狂女戦記   作:ホワイトブリム

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#033

 act 33 

 

 攻撃前のほんの些細な日常はいとも簡単に壊される。

 周りに居た将校たちの笑い声が止み、世界の時間が突然に止められる。

 そして、そんな気配にいち早くデグレチャフは気付き、軍刀に手をかけて腰をかがめる。

 

「……存在X……」

「……ふむ。敬虔な信徒の祈りは今も続いているようで安心した」

 

 聞き逃せない声。

 それは決してエステルの声ではない男性的なものだった。そして、初めて聞く声でもあった。

 横に控えていたエステルがデグレチャフに振り向く。

 

「その代わり、貴様はあいも変わらず不信心な言動を続けているようだな」

 

 と、傲慢そうな態度で喋るエステル。しかし、その(つむ)がれる声は全く異質なものだ。

 

「今度は人体を乗っ取るようになったか。それとも……、それが目的でエステル少尉を転生させたのか」

 

 姿形はエステルであっても中身は別物。

 停止した空間で動ける者は自分を除けばエステルと止めた当人くらいしかいない。

 

「神の器としては脆弱だが……。伝言程度には使えるだろう。争いの絶えない世界を堪能しているかね?」

「大きなお世話だ」

 

 普段のエステルの声とは違うので不思議と安心した。

 共に生活した間柄を無下に扱いたくはないし、()()()()()()が戦友でもある。それは表向きだけでも間違いの無いものだ。

 

「我等の信徒に相応しい振る舞いが出来るまで、世界は貴様の敵として現れるだろう」

「何が相応しい振る舞いだ。私は理不尽な境遇には断固抗議する!

 

 安定した後方勤務で安全に、確実な出世コースを歩むのだから。

 既に転生前に戻りたいとは思っていない。戻ったところでやり直しは出来ないだろう事はなんとなく理解している。そこまでのご都合主義は望まない。

 この世界で上手く立ち回ってみせる気持ちはあるつもりだ。

 自由至上主義者(リバタリアン)であるデグレチャフにとって個人の自由は尊重されてしかるべきもの。効率化を追求し、自分にとっての無駄を排除していく。

 戦争は嫌いだ。痛いのも嫌いだ。人を殺すのも殺されるのも当然嫌いだ。だが、向かってくる敵を排除せねば自由を勝ち取れないのならば、やるしかない。

 

 だからこそ戦う。

 

 与えられた役職を十全に活用し、上に登っていく。

 出世は個人が得る対価として貰うのは当然だ。それ自体は否定しない。

 戦場で敵を殺し続ける狂戦士(バーサーカー)になりたいとは思っていない。

 降りかかる火の粉は払う。その為の最低限度の戦闘は許容している。

 

「神に抗議とは随分と身の程を(わきま)えない野蛮な言動だな」

「?」

 

 喋り方からして少し冷静である事に違和感を覚える。

 存在X当人ではなく、眷属だろうか。

 唯一神とは名乗っていたが一人しか世界を管理しているわけではあるまい。天使とか居る筈だ。

 デグレチャフはエステルの身体を操る()()()を注視する。

 いつもの存在Xならば、いや、本来ならば不干渉を決め込んでいる筈だ。用も無いのに世間話しなどして来ない。

 少なくともデグレチャフは()()()存在Xに会ったのは宝珠実験の時が最初だ。

 エステルは兵士に支給されている拳銃を取り出し、デグレチャフに向ける。

 本来、銃より刀剣を好むエステルは携帯義務により形だけは整えるように言われていたので、それを守っていた。

 護身用で戦争に使うほど役には立たない代物だ。そんなものでも体裁(ていさい)を気にする上官などに怒られないものであれば持っているだけでも損は無いと考えていた。

 デグレチャフは重火器の扱いが不得手な彼女と共に整備のやり方などを教えていた日々を思い出した。

 

「……何のつもりだ? エステル少尉を利用して私を亡き者にする事に決めたのか?」

 

 拳銃を突きつけられてもデグレチャフの姿勢は微動だにしない。

 傀儡(かいらい)として強硬手段を取るとは(まさ)存在Xらしからぬ行動だ。空の上では何がしかの混乱でも起きたのか。

 それはそれとしてデグレチャフにとっては関係が無いけれど、地上に余計な干渉は控えていてもらいたいものだと思う。

 

「主を讃えん不届き者には罰が必要だろう」

 

 頭に血が上った天使は人間の言葉が通じないらしい。元より下等な存在と言葉をまともに交わそうなどと微塵も思っていないのかもしれない。

 この強引さは神のお言葉とやらを伝えるためだけの仕事を至上の誉れと思っている天使の性格か。そうであれば交渉の余地など無い。

 天使はそもそも人間より賢くないのが通説だ。

 神の意のままに動く以外に己の存在価値を見出さない高次元の存在だからだ。

 

「神の裁きを受け入れろ」

 

 本来エステルに与えられていた仕事をバカで無能な天使が安易に実行に移そうとしている。それだけははっきりと分かった。

 ものの分別の無い存在というものは哀れでならない。

 少なくともエステルは理性的な人間だ。もちろん、自分だけがそう思っているのかもしれないけれど。

 

 ターニャ・デグレチャフは溜め息をついた。

 

 存在Xよりも短絡的で知性の欠片も無い存在と言葉を交わす労力に意味など一欠片(ひとかけら)も存在し得ない。そう思うとただただ疲れを感じる。

 エステルが引き金を引く。人の身であるから殺害行為に罪悪感を持たない。または神の威光を示す神聖な行為と思っているのか。

 短銃程度の弾丸は防殻などで防げるが、至近距離で黙って撃たれて納得など出来るはずがない。だからこそ実力行使に訴える。

 軍刀を振りぬく時、多少の罪悪感が脳裏を(かす)めていった。だが、デグレチャフは自己保身を優先する為に感情を置き去りにする。

 銃口を向けられたのだから正当防衛が成り立つ。まして相手は人ならざるものだ。

 

「……なんと野蛮な生き物か……」

「うるさいだまれ。そして、消えろ」

 

 銃を握る腕は空中で停止しているが、それ以外は後方に少し傾きかけている。

 時間の流れがおかしいせいで、デグレチャフの見ている風景は現実味のないものになっていた。

 エステルの腕は確かに切断した。血もおそらく吹き出そうとしている。しかし、それは止まった時間の中において、とてもゆっくりとした動きで表されている。完全に停止しているわけではないけれど、周りの者達からはどういう風に見えているのか気になるところだ。

 ハイスピードカメラで一コマずつじっくりと観賞しているかのような遅さ。

 離れた腕が落ちるのに一時間以上はかかるかもしれない。それくらい動きが無い。

 トドメとして心臓を突くべきか脳裏に浮かんだが周りには多くの将校がいる。その中での殺害には相当な理由が必要だ。

 ほんの一瞬で同僚を殺害するだけの理由を上司に述べられるとは思えない。

 

「余計な手間をかけさせる」

 

 存在Xの信徒ではあるけれどエステル個人は純然たる戦士であり、割りと自由を愛する人間だ。

 そんな人間の身体を勝手な理由で利用する存在には虫唾(むしず)が走る。

 

「……主を讃えん貴様に安穏な日常など来やしない。それを忘れるな」

 

 謎の声はその後で聞こえなくなった。

 それから少し経って周りの雰囲気が変わる。いや、戻ったと言うべきか。

 


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