オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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魔法都市・カッツェ -1

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.04

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丘をなだらかに下る街道を進み、カワウソたち一行は、都市の門にまで辿り着いた。

 その都市外縁を鎮護する門内にも、死の騎士(デス・ナイト)たち十体ほどがずらりと並んでいたが──さすがに二度目ともなるとそれほど緊張することなく、カワウソたちは大きな門をくぐり抜けてしまう。一応、〈敵感知(センス・エネミー)〉の魔法でこっそり確認する限り、誰もカワウソたちを敵と見定めて襲ってはこなかったので、バカみたいに安堵してしまう。

 他にも多くの人々が整然と列をなしつつ、門内を行き来していたのも助かった。物見遊山(ものみゆさん)か何かのように、外から都市内に向かう行列は都市の威容に瞠目し、その栄華の極みのごときありさまに目を輝かせている。おかげでカワウソも、そんな観光客の一人として、都市の様相に自然と目を瞬かせ続けていても、誰からも不思議に思われることはないのだから。

 

「魔法都市・カッツェにようこそ」

 

 おどけたように門の看板に記されているらしい文言を紡ぐマルコに応じることもできず、三人(と一匹)は一様に愕然となる。

 

「ふわぁぁぁ」

「……すごい」

「……これは」

 

 ヴェルが、カワウソが、ミカまでもが、感嘆に言葉を失った。

 

 そこにあるのは、水晶の都。

 

 真昼の太陽の輝きを燦然と灯して、輝きを常に反射する摩天楼は、水晶か宝石のように整えられた形状だ。巨大な硝子(ガラス)に覆われた長方形の建築物は、内部を行き交う人々の様子もよく見える透明度で、浮遊する箱の内に乗りこんだ連中を指定の階層にまで運ぶ円筒形の構造は、現実でいうところの昇降機(エレベーター)を思い出されてならない。同乗している死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はエレベーターガール……ではなく、箱を浮遊させる魔法を発動する存在か。

 建物の壁面や屋上には、巨大広告のような〈水晶の大画面(グレーター・クリスタル・モニター)〉がそこここで発動されており、今日のニュース動画や明日の天気情報などを映し出している様は、まさに『魔法都市』というだけのことはある。

 空を行き交う魔法使いや魔獣の姿も多く見受けられるが、何よりも驚きなのは、都市外の街道と同じ色の黒い通り……地上にも数えきれないほどの人波があること。

「人」だけではない。森妖精(エルフ)が、山小人(ドワーフ)が、小鬼(ゴブリン)が、蜥蜴人(リザードマン)が、人食い大鬼(オーガ)が、妖巨人(トロール)が、ビーストマンが、人馬(セントール)が、ミノタウロスが、互いが互いを殊更(ことさら)に意識することなく、そうあることが自然だとでも言いたげに、整然と都市の営みに参加していたのだ。

 人間がウェイトレスを営むカフェで森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)が同じ卓で茶をしばき、蜥蜴人(リザードマン)の露店主が人や小鬼(ゴブリン)などに向けて陳列された色とりどりの瑞々(みずみず)しい魚を売りつけている。人食い大鬼(オーガ)妖巨人(トロール)が広場で格闘試合の取っ組み合いを演じ、人垣が賭けの半券を握りしめて熱狂していた。白線のみの簡単なリング脇に控え、互いに笑みすら浮かべている獣顔の男と下半身が馬な男は、おそらく次の対戦カードという具合だろう。牛の頭部に巨躯という出で立ちの棟梁らが指示して、骸骨(スケルトン)動像(ゴーレム)が建築工事に勤しんでいる姿もあった。見上げた城壁は高く分厚い造りをしていて、その歩哨にはやはり死の騎士(デス・ナイト)の衛兵隊が等間隔に配置され、まったく微動だにせず都市の内外を見張り続けている様は、それだけで犯罪抑止に貢献しているようなありさまだった。

 カワウソたちが転移したスレイン平野からは想像もできないほど、都市には生命(いのち)が満ち満ちており、やはり、誰の顔にも暗鬱(あんうつ)とした気配は(うかが)えない。居合わせる異形種──アンデッドモンスターたちにも、これといった忌避感を覚える輩はいないかのようですらある。

 

 

 

 誰もが生を謳歌してやまない世界が、そこにはあった。

 

 

 

「この第一魔法都市・カッツェは、魔導国で最も由緒ある都市のひとつで、魔導王陛下が最初期に造営に着手した土地のひとつです」

「そうなんですか……」

 

 道中。

 マルコは都市の過去をつまびらかに、好奇心の(とりこ)となった生徒──ヴェル・セークに望まれるまま、語り聞かせる。

 カワウソたちは、そんな二人の遣り取りを背後で聞き耳を立てながら、つぶさに情報を収集することに努めた。監視中のマアトにも、記録を残させる徹底ぶりである。

 

 修道女曰く。

 100年前までは荒涼とした大地だけに覆われ、度々国同士の領土争いの決戦場に使い続けられた結果、戦争で避け得ない大量の死に招き寄せられたアンデッドが集団発生してどうしようもない土地だったその地を、慈悲深いアインズ・ウール・ゴウンの威光と魔力によって、見事、完全支配下に置き、平定。

 以後はアインズ・ウール・ゴウン魔導国に、新たな魔法の恩恵を授ける教育機関『魔導学園』を中枢に据えた国家事業に従事し、数多くの功績を残してきた、魔導国でも二番手に付ける発展を遂げた都市として、今日(こんにち)に至っているとのこと。

 

「それでは、行きましょうか」

 

 (うなが)されるまま、カワウソたちは都市のより中央──街は五重の壁が円周を築いており、第一門から入ってすぐの内側の区画は第五街区、次の第二門をくぐると第四街区という具合に、簡単な区分けがされている――に(おもむ)くべく、目抜き通りをまっすぐ進む。

 簡単な魔法の実演興行を観光客相手に行う魔法詠唱者(マジックキャスター)の若者がいれば、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が催す全自動の人形劇──題目は『漆黒の英雄譚』というらしい──も盛況なようで、人間や亜人の子供らの歓声が耳についた。

 それらをすべて横目にしつつ、通りをしばらく歩いて次の門にまで至る。

 門にはやはり死の騎士(デス・ナイト)十体が常駐していたが、これといった検査や通行料の遣り取りがあるわけでもなく、カワウソたちは内部に入れた。

 ふと周りを見れば、カワウソたちのように武装を整えた者たち──冒険者、だったか──の姿もある。武器の持ち込みなどについては、特に規制がないのかもわからない。

 実に不用心ではないかと思う反面、何か魔法的な手段で探査(スキャン)なり支払い(ペイ)なりしているのかもしれないが、確信はなかった。マルコが何かしてくれている可能性が高いのだろうが、彼女は特段気にするでもなくカワウソたちを都市中央に同伴している。見知らぬ他人の通行料を肩代わりするほどの善人だとでもいうのだろうか?

 ──通行料といえば、この世界で流通しているのは、ユグドラシル金貨なのか? 思い出してみると、先ほど露店や賭け試合で遣り取りされていたのに、紙幣があった気がしたのだが。

 そう思う間もなく、マルコは第四街区内に入ってすぐ、大通りから少し外れる方向に進んだ。

 

「すいませんが、ここから先の街に飛竜のラベンダは連れていけません。なので一旦、宿に預けることになります」

 

 ここから先の都市内では交通の便や治安維持を考えて、騎乗獣などに代表されるモンスターの類は、すべて宿屋の係留所に預けることが原則となっているらしい。特に、これから赴く第三街区以内は都市内でも厳重にそういった制限が課されており、王城の直近地帯──第一街区になると、魔導国の公的装置や交通手段以外のモンスターは全面的に入場を禁じられているとか。飛行可能なモンスターは特に規制が厳しいという。

 ラベンダを一匹にしてしまうことに不安を覚えるヴェルであったが、マルコに「カッツェの魔法警備は万全です。ご安心を」などと(さと)されては、他に処置がない。むしろ、都市のどこかに隠伏させておくよりもマシかもしれないのだ。

 都市の内外には死の騎士(デス・ナイト)の警邏隊と共に、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も巡回警備にあたっている。ラベンダがそういったのに発見される可能性もそうだが、この魔法都市には看破や探査に秀でた魔法詠唱者──『魔導学園・情報科』の生徒なども多数在籍している以上、バレる可能性の方が高いらしい。

 そして、いざ騎乗者不明のモンスターが発見されれば、都市管理と警備の都合上、ラベンダは警邏隊に強制連行(レッカー)されることもありえると聞く。最悪なのは、発見されたラベンダの素性を徹底して調べあげられ、ローブル領域の騒動の中心にいたものだと判明された場合だろう。

 そうなれば、ラベンダがどうなってしまうのか。

 そして、連鎖的に、その騎乗主であるヴェル・セークのことも知られたら。

 

「では、よろしくお願いします」

 

 マルコ行きつけという第四街区の宿屋を切り盛りする女主人──蠍人(パ・ピグ・サグ)という種族で、上半身が人間の乙女、下半身は鋏と毒針を持つ蠍の姿――に、ラベンダを預けた。

 宿屋には他にも多数の魔獣が預けられており、ラベンダは割と小さい印象しか抱けないくらい、そのモンスターの群れに埋没していた。鷲馬(ヒポグリフ)獅子鷲(グリフォン)、白銀の八脚の馬(スレイプニル)の群れまでいる中、一番でかそうなものだと建物ほどの体躯を誇る黒い有翼の大蛇もあって、係留所周囲はちょっとした観光スポットにでもなったのか、見物(けんぶつ)の人ごみで溢れそうになっていた。

 なるほど。あれならラベンダを留め置くのも問題ないだろう。

 

「あと、ちょっと〈伝言(メッセージ)〉を使ってくるので、お待ちいただけますか?」

 

 そういうとマルコは、宿に常駐しているらしい死者の大魔法使い(エルダーリッチ)(もと)まで赴くと、銀貨一枚を手渡す。何かの暗号か、さもなくば電話番号のごとき文字や数字の羅列を告げると、アンデッドを通して誰かと会話し始める。

 ……本当に、アンデッドが電話扱いされているようで、カワウソは驚嘆を禁じ得ないが、何とか平静を保ってみせる。隣にいる少女のように、驚いてしまってはいけない気がしたから。

 

「……す、すごいですね」

「……ヴェルは、あれを見るのは初めてなのか?」

「ええ。私たちの土地では、見たことありません。そもそも常駐しているアンデッドの数や種類も、都市くらいのものにはまったく及びませんから」

 

 カワウソの問いに対して簡単に答えた少女が好奇の眼差しを向けるのに合わせて、カワウソもしばらくマルコの通信が終わるまでを、眺めながら待った。

 そうして、マルコは〈伝言(メッセージ)〉を終えて、こちらに振り返った。

 

「お待たせしました。では、参りましょう」

 

 四人は、一匹を第四街区の宿に残し、第三街区――学生の寮区画――に。

 さらに通りを進んで第二街区にまで、すんなり入り込むことができた。

 この地域は観光客向けの施設はほぼなく、この魔法都市の根幹を担う学園機構直轄の街として栄えているようだ。冒険者の姿も一応まばらに存在するのは、その街区にある最古の人造ダンジョンでのレベリングのためだと、マルコは語ってくれる。

 そうして、彼女に案内された円形広場(ロータリー)の一角に、一際巨大な建物が建っていた。周囲がビルディングのような水晶然としたものが多い中で、その外観は異彩を放つ木のぬくもり。バカみたいに巨大なウッドハウスと言えばわかりやすい外観の施設には、何やら看板が掲げられているが、カワウソたちに読めるわけもない。

 

「ここは、魔法都市内でも最高の、バレアレ商会の営む治癒薬(ポーション)専門店です」

 

 実に気安い表情で、マルコは全自動で開閉する硝子扉の奥に歩を進める。機械ではなく、魔法のアイテムによる自動ドアのようだ。

 

「いらっしゃい」

 

 店内は淡く涼やかな音楽が流れており、外と変わりないほどの明るさを灯す照明用のアイテムで、数多(あまた)あるポーション瓶を(きらめ)かせていた。

 

「お久しぶりです、リューさん」

「んん? ああ、マルコかい。待っていたよ──そちらのお連れさんが、さっきの〈伝言(メッセージ)〉で言っていた?」

 

 頷くマルコと親密な様子であると容易に知れる、優し気な声。

 古めかしいトンガリ帽子を布で磨く手を止め、青く輝く髪を蛇のように波立たせる女性は、カウンターの上で〈水晶の画面〉を空中に投影していた小型アンデッド――下位骸骨の蜥蜴(レッサースケルトン・リザード)――を「停止」させ、カワウソたち三人に興味深げな視線を送る。

 

「ウチの名前は、リュボーフィ・フフー。ご覧の通りの商人(あきんど)さ」

 

 カワウソはまじまじと女の体躯を凝視する。

 様々な人や亜人や異形が暮らす都市の中で、彼女はさらに、異彩を放った存在だ。

 印象的なのは、青い前髪に飾られる瞳。右は氷のように透き通った水色なのに、左は爬虫類を思わせる細長い虹彩が(あかがね)色に輝いている。カウンターに隠れていた下半身には、街道で見かけた冒険者の一団と同じもの──蜥蜴の長い尻尾が臀部から伸びていて、それが自由に宙を撫でている。さらに驚くべきは、丈が短い作業着に前掛け(エプロン)の胸元を膨らませた姿……その布に覆われた胴体から伸びるのは、四つの腕だ。蟲を思わせる硬質な外殻に覆われた上腕と、人間の女性らしい白魚の指を備えた下腕が、一対ずつという具合。

 化物と人間が見事に融和した異形が、その女性の全身に散りばめられていたのだ。当然、こんなにも多彩な異形を施す存在は、ユグドラシルでも滅多にお目にかかれない。かなり縮小化(スケールダウン)したレイドボスの、第一形態くらいではないだろうか。

 そんな異形の中の異形という女性を、マルコは親しみを込めた音色で紹介していく。

 

「リューさんは商人(しょうにん)ですが、この都市でも指折りの魔法詠唱者(マジックキャスター)にして、錬金術師(アルケミスト)――ポーション職人の一人でもあります」

 

 ただちょっと変わっておりますがと、マルコは微笑みすら浮かべてみせる。

 

「リューさん。こちらはカワウソ様とミカ様、それとヴェル様です」

「よろしく大将。それにお嬢さん方。どうか贔屓にしておくれよ?」

 

 かなり男前な口調で、一瞬性別を忘れそうになるが、カワウソは軽く会釈を交わした。突き出された蟲の右腕にも、とりあえず握手を求められたと理解し、応じる。

 

「お二人さん。変わった装備をしているね?」

「ん……ああ、いや」

 

 カワウソとミカの頭上にある輪っかのことを言われたと理解し、言葉に詰まりかけた。

 ちょうど、その時。

 

「お師匠」

 

 幼そうな、けれども凛々しい声が建物の奥に続く扉から零れた。手動で開く扉のノブが回るのを、全員が振り返り注視する。

 

「あ……お客でしたか?」

 

 だが、現れた存在──矮躯は、人間のそれではない。

 胸から上は人間の少年だが、そこから下は竜の尾のごとく伸びた──長い蛇の異形だ。一見すると、ユグドラシルにもいた「ナーガ」なのだが、赤髪の少年の側頭部あたりから頭上と後方へと突き出す四本角を見ると、悪魔なのかとも思われる。

 少年は「じゃあ、後で」と告げて場を改める。

 それなりの礼儀を心得ているらしい調子で、扉の奥に引っ込んでいった。

 

「あの子は、ウチの弟子のモモさ」

「──モモ?」

 

 女性の告げた名前にカワウソは少なからず引っかかるものがあった。

 

「『漆黒の英雄』モモンに因んだ名前でね……知らないのかい?」

「ああ……」

 

 そういえば、先ほど街角で催されていた人形劇の主人公が、そういう名前だったか。

 アインズ・ウール・ゴウンのギルド長と似た名前だったから、妙に耳に残っていた。

 英雄の名前というのは、気にかかると言えば気にかかるが、一般常識として定着しているらしい名を、知らない風に答えるわけにもいかない。それに、一音しか違わないというだけで、あのギルド長・モモンガと関連して考えるのも早計だろう……絶対、何か関係ありそうな気はするが。

 カワウソの態度を深く追求するでもなく、リュボーフィは「ご用件は?」と(あきな)いに勤しみだしてくれる。

 マルコが淀みなく応えた。

 

飛竜(ワイバーン)を癒す治癒薬をお願いします」

「はいよ……しかし、珍しいね。マルコはいつから飛竜の主に?」

「私ではなく、こちらにいるヴェル様の飛竜ですよ」

「おう、そうかい。ちょいっと待ってな──ここに置いておいたから」

 

 言って、女性は四つの腕を巧みに操り、室内の一角にある飾り棚の奥を物色し始める。

 しばらくもしないで現れた治癒薬は、飛竜の巻き付く優美な硝子瓶のなかに、赤紫の溶液が満たされていた。

 

「はいさ。バレアレ印の治癒薬(ポーション)を調合した、飛竜(ワイバーン)特効の治癒薬」

 

 一個3870ゴウンと言われ、マルコは即座に財布を取り出し、そこから紙幣三枚と貨幣九枚を取り出した。

 

「マ、マルコさん。ここは私が払うべきじゃ」

「いいですよ。これくらい安いものです」

「……」

 

 カワウソがこっそりと見つめる金銭は、やはりユグドラシル金貨のそれではない。

 紙幣の表面にはアインズ・ウール・ゴウンのギルドサインが、一部の狂いなくしっかりと印字されていた。転がる金貨九枚を見ると、表面にはやはりギルドサインが、裏面には骸骨の頭蓋……アンデッドの顔がしっかりと浮かび上がっている。無論、ユグドラシルの金貨──新旧二種類のいずれともまったく異なる意匠に相違なかった。

 リュボーフィが手渡したおつりの銀貨三枚についても、まったくユグドラシルの面影は見受けられない。

 この世界独自の経済貨幣が生きている証拠である。

 

「いつもありがとうございます」

「なんの」

 

 二人の遣り取りが一応の落着を見たところで、

 

「ちょっと、いいか?」

 

 カワウソは指先に二枚の新旧ユグドラシル金貨をつまんで、リュボーフィに見せた。

 

「たとえば、なんだが。この金貨はどれくらいの価値になるか、わかるか?」

 

 この世界で通用する金銭が手元にないというのは、非常にまずいことだと思われる。

 カワウソとミカは旅の二人連れを装っているが、先立つものもないのにそんなことが可能だろうか? そんなはずがない。無論、装備や他のアイテムで寝食などの心配は無用だと思わせることは可能かもだが、それでも、この大陸に生きている風を取り繕うのに、現地の金を一切持ち合わせていないというのは、かなり奇矯だと思われるだろう。それこそ、カワウソたちは身分証も何もない、ただのユグドラシルプレイヤーと、拠点NPCだ。これより後、他の都市や土地に厄介になる際、通行料だの飲食代だのを工面する状況というのが発生する可能性はあり得る。いつまでもマルコという修道女に関わっていられるはずもない以上、何とかして外貨を獲得する(すべ)を見出せなければ、今後のことに支障が生じるのは必定である。

 

「ちょいと拝見させてもらうよ……うむ」

 

 エプロンに、胸の谷間部分に差し込んでいた眼鏡を装着した店主が、ユグドラシル金貨二枚の表面をそれぞれなぞったり、永続光の照明にかざして()めつ(すが)めつしたり、棚にあった秤にかけたりしながら、鑑定(魔法やスキルではないようだ)を行う。

 

「いい金貨だね、旦那。どっかの遺跡にでもあったのかい?」

「まぁ、そんなところだ」

「これなら換金屋にでも持っていけば、1000ゴウンくらいにはなるんじゃないかな?」

 

 鑑定と換金は畑違いなので、あまりあてにはしないでくれと、女店主は金貨を返却しつつ語ってくれる。

 1000ゴウンというのがどれほどの価値──高いのか安いのか分からないので、カワウソは曖昧に頷くだけに留める。

 では、ポーション専門の店ならば、カワウソの持つ治癒薬を換金したら……と思ったところで、それはやめておいた方がいいと判断する。

 この店へ赴いた目的は、ラベンダを回復させる治癒薬の購入のため。

 なのに、ここで治癒薬を取り出しては、あの場にいながらカワウソが治癒薬を提供しないでいることが二人にバレることになり、その時に抱かれる心証を思うと、ここで上位治癒薬(メジャー・ヒーリング・ポーション)を取り出すのは愚策でしかないとわかったから。

 ──マルコの細められた瞳が、男がしまう金貨を注視していたことに、カワウソ本人は気づいていない。

 

「皆、いつでも寄ってきな。またコイツ(・・・)に連絡してくれりゃ、すぐ用意できるから」

 

 店主は(ほが)らかに、客商売の挨拶を送って一行に手を振った。

 コイツと呼ばれた、肩に乗る小さな蜥蜴の骨。その頭を撫でる女店主の言葉を残して、カワウソたちは外へ。

 チラリと振り返ると、店主が下位骸骨の蜥蜴(レッサースケルトン・リザード)を「再起動」して、投影される映像を楽しみつつ、再びトンガリ帽子を磨くのが確認できた。

 ──あれと同じ感じのものを、都市の何人かが携行していたのを思い出す。特に、都市中心部だとそれが顕著だ。蜥蜴だけでなく、骸骨(スケルトン)(ラット)栗鼠(スクァーレル)(スネーク)蝙蝠(バット)(クロウ)……より大きいのだと(ウルフ)(フォックス)(オウル)(ホーク)なんかを、手や腕、肩や頭に乗せて、ものによっては足元に連れて歩いていた。骸骨だけでなく、木や金属で出来た、小箱やタブレット型の小さい動像(ミニ・ゴーレム)なども、それなりの数にのぼるだろう。

 なるほどと納得する。

 あれが通信網の「端末」を果たしているものか。

 

「それじゃあ、ラベンダのところに戻りましょうか」

 

 提案するマルコに連れられ、カワウソたちは来た道を引き返そうとした。

 その時、

 

「──ミカ?」

 

 ふと。

 自分のNPCが北方向の何処かを見つめていることに気づき、カワウソはその先を視線で追う。

 

「どうかし──ああ、あれですか」

「すごいですね、あの……王城?」

 

 マルコとヴェルも納得と共に、カワウソたちの横に並び、空の彼方を見上げる。

 天を衝くばかり高い塔。

 水晶の都のほぼ中心に建立されたと思しき建造物は、あまりにも巨大であることがこの場にいても容易に知れた。周囲に追随する水晶の摩天楼とは比べようもなく整えられた、至高の大建築。太陽の光に燦然と輝く真っ白な城壁は、高潔という言葉が非常に似合っており、まさに「王の城」であった。

 素直な感動にも似た思いをカワウソが抱きそうになるほど、この都市の光景というのは筆舌に尽くし(がた)いほど素晴らしい。

 

 ──ただ、一点。

 

 広場の街灯や建物から降ろされ(なび)く赤い幕旗が、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインを(いただ)いていなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何事もなく第四街区にまで戻ったカワウソたちは、相変わらず元気そうなラベンダと合流を果たし、特に問題なさそうな事実に安堵した。ひょっとすると治癒薬は無駄な買い物だったのかもしれないくらい、ラベンダは壮健そのもので、一舐めしたらそれ以上はいらないとばかりに顔をそらした。残った治癒薬は、ヴェルが大事そうに道具入れにしまうのをみると、自分が剣を何もない空間から出し入れしているのはどうなのだろうと疑問を覚える。特に気にした様子をヴェルもマルコも見せないことから、そういうアイテムがあるのだろうと思われているのかも知れない。

 ちょうど腹も空いた時間と言うことで、宿屋の食堂に入り込んだ。

 ラベンダについては、すでに店が食事を済ませてくれていたらしいので、心配はいらない。

 

 異世界の食堂は、何とも食欲をそそる芳醇(ほうじゅん)な香りに満たされていた。

 

 油が弾けるほどに焼けた肉の香り。焼き立てのパンのぬくぬくとした歯触りの音。塩や香辛料のきいた各種魚料理の(いろど)り。真っ昼間から酒精に酔う大人たちの雑然とした宴……それらすべてが、カワウソにとっては未知の体験だった。現実世界だと、長らく固形栄養や流動食ぐらいしか縁のない社会底辺者だったのだ。旧ギルドのみんなと過ごしたオフ会で、一度だけ経験したくらいの空気である。

 無論、飲食自体は装備を外した昨日の時点で空腹に耐えきれなくなり、拠点内の食堂で味わっていたが、微笑むメイドの視線を一身に浴びて、たった一人で晩餐会じみた長卓に座して味わうコース料理よりも、こちらの方がはるかにおいしそうな気がする。見た感じ、そんな特別な効果が宿ってそうにない、ただ「飢え」や「渇き」の状態異常(バッドステータス)程度しか癒せそうにない料理ばかりなのに。

 堕天使の胃袋が、一刻も早く飲食にありつきたいと(こいねが)ってきてやまない。カワウソは装備のおかげで飲食そのものは不要なはずだが、どうにも堕天使というのは食欲旺盛な種族なようだと納得する。

 オープンテラス──通りに面した、丸い木の卓に通された四人は、マルコのおすすめでドラゴンステーキを注文するが、ミカだけは食事を断固辞退して、場の空気が少し悪くなる。これはしようがない。最上級の天使であるミカは空腹というものを、状態異常(バッドステータス)の「飢え」や「渇き」を感じることはありえないこと。そもそも純粋な天使であれば、飲食そのものが不要なのだ。店員がおいていった“お冷”にすら口をつけようとしない。

 それでも、マルコはとりあえず四人分のオーダーを従業員(ウェイトレス)に頼んだ。

 テーブルマナーは、ヴェルやマルコの見様見真似。運ばれてきたドラゴンステーキを、カワウソは瞬く間に完食してしまう。肉質と脂の乗りが絶妙だった。副菜のサラダやパン、スープもすべてたいらげる。ミカに運ばれた分も、彼女の許可を取り、おかわりとして舌の上に味わい胃袋に納める。──考えてみると、前の食事から半日ほどが経過しているのだから、腹は空いていて当然とも思える。だが、身体が空腹を解消したいという欲求というよりも、未知の料理を味わいたいという衝動が(まさ)っていた気がするのは何故だろう。これも異形種の──堕天使の特性なのだろうか?

 

「そんなにドラゴンステーキがお好きで?」

 

 問いかけてくる修道女に、異様な速度で二人分の食事を終えたカワウソは、紙ナプキンで口元を拭ってから応じる。

 

「腹が空いていたから、な」

 

 カワウソの取り繕うような嘘に気づいた様子もなく、マルコは「自分のステーキも良ければ」と差し出してきた。

 

「……いいのか?」

「私はパンとサラダ、スープがありますので」

 

 遠慮するのもあれなので、カワウソは黒鋼(くろがね)のプレートのおかげでまだ十分に熱の残るステーキを貰い受けようとして、

 

「あー……」

 

 もう一人の相席者が、うらやましそうに眺めてくる声に気づいた。

 

「……食うか?」

「え、でも、あの」

 

 無言でマルコの分のステーキを、恥ずかしそうにしながら断固としてよだれが滴る無様をさらすまいと必死な少女──ヴェルの前に促した。

 

「……じゃあ、いただきますね」

 

 召し上がれとマルコに微笑まれ、ヴェルは既に空になった自分の皿を脇にずらして、新たに現れた分厚いステーキ肉の食感を堪能し始める。

 あらためて少女の、ヴェルの食事風景を眺めるカワウソは、その様子を見るだけで満腹になってしまいそうなほど実においしそうに舌鼓を打って瞼の端を潤ませている姿に苦笑してしまう。

 

飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)なのに、竜の肉(ドラゴンステーキ)を食べて平気なのか?」

 

 からかうような──その実、かなり意外そうな口調で呟くカワウソに、最後の肉片を噛み締めていたヴェルは、きょとんと眼を丸くする。

 

「んむ…………はい、大丈夫です。というか、割と慣れてますから」

「──慣れてる? 慣れてる、って?」

 

 奇妙なことを聞いた気がして、思わず問い続けた。

 少女はグラスの水を飲み干すと、準備していた言葉を連ね始める。

 

「私たち飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は、場合によっては飛竜を食べます。老衰の末に死んだ飛竜も、戦いによって命を失った飛竜も……みんな、手厚く葬儀を行った後、食べるんです」

 

 告げる少女の瞳には、臆するところは一切ない。

 それが(おきて)なのだと……それが自分たち(ワイバーン・ライダー)飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)たらしめるのに必要なものだと、少女はまったく(いさぎよ)い調べで呟く。

 彼女は、場合によっては、自分の乗騎である飛竜をも食すと、冷厳に告げているのだ。

 少しだけ少女が違うものに思えるほど、その瞳には迷いがなく、また暗い感情も窺い知れない。

 カワウソは初めて、ヴェル・セークが背丈以上に成長した存在な気がし始めた。

 

「その代わり────?」

 

 言い募ろうとしたヴェルの言葉を、通りから響く喧騒が大きな波のように呑み込んだ。

 喧騒は波紋のように大通りに存在するすべての者に伝播され、ふと、ある程度までいくと深い沈黙に変貌してしまう。

 行き交う市民や観光客の集団は勿論、店内で飲食中の親子や卓を片付けていた従業員(ウェイトレス)まで、その場で片膝をつき始めるのはどういうわけか。

 

「皆さん」

 

 マルコの澄んだ声音に、ヴェルが何かを承知した。少女が慌てて席を離れて(ひざまず)き、マルコがそれに続くので、カワウソは二人の行動に(なら)った。

 だが、

 

「あれ……ミカ、さん?」

 

 ヴェルは自分の左隣に座っていた女性の姿がないことに気づく。少女の右隣に座っていたマルコも怪訝(けげん)な視線で周囲をかすかに見渡すが、徐々に大きくなる大量の足音を聞き、捜索を諦めるしかない。

 ……あとで説教するしかないのかと女天使の行動に呆れつつ、カワウソはテーブルの陰で跪きながら、大通りを整然と進む集団を窺い見た。

 

 人波が端にまで割れ、その中心を、何もかもが予定通りに決められていたかのように、

 彼らは突き進む。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの紋章旗を掲げた死の騎士(デス・ナイト)

 紅に煌く眼の黒い一角の獣に跨り手綱を握る死の騎兵(デス・キャヴァリエ)

 都市を警邏のため練り歩き、交通機関の御者台に座っている姿が多かった二体のアンデッドモンスターの他にも、様々な不死者が列をなして、それらが一分の狂いもなく軍靴の音色を奏でている。

 彼らが守護するように、列の中段を飾るかのごとく煌く焔色の宝玉細工の輿(こし)が、豪奢な薄布の御簾(みす)で内部にある人影を、外部から完全に遮断している。八体の魂喰らい(ソウルイーター)によって丁重に運ばれる人物の仔細(しさい)は不明だが、あれだけの人いきれで賑わっていた通りが、水を打ったように静まり返っているところから察するに、かなり高貴な存在であるものと推測して然るべきだろう。

 やがて。

 行進の列は消え去り、世にも恐ろしい大名行列に平伏する市民らは、もとの暮らしを取り戻す。

 誰の顔も恐怖や不安という色は見受けられず、そうすることが至極当然な慣習として、受け入れられているようであった。まるで記憶が抜け落ちでもしたのかと思えるほど、全員が先ほどの「死の行軍」を話題にしない。幼い子供が「カッコよかった!」などと言ってはしゃぐのを、周りの大人が微笑み頷く程度である。

 

 これが、魔導国の日常、か。

 

「あ、あれ……ミカさん?」

 

 再び、ヴェルが消えていたはずの鎧の女を呼んだ。

 先ほど消え失せたように見えたミカが、何事もなかったように、椅子に座っていたからである。

 

「……なにか?」

 

 ほとんど睨みつけるような言葉で応じる女に、少女は二の句が継げなかった。

 今すぐ叱りつけたい衝動を何とか抑えつつ、立ち上がったカワウソは優先すべき情報の確認を急いだ。

 

「さっきの輿(こし)……誰が乗っていたんだ?」

 

 カワウソの視線を受け止めたヴェルは、同じ疑問を抱いていたのだろう。

 そのまま、国の事情に通暁していそうな残る相席者に水を向ける。

 

「ま、魔導王陛下、でしょうか?」

「いいえ、ヴェル様、そしてカワウソ様。あの輿は“参謀”閣下、デミウルゴス様の御息女様のものです」

 

 あまり市井(しせい)に赴く方ではないのですがと説明するマルコの言葉に、堕天使は反応しない。

 それ以外の部分で、カワウソは眉を(ひそ)め、聞いた内容を吟味(ぎんみ)するのに忙しかったから。

 

 第七階層“溶岩”の守護者──“炎獄の造物主”デミウルゴス。

 ナザリック地下大墳墓の最奥に近いだろう階層の赤熱神殿にて、プレイヤーたちを三つの変身形態でもって迎え撃ったLv.100NPCだ。

 

 

 そんなNPCの御息女──娘──それは、つまり……子ども?

 

 

 そんなことが、可能なのか?

 否、この異世界では、NPCたちも生きているようなものなのだから、そういう行為に至ることも可能なのかも。

 …………では一体、どれほどの強さの子を産めるのだ? Lv.100のNPCが産んだ子は、すべてLv.100に至れるとしたら…………これは、とんでもないことになるぞ?

 デミウルゴス自体は強力なパワーで敵対者を圧倒するのではなく、特殊な戦闘スタイルで搦め手を得意とするNPCだったはずだから、そこまで直接的な強さはないかもしれない。が、それでも、Lv.100やそれに準じるほどの強さを量産されでもしたら、どうあがいてもカワウソのような堕天使プレイヤーには勝ち目なんてない。

 カワウソのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のLv.100NPCは、僅か十二。カワウソを数に含めても十三人しかいないのだ。それ以上の数を、魔導国が量産し保有しているとしたら。

 そういえば、同じLv.100NPC──シャルティア・ブラッドフォールン、アウラ・ベラ・フィオーラ、マーレ・ベロ・フィオーレも、あろうことかアインズ・ウール・ゴウン魔導王の“王妃”に列せられていると聞く。

 あの三人のNPC──「少女ら」も、同じように子を産めるとしたら?

 それ以外のNPC──コキュートスや、ナザリック地下大墳墓の未知なる階層や領域の守護者も、子を産んでいるのなら?

 何より、アインズ・ウール・ゴウン魔導王本人が侍らせる残り二人の王妃──アルベドという宰相や、ニニャという女性というのも、子を産んでいるのであれば?

 

「まさか──な」

 

 震える胸の奥に、痛みにも似た恐怖を覚えかけるのを、頭をかすかに振って霧消させる。

 

 ミカの視線が、苦笑するように首を振る主を──さらに、その向こう側──店内奥のカウンター席に()す二人の人影を捉えて、……ふいに興味を失い、そらされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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