オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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終戦 -2 ~復活~

/War is over …vol.02

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルドにおいて製作された拠点防衛用NPC。

 Lv.100のそれを“復活”させるのに必要な資金は、一体につき、ユグドラシル金貨5億枚。

 それが十二体で、しめて60億枚。

 中堅ギルドにも届かないようなカワウソのギルドでは、一度に賄い切れるような金額ではない。

 

 カワウソは、ナザリックの再攻略を続ける(かたわ)ら、ギルド資産が破綻しないように狩りなどを精力的に行いつつ、情報収集や武装の改造、自分自身のリビルドに務めていた。

 種族をイジり、職業(クラス)を変え、課金の傭兵NPCを連れて再攻略に挑んでも、表層部の周囲を取り囲む毒の沼地に阻まれ、何とか単騎で侵入を果たしても、良くて第三階層に足を踏み入れることがかなった程度。堕天使になった後も結果はほぼ同じ。むしろグレンデラ沼地を超えることにすら四苦八苦し、なんとかナザリックに到着する頃には体力(HP)魔力(MP)などリソースの消耗が著しく、結局は──というのが大半であった。

 そんな無茶も、ギルド運営資産――ユグドラシル金貨が尽きようかという事態に陥れば、挑戦すら出来なくなった。

 完全に金を総失することこそなかったが、ギルド運営に必要最低限の資金繰りのための狩りを継続する羽目になった。ナザリックへの挑戦頻度は次第に減らすしかなかった。リアルの仕事が忙しくなったこともあいまって、カワウソはもはや自分のギルドを──仲間たちの最後の遺産たる拠点を守ることに……ギルド運営資金の出稼ぎに、終始せざるを得なくなった。

 幸いというべきか、カワウソの拠点に乗り込むプレイヤーは絶無であり、その存在を知っているのは、忘れていなければかつての仲間たち数人と、拠点内装製作を請け負ってくれた商業ギルドの長だけであったことから、Lv.100NPCの復活が必要になるような事態は一度もなく、ギルドとしては弱小極まりない体たらくを、あのサービス終了日まで演じ続けられただけ。

 

 あの最終日、最後の記念としてナザリック地下大墳墓を目指そうかとは、思った。ユグドラシル最終日ということで、すべての野生モンスターがアクティブ状態からノンアクティブ化することになっていた。沼地の強力かつ大量のモンスターに阻まれる可能性はゼロ。だが、誠に遺憾ながら、その日は会社を休むことはおろか、早退することもままならなかった……前日、同僚が過労死してしまい、その穴埋めが必要で、大切な有給を返上することになった……さらには上司にサビ残を強要され、なんとか帰宅した時には、とてもではないがナザリックまで行ける時間的猶予は皆無だった。カワウソがログインできた時には転移魔法を使っても、よくて広大なグレンデラ沼地の奥にある島か、頑張ればナザリックの表層まで行ければいい方であった。ナザリック再攻略など、到底不可能な物理的距離があったのだ。

 

 

 

 そもそも、ユグドラシルはユーザーの人気を集めていた全盛期からは見る影もないほど衰退した。

 単純な話──「飽きられた」のだ。

 他の新興DMMO-RPGが台頭し始め、コンバートも盛んに行われ始めた。

 黎明を迎え、過去イベントは常時復刻されまくり、新イベントやコラボ企画は盛り上がることなく、最上位に君臨していたギルドも解散と自然消滅が相次ぎ、しまいには神器級(ゴッズ)アイテムなどの希少品が特価廉売され、カワウソのようなソロプレイヤーがある程度まで買い付けることが可能なほどに、その価値を落とした。この手のゲームでは当たり前なことだが、永遠にサービスが続くゲームなど、ありえない。ゲーム人口──実稼働ユーザー数は、ひたすらに減少。ちょっとした都市エリアだと、プレイヤーよりも都市常駐型NPC(宿泊施設や武器道具屋の店員、都市管理用の役人など)の方が常に多いという状態にまで下落。サービス終了が告知されたことで、昔懐かしいDMMO-RPGに既アカ新アカで戻ってくる人もいるにはいたようだが、そこにカワウソの仲間たちは、一人もいなかった。ユグドラシルというゲームそのものが、過去の遺物と成り果てていたのだ。

 そうして、最終日の祭りまで、大々的なイベントが開催されることはなく、ユグドラシルはついに、すべての終わりを迎えた。

 

 

 

 そうして、現在。

 カワウソはアインズ・ウール・ゴウンと共に、ナザリックの第八階層“荒野”に戻っていた。

 荒野の中心に転移した拠点──世界蛇(ヨルムンガンド)の巨大な脱殻(ぬけがら)にくるまれるような、岩塊の砦──荘厳な壁で構築される立方体状の巨城に、カワウソは帰還。

 

「それにしても、素晴らしい拠点じゃないか」

「世辞はやめてくれ。アンタのところのナザリック──あの第十階層に比べたら、どう足掻いても月とスッポンだ」

 

 カワウソは第八階層に転移していたギルド拠点・ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)に帰参を果たした。

 あの、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長──魔導王──モモンガ──鈴木悟と共に。

 

 無論、二人きりではなかった。

 カワウソを拘束するかのように、アウラが金色の縛鎖の輪で彼の肉体を自分の手中と繋いでおり、妙な動作や意図を見せた途端に、堕天使を大地に打ち伏せることは容易(たやす)い。また、カワウソの精神を安定化させるための回復役として、ペストーニャとマルコも随従している。

 そして、彼女らの他にも、アルベド、デミウルゴス、コキュートスの三人の守護者が、アインズを護るように左右背後を囲んでいる。ちなみに、他の守護者──シャルティアは回復待機中、マーレはセバスと共に他の侵入者などがないか、大量のシモベ達と共にナザリックの内外を順調に警戒中という状態である。

 連行されているカワウソは、アウラを挟んでアインズの前を歩いているため、二人の会話はカワウソが振り向く形で行われていた。

 アインズは実直な思いを口に紡ぐ。

 

「いや、御世辞抜きで素晴らしいと思うぞ? たった一人でこれだけの外観を仕上げるのは、並大抵の努力……金貨や課金では無理だったろうに」

 

 アインズの言は確かだ。この拠点はカワウソひとりで攻略したわけではないが、協力してくれた仲間たちはギルド創設前に引退。拠点の運営と改造、外観や内装の工事については、まったくの独学と独力で成し遂げなければならなかった。それでも納得のいく成果を挙げることは難しく、課金して内装を買ったり、あるいはそういった拠点工事関係のことまでも請け負う商業ギルド“ノー・オータム”に、金貨やアイテムを譲って仕上げてもらったものだ。特に、転移鏡のギミック周辺や祭壇の間をはじめ、最上階にある第四階層は絶妙な出来栄えだと思っていたが、あの宮殿の壮麗さと比べれば、ただの品の良いリゾート地みたいなものである。

 

「さぁ、行こうか」

 

 死の支配者(オーバーロード)に促され、堕天使は一歩を踏み出す。

 カワウソは城へと続く路面部分──さらには、地上へと続く転移用の鏡まで完全に他ギルドの拠点内部へ移転し尽くしたそこを進む。“荒野”の中に突如として現れた石畳の通りには、四本の柱がある。そこにはユグドラシルで侵入者を迎え撃つ役目を与えた動像獣(アニマル・ゴーレム)四体がいるはずなのだが、カワウソたちが進軍した後、役不足が確実な個体として、拠点内に(こも)らせている。

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 カワウソがアインズの歩みを止めたことに、アルベドらが抗議しかけるが、アインズに窘められる。

 堕天使は事実を述べる。

 

「入口に、ウチのNPCたちが待ち構えている。まず、それを何とかしないと」

 

 拠点内への侵入者を警戒するよう指示して残してきた四体の小動物たち。

 Lv.35程度の存在だと、ここにいる連中に傷を負わせるどころか歩みを止めさせることも不可能に思われたが、彼らには“警報装置”としての役割の他に、侵入者に対する“自爆特攻”のスキルを与えていた。下手をすれば、ひとつのパーティー分の戦力を吹き飛ばすこともできるため、戦闘後で防御の薄いアルベドなどには、最悪、傷を負わせかねない。

 アインズは快くカワウソの提言を受け入れ、アウラに拘束を一旦解除させた。

 カワウソはすばやく〈伝言(メッセージ)〉を飛ばし、入口を主人の許可なく開けた有象無象を吹き飛ばす自爆装置(セルフ・イジェクション)の役割に殉じようとする小動物ら──シシやコマたちを呼ぶ。

 主人の声に応じ、内部にいた動像獣らは、命令されるまま分厚い両開きの岩の扉を開放。

 

「あ。かわいい」

 

 魔獣使いのアウラがそう表現して当然の小動物──現実で言うところの、フェレットに似たようなゴーレムたちは、拘束されている主人の足元に近づけない。主人の周囲には、明らかに自分たちの敵──それも格上の強敵がいる以上、さすがにどうすることもできないような状況と言える。フーッという威嚇音をあげるので精一杯という感じだ。

 

「全員、何もするな」

 

 人質となっている格好のカワウソの言葉に従属するよう大地に身を伏せた小動物たちに「拠点内に戻れ」と命じる。彼等は自分たちの本来の居場所──四本の柱の上にのぼり、魔像(ガーゴイル)として硬直するものなのだが、アインズ曰く、この第八階層では危険なので中に入れておくしかない。

 

「いいぞ。行こう」

 

 アウラに再拘束されるカワウソに先導され、アインズ一行はヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)に侵入──もとい歓迎される。

 

 こうして、第一階層の“迷宮(メイズ)”から、カワウソの拠点に施されたギミックを利用して、第二階層の“回廊(クロイスラー)”・第三階層の“城館(パレス)”をすっ飛ばし、一行は最上階層を目指す。

 気がつけば、拠点の第四階層・屋敷の円卓の間に至る転移鏡をくぐっていた。

 

「うん? ……おお、これは!」

 

 その光景には、さしものアインズ・ウール・ゴウンと言えど、目(?)を奪われていた。

 守護者四人も息をついて、その光景を前に、瞠目する。

 円卓の間に零れる真昼の太陽光。

 窓の外には、波の音。

 

「これは、──まさか?」

「海! 海ですよ、アインズ様!」

 

 アルベドが僅かに当惑し、アウラが興奮したように主人を振り返る。

 

「見事だな……」

 

 一面に広がる蒼と青。

 雲一つない蒼穹と、水底まで透き透る海原。

 白いサンベッドとパラソル、海と空に繋がるようなインフィニティプール。

 別方角の大窓を覗けば、ウッドデッキにウッドチェアが並び、その先には白い砂浜が透明度の高い波に打たれ磨かれていた。ヤシの木陰や大きな貝殻、灼熱の太陽、船着き場の桟橋──吹き抜ける潮の風まで心地よい、南国リゾートの景観が、屋敷の外には広がっている。

 

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第四階層。

 ──“珊瑚礁地(ラグーン)”。

 

 それが、カワウソの大量課金で増設した拠点最上階層のフィールドエリアであった。

 

「いや素晴らしいものだ。──ここを少しばかり、我々の保養地として借りても、構わないだろうか?」

 

 アインズの提案に、カワウソは思わず笑った。

 

「好きにすればいい……この拠点はもう、半ばおまえの……アインズ・ウール・ゴウンのものなんだから」

 

 勝者の当然の特権というものだ。敗者であるカワウソに、否も応もあるまい。

 ──というか。第八階層に転移侵入している時点で、カワウソたちの方が彼らの拠点面積を不法占拠しているような状態なのだ。その程度で済むのなら、いくらでも使ってくれて構わないと本気で思う。

 自分でも驚くほどに、カワウソは己の拠点に対する執着心が薄くなっていた。

 

 それよりも、なによりも、今のカワウソには優先したい事柄があったのだ。

 

 興奮するアウラをしゃんとさせるアルベドも、さすがにギルド拠点内に水平線を構築する第四階層の出来栄えには、感心の吐息をつかずにはいられなかったようだ。デミウルゴスとコキュートスも、ほぼ同様な様子である。

 

「この先が、ギルドの中枢だ」

 

 円卓の間を通り抜け、屋敷中央の中央階段を抜けて、さらに奥へ。

 円卓の間とは対となる位置にしつらえた、拠点最奥部。

 

「ここが、俺のギルドの終着地点──祭壇の間だ」

 

 両開きの扉を開けると、静謐な水音が空間を満たす。

 太陽の光を取り入れていた円卓とは違い、そこには外の明かりはほぼ通っていない。

 薄暗い室内は、この屋敷の中でもっとも広く、高く、何よりも重要な一品を保管する聖域となりえた。

 

「これも見事じゃないか」

 

 アインズは無意識に近い声音を零す。

 聴こえる水音の正体は、室内の一段下に設けられた青黒いプール──水底を思わせる床一面に溜められた水量が、湧泉のように室内を満たし尽くしていた。さらに黒い壁から伝う程度の極小規模な滝が流れ落ち、室内の空気を休むことなく(きよ)め上げている。

 その空間内に、避難させていた10体のメイドの姿が。

 ギルドの最後の防衛線である此処で、できるはずもない戦闘の準備をして身構えていた、屋敷の女給たち。

 

「「カ、カワウソ様ッ!?」」

 

 堕天使と火精霊のメイド長、二人の声が共鳴した。ほか八名のメイドたちも、主人を連行してきたように現れたナザリックの存在に、モップやホウキを剣と槍に見立て、バケツやチリトリを盾のごとく突き出し、とても武装とは呼べない武装で立ち向かおうとする。

 

「サム。アディヒラス。──ただいま」

 

 創造主の様子が平常の通常通りであることを理解して、困惑と疑念を緩めるべきか深めるべきか、迷うメイドたち。

 主人に命じられるまま、拠点最奥の地である祭壇でのみ開くことができるようになったマスターソースを開かせ、そこにあるギルドメンバー情報を総覧させる。

 カワウソの項目は、一応、いかなる状態異常(バッドステータス)も示しておらず、洗脳や離反・精神支配の赤色とは、無縁。

 無事(?)に帰還を果たした主人に命じられ、状況を理解したメイドたちが、武器とも呼べぬ武装……モップやホウキなどを放棄する。ついでに、その下に並ぶLv.100NPCの項目が全て空白──死亡状態に変わっていることを、メイド長二人は震える声で教えてくれた。

 解ってはいたが、いざ事実を目にすると、心が(きし)む。

 しかし、アインズは約束してくれた。

 その約束に、カワウソもまた応じる。

 

「あれが、ウチのギルド武器だ」

 

 祭壇の間の、さらに奥。

 数段ほど下った床を上げ直し、屋敷の元の床の高さに戻された祭壇……女神像が佇むそこに、何者の干渉も許さぬように光の輪の中に守られ、浮遊し、静止する、一冊の「本」が。

 

 ギルド武器、天使の澱の書(ブック・オブ・エンジェル・グラウンズ)──

 

 あれこそが、カワウソの築き上げたギルドの枢軸──破壊は即座にギルド崩壊を意味する、天使の澱の絶対防衛対象物だ。

 剣などの武具にしなかったのは、単純にカワウソが、アレに与えた機能を表すのに都合がいい形状が、“本”であったからにすぎない。あのギルド武器は、ギルド武器としての最低構成要件を満たす程度のデータ量しか込めておらず、攻撃力どころか身体強化系統の力すら発揮し得ない。武器単体としての防御力と耐久性に能力を全振りしている代物で、戦闘には全く使えないタイプと言えた。

 なぜ、そんな武器ともいえない“ギルド武器”を製造したのか。

 それは、カワウソが旧ギルドのような使い方をすることを忌避したがためのこと。カワウソは同じ轍を踏まないように、あえて最弱なギルド武器を構築し、この屋敷から外に出さなくしただけだった。せいぜい自己防衛としての防御力しかないので、アインズなどが破壊しようと思えば、割と簡単に破壊できるだろう。

 しかし、アインズは──彼本人が言うところの“個人的な盟友”として、そんな凶行に及ぶことはない。

 むしろ逆だ。

 

「アウラ」

 

 自分の妃の一人であるところの闇妖精(ダークエルフ)の少女に命じると、アウラはまたも不承不承ながら拘束用アイテムを解除。カワウソは再び自由となる。

 ここからは、この拠点を掌握するカワウソの作業が不可欠。拘束しておくことは不可能だ。

 代わりに、アルベドとコキュートス、双方が握る得物で、いつでも首を両断できる恰好になる。

 サムとアディヒラスたちメイド隊が怒号と悲鳴を奏でるのを、カワウソは「いいから落ち着け」と言って、笑って鎮めていく。その笑気にあてられ、メイドたちはとりあえず敵意を萎えさせてくれた。

 冷たい殺意の結晶を、自分の首の薄皮一枚程度の先に感じつつ、この地を治めるギルドの長は、冷静にアインズ達を導いた。

 一行は水に濡れるくらいのことには構わず(魔法の装備品は防水対策も完璧)、祭壇の泉を渡る階段を降りて進み、また上る。

 そして、カワウソはサムたちに代わって、ギルドの中枢にアクセスする。

 

「……準備できた」

「よし──〈伝言(メッセージ)〉。シャルティア、〈転移門(ゲート)〉を開け」

 

伝言(メッセージ)〉を終えたアインズの傍の空間に、あの第一~第三階層守護者が、カワウソから剥奪した神器級(ゴッズ)アイテム・転移門(ゲート)の剣で、転移魔法を行使する。

 転移門の闇を超えて現れるのは、ユグドラシル金貨の山だ。

 とりあえず、しめて五億枚分。ナザリックの財政を担うパンドラズ・アクターによって用意されたものだ。その所有権をカワウソのギルドへと譲渡するアインズは、首を微かに傾ける。

 

「しかし──本当に、こんなことでいいのか?」

 

 アインズの疑問に、カワウソは決然と頷く。

 何しろ、Lv.100のNPCが死んだだけで5億の出費なのだ。いくらカワウソの資産でも、桁が九つも並ぶ金額をぽんぽん支払うのは難しい。無論、できなくはないが、一度に12体分ともなれば一日の収支決算が破綻し、最悪、ギルドそのものが消滅することにもなりかねなかった。

 そこで、アインズにNPC復活を頼む際に、提案されたのが復活資金の一時的な貸与──ようするに“借金”をすることであった。

 アインズ・ウール・ゴウンは100年もナザリック地下大墳墓を維持し、おまけにこの異世界を統治する上で、必要な運用資金が尽きぬように蓄財を続けていた。アインズ自身のポケットマネーも、だいぶ潤っているとか。

 

「ああ。……頼む」

 

 確認するように頷きあう二人のプレイヤー。

 ペストーニャに回復されながらも、カワウソは沈鬱な心地を胸に懐きつつある。

 懸念が重みを増して、心臓の拍動を滞らせるのを実感するほどに。

 アインズの話だと、NPCの復活で失われるのは、数日分の記憶程度のみだという。

 それぐらいならば問題はない。今、最も問題なのは……

 

「──場合によっては、また俺を殺せ」

「うん? 何故?」

「ミカが……俺のNPCが、おまえたちに襲い掛かる可能性も、あるからな」

「NPCの彼女は、君が言い含めてくれればそんなことにならないと思うが。──まぁ、君がそうしろと言うのなら」

 

 カワウソは微かに笑った。

 本当に冷静で冷徹な男だ。

 ああ、だからこそ。100年もの間、この世界を支配してこれたのかもしれないなと、カワウソは奇妙な納得を覚える。

 アインズは語り続ける。

 

「それに、私の個人的な『目的』と、ツアーとの『計画』……その双方にとって、君のNPC──とくに、ミカという彼女の──“女神”の力は有用なのでな。むしろ、君に復活してもらわないと困る」

「一応、説得はするが……どうなっても知らないぞ?」

「ふふ。心配ないさ……では、条件を確認しよう。まず、その一」

「『復活させるNPCは、ひとまず、一週間に一体ずつ以下』」

「その二」

「『真っ先に復活させるのは、ミカ』」

「その三」

「『敵対感情を剥き出しにするNPCについては、主人たる(カワウソ)が全力で説得する』」

 

 他にもいくつかあるが、とりあえず重要なのは、その三つだ。

 

「では、はじめようか」

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の、NPCの復活を。

 アインズの号令に従い、カワウソは手元にあるギルド武器のページをめくり、起動。

 金貨の山がギルド武器からの指令を理解したかのように、どろりと形を崩して液体に変じる。融けた金貨は川のごとく流れ、一万トンもの重量が圧縮されながら、ひとつの形状を作る。それは、黄金の人形。カワウソが幻想(ユメ)にまで見た、女の姿。

 アルベドたちがアインズを守れる位置に陣取り、熾天使から放射される力を警戒。アインズ自身も、ミカの“希望のオーラⅤ”などを中和する“絶望のオーラⅤ”を再展開するが、カワウソにはまったく視認できないこと。

 

「あ──」

 

 堕天使は視界が熱く滲むまま、そこにある奇跡を見下ろす。

 削ぎ落ちた金髪も。千切れ砕けた体も。六枚の白い翼や金色の輪──女の表情も、すべてが元通りになっていた。

 サムとアディヒラスに持たせていた白い布のマントが、だらっと横たわる熾天使の肉体にかけられる。

 

「……ミカ?」

 

 創造主の呼ぶ声を感じて、ミカの瞼が押し上げられ、空色の瞳が(あらわ)となる。

 その様は、寝ぼけた人間の女のそれでしかない。

 

「──カワウソさま?」

 

 なにがおこったのか判然としていない、うすぼんやりとした口調。

 ミカは復活を果たした。

 夢でも幻でもない。

 永遠に喪われたと思ったものが、カワウソの目の前に蘇ったのだ。

 

「──ミカ」

 

 カワウソは声を震わせ、両膝を屈し、人目もはばかることなく、マントの薄布だけを纏う女を抱き起こした。

 ミカは途端に、頬へ朱色を差し込んでしまう。

 

「ふぇッ! ちょ! ぁ、の……?」

 

 ミカは、自分を包み込んでくれる主人の背中と肩に手を回す。

 手を回して、主人の体調を気遣った。

 堕天使の──その肩が、声が、全身が、震えていた。

 けれど、それはけっして、ミカが忌み嫌うような、恐怖や絶望によるものではない。

 むしろ逆だった。

 

「もういい──もう、いいんだ」

 

 底抜けに明るい達成感。

 今、ここにある女に、言葉を届けることができる、歓喜の感情。

 

「よく、やった。よく、ここまで、俺なんかのために──ッ」

 

 天使の裸の肩を濡らす雫は、堕天使の頬から伝い落ちるもの。

 

「ごめん、ごめんな……ミカ…………ミカッ」

 

 謝辞を繰り返しながらも、薄衣を纏う天使を掻き抱く力は、少しも緩むことはない。

 

「カワウソ……さま?」

 

 子どものように咽び泣きながらも、堕天使はミカに謝り続ける。

 それが“できる”ことに、ひたすら安堵していく。

 先ほどはできなかった──光の塊と化して散る前にやってやることができなかった抱擁を、カワウソは固く、硬く、そこにある彼女の実感を得ようとばかりに、強く抱きしめ続ける。

 

「ごめん……何もわかってなくて、きづいてやれなくて、本当に、ごめん……ごめんな」

 

 カワウソを救い出してくれた、たった、一言。

 

『生きて……ください』

 

 あの声が、彼女の思いが、ミカの願いが、カワウソにすべてを理解させた。

 理解したが──もはや取り返しがつくことではないと、絶望した。

 ミカは『カワウソを嫌っている。』と、そう設定されながらも、これまでずっと、カワウソのことを考え、忠節の限りを、親愛の想いを尽くしてくれていた。けれど、この異世界では、NPCの設定は、改変不可能(イジれない)

 カワウソの馬鹿な設定文が、彼女の心に、どれほどの負担を強いていたのか──想像を絶する。

 それでもミカは、カワウソのために、カワウソの定めと願いに、準じ続けてくれたのだ。

 泣いて謝って済むことではないかもしれない。

 それでも。カワウソは、理解した。

 ようやく、理解することができたのだ。

 

「ごめん──ごめんな──」

 

 ミカは戸惑い、(たず)ねるしかない。

 

「何を、……泣いていやがるんです?」

 

 状況を理解できていないミカは、カワウソの設定通りの自分(ミカ)でいようとしてくれる。

 そのことが、ますますカワウソの罪悪感を募らせる。それでも、絶望する理由はない。

 

 ミカが、ここにいる。

 目の前にいる。傍にいてくれる。

 

 ただそれだけで、カワウソはもう、充分なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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