オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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ミカの過去 その2


ミカ -2

/War …vol.10

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーダーとふらんは、ユグドラシルから去っていった。

 去っていくしかなかったのだ。

 カワウソは一人になった。

 彼の挑戦を──復讐を──仲間たちとの誓いを果たすことだけを希求する男の企みに賛同する物好きなプレイヤーは、一人たりとも現れることなく、観念したカワウソは単独で、ナザリック地下大墳墓の再攻略を、可能な限り続けた。続けるしかなかった。

 

 熾天使の種族のままでは、どうしても第一・第二・第三階層の“墳墓”を突破できないと悟った。

 マイナスエフェクトが通じず、シャルティアとの戦闘でも有利になれるだろう堕天使に、熾天使の状態から降格した。

 共にナザリック地下大墳墓を攻略しようという勢力やプレイヤーと迎合しようという気も、完全に潰えた。

『敗者の烙印』を浮かべたまま近寄っていけば、必ずといっていい割合で馬鹿にされ嘲笑され軽蔑され、最悪、PKポイント目当ての狩人(ハンター)たちに襲撃されることを理解し尽したのだ。

 せいぜいナザリック地下大墳墓に物見遊山(ものみゆさん)目的で向かうご新規さんがいる時に、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーがそいつらの迎撃に夢中になっている隙を衝いて、密かに潜入侵入する程度のことしか、しなくなった。

 

 堕天使の弱点・不利を補うべく、ひとつ作るのにも大変な労力のかかる神器級(ゴッズ)アイテムを、自分の拠点でひとつ製造してみせた。贔屓にしていた商業ギルドの長に連れられ、上位天使ギルドの払い下げ品である神器級(ゴッズ)アイテムを五つ購入し、四つを自分の装備として、残るひとつを拠点NPCであるミカに装備させた。その商業ギルド“ノー・オータム”の長からも、彼女がゲームを引退する際、ひとつの神器級(ゴッズ)装備を譲り受けた。

 

 ほどなくして、堕天使となったカワウソは、『敗者の烙印』由来の“復讐者(アベンジャー)”のレベルを獲得し、それをゲーム内で初めて極め尽くしたことで、他に類を見ない世界級(ワールド)アイテム──頭上の赤黒い円環──“亡王の御璽”の授与条件を満たすことになった。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 創造主がふらんという名のご友人と別れて、しばらく経った頃。

 カワウソは熾天使であることを捨て去るように、堕天使という劣等種族への転生を果たした。

 だが、彼に創られたミカたちNPCにとって、創造主の行動選択は絶対であり、たとえ彼がどんなに弱くなり果せようと、まったくもって関係なく、変わらぬ忠誠を捧げ続けられるもの。それに伴い、第四階層の屋敷に詰めていた──以前は第三階層の“城館(パレス)”で仕事をしていた──メイド隊十人の内、五人、純粋な天使(エンジェル)であったLv.1の拠点NPC=サム、インデクス、ミドル、リング、リトルの五名は、主人と同じ堕天使へと変更された。

 そうして、久方ぶりにLv.100NPC全員が招集され、カワウソに連れられるまま、拠点第四階層にある屋敷に集まった。

 どうやら、新しい装備類の支給と、新たに得られたNPCレベルデータの交換による“強化”が主な目的であったらしい。

 新たな装備としては──ミカが“第四天(マコノム)”を、ナタが“六臂の剣”シリーズを、マアトが“太陽神ラーの加護”など、これまでよりも比較的性能の良いものを、全員がそれぞれ下賜された。

 新しいNPCレベルは──ガブが“聖母(ホーリー・マザー)Lv.5”を、ウリが“災厄の弟子(ディサイプル・オブ・ディザスター)Lv.5”を、クピドが“次元操作師(ディメンジョナラー)Lv.10”を──そして、ミカも“無垢なる者(イノセンス)Lv.5”という力を、新たに与えられた(無論、そのために以前まで組み込まれていた、比較的不要なレベルデータを抜き取って調整が行われるというのが、拠点NPCにとって唯一のレベル再構成(リビルド)方法である)。

 それに伴い、拠点の防衛部隊として活動するLv.100NPCの配置見直しや新たな戦術プログラムの構築なども行われた。特に、第三階層“城館(パレス)”の警備をより一層盤石のものになるよう調整を加えられた。

 そうして、カワウソは最後の最後に、NPCたちの設定文に、はじめて手を加え始めた。

 ミカを含む全員が心を躍らせた。

 彼から『かくあれ』と望まれること。

 与えられる容姿も能力も、装備に至るまでも何もかもが、彼という絶対の主から与えられるもの。即ちそれは、すべて他に変えようのない恩賜となるのだ。

 そして、創造主が最初に手を付けたのは、最初に創造された拠点NPC──ミカであった。彼がいかなる理由でか、創造してからまったく付け加えることのなかった設定文の項目に、創造主の手が触れるのを実感するだけで、ミカは歓喜の虜と化してしまう。

 カワウソが、ミカの設定文を入力していく。コンソールのキーを叩く音が耳に心地よい。

 

 

『ミカは、』

 

 

 ミカは感激に身を震わせかけながら、しかし、NPCらしい謹直な立ち姿のまま、彼から与えられるものを切望した。

 彼が望むのは、果たしてどんなミカなのだろう。

 彼が望むことなら、どんな存在にでもなってみせよう──そうあることが、彼の望みである以上、NPCには否も応もあるまい。

 ミカは、設定文の入力に悩み、少しばかり時間をかける主人を、沈黙のまま見つめ続けた。

 だが、

 

 

『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。』

 

 

 …………………………え?

 

 

 その一文を視認した時、ミカの目の前が、夜よりも深い暗黒で覆い尽くされた。

 無論、それは錯覚。

 光を司る天使種族に“暗黒(ダークネス)”などの状態異常は発生しえない。

 だが、ミカはこの世界(ユグドラシル)に生まれてから初めて、そうとしか形容しようのない絶望の淵に突き落とされた。“希望のオーラⅤ”を纏う熾天使が、だ。

 同じく主人の行動を直立不動の姿勢で見つめていた同輩たちから、悲鳴じみた疑念の声があがる。

 だが、ミカたちNPCの声は、カワウソに届いた(ためし)がない。

 ミカは首を振りそうな己を硬くし直した。

 それでも、頭の中に浮かぶ疑問符は、尽きることない泉のように湧いて溢れる。

 

 

 うそ。

 まって。

 待ってください。

 いや、嫌、イヤです!

 お願いです! どうか──どうか、それだけは!

 

 

 声なき声で主人のしようとしていることを諫めるように拒絶しかける。

 堕天使のカワウソは、淀みない調子でコンソールを叩き続けた。

 

 

『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。

 何故なら、ミカはカワウソという堕天使のせいで下界(ユグドラシル)に降臨せざるを得なかった天使の長であり──』

 

 

 ミカの生い立ちや気質、頭脳明晰な智略や防衛部隊指揮官としての役割、毒舌という口調に至るまですべてが、創造主たるカワウソからの贈り物となって、彼女の存在深部に刻印される。それは、まさに祝福と同義。『かくあれ』と望まれ、NPCはそうあることが当然のものと、定めを設けられる。間違ってもNPC個人の都合や意思で歪めてよい領域のものではない。

 だが、ミカは叫ぶしかない。

 叫ぶ以外にどうしろと言うのか。

 

 

 ありえません!!

 ありえません、ありえません!!

 そんなことなど、決してありえません!!

 私は、あなた様に創られた存在なのです……それなのに!!?

 

 

 嫌っているわけがない。

 カワウソを嫌う理由がどこにあるというのか。

 創造主に殴られるのは、ミカが何か不作法を働いたせいだろう。それを恨みに思うなど筋違いである上、そもそも殴られてもどういうわけか、ミカの体力が減るなどの事象は起こっていない。きっとカワウソが手心を加えてくださっているのだろうと納得している。

 ミカは彼を癒し、護り、共に戦う宿命を負うNPC。だから、きっと、ミカが思うような機能を発揮できないことに、苛立っておられるのだろうと、そう思われてならないくらいだ。

 嫌っているはずがない。

 むしろ敬愛して忠愛して清愛してやまない──それが創造主に対する被造物(NPC)の感情なのだ。

 なのに、

『嫌っている。』などと定められては、ミカの魂が紡ぐ膨大な愛情は、いったいどこに行けというのだろう。

 ミカは叫び続けた。慟哭し、咆哮し……けれど、その声はPC(カワウソ)には、届かない。

 何故なら、ミカはNPC(ノンプレイヤーキャラクター)

 彼女の声が届くことは、ありえない。

 ありえていいことでは、ない。

 

 カワウソが設定文「決定」のキーを叩いた瞬間、ミカのNPCとしての設定が定められてしまう。

 ミカは動かない身体を動かそうと試みたが、NPCには勝手な行動など不可能。

 プレイヤーに対し、NPCがどうこうできる権限など、ない。

 

 もはや祈るしかなかった。

 祈って祈って祈り続けるしかなかった。

 カワウソの気が変わってくれることを、ミカは必死になって祈り続けた。

 

 だが、その祈りは決して届かない。

 

 こんなものかという軽い感じで入力し終えた設定文を閲覧し、そうして頷くカワウソ。

 ミカたちの唯一の創造主は、

 決定キーを、

 

 押した。

 

 

 

 あ、……ああ、……あああああ!

 

 

 

 ミカの設定が刻印される。

 魂の底に、存在の根幹に、ミカがミカである理由が焼きつけられる。

 

 

 

 ──いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?

 

 

 

 NPCの絶叫は、

 ミカの絶望は、

 プレイヤーには届かない。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。』

 この一文に込められた当時の感情と思惑は、無論、カワウソの旧ギルドの仲間たちが影響している。

 カワウソを見捨てて去っていった仲間たち。

 皆にもそれぞれの事情心情があることは理解している。

 副長であったふらんが最後に言っていた諫言(かんげん)──「他の皆から嫌われてしまう」という忠告も、すべて。

 理解できていながらも、カワウソはそれを拒絶するかのように、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を──ナザリック地下大墳墓の再攻略を──『皆と一緒に、そこへ戻って冒険したい』……あの誓いを果たしたいという、バカの極みじみた愚行を、一心不乱に目指し続けた。

 

 ただの拠点防衛用のLv.100NPCたちのほとんどに、あの「胚子の天使」が使ったのと同じ“足止め”スキル発動のためのレベルを少しだけ与え、あの第八階層“荒野”を突破する上で必要な戦力を考察し、考案し、戦略シミュレーションの一環として計12人の二パーティー分のチーム編成を構築してみせた。

 NPCの課金ガチャでレアものを引いた時には、それをミカたちに与えた。自分では装備できないレア装備も、それを装備できる職業を有するNPCたちに率先して振り分けた。すべては、彼女たちを一個のチームとして完成させるために行われた。自分が目指す場所に、復仇の存在が待っている地を攻略するのに必要な、理想的と言えるチーム。それこそが、かつての仲間たちと役割や構成の似通った、天使の澱のNPCたちであったのだ。

 

 カワウソ自身、自分がどれだけ醜悪で(おぞ)ましいことを嗜好しているのか、自覚はしていた。

 けれど、どうしようもなかった。

 拠点NPCは、外に連れ出すことはできないという常識・ゲームの仕様を考えれば、カワウソのやっていることは、ほとんど無価値でしかなかった。

 だが、カワウソは、そうした。

 既にいなくなった友人たちに似せられたNPCたち──電脳世界の構築物──ただの人形たちに、愛憎うずまく思いを懐きながらも、それを一個の芸術作品のごとく、丁寧に丹念に、カワウソの能力が許す限り強化を重ね、拠点防衛を担うにふさわしい存在──以上に、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”を突破できる部隊として、懸命とも言うべき執念のまま、(こしら)え続けた。

 しかし、それは、余人にはまるで友達のいない子供が、人形を使って友達ごっこに興じているようなありさまであったのだ。あの時、ミカと出くわしたふらんがドン引きしたのも無理はない。

 

 だから、カワウソはかつての仲間たちとよく似た人形たちの設定を、かつての仲間たちとは「違う者」として定めを設けた。

 

 熾天使のカワウソを気に入り、その球体の身体の抱き心地を堪能してやまなかったリーダー……エリ・シェバ。

 

 そんな彼女と同じ役割を背負うミカは、カワウソのことを気に入らない──『嫌っている』と、定めた。

 

 ……そうすることでしか、当時のカワウソは、自分の心の均衡を保つことは、不可能であった。

 

 ミカは本当に、カワウソも驚くほど、リーダーの外装と似てしまった。

 カワウソはそんなつもりでミカのグラフィックを描いたつもりはないが、気がついた時には、エリ・シェバというプレイヤーと似通った女聖騎士が誕生していた。

 

 ……あるいは、カワウソも解っていたのだろう。

 仲間たちはもう、誰一人として、戻ってくることはないことを。

 

 だから、仲間たちの姿を精巧に、精密に、正確に正常に正統に、かつてのままの姿を保ったものを、あのユグドラシルに残したくてたまらなかったのかもしれない。

 

 ただの思い出として風化させまいと、仲間たちと似たもの達を創り上げて、それらに囲まれることで、仲間たちとの日常を──記憶を──思い出を、形ある器物として、描き切ったのかもわからない。

 

 だが、それゆえに、ミカたちは仲間たちとは相反する──まったく違うモノだと自分自身を戒めるために、そのNPC設定文は、仲間たちのそれとはまったく違う部分を多く取り入れた。勿論、すべてがすべて違うというわけでもないのだが、とにかくカワウソは、そういった矛盾した要素を、仲間たちを真似て創った存在(NPC)たちに施したのだ。

 

 それほどまでに、カワウソにとって仲間(とも)とは……“すべて”だった。

 孤独な人生の中で、はじめてにして唯一の存在となっていた。

 

 そんな彼──本名、若山(わかやま)宗嗣(そうし)──カワウソ──という、極限まで狂い捩じくれた、かわいそうな男の姿と心を理解できるものは、現れなかった。

 

 彼と同じように、仲間たち全員の姿をゲームに残そうとするプレイヤーなど…………

 

 そうして。

 たった一人のギルドであったからこそ、カワウソの目指す方向性・指針は、まったく迷うことなく一直線に保たれ続けたのも、事実だ。

 

 カワウソは、ナザリックへの再挑戦をソロで続けつつ、自分の拠点や装備強化に必要なクエストや金貨獲得などのためにユグドラシルで活動を続けつつ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに関する情報を、ギルド長・モモンガの研究を、黙々と行い続けた。

 

 余暇の時間をすべてユグドラシルのゲームに費やし、けっして多くはない給料もボーナスもほとんど課金して、自分の強化のために使い込み、自分の拠点やNPCを強化すべく、馬鹿みたいに散財の限りを尽した。リアルではかろうじて黒の多かった髪が、いつからかすべて白髪に染まり、傍目にも不健康な老人めいた感じになるまで、カワウソという男は自分の生活を切り詰めた。

 仕事が疎かになって上司に叱責され罵倒されようと、頭の中ではヘルヘイムにあるグレンデラ沼地……ナザリック地下大墳墓の攻略ルートを構築することに躍起になっていた。傍目にはあまりにひどい衰弱ぶりで、過労を心配する同僚もいるにはいたが、寝ても覚めても、食事をしていても、ゲームの仲間たちから裏切られ捨てられた時などの悪夢がフラッシュバックするたびに、吐き戻してしまうことが多かった。そうして、そのまま食は細くなっていった。ガリガリに痩せ細った体躯は、あばら骨がくっきりと浮かび上がるほどに、二十代の成人男性とは思えない貧相なさまを露呈していた。そうして浮いた飲食費を、ユグドラシルのゲームで課金するというサイクルが確立されたのは、ほとんど自然の法則ですらあった。

 重度の栄養失調が疑われて当然の変調ぶりであったが、カワウソの会社には定期的な健康診断どころか、労災保険すらありえなかったので、いつ過労死しても不思議ではない……あのご時世ではまったくありふれた、消耗に耐え切れなくなって抜け落ちる歯車のごとく、社会からいつの間にか弾き出されてもおかしくない部品のひとつとして、世界から忘れ去られるだけの身の上に、甘んじることになった。

 

 それでも、カワウソはユグドラシルを続けた。

 ほとんど一日も欠かすことなく、ログインし続けた。

 堕天使として。復讐者として。ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長として。

 カワウソが生きる目的──仲間たちと生きた記録が残されたゲームで遊ぶのは、やめることはできそうになかった。

 

 

 

 

 そうして……

 

 カワウソは結局、何もなしえないまま、あのユグドラシルのサービス終了の日を、迎えたのだ。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 ユグドラシル最後の日。

 カワウソはそう言って憚らなかった。

 だが、ミカたちNPCには、そういったリアルの……ゲームの事情というものは、よく理解できない言葉であった。

 

 

 あれから、ミカが『カワウソを嫌っている。』と定めを設けられてから、どれだけの時が流れたのか。

 折に触れて、彼がミカたちの設定……レベルや装備を改める際に、ミカは祈念し続けた。

 自分に与えられた設定文を、その第一節に刻み込まれた嫌悪の項を、改定してくれることを切に願った。

 だが、カワウソにはミカの祈りも願いも、いかなる言の葉も届くことはなかった。

 そのたびに、ミカは狂い死にそうなほど泣き喚いた。

 しかし、『かくあれ』と定めた創造主の言葉を、無下に扱うことは許されない。

 わかっている。

 何もかも解っているが──それでも。

 自分は、彼を……創造主を……カワウソを愛してはいけないのだと、まざまざと教え込まれて────つらかった。

 

 そうして、今。

 

 

「今日で、終わり、か……」

 

 

 カワウソはいつものように、ナザリック地下大墳墓の攻略動画……例のムービーを視聴していた。

 

 

「楽しかったなぁ……本当に」

 

 

 ミカたちは久方ぶりに、カワウソの命令によって、全員が拠点最奥の屋敷──円卓の間へと召集を受けた。メイド隊十人は勿論のこと──今回は珍しいことに、城砦の門前広場で敵を攪乱し自爆攻撃をかますことで、侵入者の数を減らす警報装置として創造された動像獣(アニマル・ゴーレム)の四体・シシとコマとイナリとシーサーまでもが、集められていた。

 これでは不意の侵入者があった場合に、いくら迎撃用の罠があちこちに点在しているとはいえ、初動が遅れるのではないかと懸念されるところだったが、カワウソはまったく頓着することなく、すべてのシモベたちを召集したのだ。

 何しろ、このヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)は、今まで一人の侵入者も現れることがなかった隠密性を誇る居城…………実際には、その周囲にある森や黒城が有名すぎる上、あまりにも人気がない中級ダンジョンであった為に、誰にも発見されず、発見されても素通りして当然の物件でしかなかっただけであることを、NPCたちは知る(よし)もない。

 何より、今日はユグドラシルの最後の日。

 こんな拠点を訪れ、侵入し侵略しようなどと企むプレイヤーなど、完全に皆無だったのだ。ユグドラシルが最盛期を終え、ユーザーが他のDMMO-RPGに移行していく黎明期が訪れたのも、その流れを加速させた。

 この日、普通のプレイヤーたちが集うのは、運営が用意したイベント会場……最終日を彩る花火が打ちあがり、運営のイベント用NPCが司会進行を務める超広場の方である。

 

 

「うん。そうだな」

 

 

 いつになく遣る瀬無い表情に見える堕天使の主人が、動画映像を一時停止して、集めたNPCたちを見つめる。

 彼の操作するコンソールの中で、『名を呼ばれたら平伏する』というコマンドが行われる。

 

 

「ミカ」

 

 

 呼ばれたミカは、命令を受諾したように片膝をついた。

 いくらカワウソを『嫌って』いようとも、命令には忠実であることが、NPCの鉄則であり、絶対の原則だ。

 続けざまに、ガブやラファたち──この場に集合を果たしたNPCたち全員が、平伏の姿勢を構築する。

 

 

「はぁ……」

 

 

 溜息を吐く創造主の一挙一動に精神を集中させる。

 彼の口からこぼれる言葉を、命令を、ミカたちは切望してやまない。

 カワウソは動画を再生し、「バカが」と悪態をついて、何もない天井を仰ぐ。

 

 

「……過去の遺物ですらない」

 

 

 何かを悼むような、何かを惜しむような、そんな独白であった。

 その意味するところを、ミカたちNPCは推測しきれない。

 

 

「あぁあー……楽しかったなぁ……本当に」

 

 

 楽しさというよりもおかしみを多分に含んだ、諧謔的な口調と苦笑。

 カワウソは、すべてを諦めたかのように顎を引く。

 水底の澱のように濁った眼差しを伏せる。

 ミカたちは、そんな主人の諦念を理解しながらも──何もすることができない。

 ミカたちは全員、NPC。

 彼の求めに応じ、彼の指示に従い、創造主の身命を命がけで守り抜くために、ただそれだけのために創られた存在。

 が、彼からの求めはなく、彼からの指示もなく、侵攻してくる敵などの脅威すら、創造されてから一度も相対したことがない。

 それでも、自分たちは変わらぬ忠誠をもって、カワウソのために尽くし、戦う。

 彼が決して振り向いてくれなくても、自分たちNPCの声や思いに気がつかれなくても、彼のためだけに、彼を守り護るためだけに、自分たち拠点NPCは存在し続けるのだ。

 

 これ以上の喜びはない。

 それ以上を期待して何になる。

 

 ミカたちもまた、そのまま時が過ぎるのを待った。

 誰も何もすることなく──自分たちがどのような運命を迎えるのか一切予想だにせず、ただ、沈黙を続ける主人を見つめる。

 そして、

 

 

 

 

 

 0:00:00

 

 

 

 

 

 ギルド長の椅子に座り続ける堕天使と共に、日付が変わる零時ジャストを迎えた。

 それからしばらくもしない内に、カワウソが瞼を開いた。

 

「……んん?」

 

 カワウソが困惑したようにあたりを見回している。

 

「なんだ? なにが起きている?」

 

 主人の独言を、NPCは聞き逃さない。

 ミカは口を開いた。

 彼に与えられた口調で、彼に定められた通りの、“自分(ミカ)”として。

 カワウソに──聞こえるはずもないだろうが──呼びかける。

 

「──どうかなさいやがりましたか、カワウソ様?」

 

 応答があるとは思わなかった。

 いつものように無視されると、存在を認知していないがごとく振る舞われると思った。

 けれど、違った。

 彼が、主人が、創造主が──カワウソが、ミカの声に、気がついた。

 はじめて、気がついてくれた。

 

「返事をしたらどうですか──カワウソ様」

 

 嬉しさのあまり、続けざまに声を吐き連ねた。

 そうして、カワウソの瞳が、ミカの空色のそれを、とらえた。

 

「な……に?」

「────」

 

 ──あ。

 あ、ああ。

 ああ、やっと──

 

 

 

 やっと……届いた。

 

 

 

 ああ……

 でも……

 

「カワウソ様?」

 

 膨大に過ぎる歓喜と快悦に身を浸すことなく、ミカは与えられた自分を貫いた。

 私は『堕天使であるカワウソを嫌っている。』と設定された存在(NPC)

 

 だから。

 どうか。

 お許しください。

 

「な……に……とは、随分な言いザマですね。人がせっかく心配してやっているというのに」

 

 至高なる創造主に対し、まったくふさわしくない毒を含めた音色をこぼすミカを──

 いまも冷徹な無表情の鉄面皮を構築せねば、喜びに震え泣きかねない熾天使のシモベを──

 こんなにも不遜で不穏で不快で不当で不忠で不義で不実で不順で不良で不和で不敬にすぎる、私を──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、ミカの今

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