オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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天使の澱に属する第一のNPC──ミカの正体とは?

『愛している。』VS『嫌っている。』




/War …vol.08

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズとカワウソが激突し合う、その頭上で。

 黒翼を広げた悪魔と、六翼を羽搏(はばた)かせる天使が、殺し合いを続けている。

 

「さぁ、おまえの主を、護ってみせろっ!」

 

 ミカの表情が大きく、歪んだ。

 アルベドの戦斧を受け止めきれず、後退を余儀なくされる。

 

「健気なことね」翼を広げ追撃するアルベド。「おまえが、いくら堕天使の体力を回復させ、ステータスを増強し続けたところで、奴は、もう終わりよ!」

 

 女悪魔は高らかに笑った。

 カワウソはミカのことを気にもかけない。

 気にかける素振りすら、見せようともしない。

 アルベドは、憐れにすぎる女騎士を──目の前の熾天使を、笑った。

 嗤った。

 嘲った。

 ワラエテきてしまってどうしようもなかった。

 

「おまえの“希望のオーラⅤ”……いいえ、今はそれ“以上”のチカラに当てられ、堕天使の奴は全身に神聖属性付与と、同時に、常時体力を微回復させ続けていることは、お見通しッ!!」

「……チッ」

 

 ミカは反撃しきれない。

 剣でも。言葉でも。アルベドの猛攻をふせぎきれない。

 

「だが、おまえの主人は何? それだけ尽くすおまえのことを、一瞥(いちべつ)もしやしないのねッ!?」

「ッ、──なにを?」

 

 女天使の声が陰を帯びる。

 無理もない。

 鍔競り合うアルベドは、目の前の敵に対して、同情の念をくれてやりたいほどだ。

 自分たちの主人にして、愛する御方たるアインズは、主人の危機に己の身を割断してでも馳せ参じることに成功したシャルティアの援護に応え、彼自身が再び強化の魔法で武装する猶予を十分に得ていた。そんなにも忠節を尽くし、愛する戦乙女の奮戦を讃え、戦傷の身を後退するよう厳命した彼の「優しさ」は、アルベドたちにとっては性的絶頂にも通じる快悦をもたらしてくれる。

 

 アインズはいつだって自分(アルベド)たちの事を、大事に、大切に、思って想って思い続けてくれている。

 

 なのに。

 目の前の女天使──ミカとやらは、同じユグドラシルプレイヤーを主人に持つ存在(NPC)は、まったくもって憐れだ。

 

「あんな! 自分の配下すべてに! 捨て駒役を与える主人に対して! おまえが、それほど熱を上げられるのが、不思議で不思議でたまらないわ!」

 

 戦斧の高速連撃を受け流しきれなかったミカは、“第四天(マコノム)”の鎧のおかげで致命打をもらわずに済んだが、それでも、大きく舌を打つしかない。

 

「──なんのことよ?」

「とぼけても無駄ァ!」

 

 さらなる一撃で吹き飛んでいく天使。

 女悪魔には判っていた。

 アルベドの内で滾る女淫魔(サキュバス)の血が、この女の“熱”を──“劣情”を──“本当の想い”を、確実に完全に教えてくれている。他者の好意や愛情を推し量ることなど、淫魔にとっては当然の機能であり特質だ。淫魔はそういう心の機微に通じなければ、他者を誘惑し、淫獄(いんごく)の淵に(いざな)うことはできない。一説によれば、淫魔は人間の最も好ましい性対象……実際に愛する異性の姿を読み解き、その通りの姿へ転化することによって、夜な夜な姦淫の儀に耽る夢魔の能力を心得るものだとされる。

 

 そうして何より、“ミカは拠点NPCの一体に他ならない”という、歴然とした事実。

 

「主人に創造されし私たちNPCが、偉大なる創造主を敬愛し信愛し、情愛し聖愛し熱愛し、愛して愛して愛し尽くすことは、必定にして必然の事実!」

 

 アルベドの語る通り。

 NPC……被造物たる存在たちにとって、自分たちを創ってくれた者に対して、無条件かつ絶対的な愛情を懐いてならないのは自明の(ことわり)

 自分達NPCを『かくあれ』と定めてくれた者がいなければ、被造物たちは生まれること叶わず、今ここに存在することすら、ありえない。

 その根源にして骨子(こっし)となった“ギルド拠点”への信奉は、金剛石のごとく強健なもの。アルベドのように、特定個人を『愛している。』などと定められようものなら、その強烈な愛敬は一方向の極一点に集約され、いっそ怖ろしい程の苛烈さを示すこともままあるほどに。

 被造物にとって、創造主の存在は「絶対完全に必要不可欠」なもの。

 見たこともない神への信仰などではなく、自分たちを『かくあれ』と望み創ってくれた──事実そこに、目の前に存在している主人への恩義と熱情は、すべてのNPCの行動原理に組み込まれてしかるべき法則である。

 さらにいえば、アインズ・ウール・ゴウン……アルベドたちの創造主たちのまとめ役として、このナザリック地下大墳墓に留まり、この100年をかけて錬成され続けた御方への報恩は、もはや自分自身の創造主に懐くのと同レベルか、それ以上と言っても過言にはなるまい。

 アインズが「死ね」と言えば喜んで死に、アインズが「ナザリック以外のモノと(つが)え」と命じれば喜んで(つが)う……NPCにとって、自分の思考と思想は二の次、三の次。

 彼という絶対者、御方の意思と存在こそが、NPCにとって何よりも優先されるべき事柄なのだ。

 

 使い潰してくれて構わない。

 どんなに酷な命令でも、彼の為を思えば耐えられる。

 己の身を粉にして働き、汚辱極まる下劣な行為にも、歓喜と共に己の身を(ひた)せるのだ。

 

 アインズは、そんなアルベドたちNPCの存在を心から愛し、すべてを包み込むように、守ろうとしてくれている。

 使い走りの道具ではなく、大切な仲間たちの残した“子”と称して憚らずに、NPCたちの絶対愛に報いようと、100年前から変わることなく、一心に想い続けてくれている。

 

 ……それに対して。

 

 ミカとかいう女天使共の、その主は──あのプレイヤーは──あの堕天使は、どうだ。

 お粗末の極みである。

 

「おまえの主人は! おまえらを一人たりとも守ろうとせず! ただただ! 無意味にして無価値にして愚劣愚昧な“復讐モドキ”の戦いに赴き! ここですべてを無為にしようとしている! 我等がナザリックの最高支配者たる、“アインズ様のご厚情”も!! ──何もかもを!!!」

 

 戦斧の重みを、光剣は受け止めきれない。

 ミカは後退する。

 受け流すように流れる刃は、だが、光の破片を撒き散らして(ひび)を立てていた。

 彼我のギルドの戦力差……地力(じりき)の差は、ただのアイテムにまで及んでいる以上、この結果は必定に過ぎない。むしろよくぞここまで武装を壊すことなく拮抗できていたというべきだ。ミカの能力で「祝福」を受けた武装だからこそ、ここまでなんとか凌ぎ切っていたというのが大きい。

 しかし、だ。

 ()しくも、アルベドとミカは同じ『防衛役(タンク)』の職種ゆえに、似たような戦法を取るしかない。レベル数値も同一のLv.100であるため、両者は拮抗を余儀なくされるが、やはり最後に勝利を決めるのは、根本的な基礎部分の“量と質”だ。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、弱い。

 アルベドたちが三対三のチーム戦に挑んでも、余りあるほどに絶望的な実力の差が、この終盤で顕著に現れ始める。

 たとえ、ミカの種族が、熾天使以上の“レア”物であろうとも。

 

「何か言ったらどうなのよ、熾天使(セラフィム)……いいえ」

 

 アルベドは、敵の正体を看破し、叫ぶ。

 

 

 

 

「“女神(ゴッデス)”!!!」

 

 

 

 

 それが、ミカという存在の、隠された正体であった。

 指摘されたミカは、明らかに表情を歪ませる。

 

「……私は、“神”などでは、ない!」

 

 そう言って、女天使は反論を試みるが──

 

「はッ! しらばっくれるなぁッ!」

 

 女悪魔の振り下ろした戦斧が、ミカの眼前に盾のごとく召喚された中級天使──勇気の力天使(ヴァーチュ・カレッジ)を両断していく。

 

 アルベドの告げる、ミカの種族名。

 ユウゴたちが図書館のデータから確信を得ていた異形種(モンスター)の存在。

 NPC限定種族──神聖存在の中で、最高峰にして最大級のレア度を誇る“神”。

 ──あるいは“女神”。

 

 ユグドラシルには、神が存在した。信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が信仰すべき存在として──現に、シャルティアが信仰している神、始まりの血統、神祖カインアベルなどがそれだ。神はユグドラシル最初期に実装されたイベントのボスであったが、12年の長い歴史の中で復刻されまくり、最盛期にはほとんど誰でも狩りとれる雑魚ボスになりさがっていた上、ユグドラシルの運営は神の脅威を、“世界の敵”よりも格下に位置付けた。神の種族が拠点NPCデータとして扱われるようになったのは、最盛期を過ぎた頃……ある種のテコ入れとして、運営は神の種族を解禁したのだ。

 

 熾天使以上の能力を発揮するミカの、女天使の異常なまでの能力は、もはやそれ以外に、説明することができない。

 死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)の極地点に到達せしアインズ・ウール・ゴウン──死の支配者(オーバーロード)の絶大無比な“絶望のオーラⅤ”を完全に中和するだけに飽き足らず、今は女の主人である堕天使のステータス向上と神聖属性の付与強化、加えて体力微回復を成し遂げているさまは、ただの“熾天使”では無理のある所業に相違なかった。指揮官系スキルの効果や、身に着けるアイテムなどが特に強壮かつ強力な力を持っているわけでもない以上、答えはそれだけである。

 そして、先ほど膝を屈しかけた──アインズ・ウール・ゴウンの名に戦慄し尽した堕天使へ、(かつ)を入れた女の声。

 それに打たれ励まされた堕天使の、異様に過ぎる戦闘力の急上昇。

 もはや確定的であった。

 

「なめないことね。私たちの主は、ナザリック地下大墳墓の最高支配者、アインズ・ウール・ゴウン。“神”程度の存在と敵対することなど、とっくの昔に計画済みよ!」

「チッ」

 

 ミカは抗弁を諦めた。

 アルベドは勝利を確信する語調のまま、攻勢を緩めない。

 

「己の不明がわかったのなら、そのウザったい“女神のオーラ”を止めろ!」

「──いや」

「堕天使を極大強化している、そのウザすぎる“女神の加護”を断ち切れ!」

「──嫌!」

 

 ミカが“女神”の特殊技術(スキル)をこのタイミングで投入したのは、間違いなく、この今でなければ発動させる意味がないと判断してのこと。

 いかに神と呼ばれるモンスターでも、完全とは言えない。少なくともユグドラシルというゲームの仕様上においては。

 常時展開している“希望のオーラ”と相乗し、強化や回復を行う“女神のオーラ”。

 自軍勢力の限定一体に対し、“女神の加護”という超強化ステータスを施すスキル。

 Lv.1の“オーラ”とは違い、アインズを吹き飛ばすほど強壮な神聖属性付与の“加護”は、「発動効果時間が限られており、その後には膨大な冷却時間を必要」とする女神Lv.3の力。

 アインズを追い込むほどの強化……“加護”を受け取ったカワウソの進軍は、もって後──数分というところだ。

 それらをすべて理解しつつ、ただ待っていれば勝利できるだろう状況において、アルベドは盤石な勝利への布石として、敵である女神に提案を述べる。

 

「今、おまえがナザリックの軍門に(くだ)るというのであれば、そうすれば、私からおまえたち二人を生かしてもらうよう、アインズ様に慈悲をいただいてあげてもいいのよ?」

「ッ、──絶対に、イヤ!」

 

 ミカの意志は堅牢堅固なままだ。

 

「私たちの唯一の創造主──カワウソ様は、降伏(そんなこと)など望んでいない!」

 

 主人と共に生かしてもらうという言節に心惹かれることなく、一心不乱に戦いを続けていく意気は天晴見事(あっぱれみごと)ですらあった。

 だが、おしゃべりに籠る熱量が、彼女の盾持つ左手を緩ませた。

 ほんの一瞬、一刹那の、隙。

 その隙を衝いて振り上げられた戦斧の衝撃に、ミカは天秤を意匠していた光盾を割り砕かれる。

 

「くッ──こ、の……!」

「はン。理解不能だわ。おまえたち全員を死地に追いやり、惨めにも負け戦に駆り立てるだけの無能など、仕える価値があるとは、これっぽっちも思えないわね!」

「ッ、──チィッ!」

 

 ミカは光剣で戦斧を受け止めることを避けた。

 盾を掴んでいた左の籠手──それが砕けるのも構わず、アルベドの斧撃を殴るように弾き、カウンターとして光剣の連続刺突攻撃“光輝の刃Ⅱ”を繰り出す。

 しかし、女悪魔の鎧は貫けない。

 

「無駄だと言っているのよ!」

 

 アルベドの流れるような上段蹴りを、ミカはかろうじて翼の防御壁で弾いた。

 その衝撃は甚大の一言。大量の白い羽根が、鋭い蹴りの一刀で空を舞い散る。

 女神のスキルを他者に対して“複数”使用する際に生じる最大のデメリット──「発動者(ミカ)自身のステータスが低下してしまう」というシステムがあること。ただの有象無象が相手ならばいざ知らず、アルベドというナザリックの守護者──絶対の強敵を前にして、女神のスキルを二つ三つ解放し続けるのは、どう考えても危険極まりない行為。だが、カワウソを守り、癒し、戦いを継続させるうえで、ミカには迷いなどありえなかった。

 ミカは確実に、そして徐々に、与えられた武装を消耗している。両手の籠手は砕け落ちた。(あらわ)となる手指には、衝撃の余波で出来たのだろう傷口から血の雫が伝う。赤い軌跡は手の甲を濡らし、掌にある光剣の柄を汚していた。黄金の髪や天使の(かんばせ)は無傷だが、それもどこまで保てるものか。

 アインズの“絶望のオーラⅤ”があるからという以前の問題────熾天使の“希望のオーラⅤ”は、効果範囲の自軍勢力を強化・回復・蘇生させる能力であるが、発動者本人を癒す手段には、なりえない。

 ミカにはカワウソから与えられたポーション類などもあったが、アルベドの猛攻には隙と呼べる隙がない。ボックスを探る数秒で、アルベドの斧がアイテムを取り出す手首を引き裂き、斬り落とすイメージしか湧いてこないほどに。

 取得している自己回復魔法でなんとかここまで敢闘を続けてこれたが、さすがに魔力量は七割以上も消耗している状態であるため、(いたずら)に使用するのは躊躇(ちゅうちょ)される。指揮官系統職を有する頭脳明晰なミカにとって、敵を攻撃できる手段は温存しておかねばならないという戦術判断であった。

 

「さぁ。降伏なさい。

 そうすれば、たとえ女神であろうと、アインズ様からの慈悲を賜ることもありえ──」

 

 声は遮られた。硬い金属音が弾ける。

 ミカの神速の突きが、アルベドの顔面を貫かんと繰り出され、見事に斧の刃でふさがれ、失敗した音。

 

「そんなに死に急ぎたいのかしら?」

 

 ミカは応じない。

 まぁ、それも当然だろうと、アルベドは納得を笑みの形にしていく。

 奴を──堕天使が率いる女天使を殺すと、自動的に“足止め”のスキルが現れるだろうことを考えると、アルベドは慎重にならざるをえない。自殺するかのように攻勢を緩めない女天使に、女悪魔はいっそ優しさすら滲み出る声音で語りだす。

 

「本当に、理解できないわ。あんな堕天使のどこに仕える価値が──守る意味があるというの?」

 

 文字通りの──悪魔の囁き。

 姑息だろうと小癪だろうと関係ない。アインズを護るためであれば、いくらでも卑怯卑劣の限りを尽くせる──むしろ、そうでなければNPCとは言えない。

 それに、これはアルベドの本心そのものでもあった。

 いくら愚かしい敵とはいえ、ミカたちNPCを、このような死出の旅路につかせて、地獄行きの片道旅行の、その“道連れ”にするなど、正気も狂気もありはしない。沙汰というものを超えている。気を違えるにも度を越し過ぎていた。

 

「私たちの主たるアインズ様と同じプレイヤーのくせに、どうして奴は、おまえたちをまったく守ろうとしないのかしら?」

 

 慈悲深い女神のような、憐れっぽい口調で(ただ)すアルベド。

 無論、こういった会話で敵の気力や精神集中を削ぎ落す意図は、明白。

 事実として、ミカは押し黙ったままだが、彼女の攻撃は明らかに鈍くなり、あれほどわずらわしかった天使の熾烈さが、徐々にひそめられていくのを実感する。

 アルベドは女神のごとく(たお)やかに、悪魔らしく玲瓏(れいろう)と、嗤う。

 

「本当に可哀(かわい)そうだわ。アイツも……そして、おまえも」

「──ッ」

 

 憐れむなと言わんばかりに繰り出される剣筋を、アルベドは悠々と片手の握力で掴み取った。

 罅割れた光の刃など、ナザリック最硬を誇る女悪魔には、なんの脅威にもなりえない、現実。

 もはや口づけすら交わせる距離で、アルベドは敵の天使を篭絡するがごとき音色を唇に灯す。

 

「こんな戦いに意味など無い。冷静に考えれば、それぐらい判る筈でしょう?」

「……」

 

 剣を掴まれ引き寄せられるミカは、刃を返して剣を振るう。

 両者は剣と斧越しに睨み合う。

 それでも、ミカは敵の言わんとしている内容に、不理解しか示さないというわけでは、なさそうだ。

 

 ミカにもわかっているのだろう。

 金色の女天使は消耗し、カワウソも確実に死へと向かって驀進(ばくしん)している。

 どんなにミカが主人を励まし癒し強化しようと、彼の死は、敗北は、ほとんど避けられそうにない。

 何より、カワウソはこの戦闘の間中、ミカたちを回復することすら忘れて、敵であるアインズ・ウール・ゴウンとの戦闘を愉しむことしかできていない。

 実際は、そんな間隙すらなかったことが影響している。

 カワウソの精神状態……戦闘状態を維持するための精神的な余裕も、極めて少なかった。

 そもそもにおいて堕天使は、信仰系魔法による回復や、通常天使の回復スキルを封じられる劣等種族。ポーションなどのアイテムでミカを回復させるには、対象となる相手の至近距離で、溶液を飲ませるなり体にかけるなりする以外に、方法が無い。

 

「“判るわ”。あんな主でも、あなたたち拠点NPCにとっては、守るべき主人であり、誰よりも愛すべき創造主なのでしょう?」

「…………」

「今からでも遅くはない。──降伏なさい。

 そうすれば、私たちの愛するアインズ・ウール・ゴウン様──モモンガ様はきっと、おまえたちをお許し下さるはず」

「…………愛、す、る?」

「ええ。私たちが慕い、敬い、命を賭して仕える至高の御方──私が愛し、私を愛していただける、私の(いと)しいお方──モモンガ様は、天のように高く、海よりも深き慈悲の心で、あなたの困苦と不遇を憐れんで下さるでしょう」

 

 (とろ)けるような表情を露わにする女悪魔。

 アルベドは本気で、ミカがアインズに許される──などとは思っていない。

 たとえ本当に許されることがあろうとも、アルベドたち守護者たちは、アインズに刃を向けた郎党への害意を、完全に消滅させることは難しかった。

 それでも。

 アインズが「許す」と言えば、それですべてが許されるのだ。

 故に、アルベドは告げる。

 

「だから、“その剣を捨てなさい”」

 

 あなたの創造主を、守るためにも──

 慈母のごとき愛情を感じさせる、降伏勧告。

 敵を物理的にではなく、精神的に篭絡するための舌戦に、アルベドは勝利をおさめた、かに見えた。

 

「…………私は」

 

 ミカは、震えながら、告げる。

 

 

 

 

「私は、あの方が、────────嫌い」

 

 

 

 

 吐き捨てるような声音だった。

 

「……………………なん、です──って?」

 

 勧告の応答を期待していたアルベドは、疑問し、疑念し、疑心する。

 思いもよらぬ反撃を受けたように硬直する慈悲深き女悪魔に対し、ミカは痛烈な思いを言葉に変える。

 

「嫌い。

 きらい。

 大、嫌い。

 だいきらい────────ダイッキライ!」

 

 零れる落ちる言葉と、両の眼から滔々と溢れる(しずく)

 湧き出る泉のごとき清澄な調べは、だが、NPC(シモベ)にはあるあじき毒言の色に、濁っていた。

 

「そのように私を創ったあの方が、大嫌い。そのように定めてしまった御方が、大嫌い。私に『かくあれ』と──『嫌え』と、……この前なんて「憎め」などと、──そんな風に、命じやがった──命令してくれた──そう言ってくださりやがった、あの方が……私の、カワウソ様、が、……だいきらいッ!」

「お、……おまえ?」

 

 武器を交わしながら紡ぐ怒声──血を吐くかのような告白に、アルベドの意識は、疑問符の怒濤で埋め尽くされる。

 ミカの述懐は続く。

 

「……あなたに、何が、わ、判るというの?

 自分の主を、もっとも尊いあの方を、この世界で最も愛すべき創造主を──

 あのかたを『嫌い』にならなければいけないシモベの気持ちが──

 自分の主人を“愛し”、主人から“愛される”悪魔(アナタ)に──

 アナタなんかに!

 ッ、私の!!

 何がッ!!

 ワカルって、いうの!?」

 

 六翼が、まるで爆ぜるかのごとく、輝きを増した。

 アルベドの、悪魔の肉体には致命的なまでの、浄化の力。

 その影響を反射的に嫌った女悪魔の方が、先ほどとは逆に大きな後退を余儀なくされる。

 否。

 ミカの能力に気圧(けお)されたというよりも──アルベドは信じられないことを聞いたことに、精神的な畏怖を覚えていた。

 今しがた女天使の──女神の口から告げられた内容に、恐慌のような感情に支配されかけたのだ。

 

「じ、自分の、創造主を、『嫌う』よう、定めを、設、定……?

 そ、そんな、バカな! そんなこと、何故、おまえの主人は?」

「そんなこと知るか!!」

 

 迫りくる光の剣閃。

 罅割れた輝煌が悪魔の網膜に眩しく入り込む。

 

「く! 貴様!」

 

 アルベドの構えた戦斧に、光剣がまた盛大に砕けかける音がぶつかるが、女悪魔は無傷。

 しかし、それ以上の脅威を、驚異を、アルベドは己の耳に注ぎ込まれる。

 ほとんど額同士がぶつかるほどの至近で轟く、

 ミカの、

 女の、

 独白。

 

「私が、彼を、あの方を、カワウソ様をどう思っていようと……そんなこと関係ない!!」

 

 あまりにも白く、(しろ)く、(しろ)く、(しろ)い──告白──

 

「彼の望みを果たす──

 主人の願いを叶える──

 あの方の全てを守護(まも)る──

 それが、私たちの存在理由!

 それのみが、私の存在証明!

 それこそが……」

「────ッ」

 

 

 

NPC(ノンプレイヤーキャラクター)!!!」

 

 

 

 女神の光輝に弾き飛ばされるアルベドは、驚嘆に震えた。

 

 ミカが女神であることは、大いなる(わざわい)と思えた。

 だが、今はそれ以上の“(わざわい)”を、アルベドは目の前にしていた。

 

 自分とはまったく違う設定を与えられた──創造主を“愛する”のではなく、“嫌うこと”を命じられた女の姿に、敬意とも賞賛とも、侮蔑とも毒意とも、憐憫とも悲嘆とも、いずれの感情にも該当しえない思いを懐いてならなかった。

 アルベドの脳裏に、あの「事件」のことが浮かび上がる。

 100年前の記憶に、明晰な頭脳が溺れかける。

 

「あ、ありえな……ありえ、ない……」

 

 その隙を、女天使にして女神たるミカは見逃さない。

 

特殊技術(スキル)! “女神の奇跡”!」

 

 女神Lv.5の力。

 平原の戦いで見せた“熾天の断罪”に酷似する属性攻撃の光が、全周囲にこぼれた。

 しかし、単純な神聖属性攻撃ではない。

 悪魔が魂を引き換えに行う奇跡とは、当然のごとく違う──アルベドという極悪のカルマ値を有する存在に対し、神格者たるミカは、完全なる“奇跡”を顕現させた。

 

「〈女神召喚(サモン・ゴッデス)〉!!!」

 

 ミカの剣が刺し示した頭上より降臨する、極上の神聖存在。

 白金に輝く面貌は目の部分を帯で覆い隠され、その美貌と直接拝謁することは叶わない。だが、光そのものが翼となっているかのような後光と、右手には悪を討つ巨剣を、左手には正義を量る天秤を、全身には聖明にすぎる白亜のドレスを帯びて現れた“天意の執行者”は、確実に、至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)よりも上位上級の力量と権能を発揮できる異形種(モンスター)だ。

 このモンスターは、召喚の魔法効果が切れるか、女神自体が倒されるまで、アルベドを襲撃する脅威として、存在し続ける。

 

「な……ちっ……、ナメルナァ!!!」

 

 ナザリック地下大墳墓、()守護者統括たる女悪魔は、一息に戦闘態勢を構築し直す。

 神など恐るるに足らず。

 アルベドは──というよりもアインズ・ウール・ゴウンは、この事態を予期していた。

 熾天使以上の存在(NPC)……神に該当するモンスターなど、警戒して当然すぎる天敵。

 故に、アルベドは、その手段を渡されていた。

 アルベドは心の内でナザリックの同胞たる凍河の支配者に感謝を送りつつ、その刀身を抜き払う。

 

 

「斬神刀皇!」

 

 

 戦闘前。同胞たる第五階層守護者・コキュートスより預かっていた、“神”を、“斬る”、武器。

 このチーム戦を戦う上で、他の守護者たちから必要になるだろうアイテム──中でも神器級(ゴッズ)相当の貸与を受けるのは、当然の戦略だ。戦闘員数が三名のみなのに、他の守護者たちに強力な武器を持たせっぱなしにするのはデメリットでしかない。無論、その武装に馴染みがない職業では扱うことにも苦労することになるだろうが、幸い、アルベドの悪しき聖騎士(アン・ホーリー・ナイト)などの騎士系統は、刀を装備し取り扱うことも十分に可能であった。

 

「せぃぁ!」

 

 戦斧と太刀の二刀流は難しい。

 それでもアルベドは、召喚された女神を頭頂から腹部まで完全に割断する一撃を振るう。

 神を斬るというネーミングは、ダテではない。

 この“斬神刀皇”は、「神」などに類する強力なモンスターを屠ることに特化したデータを──特攻能力を埋め込まれている。そこへ、アルベドの悪魔の力を注ぎこめば、召喚された程度の女神など、一撃で屠殺(とさつ)しても何の不思議もなかった。

 だが、女神は自己再生を繰り返して、しぶとく存在し続けた。繰り出される神聖属性を帯びた巨剣を戦斧で払い落とし、返す刀で女神の上腕を割打していく。

 その影で──

 

「〈魔法三重化(トリプレットマジック)上位(グレーター・)魔法蓄積(マジック・アキュリレイション)〉!」

 

 ミカは、“女神の魔法”という特殊能力で、上級魔法詠唱者が扱う魔法コンボ──三つの魔法陣からなる現象を発動してみせた。通常よりも消費魔力・詠唱時間は増加するが、今のミカであればギリギリ可能な三重蓄積。

 

「キ、サ、マッ!」

 

 女悪魔の憎悪が、黒い声となって湧き上がる。

 奴の狙いはコレか。

 アルベドはミカの詠唱を止められない。

 ミカの壁役として召喚されたモンスターの四肢を、翼を、頭を引き裂き引き千切り破壊しながら、戦斧と太刀の超高速連撃で、進撃を続けることしかできない。

 その間、ミカは整然と詠唱を続ける。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神炎(ウリエル)!〉」

 

 魔法陣のひとつを満たす劫火の紅蓮。

 第八階層にて、炎の魔術師たるNPC・ウリが扱ったのと同じ殲滅魔法。カルマ値が“500”の極善──ギルド:天使の澱において第一位であるミカは、規定値通りの大威力を発揮可能。

 さらに、

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神薬(ラファエル)!〉」

 

 魔法陣のひとつを満たす回復の新緑。

 この魔法は〈神炎〉と似ており、対象のカルマ値が“500”であれば規定通りの「極大回復」──だが、逆に対象が、“―500”の者の場合は「極大ダメージ」を与える神聖属性の力。

 そして、

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神英(ガブリエル)!〉」

 

 魔法陣のひとつを満たす清廉な青色。

 この魔法も上記二つと同じく、カルマ値が最大である“500”の者が扱うことで、その真価を発揮できるもの──その魔法の威力は、広範囲を叩き潰す重力空間……英雄を前にしたときに感じる重圧(プレッシャー)を生成し、あまねく敵を破砕・掃討するもの。

 三つの魔法陣が埋め尽くされた。

 アルベドが、召喚された女神を、壁として立ちはだかったクソ邪魔な障害物を破壊し尽くしたのと──ほぼ同時。

 最後の魔法が、ミカの口舌より紡がれる。

 

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)・……」

 

 

 女悪魔の大攻勢──斧と刀は、

 まったく届かない。

 

 

「……・神と似たるもの(ミカエル)〉!!!」

 

 

 さらに「解放(リリース)」の大音声と共に発動した、四つの魔法。

 女神たる拠点NPCが解放できる魔力の全てを賭けた、四連撃の大魔法。

 天使の統率者を元にした女熾天使・ミカが繰り出したのは、四大天使の名を冠する第十位階魔法群。

 

 紅蓮と新緑と青色──それらを包み込む純白の光輝が、漆黒の鎧に身を固める敵の姿を、確実に捉えた。

 

 熾天使本来の魔法攻撃力など目ではない。

 まさに神の──女神の暴力と称するにふさわしい、極大魔法の顕現。

 神聖存在たる女神の練り込んだ極善の連撃が、数秒間、玉座の間の伽藍空間を満たす。

 だが、

 

「──甘い」

 

 アルベドは、無傷。

 またも神器級(ゴッズ)の鎧“ヘルメス・トリスメギストス”に、与えられた極大ダメージをすべて受け流すことで、女悪魔は剥き出しの黒髪一本分も傷つくことはない。

 カワウソが発動した超位魔法〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉すらも無力化したアルベドの能力と鎧の性能は、女神に対しても遺憾なくタンク系スキルの極技を発動してみせた。

 魔法コンボ発動後の技後硬直(リキャストタイム)

 この隙を衝かない理由など、ありえない。

 空を舞う女神に対し、アルベドは降伏勧告を諦め、速攻に撃って出る。

 

「死ね──」

 

 一刹那の殺意。振り上げた戦斧と刀身による、十文字の軌跡。

 それを喰らったミカは、おもむろに身体を崩しかけ──

 

「な、違う!?」

 

 アルベドは即座に気付いた。

 目の前の熾天使は、女神でも熾天使でもない。

 一秒の後、四等分に割断された女の身体は、鏡のような破片にガシャリと変じて、ばらばらに砕け落ちた。

 

「下級天使の、変身体ッ?!」

 

 しまった。

 これは変わり身。

 魔法で視界がとざされた際に入れ替わったのだ。

 ミカは、熾天使であり女神。

 彼女に召喚作成できない天使は、およそ堕天使以外に存在しえない。

 この鏡の天使は、二重の影(ドッペルゲンガー)のごとく外装・外見をコピーする能力を持っており、ミカがカワウソを魔導国から逃がそうと画策した折に使う予定だった天使モンスター。無論、真似(コピー)できるのは外側だけで、本物の力量や人格などは一切望むべくもない。故に、アルベドの斬撃二連で砕けるのは当然の結果であった。

 理解したアルベドは、背後に気配を感じる。

 隠形化した熾天使にして女神の気配は、与えられたアイテムで把握するのは可能。

 

 そして、振り返ったアルベドは、再び目にする。

 

「カワウソ様に戴いた我が命……使い、果たす!」

 

 罅割れ壊れかけの剣が、轟々と唸りをあげる光輝を(ほとばし)らせる姿。

 アルベドは直視する。

 ミカの本気を──女神という存在の深淵を──奥義を。

 

 

 

 

 

 彼女の、最後の一撃を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、ミカの過去編

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