オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~   作:空想病

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※この話に登場する十三英雄の諸々は、空想を多分に含んだ独自設定ですので、あしからず


終戦 -4 ~友~

/War is over …vol.04

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「本日の経過観察報告、確かに受諾いたしました」

 

 白金の髪に猛禽類を思わせる眼差しが凄愴な老執事が、敵だった者に対するには謹直すぎる姿勢と声音で、カワウソの提出した報告書類(レポート)を小脇にかかえる。

 セバス・チャンというLv.100NPC、ナザリック第九階層の家令(ハウススチュワード)は、マルコの男装を思わせる出で立ちで……それもそのはず、この老人こそが、マルコの実の父親なのだから……実に執事らしい足運びで、ここまで共に参じてきた同胞にして部下たる戦闘メイドのユリと共に、円卓の間にある転移の鏡────第八階層に転移した後、外に通じる鏡もナザリックの表層部に移動していた────から、自分たちの拠点に戻っていく。

 これで本日のノルマは終了。

 通算150回目の仕事を片付けたことになる。

 

「おつかれ、ミカ」

「…………」

 

 書類作成に尽力し、今も変わらず主人の護衛任務に就くミカは、ぶっきらぼうに会釈するだけにとどめた。

 無言を貫く天使に対し、カワウソは軽く微笑さえ浮かべながら提言する。

 

「そろそろ昼食の時間だから、食堂に行こう。イスラの食事の用意は?」

「……完了しております」

 

 あの戦いに敗北し、カワウソやミカたちNPCが復活を果たした後も、ミカたちは相変わらずカワウソのみに臣従し、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の防衛任務──および、カワウソがアインズより与えられた労務として、第八階層内に転移したことによる影響の有無を調査する任務に勤めている。

 さきほど、セバス・チャンに提出したレポートも、大半はその任務の報告を行うものであったが、特にこれと言った異常や異変……侵蝕や崩壊の可能性といった危険性は見受けられない。NPCたちの言動や思想も、何ひとつとして、復活前との違いは感じられなかった。

 ただ……一点だけ。

 

「じゃあ、全員を食堂に集めてくれ」

「……了解しました」

 

 ミカは〈伝言(メッセージ)〉をマアトに飛ばし、彼女を通して全員が第四階層に集まるように手配を整える。

 全員を集めても、飲食が必要な存在などたかが知れている。全員を集めるのは、単純な話、カワウソがNPCたち全員と卓を囲みたいから……ただそれだけの理由で、創造主の昼食の場に集合をかけただけだった。

 敗戦前までのカワウソであれば鼻で笑っていたことだが、Lv.100NPCたちを一度失った男にとって、もはや偽善でもなんでもいいから、もっと彼らと交流を深め、より互いの理解を深めたいという欲求が優っていた。

 以前までは、敵との戦いで喪うものへの罪悪感から忌避していたことだが、その敵との戦いが終結したことで、もはやそういった懸念や感情は消失していた。今では、NPCたち全員を、カワウソはかつての仲間たち以上に思い、より大切なものだと認め始めているのである。執着すべきもの、欲求の対象がすり替わっただけなのかもしれないが、そんな事情や感情すらどうでもよくなるほど、カワウソは今──天使の澱のNPCたちと生きること以外に、大事なことは存在しなくなっていた。

 ミカは、しおらしく──というよりも、どこか沈んだ面持ちで、カワウソの命令に従ってくれる。

 彼女の憂いの原因は、おそらくたったひとつだろう。

 

「なぁ、ミカ」

「……なんでございやがりますか?」

「────いや、いい」

 

 ミカは、釈然としない無表情で首を傾げるだけ。

 カワウソが口を噤んだ理由……

 NPC復活前との明確な違い──

 

 天使の澱は、負けた。

 敗北した。敗戦した。敗着を喫した。

 

 アインズ・ウール・ゴウンが記録用にと残していた〈記録(レコード)〉のマジックアイテムで、あの時のことは平原の戦いから第八階層攻略戦、さらには第十階層での決戦に至るまで、すべてが映像として残されていた。そして、その映像の結末を──さすがに、カワウソの死そのものなどのショッキングな内容は省いていたが──完全に敗けた事実を、他ならぬカワウソ本人が「事実だ」と認めた。

 そうして、天使の澱の唯一の創造主たるカワウソは、仇敵たるアインズ・ウール・ゴウンの支配下に納まった──納まってしまった。

 それが「悔しい」と、ミカ以外のNPCたちは思っている。自分たちの力が及ばなかったばかりに、カワウソへ勝利をもたらすことができなかった……敗死を遂げさせたことに対し、本気で忸怩(じくじ)たる思いを懐いてならなかったようだ。

 

 だが、ミカはわかっていた。

 ミカだけは最初からわかっていた。

 自分たちでは(かな)いようのない敵だと。

 わかっていても、主人たるカワウソの凶行を、止めることができなかった。

 彼女たちは無論、アインズ・ウール・ゴウンが憎い。

 憎いが、カワウソという自分たちにとっての絶対者が、「盟を結んだ」相手を、いつまでも敵視するのは不敬千万。何より、カワウソが「もう戦う必要はない」と宣告し明言した以上、シモベたちが敵対姿勢を貫徹する理由は薄すぎた。

 

 だが、ミカは違っていた。

 彼女は設定文の中に、アインズ・ウール・ゴウンへの悪感情を強く刻印された存在。

 ミカは『カワウソを嫌っている。』にもかかわらず、彼のシモベとして地上に降臨した理由が、ナザリック地下大墳墓への憎悪──それが、彼女の設定だったのだ。

 そう「かくあれ」と定めを設けられた存在である以上、ミカが、アインズ・ウール・ゴウンたちと仲良しこよしな状態を、良しとするわけがない。創造主カワウソの意志は尊重したいが、それでも、刺々しい感情を抑えつけるのにも一苦労しているのが、カワウソにも理解できた。理解できるようになっていた。

 

(アインズに、相談はしておいたが……)

 

 魔導王は、自分の敵となる者の存在を“是”と認め、ありえないほどの寛容さで受け入れてくれた。

『むしろ、その方がいいくらいだな』と朗らかに告げる男の度量は、カワウソには理解が追いつかない領域にある。

 

(『100年も王様をしていると、敵の一人二人いる程度でビクついてはいられない』だったか?)

 

 敵の有無以上に気がかりになっていることがあると語っていた。

 しかし、だとしても自らの敵を……最悪の天敵たる熾天使にして女神の存在すら受容するというのは、いろいろな意味で驚嘆に値する。何か理由があるのだろうとは思うが、現状では何ひとつとして理解が及ばない。

 この数ヶ月の軟禁状態で、アインズと直接やりとりを、会話の場を持ったことはなかった。何しろカワウソは元・アインズ・ウール・ゴウンの敵──そんな存在と即座に仲良しこよしなんて、できるわけがないという判断だ。実に賢明かつ現実的な対応だといえる。二人の遣り取りは、せいぜいが〈伝言(メッセージ)〉用の魔法端末越しで、直に会ったときなど数えるほどしかない。

 かわりに、カワウソはミカのことを思う。

 

(どうしたら、いいんだろう…………)

 

 折に触れて思うことだが──

 もしも、何かが違っていたら。

 ミカの設定を『アインズ・ウール・ゴウンの敵として、地上に降臨した』という一節を削ぎ落していたら。

 そして──

『カワウソを嫌っている。』ではなく、『カワウソを愛している。』にしていたら。

 いったい、ミカはどうなっていたのだろう。

 

(……いいや。……考えても(らち)が明かない)

 

 この問題は、もはやどうしようもないこと。

 この異世界に転移したことで、ミカたちの設定を変更することは不可能となっている以上、自分には打つ手がない。アインズならば、何かしらの手段を持っているのかもしれないが──

 押し黙ったカワウソは屋敷の食堂に向かうべく席を立った。

 その時、

 

「いざ参上いたしました、師父(スーフ)!」

 

 元気いっぱいな少年兵──第一階層“迷宮(メイズ)”を守る『最強の矛』──花の動像(フラワー・ゴーレム)が、円卓の間の転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)から駆け出してきた。

 ついで、〈伝言(メッセージ)〉を受け取ったNPCたちが続々と現れる。

 

「ナ、ナタくん。走っちゃ、ダ、ダメだよ?」

「ふふ。言っても聞かないと思うわよ、マアト♪」

「およよ? 私たちよりも先に、第一階層組が着いてる?」

「忘れたのか、ガブ? 拠点ギミックを使えばあっという間だろ?」

「イスラとイズラ殿の第二階層組は、すでに食堂にいるようですな?」

「そりゃー、ウチのギルドのごはんはー、イスラしか作れないしねー?」

「然り。あの兄妹は常に共に行動するのが基本となっております故」

「フフッ。ご相伴にあずかりに来たぜぇ、我が御主人よぉ」

 

 カワウソは、自分の表情が緩むのを実感するしかない。

 天使の澱のNPCたちを、復活した配下たちを、堕天使のプレイヤーは迎え入れる。

 

「ああ。(めし)にしよう、みんな」

 

 

 

 

 午後。

 カワウソはなんとなく、自分の拠点の第四階層“珊瑚礁地(ラグーン)”の白い浜辺にいた。

 昼食の後は、とくにやることもなかった。午前の報告は終わり、午後の調査作業はウォフとタイシャが代行してくれている。ナタはコキュートスとの鍛錬という名の練習試合に呼ばれた。マアトやアプサラスなども、ナザリックのNPCたちとの技術交流に赴いている。この間は、イズラが魔導国で交戦した戦闘メイド(ソリュシャン)から奪いっぱなしだった〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を返却しての謝罪まで果たしている。たった数ヶ月で、これほどの和解が成立したのは、間違いなく両ギルドの長の意見が一致していたからであり、NPCたちにとって、自分たちの主人の命令以上の重大事が存在しないが故の、絶対順守性が働いたからにほかならない。

 

 浜辺でくつろぐカワウソの身なりは、戦闘用の鎧装束・完全装備ではなく、普段着として使っている白いワイシャツと黒いジーンズ姿の堕天使……その傍には、主人の供回りを務める熾天使のミカと、地の精霊メイド・パラメソス。

 堕天使は純白のパラソルの下で、ウッドチェアのリクライニングを倒し、ただ、ぼうっと過ごす。

 潮の薫りをはらむ海風が心地よく、昼過ぎからずっとここで昼寝するのが日課となっていた。

 あの戦いの後。転移してから目まぐるしく流転する状況に目を回しかけていた頃からは考えられないほど、穏やかな日々。冷たい飲み物で喉を潤し、おやつを口に含みながら、太陽と雲が流れていくのを眺めるだけ。潮風が心地よく髪を撫で、波の音色は眠気を誘うのに十分な調べを奏でていた。目を覚ました時、太陽の傾き具合から見て、昼食から数時間は寝ていたようだ。

 浜の白砂を洗う波しぶき、夕焼けが熱く水平線の彼方に没していく様まで、すべてが完璧な内装である。天候などの気象状況も変えられるが、ここはたいてい晴れた南国リゾートのままなのだ。この内装を仕上げてくれた“ノー・オータム”のギルド長には、感謝してもしきれない。

 

「お目覚めですか?」

 

 カワウソの覚醒を目敏く感じ取り、ミカが声をかけてくる。

 いつの間にか、傍に侍る女天使にブランケットをかけられていたらしい堕天使は、そこに佇む女天使の美貌に──相も変わらず優美な無表情へと手を伸ばしかけ──

 

「…………」

 

 手を下ろした。

 膝を着いたミカの頬に触れようとする自分を諫めるように、カワウソは片手の甲を額に乗せる。

 カワウソの気がかり……ミカは『カワウソを嫌っている。』……そのような設定を与えられながらも、ミカがどれほどに創造主たるカワウソを“想っている”のか──あの最後の戦いで、堕天使たるプレイヤーはすべて理解し尽していた。

 

 だからこそ、カワウソはミカに触れられない。

 気安く触れていい資格など、ありえなかった。

 

 こんなにも優しく美しい女天使を、自分のように醜い堕天使が……愚劣の極みのごときプレイヤーが、あろうことか一度は確実に死へと追いやった。それがNPCの忠義の果てに辿り着いた、アインズ・ウール・ゴウンとの完全和平……堕天使プレイヤーの復讐の終焉をもたらしてくれた功績は、はかりしれないものがある。

 そして、復活を遂げた今。

 カワウソは今も、ミカの設定の事に対し、何の解決策も見いだせない。

 だというのに、いまさらカワウソの方から……触れてよいはずなど……

 

「何か?」

「……なんでもない」

 

 自嘲するように苦く笑う。

 多くを求める必要などない。

 彼女がそこにいてくれるだけでも十分。

 ミカが生きて、自分の傍にいるだけでいい。

 それ以上など求めようがないし、求める意味もないはず。

 カワウソは悪戯っぽく笑いかけ、ミカの睫毛がぴくりと動く様さえも、愛おしむように眺める。

 ふと、

 

「いつ見ても、素晴らしい作り込みじゃないか?」

 

 もはや聞き馴染んだ声が、堕天使の耳によくとおる。

 ただし、〈伝言(メッセージ)〉の魔法ではない。

 カワウソは声のした方向を見つめ、体をウッドチェアから引き起こした。ミカが立ち上がり、メイドのパラメソスも警戒の視線を差し向ける。

 カワウソは声の主に応じる。

 

「俺が創ったんじゃない。商業ギルド“ノー・オータム”に頼んで、外注で造ってもらっただけだ」

 

 しかし、アインズにとっては、拠点の中に朝・昼・夕・夜を再現し、南国の熱帯魚の泳ぐ様さえ見透かせる海──エメラルドグリーンに輝く珊瑚礁の(さざなみ)を備えたギルド拠点というのは、馬鹿にできるものではなかったようだ。

 

「それは、君が相応の対価を支払って得たということだ。ならば、やはりこの光景は君の物だよ……カワウソ」

 

 アインズ・ウール・ゴウンが、王妃の一人であるアルベドと、新星・戦闘メイドの統括──この異世界で出会った、アインズが仕向けた水先案内人たるマルコを引き連れ、珊瑚礁の海辺に姿を現した。

 カワウソの傍で仕えていた騎士(ミカ)女給(パラメソス)が、「仇敵」ではなく「旧敵」の来訪に会釈する。

 それに対し、アインズ・ウール・ゴウンのシモベたちは毅然と応じるだけ。

 数ヶ月前より、カワウソたち天使の澱は経過観察も含めた軟禁を余儀なくされたが、アインズ曰く「盟友として迎え入れる」という下知がある以上、不敬だなんだと発言するナザリックのシモベは、絶えて久しかった。

 

「今日はどうした? 提出したレポートに不備でもあったか?」

「いいや。実によくできた報告書だったよ」

「書いたのはミカだからな。俺は確認くらいしかしていないし」

 

 天使の澱の拠点は、とりあえず何の異常も変調もなく、平静な状態で稼働し続けている。近いうちに、カワウソの流れ星の指輪(シューティング・スター)を起動させ、ギルド拠点の再転移による第八階層からの退去も検討されていた。ただし何故なのか、あのスレイン平野へ戻す予定だけはない。

 アインズはカワウソの隣にある空いたウッドチェアに腰かけた。

 二人のプレイヤーは小さめの丸テーブル越しに言葉を交わす。

 

「ふぅ。疲れた」

「……疲労しないアンデッドなのに疲れるのか?」

「一国の王として、いろいろと気を遣っているのでな……我がシモベたちやツアーなどは理解してくれているが、国事行為中は、こう、肩が凝る」

 

 わざとらしく首の骨を左右に振り、ポキポキと肩を鳴らして上下するアインズの様子に、アルベドは慈愛に満ちた様子でマッサージを施していく。マルコも、その補助を務めた。王妃やメイドからの奉仕を当然のごとく受け入れるアインズは、いろいろと気が抜けた感じに脱力していく。

 カワウソはアインズの様子に微笑みつつ──ふと、この数ヶ月でずっと気にかかっていたことを確認してみた。

 

「ところで、“モモン”さん」

「ええ。何でしょう、カ……あ!」

 

 やっぱりか。

 

「だろうとは思ったが」

「い、いやぁ、あれだ。モモンガ。そう、モモンガさんと聞き間違えてしまっただけで?」

「というか。俺を蘇生したときに、うっかり言っていただろう? ヤルダバオトとの戦いで、モモン状態だったとか、なんとか?」

「あ、……あはは──はぁ、……すまんな。隠してしまって」

「いいってことよ。“モモン”さんには、世話になったから、なぁ?」

 

 カワウソが促すように見上げた先にいる白金の髪のメイド──マルコは主人の慌てふためく様子に、笑うのをこらえてか、頬が膨らみかけている表情で視線を逸らすのみ。アルベドにしても、しようがないという風に口元を軽く押さえている。

 

「で、今日は何の用だ?」

「ん……ああ、用件は二つだ」

 

 アインズは咳払いをひとつ。そして、簡潔に言い始めた。

 

「まず、君のNPCのミカ……彼女とアルベドに、少しだけ話をさせてほしい」

「──はぁ?」

 

 そう応答したのはカワウソではなく、ミカであった。

 不機嫌そうに眉根を寄せる熾天使は純白の女悪魔を睨み据えるが、当のアルベドは涼しい(かお)で微笑するのみ。この数ヶ月、二人は何度か対峙することはあった──双方のギルドのあれこれで会う機会はあったが、あの玉座の間の戦い以降、両者の関係は微妙な距離感を保っているように見える。

 カワウソは(たず)ねた。

 

「どういうことだ?」

「いや、大したことじゃない──ただ、そう、両陣営のNPCの長……統括と隊長とで、いろいろと、な」

 

 なぜ、このタイミングで?

 要領を得ないアインズの口調であるが、今更ミカをどうこうするわけもない。

 

「ミカは、何か不都合があるか?」

 

「ある」と言われれば強行する気はないカワウソだったが、両ギルドの微妙な関係を思うと、無下にするのは愚策とも思えたのか、ミカは数ミリ程度の首肯で応えた。カワウソも頷きを返す。女天使と女悪魔は主人たちの傍を離れ、赤く染まる夕浜を連れ立って歩く。二人は主人たちから目の届く距離──会話の内容は聞き取りようのない波打ち際で、軽い会談の場を開いた。

 終始微笑みっぱなしのアルベドに、無表情のミカがどう切り返しているのか、いささか気にはなる。

 だが、カワウソは、アインズの残る用件を片付けねばならない。

 

「で。あとひとつは?」

「うん…………」

 

 アインズは少しばかり虚空を、その先にある夕暮れの海を眺めた。

 

「ずっと気になっていたんだが」

「──何が?」

「……あの海って、塩辛いのか?」

「…………さあ?」

 

 そこまで気になる案件だったのか、立ち上がったアインズはミカとアルベドたちが向かった方向とは逆の波打ち際にまっすぐ歩を進める。なんとなく、カワウソもそのあとを追った。

 ユグドラシルのゲーム時代は味覚なんてありえなかったし、カワウソは転移後、この拠点の内部をじっくり堪能するほどの心のゆとりなど存在しなかった。最上層にある海の味がどうのこうのなんて、考えたこともない。

 アインズは寄せては返す波の様子を眺める。

 ものは試しと、カワウソは(さざなみ)に素足をつけ、迫り来る波しぶきで手を濡らす。この海は別に回復効果などがあるような施設ではない。言ってしまえば、ただの飾りみたいなものだった。それが今、カワウソの素足の浅黒い肌を冷たく濡らしていく。

 掌で作った皿に、海水をすくい上げ、そのまま口内に含み舐め啜る。

 

「しょっぱ」

 

 環境破壊の進んだ現実世界で、“海”という自然環境はアーコロジー内の娯楽施設の一種に成り果てていた。ただの一般人では、そんなリゾートレジャーを愉しむ金も暇もない。

 

「海って、こういう味だったのか?」

 

 つくづく、この異世界転移は無茶苦茶だなと痛感させられる。

 

「ふむ……」

 

 その様子を見ていたアインズも靴を脱ぎ、カワウソの隣に並ぶように、遠浅の海に骨の素足をつけた。

 細い骨の手指で波を掻くと、指先を口内に突っ込み、そして“味見”する。

 

「──確かに、しょっぱいな」

「骨なのに、味がわかるのか?」

「ああ。ちょっとした仕掛けがあってな」

 

 仕掛けというのがどういうものか気にはなったが、それよりも懸念すべきことがあると思い、カワウソは早々に本題へと至る。

 

「それで?」

「うん?」

「まさか、この海の味見がしたくて来たわけじゃないだろう?」

 

 海を見たくなったということもないと思う。〈転移門(ゲート)〉を使えば、アインズは大陸の端々に旅立つことも容易い。なにしろこの大陸は、すべて魔導王(アインズ)の所有物なのだから。プライベートビーチなんていくらでもあるだろう。噂に聞く「塩辛くない海」との違いを試したかったとしても、カワウソが休息中のこのタイミングでということは、何か理由があると見た方がいいはず。

 カワウソの予想に違わず、アインズは簡潔にここへの訪問理由を述べ立てる。

 

「ああ。少し、君とゆっくり、話がしたくてな」

「話……?」

「うん。ユグドラシルのこと──君のこと、君のギルドのこと、君がユグドラシルで経験したこと──そして、俺のことについても」

 

 二人はもといたウッドチェアの方へ歩み始める。

 アインズは訊ね始めた。そうして、語り始めた。

 あのユグドラシル最終日から始まった、異世界転移──ナザリック地下大墳墓を、仲間たち皆と築き上げた場所を守るべく計画された、アインズ・ウール・ゴウンの世界征服。

 あの玉座の間の戦いでカワウソが指摘した通り、アインズは、アインズ・ウール・ゴウンという存在を残したい一心で、その名前を冠する国を興したという事実。

 それを成し遂げるために奮励努力の限りを尽くしてくれた、アルベドをはじめとしたナザリック地下大墳墓の拠点NPCたち──ギルドメンバーたちが残していった子どもたち。

 どれひとつとってみても、カワウソには及ぶべくもない。

 カワウソには、もう何もない…………そう、思っていた。

 けれど、違ったのだ。

 夕暮れの海岸を眺める堕天使のユグドラシルプレイヤーは、悠揚と語る。

 自分の過去のことを。

 ナザリックへの無謀な挑戦を始めた、バカげた男の物語を。

 二人はウッドチェアに腰かけ、夕暮れを眺めながら語り明かした。

 

「あの第八階層攻略戦において、俺の旧ギルドのギルド武器は、完全に破壊された。ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)が崩壊したことで、俺は『敗者の烙印』を押されることになった。それとほぼ同時に、俺には復讐する理由が──仇討ちの理由となるべき要素(なかま)が、完全にいなくなってしまった」

「……そうか」

「それでも、俺はナザリックを目指すことを続けた。あの思い出を、誓いを、約束を、果たすことだけが、俺の唯一の望みだったから。そうして、『敗者の烙印』を押されていたプレイヤーが、復讐プレイを敢行し続けたことで、俺は“復讐者(アベンジャー)”の職業レベルを与えられたんだ」

「うん。実に興味深い話だな。あの『敗者の烙印』に、まさかそういった効能があったとは」

「たぶん、だが……皆『検証する価値がない』と思ったんじゃないかな……俺だって、“復讐者”を与えられたときは「まさか」としか思わなかったし。そもそもあんなクソダサい、目立つキャラエフェクトを浮かべたままゲームを続けても、他の奴らから馬鹿にされるしかなかったからな」

「ふむ……話を聞くに、異形種のレベル獲得も復讐者(アベンジャー)のレベル獲得の(キー)ということだが……あるいは人間種のプレイヤーで、『敗者の烙印』専用のレベルを獲得できる可能性も?」

「ああ。むしろそっちの方がありそうな気はするんだがな。ユグドラシルの主流は人間種プレイヤーなんだし。けれど、少なくとも俺がネットで調べた限り、ギルド:ワールド・サーチャーズでも未解明──未判明情報だったはずだ」

「だろうな。この私──いや──俺も、噂の端にさえ聞いたことがない。そもそも自分たちのギルドを崩壊させてまで検証しようにも、いろいろと問題があるだろうし」

「問題以上だろ? ギルドを創立し、わざとギルド武器をブッ壊して、『敗者の烙印』を獲得する必要性なんて皆無だからな。そのあとは他のユーザーから後ろ指さされながら……つまり『敗者の烙印』を持ったままゲームを続けるメリットがまるでない。ゲームの進行そのものに影響はない・デメリットはないといっても、悪目立ちするとPK連中のカモになるだけだからな、ユグドラシル(あのゲーム)では。……それに、俺がやったような復讐プレイなんて、誰もやるはずないだろうし」

「ふむ……だが、君と同じように、敵対ギルドに挑戦することだけが条件とも限らないだろう?」

「ん……まぁ。それも今となっては誰も知りようがないが」

「だな。では、とりあえず君のこれからのレベリングのことを協議しようか?」

「……俺の?」

 

 カワウソが首を傾げると、横にいるアインズもまた首を傾げる。

 

「いや、何故?」

「うん。可能であれば、君の“復讐者”のスキルを強化できればと思ってな。

 ──確か、蘇生した時のレベルダウンによって失った、君の職業(クラス)は?」

「……料理人(コック)Lv.1と狩人(ハンター)Lv.3、剣聖(ケンセイ)Lv.1だ。実際、今の俺は調理や狩猟のスキルは使えなくなってる。マスターソースの情報で確認したし、確定だ」

「うん。だとすると、君の復讐者(アベンジャー)Lv.5とやらを強化・レベルアップする余地が生じたということで」

「いやいやいや」

 

 カワウソは思わず身を乗り出した。

 敗者の烙印が消え失せている状態で、烙印保有者専用のレベルが増えるのかという懸念もあるが、それ以上に不可解なことが。

 

「何を考えている?」

「うん? ……ああ。文書報告と、君のギルドのマスターソースを使った情報閲覧でわかってはいたが、やはり直接、君の口から説明を聞いておくのも肝要だと思って」

「ああ、なるほどな。──いやじゃなくて!」

「んん? なんだ? どうかしたのか?」

「いや、なんで、俺を強化する必要がある? 俺はあんたの────敵だったんだぞ?」

「ああ。そっちの意味か……理由は簡単だ。この数ヶ月の経過観察で、君たちの安全性……我々の脅威でなくなったこと・敵意を完全に鎮静化したことは、ほぼ保証された。そのうえで、君が弱いままでは、こちらにとってデメリットが大きいから。ただそれだけだ」

「……? それって、どういう?」

 

 カワウソは理解が追いつかなかった。

 一度は敵対したプレイヤーなど、弱体化させたままでいた方が、飼い殺しも容易になるはず。

 なのに、アインズは自分たちの敵だった男を強化しようとしている。

 それも、アインズにとって厄介極まるかもしれない、“復讐者”の力を──これはどういうことなのか。

 頭脳明晰なミカが傍にいてくれれば、何らかの理解を得られたのかもしれないが、女天使は女悪魔と共に場を離れていた。傍にいるのは双方のメイドが一人ずつだけ。カワウソは死の支配者(オーバーロード)の魔導王へ、素直に説明を要求するしかない。

 そうして、アインズは語り明かした。

 アインズの『目的』と、ツアーとの『計画』……それにカワウソという戦力を加える、覚悟と意志を。

 彼の『目的』のひとつは、カワウソにも理解しやすい内容であった。

 

「──真の、異形化?」

「ああ。君をたびたび襲っていた変調は、君の意識や意思が、その異形種の肉体そのものに宿るモノ──つまり、異形種の堕天使そのものに『とってかわろう』としていたことで生じたものだと思われる」

 

 カワウソは思い出す。

 夢の中で幾たびも対峙してきた影法師。脳の中に乱響し残響する、自分であって自分でないモノの声。

 あの決戦の後。

 カワウソは自分の中のアレ──堕天使の存在と邂逅していない。あれだけ毎夜毎夜のごとく続いていた悪夢は、今は完全に潰えている。

 その代わりに見る夢は、比較的おだやかで、やすらかな──眠りから覚めると忘れてしまうほど安穏(あんのん)としたものばかり。

 そのどれもに共通しているのは、ひとりの女天使の気配……希望の光を感じることくらい。

 アインズはさらに語り続ける。

 

「君にも覚えがあるだろうが。君は、ミカという熾天使にして女神の加護を受けている状態で──なおかつ、心身共に健全な状態を保っている限り、異形化の影響はない……そのように見える」

「──だとすると、死の支配者(オーバーロード)の、アインズは?」

「私は……さて、どうだろうな?」

 

 含み笑う骸骨の横顔は、諦観とも寂寥とも違う色をたたえていた。

 カワウソは詰問すべきかどうか迷った。

 アインズは同じ異形種のプレイヤー。だが、堕天使とアンデッドでは、いろいろと事情が異なっている可能性が大きい。あるいは、アインズ自身も、確たる実証を得ていないという線もありうるだろう。しかし────だとしたら、何故こんな話を?

 考えあぐねる男を前に、骸骨姿のユグドラシルプレイヤーは悠々とした態度で言い募る。

 

「いずれにせよ。君はミカというNPCがいる限り、そしてミカは君という創造主がいる限り、互いの存在を堅固に保てるだろう。私が万が一に人間・鈴木悟としての意識を欠乏することになっても、カワウソの──若山(わかやま)宗嗣(そうし)の意志は継続されるはず。もしも、その時が来たら……」

「────」

 

 なんとなく、カワウソは彼の言いたいことを理解した。

 理解することができた。

 

「……俺一人で、どうにかできる気がしないな」

「心配には及ばない。もしもの時には、ツアーたちに協力を仰ぐといい」

「……ツアーか。あの竜王には、一杯食わされたから、なあ?」

 

 一応、戦いの後に謝罪の場を用意されたが、何もかも彼らの掌の上で転がされていただけだったことがおもしろいわけもない。無論、そこまで恨みに思っているわけではなく、むしろ貴重な機会をくれたのだから感謝しかないのだが、とりあえず当分の間は、この件でツアーにはチクチク嫌味を言うことに決めている。

 そんなカワウソの冗談めかした態度を完全に理解しながら、アインズは胸骨を張って反撃。

 

「ふふ。それはお互い様だ。

 まさか、本当に第八階層を攻略しに来るなんて、思わなかったんだからな?」

「くはッ……ああ、そうかい」

 

 実際、カワウソもツアーが内通している可能性を考慮していた。

 それでも。その状況を「利用する」と決めて、ナザリックを囲む平原での戦いへと至れたのだ。

 だとすれば、やはりツアーには感謝してもしきれそうにない。

 

「それにしても、だ」

「?」

「君のギルドのNPC──特にミカの、彼女の能力には、本当に驚かされた。熾天使にして女神の種族……あるいは今後、協力をもちかけることになるかもしれない貴重なチカラだ。君のような異形種プレイヤーの異形化を、恒常的に抑止する手段というのは」

「一応、言っておくが」

「わかっている。君に話を通した上で、利用させてもらえればと思っている──俺のようなアンデッドのプレイヤーには利用しようがないのは、まぁ仕方ない。今後、俺以外の異形種プレイヤーが転移してきたときには、少し相談させてもらいたいところだが」

「……まぁ。ミカにきいておくよ」

 

 その解答に満足げに頷くアインズは、件の女天使の方を見やる。

 

「そういえば。彼女たちの外装(グラフィック)は、どこに頼んだんだ? やはり例の商業ギルドに?」

 

 波打ち際で。

 アルベドの告げたことに何か感動か感傷か──感銘かを受け取った表情を見せるミカ。夕明かりに煌々と輝く黄金の髪。空色の瞳はカワウソたちの視線を感じ取り、ふいと逸らされる。

 カワウソは、ミカを創った時のことを思い起こす。

 天使の澱の第一のNPC……聖騎士の王たる旧ギルドのリーダーに似せて作ってしまった、最高傑作の存在。

 

「あれだけ精巧な外装データだと、素人には難しいだろうし」

「いや──俺が描いた」

「……え? 君が?」

 

 カワウソが創ったNPCたち、その外装データはカワウソの手掛けたもの。

 これでも、旧ギルドのNPCなどの外見デザインも担当した経験があり、商業ギルドの長に頼まれて、そういう外注を受けたこともあるにはある。もともと、カワウソがユグドラシルのゲームに惹かれた理由こそが、そういう絵を存分に描ける世界だったことが挙げられる。その理由も、仲間たちとの別離で、半ば忘れ去っていたのも懐かしい。

 興味深そうに眺めるアインズに対し、カワウソは包み隠さず暴露していく。

 

「ミカたちは、俺のかつての仲間たちを模して造ったNPCだ」

「──君の? かつての仲間を?」

「そう。だから、外装(グラフィック)を描く時は、そこまで苦労はしなかったよ」

 

 似せるつもりはなかった……そのはずだった。

 だが、実際に完成したNPCたちは、驚くほど皆の特徴をとらえてしまっていた。

 最初は、チームのメンバー構成だけは踏襲すると決めていた。物理火力役(アタッカー)魔法火力役(アタッカー)探索役(シーカー)防御役(タンク)回復役(ヒーラー)その他役(ワイルド)の構成──カワウソが知り得る完璧なチーム──それこそが、旧ギルドの皆の存在に他ならなかった。

 そうして、実際に出来上がったものは──

 

「バカな話だろう? もう、誰も、俺のところに戻ってくるはずもないのに──な」

「…………」

 

 アインズは沈黙する。

 カワウソは彼の反応を当然と思った。

 ふらんさん……旧ギルドの副長ですら、カワウソの奇態を前に、何も言えなくなっていたのを思い出す。

 

 それでも。

 カワウソは夢を見ていたかったのかもしれない。

 皆と一緒に、もう一度、あのゲームで楽しく過ごせたとしたら……そんな淡く、(つたな)く、愚かしい幻想を、自分のギルドの拠点NPCに託したのだ。

 

 それが、合計12人のLv.100NPC……かつての仲間たちの面影を、その面貌その役割その装備と設定に投影した……滑稽極まる人形劇。

 だからこそ。

 カワウソはミカに対し、あんな設定を施した。

 あろうことか『カワウソを嫌っている。』などと、随分とひねくれたことを。

 彼女たちとは違うものとしての役割を与えることで、カワウソは自分自身を戒めることにした。

 本当に、バカなことをした。

 悔悟する堕天使の横で、ふと、アインズが勢い込んで立ち上がった。

 

「? どうした?」

「──君に見せたいものがある。ついてきてもらいたいのだが?」

「……“アインズ様のご命令”とあれば従うが?」

「いや、命令ではない。

 我らは同士なのだから、……これは俺の、──個人的な願いだよ」

「……そこまで言うほどなのか? その、お願いっていうのは?」

 

 アインズは皮肉気に堕天使へ微笑む。

 

「ただ、……そう、君に見てもらいたいんだ」

 

 (アインズ)の……(モモンガ)の作ったものを。

 

 

 

 

 

 アインズに案内され、カワウソは潮の薫りから離れ、ナザリックのとある領域に踏み込んだ。

 二重の影(ドッペルゲンガー)の領域守護者──聞くところによると、アインズ謹製のNPC──が守護する、宝物殿。

 その最奥を、アインズとアルベドに連行される形で、カワウソとミカは訪れた。

 

「お待ちしておりました、父上!」

「ようこそ、おいでくださりました、アインズ様──天使の澱のお二方」

「…………うむ。突然押しかけてすまんな、二人共。では、手筈通りに」

 

 ──“霊廟”と呼ばれる場所に訪れる前に、装備していた指輪を外し、アインズは収納箱に収めている予備の指輪というものも、すべてその地に住まうパンドラズ・アクターとナーベラル・ガンマに預けていった。

 そうして、アインズ主従はカワウソたちを奥深くへと導く。

 いささか不用心な気がしなくもない……というか、一度は敵対したプレイヤーとNPCを招き入れるには不適切な気がしなくもないが、カワウソはもはやナザリック地下大墳墓をどうこうする気などカケラもない。アインズはそれを十分に理解しているようで、堕天使の忠告をありがたく受け入れることしかしなかった。

 カワウソの欲求──願望は、ギルド:天使の澱に属するすべてを護ること。それだけとなっていた。復讐も敵対も何もない。アインズ・ウール・ゴウンが天使の澱と本気で盟を結びたいというのだから、これを利用しないでいるわけがなかった。

 

 そうして、カワウソはアインズの言う造形物──霊廟の名の通り、一切が静寂の帳に覆われた空間にあるものを、その両目に焼き付ける。

 

「これって……まさか?」

 

 カワウソは見誤るはずがなかった。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの研究を続けまくったプレイヤーは、その構成メンバーに関する情報についても、すべて己の脳内に叩き込んでいる。種族や職業、得意とする戦術や属性──その外見についても。

 長い空間の左右の窪み──そこに並べられた像は、37体。

 そのどれもが、アインズの主武装と比肩する装備品──アイテムで完全に武装された化身(アヴァターラ)たち。

 

「タブラ・スマラグディナ……ペロロンチーノ……ウルベルト・アレイン・オードル……」

 

 他にもギルド:アインズ・ウール・ゴウンの構成員たるプレイヤーを彷彿とさせるものばかり。

 どのゴーレムも、カワウソにとっては忘れようのない存在──ギルド:アインズ・ウール・ゴウンを構成するギルドメンバーたちを模したものであると、はっきりと認識できた。やや不格好で歪められたとも言える外見であるが、その元デザインとなったプレイヤーたちの特徴や、彼らが実際にユグドラシルで使用していた装備品の格が落ちるわけでもない。

 アインズは喜ぶように肩をすくめてみせた。

 

「さすがだな。よく気がついたな?」

「そりゃあ、まぁ。自慢じゃあないが──アインズ・ウール・ゴウンの研究を、俺はずっと続けてきたからな」

 

 眺めても眺めても、アインズ・ウール・ゴウンの異形種プレイヤーたちの像が立ち並んでいるだけ。

 たっち・みー、死獣天朱雀、餡ころもっちもち、ぶくぶく茶釜、武人建御雷、ばりあぶる・たりすまん、源次郎、やまいこ、弐式炎雷、テンパランス……ふと、気にかかったことがあってカワウソは問い質す。

 

「あと四人は、どうした?」

 

 何も置かれていない四つの空白。

 このナザリック地下大墳墓を統べるプレイヤーは41人。だが、像の数は37体だけ。アインズ──モモンガを含めた四人分の像は、存在しなかった。まるで、造ることを半ばで放棄したような感じだが、造ったはずの本人は多くを語ろうとはしない。

 曖昧な感じで頷く様子に、カワウソは逆に納得がいった。

 

「ああ……そうか……ここは、“霊廟(れいびょう)”……だったな」

「──うん。そうだ」

 

 おそらくは。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンをやめていった──ゲームを引退していったメンバーたちの化身が、ここに安置されたゴーレムなのだろう。モモンガなどの像がないのは、引退せずにゲームに残留していたメンバーの分とみて間違いない。だが、アインズ以外の、残りの三人が、この異世界でナザリック地下大墳墓に存在しないということは、ゲームの常識に照らしてみれば──まぁ、そういうことなのだろうと察しがつく。

 モモンガは、たった一人で、この異世界に転移してきた────

 アインズは肯定するように頷き、アルベドは沈鬱な表情で、愛する主人の袖に手を添える。慰めるような妃の配慮に、死の支配者(オーバーロード)は骸骨の顔で微笑みを返していた。

 ナザリックの最高支配者は、自虐するように、自嘲するように、何も持たない骨の両手を広げる。

 

「実に不格好だろう? 私が作った──かつての仲間たちは?」

「…………」

 

 カワウソは無言で首を振った。

 だが、アインズは遠慮しなくていいと言って、笑う。

 

「君のLv.100NPCたちに比べれば、どう考えても不出来なものだ──俺が作ったコレは、彼らのカッコ良さの一割もない……外見のデータは、パンドラズ・アクターに使ったものを流用したが、残念ながら、俺一人ではこれで限界だった。購入してきた外装を無理やり押し込んだりしたせいで、こんな歪んだものばかりになってしまったのも、まぁ、いい思い出だよ……」

 

 気恥ずかしさにも勝るアインズの感情を、カワウソは見抜いた。

 

「私にも、君のように精巧な絵が描ける能力や特殊技術(スキル)があればよかったのだがな」

「…………そうか」

 

 カワウソは、ついに理解した。

 

「────仲間がいなくなるのは、寂しいもんな」

 

 堕天使の口から零れる言葉に、アインズは打たれたかのごとく声を詰まらせる。カワウソも無言になった。どちらとも、何も言えない気がした。

 片や拠点NPCに。

 片や霊廟のゴーレムに。

 二人のプレイヤーは、仲間たちの存在を──彼らがいたことの証を残そうとしたという事実。

 ほぼ同時に、二人のプレイヤーは肩をすくめあう。

 声を形にしたのは、アインズの方が先だった。

 

「──ここで言うのもあれだが。君に頼みがある」

「──頼み?」

 

 借金の返済を早める催促──のはずがない。

 アインズは一度アルベドの方を窺い、彼女の首肯を受け取った後、明確な口調で宣言する。

 

「我がアインズ・ウール・ゴウン魔導国──魔導王政府の“第三者委員会”を、君に任せたい」

「第三者……委員会?」

 

 それは、つまり──

 

「分かり易く言うと、君に我々の監査機関を任せたい。100年前から作ろうと思っていたが、結局は有名無実化してしまう程度の組織であったが──しかし、今。君というユグドラシルプレイヤー──そして、君のギルドにならば『託せる』と、私は強く確信している」

 

 監査機関──監視役を、敵対したカワウソたちに任せる?

 

「本気、か?」

「無論だとも」

「本気で言っているのか?」

「勿論。──自信がないというのなら、断ってくれても構わないが?」

 

 アインズは澱みなく応じる。

 

「我々ナザリック地下大墳墓は巨大な一枚岩のごとく堅固な組織力を保持している。それは確かに強力な武器であるが、それが故に、私の胸先三寸──独裁で決定してしまうことにも繋がりかねない。だが、もしも、“私が間違ってしまったとき”に、私たちの行動を抑止できる存在がいた方がいい──いや、いなければならないのだ。

 この魔導国を、──愚かにも私の判断ミスや異形化の暴走で崩さないために。

 だが、それをナザリックのシモベ達が担える可能性は、残念ながら低いと言わざるを得ない。皆、私を絶対者として追従し追随し、是正することが難しいものも多い。私の命令ひとつで自害できるNPCでは、な。私の意に添わぬことをしてしまったと思った瞬間に、自刃しようとするものまでいる……それほどの忠義を嬉しく思う反面、不安要素のひとつともなりうることは、まったくもって如何ともし難い──」

「……だから、俺のような外様(とざま)を雇用する、と?」

「外様という言い方は少し気に入らないが──、まぁそんなところだ。我々が──というか、俺が君を魔導国に引き込みたかった理由のひとつも、まさにそれだったのだよ」

 

 言い募る男の姿は、ただのゲームプレイヤーのそれではない。

 まさに、王者と呼ぶよりほかにない姿──責任と意思──決断力と実行力の傑物。

 カワウソは苦笑しながら、敵対していた目の前のギルド長の姿に敬服してしまう。

 

「あんた、本当にすごいな……」

 

 こんな奴に勝てるはずがない。

 自分の敵であったものを許すのみならず、国内の要職に据えて、あろうことか「自分を監視してくれ」などと──どんな精神力と判断力の化け物だというのか。

 少なくとも、愚かにも敵対したカワウソには、思いつく道理がない。

 

「……わかった。でも、少し待ってほしい。こんな重大な案件は、俺一人では荷が勝ちすぎる──ミカと、NPCのみんなと十分に話し合ってから、決めたいのだが?」

 

 振り返り見た熾天使は、委細承知した調子で、実直な首肯をおとす。

 

「ふふ。ああ、そうだな。そうしてくれて構わない。ぜひとも検討してくれ」

 

 話し合いは大切だからなと、懐かしむような口調でアインズは囁く。

 

「それと──“もうひとつ”」

 

 囁く声が、元の威厳溢れるそれに置き換わる。

 

「君のその力──復讐者(アベンジャー)の持つ必殺スキル──それを私とツアーの『計画』……とある目的のために、使わせてもらいたい」

「俺の──復讐者(アベンジャー)の? 必殺スキルを?」

「それから、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の、Lv.100NPCの力も」

「──どういう、ことだ?」

 

 協力要請に対し疑問するカワウソ。

 アインズは言い募ることで応えた。

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオン……“白金の竜王”……ツアーの、彼の友人であるユグドラシルプレイヤーたちを蘇らせるために、協力してほしいのだ」

 

 カワウソは“十三英雄”という古い物語に謳われる存在たちを知らない。

 だが、ツアーという大恩人のこと──ツアーの親友らの話は耳にしていた。

 彼らと友誼を結び、そんな彼らとの別れを数百年も悼み続ける、竜王の姿と共に。

 しかし、解せないことがひとつ。

 

「でも──ユグドラシルプレイヤーを蘇生させることぐらい、アインズたちなら簡単にできるんじゃ?」

 

 それこそ。

 アインズによって殺されたカワウソを蘇らせたように、容易く実行できる案件のはず。

 なのに、それをしない……できない理由とは、何か?

 

「彼らを蘇生させるうえで、非常に厄介な問題があってな」

「厄介な? 蘇生させるうえでの問題って……蘇生拒否や蘇生妨害、か? しかし、アインズ・ウール・ゴウンの、ナザリックのNPCなら、それぐらいの条件はクリアできるんじゃ?」

 

真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)〉に代表される高位階の蘇生魔法は、そういった悪条件……蘇生拒否や蘇生不能……蘇生妨害の状態異常に関係なく、ゲーム準拠の設定だと100年単位の時間経過すら問答無用で対象を完璧に蘇生することが可能という、最上級の蘇生手段だ。これで蘇生不能な案件は、蘇生対象の命の残量=寿命が尽きている以外ありえないはず。

 実際、アインズはナザリック内でその魔法を扱える神官系NPC──ペストーニャがいることを認める。別に、カワウソの配下である天使──中でもその極致たる女神(ゴッデス)・ミカの蘇生能力が必須ということもないようだ。

 

「無論、その通りだ。だが、“彼”の場合、そうはいかないようでな」

「そうはいかない?」

「ああ。十三英雄のリーダー……彼は、世界級(ワールド)アイテム保持者なのだが、……最後の戦いである神竜との戦いの後に、自殺したことは?」

「……詳しくは知らないが、ツアーからそう聞いている」

 

 ツアーの個人的な目的。

 彼の友人たるリーダーたちの、……救済。

 

「うん。そして、彼は()むに()まれぬ事情で、蘇生を拒否している。『世界級(ワールド)アイテム保持者』である彼の拒絶の意志は、我々でも難しい──どうしようもない領域の問題だ」

「それって……どういう?」

 

 アインズは訥々と語りだす。

 世界級(ワールド)アイテム保持者であるという、十三英雄のリーダー。

 世界級(ワールド)アイテムを所有するものは、世界級(ワールド)規模の改変や干渉を受けつけないというゲームシステムがあり、この現実化した異世界でも、その原則は基本的に同等。たとえば、“傾城傾国”という精神支配系の世界級(ワールド)アイテムの効果は、同格のアイテムを持つアインズやカワウソには効果がない。そうして、ゲームではなく、現実化したことによっての影響なのか、世界級(ワールド)アイテム所有者の意思などを捻じ曲げる行為──リーダーの場合、蘇生魔法による魂への干渉は、まったく完全に無効となるのだ。それは一個の世界の意思そのもののごとく……それほどまでに、リーダーは生き返ることを拒絶している。

 

「現に。君も一度、私の蘇生を拒否しかけただろう?」

「え…………あっ?」

 

 いやぁ、あれは焦ったぞと笑うアインズを置いて、カワウソは思考に耽る。

 

 カワウソが僅かに覚えている、死亡時の記憶。

 何の色もない澱の底で、悪夢の現実を繰り返すことを忌避した自分。

 だが、天使の声に導かれ、差し出された女の手の感触を、今でも鮮明に覚えている。

 あの瞬間、カワウソは蘇生の力を拒否しなかった。

 他ならないミカの想いが、カワウソを死の狭間から救い出してくれたのだ。

 

 だが、リーダーの場合はそうはいかない。

 確かに、これは問題だ。大問題だといえる。

 

「当時、彼の蘇生を試みた十三英雄の一人──ビーストマンの覚醒古種──小さな猫の『大神官』──彼の力では、頑なに蘇生を拒否するリーダーを、無理矢理に蘇生させることは不可能だったようだ」

 

 カワウソは記憶の端にある、ツアーとの初対面の会話を思い出す。

 ツアーの友──リーダーの蘇生拒否は、仲間を自らの手で殺したことによるもの。

 ならば、その殺された相手の方を蘇生させてしまえば解決するのでは…………と考えたところで、気づく。

 

「……蘇生、できないのか? その、リーダーに、殺された方の、仲間は?」

 

 この世界独自の法則や蘇生妨害が?

 そんなことがありえるのかと、カワウソは疑念しそうになる。

 しかし、アインズはカワウソの問いかけよりも先に、解答として首を横に振って示した。

 

彼女(・・)の蘇生なら、容易く実行できるだろう。

 だが、彼女(・・)もまた蘇生させた後に、問題があってな」

 

 (リーダー)と、……“彼女”?

 ツアーの友というユグドラシルプレイヤー。

 その二人の性別から、カワウソは直感的に、言い知れぬ恐怖を感じ取る。

 リーダーが仲間を……男が、女を、殺す。

 カワウソは思わず問い質した──問い質さずにはいられない。

 

「ま、待てよ、おい……まさか、とは思うが、その“彼と彼女”というのは──」

「さすがに察しがいいな。

 そう。“彼と彼女”は、ユグドラシルのサービス終了の時を共に過ごした、“恋人同士”のプレイヤーだと聞いている」

 

 カワウソは、口を手で押さえる。酔いではない、劇物を含まされたような吐き気を催した。堕天使の内より生じた悲しみと哀しみからなる激烈な嘔吐感は、背後に控えていたミカの力……掌の温度によって即座に安定化される。カワウソはミカに感謝しつつ、問い直した。

 

「まさか──恋人を、殺したのか? その、リーダーは?」

「ああ…………勘違いをしてはいけないが、彼女の殺害は、彼にとっても苦渋の事態であり、そして、自ら自刃し、頑なに蘇生を拒む理由となっている。また、リーダーは君と同じで、実存を持たない世界級(ワールド)アイテム保有者であるため、彼の蘇生拒否を覆すには、相応の条件が必要なようでな」

 

 聞かされて納得した。

 自分の恋人を、自分の手で殺す。

 ふと、カワウソは自分の背後にいる女天使にして女神を振り返る。

 たとえば──ミカを殺すことは、もはやカワウソには不可能なこと。彼女への真摯な愛情を思えば、ミカが堕天使にとって有用である実態……それ“以上”に、彼女を殺す行為は完全に忌避すべき行為行動に成り下がっている。転移直後の時期からは考えられないことだが、カワウソはもう、自分のギルドのNPCたちを死なせるようなことはありえないほどに、思いやっていた。

 しかし、アインズが語る十三英雄のリーダー……彼は、それをやり遂げた。

 やり遂げねば、ならなかった。

 

 その時に抱いた恐怖と絶望は、どれほどのものだろう。

 あの、アインズとの戦いの最後、カワウソが抱いた罪悪感と同量か……あるいはそれ以上。

 主に見つめられ続けるミカは小首を傾げ、何事かと眉根を寄せる。そんな天使の無表情に、堕天使は微笑みを返すことができた。カワウソはアインズに向き直る。

 

「いったい……“彼女”に、何が? どういう理由で、彼女さんの蘇生ができない、と?」

 

 アインズは整然とした口調で、告げる。

 

「彼女が蘇生された瞬間、とんでもないものが一緒に復活してしまうのだ」

「とんでもない、もの?」

 

 そう、あのアインズ・ウール・ゴウンが語るものとは何なのか。

 アインズの声に含まれる不穏な影が見え隠れするのを、カワウソは錯覚し始めた。

 錯覚……では、なかったのかもしれない。

 アインズは十三英雄の顛末を語りだす。

 

「十三英雄、最後の冒険となった“神竜”との戦い。

 ツアーやリグリット、そしてリーダーたちは、彼女をはじめ現地勢力の英雄たち──数多くの犠牲を強いることで、一応の勝利を収めた」

 

 だが、実態は惨敗に等しかったという。

 竜王秘蔵の宝剣・始原の魔法(ワイルド・マジック)で造られた宝重たる武器は砕け散らばり、その残骸は諸国に散った。数多くの国土と種族──かつて八欲王が護り率いた人狼(ワーウルフ)(オニ)などの異形種……強大な一族が喪われ絶滅の憂き目にあうほどの、悲劇の時代。その果てに、世界の命運を賭けた決戦において、(リーダー)は彼女を自らの手で殺すことで、“神竜”を封殺──

 そこまでを聞いて、カワウソは手をあげて会話をとめた。

 確かめずにはいられなかった。

 

「ちょっと待て。リーダーが……彼女を殺して、“神竜”を、封殺? ──それって、つまり」

 

 アインズは頷く。

 

「うん……彼女は、憐れにも“神竜”と融合してしまい、その存在の核と成り果てた。核となったものを死体から物理的に分離したとしても、彼女の魂と“神竜”の魂……つまり、存在の根源部は完全に融け合っている。これを切り離すことは魂の領域に干渉する行為であり、現状の我々では不可能だ……故に、彼女を蘇生させた瞬間、“神竜”もまた復活を遂げることになり」

「待て。待て待て待て待て待てッ!」

 

 待ってくれと手を挙げた。

 語られる内容に、うすら寒いほどの怖気を感じて、カワウソは問い質し続ける。

 

「な、……何、なんだ……その、“神竜”、って、いうのは?」

 

 信じられないという思いのまま、カワウソは彼を見る。

 あのアインズ・ウール・ゴウンをして、カワウソのような者達に助力を欲するほどの、存在。

 この世界には、そんな馬鹿げた力があるなどと、本気の本気で思考できない。

 だが。アインズが語る“神竜”の正体が、カワウソにすべてを納得させる。

 

 ──“神竜”というのは、現地人がつけた通称にして仮称に過ぎない。

 

 その本質、その正体をユグドラシルの単語で言い表すならば、たったひとつ。

 

 

 

「“世界級(ワールド)エネミー”だよ。

 200年──いや──300年以上前の過去、こちらの世界に転移した、な」

 

 

 

 

 

 

 /

 

 

 

 

 

 

 それは、英雄譚の終わりにはふさわしくない、まったくの悲劇であった。

 

 

 

 

 

 

『お、願い──私、を、殺して』

「いやだ!!」

『はや、ク……もう、モタナい』

「いやだ、いやだ、いやだァ!!」

 

 恋人の示した自己犠牲の言葉を、彼は首を振って拒絶する。

 いかに相手が世界の敵(ワールドエネミー)に取り込まれた姿になっても、愛する女を──将来を誓い合った女性を──森妖精(エルフ)の女プレイヤーを──異世界に転移してからもずっと寄り添ってきた仲間を、自らの手にかけられるほど、リーダーと呼ばれた男は非情な心の持ち主ではない。むしろ、彼はどこにでもいる平凡な人間でしかなく、こんな状況でもまだ他に打つ手があるはずだと妄信するほどに甘い男でしかなかった。

 ──だが、彼の身体は、間違いなく剣を構え、世界の敵を討ち滅ぼすべく、一歩を踏み出す。

 

「や、め、ろ──やめろ、やめろ、やめろ……やめろ!」

 

 やめてくれと必死に懇願する男の意志に反し、歩み続ける肉体。

 それを、リーダーはどうにか食い止めようとする。

 

「発動するな! 発動するなッ、世界級(ワールド)アイテム!」

 

 だが、もうそれは……発動してしまっている。

 英雄たる男の肩にとまる光の小鳩──その口には、一本の枝葉。

 

 ──リーダーの世界級(ワールド)アイテム──

 

 ──“ダヴはオリーブの葉を運ぶ”──

 

 世界を滅ぼす大災厄……それを生き延びた者へともたらされた、平和の象徴。

 その伝承が転じて、世界級(ワールド)アイテムの中でも希少な、「“対”世界級(ワールド)エネミー用」の性能を与えられたもの。世界級(ワールド)エネミーには通じないはずの世界級(ワールド)アイテムの中で、唯一例外的に、世界の敵を滅ぼすことに最特化した、壊れ性能のアイテムがそれだった。

 この異世界で、はじめて彼は発動要項を完全に満たした。

 故に、発動した。

 発動条件さえそろえば──そろってしまえば──問答無用で、保有者の意思さえ関係なく、災厄の根源たる世界の敵(ワールドエネミー)を滅ぼすことになる、絶対不可逆の概念事象。

 それに対し、保有者(リーダー)の身体が即して行動する──行動するしかないのだ。

 世界級(ワールド)アイテムの発動効果は、絶対。

 それに抗える力など、ない。

 

「い、やだ…………イヤダァ!!!」

 

 涙を流し、血反吐を吐きながら、白い髪を振り乱して、男は女を殺そうとする自分自身の力に、抵抗する。

 だが、

 

 

『……大 好き だよ、    ……』

 

 

 天変地異を操り、大災厄として降臨した巨龍の逆鱗部分──そこにある宝玉に、顔面を含む半身が組み込まれた女の微笑みの気配。愛する恋人に対し、世界級(ワールド)アイテム保有者たる男が、ツアーより託された竜王の宝重たる剣を差し向け────

 

 

「やめろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」

 

 

 轟く悲鳴。

 貫かれる災厄の“龍”。

 その核となっていた女の、鮮血。

 

 絶命。

 

 同時に、核の命を奪われた世界級(ワールド)エネミーの体があらゆる力を失い、その巨体と重量……竜ではなく“龍”の異形をズシンと横たえ、そうして、ぴくりとも動かない。

 

 世界級(ワールド)エネミーは倒された。

 世界の敵は滅ぼされた。

 世界の平和は守られた。

 

 だが、

 

 

「あ ああ あああ ああああぁぁぁッッッ──!!??」

 

 

 ここに、一人の男の罪が確定した。

 男は、愛する者の肌と肉、心の臓腑を引き裂く──その生々しい感触とおびただしい真紅の色を、硬く握り込んだ剣の柄を通して実感した。

 そうして、彼の心は、破綻した。

 

 

「ああああぁあああああああああぁああああああああああああああぁぁぁあああああああああああアアアアアァアアアァアアァアァアァアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!」

 

 

 

 リーダーは即座に、神竜の核を──仲間の命を──愛する恋人の胸を抉った刃を、自分の心臓へと差し向け、

 自殺した。

 

 

 

 共に戦い、体力も魔力も尽き果てていたツアーやリグリットたちは、止めに入る間もなかった。英雄にして世界の恩人──救世主たる(とも)の、その非業の死を前に、悲鳴をあげることしかできなかった。ビーストマンの神の血を引いた小猫……大神官による〈真なる蘇生〉は完全に拒絶され、暗黒邪道師の魔法によって蘇生拒否の状態にあるものと理解された。リーダーたちから譲り受けていたユグドラシルの復活アイテムも、悉く意味をなさなかった──

 

 

 

 これが、戦いを生き残った誰もが、詳細を語りたがらなかった、十三英雄の最後の物語。

 

 

 

 こうして、十三英雄の冒険譚……世界を守った御伽噺は、引き分けとも敗北とも言い難い──ツアーやリグリットら当事者にとっては“惨敗”と言うべき結果でもって、完結した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Web版オーバーロード『設定』より「ワールドアイテム」の項目を参照

『ダヴはオリーブの葉を運ぶ』:なにこれ

 ……以下は考察というか、独自設定……

『ダヴはオリーブの葉を運ぶ』とは?
 旧約聖書・創世記に記述されている「ノアの箱舟」伝説に因んだ言葉と思われる。
 堕落した地上の人間を一掃すべく、神の引き起こした大洪水。その大災害から唯一生き残った人類・ノアが鳩(ダヴ)を外に放ち、その鳩がオリーブの葉を運んだことで、洪水の水が引いた──地上の悪徳を洗い流す災いが去ったことを確認したとされる。なお、世界各地の数多くの神話や伝承、特にギルガメシュ叙事詩などとの相似性があげられる。

 この伝承から考えられる世界級(ワールド)アイテムの効果としては、
=世界を覆うほどの災厄の、その終焉を告げること
 そのため、
=オバロ世界内で世界規模の災いとなりうるワールドエネミーを終焉させる
 ……というものになるのではないか。

 しかし、そのための発動条件として、
・使用者はワールドエネミーと交戦していること(世界規模の災厄と直面する)
・使用者以外の味方が、ほぼ全滅していること(生き残ったのはノアの一族だけ)
 が必要になる。 

 十三英雄のリーダーは、ユグドラシルでこの世界級(ワールド)アイテム保有者となるが、世界級(ワールド)エネミーと交戦する機会などがなかった(そういった戦闘イベントには関心がない、非ガチ勢の低級プレイヤーだった)。もしくは世界級(ワールド)エネミーと戦うイベントに参加しても、たった一人だけ生き残るような状態にならなかった。──故に、リーダーは『ダヴはオリーブの葉を運ぶ』の発動を一度も確認したことがなく、また確かめる機会を逸したまま、仲間と共に異世界へ転移したのではないか……
 だが、十三英雄の最後の冒険・神竜との戦い(これもWeb版『設定』より参照)で、リーダー以外の仲間が死亡するか戦闘不能に陥り、十三英雄の中で誰よりも強くなったとされる(実際の強さレベルは不明だが)リーダーだけがかろうじて継戦可能な状態を保ったことで、世界級(ワールド)アイテム『ダヴはオリーブの葉を運ぶ』の発動要件を満たしてしまった……



 ま、全部ただの空想なんですけどね!!



────完結まで、あと二話

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