オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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超過

/War …vol.07

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠い日の記憶。

 輝かしい過去。

 アインズは死闘のさなか、もの思いにふける。

 

 皆とこの玉座の間に集い、ここまでやってきたプレイヤーたちを、悪の親玉らしいロールプレイとして、ナザリック最奥の地にまで踏み込んだ勇者たちをどうやって歓迎してやろうかと、さまざまな議論を尽くした。

 近接職最強、ワールドチャンピオン率いる前衛たち。

 魔法職最強、ワールドディザスター率いる後衛たち。

 そして、水晶の玉座に悠々と腰かけ、魔王の部下という体裁で戦うギルメンたちを、悪の大幹部たちを差配するギルド長の姿。

 強靭無比なる前衛部隊と後衛部隊が敗れることは、ほぼありえない。魔王たるギルド長は泰然自若として君臨する存在でこそ映えるもの。何より、アインズの切り札たる“エクリプス”のスキルや、彼が個人で所有する世界級(ワールド)アイテムの能力を最後まで温存することが、この玉座の間での戦いの最適解であると、そう判断されていたのだ。

 第一から第八階層までの戦闘で消耗し尽しただろう勇者たちを、四十一人のプレイヤー全員で、圧殺する陣立て。

 玉座の間に唯一控えることを許された拠点NPC・アルベドも戦線に加え、勇者たちの一行を蹂躙する悪の軍団が形を成していく様を、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの全員で夢見たものだ。

 

 しかし、それも今や昔。

 

 メンバーは一人、また一人と去っていき、いつしかナザリック地下大墳墓は、ギルド長(モモンガ)ただ一人だけが活動する拠点と成り(おお)せた。これは、メンバーたちの裏切りではない。彼らは全員、リアルの事情で、自分の生活のため、ユグドラシルからの引退を余儀なくされ、結果、モモンガに自分のアイテムを譲り遺して、ほとんど全員が辞めていった。あのサービス終了の日よりも遥かな以前から、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは半ば死んでいた。広大かつ強力なギルド拠点の管理維持に必要な資金稼ぎに傾倒したモモンガは、ユグドラシルのゲームで新規実装された情報などは、その当時のモモンガに必要なもの──最低限の範囲だけを収集するのに留まった。

 さらに言えば、多数決を重んじるギルドの方針もあった。メンバーたち全員で協力し、共に築き上げた思い出深いナザリック地下大墳墓を、そのままの形で残すことにこだわったモモンガは、メンバーに無断でナザリックの改造や改良に着手することは、ありえなかった。2750あった拠点NPCポイントは既に使い切っていたし、彼らが創意工夫した作り込みに文句をつけるような真似は慎むべきであった。ユグドラシル後期において新規実装された、拠点NPC限定種族などが登場しても、まるで見向きもしなかったし、拠点防衛用の新機軸のトラップなどが発表されても、特に興味は惹かれなかった。

 

 ただ……“皆がいたら”……

 

「モモンガさん、このレアガチャに挑みましょう」とか、「フィールドが無限回廊になる罠が欲しい」とか、いろいろと想像するくらいに留めたことも、いまではすっかり懐かしい思い出である。

 アインズが懸念したナザリック地下大墳墓の“弱点”は、メンバーたちがいた全盛期の頃で半ば時が止まっていること──新情報や追加パッチ──他のギルドやプレイヤーに、ナザリックには存在しえない脅威が存在している可能性だった。

 

 

 

 そして、アインズは──モモンガは、今こうして戦っている。

 

 

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、死んでなどいない。

 

 無論、かつてはそう思い知らされた。すべては過去の栄光だと。泡沫(うたかた)のごとく儚い思い出の末路だと。ランキング最高第九位──だが、全盛期の地位からは遠く離れ、サービス終了日には29位。ナザリック地下大墳墓に挑戦する者は絶えて久しく、せいぜいモモンガがログインしていない時や狩りに行っている間に、ごく少数が上の墳墓に侵入し、いつの間にか返り討ちにしていたらしいぐらい。あの1500人とまではいかずとも、本格的にナザリック打倒を謳い、正面きって攻略に乗り出そうとする者は、あの攻略動画を知るユーザーたちから嘲笑されるのが関の山だった。ゲームの末期では話題のひとつにすらあがらなくなっていた。ナザリック地下大墳墓は、忘れ去られた──過去の遺物に成り下がっていた。凋落とは、まさにあの時、あの状態のことを言うのだろう。

 そして、この異世界へ転移した日。

 ギルメンたち友人らが残したものが、ナザリック地下大墳墓と拠点NPCが、皆の思いの結晶が、モモンガの前に黄金の輝きとなって残されていたのだ。モモンガはナザリック地下大墳墓の最高支配者として、この異世界に光臨するに至った。

 そうして、モモンガはギルドの名を背負い、アインズ・ウール・ゴウンとして大陸を統一し、全世界を征服せしめ、何よりも尊きナザリックの威を、遍く存在すべての上に示した。

 アインズ・ウール・ゴウンは、不変の伝説となった。

 地上に。天空に。海に──

 それまでにかかった労苦と災厄の数は、けっして少なかったとは言えない。

 だが、アインズ・ウール・ゴウンは、やり遂げた。

 やり遂げることができたのだ。

 

 

 

 そうして、100年後の今。

 

 

 

 アインズは戦っている。

 ギルドの皆と共に夢想してやまなかった戦いを、この玉座の間で、現実のものとしている。

 

 それがただ嬉しい。

 こんなにも楽しいことはない。

 

 すべては、そう。

 ──“彼”のおかげだ。

 

 100年後の魔導国に現れた敵として、アインズ・ウール・ゴウンに挑む彼と──彼のギルドがあったからこそ、アインズは今こうして戦っている。その事実によって、存在しない心臓が快く弾み、これまた存在しない眼球が涙で潤むかのようだ。本当に、嬉しくてたまらない。皆と見た夢を、自分は今まさに体感している。絶望を撒き散らすアンデッドのくせに、骸骨の総身から喜びと歓びが満ち溢れてしまう。

 もっと長く。

 もっと強く。

 もっと先へ。

 もっと前へ。

 そうして、この一秒を、少しでも多く、堪能したい。

 ただの自己満足かもしれない。本当は「皆がここにいてくれたら」という自暴自棄もあるかも。

 

 それでも、この我儘は、この戦いだけは、

 譲れない。

 

 だから、アインズは迷うことなく────戦う。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズの身体が、神聖属性の一蹴を受けて、またも吹き飛ぶ。

 だが、同時にカワウソの身体を引き裂く〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉の刃がカウンターのごとく叩き込まれ──同時に、ミカとかいう天使の「加護」によって、すぐさま再生・回復していく。

 

 その状況を、シャルティアは刮目して見ていた。

 見ることしかできなかった。

 

 戦況は、控えめに見ても、アインズたちの企図から逸脱して余りある状況に達していた。

 アインズの時間魔法への完全対策(カウンター)

 脆弱な肉体を巧みに強化し尽くした装備と魔法。

 平原の戦いで、雑魚狩りに使っていた未知の多い特殊技術(スキル)

 対アインズ・ウール・ゴウンへの執念が結んだ、完璧な戦術と戦略の妙。

 さらに、奴が連れ込んだ女天使──否、“それ以上の神聖存在”としての力を発揮する女が、アインズの盾となるべき王妃を妨害し尽している。

 最悪な戦況だ。

 最悪を超え過ぎていた。

 

「クッソッ……このまま、では……ッ!」

 

 そう鮮血の戦乙女──堕天使の配下である愛の天使(キューピッド)の死後に発動し続ける“足止め”スキルに身動きを封じられた──シャルティア・ブラッドフォールンが、危惧を懐いたのも無理はない。

 何とかしなくては。

 しかし、今の自分は“足止め”によって動けない。

 何としてでも、戦線に復帰し、広間の中心で片膝をつきつつ応戦するアインズの──自分が愛する御方の助力と援護に向かわねば。

 このまま状況を眺めたままでいるくらいなら、舌を噛み千切って自死した方がマシだった。……アンデッドの吸血鬼が自死と言うのはおかしい上に、それすらもこの足止め状態では許されないのだが。

 故に。

 シャルティアは吼える。

 

「……アルベドォオオオ!」

 

 健在でいる最王妃。

 女天使の猛追を、アインズのもとに向かわせまいとする敵との奮闘を繰り広げ続ける仲間の名を、一心に叫ぶ。

 告げる言葉は短い。

 

「“やりなんし(・・・・・)”!」

 

 だからこそ、アルベドの判断と行動も、速やかだった。

 

「申し訳ありません――アインズ様!」

 

 アルベドは叫んだ。

 同時に、心の中で親友(シャルティア)と、親友の創造主へと心から謝罪しておく。

 吼えると同時に、女天使を狩り殺すことにのみ終始していた女悪魔が、何を思ったのか、女天使とは別のものに飛び掛かり、暴力を与えるとは思われなかったもの──その場から微動だにできない味方の吸血鬼(シャルティア)──に、巨大な戦斧の刃を振りかぶる。

 

「せぁッ!」

 

 大質量の金属が(くう)を横に滑る。

 その途上には、シャルティア・ブラッドフォールンの矮躯があるのみ。

 真紅の鎧に身を包んだ親友の身体を、その胴体を、アルベドの一撃は確実にとらえ、そして──

 

「な?」

 

 唐突に距離を放されたミカは、目の前の光景に、愕然と目を(みは)った。

 あまりにも信じられない光景。

 女天使は言葉を失い、棒立ちも同然となる。

 

 アルベドの戦斧が、シャルティアの中心である腹部を真一文字に引き裂き、あろうことか上と下の“真っ二つ”にせしめたのだ。

 鮮血の尾を引く戦斧。大量の真紅が、石畳を濡らす。

 

「まさか、気づかれた⁉」

 

 女天使が驚愕の声を奏で硬直した、一瞬以上の──隙。

 

()きなさい!」

 

 矢継ぎ早に、アルベドは両断した親友の上半身を、背中を、裏拳で殴って吹き飛ばしてみせる。

 

「ぎぃ!」

 

 シャルティアの苦悶が声となる。

 あまりにも無残な同士討ちにも見えたが、実際は当然──違う。

 アルベドが、シャルティアを吹き飛ばした方向には、堕天使の影が。

 そして。

 

 

 

 

 足止めスキルで微動だにしていなかったシャルティアの身体が――指先が、

 

 ――“動く”。

 

 

 

 

 吹き飛ばされる上半身にのみ力が戻った。

 久方ぶりに体の感覚を──腹から上のみではあったが──取り戻せた。

 

「ハハァッ!!!!」

 

 会心の笑みと共に、大量の鮮血が口腔の奥から零れるが、構わない。

 アルベドの拳の力で吹き飛ばされる中途にありながら、吸血鬼固有の被膜の翼が、歓喜に湧くように羽搏(はばた)いてくれた。

 血色の瞳が輝きを増して、怨敵たる堕天使を見据える。

 掌中に握る神器級(ゴッズ)アイテムの先端が大気を(つんざ)く。

 

 

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは、体力を大幅に減少されながらも、戦線に復帰してみせた。

 

 

 

 この現象は、ナザリックの誰も知りえなかった。

 少なくとも“足止め”スキルに関する詳細な情報を知らない(さすがにこの短時間では、アインズに“足止め”の全情報について教えを乞う暇はなかった。足止めスキルにもある程度の多様性があり、それらすべてを解説する時間を捻出することは不可能だった)NPCたち――アルベドとシャルティアにとっては、賭けに等しかった。

 さすがにこれほどの損傷を、「胴体両断」という光景は、いくら真祖の吸血鬼といえど──アンデッドであっても、かなりの致命傷である。

 だが、これほどの大ダメージを外部から与えられなければ、足止めスキルは解除できない。シャルティアの行動の一切を封じる天使(クピド)呪縛(スキル)から、逃れることは不可能だった。

 敵であるカワウソとミカが、棒立ちに固定されたシャルティアを攻撃しなかったのは、何も攻撃する優先性が薄くなっただけではなかった。むしろ、足止めスキルが発動した相手は、外部からの飽和攻撃によって“即死させる”か、あるいは“無視する”かの択一しかない。せっかく動けなくした敵にヘイトを向ける暇があれば、他の残存敵兵力を排除することにこそ全力を注ぐ。それが戦闘における鉄則であり、必勝戦略。この戦いにおいては、わざわざ目の前の強敵を無視して、動けない敵に即死レベルの大ダメージ攻撃を発動させる余裕も間隙もなかったことが、大いに影響を及ぼしていた。

 

 しかし、アルベドとシャルティアは、この一縷(いちる)の望みに賭けた。

 

 あの第八階層で、あの堕天使が配下の天使たちのほぼ全員を足止めスキル保有者にしていたことは周知の事実。

 ……まさか本当に、配下のすべてに捨て駒役をさせるとは思っていなかった。足止めスキル獲得に伴う分のレベルは当然ながら失われる以上、その失われたレベル数値分だけ不利を被るはず。

 が、だからこそ、アルベドたちは決戦に至るまでの作戦時間で、もしもの時の緊急対応として、足止めスキルを喰らったNPC(もの)に対し、致命的なダメージを与えること――それによって、足止めの効果が解除されるか否かを試みること──を、あらかじめ示し合わせていた。彼女らを大切に想うアインズの了承も、彼本人は最後まで渋々ではあったが、取り付け済みである。

 

 つまりは、この同士討ち攻撃こそが、天使の澱の“足止め”スキルへの、──装備交換以外での、“対策”であったわけだ。

 

 無論、これで足止めが解除されるのかは不明だった。

 もしも、あの天使共の保有するスキルが、対象の“死亡”によってのみ解除される類の強力なものであれば、こんな試案を実行に移しても徒労に終わる。そこまでの危険を冒してまでシャルティアを解放させるほどに、状況は逼迫(ひっぱく)していなかった。

 

 だが、状況は思わしくない方向に向かい転がり始めている。

 思い悩む暇など、かけらも残ってはいなかった。

 

 そうした懊悩の果てに、“同士討ち(フレンドリィ・ファイヤ)可能”なこの世界において、アルベドがシャルティアに致命的な損傷を与えたことで、足止めスキルは「足止めの役目を果たした」と判定。かくして、可憐な吸血鬼に施された天使の呪縛を排除せしめてくれたのである。転がっていたクピドの死体が、スキルを解除されたことで、今度こそ完全に消滅していった。

 

 しかし……アルベドとしては、この方法だけは使いたくはなかった。

 

 そもそも論として、本当にそんなことが可能なのかという懸念が強かったのも、ある。

 そして、何より、シャルティアは至高の御方々の一人により作られたナザリックの同胞であり、戦友であり、恋敵であり、今や共に正妃の座に連なり、同じ男と褥を共にする無二の親友で──アインズの“家族”だ。それほどの存在に刃を突き立て割断するなど、本来であれば絶対に遂行できない蛮行であり、悲劇であった。

 

 

 だが、アインズの危機は、すべてを超える。

 

 

 その事実を、引き裂かれた側のシャルティアも理解している。

 故に、自分を断ち斬らせた。

 アルベドのおかげでシャルティアは、それまでの鬱憤を晴らすかの如く、憎悪の突撃喇叭(ラッパ)を吹き荒らせるのだ。

 

 

「くったっばっれぇぇぇぇぇ!

 クッソッ天使共ォォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 銀の弾丸、というより、鮮血の砲弾と化したシャルティアが、切り分かれた腹から自分の血を、生命力の象徴ともいうべきものを辺りにまき散らしながら急速飛行する。アルベドの拳撃の威力に加え、自分の翼を駆ってスピードに乗る。憎悪という燃料をくべた吸血鬼が、何ひとつ(あやま)つことなく、アインズを襲撃し続ける堕天使の姿を目標に定めた。

 

「な……チィっ!」

 

 急転する戦局に、カワウソは片翼を使い、終始優勢であった戦域から逃れるように宙を滑る。

 アインズへの攻撃を諦めた先の空域に、鮮血に塗れた戦乙女(ワルキューレ)が、突撃。

 空間をゴリゴリ削減していくような風切り音。

 カワウソはそれを、寸手のところでギリギリ回避できた。さすがに、あの形状、上半身のみという状態になるほどのダメージを与えられては、いかにシャルティアでも十全な追尾攻撃は不可能な事。

 だが、シャルティアは諦めない。

 諦めるはずもない。

 

「逃がすかァッ!」

 

 玉座の間の壁面を滑りつつ、左手で方向を転換、そのまま柱を叩いて再突撃を敢行する。

 ただの人間や生命体では、これほどの失血を被って、これほどの執念を燃やしながら、戦い続けることは不可能なこと。

 だが、シャルティアは人間でなければ、厳密には生命ですらない。

 アンデッドとして、真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)として、当然な感覚のまま、鮮血の戦乙女シャルティア・ブラッドフォールンは、槍を構え突撃していく。

 見る間に「三対二」の図式が整えられた。

 正確には「二・五対二」というべきだが。

 

「アアアァァァアアアアア――ッ!!」

 

 突進する戦乙女の繰り出した槍撃が、カワウソの広げた片翼をかろうじてとらえた。

 長いリーチを誇る神器級(ゴッズ)アイテム、スポイトランスが突き刺さる。

 

「しまっ!」

 

 吸血鬼に体力を吸い取られる。

 いくら特殊技術(スキル)でステータスを底上げしていても、スポイトランスの一撃は容赦なく、カワウソの体力を削り取っていく。

 

「キャハッ!!」

 

 戦乙女が傲然と、艶然と、超然と、嗤う。

 

「クッソ!」

 

 たまらず、カワウソは“光輝の刃Ⅴ”を発動して迎撃する。だが、あと僅かのところで回避され、直撃はできなかった。

 片翼は、堕天使が〈飛行〉を行使するのに必須なオブジェクトであり、アバター外装の一部とカウントされる。

 つまるところ、堕天使の最高レベル特殊技術(スキル)は、被弾箇所がどうしても広がってしまうというデメリットが存在しているのだ。

 本当に、どこまでも使いにくい種族であると実感してしまうカワウソを、吸血鬼は逃すはずがない。

 

「まだまだぁ! 私はぁ! 戦えるぞぉォォオオオ!」

 

 天使(クピド)の呪縛から逃げ果せた真祖は、敵が描いたのと同じ縦横無尽の軌跡を真っ赤に描きつつ、堕天使の戦闘意識を攪拌(かくはん)していく。

 

「チィッ、クソ!」

 

 そして、

 

「──おいおい……私を忘れてもらっては、困るぞ?」

 

 闇の底より響く死の音色。

 繰り出されるは、彼の得意とする死霊系魔法。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキマイズマジック)心臓掌握(グラスプハート)〉」

 

 アインズの掌が、堕天使の臓器をいたぶるように三度、握り込まれる。

 

「ぐ、が、おアッ!」

 

 またも繰り出された心臓への三連撃は、確実にカワウソの気力を損なっていく。神器級(ゴッズ)の首飾り“第五天(マティ)”の即死無効化によって、致命的な事態にはならないが、三瞬もの間、再び「昏倒」状態に陥った堕天使は、愛する者の援護に応えようと猛追するシャルティアの突進(チャージ)を受け止めきれない。

 金属同士の衝突音が豪快に響く。

 

「ぎ、ぁ!」

 

 またも繰り出された槍撃が、避け損なったカワウソから体力を奪掠していく。三連続の「昏倒」の状態異常を“欲望(ディザイア)”はステータスに還元してくれる……が、それよりも先んじてシャルティアの槍に体力を奪われては、どうのしようもない。足甲の速度に乗っても、守護者最強の座を冠するシャルティアはそれに追随できる。逃げようがない。

 何よりも恐るべきは、アインズとシャルティアの連携ぶりだ。カワウソではNPCをここまで使いこなせはしないだろう。

 

 ──カワウソは、まだまだ見誤っていた。

 

 アインズと、ナザリックのNPC……特に、アルベドやシャルティアたちは、アインズの正妃として(きずな)を最も深めた存在であると同時に、ただの魔法詠唱者でしかないアインズに、“知識”における近接戦闘のいろはを叩き込んだ教官でもあるのだ。さらに言えば、三人の連携は既に〈伝言(メッセージ)〉などの魔法が必要ないほどに完成され尽くしている。アインズがこれほどの戦闘センスを磨いたのは、無論、100年後に現れるだろうプレイヤー――今、目の前にいる堕天使が該当する――に対抗するために必要なことだったから。

 そして、カワウソはアインズたちの100年に及ぶ研鑽の前に、なす術を失いつつある。

 完全に、戦局は再逆転されてしまった。

 

「げぅ……!」

 

 翼の付け根の背肉が削がれ、吸われる。

 他にも肩や太腿、脇腹にも槍の穂先がめり込んだことを示す赤が滲み流れ出ていた。俄かに血にまみれ始めるカワウソは、ボックスからポーションを取り出し、中身を浴びて回復するが、そんなことをしてもまた吸血鬼の穂先に体力を吸われ、敵を回復させる助けにしかならない。むしろポーションをそのまま投げて浴びせてしまった方が吸血鬼のダメージになるだろうが、あの速度では命中させることは無理だと判る。では捕縛して身動きを封じればとも思えるが、拘束などの状態異常に耐性・対策手段を備えていることは、腰にある“巨狼の縛鎖(レーディング)”が弾き飛ばされる光景からして確定だ。

 傷を広げる呪詛と血色に染まる怨嗟の槍舞が、堕天使の総身を包み込む。

 シャルティア・ブラッドフォールンは、まるで容赦などしない。

 迎撃や防御に使う聖剣のうち、“黒曜の聖剣”が槍の突進により罅割れ、呪われた騎士(カースドナイト)たる吸血鬼の牙で、アインズからの強化魔法を受け取った体で、確実に割り砕いていく。この戦いで三本目となる武器破壊。カワウソは迷うことなく、砕けた黒曜石の剣を放り棄て、対吸血鬼(ヴァンパイア)用の武装──“(しろがね)甕布都神(みかふつのかみ)”という片刃の銀武器を即座にとりだす。

 油断も逡巡もなく、敵を狩り尽くす意思のみで、己に与えられた翼を駆動させ続ける吸血鬼が、迫る。

 

「もォうゥ、一ッ撃ィイイイアアアアアッ!」

 

 吼えるシャルティア。憎悪に彩られた血色の瞳が、敵の全身を射抜く。

 恐怖と畏怖と酷怖に荒くなりかける息を懸命に整える堕天使。

 怖れすくむ自分自身が、カワウソには無性に腹立たしい。

 ここまで来て、恐れている暇など欠片もないのだ。

 堕天使は、意識を大地に突き立たせるかのように、“一歩”を踏み込む。

 玉座の間を激震させるにはいたれない、ただの堕天使の脚力。無論、その程度の現象はこの場にいるものには大した効果は及ぼすはずもない。拠点そのものへのダメージにすらなりえない。威嚇目的としても使えはしないのは確かだ。

 しかし、カワウソにとっては、違った。

 

「──来い!」

 

 薄弱な己をその場に突き立つ杭のように固定する強い意思を、自分自身に宿らせるための一喝に過ぎなかった。

 文字通りに「決死」の覚悟のまま、聖剣を胸元で刺突する半身の姿勢を保つ――瞬間、穂先と剣先が交わった。

 真正面から突き出される戦乙女の正確無比な槍撃は、堕天使の中心を突き穿つ。

 

「ごぅ、ぅあ……!」

 

 空気と共に鮮血を吐き出す堕天使。

 だが、

 

「ガァアアアァアアアアアああああああああああっ!?」

 

 悲鳴を上げたのはシャルティアだった。

 純白の聖剣が描く軌道は、確実にシャルティアの左腕を縦に両断していた。

 肉を切らせて骨を断つ――ならぬ、胸を突かせて腕を断つ。

 その損傷は()しくも、世界級(ワールド)アイテムにより洗脳された時のシャルティアが、アインズとの戦闘で負った傷と一緒であった。

 だが、今回の相手は、彼女の慈悲深い主にして、誰よりも優しく優しいアインズでは、ない。

 

「ウアァ!」

 

 続けて、カワウソは血を吐き散らし、獣のごとく吼え返すまま、左手を振り抜いた。

 もう片方の手に握る銀の剣が、シャルティアの首元から胸の奥を流れるように貫き、抉り、そして、捩じ切る。

 

「ギィャアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああ!!!?」

 

 さらに突き刺さった神聖属性の“銀”の剣。

 その一撃は、吸血鬼の心臓に、白木の杭を打ち込むが如き暴撃であった。

 絶叫の度を増す吸血鬼の様は憐れを誘うが、

 

「ガア、アアア、……っ、ナ、ナメルナァッ!」

 

 己が身を捩じり抉る“銀”のダメージも(いと)うことなく、吸血鬼の乙女は反撃に討って出る。

 堕天使を穿つ穂先を片手の膂力で振り回し、玉座の間の荘厳な石畳が割れ砕けんばかりの衝撃と共に、打ち下ろした。

 

「ご、あ――」

 

 カワウソの意識が、二秒の間だけ、飛ぶ。

 シャルティアは床面に己の身体を叩き落とした。

 堕天使への追撃には持ってこいの好機であったが、さすがに強力な銀武器に貫かれっぱなしでいては、吸血鬼の命に係わる。〈上位(グレーター)武器破壊(ブレイクウェポン)〉を発動する魔力は残っていないシャルティアは、自分の握る武器(スポイトランス)で患部を抉り、銀の脅威を引っかけるように排した。

 

「げ、カハァ、アァアアアゥゥ……あ、ああ!」

 

 鮮血と共に、神器級(ゴッズ)装備で強引に引き抜かれた“(しろがね)甕布都神(みかふつのかみ)”が床の上に勢いよく転がり、刀身をランスで貫かれた部分から割れ砕けていく。銀武器による激痛によって、上半身のみとなっていたシャルティアは、体力(HP)をさらに減耗させた。銀製の聖剣の凄まじいまでのダメージで、もはや翼を駆る力は残っていない。下半身は再構成しきれておらず、左腕まで失った。槍を構えたまま動き回ることは、物理上不可能な状況である。

 

「……クソ、……くそ、糞…………糞ぉオオオオオ!」

 

 胸に懐く思いのまま、床に伏すシャルティアは罵声を吐き出してしまう。

 黒い堕天使が上半身を起こし、立ち上がりつつある。

 忌々しきは、奴の装備する防具の、鎧の力。

 外部からもたらされる状態異常(バッドステータス)を一瞬の後に無効化するのみならず、己の基礎能力値(ステータス)に還元されては、理論上、無限に強化を施され続けることを意味する。シャルティアに与えられた体力を吸い取る神器級(ゴッズ)アイテムにも通じる厄介さだ。迂闊に状態異常を誘発させてはならないが、Lv.100の強者たる存在が繰り出す攻撃は、得てしてそういう状態異常や属性攻撃を誘発する仕様になっている。強大な力であるが故に、多様な攻撃性能を発揮し、確実に敵対象を撃滅するための仕様。

 そして。

 カワウソの、堕天使の特性は、そういった付加される異常を、殊更(ことさら)に受け取りやすい事実。

 なるほど。奴というプレイヤーが堕天使である限り、あの鎧は最高峰の防御手段となりえるのだ。

 

「クソッタレが!」

 

 口惜しいが、称賛に価する。

 だからこそ忌まわしい。あまりにも呪わしい。

 槍を右腕に握ることをやめずに、シャルティアは僅かな間隙(かんげき)を伺うように血眼を見開いた。

 憎々しげに堕天使を見据える吸血鬼に、カワウソは荒い息を整えながら、油断なく拾い回収した聖剣と、新たに取り出した刺突戦槌“火天の刺突戦鎚(ウォーピック・オブ・アグニ)”を構える。

 

 

 無論、カワウソも酷い痛みに襲われ倒れ伏したい気分だ。胸からこぼれる液体……どころか肉の破片の感覚は、まさに死を想起させて余りある。激痛は並の人間以上にカワウソの肉体を切り刻み、なれど異形種にして堕天使の狂気的な精神は、これ以上に壊れ狂うことを許しはしない。本当に、最悪に最悪な気分だ。この場でなければ、思い切り泣いて暴れまわりたい気もする。

 だが、倒れたままでいるわけにはいかない。

 アインズのオーラを中和中のミカ──彼女の回復スキルでは、完治させるには時間がかかりすぎる。

 カワウソは聖剣を持った手で、本日何本目かの上級治癒薬(ポーション)を取り出し、剣を握ったまま蓋をねじ開け、無理やりに傷口へ突っ込む。そうして、肺腑にまで届く戦傷をふさいだ。空になったビンを無造作に投げ砕く。無理矢理に気息を整える。

 聖剣を構え直し、アインズの挙動──シャルティアの戦闘・妨害活動によって、彼は、『自己への強化魔法をかけ直す補強時間』を得ていたのだ。まったくもって油断ならない──にも目を光らせる。

 しかし、次の瞬間。

 見咎めた彼の行動が、カワウソには不可解であった。

 

「……〈大致死(グレーター・リーサル)〉」

 

 アインズはたまりかねたように、アンデッドの回復手段を行使していた。

 回復対象は、アインズ本人では、ない。

 上半身のみとなり、今も重傷を被った真祖(トゥルー・ヴァンパイア)に対して。

 だが、誰の目にもそれは、明らかな失策に思われた。

 

「な、なりんせん、アインズ様!」

 

 回復の対象にされたシャルティア本人こそが、悲痛に彩られた絶叫をあげ、嘆いた。

 この魔法は、アインズ自身に施すべく用意されたもの。だというのに、シモベでしかないシャルティアに使い果たしては意味がない。この魔法は、本来アインズが使える魔法ではない。装備箇所をひとつ潰してようやく使うことができるように細工されたものなのだ。

 万が一、あの堕天使に致命傷を負わされても、ギリギリのところで回復できるのとできないのとでは、勝率が著しく変動してしまう。

 その程度のことは、アインズ本人も十分把握していた。

 が、見捨てるという選択肢は存在しなかった。

 ──否。

 戦闘前の作戦会議では、場合によっては切り捨てることも思考し、アルベドもシャルティアも「そうすべき」と了承していた。シモベたちNPCは、ギルドの運営資金を、ユグドラシル金貨を支払うことで復活することを、アインズ達は知悉している。

 ……が、いざ目の前で、自分の愛する妃の一人が生死を彷徨っている場景(じょうけい)を見ては、とても無視できるはずもなかった。

 アインズは厳格に、そして、誰よりも優しい思いを声に乗せる。

 

「さがれ。シャルティア。これ以上の戦闘は、私が許さん。今は──休め」

「……ッ、…………か、かしこまりんしたっ」

 

 文字通り血を吐くほどの言葉と共に、吸血鬼の戦乙女は後退を余儀なくされる。

 アインズとしては、この世界でシャルティアを二度にわたって喪失することが許せなかっただけ。その程度の主の配慮――我が君の想いは、すでに王妃の座を与えられた真祖の乙女には理解できる。

 理解できても、尚、悔しい。

 シャルティアは、アインズに回復された体力で翼を伸ばし、他の守護者たちが待機する玉座周辺にまで退いた。

 その様を、カワウソは(もく)して見過ごした。

 万全を期するならば、シャルティアを屠って、戦闘人数を確実に減らしておくべきだっただろう。

 アインズはシャルティアをさがらせたが、吸血鬼が再び戦線に投入され、今度こそカワウソたちと「死なば諸共」な特攻に(はし)ってこられてはたまらない。

 しかし、カワウソは追撃をしなかった。

 己を睨み据え、憎悪のまま咆哮し恫喝する少女に怯えたということはない。

 ただ、少しだけ、“意外”だったのだ。

 だから、思わず血に濡れた渇笑を零してしまう。

 

「カッハハ、……舐めプ、ッ、しやがっ、て」

 

 堕天使のカワウソは、傷は塞ぎ治癒したが、体力は戻りきっているわけもない。胸に残留する痛みに悶絶しつつ、たまらなくなって笑っていた。

 

「フッフフ、何とでも言え……まだまだ、我々には余力がある。それが事実だ」

 

 アインズもまた同様に、嗤っている。

 何とも意外に過ぎることに、気づく。

 気づかされる。

 

 彼が、アインズが、自分のNPCたちに垣間見せる愛情が、本物であることは疑う余地のない事実。だからこそ、それに応えようと、報いようと、求め欲する少女たちの戦い闘う姿が、敵ながら天晴(あっぱれ)だったのが、ひとつ。

 

 二つ目は、カワウソ自身、これまでの戦闘で、カワウソ自身のNPC……ミカたちの体力や体調などを(おもんばか)ってやったことがない事実を、今さら再確認してしまったこと。カワウソは、酷な命令ばかりを発してきた。中でも最たるものは、“足止め”となって散ることを、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちのほとんどに強要し、それを実現した今の状況であるだろう。

 

 そしてさらに、カワウソとシャルティアの戦闘中に、アインズは自己強化をかけ直すだけの時間を──特に、神聖属性への耐性強化の魔法を重ね掛ける猶予を得ている。ほのかに強化魔法の光を宿す死の支配者(オーバーロード)──冷静に、冷徹に、勝利への布石を投じ、堕天使に死をもたらす道筋を整える存在を前にして、カワウソは改めて実感し尽くす。

 

 ……強いなぁ。

 ……勝てないなぁ。

 ……ああ、……でも。

 

「ハハッ。……たのし……ああ、もう、クソっ……楽しいなぁ」

 

 本当に意識しないまま、唇から言葉がこぼれた。

 

「──フフッ。奇遇だな」

 

 そんなカワウソの独り言に応じるように、アインズも楽しそうに、こぼす。

 

「私も、──楽しいぞ。……フフッ、フフフハハハッ」

 

 愉快で愉快でたまらないという風に、彼は骨の顔で嗤う。

 バカみたいな思考だ。カワウソにはアンデッドの、骸骨の表情など判らないはず。

 ──否。ひょっとすると、異形種同士のシンパシーのようなもので、彼の微笑みを実感しているのかも。

 だが、いずれにせよ。

 

「では。そろそろ、決着をつけようか?」

 

 先んじるようにアインズに言われてしまい、カワウソは大いに鼻を鳴らす。

 

「上等」

 

 堕天使は繊月のような笑みを刻み、聖剣と刺突戦鎚を交差させるように構え、ナザリックの最高支配者に挑みかかる。

 アインズは黄金の杖を器用に一回転させて握り直し、カワウソの突撃に、己も突撃でもって応じる。

 女悪魔と女天使──両者の間で散る火花と烈音も、響く。

 両者は再び、戦いを始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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