突然ではあるが、『異能力』の話をしよう。
異能力。読んで字の如く、異なる能力。普通の人間とは違い不思議で不気味で不可解な異なる力。
虎に化けたり、手帳の
緒維新と言うのが僕の名前だ。東西南北の西に
此れから僕が語るのは、異質で異常で異様な、奇妙で奇怪で奇特な『物語』である。
春麗らかな昼下がり、僕こと西緒維新は、快晴の空に誇るように耀く太陽を拝んでいた。透き通るような蒼穹の中、誰よりも眩しい彼女は――日本神話的には彼女で良い筈だ――今の僕には些か眩しすぎた。
此の春。大学生になって三回目の春は、僕にとって忘れられない春になるだろう。何故ならば、大学生になって三回目の春であると同時に、二回目の大学二年生の春なのだから。
「はぁぁぁぁぁ…………」
長く、重苦しい溜め息が何処からか聞こえてくる。考えるまでもない、僕の口からだ。
昨年十二月某日。師走時。師も走る程忙しい月に、其の師たる学部長に呼び出され留年を告げられた。師曰く、今から全ての講義に出席して、全て最高評価を得ない限りは留年は免れないとの事。そんな、真面目にやっている人間でも中々に難しい事が、劣等生たる僕に出来る筈もなく、当然ながら必然的に自然の摂理のように落第した。
そんな苦い記憶を思い返しながら、再び、今度は小さく弱々しく溜め息を吐くと、春がつられたように穏やかな息を吐き、薄紅色の花弁が小さく舞った。
ふと、何と無しに正面を見ると、見知った顔が誰かを探す様に周囲を見渡していた。周囲を見渡すというより、周囲を窺う様に見えるのは、彼の人間性に因る物だろうか。
艶のある黒髪を癖毛なのか、
さらに、其の猫背気味の姿勢と若干挙動不審な様子により、完全に不審者となっていた。
其の不審者たる彼は、其の腐った眼に僕を写すと、顰めっ面を崩すこと無く近付いてきた。
「やあ、亘。こんな所で奇遇だな」
近付いてくる彼にそう声を掛ける。彼の名前は亘航。一つ下のゼミの後輩で、友人。そして、此の春からの同級生である。
「おう、奇遇でもないけどな」
当たり前である。学科が同じでゼミも同じなら
僕がそんな意味の無い事を考えている間も、彼はキョロキョロと落ち着きなく周囲を窺っていた。其の姿はやはり不審者と相違ない。一言、注意してやろうと口を開いた其の瞬間、狙い済ましたかの様に亘が声を掛けてきた。
「ところで東緒」
「往年の名投手を挙げてくるんじゃない、僕の名前は西緒だ」
「悪い、間違えた」
「違う。
「ああ、態とだ」
「態となのかよ……」
此処までが何時ものやり取り、つまりは予定調和だ。
亘に白い目を向けながら無言で続きを促すと、亘は軽く頷いた。
「猪上を見てないか?」
「猪上って、猪上堅二か?」
質問に質問で返すと
猪上堅二。其奴は僕と亘の共通の友人の名だ。成績も出席率も悪く、留年を繰り返す彼は、僕や亘よりも歳上である。間が抜けているというか、常識が無いというか、所謂馬鹿という表現がしっくりくる奴なのだが、其の歳上とは思えない童顔と屈託の無い笑顔が何処か憎めない、つまりは『愛すべき馬鹿』なのである。
「ああ、その猪上堅二だよ」
亘は、最早
「あの野郎、いい加減に金を返せって電話しようと思ったら、携帯止まってやがんだよ……」
うん、何と言うか、此れも
猪上はゲームをこよなく愛するゲームオタクだ。其の愛は非常に深く、生活費の大半をゲームに注ぎ込んでいる程である。両親からの仕送りも、自身が運営するゲーム攻略サイト『ぐらんぶる』の広告収入も家賃と電気代と水道代以外の殆どがゲームに消えている。
其れでも他人から金を借りる事を殆どしない彼だが、三ヶ月程前に偶々持ち合わせが無い時――いつも、無いと言えば無いのだが――に、中古屋でずっと探してたゲームを見つけてしまい、近くにいた亘に金を借りたのだという。そんな事を本人の口から聞いたのが、つい先月の事になる。
「まだ返してなかったのか」
「ああ、早く返せよな、俺の英世」
千円かよ……。千円くらいで躍起になっているあたり、亘も金が無いんだな。斯く言う僕も、大差無い訳なのだが。まあ、僕達に限らず学生という者は往々にして資金力不足に悩まされる物である。猪上の場合は特殊過ぎるような気もするが、趣味にお金を注ぎ込むと言うのも、学生らしいと言えば学生らしいだろう。
苦笑する僕と不機嫌そうに溜め息を吐く亘の間を一陣、薄紅色を伴って、少し強めの風が吹いた。薄紅の行方を追い掛ける様に二人して視線を滑らせると、視線の先に見知った顔を見付ける。まあ、見知ったも何も無い。件の人物、猪上堅二が飄々とした態度で、何食わぬ顔――彼奴の事だから本当に何も食べて無いのだろう――で歩いていたのだ。
「見つけた……!」
言うが早いか駆け出す亘。あっと言う間に猪上に追い付き、声を掛けている。
亘は足が速い。腐りやすいと言う訳では無い。いや、ある意味ではもう腐っているのだが、そうでは無く、物理的に速い。と言うか、ああ見えて運動全般が得意なのだ。頭の回転も速いし、前述の通り顔立ちもそれなりに整っている。
ちゃんとすればモテるだろうに、本人は今の
相も変わらず無駄な思考を繰り広げ乍ら、僕も亘と猪上の元へ向かう。
亘の苦言を困った様な表情で聞いていた猪上が、僕の姿を捕らえて大きく手を振った。
「維新もいたんだね、留年おめでとう!」
「そんな嬉しくないおめでとうを聞いたのは生まれて初めてだよ!」
此れを嫌みで言っているのか、将亦素で言っているのか分からない所が、此の男の恐ろしい所である。
「学部長から聞いたけど、今回留年した人は学校全体でも僕とキミだけなんだって! 仲間だね!」
「やめろ! お前とだけは一緒にされたくない!」
僕は此奴とは違う! 僕は優、良に届かずとも、最低でも可には届いている。留年の理由も何方かと言えば出席率が原因だ。しかし、猪上堅二という男は違う。課題、試験の大半で不可を頂戴し、出席率は五割を切る。僕なんかでは比べようも無い劣等生なのだ。
「……お前、結局留年したのかよ」
気付けば、亘が白い目を向けていた。
「そ、それで、結局金は返ってきたのか?」
少し態とらしい話題の変更に、亘が苦笑しつつ首を振る。言わずとも分かるだろうが縦にでは無い、横にだ。其の後ろでは猪上が、気不味そうに視線を逸らしていた。恐らく、いや、ほぼ確定的ではあるが、今月も生活費の殆どを使い込んでしまったのだろう。
そんな、二人につられるように苦笑すると、不意に、春とは思えない冷たい風が微かに吹いた。僕の背後から前方へ、抜ける様に吹いた風は冷たくはあるが、北風の様に乾いてはおらず、ヌメリとした嫌な湿り気を帯びた風であった。其の風に嫌な予感がしつつも、背後を振り返る。気持ちとしては、
恐る恐ると言う程には慎重ではなく、かと言って悠然と言う程に余裕を持たず、至極普通に振り向くと、其処には全身黒尽くめの長身の男が立っていた。こう言った言い方をしてしまうと、構内に不審人物でも入り込んだのでは無いかと思われるが、そうでは無い。別に頭脳は大人な某小学生探偵の因縁の相手が立っていた訳ではない。
視界の端で身体は大人で頭脳が子供な男が微妙な表情をするのを捉えながら、僕は件の長身黒尽くめの男性に向き直る。因みに断っておくが、けして、けっして僕の身長が低い訳では無く、件の男性の身長が高いのだ。僕の身長は日本人男性の平均身長とほぼ変わらない。僕は西緒維新であって、自分の身長に悩むマハラギだかアギラオだかそんな名前の男子高校生では無いのだ。だから、もう一度言わせて貰うが、僕の身長はけして低くない。其れだけ分かって貰えれば結構だ。
「おはようございます、香田教授」
「――おはよう」
何やら一瞬だけ間があって、しかし薄い微笑みを崩す事無く件の人物――香田学人教授が挨拶を返してきた。
香田学人教授。此の人物に関して僕が知っている事はそう多くない。名前と外見、そして、僕達三人の選択している香田ゼミの講師であると言う事だけだ。此れは僕だけでは無く、此の大学に在籍するは殆どの人間が同じ様な認識しか持っていないだろう。
容姿に関しては、二文字で表せば端麗、三文字で表せば美丈夫、四文字で表せば眉目秀麗。透ける様な白い肌と、整い過ぎるほど整った顔立ちをしている。経歴は不明。海外の超難関大学を首席合格首席卒業しただとか、中卒で働きながら独学で大検に受かっただとか諸説あり、出生も東西洋邦はっきりせず、出自の貧富貴賤も分からない、更に言うならば実年齢すら不明である。
謎多き美青年など、
誤解が無い様に先に言っておくが、別に彼が悪人だと言っている訳では無い。悪い噂は聞かない。人物としては物静かで穏やかな、良心的な人物だと認識している。しかし、不気味で不吉で不可解なのだ。
確かに美形ではあるのだが、整った顔立ちは作り物の様で、薄く浮かべた微笑みは其の笑顔が本来持つ、暖かみや慈愛を感じられず、
奇妙と言えば其の服装も奇妙である。大時代な銀縁の丸眼鏡を掛け、深い夜色の
其の不可解な不安を、不明瞭な不吉を、不思議な不気味さを孕んだ其の人を、畏敬の念を払い、我々学徒一同は『魔人』と呼称している。
「三人共、課題は順調かね」
『魔人』――香田教授が、深淵から覗かせるような声でそう言った。しかし、はて、課題?
「課題なんて出てたか?」
思わず、という程には無意識的ではないが、口を突いて出てきた言葉に亘と猪上が揃って首を傾げる。まるで思い出せない。
首を捻って思い出そうとする僕達三人を、香田教授は穏やかな、しかし其れでいて寒々しい微笑みを浮かべたまま、黙って見ていた。そんな教授の整った白貌を眺めている内に段々と思い出してきた。
「……都市伝説蒐集」
「――そうだ」
不意に、今度こそ無意識的に出てきた其の言葉を教授が掬い上げる。再び失ってしまう事の無い様に救い上げる。
教授の呟く様に短い、囁く様に小さい、しかし良く響く一言が僕達の脳髄の隅々迄染み渡る。
「あー、そういや、春休み中にゼミの連絡網で回ってたわ」
「そうだったね、すっかり忘れてたよ」
「もし昨日とかに伝えられてても、お前は忘れてそうだがな」
亘の嫌味を否定したいが否定しきれずに憤慨する猪上を横目に、僕は違和感を抱いていた。不真面目な猪上や僕――僕や猪上では無く猪上や僕だ。順番は大事である――なら兎も角も、比較的真面目である亘まで忘れていたのは不思議だ。少し怠惰な所はあるが、課題などのやらなくてはならない事は
そんな事を考え乍ら、思い出させてくれた礼を言おうと教授に向き直るが、既に其処に彼の姿はなく、春の構内特有の喧騒が広がっているばかりだった。相変わらず謎の多い人である。