狂女戦記   作:ホワイトブリム

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#002

 act 2 

 

 子供が増えたり減ったりしながら時が過ぎていく。

 私が居る世界というのは戦争をしているらしい。

 修道院の中では大して知る事は出来ないけれど、私はターニャの行動を念のために注視する。この修道院の中で自分自身を守っている年長者は意外と居るのだが、理性を保っているのは十人程度。

 世界を呪っていそうな冷徹な瞳。決して油断しない(したた)かさ。

 そして、私と声がそっくり。真似をしても区別できないくらい。

 ターニャが驚きの声を上げたのはこれが初めてではないだろうか。

 食事にも気を使っている。決して食べてはいけないものが何なのかちゃんと分かっている。

 頭はいい。ただ、肉体的な戦士としての強さは無さそうだ。

 頭脳労働向きとでもいうのか。私とは真逆の存在。

 きっとこいつだ。殺すべき対象は。

 実際問題として私自身はターニャを殺す理由は無い。デウス様の命令があるけれど(したた)かさに興味が湧いていた。命令を動機にすぐ殺すのも面白くない。

 

 面白くない事はやりたくない。

 

 たとえそれが大好きな人殺しでも。

 そして気がつけば見知らぬ母から生まれ出て四年目となっていた。

 私は未だに生きている。強姦(ごうかん)されそうになったことは数えるのも面倒くさいほどだ。もちろん全て撃退し、()()は何故か姿を消す。

 時には食べた料理に当たって死にそうになった事は割りとあったけれど。

 ターニャは持ち前の頭脳で難局を乗り越えてきたらしく、風邪以外の病気にかかった事は私の知る限りにおいて一度も無い。

 入れ替えの激しい子供達は修道院が存続する限り、これからも混沌とした生活を送っていく。

 弱い女は病気になりやすい。

 性行為のし過ぎで感染症を(わずら)い、失明したり、脳障害でのた打ち回ったり、自殺したりする。当然、男子も性機能障害になったり、多臓器不全とかになったりして死んでいく。

 その殆どが五歳児未満。

 それでも修道女(シスター)は悲しみの演技を続けている。

 身寄りの無い子供の死を悼む事が至上の喜びであるように。

 

          

 

 実際問題として食べ物がないのは事実だ。少しずつ寄付金も減っていく。

 畑で作物を育ててはいる。土地が痩せていて育ちにくい環境だから国自体が荒んでいるともいえる。

 改善しようにも戦争が障害となっていた。

 畑作業より志願兵となった方が収入がいいらしい。ターニャから聞いたけれど。

 賢い女の子だと思った。

 殺す相手の事を知るのは大事だ。だから友達から始めようかと思った。

 

「周り全てが仮想敵となっている。帝国はどれか一方を攻める戦略により身動きが取れない」

 

 拾ってきた新聞から様々な情報を得るターニャ。あと食料も独自に手に入れてくる。それを私は詮索しない。

 他人の獲物を奪うことは容易いのだが短絡的な手法は後々困るし、処世術は何かと世渡りに役立つ。得るものが多い以上は学ばせてもらう。

 私は後から文字を覚えたが肉体労働と頭脳労働は使う部分が違うのか感心させられる。

 この国はとにかく敵が多くて発展に資金を使う事が出来ない。

 あちこちで戦闘をしているから土地を(たがや)す人材が慢性的に不足しているという。

 理屈では理解出来るのだが戦争を終わらせる方法は無いのだろうか。と、思った時にデウス様の言葉を思い出す。

 

 争いの絶えない世界。

 

 だから、戦争は終わらない、という理屈かもしれない。

 ごめんなさい、デウス様。栄養が足りないと困るんですけど。その辺りはなんとかなりませんかね。筋肉が全然つかなくて疲れやすいんです。

 ターニャも黙っていたら栄養失調で死ぬんじゃないですか、と。

 身体が資本なので。まさかと思いますが人肉料理で栄養をつけろとか言わないですよね。死にますよ、私。

 此処(ここ)のところ、下痢が酷くて眩暈(めまい)も感じているんですから。

 私の祈りは虚しく空に掻き消える。見捨てられたのかもしれない。それはそれで仕方が無い。

 裏切られる事は()()()()事だから。

 騙される奴が悪い。

 一ヶ月が過ぎた辺りで伝染病が蔓延し、三分の一の子供が一気に死んだ。

 さすがに解体はされずに地面に埋めてしまった。

 彼らの養分で育った作物を調理して私は生きながらえている。

 土葬の風習なのか。それとも火葬にする費用が無いだけなのか。

 環境としては最悪だ。

 そしてこれはここだけの問題ではなく国全体に広がっていた。

 今日まで口減らしで食事に毒を盛られる事は無かったが、最悪の事態は想定しておく。

 食料が尽きたら逃げ出せばいい。だが、栄養の足りない状況下で、それは無駄な足掻きになるかもしれない。

 実際に逃げ出す子供は居る。

 その後、どうなったかは知らない。誰も追いかけようとはしないから。

 出るのは自由。残る事が地獄かもしれない。

 雨風を(しの)げる、という淡い希望が事態を悪化させている。

 それでも訓練だと思えば耐えられる。だからこそ私は生き残れている、気がする。

 五歳になる頃、読み書きを本格的に始めた。

 もっと早くからやればいいのにと思われるが修道院に余裕が無かっただけだ。毎日、飽きもせず聖書の音読。正直、内容は全く理解していないし、何を言っているのか分からなかった。

 とにかく神を(うやま)えって事だろうと安易に思っていた。

 神の教えより性行為が大事な子供が多かったけれど。

 過酷な環境の影響で性的欲求が刺激され易いのだろう。娯楽は無いし、明るい時間は様々な労働に明け暮れて資金稼ぎ。運が良ければ食料も手に入る。

 小さな子供とて生きる為に労働するし、児童労働は珍しくない。

 私が見ていた限りにおいて、この国の暮らしは()()だと思った。

 

          

 

 賢いターニャに世界情勢を教わる。

 既に年長者である我々は下の子供たちの面倒を見る役目を背負わされる。

 その過程で悪童(あくどう)どもが性行為を教えたりするのだろう。妙な事に興味を持つのは子供の悪い癖なのは何所でも一緒かもしれない。

 特に悪い知識は覚えたがるものだ。

 

「生き残る為には働くしかない」

 

 力説するターニャ。

 正しい教育は自分の身の安全を保証する確率を増やす。

 無駄な犠牲を出さない事が最善である。それは正しい。

 

「黙っていても食料は増えない。では、どうすべきなのか」

 

 犯罪に手を染める。小さな子供にできる事は(ほどこ)しを受ける。自分で勝ち取るか、の選択くらいしかない。

 作物を育てるには種と水だけでは足りない。

 畑には栄養が必要だ。そして、病害に負けない免疫力が必要不可欠だ。

 

「ここで朽ちるか、外に出て自分の力で生き延びるか。選択を迫られている」

 

 未来の無い子供に希望を説くのは不毛だ。だからターニャは現実を突きつけている。

 お前たちはどの道、ここで死ぬ運命(さだめ)だ、と。

 五歳児がどう頑張っても子供を妊娠して育てられる環境を作れはしない。

 仮に妊娠しても慢性的な栄養失調で障害のある子が生まれ出るか、出産の苦しみで衰弱死が関の山だ。

 人間という生き物は苛酷な環境であれば子孫を残そうとするらしい。

 動物が近親相姦(きんしんそうかん)だけで数を増やすように。

 

「読み書きが出来れば少なくとも店で働き口くらいは見つかる。それ以外は病死か餓死だ」

 

 厳しい言葉が続くが無秩序な環境を打開するには劇薬が必要だ。

 だからこそ理解出来る。

 余計な死体は食料を駄目にしやすいことを。

 だから、これは自分(ターニャ)の為の言葉なのだ。

 


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