軽文ストレイドッグス   作:月詠之人

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 お久しぶりです。覚えておいででしょうか? 仕事の合間合間で書いてたら随分と時間を喰ってしまいました……反省はしています。本当です。しかし、色々と余裕がないため、暫くはこんなペースだと思います。
 この辺りで物語はようやく折り返し地点。牛歩でしか進まないこの話も少しは進んで参りました。楽しんで頂けたら幸いです。


拾漆章

 

 翌日、世間一般では休日である筈の日曜日である。当然乍ら大学も休みなので、普段なら昼過ぎ迄惰眠を貪るところなのだが、今の僕は学生でありながら勤め人でもあるのだ。何処もそうなのかは分からないが、一般的な休日は探偵にとっては休日では無いらしく、今日も今日とて元気に出勤の予定が入っている。妹が用意してくれた少し遅めの朝食を摂り、意気軒昂と迄は言わないが、意気阻喪と迄も行かず、意気自若な心持ちで我が家を後にした。しかし、意気軒昂に意気揚々、似た様な言葉で同じ様な意味を持つが、浅学菲才な僕には使い分けが分からない。因みに同じ様な意味を持つ言葉なら、僕は意気衝天を推して行きたい。なんだか勢いがあるだろう?

 淡々と歩みを進める事数十分、此処数日ですっかり見慣れてしまった白堊の館の姿が見えてくる。相変わらずの高雅さを湛えた西洋建築は、陽の光を浴び、其の輝きを増していた。眩さに思わず目を細め乍ら門戸を潜り、見慣れた扉を開いた僕の目に映ったのは、玄関広間(ホール)で土下座する蒲池さんと、額に青筋を浮かべた鷹橋の姿だった。

 腕を組み、凄まじい剣幕で蒲池さんを睨め付ける鷹橋はまるで運慶、快慶らが造立した物が有名である仁王像の如くだ。因みに此の仁王像、正式名称は金剛力士像と言い、由来は「ヴァジュラダラ」ーー「金剛杵を持つ者」と言う意味の梵語(サンスクリット)から来ているそうだ。そんな彼が何故に仁王と呼ばれるかは単純明快、口を開いた阿形像、口を結んだ吽形像、二神一対とされるからである。二人の王で仁王像と言う訳だな。……どうも無駄話が過ぎるな……閑話休題して対する蒲池さんの様子を描写すると、彼女は五体投地とも言える程の見事な土下座っぷりを披露していた。

 

「……何をしているんだ?」

 

 僕が声をかけると蒲池さんは顔を上げて振り向き、鷹橋はほんの少しだけ表情を緩めて見せた。無論、緩めたとは言え、依然として険しい表情である事には変わり無く、結果として僕が睨まれている様な形になってしまった。

 

「いやあ、大した事じゃあないんだけどね……」

 

「大した事あるわよ! 何で名前が書いてあるのに食べちゃうのよ!!」

 

 困った様に笑う蒲池さんの台詞を遮る様にして声を上げた鷹橋の手には、合成樹脂(プラスチック)製の容器が握られていた。そして、其の容器の側面には商品名や販売元等とは別にでかでかと『鷹橋』と言う名前が書かれている。どうやら其れは風鈴菓子(プリン)の容器で在ろう事が遠目にも分かった。つまり、事の顛末としては鷹橋の買ってきた風鈴菓子を蒲池さんが誤って食べてしまったと言った所だろう。

 

「き、気付かなかったんだよ……蓋ならともかく、容器の方に書いてあるなんて……」

 

「うるさい! うるさい! うるさい! 楽しみにしてたのに! 今日、仕事が終わったら食べようと思ってたのに!」

 

 涙目に成り乍ら地団駄を踏み、蒲池さんを責め立てる鷹橋は、(とて)も成人間近の女性とは思えなかった。幼児(おさなご)じゃあ在るまいし、風鈴菓子程度で騒ぎ立てるなど見苦しいにも程があるので、蒲池さんに助け船を出す意味も含めて口を挟ませて貰う事にする。

 

「良いじゃないか、たかがプリンくらい。それくらい僕が後で買ってきてやるよ」

 

()()()()()()()()()……ですてぇ……?」

 

 急に背筋に寒気を覚えて鷹橋を見れば、柳眉を逆立てて鋭い眼光を飛ばして来ていた。どうやら、僕の一言が鷹橋の逆鱗に触れたらしい。後悔しても、時既に遅しと言った具合で、鷹橋が憤怒の形相の儘で僕との距離を詰めてくる。

 

「あんたねえ……! アレがいくらすると思ってんのよ! 七百円よ!? 七百円!! それを楽しみに取っておいたのに、食べられた私の気持ちが分かる!?」

 

「七百円!? 僕の昼食代とそう変わらないぞ!?」

 

「あんたのお昼代がいくらかなんてどうでもいいわよ。駅前の洋菓子店で限定販売されてるゴージャス・セレブ・プリンはなかなか手に入らないんだからね!」

 

「ゴージャスでセレブとは恐れ入るな……しかしだ、確かに()()()()()()とは言い難い代物だな」

 

 何せ、豪華(ゴージャス)著名(セレブ)なのだ、そんじょ其処らの風鈴菓子とは訳が違うのだろう。と言うか、僕も食べてみたくなって来たぞ、それ。

 気に成って仕方が無い気持ちを抑え乍ら鷹橋の目を見ると、興奮の剰りか目尻には再び微かに泪が浮かんでいた。食べ物の怨みは恐ろしいとは昔から良く言うが、時代が変われど其の真実は揺らがない様である。

 

 

 

 

 ーー処変わって会議室。蒲池さんに急いで買って来てもらった安物の風鈴菓子を与え、宥め(すか)して鷹橋を引っ張って来た。暫く御機嫌斜めだった鷹橋だったが、件の高級風鈴菓子を今度、一緒に買いに行く約束をすると、渋々乍らも態度を和らげてくれたのだった。

 さて、会議室に集まったは良いが、特に話し合う必要が有る訳ではない。何せ遣る事は決まっているのだ。

 ーー第三穂綿学園。僕の母校でもあり、“情報屋”鳴田良悟から手に入れた事件の手掛かり(ヒント)である。其の場所に向かい調べる事だ。何を調べるかは桜場から指示が有った。『異能力者』の有無と能力の判別、そして、其の人物の不在証明(アリバイ)である。

 

「しかし、どうやって異能力者かそうでないかを判別するんだ?」

 

 僕の疑問に応えたのは、心做しか自慢気な表情の蒲池さんである。

 

「俺の異能力『禁書目録(インデックス)』の能力を使うんだ。この能力はですね、一度見たことのある能力を自分の物として使えるのですよ!」

 

「へえ、随分と便利な能力だな」

 

「まあ、使えるって言ってもオリジナルに比べたら効果とか範囲とかが劣る劣化コピーなんだけどな……。とにかく、その中の一つに異能力者の能力を見抜くって奴があるんだ」

 

 そう言って蒲池さんは虚空から一冊の本を取り出して見せた。上製本(ハードカバー)の其の本は、淡く耀き、魔術書然とした雰囲気を醸し出している。そして、其れの(ページ)を捲り、小さく、然し不思議と良く通る声で呟く様にして言葉を発した。

 

「ーー『ダーク・バイオレッツ』」

 

 其の言葉と同時に、蒲池さんの右の(ひとみ)が暗紫色に染まる。少し不安になる色合いだが、何故だか惹き込まれる様な錯覚を受ける色だ。

 

「社長の知り合いで、古書店の店長をしている人の異能なん、だけ……ど……」

 

 何故か蒲池さんの目が見開かれ、言葉が途切れる。暫し黙っていた彼女だったが、ふと合点がいった様な表情に変わり、口を開いた。

 

「……鳴田が言ってた能力って、『異能力』の事だったのか」

 

 呟く様に言った其の言葉は、静かな会議室には良く響いた。そして、其れに逸早く反応したのは鷹橋だった。

 

「あ、あんた、異能力者だったの?」

 

 恐る恐ると言った様子で尋ねてきた鷹橋に対して、僕は首を傾げて見せる。世界や物語が傾く程は傾げず、僕の内面から溢れ出る可愛らしさを存分に発揮する、ちょこんと言うかこてんと言うかそんな感じの傾げ方だ。

 

「あれ、言ってなかったか?」

 

「聞いてないわよ!」

 

「あ、ああ、すまない、てっきり言ったもんだと勘違いしてたよ」

 

 僅かに言い淀む僕に対して、鷹橋は問い詰める様に距離を詰めてくる。そして、女子特有の甘い良い香りを楽しむ余裕も与えてくれずに彼女は、当然で想像に難くない質問を繰り出してきた。

 

「一体、どんな『異能』なのよ?」

 

 (さて)、どうした物だろうか……。僕としては自分自身の『異能力』に剰り良い思い出が無いため、出来る限り語りたくないと言うのが本音である。然し乍ら、仲間である彼女達に隠し事をしたくないと言う気持ちもあるのだ。良く見れば、鷹橋だけでなく蒲池さんも興味深そうに僕を見ていた。横目で桜場の方を見遣ると、此方は対照的に興味無さ気に瞑目しているだけで、関わる事すら面倒と言った具合である。

 

「あーっ、もう! 焦れったいわね! 和馬、アンタの能力でパパッと見ちゃいなさいよ!」

 

 黙り込んだ僕に痺れを切らしたのか、鷹橋が蒲池さんに向き直り、怒鳴り付ける様な勢いで指示する。然し、言われた蒲池さんは渋い顔で僕を見たまま黙っている。そんな蒲池さんを見て鷹橋が更に過熱(ヒートアップ)していく。

 

「何よ和馬! 良い子ちゃんぶる気!? こうなったら力ずくで……」

 

「ーー其処までにしたまえ」

 

 熱を冷ます寒冷色の一言が其の場を支配した。其の一言だけを発して、再び瞑目した桜場を全員が見詰める。蒲池さんの眸は元の色に戻り、鷹橋は腰の刀に掛けた手を静かに下ろす。……いや、ちょっと待てよ鷹橋。お前、其の刀で僕に何をする心算(つもり)だったんだよ……。

 

「桜場は……気にならないのか?」

 

 黙っていたのは自分の癖に思わず尋ねてしまった。語るのを良しとしないのであれば、此の言葉は呑み込む可きであった筈なのだが、無意識中の無意識に口から零れ出てしまった。そんな僕の戯言(たわごと)を桜場は、鼻を鳴らしただけで一蹴した。

 

「ならないと断じてしまえば嘘になってしまうのだが……そんなものは語るべき時がくれば、自然と語られるものだよ。抑々(そもそも)、抑々だよ、君達。『異能力』などという物は大体の者にとっては不幸の代名詞と言っても過言では無いのだから、無理に聞き出す様なものでもない」

 

 珍しく、少し早口に語る桜場に気圧されて、僕達は再び沈黙させられてしまった。其の沈黙の中、僕の頭に過ったのは、今の言葉は桜場にも当て嵌まる物では無いのだろうかと言う事だ。ーー『異能力』は不幸の代名詞ーーそう思わせる何かが桜場の身にも起きたのだろうか? 其の言葉の意味を各々が噛み締める中、お茶を運んできた山田さんが不思議そうな表情で僕達を見てきた。それに全員が気付いた時、重くなっていた空気が弛緩するのを感じるのだった。

 其れから暫くは作戦内容の確認を行った。とは言え、大した事を話し合った訳ではない。僕の昔の伝手を使って、具体的には当時の恩師に会いに行く形で入校させて貰うだけである。すんなりと話が進むとは思えないが、今は此れしか方法が無い事も確かなのだから、僕の狭小で希薄な人間関係に頼るしか無いのだ。情け無さを呑み込む様に運ばれて来た紅茶を口にすると、柑橘の香りが口一杯に広がり、少しだけ心を落ち着かせてくれるのだった。そうだ、落ち着き序でに聞いておく可き事を、訊いておく事にしよう。

 

「動き出すのは、明日からで良いんだよな?」

 

 僕の一言に、其の場にいた全員が僕に対して怪訝な表情を向ける。何か可笑しな事を言っただろうか? 首を傾げる僕に対して、蒲池さんが口を開いた。

 

「善は急げと言うし、今からでも良くないか? まだ昼なんだし」

 

「いや、行っても良いけど、今日は日曜だから部活をやってる人間とその顧問くらいしかいないと思うんだが……」

 

 僕の言葉に皆一様にして驚愕の表情を浮かべていた。鷹橋や蒲池さんだけでは無く、冷静(クール)な印象のある桜場でさえも目を見開いているのは、逆に僕が驚く羽目になってしまう。詰まる所、彼女達は本日が日曜日だと言う事を忘れていた、若しくは、日曜日が休日であると言う印象が無かったと言う事である。探偵家業の黒い(ブラックな)一面を垣間見た僕は小さく溜め息を吐き、肩を竦めて苦笑いを浮かべてしまう。豈図(あにはか)らんや一本取ってしまう形になって仕舞ったのだが、何故だろう、微塵も歓びを感じる事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 明くる月曜日、僕達は大丸山を登っていた。大丸山は標高百五十(メルトル)程の低目の山だが、一応は横浜市の最高峰を担っている立派な山である。此の山の中腹を切り開いた所に僕の母校たる第三穂綿学園はあり、比較的緩やかな道を小一時間近く歩き続けると到着する。我が母校、第三穂綿学園は付属の大学を同じ敷地に持つ中高一貫教育の学校で、驚くべきはその広さ、何と約二十万平米にもなり、此れは彼の東京ドームが五つ近くも入ってしまう程なのだ。所で、良く聞く表現として東京ドーム○○個分と言うが、使った僕が言えた事では無いが、良く分からないだろうから簡単に説明すると、東京ドームの広さは四万六千七百七十五平米で畳三万二千四百七十二畳分だそうだ。ほら、余計に分からなくなっただろう?

 扨々、何時も通り閑話休題するとしよう。僕達は山を登っているとは言ったが、別にえっちらおっちらと登山に勤しんでいる訳では無い。昔は登校の度に此の坂道をひぃひぃ言いながら自転車で登っていたが、今は僕も大人になったと言う訳で自動車と言う文明の利器に頼らせて戴いている。因みに運転しているのは僕で、同乗者は蒲池さんと鷹橋のみだ。山田さんは事務員だし、桜場は外に出たくないとの事でお留守番をしている。其れで良いのか探偵社の社長さん……。

 此処で、何故僕が運転しているのかと言う疑問を持った人もいるだろうから答えておくと、理由は実に直截簡明で、探偵社の面子で免許証を持っているのが僕と蒲池さんだけだからだ。そして、蒲池さんに運転させるのは危険だと言う満場一致の意見により、僕が運転する事に相成ったのだ。抑々、此の車自体が僕の所有物なので僕が運転するのは当たり前と言えば当たり前であるのだが。そんな僕の愛車は、フォル○スワーゲンのニュー○ートルだ。嘗て製造されていたタ○プ1の面影を受け継ぎつつ、伝統的な「円弧」の題材(モチーフ)を現代風の意匠(デザイン)に落とし込んだ一品、いや、逸品である。確かに使い勝手が悪い所はあるが、其れ以上に……愛車自慢はもう良いって? 其れは残念だ。其れで、何故に僕の私用車を使っているのかと言うと、此れ亦簡単明瞭で、我が『灰狼探偵社』に社用車が無いからである。其れもそうだろう、僕以外だと免許を持っているのが蒲池さんだけで、(しか)も彼女は奇跡的な不幸体質なので、彼女に運転させる訳にはいかない。であれば、社用車は無用の長物と言う事になるので、所有していないのである。と、此処迄が状況説明になる訳だが、冗長な上に脱線しすぎで、四方山話も混ざり解り辛いとは思うが、簡潔にして話を完結させると、僕と蒲池さんと鷹橋の三人が自動車で山道を行き、当初の予定通り第三穂綿学園に向かっているだけである。

 普段、大学へは自転車か徒歩で通っている僕は、久々の運転に少々緊張しつつ、安全運転を心掛け乍らも軽快な間話(トーク)を交わす事も忘れない。今も尚、僕達は談笑を続けている。

 

「分かってない! 分かってないぞ、鷹橋! この流線型のボディの美しさが!」

 

「いやいや、見た目じゃなくて実用性の話よ。視界は悪いし、狭いし、乗り心地は悪いしで最悪よ」

 

「うっ……! そ、それを補って余りある魅力と浪漫があるんだよ!」

 

「浪漫でお腹は膨れないわよ。というか、そういうことは自分のお金で買ってから言いなさい。親に買って貰った車の自慢なんて恥ずかしいわよ」

 

「ぐっ……し、仕方ないだろ。貧乏学生にそんな余裕はないんだよ……!」

 

 …………………………ほら…………なんというか…………和気藹々としてるだろう? 別に口論なんかはしてないさ、僕と鷹橋は仲良しだからな。後部座席で蒲池さんが呆れた様に苦笑を浮かべているのだって気のせいだ。

 

「な、なあ、そろそろ着くんじゃないか?」

 

 後部座席で僕と鷹橋の遣り取りを聴いていた蒲池さんが声を掛けてくる。蒲池さんの言う通り、既に穂綿学園の直ぐ近く迄来ており、其の陰も見えて来ている。白壁の現代建築は巷でも良い趣味(ハイセンス)だと話題で、誰か有名な建築家が設計(デザイン)したとかで耳目を集めたらしいが、僕等生徒一同としては興味も無ければ好感もなかった。耳に胼胝(たこ)が出来る程聞かされた筈の其の建築家の名前が、最早思い出せないのが其の証拠だろう。

 今、正面に見えているのは総合棟と呼ばれる建物で、事務室や職員室、食堂等々の共有施設が入っている棟だ。中等部と高等部の生徒全員が利用する棟であり、教師陣も基本的に此処に詰めているので日頃から多くの人間で溢れている。此れから僕達は其処に向かい、入校の許可を得なければならない。とは言え、既に電話での前約(アポイントメント)は取ってあるので、棟に寄るのは形式的な意味合いが強いのだが、大人の社会では其の形式が大きな意味を持つ事が多いので無下には出来ない物であったりもする。因みに名目としては、生徒達から目撃証言を集める事と事件への注意喚起である。円滑(スムーズ)に話が進んだのは意外だったが、警察からの委託である事と、飽く迄も注意喚起等の学徒達の安全確保が目的である事を強調したのが功を奏したのだろう。騙した様な感じになってしまったが、警察から協力要請が出ているのは本当だし、生徒達から目撃証言を得る際の注意喚起を怠らなければ嘘にはならない筈だ。

 駐車場に車を停め、三人連れ立って事務室に向かい、必要書類に記入してから入校許可証を受け取る。そして、其の後は校長室で校長に挨拶をした後に、臨時の全校集会で注意喚起を促した。講堂の壇上に登るのは卒業証書を受け取る時位な物だったので妙な緊張感があったが、注意喚起や安全指導は畧々(ほぼ)蒲池さんと鷹橋が行ってくれたお蔭で、僕がやった事と言えば映写機(プロジェクター)の操作位で殆ど黒子の様な物だった。余談だが、僕は別に籠球(バスケ)は得意ではない。……本当に余談だな。

 生徒達の気(だる)い挨拶を耳にし乍ら一礼をして壇上を降り、控室になっている空き教室に向かう。其の途次(みちすがら)、僕は一人の男性教諭に声を掛けられた。

 

「……ん? 西緒か」

 

「ああ、お久しぶりです按田(あんだ)先生」

 

「おいおい、俺の事はアンダーテイカー、もしくはテイカーって呼んでくれよ」

 

 良く言えば人の良さそうな顔立ちで、悪く言えば気の抜けた顔立ちの中年男性。其の顔立ちと猫背気味の細長い身体からはおおらかと言うよりは図法螺(ずぼら)な雰囲気が漂ってきている。

 物理教師・按田定夏(さだなつ)。何の縁か高校三年間連続して僕の担任だった人で、高校時代で僕が頻繁に会話していた数少ない人物だ。アンダーテイカーと言うのは彼が自分で考えた渾名で、自分の名前を(もじ)った安直な物であり、親しみ易い教師を目指していると自称している彼は生徒達にそう呼ばせているのだ。実際、数人の生徒はアンダーテイカーないし、省略形のテイカー先生と呼んでいる所を見聞きした物だが、僕は頑として呼ぼうとはしなかった。呼んだら敗けだ。正直な所、渾名で呼ぶのは親しまれていると言うよりも、無礼(ナメ)られていると言う側面が強い為、そういった輩と一緒にされたくない僕は渾名で呼ぶのは差し控えているのだ。なにより、呼んだら敗けだ。

 件の按田教諭は、僕と連れの二人にじろじろとした視線を向けた後、急に僕に肩組みをしてくる。馴れ馴れしい行動だが、こう言った人間である事を知っている僕は、溜息一つを吐くだけに留める。

 

「まさか、お前がこんな美人を連れてくるなんて思わなかったよ。もしかして、どっちかがお前のこれか?」

 

 小声で、早口に捲し立てる様にして言った後、小指を立てて見せてくる。そんな時代遅れの手真似(ジェスチャー)を見た僕は再び溜息を一つ吐いた。僕としては其の勘違いは大いに結構なのだが、事実と異なる事を肯定は出来ないので、軽く首を振って否定して見せる。

 

「そうだったら嬉しいですが、残念ながら只の職場の同僚です」

 

「同僚? なんだお前、大学辞めたのか?」

 

 ……何故こうも、誰も彼も僕が大学を辞めた可能性を真っ先に口にするのだろうか? 学生であるならば、副業(アルバイト)である可能性が一番高いだろうに。と言うか、先程迄壇上に僕達が立っていたのを見ていなかったのだろうか?

 

「違いますよ、アルバイトみたいな物です。というか、さっきまで臨時の全校集会で警察からの委託で注意喚起と安全指導をしてたんですけど、見てなかったんですか?」

 

 僕の言葉に教諭は、暫く考え込む様な仕草をしていたが、(やが)て合点が行った様に手を打った。

 

「そう言えば、今朝がた職員会議でそんなことを言ってた気がするなあ。いやあ、さっきまで保健室でサボ……体調悪くて寝てたから見てなかったわ」

 

 ……そう言えば、講堂に集まった教師の中に彼の姿は無かった気がするが、だからと言って其れはどうなんだろうか? 茫乎(ぼんやり)とした表情の儘で教師として、と言うよりも大人としてどうかと思う様な台詞を宣う按田教諭に、ついつい白けた視線を向けてしまうのは仕方の無い事だろう。そんな僕の視線を受けても大して気にもしないで、彼は僕から少し離れて鷹橋と蒲池さんを見遣る。

 

「探偵……ねえ」

 

「何か?」

 

 教諭の不躾な視線に気分を害したのか、鷹橋が不機嫌そうな声色と表情を返す。しかし、鷹橋に睨まれた彼は、苦笑いを浮かべながら頭を掻いただけで気に留めた様子は無かった。ぺこりと会釈をする様に頭を下げると、「すまない、すまない」と軽い口調で謝罪を口にする。そんな按田教諭に毒気を抜かれた鷹橋は、不機嫌そうな表情の儘ではあるが、気にしてないとでも言う様に(かぶり)を降った。両者の間に微妙に気不味い雰囲気が流れたのを危惧してか、蒲池さんが慌てた様に一歩前に出て声を掛ける。

 

「は、はじめまして、西緒さんの仕事仲間の蒲池和馬です。こっちは鷹橋弥七郎。本日は宜しくお願いします」

 

「…………宜しくお願いします」

 

 蒲池さんが頭を下げるのを見て、渋々と言った様子で頭を下げる鷹橋。其れに対して、慌てて頭を下げ返す教諭。

 

「あ、ああ、いや、申し遅れました。私、西緒君の高校時代の担任の按田定夏と申します。まあ、私みたいな下っ端に丁寧な挨拶は大丈夫ですよ」

 

 大人の態度には大人の対応と言う事だろうか、僕や鷹橋相手とは違った言動を見せる按田教諭。彼がそう言う所謂社交辞令と言う物を使うのを始めてみた気がする。兎も有れ、先程迄の微妙な雰囲気は雲散霧消し、少しばかり穏やかな雰囲気が流れ始めるのだった。

 形式的ではあるが挨拶が済み、僕達と按田教諭は空き教室迄の道を一緒に歩いている。其処で、不図(ふと)して思い出したと言うか、魚の小骨が咽喉(のど)に引っ掛かる様に、ずっと気に懸かっている事を聞いてみる事にした。

 

「そう言えば先生、彼女は学校に来てますか?」

 

「彼女? 彼女って誰だ?」

 

 怪訝な表情を此方に向ける按田教諭に、僕は真っ直ぐな視線を向ける。遣る気だとか真剣味だとか、そう言った物に乏しい彼の表情が少しだけ引き締まり、少しだけ真面目な表情になる。

 

「三年前に不登校になった。谷河(たにがわ)……谷河(ながる)です」

 

 

 

 




 まずは謝辞を。
 霧島時雨さん、最高評価ありがとうございます!
 アシラさん、マネロウさん、牛凧の木さん、まびまび教信者さん、tetora123さん、高評価ありがとうございます!
 ……久しぶりに来ると、新しく評価して下さった方なのか、前から評価して下さっていた方が名前を変えただけなのか分からないですね……。もし、そうだったらすいません!

 さて、大分長らくお待たせしてしまいました。前書きにも書きましたが、暫くはこんなペースでしか書けません。待ってくださる方々には本当に申し訳ありません。何度も言いますが完結はさせます! お付き合い頂けたら幸いです。

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