狂女戦記   作:ホワイトブリム

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#031

 act 31 

 

 自分の待機場所に戻る途中でエステルは気分が悪くなってきた。

 痛覚遮断の術式の影響だろうかと思い、建物の近くに座り込んだ。

 この世界に生れ落ちて十年が経つ。

 精神的には四十代に入るかもしれないが肉体は正真正銘の子供だ。だからこそ何らかの齟齬(そご)が生まれているのかもしれない。

 子供が体験するには過酷な環境は成長の妨げなのではないのか。

 充分な食料が無いのも原因の一つと考えられる。

 魔導師には高カロリー食が義務付けられているらしいが、どう見ても貧相な食事だ。

 激戦地に配給する食糧は意外と枯渇気味ではないのか。

 上層部は贅沢しているのか、という疑問に対してデグレチャフは否定している。

 国全体の問題で必ずしも贅沢しているわけではなく、嗜好品はタバコと珈琲とワインくらいだという。

 

「……おぅ……」

 

 脳内麻薬の影響か、視界がグルグルと回りだして気持ち悪くなってきた。

 拷問による薬物投与は()()()()()であれば慣れたものだが、()()()()()は清いまま。耐性が無いのかもしれない。だからこそ影響され易い、ともいえる。

 だからといって処女を散らしたり、麻薬を服用するわけにはいかない。

 清い身体は大切にしなければ。けっこう被弾したけれど。

 若い身体は(とうと)いものだ。

 

「……胃液しか出ないな……。いい術式は無いものか……」

 

 都合のいい干渉式と呼ばれているのだから具合を良くするものがあってもいい筈だ。

 

 デウス様、お願いします。

 

 あまり都合よく頼ってはいけないけれど。

 無駄でも頼りたくなる。

 魔法で解決するのも身も蓋もないと思わないでもない。

 

「……また被弾しそうだな……」

 

 小さな弾だけれど当たれば痛い。

 砲弾は尚更だ。

 

「おっ? 軍帽が……」

 

 軽い嘔吐の時に落としたか。

 辺りを探すが見つからない。いや、そもそも被っていたのか。

 注意力の散漫。

 一日経てば回復する理屈が通らない。だからこそ疲労が蓄積している。

 それは今まで経験の無いもののように思われる。

 自分は以前の身体の感覚のまま過ごそうとしている。だからこそ本来はもっと弱い事を知らないのではないのか。

 無理して背伸びすれば身体を壊すのは必然。

 きっとそういう理屈だ。

 なまじ記憶を持っているからこその弊害か。

 

「あったあった」

 

 落ちていた軍帽を取ろうとするのだが取れない。

 手を伸ばしても届かない。

 

「?」

 

 近くにあるのに届かないとはどういう事だ。

 幻影術式か。そうだと仮定して魔力反応が無ければおかしい。

 

「……ああ、私は……」

 

 先ほど()()()()()しまった。だから、トランス状態とやらに陥ったのか。だが、朝方祈った時は何も起きなかった。

 午後になってから効果が現れたのか。

 現実と虚構が入り混じる風景が見える。

 どちらが正しいのか。

 夢を見ているような浮遊感。

 

「……これに慣れねばならないとは……」

 

 精神が少し抜け出てしまうような気持ち悪さは正しく演算宝珠によるものだ。

 デウス様、これはこれで厄介ですね。

 いくら万能の宝珠とて意識障害は勘弁してください。

 

          

 

 意識が落ち着いたのは十分後だが、その間のエステルの挙動は周りからは奇異に映った事だろう。

 軍帽の周りをクルクルと回りつつブツブツと何事かを呟いている姿だったらしいから。

 自分の意識はある程度残っているとはいえ、後で恥ずかしさを覚える。

 

「小隊長。早めにお休みになられてはいかがですか?」

「提出する書類が無ければ……。夜間に目覚めてしまうと困りますか」

「……いや、早めに休ませて貰おう。伍長諸君。この宝珠を扱う場合は笑いものも覚悟した方がいいぞ」

「あー、そうなんですかー」

 

 と、棒読みで返事を返すヴェルリース・ポウペン伍長

 それはバカにしたものではなく、先ほど外での情報を小耳に挟んだから信じられずに上手く答えられなかった為だ。そして、それは他の伍長も同様だった。

 演算宝珠を起動させてブツブツと何事かを(つぶや)く子供が居る、という事ですぐにエステルだと分かった。

 笑いものにしている人物がまさか自分達より階級が上だとは思っていない。それも『銀翼突撃章』保持者だとも。

 後々、胸に飾り付けられた勲章に気付いて顔を青くするのだが、エステルは一切周りの様子に気付かなかった。

 優れた性能を持つと聞いていたが副作用は半信半疑だった。

 今ならエレニウム九五式を貸すと言われれば拒否する自信が三人共にあった。

 

「そういえば、命令書を貰ったような気がするのだが……。クソ……、覚えていない……」

 

 部下に任せるわけには行かない。

 軍隊において重要書類は気軽に任せられるものではない。だからこそエステルは頭を振りつつ中尉の下に戻った。

 口頭命令だったので明日の出撃命令書というものは存在しない事を知り、二度手間であったが確認出来ただけで良しとする。だが、先ほどの痴態は中尉の耳にも入っていたようで、苦笑された。

 

「そのエレニウム九五式は難儀するもののようだ」

「お騒がせいたしました」

「うん。明日までじっくり休養するように」

 

 一礼した後は寄り道せずに帰り、淡々と夜食を速めに食べて眠りに付いた。

 精神的に疲れたせいか、あっさりと眠りに落ちた。

 


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