オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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腫瘍(しゅよう、Tumor)とは、組織、細胞が生体内の制御に反して自律的に過剰に増殖することによってできる組織塊のこと。腫瘍ができたことにより、身体に影響を及ぼすことがある。
病理学的には、新生物(しんせいぶつ、Neoplasm)と同義である。なお、Neoplasmはギリシャ語のNeoplasia(新形成)からできた単語である。

腫瘍細胞は、環境さえ許せば(例えば人工的な培地で培養されるなど)無限に増殖する能力を持つ、不死化した細胞である。
(以上、Wikipedia参照)


腫瘍

/War …vol.03

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「失せろ、雑魚天使!」

 

 シャルティアの槍撃が、クピドの放射し続ける弾雨をかいくぐって迫る。

 しかし、グラサンをかけた赤子は怖じるわけがない。

 

「“神風特攻(ディバイン・ウィンド)”──軍勢召喚」

 

 名もなき戦友たち。

 神風特攻によって招来される、特異な存在たち。

 愛の天使(キューピッド)のクピドが空間から呼び寄せたものは、陽炎(かげろう)のごとく輪郭のない天使群。その命は短く、攻撃のためだけに呼び出され、数秒間の攻撃の後には、塵ひとつ残さず消滅する──泡沫(うたかた)のごとき兄弟たち。その総数は数秒間の攻撃のみにしか使えぬ制約から、30体ほど。壁役や盾にも使えない赤子の影たちに、クピドは己の格納庫から一種類の武装群を与えていく。

 

「銃列横隊」

 

 召喚主たるクピドの号令で、彼らは召喚主を中心とした横三列の隊形を構築。

 手足だけが力感を灯し、槍衾のごとく築かれた火打銃(マッチロックガン)の数々。クピドの格納庫に収納されていた銃系統アイテムの中では、そこまで価値はない。

 だが、たった一騎の吸血鬼を相手取るのに、これほどヤリやすい手段もない。

 

ファイア(はなてぇ)ッ!」

 

 徹底的な面制圧射撃。火力のみを追求した火属性の攻撃アイテムは、アンデッドには煩わしい威を発揮する。ミニガンの弾切れを狙って突撃を敢行した紅い吸血鬼が、その鎧と翼とを、炎属性の一斉射で押しとどめられてしまう。

 

「このクソ!」

 

 呻くシャルティアは、またも反転し、後退。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!」

 

 貴重な魔力を摩耗して、斉射攻撃を繰り出した陽炎の軍勢ごと、愛の天使(キューピッド)の矮躯を焼き尽くさん広範囲魔法を唱えた。しかし、

 

「天使には炎属性なんぞ、涼風みたいなモンでしかねぇぞぉ!」

「〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!」

 

 装填を終え、再びミニガンの火力を発揮するクピドに対し、シャルティアは会話に応じることなく、炎属性攻撃魔法を再詠唱。

 広範囲を焼灼する爆炎の業火が晴れた時、クピドはシャルティアの姿を見失ってしまう。

 

「はん? 爆炎に紛れて、身を隠すかぁ? お利口さんだなぁ……」

 

 吸血鬼の能力、ミストフォームによる霧散化。本来であれば大量の眷属召喚などの影に隠れて行い、敵の視界から消え失せる──あるいは敵の範囲攻撃を受けたと同時に行うことで、敵の攻撃外へと完璧に逃げ果せる技。霧と言っても自然に発生するそれではなく、星幽界(アストラル)体への変化によるもの。これの長所は隠れ潜むのには向いているが、感知され発見され攻撃されたときの防御力が低下するという弱点がある。

 

「だがぁ。この俺様の装備を、侮るなよぉ?」

 

 クピドの両目を覆うグラサンは、高い看破能力や視力向上作用を発揮する魔法のアイテム。

 さらに同時に、星幽界(アストラル)体には攻撃不能なミニガンを収納し、新たな武装を格納庫から取り出して換装。手にしたショットガンは、魔法の効果で〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉を一発だけ打ち込むことができる。銃器は、煩雑な換装や装填の手間さえ克服すれば、ほぼあらゆる攻撃属性への対応が可能な汎用性を発揮する魔法武器だ。

 グラサン越しの視界。

 空間を非実体の存在が滑る感覚。

 宙を舞う赤子の背後から突撃してくる戦乙女を確実に捉えるクピドは、まったく振り返ることなく、後方からの急襲奇襲にも完全に対応。

 背後に突き付けられる銃口──トリガーが引き絞られる。

 衝音。

 

「くそ……“眷属”よ!」

 

 完璧な奇襲が失敗に終わったシャルティアは、召喚した蝙蝠を盾に直撃を防いだ。

 

「〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉!」

「〈転移遅延(ディレイ・テレポーテーション)〉!」

 

 シャルティアの転移魔法を、振り返るクピドの転移阻害が大いに邪魔立てする。

 スポイトランスの届く距離から離れた赤子の天使が、その身に纏う手榴弾を片手で器用に二つほど放り投げた。遅れて転移してきた吸血鬼が、炸薬の爆ぜる空間に突っ込んでくる。

 

「チィッ!」

 

 生じた爆炎に身を焦がされ、ランスの突撃(チャージ)を諦めたシャルティア。

 代わりに、彼女は別の手段に打って出る。

 

「清浄投擲槍!」

 

 白く輝く槍刃の煌き。

 一日の使用回数が限定されている特殊技術(スキル)。だが、もはや出し惜しんでいてよい状況ではない。神聖属性は天使には効きにくいだろうが、問題ない。墳墓の表層で、カワウソを止めようとした際に使ったのが一回目。これで二回目であるが……

 

「おっとぉ!」

 

 戦乙女の投擲したスキルを、使用済みのアイテム(ショットガン)を失った天使は避けようとするが、

 

「チ˝ィッ!」

 

 魔力を込めた追尾性能は、野を行く猟犬のごとく、宙を躍動する。

 愛の天使がどれだけ必死にジグザグの飛行軌道を描こうと、無駄。

 逃げれば逃げるだけ、シャルティアの罠の方へ誘導されるクピド。

 

「ハハッ! やはり特殊技術(スキル)を払い落せたのは、世界級(ワールド)アイテムの強化のおかげだったわけね!」

 

 墳墓の表層ではしてやられたが、ここへ来て溜飲の下がる思いを懐く吸血鬼。被膜の翼も軽くなったよう。クピドの逃げる先に待ち構えていたシャルティアが発動する魔法〈力場爆裂(フォース・エクスプロージョン)〉の、不可視の衝撃波が、赤ん坊の小さな体に降り注いだ。

 

「く……〈上位転(グレーター・テレポーテー)

「させるかよぉ!」

 

 今度はシャルティアの方が、クピドの魔法を物理攻撃で阻む。

 右手に再換装したミニガンの砲身で、スポイトランスの穂先を受け止めるが、

 

「ッ、やべぇ!」

 

 神器級(ゴッズ)アイテムの、おまけに呪われた騎士(カースドナイト)の槍撃を真っ向から受けた途端に、ミニガンの鋼鉄で出来た六連砲身が、一息に朽ちて崩れた。そこへ突っ込んでくる清浄投擲槍の白刃。直撃こそ免れたが、クピドの体力を些少は減少させるのに十分な威力を発揮していた。

 

「クソがぁ! “四番格納庫”解放!」

 

 半ば融けた飴のように砕け壊れたミニガンに執着することなく放り棄て、クピドは拳銃を──デザートイーグルの外装に酷似した大型のそれを取り出し、迷わず発砲する。

 

「ハッ。接近戦は苦手なのかしら? ク・ソ・天・使・がッ!!」

 

 赤子の天使の放つ弾道を読み切り、鎧と槍で弾き飛ばすシャルティアが、猛追。

 再度、振り下ろされたスポイトランス。

 ──だが、

 

「なにッ!」

 

 固い金属音が交差する。

 驚愕を面にするシャルティア。

 純銀一色の拳銃(ハンドガン)の銃身は、まるで接近することを、武器と打ち合うことを前提とした、分厚い金属で出来たものと言わんばかりの音色を奏で、神器級(ゴッズ)アイテムとシャルティアの特殊技術(スキル)による破壊攻撃を耐え抜いていた。

 シャルティアは理解した。

 

「ふふふ……俺様のような“兵隊”に、苦手な距離があるかよぉ!」

 

 兵士(ソルジャー)は左手の愛用品・対物(アンチマテリアル)ライフルを、近接戦闘武器・銃剣(バヨネット)の無骨な輝きに換装していた。

 

「シャアアアアアァァァッ!」

 

 鋭声と銃声を張り上げ、戦乙女に立ち向かうのは、身長数十センチほどの赤子。

 天使の澱の防衛部隊において、“遊撃手”としての役目を与えられた兵隊、その力。

 シャルティアよりも小さく、素早く、そして何より面倒くさい、赤ん坊の姿の──敵。

 

「く、……コノォ!」

 

 意外にも手数の多さに翻弄されかけるシャルティアは、白皙の顔面を大いに歪め、深紅に輝く血の武装を身に纏いはじめる。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

()きなさい、“トップ・オブ・ザ・ワールド”!」

 

 アルベドの放った、激励のごとき一声。

 かつては諸事情によって乗れなかった戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)が、轟く(いなな)きをあげ、騎乗者(ライダー)たる女悪魔の号令に、完璧に呼応。重々しい蹄鉄を黒く踏みしめる速度は、外の現地産八脚馬(スレイプニル)の疾走よりも早く、鋭い。先ほど女天使が右腕に追った損傷も、この騎兵状態で繰り出される速度に、ミカが追随できなかったことが要因だ。

 漆黒の戦斧を振りかざし、突撃してくる女騎兵の姿に対し、黄金の女騎士は悠然と、自分のスキルを発動。

 

「──来なさい。“天上体の戦車(セレスティアル・チャリオット)”」

 

 振りかざした左手より招来されたものは、雷光と耀雲を纏う物。

 ミカの召喚物はモンスターというよりも、ただの人工物──オブジェクトとしかいえない外見であり、これは古代における戦車──馬などの騎獣に曳かせて運用する兵器“チャリオット”であった。しかし、騎獣のいるべき位置には生物の姿はなく、代わりに燃え盛る大戦輪が六つあるだけ。

 ミカの元ネタである天使は、天上に瞬く太陽や星々の運用を管理する役職を与えられ、そのために天空を自在に駆ける乗り物を有していたとされる──それに(ちな)んだスキルが、この天上体の戦車(セレスティアル・チャリオット)という名のスキルオブジェクト。

 本来であれば、戦車を操る騎手と攻撃を担う弓兵とが相乗りするものだが、ミカが乗ることで、純白の戦車は自分の意志があるかのように車輪の雷火を回し始める。

 

「──進め」

 

 その速度はまさに流星──夜闇を引き裂く一条の星であった。

 アルベドの駆る魔獣の突撃速度を、まったく完全に凌駕するほどに。

 

「“誅殺の弓矢(スレイング・アロー)”」

 

 戦車に乗ったミカの手中に、これまたスキルで構築された光の弓矢が構えられる。

 しかし、ミカは純粋な弓兵ではなく、あくまで聖騎士の職業で弓という武器を扱えるだけで、剣ほどの威力は期待できない。速射連射(クイックショット)などの多数多層攻撃ではなく、単発の神聖属性弾を矢の形として撃ち出しているだけだ。

 故に、矢の直撃を三発四発受けても、黒い女にはダメージらしいダメージを与えられない。

 

「はん。そんな蚊のような攻撃で、どうにかなると思っ────てッ!!」

 

 アルベドは拍車をかけ、双角獣を跳躍させる。

 玉座の間の広大な天井を疾駆し、衝突を繰り返す騎兵たち。

 ミカは弓矢のスキルを諦め、光剣と光盾を、再び両手に構え直した。

 瞬間、

 

「──、?!!」

 

 戦車を揺らす暴撃。

 装備変更のスキを突いた漆黒の女悪魔が、単体で、双角獣(バイコーン)の鞍から跳ね上がるように飛び降りて、ミカの騎乗する戦車の車体に星が降るような速度で降り立った。

 その衝撃と重量で、ゴシャリと崩れる炎の車輪群。踏み砕かれた戦車は、しかし、まだ健在。続けざまに振り下ろされる斧刃がトドメとなり、戦車の機動力が完全に低下。さらにそこへ遅れるように、天上体の戦車(セレスティアル・チャリオット)の後背より迫る、騎乗者の命を受けて追撃に馳せ参じた、戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)の蹄。まさに前方の悪魔、後方の双角獣という状況。

 ミカは焦ることなく魔法を唱える。

 

「〈嵐の大釘(ストームボルツ)〉」

 

 黒い金属の馬具に身を包む騎乗獣には耐え難い雷の襲来。

 釘の形状に展開された雷霆の全方位攻撃は、魔法防御においても優秀なアルベドには特に問題なかったが、さすがに召喚された獣に対抗する手段はなかった。雷釘に穿ち貫かれ、悲鳴をあげながらもんどりうつ馬体。

 続けざまに、女天使は“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”による拡散攻撃で空間を薙ぎ払う。さすがにこれはアルベドも直撃を嫌って、回避行動を選択したが、体力の削られた双角獣にはひとたまりもない一撃である。

 玉座の石畳に落下した召喚獣は、健在。

 ミカは完全に迷うことなく、天上体の戦車──その残骸にしか思えないそれを、双角獣へのトドメとして突撃させる。床面に墜落する速度で車輪を回すオブジェクト。双角獣は抵抗する間もなく、戦車と同じ運命をたどるように、雷爆の閃光の中へ消えた。

 

「──なかなかやるじゃない? 私の可愛い“トップ・オブ・ザ・ワールド”を、まさかこんな簡単に撃ち滅ぼすなんて?」

「──それは、お互い様であります」

 

 騎兵たちは騎乗物を喪った。アルベドとミカは再び対峙する。

 双方共に、魔法を武器の先端から解き放った。

 

「〈深闇(ディーパー・ダークネス)〉」

「〈明輝(サンライズ・ブライト)〉」

 

 深き暗闇と明るい光輝が衝突して、相殺。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)不浄なる鉄槌(アンホーリーハンマー)〉」

「“回避(パリィ)”」

 

 アルベドが振り下ろした極大な暗黒は斧全体に纏わりついたが、女天使はそれを防御スキルで(かわ)しきる。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)輝光(ブリリアントレイディアンス)〉」

「“飛び道具回避(ミサイルパリィ)”」

 

 飛び退いたミカが解放した極大の光に対し、女悪魔も己の得意な防御スキルを駆使して(かわ)してしまう。

 二人の女騎士の戦闘は、完全に拮抗。

 魔法もスキルも回避し合い、戦斧と光剣は何十合何百合打ち合い続けたのかも判然としない。

 ミカは、自己に与えられた攻撃スキルの中で指折りの性能のものを発動。

 

「“黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)”!」

「“ウォールズ・オブ・ジェリコ”!」

 

 魔への特効攻撃となるスキルによって生じた光の蹂躙攻撃を、アルベドは防御役(タンク)の最高峰の防御スキルで完璧に耐え抜く。

 どんなに高性能なNPCでも、防御役(タンク)である以上は攻撃力に特化されたそれよりも格段に劣るのは、ゲームの鉄則であった。

 互いが互いの長所と弱点を知り尽くす二人は、そのための打開策を強行してみる。

 

「「 “武装剥奪(アーマー・デプリヴェイション)一点突破(ワンオーダー)”! 」」

 

 完全同時に発動した力。

 対象の武装を一箇所だけ削ぎ落とす中で、確実にひとつの防具を弾き、以後の戦闘で再装着不能にすることで、敵対象の弱体化を誘発するスキル。こうして、相手の性能を下げていくことで、自分の有利な戦況を構築していくことが、タンクの基本的な戦闘技巧であり、基本戦術と言える。

 アルベドとミカ──二人の頭部を覆っていた重い兜が剥がされ、玉座の間の床を転げ落ちる。

 漆黒の髪と黄金の髪が流れ、金色の瞳と空色の瞳が外気にさらされた。

 先に声を上げたのは、嫣然(えんぜん)と微笑む──アルベド。

 

「くふふ、認めるわ。……どうやら、あなたは私並みのタンク職を(たまわ)ったNPCのようね?」

 

 扱う魔法の系統どころか、特殊技術(スキル)に至るまで、二人の女騎士たちは似通っていた。

 

「けれど、私はナザリック地下大墳墓、()守護者統括、そして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国・大宰相──至高にして絶対者たるアインズ様の“愛”を勝ち得た、王妃の一人たる“最王妃”──アルベド」

 

 矜持に満ち満ちた女悪魔の眼光が、冷徹な彩色と温度を帯びていく。

 アルベドの紡いだ“愛”という一音に眉根を動かしたミカは、こちらも冷静に、敵の動向を把握していく。

 

「見せてあげるわ、私の真の力──真の姿を!」

 

 漆黒の鎧の内で、悪魔の変身能力(オリター・セルフ)の膨張が、泡立ちのように魔の存在を変異させ、その異形にふさわしいステータス上昇効果を施していく──はずだった。

 

「────?」

 

 アルベドは、自分の変身が──肉の膨張が静まったことを感じる。

 感じざるを得なかった。

 だが、望んでいた本気の力──本来の姿に戻ったという実感はなく、事実、アルベドは女神のごとく嫋やかな肉体……通常形態のままを維持していた。魔法の鎧は、神器級(ゴッズ)アイテム……ヘルメス・トリスメギストスは、内部にある体が拡大しようと縮小しようと──たとえ人外の形状に変貌しようと、自動的にサイズ変更が加えられる性能を持つ。

 なのに、アルベドの五体は、女のなまめかしい肢体や白魚のような指先から、まるで変化がない。

 疑念する女悪魔は、ふと、顔を上げた。

 

特殊技術(スキル)──“底なき淵の鍵(アビス・シーリング・キー)”」

 

 女天使の囁く声。

 まるで、鍵のように伸ばされた人差し指の先に、スキルエフェクトの“錠前”が浮かぶ。

 手首から指先までの手全体が、半回転したと同時に、ガチリ、と施錠される音色が轟く。

 アルベドは悟った。

 ミカは頷き謳った。

 

「このスキルで、悪魔の変身能力(オルター・セルフ)による大強化は“封じた”──熾天使(セラフィム)たる私の前で、『悪魔ごとき』が本領を発揮できるとは思わないことね」

 

 挑発するような音色。

 純白の錠前は、まるで装備品のごとく、女天使の鎧の胸章部分へと吸い込まれ、その位置に固着。

 これで、ミカというスキル発動者──女天使が死なない限り、この封印スキルは解除されない。

 つまりそれは、アルベドの本来の力は、この戦いの間、完全に封じられたことを意味する。

 

「テメ˝ェ!」

 

 アルベドの沸騰した感情が、空間に刃のごとき殺気を打ち込んでいく。

 特殊技術(スキル)騎士の挑戦(ナイト・チャレンジ)”で、ヘイト値が二倍になった以上の憎悪感情のまま、アルベドは突撃。

 

「〈暗き征服の刃(ブレード・オブ・ダーク・トライアンフ)〉!」

「〈輝く勝利の刃(ブレード・オブ・ブライト・ヴィクトリィ)〉!」

 

 ミカもまた応じるように、炸裂するような速度で駆ける。

 悪しき聖騎士(アンホーリーナイト)と、聖騎士(ホーリーナイト)の武器強化魔法が、一点で交錯。

 交差する武器に灯る悪意と聖気が、舞う火の粉のように、女騎士たちの激突を照らした。

 彼女たちは、互いの敵を主人たちに近づけさせないよう、全力を尽くし続ける。

 女たちの背後──玉座の間の中心で、ひとつの嵐が吹き荒れていた。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、強い。

 そんな今さらなことを、カワウソは思い知らされた。

 

「は……はぁ……はッ……」

 

 息が切れる。

 呼吸が続かない。

 常のような調子ではいられない。

 今さらになって緊張が極限に達したのか、あるいは別の要因か、まるで判然としなかった。

 

「クソ」

 

 追尾してくる魔法の光弾を切り伏せながら、玉座の間を巡り続ける。第二天(ラキア)という神器級(ゴッズ)の足甲が繰り出す速度は、中の上のプレイヤー程度では追いきれないほどの速度を発揮していた──が。

 

「また待ち伏せ!」

 

 急ブレーキをかけて軌道修正。直角に近い軌跡を描いて、カワウソは自己を追い立てる魔法を回避し尽す。これが無限の広がりを持つ空間なら逃げ果せることもできるだろう。だが、この玉座の間は閉鎖された場所。いかに広大と言っても、壁や装飾柱、照明具に四十の旗などが行く手を阻む。

 アインズが解き放つ〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)魔法の矢(マジックアロー)〉の群れは、三十発を数える。魔法への脆弱性も酷い堕天使では、一発でも直撃を喰らうだけでヤバい。脅威的な光弾雨は、ゲームでは見られないような正確無比な追尾性を発揮しており、カワウソは極めて不利な戦況に陥ってしまう(これは、魔法の性能が現実化によって向上したというよりも、アインズが100年かけて研鑽を、戦闘練習を積んだ結果である)。

 そうして、カワウソはアインズの罠の中に飛び込んでしまった。

 

「ッ……まさかッ!」

 

 点滅する世界。

 カワウソが飛び込んだ先で湧き起こる光球の三連鎖は、〈浮遊大機雷(ドリフティング・マスター・マイン)〉によるもの。天使は炎属性には強いが、単純な衝撃力をすべて殺せるわけではない。

 

「この!」

 

 カワウソは駆け続けるしかない。完全に起爆するよりも先に、爆発範囲から脱出する可能性に望みを託した。

 

「しゃッ!」

 

 後方で爆発する威力を追い風として、アインズの魔法を回避した──その先で。

 

「ちょ、ウソだろ?!」

 

 新たに詠唱された〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)魔法の矢(マジックアロー)〉が殺到してきていた。真剣勝負にハメ技をしかけるのは常套手段だが、あまりにも発動のタイミングが良すぎる。

 カワウソは魔法で宙を踏みしめながら駆け続けた。一歩でも速度を減じれば、待っているのは無属性の蹂躙。

 しかし、アインズは冷酷に魔法を唱える。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)心臓掌握(グラスプハート)〉」

 

 第九位階の死霊系魔法。天使種族には効き目が薄い即死魔法。その上、カワウソの鎧の内にある神器級(ゴッズ)アイテムの首飾り“第五天(マティ)”によって、そういったアインズの長所はほぼ無効化される。だが〈心臓掌握〉には、抵抗~無効化に「成功した」際の、優秀な副次作用が備わっていた。

 

「ぐ、ッ!!」

 

 朦朧とする意識。

 心臓を掌握された堕天使は、状態異常を即時吸収しステータス上昇を行う鎧“欲望(ディザイア)”があるのだが、この場面での状態異常罹患は危険すぎた。カワウソは一瞬からニ瞬の間、胸を打つ痛みによって昏倒しかける。

 つまり、堕天使の脚が、“止まる”。

 

「が、ああ、がああッ!!?」

 

 大量の〈魔法の矢〉が、背を、腕を、足や後頭部を打ちのめす感覚。背後から全身を棍棒で殴打されたような衝撃に、完全に打ちのめされた。

 

「い、てぇ……ッ!」

 

 振り返るカワウソの直上。

魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉を振り下ろしたアインズ。

 

「チ˝ィッ!!」

 

 刹那、床を蹴り上げて逃げる堕天使。

 一秒前までカワウソの頭があった空間を、次元ごと引き裂く無属性の刃が降り落ちる。

 玉座の間の床面は、傷一つ走っていないが、〈現断〉の威力はかなりのもの。これは単純に、ナザリック最奥の地だからこそ、そう簡単には壊れないという実証なのだろう。

 

「あぶね……ッ!」

 

 さらに、詠唱される〈魔法の矢〉が、横殴りの雨嵐のごとく空間を満たす。

 完全にペースを握られていた。この状況を打開しなければ、カワウソに勝機はない。

 

「いちか、ばちか──!」

 

 カワウソは背中を見せていた相手に対し、真っ向から対峙するように振り返る。攻め寄せる暴風のごとき魔法攻撃は三十発。それをかいくぐるしかない。

 深呼吸する間もなく殺到する矢の雨。聖剣と星球を振りぬき、迫り来る弾雨を防ぎながら、前進。盾を使うことも考えたが、被弾箇所が広くなりかねない盾を装備しても、堕天使の脆弱な体では耐久しきれない場合もあるので、カワウソは盾を使用した戦闘方法は完全に捨てていたのだ。防御ステータスを底上げしても、それを覆すほどの脆弱性が、堕天使の身体には備わっている。ならば、少しでも敵を攻撃する手数を増やす意味でも、両手に武器を携行するスタイルの方が、カワウソには有用に働く。まさにいちかばちかなのだ。

 十発を払い落とす中で、脇腹をかすめたものは一発だけ。

 ニ十発をかいくぐる中で、星球の鎖にヒビが入り始めた。

 そして、三十発を数える──

 

「抜けた!」

 

 嵐をかいくぐり、アインズ・ウール・ゴウンに肉薄する堕天使。

 聖剣に光を灯し、聖騎士の攻撃スキルを浴びせようとしたとき。

 

「──解放」

 

 死の支配者(オーバーロード)の重い号令。彼の周囲に浮かび上がるのは、戦闘前に準備していた〈上位魔法封印(グレーターマジックシール)〉の三つの魔法陣。各陣から撃ち出される三十発の光弾、合計九十。

 残光を引く魔法……奇しくもその様は、天使の降臨を思わせてならない。

 が、ここまで近づいたカワウソは、諦めない。

 このチャンスを無駄にはしない。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)復讐の嵐(ストーム・オブ・ヴェンジャンス)〉!!」

 

 スキル発動の兆候は、完全なはったり(ブラフ)

 本命は、信仰系攻撃魔法の中でも最強クラスの大魔法。身を護る(ウィンズ)ではなく、敵を攻め滅ぼす(ストーム)の力。酸・雷・炎・氷の複合属性ダメージが、魔法時間中、対象を襲い続けるのだ。天使と見紛うほどの光の雨は、竜巻に絡め取られた小鳥の群れのごとく統制を失ってしまう。

 自ら発動した魔法陣に囲われた魔法詠唱者は、その場から動けない。魔法の矢がすべて撃ち終わる瞬間まで、その場での待機が必須となるというゲームの制約があった。

 

「──クソが!」

 

 嵐の酸雨と雷鳴と炎熱と雹弾が渦を巻き、神からの天罰であるかのように、敵の総身を切り刻み続ける。

 その中心にまんまと捕らわれたアインズは、当然そのままでいるわけがない。

 

「〈魔法解体(マジックディストラクション)〉、〈魔法解体(マジックディストラクション)〉、〈魔法解体(マジックディストラクション)〉!」

 

 効果時間はまだ十分残っていたが、魔法解除の魔法で嵐が唐突に止んだ。

 三重最強化を打ち破るには相応の数の魔法を唱えなければならないので、都合三度もアインズは貴重な魔力を消耗したことになる。

 

「ふん。やるじゃないか」

 

 まるで余裕な表情で、吹き荒ぶ烈風に乱されたローブをただすアインズ。

 カワウソは思い知らされる。

 アインズ・ウール・ゴウンは、──強い。

 自分のようなプレイヤーでは、打倒し果せるイメージが、ほんの少しも脳内に閃いてくれないほどに。

 その力の正体は──力の源は、なにか。

 

「……なんで」

 

 そんなものは、決まっている。

 この玉座の間。

 このギルド拠点。

 この地に集ったプレイヤーたちの、実力がなせる業。

 ナザリック地下大墳墓……ギルド:アインズ・ウール・ゴウン……ランキングで公表されたギルド拠点ポイントは2750。カワウソが苦労して手に入れたヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)が1350ポイントであることを考えれば、この拠点を手に入れたアインズ・ウール・ゴウンの力量は、最初(はじまり)の段階から天と地ほどの開きがあるのだ。

 そう。

 カワウソは気づいていた。

 自分ごときでは、アインズ・ウール・ゴウンに抗しきれるはずがないことなど、とっくの昔に、わかっていた。

 なのに──

 

「なんで、俺は……」

 

 その事実を前にして、カワウソは俯く。顔を上げ続けることが難しい。

 カワウソは弱い。

 レベルは同等でも、対策を打ち立てても、作戦を練りに練っても、結局のところは、ただひとつの事実が、カワウソの敗北の確たる要因として鎮座していた。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、仲間たちを信じている。

 この異世界に流れ着いても、きっとまた、仲間たちと出会える未来を思い描いていたからこそ、彼は──モモンガは──鈴木悟と名乗ったプレイヤーは、“アインズ・ウール・ゴウン”の名を世に広めたのだ。

 それに対して、カワウソは、どうだ?

 

「げはッ!」

 

 殺到した無属性魔法の一矢。

 堕天使の肉体には覿面に効く魔法を詠唱し続ける、アインズ・ウール・ゴウンの戦術と戦略。

 

「カハっ……」

 

 手足が萎えるほどの絶望感。

 アインズ・ウール・ゴウンという存在と戦えば戦うほど、彼というプレイヤーの、聳えるかのような矜持の頂を見せつけられる。

 煌びやかな第十階層、玉座の間。

 アインズが仲間たちと共に築き上げた、栄光の証。

 居並ぶ階層守護者たちはNPCらしい忠誠心を堅固に保ちながら、ギルド長を支え続けたのだろう。

 嫌になるほどわかってしまう。

 

「どうした? この程度で終わりか?」

 

 戦える今を喜ぶようなアインズの呼びかけに、カワウソは萎えた手足に力を灯す。武器を握り直し、悠々と空を舞う死の支配者(オーバーロード)の威容を睨み据える。フーッフーッと繰り返し奏でられる荒い息は、手負いの獣がこぼす威嚇音にも聞こえる。

 

「愚かだな、君は。勝てない戦いに身を投じ、無意味に死ぬだけの末路を辿るとは」

 

 彼の超然とした振る舞いが、カワウソの精神を逆撫でしていった。

 

「……なんだ、その目は」

「──え?」

 

 骸骨に目はないぞと小首をかしげるアンデッドの王。しかし、骨の表情(かんばせ)ではあるが、カワウソという堕天使……異形種の瞳には、そこにある感情が不思議なほど透けて見える。

 楽しんでいる。

 愉しんでいる。

 何がおかしい──何がオカシイ──何を嗤っている──なにを嗤っていやがる!

 

「俺を、憐れむな」

 

 剣を杖にして立ち上がる堕天使は、無様の極みであることだろう。彼の言う通り、愚かだとしか言えないのも、正直わかる。

 魔導王の表情は、確かに好奇だろうか失笑だろうかの気配によって、確実に完全に緩んでいた。

 しかし、カワウソにとっては、それはあまりにも不愉快な事実を、堕天使の脳髄に刻み込むことを意味する。

 アインズは疑問する。

 

「憐れむ、だと?」

 

 そうだ。

 

「あんた、俺を憐れんでるだろ」

 

 そうとしか言えない。

 それ以外にありえない。

 この三対三のチーム戦といい、今も余裕な表情で立ち上がるのを待っている行為といい──そもそもにおいて、第八階層で転移鏡を超えられなかったカワウソたちを救いだした時点から、彼の中には、カワウソに対する憐憫の情が見え隠れしている。

 カワウソの大嫌いな感情だ。

 カワウソを嘲弄し嘲笑し嘲虐する者も多かったゲームの中で、次に多かったのが、カワウソを憐れむ連中だった。

 ナザリックの再攻略を夢見るという稀代の馬鹿──頭の沸いたプレイヤーを諭す者。誰からも賛同されず、理解も協調も合力もされないままだった堕天使を見下した声。そして、あろうことか、「忘れた方が身のため」などと説教だか説得だかしようとする奴らまで現れる始末。

 無論、彼らの言い分の方が正しい。絶対的に正しいのだ。

 ゲームなんかでマジになって、復讐だとか仕返しだとかを企むクソを、むしろ応援する方が難しいもの。

 カワウソ自身、自分がどれほど馬鹿な所業にとらわれているのかわかっていながら、結局はあのサービス終了の日まで、諦めることは、できなかった。

 

「妬ましいな……嫉ましいよ……」

 

 彼の強さへの嫉妬では、ない。

 カワウソが狂おしいほど実感しているのは、アインズと自分の絶対的な“差”だ。

 

「あんたは、仲間を信じて、アインズ・ウール・ゴウンの名を、アインズ・ウール・ゴウンという存在を、この世界に轟かせたんだろ?」

「────ああ。そうだ」

 

 (おごそ)かな雰囲気を孕む首肯。

 その超越者の存在こそが、カワウソにとって最大の障壁であった。

 

「俺には、そんなこと……できない」

 

 涙が頬の上を黒く伝う。

 

「俺は結局、仲間を信じられなかった……みんなの、仲間たちのギルドを、残すことは……できなかった」

 

 旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)

 カワウソの設立したギルドは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 ユグドラシルの自動名称システム……街角にいる占術師のNPCに名付けてもらった、カワウソというプレイヤーにおあつらむきの名を、ギルド創立申請用紙に記名した。旧ギルドの名を名乗ろうという気は、まったくこれっぽっちもありえなかった。

 もちろん、仲間たちと築き上げたものといくら似せようとも、仲間たちがいた時と同じギルドになど、なりえない。

 そう分かっていたから、カワウソは適当な名前をギルドの名とした。

 なのに。

 彼はどうだ。

 

「なんで、あんたは……あんたは、どうして、『アインズ・ウール・ゴウンでいられるんだ』!」

 

 カワウソは吠えたてた。

 嫉妬で狂いそうなほどの熱量が、堕天使の心臓を爆発させたかのように。

 

「どうして! どうして、あんたは仲間を信じられるんだ! 俺だって、俺にだって仲間たちがいた! なのに──俺は、もう信じられなかった。仲間たちが立ち去っていくのを、俺は、止めることすらできなかった!」

 

 仲間たちとの哀しい別離、おぞましい記憶の深部が、堕天使の脳神経を揺さぶり続ける。

 

「はじめての友達だった。大切な仲間たちだった。なのに、俺は、俺には、仲間たちと築いたものは、ほんの少ししか残らなかった。なのに、アンタは、アインズ・ウール・ゴウンを名乗り、ナザリック地下大墳墓を一人運用して……この世界でも、不動の伝説を築くなんて……どうして、どうやって、どんな志でいたら、それだけのことができる?」

 

 仲間を信じる彼が。

 仲間を信じ続けた男が。

 仲間との絆をつなぎ続けた王の姿が、カワウソには、太陽よりも眩しく輝いて見える。

 嫉ましい。

 妬ましい。

 俺には、できない。

 俺にはそんなこと不可能だった。

 俺は、彼のようにはできないし、彼のようには、なれない。

 これだけのことを、100年もかけてやり果せた彼のことが、心の底から……羨ましい。

 

「──ッ、俺と! アンタは! いったい、なにが違ったっていうんだ!?」

「それは……」

 

 アインズがどう答えたものか判然としない表情で顔をそむけた時。

 

「俺は……オレは……おれ……ぁ……お、ぁ……?」

 

 カワウソの、堕天使の視界が、暗転する。

 そして、その声を、悪夢の中で耳に馴染んだそれを、聴く。

 

 

 

 

『憐れだなぁ、おまえは。

 自分がヒトリボッチであることに、ようやく気付いたのかよ?』

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソの様子がおかしいことに、アインズは数秒遅れて気づく。

 

「──どうした?」

「おれ、おれぁ、おれは?」

 

 心底、困惑を覚えさせられる、堕天使の狂態。

 

「お、おい──カワウソ?」

「俺あ……ア、あ……お、れ──ァアァァァ?」

 

 眼窩のごとく真っ黒に染まった、カワウソの双眸。

 堕天使の感情が、見る間に狂気の度合いを深める。

 

『おまえはひとりぼっち』

「や、めろ」

『おまえはだれにもりかいされない』

「やめ、ろ」

『おまえになかまなんてものはいやしない』

「やめ……」

『おまえは、ココで、ヒトリボッチデ(ミジ)メニ()ヌンダヨ!』

「ヤメロォぉぉぉおおおおおオオオオオオッッッ??!!」

 

 カワウソは聖剣を振りぬいた。星球をとり落した左手で耳と頭をかき乱し、右手に持った凶器をめちゃくちゃに振り回して、そこにいない影法師を、笑い嘲弄する誰かを切り伏せようと、狂い、もがく。

 

「アアア! ああ、あああ!! アアアおおおあぁあああぁああッ!!!!」

 

 しかし、そこにはなにもない。

 いるわけがない。

 さきほどの会話はすべて、カワウソの、堕天使の唇から零れ落ちたものだと、相対するアインズは見て聴いていた。堕天使の嘲笑と絶望の双面劇を見せられているような錯覚を覚える。しかし、アンデッドの感覚野が見聞きするものが、目の前にある現象事象が、幻聴や幻覚の類であるわけがない。

 そして、アインズは結論する。

 

「これは、ツアーの言っていた……“異形化”が進行しているだと? もしや、堕天使であるが故のものか? まさか、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴの影響? それで、これほどの? ──いや、しかし」

 

 

 ツアーから聞いていた。

 

 

 八欲王の中でも、自分の外見が醜悪すぎる異形種(バケモノ)のそれに変貌した事実に惑乱し動乱し狂乱しきった者が、三人ほどいたと聞く。中でも“深祖”──真祖(トゥルー・バンパイア)深きもの(ディープ・ワン)の種族を同時取得していた()の王は、「──人間に戻りたい」という一心で、『異形種からの人間化』を目指した結果、数多くの現地人の生き血を啜り、邪悪と混沌を極めた儀式の研究と探求にのめり込み続けるほどに、暴走した、と。

 

 

 アインズは、精神安定化のおかげで平静を保てるモモンガ……鈴木悟は、カワウソの症状を、その狂気を、ただ見据える。

 

『お、おおおおおれれれれれはああああああああああ」

 

 ただの黒以上におどろおどろしく染まった暗黒の容貌から、滝のごとくこぼれる音色。それはまるで、バグったゲームキャラのような狂相か。あるいは脳髄に病巣となる悪性腫瘍を宿し苦悶する、死病罹患者のそれであった。

 泣いて嗤って狂い続ける堕天使は、前後不覚に陥っている。この状態で、カワウソに手を下すのは容易だが、どうにもふんぎりがつかない。

 その理由は、彼に対して憐れみを懐いたからでは…………ない。

 カワウソは重度の薬物中毒、その禁断症状じみた調子で、吠えまくる。

 

「あぉ、俺は、『ヒャハ! おれは、オレ、ああハハハハ、「ちがう違うチガウ』、俺が俺で俺は……う、ぅぁああ」……おォれェはァ? アアあああ、ううう、おおおオオオ──あ˝ーはは! ひゃあはははははは、ハハァ!!』

 

 もはや、アレが何なのか──どういう状態にあるのかもわからない。

 アインズは、聖剣すら振り落とし、両手で頭と顔面を掴み覆うカワウソの狂貌を、観察し続ける。

 ぐるぐると入れ替わる感情。両の眼を穿たれたような漆黒の(うろ)。そこからボタボタこぼれおちるのは、粘性のある血涙の赤と黒。通常人類とはかけ離れすぎた、狂態と呼ぶのも躊躇われるほどの、異常。

 アインズは思い出す。

 これに似た、この世界で確認された彼の狂暴と狂乱を、ひとつひとつ思い返す。

 

 

   俺は、とっくに許している。

   とっっっくの昔に、……許しているとも──裏切り者のことなんて

 

 

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の領地で見た、部族の裏切者(ホーコン・シグルツ)に対する過剰な悪意。

 

 

   許しなんてしない……許しなんて……許し?

   ──許し? 許し?? 許し???

 

 

 生産都市(アベリオン)の地下で見せた、死の支配者(オーバーロード)部隊に対する狂乱地獄。

 

 

   ア、ああ、ア˝ア˝ア˝……?

 

 

 ナザリックの表層に到達した彼が、アルベドとシャルティアとの会話中、唐突に……「許し」という単語に過剰反応を引き起こした堕天使。

 いずれも、堕天使という種族の見せる、狂気と凶意にまみれた変貌ぶりであった。

 そして、今。

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンという存在……仲間たちとの絆を見せつけてくれる至高の魔導王の姿を前にして、カワウソの精神は、仲間たちとの誓いを果たそうと死戦を繰り広げる男は、心のタガが外れたような様態を呈している。

 

 

 彼もまた人間とは違う物──人間の(ことわり)から外れた者──人間にはなりえないモノとして、精神を異形のそれに変質させていると、そう判断するしかない。

 

「ふむ。これは……………………!!」

 

 アインズは瞬間、アンデッドの自分の身に湧く理論的過ぎた企みに、慄然(りつぜん)となる。

 憐れみでもなければ哀れみでもない。そんな感情、かけらも懐いていなかった。

 それが、何よりも恐ろしい。

 

(馬鹿な……『この男を捕縛し、調べてみる価値がある』──などと!)

 

 心底から湧き出る恐怖に竦みあがりながら、アインズは精神安定化の波に揺られて、通常の冷静沈着な思考に立ち戻る──否。

 断じて否だ。

 アインズがまっとうな人間であるならば、どうして目の前の男を「助けたい」と思わない。冷静なアンデッドの思考は、そう思うことができなかった。同じユグドラシルのプレイヤーを、自分と似た境遇に苛まれた彼を助けようと、そう必死に乞い願うことこそが、人として正しい在り方であるはず。

 なのに。安定化した精神は、そんなことを些末事と捉えて、アインズに何のアクションも起こさせない。ナザリック地下大墳墓への侵入者──敵に対する悪感情と敵愾心(てきがいしん)が、確実にマズい方向に舵をきっている感覚がある。人間としての強い感情はすべて、アンデッドの精神安定化の対象と見做され、問答無用で鎮静化されていくから。

 こうして、敵の自滅を待つかのように、自分の利益になりそうな情報を見せつける敵の姿を──“愉しむ”など──実験動物のもがき苦しむさまを観察するかのように振る舞うなど、完全にアンデッドのそれでしか、ない。

 

(……俺も、人のことは言えない、か)

 

 アインズも確実に、アンデッドに成り果てたことへの影響を受けている。受け続けている。かろうじて残っている鈴木悟の残滓を、なんとか人の形に保つことで、人としての自分を認識できている程度────それも、この先どれほど保存がきくものかどうか怪しい。スルシャーナという「死の神」、六大神の最後の一人ですら、共に法国を築いた大切な仲間や、現地で出会った恋人と死に別れ、そうして、ついに“壊れ果てた”というのに。

 自分だけが例外であるはずがない。

 あるいはすでに、アインズは狂っているのかも。

 カワウソは、壊れた機械人形のように、膝を屈し顔を覆って、不明瞭な思いを呟き続ける。

 

 

みんな、ミンナ……どこ?

 ──みんなぁ、おいてか、ない、で……

「…………カワウソ?」

さ び し ぃよ……こ わ ぃ…………たすけ、──タスケテぇ 」

「カワウソ──さん?」

 

 たまらず、骨の手を差し伸べかけた。

 だが……

 

『ヒャアはははあはははははははははッ!

 助け? だずげぇ?

 誰がお前をダズゲル˝ぅ? ヒトリボッチのテメェごときをさ!

 アハッ! アはは、ぁひゃひゃっはあヒャヒャヒャヒャ、ハハぁっ!!』

 

 もう、アインズは直視できない。

 ゲタゲタと赤黒く嗤い続け、ボタボタと赤黒い涙を零し続けるカワウソを、救うべきか死なせるべきか、迷いあぐねている内に──痛烈な音色が、轟いた。

 

特殊技術(スキル)──“スプリング・オブ・コロサイ”!」

 

 途端、アインズとカワウソの足元を中心に、神聖な輝きがあふれ出す。

 

「な、なにッ!?」

 

 落下感。膝付近まで濡れる水の音。

 唐突な神聖空間の生成を、広範囲の規模で感じとる。自分とカワウソを取り囲むような薬泉(スプリング)。それは、石畳の床に置き換わって出現し、アンデッドの骨の足元を呑みこんでいたのだ。

 ついで、悪逆に過ぎる痛み。

 

「こ、これは!」

 

 アンデッドには耐え難い、強すぎる正のエネルギーが、その泉には満ちている。

 

「ッ、ぐ、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉!」

 

 下手をすれば、神聖属性の防備を固めていなければ、両脚がもげるやもしれない状態に陥ったものの、意外にもあっさりと転移魔法の使用で逃げることができた。泉からは程遠い位置に降り立ち、そんなアインズの無事を確かめるように、アルベドとシャルティアが舞い降りてくる。それなりの損傷を受けた死の支配者(オーバーロード)に、〈大致死(グレーター・リーサル)〉による回復を行使する主王妃と、そんな二人を盾のごとく護る最王妃は、敵の動静を注視する。

 謝辞を述べたてる二人だが、これは仕方ない。

 

「あの女天使──戦略家としても優秀なようだ、な?」

 

 ミカは、アルベドの斧による自分へのダメージなど(いと)わずに、主人にトドメの一撃でも喰らわせようとしていた(ように見えた)敵の首魁を、完全に追い払う治癒スキル空間の生成で防いだのだ。護衛に馳せ参じる女天使と赤子の天使は荒い息で体を上下させながらカワウソの身体を揺さぶり、主人を狂変させた敵首領(アインズ)への憎悪感情を剥き出しにしていた。

 ミカという女は、カワウソの身体を包み込むようにして己の胸に抱きながら、堕天使の頭を“手”で触れて癒す。クピドという赤子は、泉の淵の向こうに待機する敵たちへ油断なく、対物ライフルの銃口を差し向ける。

 理不尽であるとは思わない。

 そう。

 あるいは、自分も……モモンガも……鈴木悟も、何かが違っていれば、カワウソと同じことになっていたのかもしれないのだ。

 

(アインズ・ウール・ゴウンの皆が、俺を、裏切るような真似をしていたらと思うと……)

 

 そんなありえない妄想をするだけで、アインズの存在しない心臓が、刃に抉られるような痛みを訴えてくる。

 もしも、そんな事態に……境遇に陥っていたとしたら。

 アインズも、カワウソと同様か、あるいはそれ以上の悲嘆と慟哭を味わったかもしれないのだから。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 堕天使は、“眼”を開ける。

 

「は──は、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……あ、あああ?」

 

 カワウソの意識が、整合性を取り戻した。

 自分の身体を濡らす水の感覚から伝わる、癒しの力。

 治癒空間生成の特殊技術(スキル)──“スプリング・オブ・コロサイ”。

 ミカの元ネタの天使の加護が授けられたという伝承の薬泉は、その泉に浸かれば難病が癒され、万病に苦しむ人々を数多く救ったとされる。

 

「大事、ありませんか?」

「み……ミ、カ?」

 

 泉の中で自分を抱く女天使の表情は、今にも泣きだしそうに見えた気がした。けれど、濁り霞んだ視界では、あまり判然としてくれない。

 

「野郎ぅ……あの骸骨野郎ぉ……俺たちの御主人に何をしやがったぁ!?」

 

 クピドは猛り狂わんばかりの怒声を張り上げ、そのライフルの照準に敵の姿をとらえ続ける。

 カワウソの重みを増したような脳は、再起動したての電子端末のように調子が悪い。

 自分に何が起こったのか──正確に思い出すことすら困難を極めた。

 

「おれ──いったい、なにが?」

「思い出される必要は、まったくありません」

 

 ミカは砕けた自分の右籠手にかまうことなく、その表情を峻厳なものに整えながら、カワウソが立ち上がる補助を務める。堕天使の霞目が、霧の晴れたように世界を視認し始めた。

 

「あなたは、あなたの望む戦いを、続けやがってください」

 

 もはや、それ以外に天使の澱が生き残る手段はない。

 強大に過ぎる敵。圧倒的な戦力不足。

 だが、だとしても──

 

「私たちは、私たち“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”は、最後の一瞬まで、あなた様の援護を務めるだけ」

 

 カワウソは、諦めはしなかった。

 諦めなかったから、この戦いを実現できた。

 それが幸福か不幸か、幸運か不運かなど、もはや関係ない。

 

「あなたが、“あなたのままでいられますように”…………だから(・・・)

 

 兜の脱げ落ちた天使の表情は、依然として氷のような無表情のまま。

 しかし、カワウソはその言葉と声に、強く、心の底から励まされる。

 

「──ああ。わかってる」

 

 これは、カワウソのはじめた戦いだ。

 犠牲にした者は戻ることなく、逃げる道も帰る道もない。勝算は限りなく低く、勝ったとしても、そのあとは──

 だとしても。

 ただ、戦う。

 それを再認識した堕天使は、震える心臓を励ますように、ミカが回収してくれていた自分の武器を、両手に振るう。

 薬泉のスキルが明滅し始め、発動時間が切れかけることを認める。

 思わぬ形でダメージを回復できた天使の澱に対し、アインズ・ウール・ゴウンは粛然とした態度で待ち続けるのみ。

 

「いこう──」

 

 輝く泉の効果が消えたと同時に、戦闘は再開される。

 カワウソの背を護るように、ミカとクピドもそれぞれの敵に相対していく。

 

 

 破綻は、もはや目の前にまで迫っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




良性腫瘍(Benign tumor)
一般に増殖が緩やかで宿主に悪影響を起こさないもの。
悪性腫瘍(Malignant tumor、Cancer)
近傍の組織に進入し、遠隔転移し、宿主の体を破壊しながら宿主が死ぬまで増え続けてゆくもの。一般に「がん」と呼ばれるが組織学的分類により癌腫と肉腫に大別される。
(以上、Wikipedia参照)

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