この辺りで物語はようやく折り返し地点。牛歩でしか進まないこの話も少しは進んで参りました。楽しんで頂けたら幸いです。
翌日、世間一般では休日である筈の日曜日である。当然乍ら大学も休みなので、普段なら昼過ぎ迄惰眠を貪るところなのだが、今の僕は学生でありながら勤め人でもあるのだ。何処もそうなのかは分からないが、一般的な休日は探偵にとっては休日では無いらしく、今日も今日とて元気に出勤の予定が入っている。妹が用意してくれた少し遅めの朝食を摂り、意気軒昂と迄は言わないが、意気阻喪と迄も行かず、意気自若な心持ちで我が家を後にした。しかし、意気軒昂に意気揚々、似た様な言葉で同じ様な意味を持つが、浅学菲才な僕には使い分けが分からない。因みに同じ様な意味を持つ言葉なら、僕は意気衝天を推して行きたい。なんだか勢いがあるだろう?
淡々と歩みを進める事数十分、此処数日ですっかり見慣れてしまった白堊の館の姿が見えてくる。相変わらずの高雅さを湛えた西洋建築は、陽の光を浴び、其の輝きを増していた。眩さに思わず目を細め乍ら門戸を潜り、見慣れた扉を開いた僕の目に映ったのは、玄関
腕を組み、凄まじい剣幕で蒲池さんを睨め付ける鷹橋はまるで運慶、快慶らが造立した物が有名である仁王像の如くだ。因みに此の仁王像、正式名称は金剛力士像と言い、由来は「ヴァジュラダラ」ーー「金剛杵を持つ者」と言う意味の
「……何をしているんだ?」
僕が声をかけると蒲池さんは顔を上げて振り向き、鷹橋はほんの少しだけ表情を緩めて見せた。無論、緩めたとは言え、依然として険しい表情である事には変わり無く、結果として僕が睨まれている様な形になってしまった。
「いやあ、大した事じゃあないんだけどね……」
「大した事あるわよ! 何で名前が書いてあるのに食べちゃうのよ!!」
困った様に笑う蒲池さんの台詞を遮る様にして声を上げた鷹橋の手には、
「き、気付かなかったんだよ……蓋ならともかく、容器の方に書いてあるなんて……」
「うるさい! うるさい! うるさい! 楽しみにしてたのに! 今日、仕事が終わったら食べようと思ってたのに!」
涙目に成り乍ら地団駄を踏み、蒲池さんを責め立てる鷹橋は、
「良いじゃないか、たかがプリンくらい。それくらい僕が後で買ってきてやるよ」
「
急に背筋に寒気を覚えて鷹橋を見れば、柳眉を逆立てて鋭い眼光を飛ばして来ていた。どうやら、僕の一言が鷹橋の逆鱗に触れたらしい。後悔しても、時既に遅しと言った具合で、鷹橋が憤怒の形相の儘で僕との距離を詰めてくる。
「あんたねえ……! アレがいくらすると思ってんのよ! 七百円よ!? 七百円!! それを楽しみに取っておいたのに、食べられた私の気持ちが分かる!?」
「七百円!? 僕の昼食代とそう変わらないぞ!?」
「あんたのお昼代がいくらかなんてどうでもいいわよ。駅前の洋菓子店で限定販売されてるゴージャス・セレブ・プリンはなかなか手に入らないんだからね!」
「ゴージャスでセレブとは恐れ入るな……しかしだ、確かに
何せ、
気に成って仕方が無い気持ちを抑え乍ら鷹橋の目を見ると、興奮の剰りか目尻には再び微かに泪が浮かんでいた。食べ物の怨みは恐ろしいとは昔から良く言うが、時代が変われど其の真実は揺らがない様である。
ーー処変わって会議室。蒲池さんに急いで買って来てもらった安物の風鈴菓子を与え、宥め
さて、会議室に集まったは良いが、特に話し合う必要が有る訳ではない。何せ遣る事は決まっているのだ。
ーー第三穂綿学園。僕の母校でもあり、“情報屋”鳴田良悟から手に入れた事件の
「しかし、どうやって異能力者かそうでないかを判別するんだ?」
僕の疑問に応えたのは、心做しか自慢気な表情の蒲池さんである。
「俺の異能力『
「へえ、随分と便利な能力だな」
「まあ、使えるって言ってもオリジナルに比べたら効果とか範囲とかが劣る劣化コピーなんだけどな……。とにかく、その中の一つに異能力者の能力を見抜くって奴があるんだ」
そう言って蒲池さんは虚空から一冊の本を取り出して見せた。
「ーー『ダーク・バイオレッツ』」
其の言葉と同時に、蒲池さんの右の
「社長の知り合いで、古書店の店長をしている人の異能なん、だけ……ど……」
何故か蒲池さんの目が見開かれ、言葉が途切れる。暫し黙っていた彼女だったが、ふと合点がいった様な表情に変わり、口を開いた。
「……鳴田が言ってた能力って、『異能力』の事だったのか」
呟く様に言った其の言葉は、静かな会議室には良く響いた。そして、其れに逸早く反応したのは鷹橋だった。
「あ、あんた、異能力者だったの?」
恐る恐ると言った様子で尋ねてきた鷹橋に対して、僕は首を傾げて見せる。世界や物語が傾く程は傾げず、僕の内面から溢れ出る可愛らしさを存分に発揮する、ちょこんと言うかこてんと言うかそんな感じの傾げ方だ。
「あれ、言ってなかったか?」
「聞いてないわよ!」
「あ、ああ、すまない、てっきり言ったもんだと勘違いしてたよ」
僅かに言い淀む僕に対して、鷹橋は問い詰める様に距離を詰めてくる。そして、女子特有の甘い良い香りを楽しむ余裕も与えてくれずに彼女は、当然で想像に難くない質問を繰り出してきた。
「一体、どんな『異能』なのよ?」
「あーっ、もう! 焦れったいわね! 和馬、アンタの能力でパパッと見ちゃいなさいよ!」
黙り込んだ僕に痺れを切らしたのか、鷹橋が蒲池さんに向き直り、怒鳴り付ける様な勢いで指示する。然し、言われた蒲池さんは渋い顔で僕を見たまま黙っている。そんな蒲池さんを見て鷹橋が更に
「何よ和馬! 良い子ちゃんぶる気!? こうなったら力ずくで……」
「ーー其処までにしたまえ」
熱を冷ます寒冷色の一言が其の場を支配した。其の一言だけを発して、再び瞑目した桜場を全員が見詰める。蒲池さんの眸は元の色に戻り、鷹橋は腰の刀に掛けた手を静かに下ろす。……いや、ちょっと待てよ鷹橋。お前、其の刀で僕に何をする
「桜場は……気にならないのか?」
黙っていたのは自分の癖に思わず尋ねてしまった。語るのを良しとしないのであれば、此の言葉は呑み込む可きであった筈なのだが、無意識中の無意識に口から零れ出てしまった。そんな僕の
「ならないと断じてしまえば嘘になってしまうのだが……そんなものは語るべき時がくれば、自然と語られるものだよ。
珍しく、少し早口に語る桜場に気圧されて、僕達は再び沈黙させられてしまった。其の沈黙の中、僕の頭に過ったのは、今の言葉は桜場にも当て嵌まる物では無いのだろうかと言う事だ。ーー『異能力』は不幸の代名詞ーーそう思わせる何かが桜場の身にも起きたのだろうか? 其の言葉の意味を各々が噛み締める中、お茶を運んできた山田さんが不思議そうな表情で僕達を見てきた。それに全員が気付いた時、重くなっていた空気が弛緩するのを感じるのだった。
其れから暫くは作戦内容の確認を行った。とは言え、大した事を話し合った訳ではない。僕の昔の伝手を使って、具体的には当時の恩師に会いに行く形で入校させて貰うだけである。すんなりと話が進むとは思えないが、今は此れしか方法が無い事も確かなのだから、僕の狭小で希薄な人間関係に頼るしか無いのだ。情け無さを呑み込む様に運ばれて来た紅茶を口にすると、柑橘の香りが口一杯に広がり、少しだけ心を落ち着かせてくれるのだった。そうだ、落ち着き序でに聞いておく可き事を、訊いておく事にしよう。
「動き出すのは、明日からで良いんだよな?」
僕の一言に、其の場にいた全員が僕に対して怪訝な表情を向ける。何か可笑しな事を言っただろうか? 首を傾げる僕に対して、蒲池さんが口を開いた。
「善は急げと言うし、今からでも良くないか? まだ昼なんだし」
「いや、行っても良いけど、今日は日曜だから部活をやってる人間とその顧問くらいしかいないと思うんだが……」
僕の言葉に皆一様にして驚愕の表情を浮かべていた。鷹橋や蒲池さんだけでは無く、
明くる月曜日、僕達は大丸山を登っていた。大丸山は標高百五十
扨々、何時も通り閑話休題するとしよう。僕達は山を登っているとは言ったが、別にえっちらおっちらと登山に勤しんでいる訳では無い。昔は登校の度に此の坂道をひぃひぃ言いながら自転車で登っていたが、今は僕も大人になったと言う訳で自動車と言う文明の利器に頼らせて戴いている。因みに運転しているのは僕で、同乗者は蒲池さんと鷹橋のみだ。山田さんは事務員だし、桜場は外に出たくないとの事でお留守番をしている。其れで良いのか探偵社の社長さん……。
此処で、何故僕が運転しているのかと言う疑問を持った人もいるだろうから答えておくと、理由は実に直截簡明で、探偵社の面子で免許証を持っているのが僕と蒲池さんだけだからだ。そして、蒲池さんに運転させるのは危険だと言う満場一致の意見により、僕が運転する事に相成ったのだ。抑々、此の車自体が僕の所有物なので僕が運転するのは当たり前と言えば当たり前であるのだが。そんな僕の愛車は、フォル○スワーゲンのニュー○ートルだ。嘗て製造されていたタ○プ1の面影を受け継ぎつつ、伝統的な「円弧」の
普段、大学へは自転車か徒歩で通っている僕は、久々の運転に少々緊張しつつ、安全運転を心掛け乍らも軽快な
「分かってない! 分かってないぞ、鷹橋! この流線型のボディの美しさが!」
「いやいや、見た目じゃなくて実用性の話よ。視界は悪いし、狭いし、乗り心地は悪いしで最悪よ」
「うっ……! そ、それを補って余りある魅力と浪漫があるんだよ!」
「浪漫でお腹は膨れないわよ。というか、そういうことは自分のお金で買ってから言いなさい。親に買って貰った車の自慢なんて恥ずかしいわよ」
「ぐっ……し、仕方ないだろ。貧乏学生にそんな余裕はないんだよ……!」
…………………………ほら…………なんというか…………和気藹々としてるだろう? 別に口論なんかはしてないさ、僕と鷹橋は仲良しだからな。後部座席で蒲池さんが呆れた様に苦笑を浮かべているのだって気のせいだ。
「な、なあ、そろそろ着くんじゃないか?」
後部座席で僕と鷹橋の遣り取りを聴いていた蒲池さんが声を掛けてくる。蒲池さんの言う通り、既に穂綿学園の直ぐ近く迄来ており、其の陰も見えて来ている。白壁の現代建築は巷でも
今、正面に見えているのは総合棟と呼ばれる建物で、事務室や職員室、食堂等々の共有施設が入っている棟だ。中等部と高等部の生徒全員が利用する棟であり、教師陣も基本的に此処に詰めているので日頃から多くの人間で溢れている。此れから僕達は其処に向かい、入校の許可を得なければならない。とは言え、既に電話での
駐車場に車を停め、三人連れ立って事務室に向かい、必要書類に記入してから入校許可証を受け取る。そして、其の後は校長室で校長に挨拶をした後に、臨時の全校集会で注意喚起を促した。講堂の壇上に登るのは卒業証書を受け取る時位な物だったので妙な緊張感があったが、注意喚起や安全指導は
生徒達の気
「……ん? 西緒か」
「ああ、お久しぶりです
「おいおい、俺の事はアンダーテイカー、もしくはテイカーって呼んでくれよ」
良く言えば人の良さそうな顔立ちで、悪く言えば気の抜けた顔立ちの中年男性。其の顔立ちと猫背気味の細長い身体からはおおらかと言うよりは
物理教師・按田
件の按田教諭は、僕と連れの二人にじろじろとした視線を向けた後、急に僕に肩組みをしてくる。馴れ馴れしい行動だが、こう言った人間である事を知っている僕は、溜息一つを吐くだけに留める。
「まさか、お前がこんな美人を連れてくるなんて思わなかったよ。もしかして、どっちかがお前のこれか?」
小声で、早口に捲し立てる様にして言った後、小指を立てて見せてくる。そんな時代遅れの
「そうだったら嬉しいですが、残念ながら只の職場の同僚です」
「同僚? なんだお前、大学辞めたのか?」
……何故こうも、誰も彼も僕が大学を辞めた可能性を真っ先に口にするのだろうか? 学生であるならば、
「違いますよ、アルバイトみたいな物です。というか、さっきまで臨時の全校集会で警察からの委託で注意喚起と安全指導をしてたんですけど、見てなかったんですか?」
僕の言葉に教諭は、暫く考え込む様な仕草をしていたが、
「そう言えば、今朝がた職員会議でそんなことを言ってた気がするなあ。いやあ、さっきまで保健室でサボ……体調悪くて寝てたから見てなかったわ」
……そう言えば、講堂に集まった教師の中に彼の姿は無かった気がするが、だからと言って其れはどうなんだろうか?
「探偵……ねえ」
「何か?」
教諭の不躾な視線に気分を害したのか、鷹橋が不機嫌そうな声色と表情を返す。しかし、鷹橋に睨まれた彼は、苦笑いを浮かべながら頭を掻いただけで気に留めた様子は無かった。ぺこりと会釈をする様に頭を下げると、「すまない、すまない」と軽い口調で謝罪を口にする。そんな按田教諭に毒気を抜かれた鷹橋は、不機嫌そうな表情の儘ではあるが、気にしてないとでも言う様に
「は、はじめまして、西緒さんの仕事仲間の蒲池和馬です。こっちは鷹橋弥七郎。本日は宜しくお願いします」
「…………宜しくお願いします」
蒲池さんが頭を下げるのを見て、渋々と言った様子で頭を下げる鷹橋。其れに対して、慌てて頭を下げ返す教諭。
「あ、ああ、いや、申し遅れました。私、西緒君の高校時代の担任の按田定夏と申します。まあ、私みたいな下っ端に丁寧な挨拶は大丈夫ですよ」
大人の態度には大人の対応と言う事だろうか、僕や鷹橋相手とは違った言動を見せる按田教諭。彼がそう言う所謂社交辞令と言う物を使うのを始めてみた気がする。兎も有れ、先程迄の微妙な雰囲気は雲散霧消し、少しばかり穏やかな雰囲気が流れ始めるのだった。
形式的ではあるが挨拶が済み、僕達と按田教諭は空き教室迄の道を一緒に歩いている。其処で、
「そう言えば先生、彼女は学校に来てますか?」
「彼女? 彼女って誰だ?」
怪訝な表情を此方に向ける按田教諭に、僕は真っ直ぐな視線を向ける。遣る気だとか真剣味だとか、そう言った物に乏しい彼の表情が少しだけ引き締まり、少しだけ真面目な表情になる。
「三年前に不登校になった。
まずは謝辞を。
霧島時雨さん、最高評価ありがとうございます!
アシラさん、マネロウさん、牛凧の木さん、まびまび教信者さん、tetora123さん、高評価ありがとうございます!
……久しぶりに来ると、新しく評価して下さった方なのか、前から評価して下さっていた方が名前を変えただけなのか分からないですね……。もし、そうだったらすいません!
さて、大分長らくお待たせしてしまいました。前書きにも書きましたが、暫くはこんなペースでしか書けません。待ってくださる方々には本当に申し訳ありません。何度も言いますが完結はさせます! お付き合い頂けたら幸いです。