オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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ミカの今、その2
飛竜騎兵編終了から、ナザリック地下大墳墓まで


ミカと天使の澱 -2

/War …vol.12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェル・セーク救出から端を発した、飛竜騎兵の領地での騒動を解決した。

 カワウソという圧倒的な力を顕示してみせた男の姿に、魔導国の民や一等冒険者らは、惜しみない賞賛と尊敬でもって、堕天使との邂逅に感謝を捧げた。

 ミカは冷徹な表情のまま、飛竜騎兵の族長家……特に、ヴェル・セークなどが、カワウソにひとかたならぬ想いを募らせ、共に生きることを希求する姿を、良しとした。

 たとえ、彼女たちがあのアインズ・ウール・ゴウンの──カワウソの仇敵の統治する国の臣民であろうとも、ヴェルという乙女がカワウソと共に生き、その愛情によって、創造主たる男の憎悪感情を癒す存在になってくれたのなら──彼に対する「愛」でもって、真の意味での癒しをもたらしてくれるというのであれば、カワウソの安寧を祈り続けるミカにとって、拒絶する理由などなかった。

 何より、ヴェルは堕天使の異形の精神を目の当たりにしても──あの裏切者を嘲虐する姿を見ても、怖れることなくカワウソを止めるほどの胆力を示した。

 そんな彼女であれば、自分(NPC)たちにはできないことを成し遂げてくれるかもしれない。きっとカワウソの喪った何かを……心の隙間を……アインズ・ウール・ゴウンやナザリック地下大墳墓に対する悪意のすべてを、癒し、慈しみ、清浄なるものに変えてくれるかもしれない。

 

 

 だが、そのヴェル・セークからの申し出を、他ならぬカワウソが、拒絶。

 

 

 ヴェルが紡いだ“仲間”という単語──これがいけなかった。

 もしも、彼女が“仲間”というものになろうとするのではなく、“恋人”や“伴侶”、“妻”となることを真っ先に希求していたら、あるいは違う目もあったのかもしれない。

 そういった情欲に訴え、堕天使の孤独を慰撫することは──彼という創造主の方から求められない限り──ミカたちNPCには提言不可能。あの、ミカが初めてカワウソの私室を訪れた、勘違いの“(とぎ)”についても、あくまでカワウソが「それを望んでいる」と誤認したことから。自分たちの方から創造主と対等な立場に立とうなど、あるいは不敬とも思われかねないような大言であるのだから。だが、ミカは思った。あるいは彼女なら、ヴェル・セークという現地人の乙女であれば…………

 しかし、ヴェルは至極実直に、段階を踏むことを望んで、カワウソと共に生きる方法として、「私が、貴方の仲間に、なってあげられませんか」と、そう言ってしまったのだ。

 かつての仲間たち──ご友人諸氏から裏切られ見捨てられ、アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を続けてきたカワウソにとって、その単語は禁句にも等しい。故にこそ、ミカたちはカワウソの“仲間”ではなく、ただの“シモベ”の地位に甘んじているのだから。

 

 そうして、カワウソは飛竜騎兵たちとの繋がりを、ガブに記憶をイジらせることで、無に帰した。

 そうする以外に、カワウソは飛竜騎兵らの敬意や友好を処することが、できなくなった。

 

 カワウソの望みは、ただひとつだけ。

 この異世界転移によって、彼が目指すべき場所は──目的は、ただ一点に絞られてしまった。

 それを果たす上で、ヴェルたちのような存在は、無用の長物でしかなくなったのだ。

 だから、カワウソはこう言った。

 

「……あんな雑魚共がいたら、自由に動けないだろう?」

 

 そう(うそぶ)く堕天使に対し、ミカはたまらなくなって、つい口を滑らせた。

 

「本当にうそつき」と。

 

 誰よりも寂しがり屋のくせに。

 何よりも仲間たちを求めているくせに。

 彼は、嘘を、つき続けている──そんな彼に創られた、ミカも。

 

「それで。今後は如何(いかが)なさるおつもりで?」

「そうだな。この大陸の有力者に渡りをつけられたらいいとは思うが──」

 

 魔導国の打倒か転覆かは判然としないが、冒険都市で一角の冒険者としての地位を築き、然る後への算段をつけようとするカワウソの企図に、ミカは彼の望むがままに任せた。

 

 彼の望みを果たす。

 彼の願いを叶える。

 彼の全てを守護(まも)る。

 

 それがミカたち──ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCにとっての、絶対。

 あのナザリック地下大墳墓、第八階層“荒野”を攻略すべく創造された、12体のシモベたち。

 

 しかし、あまりにも困難な道のりだ。

 天使の澱の敵は、あのアインズ・ウール・ゴウン。

 カワウソを幾度となく死に戻らせ、絶望をもたらし続けた存在。

 そして、今やこの異世界において知らぬ者はいない、統一大陸の絶対者(オーバーロード)なのだから。

 

 

 

 だが、敵の手はあまりにも巧妙に、ミカたちの手練手管を上回っていた。

 

 

 

「お察しの通り、(わたくし)の、“旅の放浪者”というのは仮の姿」

 

 ここまでカワウソとミカたちに同道していた白金の髪が美しい男装の麗人が、その正体を露わにした。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国、ナザリック地下大墳墓・第九階層防衛部隊“アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下親衛隊”所属、“新星・戦闘メイド(プレイアデス)”の統括(リーダー)に任命されし存在。至高帝、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に対し、身命を賭してお仕えする異形の混血児(ハーフ・モンスター)が一人。

 名を、マルコ・チャン」

 

 現れたのは、ナザリック地下大墳墓に所属する、謎のメイド。

 そして、このタイミングで発覚した、カワウソが派遣していた天使の澱の調査隊の内、イズラとナタの二人が、魔導国の部隊と──交戦した事実。

 

 もはや、状況は決した。

 ミカたち──天使の澱の運命も、すべて。

 カワウソは覚悟を決めたように、笑い続けた──嗤うしかなさそうだった。

 

 

 

 

 

 マルコの懇意を蹴って、魔導国の部隊と交戦していたイズラとナタを回収し、カワウソはアインズ・ウール・ゴウンと戦う手を打つしかなくなった。

 というか、それ以外の欲求が潰え去ったかのごとく、堕天使は戦いを望み、欲した。

 そうして、調査隊三つの内、ラファが向かった冒険都市で、彼はアインズ・ウール・ゴウンの同盟者とかいう白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)──ツアーとの面識を得ると共に、彼の住まう信託統治領への招待状を受け取っていた。

 竜王から魔導国の、アインズ・ウール・ゴウンの情報を引き出し、あわよくば協力関係を結ぶことで、天使の澱の戦いに、少しでも光明が差すことをカワウソは祈念した。

 しかし、ただひとりだけ……ミカだけは、反対の立場に立った。

 このまま、アインズ・ウール・ゴウンと戦うことになれば、カワウソの命に係わる。

 それは、NPCたちにとって看過しようのない事態であり、この世で最も忌むべき可能性を想起せざるを得ない。

 

 カワウソの、──死。

 

 自分たちが死ぬことはなんとも思わない。

 むしろ、NPCたる自分が死んで、カワウソの望みが果たされることができれば、それだけで本望なのだ。天使の澱の「本懐」を遂げることができるというのであれば、これに勝る喜びもあるまい。

 だが、創造主である(カワウソ)が死に果てる運命など、どう考えても許容できるはずがない。

 

 それでも。それこそが、自分自身の死すらも呑み込んでも──創造主たるカワウソが戦うことを望み、希み、臨もうとするのであれば、ただのNPCたちには、何も言えない。これが、もしも違う相手であれば、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の皆も、「逃げた方が良い」「危険が多すぎる」「御身の安全には変えられない」と、忠言の雨を降らせたことだろう。

 

 だが、相手はよりにもよって────アインズ・ウール・ゴウン。

 自分たちの主人が、一生を賭すかのごとく挑戦を続けてきた、復仇の相手。

 

 ミカのように、強い敵意を懐くよう設定されたNPCでなくても、自分たちがあのナザリック地下大墳墓の第八階層“荒野”を攻略すべく創造された……“足止め”スキルの発動要員としてのレベルを与えられた経緯を知悉している以上、主人の万願成就を成し遂げることに身命の限りを尽くすように思考するのは、当然すぎる意思決定であった。

 あのユグドラシルで、カワウソがどんなにか、対アインズ・ウール・ゴウンへの執念を──欲望を──敵意の炎を燃やし続けていたのか、天使の澱は一人残らず知っている。知り尽くしている。だから、そんな主人の復讐への道を、止めることなどできなかった。出来る道理がなかったのだ。

 

 ただ一人だけ──

 ミカを除いては。

 

「お守りします──あなたの行く先を。あなた、御自身を」

 

 そう、飛竜騎兵の領地で言った。誓った。約束をした。

 だから、ミカは別の手を打つことを考えた。

 カワウソだけを逃がし、その道行きを助けるためだけに、自分たち天使の澱は玉砕しようという、作戦とも呼べない特攻手段を奏上した。

 だが、カワウソはミカの申告を完全に拒絶した。

 

「──“おまえたちだけ”で、だと?」

 

 ミカの言った作戦内容に、カワウソは戦略的な疑義を呈し、心理的な拒否反応を示した。

 

「“おまえたちだけ”で、やらせるか」

 

 そう言われると思っていたミカには、驚きなど無い。

 

「おまえたちだけで、アインズ・ウール・ゴウンと戦わせてたまるものか(・・・・・・)

 

 まるで、自分の獲物を横取りするなと、そう付け加えんばかりの狂笑も、ミカはすべて予想がついていた。

 そんな主人の燃え上がるかのような戦気を、ミカは手放しに賞賛できない。

 全身全霊を賭して、彼を止めなければ。

 さもなければ、彼は死んでしまう。

 自傷し自殺し自失し自滅の道をひた走ることになるなど、女天使の心が許すはずもない。

 

 

 だが、ミカは結局、カワウソを止められなかった。

 

 

 止めようとしても、それが結果的に、カワウソの死期を早めるだけだと悟れば、打つ手などありようがない。ミカの手で、カワウソという主人を(あや)めるなど、そんなことは天地がひっくり返っても、ありえない。

 わかっていたことだ。カワウソの求めるものは、もはや、あそこにしかないということ。

 ナザリック地下大墳墓……第八階層“荒野”──そこにある星々(あれら)と、少女。

 カワウソから大事な仲間たちを奪い取った、真の復仇の対象たち。

 それを足止めし、あの荒野を攻略して、第九階層へと至ることで、カワウソのたったひとつの欲望(のぞみ)が果たされる。

 そこまでの道のりを築き、邪魔する障害を打ち払い、彼の願いと望みと求めを果たし尽くすことで、ミカたちの存在意義は達成される。

 だから、ミカは口をとざした。

 そんな女天使たる配下に対し、あの時カワウソは──命じた。

 

 

 

「おまえは、俺を嫌え」

 

 

 

 ミカは、何も言えなくなった。

 情けない小声をこぼしたことにも、気づけなかった。

 

 

 

「俺を憎め」

 

 

 

 彼の命令が、

 創造主の言いつけが、

 ミカの五体を抉り、貫き、(はりつけ)にしていく。

 

 

 

「おまえだけは、…………俺を、…………許さないでいてくれ」

 

 

 

 静かすぎる懇願だった。

 それが、彼の──創造してくれた御方──ミカたちの主人たる男の……命令──望み。

 

 

 

「────────了解であります」

 

 そう応えるのが精一杯だった。

 顔を背けるように伏せて、必死に涙がこぼれそうになるのを抑えながら、男の命令を受諾する。

 ミカの表情は、あたかも敵意と悪意にまみれた、真に嫌悪感を醸しだしたかのようなものに相違なかった。

 だが、実際は違う。

 

「……ぁ、ぁ」

 

 カワウソに背を向け、第一階層から第二階層へほとんど逃げ込む形をとったミカは、先ほどの遣り取りを克明に記憶していく。

 そんな熾天使を、智天使の親友が追いすがった。

 

「待ちなさい! 待ってってば──ミカ!」

 

 だが、ミカは応じることが、できない。

 強引に肩を掴まれ振り向かされても、抵抗することも出来なかった。

 

「…………ミ、カ?」

 

 ミカと正面から向き合ったガブは、そこにある絶望を直視しきれない。

 

「ぃ、ぁ…………」

 

 震える唇が、何かしらの音を刻みだす。

 

「い、い、いや、ぃあ、いぁ……いやぁ」

 

 主人から与えられた命令──希望──設定に対する、ミカの想い。

 

「嫌、嫌、嫌ぁ……なん、で──どう、し……あ、あああああ、アアアアアアアアアアアアアア……」

 

 嗚咽と慟哭が、無限に続く回廊の中で響き渡る。

 

「ああ、ああああっ、ああああああああ──ああぅ、ぇああああああ、ぁあああああああああ……」

 

 顔を覆って膝を屈し、文字通り泣き崩れる親友を、ガブは自分の胸の中に抱き留め、零れ溢れる涙と悲鳴を、受け止め続ける。

 

「ミカ…………もう、カワウソ様に、お願い、しましょう?」

 

 こんな命令は撤回してください、と。

 このような設定はあんまりです、と。

 

「ッ、だ──め──」

 

 カワウソのなすことは、絶対。

 創造主の定めは、完全。

 それを成し遂げられないNPCこそが、すべて、悪いのだ。

 

「ガブ、迷惑、かけ……ダメ……だめ、だよぉ……ぁぁ」

「大丈夫。私は『命令違反をしても許される』設定がある。それに、あの優しいカワウソ様が、本気で処罰を与えたりなんて、するはずがないわ。それに、私だけでは無理でも、天使の澱の全員で、御奏上すれば、きっと」

「だめ……だめぇ……」

 

 どうあっても承服しない。承服できるはずがない。

 

「わ、わたし……カワウソ様、嫌わなくちゃ……なのに、ちっとも、嫌い、に、なれ、な、う、うぅ、ふぇぇぇ……」

 

 ミカは怖れる。

 熾天使でありながら、女神でありながら、怖れ続ける。

 

 ──創造主の設定に刃向かうのか?

 ──この程度のことさえできないのか?

 ──おまえという奴は、なんという不忠者だ!

 ──主の言うことも聞けない、出来損ないの役立たずが!

 

「違、チ、ちがいま、ぅ」

 

 ミカの内実を、本心を、女の気持ちを彼が知ることになった時、そのように痛罵されることになったとしたら……ミカは、とてもではないが、生きていくことができない。

 

「わたし──私、は……」

 

 彼の期待に背くこと。

 彼の希望に添えないこと。

 彼の願いに応えられないこと。

 

 すべてが、NPCであるミカにとって、死よりも恐ろしい結果を生む。

 

 捨てられる──

 棄てられる──

 すてられる──

 ステラレル──

 

 考えただけで恐ろしい。

 

「すて、捨て、ないで……くだ、さ、ぅ、ぅぅ」

 

 絶望を払い除けるはずの“希望のオーラ”を纏う熾天使の心が、たやすく絶望できると断言できる。

 捨てられるとは、どういうことか。それは彼のために働き、戦い、癒し、護ることの一切を拒絶されること。おまえなど必要ない、おまえなど二度と見たくない、おまえなど創らなければよかったなどと宣告されることは、NPCにとって、究極の存在否定にしかなりえない。それは「彼のために死ぬ」ことすら許されなくなるということ。これ以上の恐怖と絶望があるものだろうか。

 

 …………ここにも、ミカたちNPCの知りようがない事実がひとつ。

 

 拠点NPCは、ある程度まで己の創造主の思考や思想、精神性が似通うという(ことわり)

 仲間に捨てられきったカワウソ、彼に作られたミカたちは、彼のその恐怖の思いないし心的外傷(トラウマ)を受け継いでいる────《大切なものから棄てられる》ことが、一体どれほどに恐ろしいことであるのか、心の髄から思い知らされている。

 

 故に。

 絶対に。

 ミカは、カワウソを嫌い、憎まねばならない。

 そうあるかのように、振る舞わねばならないのだ。

 そうあることだけが、カワウソの望み──願い──希望である以上、ミカの意志など、介在する余地など無い。

 だから、ミカは隠し続けなければ。

 彼を思う心を。

 彼を想い続ける、自分自身を。

 なのに──

 

「いや……いやぁ……ぅ、ぅう、あ、あああああ、……」

 

 ミカは泣き続けた。

 小さな子供のように、怯え続けた。

 

 創造してくれた者に対する怨嗟も呪詛も悔恨もない。

 ただ、自分の背負うべき役目の重さだけが、それに耐えきることができない自分の無能が、──苦しかった。

 

 

 

 

 ツアインドルクス=ヴァイシオンなる、魔導国の信託統治者との会談の日。

 あの、カワウソからの主命「嫌い憎む」という命令に激してから、数日が経った。

 ミカは、拠点内でも兜を被り、自分の表情の変化を──常に泣き濡れかねない弱さを隠せるようにした。そんな防衛隊隊長の変化を、天使の澱の仲間たちは、すべてを承知しているかのように受け入れた。現場を目撃したガブとラファから事情を説明されたのである。敬服すべき主人の前で、『かくあれ』と定められたわけでもないのに兜を脱がない不遜も、ミカに与えられた命令の苛烈さ過酷さを考えれば、致し方ない。他の者がミカと同じ命令を与えられても、遂行することはできそうにない、最難事でしかなかった。だが、カワウソはそれを望んだ。その意志と意図を疑うことに意味など無い。主人が求めさえすれば、NPCは自害することも容易く遂行できるもの──だが、ミカ個人へとくだされた設定と命令だけは、耐えられる道理がない。

 自分を創ってくれた存在への愛情と敬慕を懐くのが、NPCの本能にして本性。

 その事実から背理せねばならないという設定など、どうしてカワウソがミカに与え給うたのか──天使の澱の誰にも、わからない。

 ガブをはじめ誰もが、ミカの窮状をカワウソに訴え、熾天使にして女神たる同胞の困苦を和らげようかと苦慮してきたが、他ならぬミカが、それを(かたく)なに拒んだ。

 ミカの実情と内心を知られることは、ミカにとって最悪の結末を呼びかねない──NPCでありながら、創造主の施した設定に忠実であることができない無能ぶりをさらす──ということ。

 それが引鉄(ひきがね)となって、カワウソがミカを“捨てる”判断を下すかもしれないと思うと……それが拡大して、天使の澱の全員に累が及ぶかと思うと……

 だから、ミカは堪えるしかなかった。

 堪える以外に、カワウソへの忠誠を示す法が、彼女には存在しえなかった。

 

 

 

 

 ツアーとの会談を終え、彼の協力のもと、魔導国の首都たる絶対防衛都市への潜入手段を手に入れた天使の澱は、最終作戦の立案と調整に数日を費やした。ツアー自身が言うところの、防衛都市のセキュリティを通すための準備期間を有効に使いまくった。装備を完全に整え、生産できる限りのアイテムを揃え、個々人で出来る限りの修練や敵拠点の予習を繰り返し、Lv.100NPC同士の連携や協力態勢──有事の際の作戦変更に伴う諸々についても、すべて入念に協議し尽した。

 誰もが浮足立つ心地を抑えるのに必死だった。

 まるで、主人(カワウソ)と共にピクニックでも楽しもうかという雰囲気で、敵の居城に攻めて寄せる時を心待ちにしていた。

 ついに、自分たちの本懐が──カワウソが試みた『第八階層“荒野”攻略のため』のチームが機能する、その絶好の機会を得たのだ。

 六人パーティの2チーム分──あの第八階層の“あれら”九体と謎の少女を、連中が使ったのと同じ術理で足止めするための力を有する天使たち「足止め役」が十人──ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、ウォフ、タイシャ、マアト、アプサラス、クピド──そして、カワウソと共に次の第九階層を進むための「(ミカ)」と「(ナタ)」……現状、考えられる限り、最高の布陣であった。

 

「随分と長くなったが、明日に備えて早く休め。ミカ」

 

 そう気遣ってくれるカワウソの優しさが、ミカは身に染みてならない。

 だが、そう簡単には頷けない。明日の作戦の重要性を考えれば、もはや休んでいる暇さえ惜しむべきだ。「根を詰めすぎるのは良くない」という主人の言説も解るが、ミカは休まずに動き続けることができる。最上位の熾天使(セラフィム)である上に、カワウソから女神(ゴッデス)のレベルまで与えられたNPCに、疲労など感じる道理がない。

 

(休む……休む──)

 

 休むといえば、屋敷の大浴場が頭に浮かぶが、あそこでの失態を思い出すたび、自然と足は遠のくもの。

 次いで思いついた場所は、ミカだけでなく、天使の澱の全員にとって、思い入れの深い聖地。

 

(うん……あそこに行こう)

 

 とりあえず自室に用意された浴場で沐浴をし、身を清めてから衣服を装備し直し、ミカは拠点最奥に位置する「祭壇の間」を目指す。

 ここに安置された、カワウソが信仰することを許された復讐神(ネメシス)像と、その像に護られるかのように祭壇に捧げられたギルド武器──ミカたちの根源たるギルドそのものとも言うべきモノに、真摯な祈りを灯し続ける。

 明日の作戦成功を。

 カワウソの勝利を。

 

 ──そのときだ。

 

「何してるんだ?」

 

 祈りを捧げるのに集中しすぎて、完全に主人の気配を失念していた。

 休んでおけと命じられたのに、このような場所で時を過ごすことに疑問を供するカワウソに対し、ミカは言い訳することもできない。

 聖明な泉を飛び越えてくる堕天使は、風呂上がりの軽装であったが、実に似合っている。浅黒い肌も、濡れた黒髪も、隈だらけの眼も、すべてがミカの情愛を刺激して止まない造形だ。堕天使は嫌いなミカだが、自分のギルドに所属するすべてを同胞として信頼する熾天使にとって、屋敷の堕天使メイドも、全員が美しく愛らしいもの。その頂点に君臨するカワウソなど、美しいという言葉では語り尽くせない……天上に住まうとされる神などよりも、はるかに神々しい気配すら感じられる。

 けれど、ミカは己の設定に忠実であり続けるモノ。

『カウウソを嫌っている。』NPC。

 ただ、それだけの存在。

 それでも。

 だとしても。

 

「私は、あなたの望むことをなします。あなたを護ります。あなたに仕えます……その果てに、あなたが望むことを成し遂げ、あなたの願いを叶えることで、もう一度、かつてのごとく笑って下さるのであれば……それで十分です」

 

 たとえ『嫌って』いようとも、NPCとしての義務(つとめ)を果たす。

 たとえ、彼を愛することが許されなくても──憎まなければいけないとしても──彼のために生きることだけは、誓うことができる。

 珍しくも弱気な様子を垣間見せてくれるカワウソに対し、ミカはどこまでもついていくだけ。

 まだ休まずにいられるミカに対し、カワウソは“とある実験”の協力を持ち掛ける。

 あの、アインズ・ウール・ゴウンとの戦いにおいて、必ず必要となる、ひとつの確認。

 カワウソの“復讐者(アベンジャー)”の力────

 屋敷外の、船着場の桟橋で行われた実験結果に、カワウソは満足したように微笑んでくれた。

 それから、二人で言葉を重ね合わせるうちに、

 

「あの時は、悪かったな」謝辞を零されてドキリとした。「俺の馬鹿な実験に利用して」

 

 彼の言わんとしていることを、ミカは瞬きの内に理解した。

 同時に、あの直後に味わった、あの命令が、脳の底に反響されてしまう。

 

「ミカに止められたのが、(いさ)められたことが、思ってた以上に、……こたえた……」

 

 ああ。

 なんて優しいのだろう。

 優しすぎて、泣いてしまいそうになる。

 カワウソは実直に、自らの不明ぶりを謝りはじめた。

 でも、ミカにとっては、カワウソに悪いところなどありえない。謝るべきところなどあるはずがない。創造主である彼に、いかなる落ち度があるというのか。ミカには本気で理解しかねた。

 そうして、カワウソは随分と長い間、ミカの反応を観察するように、沈黙を保った。

 思わず、ミカは「何か?」と首を傾げてしまう。

 それに対し、カワウソは応えた。

 

「ミカは……逃げたいか?」

 

 こんなバカな戦いに巻き込まれて。バカな主人に付き合って……嫌にならないか、と。

 ミカの答えは判り切っている。

 

「いえ──いえ……」

 

 どういう表情をしてよいか、本当に、わからない。

 

「ミカ。この前の命令──覚えているよな?」

「……」

「覚えてるな?」

「……………………はい」

 

 カワウソは「それでいい」と言ってくれる。

 創造主を嫌うミカを、堕天使を憎むNPCを、彼は真実、心から求め欲している。

 だから、ミカは頷いた。

 それが、ミカだから。

 

「わかった。おやすみ、ミカ」

 

 祈りを捧げに戻る女天使を、カワウソは安らかな微笑で見送ってくれる。

 たったそれだけのことで、ミカの苦しみは和らいだ。

 これ以上ないほどの喜び──安らぎ──至福の一時(ひととき)

 そうして、ミカは祭壇の間に戻った。

 ミカにとって、ただひとつの幸福をもたらす源泉……ギルドに対し、祈る。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)への──このギルドを創ってくれた(カワウソ)への、終生変わらぬ祈りを紡いだ。

 

 頬を濡らして、祈り続けた。

 

 

 

 

 

 

 そうして、迎えた翌日──

 

 天使の澱は、ナザリック地下大墳墓へと攻め込んだ。

 あの第八階層で、十人の仲間たちが、その命を散らすことで、主人から与えられた役目を果たした。

 

 ミカは、カワウソとクピドと共に、アインズ・ウール・ゴウン魔導王と、相対した。

 

 

 

 

 

 

 

 




第十章、残り三話
完結まで、あと……

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