『……第三
――鳴田氏の言葉が頭の中で谺の様に響く。
『キミにとっては馴染み深い名前なんじゃあないのかい、西緒君?』
――僕の灰色に近い高校生活に、数少ない彩りがあった事を思い出す。
――そして、其の彩りの一つを失った事を。
――いや、失った等と、被害者面をするのは
――僕は、
――
「西緒?」
蒲池さんの言葉に我に返ると同時に、足を踏み外すのにも似た感覚に襲われ、
「……大丈夫か?」
「ええ、お恥ずかしいところをお見せしました」
彼女の心配する様な視線に動揺したのか、羞恥を誤魔化す為か、
「西緒はさあ、俺のこと苦手か?」
不満そうな表情の中に少々の愁いを滲ませながら蒲池さんが訊ねてくる。自分の言動で、女性にそんな表情をさせるのは望む所では無いので、僕は慌てて否定する。
「そんなことないですよ! むしろ僕は蒲池さんが大好きですよ!」
偽りの無い本心である。実際、蒲池さんは美人で親しみやすく、おっ○いも大きい! 好感を持つなと言う方が難しいと言う物だ。こんな人が姉だったら、
「で……でも、俺にだけ敬語だし……」
「それは、歳上で職場の先輩ですからね。敬意をもって話さないとと思ったからで、蒲池さんが嫌なら敬語はやめますよ」
僕の其の言葉に、
「それが、いいかな。なんか……一人だけ、仲間外れみたいだからさ……」
「分かりました。いや、分かったよ。これで良いか?」
「ああ、それがいい! 改めて、よろしくな!」
「ああ、よろしく。そうだ、どうせなら呼び方も変えるか? 蒲池……いや、和馬さんとか」
そう言ってはみたが、蒲池さんが真っ赤になりながら手を振って却下した。
「か、和馬さん……!? い、いや、それは今まで通りでいいや……いや、今まで通りがいいよ……」
「そうか?」
僕としては親しみ易くて良いと思ったのだが、本人が拒否してしまったら無理を通す事は出来ない。まあ、確かに、呼び名を急に変えられるのは恥ずかしい物だろうしな。今さら、亘に名前呼びされたり、猪上に名字呼びをされたら強烈な違和感に襲われるだろう。ただ、やっぱり「アラタ」は少し恥ずかしいので変えて戴きたい。兎も有れ、こうして僕と蒲池さんの友情が深まったのだった。
「……で、私はいつまでこの三文芝居を見てればいいの?」
聞き覚えのある声に振り向けば、少し不機嫌そうな表情の鷹橋が立っていた。何時もは腰に提げている大太刀を、鞘に収めた儘で肩に担ぎ、片手でポンポンと苛立たし気に肩を叩いている。
「安心しろよ鷹橋。僕はお前の事も大好きだぜ!」
「何でそういう話になるのよ!!」
「愛してるぜ、鷹橋!!」
「あ、愛――っ!? ひ、人の話を聞きなさいよ、馬鹿西緒!!」
友愛を示した僕を鷹橋が照れ隠しで罵倒し、蒲池さんが苦笑し乍ら其れを見ている。此処に呆れた様な表情をする山田嬢と、興味無さそうにし乍らも此方を気にする桜場がいれば完璧だ。未だ出会って数日ではあるが、既にお決まりとなった流れに心地好さを感じている僕がいた。そして、其の心地好さに罪悪感を覚える僕と、
「あの陰険に何か言われた?」
帰り道、鷹橋にそう訊ねられた。「あの陰険」とは、恐らく等と言う副詞を用いずとも鳴田良悟氏の事だろう。しかし、其の呼称はどうなんだ……と言おうとしたが、僕も彼に対して敬語を使っていなかった事を思い出す。程度は有れど、其れは五十歩百歩と言う物で、敬意を失している事には違いない。となれば、僕が何か言えた義理では無いので、敢えては触れない事にする。
「いや……別に……」
つい歯切れの悪い返し方になってしまった僕に、鷹橋が溜息を洩らした。
「何を言われたかは知らないけど、あんまり気にしちゃダメよ。アイツ、女の子の携帯を踏みつけるのが趣味の最低変態野郎なんだから」
「本当に最低だな!?」
女の子の携帯を踏みつけるのが趣味って、どんな性癖だよ! しかし、何が恐ろしいって、其れを伝えられた所で『あの男なら遣りかねない』と納得してしまうのが恐ろしいのだ。鷹橋が会いたがらなかったのも納得である。
「最近はそうでもないって聞いたぞ」
意外、と言う程でもないが
「そうなのか?」
「うん。この間、携帯を踏みつけられるなら男でも女でもいいやって呟いてた」
「最低だ!! 『女の子の』の部分が抜けただけじゃあないか!!」
「いや、だってそう呟いてたし。タイムラインで」
「タイムラインで!?」
彼奴の事だから、何処まで本気かは分からないけどねと苦笑しながら言う蒲池さんに、不思議な寛容性を見出だしながら、鳴田良悟と言う男の謎が深まるのを感じるのだった。と言うか、SNSとかやってるんだな、あの人……何だろう、何か意外だ。
「あんたなら大丈夫なんじゃない? 携帯踏まれても」
情報屋の意外に広い守備範囲に頭を抱えていると、唐突に鷹橋がそんな事を言い出す。
「何だよ、連絡する相手がいなさそうって事か?」
「いや、何か携帯電話を大量に持ってそうだから」
「僕はそんな負完全な存在じゃねえよ」
僕みたいな正直者を嘘憑き呼ばわりは止めて貰おうか。交差点で百円拾ったら、直ぐに交番に届けるあの人では無いが、近所でも正直者と評判の維新君なんだぜ? 本当だぞ?
言わなくても分かるとは思うが、僕の携帯電話は一つしかない。因みにスマートフォンが主流の昨今にしては珍しく、昔乍らの折り畳み式――所謂ガラケーである。別に拘りがあって此奴を使っている訳ではないのだが、スマホの様に色々と機能が付いていた所で、僕には扱い切れないだろうと言う判断だ。此れは僕だけでは無く他の人間にも言えるのでは無いのだろうか? 此れは僕の憶測に過ぎないが、スマホの機能が百あった所で、殆どの人間は五十も使えていないだろう。僕としては、携帯電話等と言う物は、通話と
さて、何だか久々に言う気がするな、閑話休題だ。
既に真っ暗になってしまった街を三人並んで歩く。きっと、此処はもう僕の居場所なのだろう。道中の下らない雑談も、一仕事終えた疲労感も、全てが妙に心地好かった。再び覚えた
探偵社に帰ると、持ち寄った情報を報告する。どうやら鷹橋は僕と蒲池さんが鳴田氏と話をしている間、一人で聴き込みを続けていたらしい。何とも仕事熱心な事だ。僕と蒲池さんも鳴田氏から得た情報を伝える。余計な情報かも知れないが、第三穂綿学園が僕の母校である事も含めてだ。僕の様な凡庸な人間にとっては余分な情報でも、桜場の様な優秀な人間にしてみれば、何かしらの有益な情報の可能性があるからだ。
「第三穂綿学園って……この辺じゃ結構な進学校よね? あんた頭よかったんだ」
鷹橋の其の言葉に、思わず苦笑してしまう。『
「ふ~ん……まあ、あんたが勉強出来るかどうかなんて、どうでもいいけど」
「じゃあ聞くなよ……」
ツンした態度に呆れ乍ら、僕は報告を続けた。その後、
そうして僕の探偵社員二日目が終わった訳だが、既に時刻は二十時過ぎ。妹には外食で済ませると電話で伝えて帰路に着く事にする。
探偵社から僕の家に帰るには、繁華街を抜けるのが一番近い。なので、夕食は其処で適当に見繕って摂る事にした。もう少し早い時間なら『風見鶏』に寄っても良かったのだが、あの店の営業時間は九時から二十時迄なので社を出た時点で既に間に合っていない。それに、『風見鶏』は軽食が
不意に背中に軽い衝撃と、何か柔らかい物が押し当てられる感触がした。何事かと思い振り向くと、淡い色合いの髪と
「紡!!」
急に声が聞こえたので其方を向くと、其処にいたのは橋元紡ちゃんの『ママ』こと武宮ゆゆこ嬢だった。と言う事は、僕の背中におばりよんの如く貼り付いているのは橋元ちゃん其の人と言う事か。因みにおばりよんを家迄背負って帰れば黄金に変わるらしいが、此の娘を家迄持ち帰ってしまえば、貰えるのは黄金では無く、輪っかと鎖の組合わさった警察官御用達の
武宮の声に反応した橋元ちゃんは、僕から離れると、武宮の方へ駆けていく。無くなってしまった背中の感触に名残惜しさを感じつつも、僕も彼女の後に続き、武宮の許へ向かう。
「おにいちゃん、こんばんは!」
「こんばんは、橋元ちゃん。随分、元気が良いね。何か良いことでもあったのかい?」
「うん! ママとごはん食べにいくの!」
仲良く手を繋ぎながら、橋元ちゃんが元気に返答する。其れを見ている武宮は、少し困った様な表情をしていたが、愛娘の可愛さに何も言えない様だ。其の証拠に、困った様な表情を作ってはいるが、口角が少しばかり上がっている。
「西緒維新。貴方は何故こんなところに?」
努めて冷静に声を出しているが、嬉々とした雰囲気が隠しきれていない。だが、態々指摘してやる程に僕も性格は悪くは無いので、気付かない振りをして普通に返事をする。
「僕も夕飯にな。ただ、君らと違って一人寂しくだけど」
其れを聞いた橋元ちゃんが、何故か少し悲しそうな表情になる。何事かと思い彼女に向き直ると、予想外の一言が飛び出してきた。
「おにいちゃん、さみしいの?」
「あ、いや、今のは物の喩えで……」
「でも、一人はさみしいよ? つむぐも、おうちに一人のときはさみしいもん」
橋元ちゃんの其の言葉に、武宮の表情が暗くなる。彼女としては四六時中橋元ちゃんの傍にいたいのだろうが、実際はそうもいかない。彼女は学生だ。そうである以上は学校に通わなくてはならない。抑々、今は学生だから、それなりに一緒にいる時間を取れるが、将来的に就職すれば、更に其の時間は減るだろう。其れは彼女も望む所では無いのだろうが、其れを拒否してしまえば抑々の前提が破綻してしまう。結局は、彼女達の暮らしの先は長くは無いのだろう。其れでも今を懸命に、手を取り合って生きている此の二人を僕はとても尊く思えた。……いや、
「じゃあ、僕も一緒に食べてもいいかな? 一人は寂しいからな」
僕の言葉を聞いた橋元ちゃんが武宮の顔色を窺う様にして見上げる。其れを見た武宮が、仕方無いと言った様に頷くと、橋元ちゃんが笑顔になる。
「おにいちゃんもいっしょだ!」
「ああ、一緒だぜ」
橋元ちゃんと一緒に御飯が食べられるとは僥倖だ。それに、僕の方も武宮に訊きたい事があるしな。僕は、橋元ちゃんの隣に行くと、其の手を握る。そして、橋元ちゃんが武宮の手を握る。僕達三人は其の儘歩き出した。目下食事を摂れる場所を探してだ。夜の街の明かりに照らされて、僕達三人の影が伸びる。まるで家族の様な其の影からは、寂しさは感じられなかった。