他ならぬ八欲王の仲間たちによって──深祖も天狼も崇鬼も、全員葬られるしかなかった。

 

 

 

 

 父は、アインズは、モモンガは……鈴木悟は、その事実を憂慮していた。

 

『──いつかの日か、俺も……ナザリックやアインズ・ウール・ゴウンへの思いを忘れ、“本当のアンデッド”“本当の死の支配者(オーバーロード)”に成り果てた時には……』

 

 ユウゴは、その懸念を、異母妹(いもうと)たちと共に聞かされた。

 主王妃が娘──ウィルディアは『そんなことは絶対に起こりません!』と言って泣き、

 魔王妃が娘──コアは『その時が来たら、私が“お父様を討ち果たします”』と約束し、

 そして、最王妃が子──ユウゴもまた、アインズに……モモンガに……鈴木悟に、誓った。

 

『父上が御正気でいられるように、我ら全員でお助けします』

 

 王太子は儚げに、だが悪戯っぽく、笑ってみせた。

 

(そうでなければ……困ります)

 

 アインズ・ウール・ゴウンという絶対の柱を、根底の基盤を失えば、魔導国は、全大陸は、ナザリック地下大墳墓は、確実に破綻的な顛末を余儀なくされるだろう。ユウゴたちの大好きな場所が、父たちが築き上げたすべてが、目の前で崩れ去ってしまうかと思うと、あまりにもおぞましい。悪夢以外の何物でもない。

 いかにアインズの血を継ぐ王太子(ユウゴ)が力を磨き、技を修め、才を尽くし、誠を──政をなそうとも、ユウゴは“アインズ・ウール・ゴウン”その人には、なりえない。

 どれだけアインズ本人がユウゴに信頼を寄せ、守護者たちNPCからの忠義を注がれようと、ユウゴはアインズの代わりには……なりえない。

 どうあっても比較され批判され非難されるはず。「アインズ様に比べれば」「魔導王陛下ならば」「所詮は子ども」「父の威光、位階、領域には及ぶべくもない」……そういった事態になりえないと誰が言えるだろうか。至高の存在であるアインズに対し、絶対的忠誠を懐くが故に、NPCはユウゴへの忠誠を保っている。では、アインズが“お隠れ”になった後、残された王太子たちに対し、彼らの全てが無償の愛情や忠節を尽くすことが、果たして本当に可能なのかどうか。たとえ、NPCにそれができたとしても、国内の臣民たちは確実に、魔導王と王太子を比べるはず。NPCたちが懐くほどの信義と信奉心を、外の臣民たちが、超大国に住まう民草全員が、理解し感得することなどまず不可能なのだ。

 そうなれば……どうなるか。

 下手をすれば、後継者であるユウゴの地位を認めるか認めないか……あるいは守護者たちだけで魔導国の全運営を担わせるべきだという意見が乱立し、国内が二分三分四分される。国が割れれば、その先に待つのはどちらかを滅ぼすまで続く戦乱の時代。多くの実りが焼かれ、命が金勘定のように扱われ、荒廃と焦土と不幸が、世界を覆い尽くすことになるだろう。そうなれば、今のこの平和を取り戻すことはできない。戦いで受けた傷を癒そうと、血で血を洗うがごとき復讐戦が、枯野を走る風火のように拡大していくだけ。父が目指し望んで勝ち取った平和の国からは、あまりにも遠くなってしまう。

 

(……『盛者必衰』とは言うが……)

 

 滅びない国も王も、神も人も存在しない。不老不死を誇る異形種のプレイヤーにも、そういった事態が隠されていたからこそ、神と崇められたプレイヤーも、王と呼ばれ畏れられたプレイヤーも、等しく栄え、そうして等しく……滅びの末路を辿っていったのだ。

 そんな中で。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国のみが、それらとは違う──唯一の例外であると妄信するほど、ユウゴは自分たちを恒久的かつ絶対的かつ超越的な存在であるとは思っていない。……他ならぬ(アインズ)が、そうユウゴに教え説き続けたのだ。

 

(それでも、僕は、父上のために)

 

 親愛なる父のために。

 誰よりも優しい父のために。

 そんな父の期待に応えるために。

 そんな父が築いたすべてを護り抜くために。

 そんな父が待ち望む、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの再会のために。

 ユウゴは、一身と一心に懸けて、魔導国の平和を希求し続ける。

 その平和を脅かすものには、容赦などしない。

 あまつさえ、彼らはユウゴの幼馴染を、王太子妃候補の一人である混血種(ハーフ)のメイド長に、やむを得ない事とはいえ刃を振りかざした……郎党。

 なんとか助け出し、アインズの目指す計画と事業に協力してもらいたかったのだが、それも最早──

 

「ユウゴ殿下!」

「ああ。どうかしたかい、フルカ? そんなに慌てて?」

 

 黒く染まりかける思考をおくびにも出さず、ユウゴは清廉な微笑みを浮かべ応えた。

 見つめる先にいる乙女……名は、フルカ・アルファ・セクンドゥス。

 黒髪に片眼鏡(モノクル)の姿──戦闘メイドの副リーダーとよく似た美女だが、母とは違い胸の膨らみがまったくない戦闘メイドが、珍しく声を荒げていた。

 ユウゴは視力向上用の眼鏡をはずして、幼馴染のメイドを見つめ返す。

 

「はっ、失礼いたしました。しかし──最古図書館(アッシュールバニパル)に詰めております私の父に問い合わせていた件で、早急にお耳に入れたいことが!」

「うん。聞こう」

 

 ユウゴはメイドの色白を極めた唇が耳に寄ることを許した。

 

「殿下のご命令を受け、熾天使(セラフィム)“以上”の神聖存在を検索した結果、該当する種族は“二種族のみ”ということで──詳細はコチラに」

 

 フルカが手渡した書類に目を通す。

 

「…………うん。やはり、そうか」

 

 思った通りだ。

 これで、あのミカとかいう熾天使。その力量の一端を掴んだ。

 

「いかがなさいましょうか? この情報、やはりアインズ様たちへ直接〈伝言(メッセージ)〉を?」

「いいや。この程度の情報であれば、父上も十分に調べられている」

 

 ユウゴがフルカを通じて情報を問い合わせたのは、ただの確認がしたかったからにすぎない。

 天使の澱と戦うことが確定した時から、天使種族などに代表される神聖存在の情報データは再確認を終えている。おまけに、あの戦闘はアインズ・ウール・ゴウンがルールを定めたチーム戦。外からの情報供給なども、魔法やスキルによる強化同様にシャットアウトすることが基本原則と言い渡されており、よほどのことにでもならなければ、ユウゴたちがアインズ、アルベド、シャルティアへの連絡を取り付けることはできない。一応、同じ玉座の間に詰めている守護者たち五人には、懸念を伝えておくよう命じる。

 フルカが〈伝言(メッセージ)〉を発する横で、母と父それぞれの特徴を宿す瞳を、図書館司書長の娘が用意した文面に落とす。

 ユウゴの推測した通り、あの『ミカ』という黄金の熾天使は──

 

(──だとすると、実に厄介だ)

 

 熾天使“以上”の力の持ち主。

 ユウゴの実母たるアルベドと鍔迫り合いを演じ続ける女騎士。

 ただのNPCが、ただの“希望のオーラⅤ”によって、モモンガというプレイヤー──死霊系魔法詠唱者の極みに立つ存在──アインズ・ウール・ゴウンその人の発する“絶望のオーラⅤ”を中和するほどの威を発揮するという事象。

 

 その正体は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




吸収(アブショーブション)〉は書籍三巻で登場する魔法ですが、具体的な効力が不明なため、「敵の体力を吸収する無属性魔法」にしております。

 また、六大神や八欲王に起こった話についても、空想病の「空想」です。その空想の詳細が明らかになる時は──とりあえず天使の澱が完結するまで、お預けです。

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